当たるも八卦(はっけ)

この記事は2016年8月21日にアップした原稿を修正・加筆してものです。医師会雑誌への投稿依頼があったのを機に、送られてくるスパムメイルが多かったこの原稿を書き直ししました。細かい部分は一部変更されていますが、大筋ではこれまで通りです。ご了承ください。

人は青年期にいろいろな悩みに直面するものです。そのときの不幸を嘆いたり、うまくいかないことにため息をついたり、そこはかとない不安を感じたりと内容はさまざまです。還暦を迎える私も、青年期には自分の進むべき道に迷っていた時期がありました。もともと悩みを相談できる友達もいませんでしたし、家族に相談したこともありません。ですから、青年期の不安や孤独を感じても、自分の中で出口を探しながらもがくことしかできませんでした。

青年期の悩みを解決する手がかりを求めていろいろな本を読みました。それは亀井勝一郎の人生論だったり、加藤諦三の心理学の本だったり、あるいは当時NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が書いた「男は20代でなにをなすべきか」だったり。手当たり次第に読んでいました。もともと好きだった山本周五郎や井上靖、石川達三や司馬遼太郎の小説なども、心の琴線に触れる場所を探しながら読み返していました。きっと私なりに試行錯誤していたのだと思います。

そんなとき母親に「よく当たる手相占いをする人がいるから行ってみないか」と誘われました。それまで自分の悩みを親に打ち明けたことはなく、ひょっとして母は私の悩む姿を見かけて心配してくれたのかもしれません。それにしてもはじめは「手相かよ」と思いました。占いなどは抽象的なことを言って当たったように思わせる詐欺みたいなもの、といった印象を持っていたからです。しかし、溺れる者はわらをもつかみたくなるものです。私はその占い師の家に行ってみることにしました。

事前に手相を見てもらっていた母親は「とても当たるんだよ」と興奮気味です。でも、母が前のめりになればなるほど私は懐疑的な気分になりました。東急東横線の「学芸大学駅」で降り、住宅街を歩いていくと、まるでドラマに出てくるような木造モルタルの古いアパートに到着しました。そして、さび付いた外階段を二階へあがったところにその部屋がありました。にこやかに出迎えてくれた占い師は白髪に白いひげをたくわえた老人で、当時すでに80歳を超えているように見えました。

室内は小奇麗に片付いており、六畳ほどの古い部屋の四隅の柱には小さな神棚が祀ってありました。奥さんとおぼしき女性が、私たちが持参した菓子折りの礼を言いながら菓子を神棚にそなえました。母親がいうには、その占い師は商売で見ているのではなく、あくまでも趣味で占っているとのことでした。とはいえ、老人のその風貌といい、住んでいる部屋の雰囲気といい、小机の上の占い道具といい、占い師としては趣味の域を超えているように思えました。

「まずここに生年月日と名前を書いてごらん」。私は老人に言われるままに生年月日と名前を書きました。すると彼は、私が書いた文字を虫眼鏡でのぞきながら、広告チラシの裏紙に計算式を書き込んでは古びた表紙の本をなんども開いてなにかを書きとめていました。私はそんな老人の様子を見ながら「インチキ占い師じゃなさそうだ」と思い始めていました。しばらくして彼は「そろそろ手相を見せてもらおうか」と言いました。私は恐る恐る手を差し出しました。

老人は私の左右の手のひらを何度も見くらべながら、手のひらのしわを伸ばしたり、虫眼鏡をのぞき込んだりしていました。そして、ときどき私の顔を見てはまた手のひらを見るという動作を繰り返しました。まるで儀式のような作業をひととおり終えると、にこやかに私の方を向いて「なにについてお話しすればいいかな?」と自信ありげに言いました。私はすぐに本題に入ることをためらいました。なぜなら「抽象的な言い方でごまかす詐欺」という不信感がまだくすぶっていたからです。

しかし、老人は占い師らしく切り出しました。「なにか悩みがおありのようだが、君の中では結論が出ているんじゃないかな?」。そう言い切った彼は私の悩みを見通しているかのようでした。当時の私は医学部の受験を控えて迷いがありました。落ちたらどうしよう、落ち続けたらどうしよう。失敗したときのことを考えるたびに、医学部以外の無難な道を選んでしまいそうになっていました。でも、この老いた占い師の前に座っている私の中で、それらの不安が薄れていくのがわかりました。

「でも、君が出した結論は正しい。いろいろ悩んだと思うが、再来年にはいい年がやってくるから頑張りなさい」。すべてはこの言葉で決まりました。そして、彼は紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書いて私に渡しました。さらに続けました。「自宅周辺の白地図を買ってきなさい。そして、自宅から西の方角に線を引くと神社がある。そこの湧水をもらってきて飲みなさい」。「神社?湧き水?」。私はすっかり老人の言葉にひきつけられていました。

その占い師の部屋には1時間余りいたでしょうか。帰る途中で白地図を購入し、自宅でさっそく地図上に線を引いてみました。するとどうでしょう。真西に引いた直線のまさに線上、自宅から直線距離にして7㎞あまりのところに神社がありました。今までそんなところに神社があるなんて思ってもいませんでした。それをのぞいていた母は「すごいっ!」と興奮気味。もちろん私も驚いていました。いてもたってもいられなくなりその神社に行ってみることにしました。

その神社は静かな森にかこまれ、厳かな雰囲気の漂う場所にありました。想像していた以上に立派な神社です。私が訪れたとき、参拝者はおらず、ひとりの宮司が竹ぼうきで石畳を掃き清めていました。あたりを見渡しても、あの老人が言った湧き水をもらえそうな場所がありません。私は掃除をしている宮司に尋ねてみました。「すみません。この神社に湧き水はありますか」。するとその宮司は境内の奥を指さして言いました。「それならこの先の突き当りにありますよ」と。

宮司に教えられたとおり、神社の参道をまっすぐ歩き、境内の一番奥まで行ってみました。すると、その片隅にひっそりと湧き水の出る井戸がありました。その水をもらっていくための容器まで置いてあります。私はあの老人の占いが具体的に当たっているのに感心していました。神社の場所も、また、そこで湧き水をもらえることも言われたとおりだったのです。私は指示された通りに飲めばなにかいいことがあるのではないかと思いながら、その水を自宅に持って帰りました。

その後の私の人生はその占いの通りになりました。翌年の受験(北大以外の大学)には失敗したものの、次の年、北海道大学医学部に合格したのです。あのとき老人は私に渡した紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書きました。北大に受かったとき「占いは外れたなぁ」と思いました。札幌は自宅の北に位置していると思ったからです。しかし、よく調べてみると札幌は自宅の北東。最初の受験に失敗することも含めて実は「予言」通りだったのです。

あの時、「なんでもいいから質問しなさい」と言われた私は、真ん中でぷっつりと切れていた自分の生命線を見てもらいました。手相など信じていなかったとはいえ、生命線が途切れていることはやはり気になっていたのです。すると老人は微笑みながら言いました。「手相って変わるんだよ。大丈夫、この線は必ずつながるから」と。その後、ときどき確認していましたが、いつしか生命線はつながって、今では途切れていたことがわからないほどになっています。

今、振り返ると、あの占いはいろいろなことが的中していました。面白半分に「結婚は何歳になりますか」と尋ねてみたときのこと。老人は「一番いいのは40歳ぐらいのとき。だけど、その前に二度チャンスがある」と言いました。当時の若かった私は「40歳なんてオッサンの歳で結婚するのか?」と苦笑いをしたものです。しかし、老人に指摘された年齢にお見合いをしたのも当たりならば(しかも二回とも)、40歳ならぬ38歳で「運命の人(今の家内です)」と結婚したのも不思議な一致です。

人は「占いの結果に引きずられたんじゃないの?」と言います。でも、意識的にそうなろうとしても、なかなかなれるものではありません。思い通りの人生を歩める人もいるかもしれない。でも、ほとんどの人生は思い通りにはならぬもの。岐路に立たされた時の判断がベストだったかどうかはあとになってわかります。その時の判断が適切だったかどうかではなく、ひとつひとつの判断の積み重ねが人生そのものなのです。その意味でもあの占いはすごいと思います。

手相を見てくれた占い師はすでに「鬼籍の人」だと思います。でも、彼は私の記憶に残る「奇跡の人」でもあります。あの後、何人もの知り合いが私の話しを聞いて手相を見てもらいに行きました。しかし、何人かの人は「占いを信じない人の手相は見ない」と追い返されたと聞きます。なのに彼は、占いを信じていなかった私を「面白い人だから連れてきなさい」と母に言ったそうです。もしかするとあの老人は、その後、ほぼ自分が占った通りになる私の人生をすべてお見通しだったのでしょうか。

当たるも八卦(はっけ)」への2件のフィードバック

  1. 「船戸内科医院」 瀬畠克之先生

    6月の短歌通信2020年をお読み下さいましてありがとうございます。
    貴重なコメントを寄稿していただきまして、誠にありがとうございます。
    大変励みになります。
    今月は「船戸内科医院」 先生のブログも抜粋させていただいて、花を添えていただきました。

    世界に散らばっている友人知人家族や、教え子達に短歌通信を発信して12年になりますが、Gブログを始めてからまた新しい方々に読んでいただけてありがたいです。
    これから、先生のブログも紹介させていただきます。

    7月4日の「当たるも八卦(はっけ)」の記事も楽しく読ませていただきました。聡明なお母様、見事な手相占い師の御陰で、日本に「船戸内科医院」の誕生。多くの方々が恩恵に預かっておられることでしょう。

    信じる者は救われるーと言う言葉を思い出しました。先生の悩み多き青年期に、その誰もの手相は見ない、高徳な占い師に出会われた事も、幸せな運命でございました。

    黒岩千次の随筆の中に”高校時代は人生の胚芽期である”という文があります。その人生で一番大切な時期であるということで、私達『日本AIZU米国友好顕彰会』』(先生の勉強を始められた世界史にも関係しますので、また短歌通信で紹介します)の中に「(世界の)高校を応援する会」の部があります。

    それから「若き政治家を応援する会」日本・世界 の部もあります。
    今日は東京都知事選挙の日。もう投票が始まっていることでしょう。
    私達は会として、日本の若き政治家を応援しています。 世代交代。利他の精神で、東京都民、若い人達のための政治を、と声援を送っています。自分の名声肩書きのための現都知事では、東京・日本は変わりません。

    一人で立候補した粉骨精神の持ち主の小野泰輔氏(会の中に東京大学関連の人達もいて応援する事に)や、反新自由主義の小さな政府に反対する弱者の味方で、立候補の山本太郎氏を応援しています。コロナ禍の中最後まで街頭演説で訴える若い力で、多くの若い人達が選挙に行ってほしいと念じています。

    では「船戸内科医院」ブログの愛読者の方々、瀬畠先生、日本も新型コロナ感染者が増えて来たようですが、死亡者は0人。
    それに私達の住んでいる、米国カリフォルニア州サクラメント( Confirmed 3,587 +162 Deaths 69 +1)に比べれば100分の一です。瀬畠先生のご発言を信じて、ご自分の体力を信じて、免疫力をつけてそれぞれの道でご活躍下さいませ。
     
    サクラメントより。現地時間7月4日午後6時37分 
     PS:よろしければ、私のGブログ 短歌通信もお読み下さいませ。ブログ記事一覧-短歌通信 – blog.goo.ne.jp

    • 山根洋子コリンズさま

      コメントをありがとうございました。
      また、当方ブログのご紹介をありがとうございました。

      巷をめぐる情報は錯そうし、ともすると声の大きな人たちの意見ばかり
      が重視される傾向にあります。
      その中で、私のブログも、あるいは洋子さんのブログも、別の角度から
      事象をとりあげる素材として、市井の人たちがふと立ち止まって考える
      きっかけになるといいですね。

      今のアメリカの混乱は、ある意味で正しい世界史がきちんと理解されて
      いないことが少なからず原因になっているように思います。
      歴史の重要性は、いいことも悪いこともすべてをひっくるめてより良い
      未来を築くという一点にあると思います。
      今の価値観で過去のことをあげつらうことも、ましてや誤った歴史観に
      とらわれて短絡的な行動をとることも、決してよりよい未来にはつなが
      らないと思っています。
      その意味でも、アメリカも、また日本もマスコミの在り方は大きく問わ
      れなければならないでしょう(話しが長くなるのでやめておきます)。

      一日も早くアメリカの混乱がおさまることを願ってやみません。
      Make America Great Again!

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