AIと医療のはざまで

以下の文は、医師会雑誌に投稿したものです。AIなどをはじめとするコンピューター・サイエンスの発達は、これからの社会を大きく変えていくことでしょう。それらの変化が、人類の生活の質の向上に寄与するものになるのか、それとも人類社会に危機をもたらすものなのかはわかりません。しかし、すべては我々人類の英知と倫理観にかかっています。

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私が大学に入学したころ、いわゆるデスクトップ型PCと呼ばれる汎用パソコンが世の中に広まり始めました。当時はまだ「パソコン」、すなわち、パーソナルコンピューター(PC)という言葉すら広く認知されていなかった時代でした。今でこそアップル社製のコンピューターが人気ですが、当時はそれほど注目されておらず、むしろ、タンディ・ラジオ・シャック社製のTRS-80というマイクロコンピューターが知られていました。

CPUもまだ8ビットが主流であり、ザイログ社のZ80を搭載しているPCが多い時代でした。「16ビットのCPUが出た」という話を聴いて「すげぇ」と言っていたころでもあります。ちなみに現在のCPUは64ビット単位でデータ処理をしていますし、クロック周波数もギガ単位です。Z80のそれはメガ単位で、今の1000分の1だったことを考えると隔世の感があります。

 

コンピューター自身も、これまでのノイマン型と呼ばれるデータを逐次処理するタイプから、同時に複数のデータ処理をおこなう量子コンピューターへと革新的な変化を遂げています。そして、コンピューターが活用される場面も大きく変化しています。単なるデータ処理や複雑な計算だけではなく、さまざまな機器の操作や制御などにも活用されており、現代社会には不可欠なものになっています。

AI(artificial intelligence)技術の進歩は世界を大きく変えようとしています。大学生のころに話題となっていたPrologという論理プログラミング言語は、今の人工知能のはしりともいえるものかも知れません。Prologは、事象や事物との関連性を理解し、推論するためのコンピューター言語です。我々が話している言葉の解析、あるいは人間の認知・認識を質的に分析するツールとして利用されてきた人工知能の基盤ともいえるものです。

 

こうしたコンピューター技術の進化は、これからの人々の生活を確実に変えていくでしょう。たくさんの知識をもとに判断していくという作業がまさに劇的な変化をとげるのです。法律の知識を駆使して法的な解釈をする弁護士の仕事、原稿を読み上げるだけにとどまらず、人との会話を通じてものごとを伝えるアナウンサーや解説者の仕事。そして、私たちの医療の領域においても決して例外ではありません。

 医師としての仕事の多くも、医学的知識を通じて病歴や症状、検査結果から疾患を診断し、治療方法を選択する作業です。現在の診療は医師の裁量権が大きいため、医師個人の力量によって診断の精度、治療効果が大きくかわってきます。しかし、AIを中心とするコンピューターサイエンスの発達によって、診断・治療の標準化・最適化をはかることが可能です。これは科学技術の発達にともなう大きな福音だともいえるでしょう。

 

AIによって医療の風景はずいぶんとちがったものになるはずです。病理診断や画像診断、あるいは皮膚科診療などはある種のパターン認識に支えられているため、AIにとって変わられる可能性の高い分野です。さらにいえば、内科診療全般もそうなるかもしれません。そして、医師でなくとも多少の医学的知識さえあればコメディカルの人たちでも代行できるようになる。その結果、医師の数を削減して、医療費の抑制にも寄与するでしょう。

また、AI診療によって疾患の管理がおこなわれるようになるかもしれません。スマートウォッチで定期的に測られた血圧の値、自己血糖測定機器からの血糖値はクラウドデータベースに送られます。また、自分の都合のいいときに、都合のいい病院で採血をしたデータもクラウドデータベースに送られて医療機関に共有されるのです。そして、それらのデータがAIによって解析され、投与薬が処方され、適宜病院を受診するよう指示されます。

 

在宅医療も大きく変わるでしょう。タブレットをもった保健師が各患者宅をまわり、訪問時のバイタルと患者の状態をAIに送ります。すると、経過観察でいいのか、それとも病院への受診を勧めるべきなのかの指示が送られてくる。訪問する保健師も忙しい医師の指示を待つまでもなく、AIからの指示が逐次送られてくるので安心です。患者を病院に受診させる際も、これまでのバイタルと状態像をデータとしてすみやかに紹介病院に送れるのです。

病院への受診スタイルも変わります。初診で訪れた病院では、まず、電話ボックスのような初診ブースに入ってモニター画面の前に座ります。そして、マイクに向かって自分の症状を語り、AIが問いかけてくるいくつかの質問に答えると「受診すべき診療科」が指示される。一方、該当する診療科の初診医のモニターには、その患者の訴えと鑑別疾患が提示されます。初診医は簡単な診察と確認を行なって暫定的な診断を下すと、AIは必要な検査や投与薬を外来医に提示するのです。

 

こうした風景が現実のものとなるのでしょうか。あるいは弁護士や医師といったいくつかの専門職がなくなってしまうのでしょうか。判断の中立化・標準化・精緻化といった作業はAIの得意とするところであり、人間が介在することが当たり前だった作業がAIに置き換わることの影響ははかりしれません。とくに医療の現場を陰で支えてきた医師・患者関係は大きくさまがわりすることでしょう。

科学技術のめざましい進歩・発展とともに、人と人とのつながりが希薄なものになっていく可能性は否定できません。世の中がより効率的になり、精確で緻密なものになることの意義は大きいとはいえ、非効率で不正確でおおざっぱな部分、すなわち、ある種、人間的な温かみを感じる側面がなくなっていくのです。それはまるで、標準化・均一化の代償として社会を「誰がやっても同じ」という無味乾燥なものにしてしまうように思えてなりません。アナログがデジタルに飲み込まれようとしている現代社会にとまどう今日この頃です。

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