院長が気まぐれな雑感を述べます。個人的な意見が含まれますので、読まれた方によっては不快な思いをされる場合があるかもしれません。その際はご容赦ください。ほんとうに気まぐれなので更新は不定期です。
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3月に入ってほぼすべての学校が休校となり、国内のさまざまなイベントが自粛されるなど、新型コロナウィルス(COVID-19)の影響はじわじわと日本の社会に影響をあたえています。これまで私が言い続けてきたように、COVID-19の感染はまだ流行の域に達してはいませんが、日本でもこのまま感染者の数が増え続ければ「流行宣言」がなされる事態になるかもしれません。その意味でも、今のこの時期こそ、感染拡大をおさえるための重要な局面に入ってきたといえるでしょう。
「希望するすべての人に検査」?
TVでは何の医学的知識もないコメンテータが、あいもかわらず「希望するすべての人に検査を」などとしたり顔です。それでも素人のコメンテータならまだご愛敬と笑っていられますが、医師という肩書をもったコメンテータ(医学系芸人)ですら同じようなことを言っているのは困ったものです。困る以上に迷惑です。彼らが感染症の専門家ではないにせよ、多少なりとのも医学統計学を勉強した人ならそんなことは言わないだろうと思うことを真顔で言っているのですからあきれます(不勉強にもほどがある)。
私自身、診療していると、患者さんの中には「先生も大変ですね」と心配してくれる人がいます。心配してくれるのはありがたいのですが、そうした患者さんには「心配はしていますが、まだ大変ではないですよ」とお話ししています。「だってまだ流行してませんから。これからどうなるかわかりませんけど。アウトブレイクさせないためにも今の状況を正しく理解する必要があります」と説明して、現在の日本におけるCOVID-19の感染状況および今なすべきことをお話しするようにしています。
前回のブログにも書いたように、今、検査のあり方について誤った情報が広まっています。そのひとつが国会議員の先生の発言です。よりによって国会のお偉い方が「検査を希望する人全員に実施しろ」と絶叫していますが、そんなことをすればどうなるかわかって言っているのだろうかと心配になります(どうせわかってない)。今回はそれらのことをわかりやすくお話しします。私見もふくまれていますが、なんの根拠もない憶測ではありません。多少難しいかもしれませんが、最後まできちんと読んでください。
ここ数日、COVID-19に感染した患者の数がにわかに増えたような気がしませんか。確かに「感染が確認された人」の数は以前よりも増えています。だからといって「ほら、やっぱり増えている。これからどんどん増えて中国のようになるんだ」なんて不安にならないでください。実は、3月4日から検査の件数がこれまでの2倍以上に増えているのです。検査の数が増えれば「感染が確認された数」が増えるのはあたりまえ。でも、検査件数の数が2倍以上になったから「感染者」の数も2倍以上になったでしょうか。答えは否です。
東洋経済のホームページを見てください。ここを見ればわかるように、検査数が2倍以上になったわりには新たに見つかった感染者の数がそれほど増えていないのです。それはなにを意味しているのでしょうか。実は感染者がそれほど多くはないということを示しています。しかも、検査件数が増える直前の感染者数を見るとだんだん頭打ちになっているようにも見えます。そうです。日本におけるCOVID-19の感染者数はそろそろピークアウト(峠を越す)を迎えようとしているのです。
「検査をもっと増やせばもっと感染者が見つかる」?
そんな楽観的なことを言うと標題のような反論が聞こえてきそうです。なぜそんなに感染者数が多くあってほしいのかわかりませんが、検査をもっと増やして「希望する人すべてに検査」をしたらどうなるでしょう。前回のブログにも書いたように、偽陽性(感染していないのに陽性となること)がめちゃくちゃ増えて、偽陽性の人と本当の感染患者が病院で錯綜して感染を拡大させてしまう危険性があるのです。そして、治療を要しない患者にも医療資源が使われ、治療が必要な重症患者の診療に支障がでてしまうのです。
しかも、検査をむやみに行えば、COVID-19に実際には感染しているのに陰性と判定してしまう偽陰性も増えます。つい最近も、陽性と判定された患者がスポーツクラブや保養所、あるいは飲食店などに立ち寄って問題になりました。陽性と判定されてもこんなことをする不届き者がいるのですから、偽陰性と判定された患者が「陰性というお墨付きをもらった」といろいろな場所に行き来して感染を広めることは想像にかたくありません。検査のやりすぎはメリットよりもデメリットの方が大きいのです。
それは今の韓国やイタリアが証明しています。韓国の感染拡大の原因のひとつに検査のしすぎがあるといわれています。COVID-19のPCR検査は痰や鼻水を検体として採取する際に医療従事者あるいはその周囲に感染を広げてしまう危険性があります。したがって、検査の際は完全防護のうえで、適切な場所で実施しなければなりません。その辺のクリニックで安易に実施できる検査ではないのです。しかも、検査センターに輸送する際には講習を受けた人がしっかり三重に梱包しなければならないと規定されています。
そんな検査をドライブスルーなどで安易に実施していいはずがありません。誰が考えてもわかることを韓国はやってしまったというわけです。単純に「検査件数が多いから感染者数が多くなった」のではなく、安易な検査のために感染を広げてしまったという側面も無視できないのです。韓国は今、患者あるいは感染を心配した人たちが医療機関に押し掛けて「医療崩壊」の危機にあるといいます。この韓国の例を見ただけでも「希望する人すべてに検査」をすればいいというものではないことがわかります。
一方のイタリアでも医療崩壊が懸念されています。感染者数とともに死亡者の数も増加の一途です。この原因のひとつに「検査陽性患者全員を病院に収容したこと」が指摘されています。つまり、重症でもない患者を病院に収容することによって医療機関の機能を低下させてしまったというわけです。イタリアでも日本と同様にクルーズ船の扱いに困りました。しかし、イタリアでは日本とは違って早期に乗客を下船させてしまい、これが感染を広げる端緒になったともいわれています。
「検査しても正しく感染者を選別できないならどうしたらいい」?
標題のように言う人もいるかもしれません。しかし、現在のCOVID-19の検査の目的は、一義的には「重症患者の肺炎の原因がCOVID-19なのかを鑑別するため」というところにあり、もうひとつには「感染状況を概観するため」というところに目的があります。COVID-19に感染した患者の80%は軽症で治ります。つまり、ほとんどの患者は風邪症状で治ってしまうのです。重症になるのは5%にも満たない人達です。「軽い風邪症状の人は自宅で安静にしていましょう」と推奨されているのはそのためです。
つまり、検査の目的は単に「感染しているかどうか」を調べることにあるのではなく、重症肺炎の患者におけるCOVID-19の感染の有無の確認なのです。ですから、症状が軽微であればあえて検査を受ける必要はなく、感染者との接触があった場合に限って念のために検査、というものなのです。「PCR検査に健康保険がきくようになったが、まだ検査できる医療機関が限られている」なんてピント外れな新聞の記事がありました。しかし、検査の目的を理解せずに記事を書くとこうなるといういい例です。
「たくさん検査をしなければ感染の実態がわからないじゃないか」と思う人がいるかもしれません。しかし、感染の実態は統計学的な理論にもとづいておこなわれた検査であれば推測することは可能です。つまり、検査対象者を適切に選択して検査をおこなえば感染の実態を把握することはできるのです。でも、その統計では軽症が多いのか重症が多いのかまではわかりません。ここで重要なのが重症者、とくに死亡者数の推移です。感染症対策の要諦は感染拡大の防止と重症者への対応です。
そういう観点から眺めてみると、3月7日現在の日本でのCOVID-19による死者数は6名(クルーズ船の乗客分は除く)。しかも3月1日に6名になってから死亡者数は増えていません。日本は世界でも比較的早期から感染患者を出しています。にもかかわらず、他の国々とくらべて見ても重症患者の発生数は少ないのです(資料1)。それは日本の医療レベルの高さによるものかもしれません。あるいは清潔な日本の環境の良さからかもしれません。いずれにせよ日本の死亡者数が少ないことは特筆に値します。
資料1)COVID-19による死亡者数(対人口10万人あたり:3月5日現在)
日本:0.005人 韓国:0.068人 イラン:0.11人
イタリア:0.17人 中国:0.22人 米国:0.003人
私が今回の記事で言いたかったのは、日本での感染もいよいよピークアウトか?というときに、検査の対象をむやみに拡大し、検査を増やすことによって逆に感染拡大を招く危険性があるということです。繰り返しますが、COVID-19に感染しても軽症であれば風邪症状だけで治ります。高熱と咳が続く肺炎合併例にこそ感染の有無を確認し、真に入院加療を必要とする感染患者に医療資源を集中することがもっとも重要なのです。そのためにも不要不急な検査による医療崩壊は絶対におこしてはいけません。
今日の外来にも「コロナに感染していないでしょうか」と心配して来られた患者さんがいました。その人は熱もなく、咳もしていませんでした。インフルエンザのワクチンを接種していないその患者さんに私は笑いながら言いました。「新型コロナの感染を心配する前にインフルエンザに感染することを心配した方がいいんじゃないですか」と。でも、それは決して嫌みではなく、資料2にあるように本当にそうなのです。日本におけるインフルエンザによる死亡者数はCOVID-19での死亡者数の20倍から500倍も多いのです。
資料2)日本における主要感染症の死亡者数(対人口10万人あたり:3月5日現在)
2009年に流行した新型インフルエンザ 0.16人
2009年~2018年の季節性インフルエンザ 0.12~2.63人
※ちなみに、前出のようにCOVID-19 0.005人
あおられてはいけません。こういう非常事態にこそその人の本性が見えてきます。普段は紳士でも、実は人を押しのけてまで商品を奪い取る人かも知れません。普段は冷静でも、実はパニックになってデマを言ってまわる人かも知れません。普段は優しそうに見えても、実は傲慢な差別主義者かも知れません。TVをはじめとするマスコミの本性もそこにあります。本来であればこのブログで取り上げたようなことを報道しなければいけないのに、国民の不安や不満をあおることばかりを垂れ流すのはなぜでしょうか。
与野党を問わず国会で新型コロナの感染拡大阻止に向けて協力すべきときに、ついこの間まで「桜を観る会」のことばかりでした。そして、ようやく新型コロナのことがとりあげられたかと思ったら今度は「政府の責任の追及」なんだそうです。一方で超党派の議員の間では、1000人の患者を収容できる病院船の建造を検討しているといいます。250億円の建造費もさることながら、係留費、維持費、人件費、使用頻度のことも考えないこんな愚策が飛び出してくるなんて。もっとやることがあるでしょうに。
こうした国会議員の先生方の脳天気にもあきれますが、いまだに買い占めなんてやってる国民にもあきれます。TVのワイドショーばかりを見ていると、ものごとの本質を見失い、理性的でいられなくなるのかもしれません。しかし、震災・放射能騒動のときもああだったのに、あのときの教訓はどこにいったのでしょう。せめてこのブログを読んでくださった皆さんだけは理性を働かせて行動してください。そして、まわりの理性を失った人たちに呼びかけてください。「もう少し冷静になりましょう」と。
明日から春休みまで全国の小中高校が休校します。新型コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大を防ぐための措置だそうです。でも、おかしくないですか?学校の休校って構内での感染拡大を防ぐものなのに。なんで感染が拡大していない学校もふくめてすべてが休校しなければならないのでしょう。いろいろな社会的損失があってもやることなのでしょうか。感染症の専門家が進言したことには到底思えません。一般国民と同様に政権の内部さえもCOVID-19の感染者の増加に浮足立っているようにも見えます。
しかし、2月27日現在、クルーズ船での感染者を除くと日本の感染者数は186名(チャーター便での帰国感染者15名を含む)。このうち無症状者は19名、死亡者3名です。これって「流行」なんでしょうか。浮足立つほどの「急速な感染拡大」なんでしょうか。世の中には「感染者の少なく見えるのはCOVID-19の検査を大々的にやってないからだよ。検査をすればもっと感染者数がふえるはず」と叫びまわっている人がいます。こうした理性的になれない人がTVのワイドショーにたくさんいるからこれまたやっかいです。
「検査をもっと大々的にやればいい」と考える人は多いかもしれません。人によっては「無症状の人もふくめて希望すればすぐに検査ができる体制を」なんてしたり顔でコメントするもんですから、TVばかり見ている国民はどうしても「そうだ、そうだ。政府はなにをやっている」となるのですが事実は少し違います。検査についてはその利点と欠点をわかっていなければなりません。なのに医者ですらそんな基本を知らない人が少なくなく、ワイドショーにでてる医者(医学系芸人?)もめちゃくちゃを言っています。
今日は少しわかりにくいかも知れませんが、この検査のことについて書きますので一緒に勉強してみましょう。まずは基本的な用語についての説明です。検査はある病気を見つけるために行うのですが、すべての検査が百発百中ではなく、病気であることを見逃してしまったり、病気ではないのに病気だと誤診してしまうことがおこりえます。そのため、検査においては「病気の人を病気だと診断できる的確性」を感度、また、「病気でない人を病気なしと正しく診断できる確実性」を特異度と定義してその正しさを評価します。
次に本当の患者を陽性と判断した場合を「真の陽性」といい、患者ではないのに陽性としてしまった場合を「偽陽性」といいます。一方で、患者ではない人を陰性と判断した場合を「真の陰性」、患者なのに見落としてしまった場合を「偽陰性」といいます。ですから、「いい検査」とは偽陽性や偽陰性が極力低いものと定義できます。つまり、感度と特異度が高い検査ほど「いい検査」となり、現在の診療で広くおこなわれているインフルエンザの検査の感度や特異度はともに97%か98%とかなり高くなっています。
そんな検査だからさぞかし「正確」だろうと思いきや、必ずしもそうではありません。検査で見つけようとしている病気の頻度(有病率)がどの程度のものか。あるいは検査をしようとする集団にどの程度の患者がいるのか(事前確率)によっても検査の「精度」がかわってきます。これらはベイズ統計学という統計学的な理論にもとづいているのですが、私たちが医学生のころに「EBM(Evidence Based Medicine:根拠にもとづいた医療)」として広く知られるようになった学問です。
少し難しいので、まずこの感度、特異度について一般的にいわれている特徴を列挙します。
●めずらしい病気を見つけるためにたくさんの検査をすると偽陽性が増える
●患者がたくさんいる集団に検査をすると偽陰性が増える
これらの例を実際の数字をあてはめて考えてみましょう。ここでは感度99%、特異度99%という「精度の高い検査」を仮定します。感度99%とは本当の患者の99%を陽性とする確率であり、特異度99%とは患者ではない人の99%を陰性にできる確率を意味します。
例1)1000人の中に100人の患者がいる場合(患者ではない人は900人)
陽性適中 99人・・・偽陽性(過剰診断)9人
陰性適中 891人・・・偽陰性(見落とし)1人
例2)1000人の中に10人の患者がいる場合(患者ではない人は990人)
陽性適中 9.9人・・・偽陽性(過剰診断)9.9人
陰性適中 980.1人・・・偽陰性(見落とし)0.1人
病気があることを的中させる確率(陽性適中率)を計算すると、例1)では91.7%であるのに対して例2)では50.0%と大幅に低下してしまいます。その一方で、病気ではないことを的中させる確率(陰性適中率)は例1)で99.9%、例2)では100%となります。つまり、感度99%・特異度99%という「精度の高い検査」をしても、患者の少ない集団を調べれば病気を正しく見つけ出すことができないのです。そして、その検査をたくさんの人に実施すればたとえ陰性適中率が99.9%だとしても偽陽性を増やすだけです。
具体的に今のCOVID-19にあてはめて考えてみましょう。COVID-19という新興感染症はまだ流行という状況にはなく、有病率もおそらくかなり低い状況にあると考えていいと思います(対人口比:0.0002%)。そんなときに「検査をしたいという人が全員検査できること」って重要なのでしょうか。「検査をして陰性だった人に感染確認」などというニュースを聴いて、「なにをやっているんだ」と検査の実施方法を批判する人もいます。しかし、検査には偽陽性とともに偽陰性もあることを知った上で議論しなければいけません。
現在のCOVID-19感染の拾い上げはPCRという方法でおこなわれています。これはウィルスの遺伝子を大量に増幅して検出しようというものです。遺伝子を使うのだからさぞかし正確だろうと思われるかもしれませんが、COVID-19はRNAウィルスであり、通常のDNAを使うPCRよりもあつかいが難しいようです。したがって、感度は40%、特異度は90%といわれており、精度的にも決して正確な検査とはいえないのが実情です。そんな検査を対象もしぼらずにおこなえば防疫という観点から大きな問題が生じてしまいます。
例3)1000人の中に10人の患者がいる集団に感度40%・特異度90%の検査をする場合
陽性適中 4人・・・偽陽性(過剰診断)99人
陰性適中 891人・・・偽陰性(見落とし)6人
陽性適中率:3.9%
陰性適中率:99.3%
例4)人口1億人の国に1000人の患者がいて、感度40%・特異度90%の検査を国民全員におこなう場合
陽性適中率:0.004%
陰性適中率:99.9%
現在おこなわれているPCR検査の信頼性が本当に例3)だと仮定すると、検査を希望する国民に幅広くおこなえば、むやみに偽陰性の患者を増やしてしまいます。そして、その患者は「検査に異常がなかった」と判断して、行動制限をやめてしまうかもしれません。また、検査数そのものが増えていけば、偽陽性の患者も増えていき、無駄な診療がおこなわれ、患者を収容できる病院の数と機能を低下させて、重症患者の治療に差し障りがでるかもしれません。例4)からもわかるように、PCR検査は病気を否定する検査ではないのです。
クルーズ船の乗客に対する検査はいろいろな制約の中でよくやったと思います。下船時の検査で陰性だった人が、その後、感染していたことがわかったケースもあります。しかし、これはある意味で仕方のないことなのです。乗客を早期に下船させなかったことも適切です。むしろ、1月下旬の段階で中国からの入国制限をしなかったことがおかしいと思います。すくなくともこの時期に封じ込めをすれば、今の感染者数を抑制し、拡大のスピードをもっと遅くできたかもしれないからです。
私はよく日常の診療において、まだ軽症であるにもかかわらずインフルエンザの検査を希望する人に、「一番怪しいと思うときに検査をするべき」だと説明します。それは以上のような理由があるからです。検査はすればいいというものではありません。「意味のある検査」をしなければならないのです。あれもこれもと一時の不安にかられて検査を求めることは診断を誤り、混乱と不安を拡大させるだけです。繰り返しますが、COVID-19はまだ流行していません。もちろんこれからどうなるかは別問題ですが。
今年の季節性インフルエンザの流行は収束したようだ、と報じられました。これまでに今年度も累計3万7198人の感染者がいました。インフルエンザに関連した死者も2018年度に3325人、2017年度で2569人と決して少ない数ではありませんでした。インフルエンザはまだまだ「死ぬ感染症」なのです。にもかかわらずワクチンの接種をしないでも平気な人がいます。しかも、そうした人の多くもまた「流行もしていない新型コロナウィルスの感染を恐れている」という事実をどう考えたらいいのでしょうか。
※今回の統計学の説明に間違いがあったら下記のコメント欄でご指摘ください
このブログで新型肺炎について書いたのはつい1か月前のことです。あのとき私が懸念したことが現実のものとなり、新型コロナウィルス(正式呼称は「COVID-19」)に感染した人は今も増加を続けています。感染源である中国での感染者は2月21日現在で75000人を超え、死者もついに2200人を上回っています。前回のブログで警告しましたが、COVID-19に感染した人をふくめたたくさんの中国人が来日したこともあり、2月21日現在で感染者93名(うち無症状病原体保有者14名:15%)であり、死亡した人は1名です。なお、ここにはクルーズ船での感染に関わる数字ははいっていません。
さて、今回のCOVID-19の感染患者に関しては、2月11日時点での疫学調査結果が中国から発表されました。いかんせん彼の国のことですから、これらの統計データにどの程度の信頼性があるのかは定かではありません。統計の基準がなんどか変更されていますから。おそらく中国共産党政府への批判につながらないことを優先してのことでしょう。ですから、今後、WHOなどの国際機関が正式に調査をすれば多少の訂正があるかもしれません。とはいいながら、現時点で発表された結果をみれば、COVID-19の姿をおおざっぱに垣間見ることができます。「正しく恐れる」ためにもこれらの数値を眺めてみましょう。
ながながと数字を並べてもわかりずらいので要点を列挙します。
●中国全土でCOVID-19の感染が確定された44000例を超える患者のデータ解析結果
●19歳以下の患者が2.1%、20~59歳は66.7%、60歳以上は31.2%(うち80歳以上は3.2%)
●患者の80.9%が軽症、中等症は13.8%、重症例は4.7%
●死者数は19歳以下で0.2%(うち9歳以下なし)、20~59歳は2.1%、60歳以上は26.4%
●致死率は全体で2.3%(武漢市で3%、その他の地域では0.6%)
つまり、若年者と高齢者は感染しにくいようです。しかし、高齢者、あるいは基礎疾患をもっている人は死亡する割合が高いという傾向があります。また、このウィルスに感染した多くの人は比較的軽症で、重症になる割合は5%以下です。一方、致死率2.3%という数字については、インフルエンザでの0.2%とくらべれば確かに怖い数字ですが、かつて流行したSARSは10%程度、MERSは35%、エボラ出血熱においては50%と、これらの感染症の方がはるかに恐ろしいようです。ちなみに、「移りやすい感染症の致死率は低く、致死率が高いものほど感染死にくい」という一般的な傾向が知られています。
季節性インフルエンザでは、ひとりの患者が感染させてしまう人の数は2~3人とされており、COVID-19もほぼこれと同じ感染力を有していると言われています。その意味で言うと、今、ちまたで広がっている「感染しやすい危険なウィルス」というイメージとは多少異なるのかもしれません。むしろ、まだ流行という状況からはほど遠い今の現状からいえば、今年になってすでに日本では1000名、アメリカにいたっては14000名あまりが亡くなっているインフルエンザの方が恐ろしい伝染病だということになります。季節性インフルエンザに対する認識の甘い人が多いのですが、日本では毎年約3000人の人が亡くなっています。
今回のウィルス感染がこれからどのくらい拡大するのかは未知数です。今後、中国のように全土に広がって日本でもアウトブレイク(大流行)が宣言されるかもしれません。もしそうなれば世界各国は日本を「感染国」として指定し、日本への渡航制限をかけてくるでしょう。となれば各国はオリンピックの選手団を日本には派遣しないという事態となってオリンピックは中止になるかもしれません。あれほどの費用と時間をかけて準備してきた東京オリンピックがまぼろしに終わり日本の国際的な信頼は失墜します。そうならないようにしっかり対応してもらいたいのですが今の対応はなんとも頼りない限りです。
COVID-19の感染拡大は、日本にとって、あるいは日本人にとって教訓にしなければならない経験です。なぜなら、近い将来、高病原型鳥インフルエンザウィルス(H5N1)の大流行があるかもしれないからです。H5N1インフルエンザの致死率は60%とエボラ出血熱を上回わる恐ろしい伝染病です。幸い、このウィルスではまだ人から人への感染は確認されておらず、中国のごく一部の地域で鳥から人に散発的に感染するだけにとどまっています。しかし、その遺伝子は変異しやすいことが知られており、近い将来、人から人への感染が成立するだろうと言われています。もしそうなれば今回のCOVID-19と同様にいっきに感染が拡大します。
ところが日本人の危機意識はどうでしょう。年間3000人もの死者を出している季節性インフルエンザでさえワクチンも接種せず、「どうせ打ってもなるから」と高をくくっている人のなんと多いことか。ワクチンはもちろん感染予防のためでもありますが、感染しても重症化しないためのものでもあります。重症化すれば命に関わるばかりか、たくさんの人にも移してしまうことになります。ワクチンを接種しなかったばかりに死んでしまうのは自己責任だからよいとして、他人に感染させてその人を死なせてしまったらどう責任をとるのでしょうか。ワクチン接種は「自分のためであり、また周囲の人達のため」でもあるのです。
日本人にとっての教訓はまだあります。それは解熱剤(あるいはカゼ薬)の濫用です。風邪やインフルエンザを広げる原因のひとつが、解熱剤、あるいは解熱剤入りのカゼ薬を飲みながら勤務・登校する人たちの存在なのです。意外と多くの人がいまだに「カゼ薬は風邪を治す薬」と信じています。しかし、カゼ薬は風邪を治す薬ではありません。カゼ薬は風邪症状を軽くする薬にすぎません。発熱があっても、カゼ薬の解熱成分によって熱を抑えてしまうのです。今の季節、製薬会社は「熱があっても休めないときは」というキャッチフレーズでカゼ薬を売ろうとします。しかし、そこに落とし穴があります。
発熱はからだの免疫力にスイッチをいれるきっかけにもなります。今回のコロナウィルスに限らずすべてのウィルスには特効薬はありません。結局はからだの免疫力でウィルスを退治するしかないのです。ところが解熱剤で熱を下げてしまえば、たよりの免疫力にスイッチが入りにくくなり、結果として風邪がこじれるか、治りが悪くなるわけです。カゼ薬の「風邪をひいたら○○3錠」というキャッチフレーズは実は風邪を長引かせて薬をたくさん売るため、といってもいいものなのです。これらのことは普段の診療でいつも患者にいってきたことです。「解熱剤を一日三回なんて飲んじゃダメですからね」と。
熱があがらなければ、患者自身も、また医師も重症度の判断に予断をもってしまいます。「高熱だから重症?」と疑うチャンスを失ってしまうのです。中国であれだけあっという間に感染を広げてしまった原因にもカゼ薬(あるいは解熱剤)の濫用があったのではないか、と指摘する人もいます。解熱剤を服用しても熱を抑えきれなくなり、ようやく受診した患者に肺炎を合併していることがあります。「なんでこんなになるまで我慢したんですか?」と尋ねると、患者は「大した熱ではなかったので様子を見ていた」と答えます。そんなとき心の中で「カゼ薬なんてなくなってしまえっ!」と叫んでしまいます。
医者も悪いのです。風邪で受診するたびに解熱剤を出す医者がいるからです。確かに「熱がある」「頭痛がする」「のどが痛い」と患者が訴えれば解熱剤(=痛み止め)をだしてあげたくなるのは人情です。しかし、だからといって無頓着に一日三回の解熱剤(=痛み止め)を処方するのはどうかと思います。多少なりとも症状を軽減できても、風邪症状を長引かせたり、重症化を見逃しかねない処方は避けるべきなのです。風邪のとき、あるいはインフルエンザのときは本来つらいもの、と割り切ることも大切です。苦痛から逃れたいという気持ちはわかりますが、少なくとも発熱に関していえばこういうときは仕方ないともいえます。
検査もそうです。以前のこのブログでも書きましたが、インフルエンザの検査は絶対的なものではありません。検査結果は診断するためのひとつの情報ではありますがすべてではありません。場合によっては検査で陰性の判定が出ても、インフルエンザだと診断して抗ウィルス薬をお勧めすることもあります。この検査は、インフルエンザに感染し、からだの外にあふれ出てきたウィルスを検出するものです。ですから、うまくそのウィルスを拾えなかったり、まだあふれてきていないときに実施しても陰性になってしまうのです。この検査は「インフルエンザであることを確認するもの」ですが、あくまでも参考にすぎません。
今回のCOVID-19でも同じです。検査で陰性が出てもそれで「新型ウィルスに感染していない」ということにはなりません。ニュースでは「検査陰性だった人が発症した」と大騒ぎですが、我々医者にすれば「そんなことあたりまえなこと」なのです。もちろん逆に陽性であってもウィルスに感染していない場合もあります。それを擬陽性といいますが、COVID-19の感染患者とされている人たちのなかにはそうした擬陽性の人がいるはずです。今、日本には14名の「無症状病原体保有者」がいますが、その人たちにもおそらくこの擬陽性の人がふくまれているのではないかと思います。
「それならどうやって診断すればいいのか」と疑問に思うかもしれません。私をはじめ、多くの医者は検査はあくまでも参考にして診断しています。検査の結果だけを根拠にインフルエンザかどうかと判断するのではなく、その人の症状の経過や全身状態、あるいは診察所見などを総合的に判断するのです。ですから検査が陰性でも症状の勢いが強ければインフルエンザと診断して薬をお勧めすることもありますし、陽性でも症状が軽い場合はあえてお薬はお勧めしない場合もあります。COVID-19は未知のウィルスであり、今後の感染がどのように展開していくのかわかりません。だからこそ今は厳しめに判断しているのだと思います。
結局のところ今回の新型コロナウィルスは恐ろしいのでしょうか。結論からいえば、その判断をするのはまだ時期尚早だと思います。今の私自身は楽観的でもありませんし、悲観的でもありません。しかし、感染が拡大していくことだけは間違いないでしょう。なぜなら、中国との人的交流は続いており、感染者が日本に入国してくることは否定できないからです。政府も入国制限をしないという方針はしばらく変更するつもりはなさそうです。とはえ、1か月前に「新型肺炎について」とタイトルをつけた原稿をこのブログに掲載したとき、アメリカやカナダなどと協調して入国制限していればまた違った展開になっていたかもしれません。
しかし、そんなことを今さらいっても仕方ありません。これからどうするかについて、専門家の意見をまじえて真剣に考えるしかありません。ついこの間、「はじめての専門家会議が官邸で開かれた」というニュースを聴いたとき私は耳を疑ってしましました。とっくの昔に専門家の助言を得て対策をとってきたとばかり思っていたからです。厚生労働省には医系技官という医学部を卒業した官僚がいます。しかし、彼らのほとんどは感染症の専門家ではありません。感染症を専門にした大学の研究者とてその多くは感染症対策の実務を経験していません。大規模な感染症の対策がなおざりにされてきた証拠です。
アメリカには感染症の研究と対策の専門機関であるCDC(米国疾病管理予防センター)があります。また、感染症の拡大を安全保障の一環ととらえてDHS(国土安全保障省)が対応することもあると聞きます。しかし、日本にはこうした組織がなく、一朝有事となったときに政府の各機関が統合して動くことができないのです。とすればやはり生物・化学兵器の対策を専門にしている部署がある防衛省が国家安全保障会議の中心メンバーとして対応すべきです。今回もそうした案が政府内にはあったはずですが、軍組織に対する旧態以前とした頭の固い抵抗勢力のせいで封印され、それぞれの組織がバラバラで活動しているのが現状です。
私は新型コロナウィルスの感染拡大そのものよりも、日本のこれからがとても心配です。1か月前に感じていた胸騒ぎはきっとそれだったのではないかと思います。つまり、昨年10月の消費税増税で日本経済は少なからずダメージを受けました。多少のダメージがあることは多くの人達が予想していましたが、COVID-19による影響がそこに加わることになるとは誰も想像していなかったでしょう。中国発の新型コロナウィルスによってサプライチェーンが寸断され、今、日本の産業に大きくて暗い影を落としています。一方で、国内のさまざまな自粛によって観光客が激減し、国民の購買意欲を低下させています。
日本での感染患者がどんどん増え、国際社会から信頼を失なえばオリンピックは中止または延期になるかもしれません。もしそうなったらどうなるでしょう。インバウンド頼みとはいえ、なんとか堅調さを保ってきた日本の景気は一気に吹っ飛んでしまいます。私が警告してきた、日本の景気に対する懸念が現実のものとなってしまうのです。私が今回の新型コロナウィルスの感染拡大を不安に思う主要な原因がここにあります。そのときの責任は誰がとるのでしょうか。総理大臣や現在の政府が変わったところでいったん奈落におちた日本の経済を回復させることは容易ではないのです。
とはいえ、今すべきこと、これからすべきことを真剣に考えるべきです。いつか発生するであろう高病原性インフルエンザの流行も念頭におかなければなりません。だからこそ現在進行中のCOVID-19の感染拡大に対しては慎重かつ適切に行動しなければなりません。手洗いとうがいの価値、あるいは今まで軽視してきたワクチン接種の意義を見直すべきです。検査至上主義の風潮、あるいは風邪薬への過信をあらためなければいけません。部活優先のために学級閉鎖を躊躇するような学校運営をあらためなければなりません。新型コロナウィルスの感染拡大はこれからが正念場。「正しく恐れる」とは根拠なく楽観視することでもなければ、目をそむけることでも、取り乱すことでもないのです。
【追記】
新型コロナウィルスに感染した人、あるいは感染拡大の阻止に力を尽くしている人たちへの差別的な
言動が報道されています。すべての人がいつ感染者の立場になるかわかりません。また、感染拡大の
阻止に向けて尽力する人たちがいなければすべての国民が危険にさらされます。ですから、こうした
人たちへの偏見あるいは差別的な言動は絶対に許してはなりません。あの原発事故のときもそうでし
た。被爆被災した地域の住民、あるいは原発事故の収束、停電の復旧に向けて頑張っていた東京電力
社員への心ない言葉が飛び交っていました。本来、被災住民にも、あるいは東京電力社員にも責任は
ないはずです。なぜなら原発を破壊したのは、想像をはるかに超えた津波なのですから。今回の新型
ウィルス感染に関しても原発事故の当時と同じような差別や偏見があるとすれば、実になげかわしく、
恥ずべきことです。そうした人の道にはずれるような行為がなくなることを願ってやみません。
ときどき患者さんから「薬を2ヶ月出してください」と言われます。昔と違って今は1ヶ月という「長期処方」があたりまえで、14日分という本来の投薬日数通りに薬を出すことの方がめずらしくなりました。大きな病院が平気で三ヶ月分の薬を出すことも影響しているかもしれません。三ヶ月という乱暴な処方をするのは、待合室にあふれかえる患者をさばくための方便であることがほとんどです。ともかく、そんな「診療」を受けていれば「2ヶ月ください」となるのも無理はありません。
でも、一か月を大きく超える薬を出す「診療」って本当に「医療」なんでしょうか。何時間も待たされたあげく、ようやく診察室の中に入ったと思ったら、医者はコンピューターの画面を見ながら「変りありませんね」とひと言。そして、聴診器も当てず、血圧も測らずに「ハイっ、いつものお薬を出しておきます」と事務的に終了。受診のたびに繰り返される採血の結果さえほとんど説明なし。たった今椅子に腰掛けたばかりなのにもう終わり?って「診察」などどう考えても「医療」じゃないですよ。
病院の理屈からすれば「そうでもしなけりゃこんなにたくさんの患者を診れないよ」なのでしょう。私も大学病院で診療していましたからよくわかります。でも、その一方で、こんな「診療」でも患者によってはありがたいと思う人もいます。「大きい病院だから安心」、「なんども受診しなくて済む」など、混んで待たされたあげくの「二言三言の診察」を上回る利点があるのでしょう。でも、ちょっと待って下さい。なんのための受診ですか?薬をもらうだけでいいんですか?
医者も患者も納得づくならそれでいいじゃないか、と言う人がいます。しかし、診察でなんらかの病気を見逃してしまった場合を考えて見て下さい。三ヶ月処方なら次回の診察は半年後。癌だったら全身に転移していてもおかしくない期間です。考えてみれば恐ろしいことです。その間、患者が不具合を感じて受診してくれればいいのですが、自覚症状がない場合や、自覚症状があってもその危険性を患者が認識できないこともあります。長期(一か月以上)の処方には長期なりの危険性がつきまとうのです。
Hさんという血圧の薬をもらいに通院していた人がいました。あるとき、いつものように血圧をはかり、聴診をすませると、Hさんは「先生、薬、2ヶ月出してくれねぇか?」と言い出しました。当時、私は二ヶ月処方をすることはほとんどありませんでした(今はケースによっては一か月を超える処方をすることがあります)。たまに状態が安定していて、服用している薬の種類が少ないとき、あるいは、夏休み前や年末など、途中でお薬がなくなってしまうときなどに二ヶ月分の処方をしているにすぎませんでした。
私はHさんのご要望をお断りすることにしました。一ヶ月とはいえ「長期処方」です。薬を服用しているうちに副作用が出るかもしれません。あるいは他の症状が現れているかもしれない。私たちが定期的な診察で問診をおこない、聴打診や触診をし、血圧を測り、ときには採血をするのはそうした変化を見逃さないためです。多くの人は「薬を飲んでいれば安心」と思っているようですが、薬を服用するということは、それなりのリスクを抱えているということを忘れてはいけません。
しかし、Hさんは受診のたびに「2ヶ月処方」を希望しました。いつしか私は繰り返していた説明も面倒になって、とうとうHさんの要望に負けてしまいました。私はHさんに二ヶ月分の薬を処方することにしました。しかし、いったんそうなるとなし崩し的に毎回2ヶ月分を処方するように。私もHさんと同様に「なにも変化がないじゃないか」という予断をもってしまったのです。いつしかHさんには漫然と薬を処方するようになり、ある種の緊張感のようなものがなくなってしまいました。
漫然とした診療には落とし穴があります。あるとき受診したHさんは「咳が出る」と訴えました。診察中に咳をする様子もなく、診察してもなんの異常もなかったことから、急性気管支炎として薬を追加して様子をみることにしました。そして2ヶ月がたちました。私はHさんに「前回の咳はどうなりましたか?」と聞いてみました。「だいぶよくなったがときどきまだ咳がでる」と。やはり聴診では異常がありません。私はHさんに言われるがままに咳止めを追加して診療を終えました。
普段の診療に追われ、Hさんの咳のことなどすっかり忘れていたある日、Hさんが定期受診のために来院しました。そして、今さらながらに「咳がひどくなった」というのです。確かに待合室にいるときから咳をしていました。私はHさんの胸に聴診器をあてて愕然としました。これまで聞こえなかった肺雑音が聞こえるのです。私の胸には暗雲がたちこめてきました。直感的に「これはただの肺炎や気管支炎ではない」と思いました。Hさんに胸部レントゲン写真を撮らせてほしいと頼みました。
できあがった写真を見た私のからだからは力が抜けていきました。肺癌だったからです。しかもかなり進行した肺癌です。すぐに専門的な治療を受けられる病院に紹介しました。病院からの返事には、「肺癌。全身に転移あり、脳の転移巣に対しては放射線治療の予定」と書かれてありました。私は「なぜHさんに咳のことをもっとしつこくたずねなかったのだろう」と後悔しました。ご本人もまさか肺癌だとは思わなかったのかもしれません。結果的に患者の言葉をうのみにした私の落ち度です。
「一ヶ月なんてあっという間」と皆はいいます。私もそう思います。しかし、二ヶ月という日数は癌が成長するのには十分な期間です。しかも、一回見逃せば次回の受診は四ヶ月後です。Hさんのケースのように癌を見逃してしまえば、決定的な失敗を招くことになります。自分が見逃した病気で患者を失うことは医者にとってつらいことです。主治医にとっては打ちのめされるような失敗です。一ヶ月を超える超長期間の処方の恐ろしさはこんなところに潜んでいます。
昨年も「2ヶ月の処方をしてくれ」と執拗に要求する患者さんがいました。しかも「毎回2ヶ月分の薬を出してほしい」というのです。私はきっぱり断りました。「私はそういう医療はやらないので、他の医院で頼んでみてはどうか」と勧めしました。しかし、その患者さんは「(超長期処方を断って)他のクリニックに患者が逃げるより、二ヶ月分出しても患者が定期受診した方が経営的にいいではないか」と引き下がりません。私は「そんなことを言ってるんじゃない」と叫びたい気持ちをこらえていました。
「毎月2ヶ月かそれ以上の処方」を求めてくる患者は、検査を勧めても「いえ、結構です」と拒絶する人が多いように思います。検査はむやみにやっているわけではありません。よもや収入を増やすためにやっているわけでもない。医療用の医薬品は効能と副作用の両面に注意をはらう必要があるのです。その薬を服用するからには、効果判定とともに副作用の有無を検査等で把握しなければならない。薬を服用するということはそういうことなのです。
主治医の指示が絶対だといっているのではありません。医学的な観点から助言しているだけなのですから。だからといって「検査するかしないかは患者の勝手」というわけにはいきません。薬を処方するからにはそれなりの責任が生じます。適当な診療ができる医者とそうではない医者の違いはその責任感の差かもしれません。本来、そうした責任感のない医師から薬をもらってはいけないのです。ただ薬をもらって飲んでいればいいと考えるのは間違いだと思います。
昨年、危うく一命を落とすところだったYさんという患者がいました。Yさんも血圧の薬をもらいに定期的に当院に通院していました。師走に入ったある日、胸の痛みを訴えてやって来ました。看護師がベットに寝かせて問診していると、Yさんは「今までにはない胸の痛み」と症状を訴えました。それまでの血圧のコントロールは良好でしたが、このときばかりはいつもよりも高くなっていました。私は「狭心症?それとも心筋梗塞?」と考えをめぐらせながら心電図をとりました。
心電図はいつもと変わりなく異常ありませんでした。聴診をしましたが心雑音や不整脈など気になる所見も見られません。「今の痛みはいかがですか」とたずねると、「痛みはだいぶ落着いてきたが、まだなにか違和感を感じる」と。いつもよりも高い血圧や「今までにない痛み」「違和感を感じる」という表現に私はなんとなく胸騒ぎがしました。私は直感的に「病院で検査を受けさせた方がいい」と思いました。でも、さしたる根拠はないのにわざわざYさんを病院を受診させることを少し躊躇していました。
「Yさん、今のところ心電図に異常はなく痛みもおさまっていますが、念のために病院に行って検査をしませんか。私を安心させるためと思って」と私。このような言い方をしたのは、Yさんは「自宅で様子をみたい」というのではないかと内心思っていたからです。しかし、Yさんは思いのほかあっさりと「わかりました」と言ってくれました。私はなぜかホッとしました。救急車を要請しようか迷いましたが、結局Yさんはタクシーで紹介先の病院に向かいました。
このような経過をたどるケースの中には、心電図に変化のない心筋梗塞だったり、心筋梗塞になりかけた狭心症という場合があります。医学部を卒業して三十年、これまでに経験したいろいろなケースがあたまをよぎりました。とはいえ、わざわざ病院に受診させてなんの異常もなかったり、結果として救急車を要請するほどのことではなかったりして、結果として過剰診断となることを気にする自分がいました。「やみくもに病院を紹介する医者」と見られたくないからかもしれません。
今回のケースも「病院での検査」を受けさせた方がいいと思いながら、もしYさんが「胸の痛みもおさまってきたので自宅に戻って様子をみる」と強く主張してきたら、薬を処方した上で帰宅させてしまったかもしれません。あえて病院を受診させて「タクシー代や診察代をかけて行ったのになんでもなかったじゃないか」とひんしゅくを買うのを恐れるからです。Yさんが助かったのは、私の勧めを素直に聞いてくれたからだともいえます。命をつなぐ糸は実は細くて危ういものなのです。
Yさんの病気が私の想像を超えていたことを知ったのは翌日の朝のことでした。診療前に紹介先の病院から電話がありました。Yさんを見送った後もなにか胸騒ぎが続いていて、看護婦さんと「Yさんのことが気になるね」と話していたところでした。電話口で紹介先の主治医は少し興奮気味に説明してくれました。「Yさんは実は大動脈瘤でした。先生が素早く対応してくださったおかげで救命できました。ありがとうございました」とお礼を言われました。むしろこちらこそお礼を言わなければいけないのに。
私はまさか大動脈瘤だとは思っていませんでした。背中の強い痛みを訴えていたら疑ったかもしれません。しかし、Yさんの動脈瘤はスタンフォードA型という心臓と大動脈の境界付近に生じる比較的めずらしい動脈瘤でした。背中の痛みにはならない場合があるのです。紹介先の病院で冠動脈CT検査をやってくれたおかげで見つかりました。あのまま自宅に返していたら、そう思うとゾッとします。スタンフォードA型の大動脈瘤は一時間当たり2%ずつ致死率が上昇し、24時間放置すると90%以上が急死するのです。
実はYさんは以前にも幸運なことがありました。通常受診のときの雑談でYさんは冗談めいたように「最近、ちょっと新聞の字が読みづらいんですよ」と笑いました。いつもの私なら「老眼が進んじゃいましたか?」と笑い返すところなのですがこのときは違いました。私は一瞬「脳下垂体腫瘍では?」と思ったのです。私はYさんに「念のために脳のMRI検査を受けてください」と頼みました。「様子を見ますから大丈夫です」といわれるだろうと思いながらですけど。
しかし、Yさんは病院を受診してくれました。そして、心配した通り脳下垂体腫瘍が見つかりました。でも、その後、手術で腫瘍を完全に摘除し、後遺症もなく生活されていました。このときも私がなにげなくお勧めした検査を素直に受けてくれたからこそ命拾いをしたのだと思います。決して私の見立てがよかったのではありません。私を信じて私の助言に耳を傾けてくれたおかげなのです。診療とはそういうものです。このように診療とは医師と患者がお互いの信頼を得てなりたつものだといえます。
このように、診療が単に「薬をもらえばいいもの」ではないということがわかると思います。ひょんなことから一命をとりとめた事例は他にも少なくなく、そうした事例も今後ご紹介できればと思っています。最近のTVでは視聴者の医療不信を高めるような番組が多いように感じます。そうしたことが患者の医療者に対する不信感を高める原因のひとつにもなっているのかもしれません。もちろん患者にとって「自己防衛すること」は大切です。しかし、それには限界があることも知らなければなりません。
一方で、不信感を持たれてもしかたない医療がおこなわれているのも事実です。患者が自己防衛しなければならないのは、そうした質の悪い医療があるからです。でも、質の悪い医療はなにも開業医による診療だけの話しではなく、大学病院をはじめとする大病院でもあります。もちろん医療の良し悪しは素人である患者が見極められるほど簡単ではないかもしれません。しかし、「薬だけもらえばいい(出せばいい)」という医療から抜け出すことはできるはずです。まずはそこからはじめるべきだと私は思います。
今年は例年になく暖かい冬です。「これが冬?」と思うような暖かい日が続き、寒さに弱い人ならともかく、中途半端な暖かさが苦手な私には決して過ごしやすい気候ではありません。北海道でさえも昨年のクリスマスは「ホワイトクリスマス」にはならなかったらしく、こんなことは私が札幌にいたときは一度もありませんでした。北国は今でも雪不足だそうで、スキー場開きや雪のイベント開催に支障が生じたり、暖冬の影響がじわじわと出てきています。
私個人としては「暑いときは暑く、寒いときは寒くあるべき」だと思っています。夏は「暑い、暑い」と言いつつ冷たいビール(お酒を飲めない私はジンジャエール)を流し込み、冬は冬で「寒い、寒い」と言いながら熱い風呂に入って鍋をかこむ。こうした光景が私は好きです。長いデフレの世の中が続き、今ひとつぱっとしない日本経済のためにも、夏の暑さや冬の寒さは必要なのではないでしょうか。季節ものがちゃんと売れることで日本の景気が活気づく。そんな季節感のある社会が日本を立て直してくれるのだと思います。
今年の冬の暖かさが異常なら、インフルエンザ患者の少なさもまた異常といえるかもしれません。いつもならたくさんのインフルエンザ患者が来院する時期。しかし、今年はポツリポツリとやってくる程度。ノロウィルスなどの感染性胃腸炎の患者もまた同じです。それはそれでいいことなのですが、これもやはり暖冬の影響かもしれません。昨年の秋に一時的に流行ったりしましたが、本来であれば冬の寒い時期に猛威をふるうインフルエンザはやはり暖冬には弱いのでしょう。
その一方で、新型コロナウィルス(「2019-nCoV」と呼ばれています)による肺炎の感染拡大は心配です。2003年に中国で流行したときのコロナウィルス性肺炎(SARS)の時とは遺伝子が少し変異したタイプのようです。なんといっても大きな違いは「人人感染」があること。以前のSARSのときにはこの人から人への感染が明確でなかった分だけ大事には至りませんでした。しかし、今回は違います。人から人への感染のため、拡大するスピードは前回の比ではありません。
昨年の末に中国の湖北省武漢市で発生が報告された新型肺炎は一気に感染が拡大しました。ウィルス遺伝子の変異もさることながら、社会主義国家によくある情報の隠蔽、報告の遅延、楽観的な対応が今回の感染拡大の原因にもなったといわれています。市の保健当局が誤った情報を伝え、対応が遅れたことが今の中国国内のパニックを生んでいます。複数の都市を封鎖するという荒療治はいかにも中国らしいのですが、今やそのようなことは「焼け石に水」だともいえます。
国民・市民の衛生知識のなさ、あるいは節度のなさも感染を広めている原因です。本来、感染症の患者が多数来院し、治療を受けている病院は衛生的に汚い場所です。にも関わらず、軽症の市民もふくめてたくさんの人が病院に殺到しています。そんな事態になれば、本来、新型肺炎でない人までが病院で新型肺炎に感染してしまうという事態を招きます。新型肺炎はウィルスによるものであり、したがって抗生物質などの有効な治療薬はなく、重症でもないかぎり具体的な治療法はないのです。
これはインフルエンザにもいえます。インフルエンザが流行しているとき、しばしば軽微な風邪症状しかない人が薬をもらいに来院することがあります。しかし、インフルエンザは軽症であれば自宅で安静にしていれば治る病気。インフルエンザの病勢が強く、高熱を放置すれば重症化する可能性のある人に対してタミフルなどの抗ウィルス薬を処方することがあります。インフルエンザウィルスと体内で戦っている免疫力を援護するためです。結局は自分の免疫で治すしかない感染症なのです。
よく「ワクチンを打ったのにインフルエンザになった」という声を聴きます。しかし、そうではありません。「ワクチンを打ったからこの程度で済んだ」というのが事実です。ワクチンを接種した人とそうでない人とでは、実際に感染・発症してしまった後の経過は明らかに違います。接種した方が早く治るのです。初日高熱となっても、接種した人はそうでない人と比べて楽そうに見えます。また、接種した人は数日で平熱になることが多い。ワクチン接種の意味とはこうしたところにあります。
ワクチンの効果が科学的に明確に証明されたわけではありません。ワクチンを打ったからといってインフルエンザにかからないわけではないし、ワクチンによって他の人にインフルエンザを移しにくくするという根拠にも乏しい。とはいいながら、インフルエンザワクチンの接種は、自分のためだけではなく周囲の人のためでもあるといえます。感染の拡大を防ぎ、重症患者がでないためのエチケットと考えた方がいいかもしれません。ワクチンの接種は単に「自己責任の問題」にとどまらないということです。
今、問題になっている新型肺炎も、そろそろ「スーパースプレッダー」と呼ばれる患者が出現する段階に入っています。スーパースプレッダーとはひとりでたくさんの人に感染を広げてしまう患者のことです。具体的なメカニズムはまだわかっていませんが、感染したからだのなかでウィルスの遺伝子が変異し、爆発的な感染力を持つようになるからではないかといわれています。2003年にSARSが流行したときも、このスーパースプレッダーがアウトブレイク(制御不能な感染拡大)に関与していたことが知られています。
中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。
原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。
中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。
今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。
当時、メキシコを中心に流行が広がっていた新型インフルエンザは、まだその正体がはっきりしていませんでした。その分だけ新型インフルエンザの流行の拡大によって日本中がパニックに近い状況を呈していました。しかし、私はこのときでさえも今回の新型肺炎ほど不安にはなりませんでした。むしろ、日本がそのままパンデミック(コントロール不能)となったときの対応を冷静に考えていました。いつまでたっても政府や医師会などから有効な対応策が提示されないのに業を煮やしてのことでした。
当時、発熱した患者は行政が定める「発熱外来」に受診することになっていました。しかし、これでは新型インフルエンザの患者とそれ以外の原因で熱発している患者、あるいは単に不安にかられて受診した軽症な患者が接触し、かえってインフルエンザの感染を広げてしまうと私は考えていました。しかも、発熱外来に患者が殺到すれば大混乱となり必要な診療ができなくなってしまいます。私は医師会にはそうしたことを進言しましたが、「もうすぐ厚労省から指示があるから」と反応は冷ややかでした。
私は、パンデミックとなった時の当院独自の対応策をまとめました。要点は次の通りです。
① 重症のケースを除いて「発熱外来」には受診させない
② 熱発した患者はすべて自宅待機とする(重症患者は「発熱外来」へ)
③ 午後の診療は完全防備の上、熱発患者の往診についやす
④ 熱発患者は自宅内隔離とし、必要に応じて薬を処方して経過観察
パンデミックとなって全市的にこの対応をとることになれば、とても内科医だけでは対応できなくなります。そこで私は我孫子市を細分化し、我孫子医師会会員で担当地域を決めてはどうかと考えました。もちろん往診する医師が不足する地域がでてきます。そのときは小児科や外科、耳鼻科や皮膚科など他科の医師にも協力してもらわなければなりません。ところが、医師会の会合に出席したとき、こうした対応について話しをしてみたところ耳を疑うような言葉がかえってきました。
私の話しを聴いていた医師の多くは現実味を感じなかったのか、あるいは「そんな面倒なことを」と思っていたのか、しばらくは固い表情で押し黙っていました。しばらくしてある医師は「これまでインフルエンザ患者の診療をしたことがないので協力できません」と言い出したかと思えば、別の医師は「パンデミックになったら俺はクリニックを閉めてしまうから(私は協力できない)」と周囲を笑わせるなど、まるで真剣みがないのでした。私は「この人たちはいったいなんのために医者になったのだろう」と思いました。
もちろんこのときはまだ新型インフルエンザの正体がわかっていませんでした。ですから、医師とはいえ命の危険を感じたのかもしれません。しかし、もしそうであっても、万が一にもパンデミックという重大な事態に至ったとき、すべての医師が頑張らなければ誰が頑張るのかと私は憤慨しました。「発熱外来」という感染をさらに拡大しかねない対応策しか提示できなかった厚労省と医師会。もっと迅速かつ実際的に対応策を考えればいいものをと地団駄を踏んだことを思い出します。
今、中国の武漢でまさに命がけで頑張っているのは医療従事者です。患者であっても、そうでなくても、流行の終息に向けて奮闘している人たちを支えなければなりません。日本でも新型肺炎の感染が広がるかもしれません。しかし、もしそうなっても、国民はあわてず、理性をはたらかせて秩序ある行動をとらなければなりません。世の中が騒然としても、不安にかられて病院に殺到したり、軽微・軽症にもかかわらず薬(治療薬はないのですから)をもらいに医療機関に行かないように気をつけて下さい。
新型肺炎がパンデミックになったときに国民がとるべき行動をまとめてみました。
○ 不要・不急の受診は控えること(受診の適否がわからないときは医療機関に電話)
○ 肺炎を疑って病院(クリニック)に受診するときはあらかじめ電話をすること
○ 重症の場合や新型肺炎を疑う場合を除いて「発熱外来」には受診しない(かえって感染する)
○ 少しぐらいの症状なら自宅で療養すること(家庭内隔離をしましょう)
○ 新型肺炎に治療薬はない。薬はつらい症状を軽減するためのものと考えること
○ 高熱のほか、ひどく咳き込んでいる、あるいは息苦しさがあるときは入院できる病院へ
○ 受診すべき病院、あるいはどう対応したらいいかわからないときは保健所に電話すること