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院長が気まぐれな雑感を述べます。個人的な意見が含まれますので、読まれた方によっては不快な思いをされる場合があるかもしれません。その際はご容赦ください。ほんとうに気まぐれなので更新は不定期です。
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歴史の転換点

今回の原稿は、いつも当ブログを読んでいただいている、アメリカ・カリフォルニア州在住の日本人Yokoさんの「短歌通信」に掲載されたものです。
混沌とした現在の世界情勢、ならびに世界各地で勃発する戦争と争いについて感じたことをまとめています。Yokoさんのご了解を得てこれを掲載します。
ご自身の思想・心情と異なった内容によって気分を害された方にはあらかじめお詫び申し上げます。

******************** 以下、本文

1991年も終わろうとする12月末のことでした。札幌のアパートの自室で私は、モスクワ・クレムリン宮殿の丸い屋根に掲揚されていた鎌と槌、五芒星の赤色旗が降ろされるのをTVで見ていました。ソビエト社会主義共和国連邦がついに消滅したのです。人民に自由を許さず、反体制には粛正を繰り返す一方で、政権は腐敗し、経済運営はもはや修復不能なほど深刻になっていたソ連。国民に行き場のない閉塞感をもたらしていたその共産党一党独裁の国家は静かに幕を下ろしました。

ベルリンの壁が崩壊したのはその2年前。あれほど強固で高く、そして冷たい壁が、東西のベルリン市民の手で壊されていく光景に私は心の中で「歴史の転換点だ」とつぶやきました。壁につるはしを振り下ろす人たちのまなざし、そして、分断されてきた東西ベルリンの市民が抱き合って歓喜する姿は、冷戦が終わったことを実感させるものでした。それからほどなく世界中の社会主義諸国を支配していた超大国ソ連が瓦解するとは想像だにしていませんでした。

経済の低迷が続き、人民に厳しい生活が強いられる中、短期間で繰り返される権力闘争。それはまた共産主義の限界をも意味していました。そんなときに「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」を掲げ、西側諸国との相互依存、他の社会主義諸国との対等な関係を目指そうとゴルバチョフがソ連共産党の書記長になります。彼にはこれまでのソ連の指導者にはない魅力がありました。ソ連の国民はもちろん、東欧諸国の国民も、西側の指導者たちでさえも期待と希望をもったに違いありません。

しかし、「自由」を知らない共産主義国家の人民にとって、ゴルバチョフが導入しようとした「自由」はまさに「禁断の果実」でした。国民にゴルバチョフは、極楽の蓮池の縁に立って地獄に蜘蛛の糸を垂らす釈迦に見えたかもしれません。自由を求める声はやがて人間の強欲な本性をあらわにし、その大きなうねりを利用して権力を得ようとしたエリツィンが登場。彼は湧き上がる国民のエネルギーを利用し、ゴルバチョフを窮地に追い込みました。そして、ついに世界のスーパーパワー・ソ連が倒れたのです。

ソビエト共産党が消滅し、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊。そして、東欧の独裁国家の指導者が人民の力によって次々と追放されていったとき、私は「これで自由で明るい世界がやってくる」と思いました。世界革命の名のもとに何百万人もの自国民を粛正し、圧政によって人民の自由を奪い、徹底した秘密主義によって西側と対峙していたソ連こそが諸悪の根源だと思っていたからです。ソ連の崩壊によって東西の対立はなくなり、真の民主主義を世界中の人々が享受できるものと楽観していました。

しかし、現実は予想していた以上に厳しいものでした。自由を奪われ、抑圧されてきた国民に鬱積したエネルギーは、一気に国家を飲み込みながら東側社会を大きく揺さぶりました。独裁的な権力によってなんとかまとめられてきた国々の「パンドラの箱」が開けられてしまったのです。ソ連という後ろ盾を失った為政者が消えて国内がまとまるほど問題は単純ではありませんでした。宗教の対立や利害の衝突によって混乱は極まり、社会主義だった国々の多くでは今もなお政治的に不安定です。

 

 

私は「歴史的事実を現在の価値観で判断するのは間違い」だと思います。それは事後法で裁くようなものだからです。人類はこれまでの過ちを乗り越えて進歩していかなければなりません。過去にとらわれることは歩みをとめることです。その一方で、過去を振り返らないことは同じ過ちを繰り返すことにもつながります。最大多数の最大幸福を実現するため、人類が過去に犯した過ちを振り返りながら、英知を集めて過去の過ちを乗り越えていくべきなのです。

今、ウクライナでは大規模な戦争が続いています。ウクライナにはチェルノーゼムと呼ばれる肥沃な土壌が広がり、「東ヨーロッパの穀倉地帯」ともいわれる世界有数の小麦の大産地になっています。南部のクリミア半島は温暖な保養地であると同時に軍事的な要衝でもあり、東西ヨーロッパの緩衝地帯として政治的に常に不安定な場所となっていました。ウクライナはかつてはキエフ公国という大国として栄えましたが、異民族の侵入をたびたび受け、モンゴル来襲をきっかけにその中心はモスクワに移ったのでした。

ロシアの大統領プーチンがウクライナを「特別な場所」というのはこのような背景があるからです。しかも、歴史的にソ連の一部だったころの影響で、ウクライナの東部にはロシア系の住民が多く住んでいます。東ウクライナに住む住民の30%あまりがロシア人なのです。ウクライナはロシアからヨーロッパに送られる原油や天然ガスのパイプラインの中継基地であり、ソ連時代から天然資源にまつわる利権が存在しています。そして、今般の戦争にその利権が暗い影を落としています。

米国バイデン大統領の息子ハンター氏がそのウクライナの大手資源会社ブリスマの取締役を務めていたことが知られています。しかもそのブリスマの不正を追及しようとしたウクライナ検察にバイデン大統領自身が圧力をかけたともいわれています。ソ連国内の国営天然資源会社の多くが、ソ連崩壊後、米国のユダヤ資本に買収されました。ウクライナに誕生した財閥もその多くがユダヤ系ウクライナ人によるものであり、ウクライナの天然資源の利権にも米国のユダヤ資本が深く関与しているのです。

東西の冷戦が終わろうとしていたとき、ソ連ゴルバチョフと米国ブッシュ(父)との間で「ウクライナにNATOは一切関与しない」との約束が密かにかわされました。しかし、その約束は徐々に反故にされ、近年、ウクライナのEUとNATOへの加盟が検討されるほどになっていました。2000年にロシアの大統領になったプーチンがまず着手したのは、米国のユダヤ資本から旧ソ連の国営企業を取り戻すことでした。それをロシアに対する脅威と感じたからです。

それはまたウクライナのEUやNATOへの接近も同じでした。今のウクライナ戦争にはそうした背景があります。プーチンがあれほどウクライナに執着するのは単なる領土的な野望からではありません。もちろん、武力によって現状の国境を書き換えようとすることは許されません。今回の戦争に対する責任はロシア・プーチンにあることは明らかです。しかも、ロシア軍の非人道的な行為については国際法上も、あるいは近代国家としてのマナーからいっても弁解の余地のない蛮行です。

「ウクライナはもともとロシアの一部」といったところで、現在の国境の適否を歴史に求めても結論は出ません。歴史のどの時点を起点にするかで変わってくるからです。現在の国境をとりあえず保留にした上で、国家間の信頼と友好を築いて平和的に解決するという方法しかないのです。それには長い年月がかかります。もしかすると永遠に解決できないかもしれない。しかし、だからといって国際紛争を解決するために、まるで中世のような野蛮な方法を選ぶのは近代国家ではありません。

 

 

最近再燃したイスラエルとハマスとの戦闘も同じです。ユダヤの人々にすれば、パレスチナはかつての自分たちの王国があった場所。神から与えられた特別な場所、「約束の地」です。エルサレムにはユダヤ王国の城壁の一部が「嘆きの壁」として残っています。一方、イスラム教徒にとってエルサレムはムハンマドが天に昇っていったとされる聖地であり、キリスト教徒にすればイエスが十字架にかけられた聖地でもあります。どの宗教にとってもパレスチナが特別な場所であることにかわりはないのです。

源流は同じとはいえ、今や異なる宗教となってしまったユダヤ教とイスラム教、そして、キリスト教を交えた信者間での争いが絶えません。しかも、信仰の名の下に人の命が軽んぜられているかのような対立は、日本人には理解しがたいところではあります。しかし、今のパレスチナの問題がここまで根深く複雑なものになったのはイギリスの「三枚舌外交」と呼ばれる大国の傲慢さのせいです。アラブ人やユダヤ人と別々に交わした、パレスチナの帰属をめぐるイギリスの不誠実で不道徳な約束が原因なのです。

古代から常に周辺諸国の侵略を受け、異端の奴隷としての身分に甘んじていたユダヤ人。世界中にディアスポラ(離散)して約2000年。第二次世界大戦時のホロコーストを乗り越えて、1947年にようやく自分たちの国家イスラエルを神との約束の地であるパレスチナに建設しました。しかし、それまで住んでいたパレスチナ人、アラブ人との軋轢というあらたな問題に直面するのです。しかも、イスラエルは国連で定めた境界を越えて入植者を次々と送り出します。その数は今や40万人におよびます。

当然、両者の衝突は激化。近代国家としての歩みを進めるイスラエルに、パレスチナ人たちがまともに立ち向かえるはずがありません。イスラエルにゲリラ戦をしかけて対抗するパレスチナ人は次第に過激になっていきました。しかし、長い抗争の末、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長はイスラエルとの和平の道を選択しました。イスラエルと妥協することによってパレスチナ人の土地を守ろうとしたのです。しかし、パレスチナ人の土地とされた地域へのイスラエルの入植は続きました。

徐々に先鋭化し、過激化する反イスラエル運動はハマスに引き継がれました。その一方で、イスラエルとの共存を選択したパレスチナ人はファタハという組織を作ります。ハマスというとパレスチナ人を代表していると漠然と思っている日本人は少なくありません。しかし、ハマスを支持するパレスチナ人は10%足らずにすぎません。ハマスはもはやパレスチナ人を守るのではなく、イスラエルを駆逐するためのテロリストと化しているからです。多くのパレスチナ人は長い戦いに疲弊しています。

ハマスは世界中から集まるパレスチナへの資金で軍備を整え、指令を送る幹部たちは外国で優雅な生活をしているといいます。ガザ地区ではイスラエルからの攻撃に備え、軍事施設を学校や病院に作り、一般市民を人間の盾にしています。先日のイスラエルに対する攻撃でも、多数のイスラエルの一般市民を無差別に、恣意的に殺害しています。婦女子を陵辱し、子どもや幼子を無残な方法で殺している事例すらあります。その目的がどうであれ、一般市民を無差別に狙ったテロ攻撃が容認されるはずもありません。

マスコミの報道を見ていると、しばしばハマスの活動を肯定的に述べる「識者」がいます。それはあたかも「入植を続けるイスラエルが悪い」と述べているかのようです。それは一面で正しいかもしれません。しかし、一般市民を無差別に狙ったテロ行為はその理由、目的、事情の如何を問わず容認してはいけません。ハマスは国家ではありません。パレスチナ人の意思を代表する組織ですらありません。単なるテロリスト集団です。パレスチナに住む人たちとイスラエルの共存を望まない集団でもあります。

ウクライナの問題も、パレスチナの問題も、その正当性を歴史に求めても結論はでません。現在の価値観で過去の史実の善悪、適否を問うことはできないのです。ウクライナがかつてソ連の一部だった事実で今の戦争を正当化することはできません。イギリスの三枚舌外交によってパレスチナの地にイスラエル建国が強行されたからといってテロ行為も正当化されません。現状を現状として棚上げした上で、相互のよりよき未来に向けてどうすることが一番望ましいのか冷静に考えなければならないのです。

 

 

最近頻繁に「多文化共生」という美しいスローガンを見かけます。しかし、歴史的な背景も異なれば、民族としての価値観も異なる異文化が共存することがはたして可能でしょうか。そもそも多文化共生がうまく機能している国家がどこにあるのでしょうか。人種のるつぼと呼ばれるアメリカでさえも、その不幸な歴史を乗り越えることができないまま混迷を深めています。その混迷は今後さらに深刻化するだろうともいわれています。積極的に移民を受け入れてきたヨーロッパも異文化の共存が不可能である事例となりつつあります。

戦争や争いは異文化の衝突でもあります。同じ価値観を有していれば、利害の対立はさほど深刻なものにはならないのです。異文化が共存するのは、どちらかの数が圧倒的に多いときか、さもなければどちらかがどちらかに同化したときです。数が拮抗する異文化は共存できません。共産主義連邦国家・ソ連の崩壊は多文化共生の失敗をも意味しています。冷戦終結後の世界の混乱はグローバリズムの失敗だといえなくもありません。最近の世界に広がりつつある大国の覇権主義はこうした世界史の教訓に学んでいないようです。

今こそ、「多文化共生」という幻想を捨て、国家としての、あるいは民族としてのアイデンティティーを確立することが大切であるように思います。その上で国家同志がウィンウィンの関係を築くためにどのように協調していくかを考えるべきです。世界のこれまでの歴史はその方向性を示しています。また、そうした協調主義がお互いの民族性や文化を尊重することにつながるのではないかと思います。それこそが真の「多文化共生」なのではないでしょうか。

戦後の日本はさまざまな「争い」から逃げてきました。「歴史の転換点」ともいえる今、日本こそが世界の争いを政治的にも軍事的にも積極的に調停する国家として生まれ変わってもいいのではないか。そんなことを夢想する今日この頃です。

尻馬に乗る人たち

このブログにふさわしいことかどうか迷いましたが、黙っていられないので少し書きます。これまでこのブログに掲載したものは一本たりとも消去することなく掲載しています。しかし、今回の記事に書くような内容は、それぞれの個人の価値観に関わるもの。どれが正しくて、どれが間違いかを断定することができません。ですから、あとで私自身が不適切だと思った時点で消去するかもしれません。

*************** 以下、本文

私は子どものころから、親によく「おまえは変わってるね」と言われてきました。確かに、今、振り返ってみても、いわゆる「普通の子」ではなかったように思います。なにが「普通」なのかはっきりしませんが、それでも他の子ども達と違っていたことは、当時の自分もなんとなく自覚していました。簡単にいえば、誰かの指示の通りに動くことができなかったのです。指示通りにしたくなかったといえるかもしれません。同調圧力のようなものを感じたときはなおさらだったように思います。

親戚の子ども達が集まったとき、「みんなでトランプをやろう」と盛り上がっても、私だけは「僕は見てるからいいや」とみんなの輪からはずれました。「どうして?一緒にやろうよ」と言われれば言われるほどかたくなでした。そのときの私は、みんながトランプをしているのを見ているだけで楽しいのに、なぜ「一緒にやらなければならないのか」と思ったのです。でも、そんな私を見ていた親は、仕舞いには「どうしてそうなんだろ。おまえはほんとに変わった子だね」とあきれていました。

日本で開催されたバレーボールの国際大会がTV中継されたときのこと。日本チームに対する応援はいつになく熱を帯び、会場には「ニッポンっ、ニッポンっ」と大声援がこだましています。そして、日本の好プレイのときばかりでなく、相手のチームがミスをするたびに大きな歓声が沸きました。それを見ていた私は、日本チームへの歓声が大きくなればなるほど相手チームを応援していました。観客の応援からは相手チームに対するリスペクトを感じず、一糸乱れぬ熱狂的な応援ぶりに気持ちが冷めてしまったからです。

これまでの例えと本質的には異なることですが、今の「ジャニーズ問題」には、私の「あまのじゃく」が敏感に反応しています。私はジャニーズ事務所などなくなってもいいと思っています。いっそのこと、芸能界そのものがなくなってもいいくらいです。しかし、最近のジャニーズ事務所への「いじめ」のような報道のあり方、社会の反応には「大いに問題あり」だと思います。これは正義の名を借りた制裁だからです。しかも必要以上の制裁であり、場合によっては不当な制裁ですらあるからです。

今回の「ジャニーズ問題」の本質を考えてみましょう。多くの人は故・ジャニー多喜川氏による「性加害、とくに未成年者に対する性加害」の責任を追及していると思い込んでいます。しかし、よく考えてみてください。今、マスコミが、社会が責めているのは誰でしょうか?すでに亡くなってしまった加害者本人の責任を追及しているでしょうか。すると人は言うでしょう。「それを見逃してきた事務所にも責任がある」と。でも、見逃してきたのは事務所だけですか?その責任を追及する側にも責任はありませんか。

これまで性加害の存在をうすうす知っていながら、見て見ぬ振りをしていた人たちに責任はないのでしょうか。故・ジャニー多喜川氏の力と金を利用してきたTV局をはじめとするマスコミ、そのタレントを使ってきた企業はもちろん、タレントを守ってこなかったファンにも、自分たちの子どもをジャニーズに入れてきた親たちにも責任がないとはいえないはず。多くの人たちにも多かれ少なかれ責任があるというのに、なぜ、今、事務所ばかりがあれだけの批判を受けなければならないのでしょうか。

ジャニーズ事務所との契約を解除する企業があとを絶ちません。それは「性加害があったから」ではありません。「性加害があったことが公になってしまったから」です。どの企業も性加害の存在に目をつぶり、これまでタレントを番組に出演させ、CMに起用してきたではありませんか。そうした企業がまずすべきことは、これまでの経緯を猛省し、自らのコンプライアンスを見直すことから始めるべきです。なのに、まずは事務所を切り捨てるという身勝手さ。それはまるで自分たちの責任から逃げるかのようです。

経済同友会の新浪剛史氏は記者会見で「これからもジャニーズ事務所の所属タレントを使うことは小児虐待を認めること。国際的にも理解されることではない」と述べました。まるで他人事です。今回の事件について、こんな英雄気取りの経営者がいる企業がどんな会社かは推して知るべし。そもそも企業が、そして社会が守るべきなのは性被害にあったタレントたちのはず。事務所を切り捨てれば、そうしたタレントたちは救われるのでしょうか。まず守るのが自分たちの企業ブランドというのはあまりにも身勝手すぎます。

尻馬に乗る人が多すぎませんか。「水に落ちた犬は叩け」という言葉があります。これは窮地に落ちたライバルは非情になって蹴落とすべし、という意味に解されます。まさしく今のジャニーズ事務所が置かれた状況を表しているかのようです。しかし、この言葉は本来、「水に落ちた犬は叩くな」という日本の慈悲のことわざを、中国の魯迅が「水に落ちた狂犬には情けをかけるな(助けても襲われるだけ)」という意味で「叩け」と代えたとされています。ジャニーズ事務所ははたして狂犬なのでしょうか。

「福島を守れ」といいながら「フクシマを忘れるな」とカタカナ書きにして差別し、「福島を支えよう」といいつつ、処理水を「汚染水」と呼び、それを「Fukushima water」と書いて福島沖の魚までを汚れたものにでっちあげる。この人たちにとっては、福島のこと、福島県民のことなどどうでもいいのです。自分らのイデオロギーの拡散に利用しているだけですから。このような偽善の裏に「ことの本質」など関係ありません。なに(だれ)を守って、なに(だれ)を支えなければならないのかなどどうでもいいのです。

ついでに言えば、東日本大震災で発生してしまった原発事故は、これまで経験したことのない大地震、そして、予想をはるかに超える大津波が原因です。東京電力を犯人扱いすることは間違いです。東電は事故後まさに懸命な作業で危機を救ってくれた恩人ですらあります。そもそもが、関連死とされる人はいても、原発事故で直接亡くなった人は一人もいません。責任うんぬんをいうのであれば、それまでの原発頼りだった政府のエネルギー政策であるはず。東京電力そのものではありません。

2万人あまりの死者・行方不明者をもたらしたのは津波。想定をはるかに超える大津波に対策を講じてこなかった東電に責任があるのであれば、そうした津波を想定して巨大な防潮堤を建設し、たくさんの住民を移住させなかった地方自治体の責任はもっと大きいはず。東北各県・各地域の被害の補償を都合良く東京電力ばかりに押しつけるのは合理的ではありません。あの震災においては東電だって被害者。みんなが被害者なのです。にもかかわらず、尻馬に乗って「東電叩き」をする人のなんと多いことか。

ジャニーズ問題や原発事故に対する個人の感情はさまざまです。合理的に判断できる人もいれば、感情的になってしまう人もいる。それは仕方ないことです。しかし、人の尻馬に乗っかって、一緒になって「溺れる犬」を叩く人が私は嫌いです。ましてや相手の闇を知りつつ「持ちつ持たれつ」でうまくやってきたのに、その弱り目に乗じて叩く側に回っても平気な卑怯者が大嫌いです。そうした恥知らず(の人や企業)はいつかまた同じように他人(消費者・社員)を利用し、自分が窮地に追い込まれれば平気で踏み台にします。困ったときに真の友人、人の本質がわかります。こういうときにこそ冷静な観察眼を持ちたいものです。

 

 

ワクチンの現状

今、松戸保健所管内において新型コロナウィルス(COVID-19)に感染する人が増えています。それは日本全国いずれの場所においても同じだろうと思います。毎日診療をしていても、「これはCOVID-19に感染したケース」と思われる患者がお盆前からとても増えているという印象です。現に、抗原検査をして陽性となる人も毎日何人もいて、感染が拡大していることはほぼ間違いないこと。インフルエンザもちらほら見かけますが、流行しているといえるほどの広がりはなさそうです。

「流行している」とはいっても、従来のCOVID-19のときとその様相はまったく異なります。まずは感染者の重症感の違いがあげられます。以前であれば重症になってしまうことを一番に心配しなければなりませんでした。しかし、今の感染者にそうした心配をする必要はほとんどないといってもいいでしょう。ワクチン未接種あるいは数年前から接種していない人たちは多少の重症感をともなっていても、ほとんどの感染者は「おおむね風邪症状」で済んでいます。数年前とはまったく違うのです。

なにがこの変化をもたらしたかについて考えてみると、その原因にはふたつの要因が考えられます。ひとつはウィルスの変異。もうひとつはワクチンの効果です。これまでなんども書いてきたように、ウィルス学においては「ウィルスは容易に遺伝子変異が起こる。そして、感染力を増すと同時に危険性は低下する」と教えられます。COVID-19のその後の遺伝子の変異はこうしたウィルス学の説にしたがって変化しているといえます。「感染者は増えているが重症者が増えていない」を裏付ける根拠といえるでしょう。

9月から新型コロナウィルスワクチンは「オミクロンXBB株対応」に変わりました。従来の「オミクロンBA.4株およびBA.5株対応」ではなく、あらたな流行株に対するワクチンになったのです。中国で発生したといわれる当初のCOVID-19は武漢株と呼ばれます。その後にウィルスの遺伝子は次々と変化し、アルファ株、デルタ株と呼ばれる変異株となっていきました。そして、2021年末にオミクロン株と呼ばれる変異型が出現。そのオミクロン株も、その後BA.4、BA.5といった亜株に、さらにXBB株に分かれていくのです。

XBB株は生体の免疫から逃れる性質をもっており、感染力が従来の亜株にくらべて強いことがわかっています。その感染拡大を阻止するために「XBB株対応」のワクチン接種がはじまったわけです。しかし、昨年の秋から接種が勧められてきた「オミクロンBA.4株、BA.5株対応」のワクチンが無効かといえばそうではありません。重症化あるいは入院する危険性を低減する効果も確認されているので心配ありません。ですから、あわてて「XBB株対応」のワクチンを接種しに行く必要はないのです。

実は、日本で流行している株はもはやXBB株ではありません。最新の報告を確認すると、日本やアジアの国々における流行株はEG.5.1と呼ばれるものに変わっているのです。アメリカやイギリスは今もXBB株が流行しているのとは対照的です。なぜそのような違いが生じたのか(変異のスピードが異なるのか)については今後の研究成果を待たなければなりませんが、個人的には人種の違いが大きく影響しているのではないかと思います。公衆衛生に関わる国民性の違いも間接的に影響しているかもしれません。

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昨日、コメントをいただいた方からご紹介のあった動画を観ました。ワクチンに関する噂ばかりをまとめた下世話なものではなく、大学の研究者が比較的冷静にワクチンの問題点を指摘した誠実な動画だったように思います。しかし、率直な感想を申し上げると、ワクチンに対する批判的な視点から構成されているようにも感じました。ワクチンについては中立的な立場の(と思っている)私にすれば、いくつか注意して見なければならない点があると思いました。そのいくつかを列挙します。

1)ウィルスと細菌の違いは無視できない

動画では「予防接種はかくあるべし」の代表例としてBCGが挙げられています。「BCGは確実に感染者の数を減らしているのに、新型コロナウィルスは感染の再燃を繰り返している(だからワクチンは無意味?)」という意図が透けて見えます。しかし、BCGは「弱毒化した細菌(結核菌BCG株)の菌体成分」を体内に直接接種して抗体を作るというもの。それに対して新型コロナウィルスワクチンは、ウィルスのいち部分(スパイクタンパク)を作るRNA遺伝子を注入し、生体の細胞自身にスパイクタンパクを作らせて抗体を生じさせるもの。BCGと新型コロナウィルスワクチンの効果を比較するのは正しくありません。

2)背景が異なる数字は比較できない

動画ではワクチン接種の有無や回数の違いが感染率にどう影響しているかを説明しています。そして、「ワクチンの回数が増えても感染率は低下するどころか増えている」と主張しています。数値を比較するときは、その前提条件が同じでなければなりません。感染者の数は検出する検査の感度によります。ワクチン接種が始まる前と接種回数が増えてからでは検査の感度は異なっています。当然のことながら検出感度はどんどん鋭敏になっています。つまり、それまで拾いあげられなかった感染者が最近では拾い上げられているのです。検査の数自体も比較にならないほど増えていることも見逃せません。

従って、動画で紹介されている感染率の推移をあらわすグラフは、ワクチン接種の回数ごとに単独で比較しなければなりません。そうすると年齢層が高くなるにしたがって感染率が低下していることがわかります。感染リスクの高い高齢者になるほど感染率が低下しているのはなぜか。それはワクチンの接種率が高いからという結論にもなります。本来は対人口あたりの重症者数で見るべきなのです。重症者のカウントは流行当初も最近もさほど大きな変化はないはず。これまでの重症者の数の推移を見れば、最近の流行の状況がいかに落ち着いているかが理解できます。その要因のひとつはワクチンなのです。

3)ワクチンには必ずリスクがある

新型コロナウィルスワクチンに限らず、すべてのワクチンの接種にはリスクをともないます。危険性のまったくないワクチンなど存在しないのです。その意味で、動画で解説していた研究者の「(接種してはいけないではなく)リスクを知った上で接種すべき」という意見は正しいと思います。新型コロナワクチンによる血栓症の報告は有名です。その発症機序も動画の説明で十分理解できます。ワクチン接種を繰り返すことによる免疫寛容(免疫力が低下すること)の可能性も決して想像上の話しではないと思います。逆に免疫力を高めてしまっている可能性を思わせるケースだってあるほどですから。

最近、当院に来院する帯状疱疹の患者が増えています。他の皮膚科のクリニックでも帯状疱疹の患者が増えているといいます。帯状疱疹はまさしく免疫力が低下しておこるもの。何ヶ月かおきに同じワクチンを接種するなどということは過去に経験したことはありませんでした。そうしたことによって免疫寛容がおこり、帯状疱疹となった患者が増えていると考えても矛盾はありません。もちろん確証はありません。しかし、蕁麻疹や円形脱毛といった免疫に関係する疾患も以前よりも目立ってきた印象もあり、最近の診療において感じる変化に新型コロナウィルスワクチンの影響があることは否定できないのです。

4)これまでを冷静に振り返ろう

あくまでも個人の感想ですが、副反応の問題はあったにせよ、ワクチンの効果は十分にあったと思います。「今、ワクチンを打っていてもこれだけ感染が広がっているからワクチンは意味がなかった」というのは極論です。また、「ワクチン接種の弊害」があるからといってワクチン接種を完全否定するのも間違いです。少なくともこれまでのワクチン接種を批判することはできません。ワクチン接種はリスクとベネフィットで考えなければならないのです。流行がはじまったころに懸念された医療崩壊。これを回避するためにはワクチン接種は必須でした。まれな重篤な副反応が懸念されていても、です。

しかし、ここまでCOVID-19感染症が軽症となり、感染者が多数いても重症者が少ない現状において、ワクチン接種がいまだに必須かといわれればそうでもないように思います。ましてや、血栓症や帯状疱疹、蕁麻疹などの、ワクチンと無関係とはいえないリスクを抱えてまで数ヶ月おきの接種をこれからも繰り返さなければならないのかという疑問があります。そろそろインフルエンザワクチンと同様に、年に一回の接種でいいのではないか、重症化リスクの高い人たちへの接種勧奨でいいのではないのか、と思ってしまいます。流行(とくに重症化)の状況に応じてワクチン接種をもっと柔軟に考えてもいいと私は考えます。

5)便乗商法に注意しよう

帯状疱疹が増えた印象がある、と述べました。それを裏付けるかのように、TVでは盛んに「帯状疱疹ワクチン」の接種を勧めるコマーシャルや番組がながれてきます。私も患者さんからたびたび「帯状疱疹のワクチンを打った方がいいでしょうか」と相談されます。そんなとき私は尋ねます。「あなたにとって2回接種で5万円を支払うだけの価値がこのワクチンにはありますか?」と。高価なワクチンを接種してくれれば当院も儲かるので助かります。しかし、帯状疱疹には治療薬があります。発症の前触れともいえる痛みもでます。早めに受診し、早めに治療薬を服用すれば、辛い目に遭うことは回避できるのです。

COVID-19であれ、インフルエンザであれ、治療薬がなく、重症化により命が危険にさらされる感染症を予防するためのワクチンは接種すべきです。しかし、治療薬もあり、早期診断・早期治療が可能な感染症に、あえてワクチンを接種する必要があるでしょうか?肺炎球菌ワクチンも同じです。もし、肺炎球菌による肺炎になったとしても、抗生物質で治療可能なこの感染症になぜワクチンの接種を勧奨するのでしょうか。しかも莫大な公費助成をしてまで、です。政治と行政と企業の癒着?と疑いたくもなってきます。繰り返しますが、ワクチン接種の賛否については、メリットとデメリットを考えて判断すべきです。

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いわれるがままに接種するのもダメなら、感情論にひきづられて完全否定するのもダメ。今回の動画のような医学的な内容にかぎらず、素人ではなかなか判断できないことも少なくありません。しかし、なにを根拠にするかわからないときは賛否両論に耳を傾けてみましょう。そして、矛盾がないのはどちらだろうか、と評価してみるしかありません。それにしても、今、振り返ってみると、いろいろなことがわかります。あのとき真しやかに言われていたことが実は意味がなかったことがいくつもあります。

そのひとつが「検査は早めに、できるだけたくさん行なうこと」でした。それでなくても信頼性の低い検査を「早めに、たくさん」おこなっても意味がないばかりか、偽陰性や偽陽性によって社会を混乱させるだけだと当時の私は繰り返しました。「検査は一番怪しいときにおこなう」という原則はやはり正しかったのです。そして、それは現在にも言えることです。「検査が陰性でも感染していないこと」を証明することにはなりません。にも関わらず、いまだに「検査をしてこい」と指示する会社・学校があとを絶ちません。

自分で言うのもなんですが、私のブログを読み返していただければ、放射線の危険性にしても、今回の新型コロナウィルスのことにしても、これまでの私の意見がいかに正しかったかがおわかりいただけると思います。検査をあれほど勧めた尊大な医学者や意味のない薬を治療薬だと投与して英雄気取りだった医師、ワクチン接種を情緒的に妨害した活動家や不必要な検査やワクチン接種で大もうけしていた人たちにもそれなりの言いわけがあるかもしれません。しかし、世の中を騒がし、混乱させたことには反省すべきです

専門的な知識のない一般の人たちに、ワクチンに関するどの情報が正しく、どの情報が正しくないかを判断するのは難しいと思います。とはいえ、その情報がなんらかの意図をもって世論を誘導・操作しようとしているのではないかと疑うことはできるのではないでしょうか。私自身、家族からは「まず否定から入る」とあきれられながらも、情報は常に批判的に吟味することはとても重要だと思っています。少なくともマスコミが主導しているながれを逆張りしておけばとりあえずは間違いない、というのは言い過ぎでしょうか?

処理水のこと

皆さんは「False Reality(偽りのリアル)」という言葉をご存知でしょうか。それは人々の間で「現実のこと(リアリティ)」と思われていながら、実は単にそう信じられているだけ、あるいは思い込まされているにすぎないものをいいます。当然ですが、人間の認識には情緒が影響します。同じ映像を見ていても、BGMとしてながれている音楽が楽しいものか、悲しいものかによって、それぞれの人に「見えている情景」が違ってきます。そうしたことはたびたび経験することです。

BGMによって違った映像に見えることは経験的に理解できても、知らず知らずのうちに「現実(リアル)」と認識した「False Reality(偽りのリアル)」を自覚することは意外とむずかしいものです。あの東日本大震災直後の放射能の危険性に関するリアル、あるいは、新型コロナウィルスの感染拡大の恐ろしさに関するリアルがそれです。メディアによって誇張された「偽りのリアル」に翻弄された人は少なくなかったはずです。そして、自分が翻弄されていることを自覚していた人もほとんどいなかったかも知れません。

「恐ろしい放射能」から逃れるために引っ越しを考える人がいました。「殺人ウィルス」に感染しないよう自宅に引きこもる人もいました。その多くがメディアが伝える「偽りのリアル」を現実と思い込んでしまった結果です。「理性的に考えよう」と呼びかけても理性的になれない人はいるものです。それは情緒にながされる人であり、恐れるがあまりに現実に目を向けない人でもあります。そうした人たちはいとも簡単に扇動に乗せられてしまうのです。

TVばかり見ていた若いころと違って、今の私はメディアから流れてくる情報にいつも懐疑的です。「ほんとかなぁ?」とつぶやきながらTVを見ている私に家族は「すぐに否定から入るんだから」とあきれ顔。でも、それでいいのです。私はメディアが作る「偽りのリアル」に敏感でなければならない、マスコミ情報に飛びつく風潮には問題あり、と思っていますから。今はインターネットさえあればすぐに調べることができます。現代社会にあって情報リテラシーは不可欠な要素だと思います。

福島沖ではじまった原発の処理冷却水の放出問題もそうです。この処理水の放出に反対する人たちは、処理水に「トリチウム」という放射性物質が含まれていることを問題視しています。しかし、そのトリチウムがどのようなもので、どんな危険性が、どの程度あるかを理解せずに批判しているケースが少なくありません。中国ではこの処理水の放出をきっかけに塩の買い占めが起きているといいます。また、中国から日本に嫌がらせの電話が殺到しているとも聞きます。あきれるばかりです。

無知であるがゆえに空騒ぎするのも愚かなことですが、「処理水」を「汚染水」と言ったぐらいで揚げ足をとるようなマスコミの騒ぎっぷりもどうかと思います。あの冷却水が本当に「汚染されているもの」と思い込んでの発言なら批判されてしかるべきでしょう。しかし、単なる言い間違いに過ぎないのだとしたら、あのようなことはいちいちニュースとして報道する価値があるとは思えません。トリチウムのリアルを伝える、事実を淡々と伝えるという報道の本質をおろそかにしたいい例です。

トリチウム(三重水素)とは重水素とともに水素原子の放射性同位体と呼ばれる仲間です。トリチウムも重水素も、そして、水素も原子核のまわりに1個の電子がまわっています。違うのはその原子核を構成する中性子の数です。水素原子の原子核には中性子はありませんが、1個の中性子をもつものを重水素、2個のものをトリチウム(三重水素)と呼びます。トリチウムは自然界にも存在します。海水には無尽蔵のトリチウムがあり、これをあらたな核融合発電のエネルギー源として活用するための研究が進められています。

核融合と核分裂は違います。前者は原子と原子を衝突させて新たな原子を作るという反応。後者は原子を分裂させて新たな原子を作るという反応をいいます。その反応の際に莫大なエネルギーが発生します。原爆も現在稼働している原子力発電も後者の核分裂反応を利用しています。原爆は分裂しやすいウランなどの放射性元素を高濃度に濃縮し、核分裂の連鎖反応を爆発的に起こさせます。一方、原発は低い濃度のウラン燃料に核分裂の連鎖反応を徐々に起こして発電エネルギーに利用するのです。

それに対して核融合とは、原子と原子を超高温・超高圧のプラズマ状態に閉じ込め、衝突させて新たな原子を作りだすという反応をいいます。太陽の表面あるいは内部で起こっている反応がまさしくそれです。その核融合がおこる際に発生する莫大なエネルギーを発電に利用するのが核融合炉による原子力発電。トリチウムはその核融合に利用される放射性物質のひとつなのです。自然界では毎年7京ベクレルほどが生成され、地球上には約120京ベクレルほど存在していると推計されています。

自然界のトリチウムは酸素と結合した水という形で存在し、湧き水や雨水の中はもちろん、人間のからだの中にも存在しています。からだの中に蓄積することはありません。常に排出されてはあらたにからだに取り込まれるという循環を繰り返しているのです。原子炉が破壊されて放射性燃料がむきだしになった福島原発の冷却水には多種多様の放射性物質が含まれています。その冷却水をALPS(多核種除去設備)を使って処理をしているのですが、トリチウムだけは技術的に除去できません。

除去できないトリチウムを含む処理水をさらに薄めて海洋放出しようというのが今回の問題。しかし、その濃度は日本の安全基準の40分の1であり、WHOが定める飲料水の基準濃度の7分の1程度です。理論的には飲料水にしてもよいほどに薄めてあるのです。すると「飲めるのなら飲んでみろ」と言う人がいます。そんな単純で短絡的な人に私は言いたい。「尿だって飲めますが、あなたは飲みますか?」と。ちなみにトリチウムは食品の安全基準を定めた規制対象物質ではありません。

日本の国内外には、そうした科学的事実を知ってか、知らずか、大騒ぎをしている人がいます。福島県沖の処理水放出場所近海の海水のトリチウム濃度ですら「検出限界以下」であるのに、韓国や中国沖の海の問題になるはずがないことはちょっと考えればわかるはず。あれだけ薄めた処理水を海洋に放出して福島県沖で取れた魚介類にトリチウムが検出されるはずもありません。日本の海産物の輸入を止めたり、日本への旅行を取りやめたりと言った大騒ぎには少なからずメディアの報道にも責任があります。

1972年のロンドン条約で放射性物質の海洋投棄が条件付きで認められました。そして、これまで欧米を中心に、中国や韓国ですら低レベルの放射性廃棄物の海洋投棄がおこなわれています。その投棄量は日本のそれをはるかに凌駕するものなのです。日本は諸外国にくらべて低レベルの放射性廃棄物でさえ海洋投棄に対してはかなり慎重でした。そして、今回の冷却処理水の海洋放出に際しても、日本の対応と配慮にはIAEA(国際原子力機関)のお墨付きもあり、日本人として胸を張っていいほどです。

扇動に乗せられてはいけません。火をつけてまわる人たちの行動の裏になにがあるのかに敏感になるべきです。これまでを振り返っても、マスコミが煽ってきたことの多くに「真実」は決して多くありませんでした。マスコミが流す「偽りのリアル」に振り回され、社会が騒然としたことの結果がどうだったか。「新型コロナの対応」しかり、「放射能の危険性」しかり、「’ 戦争法案 ’の恐ろしさ」もしかり。あの80年前のアメリカとの戦争だってそうです。世の中の流れに乗せられて空騒ぎしたことへの反省がない人が多すぎます。

処理冷却水の問題に関しては、日本人はおおむね冷静に対応しています。一部の国々の人の、無知から来る過剰反応だけが目立っているかのようです。国際社会には問題が山積です。ウクライナ戦争のリアルはいったいどんなものなのか。台湾のリアルがこれからどうなっていくのか。積極的に関心をもちながら、自分のあたまで「リアル(現実)」を感じ取ろうとする必要があります。真のリアルは懐疑的に見て、考えることから徐々に明らかになってきます。情緒にたやすく流される「軽薄な烏合の衆」にならないようにしたいものです。

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琴線にふれる街

以下の記事は今から12年ほど前の医師会雑誌に掲載されたものです。そのコピーを患者さんに読んでいただこうと当院の待合室においています。これが思いのほか好評をいただいているようです。今あらためて読むと、推敲が足りないと感じるところもありますが、今回、このブログでも掲載しますのでお読みください。

************ 以下、本文

「琴線に触れる」という言葉があります。大辞林(三省堂)によると、「外界の事物に触れてさまざまな思いを引き起こす心の動きを例えたもの」とあります。北陸、ことに金沢は私の琴線に触れる地でもあります。それは金沢の街で感じた郷愁のようなもの(それは金沢の伝統から伝わってくるもの)が影響しているように思います。

私がはじめて金沢を訪れたとき、金沢城では場内にあった大学校舎の移転工事がおこなわれていました。石川門を入るとあちこちに工事用車両がとまっていましたが、そこここに残るかつての栄華の痕跡に私は魅了されました。そして、金沢城から武家屋敷界隈にまで足を延ばせば、歴史を感じるたたずまいの中にあって、なおも人々の生活の息吹を感じる街並みに不思議と心安らいだものです。

その中でもっとも強烈な印象を残したのが金沢近代文学館(現在の石川四高記念文化交流館)でした。ここは石川県と縁の深い作家や文化人を紹介する資料館です。旧制第四高等学校の校舎をそのままに利用した建物は、旧制高校の古き良き時代の雰囲気を漂わせる風格を感じます。そんな建物を通り抜けて裏庭にまわると、ひっそりとしていてうっかり通り過ぎてしまいそうな場所に、井上靖の「流星」という詩が刻まれた石碑がありました。

井上靖は東京帝国大学に進学する前の三年間、この旧制第四高等学校に通っていました。彼はその多感な旧制高校時代に、たまたま訪れた内灘の砂浜で遭遇した流れ星に自分の未来を重ねたことを懐古してこの「流星」という詩を作ったのです。

「流星」

高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって、
星の流れるのを見たことがある。
十一月の凍った星座から、一条の青光をひらめかし、忽然とかき消えたその星の孤独な所行
ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。

それから半世紀、命あって、若き日と同じように、十一月の日本海の砂丘の上に横たわって、
長く尾を曳いて疾走する星を見る。
ただし心打たれるのは、その孤独な所行ではなく、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する
星というものの終焉のみごとさ、そのおどろくべき清潔さであった。

私は中学生のころから井上靖の作品が好きでした。とくに、「あすなろ物語」「しろばんば」「夏草冬濤」の三部作は今でも心に残る作品です。井上靖自身だといわれる主人公「洪作」の成長と、彼が生きた時代がなぜか中学生だった私の心の琴線に触れたのです。それから三十年以上も経って「流星」という一編の詩を目にしたとき、かつてこれらの小説を読んだころの沸き立つような熱い思いが去来しました。以来、この場所はもっとも私の好きな場所となったのでした。

金沢を訪れたついでに立ち寄った永平寺も私には特別な場所でした。永平寺は道元禅師が開祖となった曹洞宗の総本山であり、厳しい修行がおこなわれていることで有名です。40年も前の「NHK特集」という番組(当時、イタリア賞を受賞した優れたドキュメンタリー番組でした)でその修行の様子が紹介されました。厳寒の冬に黙々と修行する若い僧侶達を見てからというもの、永平寺は私にとっていつか行ってみたい場所のひとつになっていたのです。

永平寺は小松空港から車で1時間30分ほど行ったところにあります。途中の道は今ではきれいに整備されていますが、創建された700年以上もの昔の人たちはここまでどうやって来たのだろうと思うほど山深い場所です。

門前には観光客相手のお店が並んでいて、とある店の駐車場に車を停めて永平寺の入り口にたどり着くと、そこには樹齢数百年にはなろうかという大木が何本もそそり立ち、その古木の間に「永平寺」と書かれた大きな石碑が鎮座しています。その石碑の後ろには、これまたとてつもなく大きな寺の建物がうっそうとした木々の間から見え、深い緑と静けさの中で荘厳な風格のようなものを感じました。

拝観料を払って建物の中に入ると、若い修行僧から永平寺についての解説がありました。私たちが解説を聞いているそのときもこの建物のいたるところで修行が行なわれています。見学している私たちのすぐそばで、窓を拭く修行僧、経を唱えている修行僧、あるいは昼食の準備をする修行僧が私たち観光客には目もくれずに淡々とお勤めをしています。永平寺のほんの一部を周回することができるのですが、ひんやりとした長い回廊を歩きながら、これまでにいったいどれだけの修行僧がこの北陸の厳しい冬に耐えてきたのだろうと思いをはせていました。永平寺は一部が観光化されているとはいえ、霊的ななにかを感じさせる素晴らしい場所でした。

金沢という街、北陸という地域が私は好きです。冬は北陸特有のどんよりとした雪雲におおわれ、人々の生活は雪にはばまれることも少なくありません。しかし、この寒くて暗い冬を耐えつつ前田家122万石の栄華を極めた加賀・金沢には独特の文化があります。そして、永平寺という、厳しい自然と対峙しながら修行に耐える修練の場があります。どちらもこの風土に根付いた文化であり、歴史です。

金沢という地で旧制高校の多感な時期を過ごした井上靖が、晩年になって「流星」という感動的な詩に寄せて若き日を懐古したのも、自然の厳しさの中で繁栄したこの地に何かを感じ取ったからだと思います。金沢をはじめて訪れた私は、井上靖がどのような思いでこの街を散策していたのだろうかと考えたりしながら、しばし満ち足りた3日間を過ごすことができたのでした。

2015年に北陸新幹線が開通します。今度は成長した二人の息子を連れてこの北陸路を訪れたいと思います。そのとき、彼らは心に響くなにかに出会えるでしょうか。