ついに、ふたたび。

昨日(9月2日)の時点で、ついに青森県を除いた46都道府県で実効再生産数が1.0を切りました。東京にいたっては0.9を切る勢いです。これで今回の流行がピークアウトするのも時間の問題でしょう。しかし、油断は禁物です。しばらくは流行は続きます。どこで誰からうつされるかわかりません。うがい、手洗い、そして、TPOに応じてマスクをすることもお忘れなく。風邪症状はコロナ、と思って対応して下さい。

10月からはインフルエンザのワクチン接種がはじまります。今年はインフルエンザワクチンの供給量は潤沢とのこと。不足することを心配する必要はなさそうです。新型コロナウィルスワクチンとの同時接種も認められました。でも、私個人としては同時接種はお勧めしません。なぜなら副反応が生じたときどちらが原因かわからなくなるからです。少なくとも2週間はあけて接種することをお勧めします。

高齢者を対象に「オミクロン株対応の新型コロナウィルスワクチン」の接種もはじまります。その報道を知った人の中には、4回目のワクチン接種を控えてこの「オミクロン株対応」のワクチンを接種しようと考える人がいるようです。でも、これも私は推奨しません。それはこの新しいワクチンは「緊急承認」されたばかりのものであり、安全性が十分に検討されたものとはいえないからです。

今、4回目のワクチンとしてモデルナ製のものが接種されています。こちらでも十分に効果は期待できます。ただし、効果が持続するのは3ヶ月程度ともいわれています。とりあえず、従来のワクチンを4回目として接種し、来年になってまた第8波の流行となればそのときに「オミクロン株対応」のワクチン接種を検討すればいいと思います。それまでに不測の副反応の情報が出てくるかもしれませんし。

私も今日、職員と一緒に4回目の新型コロナウィルスワクチン(モデルナ製)を接種しました。今のところなんの副反応もありません。おそらく明日も問題ないような気がします。くれぐれもワクチン接種後に熱発があったからといってむやみに解熱しないでください。事前に解熱剤を服用するなんてもってのほかです。もちろん、高熱でつらいときは遠慮なく解熱剤を使ってください。こちらも冷静な判断をお願いします。

繰り返しになりますが

前回、「第7波もいよいよピークアウトか?」と書きましたが、お盆休みの帰省ラッシュの影響は無視できなかったようで、全国的に実効再生産数が低下していた感染者の数も帰省先となった地方を中心に増加に転じてしまいました。しかし、最近の感染者の推移を見れば、そうした増加傾向もやがては落ち着く気配があります。ふたたび実効再生産数が1.0を切る都道府県が増えてくるでしょう。

これまでの2年間を振り返ると、流行のピークに2週間遅れて重症者のピークが、さらに2週間遅れて死者のピークがやってきていました。しかし、今回の第7波の特徴のひとつは、一貫して重症者は増えていないという点です。あまりの感染者の多さに不安を感じていた人も少なくなかったかもしれません。でも、1200万人の人が住む東京都でさえ重症者は常に30人程度。要するに今の感染状況はその程度なのです。

「一日の死者が過去最高」と報道されています。でも、これだけ感染者が増えれば死者が増えるのもあたりまえです。問題なのは「死者÷感染者」で計算される「致死率」。実は今回の流行の致死率は、かつてのインフルエンザよりもずっと低いのです。ですから、あまりにも怖がっている人に私は「インフルエンザを怖がっていなかったあなた。なぜそれほどまでに新型コロナを怖がっているのですか?」と尋ねます。

今、咽頭痛や咳があって、いつもよりも体温が高ければ新型コロナ感染だと考えるべきです。でも、ワクチンを接種していれば高熱になることはあまりないようです。ですから、症状の軽重には関係なく、風邪症状があればむしろ「新型コロナウィルスに感染した」と考えて、他の人に感染を広げないような対応をとるとともに、家庭内隔離しながら肺炎になっていないか注意し、療養すればいいだけです。

多くの場合、検査など必要ありません。検査では「陽性」には意味があっても、「陰性」だからといって「感染していない」ことの証明にはなりません。「陰性」の結果が出た翌日に「陽性」となるかもしれませんし、二日後に陽性になるかもしれません。検査をむやみに要求する会社・学校が多すぎるのです。旅行をするにも「陰性証明」が必要らしいですが、そんな証明ができる検査があれば教えてほしいくらいです。

正体もわからず、予防法も治療法もまったくない頃と、今のようにワクチンもあり、重症になったときの治療法があって、しかも感染しても多くが風邪症状にとどまっている今とが同じであっていいはずがありません。人々の恐怖心をあおることを商売にする人がいます。する必要のない検査や飲む必要のない薬を勧める人もいます。正しい知識を持っていないと、そうした人のいいカモになるので注意が必要です。

いつかTVで見かけたのですが、病院に入院できずに自宅で療養する新型コロナ患者に心電図検査をする医者がいました。しかも診療費が高いモニター検査です。こんなもの本来は不必要です。また、食事もとれ、水分も補給できる患者に点滴だって必要ありません。たいした熱でもなく、軽い風邪症状で発熱外来を受診することも、またそうした患者に解熱剤を処方することも正直にいってどうかと思います。

当院に相談のお電話があったとき、軽症の風邪症状の方に私は「症状は軽いが新型コロナの可能性がある」「でも検査や薬は必要ない」「自宅内隔離で経過観察を」と説明する場合があります。しかし、そうした人の中には「じゃあ他をあたります」と納得しない人もいます。あるいは、「わかりました」と納得したように電話を切った人の中には、受話器の向こうで不満をもらしている人がいることも私は知っています。

かつてのインフルエンザのシーズンなどでも同じような光景を見てきました。「早すぎる検査には意味がないことが多いのです」「検査よりも自宅で安静が重要です」「感冒薬は風邪を治す薬ではありません」「解熱剤は辛いときに頓服で服用する薬です」。新型コロナウィルスが感染拡大してから言い続けていることは、インフルエンザが流行しているときから言ってきたことです。

ずっと私が言い続けてきたことの正しさを、今回の新型コロナウィルスの流行で理解してもらえたらいいのですが必ずしもそうではありません。「(医者が説明する)正しいこと」は必ずしも「(患者が)納得できること」ではないからです。まさに「理性は情緒には勝てない」ということです。医学的な知識をもっている医療従事者でさえ不安に振り回されている人がいるくらいなので無理もありませんが。

医学的に正しいことと正しくないこと、個人の判断に委ねていいものとそうでないものとの区別は大切です。これは日頃、私が診療する際に常に忘れないようにしていることです。患者の希望は尊重すべきですが、患者のいいなりになってはいけません。「医学的に正しいこと」と「患者の希望にそうこと」は必ずしも一致しないので悩ましい問題です。とくに今の混乱している新型コロナの診療においてはなおさらです。

医療・医学の知識や経験のない一般の人には見えないことがあります。誤解しているところもあります。それを正すのが我々医療従事者なのですが、その医療従事者の中にも「考え方の違い」や「立場の違い」があって、「言っていること」と「やっていること」が人によってさまざまです。それらも「ワクチンは打つべきか」「検査をするべきか」「薬を飲むべきか」について一般の人が混乱する原因にもなっています

いずれにせよ、マスコミからながれてくる情報にながされないようにして下さい。マスコミから発信される情報は正しいとはかぎりません。明らかな間違いではないにせよ、正しいことを正しく伝えてはいない場合がしばしばあります。情報の内容もさることながら伝え方に問題があることも。私の情報にしてもまた同じことです。私自身が正しいと思っていても、それを否定的に考える医者もいるはずですし。

いろいろな意見があっていいのです。しかし、どれが正しいかは自分のあたまで判断するしかありません。ただし、医学的なことをイデオロギーで判断してはいけません。科学は万能ではありませんが、思想や心情で考えてはいけません。「癌と戦うな」という勇ましいスローガンはその最たるものです。巷(ちまた)にながれるさまざまな情報を、自分の理性をフル活用して真贋を考えることが重要です。

 

 

ピークアウト?

先日のブログでお知らせしたように、ついに今日、全国の新型コロナウィルス感染者の実効再生産数が1.0を切りました。お盆休みの帰省が影響しなければ、第7波もピークアウトになるかもしれません。各都道府県の実効再生産数を見ても感染者が多い都道府県ほど実効再生産数が1.0を切っており、兵庫県を除いて上位12都道府県はいずれも1.0以下になっています。

【資料】新型コロナウィルス 国内感染の状況

感染の拡大が収束に向かうかも知れまでんが、まだまだ感染のリスクは高い状態が続きます。気を緩めずに、手洗いとうがいの励行、マスクエチケットを継続して下さい。そして、風邪症状のあるときは仕事や学校を休み、風邪薬(や鎮痛剤、解熱剤)を服用せずに自宅内隔離で経過観察すること。くれぐれも軽症なのに発熱外来を受診しないでください。症状がつらいときのみ対処療法薬を服用し、呼吸回数の多くなるような息苦しさや4日以上続く高熱があるときこそ発熱外来に電話で相談してください。

今、「ワクチンを接種しても新型コロナにかかっているからワクチンを接種しても意味がない」というデマが流れています。ワクチン接種から時間がたてば中和抗体が減少して感染しやすくなります。イスラエルのワクチン接種済みの医療従事者のうち、3回接種した人と4回接種した人でブレイクスルー感染をした人の割合はそれぞれ20%と7%でした。また、重篤なケースや死亡者はいなかったとも報告されています。ワクチンが無効だと思われるようなごく少数のケースをことさらに強調するデマに惑わされないで下さい。

その一方で、厚労省と日本小児科学会が勧めている「小児へのワクチン接種」に私は懐疑的です。以前にも申し上げたように、小児は新型コロナウィルスに感染しても重症化するリスクはそれほど高くありません。にも関わらず、免疫システムがまだ十分に発達していない小児に安全性が十分に確立されているとはいえない(治験の途上にもある)ワクチンを繰り返し接種することは、リスク(危険性)とベネフィット(効果)の観点からも「努力義務」を課すようなものではないはずです。

ワクチンは接種することも自由ですが、接種しないこともまた自由です。新型コロナウィルスが「恐ろしい感染症」と思われていた頃ならまだしも、今の新型コロナウィルスによる感染症はまるで風邪のようなものです。そんなときにワクチン接種を強いることはできません。4回目のワクチン接種がまさにそれです。私自身は接種する予定ですが、職員には自由意志に任せています。ただし、ワクチンの恐ろしさを強調して「ワクチンを打つな」と同調圧力をかけることも間違いですから念のため。

また、検査を過信することも間違っています。これもこれまで繰り返してきましたが、「検査は一番怪しいときにおこなうもの」です。難しい言い方をすると、「検査は事前確率をあげておこなうもの」なのです。医学部の学生でさえ誰でも知っているような基礎知識がなおざりにされています。「誰もが、いつでも受けられる検査」をまるでいいことのように言っている医者すらいるのには驚きです。検査は「陽性」であることに意味があっても、「陰性」だからといって「コロナじゃない」と言えないのです。

同じことを繰り返して「耳にタコ」かもしれませんが、「経過観察の重要性」「薬や検査の必要性」についてはあらためて考えていただきたいと思います。いずれにせよ、今の感染拡大には歯止めがかかりそうです。でも、再び流行が拡大するときがまたやってくるかもしれません。そのときのためにも、正しい知識を身につけて備えていただきたいと思います。

ついに来ました。

ついに今日(9日)、東京都や神奈川県などで実効再生産数(ひとりの患者が何人の患者にうつすか、をあらわす数字。これが1.0を下回ると感染者数が減少に転じるとされています)が1.0を下回りました。よっぽどのことがなければ今週中に、早ければ明日にでも全国の実効再生産数も1.0を下回って流行のピークアウトが発表されるでしょう。これで第7波も収束していくでしょうが、ウィルスの変異はこれからも続きます。もし第8波となっても、「感染力は強くなっても毒性は低下する」の原則は不変だと思います。くれぐれも煽られないで冷静に対処しましょう。

【資料】新型コロナウィルス 国内感染の状況

今さらだけど

ずっと前から私がいってきたことをいくつかの学会がようやくいいはじめました。第七波のピークアウトもそろそろって頃になって遅まきながら、という感も否めませんが、とりあえずはこのながれがもっと広がればいいと思います。でも、なぜかマスコミはこのことを大々的に報道しませんよね。視聴者をこれでは煽れないからですかね?病院の人たちはもう疲弊しきってますよ。

【ネット記事】症状が軽い場合は受診を避けて 日本感染症学会などが緊急声明

でも、間違わないでください。「軽症は受診を避けて」というよりも「受診の必要はない」ってことですから。理由は先日のブログで書きました。また、重症感が強い場合、とくに呼吸回数が多くなるような息苦しさをともなう高熱や4日以上の高熱は積極的に発熱外来に受診してください。ただし、あらかじめ電話をしてからお願いします。

これでいいのか、日本。

検査にはこんな側面もあります。薬局でも検査キットが買えるようになっています。世界で一番陽性患者が多くなるはずだと思いませんか。「無症状でも陽性」「軽症でも陽性」を確認する意味ってなんでしょう。つくづく原則が無視され、やみくもに検査が行なわれているんだなって思います。

【動画】無料PCR検査で「商品券」

マスコミには世間を騒がせる報道ばかりではなく、こういう問題提起する報道をしてほしいものです。

烏合の衆になるな

冒頭、申し上げます。

マスコミに煽られないでください。

軽症の場合は解熱剤や風邪薬を服用する必要はありません。

検査で「感染したか、しなかったか」の白黒をつけることも重要ではありません。

発熱外来は「重症化しそうだ、したかもしれない人」が受診するところです。

   ウィルスは変異を繰り返して感染力を強めますが、毒性は逆に弱まっていく傾向があります。

つまりは、軽い風邪症状の場合は検査の有無とは関係なく、自宅内隔離をして経過をみることで十分です。つらくなければ薬の服用も必要ありません。発熱があっても2,3日で解熱傾向となれば心配ありません。よほどつらくなければ解熱剤を使わずに様子をみても大丈夫です。息苦しさをともなう咳、あるいは4日目になってもさがらない高熱のときは発熱外来(かかりつけ医)に電話で相談してください。

本文は私の個人的な見解であり、みなさんに押しつけるつもりはありません。また、新型コロナウィルスの感染状況を怖がっている人を否定するつもりもありませんし、今回の記事で楽観的なことを気休めで書いたつもりもありません。医療従事者として「(私が考える)まっとうなこと」を述べたにすぎません。そのことを念頭に読んでいただければ幸いです。最後に、毎日忙しく病院で働いているすべての方々に感謝します。

 

*********************************** 以下、本文

新型コロナウィルス(以下、COVID-19)の第七波がこれだけの広がりを見せていながら、私がこのブログでコメントをしないのはなぜだろうと思っている方がいるかもしれません。流行に変化の兆しが見えるたびに、適時・適切に役立つと思われる情報を記事にしてきました。しかし、今年の1月に「バカなんですか?」という記事を掲載して以来、半年にわたってCOVID-19とは関係のない話題でブログを更新してきました。

第三回目のワクチン接種がはじまり、たくさんの人に追加接種が進むにつれて、COVID-19の流行はいったん下火になっていきました。それはまるで「これでついにCOVID-19感染症も終わりになるのか」と勘違いするほどの勢いでもありました。みんながホッとしたのもつかの間、6月に入ると一転して感染者が急増。あれよあれよという間に感染が拡大し、多くの地方自治体で「過去最多」を更新するほどになってしまいました。

そんな状況をマスコミが誇張するせいで、これからどうなってしまうのだろうと不安になっている人が少なくありません。それはあわてて四回目のワクチンを接種する人たちを見ても、「風邪症状があるがどうしたらいいのか」と当院に電話してくる人たちの多さからもわかります。しかし、私は「これまでこのブログに書いてきたこと」を繰り返すしかありません。しばらくCOVID-19の話題を書かなかったのはそのためです。

私がはじめてCOVID-19について言及したのは2020年1月。以来、26回にわたってそのときどきに伝えられていた情報を整理して記事にしてきました。それらの多くの情報は今でも間違っていなかったと思います。そして、それは次々とあらたな変異株が出現しても、大きく変わることのない情報でした。でも、マスコミはそんなことはお構いなしに、流行するたびに「今日もこんなにたくさんの感染者が発生した」と煽ります。

これまでがそうだったように、マスコミでは「感染者の多さ」をことさら強調するだけで肝心なことを伝えません。その「肝心なこと」とは「感染した多くの人の症状はおおむね軽症だ」ということです。何万人の人が感染しようが、それが「単なる風邪症状」であって、重症化する人がほとんどいないのであればなにも恐れることはありません。ましてや経済を犠牲にしてまで、行動規制をする必要はないはずです。

「気にせずごく普通の生活をするべきだ」と言っているのではありません。今、流行しているCOVID-19の感染力は確かに強く、手洗い、うがいを励行し、TPOに応じてマスクをすることは引き続き大切です。しかし、それは自分が感染しないためというより、自分が意識しないところで他人にうつさないためです。感染してもほとんどの人が軽症で終わりますが、運悪くうつした相手が重症化しやすい人かもしれないからです。

今、ものすごい勢いで感染が拡大しているように見えます。でも、一番の関心事は「COVID-19に感染したかどうか」ではなく「重症化するかどうか」にあります。感染した人の多くは、咽頭痛や倦怠感、高熱が出ても2,3日で解熱傾向となり、一週間ほどで治っています。おおむね「ただの風邪」なのです。とくにワクチンを接種している人はことさらに心配する必要はありません。問題はワクチンを接種していない人たちです。

「ワクチン接種に意味がなかった」と反ワクチンのデマがながれています。これは国際機関の正式な発表をもとにしたものではありません。「ワクチンは無効だった」などというデータはないのです。確かに、COVID-19の変異が繰り返されるたびにワクチンの効果は減弱していきます。しかし、現在のB.A.5という変異株でさえもワクチンが重症化を防ぐ効果は三回の接種で70~80%とある程度はっきりした数値が報告されています。

ワクチン接種はあくまでも任意です。接種することを強制することはできません。しかし、たくさんの人にまるで「接種するな」というような情報を言ってまわることも間違いです。いわんやいちぶの過激な人たちのように接種会場に押しかけて来て、「ワクチン接種は犯罪だ」と叫んで業務を妨害することは許されません。ワクチンを打たないことは自由ですが、接種しないことの代償・危険性も考えて判断しなければなりません。

あるTVのワイドショーで、アナウンサーがゲストとして出演していた医師(感染症の専門家ではありません)に「今の新型コロナは市販の風邪薬でも治っているケースがあるようですが、風邪薬を飲んでもいいのでしょうか」と質問したそうです。それに対する医師の答えを聴いて私は驚きました。その医師は「新型コロナで服用していけない薬などない。だから市販薬の風邪薬を服用してもいい」と答えたというのです。

これまでの私のブログを読んでいただいた方ならおわかりだと思いますが、風邪であれ、COVID-19であれ、一部の重症者に使用する薬を除いて、これらを「治す薬」など存在しません。どこかの医者が「なにも投与しないよりマシだから」と得意になって投与していた「イベルメクチン」も今では誰も見向きもしません。結局、投与しても意味がなく、無効だという結論になったからです(そんなことずっと前からわかっていました)。

余談ですが、塩野義製薬から発売される予定のあらたなCOVID-19経口治療薬の承認が見送られました。効果がはっきりしないばかりか、催奇形性などの副作用の問題や併用してはいけない薬が多すぎるからです。この審査の過程で厚労省の思惑と塩野義製薬と利益相反のある委員の疑惑が暴露されました。塩野義製薬はインフルエンザの治療薬でも問題を起こしています。先の治療薬は日の目を見ないかもしれません。

風邪薬は「風邪を治す薬」ではありません。ましてや「新型コロナが市販の風邪薬で治った」などということはありえません。このワイドショーに出演した医師はまずはそこを指摘しなければいけなかったのです。むやみに解熱剤を服用すれば、熱発を不必要に抑えて重症化を発見することが遅れることがあります。あるいは、体温が上がらず、ウィルス排除の仕組みが働きにくくなって感染症を長引かせることにもなりかねません。

ちゃんとした医師であれば、「むやみに解熱剤や風邪薬は飲むべきではない。風邪症状がつらいときのみに『やむを得ず頓服』という形で服用すること」と説明するべきなのです。そして、風邪症状があったからといって薬をもらいに医療機関に行く必要もないし、新型コロナに感染したかどうかを検査で確認する必要もない(早めに検査を受けても診断は不正確になるだけ)ということを付け加えるべきなのです。

これまで何度も繰り返してきたように、検査は「一番怪しいときに実施するもの」です。からだの中からあふれ出てきたウィルスを検出するのですから、検査が早すぎればウィルスはまだあふれ出てきていない可能性が高く、「陰性」と診断されたからといって安心はできません(検査をした後にウィルスがあふれて他人にうつすということもある)。それは抗原検査であれ、PCRであれ、検査はおおむねすべてがそうです。

そもそも検査をたくさんやっても感染はおさえられないということは今の中国を見ればわかるはずです。これはCOVID-19の感染がはじまった当初からいわれてきたことです。当時は盛んに検査をしろ、と叫んでいた人たちが今は口をつぐんでいることからも明らかです。それなのに岸田政権は「発熱外来を増やし、検査を増やす」と言っているようです。どうしてこうも学べない頭の悪い人たちは愚策を繰り返すのでしょう。

ちょっとした風邪症状で発熱外来を受診すれば、発熱外来に長蛇の列ができてしまうのも当然です。「なんとなく心配だから」というだけで検査をすれば、検査キットが不足して本当に必要な人が検査できなくなるのも当然です。岸田首相が発表したようにむやみに発熱外来をふやせば、それらに拍車がかかります。しかも、うっかり発熱外来や検査場所に行けば、そこで感染する危険性だってあるということを知っておくべきです。

「風邪症状があるがどうしたらよいか」と当院にお電話をいただくことがあります。しかし「熱はない」といいながら解熱剤(頭痛薬、痛み止め)や風邪薬をすでに服用している人が少なくありません。また、風邪症状も鼻水が出る程度だが「心配だから」という人もいます。そのような人たちには「もう1日か2日ほど様子を見てまたご相談を」とお話しします。すると中には「なぜ診てくれないのか」と不満そうな方もいます。

診療を拒否しているのではありません。経過観察はとても重要なことなのです。「熱がある」というお問い合わせの場合ですら、とくに重症化の心配がないケースは「解熱剤を飲まないで様子を見てください」とお話しします。喉の痛みや咳がつらいというケースにのみ対症療法の薬をお出ししますが、これとて本来は必要のないもの。発熱外来への受診が必要だと判断した場合のみ「発熱外来で検査を」とお勧めしています。

経過を見ている患者の中で「今後、重症化するかもしれない」と思う方には、翌日から朝と夕方に電話連絡をして状況を確認しています。そして、重症化を疑うときは「発熱外来を受診してください」と伝え、それまでの経過を紹介状に書いて病院に送ります。私たちのようなプライマリ・ケア医に期待されている役割はこうした「ゲート・キーパー」の機能だと思います。そうした機能の分担をしなければ医療は崩壊します。

実際、「医療崩壊になるのか?」と心配する人もいます。確かにこれだけの人が発熱外来を受診し、検査を受けたがり、入院を希望すれば、病院の機能はやがて限界に達します。そして、それを助長するように、マスコミが煽り、人々がパニックとなり、政府がうろたえているように見えます。今のCOVID-19の病原性は恐れるほどのものではありません。それでも「医療崩壊」が起こるとすれば、それは社会不安にともなう人災です。

風邪症状があるときは仕事や学校を休んでください。風邪薬はできるだけ服用しないでください(服用する必要はありません)。検査は必要な人が一番怪しいときにおこなってください。会社や学校はむやみに検査することを求めないでください。発熱外来は重症化の恐れがある人だけが受診してください。医療機関を受診するときは事前に電話をしてください。こうしたことを発信するのがマスコミの本来の使命であるはずです。

「過去最多の感染者数」などという言葉にだまされないでください。感染の深刻さは「重症者数」で考えるべきです。しかも重症者数を感染者数で割った「重症化率」が重要です。その重症化率で言えば、今の第七波は従来のインフルエンザの重症化率の10分の1程度だともいわれています。確かに感染者数が増えていますが、それに比べて重症者の数はきわめて少数です。どうか大騒ぎをする愚かな人たちに煽られないでください。

せめてこのブログを読んでくださっている人だけは冷静になって、淡々と行動してください。原発事故のときもそうでしたが、マスコミから流れてくる情報は偏っていることが多いのです。マスコミによく登場する「専門家」と称する人たちはあてになりません。厚労省の専門家会議の委員ですら本当の意味での「専門家」は少ないのです。かつてどんなことを言っていたかを振り返れば誰を信じていいのかがわかります。

COVID-19が流行してもう2年以上が経ちます。過去の経験に学びましょう。そして、烏合の衆にならないようにしましょう。今回の流行のピークまでもうひと踏ん張りです。

 

※1 お時間があれば、これまでのCOVID-19関連記事をお読みください。

右上の検索エンジンで「新型コロナ」と検索すると記事がでてきます。

以前からずっと同じことを繰り返して書いていることがわかります。

※2 今のモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす歌を思い出しました。

1986年に発表された、Swing out sisterの「Breakout」です。

是非、聴いてみてください(曲のタイトルをクリックしてください)。 

 

暑い夏に思うこと

まだ6月だというのに、あっという間に梅雨が明けてしまいました。例年であれば毎日うっとうしいくらいに雨雲が垂れ込め、地方によっては連日の大雨に警戒警報がでるほどなのに今年はどうしたのでしょうか。この降雨量の少なさはお米の生育に影響するかもしれません。米は高温・多湿の地域に生育する食物。降るべきときに雨が降らなかった今般の気象が秋の収穫にどのような形で現れるかとても気になります。

そしてこの暑さです。「夏は暑ければ暑い方がいい」と考える私でさえ、このところの連日の暑さは心配になるほど異常です。実は私は二度ほど熱中症になったことがあります。しかもそのときの様子を思い出せば、それなりに重症だったと思います。テレビなどでも「熱中症」というワードをよく耳にするようになりましたが、多くの人は熱中症を身近なものと思っていないのではないでしょうか。

はじめて熱中症になったのは次男がまだ幼稚園にあがるかあがらないかのころ。夏休みに家族旅行で日光に行き、家康がまつられている史跡を見ようと山道を登っているときのことでした。からだが小さかった次男を背負ってしばらく歩いていると、突然大量の汗が噴き出してきました。山の中ですからそれほど暑かったわけでもなかったのですが、私は「滝のような汗」をそのままにして山道を歩いていました。

はじめはとくにツラいという感覚もなく、冗談をいいながら私は道を登り続けました。ところが、もう少しで目的地というところで急にからだが重くなってきました。子どもには「あと少しだから自分で歩いて」と背中から降りてもらい、身軽になったと思ったとき全身から力が抜けていくのを感じました。「どうしても横になりたい」という気持ちにかられた私は周囲の目もはばからず通路に横になったのでした。

横にはなりましたが、なんとも言えない倦怠感と軽い嘔気はなかなか改善しませんでした。心臓もバクバクいっていて、私は「これが熱疲労なのかぁ」と考えていました。地べたにダウンしている私を見下ろす家内と長男はゲラゲラと笑っています。彼らを心配させてはいけないと私もなんとか微笑みを返しましたが、内心「この脱力感と動悸は血圧がさがっている証拠。ちょっとやばいな」と思っていました。

しかし、山の中でのことですから直射日光が当たっているわけではありません。気温だってそれほど高くはありません。体が冷えてくるにしたがって徐々に回復していきました。家内と子ども達はそんな私をおいたままさっさと家康のお墓へと登っていきました。熱疲労は大量の水分と塩分を失って起こります。夏場は「たくさんの汗をかいたら水分と塩分を補給する」ことが大切。決して水分だけではいけません。

二度目の経験も夏でした。人間ドックで胃カメラ検査を受けたあと、水分の摂取もそこそこに帰宅を急いだのでした。最寄りの駅から自宅までは徒歩で30分ほど。健診が終わった安堵感か、気分も少し高揚していたこともあって、「暑い中を歩いて帰ろう」と考えてしまいました。照りつける日差しも、吹き出す汗も、心なしか気持ちよく感じていて、以前、日光で熱中症になったことなどすっかり忘れていました。

全身に太陽が照りつけ、途中、「自販機でなにか冷たいものでも買おうか」と考えましたが、家に帰って、シャワーをあびて、冷たいものを一気に飲んだらどんなに気持ちいいだろうなどと想像しているうちに自宅まであと少しというところまで来ました。「滝のように流れ落ちる汗」もそのままに私は歩き続けました。角をまがってあと数十メートルもすれば自宅、というところで熱中症の症状は突然やってきました。

日光のときのような全身の強い倦怠感が襲ってきたのです。私はあのときの体験を思い出しました。吹き出す汗、すぐにでも横になりたい気だるさ、激しい動悸と軽い嘔気。あのときとまるで同じ症状です。私は自宅を目の前にして歩けなくなってくるのを感じました。「家にたどりつけないかもしれない」と思いました。なんとなくもうろうとしてきたのを自覚しながら、倒れ込むようにして玄関に入りました。

驚いて駆け寄ってきた家内に、冷たいタオルと冷たいスポーツ飲料をもってくるように頼みました。日光のときよりも重症のように感じました。日光の山の中と違ってさえぎるもののない炎天下。気温も湿度も、また失う汗の量も全然違うのです。回復したあとで私は思いました。1984年のロサンゼルスオリンピックの女子マラソンで熱中症となったアンデルセン選手に近い状況だったのではないかと。

あのときのアンデルセン選手は「労作性(運動性)熱中症」だったといわれています。激しい運動により水分と塩分を失い、上昇した体温がさがらなくなる「労作性熱中症」になっていたのです。運動による体温上昇がはげしく、冷却されにくい環境であれば、必ずしも気温が高くなくても熱中症にはなります。そして、横紋筋融解症(筋肉が壊れる病態)や中枢神経障害をも引き起こすこともあるとされます。

このとき私は学びました。「熱中症は突然やってくる」のだと。畑仕事をしていた高齢者が熱中症で亡くなったというニュースをよく耳にします。かつて私は「そんなになるまでなぜ仕事をしていたんだろう」と疑問でした。しかし、違うのです。亡くなった人たちは「滝のような汗」をかきながら「もう少しできる」と思っているうちに、突然、熱中症の強い倦怠感に襲われ、地べたに倒れ込んだまま亡くなったのです。

今回のブログを読んでくださっている方の多くも、心の底では熱中症と自分は縁遠いものと思っているかもしれません。そして、「熱中症になりそうになったら休むから大丈夫」だと思っているはずです。しかし、「熱中症になったかな?」と思ったときではもう遅いのです。熱中症は突然やってくるのです。しかもその症状は私ですら立っていられないほど強い倦怠感なのだということを知ってください。

「滝のような汗」がではじめたらただちに涼しい場所に移動してください。そして、水分と塩分を補給してください。高温あるいは多湿の環境に長時間身をおかないことが大切です。「エアコンの冷房は嫌いだからつけない」という人がいます。しかし、「好き、嫌い」の問題ではありません。熱射病で亡くなる人の多くが冷房をつけていません。窓を開けて風通しのよい室内であっても、湿度が高ければ除湿が必要です。

政府は国民に電力の消費を抑えるよう要請しています。要するに冷房の使用を控えるようにということです。節電した国民にはポイントを付与し、節電に協力しなかった企業には罰則をもうけるという話しもあります。しかし、そのポイントも実はひと家庭あたり一ヶ月で数十円程度だということがばれ、急遽一回だけ2000円分の追加付与が決まりました。節電しない企業には罰則だなんて愚策は論外もいいとこです。

今、原油が高騰しています。それでなくても日本は、なんの法的根拠もなく、科学的根拠もないままに原発が止められています。史上類を見ない大地震が発生するリスクが低下しているのにまだ原発を停止しているのです。しかも、その原発での発電量をカバーするためにこれまで何兆円もの燃料費を余分に支払って火力発電をフルに稼働させているのです。今の原油高は円安でさらに燃料コストをつり上げています。

原子力発電所の多くが停止していますが、そのリスクは発電しているときとほとんどかわりません。発電はやめても原子力の火は灯っているからです。遠いヨーロッパでの戦争がアジアに飛び火し、日本に原油が入ってこなくなる事態も想定して、原発再稼働の必要性が議論されないのは実にゆゆしきことです。先の震災での原子力発電所事故の原因は、想像を超える津波が原因だということをあらためて考えるべきです。

新型コロナに対する政府の対応は、ずっと「検査、検査」「ワクチン、ワクチン」、そして「マスク、マスク」でした。この幼稚で、単調で、ピントはずれな無策ぶりはこれからも続くでしょう。この猛暑で電力が不足しブラックアウトが起こるかもしれないのに、国民に節電要請を繰り返すだけというのは実にお粗末な話しです。そんな小手先のことではなく、国民の命を守るために今こそ原発を再稼働させるべきです。

批判を恐れてなにも言わない、あるいは小手先の政策を小出しすることしかできない政治家たちにはあきれるばかりです。その一方で、理想論を繰り返すだけでなにもしない政治家はもとより、根拠希薄な週刊誌ネタを国会に持ち込んで騒ぎ立てるだけの政治家は不要です。この猛暑が続く中、参院選挙があります。国民には世界の現実に目を向け、日本の未来のために賢明な一票を投じてほしいものだと思います。

政治家の質は国民の民度を反映しています。いろいろな意味で今年の夏はいつになく暑いようです。

 

昭和、大好き。

今回はちょっと雑ぱくなことをだらだら書きます。

昭和レトロがいちぶの人たちの間でブームになっているというニュースを目にしました。その「いちぶの人たち」とはおそらく私のような「昭和ど真ん中の世代」なのでしょう。今よりも不便なことも、理不尽なことも、残念なことも多かった時代ではありましたが、昭和には多くの人たちに夢や希望があり、「明日は今日よりいい日になるかも」という思いがあったように感じます。

今という時代はいろいろな意味で社会が成熟しているといえなくもありません。機会の平等や豊かな生活が世の中の隅々に行き渡り、多様な生き方さえもが許容される寛容な社会になったともいえます。しかし、その一方で「義務よりも権利」という意識が強くなり、昭和以来の価値観が徐々に変質して、「社会よりも個人」「自由から混沌へ」と大きな振れ幅で変化しつつあることに戸惑うことも少なくありません。

現代社会は自由と平等が尊重される一方で「格差社会」をも生み出しました。チャンスも努力次第で平等になりましたが、富は富める者に集まる傾向がさらに強まっているように思います。富める人たちがその経済力にふさわしいお金の使い方をするかといえば決してそうではありません。デフレの時代に染みついた「節約・倹約・清貧」「よいものをより安く」という価値観は富裕層にまで浸透しています。

大量消費社会を必ずしもいいとは思いません。と同時に、SDGs(持続可能な開発目標)というスローガンも素直に受け入れることができません。今の日本に広く漂っている「閉塞感」は、社会にながれるお金が一部の人たちに偏在し、流動性が阻害されていることから生じているように思えます。お金のある人がもっとお金を使い、「良いものがより高く売れる社会」にしていかなければならないと個人的には思います。

イギリスのベンサムは「最大多数の最大幸福」という社会のあり方を主張しました。多くの人が幸福感を感じる社会を善とするこの考え方を功利主義といいますが、この思想はあたかも今の社会のあり方を批判しているかのようです。なぜなら現代は「上位1%の富裕層が世界の個人資産の40%近くを所有する社会」であり、「コロナ禍にあって富裕層はさらに裕福になっている」という矛盾をかかえているからです。

昭和は「みんなが貧しかったが、みんなが明日を信じていた時代」だったように思います。いろいろな不自由さに我慢を強いられることもありましたが、行き過ぎたポリティカルコレクトネスが幅を効かせる今より人々の心の中はもっと自由だったかもしれません。その意味で昭和は「各人が少しづつ我慢をしながら全体として調和をとっていた功利主義的な時代」だったといえるかもしれません。

これまでの歴史を振り返ると、民主主義が発達していない独裁国家は、自国民の幸福よりも国家の覇権を求めます。それはフランスのナポレオンも、先の大戦のナチス・ドイツもそうでした。プーチンは「ウクライナのネオ・ナチを掃討する」とウクライナに侵攻しました。しかし、彼のやっていることはナチズムそのものです。真の民主主義が育っていないロシアの国民にはそれを止めるすべがありません。

ロシアがはじめた戦争は、ウクライナからの予想外の反撃によって長期化する気配です。武力による国境の変更という暴挙はヨーロッパのみならず全世界にも暗い影を落としつつあり、まさに第三次世界大戦さながらといえるかもしれません。先の大戦でたくさんの自国民を犠牲にし、その後も決して国民を幸福にはしなかったソビエトの地に人権を尊重する真の民主主義はなかなか育たないようです。

先日の新聞に昭和天皇に仕えた武官の日記が公開されたという記事が掲載されていました。敗戦が濃厚となったころの日本は、まるで今のウクライナと同じように、国土は荒廃し、たくさんの国民が犠牲になっていました。その時の昭和天皇のご様子を記録した日記は「昭和天皇実録」にも収載されていないらしく、これまで知られていたものとは異なる陛下のご心情を垣間見ることができます。

その日記によれば、このまま戦争を継続すれば、さらに多くの国民を失い、国土を荒廃させ、戦後の復興が困難になることを昭和天皇が憂いておられたとのこと。また、出撃する若い特攻隊員たちが辞世の寄せ書きをする様子を紹介したニュース映画をご覧になりながら涙をぬぐっておられたそうです。皇祖皇宗から引き継いできた国民・国土のことを考えて忸怩(じくじ)たる思いだったに違いありません。

以前のブログにも書きましたが、昭和天皇は皇太子になられてすぐ第一次世界大戦直後の荒廃したヨーロッパを歴訪されました。これは「将来の国家元首として戦争がいかに悲惨なものかを知っておくべきだ」と考えた西園寺公望や東郷平八郎たちの発案だったとされています。西園寺や東郷自身も幕末から明治にかけて全国で勃発した内戦の厳しい現実を身をもって体験してきたからだと思います。

当時、皇太子だった昭和天皇の目には、破壊の限りをつくした町並みはどのように映ったでしょうか。また、戦禍を乗り越え、復興に向けて立ち上がろうとするヨーロッパの人々の姿をどう思ったでしょうか。陛下は中国大陸への戦線拡大に反対しました。しかし、そのご意志に反して日本は日華事変に突入してしまいました。それほどまでにソ連の南下政策が日本の安全保障を脅かしていたからです。

少し話しはそれますが、戦後、GHQの最高司令官となったダグラス・マッカーサー元帥も第一次世界大戦のときヨーロッパにいました。アメリカ軍の参謀だった父親とともにヨーロッパに滞在していたのです。モンロー主義という孤立主義に徹していたアメリカは、それまでヨーロッパの戦争には関与しない態度をとっていました。しかし、大戦がはじまるとアメリカはその方針をひるがえして参戦を決めたのです。

マッカーサーは第一次世界大戦末期のヨーロッパにおいて、敗戦の色濃いドイツ帝国からほうほうの体でオランダに亡命する皇帝ウィルヘルム2世の姿を目の当たりにしました。自らの責任を放棄し、何両もの貨車に財産を積み込んで逃げていく国王。彼はオランダへの亡命後もしばらく皇帝からの退位をも拒否しました。亡命の責任は自分にはないというのが理由でした。そんな国王をマッカーサーは軽蔑しました。

第二次世界大戦後、日本に着任したマッカーサーは、昭和天皇から面会を求められたとき第一次大戦時のドイツ皇帝ウィルヘルム2世を思い出したといいます。陛下が自分の命乞いと財産の保護を求めてやって来るのだと確信していたのでしょう。だからこそ陛下を玄関で出迎えもせず、ノーネクタイで面会するという非礼をあえてしたのです。しかし、実際に目の前にした昭和天皇は違いました。

「天皇の名の下で戦った人々に寛大な措置をお願いしたい。そして、戦争で疲弊し、満足に食べることすらできない日本国民を飢えから救ってほしい。そのためであれば私はいかなる責任をも負うつもりである」と昭和天皇は震えながらマッカーサーに語ったといいます。マッカーサーはそんな陛下に衝撃を受けながら、かくも尊敬すべき天皇であるがゆえに日本人は敬愛してやまないのだと理解したといいます。

マッカーサーは父親の代からフィリピンに利権と財産を所有していました。しかし、南進する日本軍の攻勢にマッカーサーはフィリピンから脱出せざるを得なくなりました。たくさんのアメリカ兵を残して去って行く彼は、自らの莫大な財産とともにアメリカ国民からの尊敬を失ったのです。マッカーサーはこのとき日本への復讐を誓いました。「I shall return(私は必ずここに戻ってくる)」という言葉とともに。

日本への復讐を誓ったはずのマッカーサーの気持ちが変わったのは、昭和天皇のお人柄に触れたところも大きかったのでしょう。また、荒廃した国土を立て直すために黙々と努力する日本人を間近で見てきたからかもしれません。マッカーサーは朝鮮戦争の処理をめぐってトルーマン大統領と対立し、6年でGHQ最高司令官の任を解かれましたが、帰国後の1951年米国議会上院軍事外交合同委員会で次のように証言しました。

「日本には蚕を除いて国産の資源はほとんどない。彼らには綿も、羊毛も、石油製品もなく、スズも、ゴムも、その他の多くの資源がないのだ。それらのすべてのものはアジアの海域に存在していた。もしこれらの供給が断たれれば一千万人から一千二百万人の失業者が生まれることを日本政府は恐れていた。以上のように、彼らが戦争を始めた目的は主として安全保障上の必要に迫られてのことだった」。

マッカーサーのこの証言は、サンフランシスコ平和条約の締結を後押しし、早期に日本の主権が回復することに貢献しました。ちなみに、マッカーサーは東京裁判で強まる天皇への戦争責任論を一蹴しました。また、靖国神社を焼き払うという計画が検討された際にも、ローマ教皇庁代表でもあったビッテル神父の「排除すべきは国家神道制度であり靖国神社ではない」という意見を聞き入れ神社の存続を決めたとされています。

1926年からの「昭和」は激動の時代でした。第一次世界大戦後の好景気は長続きせず、世界は大恐慌におちいります。日本は台湾と朝鮮を併合し、満州国を建国し、それらの地域のインフラを整備するために多額の投資をしました。それは日本本国にとってあたかも「母屋で粥を食い、離れですき焼きを食らう」と揶揄されるほどの負担でした。その結果、もともと資源も産業もない日本は世界恐慌の影響をもろに受けました。

そんな世界情勢の中で、日本は南下するソ連と対峙するべく大陸に進むか、東南アジアの資源を確保して来たる戦争にそなえるかを決められないまま米国との戦争に突き進みます。これはソ連がドイツ戦に集中するため、日本とアメリカとを戦わせるようコミンテルンが工作した結果だといわれています。日本の中枢にも、あるいは米国の閣僚にもソ連のスパイが少なからずいたことが今では知られています。

話しはだいぶそれましたが、思えば、こうした近現代史のなかの出来事も、私が生まれた1960年のたった15年前かそこらのこと。そう考えると、大東亜戦争(太平洋戦争)は私の知らない遠い昔のできごとではないことを実感します。私が生まれるたった100年前の日本だってまだ江戸時代。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたころです。教科書のなかでしか知らない歴史が意外に自分と近いことに驚きます。

そういえば、私がまだ小学校にもあがっていなかったころ、東京都葛飾区の亀有にあった警察の家族寮に住んでいました。が警視庁に務めていたからですが、その寮には我が家と同じような警察官の家族が同じ屋根の下に暮らしていました。決して広くもない部屋にひと家族が肩を寄せ合うように生活していたのです。部屋に台所はなく、一階に共同で使う台所があって床は土間になっており、スノコが敷き詰められていました。

トイレはくみ取り式で共同。キンカクシには木でできた蓋がいつもかぶせてありましたが、用を足すときには落ちそうな気がしてとても怖かったことを覚えています。このころの道路はまだ舗装されておらず、各戸の塀はおおむね木の板でつくられた簡単なものでした。そして、街のいたるところにこれまた木製のゴミ箱が設置してあり、ときどき「くず屋さん」と呼ばれる人が回収に来ていました。

私の住んでいた警察寮は古く、ちょっとした強風でも壊れてしまいそうな建物でした。そのためか、台風が近づいてくると寮の近くにあった大きな民家に子ども達は避難させられました。このお宅は広いお庭があるしっかりした建物でしたので、外で強風が吹いていても安心感がありました。子ども達みんなでろうそくの火を囲んで台風が過ぎるのを待っていたときの光景を今でも思い出します。

当時はまだ机と椅子の生活ではなく、狭い部屋の真ん中には丸いちゃぶ台が置いてありました。私の両親は新しいもの好きだったので、当時は高価だった白黒テレビとステレオがありました。テレビで放送される「怪傑ハリマオウ」や「ビックエックス」、「エイトマン」といった子ども向け番組に夢中でしたし、四本足のステレオから流れるクラッシックを聴きながら指揮棒をふっていたことを思い出します。

私が小学生のころにはまだ「傷痍軍人(しょういぐんじん)」がいました。戦地で大きな怪我を負い、腕をなくしたり、義足をつけていたり、なかには目や顔を負傷していたりと、ハンディを抱えながら生きている元兵士が道行く人たちに義援金を求めるのです。繁華街で軍帽と白い着物の人たちが自分の障害をさらしながら地面に四つん這いになっている姿は子どもの目には恐ろしく映ったものです。

繁華街にでたり、お祭りにでかけると、こうした傷痍軍人をよく見かけました。高度経済成長の時代となった当時の風景に「戦争」を感じるものはほとんどありませんでした。でも、街角に立っているこの傷痍軍人だけは暗くて悲しい戦争の痕跡を子どもたちに感じさせるのに十分でした。そして、その光景は、私の心のなかに戦争の勇ましさではなく、戦争のみじめさを植え付けたように思います。

1955年の国民総生産が戦前の水準を超え、翌年の経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれたことはよく知られています。私たちの世代は、先の大戦がまだ影を落とす中、経済大国へと成長を続ける日本とともに子ども時代を過ごしました。やがて日本は「ジャパン・アズ・ナンバー1」となり、バブル景気を迎えたのです。しかし、そんなときに昭和天皇が崩御されると、日本は一転して長いデフレの時代に突入します。

振り返ってみると、私のなかの昭和にはいつも昭和天皇がおられたように思います。昭和のどの時代を思い出しても、当時の昭和天皇のお顔が浮かぶのです。無知蒙昧だった高校生のころ、私は「天皇は国民の象徴なんだから、国民から選んだらいい」と言ってはばかりませんでした。天皇陛下や皇室が日本にとってどのようなご存在かを考えたこともなかったからです。今思うと本当に恥ずかしいことでした。

大人になっていろいろな本や資料を読み、日本の歴史を調べれば調べるほど、昭和天皇がいかに偉大な方だったかがわかりました。「激動の昭和」と簡単にいいますが、その大きな歴史の渦のなかで生きてこられた陛下の87年間がいったいどのようなものであられたのかは想像を絶します。「皇族もひとりの人間」という人がいますが、昭和天皇のご生涯は皇族が決してそんな卑俗な存在ではないことを示しています。

今の皇族のあり方については私なりに疑問に感じる部分があります。それはまたの機会に開陳しようと思っています。それはともかく、私は昭和を単なるノスタルジーとしてではなく、日本人としての誇りを覚醒させる時代として好きです。天皇というとてつもない重圧のかかる地位でありながら、不平も不満ももらさずに務めあげられた昭和天皇がおられたからこそ、私の中の昭和がいつまでも輝いているのかもしれません。

 

がんばれ、新人君(2)

地元の桜並木に薄桃色の花がまだ咲いていなかったころ、地球の反対側のヨーロッパで戦争がはじまりました。戦争なんてものは発展途上国の内戦だったり、名前も知らないような小国同士の小競り合いだったりするだけで、それなりの経済規模を有するまっとうな国が戦争など始めるはずがないと思っていました。しかし、そんな「常識」はあっさり裏切られ、「先進国」のひとつにも数えられるようになった国が、武力による国境線の書き換えをおこなおうとしている現実を世界中の人は目の当たりにしています。

戦後80年を経て、日本人はすっかり平和ボケしていました。敗戦後、「平和憲法」という新たな錦の御旗をあたえられた日本は、「戦争・戦力を放棄し、交戦権を否認すれば戦争に巻き込まれない」という夢を見続けていました。それが理想論にすぎず、絵空事であろうことはうすうす感じていながら、厳しい国際社会の現実にはずっと目をつぶってきたのです。しかし、今、自国の安全と生存は「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」だけでは保持できないという現実を突きつけられたといっても過言ではありません。

もちろんロシアが武力をもちいてウクライナとの国境を変更しようとするのにはそれ相応の理由があるのでしょう。そこにはウクライナとロシア両国の長くて悲しい歴史が影響しているのかもしれません。あるいは、オリガルヒやアメリカのエスタブリッシュメントと呼ばれる人たちの思惑や、あるいはNATOによる安全保障上の戦略に両国がまんまと利用されているのかもしれません。とはいえ、いかなる理由があろうとも、人権を一顧だにせず、国際法に明らかに違反するロシアの暴挙を正当化することは到底できません。

たくさんの命が失われているウクライナでの絶望的にも見える惨状は日本人に多くのことを教えています。人類はなんどもこうした過ちを繰り返してきました。そのたびにあらたな平和を誓ったはずなのに、です。日本や日本人は、ウクライナのために、また日本自身のためになにをすればいいのでしょう。遠い東欧で起こっていることだと他人事にしてはいけません。戦争がもたらすものは恐怖と絶望、悲しみと憎しみです。この愚かな戦争を一日も早く終わらせ、二度と繰り返さないためにも今の現実に顔をそむけてはいけません。

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気分を取り直して、今日の話題をあらためて書きます。

春、進学したり、就職したりと、あらたな第一歩を踏み出す人も多いことでしょう。期待と不安の入り交じったスタートになっているに違いありません。先日、私のクリニックに、高校の後輩で、今春、北海道大学医学部を卒業したばかりの新人君が遊びに来てくれました。もはや後輩というよりも自分の息子のような彼も、この春から研修医としての厳しい修練がはじまります。その彼には研修医のころの思い出をいろいろ話しました。失敗も、ツラいことも、悲しかったことでさえも今の自分に活きていることを伝えたかったからです。

研修医だった私の一日は、朝早く病院に来て患者の採血をすることから始まりました。前日にオーダーしていた検査のための採血をするのです。そして、それが終わると、つい数時間前までカルテ記載していた担当患者の情報をまとめます。やがて病棟にあがって来る指導医に患者情報を報告し、その日にやっておくべきこと(検査あるいは処方)の指示をもらうためです。その後は、指導医と一緒に患者の回診にまわり、検査・処方のオーダーをしたり、注射箋で点滴を指示したりとあわただしく午前中が過ぎていきます。

昼食を済ませると、午後は検査に入ったり、カンファレンスと呼ばれる症例検討会があったりと忙しさは続きます。興味深い疾患をもっている患者やなかなか診断のつかない患者を検討会に提示するときはその準備もあるのでとくに忙しくなります。東京逓信病院では院内での勉強会が多いため、研修医は学会発表の練習も兼ねて頻繁に発表させられます。発表のためには他の診療科のカルテを取り寄せるために病歴室に通ったり、文献を調べるために病院の図書館に行ったりしなければならないので大変です。

夕方になると日中にオーダーしておいた検査の結果があがってきます。その結果を見ながら、治療薬の効果を判定したり、病気の原因を絞り込むのですが、研修医にはそれらの結果に一喜一憂するのが精一杯。自信満々で指導医に結果を報告したのに、検査や治療内容の不備などを指摘されてヘコムなんてことも少なくありません。そんなときは、カルテを記載する医師記録室で他の研修医と愚痴をこぼしあったり、指導医への不満を聞いてもらったりしたものです。このときの研修医同士の連帯感はなにより心強いものでした。

私が研修医の頃はまだ紙カルテで、検査結果も紙に印刷されてあがってきます。検査結果をカルテに貼りながらその日一日の患者の変化や今後の方針を記入するのですが、そうこうしているとあっという間に夜もふけ、いつの間にか深夜遅くになっています。しかし、当時の逓信病院には夜になると我々研修医に陣中見舞いを持ってきてくれる先輩医師がいました。深夜にもかかわらず記録室にケーキなどの差し入れを買ってきてくれるのです。「お疲れ~っ!」と入ってくるその先輩医師にどれだけ励まされたことでしょう。

夜遅く(朝?)までカルテ記載をしていると、記録室のラジオからはよく「Jwave」の「singing clock」という時報がながれてきました。夜勤の看護婦さん達も仮眠に入ったのか、静まりかえっている病棟。ときどき鳴るナースコールと看護婦さんの足音だけが聞こえる夜の「singing clock」は、疲れ果てていた私を生き返らせる呪文のようなものでした。ちょうど私が研修医だった頃に開局したFMラジオ局のJwaveからはいつも洗練された音楽がながれてきて、札幌から上京したばかりの私にとっては心の清涼剤だったのでしょう。

研修を終えて勤務した大学病院では、今度は新人看護婦さんたちの奮闘ぶりを見ていました。今でも思い出すのはGさんのことです。彼女は地方の看護学校を卒業して就職してきた人でした。人懐っこい笑顔と元気さが取り柄とでもいうような明るい新人さんでした。やる気満々、物怖じせず、なんでも頑張るぞという本人の意気込みとは裏腹に、ミスをすることも少なくなく、上司である主任さんはもちろん、他の先輩看護婦さん達からも注意を受けていました。そんな彼女を私はなにかとても懐かしく感じました。

注意された彼女はちょっとだけ落ち込んだように表情を曇らせますが、すぐに舌をペロっとだしてはいつもの元気なGさんに戻ります。ところが、彼女がめげなければめげないほどまわりの先輩看護婦さんからは集中砲火のように怒られ、ついに主任さんから厳重注意を受けることになりました。私は少し離れた場所でカルテ記載をしながら、二人のやりとりに聞き耳を立てていました。「もっと考えて行動しなさいっ!」と主任さんは強い口調でいいました。それは少し感情的になっているようにも思える言い方でした。

Gさんは主任さんの話しにうなづきながら聴いていました。「お説教タイム」が終わって仕事に戻った彼女は、少し打ちのめされているように見えました。いつものはつらつさがすっかりなくなってしまったGさん。翌日になっても、また、その翌日になっても彼女らしい元気さを取り戻すことはありませんでした。しかも、それでも彼女はミスをしてしまいます。そのたびに先輩方から怒られるGさんに、今までのような笑顔はみられませんでした。私は彼女がいたたまれなくなり、周りに誰もいないときを見計らって声をかけました。

「ゴンちゃん(私はいつもそう呼んでいました)、元気ないね。主任さんは『もっと考えて行動しろっ』って言ってたけど、知識も経験もない新人に『考えて行動する』なんてことができるはずがないんだからね。ミスをしないに超したことはないけど、注意していてもミスってしまったことは仕方ないんだよ。それが新人なんだから。ただ、そのミスを絶対に繰り返さないぞ、って気持ちだけは忘れないでね」と。それ以上言うのはやめました。彼女が今度は主任さんや先輩達に悪い感情を持ち始めてはいけないからです。

ときどき「ゴンちゃん、がんばれ」と励ましているうちに、徐々に彼女にはいつもの明るさが戻ってきました。「めでたし、めでたし」と思っていたのもつかの間、今度は私が主任さんに叱られることになりました。「職場でGさんを『ゴンちゃん』と呼ぶのはやめてください」とのことでした。学校でさえ先生が生徒を呼び捨てにしたり、愛称で呼ぶことは禁止されているんだとか。「~君」ですらダメで、「~さん」なんだそうです。せちがらい時代になったものです。でも、その後、Gさんはすっかり立ち直ったように見えました。

私自身、たくさんの間違いをしてきました。後悔することもいっぱいあります。しかし、前回のブログでも書いたように、それらすべてを含めての「今」なのです。新人だからこそできる失敗があります。新人だからこそ挑戦できることもあります。頑張って、頑張って、それでもダメならやり直すことでさえも新人には可能なのだということを忘れないでください。振り返ればあっという間の人生です。マイナス思考で無為な時間を過ごすより、プラス思考をしながらとにかく前に進むことの方が建設的な時間の使い方です。

人生の価値はひとつではありません。その一方で、ひとつの目標に向かって頑張り続けることにも意味があります。どちらにせよ、頑張れるかぎりはその歩みをとめてはいけないということです。人生の歩みは振り返ることしかできません。結果として自分の望む方角には進めないことだってあります。しかし、人生の岐路に立たされたとき、その都度、自分が後悔しない選択を繰り返していけば、必ずや満足のいく人生を送れるのだと私は信じています。また、それは私の半生が証明しています。

新人の皆さん、がんばりましょう。

※「がんばれ、新人君」も読んでみてください