当たるも八卦(はっけ)

青年期にはいろいろな悩みに直面するものです。そのときの不幸を嘆いたり、そこはかとない不安を感じたり。将来を絶望したりすることだってあるかも知れません。私もご多分にもれず青年期には迷いを感じながら手さぐりで自分の進むべき道を探していた時期がありました。もともと悩みを相談できるような友達もいませんでしたし、親や兄弟にそうした葛藤や苦しみを打ち明けるほど家族の絆を感じてもいませんでしたから、自分の中でじっと耐えることしかできなかったのでした。

青年期の悩みを解決する手がかりを求めていろいろな本も読みました。亀井勝一郎だったり、加藤諦三だったり、あるいは当時NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が書いてベストセラーとなった「男は20代でなにをなすべきか」だったり、生き方のヒントとなりそうな本を片っ端から読んでみたのでした。また、このころ小説もたくさん読みました。もともと好きだった山本周五郎の文庫本はほぼ全部読みましたし、かつて読んだ井上靖の「三部作」も何度も読み返したりしました。きっと私なりにもがいていたんだと思います。

そんなとき、母親に「よく当たる手相の占い師がいるから行ってみないか」と誘われました。自分の悩みを親に相談することはありませんでしたが、もしかすると母は私の悩む姿を見かけて心配してくれたのかもしれません。それにしても正直いってはじめは「手相かよ」って感じでした。占いなど、抽象的なことをいって当たったように思わせる詐欺みたいなもの、といった印象を私自身はもっていたからです。が、溺れる者はわらをもつかみたくなるわけで、母に勧められるままにその占い師の家に行ってみることにしました。

事前にその占い師に手相を観てもらった母親は「とても当たるんだよ」と興奮気味でしたが、その分だけ私は懐疑的になっていました。東急東横線の学芸大学駅でおりて住宅街を歩くと、まるでドラマに出てくるような木造モルタルの古いアパートに到着しました。そして、これまたドラマにでてくるようなさび付いた階段を二階に上るとその占い師の自宅がありました。出迎えてくれたその占い師は白髪に白いひげをたくわえた老人で、年齢は当時すでに80歳をゆうに超えているように見えました。

室内は小奇麗に片付いており、6畳ほどの古い部屋の四隅には小さな神棚がありました。その老人の奥さんとおぼしき女性は、私たちがもってきた菓子折りからお菓子をとりだし、その神棚にそなえていました。母親がいうには、その占い師は商売で手相を観ているのではなくあくまでも趣味でやっているんだとか。それにしてもその風貌といい、住んでいる部屋といい、小机の上にのっている占い道具といい、占い師としては趣味の域を超えているようにしか見えませんでした。

「まずここに生年月日と名前を書いてごらん」。占い師の老人に言われるままメモ用紙に生年月日と名前を書きました。するとその老人は私が書いた文字を虫眼鏡でのぞき込みながら、紙に計算のような式を書き込み、古びた表紙の本をなんども開いては紙になにかを書きつけていました。そんな老人の様子を見ながら、「インチキ占い師じゃなさそうだなぁ」と思い始めていました。すると、その占い師は「今度は手相を見せてもらおうか」と言いました。私は恐る恐る手を出しました。

老人は私の左右の手のひらを何度も見比べながら、手のひらのしわを伸ばしてみたり、虫眼鏡をのぞき込んだりしていました。そして、ときどき私の顔をじっと見てはまた手のひらを見るということを繰り返しました。ひとしきり儀式のような作業を終えると、にこやかに私の方を向いて「なにについてお話しすればいいかな?」と自信ありげに口を開きました。私はすぐに本題に入ることをためらいました。なぜなら「抽象的な言い方でごまかす詐欺」という不信感をぬぐえなかったからです。

しかし、私がまごついているうちに老人はずばっと切り出しました。「なんか悩みがありそうだけど、君の中では結論が出ているんじゃないかな?」。そう言い切った老人はすべてがお見通しのかのように自信ありげでした。当時、医学部の受験を控えて迷いがありました。落ちたらどうしよう、落ち続けたらどうしよう。失敗したときのことを考えるたびに、医学部以外の無難な道を選んでしまいそうになっていたのでした。しかし、一方では心のどこかに医学部を受験することになるだろうという気持ちがあったのでした。

「すでに君が出した結論は正しい。これまでいろいろ悩んだと思うが、再来年にはいい年がやってくるから頑張りなさい」。すべてはこの言葉で決まりました。そして、紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は東北の方角」と書いて私に渡しました。さらに老人は続けました。「自宅周辺の白地図を買ってきなさい。そして、自宅から西の方角に線を引くと神社がある。そこの湧水をもらってきて飲みなさい」と。私は半信半疑でしたが、占いが終わるころにはすっかりこの老人の言葉に引き込まれていました。

母親と自宅に戻ると早速白地図を買ってきて鉛筆で西に向かって線を引いてみました。するとどうでしょう。引いた直線のまさに線上に神社があるではありませんか。今までそんなところに神社があるなんて思いもしませんでした。「すごいっ!」と興奮気味の母親とともに、いてもたってもいられなくなってその神社に行ってみることにしました。地図を頼りに車を走らせて到着したその神社は自宅から直線距離にして7㎞あまりのところにありました。

境内を歩いてみると、森に囲まれていてとても静かで厳かな雰囲気を感じる神社でした。しかも想像していた以上に立派な神社です。訪れたときは参拝者はほとんどおらず、宮司さんがひとり石畳を掃き清めていました。あたりを注意深く見渡しましたが、あの老人が言った湧水をもらえそうな場所が見当たりません。そこで私たちはお掃除をしている宮司に尋ねてみました。「すみません。この神社に湧水はありますか」。すると宮司は境内の奥を指さして言いました。「それならこの先の突き当りにあります」。

宮司に教えられたとおりに歩いていくと、確かに湧水があり、その水をもらっていくための入れ物まで置いてありました。私も母親もすっかり驚いてしまって、お互いに顔を見合わせてしまいました。さっそくそのお水をもらって自宅にもちかえり、老人に指示された通りに湧水を飲んでみました。その成果があったのかどうかはわかりませんが、2年後、私は北海道大学に入学しました。しかも、念願だった医学部に。北大の方角は私の自宅から北東の方角にあります。決してあの占いを信じて北大を選んだわけでもなにのに。

今、振り返ると、あの占い師の言ったことはいろいろと当たりました。手相を見てもらったとき、私の生命線は途中でぶっつりと切れていました。手相など信じていなかったとはいえ、決していい気持ちがしていませんでした。そこでこのことを聴いてみると老人は微笑みながら言いました。「手相ってかわるんだよ。大丈夫、この線は必ずつながるから」と。本当かなと思いながらもその後たびたび気にしていた生命線は、今では彼の言った通りにつながっています。不思議です。

また、面白半分に「結婚はいつぐらいになりますか」と聞いてみました。すると「40歳ぐらいに結婚するのが一番いいけど、そのまえにも二度機会があるかな…」と言われました。当時はまだ若かったので「おいおい40歳なんて年齢で結婚するのかよ」と思いましたが、その「予言」は図らずも当たってしまいました。老人が指摘した年齢に確かにお見合いがありましたし、結果として38歳で「運命の人(今の家内です)」との結婚することになったんですから(先ほどの神社で挙式したのは言うまでもありません)。

意地悪な人からは「占いの結果に無意識に引きづられただけ」と言われますが、意識してそうなろうとしてもなれるものじゃありません。それを縁というかどうかは別として、占いに人生を振り回わされるのではなく、背中を押してくれるものになるのであればそれはそれでありかな、と思います。思い通りにならないのが人生。岐路に立たされた時にいかにベストと思える判断をくだせるか。そして、その判断が結果として最善ではなかったとしても、その都度ベストと思える判断をくだせばいいだけですから。

あのときの占い師の老人はすでに鬼籍の人だと思います。それでも今でも私の記憶に残る「奇跡の人」だったと思います。その後、私たちの話しをきいて何人もの人が手相を見てもらいにその老人のもとを訪れたようです。しかし、その老人は「占いを信じない興味だけの人は見ない」と何人かの人を追い返したと聞きます。それなのに、占いに否定的だった当時の私を「面白い人だから連れてきなさい」と母に言ったあの「奇跡の人」は、その後、ほぼ占いの結果通りになることになる私のすべてをお見通しだったのでしょうか。

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