質的研究(1)

私がまだ医学部の学生のころ、「全人的医療を考える会」というセミナーが開かれていました。「全人的医療」とは「人の疾患を診るのではなく、病気を抱える患者を診る」をスローガンとする医療をいいます。その医療を実践する運動で中心的な役割を果たしたのが今は亡き大阪大学の中川米蔵教授です。セミナーでは座学や講演、体験学習がおこなわれましたが、私はその会自体よりも体験学習に興味があり、その方法論をめぐって中川教授となんどか手紙のやりとりをしたほどでした。

当時から私は「医者には面接技法が必要」と思っていました。そんなこともあって、カウンセリングを治療法としてもちいる臨床心理学を中心に勉強していました。セミナーでの体験学習の方法論につながっているように思えたからでもあります。エンカウンターグループという集団面接によるカウンセリングは、医者になったとき、外来での患者とやりとりに活かせるのではないか。そんなことを考えながら勉強していましたが、後に私が学位をとった質的研究にもつながっていきました。

私は特定の臓器を専門とする医者(一般的にいう「専門医」)になろうとは思っていませんでした。当初からプライマリ・ケアを担当する「プライマリ・ケア医」としてできるだけ患者を幅広く診ることができる医者になろうと考えていました。病気を治療・管理するだけではなく、患者の不安や悩み、健康相談までトータルにサポートできる医者になりたかったのです。専門医になることよりもプライマリ・ケア医として患者を診ることの方が医者としてやりがいがあると思っていたのかもしれません。

しかし、「プライマリ・ケア医(開業医)を信用していない国民は決して少なくない」ということはうすうす感じていました。「開業医」や「町医者」といった言葉には、どこかその医者を軽蔑するような響きがあります。大学病院の医者は優秀で、町医者はあてにならない、そんなイメージがあるのかもしれません。開業医の多くはかつて大学病院の医者だったのに、町医者になったとたんになぜそのようなイメージにかわるのか。私は以前からその理由が知りたいと思っていました。

専門診療をする医者には当然専門性がなければなりません。その専門医が持つ高度で専門的な技術と知識はプライマリ・ケア医にはないものかもしれません。しかし、その一方でプライマリ・ケア医には患者をトータルに診ていく医師としての守備範囲の広さが必要です。特定の臓器をあつかう専門医にはこの守備範囲の広さがありません。つまり、それぞれの医者にはそれぞれの専門性があるのです。専門医の「深さ」とプライマリ・ケア医の「広さ」を「どちらが有能か、優秀か」と比較すること自体が無意味なのです。

にもかかわらず、一般の人たちの中にはプライマリ・ケア医に対する根強い不信感がありそうです。それがどう形成されてきたかを知ることは、プライマリ・ケア医への信頼をとりもどすことにつながるかもしれません。しかし、そうした調査や研究をした文献はこれまでほとんどありませんでした。プライマリ・ケアに関する研究はそれだけ遅れているということでもあり、私は大学院で「国民の信頼を得られるプライマリ・ケアのあり方」について研究をしてみたいと思いました。

といいながら、私が調べたいと思っていた領域の研究の指導をしてくれる場所がありません。仕方なく当時所属していた医局の教授を指導教官にして大学院に進むことにしました。「仕方なく」と書いたのは、当時の医局の教授はあまり研究に関心がなく、適切な指導を受けることは期待できなかったからです。しかし、それは逆に自由に研究をさせてもらえることでもあります。なにはともあれ、とにかく大学院に進んでやれるだけのことはやってみようと思ったのでした。

大学院に進んでみると、予想したとおり指導教官の「指導」はありませんでした。何をどうしたらいいのか、私は手探りで研究を始めなければなりませんでした。でも、自分で選んだ道です。同じ研究室の仲間達に愚痴をこぼしながらも、とりあえず「プライマリ・ケアへの信頼を取り戻すにはどうしたらいいか」という大テーマに関連する本を私は片っ端から読んでみました。また、これまでの先行研究もできるかぎり取り寄せて読みることにしました。はじめの1年はこの作業に明け暮れました。

すると、やらなければならないテーマが次々と浮かんできました。その領域もどんどん広がっていきます。それほどまでに医師・患者関係に関する研究はほとんどが手つかずだったのです。それには理由がありました。まず、医者はそのような事柄に関心がなかったこと。そして、「どのような方法論」で調べていくかについて限界があったからです。多くの研究はアンケートに頼ることがほとんどでしたが、アンケート調査を繰り返してもそれまでの研究成果をブレイク・スルーするような結果は得られなかったのです。

研究課題を明らかにするのにふさわしい方法論が見つからない。そんな現実に行き詰まっているうちにあっという間に2年が経とうとしていました。あと2年で成果を出さなければいけないというプレッシャーを感じるようになったとき、アメリカでの留学を終えて助教授に赴任してきた先生に「アメリカでは『質的研究』というものがあるようだから勉強してみたら」とアドバイスされました。「質的研究」という耳慣れない言葉に興味をもった私はさっそく調べてみることにしました。

試験管を振ったりして実験的に調べる研究を自然科学といいますが、人々がどう考えているのかをアンケートなどの手法を使って調べる研究を社会科学調査といいます。アンケートでは統計学的な手法を使って回答の傾向を調べますが、社会調査ではときにアンケートではなく、観察調査やインタビュー調査などによって人間の行動や意識の深い部分を探ろうとするものがあります。これらの手法はアンケートでは知ることのできないような事象の意味などを調べるときに有用な方法論です。

このように、社会調査の中でアンケート調査のようにデータを数値化して統計処理するものを「量的研究」、インタビューなど非数値化データを利用して解析するものを「質的研究」といいます。従来の「量的研究(調査)」に慣れた人たちからすると、数値や統計処理に頼らずに解析する質的研究は客観性に欠けた「いい加減な調査」に見えるようです。質的研究に向けられる批判の多くはまさしくその「客観性がない(に欠ける)」という点(ある意味でこれは無知から来る誤解なのですけど)でした。

でもよく考えてみて下さい。アンケート調査はデータを数値化して統計理論を背景に客観性が担保されているように見えます。しかし、アンケートの回答がきちんと対象者の意見や考えを反映しているとどうしていえるでしょう。アンケートの内容、設問の妥当性が担保されているかという点は重要です。しかし、そこは皆目をつぶっています。アンケートの選択肢にはない回答は「その他」として処理されますが、「その他」の回答の中にこそ重要な情報があるといった場合もあります。

つまり、「量的研究」と「質的研究」のどちらが優れているかという問題ではないのです。その調査に適している方法論はなにか、というところが大切なのです。たしかに質的研究は恣意的なもの、あるいは作為的なものになる危険性はあります。しかし、調査プロセスをしたがって、調査の質を担保する工夫を施し、論理的に結論を見いだす努力によって科学性はある程度担保されます。そのことを私は、質的研究の方法論をその根本から学びながら実感しました。

私はまず「恣意的だ、主観的だ」といわれる質的研究の方法論を一度整理してみようと考えました。質的調査の正当性・妥当性を統計学的に調べようと思ったのです。学生アルバイトを募って、質的研究でおこなう分析の妥当性を検討する実験をしてみました。たった8人ほどの学生を使ったものでしたが、事前に分析のプロセスを決め、複数の分析者による確認作業を併用すれば、「人間の主観はいい加減だ」と一方的に批判されるべきではないことがわかりました。

こんなことがありました。ちょうどこの頃、長男は2歳ぐらいでいろいろなものを口にするので困っていました。携帯電話を手にしてボタンを押すことを覚えて、いろいろなところに電話をかけてしまい、その都度私たちが謝りの電話をかけるといったことがしばしばありました。私のところにもなんどか電話がかかってきて、「もしもし」と呼びかけても返事なし。何度も呼びかけるうちに「スーハー、スーハー」と鼻息だけが聞こえてきます。なにやら「変態電話」のようなコールでした。

あるとき私の携帯をなにげなく見たら、方法論に関する実験を手伝ってくれた女子学生の連絡先に電話をかけた痕跡がありました。若い女子学生のところに用もないのに私が電話をするはずがありません。私はとっさにあの「スーハー、スーハー」という息子の鼻息を思い出しました。私の携帯からの電話を受取って、その「スーハー、スーハー」を聴いて女子学生が勘違いしていないか心配になりました。私は勇気を出してその女子学生にかけ直し、息子が間違ってかけてしまった電話だったとお詫びしました。

彼女たちのような学生を使って質的研究の方法論を検討してみると、質的な調査手法が私がこれからやろうとしている研究に役立つことを確信しました。しかし、指導教官にそうした進行状況を報告しましたが反応はありませんでした。また、医局の中ですら私の研究に向けられる冷ややかな目を感じていました。統計調査に慣れた人たちからすれば、質的研究という聞き慣れない方法論は「統計学的に意味のない調査」に見えたのかもしれません。私はそうしたまるで偏見のような逆風を感じながら研究を続けました。

 

****** 「質的研究(2)」につづくに続く

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