健さんに想いは届いたか

この記事は平成28年11月に投稿されたものですが、スパムメイルが集中してきたため同じ内容のものを改めて投稿し直します。以下、その記事です。

 

夏、恒例の番組と言えば日本テレビの「愛は地球を救う 24時間テレビ」だと思います。私は「あまのじゃく」なので、あの手の番組が偽善に見えたり、「お涙ちょうだい」に見えたり、ひょっとすると社会的弱者がマスコミの商業主義に利用されているように見えたりするので、24時間テレビの放送をしているときはまったくといいほど日本テレビにチャンネルをあわせません。ですから家族が24時間テレビを見ていようものなら、「なんかさ~」とケチをつけては家族のひんしゅくを買っています。

ところが今年はその24時間テレビでちょっとしたハプニングがありました。「今年の24時間テレビは二宮君が硫黄島を訪れたときの様子を紹介した番組がよかった」と友人から聞いた家内はその番組をDVDに落としてもらいました。家内は夕べ、そのDVDをリビングで見ていたのですが、かねてから映画「硫黄島からの手紙」で二等兵を演じた二宮君の演技のうまさに感心していた私もつい一緒にその番組を見てしまいました。なるほど噂どおりよかったのですが、その番組のあとに放送した「岡田准一君が高倉健さんのゆかりの地と健さんと親交のあった人たちを尋ねる番組」にそのハプニングはおこりました。

なんと私が健さんを偲んで書いたメッセージがテレビ画面いっぱいに映し出されたのです。今年の夏、私たちは家族四人で北海道を旅行しました。久しぶりの北海道でした。この旅行の目的は昨年亡くなった大学の後輩の遺影にお線香をあげることと、同じく昨年亡くなった高倉健さんを偲んで夕張の「黄色いハンカチの撮影現場」に行くことでした。とくに後者は、映画「黄色いハンカチ」が大好きな小学校三年生の次男も、是非そのときに使われた車(マツダ ファミリア)を見てみたいといっていたこともあって、今回の旅行のメインイベントになっていました。

千歳空港についた私たちはさっそく「黄色いハンカチ」が撮影された夕張を訪れました。その撮影現場には映画で使用された建物が残っていて、そのひとつに入っていきました。そこには次男が見たいと言っていた映画に出てきた実際の車が展示されていました。また、その建物の内部にはメモ用紙ほどの黄色い付箋が壁と言わず、天井と言わず、何万枚・何十万枚という数が貼られていました。私も家族も、天国の健さんに自分の思いを伝えようと各自ひとこと付箋に書きました。私は「高倉健様 あなたの雄姿にどれだけ力付けられてきたかわかりません。安らかにお休みください」と書きました。あらかじめ考えていたわけではないのでなんだか気持ちがたかぶってしまっていい文章にはなりませんでしたが。

でも、そのときの私の付箋がでかでかとテレビ画面に映ったのです。そのとき、なんだか自分の思いが健さんに届いたような気持ちがしました。あの付箋が私のものだとは私でなければわからなかったでしょう。私がいつものように「24時間テレビなんてさ~」とこの番組を見なかったら、誰もこのことを知ることなく終わっていたはずです。だから、テレビ画面に私の付箋が出てきたとき、私の思いが健さんに届いたような気持ちがしました。もちろん健さんには会ったこともありませんし、健さんは私の存在すら知らないのですが、今回のハプニングは「人知れず頑張っている人が好きな健さん」が私を励ましてくれたように感じられてとてもうれしかったです。

11月で健さんが亡くなって1年になります。それを思い出すたびに、昨年、ニュースで健さんの訃報に接したときの虚無感がよみがえってきます。でも、健さんは言っているんだと思います。「人間には順番がある。今度は俺の代わりにみんなが次の世代になにかを引き継ぐ番だ」と。私はあまのじゃくですし、これといって取りえがあるわけでもありません。でも、そんな私にもなにか次の世代に引き継ぐべきものがあるのかもしれない。それがなにかは今はわかりません。ひょっとすると、それがわからないまま人生が終わってしまうのかもしれません。でも、次の世代が私の背中を見てなにかを感じてくれるような、そんな人間に近づけるよう頑張りたいと思います。うれしくて今晩も眠れそうにない。

※「高倉 健、永遠なれ」もご覧ください。

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