医者の専門性

この記事は平成27年1月に投稿されたものですが、スパムメイルが集中してきたため同じ内容のものを改めて投稿し直します。以下、その記事です。それにしても、最近、スパムが多くて嫌になります。

 

「大病院指向」という言葉があります。これは「開業医よりも大病院を指向する患者の行動パターン」のことをいいます。そして、ここには「大病院に通院する必要がないにもかかわらず」という意味が秘められています。受診した方はおわかりだと思いますが、大病院の待合室はあふれんばかりの人です。その人たちすべてが大病院での治療やフォローアップが必要な人たちとはいえないのが現状です。本来、大病院への通院が必要な人たちが何時間も待たされたり、受診がほとんど一日がかりになる原因のひとつが「本来、大病院に通院する必要がないにもかかわらず大病院を受診・通院する人たち」というわけです。

この「大病院指向」はどうして生まれたのでしょう。もちろん、専門医のレベルが高いと思われているからですが、それ以上に私たち「プライマリ・ケア医(開業医)」のレベルが多くの患者にとって信頼に足るものではないと思われているという点も見逃せません。日本では「開業医だから」という言葉は「レベルの低い医者」というニュアンスをもっています。我々医者の世界でも「あいつは開業医に身を落とした」と言われることがあります。患者の側にも、あるいは医者の側においてですら「大病院の専門医」のレベルが高く、「開業医」のレベルが一段も二段も低く見られている部分があるのです。

でも、我々開業医の多くはそれまで働いていた大学病院などの大病院を退職して開業するパターンが多い。それなのに、「大病院指向」の人たちの中で、なぜ大病院の「有能」だった医者が開業したとたんに「能力の低い医者」になってしまうのでしょう。それには患者の深層心理があります。つまり、大病院にはさまざまな診療機器があって、たくさんの診療科もあり、おなじ病気を何人もの医師たちが見逃しのないように見張っていてくれる、という期待があるから。つまり、言い換えると、ひとりひとりの医者のレベルというよりも、システムとしての大病院の機能に期待しているからです。

私が大学にいたころ、ある先生が診療中に「(大学病院は混むから)私が出張している病院の外来に来ないか」と患者にいったところ、「私はこの病院に来ているのであって、先生の外来に来ているわけではない」といわれてショックを受けていました。これは極端な例としても、少なからずこのような傾向が「大病院指向」の人たちにはあります。もちろん、優れた「大病院の医師」に通院している患者もいるでしょう。そうした医師が開業してもその方は主治医についていくのかもしれませんし、そうした医師は「たかが開業医」とは言われないのかもしれません。

一方で、「開業医」と呼ばれる、いわゆるプライマリ・ケア医にも患者から不信感をもたれても仕方がない部分があります。診れもしない疾患を無責任に診てしまいがちなのもプライマリ・ケア医の陥りやすいところです。あるいは、特定の専門領域を標榜していることを言いわけにして、それ以外には興味も関心もありませんという医療をやっているプライマリ・ケア医もいます。本来、プライマリ・ケアを担っている以上、「専門」以外は興味がないなどということがあってはいけないと思いますが、「自分の範囲外のことは知りません。自分でどこか診てもらえるところに行ってくれ」というプライマリ・ケアが行われていることも残念ながら事実です。

あくまでも私の個人的な考えですが、プライマリ・ケア医の仕事は専門的な治療を必要としない安定した疾患を管理し、ふだんの日常生活によく見られる疾患を治療し、ごくまれに出現する重大疾患を見落とさず、専門医に紹介するタイミングを逸さないこと、だと思っています。普段、診ている患者の99%は問題のない患者です。しかし、その中に潜むごくいちぶの重大な疾患を見逃さない眼と勘をもっていること。それが私たちの重要な仕事であり、また、もっとも大切な役割だと思っています。

深さの専門性があるなら、広さを専門性とする医療もあります。プライマリ・ケア医にはそうした「広さの専門性」がなくてはいけないと思います。と同時に、診れる疾患とそうでない疾患をしっかりわきまえることも大切だと思います。周囲に医療機関がない医療過疎地ではそんな悠長なことをいってはいられませんが、首都圏の都市であれば専門の診療科に任せた方がいい場合はそうするべきです。自分の力量において診れるものは診る。その上で、専門医療機関に任せるべきケースを見落とさないこと。この要素がプライマリ・ケア医には不可欠です。

日本では標榜診療科目に制限がありません。内科医でなくとも開業するときは「内科」を標ぼうできる。それは医師の裁量権を侵すものとしてアンタッチャブルになっている部分です。しかし、医学部卒業後、ずっと内科をやってきた人間から言わせてもらえば、そんなに簡単に「内科」を標ぼうできるほど内科は浅くない。ただ血圧やコレステロールの薬を出していればいいってものじゃないのです。逆を考えてみればわかります。そもそも内科医が「外科」を標ぼうするなんてことはあり得ないし、患者自身もそんなことを望まないはず。それこそまわりに医療機関のない医療過疎地じゃないんですから。

私は「小児科」を標ぼうしていません。もちろん、風邪ぐらいのお子さんは診ます。でも、所詮は「なんちゃって小児科」です。お話しができて、コミュニケーションがとれるような年齢のお子さんじゃなければ責任をもって診ることはできません。どこにどういう症状があるのかが表現できない小児は、小児科の先生の「勘働き」が重要になることがあるのです。ですから、風邪ぐらい(それも内科医としての判断)でお話しのできる小児患者は診ますが、小児科受診がいいと思った場合は「小児科を単独で標ぼうしている医院(つまり、なんちゃって小児科じゃないところ)」を受診するようにおすすめしています。

とはいえ、患者にはどこの医者がどんな医者かなんてことはわからないと思います。その医者の経歴や職歴が詳細に開示されているとは限りませんから。内科医といいながらとても内科医とは思えない医師もいます。逆に、内科以外の医者なのに、その辺の内科医よりもよっぽど内科的な知識や経験をもっている医師もいます。そうなるとどう医師の専門性を考えればいいのか、素人にはわからないかもしれません。ただ、唯一いえることは、普段かかっていて「主治医としての責任感」をその医師に感じるか、が重要だということです。患者としての「勘」っていうのも結構あてになったりするものです。

「じゃあ、おまえはどうなんだ」と言われるかもしれません。胸に手を当ててみれば、正直、後ろめたくなる部分もあります。でも、日々、最新の医学情報を収集し、患者からも、他の医師からも後ろ指をさされない医療をしようと心がけています。私は患者さんにはどんどん「ドクターショッピング」をしてほしいと思っています。主治医を離れて別の医師の診療を受けてはじめて主治医の良さ・悪さがわかりますから。そして、そのことをできれば主治医にフィードバックしてほしい。そうすることで医師も進歩すると思います。「患者は医師の教科書」っていいますし。それでもし、主治医と方向性があわないと思ったら別の医者を探す。今はいくらでも医者がいますから。私もそんな緊張感をもって診療しているつもりです。

 

 

 

 

 

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