最大多数の最大幸福

最近、我孫子や柏を中心に、新型コロナに感染している人がにわかに増えてきたように感じます。当院に「風邪症状があるがどうしたらよいか」と相談の電話をかけてくる人の数も増え、そうした人たちの症状やそれまでの経過を聴いても、多くが新型コロナに感染したことを想像させるものになっています。そんなことを書くと、急に不安な気持ちになって、一刻も早くワクチンの追加接種をしたくなるかもしれません。それが人情ってものでしょうがあわてないで下さい。

新型コロナウィルスの感染拡大がはじまってからというもの、繰り返し、しつこいくらいに、なんどもなんども書いてきたように、できるだけ冷静に、可能な限り理性的に行動をしなければいけません。なにが正しくて、なにが間違っているのかを自分のあたまで考えようとする努力が必要です。「誰々が言っているから(正しい)」もダメなら、「みんなが言っているから(正しい)」もダメ。マスコミが必ずしも「正しい情報」をながしているわけではないこともご承知の通りです。

「COVID-19」と呼称されている新型コロナウィルスの感染例が中国の武漢から報告されたのが2019年の秋。その翌年から感染は一気に拡大し、教科書の中だけでしか知らなかった「パンデミック」という現象をまざまざと見せつけられました。発生源である中国国内の感染状況はもちろん、中国人移住者が多かったヨーロッパ各国での感染者数は爆発的に増加し、とくにイタリアでは人工呼吸器の絶対数が不足したため、人工呼吸器は若年者に優先して装着する措置がとられるほどでした。

衛生学の先進国と思われていたイギリスでは、まだ感染拡大の途上にあった2020年3月の時点で早くも「集団免疫」という対応策が検討されました。これは「集団の60%以上に感染が成立すると感染は収束する」という学説です。この学説に頼らなければならないほど、イギリスは新型コロナウィルスの感染拡大に追い詰められていたともいえます。しかし、集団免疫となれば相当数の人たちが感染して死亡する、というリスクを容認しなければなりません。さすがのイギリスでも大きな議論を呼びました。

結局、世論の激しい反発もあって、実際に集団免疫に舵を切ることはありませんでした。今思うと、もし感染を終息させるために集団免疫を狙っても、やがて出現する変異株によってその効果は相殺されていたに違いありません。そして、繰り返し出現する変異株にその都度対応を余儀なくされたはず。「ワクチン接種ー感染の終息ー感染の再燃ーワクチン接種」を今も繰り返している現状を見れば、相当数の犠牲者を容認しなければならない集団免疫はあまり効果的なものではなかったかもしれません。

とはいえ、全国的に見ればまだまだ感染は落ち着いています。冒頭に「我孫子や柏で感染者が増えているかも」と述べましたが、それでも「重症になっていることを疑う患者はほとんどいない」と言っていいでしょう。それは多くの人がワクチンを接種してきたからであり、また、現在もワクチンを打ち続けているからです。もちろん、ウィルスの毒性そのものが、遺伝子の変異を繰り返すうちに低下しているからかもしれません。いずれにしても今の感染状況は以前のそれとはあきらかに異なります。

現時点で新型コロナに感染したことを疑う症状としては、「比較的強い咽頭痛」と「突然出現する高熱」があげられるでしょう。そのような症状を訴える患者に検査をすると、かなりの確率で「COVID-19 陽性」となります。だからといって、咽頭痛や高熱がなければ「新型コロナの感染ではない」とはいえません。風邪程度だろうと高をくくって総合感冒薬を服用して働いていたが実は「陽性」だった、という人も少なくありません。それはワクチン接種のおかげで軽症で済んだにすぎないケースだと思います。

以上のように、新型コロナに対するワクチン接種の重要性も、感染したかどうかを検査する価値も、あるいは医療機関に受診する必要性も、以前とはずいぶん異なった状況にあります。そのことを考慮せずに、以前と同じように「怖い、怖い」と大騒ぎをし、相変わらず過剰な対応をとろうとする人のなんと多いことか。重症者がきわめて少ない今、「新型コロナに感染したかどうか」はそれほど問題ではありません。「他の人に感染させないように配慮すること」がなにより大切です。

そうした背景もあって、当院では風邪症状を訴える人にはできるだけ来院患者の少ない時間帯に受診するように誘導しています。それは患者さん達を新型コロナウィルスから守るための工夫です。事前に連絡せずに直接来院する風邪症状の患者さんもいます。そうした人たちについては、待合室ではなく、第二診察室やレントゲン室、あるいは廊下の椅子で待っていただいています。それを不愉快に思う人もいるかもしれませんが、他の一般患者を新型コロナウィルスから守るためとしてご理解いただいています。

一方、軽い風邪症状を訴えるだけの方には「自宅で経過観察をしてください」とお願いすることがあります。患者さんご本人は「早めに治したいので薬がほしい」ということなのかもしれません。でも、新型コロナであれ、従来の風邪ウィルスであれ、そもそもが「早く治すための薬」などないのです。不快な症状を軽減するお薬を処方するのみです。ですから、「この症状で薬が必要?」と思われるケースについては「このまま自宅で様子を見て、明日またご連絡ください」とお話しします。

でも、こうした対応に納得してもらえないことも少なくありません。「なぜ、今、診てもらえないのですか」と怒り出す人もいます。「すぐに薬がほしい。明日は会社にいかなければならないんだよ」。そうお考えになっていることも理解はできます。しかし、薬を服用する必要性があまりない場合、できるだけ自宅で経過を見てほしいのです。これもクリニックに来院する一般の患者さんを新型コロナから守るため。つまり、軽微な風邪症状の人とそうではない患者とを不必要に接触をさせない工夫なのです。

そもそも風邪症状が出て間もない頃では新型コロナに感染しているかどうか判断できません。今は平熱(微熱)だがこれから高熱になりそうなケースもあります。そのような場合は経過観察が必要です。すでに高熱になっている場合であっても、発熱して間もない場合はしばらく経過を見てから受診していただく方がいいのです。なぜなら重症度判定は高熱がどのように推移するかを診なければ判断できないからです。抗原検査も熱発直後に検査するのは正確性という点であまり望ましいことではありません。

「風邪薬は早めに服用してはいけない」と繰り返してきたせいか、その指示を守って受診される方が徐々にふえてきました。たとえ熱が出ても、ワクチンを接種した人であれば二日ぐらい熱が続いたのちに急速に回復する場合が多いように思います。もちろんそうした方に総合感冒薬や解熱剤は不要です。とはいえ、「風邪薬を飲みながら会社(学校)に行っていました」という人はまだいて、検査で「陽性」が出てはじめて自分が感染拡大の一因になっていることに気が付くのです。

ワクチンに対するネガティブキャンペーンはだいぶ減りました。「新型コロナのワクチンはこれ以上もう打たない」という人もいます。でも、それでいいと思います。今や新型コロナのワクチンを接種するか否かは自己責任の範囲で決めればいい状況になっているからです。ワクチンの接種にはリスクがともないます。ワクチンという「異物」を体内に接種する以上、それなりの副反応が起こるのは想定内のことなのです。副反応に対する過剰な報道によってワクチン接種が中止された歴史から学ぶべきことはあります。

その代表的なものが、MMR混合ワクチンと子宮頸がんワクチンです。MMR混合ワクチンとは「おたふく・風疹・はしか」に対応するワクチンのことですが、接種後に髄膜炎になる子どもがいることが問題視され、1993年にその定期接種が中止されました。また、1998年には「MMR混合ワクチンが自閉症の原因になる」というねつ造論文も発表されました。しかし、このワクチンが社会問題化し、接種が中止されたことで感染が流行しやすい土壌を作ってしまいました。そして、その影響は今も続いています。

子宮頸がんワクチンもまた同様の経緯をたどりました。その副反応がことさらに強調され、2013年からつい最近まで接種が中止されていたのです。その間、本来であれば同ワクチンを接種できたはずの当時小学校六年生から高校一年生の女子児童・生徒が接種できなくなりました。結局、この副反応は「問題なし」と判断され、そのワクチン接種事業は現在再開されています。このワクチン接種が中止された影響で、それまで低下していた子宮頸がんの原因ウィルスへの感染率が再上昇しています。

ワクチンの副反応を大騒ぎするのもマスコミなら、接種中止によってウィルスへの感染率が上昇したと騒ぐのもマスコミです。そして、そうした情報にいちいち翻弄される情報リテラシーに欠ける一般の人たちもいます。こうした愚かなことが繰り返されるのは、ひとえに理性的に報じられない情報の送り手と、それを自分のあたまで考え、判断しようとしない受け手の問題だから。と同時に、社会正義の名の下になにかあればすぐに責任を追及し、社会的な制裁を加えようとする世の中の風潮にも原因があります。

最近の社会には「寛容さ」がなくなってきたと思います。なにかの問題が起ると、すぐに責任追求という「集団リンチ」がはじまります。最近、日本でも多様性の重視がことさらに強調されるようになりました。そのような社会には寛容さが求められるはずです。しかし、その実態は「多様性を重視しろ」と法律でせまり、それを人々に強制することのように思えてなりません。でも、多様性や寛容さを人々に強制する社会そのものに多様性や寛容さはあるでしょうか。そうした矛盾にどのくらいの人が気づいているでしょう。

世の中を見渡すと「責任をとれ」と他人に迫る人が自分の責任には無関心という事例をしばしば見かけます。そんな傲慢さが支配する独善的な社会の「正義」は欺瞞にすぎません。ワクチン接種を強制することと同様に、ワクチン接種を妨害することにも「正義」はありません。その一方で、社会の状況によっては各人の自由意志にまかせることが「正義」ではない場合もあります。社会としての「最大多数の最大幸福」を実現するため、いかにしてバランスをとっていくか。この一点に知恵をしぼることが大切なのです。

※ 右上の検索エンジンで「コロナ」「ワクチン」「風邪薬」で検索してみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください