徒然なるままに

以下の記事は2018年1月7日に投稿したものですが、最近、この記事へのスパムメールが増えてきましたので改めて投稿し直します。なお、震災時のレジュメの転載部分を除く前半の記事は一部修正してありますのでご了承ください。

******* 以下本文

このブログには努めて政治的なことは書かないようにしてきました。それでも敏感な人にはこのブログを読みながら私の考え方や価値観が鼻につくと思われた方もいるかもしれません。しかし、私は私なりに「イデオロギーによらず、世の中のながれに流されず、自分の手で調べ、自分の頭でなにが正しく、なにが大切かを考える」というスタンスを貫いてきたつもりです。その一方で、他人の考え方にも否定的にはならないようにし、いろいろな政治的スタンスも尊重するようにしてきたつもりでもあります。理想論に走らず、現実から目をそらさず、将来を前向きに考えながら意見を発信してきたとの自負がありますが、それでも人によっては私の言い方(主張の仕方)が独善的だと感じられるかもしれません。

それらを前提に言わせてもらえば、あの豊洲市場移転問題におけるここ数日の動き、あるいは国会で繰り広げられている稚拙な政治ショーには辟易します。あの不毛な騒動を見ながら、「本質的な議論をしろ、建設的で前向きな解決方法を考えろ、責任ある政治をしろ」という思いが込み上げてきます。震災のときの原発事故や放射能の危険性に対する報道もそうでした。国論を二分する課題にぶつかると、日本ではいつも不毛な論争、無意味な批判が繰り返されます。そして、世の中を混乱させ、人々を不安におとしいれるような印象操作があちこちに見られることも。そのたびに「政治や報道という、もっと澄んだ目で、問題を直視しなければならない領域の人達がなぜこうなるのだろうか」と情けなくなります。

以前にも紹介しましたが、あの震災での原発事故発生10日後に、私は「原発事故の危険性、放射能の危険性は冷静に考えよう」と呼びかけるレジュメを書きました。それはパニックになっていた知り合いの医師仲間や来院患者に配るためでした。ほぼ一週間ないし二週間に一度の割合でネットや本で調べてはまとめたことを彼らに発信したのです。このとき、ちまたを駆け巡る情報の多くがいかに不必要に人を不安におとしいれているか、混乱させているかがわかりました。人々が正しい情報を得るのに、マスコミが流す情報は必ずしも役に立たず、かえって人の不安感や不信感をあおり、人心を惑わしていることがよくわかったのです。正しい情報を得るためには、自分の手で調べ、自分のあたまで考えるしかないことを痛感しました。

自分の考えをもち、主張することには勇気が必要です。世の中のおおかたの意見と異なる場合であればなおさらです。それは人から批判され、ときに罵倒されることをも覚悟しなければならないからです。現に、当時、マスコミを通じて盛んに流されていた放射能の危険性にもっと冷静になるべきだと繰り返していた私は「名もなき批判」を受けたことがあります。ある日、私のクリニックのポストに一枚の紙切れが入っていました。そこには「患者の命を守るべき医者が、放射能の危険性にあまりにも楽観的すぎる。恥を知れ」という一文が殴り書きされていました。そんな投書がくるとは思ってもいなかった私はビックリ。「恥を知れ」という言葉が心にグサリと刺さりました。

それでも私はレジュメを書き続けました。当時のレジュメを今読み返すと、多少の間違いや思い込みはあったかもしれません。しかし、自分で言うのもおかしいのですが、全体的に内容は適切であり、ビックリするくらい冷静に書かれていたと思います。「名もなき批判」の投書はその一回限りでした。投書の主がその後もレジュメを書き続ける私にあきれてしまったからでしょうか。それとも私が書き続けたレジュメの内容を受け入れてくれたからでしょうか。いずれにせよ、あのときの世の中のながれに棹をさすような意見を表明したときの「名もなき批判」は、扇動的な情報を流し続けるマスコミの罪深さとともに、情報に翻弄される一般市民の恐ろしさを私の心に刻み付けることになりました。

振り返って今はどうでしょう。相も変わらずものごとの本質とはずれた扇動的な報道が平然となされ、ものごとの本質を冷静に考えようとせずいともたやすく流される市民。そして、そうしたマスコミと世論に流されるような軽い政治のおかげでいろいろな課題が八方ふさがりになっているように感じてなりません。豊洲市場の地下水問題だって当初から冷静に考えれば大した問題ではないことは明らかだったはずです。なのに、あれだけ世の中を混乱させ、人を不安にさせておいて、10か月を経て「豊洲移転」という当たり前な結論に落ち着くというだらしなさ。この問題もまた何年かすれば「あんなこともあったなぁ」で終わってしまうのかもしれません。こんなことを繰り返していていいのでしょうか。

これからあの震災の時に配布していたレジュメを掲載します。このレジュメを読みながら、今の社会のあり方を振り返っていただければと思います。人によっては不愉快な思いをするかもしれません。あるいは、あのときの不安な気持ちが甦ってくる人がいるかもしれません。しかし、当時の私がなにを考え、なにを伝えたかったを読み取っていただければ幸いです。とくに、あのときクリニックのポストに「恥を知れ」とのメモを投函した主には是非冷静になって読み直してほしい。特定の人や特定の考え方を批判するつもりはありません。私がこのレジュメを紹介するのは、ひとえに情緒的にならずに冷静に考えることの大切さを知ってほしいからです。

なお、批判のメイルをいただいても掲載はしませんし、反応もしませんので悪しからず。

 

***************** 以下、2011年3月19日配布のレジュメ原稿
「冷静になってよ」
▼冷静になってよ~く考えてみよう。現在の福島原発で起こっていることを。まず、原子炉はすでに運転を停止しており、コントロール不能な核融合反応が爆発的に起こった「チェルノブイリ」のようには絶対にならない。これについては一部「チェルノブイリが近づいた」などと民衆の不安を煽るようなことを言ったバカな助教(助教授ではありません)がいたし、彼に乗せられた愚かなマスコミもあった。しかし、すでに制御棒が挿入され、安全に停止した原子炉内では暴走して手が付けられなくなるということはない。問題は、原子炉の停止後も崩壊熱を続け、熱を発している燃料棒をいかに冷却するかと言うこと。むろん、冷却がまったくできなければ燃料棒が溶け出し、燃料棒を閉じこめている圧力容器を損傷して大量の放射線が空気中に放出されることもあるかもしれない。しかし、そのような事が仮にあっても圧力容器の材質が燃料棒と混ざって大規模な再臨界にはいたらないだろうとされている。つまり、ウランが溶けて塊となれば中性子が減速するための水がなく、結果として大規模な再臨界にはならないとされている。もちろん、燃料棒が溶け出す事態となれば、確かに一時的には粉じんのようになった大量の放射性物質が空気中に飛散する可能性はある。しかし、これとて一時的なことであり、拡散する中で放射線量はどんどん低くなって、100kmも離れると10000分の1になっていく。重要なのは一時的であるにせよ、人体にどの程度影響するかだろう。体内に吸引してしまう危険性ももちろん考えなければならないから。しかし、放射性物質を吸入する可能性についても、またその放射線量の問題に行き着くのだ。
▼今回の原発の問題で海外に逃げる、という人がいる。しかし、東京-NY間を往復すればそれだけで200マイクロシーベルトの被曝がある。検診で腹部CTをとれば10000マイクロシーベルトの被曝がある。胸部レントゲン写真1枚撮れば100マイクロシーベルト、胃のバリウム検査で3000マイクロシーベルト。これまで検診でこれらを全て受けてきた人はあっという間に13000マイクロシーベルトを超える被曝をしてきたことに。それなのにマスコミが大々的に報道する「1時間当たり2000マイクロシーベルト」に仰天するなんて。そもそもこの値は「1時間ずっとこの線量を浴びていたらという単位」であって、しかも瞬間最大風速みたいなもの。そう考えれば、この値のイメージがいかに拡大されているかということがおわかりいただけるだろう。もちろん安全だなどという気はさらさらない。24時間こんな環境にいたら健康にはよくないかもしれない。しかし、もしそうであってもせいぜい自然界から1年間に受ける2000マイクロシーベルト程度。ちなみに、一度に100000マイクロシーベルトを大きく超える被爆を受けると胎児に影響が出始め、ガンの発生率が健康な人より高くなり始めるとされている。また、生殖腺に一度に1000000マイクロシーベルトを被曝すると急性の放射線障害が出現し、遺伝病が自然発生率の2倍になるといわれ、2000000マイクロシーベルト以上で死亡者が出るとされている。しかもこれは「一度に被曝した場合」の話しですから念のため。
▼要するに、仮に燃料棒の融解と圧力容器の損傷があっても、それなりの距離で離れていて、常に高濃度の放射線量に暴露されていなければ、花粉症対策でおこなうようなマスクとうがい、できれば帽子をかぶって帰宅後は全身の塵と埃をはらえばいい、ということ。燃料棒の崩壊熱も崩壊するものが少なくなっていけば弱まっていく。要は「自然に温度が下がっていくにせよ、あらゆる方法をつかって燃料棒を冷却し、いかに燃料棒の容器が破損しないように時間稼ぎをするか」にかかっている。東電の職員・自衛隊は文字通り命をかけて、その作業に全力を傾けている。感謝こそすれ、怒鳴りつけるようなものでは決してない。とにかく冷却を、というのが結論。楽観的になれ、と言っているのではない。現状を冷静に、そして、客観的に理解し判断すべきだと言っている。この機に乗じて「反原発」の立場に立つ人達は原発の危機を煽ってくる。それは彼らの信念だから当然のことだろう。しかし、それが真実ではない。事実を見極めようとする姿勢が大事だということを国民として肝に銘じておこう。
***************** 以下、2011年3月26日配布のレジュメ原稿
「内部被爆」
▼連日、放射能の危険性をマスコミがあおっている。だから、雨が降っても、どの食品を見ても、すべてが放射性物質に汚染されているように思えてくる。しかし、放射線はこれまでも空から注がれてきたし、食物を摂取するかぎり微量の放射性物質がからだの中に取り込まれている。我々の日常生活は放射性物質とまったく無縁というわけにはいかないのだ。レントゲン写真やCTなどの医療行為を受ければ、その分放射線による被曝を受けている。飛行機に乗って南国へ飛ぶだけでも、そして、その南国で日光浴を楽しんだだけでも人は放射線を被曝している。第一、からだの中ですら結構な量の放射性元素が毎日生じているのを知らない人は多い。重要なのは「どのくらいの被曝を受ければ健康に問題が生じるか」ということ、その一点に尽きる。
▼放射線を体の外から浴びることを「外部被曝」という。その外部被曝による影響をあらわす単位が「シーベルト」。それに対して、放射性物質を体内に取り込んで放射線を浴びることを「内部被曝」という。その放射線の量をあらわした単位が「ベクレル」。食品の内部被曝許容量は、放射線の影響を受けやすい子どもを基準に決められている。なぜなら、放射線は細胞分裂の際に染色体にダメージをあたえ、細胞分裂の盛んな子どもに放射線の影響が出やすいから。大量の放射性物質をふくむ塵が拡散したチェルノブイリ原発事故では、当初、周辺の子供達の小児癌の発生が心配された。しかし、実際には小児の甲状腺癌だけが増えていた(ちなみに20歳以上で被曝した人では癌の発生は増えていなかった)。甲状腺にはヨウ素が取り込まれやすい。その中でもヨウ素131はウランが核分裂する際に作られる放射性元素で、体内に取り込まれると甲状腺にとどまって放射線を出す。でも、半減期が8日間のヨウ素1313ヶ月もすればどんどん減ってゼロに近づく。だから、一度、ヨウ素131で土壌が汚染されても、その影響がいつまでも残るわけじゃない。
▼先日、空中を拡散していたヨウ素131が雨にまじって降ってきた。それが集まってくる浄水場や河川を測定したからそれなりの濃度になった。でも、不安になる必要なし。地面に降り注いだ放射性物質は次第に拡散し、徐々に消えていくから。つまりは水道水の被曝量はいつも同じではない。一度、高濃度となったとしても、必ず濃度は正常範囲内になっていく。しかし、それは報道されない。被曝量が低いことにマスコミは興味ないから。水道水の放射性物質汚染については日本産婦人科学会が見解を出した。水1リットル当たり200ベクレル前後の軽度汚染水道水を妊娠期間中毎日1リットル飲むと仮定すると、その人が被曝する総量は1232 マイクロシーベルト。胎児に悪影響が出るのは50000 マイクロシーベルト以上。万がいち胎児が100000500000 マイクロシーベルトの被曝を受けても胎児の奇形は増加しない。結局、現時点で妊娠中・授乳中女性が軽度汚染水道水を連日飲んだとしても、母体ならびに赤ちゃん(胎児)に健康被害は起こらない。
▼とはいえ、こうも毎日放射能の話題が続くと「安定ヨウ素剤」を飲みたくなる人が出てくる。でも、ちょっと待て。この薬は被曝の24時間前あるいは被曝直後の服用が原則。おまけに服用して1週間もすれば効果がなくなる。日本人はもともとヨウ素を含む海草の摂取量が多く、ヨウ素131の影響を受けにくいとされる。だから、パニクって安定ヨウ素剤を飲んでも無駄。ましてやうがい薬などを飲めば有害なだけ。「あわてる何とかはもらいが少ない」とはまさにこのこと。発表される内部被曝量も、外部被曝量と同様に「最大瞬間値」。すぐに下がって問題なし、となる。高濃度の放射性物質に毎日24時間さらされているならまだしも、そんな環境は原発事故現場周辺でしかありえない。ましてや230kmも離れた我孫子では。冷静になろう。市販の水は影響を受けやすい乳児へ。子どもは国の宝。大人のあなたが先を争って水を買いに行く必要はないし、そうすべきでもない。
***************** 以下、2011年4月7日配布のレジュメ原稿
「炉心融解」
▼史上最悪ともいわれるチェルノブイリ原発事故では、核分裂反応がコントロールできなくなり暴走した。そして、超高温となって溶解した核燃料が原子炉を溶かして外部に漏れ、大量の放射性物質を土壌や大気にまき散らした。「炉心溶解(メルトダウン)」という言葉はこの事故によって広く知られるようになった。テレビ等での解説を聞いていると、この「メルトダウン」と「核燃料の溶解」を同じようにあつかっているが、あれは誤解や無用な不安を生む。「メルトダウン」と「核燃料の溶解」とは意味が違うからだ。炉心溶解とは臨界により超高温となった核燃料によっておこる炉心構造体(つまり、圧力容器や格納容器)の溶解のこと。つまり、単に核燃料が溶解したからといってメルトダウンになるわけじゃない。
▼核燃料に中性子を当てると核分裂が起こる。このとき、新たに中性子が発生するが、この中性子が新たな核分裂を引き起こす。核分裂と中性子の発生の量がねずみ算式に増えて次々と核分裂を引き起こした状態が「臨界」。ところが、その核分裂を引き起こすには中性子を減速させる必要がある。この減速の度合いを調節するのが中性子の吸収材でできた制御棒。原発ではこの制御棒を核燃料の間に抜き差しし、臨界状態をコントロールして核分裂時の莫大なエネルギーを発電に利用している。福島原発はM9の地震発生時に自動的に制御棒を核燃料の間に挿入して運転を完全に停止している。したがって、現在、原子炉の中にある核燃料はもはや臨界にはないし、制御棒が外れない限り再臨界はない。水はこうした中性子を閉じ込める働きをするが、同時に反射材としても機能する。99年の東海村の事故では核物質の臨界を防ぐ形状をした容器での作業を怠り、核分裂の頻度が高くなる形状の容器で作業。しかもその容器のまわりに置かれた水が中性子の反射材として作用してしまったために再臨界に達した。
▼要するに、簡単に「メルトダウン」といっても、核分裂反応を抑制する制御棒が炉心の核燃料集合体の中に完全に挿入されて運転が停止している福島原発ではそう簡単におこらない。炉心溶解がおこるためには再臨界がおこって爆発的な核エネルギーが生じることが前提となる。福島原発では燃料棒が一時的に水から露出し、再び水をかぶったため破損していると考えられている。そして、燃料棒内のウランの塊(ペレット)が水中に散らばって塊となっている。そして、そのペレットの塊は崩壊熱によって一部は溶解しているが、臨界が起こっていないため、その核燃料の塊の温度は圧力容器の材質の融点よりも低い値にとどまって炉心の溶解はないとされている。ただし、燃料棒が毀損している以上、圧力容器内の水には燃料棒内でできた放射性物質(ヨウ素やセシウム、プルトニウムなど)が大量に混入している。これがおそらくタービン建屋内の放射能汚染を受けた水と関連がある。今、福島原発で問題になっているのは、再臨界や炉心融解のことというよりも、多量の放射性物質が外部に漏れ出ていることそのこと。冷却を継続しないと放射性物質がさらに拡散するから。
▼以前、福島原発敷地内で中性子が検出された。これを再臨界によるものだとする意見もある。しかし、もし再臨界に至っているとすれば中性子がもっと大量かつ恒常的に出てくるはず。不安定なウランは自然に核分裂する(これを自発核分裂という)。現時点での中性子線に関する報道を見る限り、検出された中性子線は微量であり自発核分裂によるものとして矛盾はない。そもそも、福島原発では制御棒が挿入されているうえ、燃料棒が臨界のおこる間隔より狭く並べられ、中性子の減速剤である水に満たされている。再臨界にならない条件がそろっている。もし、水がなくなったとしても臨界に必要な「中性子の減速」がおこらないため核物質は連続的に分裂しにくい。ただし、水がない分だけ今度は中性子が飛んでくるが、それはそれで問題ではある。
▼以上のことから、福島原発では現時点でメルトダウン(炉心溶解)には至らない。結局、大量の放射能をまき散らす状態、つまり、核燃料が格納容器を破って外部に漏れる事態にはならない。問題は冷却水をいかに保つかという点にかかっている。とはいえ、あとで炉心が溶解していたことが明らかになるかもしれない。想定外はいつでもあるから。それでも、現在の情報を総合し冷静に分析すれば安心できる材料の方が多い。
***************** 以下、2011年4月14日配布のレジュメ原稿
「福島とチェルノブイリ」
▼福島原発事故が国際評価尺度の「レベル7」に引き上げられた。これはチェルノブイリ原発事故のレベルに相当する深刻な事態だとマスコミは騒いでいる。だからといって、福島での原発事故がより深刻になったわけじゃない。炉心が吹っ飛び、一気に大量の放射能を大気中にまき散らしたチェルノブイリ原発。炉心から放射能汚染水がダラダラと漏れている福島原発。「レベル7」になったのも、放出された放射性物質の量がレベル7の基準である数京ベクレル(数万兆ベクレル)を超えたから。原子力安全・保安院の推定で福島原発からは37京ベクレル(原子力安全委員会では63京ベクレルと推定)の放射性物質が放出されたという。しかし、チェルノブイリ原発事故はその10倍、しかも、たった2週間の間に放出されたのだから驚きだ。
▼チェルノブイリ原発事故では実験操作のミスで制御棒で核反応を止めることができなくなり暴走。圧力容器の圧力が異常に高まって爆発。1000tもある蓋を、そして冷却系の配管を吹っ飛ばした。そして、水がなくなり、冷却すらできなくなってさらに核反応が高まり、炉心溶解(メルトダウン)と二度目の爆発。炉心に流入した酸素によって火災を起こし、370京ベクレルもの放射性物質を世界中にばらまいた。結局、炉心に中性子の減速材である鉛やホウ酸を大量に投下して2週間ほどで核反応が収束。6ヶ月後に大量のコンクリートで固めた「石棺」が完成した。よく、「チェルノブイリが27年間で370京ベクレル、福島は1ヶ月で37京ベクレル。だから、福島の方が深刻」なんて煽る人もいるが、それは大きな誤り。チェルノブイリは約2週間で370京ベクレル。福島では1ヶ月で37京ベクレル。圧倒的にチェルノブイリの方が大事故だった。IAEAの事務次長も「福島原発事故とチェルノブイリとは別物」と会見でのべている。量的には「レベル7」であっても両者には雲泥の差があり、質的にはまったく異なる事故。
▼よく「原発の安全神話が崩れた」などというが、こんなものいわゆる「想定」の中での「神話」でしょ。科学とは経験を弁証法的に理論化したものだから、経験を超え、理論で予測しえないものを予言するのは無理。先日の国会質疑で、原子力安全委員長が「福島原発事故は想定外」と発言すると、議員席から「その想定が間違っていたんだろっ!」と下品な野次が飛んだ。科学的に想定しえないものの責任を取れといわれてもねぇ。「想定外」と「想定が間違っている」の違いもわからぬ頭の悪い議員にはあきれるばかりだが、福島原発付近ではチリ地震のときの4m弱の津波が最高記録。その記録をふまえて最大波高を5.7mと想定し、防潮堤を設置した上で10mの崖上に原子炉を建設したのに16mの津波が来た。そんな津波が来ると想像した人など誰もいない。「それを想定するのが専門家」などと簡単に言わないでくれ。専門家・科学者だからこその「想定外」。「絶対的な安全性」を強いられて、東電が苦し紛れに「想定内では安全」と言ったことを信じる方がおかしい。というか、みんなこんな神話など信じていなかったくせに。
▼飛んでくるわずかな放射能に大騒ぎしたのはついこの間。今度は「実は炉心溶解しているのを政府は隠している」なんて言っている人も。いくら詮索しても不安になるだけ。なんの役にもたたない。でも、福島原発事故が重大な事故であることにはかわりない。今でも放射性物質が冷却水に混ざって漏れているのだから。だからといって煽られるなんて馬鹿げてる。現時点で空気中に放出されている放射線量は極めて微量であり、これまで放出された放射性物質も日を追うごとに減少。「原発事故の深刻さに煽られるな」と繰り返しているが、「楽観的になれ」とは言ってない。よもや「今回の原発事故は深刻じゃない」などと言っているわけでもない。現状をできるだけ冷静に見て、正しい判断をしようということ。この一点だけ。
***************** 以下、2011年4月21日配布のレジュメ原稿
「放射能の危険性」
▼あまりにも楽観的なことばかりで恐縮だが、今回はちょっとだけ学術的なことをお話ししよう。科学とは客観的な事実(これをエビデンスという)を積み重ね、さまざまな現象を理論化・体系化して想定や予測をおこなう。したがって、エビデンスのない事実については何も語れないし、語るべきでもない。だから、「放射線は危ない」という誰もが疑わないことでさえも、きちんとあエビデンスで考えなければならない。
▼チェルノブイリ原発事故は、今、福島原発で進行中の事故をはるかに上回るほどの深刻な事故。しかし、その事故が周辺住民にどのような影響を与えたかを「エビデンス」という観点から見るとどうなるだろう。実は、事故から20年後におこなわれた国際会議で「いくつかの例外を除いて地域住民に癌の発生や死亡率の上昇を示す科学的証拠は見つからなかった」と報告された。つまり、周辺住民への健康被害は限定的だったのだ。でも、その例外とは何か。それは、事故処理にあたり大量の放射線の被曝を受けた人達と、汚染されたミルクを飲み甲状腺に被曝を受けた乳児。事故処理で大量に被曝し急性放射線障害を受けた人は273人。うち、死亡した人は20年間で47名だった。また、汚染されたミルクを飲んだ乳児は数万人。そのうち4000人ほどが甲状腺癌になった。しかし、その99%以上は治療が可能であって治癒。それ以外の健康被害は、癌をふくめてそのほとんどが証明されなかった。これが科学的事実。
▼今、「放射能は危険」とする根拠として用いられているのが広島・長崎の原爆被害の結果。爆心地で大量の放射線被曝を受けた人達に健康被害が出たことは周知の事実。しかし、日米共同研究では「低線量の被曝では癌の発生リスクはほとんどない」という結果が出た。ならばどこからが「低線量」なのか。それが難しい。なぜなら、「放射線量がゼロから増えるにしたがって正比例で健康被害がでる」という簡単なものではないから。今、もっともらしい指標に「1シーベルト(1000000マイクロシーベルト)=5%が死亡」というモデルがある。でも、これに従えば、人間ドックに行って胸部レントゲンや胃のバリウム検査、腹部CTを撮り、1000マイクロシーベルトの被曝を受けているとどうなるか。年間300万人が人間ドックを受診しているらしいから、もし「1シーベルト=5%死亡」という指標が正比例で成り立つとすれば「300万人×5%÷1000150人」もの人が死んでいることに。これってホント?原発より恐ろしいじゃないか。
▼一方で、飲み込まれたり、吸い込まれたりして、体内に長期的に存在し続ける放射性粒子(「ホットパーティクル」という)こそが本当に危険、という説もある。でも、放射性ヨウ素は1ヶ月もすればゼロになる。放射性セシウムにしても、カリウムやナトリウムと同じ種類の金属なので体から排出されやすく、生物濃縮はないとされている。政府は年間10ミリシーベルト(10000マイクロシーベルト)以上の放射線を浴びる学校での野外活動を制限した。その根拠は毎日8時間もの間3.8マイクロシーベルトの放射線をずっと浴びる量だそうだ。そんな学校どこにあるのだろう。少なくとも、今となっては20km圏内の学校でもなければそんな場所はない。
▼要するに、今、騒いでいることの多くには実は「エビデンス」がない。しかし、「エビデンス」がないから安全だということじゃない。「悲観的なエビデンス」がないのだからもう少し冷静になろう、ということ。こんな風に楽観的に言われるとかえって信じられないって?でも、これまで書いてきたような「これまで炉心溶融(核燃料の溶融はあっても圧力容器は破壊していない狭義のもの)に至っていない」「冷却が今後も続けば炉心溶融にはならない」とそっくり同じ事を官房長官が認めている。ほら、この官房長官の発言で「楽観的なエビデンス」がひとつ増えたじゃないか。煽られて悲観的にばかりなっていたら損ってこと。
***************** 以下、2011年5月17日配布のレジュメ原稿
「正しく怖がる」
▼地震直後の福島原発の状況が少しずつ明らかになってきた。そして、一部の原子炉の炉心が早い段階で「カラ炊き」状態になって、核燃料が溶けて圧力容器の底にたまった状態になっていたようだ。また、圧力容器のどこかに穴があき、そこから高濃度の放射性汚染水が漏れ、格納容器の損傷部分から外部へ流れている可能性が指摘されている。
▼これらの状況が「メルトダウン(炉心溶融)」として新聞やテレビで報道されている。しかし、国民は思いのほか冷静にこれを受け止めている。新聞の見出しの大きさにも関わらず、以前のようなパニックにはなっていない。このことこそがとても重要。地震直後の福島原発が、実はきわめて緊迫した状況だったことは限られた人だけが知っていた。これを情報の隠蔽だと批判する人もいる。しかし、あの騒然とした状況にあって、馬鹿正直に「メルトダウン」などと発表すればまさに「火に油」。それでなくとも混乱していた世の中は間違いなくパニックになっていたはずだ。要は、あのときにその情報を発表するメリットがあったかどうかだ。46日付けで広報した当院のコラムのタイトルは「炉心溶解(メルトダウン)は起こらない」だった。実際には定義からいえば「メルトダウン」になっていた。だから、このタイトルは誤りだったことは認めざるを得ない。しかし、問題はこの「メルトダウン」でなにが起こったか。さらに言えば、「メルトダウン」でどのようなことが起こりそうだったのか、ということ。そこを検証すれば、今回、福島原発の原子炉にメルトダウンが生じていたことの本当の意味が見えてくる。
▼では、今回のメルトダウンでなにが起こったのだろう。原発周辺の地域は今だに放射能汚染による健康被害が懸念されている。しかし、現在、30km圏内を除いて放射能による健康被害を心配しなければならぬほどの大きな影響は出ていない。地震直後の放射性物質の飛散は遠く首都圏までおよんだが、これは原子炉の水素爆発によるものであり、メルトダウンによるものではない。その後の放射性物質飛散の問題は沈静化しているし、今は原子炉から漏れ出る放射能汚染水のみが課題となっている。この漏水の原因にメルトダウンが関係しているかもしれない。しかし、チェルノブイリ原発事故のような深刻な状況にはなっていなかったし、今後もそうなることはない。では、チェルノブイリ原発事故のごとき深刻な状況とはどんなものか。それが「再臨界」の問題。再臨界とは核燃料の中で爆発的に核反応が増えていく状態。こうなれば膨大な核エネルギーによる熱を発生し、核反応で生じたおびただしい量の放射性物質を空気中に吹き上げる。しかも、この反応をコントロールする制御棒がないとなれば、まさにコントロール不能な状態になる。チェルノブイリ原発事故でのメルトダウンはまさにこのような状況だった。
▼しかし、福島原発は全く違う。地震直後に炉心では核燃料棒の間に制御棒が挿入されて原子炉は安全に停止していた。しかも黒鉛型だったチェルノブイリと違って再臨界しにくい設計となっていたこともあって再臨界はおこらなかった。そして、冷却水の注入が続けられた原子炉の温度は順調にさがり、地震直後から「カラ炊き」になった1号炉でさえも核燃料のほとんどが原子炉内にとどまっている。要するに、福島原発でも「メルトダウン」は起こっていたかも知れないが、チェルノブイリとは本質的に異なるということ。それはあたかも、福島原発事故の国際評価尺度がチェルノブイリ並の「レベル7」に引き上げられたが、「チェルノブイリ並の深刻さ」とは質的にも量的にも異なるということと同じ。言葉そのものではなく、その言葉の意味するところを客観的な情報に基づいて判断することが大切。放射能汚染水の問題はこれから徐々に深刻さを増してくるかもしれない。しかし、それとて確かな情報をもとに、その深刻さを冷静に見極めるべき。つまりは「正しく恐がる」ことがなにより重要だということ。