震災から学んだこと

東日本大震災からもう4年になるんですね。今までになく大きな揺れが襲ったとき、私は午後の診療の真っ最中でした。大きな揺れではあっても、すぐに収まるだろうとたかをくくっていた私は予想に反していつまでも揺れていることにただならぬ気配を感じていました。あわてる患者や職員に落ち着くように声をかけながらも、みんなで耳を傾けていたラジオからながれてくる津波警報は未曽有の災害を暗示するような波の高さを伝えています。アナウンサーの上ずったような声はあきらかにこれまでとは違うことを物語っていました。

その後のことはすで皆さんもご存知の通りです。東北から関東地方一帯の沿岸を襲った巨大津波は2万人をゆうに超える人たちの命を一瞬のうちに奪い、海水が流れ込んだ福島原発は全電源喪失という最悪な事態となりました。そして、やがて原子炉はメルトダウンとなり、水素爆発した建屋からは放射性物質が周囲にまきちらされる事態に。私たちが住む東葛地域も「ホットスポット」と呼ばれる放射線量の高い地域として連日報道されることになりました。計画停電などというこれまで経験したことのない不自由さとともに、不安な毎日を過ごしながら自分ではどうすることもできないもどかしさを感じたものです。

これまでにない津波の恐ろしさは、今までの常識をいっぺんに吹き飛ばすような規模でした。津波被害など海外での話しであり、身近に起こる災害だという意識はそれまでの私の中にはありませんでした。テレビ画面の向こうでひとつの町が津波にいっぺんに飲み込まれ、目の前で人々が次々と真黒な水の中に消えていく。まさしく息を飲むような映像が毎日繰り返されていました。おまけに日増しに事態が悪化していく原発事故。これから日本はどうなってしまうんだろう。津波の被害の大きさもあいまって、マスコミの報道に多くの人が絶望を見た、といっても言い過ぎではなかったと思います。

大学で核医学を学んだとはいえ、実のところ放射能の危険性についてはそれほど意識したことはありませんでした。しかし、原発事故以降、世の中を飛び交う情報は実にさまざまで、どの情報が正しいのか、どの情報を信じていいのかわからなくなってしまうほどです。そうした中、私はインターネットでいろいろな情報にあたっていました。納得できない情報にはそれを裏付ける情報を探し、一方で正しそうな情報はメモを取りながら、ひまさえあれば放射能に関する知識を集めていきました。そうするうちに、マスコミが必ずしも正しい情報を提供していないこと。そして、多くの人たちがそれに過剰に反応してパニックになりつつあることを感じていました。

私の医者仲間ですらこうした誤った情報に翻弄されている人がいました。彼は知り合いから毎日送られてくる悲観的な情報に追い詰められているようでした。私に送られてくるメイルにはそうした様子が容易に見て取れます。関西地方への転居も考えているほどでした。患者にも悲観的な情報に惑わされている人がとても多いことに気づいていた私は、それまで私が理解していた放射能の知識を整理し、今の状況は決して悲観すべきことばかりではないことを文章にまとめることにしました。そして、彼にそのレジュメを送ってなんとか気持ちを落ち着かせることはできないものかと考えました。と同時に、このレジュメを院内に置いて、不安にさいなまれる患者にそれを渡していました。

言うまでもなくマスコミの影響は大きい。なにせマスコミが間違った情報を発信するはずがないと人々は考えているからです。しかし、間違った情報は少ないにしても、マスコミは偏った情報を報道します。印象操作をするためです。報道内容によっては針小棒大ともいえる「脚色」をつけて、です。当時のマスコミはまさにそうしたバイアスのかかった情報をながしていました。番組の趣旨にそった意見を言わせるため、とても専門家とはいえない識者を出演させて見解を引き出し、タレントをコメンテーターにして視聴者を煽るような感想を述べさせる。そんな番組を毎日見せられればどんな人でも悲観的になります。

私はさまざまな情報を自分で調べるようになって以来、マスコミの報道や「専門家」と称する識者の意見をほとんど信用しなくなっていました。なにが正しいのかは自分で調べ、自分で判断するしかないことがわかったのです。調べれば調べるほど、マスコミは低線量の放射能の危険性について煽りすぎており、人々を不安のどん底に突き落とそうとさらに悲観的な憶測を言ってまわる人までうじょうじょ湧いてくる。ますます正しい情報を人々に知らせることが大切だと思いました。その後も集めた情報がまとまるたびに不安にとらわれている医者仲間や来院患者に知らせました。そのうちに徐々にではありましたが、彼らが落ち着いてくるのがわかりました。

しかし、その間、私には「医師という命を守るべき職業の人間が、放射能の危険性に楽観的になりすぎている。恥ずかしいと思わないのか」という意見が送り付けられたこともありました。これまで通りの情報発信を続けていると「まだそんないい加減な情報を発信しているのか」とも言われたりしました。当時は原発事故を批判的に、放射能の危険性を悲観的にとらえない情報を発信するものはすべて「原子力むら」の回し者のように言われることが多かったのです。それでも私は「原発事故で死亡した人間はひとりもいない」「メルトダウンになっていたとしても今は悲観的な客観的データはない」と言い続けました。

あのときまとめたレジュメを今読むと、我ながら正しい情報にもとづいた冷静なまとめができたと思います。その後の原発事故の経緯を見てもわかるように、当時、世の中を騒乱させることを目的に流布していた「今後、東北地方には固形がんや白血病が多発する」などという事態はおこっていません。発がんの危険性が高いとされる子供たちにおいてですら甲状腺がんが有意に増えたというデータもありません。ましてや放射能障害により死亡した人間はひとりもいません。こうした事実をもとにあのときの報道、あるいは流布したデマ情報を今あらためて振り返る必要があります。

震災報道は情報のリテラシーという意味で私に大きな影響をあたえました。マスコミが決して正しい情報を伝えているわけではなかったという事実を重く受け止めるべきです。その情報を批判的に吟味し、自分の知識を整理することがいかに大切かを私は思い知りました。もっと意地の悪い言い方をすれば、マスコミはこうして世論誘導し、国の方向にも影響を与えるんだということがわかりました。当時、人心を騒乱させる情報を発信し続けた人の何人かが今になってようやく謝罪しました。謝罪したとはいえ、「あのときはあんなことをしちゃったね、と笑いあえるといいね」などと他人事を装っていて腹が立ちますけど。

世の中を騒乱させることだけを目的にした情報には根拠がありません。しかも、それらは極端に情緒的で、他者の批判あるいは反対の意見を許しません。「低線量の放射線の危険性はほとんど心配ない」という意見に対しては、「危険性がゼロだと言い切れるのか」「フクシマの住民の健康をないがしろにする意見だ」など実にヒステリックです。科学的な根拠を示しても、こうした情緒的な意見は客観的な事実を聴く耳を持ちません。ヒステリックで情緒的な意見や情報は社会を不安に陥れ、人を絶望させ、人々の前向きな気持ちをくじくことが目的だからです。

いまだにデマ情報が闊歩しています。デマとまでいかなくとも、災害に打ちひしがれている人々に寄り添う振りをしながら、実はその人達を絶望させるような情報を発信する人や報道もまだあります。でも、冷静かつ客観的に情報を整理していけば、自ずとこれからのあるべき姿が見えてきます。悲しい過去は過去のものとして記憶にとどめ、しかしそれでも前向きな気持ちを強く持って進んでいくのが日本のすばらしさです。整然と列をなして配給を受ける姿。騒乱に乗じて利己的にふるまう人の少なさ。いいことにも、悪いことにも意味があると考える精神の深さ。日本人のこの理性こそが震災あるいは原発事故を克服していく最大の強みです。

私たちを襲った甚大な災害を乗り越えるのにはまだまだ時間がかかるでしょう。また、これからもいろいろな災害が日本を襲うかも知れません。しかし、そのたびに日本人の理性を発揮して、氾濫する不条理で情緒的な情報から本当の情報を取捨選択する努力を続けなければなりません。そして、どんな不幸に対しても、それぞれが与えられた立場から前向きで建設的な判断をしたい。世の中が混乱すればするほど、こうした前向きで建設的な判断をするための支えあいがもっとも大切であると思います。

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