前を向いて歩こう

2015年が暮れようとしています。この一年を振り返るといろいろなことがありました。世界を見渡しても、また、日本を見ても、あるいは我が家にとっても2015年(平成27年)という年は必ずしも平穏無事な年とはいえなかったように思います。

我が家にとっての一番の出来事は、82歳になる父親が脳梗塞になってしまったということです。ちょうど一年前、父親は整形外科で受ける手術のために病院に入院しました。幸い、そのときに入院後の経過は良好だったのですが、退院後に今度は母親が交通事故で入院したこともあって父は高齢者施設に一時入所。そんな環境になじめるはずもない父親にとってはストレス続きだったのかもしれませんが、母親が退院して間もない夏にとうとう脳梗塞になってしまいました。

当初は軽い左上下肢の麻痺と軽度の構語障害程度だったのですが、入院中に再梗塞と思われる症状の増悪があって左上下肢はほとんど動かなくなり、言葉も聞き取れないほどになりました。幸い、リハビリで症状はだいぶ軽減し、杖を使えばなんとか自分で歩けるようになりました。あわせてやっていただいた言語療法のおかげで会話もなんとかできるほどにまで回復しました。脳梗塞後のリハビリはもとの体に戻るためのものではなく、そのときに残っている身体機能を維持するもの、という認識しかもっていなかった私にとって、父の回復はある意味で驚きでもありました。

もちろん、母親の交通事故も驚きはしました。81歳という高齢での運転は危険だと常々思っていましたし、母親の運転を見ていていつかは運転をやめさせよう(母はそれまでにすでに2回の事故で車を全損廃棄しています)と思っていました。しかし、母はどうしても車を運転するといってきかなかったので、「少なくとも他人を乗せて走るな」となんども注意していました。ですから、母が事故ったと聞いたときは「他人を乗せていなければいいが」という点では心配しましたが、不思議と命にかかわるような怪我ではないだろうとそれほど心配していませんでした。

幸い、母の怪我も大したことはなく、他人も乗せていなかったのが不幸中の幸いでした。しかし、この事故は母親よりもむしろ父親にとってショックだったのかもしれません。その後、脳梗塞を発症してしまい、その後遺症は父を今まで以上に老け込ませました。認知症状も進んだせいもあるかもしれませんが、”とんがって”いた若い時の面影はすっかりなってしまいました。感情失禁のせいで昔話しをするとすぐに泣き出したり、なにごとも病院や施設の職員の手を借りなければなにもできない父親を見ていると、今の父はまるで別人のようです。

先日、父の入所している施設にお見舞いに行ったとき、居室で母と泣きながら話しをしていました。なにを話していたのかと尋ねると、「札幌にもう一度行ってみたい」と言って泣いているのでした。私がまだ札幌にいたころは、ちょくちょく母と札幌に遊びに来ていました。そして、両親を車に乗せては道内を小旅行などして走り回ったものです。私が札幌にいた期間は10年以上にもなりますから、両親も道内を行き尽くしたといってもいいほどです。そのときの楽しい思い出を父親は懐かしんでいたのかもしれません。

「札幌にもう一度行きたい」と言って泣いている父親を見ながら、若くて元気だったころの父を思い出していました。きれい好きで、身なりもきちんとしていて、さっそうと歩いていたころの父。その父を思い出し、その分だけ、今、目の前にいる老いた父親がとても哀れでなりませんでした。そして、できるならもう一度あの頃に戻れればとも思いました。しかし、その一方で、あのとんがっていた若い頃の父親の姿が私の心の中によみがえってきました。家の中ではいつも不機嫌そうに怒ってばかりいた父。イライラを家族にあたることでしか解消できなかったのでしょう。その頃の父親を思い出すと自然と気持ちが沈みます。

そんなことを考えながら、父親も「あの若かったときに戻りたい」と思うのだろうかと想像していました。いつも不機嫌だった父は父なりに感情のコントロールができないことに苦しんでいたのかもしれません。父は7人兄弟の一番下でしたから、親の愛情と庇護を十分に受けることができなかったのだと思います。その満たされない感情がいつも彼を不機嫌にしていたのでしょう。その満たされない心の渇きを家族にぶつけていたのです。そのときの父を支配していたそんな感情を彼自身ふたたび望んでいるとは思えない。そのことに父が気が付けば(気が付いているのかもしれませんが)、今もまんざら悪くないと思うかもしれません。

そう考えると、両親がずいぶんと年老いて、その分だけ私も歳をとり、いろいろなことが輝きを失いつつあるように感じながらも、今は「それほど悪くはない」と感じるのです。そもそもが「今が一番幸せ」という実感がありますから。いつも家庭の中が暗く、家庭内の不和という心の中のずしりと重いおもりが沈んでいる感覚から逃れられなかった子供時代と比べれば、今はなんと幸せなことか。なかなか理想通りにはいかないけれど、家族全員が笑顔でいられることの幸せは何にも代えがたいものだと実感します。

要するに考え方なんだと思います。それにあれだけ嫌な思い出として残っている自分の子供時代があるからこそ今の幸せがある、ともいえるのだし。シラーの有名な詩があります。

時にはみっつの歩みがある。
未来はためらいながら近づき、現在は矢のように飛び去っていく。
そして、過去は永遠に、静かにたたずんでいる。

私はこの詩が好きです。未来を肯定し、過去を否定しないこの詩は人間の生き方をとても豊かにしてくれると感じます。ひとにはそれぞれが与えられた運命があります。その運命は変えることはできません。なぜなら、過去は消し去ることはできないからです。だからといって、未来を絶望する必要もありません。なぜなら、今を変えることはできるからです。この秋、私がこれまででもっとも感動した試合をしてくれたラグビー日本代表のヘッドコーチであるエディー・ジョーンズが選手たちに問いかけた言葉があります。

過去は変えられるか? もちろん変えられるはずがない。
では、未来は変えられるか? いや、変えられない。
ただし、今を変えれば未来は変えることは可能だ。

変わりゆく世界情勢も、日本ととりまく環境といった大きな問題もそうです。人間ひとりひとりの人生も、過去を悔み、消し去ろうとしてもそれはできない。愚かなのは、過去にとらわれて歩みを止めてしまうこと。ましてや後退するなんてことがあってはいけません。そうではなくて、過去を糧として今を変える。その今が未来を切り開いてくれる。そう信じることが大切だということなんだと思います。今年一年いろいろなことがありました。そのすべてを総括して来年に向かって今を生きる。来年はそんな毎日にしたいと思っています。

今年一年、大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
来年が皆様にとってさらに素晴らしい年になりますように。

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