コロナワクチンの現状(4)

新型コロナウィルスに感染した患者のうち、中等症の患者までは自宅での経過観察を可能とする方針を政府は打ち出そうとしています。しかし、こうしたことは新型コロナ対策分科会や尾身会長には諮問されることなく決められたようです。ここにいたるまでの対策について分科会、あるいは有識者会議から有効性の高い方策が提言されなかったからでしょうか。もしそうだとしても、公衆衛生の基本はおろか、医学的な知識もない人たちによってこうした重要な政策が決められていたのだとしたら大きな過ちだといわざるをえません。この政策転換が誰の意見によって決められたのかが重要です。

中等症の新型コロナ感染患者とはどのような人たちをいうのでしょうか。それは「咳や息苦しさなど、ある程度の肺炎症状があるにせよ、まだ深刻な低酸素状態にはない患者」です。したがって、低流量の酸素の投与があっても、これによって十分な酸素を確保できるのであれば在宅で様子を見るという場合もあるということです。このような重要な対策については、現場の医療従事者もふくめて幅広い人たちと真剣な議論を重ねる必要があります。とはいえ、こんなことはこれまで私がブログに何度も書いてきたように、もっと早い段階で検討していくべきことでした。

今思えば、新型コロナが感染拡大を始めたころ、そして、第三波と呼ばれる流行がはじまったころ、さらにその後も私は何度となく「保健所をふくめた行政と医師会は綿密な意思疎通を図って連携をとるべきだ」と主張してきました。あるとき千葉県健康福祉部から県内の開業医に向けて次のようなアンケートが送られてきました。「自宅待機している新型コロナ感染患者が急変したとき、往診したり、胸部レントゲン写真をとるなどの検査をしてくれる診療所はないか」というものでした。私はこのとき「医師会との連携をとらないまま対策が進められている」ことを確信しました。

私はアンケートには「その対応には協力しない」と回答しました。それはあまりにも感染症の現実を知らない対応だったからです。「協力できない」と答え、感染症の現実を知らないアンケートだと感じた理由は三つあります。1)簡単な聴診しかできない往診は役立たないばかりか、重症化を判断するまでに無駄な時間をかけてしまう、2)感染症の対応に不慣れなクリニックで胸部レントゲン写真をとれば、クリニックに新たなクラスターをつくる危険性がある、3)重症化したおそれがあるケースには胸部CT検査が必要であり、急変患者はすみやかに病院で診療すべき、だからです。

急変を疑う、この場合、「病院への移送が必要かどうかの急変を疑う場合」はやはり病院での検査を迅速に受けさせるべきです。開業医が連絡を受けてから駆け付け、事情を聴き、経皮的酸素飽和度を測り、聴診をしたところで「そのまま様子を見ましょう」と判断することは現実的にはまずありません。胸部CTや採血をした上でなければ「引き続き自宅安静でよい」とはならないのです。新型コロナウィルス肺炎はたちどころに増悪してしまうという特徴があります。なかば憶測で重症度を判断することなどできません。保健所が提示してきた対応では救える命も救えなくなる危険性をはらんでいます。

そんなことは医学的知識を持っているまっとうな医者ならすぐにわかるはず。にもかかわらずあのようなアンケートをしてきたのは医師会との協議がないままに進められたからです。もし「医師会との協議のうえの対策だ」というなら、協議したその医師会(あるいは医師)はよっぽど無能です。「対応には協力できない」と千葉県に回答する際、そう考える理由と当院でおこなっている対応策をながながと記述して添付しておきました。しかし、私の返信に対する返事はありません。そして、アンケートのような診療が実際に行われたという噂もその後聞いていません。

以前のブログにも書いたように、当院では熱発は風邪症状のある患者を三つのケースに分類して対応しています。それはできるだけ病院の負担を軽減するためのものです。すべての熱発患者、風邪症状のある患者を病院に押し付けるのではなく、新型コロナウィルスの検査を要さないと思われる患者はできるだけクリニックで診療するための分類です。もちろん新型コロナウィルスの検査を要するケースについては病院の熱発外来への受診を勧めています。クリニックでできることには限界があるのです。マンパワーという面でも、施設設備という面からもぎりぎりの対応だと思っています。

しかし、多くの人へのワクチンの接種が進み、感染拡大がここまで広がってくるとクリニックのやり方もそろそろ変更しなければならないでしょう。それはこのまま感染が広がっていけば、病院への負担が深刻になり、病院診療の崩壊が現実のものになってしまう恐れがあるからです。今、政府が進めようとしている対応策はあまりにも拙速です。でも、もし中等症までの感染患者の自宅での経過観察を解禁するのであれば、医師会や地方自治体、とくに現場の人たちの声を反映したものでなければなりません。体制を整えてやらなければ取り返しのつかないことになります。それこそが医療崩壊です。

中等症以下の患者を自宅で経過観察するのであれば、患者の自宅の近くにあるクリニックの医師が責任をもって経過観察するべきです。そのためにも、自宅で経過を見ることが決まった時点で保健所は経皮的酸素飽和度を測るサチュレーションモニターという装置を患者に配布してほしい。そして、担当医師が朝と夕方に体温と経皮的酸素飽和度、そして体調の変化を直接電話で確認するのです。その結果は報告書に逐次記録。入院が必要だと判断した場合は速やかに保健所に連絡し、保健所は入院先を確保して移送する。その間に経過をフォローしていた医者はそれまでの記録と紹介状を入院先の病院に送付するわけです。

病院側は必ず一定数の空ベットを用意しておくべきです。24時間いつでも急変患者を収容できる体制を用意しておかなければなりません。そのためにも容態がおちついた患者はすみやかに自宅へ。それ以降の患者のフォローはふたたび自宅近くのクリニックの医師が引き継ぎます。保健所が仲介役となって病院とクリニックが連携をとるのです。最近、「病院への入院を拒否され続けて8時間後に自宅から50kmも離れた病院にようやく収容された」というニュースが報じられました。しかし、それはどうやらフェイクニュースのようでした。そんないい加減な報道がなされるのも今の診療体制に欠陥が多いからです。

感染者が急増してあわてているのは病院だけではありません。政権内部も官僚をはじめとする行政側も混乱していることがみてとれます。お勉強(受験勉強)だけはできたのでしょうが、地あたまの悪そうなある大臣が「酒を提供する店には融資を制限しろ」と銀行に要請するなど、まるでヒットラーかと思うほどの対応をしました(この大臣は昨年もロンドン大学の某日本人教授の「検査をもっとやれ」という言葉を真に受けていました)。行政もあたふたするばかりで「Too Little, Too Late」の対応を繰り返しています。有識者会議も日本医師会もまた同様であり、助言すべき人たちが有効策を提言できないでいます。

新型コロナウィルス感染症は、日本人にとっても世界にとってもはじめての経験です。多少の混乱は仕方ありません。しかし、もう一年半が経っています。そろそろ経験に学んでほしいものです。もし今、対策にあたる人が経験に学べないなら、「学べる人間に代わってくれ」と言いたいです。とはいえ、経験に学べないのは一般国民も同じです。原発事故・放射能に対するヒステリックな対応といい、オイルショックのときトイレットペーパーに殺到したパニック振りといい、さらにさかのぼればマスコミに煽動されて戦争に突っ込んでいった戦前の愚かさといい、なんどもなんども煽られるばかりで一向に理性的になれない一般国民にも責任はあるのです。

文章を書きながら徐々に感情的になっていく私。次のブログあたりで「爆発」してしまうかも。

 

コロナワクチンの現状(3)

「一日あたりの新型コロナウィルス感染者数は過去最大」

「これまでに経験したことないスピードで感染が拡大している」

マスコミはおどろおどろしい表現で現在の感染状況を伝えています。政府は病床がひっ迫する恐れがあることを理由に、「緊急事態宣言」を4府県に追加し、5道府県に「まん延防止防止等重点措置」を適用することを決めました。新型コロナウィルスの感染者が増えている事実は誰もが認めるところですが、ある人たちは「そんな生ぬるい対応ではなくロックダウンを」とヒステリックに叫び、その一方で「感染者数が増えていても重症者や死亡者はほとんど増えていないから大丈夫」と楽観的な人たちもいます。現状認識がまるで異なるこれらの人たちは互いに相手を批判し、自分たちの主張の正しさを強調しています。

新型コロナウィルスに対するワクチンの接種は進んでいます。7月29日現在、国民の38.4%が少なくとも一回の接種を済ませており、二回の接種を完了した人も27.6%に達しています。アメリカやフランスでも少なくとも一回の接種が終わった人は約60%、カナダやイギリスにいたっては約70%にもなります。集団免疫をつけるという意味では8割以上の接種率になることが必要とされていますが、ワクチンについては相当数の「反ワクチン派(ワクチンに対する否定的な意見をもつ人たち)」がいるため、接種率が高いといってもさらにどれだけ上積みするかが各国の課題になっています。

これからお話しすることは私個人の見解です。政治的な意図はもっていません。文句をいうだけで自ら問題解決に動こうとしない政治家たちのように、新型コロナウィルスによる混乱を利用して政府を批判しようとするものでもありません。人心を無駄に惑わすことも目的にしていませんし、根拠のない楽観論でみなさんを安心させようとも思いません。私なりに日頃思っていることを理性的にお話ししたいと思っているだけです。みなさんには、私の意見が正しいかどうかという観点ではなく、日頃診療をする中で、ひとりの医師がなにを考えているのか知っていただきたいと思います。

冒頭に書いたように、新型コロナウィルスの感染拡大の現状について、「対策が生ぬるい」「不安をあおりすぎ」という正反対の意見が錯綜しています。しかし、私はそのどちらも正しく、どちらも間違っていると思います。なぜなら、これ以上の厳しい制限は日本経済に致命的な影響を与えてしまうからであり、だからといって今の感染拡大は決して「大丈夫なもの」ではないからです。これまで政府がおこなってきた対策は「小出しで遅すぎ」だと思いますし、手順や方法論も結果として間違っていたと思います。それは政権が無能だからではありません。そのブレインとなっている有識者会議が無能だからです。

私が「対策や方法論の失敗」だと考えるのは「ワクチン接種の手順が稚拙だから」です。以前のブログにも書いたように、政府は高齢者からワクチンを接種することを決めました。これは「重症化しやすい高齢者を守る」という意味では正しく、事実、現在、大多数が高齢者である「重症者」ならびに「死亡者」の数が抑制されていることからもその効果が確認できると思います。しかし、世の中ではそうした効果は評価されずに、感染拡大が止まらないと大騒ぎです。そもそもこれまでのワクチン接種のやり方ではすぐに感染拡大を阻止できないのはよくよく考えてみれば当然の結果なのです。

もし感染拡大を阻止することを目指していたのであれば政府は手順を間違えたことになります。「重症化しやすい高齢者」にとらわれすぎて本筋を見誤ったのです。電車や車での移動が少ない高齢者にワクチンを打っても感染拡大を抑制する効果が低いことはあきらかであって、本来は社会における移動の多い若年者や現役世代へのワクチン接種からはじめなければなりませんでした。高齢者施設では、なかば施設内に拘束されている「寝たきりの高齢者」へのワクチン接種が終わり、その一方でケアをする職員にはワクチン接種が進んでいないという現実がつきつけられました。これ、おかしくないですか。

皮肉にも今、ワクチンの接種率が高いのは人口の少ない地方であり、感染者が急増している大都市部での接種は伸び悩んでいます。人の動き方を見ても感染が拡大するのは人の往来の多い都市部です。感染拡大を阻止するという目的からいえば、人口密度の高い地域から重点的にワクチンを接種するのが合理的です。しかし、政府は「都市も地方も平等に」という方針を選択しました。もちろん、人の命に軽重はありませんし、守るべき人の命はすべてが平等です。とはいえ、接種できるワクチンの数に制限がある以上、その目的にふさわしい優先順位はつけなければなりません。そしてそれは差別ではありません。

もうひとつの誤りが「職域接種」です。職場でワクチン接種できるようにすることによって、ワクチン接種のスピードがあがるだろうと判断してのことでしょう。しかし、一気に各職域でのワクチン接種を解禁にしたため、ワクチンの流通量が限界を超えてしまい、各自治体に供給されるはずのワクチンが届かないという事態を招いてしまいました。そして、2回目のワクチンを予定通りに受けられないという人も出てしまいました。各職域自体も計画的にワクチンを確保しなかったため、余剰ワクチンを作ってしまい廃棄する企業もありました。業を煮やした厚労省は「廃棄数の多い企業は公表する」と警告しています。

職域接種をはじめるのであれば、まずは「感染拡大阻止」に寄与する職域に限定して開始すべきでした。それ以外の接種に対しては大規模接種会場を増やし、各企業は「就業時間内であってワクチンを接種してきてもいい」とすればよかったのです。大規模接種会場も当初は予約がガラガラで、相当数のワクチンが無駄になったともいわれています。職域接種はもっと計画的かつ段階的に実施しなければなりませんでした。現在、我孫子市でもワクチンの供給数が激減しており、接種できる数が限られています。結果として政策の拙速さのツケを住民が払わされているのです。

ワクチン接種がはじまったとき、新型コロナ感染患者を搬送する救急隊隊員へのワクチン接種がおこなわれていませんでした。「職域」というならこういう職種の人たちこそ早期から接種をはじめるべきなのに、です。医療従事者への優先接種がすでにはじまっていましたから、私は当然のことながら救急隊員にもワクチン接種が行われていると思っていました。救急隊へのワクチン接種が遅れていると報道されたとき、私は我孫子市役所に問い合わせてみました。当院で隊員たちの接種をしようと思ったからです。でも、我孫子市では救急隊の隊員たちへの接種がすでに行われていたのでホッとしました。

要するに、感染が急速に拡大しているように見えるのは若年者、あるいは現役世代へのワクチン接種を後回しにした結果なのです。また、感染者が急増しながらも重症者や死亡者がそれほど増えていないのは高齢者のワクチン接種を進めてきた効果が現れたからです。もし、この現状を否とするならば、若年者あるいは現役世代へのワクチン接種をあとまわしにして高齢者への接種を優先した政府の決定が間違っていたということになります。その一方で、これまでのワクチン接種の方法論が間違っていないとするなら、感染が拡大している今の感染状況はある程度甘受しなければなりません。

新型コロナウィルスがアウトブレイクして1年半になります。この間、多くの国民が行動を制限され、経済活動を控え、それぞれの立場で頑張ってきました。たくさんの企業やお店が倒産や閉店を余儀なくされ、相当数の失業者がでたはずです。そうした有形・無形の我慢や犠牲を払いながら多くの人が耐えてきました。だからこそワクチン接種が広く行われるようになって、人々の気持ちが楽観的になってしまうのも理解できます。ワクチンの流通の問題は残りますが、このまま接種が広がっていけば、秋には感染拡大はおさまってくるでしょう。問題はそれまでの感染をいかに抑制するかです。次のブログではそれについて少し書きます。

 

コロナワクチンの現状(2)

多くの高齢者がワクチン接種を終えました。高熱がでて寝込むということも、また、頭痛や倦怠感に悩まされるという人も少なかったようです。「2回目の副反応がひどいらしい」という噂も必要以上に誇張されたことであり、私の母などは「副反応がぜんぜんなかったんだけど本当に効くのかしら」とワクチンの効果を心配するほどでした。ワクチンを接種する前はあれほど副反応のことを心配していたのに、私の母と同じような反応をした人も決して少なくないと思います。その一方で、人によっては「事前に解熱剤を飲む」などと言っている人もいました。今回は発熱とワクチンのことをあらためてまとめてみます。

以前のブログで、ワクチンの副反応は「あってはならないもの」ではなく、ある意味「ワクチンが効いている証拠だ」と書きました。ワクチンによってある種の異物がからだの中に注入されると、それらを排除する抗体をつくるために免疫細胞が働きだします。その働きを本格化させるために発熱が必要です。風邪をひいたとき、つまり風邪ウィルス(コロナウィルスものひとつです)に感染したときに熱を出すのはそのためです。つまり、発熱は「あるべき反応」なのです。私がこれまで「早めに風邪薬は飲むべきではない」、「むやみに解熱剤を飲んではいけない」というのはこういう理由からです。

ワクチンを打って熱がでる場合があります。とくに若い人たちのように、免疫力が強い人たちがワクチンを接種すると結構な熱がでるケースがあります。しかし、この熱発によってからだの免疫力にスイッチが入るのですからむやみに熱を下げるべきではありません。2009年のLancetという有名な科学雑誌に注目すべき論文が掲載されました。「ワクチン接種後の熱発を回避するため、あらかじめ解熱剤を飲ませると期待される抗体を十分に作れない可能性がある」というものです。つまり、高熱でつらい時ならまだしも、むやみに解熱剤を使って不用意に発熱をおさえることは免疫反応を鈍らせる、というわけです。

皆さんは「葛根湯」という漢方薬をご存知だと思います。私もこの漢方薬をしばしば処方します。そして、薬を出すとき患者さんには「風邪薬は早めに飲むべきではありません。早めに服用するなら葛根湯にしてください」と説明します。ただしこの葛根湯はまだ発熱のない風邪の初期に服用するべき漢方薬です。葛根湯は「発熱を促して風邪を早く治す」というものだからです。「からだを温めて風邪を治す」といった先人たちの知恵は現代の科学でちゃんと証明されているのです。こうしたことからも「風邪薬(解熱鎮痛剤)を一日三回服用」という使い方は誤りだということがわかると思います(※)。

では、接種のあとに熱発がない場合、ワクチンの効果は期待できないのでしょうか。そんなことはありません。日本の医療機関でワクチンによる中和抗体の量と接種後の熱発の有無を調べ、その両者にはほとんど関係がなかったことがわかっています。つまり、ワクチンの接種後に熱がでようがでまいが、ワクチンの効果に差はあまりないということです。言いかえると、「熱があっても、なくてもワクチンは効いている。でも、熱が出たからといってむやみに解熱剤を使わないことが大切だ」ということです(繰り返しますが、服用してはいけないわけではありません。つらい時は使用してもいいのです)。

今、日本で広く使用されているワクチン(ファイザー製・モデルナ製)はいずれもmRNAワクチンと呼ばれるものです。これらのワクチンの新型コロナウィルスに対する効果は95%以上であり、2回目の接種後数日でこの効果が発揮されるとされています。しかも、現在、猛威をふるっている変異株(デルタ株)にも90%程度の効果が期待できるといわれています。単に感染を阻止するだけでなく、感染しても重症化を回避する効力も確認されています。こうした効果は、不活化ワクチンである中国製、ベクターウィルスワクチンであるロシア製のワクチンの有効性をはるかに凌駕しています。

一時期イギリスで流行したアルファ株はすでにデルタ株におきかわりつつあるといわれています。感染力は従来のウィルスのおよそ2倍ともいわれ、なにやら恐ろしいことになるのではないかと不安になってきます。しかし、ウィルスの評価は、その感染力の強さだけではなく、病原性(重症化する可能性)という側面からも考慮しなければなりません。デルタ株の病原性の評価はまだ十分に検討されているわけではありません。デルタ株と類縁関係にある豚デルタ株は病原性が強いという報告があります。しかし、それは豚に感染した場合のものであり、人間に感染する株の病原性ではないという点に注意すべきです。

ウィルスにはワクチンが出現すると変異株が出現することが知られています。今回の新型コロナウィルスも、広くワクチン接種がおこなわれはじめた時期にアルファ株が出現しました。しかし、ウィルスの変異株については「感染力が強くなるにしたがって変異株の病原性は低下する」という傾向があるともいわれています。病原性が強い変異株は、宿主(感染した人)がすぐに亡くなってしまうためいろいろな人に感染を拡大させないからです。今回のデルタ株も、未確認の情報ではありますが「感染力は強さにくらべて、病原性はそれほど強くはなさそうだ」という意見もあるようです。

デルタ株の病原性についてはそろそろ公式な見解が発表されるでしょう。その公式見解がどうであれ、現行ワクチンにそれなりの効果が期待できる以上、不必要に怖がる必要はありません。沖縄の大病院で発生した新型コロナウィルスによるクラスター。感染した看護師十数名のうち12名はワクチンを接種をしていませんでした。このようにワクチンの効果がはっきりしてきたせいか、今まで「反ワクチン」の立場で新型コロナウィルスワクチンの危険性を吹聴してきた某研究者ですら、これまで自分が流布してきた見解を撤回しはじめています(ワクチンを打ちたくなってきたからでしょうか?)。

私たちはこれまで通り、正しい情報を正しく評価し、正しく恐れて正しく行動することが重要だということを再認識したいものです。

※ 熱がでたときは「つらければ解熱剤を使っていい」のですが、解熱剤を使ったからといって「発熱の原因そのもの
を治療する」ということではな
りません。あくまでも発熱の原因を突き止め、その原因を治療することが肝要です。

 

コロナワクチンの現状(1)

日本では今、新型コロナウィルスワクチンの接種が進んでいます。2回接種を済ませた国民は全体の11%あまり。1回に限ればすでに22%の人への接種が完了しました。このスピードは欧米を抜いて世界最速なのだそうです。アメリカでもすでに45%を超える国民がワクチンの接種を済ませました。しかしこのアメリカの接種率を日本が抜き去るのももはや時間の問題です。

我孫子市でも医療従事者と65歳以上の高齢者を対象とするワクチン接種はおおむね完了し、いよいよ65歳未満の住民にその対象が移ってきました。当院でも診療時間を変更して、連日ワクチン接種をおこなっています。幸い今のところ大きなトラブルもなく、順調にワクチン接種が進行しています。多くの人が心配していた副反応もほとんどないか、あっても大したことがなかった人がほとんどです。次第にワクチン接種への抵抗感はなくなってきているように感じます。

とはいいながら、いまだにワクチンに対する不安がぬぐえないのか、ちまたに流れてくる「ワクチンで不妊になる」だとか、「遺伝子の異常が生じる」といったある種のデマに翻弄されています。そんなこともあって、河野太郎大臣が記者会見でそれらのデマを否定し、厚労省のホームページに解説をアップしたりしてワクチンに対する不信感を払拭しようと躍起です。

これまでのブログでも説明してきたように、今、広く接種されているファイザー製あるいはモデルナ製のワクチンはmRNAワクチンと呼ばれています。このワクチンで使用されているmRNAは生体内では不安定であり(極低温で保存しなければならなかったり、解凍し、希釈し、注射器につめる際にも細心の注意を求められるのはそのためです)、からだの中に入ると数分から数時間で分解されてしまいます。しかもmRNAは細胞核の中には入っていくことはなく、DNAと接触することはありません。

こうしたことは専門的なことなので、多くの国民はこの手のデマに乗せられてしまうのかもしれません。しかし、不安に思ったり、疑問に思ったらきちんと自分で調べる人であれば、TVから流れてくる情報がいかに偏ったもので、むやみに人心を不安に陥れる情報であるかがわかるはず。新型コロナウィルスについては初めての経験ばかりであり、どの情報が確かなものなのかがわかりにくいのも事実です。しかし、自分で情報をもとめたりしないで、感情のままに大騒ぎをすることはやはり慎むべきです。

ワクチンそのものに反対する人たちの多くは、自分や自分の家族がワクチンを打つことはもちろん、周囲の人がワクチンを打つことも許しません。その一方で、ワクチンを接種しない人たちは、多くの人たちがワクチンを接種してくれることで、集団免疫という形で自分自身も守られているということにあまりにも無頓着です。ワクチンは自分の身を守るという意味だけではなく、他者をも守っていることにも目を向けなければなりません。

ワクチン接種が進んでいるにも関わらず、感染者の「リバウンド」とも思える増加が連日報道されています。「ワクチン接種が進んでいるのになぜ」と思うかもしれません。しかし、現在進められているワクチン接種の対象者は、あまり外出しない高齢者が中心です。でも、本来は感染機会の高い都市部を中心に、ウィルスをいろいろなところに運ぶ可能性の高い現役世代や若者にワクチンを重点的に接種すべきです。そうした合理的な接種をしていないのですから感染拡大が続いていても不思議ではありません。

各自治体がおこなっている集団接種・個別接種に加えて最近では職域接種もはじまりました。しかし、職域接種を一気に解禁・推奨してしまったため、ワクチンの供給能力を需要が上回ってしまいました。その結果、我孫子市だけでなく多くの地方自治体に向けて供給されるはずのワクチンが不足しています。これも国の判断ミスです(ちなみにワクチンの総量は足りていますからご安心を)。まるでにわか成金が大盤振る舞いをしすぎて困窮しているかのようです。

職域接種を進めるのであれば業種に優先順位を決めて行うべきでした。感染拡大という観点からどの業種を重点的に職域接種をするのかを決めてから解禁する必要があったのです。にも関わらず、手をあげた業界から一斉に職域接種を解禁しているのですから、どこかで供給が不足するなんて事態になるのは当然です。供給が追い付かない現状を放置できず、職域接種の受付をしばらく中止することになりましたがあとの祭りです。

私は職域接種よりも大規模接種会場をもっと増やすべきだったのではないかと思っています。サラリーマンや学生が仕事や授業の最中であっても近くにある集団接種会場に出向けるように工夫すればいいだけです。昨年の新型コロナウィルスが感染拡大をはじめたころから、政府や行政の策には計画性も、大局的な合理性も感じられないのはなぜでしょうか。あまりにも知恵がなさすぎです。「そろそろうまくやれるだろう」と思いながらあっという間に1年半が過ぎてしまいました。学びがないのも困ったものです。

ワクチン接種完了

5月17日、私と職員全員で新型コロナウィルスワクチンの接種に行ってきました。4月26日に1回目を、そして、今回は2回目の接種でした。これで私たちのワクチン接種は完了です。今回のワクチンについてはいろいろな情報が錯綜し、ワクチンを接種すべかどうか迷っている人は少なくありません。私たちの経験がそうした人たちの参考になれば幸いです。

私自身は「ワクチン接種すべし」という立場です。このワクチン接種については賛否両論があります。賛成する人の主張にも、反対する人の主張にもそれぞれの言い分があります。とはいえ、この1年半もの間、新型コロナウィルスは流行を繰り返し、社会生活に大きな影響を与えてきました。このウィルスの流行を一日も早く収束させ、社会を正常化しなければなりません。そのためにどうしたらいいのか。わたしはここに重点をおきながら、私見をまじえて論を進めていきたいと思います。

現在も一部の地域で感染が拡大しています。これまで9都道府県に緊急事態宣言が発令されていましたが、21日には沖縄県が追加されました。宣言下にある地域では、商店や飲食店での営業はもちろん、一般の人にも自粛が強く求められ、さまざまな社会活動が制限されています。この制限が適正かどうかを断言することはできません。しかし、もはや人々の自粛や我慢にも限界が近づいています。その意味でもワクチン接種による感染拡大阻止への期待は大きいはずです。

我孫子市でもようやく高齢者への接種がはじまりました。しかし、ワクチン接種がどのような目的でおこなわれているかを改めて考えてみると、順次進められているワクチン接種にはいくつかの疑問がわいてきます。ワクチンを接種するのは感染を予防し、拡大するのを阻止するためです。しかし、これを「広義の目的」とすれば、「狭義の目的」とは「コロナ死」を減らすことであり、「経済死」を減らすことにあるのではないでしょうか。

コロナウィルスに感染して死亡することが「コロナ死」です。コロナ死で亡くなった人たちの平均年齢は約80歳だそうです。高齢の感染者が高率に亡くなっているのです。しかし、感染拡大が勢いを増している地域では、コロナ死もさることながら、営業の自粛を余儀なくされお店や会社のの経営が立ち行かなくなって自殺に追い込まれる人たちがいます。これが「経済死」です。このふたつの「死」から国民を守ることが政治の役割です。

もし、コロナ死を減らすためならば、高齢者からワクチン接種を始めることは理にかなっています。高齢者は、新型コロナウィルスに感染すれば高い確率で重症化、死亡するリスクを抱えているからです。しかし、「経済死」を減らすためであるならば、一刻もはやく感染拡大を収束させ、社会の機能を正常化させなければなりません。そのためには高齢者よりも、むしろウィルスを運ぶ人たち(「ベクター」といいます)、すなわち若年者や現役世代の人たちに重点的にワクチンを接種すべきです。

ついでに付け足すならば、高齢者施設の高齢者を守るために、入居している高齢者を優先してワクチン接種するのは間違いです。高齢入居者はほとんど外出をしないからです。入居者と職員が同時にワクチン接種ができないのであれば、外部から施設内にウィルスを持ち込むベクターになりうる職員にまずワクチン接種をすべきなのです。それぞれの施設や環境を考慮した優先接種の在り方など考慮している時間がなかったのかもしれませんが対象者の選択があまりにも雑です。

政府は「高齢者からの接種」「大都市と地方との区別のない接種」を強調します。しかし、感染の拡大を一刻も早く止めたいのであれば「高齢者よりも若年者あるいは現役世代」「感染者の少ない地方よりも流行している地域」からワクチン接種をはじめるべきです。ところが、このようなことが理性的に議論された痕跡がどこにもありません。それとも私の知らないところで議論はされたが「それでは政治的もたない」という理由で却下されたのでしょうか(とてもそうとは思えません)。

本来であれば日本医師会からこうした議論を投げかけてもいいはずです。「コロナ死と経済死のどちらを優先して減らしていくのか」、「そのための接種の優先順位はこうするべきではないか」などなど。そうした政策提言が日本医師会からあってしかるべきなのです。にもかかわらずマスコミを前にして日本医師会長が主張することはあいも変わらず「とにかく自粛しろ」「緊急態宣言をしろ」ばかり。しかも国民に自粛させて会長自身は「自由行動」というのでは筋が通るはずもありません。

 

前書きが長くなってしまいました。新型コロナウィルスワクチンを接種したときのことに話しを戻します。私と当院の職員は4月26日に第1回目のワクチンを受けるために接種会場に行きました。会場となった大きな会議室は人のながれを考えた効率的な配置になっていました。会場の入り口で必要書類を渡すと、待たされることもなく医師の問診エリアにまわされ、すぐにワクチンの接種場所に誘導されました。そこには接種を担当する看護師が立っていて肩を出すようにうながされました。

注射の針が肩に刺さろうとしたとき、私は心の中で「痛ければいいなぁ」と思っていました。ワクチン接種の様子を伝えるニュースではよく「全然痛くなかった」という声があります。しかし、本来、今回のワクチンの接種でおこなわれる筋肉注射は痛いものなのです。にもかかわらず「痛くない」という人たちにおいては「筋層にまで針先が届いていないのでは?」と不審に思っていました。ですから、「針先よ、筋層に届け」とばかりに「痛ければいいが」と念じていたわけです。

看護師は慣れた手つきで注射針を私の肩に刺しました。針が刺されたときと薬液が入る時に少し痛みを感じました。私はホッとしました。「ちゃんと筋肉に入ったんだ」と思ったのです。経過を見るための場所に移動して、一緒に接種した当院の職員と世間話しをしているうちに15分が経ちました。あっという間のワクチン接種でした。すでに接種した知り合いからは注射直後に軽い倦怠感を感じたと聞きましたが、私にも職員にも特段の変化はなくその日は終わりました。

床に就いた私はなんとなくワクチンを接種した左上腕に重だるさを感じていました。そして、「明日、目が覚めたときに筋肉痛になっていればいいなぁ」と思っていました。それは「筋肉痛=ワクチンの薬液が筋層に入ったこと」を意味するからです。そして、翌朝、期待通りになりました。左肩の三角筋に痛みがあったのです。痛みはありましたが、腫れたり、発赤が出現するといったことも、また、熱発も頭痛も倦怠感もありませんでした。

三角筋はぶらりと垂らした腕を飛行機の翼のように持ち上げるときに使う筋肉です。ワクチン接種の翌日、その三角筋が痛くて腕を翼のように持ち上げられないのです。これはまさしく三角筋の痛みでした。職員にも聞いてみましたが、皆私と同じように三角筋の痛みがあって腕が持ち上がらないと言っていました。心配そうな表情をする職員もいたので私はあらためてワクチンの作用機序と今後起こるかもしれないことについて説明しました。

 

以下、説明したこと *************

筋肉が痛いということは薬液がきちんと筋肉にはいったということ。決して不安に感じることじゃないよ。今後、微熱が出ようと、頭痛が起ころうと、腫れてこようと「有害事象」と呼ぶような極端なものでなければ心配ない。数日で収まってしまうことだから気にしないこと。副反応など考えようによっては「ワクチンが効いている」という証拠。「二回目の接種後の副反応は強くでる」という人もいるけど、それは「一回目のワクチンが効いている」からなので心配しないこと。あくでも「有害事象」といえるほど症状が強いかどうか。事前に解熱剤(鎮痛剤)を服用するということはしない方がいいよ。飲まないでいられるのなら飲まないで様子を見ること。

以上 ************

 

接種翌日に出現した筋肉痛はその日のうちに軽くなり、次の日にはほとんどなくなってしまいました。私が事前の思っていた通りの反応といってもいいものでした。それ以降、これといった症状はなく、世の中で言われているほどワクチンの副反応に不安を持つ必要がないことを確信しました。とはいえ、二回目のワクチン接種に向かう時、職員は「二回目の副反応は強くなるかも」という点が心配になっているようでした。そこで私は次のように再度説明しました。

 

以下、説明したこと *************

二回目の接種による副反応が強かったとしても、それは一回目のワクチンがうまくいっていればいるからだと考えればいいんじゃないかな。ものは考えようだと思うよ。「二回目のあとには腕が腫れあがってしまった」という人もいるけど、僕はひそかに「そいう人は知らない間にコロナウィルスに感染していた(こういうケースを「不顕性感染」といいます)」のではないかと思っているんだ。WHOではコロナに感染した人にもワクチン接種を推奨しているし。腫れてもたかだか2,3日のことだろうね。熱発や頭痛が出てきても、つらくなければ解熱剤(鎮痛剤)を飲まないようにね。もちろんつらければ飲んでもいいけど。

以上 *************

 

日頃の診療で私は患者に「熱が出てもできるだけ解熱剤は使わないように」と指導してきました。もちろん今は「正確な体温がわからなくなるから」と説明しますが、本来は「熱がでるということはからだの免疫応答のひとつであり、熱発をきっかけに免疫反応が本格化するから」です。熱があるからといってむやみに体温を下げると免疫反応をさまたげる可能性があります。だからこそ「早めにパブロン(風邪薬)、はダメですよ」と繰り返し言ってきたのです。

5月18日のウォールストリートジャーナル紙には「ワクチン副反応、なくても予防効果あり」と表題のついた記事が掲載されました。その記事を読めば、私の言ってきたことが単なる個人的な見解ではないことがわかると思います。表題にあるように「副反応の少ない人もワクチンの効果はある」と書かれるということは、裏を返せば「副反応」はワクチンの効果をしめすものとしてとらえられていることを示しています。このような論調は日本のどのマスコミからも聴かれないことです。

というわけで、あっという間に第2回のワクチン接種は終わりました。職員のなかには接種当日の夜に熱発と軽い倦怠感があった者もいましたが「有害事象」といえるほどのものではありませんでした。当然のことながら解熱剤(鎮痛剤)を服用することはありませんでした。私は1回目と同じような筋肉痛がありましたが、程度はやや軽く、少しだけ「腫れた感じ」がありました。でも、翌日には症状はすっかりなくなって通常通り。結果として私と当院の職員には大きな問題は起こらずにワクチン接種は終了しました。

 

我孫子市でもワクチン接種がはじまり、患者さんから「私はワクチンを打てますか?」と質問されることが多くなりました。そんなとき私は答えます。「端的にいえば、どんな病気を持っていても新型コロナウィルスワクチンを接種することができます」と。「基礎疾患」があろうとなかろうとワクチン接種にはほぼ関係がありません。アレルギー歴に関しても、ポリエチレングリコール(PEG)に対するアレルギー歴がなければおおかたのアレルギー反応の経験があっても接種は可能です。

ちなみにPEGは大腸検査のときに使う下剤あるいは化粧品や軟膏にふくまれているときがあります。したがって、こういったものでひどいアレルギー反応を起こしたことがある人は注意が必要です。主治医あるいは接種当日の診察医に相談する必要があります。ただし、あきらかなPEGアレルギーでないかぎり「本人の意思」ということになるでしょう。でも、もし私の患者にPEGアレルギーを疑う履歴があれば、その人には「残念だけどやめといたら」とアドバイスすると思います。

ちなみに、アメリカでは「妊婦も接種可能」ということになっています。これまで妊婦に対する接種経験数が少ないため安全性は確認されていません。しかし、今のところ積極的に「妊婦は接種禁忌」とするだけの根拠はありません。「接種するリスクよりも、しないリスクが高い」と判断されての結論なのでしょう。ちなみに、世間で噂され、ワクチン接種に反対する人たちの間で噂されている「新型コロナウィルスワクチンと不妊」については「関連性に根拠なし」とされています。

現在わかっているワクチンの有害事象は次のとおりです。日本では5月上旬までにワクチン接種後に死亡した症例が28名います。多くは高齢者であり、直接の死亡原因としては脳出血、くも膜下出血が多いようです。もちろん若年者もいます。しかし、若年者ほど死因がはっきりしません。このような背景もあって、この28例は全例「死因とワクチン接種の因果関係は判断できない」とされています。なお、日本での新型コロナウィルスワクチン接種は現在550万回です(26日に1000万回を超えました)。

全世界では15億回ほどのワクチンが接種されています(22日現在)。みなさんが心配しているアナフィラキシーショックと呼ばれる重篤なアレルギー反応ですが、今のところ発生する頻度としては25万回に一回程度ということになっています。その多くがワクチンを接種して30分以内に出現しており、適切な対応がなされたため死亡例はまだないようです。もし、皆さんがワクチンを接種する場合は、接種直後に体のほてりやかゆみ、息苦しさや動悸などを感じたら会場の職員にすぐ伝えてください(まず起こりませんけど)。

ちなみにジョンソン&ジョンソン社のワクチンで騒がれた血栓症ですが、頻度としては80万回の接種に対して15例の関連血栓症が疑われています。80万回というと、我孫子市と柏市、流山市に住む生まれたばかりの新生児から100歳を超える高齢者までの全人口をあわせたくらいの数です。この人たち全員にワクチン接種をして15例の血栓症が起こるかどうか。それを「恐ろしい」と感じるかどうかということです。現在、広く日本で接種されているファイザー社のワクチンでは血栓症の報告はなさそうです。

私はワクチンを接種すべきか迷っている人には「打つリスクより打たないリスクの方がよっぽど高いですよ」と言っています。感染はしばらく続きます。「流行」からなかなか逃れられない以上、ワクチンを接種して感染のリスクを減らすことが何より大切です。昨年の今ごろ、「検査をもっとたくさんやれば感染拡大を抑えることができる」と主張する人が少なからずいました。でも、東京よりもはるかに多くの検査をしてきた大阪のつい最近までの様子をみればその答えは明らかだと思います。

検査は安易に行うべきではありません。今よりも医療体制が整っていなかった昨年、「もっとたくさん検査を」という声に社会が押し切られていたら医療は確実に崩壊していたと思います。ロンドン大学の某日本人教授も、どこぞのクリニックの院長も、いろいろなTV番組で「もっと検査を」と叫んでいました。医学の常識を軽視したそんな言説を真に受けた大臣は今もなおコロナ対策の陣頭指揮に立っています。そして、その大臣はいまだに国民に我慢と自粛と負担を強いるのみです。

感染拡大を抑えるにはワクチンを集中的に接種するしかありません。その対象者はワクチン接種の目的に応じて合理的に決めなければなりません。にもかかわらず、その場しのぎの対応策と大衆迎合的な政策が小出しにされ、新型コロナウィルスを封じ込める有効策も後手にまわるのみで十分ではありません。今のコロナ対策には司令塔がいません。日本医師会も政権のブレインとはとてもいえない状況です(会長があのザマですから)。ワクチンの社会的効果が待ち遠しくもあり、またその効果があらわれて日本の経済が早期に正常化できるのだろうか心配だというのが今の私の正直な気持ちです。

回答にかえて

今回のブログは今までになく長くなってしまいました。読みづらいかもしれませんが、まとめて書きましたのでご了承ください。

先日、このブログへの感想とともにご質問が寄せられました。そのなかで、今の新型コロナの感染状況についてどう感じているのかを教えてほしいとのご要望がありました。これまで何回かにわたり、その時点でわかっていること、あるいは自分なりの見解を発表してきました。しかし、その時正しかったことが今は否定されたり、また、その後、明らかになったこともあります。その辺のこともふくめて、あらためてまとめます。
ただ、あらかじめ申し上げておきますが、ここには私の個人的な見解が含まれています(これまでの記事すべてがそうですが)。私の「好き、嫌い」「すべき、すべきじゃない」に関しては、価値観の違いから、あるいは立場の違い(医療従事者と患者という意味)から、読者のみさなんには不快な思いをさせてしまうかもしれません。でも、当ブログは私の意見表明の場でもあり、あたりさわりのないことを書いても意味がないと考えています。

これまで繰り返してきたように、「新型コロナ感染は風邪をひくことと同じではありません。しかし、軽症であればそれがたとえ新型コロナウィルス感染症だったとしてもほとんど風邪」です。新型コロナはインフルエンザよりも少し怖い程度だという人もいます。そんなことをいうと「認識が甘い」といわれるかもしれません。「放射能の危険性に対する認識が甘い」と書かれたメモ用紙をポストに投げ入れられたときのように。
しかし考えてみて下さい。「ワクチンを打ちましょう」と繰り返しても、「めんどくさい」とか「これまでかかったことがない」という理由でワクチンを打たなかった人は少なくありません。そのインフルエンザで毎年3000人の人が日本で亡くなっています。今回の新型コロナによって亡くなった人は約1年で4000人ほど。新型コロナではまだワクチンを接種した人がいなくてこの数字です。これって多いといえるのでしょうか。

超過死亡という用語をご存知でしょうか。「例年、このくらいの人が亡くなっている」という数字が統計的に推定できます。その推定される値を越える死亡者数を「超過死亡」といいます。ここでの死因はさまざまです。肺炎だったり、癌だったり、交通事故だったり、自殺だったり。つまり、超過死亡が増えたということは、何らかの原因によって社会的損失としての死者が多くなったということを意味します。
連日、マスコミの報道によって、皆さんは「新型コロナウィルスが猛威をふるい、バタバタと人が死んで、社会がとんでもなく混乱している」と思っているのではないでしょうか。しかし、海外の国々の超過死亡が増える中、日本の超過死亡はむしろ減っているのです。理由はさまざまです。新型コロナのおかげで日本人の衛生意識が高まり、重症感染症そのものが減ったのか。それとも極端な自粛によって交通事故死が減ったのか。

世の中をかけめぐる情報のうち、かなりの割合で枝葉末節なことが針小棒大に報道されています。場合によっては根拠のない情報を伝えるフェイクニュースや、恣意的に世論を誘導するような偏向ニュースが飛び交っていることすらあります。多くの人は「PCR検査陽性者(=感染者?)の数の多さ」に一喜一憂します。しかし、この中には軽症者やまったく症状のない人が含まれています。本来は重症者がどのくらい増えているかに注目すべきです。
新型コロナの感染拡大のおかげ(?)でか、実は社会的損失としての死亡者はむしろ減っています。これは衛生意識が高い日本ならではことかもしれません。そのような中で、新型コロナによる「死者数(コロナ死)」を考える際には注意が必要です。コロナ死の定義が市町村によって異なるからです。今は容易に(安易に?)PCR検査がおこなわれます。自殺した場合も、癌で亡くなったとしても死後にPCR検査で陽性とでれば「コロナ死」となるのです。

検査はなんのためにするのでしょうか。私はこのブログで何度も「検査はあくまでも怪しい人にやるもの」とご説明してきました。しかし、とある一本の論文が海外の科学雑誌に掲載されました。「検査をたくさん実施すれば感染拡大の抑制に寄与する」というものです。この論文を根拠に「ほらみろ。検査はやればやるほどいいんだ」と勢いづく人もいます。しかし、国民性や医療制度の異なる国での研究成果を単純に日本にあてはめることはできません。
こうした私と同じ意見をもつ医師は少なくないと思います。しかし、中には「検査をもっとやれば感染拡大をおさえられる。もっと検査をやるべきだ」と考える医師もいます。でも、そうした医師の多くは、自分のクリニックで大々的に検査をやっていたり、そうしたクリニックとの関連性があります。利益相反ってやつでしょうか。いずれにせよ、「検査陽性は入院が原則」の日本で検査をむやみに増やせば医療は崩壊します。

現在のPCR検査の感度はかなり高くなり、疑陽性はほぼないといわれています。しかし、陽性となったとしても、ウィルスのかけらが検出されたにすぎない人や、発症したり他の人にうつす可能性が低いほどの少量のウィルスを保有していたにすぎない人もいます。そんな軽症な人であっても、今、日本で新型コロナウィルスはエボラウィルスと同じ感染症法の二類のままになっており、検査が陽性になった時点で入院させるのが原則になっています。
多くの人は「検査しないよりしたほうがいい、入院しないよりはした方がいい」と考えるかもしれません。しかし、そうではありません。なぜなら、検査しに行った場所で、あるいはコロナ病棟に入院したことによってあらたに感染してしまうリスクがあるからです。検査をする人は完全装備です。でも、検査を受けたり、入院した患者はほとんど無防備です。本当に感染したかどうかもわからない無症状あるいは軽微な患者が行くべき場所ではありません。

だからといって「検査をしない方がいい」ということではありません。そうではなくて、だからこそ「怪しい人が検査を受けるべき」なのです。検査は本来「念のため」に実施するものではありません。「否定するため」のものでもありません(そうしたことを目的に検査する場合もあります)。熱もない風邪症状の社員に会社が「検査を受けてこい」と命じるケースがあります。会社側こそもっと検査を受けるリスクに関する正しい知識をもってほしいものです。
つい最近の東京都で、PCR検査した人のうちで陽性になった人は約15%に達しました。しかし、これの数字もどのくらい対象者をしぼったかによって違ってきます。感染拡大の様子をこの陽性率で判断することは困難です。感染拡大の様子は重症者の数で把握するべきです(死亡者数は「コロナ死」の定義がはっきりしていないため比較をするには不適切です)。ただし、感染の拡大に遅れること2週間ほどで重症者数に反映されます。

連日報じられる新型コロナウィルスの感染拡大。いつになったらこんな状況から抜け出せるのか不安になります。しかし、感染者をゼロにすることは当分できません。検査陽性者は多くなったり少なくなったりといった状況がしばらくは続くでしょう。感染の封じ込めを政府は狙っているようですが、強力な自粛によって経済に大きな犠牲を強いてまでやることではありません。むしろ、医療を崩壊させないためにはどうするかに主眼におくべきです。
もちろん、医療を崩壊させないためにも感染拡大の阻止(抑制)は必要です。だからといって、日本医師会が繰り返し強調してきたように、一にも二にも自粛というバカのひとつ覚えでもいけません。一般国民にはこれまで通り感染を防ぐためのできうる工夫を継続していただきながら、新型コロナウィルスワクチンの接種が開始されたらすみやかに受けていただくことです。このワクチンを必要以上に恐れて接種しないでいる理由はありません。

新型コロナウィルスのワクチンについては怖くなるような情報がもう出回っています。今後、幅広くワクチンが接種されるようになると、マスコミもおそらくネガティブ・キャンペーンを張ってくるでしょう。どのワイドショーでも、「接種するのは危険だ」といわんばかりの事例を繰り返し紹介してきます。しかし、今から新型コロナウィルスワクチンに関する正しい知識をもち、ワクチン接種の是非をできるだけ冷静に判断できるようにしておくべきです。
従来のワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがありました。前者は弱毒化した「生」のウィルスをからだの中に注入して抗体を作り感染を予防するものです。しかし、感染予防の効果は高いものの、副作用もそれなりに出現します。一方の不活化ワクチンは、ウィルスのいち部をからだに注射し、抗体を作って重症化するのを防ぐのです。感染予防効果は弱いのですが安全性が生ワクチンよりも比較的高いとされています。

新型コロナウィルスのワクチンは、従来のワクチンとはかなり異なります。遺伝子操作で作られた最新型のワクチンです。mRNAワクチンやDNAワクチン、ウィルスベクターワクチンなどの種類がありますが、いずれもウィルスの遺伝子を利用して抗体を作るワクチンです。ここではmRNAワクチンについて簡単に説明します。なお、mRNAは「メッセンジャーRNA」と読みます。RNAはDNAと同様、からだを複製する際の情報が書かれた遺伝子です。
新型コロナウィルスはRNAウィルスに分類されます。つまり、自分の複製をつくるときRNAという遺伝子を使うウィルスです。このRNAがどのような配列になっているかはすでに昨年の2月に明らかになりました。そして、このウィルスが細胞に接触するのに必要なスパイクと呼ばれる部位を作る配列も解読されました。そのRNA配列をmRNAとして合成し、からだに注射するのがが新型コロナウィルスのワクチンです。

このmRNAを筋肉に注射すると、その配列は筋肉の細胞の中にあるリボソームという器官で読み取られます。そして、ウィルスのスパイクという部位のタンパクが合成され、そのタンパクを異物として認識したからだが抗体を作るのです。そうすると、ウィルスが体内に侵入しても、そのスパイクがワクチン接種で作られた抗体によって破壊され、細胞にとりつくことができなくなり感染予防ができる、というわけです。
従来にはないワクチンではありますが、感染予防効果は生ワクチンに近い(ファイザー社製で95%以上)と報告されています。不活化ワクチンと同様に重症予防の効果も期待できます。さらに、ウィルスそのもの、ないしはその一部を外来タンパクとして注射する従来のワクチンと異なり、mRNAを注射してからだの細胞内であらたにタンパクを作らせるため、重篤なアレルギー反応は100万人に22人と比較的低い数字です。

命に関わるような副反応は極めて少ないとはいえ、デメリットもあります。従来のワクチンは皮下注射(皮膚と筋肉の間に注入)でよかったのですが、mRNAワクチンは筋肉の細胞でスパイクタンパクを作らせるため筋肉に注射しなければなりません。つまり、従来のワクチンにくらべて注射時の痛みが強くなります。しかも、注射後の筋肉痛や針を刺した部分の圧痛や倦怠感も従来のワクチンよりも比較的強いとされています。
また、mRNAは壊れやすいため極めて低い低温で保管しなければなりません。そして、凍結した状態から解凍したら、6時間ほどで使用しなければなりません。よく「遺伝子を使ったmRNAワクチンで遺伝的な悪影響が出る」というデマがながれていますが、mRNAは体内では数分で代謝されてしまうので心配ありません。以上のように、その取扱いの難しさから、その辺のクリニックで気軽に接種を受けられるものではないのです。

さて、そうはいっても、感染したらどうしたらいいのでしょうか。入院するか、宿泊施設で経過をみるのか、それとも自宅内隔離で様子を見るのか。一般の人にそれを判断するのは難しいかもしれません。でも、明確な自覚症状のない熱発だけであれば、家庭内隔離をしながら自宅で様子を見ていてもいいでしょう。ただし、強い倦怠感や咽頭痛、味覚やにおいを感じない、あるいは呼吸苦や胸痛を感じるといった症状をともなう熱発は要注意です。
当院では問い合わせのあった患者を四つのタイプに分類しています。
 #0:熱はない風邪症状のみ
 #1:熱はあるが新型コロナの感染患者ではない可能性が高い
 #10:熱があり新型コロナの感染患者の可能性を疑う
 #100:新型コロナの感染患者の可能性が高い

#100に分類される患者は診察はせず、適宜投薬をしながらPCR検査を手配します。緊急性がある場合は保健所に直接相談します。#10の患者の場合も原則的に診察はせず投薬のみで経過を見ますが、毎日電話をかけて症状が改善傾向にあるかを確認・記録し、重症化していないかを見逃さないようにしています。#1の患者は来院患者の少ない時間帯に診療するか、投薬のみにし、#0の患者は通常の診療にて対応するようにしています。
自宅内で経過を診る場合は、家族内に感染が拡大していないか注意する必要があります。通常の風邪であればそう簡単に感染しません。しかし、熱発患者の経過観察中に同じような症状が他の家族に出るようなら新型コロナウィルスに感染してしまった可能性を考えるべきです。重症を思わせるような症状がなければ、あわてずにかかりつけの医師に電話で相談しましょう。夜間などに重症を思わせる症状がでたら「119番」に相談してください。

それにしても「感染拡大」で世の中が騒然としているのに、行政の対応は「自粛、自粛」を繰り返すばかりで後手後手になっている印象があります。日本医師会もなんの有効策をとれないでいます。「とれない」のか、「とらない」のか、私にはわかりませんが、今の日本医師会はあまりにも無力に見えます。日本医師会の狼狽ぶりはなさけないばかりです。「GoTo やめろ」「自粛しろ」の一点張りだったのですから。
今、喫緊の課題は「医療崩壊」ではなく、重症者などを病院が収容できなくなる「病院崩壊」をいかに回避するかです。緊迫している病院にくらべて、開業医が置かれている状況は、その機能が崩壊するほどの危機的な状況にはありません。開業医が楽をしていると言っているのではありません。熱発はもちろん、風邪症状の患者の診療にはそれなりの危険性があります。そうした中、限られた医療資源の中で「頑張っている医療機関」は少なくないのです。

新型コロナウィルスに感染する危険性をもかえりみず、超人的な診療をしている開業医も少なからずいると思います。しかし、そうした診療が必ずしもいいとは思いません。開業医が安易に感染してしまえば、そのしわ寄せは他の個人開業に、あるいは病院の外来に波及するからです。機能という意味でも、マンパワーという観点からも、開業医が病院なみの診療をすることは不可能です。感染するリスクを軽減しながらどの程度の診療をするかです。
私たち開業医が今しなければならないのは、病院や保健所の負担を少しでも軽減することだと思います。病院にとって代わることなどできませんし、そんな大それたことをやろうとすべきではありません。せいぜい前述したような当院での診療をするのが精いっぱいでしょう。今はただ、個人の開業医それぞれが「できる範囲で、すべきことをやる」という姿勢をもたなければなりません。とはいえ、国や行政を巻き込めばやれることはまだあります。

前述したように、新型コロナウィルスは感染症法の2類相当に分類されています。つまりエボラウィルスのように致死率の高い恐ろしいウィルスと同じあつかいになっているのです。ですから、新型コロナウィルスに感染したと診断された時点で患者は「原則入院」となります。多くの人も「新型コロナになったら入院するもの」と思っているかもしれません。ですから、もし仮に軽症であっても「入院させろ」という圧力は決して弱くないと思います。
しかし、ひっ迫した入院病床数の今の状況を考慮すれば、新型コロナウィルスをインフルエンザと同じ5類にすることが急務です。これまでに得られた経験と知識から、新型コロナウィルスの危険性があのエボラウィルスと同じではないことは明白です。2類から5類への指定変更によって、病院は「原則入院」という呪縛から解放され、重症度の応じて患者を「入院加療」「宿泊施設」「自宅隔離」に柔軟に割り振ることができるのです。

最近、マスコミは「自宅内で家族から感染」や「自宅療養中に死亡」、あるいは「入院を拒否された」といったケースを報道しています。そして、感情論にながされたワイドショーがそれをとりあげては騒いでいます。命に軽重はありません。しかし、優先順位はあるのです。イタリアの例を見るまでもなく、限られた医療資源のなかで人の命を救わなければならないとき、命に優先順位をつけなければなりません。それは差別ではありません。
日本人はこうした議論を避ける傾向があります。情緒論にながされがちだからです。今の政府・専門家たちの間ですらなかなか議論されていません。ですから、医療がさらにひっ迫して、「命に優先順位をつける」という厳しい状況に直面したとき、行政の定めた目安がない現場は混乱するでしょう。そんなことがわかっているはずなのに、政治責任から逃げている人たちの議論はきわめて低調です。かくしてそれが医療現場をさらに疲弊させます。

現場の医師、看護師、そして病院のすべての職員が、今どんな思いで仕事をしているかを考えると申し訳ない気持ちがします。彼らを支えるべき大きな力があまり機能していないからです。個々の力ではこの状況をかえることはできません。国なり、自治体なり、医師会といった権力をもった人たちがもっと知恵をしぼって動かなければならないのです。そうでもないかぎり、病院がおかれた厳しい状況を改善することはできません。
とくに日本医師会の動きに私は不満です。ご存知のとおり、日本医師会の会員の多くは開業医です。私もそのひとりです。もちろん病院の勤務医の会員もいます。会員の職種や身分にかかわらず、医師を束ねる組織として「やれること」をやっているとはとても思えないのです。医師会の幹部たちが会見でフリップをもちながら「医療崩壊」の危機を叫んでいます。しかし、医師会が「やるべきこと」はそんなことではないはずです。

医師会はなぜ「新型コロナを2類から5類に変更せよ」と主張しないのでしょう。その一方で、「自宅で経過観察している無症状あるいは軽症の患者のフォローアップは開業医が担当する」と提言しないのはなぜでしょう。つい最近、東京都がいくつかの病院を新型コロナ専門病院として運用すると発表しました。これは私がすでに提言していたことですが、本来であればもっと早い段階で医師会が提言しなければならないことです。
政府の対応にも苛立ちます。疲弊した看護師が次々と病院を離職している現状に、看護大学院生や看護学部・看護学校の教員を現場に動員する案が検討されたと聞きます。しかし、まずやらなければならないのは、経験豊富な看護師たちが離職しない環境を整えることのはず。まるで大東亜戦争(太平洋戦争)のとき、経験豊富なパイロットを特攻作戦でどんどん消費し、経験の浅いパイロットを即席で養成して戦ったのと同じではないでしょうか。

昨年以上の自粛をすることは社会的に不可能です。期待しても無駄です。そもそも自粛の効果にエビデンスはないとも聞きます。業種によってはこれ以上の自粛は社会的死を意味します。そんな素人でもわかることにしがみつき、「自粛、自粛」と叫ぶだけの政府と日本医師会には「やるべきことをやってくれ。思いつかないならパブリックコメントを募集してくれ。それすらできないならやれる人に代わってくれ」と言いたいくらいです。
病院も保健所も昨年の春からずっと大変な思いをしています。その機能を守る前提は、国民が気を緩めず、できることを淡々と励行することです。と同時に「重症化したときに確実に治療を受けることができる体制」を維持しなければなりません。そのために政府や自治体、そして日本医師会は知恵をしぼるべきです。私自身も病院機能を守るために今できることを試行錯誤しながら実行していきたいと思っています。

コロナより怖いもの(2)

11月ごろから急に新型コロナ感染者(検査で陽性となった人)が増えだし、集中治療室で治療を受ける重症者の数や、治療のかいもなく亡くなってしまう人の数は今や春のときよりも増えています。最近、それらの数が落ち着いてきたと思ったのもつかの間、感染力の強い変異型のウィルスが海外から日本に入ってきたと報道されています。第三波と呼ばれる感染拡大が今度どのように推移するのか、「医療崩壊」が現実のものになってしまうのだろうかと不安になります。

いろいろな場所で「クラスター」と呼ばれる新型コロナウィルスの集団感染が発生しています。それは感染対策をとっている医療機関もその例外ではありません。私のクリニックでも他人事ではなく、知らない間に身近なところに迫ってきていると感じることが時々あります。これまでにもまして私自身や職員はもちろん、私たちの家族にも感染者が発生しないような生活・心がけを徹底し、患者対応ならびに院内の環境整備を常に見直すようにしています。

しかし、私たちの努力だけではどうしようもないこともあります。随分前のことになりますが、ご家族から「父親が先日から咳がでているのだが」とお電話がありました。「熱があるか」と尋ねたところ「ない」といいます。いつもなら受診させて診察・投薬するところですが、なんとなく胸騒ぎを感じた私は「お薬をだすので、本人は来院せず、ご家族がとりに来てください」と伝えました。そして、来院した家族に一般的な薬を処方して様子を見ることにしました。

その後の連絡はなく、その患者のことはすっかり忘れていたのですが、最近になって、薬を出した直後に新型コロナと診断されて入院したということがわかりました。しかも、発症したのは当院に相談があった日の数日前だったというのです。となれば電話で相談を受けたときにはすでに咳だけではなく発熱もあったはず。そうした大切な情報が正しく伝えられなかったのです。あのとき、もし胸騒ぎがなければ、いつも通りに診察した私も濃厚接触者になるところでした。

それでもまだ私のクリニックのような医療機関はいいのです。感染病棟をもっている病院はもっと大変です。なにせ「新型コロナと背中合わせ」で診療しているのですから。しかもそんな状態は新型コロナウィルスの感染がはじまった2月からずっと続いています。もしそこで働く医療従事者が疲労困憊し、クラスターが発生するなどして感染患者を受け入れられなくなったらどうなるでしょう。一般診療もできなくなり、まさに「医療崩壊」に陥ってしまいます。

昨年のちょうど今頃、中国では原因不明の肺炎が流行し始めたことが報道されました。そして、その流行は予想を上回る早さで拡大している可能性があることを報じるものもありました。中国でそんな事態になっていることに多くの日本人がまだ気が付いていなかった今年の1月26日のこと。私はこの日のブログで「このまま入国制限をしなければ中国からたくさんの観光客が入ってくる」、「日本でも流行した場合の対応を今から考えておくべき」だと注意喚起しました。

*********** 以下、1月26日掲載「新型肺炎(1)」の一部

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

***************** 以上

しかし、政府は、まるで4月の来日が決まっていた中国の習近平主席に配慮したかのようになかなか入国制限を実施しませんでした。その結果、春節にはたくさんの中国人観光客が来日し、日本への外来ウィルスの侵入を食い止めることができなかっただけでなく、国内での感染拡大に歯止めがかからなくなりました。大変だったのは保健所と感染者を入院させる病院です。急増する感染者に対応する体制を整えることもできないままに春を迎え、夏になってしまいました。

ところが夏になって第二波が疑われたときでさえ、政府や日本医師会は新たな手を打とうとはしませんでした。そこで私は8月のブログで「この冬に向けての提言」と題して、第三波がやってくるまでに政府や医師会がなにも対応しようとしないときの提言をまとめました。でも、案の定、第三波への対応策を「今出るか、今出るか」と待っている間に、あっという間に秋になり、10月には入国制限が緩和され、11月になると感染はふたたび広がっていきました。

************ 以下、8月19日掲載「この冬に向けての提言」の一部

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

***************** 以上

今、盛んに「感染者数が過去最大に」と報道されています。そりゃそうでしょ。クラスターつぶしで症状の軽い人や無症状の感染者までが拾い上げられているのですから。もちろん重症者や日々の死亡者の数だってこれまでになく多いのですから最近の感染拡大が大した問題でないなどというつもりはありません。でも一番の問題は政府や日本医師会に実効性のある対策がないところ。このままでは「医療崩壊」が現実のものになってしまうかもしれないのです。

その医療崩壊を起こさないために何をすべきなのでしょう。政府や自治体の長はなにかといえば「自粛しろ」といいます。この春のときのような緊急事態宣言を「出せ」「出すな」の応酬となるときもあります。その一方で、日本医師会や東京都医師会などは「医療はもう限界だ」と叫ぶばかりです。でも、ちょっと待ってください。医師会はこれまでなにをやってきたのでしょうか。有効策も講じないでいて勝手なことを言うなと言いたい気持ちです。

日本医師会がやるべきことは、そんな泣き言を言うことじゃないはず。つい先日までも「Go Toやめろ。人は移動するな」と叫び、政府の対応を批判するだけでした。日本医師会はそんなことを言っている暇があったら、この感染拡大に際して医療を崩壊させないための取りうる方策に知恵をしぼるべきじゃないんですか。そんなことはこの夏にやっておかねばならないこと。それを怠ってきて、今さら泣き言ばかりではあまりにも情けないじゃありませんか。

ここまで感染者が増え、軽症者や無症状の感染者がホテルでさえも隔離できなくなったときに「自宅隔離」ができるよう、具体的な方法を今から国民に啓もうすることです。そして、ホテル隔離した患者は地元の医師会が交代で、自宅隔離した患者は患者宅の近隣の開業医が適宜投薬をして定期的に健康状態を確認。その情報を保健所に報告し、症状の悪化が見られた患者をすみやかに病院に収容する。それらのスムーズな連携ができる体制を構築する必要があります。

新型コロナ患者を収容する病院では内科での一般外来はとりやめてできるだけ入院診療に集中するべきです。そのためには一般内科病棟の一時的な減床や患者の転院も考える必要があります。もちろん金銭的な負担は政府や自治体が保証する。医療従事者の給与を増やしたり、一時金を渡すよりもこのような対応が必要です。病院で働く人たちに感謝することは、チャリティコンサートを開くことでもなければ、千羽鶴を折ることでも手紙を送ることでもありません。

国や医師会がこうも無策なのは、現場もよく知らないお偉い先生方や政治家たちが思い付きで話し合うから。私が責任者だったら、新型コロナ患者を収容して苦労している病院で働く人たちを集め、何が不足していて、何が必要なのかを洗い出し、これらの課題を解決するためにどのような法整備、法的根拠が必要なのか。財政的な裏打ちをどうとるかなどをまとめて対応策を考えます。今の対応はこうしたプロセスを踏んでのこととは到底思えないのです。

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、怖いのは新型コロナウィルスだけではありません。人々の不安をあおるマスコミのいい加減さと、無知な一般大衆が引き起こすパニック。そして、長期的な展望と短期的な戦略をもてない政治家や官僚、日本医師会といった肝心の組織の無能さ。やるべき人がやるべきことをやってくれないと、社会を不安におとしいれ、たくさんの人が犠牲になることにつながります。新型コロナよりもむしろこちらの方が恐ろしい。

12月28日からようやく入国制限が再開されるようです。しかし、制限される国の中に中国はありません。そして、この制限は来年1月31日に終わります。中国の来年の春節は2月11日だとされています。つまり春節がやってくる前にこの制限は終わるのです。今年の1月のブログで私が書いたのと同じ愚を繰り返すつもりなのでしょうか。人間は間違いを犯します。それは愚かだからではありません。しかし、愚かなのは経験から学ばずその間違いを繰り返すことです。

最後に、この年末年始にできることをまとめてみました。くれぐれも目安にしてください。医者にもいろいろいます。新型コロナやインフルエンザが心配されている中、一日三回解熱剤(や痛み止め)を出す医者もいます。これを悪いことだとはいいませんが、あまり筋のいい処方だとも思いません。微熱などの発熱があったときにどのように対応したらいいかに迷ったら、まずは当番の医療機関に電話で相談すること(市医師会のホームページ、または市消防局、あるいは119番に連絡すると当番病院を教えてくれます)。

コロナより怖いもの(1)

インフルエンザのワクチン接種も終盤に差しかかっています。新型コロナとインフルエンザが同時に流行することが懸念されていたせいか、例年以上にインフルエンザワクチンの接種が推奨されていました。そんなこともあって、これまでワクチン接種とは無縁だった人までがワクチンを打ちに来院しました。また、マスコミが「早めに接種しましょう(その理由は不明です)」と煽ってきたせいか、10月になると早々に接種に来る人が多かったのも今年の特徴です。

ご存じのとおり、インフルエンザのワクチンは「インフルエンザ」のためのワクチンであり、新型コロナウィルスはもちろん、いわゆる「一般の風邪のウィルス」に対する予防効果はありません。ワクチンを打たない人の中には「インフルエンザになったことがないから打ってこなかった」という人がいます。でも、それはたまたまインフルエンザにかからずに済んでいたのであり、ワクチンを接種する必要性があるとか、ないとかいうこととは関係ありません。

ワクチンを打ってもインフルエンザにかかることはあります。かかりにくくなるだけです。 でも、ワクチンの効果はインフルエンザにかかったときにわかります。ワクチンを接種していれば、インフルエンザに感染してもおおむね数日で解熱し、重症化することを避けることもできます。ところが、ワクチンを接種せずに感染すれば、高熱と全身倦怠感、頭痛と関節痛といった諸症状に連日苦しみ、場合によっては重症化、運が悪ければ死亡することもあります。

現在、新型コロナにはワクチンがないため、あたかもワクチンがなかったころのインフルエンザのような状況になっています。ワクチンがなかったころのインフルエンザがどれだけ恐ろしい感染症だったかを想像してみて下さい。1918年に世界的に流行した「スペインかぜ」は全世界で約6億人が感染し、約5000万人が死亡したと言われています。その後もパンデミックは繰り返し、「香港かぜ」や「ソ連かぜ」と呼ばれて今でも語り継がれています。

ところが、ワクチン接種が普及し、インフルエンザに対する啓もうが進むにつれて世界的パンデミックは減っていきました。そして、インフルエンザ治療薬が普及すると、インフルエンザはもはや恐ろしい病気として認識されなくなりました。「ワクチンを打ちましょう」と勧めても見向きもしない人が少なくなかったのはそのためです。本来は接種しなければならない学校の教員や介護施設の職員の中にさえワクチンを接種しなかった人が結構いたほどです。

しかし、今年は様相が異なりました。これまで接種をしてこなかった人たちもがワクチンを受けに来たのです。ワクチンはみんなが接種しなければ感染拡大を抑えることにはつながりません。「俺にはワクチンは関係ない」ではすまないのです。その意味で、ワクチンを接種する人が増えたことはいいことだったと思います。でも一方で、例年を大幅に上回るワクチンの需要に供給が追い付かず、一時的にワクチンが手に入らなくなったときもありました。

だからといって、ワクチンを早く接種すればいいかといえば必ずしもそうではありません。 インフルエンザが流行しはじめるのは例年であれば12月中旬から。そして、本格的に流行するのは1月の終わりからです。 ワクチン接種後、数週間で効果が現れ、3か月ほどで効力が落ちてくるといわれています。 ですから、早く打ちすぎると3月までにワクチンの効果が低下してしまうことがあるのです。当院で「11月のワクチン接種」をお勧めするのはそのためです。

新型コロナウィルスが流行してそろそろ11か月になります。その11か月間に日本で感染が確認された人はこれまでに約14万人、亡くなった方は2000人あまりです。インフルエンザが流行する半年間に日本で亡くなっている人は毎年3000人ほどですから、 新型コロナウィルスで亡くなった人はワクチンや治療薬がない割には決して多い数字ではないことがわかります。予防や治療の方法がまだ十分に確立していないというところが新型コロナの感染が怖い理由です。

今、新型コロナは第三波が到来していると言われています。確かに重症者は増えてきており、やがて死亡者も増加することでしょう。これらの感染状況がどれほど深刻なものになるのか見当もつきません。しかし、人々の心構えも、また、社会の在り方も、この春とはくらべものにならないくらい感染症対策に意識的になっています。したがって、悲観的にならず、やるべきことをきちんとやる。マスコミに煽られてパニックにおちいらない。ただただそれに尽きます。

とはいえ、入院患者がにわかに増え、医療崩壊に陥りそうな病院がでてきていると聞きます。医師や看護師、職員が細心の注意を払っていてもこれだけは避けられません。当然のことですが、新型コロナは【ただの風邪】ではありません。しかし、【軽いコロナ】は【ただの風邪】だといっても過言ではなく、感染したからといってあわてて病院に駆け込む必要はありません。入院するほどかどうかは症状が「軽いか、軽くないか」で決まります。

重症かどうかを判断するキーワードは「高熱が続いているか」と「呼吸器症状があるか」です。「他に症状はないが微熱があるがどうしたらいいか」と相談を受けることがあります。症状がないのになぜ体温を測ったのかわかりませんが、「微熱だけ」であればしばらく様子を見ていても大丈夫です。「微熱が一週間も続いている」ということであれば別ですが、一日やそこらの微熱の場合は万が一のことを考えながら自宅で安静にしていればいいでしょう。

熱のないような咳や咽頭痛などのときもあわてて医者に行く必要はありません。熱がでてきたときにはかかりつけ医に電話で相談すればいいと思います(抗生物質を処方されるでしょう)。一貫として熱がなくても、風邪症状が3,4日続く場合はかかりつけ医に相談してみてください。くれぐれも痛み止めや総合感冒薬など、体温を下げてしまう成分を含む薬を飲んで様子を見るなんてことはしないでください(本当の体温がわからなくなります)。

新型コロナウィルスの感染で一番怖いのは「肺炎になること」です。肺炎になると「痰の絡む咳」や「息苦しさ」、場合によっては「胸の痛み」などが現れることがあります。これらの症状とともに高熱が続く場合は、肺炎の可能性を考えなければなりません。と同時に、新型インフルエンザの可能を考えてPCR検査を考慮することもあります。肺炎の可能性があるとき、あるいは心配なときは早めに医療機関に電話をして相談することが大切です。

もし来院する場合は、待合室が混んでいないとき(午前の遅い時間帯や午後4時ごろ)に受診してください。「朝早く診療を終えてしまいたい」「午後一番で診てもらおう」と来院する人は少なくありませんが、この時期は患者が集まる時間帯に受診するのは避けてほしいものです。健康診断を受けるのも、滞在時間が長くなるという意味で今は避けるべきです。患者が少ない時、少ない時期を問い合わせて受診・受検するタイミングを考慮しましょう。

また、「職場や学校から検査をしてくるように指示された」とのお問い合わせをいただくことがあります。しかし、「新型コロナが疑わしい」と診断するとき以外は、自費で検査をしてくれる医療機関を探すことになります。無料(公費)で検査をしてくれる医療機関でPCR検査を受けられるのは、あくまでも新型コロナウィルスの感染が強く疑われたときだけです。「念のため」、あるいは「可能性を否定するため」に行う検査は自費になるので注意が必要です。

ですから、職場や学校から「念のため新型コロナかどうかを検査で確かめてくるように」と指示されたときは、「もし自費になったら会社や学校が負担してくれるのか」と聞いてください。今は比較的容易にPCR検査を受けられるとはいえ、検査は安易におこなうものではありません(検査場所で感染することだってありますから)。検査は臨床経過や症状の推移、診察所見などとともに総合的に判断するものです。今日陰性でも、明日陽性になるかもしれないのですから。

新型コロナの感染は、今後、さらに拡大するかもしれません。しかし、「一日何百人の感染患者」「これまでで最多の感染患者」などという報道に一喜一憂する必要はありません。なぜなら、今、一日におこなわれているPCR検査の数は、この3月や4月の5倍以上にもなっているからです。個人のクリニックでおこなっている検査をふくめれば、その数は相当数にのぼります。人心を煽る報道によって動揺しないようにしなければなりません。

一方、感染拡大の原因として「Go Toキャンペーン」が目の敵にされています。まるで「Go To」を使って旅行する人たち、あるいは食事をする人たち、さらには飲食店やホテルや旅館が悪者にされているかのようでもあります。しかし、このキャンペーンは7月から始まっています。なのになぜ11月から感染者数が増えた原因の第一に挙げられなければならないのでしょう。10月からはじまった入国制限の緩和の方がよほど感染者の急増に影響していると思います。

1月のブログにも書きましたが、流行が続いている海外との行き来を許せば、感染が拡大するのはあたりまえです。入国制限がおくれた2月から感染者数が激増した過去の状況を見ても、また、入国制限を緩和した10月から感染者数が急増している今の状況を見てもあきらかです。それほどまでに海外との人的交流を優先させる理由が私にはわかりませんが、国内の経済、とくに飲食店や観光業の皆さんの我慢ももう限界のはず。これ以上の自粛は酷な話しです。

新型コロナの患者を受けて入れている病院も大変です。感染が始まって以来、気が休まるときがないのですから。しかも、いったん新型コロナの感染者を出してしまえば、「あの病院でコロナの患者が発生したから(行くのはやめよう)」「あの病院の医者、看護師、職員だから(接触しないようにしよう)」との風評にしばらくさらされます。病院はそんな風評被害を受ける可能性におびえながら診療を続けていることも知ってほしいと思います。

いまだに「桜を観る会だ、日本学術会議だ」と不毛な議論をやっていても、毎月決まった額の給与が入ってくる国会議員は気楽な商売です。 新型コロナの感染拡大の原因を多角的に議論して、効果的な対策を矢継ぎ早に講じていかなければいけないはずです。政権の足をひっぱり、「Go Toやめろ」「自粛しろ」と大声で叫んでいればいいとでもいうのでしょうか。あんな人たちを国会に送ったことを反省しながら、せめて我々だけは理性的に行動したいものです。

「怖い、怖い」と言っているだけではなにも解決しません。頭を使ってなにをすべきかを考えましょう。そして、行動しましょう。決してマスコミに煽られてはいけません。また、世の中の雰囲気に流されてもいけません。新型コロナウィルスに感染して死ぬ人より、社会的に追い詰められて自殺する人の方が圧倒的に多いことにも目を向けなければなりません。コロナよりも怖いのは、なんといっても人々の心の中から余裕と勇気がなくなることなのです。

この冬に向けての提言

子どものころ、床屋さんに行くのが面倒で髪を伸ばし放題にしていると、よく両親に「おまえはビートルズにでもなるのか?」と怒られたものです。今どきの子ども達には「ビートルズにでもなるのか」の意味が理解できないかもしれません。当時は「ビートルズ=不良」という根拠なき図式があって、「ビートルズになる」ということはすなわち「不良になる」ということを意味していました。

それと同じように、子ども時代、勉強もせずにTVの前でゴロゴロしていると「TVばかり観ているとバカになるよ!」とよく言われたものです。事実、TVばかり観ていた私はみごとに「バカ」を地で行くような小学生時代を過ごしていたわけですが、それから五十年が経った今でもなお、「TVばかり観ているとバカになる」という言葉は多くの大人たちの間で活きています。

というのも、TVは正しい情報を伝えているとはかぎらないからです。とくにワイドショーはひどいものです。ど素人のコメンテーターが根拠希薄な「茶飲み話し程度の感想」を次々とまくし立てます。それを観ている視聴者はついつい「そうだ、そうだ」となって不安がかき立てられていきます。しかも、科学者を装った「専門家芸人」までが登場してワイドショーを盛り上げるのでなおさらです。

専門家芸人がなにを言おうと、所詮、芸人は芸人です。それが科学的に正しいかどうかはともかく、なけなしの知識は「芸」となって人々の注目をあび、人々の心をつかまなければなりません。ですから、専門家芸人たちが人心をあおろうとするワイドショーの意向にそわない発言をするわけがありません。かくして、ワイドショーを見ている人は知らず知らずのうちに洗脳されていきます。

心理学的にいえば、人間は自分の不安を支持・補強する情報に流され、信じる傾向を持っています。不安な自分と異なる意見に安堵する人もいますが、なかには自分の不安を否定する意見に怒りを感じて攻撃的になる人もいます。そうした怒りが客観的な事実を理性的に分析した結果であるならまだしも、「なんとなく怖い」という情緒に振り回されている結果であるとそれはもはや修正不能です。

最近、TVのニュースで「今日の陽性者数」とともに「重症者数」や「死亡者数」も報道されるようになりました。でも、それらは付け足し程度のもの。人々の不安を解消するほどのものにはなっていません。しかし、新型コロナの感染が一番危機的だった4月と比較すると現在の「陽性者数」はその三倍ほどになっていますが、「重症者数」はほぼ半分に、「死亡者数」にいたっては三分の一以下になっています。

こうした結果は、それまで検査をする基準となっていた「37.5℃以上の発熱が4日以上続くこと」という条件が外されて検査の数が格段に増えたからです。その一方で、現在の検査の精度が格段に上がって、症状の有無とは関係なくわずかなウィルス量の保有者であっても陽性にしていることが影響しています。しかし、「重症者数」でもわかるように感染の状況は決して深刻なものとはいえません。

先日、都内で「新型コロナはただの風邪」「マスクのない普段の生活に戻ろう」と気勢をあげる集会が開かれました。新型コロナを必要以上に怖がるのも愚かですが、こうした無意味な楽観論で社会を混乱させる運動も実に迷惑な話しです。軽微な新型コロナの感染は「ただの風邪」かもしれませんが、新型コロナウィルスの感染症そのものは「ただの風邪」ではないからです。

「新型コロナはインフルエンザ相当か、それよりも少し怖い感染症」と表現するのが適当です。インフルエンザには予防ワクチンが存在し、治療薬として服用できる薬が存在しますが、新型コロナウィルスにはまだそれがありません。ですから、油断していると感染はいっきに拡大し、重症者も急増する可能性があります。重症者の数を増やさないためには感染数を見ながら社会活動をコントロールすることが重要なのです。

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

そもそも現在の感染状況はそれほど深刻ではありません。幸いにも若い人達を中心に、無症状の、あるいは症状の軽い陽性者が多くを占めています。重症化しやすい高齢者が若い人達から感染したらどうするかという問題もあります。しかし、それはそれとしてしっかり策を講じながら、偏重した「感染拡大の阻止」から「重症者の救命」に重点をおく政策・医療に舵を切るべきです。

国や厚労省も、地方自治体も保健所も、あるいは医師会ですらも現状対応にとらわれ過ぎています。一番心配しなければならないこの冬に向けての戦略がなさすぎます。とくに医師会については、厚労省や保健所からの指示がなければなにも動こうとしていないのはなんとも情けないことです。本来、どうすべきかを提言すべき東京都医師会の会長などは「国会を開いて決めろ」と叫ぶばかりでしたし。

私は今、この冬に向けての対応策を考えています。そして、無策のまま秋になるようであれば私案として医師会あるいは保健所に提案してみようと思っています。今回はその試案をみなさんに提示し、広く皆さんからのご意見をうかがえればと思います(そのご意見は公開しません)。それらのご意見を通じて改善・修正を加え、さらに実用的・実効的なものにできればいいと考えています。

○キーワード「肺炎治療の徹底と医療崩壊の回避」「保健所、病院の負担の軽減」

○保健所、病院、クリニックでの機能分担

 保健所 : 
   感染者の状況把握、重症陽性者の入院調整、各種機関からの情報伝達

 病院  :
   比較的重症患者の入院加療(場合に応じて検査)、熱発患者の診療中止
   重症患者は感染症指定病院で治療

 クリニック(医師会会員・診察医): 
   熱発患者の電話診療(病院通院の患者の熱発も診療)
     検査や入院を要する患者のスクリーニング
     無症状陽性者のフォローアップ(毎日)
     軽症陽性者への投薬・フォローアップ(毎日)

○検査センター
 対象:「重症化を示唆する症状を有する熱発者」「4日以上続く熱発者」

 手順:検査センターに診察医が紹介状で依頼
    「新型コロナのPCR検査」 および 「インフルエンザの抗原検査」

○無症状陽性者・軽症陽性者への対応
 自宅あるいは宿泊施設での経過観察(場合により診察医による投薬)

  自宅・・・最寄りのクリニックにより投薬と毎日の病状の確認

  宿泊施設・・・医師会から派遣された管理医による健康管理および投薬、毎日の病状の確認

 これらの陽性者の情報は診察医または管理医により毎日保健所に連絡

○通常の熱発者への対応
 熱発者には事前に抗インフルエンザ薬や抗生物質の診断的治療(検査は原則的にしない)

 検査が必要と思われるケースは診察医によって検査センターに紹介

現在の検査は安易に行われています。以前の投稿記事にも書いたように、検査はあくまでも「必要な人に、必要なときにおこなうもの」です。どこかの「ど素人の政治家」が言うような、「誰でも、いつでも、どこでもおこなうもの」では決してありません。よもや「陰性パスポート」などといった陰性証明ができるものではありません。検査が適切におこなわれなければ医療は混乱するだけなのです。

繰り返しますが、今の状況を端的にいうと「重要なのは、コロナに感染したかどうかではなく、肺炎になりそうか、なってしまったかどうか」ということです。症状のない場合、あるいは熱発だけだったり、症状が軽微なケースは自宅内隔離で経過を見るべきなのです。みんながみんなに検査が必要なわけでもありませんし、よもや全員が入院しなければならないものでもありません。

PCR検査が陽性になる人をゼロにすることに全精力を注ぐなんて無駄です。日本のような人口の多い国では、経済が死ぬような強い自粛をしないかぎり不可能だからです。もし仮にそれができたとしても、そのころにはたくさんのお店や会社が倒産し、日本の経済は計り知れないダメージを受けているでしょう。今の感染状況は過剰な自粛をするようなものではありません。

多くの国民がそれぞれの立場でできうる感染対策を行いながら、少しづつ経済を回していくべきです。有事と準有事、平時とでやらねばならぬことは違います。むやみに検査を増やして「クラスターつぶし」をやっている場合ではないのです。新型コロナの感染者を減らすかわりに、失業者や自殺者を増やしてしまうなどということがあってはなりません。冬への対応は今から動き出さなければ間に合わないということに一日も早く気が付いてほしいです。

新型コロナの総括(2)

(1)からつづく

私はこれまで「不容易にPCR検査は増やすな」と繰り返してきました。でもそれは「PCR検査は不要だ」とか、「PCR検査は無意味だ」と言っていたわけではありません。PCR検査は採血結果や胸部CTなどと組み合わせて、感染が疑わしい患者に絞っておこなうべきだと主張していたのです。それは「検査の原則」です。不正確なPCR検査は少なからず疑陽性の人を作り出し、そうした人たちが病院に殺到して医療崩壊をもたらします。検査は、することで得られるメリットと、検査をすることによって生じるデメリットの両方を考えなければなりません。

今は、日によっても異なりますが、感染拡大は落ち着いているといってもいいと思います。PCR検査で陽性となっても、無症状あるいは軽症の人は自宅や宿泊施設で経過観察するようになっています。そして、検査を増やして、仮に多少の偽陽性が出たとしても、その偽陽性者が押しかけて病院を疲弊させ、医療崩壊につながるような心配はなくなりました。ですから、「不安だから検査をしてほしい」というケースであっても、あえて検査することを私は否定しません。もっとも、今は以前にくらべて、不安にかられて「検査してくれ」とパニックになる人などいないかもしれませんが。

先日、コンビニに行きました。カゴを持って店内を歩いていると、なんとなく周囲からの視線を感じました。「なんだろう?」と思いながらレジに並んでいるときにその視線の理由がわかりました。店内の人が皆マスクをつける中、私だけつけ忘れていたのです。店員の女の子が天井からぶらさがっている透明カバーの向こうから片手をのばして釣り銭を投げるようにして渡してきました。その店員はマスクをしていない私を明らかに避けているようでした。店内の客の多くも、おそらく私を見ながら「(マスクをしていないなんて)なんて非常識なんだろう」と思っていたに違いありません。

どのお店も客はマスクを着用することが暗黙の了解になっているようです。店内の人ばかりではなく、学校や病院にくる人も、街を歩く人も、熱発はおろか、自覚症状すらないのにマスクを着用していることが当たり前の風景になってしまいました。しかし、私には少しやりすぎなのではないか、と感じることがあります。なぜなら、今、行なわれている感染対策は、新型コロナに感染した人がその辺にいるかも知れない「有事」におこなうものだからです。一千万人の人が住む東京ですら数十人の陽性者しかおらず、東葛地域に新規の陽性者がほとんど出ていない今、そこまでの対策が必要でしょうか。

もちろん無駄だと言っているのではありません。マスクをしていたい人、マスク着用を他者へのエチケットと考える人はマスクをすればいいのです。私がいいたいのは、「有事」でもないのに、これといった症状があるわけでもない人までもがマスクの着用を強いられるのはどうなのかという点です。世の中では「新しい生活様式を」と呼びかけています。しかし、感染自体が落着いている「準有事」あるいは「平時」には必ずしも合理的とはいえない過剰な対応を、「新しい生活様式」として定着させようという動きには違和感を感じます。感染症の対応は「有事」「準有事」、「平時」で区別すべきです

すでに「有事」でもない今、フェイスシールドをしながら授業をする先生も異常なら、生徒と生徒の距離をとるために半数づつが一日おきに登校するのも異常です。パソコンの画面を見ながら「リモート」で部活の練習をするのも異常なら、交流試合をことごとく中止するのも異常だと思います。症状もないのに毎日、しかも一日に何回も体温を測るのも異常なら、その体温の記録を生徒に義務付け、学校に提出させるのも異常です。こんなことは感染が拡大を続け、そのあたりに感染患者がいるかもしれないときにやる対応です。もっと頭をはたらかせて、本当に必要なことがなにかを考えるべきです。

医療の世界においても、パソコンの画面を見ながら「診察」をし、薬の処方をすることが期間限定で認められています。いわゆる「オンライン診療」です。ある医療雑誌には「医療の未来を先取りする外来の姿」などと手放しで賞賛されました。しかし、これって「診療」でしょうか。医者にすれば患者をどんどんさばくことができ、患者にすれば手軽に薬がもらえる。一見すると両者にとってよさそうな方法ですが、これなら薬局で薬を買うこととかわりません。「ちゃんとした外来」をやっている医者からすれば、このような外来は手抜きとしか思えません。ですから当院ではおこなっていません。

「ちゃんとした外来」をやっていれば、診察に入ってきた表情や様子で通院患者の変化を知ることができます。自宅での血圧と診察室での血圧を比較することによって問題点が明らかになることもできます。聴診をすることによって、今までなかった不整脈や心雑音を見つけることだってできます。患者がつけている血圧手帳を見たり、お薬手帳で他院での薬を確認することで疑問が解決することだってあります。パソコンの画面を通じて簡単な会話を交わすだけの「診察」はそんなことすら省略して、回を重ねるにつれてだんだんといい加減なものになります。それは必然です。

新型コロナが流行したからといってこれまでの生活様式を変える必要などないと思います。これまでの生活様式は長い年月をかけて作られたものです。社会はその様式を前提にできています。感染の拡大が懸念される「有事」と「準有事」には、当然のことながらそれぞれの状況に応じて生活のあり方を変えるにせよ、感染が落着いた「平時」となればまたいつもの生活に戻すべきです。思えば今年の1月に中国で新型コロナの感染が拡大していたときにこそ台湾がおこなったような入国制限などの対策をとるべきだったのに、中国の習近平国家主席の国賓来日をひかえて政治的な判断を優先させてしまいました。

野党も同じように「中国からの入国制限をすれば、日本の観光地は大きな損害を受ける」として積極的な対応には否定的でした(桜を見る会のことばかりでした)。そして、案の定、新型コロナウィルスは我々が懸念したように日本国内に感染は広がっていったのです。その後のドタバタぶりはすでにご承知のとおりです。野党はそれまでの無関心に対する国民の批判をかわすように「PCR検査をもっとやれ。検査を希望する国民全員に検査を」の大合唱でしたし、医療崩壊の危機が叫ばれるようになって政府がとったのはなりふり構わずすべての国民の動きをとめることでした。

国民の多くも同様に危機感が薄かったように思います。渡航注意勧告がなされている中で海外旅行に出国する人。日本に帰国してもPCR検査を拒否する人や、結果がでないうちに要請を無視して帰宅してしまう人。感染拡大がまさに正念場を迎えていたときでさえも、全国民が一丸となって対応するという機運に乏しいように感じました。そして、緊急事態宣言が出るやいなや今度は極端な自粛。「自粛警察」あるいは「マスク警察」という人たちがではじめたのもこの頃からです。そして今度は「新しい生活様式」ですか。やるべきときにやるべきことをやろうぜって言いたくなります。

全国一斉の休校措置もありました。今頃にになってその休校措置が実は無意味だったのではないかといわれていますが、そんなことはあのときにわからなかったのでしょうか。学校に続いてほとんどのお店や会社が休業となって、経済をはじめとする日本の社会機能はほとんど停止状態となりました。昨年の秋に多くの人が反対した消費税増税の影響が明らかになったばかりなのに、今度は新型コロナウィルスのせいで日本の経済が深刻な影響を受けています。この影響が顕在化するのはこれからだと思いますが、経済を支えるはずの経済対策は不充分でとても遅いと感じます。

増税前にはあれほど「リーマンを超える危機があれば消費税増税は中止する」と言っていたのに、そのリーマン級をはるかにこえる経済危機を目の前にした今、消費税減税をしない理由がわかりません。そして、消費税減税よりも即効性があると決められた定額給付金。これは国民が等しくお金を使うことによって景気を下支えするためのものです。その肝心な給付金が遅いのも、せっかく導入したマイナンバーカードがちゃんと機能していないからです。そんな中途半端な仕組みにしたのは、いちぶの政治家が「プライバシーが担保できない」と反対運動を繰り広げたから。政争にあけくれる政治家の先見性のなさがあだとなっています。

「新しい生活様式を」などと悠長なことをいっている場合ではありません。まずは今の日本の経済が奈落の底に落ちていかないように迅速に対応すべきです。そのためにもできるだけこれまでに近い生活を取り戻す必要があります。今後もおそらくは検査で陽性反応となった人が増えたり減ったりしながらダラダラと夏が過ぎ、秋に向かっていくことでしょう。決して「感染者ゼロ」とはならないだろうと思います。これは検査に偽陽性が少なくないことからも明らかです。しかし、だからといって新型コロナウィルス感染の封じ込めが失敗したわけではありませんから心配は無用です。

今、大切なことは新型コロナウィルスに感染したかどうかよりも、肺炎になってしまうかどうか、重症化してしまったかどうかが重要です。医療が崩壊してしまうような混乱が起こらないかぎり、感染したかどうかをことさら心配する必要はありません。これまでの経験をふまえて「どの時点で何をするのか」を考えておくべきです。秋になればきっとまた新型コロナの感染拡大がクローズアップされるでしょう。しかし、来年になれば早い段階でワクチンの接種がはじまり、季節性のインフルエンザと同じような扱いになるのです。それまでに第二波といわれる大規模な感染拡大をいかにおさえるか、です。

今、私は診療中にマスクをしています。しかし、それは必ずしも「感染しないよう、させないよう」にマスクをしているわけではありません。私がマスクをしないことによって患者に不快な思いをさせないためです。つまり、エチケットとしてマスクをしているのです。とはいえ、今は4月の危機に直面した時とはまったく様相が違います。ですから、私自身は巷(ちまた)の感染状況を見ながら少しづついつもの診療風景に戻していくつもりです。そして、日常の生活もできるだけ以前の状態を取り戻したいと思っています。それは日本が再び輝きを取り戻すためでもあるからです。

がんばれ、日本!

【追伸】 日本経済のためにも定額給付金は必ず使いましょう