オミクロン株対応ワクチン

新型コロナウィルス感染症の流行(第七波)もだいぶ落ち着いてきました。感染者数は約1ヶ月前から減り始めていましたが、今や重症者数や死亡者数も減少を続けています。浮き足だったように騒がしかった世の中も次第に落ち着きを取り戻しつつあり、当院にかかってくる相談の電話もだいぶ減りました。

ワクチン接種も国民の8割の人たちが2回目を、6割の人が3回目の接種を終え、今は4回目の接種が進められています。2回目のワクチンを接種して5ヶ月が経過した時点での感染予防効果は50%程度(ファイザー社製)であり、発症予防効果はおよそ80%、重症化予防効果はそれ以上であることが示されています。

3回目のワクチンの接種が進行しているときに変異型であるオミクロン株の流行がはじまりました。そして、従来のワクチンがそれらオミクロン株に対して効果が若干劣っており、抗体価の低下が比較的早くはじまることがわかったことから、4回目のワクチン接種を前倒しでおこなうことになったのです。

当院でも4回目のワクチン接種をおこなっています。しかし、9月の半ばでファイザー社製ワクチンの供給がなくなり、すべてがモデルナ社製となりました。モデルナ社製のワクチンは副反応がやや多いという情報が広まっているせいか、モデルナ社製となってからワクチンを接種しに来る人の数もまた激減しています。

ワクチン接種者が激減している理由は三つあると思います。ひとつは前述したように、モデルナ社製であること。二つ目には新型コロナウィルスに感染する人の数そのものが減っていることがあげられます。もちろん、たくさんの人がワクチンを接種してくれたからこその効果だということを忘れてはいけません。

三つ目は、オミクロン株に対応するワクチン接種が始まることがあげられます。これまでのワクチンは従来型株に対するワクチン。新型コロナウィルスは途中から変異型遺伝子のB.A.2が流行し、先日まで流行していた株はB.A.5です。従来の株に加えてこれらの変異株にも対応する二価ワクチンが緊急承認されたのです。

いちぶの自治体ではこのオミクロン株に対応するワクチンの接種がはじまっています。4回目のワクチンとしてこの新しいワクチンを接種しようと現行のワクチンの接種を控えている人も少なくないはずです。そのせいか、当院での4回目のワクチンを接種しようと予約していた人にもドタキャンが増えてきました。

しかし、今いちどよく考えてみましょう。オミクロン株対応のワクチンは緊急承認された新しいワクチンです。もちろんこれまでのワクチンと同じmRNAワクチンであり、製法も多くの過程はほとんどかわりません。それが早期に承認された根拠になっています。でも、それで本当に安全だといえるでしょうか。

たくさんの人が従来にはない製法で作られた新しいワクチンを短期間になんども接種してきました。その短期的および長期的な安全性が十分に確認されないまま接種が進められました。それはその時点での新型コロナウィルス(COVID-19)が得たいの知れない恐ろしい感染症だったからです。

新型ワクチンは本来、その安全性を何年も検討してから承認されます。しかし、COVID-19が感染拡大しはじめたころ、いとも簡単に重症化し、たくさんの人が亡くなっているような雰囲気に世の中が包まれていました。日本のみならず世界が、忍び寄る目に見えない恐怖に騒然としていたのです。

そんなときに救世主として現れたのがmRNAワクチン。無毒化されたウィルスの破片を体内に注入するという従来のワクチンと異なり、ウィルスの遺伝子の一部をmRNAにして注射し、人のからだの中にウィルスのタンパクを作らせて免疫をつけるというまったく新しい発想でできたワクチンでした。

mRNAワクチンの利点は、遺伝子解析さえ完了すれがば比較的早くワクチンを製造できる点です。今回のオミクロン株対応ワクチンが迅速に製造されたのもそのためです。また、mRNAワクチンの副反応も当初心配されていたほどのものではありませんでした。当院でもヒヤッとするようなケースは一人だけでした。

現行のワクチンは世界中の多くの人が接種してきました。その数はこれまで存在していたどんなワクチンよりも多いものです。ですから、その安全性については、科学的見地からいろいろな報告がなされており、少なくとも重大な危険性はほぼないという結論がでているといってもいいでしょう。

しかし、このワクチンへの不安がぬぐえない人たちからは、ワクチンの長期的な影響を心配する声があがっています。免疫系に問題を生じるのではないか。あるいは遺伝的な問題を引き起こすのではないか、などとさまざまな懸念が示されています。もっともな懸念から荒唐無稽のものまで実にさまざまです。

長期的な問題点についてはこれからの解析を待たなければなりません。今はただワクチンの性質を考えて合理的、理性的な判断をするしかありません。ワクチンのリスクと新型コロナウィルスに感染するリスクを天秤にかけて判断することも大切です。それが「理性的かつ科学的に判断する」ということです。

これまで同じワクチンを何度も接種しなければならなかったのは新型コロナウィルスに感染するリスクをうわまわるメリットがあったからです。メリットとデメリットを勘案してのこと。しかし、今や、感染しても重症化することも、死亡することでさえも感染する人の数を考慮すれば限りなくゼロに近くなりました。

こんな状況になってもなおワクチン接種を強制するのは間違いです。ワクチン接種を前提に「なんとかキャンペーン」をすること、あるいはワクチン接種の証明書の提示を求めるといったことも同じ。With coronaという言葉が現実的に思える今は、ワクチン接種のあり方についてはもっと自由度があっていいはずです。

ひるがえってオミクロン株対応ワクチンのことはどう考えたらいいのでしょうか。冒頭にもお話ししたように、オミクロン株対応ワクチンは緊急承認されたばかりのものです。現行のワクチンの安全性を前提に承認されたにせよ、オミクロン株対応ワクチンそのものの安全性は十分に検討されたとはいえません。

新型コロナウィルスの感染拡大が落ち着き、ウィルスの病毒性も以前ほどではなくなった(ワクチンを接種しているということが前提ですが)今、そのオミクロン株対応ワクチンをあわてて接種する必要があるでしょうか。人は容易にマスコミからの情報に影響を受けます。ちょっと立ち止まって考えることが大切です。

患者さんから相談を受けたとき、私は次のようにお話ししています。「まずは4回目として現行のワクチンを接種してください。このワクチンも3ヶ月ほどで効果が弱くなります。そのころに第八波の流行がはじまったら、そのときにこそオミクロン株対応ワクチンの接種を考えればいいのではありませんか」と。

年が明けるころになれば、オミクロン株対応ワクチンの安全性に関するデータがでてくるはずです。問題なければそれでよし、多少なりとも大きな問題が生じているようであれば接種を控えることができます。慌てる○○はなんとやら。あおるような意見に左右されず、世の中の風潮にながされないことです。

ついに、ふたたび。

昨日(9月2日)の時点で、ついに青森県を除いた46都道府県で実効再生産数が1.0を切りました。東京にいたっては0.9を切る勢いです。これで今回の流行がピークアウトするのも時間の問題でしょう。しかし、油断は禁物です。しばらくは流行は続きます。どこで誰からうつされるかわかりません。うがい、手洗い、そして、TPOに応じてマスクをすることもお忘れなく。風邪症状はコロナ、と思って対応して下さい。

10月からはインフルエンザのワクチン接種がはじまります。今年はインフルエンザワクチンの供給量は潤沢とのこと。不足することを心配する必要はなさそうです。新型コロナウィルスワクチンとの同時接種も認められました。でも、私個人としては同時接種はお勧めしません。なぜなら副反応が生じたときどちらが原因かわからなくなるからです。少なくとも2週間はあけて接種することをお勧めします。

高齢者を対象に「オミクロン株対応の新型コロナウィルスワクチン」の接種もはじまります。その報道を知った人の中には、4回目のワクチン接種を控えてこの「オミクロン株対応」のワクチンを接種しようと考える人がいるようです。でも、これも私は推奨しません。それはこの新しいワクチンは「緊急承認」されたばかりのものであり、安全性が十分に検討されたものとはいえないからです。

今、4回目のワクチンとしてモデルナ製のものが接種されています。こちらでも十分に効果は期待できます。ただし、効果が持続するのは3ヶ月程度ともいわれています。とりあえず、従来のワクチンを4回目として接種し、来年になってまた第8波の流行となればそのときに「オミクロン株対応」のワクチン接種を検討すればいいと思います。それまでに不測の副反応の情報が出てくるかもしれませんし。

私も今日、職員と一緒に4回目の新型コロナウィルスワクチン(モデルナ製)を接種しました。今のところなんの副反応もありません。おそらく明日も問題ないような気がします。くれぐれもワクチン接種後に熱発があったからといってむやみに解熱しないでください。事前に解熱剤を服用するなんてもってのほかです。もちろん、高熱でつらいときは遠慮なく解熱剤を使ってください。こちらも冷静な判断をお願いします。

繰り返しになりますが

前回、「第7波もいよいよピークアウトか?」と書きましたが、お盆休みの帰省ラッシュの影響は無視できなかったようで、全国的に実効再生産数が低下していた感染者の数も帰省先となった地方を中心に増加に転じてしまいました。しかし、最近の感染者の推移を見れば、そうした増加傾向もやがては落ち着く気配があります。ふたたび実効再生産数が1.0を切る都道府県が増えてくるでしょう。

これまでの2年間を振り返ると、流行のピークに2週間遅れて重症者のピークが、さらに2週間遅れて死者のピークがやってきていました。しかし、今回の第7波の特徴のひとつは、一貫して重症者は増えていないという点です。あまりの感染者の多さに不安を感じていた人も少なくなかったかもしれません。でも、1200万人の人が住む東京都でさえ重症者は常に30人程度。要するに今の感染状況はその程度なのです。

「一日の死者が過去最高」と報道されています。でも、これだけ感染者が増えれば死者が増えるのもあたりまえです。問題なのは「死者÷感染者」で計算される「致死率」。実は今回の流行の致死率は、かつてのインフルエンザよりもずっと低いのです。ですから、あまりにも怖がっている人に私は「インフルエンザを怖がっていなかったあなた。なぜそれほどまでに新型コロナを怖がっているのですか?」と尋ねます。

今、咽頭痛や咳があって、いつもよりも体温が高ければ新型コロナ感染だと考えるべきです。でも、ワクチンを接種していれば高熱になることはあまりないようです。ですから、症状の軽重には関係なく、風邪症状があればむしろ「新型コロナウィルスに感染した」と考えて、他の人に感染を広げないような対応をとるとともに、家庭内隔離しながら肺炎になっていないか注意し、療養すればいいだけです。

多くの場合、検査など必要ありません。検査では「陽性」には意味があっても、「陰性」だからといって「感染していない」ことの証明にはなりません。「陰性」の結果が出た翌日に「陽性」となるかもしれませんし、二日後に陽性になるかもしれません。検査をむやみに要求する会社・学校が多すぎるのです。旅行をするにも「陰性証明」が必要らしいですが、そんな証明ができる検査があれば教えてほしいくらいです。

正体もわからず、予防法も治療法もまったくない頃と、今のようにワクチンもあり、重症になったときの治療法があって、しかも感染しても多くが風邪症状にとどまっている今とが同じであっていいはずがありません。人々の恐怖心をあおることを商売にする人がいます。する必要のない検査や飲む必要のない薬を勧める人もいます。正しい知識を持っていないと、そうした人のいいカモになるので注意が必要です。

いつかTVで見かけたのですが、病院に入院できずに自宅で療養する新型コロナ患者に心電図検査をする医者がいました。しかも診療費が高いモニター検査です。こんなもの本来は不必要です。また、食事もとれ、水分も補給できる患者に点滴だって必要ありません。たいした熱でもなく、軽い風邪症状で発熱外来を受診することも、またそうした患者に解熱剤を処方することも正直にいってどうかと思います。

当院に相談のお電話があったとき、軽症の風邪症状の方に私は「症状は軽いが新型コロナの可能性がある」「でも検査や薬は必要ない」「自宅内隔離で経過観察を」と説明する場合があります。しかし、そうした人の中には「じゃあ他をあたります」と納得しない人もいます。あるいは、「わかりました」と納得したように電話を切った人の中には、受話器の向こうで不満をもらしている人がいることも私は知っています。

かつてのインフルエンザのシーズンなどでも同じような光景を見てきました。「早すぎる検査には意味がないことが多いのです」「検査よりも自宅で安静が重要です」「感冒薬は風邪を治す薬ではありません」「解熱剤は辛いときに頓服で服用する薬です」。新型コロナウィルスが感染拡大してから言い続けていることは、インフルエンザが流行しているときから言ってきたことです。

ずっと私が言い続けてきたことの正しさを、今回の新型コロナウィルスの流行で理解してもらえたらいいのですが必ずしもそうではありません。「(医者が説明する)正しいこと」は必ずしも「(患者が)納得できること」ではないからです。まさに「理性は情緒には勝てない」ということです。医学的な知識をもっている医療従事者でさえ不安に振り回されている人がいるくらいなので無理もありませんが。

医学的に正しいことと正しくないこと、個人の判断に委ねていいものとそうでないものとの区別は大切です。これは日頃、私が診療する際に常に忘れないようにしていることです。患者の希望は尊重すべきですが、患者のいいなりになってはいけません。「医学的に正しいこと」と「患者の希望にそうこと」は必ずしも一致しないので悩ましい問題です。とくに今の混乱している新型コロナの診療においてはなおさらです。

医療・医学の知識や経験のない一般の人には見えないことがあります。誤解しているところもあります。それを正すのが我々医療従事者なのですが、その医療従事者の中にも「考え方の違い」や「立場の違い」があって、「言っていること」と「やっていること」が人によってさまざまです。それらも「ワクチンは打つべきか」「検査をするべきか」「薬を飲むべきか」について一般の人が混乱する原因にもなっています

いずれにせよ、マスコミからながれてくる情報にながされないようにして下さい。マスコミから発信される情報は正しいとはかぎりません。明らかな間違いではないにせよ、正しいことを正しく伝えてはいない場合がしばしばあります。情報の内容もさることながら伝え方に問題があることも。私の情報にしてもまた同じことです。私自身が正しいと思っていても、それを否定的に考える医者もいるはずですし。

いろいろな意見があっていいのです。しかし、どれが正しいかは自分のあたまで判断するしかありません。ただし、医学的なことをイデオロギーで判断してはいけません。科学は万能ではありませんが、思想や心情で考えてはいけません。「癌と戦うな」という勇ましいスローガンはその最たるものです。巷(ちまた)にながれるさまざまな情報を、自分の理性をフル活用して真贋を考えることが重要です。

 

 

ピークアウト?

先日のブログでお知らせしたように、ついに今日、全国の新型コロナウィルス感染者の実効再生産数が1.0を切りました。お盆休みの帰省が影響しなければ、第7波もピークアウトになるかもしれません。各都道府県の実効再生産数を見ても感染者が多い都道府県ほど実効再生産数が1.0を切っており、兵庫県を除いて上位12都道府県はいずれも1.0以下になっています。

【資料】新型コロナウィルス 国内感染の状況

感染の拡大が収束に向かうかも知れまでんが、まだまだ感染のリスクは高い状態が続きます。気を緩めずに、手洗いとうがいの励行、マスクエチケットを継続して下さい。そして、風邪症状のあるときは仕事や学校を休み、風邪薬(や鎮痛剤、解熱剤)を服用せずに自宅内隔離で経過観察すること。くれぐれも軽症なのに発熱外来を受診しないでください。症状がつらいときのみ対処療法薬を服用し、呼吸回数の多くなるような息苦しさや4日以上続く高熱があるときこそ発熱外来に電話で相談してください。

今、「ワクチンを接種しても新型コロナにかかっているからワクチンを接種しても意味がない」というデマが流れています。ワクチン接種から時間がたてば中和抗体が減少して感染しやすくなります。イスラエルのワクチン接種済みの医療従事者のうち、3回接種した人と4回接種した人でブレイクスルー感染をした人の割合はそれぞれ20%と7%でした。また、重篤なケースや死亡者はいなかったとも報告されています。ワクチンが無効だと思われるようなごく少数のケースをことさらに強調するデマに惑わされないで下さい。

その一方で、厚労省と日本小児科学会が勧めている「小児へのワクチン接種」に私は懐疑的です。以前にも申し上げたように、小児は新型コロナウィルスに感染しても重症化するリスクはそれほど高くありません。にも関わらず、免疫システムがまだ十分に発達していない小児に安全性が十分に確立されているとはいえない(治験の途上にもある)ワクチンを繰り返し接種することは、リスク(危険性)とベネフィット(効果)の観点からも「努力義務」を課すようなものではないはずです。

ワクチンは接種することも自由ですが、接種しないこともまた自由です。新型コロナウィルスが「恐ろしい感染症」と思われていた頃ならまだしも、今の新型コロナウィルスによる感染症はまるで風邪のようなものです。そんなときにワクチン接種を強いることはできません。4回目のワクチン接種がまさにそれです。私自身は接種する予定ですが、職員には自由意志に任せています。ただし、ワクチンの恐ろしさを強調して「ワクチンを打つな」と同調圧力をかけることも間違いですから念のため。

また、検査を過信することも間違っています。これもこれまで繰り返してきましたが、「検査は一番怪しいときにおこなうもの」です。難しい言い方をすると、「検査は事前確率をあげておこなうもの」なのです。医学部の学生でさえ誰でも知っているような基礎知識がなおざりにされています。「誰もが、いつでも受けられる検査」をまるでいいことのように言っている医者すらいるのには驚きです。検査は「陽性」であることに意味があっても、「陰性」だからといって「コロナじゃない」と言えないのです。

同じことを繰り返して「耳にタコ」かもしれませんが、「経過観察の重要性」「薬や検査の必要性」についてはあらためて考えていただきたいと思います。いずれにせよ、今の感染拡大には歯止めがかかりそうです。でも、再び流行が拡大するときがまたやってくるかもしれません。そのときのためにも、正しい知識を身につけて備えていただきたいと思います。

ついに来ました。

ついに今日(9日)、東京都や神奈川県などで実効再生産数(ひとりの患者が何人の患者にうつすか、をあらわす数字。これが1.0を下回ると感染者数が減少に転じるとされています)が1.0を下回りました。よっぽどのことがなければ今週中に、早ければ明日にでも全国の実効再生産数も1.0を下回って流行のピークアウトが発表されるでしょう。これで第7波も収束していくでしょうが、ウィルスの変異はこれからも続きます。もし第8波となっても、「感染力は強くなっても毒性は低下する」の原則は不変だと思います。くれぐれも煽られないで冷静に対処しましょう。

【資料】新型コロナウィルス 国内感染の状況

今さらだけど

ずっと前から私がいってきたことをいくつかの学会がようやくいいはじめました。第七波のピークアウトもそろそろって頃になって遅まきながら、という感も否めませんが、とりあえずはこのながれがもっと広がればいいと思います。でも、なぜかマスコミはこのことを大々的に報道しませんよね。視聴者をこれでは煽れないからですかね?病院の人たちはもう疲弊しきってますよ。

【ネット記事】症状が軽い場合は受診を避けて 日本感染症学会などが緊急声明

でも、間違わないでください。「軽症は受診を避けて」というよりも「受診の必要はない」ってことですから。理由は先日のブログで書きました。また、重症感が強い場合、とくに呼吸回数が多くなるような息苦しさをともなう高熱や4日以上の高熱は積極的に発熱外来に受診してください。ただし、あらかじめ電話をしてからお願いします。

これでいいのか、日本。

検査にはこんな側面もあります。薬局でも検査キットが買えるようになっています。世界で一番陽性患者が多くなるはずだと思いませんか。「無症状でも陽性」「軽症でも陽性」を確認する意味ってなんでしょう。つくづく原則が無視され、やみくもに検査が行なわれているんだなって思います。

【動画】無料PCR検査で「商品券」

マスコミには世間を騒がせる報道ばかりではなく、こういう問題提起する報道をしてほしいものです。

烏合の衆になるな

冒頭、申し上げます。

マスコミに煽られないでください。

軽症の場合は解熱剤や風邪薬を服用する必要はありません。

検査で「感染したか、しなかったか」の白黒をつけることも重要ではありません。

発熱外来は「重症化しそうだ、したかもしれない人」が受診するところです。

   ウィルスは変異を繰り返して感染力を強めますが、毒性は逆に弱まっていく傾向があります。

つまりは、軽い風邪症状の場合は検査の有無とは関係なく、自宅内隔離をして経過をみることで十分です。つらくなければ薬の服用も必要ありません。発熱があっても2,3日で解熱傾向となれば心配ありません。よほどつらくなければ解熱剤を使わずに様子をみても大丈夫です。息苦しさをともなう咳、あるいは4日目になってもさがらない高熱のときは発熱外来(かかりつけ医)に電話で相談してください。

本文は私の個人的な見解であり、みなさんに押しつけるつもりはありません。また、新型コロナウィルスの感染状況を怖がっている人を否定するつもりもありませんし、今回の記事で楽観的なことを気休めで書いたつもりもありません。医療従事者として「(私が考える)まっとうなこと」を述べたにすぎません。そのことを念頭に読んでいただければ幸いです。最後に、毎日忙しく病院で働いているすべての方々に感謝します。

 

*********************************** 以下、本文

新型コロナウィルス(以下、COVID-19)の第七波がこれだけの広がりを見せていながら、私がこのブログでコメントをしないのはなぜだろうと思っている方がいるかもしれません。流行に変化の兆しが見えるたびに、適時・適切に役立つと思われる情報を記事にしてきました。しかし、今年の1月に「バカなんですか?」という記事を掲載して以来、半年にわたってCOVID-19とは関係のない話題でブログを更新してきました。

第三回目のワクチン接種がはじまり、たくさんの人に追加接種が進むにつれて、COVID-19の流行はいったん下火になっていきました。それはまるで「これでついにCOVID-19感染症も終わりになるのか」と勘違いするほどの勢いでもありました。みんながホッとしたのもつかの間、6月に入ると一転して感染者が急増。あれよあれよという間に感染が拡大し、多くの地方自治体で「過去最多」を更新するほどになってしまいました。

そんな状況をマスコミが誇張するせいで、これからどうなってしまうのだろうと不安になっている人が少なくありません。それはあわてて四回目のワクチンを接種する人たちを見ても、「風邪症状があるがどうしたらいいのか」と当院に電話してくる人たちの多さからもわかります。しかし、私は「これまでこのブログに書いてきたこと」を繰り返すしかありません。しばらくCOVID-19の話題を書かなかったのはそのためです。

私がはじめてCOVID-19について言及したのは2020年1月。以来、26回にわたってそのときどきに伝えられていた情報を整理して記事にしてきました。それらの多くの情報は今でも間違っていなかったと思います。そして、それは次々とあらたな変異株が出現しても、大きく変わることのない情報でした。でも、マスコミはそんなことはお構いなしに、流行するたびに「今日もこんなにたくさんの感染者が発生した」と煽ります。

これまでがそうだったように、マスコミでは「感染者の多さ」をことさら強調するだけで肝心なことを伝えません。その「肝心なこと」とは「感染した多くの人の症状はおおむね軽症だ」ということです。何万人の人が感染しようが、それが「単なる風邪症状」であって、重症化する人がほとんどいないのであればなにも恐れることはありません。ましてや経済を犠牲にしてまで、行動規制をする必要はないはずです。

「気にせずごく普通の生活をするべきだ」と言っているのではありません。今、流行しているCOVID-19の感染力は確かに強く、手洗い、うがいを励行し、TPOに応じてマスクをすることは引き続き大切です。しかし、それは自分が感染しないためというより、自分が意識しないところで他人にうつさないためです。感染してもほとんどの人が軽症で終わりますが、運悪くうつした相手が重症化しやすい人かもしれないからです。

今、ものすごい勢いで感染が拡大しているように見えます。でも、一番の関心事は「COVID-19に感染したかどうか」ではなく「重症化するかどうか」にあります。感染した人の多くは、咽頭痛や倦怠感、高熱が出ても2,3日で解熱傾向となり、一週間ほどで治っています。おおむね「ただの風邪」なのです。とくにワクチンを接種している人はことさらに心配する必要はありません。問題はワクチンを接種していない人たちです。

「ワクチン接種に意味がなかった」と反ワクチンのデマがながれています。これは国際機関の正式な発表をもとにしたものではありません。「ワクチンは無効だった」などというデータはないのです。確かに、COVID-19の変異が繰り返されるたびにワクチンの効果は減弱していきます。しかし、現在のB.A.5という変異株でさえもワクチンが重症化を防ぐ効果は三回の接種で70~80%とある程度はっきりした数値が報告されています。

ワクチン接種はあくまでも任意です。接種することを強制することはできません。しかし、たくさんの人にまるで「接種するな」というような情報を言ってまわることも間違いです。いわんやいちぶの過激な人たちのように接種会場に押しかけて来て、「ワクチン接種は犯罪だ」と叫んで業務を妨害することは許されません。ワクチンを打たないことは自由ですが、接種しないことの代償・危険性も考えて判断しなければなりません。

あるTVのワイドショーで、アナウンサーがゲストとして出演していた医師(感染症の専門家ではありません)に「今の新型コロナは市販の風邪薬でも治っているケースがあるようですが、風邪薬を飲んでもいいのでしょうか」と質問したそうです。それに対する医師の答えを聴いて私は驚きました。その医師は「新型コロナで服用していけない薬などない。だから市販薬の風邪薬を服用してもいい」と答えたというのです。

これまでの私のブログを読んでいただいた方ならおわかりだと思いますが、風邪であれ、COVID-19であれ、一部の重症者に使用する薬を除いて、これらを「治す薬」など存在しません。どこかの医者が「なにも投与しないよりマシだから」と得意になって投与していた「イベルメクチン」も今では誰も見向きもしません。結局、投与しても意味がなく、無効だという結論になったからです(そんなことずっと前からわかっていました)。

余談ですが、塩野義製薬から発売される予定のあらたなCOVID-19経口治療薬の承認が見送られました。効果がはっきりしないばかりか、催奇形性などの副作用の問題や併用してはいけない薬が多すぎるからです。この審査の過程で厚労省の思惑と塩野義製薬と利益相反のある委員の疑惑が暴露されました。塩野義製薬はインフルエンザの治療薬でも問題を起こしています。先の治療薬は日の目を見ないかもしれません。

風邪薬は「風邪を治す薬」ではありません。ましてや「新型コロナが市販の風邪薬で治った」などということはありえません。このワイドショーに出演した医師はまずはそこを指摘しなければいけなかったのです。むやみに解熱剤を服用すれば、熱発を不必要に抑えて重症化を発見することが遅れることがあります。あるいは、体温が上がらず、ウィルス排除の仕組みが働きにくくなって感染症を長引かせることにもなりかねません。

ちゃんとした医師であれば、「むやみに解熱剤や風邪薬は飲むべきではない。風邪症状がつらいときのみに『やむを得ず頓服』という形で服用すること」と説明するべきなのです。そして、風邪症状があったからといって薬をもらいに医療機関に行く必要もないし、新型コロナに感染したかどうかを検査で確認する必要もない(早めに検査を受けても診断は不正確になるだけ)ということを付け加えるべきなのです。

これまで何度も繰り返してきたように、検査は「一番怪しいときに実施するもの」です。からだの中からあふれ出てきたウィルスを検出するのですから、検査が早すぎればウィルスはまだあふれ出てきていない可能性が高く、「陰性」と診断されたからといって安心はできません(検査をした後にウィルスがあふれて他人にうつすということもある)。それは抗原検査であれ、PCRであれ、検査はおおむねすべてがそうです。

そもそも検査をたくさんやっても感染はおさえられないということは今の中国を見ればわかるはずです。これはCOVID-19の感染がはじまった当初からいわれてきたことです。当時は盛んに検査をしろ、と叫んでいた人たちが今は口をつぐんでいることからも明らかです。それなのに岸田政権は「発熱外来を増やし、検査を増やす」と言っているようです。どうしてこうも学べない頭の悪い人たちは愚策を繰り返すのでしょう。

ちょっとした風邪症状で発熱外来を受診すれば、発熱外来に長蛇の列ができてしまうのも当然です。「なんとなく心配だから」というだけで検査をすれば、検査キットが不足して本当に必要な人が検査できなくなるのも当然です。岸田首相が発表したようにむやみに発熱外来をふやせば、それらに拍車がかかります。しかも、うっかり発熱外来や検査場所に行けば、そこで感染する危険性だってあるということを知っておくべきです。

「風邪症状があるがどうしたらよいか」と当院にお電話をいただくことがあります。しかし「熱はない」といいながら解熱剤(頭痛薬、痛み止め)や風邪薬をすでに服用している人が少なくありません。また、風邪症状も鼻水が出る程度だが「心配だから」という人もいます。そのような人たちには「もう1日か2日ほど様子を見てまたご相談を」とお話しします。すると中には「なぜ診てくれないのか」と不満そうな方もいます。

診療を拒否しているのではありません。経過観察はとても重要なことなのです。「熱がある」というお問い合わせの場合ですら、とくに重症化の心配がないケースは「解熱剤を飲まないで様子を見てください」とお話しします。喉の痛みや咳がつらいというケースにのみ対症療法の薬をお出ししますが、これとて本来は必要のないもの。発熱外来への受診が必要だと判断した場合のみ「発熱外来で検査を」とお勧めしています。

経過を見ている患者の中で「今後、重症化するかもしれない」と思う方には、翌日から朝と夕方に電話連絡をして状況を確認しています。そして、重症化を疑うときは「発熱外来を受診してください」と伝え、それまでの経過を紹介状に書いて病院に送ります。私たちのようなプライマリ・ケア医に期待されている役割はこうした「ゲート・キーパー」の機能だと思います。そうした機能の分担をしなければ医療は崩壊します。

実際、「医療崩壊になるのか?」と心配する人もいます。確かにこれだけの人が発熱外来を受診し、検査を受けたがり、入院を希望すれば、病院の機能はやがて限界に達します。そして、それを助長するように、マスコミが煽り、人々がパニックとなり、政府がうろたえているように見えます。今のCOVID-19の病原性は恐れるほどのものではありません。それでも「医療崩壊」が起こるとすれば、それは社会不安にともなう人災です。

風邪症状があるときは仕事や学校を休んでください。風邪薬はできるだけ服用しないでください(服用する必要はありません)。検査は必要な人が一番怪しいときにおこなってください。会社や学校はむやみに検査することを求めないでください。発熱外来は重症化の恐れがある人だけが受診してください。医療機関を受診するときは事前に電話をしてください。こうしたことを発信するのがマスコミの本来の使命であるはずです。

「過去最多の感染者数」などという言葉にだまされないでください。感染の深刻さは「重症者数」で考えるべきです。しかも重症者数を感染者数で割った「重症化率」が重要です。その重症化率で言えば、今の第七波は従来のインフルエンザの重症化率の10分の1程度だともいわれています。確かに感染者数が増えていますが、それに比べて重症者の数はきわめて少数です。どうか大騒ぎをする愚かな人たちに煽られないでください。

せめてこのブログを読んでくださっている人だけは冷静になって、淡々と行動してください。原発事故のときもそうでしたが、マスコミから流れてくる情報は偏っていることが多いのです。マスコミによく登場する「専門家」と称する人たちはあてになりません。厚労省の専門家会議の委員ですら本当の意味での「専門家」は少ないのです。かつてどんなことを言っていたかを振り返れば誰を信じていいのかがわかります。

COVID-19が流行してもう2年以上が経ちます。過去の経験に学びましょう。そして、烏合の衆にならないようにしましょう。今回の流行のピークまでもうひと踏ん張りです。

 

※1 お時間があれば、これまでのCOVID-19関連記事をお読みください。

右上の検索エンジンで「新型コロナ」と検索すると記事がでてきます。

以前からずっと同じことを繰り返して書いていることがわかります。

※2 今のモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす歌を思い出しました。

1986年に発表された、Swing out sisterの「Breakout」です。

是非、聴いてみてください(曲のタイトルをクリックしてください)。 

 

がんばれ、新人君(2)

地元の桜並木に薄桃色の花がまだ咲いていなかったころ、地球の反対側のヨーロッパで戦争がはじまりました。戦争なんてものは発展途上国の内戦だったり、名前も知らないような小国同士の小競り合いだったりするだけで、それなりの経済規模を有するまっとうな国が戦争など始めるはずがないと思っていました。しかし、そんな「常識」はあっさり裏切られ、「先進国」のひとつにも数えられるようになった国が、武力による国境線の書き換えをおこなおうとしている現実を世界中の人は目の当たりにしています。

戦後80年を経て、日本人はすっかり平和ボケしていました。敗戦後、「平和憲法」という新たな錦の御旗をあたえられた日本は、「戦争・戦力を放棄し、交戦権を否認すれば戦争に巻き込まれない」という夢を見続けていました。それが理想論にすぎず、絵空事であろうことはうすうす感じていながら、厳しい国際社会の現実にはずっと目をつぶってきたのです。しかし、今、自国の安全と生存は「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」だけでは保持できないという現実を突きつけられたといっても過言ではありません。

もちろんロシアが武力をもちいてウクライナとの国境を変更しようとするのにはそれ相応の理由があるのでしょう。そこにはウクライナとロシア両国の長くて悲しい歴史が影響しているのかもしれません。あるいは、オリガルヒやアメリカのエスタブリッシュメントと呼ばれる人たちの思惑や、あるいはNATOによる安全保障上の戦略に両国がまんまと利用されているのかもしれません。とはいえ、いかなる理由があろうとも、人権を一顧だにせず、国際法に明らかに違反するロシアの暴挙を正当化することは到底できません。

たくさんの命が失われているウクライナでの絶望的にも見える惨状は日本人に多くのことを教えています。人類はなんどもこうした過ちを繰り返してきました。そのたびにあらたな平和を誓ったはずなのに、です。日本や日本人は、ウクライナのために、また日本自身のためになにをすればいいのでしょう。遠い東欧で起こっていることだと他人事にしてはいけません。戦争がもたらすものは恐怖と絶望、悲しみと憎しみです。この愚かな戦争を一日も早く終わらせ、二度と繰り返さないためにも今の現実に顔をそむけてはいけません。

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気分を取り直して、今日の話題をあらためて書きます。

春、進学したり、就職したりと、あらたな第一歩を踏み出す人も多いことでしょう。期待と不安の入り交じったスタートになっているに違いありません。先日、私のクリニックに、高校の後輩で、今春、北海道大学医学部を卒業したばかりの新人君が遊びに来てくれました。もはや後輩というよりも自分の息子のような彼も、この春から研修医としての厳しい修練がはじまります。その彼には研修医のころの思い出をいろいろ話しました。失敗も、ツラいことも、悲しかったことでさえも今の自分に活きていることを伝えたかったからです。

研修医だった私の一日は、朝早く病院に来て患者の採血をすることから始まりました。前日にオーダーしていた検査のための採血をするのです。そして、それが終わると、つい数時間前までカルテ記載していた担当患者の情報をまとめます。やがて病棟にあがって来る指導医に患者情報を報告し、その日にやっておくべきこと(検査あるいは処方)の指示をもらうためです。その後は、指導医と一緒に患者の回診にまわり、検査・処方のオーダーをしたり、注射箋で点滴を指示したりとあわただしく午前中が過ぎていきます。

昼食を済ませると、午後は検査に入ったり、カンファレンスと呼ばれる症例検討会があったりと忙しさは続きます。興味深い疾患をもっている患者やなかなか診断のつかない患者を検討会に提示するときはその準備もあるのでとくに忙しくなります。東京逓信病院では院内での勉強会が多いため、研修医は学会発表の練習も兼ねて頻繁に発表させられます。発表のためには他の診療科のカルテを取り寄せるために病歴室に通ったり、文献を調べるために病院の図書館に行ったりしなければならないので大変です。

夕方になると日中にオーダーしておいた検査の結果があがってきます。その結果を見ながら、治療薬の効果を判定したり、病気の原因を絞り込むのですが、研修医にはそれらの結果に一喜一憂するのが精一杯。自信満々で指導医に結果を報告したのに、検査や治療内容の不備などを指摘されてヘコムなんてことも少なくありません。そんなときは、カルテを記載する医師記録室で他の研修医と愚痴をこぼしあったり、指導医への不満を聞いてもらったりしたものです。このときの研修医同士の連帯感はなにより心強いものでした。

私が研修医の頃はまだ紙カルテで、検査結果も紙に印刷されてあがってきます。検査結果をカルテに貼りながらその日一日の患者の変化や今後の方針を記入するのですが、そうこうしているとあっという間に夜もふけ、いつの間にか深夜遅くになっています。しかし、当時の逓信病院には夜になると我々研修医に陣中見舞いを持ってきてくれる先輩医師がいました。深夜にもかかわらず記録室にケーキなどの差し入れを買ってきてくれるのです。「お疲れ~っ!」と入ってくるその先輩医師にどれだけ励まされたことでしょう。

夜遅く(朝?)までカルテ記載をしていると、記録室のラジオからはよく「Jwave」の「singing clock」という時報がながれてきました。夜勤の看護婦さん達も仮眠に入ったのか、静まりかえっている病棟。ときどき鳴るナースコールと看護婦さんの足音だけが聞こえる夜の「singing clock」は、疲れ果てていた私を生き返らせる呪文のようなものでした。ちょうど私が研修医だった頃に開局したFMラジオ局のJwaveからはいつも洗練された音楽がながれてきて、札幌から上京したばかりの私にとっては心の清涼剤だったのでしょう。

研修を終えて勤務した大学病院では、今度は新人看護婦さんたちの奮闘ぶりを見ていました。今でも思い出すのはGさんのことです。彼女は地方の看護学校を卒業して就職してきた人でした。人懐っこい笑顔と元気さが取り柄とでもいうような明るい新人さんでした。やる気満々、物怖じせず、なんでも頑張るぞという本人の意気込みとは裏腹に、ミスをすることも少なくなく、上司である主任さんはもちろん、他の先輩看護婦さん達からも注意を受けていました。そんな彼女を私はなにかとても懐かしく感じました。

注意された彼女はちょっとだけ落ち込んだように表情を曇らせますが、すぐに舌をペロっとだしてはいつもの元気なGさんに戻ります。ところが、彼女がめげなければめげないほどまわりの先輩看護婦さんからは集中砲火のように怒られ、ついに主任さんから厳重注意を受けることになりました。私は少し離れた場所でカルテ記載をしながら、二人のやりとりに聞き耳を立てていました。「もっと考えて行動しなさいっ!」と主任さんは強い口調でいいました。それは少し感情的になっているようにも思える言い方でした。

Gさんは主任さんの話しにうなづきながら聴いていました。「お説教タイム」が終わって仕事に戻った彼女は、少し打ちのめされているように見えました。いつものはつらつさがすっかりなくなってしまったGさん。翌日になっても、また、その翌日になっても彼女らしい元気さを取り戻すことはありませんでした。しかも、それでも彼女はミスをしてしまいます。そのたびに先輩方から怒られるGさんに、今までのような笑顔はみられませんでした。私は彼女がいたたまれなくなり、周りに誰もいないときを見計らって声をかけました。

「ゴンちゃん(私はいつもそう呼んでいました)、元気ないね。主任さんは『もっと考えて行動しろっ』って言ってたけど、知識も経験もない新人に『考えて行動する』なんてことができるはずがないんだからね。ミスをしないに超したことはないけど、注意していてもミスってしまったことは仕方ないんだよ。それが新人なんだから。ただ、そのミスを絶対に繰り返さないぞ、って気持ちだけは忘れないでね」と。それ以上言うのはやめました。彼女が今度は主任さんや先輩達に悪い感情を持ち始めてはいけないからです。

ときどき「ゴンちゃん、がんばれ」と励ましているうちに、徐々に彼女にはいつもの明るさが戻ってきました。「めでたし、めでたし」と思っていたのもつかの間、今度は私が主任さんに叱られることになりました。「職場でGさんを『ゴンちゃん』と呼ぶのはやめてください」とのことでした。学校でさえ先生が生徒を呼び捨てにしたり、愛称で呼ぶことは禁止されているんだとか。「~君」ですらダメで、「~さん」なんだそうです。せちがらい時代になったものです。でも、その後、Gさんはすっかり立ち直ったように見えました。

私自身、たくさんの間違いをしてきました。後悔することもいっぱいあります。しかし、前回のブログでも書いたように、それらすべてを含めての「今」なのです。新人だからこそできる失敗があります。新人だからこそ挑戦できることもあります。頑張って、頑張って、それでもダメならやり直すことでさえも新人には可能なのだということを忘れないでください。振り返ればあっという間の人生です。マイナス思考で無為な時間を過ごすより、プラス思考をしながらとにかく前に進むことの方が建設的な時間の使い方です。

人生の価値はひとつではありません。その一方で、ひとつの目標に向かって頑張り続けることにも意味があります。どちらにせよ、頑張れるかぎりはその歩みをとめてはいけないということです。人生の歩みは振り返ることしかできません。結果として自分の望む方角には進めないことだってあります。しかし、人生の岐路に立たされたとき、その都度、自分が後悔しない選択を繰り返していけば、必ずや満足のいく人生を送れるのだと私は信じています。また、それは私の半生が証明しています。

新人の皆さん、がんばりましょう。

※「がんばれ、新人君」も読んでみてください

万事塞翁が馬

新型コロナウィルスに感染した人の数は、その後、前回のブログで私がいった通りの推移を示しているように見えます。東京都のみならず、多くの都道府県で減少の一途をたどり、最近では死亡者の数もそのピークが過ぎたかのような状況にあります。あれだけ感染力が強いと吹聴されてきたオミクロン株による第六波も、三回目のワクチンのブースト接種がはじまってついにこのまま収束していくでしょうか。

そもそもオミクロン株に感染しても、ワクチンさえ接種してればほとんどがただの風邪のような症状です。そのせいか、喉の痛みや熱があっても自分が新型コロナウィルスだと思わず、風邪薬を飲みながら仕事をしたり、学校にいっている人(これは絶対にやらないでほしいと繰り返してきました)があまりにも多かったのではないかと想像します。感染拡大の大きさにはこうしたことも影響していたはずです。

BA.2株」と呼ばれる新たな変異株の出現で、検査が陽性となった感染患者の減少が鈍化しているように見えます。しかし、何度もいっているように、これからの推移は重症患者と亡くなった人の数で評価すべきです。私は予想屋でも予言者でもありません。客観的事実を冷静な判断(と自分では思っているのですが)で導いた結論を言っているに過ぎません。極端な意見にはひきづられないようにしましょう。

インフルエンザのこともそうです。「来年は流行しそうだ」などとTVでいわれていました。しかし、実際はどうだったでしょうか。「なんの根拠もありませんが、インフルエンザは流行しないと思います」と以前のブログに書きましたが、これとて一昨年の状況を見ればあたりまえと思える結論でした。インフルエンザワクチンを多くの人が受けてくれたこともこのインフルエンザの少なさに影響しているかもしれません。

「客観的な事実と冷静な判断」などと偉そうなことを言っていますが、私自身はなにごとも理性的に考える人間ではありません。どちらかというと理性よりも情緒に流されやすい人間かもしれません。「文系人間」という人がいるとすれば、むしろ私はそちら側の人間だと思います。だからといってそれが欠点だとは思っていません。私にとって大切なのは理性と情緒のバランスなのだと考えています。

医学は理系の学問とされていますがもっとも文系にちかい領域だと思います。そんなことをいうと不思議に思う人もいるかもしれません。しかし、医学には数値だけでは解決できない部分が少なからず存在するのです。血圧や脈拍数、検査値などのような数字もよりどころにしますが、患者さんとの問診の内容、あるいはそのときの表情や仕草といった非数値的な情報も病気を診断する際に重要となります。

以前にも言ったように、医者になるのに数学オリンピックや物理オリンピックで金メダルをとる必要はありません。メダルをとるほどの秀でた能力はあって悪いわけではありませんが、有能な医者になるのにそれらの能力が直接必要なものかといわれれば必ずしもそうではありません。医者になるためにはせいぜい中ぐらいの学習能力があれば十分なのです。ただ競争率が高くて合格するのが大変だというだけの話しです。

医学は日進月歩です。20年前の常識が今は否定されているなんてことも結構あります。ですから、医者にとって日々変化する医学についていけるだけの学習意欲は必要です。入学したときはものすごく勉強ができたのに、その後、医学を学ぶモチベーションがあがらず、医師国家試験に合格したときの「知識の断片」だけでずっと診療をしている医者は決して少なくありません。そういう医者ほど自分の学歴だけが自慢です。

「医学部に入学する生徒にはことさらに人間性が必要」などというステレオタイプな主張も間違いです。極端なことをいえば、患者の病気を治せる医者なら人間性なんて十分条件にすぎません。病気を見つけることも、治すこともできないのに人間性だけは非の打ちどころのない医者にどれだけの価値があるのでしょう。入試での短時間の面接で数人の面接官が受験生の人間性を評価しようなんてことがそもそも不遜なのです。

世の中の「常識」とはちょっとずれたことをいう私なので、診察をしながら「医者らしからぬこと」を言うときがあります。診療中の私は「この人は誰かに守られている」と感じる場面にでくわすことがあるのです。普通であればこんな症状でそんな検査はしないのに、なぜかその検査をしたことによって重大な病気を見つけられたという経験をします。あとで「よく考えたらなぜこの検査をしたんだろう」って具合に。

なんとなく胸騒ぎがして患者を病院に紹介することもあります。そんなときは「無駄足になるかもしれませんが」といいわけをして病院に行かせます。でも、案の定大きな病気が見つかって患者が命拾いしたというケースが何度もあります。そのような経験をしたときはいつも「この患者さんには誰か守っている人がいる」と感じます。もちろんすべての患者さんに感じるわけではありませんから誤解なきようにお願いします。

「(普段であれば見つからなかっただろう病気が見つかるなんて)きっと誰か守ってくれている人がいたのですよ」と患者に告げると、「ああ、それは母かもしれません」とおっしゃる人もいます。また、別の方はうれしそうに天井を見上げたりします。しかし、中には「医者なのにそんなことをいうなんてヤバイんじゃないの」といぶかしげな人もいます。医者なのにそんな非合理的なことを、という意味なのでしょう。

私は医学部に入学する前後ぐらいから何度も不思議な体験をしてきました。大学病院で夜間救急をしていたある夜、休憩室で北大の先輩だった先生に「おまえ、幽霊をみたことあるだろ?」と言われたことがあります。何度かそれらしき体験をしていたので、「なぜわかるんですか?」とたずねました。すると、先輩はまじめな表情でいいました。「おまえみたいな霊的エネルギーの強い人間には霊が近づいてくるんだよ」と。

解剖実習から帰宅して寝ていた私の枕元に白い着物を着た老人が座ったのは私の「霊的エネルギー」が呼び寄せたのでしょうか。アルバイト先の当直病院での勤務初日、必ずといっていいほど急変する患者や亡くなる患者が多かったのは私の「霊的エネルギー」が影響しているのでしょうか。そこにいるはずもない人を病院で見かけたことも何度もあります。それも先輩が言うように私の霊的エネルギーが強いせいなのでしょうか。

こんなこともありました。子どもができないまま結婚4年目を迎えたある日の夜。当直病院で仮眠をとっていると突然「赤ちゃんができましたよ」という女性の声が聞こえてハッと目を覚ましました。そのときは夢でも見ていたのだろうと気にもとめませんでしたが、自宅に戻ってみると家内から妊娠したことを知らされました(ちなみにこの息子の誕生日は私と同じ)。これも私の「霊的エネルギー」のなせる業だったのでしょうか。

職業柄、人の生き死にを見てくると、自分なりの死生観というか、人生観といったものを持つようになります。希望する学校に合格しながら、制服に一度も袖を通すことなく亡くなった高校生がいました。銀行で働くことを夢見ながら就職活動の直前に入院。そして、失意のまま亡くなった大学生がいます。そうした人々の悲しさや悔しさ、むなしさは私にいろいろなことを教えてくれましたし、今の診療に役立ってもいます。

私の半生は他の人とは大きく異なります。小学校の入学祝いにもらった「野口英世」の伝記本をきっかけに「自分は医者になるんだ」と思うようになりました。でも、だからといって小学校のころの私は医者になるために努力する子どもではありませんでした。勉強をしなくても成績のいい子どもですらありませんでした。学校に行ってはいてもただ通学しているだけ。ボーッと窓の外を見ているような小学生だったのです。

それでも不思議と「医学」にはなんとなく興味を持っていました。おもちゃ屋で見かけた「人体模型」のプラモデルをねだって買ってもらったりしました。中学生のときは日曜日の朝になると東京12チャンネルの「話題の医学」という医学番組を欠かさず観ているという変わった子どもでした。とはいえ、肝心の勉強にはまるで関心がなく、医学部に入らなければ医者になれないことに気がついたのは高校生のときでした。

一度は医者になることをあきらめましたが、ひょんなことで医学部を再受験して医者になりました。いろいろな人との出会いがあり、さまざまな偶然がまさに糸をつむぐようにして再び医学部に挑戦することになったのです。こうしたことも私の「霊的エネルギー」のおかげなのでしょうか。科学や理性では説明できない非合理性の中で生きてきたことが、私を「怪しいことをいうヤバい医者」にしているのかもしれません。

子ども達には日頃、「神様はいつも見ているんだよ」と諭しています。「人の見ていないところで努力することは大切」ということをわかってほしいからです。悩みや苦しみを訴える高齢者には「長生きは修行です」とお話ししています。これは「長生きするということは、長生きできなかった人たちの思いを背負いながら生きることだ」ということを心にとどめてほしいからです。これは私が常に実感していることです。

幸せの基準は異なります。人のいう「よい、悪い」の多くは、実は「好き、きらい」だったりします。ものの見方を少しだけ変えてみるだけで、違った見え方をしますし、心のあり方もずいぶんと変わってきます。「人間万事塞翁が馬」という言葉は私が一番好きな故事ことわざです。吉事も戒めにしなければならない場合もあるし、凶事もよいことにつながるきっかけになる。いっときの吉凶ですべてを語るな、ということです

そろそろ卒業シーズンです。新型コロナのせいで楽しい学校生活が十分に送れなかった生徒・学生のみなさんにとって、なにか不完全燃焼のような中途半端さのまま卒業するのは淋しいことかもしれません。しかし、あなた達の人生はこれからです。むしろ、これからの未来にこそ、本当の山あり、谷あり、なのです。山があっても、谷があっても、常に視線は未来に向けて下さい。それがみなさんの特権でもあります。

いっときの良し悪しがすべてではない、ということは意外と気がつかないものです。うまくいくこともあるでしょう。失敗することもあるかもしれません。病気になったり、なにかをあきらめなければならないときだってある。でも、それが人生です。ひとつひとつの山や谷に一喜一憂せず、それらをひとつひとつ誠実に乗り越えていく、その総体が「幸福」につながっていくのだということをどうか忘れないでください。

私のお気に入りの歌(小田和正「東京の空」)に次のような歌詞があります。最後にそれを紹介します。

「がんばっても がんばっても うまくいかない

でも、気づかないところで 誰かがきっと見てる」

神様はいつもあなたを見ています。頑張りましょう。