以下の記事は2018年9月26日に投稿したものですが、最近、この記事へのスパムメールが増えてきましたので改めて投稿し直します。
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数年前から歴史を学びなおしています。子どもの勉強にお付き合いすることで始まったのですが、私自身が学校で学んでいたころ、歴史ほど退屈でつまらない教科はありませんでした。昔のことを学んでなにになるのか。ましてや日本に住んでいながら世界の歴史を勉強する意味がまるでわかりませんでした。ですから、歴史を学びなおすまで、日本史の知識などは戦国時代の有名な武将の名前程度でしたし、日本以外の国がどんな歴史を経て今日があるのかという知識はほとんど皆無でした。
しかし、歴史をあらためて勉強してみると、学校でおこなわれている歴史の授業がいかにつまらないものだったかということに気が付きます。子どもたちが歴史を面白く感じない理由はふたつあると思います。まず、子どもたちが「なぜ歴史を学ばなければならないのか」という目的を理解できていない(教えられていない)こと。ふたつ目は、歴史的な出来事が単なる「暗記もの」になってしまっていて、子どもたちの知的好奇心を掻き立てるような教え方になっていない点です。
勉強を教えるときにはそれなりの下準備が必要です。私が子どもたちに勉強を教えるときも、数学では実際に解いてみて、子どもがどこでつまづきそうか、この問題を演習して得られるポイントはどんなところか。そんなことを考えながら予習をします。歴史でいえば、この出来事の背景がどのようなものか。そして、この出来事がどのようなことにつながっているのか。要点を歴史的なながれとして教えられるようにまとめておきます。理科であれば事前にどんな知識を教えておけば理解が深まるかを整理します。
こういう工夫の中にも、子供だった頃に「どのようなことが、どのようにわからなかったか」という自分自身の体験が生きています。子ども時代の私は勉強にはほとんど縁がなく、しかも呑み込みの早い子どもでもありませんでした。ですから、先生や大人の説明を聴いていてもすんなりと理解できることばかりではなく、そうした子どものころのことを思い出すと、子どもたちに勉強を教える際のヒントになったりします。つまり、自分の子ども時代の目線で整理し直すことができるのです。
実は私、北大時代、とある予備校で中学生に理科を教えていました。その予備校では大学生のアルバイトを講師にすることはなく、学士以上の学歴が必要であり、専任の講師以外の多くは大学院生でした。私は運よく一度他大学を卒業していましたので、医学部の学生でありながら学士として予備校の講師をすることができました。ちなみに、医学部を卒業すると「医学士」になりますが、医学士は大学院の修士と同格の扱いを受けます。6年間の就学期間からそうなっているのだと思います。
その予備校の講師に応募したとき、採用試験の前に職員から次のような説明を受けました。「生徒からの人気があれば、時給(この予備校では「口述料」といいます)はどんどん上がります。下がることはありません。時給が下がるときは辞めるときです。なり手はいくらでもいるので」と。ずいぶんと高飛車な話しだと思いましたが、のちに生存競争はそれなりに厳しいものだということがわかりました。「人気」とひと口にいっても、「面白いだけ」でもいけないし、「真面目だけ」でも生徒からの支持は得られないのです。
本当は数学を教えたかったのですが、すでに講師は充足しており、「理科だったら採用します」ということでした。大学を卒業はしたものの、就職もせずにそのまま医学部に再入学した私は親からの仕送りに頼るつもりはありませんでした。なので、他の学習塾にくらべて圧倒的に時給の高かったこの予備校の講師というアルバイトはなににも代えがたい収入源になるはずでした。私は迷うことなく「理科を教えさせていただきます」と返事をしました。そして、週に数コマの中学理科の授業を担当することになりました。
予備校の授業は大変ではありましたがとても楽しい仕事でした。なにせわかりやすい授業をすること以外の余計な仕事が一切ありませんでしたから。授業前に講師室に到着すると、きれいなお姉さんがお茶を持ってきてくれます。そして、チャイムがなると色とりどりのチョークが並べられたケースを渡されます。エレベーターが扉を開けて待っていて、エレベーターを降りると教室の扉を職員が開けて待ってまっていました。そして、授業が終わって講師室に戻れば、おしぼりとお茶が運ばれてくるのですからいうことなしです。
授業のあとに生徒が質問にこなければそのまま家に帰れますし、テストの採点もなければ、部活や生徒指導もない。学校の先生と比べれば、申し訳ないくらいの待遇だったと思います。生徒も、わざわざ自宅から離れたところにあるこの予備校に通うくらいですからみんなとても優秀です。質問に来る生徒の中には、説明をしながらその生徒の頭の中にどんどん知識が吸収されていくのがわかるような子がいたりと、「一を教えれば十を知る生徒」が少なくなかったのでとてもやりがいを感じていました。
とはいえ、その分だけ予備校側の評価には手加減がありませんでした。私たちの授業は教室の隅に設置されたカメラと授業中に首からぶら下げているマイクからの音声で常にモニターされていました。そして、教室の後ろには職員がいてときどきなにかを記入している様子。「生徒の出席率」と「授業中で眠っている生徒の割合」などが記録されていると聞いたことがあります。そして、期末には必ず生徒へのアンケートがあって、生徒からどのくらい支持されているかが数値としてはじきだされます。
生徒の出席状況や授業態度、あるいは生徒からのアンケート結果は、講師ひとりひとりにフィードバックされます。とくに講師になりたての人には職員から授業の進め方に関してアドバイスや忠告などがあり、口述料がアンケートなどの結果をふまえて総合的に決められます。ただ、大人からすればとても分かりやすいと思える授業なのに、まじめすぎて生徒からは不人気な気の毒な先生もいました。中学生とはいっても、1年生のときはまだ小学生みたいなもの。生徒をどう惹きつけるかに誰もが腐心するのです。
幸い私の授業は生徒から好評でした。北大に入学するまでは地元の小さな塾で数学を教えていたこともあり、中学生の授業には「つかみ」と「めりはり」が重要だという体験的な信念がありました。いかに生徒の集中力を高めて授業に入るかは「つかみ」によって。せいぜい20分しか続かない生徒の集中力を復活させるためには「めりはり」が大切なのです。生徒たちのエネルギーが尽きかけていると感じたら、生徒たちの関心を惹きつける話題をふる。このタイミングが重要だということを私は知っていました。
ですから1年もすると、私が担当するクラスの数は増え、その後、私の単科講座も開設されるようになりました。私の単科講座名は「瀬畠のテクニカル理科」。友人たちから「どんなところがテクニシャンなの?」とからかわれましたが、それでも結構な数の生徒たちがこの単科講座をとってくれました。このころの私の口述料は1時間当たり12000円になっていました。そして、医学部の授業もそれなりに忙しくなって来たころ、この予備校の中学理科のテキストの作成も任せられるようになりました。
予備校の講師と医学部の学生のどちらが本業なのかというくらいの忙しさでした。予備校ではなじみの生徒たちもでき、授業を終えてもなかなか質問の列が減らないときもありました。なのに大学ではいよいよ臨床実習がはじまり、提出しなければならないレポートの数も増えていきました。結局、医学部5年生の冬休みで予備校の講師を辞めることにしました。冬休みの講習会のとき、予備校のお偉いさんが来て「医師国家試験に受かったらまた講師をやらないか」と引き留められてちょっとだけ迷ったりしたものです。
こうした経験は、自分の子どもたちに勉強を教えるときに役立っています。と同時に、自分の学習意欲を高めるきっかけにもなっています。歴史を学ぶ面白さも、自らの意志で勉強しないとわからなかったと思います。そうやって歴史を勉強すると、なぜ歴史を学ばなければならないのかがわかってきます。と同時に、学校でならっている歴史がいかにかたよっているか、まちがっているかに気が付きます。本来、なにを学ぶのか(手段)は、どうして学ばなければいけないのか(目的)に規定されるので当たり前なのですけど。
日本の歴史は世界の歴史と無関係ではありません。日本人にはなじみの薄いモンゴルが世界最大の帝国であり、東は今のロシア、西は今のドイツにまで勢力を伸ばしていたということも知りませんでした。オーストリアというヨーロッパの目立たない小国が、実はヨーロッパの盟主として絶大な権力と広大な領地をもっていたことすら知りませんでした。ローマ帝国が東西に分裂していたことも、キリスト教の歴史がヨーロッパの歴史そのものだったことも改めて勉強をして知ったことです。
今の日本や世界が、単なる偶然だけでそうなったのではなく、無数の先達の英知と戦いの結果であることを歴史は教えてくれます。と同時に、これからの日本を、あるいは世界を考えるときに、これまでの歴史を振り返ることがとても大切だということがわかります。とくに私たちが生きているこの日本はまるで奇跡の国であるような言われ方をすることがあります。しかし、日本史や世界史を勉強すると決してそうではなく、数々の必然が結果として積み重って今があることがよくわかります。
以前、子どもに「歴史上の人物で誰が好き?」と聞かれたことがあります。そのとき私は「明智光秀と井伊直弼、そして東条英機だ」と答えました。すると子どもは「なんでそんな卑怯な人が好きなの?」と不思議がりました。私はいいました。「この三人は、自分で調べれば調べるほど『悪者』ではなく、実は日本を救った勇気ある人のように思っているから」と答えました。ここで詳しくは書きませんが、この三人の本当の姿は、よく調べてみるとこれまで多くの人が学校で教えられてきたような人物ではないのです。
大人になってあらためて勉強してみると、勉強って楽しいってことがわかります。今はわかりやすい参考書がたくさん店頭に並んでいて、参考書をパラパラとめくってみるとどんどん興味が湧いてきます。そして、歴史に限らず、有機化学や数学、英語などいろいろな科目を勉強したくなります。こうして勉強してみると、知識が広まるにつれてものの見方(視野)も広がっていくことに気が付きます。知っていると思っていたことが違った見え方をすることもあります。子どものころには気が付かなかったことです。
世の中のフェイクニュースにだまされたり、世論を誘導するために流布される情報に乗せられたりしないためには自分のあたまで考え、自分の手で情報を集めなければなりません。その意味でも学習する態度は重要です。昔は「テレビばかり見ているとバカになる」とよく言われましたが、最近では大手の新聞でさえも信じられないことが明らかになってきました。TVのワイドショーのくだらないコメントに感心するような大人にならないためにも、子どもには「学ぶこと」の大切さを知ってほしいと思っています。