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院長が気まぐれな雑感を述べます。個人的な意見が含まれますので、読まれた方によっては不快な思いをされる場合があるかもしれません。その際はご容赦ください。ほんとうに気まぐれなので更新は不定期です。
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ワクチン接種完了

5月17日、私と職員全員で新型コロナウィルスワクチンの接種に行ってきました。4月26日に1回目を、そして、今回は2回目の接種でした。これで私たちのワクチン接種は完了です。今回のワクチンについてはいろいろな情報が錯綜し、ワクチンを接種すべかどうか迷っている人は少なくありません。私たちの経験がそうした人たちの参考になれば幸いです。

私自身は「ワクチン接種すべし」という立場です。このワクチン接種については賛否両論があります。賛成する人の主張にも、反対する人の主張にもそれぞれの言い分があります。とはいえ、この1年半もの間、新型コロナウィルスは流行を繰り返し、社会生活に大きな影響を与えてきました。このウィルスの流行を一日も早く収束させ、社会を正常化しなければなりません。そのためにどうしたらいいのか。わたしはここに重点をおきながら、私見をまじえて論を進めていきたいと思います。

現在も一部の地域で感染が拡大しています。これまで9都道府県に緊急事態宣言が発令されていましたが、21日には沖縄県が追加されました。宣言下にある地域では、商店や飲食店での営業はもちろん、一般の人にも自粛が強く求められ、さまざまな社会活動が制限されています。この制限が適正かどうかを断言することはできません。しかし、もはや人々の自粛や我慢にも限界が近づいています。その意味でもワクチン接種による感染拡大阻止への期待は大きいはずです。

我孫子市でもようやく高齢者への接種がはじまりました。しかし、ワクチン接種がどのような目的でおこなわれているかを改めて考えてみると、順次進められているワクチン接種にはいくつかの疑問がわいてきます。ワクチンを接種するのは感染を予防し、拡大するのを阻止するためです。しかし、これを「広義の目的」とすれば、「狭義の目的」とは「コロナ死」を減らすことであり、「経済死」を減らすことにあるのではないでしょうか。

コロナウィルスに感染して死亡することが「コロナ死」です。コロナ死で亡くなった人たちの平均年齢は約80歳だそうです。高齢の感染者が高率に亡くなっているのです。しかし、感染拡大が勢いを増している地域では、コロナ死もさることながら、営業の自粛を余儀なくされお店や会社のの経営が立ち行かなくなって自殺に追い込まれる人たちがいます。これが「経済死」です。このふたつの「死」から国民を守ることが政治の役割です。

もし、コロナ死を減らすためならば、高齢者からワクチン接種を始めることは理にかなっています。高齢者は、新型コロナウィルスに感染すれば高い確率で重症化、死亡するリスクを抱えているからです。しかし、「経済死」を減らすためであるならば、一刻もはやく感染拡大を収束させ、社会の機能を正常化させなければなりません。そのためには高齢者よりも、むしろウィルスを運ぶ人たち(「ベクター」といいます)、すなわち若年者や現役世代の人たちに重点的にワクチンを接種すべきです。

ついでに付け足すならば、高齢者施設の高齢者を守るために、入居している高齢者を優先してワクチン接種するのは間違いです。高齢入居者はほとんど外出をしないからです。入居者と職員が同時にワクチン接種ができないのであれば、外部から施設内にウィルスを持ち込むベクターになりうる職員にまずワクチン接種をすべきなのです。それぞれの施設や環境を考慮した優先接種の在り方など考慮している時間がなかったのかもしれませんが対象者の選択があまりにも雑です。

政府は「高齢者からの接種」「大都市と地方との区別のない接種」を強調します。しかし、感染の拡大を一刻も早く止めたいのであれば「高齢者よりも若年者あるいは現役世代」「感染者の少ない地方よりも流行している地域」からワクチン接種をはじめるべきです。ところが、このようなことが理性的に議論された痕跡がどこにもありません。それとも私の知らないところで議論はされたが「それでは政治的もたない」という理由で却下されたのでしょうか(とてもそうとは思えません)。

本来であれば日本医師会からこうした議論を投げかけてもいいはずです。「コロナ死と経済死のどちらを優先して減らしていくのか」、「そのための接種の優先順位はこうするべきではないか」などなど。そうした政策提言が日本医師会からあってしかるべきなのです。にもかかわらずマスコミを前にして日本医師会長が主張することはあいも変わらず「とにかく自粛しろ」「緊急態宣言をしろ」ばかり。しかも国民に自粛させて会長自身は「自由行動」というのでは筋が通るはずもありません。

 

前書きが長くなってしまいました。新型コロナウィルスワクチンを接種したときのことに話しを戻します。私と当院の職員は4月26日に第1回目のワクチンを受けるために接種会場に行きました。会場となった大きな会議室は人のながれを考えた効率的な配置になっていました。会場の入り口で必要書類を渡すと、待たされることもなく医師の問診エリアにまわされ、すぐにワクチンの接種場所に誘導されました。そこには接種を担当する看護師が立っていて肩を出すようにうながされました。

注射の針が肩に刺さろうとしたとき、私は心の中で「痛ければいいなぁ」と思っていました。ワクチン接種の様子を伝えるニュースではよく「全然痛くなかった」という声があります。しかし、本来、今回のワクチンの接種でおこなわれる筋肉注射は痛いものなのです。にもかかわらず「痛くない」という人たちにおいては「筋層にまで針先が届いていないのでは?」と不審に思っていました。ですから、「針先よ、筋層に届け」とばかりに「痛ければいいが」と念じていたわけです。

看護師は慣れた手つきで注射針を私の肩に刺しました。針が刺されたときと薬液が入る時に少し痛みを感じました。私はホッとしました。「ちゃんと筋肉に入ったんだ」と思ったのです。経過を見るための場所に移動して、一緒に接種した当院の職員と世間話しをしているうちに15分が経ちました。あっという間のワクチン接種でした。すでに接種した知り合いからは注射直後に軽い倦怠感を感じたと聞きましたが、私にも職員にも特段の変化はなくその日は終わりました。

床に就いた私はなんとなくワクチンを接種した左上腕に重だるさを感じていました。そして、「明日、目が覚めたときに筋肉痛になっていればいいなぁ」と思っていました。それは「筋肉痛=ワクチンの薬液が筋層に入ったこと」を意味するからです。そして、翌朝、期待通りになりました。左肩の三角筋に痛みがあったのです。痛みはありましたが、腫れたり、発赤が出現するといったことも、また、熱発も頭痛も倦怠感もありませんでした。

三角筋はぶらりと垂らした腕を飛行機の翼のように持ち上げるときに使う筋肉です。ワクチン接種の翌日、その三角筋が痛くて腕を翼のように持ち上げられないのです。これはまさしく三角筋の痛みでした。職員にも聞いてみましたが、皆私と同じように三角筋の痛みがあって腕が持ち上がらないと言っていました。心配そうな表情をする職員もいたので私はあらためてワクチンの作用機序と今後起こるかもしれないことについて説明しました。

 

以下、説明したこと *************

筋肉が痛いということは薬液がきちんと筋肉にはいったということ。決して不安に感じることじゃないよ。今後、微熱が出ようと、頭痛が起ころうと、腫れてこようと「有害事象」と呼ぶような極端なものでなければ心配ない。数日で収まってしまうことだから気にしないこと。副反応など考えようによっては「ワクチンが効いている」という証拠。「二回目の接種後の副反応は強くでる」という人もいるけど、それは「一回目のワクチンが効いている」からなので心配しないこと。あくでも「有害事象」といえるほど症状が強いかどうか。事前に解熱剤(鎮痛剤)を服用するということはしない方がいいよ。飲まないでいられるのなら飲まないで様子を見ること。

以上 ************

 

接種翌日に出現した筋肉痛はその日のうちに軽くなり、次の日にはほとんどなくなってしまいました。私が事前の思っていた通りの反応といってもいいものでした。それ以降、これといった症状はなく、世の中で言われているほどワクチンの副反応に不安を持つ必要がないことを確信しました。とはいえ、二回目のワクチン接種に向かう時、職員は「二回目の副反応は強くなるかも」という点が心配になっているようでした。そこで私は次のように再度説明しました。

 

以下、説明したこと *************

二回目の接種による副反応が強かったとしても、それは一回目のワクチンがうまくいっていればいるからだと考えればいいんじゃないかな。ものは考えようだと思うよ。「二回目のあとには腕が腫れあがってしまった」という人もいるけど、僕はひそかに「そいう人は知らない間にコロナウィルスに感染していた(こういうケースを「不顕性感染」といいます)」のではないかと思っているんだ。WHOではコロナに感染した人にもワクチン接種を推奨しているし。腫れてもたかだか2,3日のことだろうね。熱発や頭痛が出てきても、つらくなければ解熱剤(鎮痛剤)を飲まないようにね。もちろんつらければ飲んでもいいけど。

以上 *************

 

日頃の診療で私は患者に「熱が出てもできるだけ解熱剤は使わないように」と指導してきました。もちろん今は「正確な体温がわからなくなるから」と説明しますが、本来は「熱がでるということはからだの免疫応答のひとつであり、熱発をきっかけに免疫反応が本格化するから」です。熱があるからといってむやみに体温を下げると免疫反応をさまたげる可能性があります。だからこそ「早めにパブロン(風邪薬)、はダメですよ」と繰り返し言ってきたのです。

5月18日のウォールストリートジャーナル紙には「ワクチン副反応、なくても予防効果あり」と表題のついた記事が掲載されました。その記事を読めば、私の言ってきたことが単なる個人的な見解ではないことがわかると思います。表題にあるように「副反応の少ない人もワクチンの効果はある」と書かれるということは、裏を返せば「副反応」はワクチンの効果をしめすものとしてとらえられていることを示しています。このような論調は日本のどのマスコミからも聴かれないことです。

というわけで、あっという間に第2回のワクチン接種は終わりました。職員のなかには接種当日の夜に熱発と軽い倦怠感があった者もいましたが「有害事象」といえるほどのものではありませんでした。当然のことながら解熱剤(鎮痛剤)を服用することはありませんでした。私は1回目と同じような筋肉痛がありましたが、程度はやや軽く、少しだけ「腫れた感じ」がありました。でも、翌日には症状はすっかりなくなって通常通り。結果として私と当院の職員には大きな問題は起こらずにワクチン接種は終了しました。

 

我孫子市でもワクチン接種がはじまり、患者さんから「私はワクチンを打てますか?」と質問されることが多くなりました。そんなとき私は答えます。「端的にいえば、どんな病気を持っていても新型コロナウィルスワクチンを接種することができます」と。「基礎疾患」があろうとなかろうとワクチン接種にはほぼ関係がありません。アレルギー歴に関しても、ポリエチレングリコール(PEG)に対するアレルギー歴がなければおおかたのアレルギー反応の経験があっても接種は可能です。

ちなみにPEGは大腸検査のときに使う下剤あるいは化粧品や軟膏にふくまれているときがあります。したがって、こういったものでひどいアレルギー反応を起こしたことがある人は注意が必要です。主治医あるいは接種当日の診察医に相談する必要があります。ただし、あきらかなPEGアレルギーでないかぎり「本人の意思」ということになるでしょう。でも、もし私の患者にPEGアレルギーを疑う履歴があれば、その人には「残念だけどやめといたら」とアドバイスすると思います。

ちなみに、アメリカでは「妊婦も接種可能」ということになっています。これまで妊婦に対する接種経験数が少ないため安全性は確認されていません。しかし、今のところ積極的に「妊婦は接種禁忌」とするだけの根拠はありません。「接種するリスクよりも、しないリスクが高い」と判断されての結論なのでしょう。ちなみに、世間で噂され、ワクチン接種に反対する人たちの間で噂されている「新型コロナウィルスワクチンと不妊」については「関連性に根拠なし」とされています。

現在わかっているワクチンの有害事象は次のとおりです。日本では5月上旬までにワクチン接種後に死亡した症例が28名います。多くは高齢者であり、直接の死亡原因としては脳出血、くも膜下出血が多いようです。もちろん若年者もいます。しかし、若年者ほど死因がはっきりしません。このような背景もあって、この28例は全例「死因とワクチン接種の因果関係は判断できない」とされています。なお、日本での新型コロナウィルスワクチン接種は現在550万回です(26日に1000万回を超えました)。

全世界では15億回ほどのワクチンが接種されています(22日現在)。みなさんが心配しているアナフィラキシーショックと呼ばれる重篤なアレルギー反応ですが、今のところ発生する頻度としては25万回に一回程度ということになっています。その多くがワクチンを接種して30分以内に出現しており、適切な対応がなされたため死亡例はまだないようです。もし、皆さんがワクチンを接種する場合は、接種直後に体のほてりやかゆみ、息苦しさや動悸などを感じたら会場の職員にすぐ伝えてください(まず起こりませんけど)。

ちなみにジョンソン&ジョンソン社のワクチンで騒がれた血栓症ですが、頻度としては80万回の接種に対して15例の関連血栓症が疑われています。80万回というと、我孫子市と柏市、流山市に住む生まれたばかりの新生児から100歳を超える高齢者までの全人口をあわせたくらいの数です。この人たち全員にワクチン接種をして15例の血栓症が起こるかどうか。それを「恐ろしい」と感じるかどうかということです。現在、広く日本で接種されているファイザー社のワクチンでは血栓症の報告はなさそうです。

私はワクチンを接種すべきか迷っている人には「打つリスクより打たないリスクの方がよっぽど高いですよ」と言っています。感染はしばらく続きます。「流行」からなかなか逃れられない以上、ワクチンを接種して感染のリスクを減らすことが何より大切です。昨年の今ごろ、「検査をもっとたくさんやれば感染拡大を抑えることができる」と主張する人が少なからずいました。でも、東京よりもはるかに多くの検査をしてきた大阪のつい最近までの様子をみればその答えは明らかだと思います。

検査は安易に行うべきではありません。今よりも医療体制が整っていなかった昨年、「もっとたくさん検査を」という声に社会が押し切られていたら医療は確実に崩壊していたと思います。ロンドン大学の某日本人教授も、どこぞのクリニックの院長も、いろいろなTV番組で「もっと検査を」と叫んでいました。医学の常識を軽視したそんな言説を真に受けた大臣は今もなおコロナ対策の陣頭指揮に立っています。そして、その大臣はいまだに国民に我慢と自粛と負担を強いるのみです。

感染拡大を抑えるにはワクチンを集中的に接種するしかありません。その対象者はワクチン接種の目的に応じて合理的に決めなければなりません。にもかかわらず、その場しのぎの対応策と大衆迎合的な政策が小出しにされ、新型コロナウィルスを封じ込める有効策も後手にまわるのみで十分ではありません。今のコロナ対策には司令塔がいません。日本医師会も政権のブレインとはとてもいえない状況です(会長があのザマですから)。ワクチンの社会的効果が待ち遠しくもあり、またその効果があらわれて日本の経済が早期に正常化できるのだろうか心配だというのが今の私の正直な気持ちです。

心に残る患者(8)

私はかつて総合診療部という部署に所属していました。「総合診療」という言葉を聞いたことがある人は多くないと思います。聞いたことがある人でも、それがどのような機能をもっているかまでを知っている人はごく少数でしょう(「総合診療など『なんでも内科』どころか『なんでもない科』だ」などと揶揄されたこともあります)。私がまだ医学生だった頃、「全人的医療」という言葉がいちぶの学生の間に広まりました。全人的医療とは「単に病気を診るのではなく、悩めるひとりの人間として理解して診療をしよう」というスローガンです。

総合診療部が全国の大学病院に設立されたのにはそうしたながれと無関係ではありませんでした。専門化、細分化した医療のなかで、適切な医療を受けられずに悩んでいる患者をあつかう診療科が求められるようになってきたためです。専門的な診療が集約された大学病院では、どの専門診療科が担当するのかはっきりしない患者がいます。どこにいっても「我々が診療する患者ではない」と、いわばたらい回しになる患者が少なからずいたのです。そうした患者の受け皿として総合診療部ができた「はず」でした。しかし、実際にはそれぞれの大学のさまざまな思惑で総合診療は作られていきました。

ある総合診療部ではアメリカの家庭医のごとく、内科・外科・小児科はもとより、産婦人科や耳鼻科、皮膚科といった幅広い臨床能力を有する医者を養成しようとしました。またある総合診療部は心療内科のような、心身症といった心理的な背景をもとにした身体的症状をあつかう診療を目指しました。さらにある総合診療部では単に大学のポストを増やす方策として利用され、実質的になにをやっているのかわらない総合診療部すらありました。結局、総合診療の必要性が叫ばれながらも、社会的なニーズとの整合性がとれないまま、総合診療部がタケノコのように次々とできていったというのが実情です。

私が所属していた北海道大学医学部附属病院総合診療部も、当時大学病院での位置づけがはっきりしていませんでした。総合診療部としての明確な理念がないまま、各専門診療科が「うちの患者ではない」と紹介してくる患者をあつかう心療内科のような診療に甘んじていました。私は学生のころから臨床心理学や精神療法に関心を持っていたので、その関連書籍をいろいろ読んできました。しかし、それらを実際の診療に活かすとなると具体的な指導が必要です。 私のいた総合診療部では、心療内科的なトレーニングも経験もない医者それぞれが自己流の診療をしている、という状態でした。

あるときは「手のひらから虫がでてくる」と訴えて皮膚科から回されてくる患者が来ました。またあるときは「私は昭和天皇の隠し子だ」と言っている患者が送られてきたこともありました。どちらも本来は精神科が担当すべき患者です。しかし、さまざまな理由で患者に「精神科に受診しなさい」と言えないケースはまず総合診療部にまわすという暗黙のルールができていました。精神科の診療など未経験の私にとって、そうした患者を診療するのは正直しんどいことでした。私は、総合診療部の運営に明確なビジョンをもたず、こうした現状を放置している上司に不満を持っていました。

「心療内科的な患者」をどう扱うべきなのか、迷いながら忙しくしていたある日、ひとりの外国人が私の外来を受診しました。彼は工学部の大学院にサウジアラビアから留学してきた男子学生でした。問診票に彼が書いた文字はなく、受付スタッフの字で「消化器科からの紹介」とだけ書かれていました。診察室に入ってきた彼は、学生とはいえすでに30歳を超えているように見えました。私は英語で「日本語は話せますか?」と聞いてみましたが、彼は顔を横に振り、身振り手振りで日本語は話せないと伝えているようでした。

しかし、話せないのは日本語だけでなく、英語での会話も十分にはできないようでした。簡単な英単語は通じても、コミュニケーションがとれるほどの会話にはならないのです。はじめは「留学生のくせに英語も話せないのか」とあきれていましたが、自分の思いを必死に伝えようとする彼の姿を見てなんとなく気の毒になってきました。そして、彼の話しに耳を傾けるうちに、どうやら数か月前から胃の痛みと食欲不振が続き、消化器内科を受診したがよく話しを聴いてもらえないまま「総合診療部に行くように」といわれた、ということがわかりました。

はじめは緊張して表情に余裕がない彼でしたが、簡単な日本語と英単語を使って「会話」を続けていると、彼の表情が徐々に緩んでくるのが見て取れました。ときに冗談を交わしながら、今の彼にとって必要なのは、胃カメラなどの検査ではなくこうしたコミュニケーションなのではないかと思いました。とりあえず、胃の負担を軽減する薬を処方し、その効果を見ながら必要に応じて検査をすることにしました。診察室を出ていくときの彼には笑顔がありました。そのとき私は大学に総合診療部がある意味のひとつはこういうことかもしれないと思ったのでした。

一週間ほどして彼はまた外来にやってきました。私は薬を飲んでみて症状はよくなったかと尋ねてみました。すると彼は「症状の改善はあるがまだ十分ではない」と答えました。そこで今回は前回よりも少し立ち入った話しを聴くことにしました。暖かい中東とはまったく環境の異なる北海道での生活は、彼にとってはさぞかしストレスなのではないかと思ったからです。すると彼はいろいろなことを話してくれました。彼がサウジの王族の一員であり、妻と子供を母国に残してやってきたこと。今回の留学は「箔付け」のための遊学だったことなどが明らかになりました。

言葉の問題で大学院の授業にも、また実習にも支障がでていた彼にはそれなりにプレッシャーだったに違いありません。しかも、所属する研究室の教授は、一日に五回、メッカの方角に向けて礼拝しなければならないムスリムの務めに対しての配慮がなく、彼は自分にとってはそれが一番つらいことだと言いました。多くの日本人は信仰というものを日頃意識していません。ましてや、ムスリムの独特な日常に知識のある日本人など少数だと思います。教授がそんな典型的な日本人であれば、拝礼に対する配慮など想像もつかなかったのかもしれません。

私は工学部に電話をして、ムスリムである彼に礼拝するためのスペースと時間を設けてやってもらえないか頼みました。彼の症状を治すためには、薬を処方することよりも今の環境を整えてあげることの方が大切だと思ったからです。彼はその後しばらく外来に来ませんでした。私は彼のことをすっかり忘れていて、数か月ぶりに彼のカルテが私の手元に来たときになってようやく長期間来院がなかったことに気がつきました。彼が診察室に入って来るまでの間、私は「症状がよくならず別の病院に行ってしまったのだろうか」と思いをめぐらしていました。

診察室に入ってきた彼は笑顔でした。久しぶりに私と会った照れくささからか、それとも症状が良くなったからかわかりません。しかし、私の前に座った彼は「教授が礼拝する場所と時間を作ってくれた」とうれしそうでした。「胃の調子は?」と尋ねると、彼は「オーケイ、ダイジョウブ」とにこやかです。その様子を見て私はなぜかほっとしました。胸のつかえがとれたという感覚といってもいいでしょう。彼が胃の不調を訴えたのは、慣れない環境に住むストレスだけではなく、ムスリムとしての務めができなかったことに対するストレスが大きな原因だったのかもしれません。

だいぶ経って、彼はもう一度私の外来にやってきました。今度は付き添いの人と一緒でした。それは奥さんと小さな息子さんでした。二人は彼と日本で生活するために中東からやってきたのです。奥さんはヒジャブと呼ばれるスカーフをかぶっていました。サウジアラビアは中東でもとくに戒律の厳しい国であり、女性はアッバーヤという黒いマントを頭からすっぽりとかぶって顔を隠さなければいけないことを知っていた私は、奥さんのヒジャブを指さして「アッバーヤ、オーケイ?」と言いました。すると彼はとびっきりの笑顔で答えました。「ココ、ニホン。ダイジョウブ」。

美人の奥さんとかわいい坊ちゃんとの三人で暮らすことになった彼は、それ以来、私の外来を受診することはありませんでした。私が北大の総合診療部に入局したのは、特定の臓器・疾患に偏らない総合内科的な診療を身に着けたいと考えたためです。また同時に、そうした能力を身に着けた医師の養成が総合診療部の役割だとも思っていました。しかし、あの中東からの留学生を診療する経験を通して、心理的な側面から患者を理解し、問題解決の糸口を模索することも総合診療の重要な役割だと感じました。そしてその経験は今の私の診療にも生きています。

全国に次々と設立された総合診療部でしたが、その後、多くが大学病院の中での位置づけが定まらないまま統合あるいは廃止されてしまいました。北大の総合診療部もそのひとつです。それは総合診療の概念を具体化できなかった当時の指導的立場にある人たちの責任です。私は総合診療部に籍を置いていたときから「このままでは総合診療がなくなってしまう」と危惧していました。そしてそれは現実のものとなってしまいました。今でも「病気を診ずして病人を診よ」という言葉が恥ずかしくなるような医療をしばしば目にします。そのたびに総合診療部がなくなってしまった事実の重さを痛感します。

信仰とはなにか

今回は信仰について書きます。我が家(というよりも瀬畠家)は先祖代々仏式の葬儀・葬式をしており、亡くなった父親も仏式の墓に眠っています。しかし、私自身が仏教徒かと問われれば、仏教のなんたるものかについての知識はほとんどありませんし、仏教徒といえるほど功徳を積んでいるわけでもありません。宗教とはなにか、信仰とはどのようなものかすらわかっていないと思います。にもかかわらず今回信仰について語るのは不適切かもしれません。また、すでに信仰をもっている方たちにとって不快なこと、あるいは陳腐なことを書いてしまうかもしれません。そのときは、信仰を持たぬ者のたわごとだと思ってお許しください。

先日、2017年に公開されたマーチン・スコセッシ監督の米映画「沈黙-サイレンス」を観ました。この映画の存在はそれとなく知ってはいましたが、さほど興味・関心はありませんでした。「クリスチャンである欧米人から見た【可哀そうな隠れキリシタンの弾圧】を描いたもの」と決めつけていたからです。欧米人の日本人あるいは日本に対する偏見で描いた映画などたかが知れていると。そして、「当時の日本人がどのような思いで隠れキリシタンとなり、どのような思いで彼らを取り締まったのかなど欧米人には理解できまい」とも思っていました。しかし、そうした私の思い込みはいい意味で裏切られました。

この映画の原作は遠藤周作の小説「沈黙」です。ご存じのとおり遠藤周作自身もカトリック信者であり、「イエスの生涯」や「深い河」といった宗教あるいは信仰に関わる本を何冊も執筆していることで知られています(「深い河」は私の好きな一冊で、当院待合室の書棚にもおいてあります)。監督であるマーチン・スコセッシは遠藤周作のこの原作を読んで以来、ずっと映像化することを切望してきたといわれるだけあって、日本人が観てもまったく違和感を感じない映画になっていました。単なる「宗教弾圧」を描くのではなく、宗教とはなにか、日本人にとって信仰とは、という深くて重いテーマを問いかけた力作だと思います。

映画「沈黙-サイレンス」は17世紀の日本が舞台です。誰もがイエズス会のエースと認める宣教師が日本で行方知れずになります。 キリスト教を捨て、日本人として暮らしているというのです。彼に教えを受けた宣教師ロドリゴは、ガルベ神父とともに恩師を探しに日本に密かに上陸します。しかし、彼らが目の当たりにした日本の禁教政策と隠れキリシタンの現実は、二人の信仰そのものの意味を問いかけるものでした。この映画で一番印象に残ったのは、隠れキリシタンに棄教を迫り、踏み絵を拒む者は容赦なく絞めあげる奉行(この奉行もかつてはキリシタンでした)の言葉です。

The price for your Glory is their suffuring(お前たち宣教師の栄光の代償は彼らキリシタンたちの苦しみなのだぞ).

以前の記事でも紹介しましたが、イエズス会はキリスト教の「武闘派」と呼ばれるほどローマ教皇・ローマ教会に忠実な宗派でした。キリスト教を広めるためであれば自らの命も惜しまない宣教師たちばかりです。教皇の命(めい)を受ければどんな辺境の地へも進んで布教に向かいます。当時は宗教改革の真っただ中でした。キリスト教の権威・権力が高まるとともに、教会は腐敗し、金欲にまみれたものになっていきました。しかし、そうした教会の堕落を憂いた人たちが、信仰の中心は教会ではなく聖書にあるとする「聖書中心主義」を主張してカトリック教会と対峙します。それがのちにプロテスタントと呼ばれる人たちでした。

プロテスタント信者はその後急速に数を増やしました。危機感をもったカトリックは、信者の獲得を目指してたくさんの宣教師を海外に送りました。日本にもカトリック宣教師が送られてきました。フランシスコ・ザビエルはそのひとりです。ザビエルはイエズス会創設当時からのメンバーであり、イエズス会を代表する宣教師でした。当時、黄金の国だと信じられていた日本をキリスト教の国にすることは、イエズス会を保護していたスペインの覇権を広げることにもなります。植民地から香辛料やばくだいな銀を得てスペインは栄えました。布教の急先鋒としてのザビエルには大きな期待がかけられていました。

日本にやってきたザビエルは、日本人の生真面目さ、几帳面さ、そして主(あるじ)への忠実さを目の当たりにし、「日本人ほどキリスト教徒にふさわしい国民はいない」と本国に報告しました。実際、ザビエルの布教によってたくさんの日本人がキリスト教徒になりました。 それにともない、長崎周辺から神社仏閣が消え、教会が次々と建てられるようにもなったのです。 イエズス会は、キリスト教を日本に根付かせるために、九州のキリシタン大名に大砲や弾薬を与え、長崎周辺を要塞化することを密かに考えました。しかし、こうしたイエズス会の方針は、やがて秀吉たち日本の為政者たちにキリスト教に対する猜疑心を植え付けることになります。

大村・有馬などのキリシタン大名の動向に危機感をもった秀吉は、それまでのキリシタン容認という態度を一転させ、1587年、伴天連追放令を出してキリスト教の布教活動を制限しました。そして、追放令にもかかわらず大坂を中心に関西地域で布教活動をしていたキリシタンたちを次々と逮捕したのです。キリシタン大名とも親交のあった石田三成が、逮捕されたキリシタンたちに同情し、170名もの人たちに恩赦をあたえました。しかし、最後まで信仰を捨てようとしなかった、6名の外国人宣教師、6名の日本人宣教師、そして5名の未成年者を含む計24名のキリシタンは、途中で自らの意志により殉教に加わることになった2名とともに長崎に送られ処刑されました。いわゆる日本二十六聖人の殉教者です。

時代は江戸に代わってもキリシタンに対する厳しい取り締まりは続きました。幕府は1614年に禁教令を出してキリスト教の全面禁止を打ち出し、キリシタン大名たちは改宗・改易を強制され、なかには追放される者すらいました。そして、キリシタン大名に仕えた多くの家臣たちが浪人となりました。こうした幕府の方針は、キリシタンの潜伏化をもたらし、キリシタン大名に仕えた浪人たちの不満を高めることになったのです。その不満が頂点に達して起こったのが1637年の島原の乱です。3万7千人ものキリシタンが、有馬氏が改易して主(あるじ)を失った原城にたてこもって12万の幕府軍と対峙したのです。中には幕府側の説得に応じてキリスト教を棄教して城をあとにする者もいました。しかし、最終的に籠城を続けた2万6千人が戦死しました。

映画「沈黙-サイレンス」の中で、隠れキリシタンたちに棄教させようと、奉行らは繰り返し「形だけでいいのだ。軽く踏むだけでいいのだ」と諭す様子が描かれています。 当時のキリシタンの中には、家族が、あるいは村の多くの人々がキリシタンになったという理由から、心ならずもキリシタンになった人も少なくありませんでした。ですから棄教を諭されると、それに素直に応じるキリシタンも少なからずいたのです。 そもそもキリシタンを見つけ出す絵踏みは幕府が強制したものではありません。 取り締まり自体は必ずしも厳しいものばかりではなく、取り締まりには地域差があったともいわれています。

映画では、生きるために仕方なく絵踏みをしてしまうキチジロウというキリシタンの漁師がでてきます。彼はキリシタンでありながら、イエスの肖像を踏んでしまった「罪」に苦しみ、宣教師ロドリゴに「告白」をして許しを乞います。彼の家族は絵踏みをしなかったために火あぶりにされました。しかし、取り締まりから逃れて生き延びるため、なんどもなんどもこの「罪」を繰り返すキチジロウ。そのたびに涙をながして許しを乞いながら、繰り返し主イエスの肖像を踏みつける彼のことをロドリゴは理解できませんでした。それでもロドリゴはキチジロウの告白に耳を傾け、何度も「罪」を繰り返す彼を許すのです。

またロドリゴは、捕らえられ、命と引き換えに棄教を迫られる農民たちが平然としているのを目にします。「おまえたちは殺されるかもしれないのになぜ平気なのか」と怒りをあらわにするロドリゴ。するとひとりの娘が答えます。「かつてパドレ(神父)が言っていました。天国には苦役も重い年貢も、病気も苦痛すらもない。いつもそばに神さまいらっしゃる幸福な場所が天国だと。そんなところに行けることはいいことなのでは?」と。ときに笑顔でそう言って疑わない娘をロドリゴは複雑な目でながめます。そのまなざしはまるで「そんなことを本当に信じているのか」といっているように私には見えました。

そのとき、キリシタンを取り締まる奉行が宣教師に吐き捨てるように言うのです。「あの愚かな百姓どもは自分のあたまで考えることができないのだ。あやつらをいくら責めても彼らは改宗はしない。やっかいな事態になるばかりじゃ。むしろお前たち宣教師を棄教させるのが一番だということがわかったのだ」と。いくら棄教をせまってもキリシタンは信仰を捨てようとしません。責められ、たとえ命を落とそうとも信仰を捨てようとしないのです。しかし、それは宣教師たちのいいつけをかたくなに守るキリシタンたちの純粋さが故のこと。奉行らはそうしたことに気づき始めたのです。

The price for your Glory is their suffuring(お前たち宣教師の栄光の代償は彼らキリシタンたちの苦しみなのだぞ).

人に幸福をもたらすはずの信仰によって苦しむという現実。そんな現実を目のあたりにして、主人公の宣教師ロドリゲスは悩みます。自分がキリスト教を棄教しなければ罪なき人が命を失っていく。自分はなんのために主イエスに仕え、この貧しき善良な人々を導いているのだろうかと自問するのです。「主よ、あなたはなぜ黙っておられるのですか」と。目の前で拷問にあっているキリシタンたちのうめき声を聴きながら耐えるロドリゴ。突然、主イエスの声が聴こえます。「私を踏むのだ。汝らの苦しみを救うために私は使わされたのだ」と。この声は主イエスのものなのか。それとも彼自身の心の声だったのか。

この映画はたんなる「隠れキリシタンの弾圧」を描くものではありません。宗教とはなにか、信仰はなんのためにあるのか、という根源的な問いかけをしているように思います。映画の終盤、日本で姿を消したロドリゴの恩師でもある宣教師の存在感が増します。イエズス会のエースともいうべき宣教師がなぜ忽然として姿を消したのか。その理由が徐々に明らかになっていきます。これ以上書くとネタばらしになってしまうのでこのくらいにしておきますが、人を幸福にするはずの信仰がなぜこうまで人を苦しめるのか。その苦しみの意味とはなにかを考えるいい機会になると思います。是非この映画をご覧になってください。

後輩からのプレゼント

先日、我孫子第四小学校の五年生のみなさんから激励のプレゼントが届きました。「コロナに負けるな」と刺繍がほどこされた手作りのマスクとともにみなさんから励ましのお手紙をいただきました。


私が第四小学校を卒業してもう少しで50年。当時竣工した新しい校舎が今ではもっとも古い校舎になってしまいました。校長室には歴代校長の写真が飾られています。その中に並ぶ当時の校長先生もずいぶんと昔の校長になっていて、今更ながらに自分が歳をとったことを実感します。後輩たちが一生懸命に作ってくれたプレゼントは院内に飾ってあります。来院した患者さんたちにも是非見てほしいと思います。

可愛い後輩のみなさん、どうもありがとうございました。

原発事故の教訓

10年前の3月11日に東日本を襲った大地震。三陸沖130㎞付近の海底で発生した地震のエネルギーはマグニチュード9だといわれています。また、震源が約24㎞と比較的浅かったこともあって、この地震によって震度7を超える強い揺れを記録する地域もありました。まさに日本周辺に発生した地震の中でも史上最大級のものといってもいいでしょう。


あのとき、私はクリニックの外来で診療をしていました。冬も終わりを告げ、徐々に春めいてはきましたが、空は厚い雲におおわれてちょっと寒かったことを覚えています。待合室には数人の患者が診察を待っていました。私は診察室で常連さんとたわいもない世間話しをしていたのですが、突然、遠い彼方から、地鳴りでしょうか、音とも、振動ともつかぬわずかな感覚が足に、そして全身に伝わってきました。私は瞬間的に地震がやってくるのだと思いました。


遠くに聞こえていた地鳴りはほどなく大きな横揺れと縦揺れとなってクリニックを大きく揺さぶり始めました。揺れの大きさといい、ゆれ続けた時間といい、私が今まで経験してきた地震とはあきらかに異なっていました。普段、地震ぐらいではそれほど驚かない私も、今回だけはいつもとちょっと違うことを確信しました。

昨日、福島第一原発事故を描いた映画「Fukushima50」がTV放映されました。原発で働く人たち、あるいは自衛隊や消防、警察の皆さんが、原発事故の収束に向けて、まさに命がけで、いかに苦労されたかが伝わって来る映画でした。地震の直後の私は発生した津波の破壊力のすさまじさに圧倒され、原子力発電所がどんな状況になっているかなど考える余裕もありませんでした。
私は地震の揺れがまだおさまらない中、院内にいた職員や患者さんたちがパニックをおこして外に飛び出さないよう必死に声をかけていました。院長室から待合室にもってきたラジオからは各地の震度とともに予想される津波の高さが報じられていました。それは「6mほどの津波が到達する」と想像をこえるものでした。


実際にはその2倍の高さの津波がおし寄せましたが、それでも「約6mの高さ」と聞いたときはなにかこれから恐ろしいことが起こるのではないかと感じました。その胸騒ぎは的中し、想定をはるかに越えた津波はたくさんの人の命と家屋をのみ込み、原発の建物を突き破って施設を破壊して、全電源喪失という予想もしなかった最悪の事態をもたらしたのでした。

当時のマスコミの論調も、また、いちぶの心ない市民たちからも、東京電力への非難の声があがりました(それは今もなおいちぶの人たちで続いています)。たくさんの人が亡くなり、多くの住民たちが避難を余儀なくされたのが東京電力のせいだというのです。しかし、私は当初から「それは東京電力のせいではない。ましてや東電の社員を責めるのは筋違いだ」と繰り返してきました(こちらもどうぞ)。


なるほどたくさんの住民がその後、長期間にわたって不自由な生活を強いられることになりました。福島原子力発電所の事故によって放射性物質が広範囲に拡散したからです。しかし、その事故はもとをたどれば専門家の予想をはるかに超えた巨大津波が原因です。それまでの専門家会議で想定されていた津波の高さはおおむね6mでした。その後の見直しによって徐々に想定水位があげられ、その都度、原発では対策が進められてきました。でも、残念ながらその対策は今回の巨大津波には間にあいませんでした。


福島第一原発を襲った津波は施設内の建屋を5mも水没させる最大水位16mを超えるすさまじいものでした。この千年に一度とも、数百年に一度ともいわれる大地震によって打ち寄せた巨大な海水の塊にどう立ち向かえばよかったというのでしょう。結果論で責めることは簡単です。しかし、誰一人として想像だにしていなかった災害に加害者はいないはずです。

震災当時、国会には東電の幹部が参考人としてなんども招致され、まるで人民裁判のような質疑がおこなわれました。そして、「津波が想定を超える高さだった」と説明する参考人に、「その想定が間違っていたんだろ」とヤジを飛ばす議員もいました。しかし、想定とはそういうものなのです。想定の根拠となる科学に絶対などないからです。こんなあたり前なことも理解できない国会議員にはあきれるばかりですが、そんな理性的になれない人たちは十年も経った今でも存在します。


原発事故そのもので、あるいは福島第一原発から漏れ出た放射性物質が原因で亡くなった人はただのひとりもいません。原発事故や放射性物質の恐怖にさいなまれ、避難を余儀なくされた生活に精神の不調を来した人はたくさんいました。そのなかには自ら命を絶った人も少なくなかったでしょう。しかし、それは東京電力のせいでも、社員のせいでもなく、いわんや東電社員の家族の責任では決してありません。

一方で、子ども達の避難が遅れたと学校の責任を問う裁判や、路上教習をさせていた自動車教習所の過失を問う裁判なども行なわれています。しかし、よく考えてみて下さい。この震災ではみんなが被害者なのです。児童を避難させるのが遅れた教諭も亡くなりました。地震で揺れる中で路上教習させていた教官だって亡くなっています。

あの未曾有の災害に加害者なんていないのです。確かに震災でたくさんの人が亡くなりましたが、そのほとんどは津波によるものです。 もし、責任を問うべきだというなら、1万8000人あまりの人命を奪った巨大津波への対策を怠った行政の責任も問われるべきです。しかし、津波に対応できる防潮堤や街の移転を進めてこなかった地方自治体の責任を問う人はいません。 誰ひとりとしてあのような大きな地震が起こり、類を見ない巨大な津波に襲われるなんて想像していなかったからです。 にもかかわらず 津波への対応策が間に合わなかった東京電力だけが責められるのは不条理です。

先日の映画「Fukushima50」でも、避難してきた人たちの一部が東電社員の家族に冷たい視線を送り、「あんなところに原発を作ったからだ」「俺たちの生活をどうしてくれる」と心無い言葉を投げつけるシーンがありました。実際にもこうした光景が見られたと聞きます。福島ナンバーの車がいたずら書きされたり、福島県から他府県に避難してきた子どもたちが嫌がらせを受けたという事例も複数報道されています。

不安や怒りからのこととはいえ、こうした心ない言動を抑えきれない人たちがいます。かつて、大東亜戦争(太平洋戦争)のときもそうでした。戦地に向かう兵隊さんを万歳で送り出した人たちが、終戦後、戦地から引き上げてきた兵隊さんに「お前のせいで日本が負けたんだ」と石を投げることもあったと聞きます。あの無謀な戦争に突っ込むことになった責任は、当時の新聞によって戦意をあおられた国民にもあったはず。そうした国民を守るために戦った兵隊さんは、ある意味、その犠牲者、被害者だったともいえるのではないでしょうか。


私たち国民がいつも「か弱い被害者」とは限りません。無意識のうちに「傲慢な加害者」になっている場合もあります。それは新型コロナウィルスの感染が拡大している今も見られる光景です。よりによって感染患者に対して、あるいはその患者を治療・ケアする病院関係者に対して心無い言葉をぶつける人たちがいます。福島原発事故はこうした理不尽な現実を繰り返してはいけないことをも教えているのではないでしょうか。