好きな映画(1)

生まれてはじめて映画館で観た映画は邦画の「日本沈没」と言う映画でした。私が通っていた中学は御徒町にある、「台東区立御徒町中学校(通称、オカ中といいます。萩本欣一さんや天海祐希さんも同窓)」という公立の中学校でした。どうして私が「東京の中学校に通いたい」と言い出したのかわかりませんが、当時、同じ台東区にある蔵前警察署に勤めていた父親の伝手でオカ中に通うことが決まったのでした。

当時はこうした「越境通学」をする生徒が比較的多く、オカ中では私の学年では5クラスの内のひとクラス分の生徒が近隣の街や他県から通っていました。あのころはまだ「ゼネスト」という国鉄のストライキが春の恒例行事となっていて、ちょうどそのころ中間テストだったりするものですから、私たちのような越境組の生徒は上野の旅館などにとまって試験を受けた楽しい記憶が思い出されます。

オカ中にはいろいろなバックグラウンドを持つ生徒がいて、サラリーマンの子どもはもちろん、実家が商売をしている生徒や在日韓国朝鮮人の生徒も多数いました。同級生には上野の旅館の倅(せがれ)がいて、ゼネストのときは彼の実家に泊まって試験勉強しながら定期試験を受けました。概して越境組の生徒は優秀でしたから、どの子もちゃんと勉強をしていましたが私はと言うと・・・。ご想像のとおりです。

我孫子から満員電車に揺られて上野で乗り換えて御徒町へ。たかだか1時間ほどの通学時間でしたが、今思うと中学生にはずいぶん厳しい通学でした。学生かばんの中には入り切らない教科書やノートは「マジソンバック」と呼ばれる、当時ものすごく流行ったスポーツバックに入れて通うのですが、これがまた半端なく重いのです。それを殺人的な満員電車のなかで持ち続けるのですから本当に大変でした。

この混み方は今の比じゃないくらいすごいものでした。車両の連結部分の扉のガラスがときに割れるくらいでしたから。ですから、座席に腰かけている優しいおじさんなどは同情してか、ときに「持ってあげようか」と言ってくれたりしました。柄の悪いことで有名な常磐線でしたから、押した押さないで喧嘩がはじまることもしばしばで、当時の通学は実に苛酷なものだったのを覚えています。

そんな通学のときに車窓から見える上野の映画館街の大看板は、中学生になった私の目にはとても刺激的でした。いかがわしい映画の看板には絵こそ描かれてはいませんでしたが、なにやら刺激的な言葉が並んでいましたし、ロードショーの大作映画の看板にはワクワクするようなひとコマがまるで写真のように描かれていて、いつも「あの映画、観たいなぁ」と思いながら眺めていました(もちろん超大作映画の方です)。

そんなときに映画「日本沈没」が封切られました。当時、日本には超大型の地震がやってくるということでもちきりでしたから、その地震をきっかけに日本列島が日本海溝に沈んでいくというストーリーは中学生の興味を引き付けるには十分でした。友だちを誘ってその映画を観に行ったとき、私はなんとなく悪いことをしているような、それでいて自分が少し大人になったような気持ちがしていました。

映画の具体的なストーリーは忘れてしまいましたが、それ以来、たまに映画を観に行くようになりました。とくに丸の内の映画館街は、館内の雰囲気といい、映画館周辺の風景といい、歩いているだけでワクワクする特別な場所になりました。そんなこともあって、高校生や大学生になっても映画館に行けるときは直接映画館で、また、ビデオが借りられるようになってからはレンタルでよく映画を見ていました。

決して記憶に残る映画ばかりではありませんが、今見てもなお感動する名作というものがいくつかあります。今回はそんな映画のいくつかをご紹介します。

まず、なんといっても「ローマの休日」ですね。私の中学生の頃といえば、すでに以前のブログでも紹介したように、無気力だった小学生が少しだけ成長して、家庭教師の大学生が作ってくれた「やるきスイッチ」に、ほのかな恋心をいだいていた同級生の女の子がスイッチを入れてくれた時です。このころは思春期だったせいか、「恋に恋する乙女」のように「カーペンターズ」の歌ばかり聴いていました。

その中学生のころにフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」かなにかで放送した「ローマの休日」は中学生だった私の心をがっつりつかんでしまいました。ヘプバーンの美しさやグレゴリーペックのカッコよさ、あるいは大人の恋への憧れというよりも、最後の切ない二人の別れにものすごくインパクトを受けたんだと思います。最後にグレゴリーペックが広い回廊をひとり去っていくシーンは今も素敵だと思います。

宿泊先のお城を抜け出し、窮屈なアン王女を演じることから解放され、新聞記者ブラッドレーとカメラマンのアービングとの三人で過ごしたローマでの休日は、映画を観ている私自身がまるで三人と一緒にローマにいるような気持ちになれる素敵な映画でした。ローマの観光名所をたどりながら、さまざまな事件にまきこまれる珍道中ぶりは観ているすべての人を引き込みます。音楽がまたよかったですよね。

なんといってもグレゴリーペックが演じるブラッドレーがとっても紳士でした。この映画をはじめて観たとき、中学生ながらにブラッドレーって常識をわきまえた大人だなって思ったのを覚えています。映画の最後、帰国会見で目にうっすら涙を浮かべながらなにも言わずにじっと王女を見つめるブラッドレーの姿がとても印象的でした。グレゴリーペックの人間性もにじみ出ていてブラッドレーは彼のはまり役です。

実はカメラマンのアービングも嫌いじゃないんです。はじめは「このスクープ写真はいい金になる」と思って隠し撮りしているのですが、最後は「もうそんなことはどうでもいい」と思ってしまう。最後の王女との会見で彼はすべての写真を渡してしまう。「あなたとの思い出はこの写真だけにとどめておきます」とでもいうように。適当でチャラいようで実は、ってキャラクターがいいですね(実社会にはいませんが)。

もうひとつ好きな映画を紹介するなら「フライド・グリーントマト」。この映画はあまり知られていないのですが、たまたま衛星放送にチャネルをあわせたときに放送していて見入ってしまったものです。医者になって毎日忙しくしていた頃にこの映画を見たからか、あるいはこの映画の挿入曲が懐かしいものばかりだったからか、ノスタルジックなこの映画の独特な世界にはまってしまったことを思い出します。

内容的にはいささか荒唐無稽なところもないわけではないのですが、それでもアメリカ南部の雰囲気が感じられる(とはいえ行ったことはありませんが)いい映画です。主演はジェシカ・タンディーというおばあちゃん女優とキャシー・ベイツというおばちゃん女優のふたりです。ふたりとも、この映画の役柄にぴったりでしたし息もぴったり。他の脇役の人達も魅力的な俳優ばかりで結構楽しめます。

とくにジェシカ・タンディーは、この映画の前に「ドライビング ミス デイジー」という映画でアカデミー賞主演女優賞をとっています。こちらも素晴らしい映画で、この映画の続編が「フライド・グリーントマト」じゃないかと思うほどに役柄が重なります。こんな素敵なおばあちゃんがいたら、どんな相談にも乗ってもらえそう、って思います。なにより彼女の「しわやしみを隠さない美しさ」が素晴らしかった。

老人ホームで偶然このジェシカ・タンディー演じるニニーと偶然出会ったエブリンをキャシー・ベイツが演じています。いつも不満ばかりを抱え、生きることに行き詰っているエブリンは、ニニーの語る物語にどんどん引き込まれていきます。そして、ついに「こうしちゃいられない」と生まれ変わることを誓います。自分を犠牲にして不満ばかりを抱える人生ではいけないことを悟るのです(まるで私の人生のよう)。

結構などんでん返しがあったり、見せ場がいろいろなところに散らばめてあります。私はこの映画を見てから、スクロギンズ牧師を演じた俳優(リチャード・リール)が実はいろいろな映画にちょこっと出演しているのに気がつきました。代表的なのはハリソン・フォード主演の「逃亡者」。この映画で、ハリソン・フォード演じるキンブル医師が移送されるときに護送車に同乗していた警官がリチャード・リールです。

まだまだよかった映画はたくさんありますが、最近観た「ボヘミアン・ラプソディ」もなかなかでした。この映画に出てくるクイーンというロック・グループを私は高校生の頃、リアルタイムで聴いていました。ですから、他の世代の人達以上にそのクイーンにもっているイメージは強固です。そんなこともあって、この映画でフレディ・マーキュリーを演じるラミ・マレックという俳優にどうしてもなじめませんでした

「いい映画だ」「涙がとまらなかった」という高評価を耳にしても、はじめはなかなか観に行こうとは思いませんでした。自分の中でのフレディは、大男で、とても男性的なイメージがありました。しかし、ラミ・マレックは小柄で、男性的なイメージから少し離れている、なよなよっとした、どちらかというとバイセクシャルな印象が強調された、そんなマイナスの印象しかもっていなかったのです。

しかし、上映期間を確認してあと数日で観れなくなるとわかったとたん、突然「映画館に行こう」と思い立ちました。はじめは家内と行こうと思ったのですが、すでに用事が入っていたので断られ、今度はクイーンを聴いていた頃の私と同じ世代の息子に声をかけましたが「なんで俺が行かなきゃいけないんだよ」と断られました。高校生のころの自分の思いが伝わればと思ったのですが、結局ひとりで観に行きました。

もう少しで上映期間が終わるというのに結構な客が入っていました。私よりも少し上の世代の夫婦や、私と同じ世代の父親がこれまた私の息子と同じ年格好の子どもを連れて見に来ているケース、もちろん私のようにひとりで観に来ているおじさんも少なくなく、この映画を支持する年齢層が比較的幅広いことを示していました(その結果、今でもこの映画は上演されていて興行収入も100億円を突破しました)。

実際に見ていると、ラミ・マレックへのネガティブな印象は否めませんでしたが、しかし、それを上回るくらいの感動がありました。フレディがバイセクシャルで、最後はAIDsを発症して亡くなったことは知っていましたが、クイーンというグループの周辺でどのようなことがあったか知らなかっただけに、あの映画ですべての楽曲の雰囲気が自分の中で変わっていき、あらたな感動が生まれてきました。

クイーンの歌の中でもとくに好きなのが「Radio Ga Ga」です。ラジオからながれてくるこの歌を聴いていたときの思いがよみがえってきます。中学校でようやく立ち直れた矢先、進学した高校に失望して無為な2年間を過ごしてなんとか大学へ。そんな中で医学部への再受験を決意し、ようやく「しっかりしなきゃ」という思いになりはじめたころの歌です。改めて聴くとそのときの前向きな気持ちがよみがえってきます。

映画の最後、ばらばらになりそうだったクイーンがまた心をひとつにして「Live Aid」というチャリティライブに挑みます。そのときのシーンで流れたあの「Radio Ga Ga」にはやはり胸に込み上げるものがありました。映画を観る前、前評判を聴いて「クイーンの映画を観て涙なんか出るもんだろうか」と疑っていたのですが、映画でクイーンのバックグランドを知るとはやりあのシーンは感動します。

以前であればそれほどにも思わなかった「Love of my life」という歌もあらためて好きになりました。フレディにはデビュー当時、メアリーという恋人がいました。のちにフレディが男性の恋人に夢中になってしまうのですが、それでも彼女は陰で彼を励まし、支えていました。映画ではそのメアリーを演じるルーシー・ボウイントンがとてもきれいでしたが、そのメアリーに捧げるように歌ったのが「Love of my life」です。

その歌が生まれた背景というものを知ると、その歌のイメージが変わってもっと好きになることがあるんだと改めて実感しました。クイーンのLPレコードは何枚かもっています。「ボヘミアン ラプソディ」という映画を観てそのレコードを今改めて聴いてみると、高校生のころに感じたものとは異なり、なにかもっと深い情感のようなものが湧いてきます。音楽って、また、映画ってやっぱり素晴らしいものですね。

ちなみにフレディはとても日本びいきでした。自宅に庭師を呼んで日本庭園を造っていたくらいですから。クイーンの世界的な人気が日本から火が付いたからかもしれません。フレディは大の猫好きで、日本にお忍びできては骨董品の招き猫を収集していたことが有名です。映画の中でも、フレディの部屋には額に入れられた金閣寺のお札が飾られていたりして、日本人にはとても誇らしい気持ちになれる映画です。

もっといろいろな映画を紹介したいのですが、ついつい長々と書いてしまいますのでまた今度にします。今回はこのぐらいにしておきたいと思います。

 

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