信仰とはなにか

今回は信仰について書きます。我が家(というよりも瀬畠家)は先祖代々仏式の葬儀・葬式をしており、亡くなった父親も仏式の墓に眠っています。しかし、私自身が仏教徒かと問われれば、仏教のなんたるものかについての知識はほとんどありませんし、仏教徒といえるほど功徳を積んでいるわけでもありません。宗教とはなにか、信仰とはどのようなものかすらわかっていないと思います。にもかかわらず今回信仰について語るのは不適切かもしれません。また、すでに信仰をもっている方たちにとって不快なこと、あるいは陳腐なことを書いてしまうかもしれません。そのときは、信仰を持たぬ者のたわごとだと思ってお許しください。

先日、2017年に公開されたマーチン・スコセッシ監督の米映画「沈黙-サイレンス」を観ました。この映画の存在はそれとなく知ってはいましたが、さほど興味・関心はありませんでした。「クリスチャンである欧米人から見た【可哀そうな隠れキリシタンの弾圧】を描いたもの」と決めつけていたからです。欧米人の日本人あるいは日本に対する偏見で描いた映画などたかが知れていると。そして、「当時の日本人がどのような思いで隠れキリシタンとなり、どのような思いで彼らを取り締まったのかなど欧米人には理解できまい」とも思っていました。しかし、そうした私の思い込みはいい意味で裏切られました。

この映画の原作は遠藤周作の小説「沈黙」です。ご存じのとおり遠藤周作自身もカトリック信者であり、「イエスの生涯」や「深い河」といった宗教あるいは信仰に関わる本を何冊も執筆していることで知られています(「深い河」は私の好きな一冊で、当院待合室の書棚にもおいてあります)。監督であるマーチン・スコセッシは遠藤周作のこの原作を読んで以来、ずっと映像化することを切望してきたといわれるだけあって、日本人が観てもまったく違和感を感じない映画になっていました。単なる「宗教弾圧」を描くのではなく、宗教とはなにか、日本人にとって信仰とは、という深くて重いテーマを問いかけた力作だと思います。

映画「沈黙-サイレンス」は17世紀の日本が舞台です。誰もがイエズス会のエースと認める宣教師が日本で行方知れずになります。 キリスト教を捨て、日本人として暮らしているというのです。彼に教えを受けた宣教師ロドリゴは、ガルベ神父とともに恩師を探しに日本に密かに上陸します。しかし、彼らが目の当たりにした日本の禁教政策と隠れキリシタンの現実は、二人の信仰そのものの意味を問いかけるものでした。この映画で一番印象に残ったのは、隠れキリシタンに棄教を迫り、踏み絵を拒む者は容赦なく絞めあげる奉行(この奉行もかつてはキリシタンでした)の言葉です。

The price for your Glory is their suffuring(お前たち宣教師の栄光の代償は彼らキリシタンたちの苦しみなのだぞ).

以前の記事でも紹介しましたが、イエズス会はキリスト教の「武闘派」と呼ばれるほどローマ教皇・ローマ教会に忠実な宗派でした。キリスト教を広めるためであれば自らの命も惜しまない宣教師たちばかりです。教皇の命(めい)を受ければどんな辺境の地へも進んで布教に向かいます。当時は宗教改革の真っただ中でした。キリスト教の権威・権力が高まるとともに、教会は腐敗し、金欲にまみれたものになっていきました。しかし、そうした教会の堕落を憂いた人たちが、信仰の中心は教会ではなく聖書にあるとする「聖書中心主義」を主張してカトリック教会と対峙します。それがのちにプロテスタントと呼ばれる人たちでした。

プロテスタント信者はその後急速に数を増やしました。危機感をもったカトリックは、信者の獲得を目指してたくさんの宣教師を海外に送りました。日本にもカトリック宣教師が送られてきました。フランシスコ・ザビエルはそのひとりです。ザビエルはイエズス会創設当時からのメンバーであり、イエズス会を代表する宣教師でした。当時、黄金の国だと信じられていた日本をキリスト教の国にすることは、イエズス会を保護していたスペインの覇権を広げることにもなります。植民地から香辛料やばくだいな銀を得てスペインは栄えました。布教の急先鋒としてのザビエルには大きな期待がかけられていました。

日本にやってきたザビエルは、日本人の生真面目さ、几帳面さ、そして主(あるじ)への忠実さを目の当たりにし、「日本人ほどキリスト教徒にふさわしい国民はいない」と本国に報告しました。実際、ザビエルの布教によってたくさんの日本人がキリスト教徒になりました。 それにともない、長崎周辺から神社仏閣が消え、教会が次々と建てられるようにもなったのです。 イエズス会は、キリスト教を日本に根付かせるために、九州のキリシタン大名に大砲や弾薬を与え、長崎周辺を要塞化することを密かに考えました。しかし、こうしたイエズス会の方針は、やがて秀吉たち日本の為政者たちにキリスト教に対する猜疑心を植え付けることになります。

大村・有馬などのキリシタン大名の動向に危機感をもった秀吉は、それまでのキリシタン容認という態度を一転させ、1587年、伴天連追放令を出してキリスト教の布教活動を制限しました。そして、追放令にもかかわらず大坂を中心に関西地域で布教活動をしていたキリシタンたちを次々と逮捕したのです。キリシタン大名とも親交のあった石田三成が、逮捕されたキリシタンたちに同情し、170名もの人たちに恩赦をあたえました。しかし、最後まで信仰を捨てようとしなかった、6名の外国人宣教師、6名の日本人宣教師、そして5名の未成年者を含む計24名のキリシタンは、途中で自らの意志により殉教に加わることになった2名とともに長崎に送られ処刑されました。いわゆる日本二十六聖人の殉教者です。

時代は江戸に代わってもキリシタンに対する厳しい取り締まりは続きました。幕府は1614年に禁教令を出してキリスト教の全面禁止を打ち出し、キリシタン大名たちは改宗・改易を強制され、なかには追放される者すらいました。そして、キリシタン大名に仕えた多くの家臣たちが浪人となりました。こうした幕府の方針は、キリシタンの潜伏化をもたらし、キリシタン大名に仕えた浪人たちの不満を高めることになったのです。その不満が頂点に達して起こったのが1637年の島原の乱です。3万7千人ものキリシタンが、有馬氏が改易して主(あるじ)を失った原城にたてこもって12万の幕府軍と対峙したのです。中には幕府側の説得に応じてキリスト教を棄教して城をあとにする者もいました。しかし、最終的に籠城を続けた2万6千人が戦死しました。

映画「沈黙-サイレンス」の中で、隠れキリシタンたちに棄教させようと、奉行らは繰り返し「形だけでいいのだ。軽く踏むだけでいいのだ」と諭す様子が描かれています。 当時のキリシタンの中には、家族が、あるいは村の多くの人々がキリシタンになったという理由から、心ならずもキリシタンになった人も少なくありませんでした。ですから棄教を諭されると、それに素直に応じるキリシタンも少なからずいたのです。 そもそもキリシタンを見つけ出す絵踏みは幕府が強制したものではありません。 取り締まり自体は必ずしも厳しいものばかりではなく、取り締まりには地域差があったともいわれています。

映画では、生きるために仕方なく絵踏みをしてしまうキチジロウというキリシタンの漁師がでてきます。彼はキリシタンでありながら、イエスの肖像を踏んでしまった「罪」に苦しみ、宣教師ロドリゴに「告白」をして許しを乞います。彼の家族は絵踏みをしなかったために火あぶりにされました。しかし、取り締まりから逃れて生き延びるため、なんどもなんどもこの「罪」を繰り返すキチジロウ。そのたびに涙をながして許しを乞いながら、繰り返し主イエスの肖像を踏みつける彼のことをロドリゴは理解できませんでした。それでもロドリゴはキチジロウの告白に耳を傾け、何度も「罪」を繰り返す彼を許すのです。

またロドリゴは、捕らえられ、命と引き換えに棄教を迫られる農民たちが平然としているのを目にします。「おまえたちは殺されるかもしれないのになぜ平気なのか」と怒りをあらわにするロドリゴ。するとひとりの娘が答えます。「かつてパドレ(神父)が言っていました。天国には苦役も重い年貢も、病気も苦痛すらもない。いつもそばに神さまいらっしゃる幸福な場所が天国だと。そんなところに行けることはいいことなのでは?」と。ときに笑顔でそう言って疑わない娘をロドリゴは複雑な目でながめます。そのまなざしはまるで「そんなことを本当に信じているのか」といっているように私には見えました。

そのとき、キリシタンを取り締まる奉行が宣教師に吐き捨てるように言うのです。「あの愚かな百姓どもは自分のあたまで考えることができないのだ。あやつらをいくら責めても彼らは改宗はしない。やっかいな事態になるばかりじゃ。むしろお前たち宣教師を棄教させるのが一番だということがわかったのだ」と。いくら棄教をせまってもキリシタンは信仰を捨てようとしません。責められ、たとえ命を落とそうとも信仰を捨てようとしないのです。しかし、それは宣教師たちのいいつけをかたくなに守るキリシタンたちの純粋さが故のこと。奉行らはそうしたことに気づき始めたのです。

The price for your Glory is their suffuring(お前たち宣教師の栄光の代償は彼らキリシタンたちの苦しみなのだぞ).

人に幸福をもたらすはずの信仰によって苦しむという現実。そんな現実を目のあたりにして、主人公の宣教師ロドリゲスは悩みます。自分がキリスト教を棄教しなければ罪なき人が命を失っていく。自分はなんのために主イエスに仕え、この貧しき善良な人々を導いているのだろうかと自問するのです。「主よ、あなたはなぜ黙っておられるのですか」と。目の前で拷問にあっているキリシタンたちのうめき声を聴きながら耐えるロドリゴ。突然、主イエスの声が聴こえます。「私を踏むのだ。汝らの苦しみを救うために私は使わされたのだ」と。この声は主イエスのものなのか。それとも彼自身の心の声だったのか。

この映画はたんなる「隠れキリシタンの弾圧」を描くものではありません。宗教とはなにか、信仰はなんのためにあるのか、という根源的な問いかけをしているように思います。映画の終盤、日本で姿を消したロドリゴの恩師でもある宣教師の存在感が増します。イエズス会のエースともいうべき宣教師がなぜ忽然として姿を消したのか。その理由が徐々に明らかになっていきます。これ以上書くとネタばらしになってしまうのでこのくらいにしておきますが、人を幸福にするはずの信仰がなぜこうまで人を苦しめるのか。その苦しみの意味とはなにかを考えるいい機会になると思います。是非この映画をご覧になってください。

後輩からのプレゼント

先日、我孫子第四小学校の五年生のみなさんから激励のプレゼントが届きました。「コロナに負けるな」と刺繍がほどこされた手作りのマスクとともにみなさんから励ましのお手紙をいただきました。


私が第四小学校を卒業してもう少しで50年。当時竣工した新しい校舎が今ではもっとも古い校舎になってしまいました。校長室には歴代校長の写真が飾られています。その中に並ぶ当時の校長先生もずいぶんと昔の校長になっていて、今更ながらに自分が歳をとったことを実感します。後輩たちが一生懸命に作ってくれたプレゼントは院内に飾ってあります。来院した患者さんたちにも是非見てほしいと思います。

可愛い後輩のみなさん、どうもありがとうございました。

原発事故の教訓

10年前の3月11日に東日本を襲った大地震。三陸沖130㎞付近の海底で発生した地震のエネルギーはマグニチュード9だといわれています。また、震源が約24㎞と比較的浅かったこともあって、この地震によって震度7を超える強い揺れを記録する地域もありました。まさに日本周辺に発生した地震の中でも史上最大級のものといってもいいでしょう。


あのとき、私はクリニックの外来で診療をしていました。冬も終わりを告げ、徐々に春めいてはきましたが、空は厚い雲におおわれてちょっと寒かったことを覚えています。待合室には数人の患者が診察を待っていました。私は診察室で常連さんとたわいもない世間話しをしていたのですが、突然、遠い彼方から、地鳴りでしょうか、音とも、振動ともつかぬわずかな感覚が足に、そして全身に伝わってきました。私は瞬間的に地震がやってくるのだと思いました。


遠くに聞こえていた地鳴りはほどなく大きな横揺れと縦揺れとなってクリニックを大きく揺さぶり始めました。揺れの大きさといい、ゆれ続けた時間といい、私が今まで経験してきた地震とはあきらかに異なっていました。普段、地震ぐらいではそれほど驚かない私も、今回だけはいつもとちょっと違うことを確信しました。

昨日、福島第一原発事故を描いた映画「Fukushima50」がTV放映されました。原発で働く人たち、あるいは自衛隊や消防、警察の皆さんが、原発事故の収束に向けて、まさに命がけで、いかに苦労されたかが伝わって来る映画でした。地震の直後の私は発生した津波の破壊力のすさまじさに圧倒され、原子力発電所がどんな状況になっているかなど考える余裕もありませんでした。
私は地震の揺れがまだおさまらない中、院内にいた職員や患者さんたちがパニックをおこして外に飛び出さないよう必死に声をかけていました。院長室から待合室にもってきたラジオからは各地の震度とともに予想される津波の高さが報じられていました。それは「6mほどの津波が到達する」と想像をこえるものでした。


実際にはその2倍の高さの津波がおし寄せましたが、それでも「約6mの高さ」と聞いたときはなにかこれから恐ろしいことが起こるのではないかと感じました。その胸騒ぎは的中し、想定をはるかに越えた津波はたくさんの人の命と家屋をのみ込み、原発の建物を突き破って施設を破壊して、全電源喪失という予想もしなかった最悪の事態をもたらしたのでした。

当時のマスコミの論調も、また、いちぶの心ない市民たちからも、東京電力への非難の声があがりました(それは今もなおいちぶの人たちで続いています)。たくさんの人が亡くなり、多くの住民たちが避難を余儀なくされたのが東京電力のせいだというのです。しかし、私は当初から「それは東京電力のせいではない。ましてや東電の社員を責めるのは筋違いだ」と繰り返してきました(こちらもどうぞ)。


なるほどたくさんの住民がその後、長期間にわたって不自由な生活を強いられることになりました。福島原子力発電所の事故によって放射性物質が広範囲に拡散したからです。しかし、その事故はもとをたどれば専門家の予想をはるかに超えた巨大津波が原因です。それまでの専門家会議で想定されていた津波の高さはおおむね6mでした。その後の見直しによって徐々に想定水位があげられ、その都度、原発では対策が進められてきました。でも、残念ながらその対策は今回の巨大津波には間にあいませんでした。


福島第一原発を襲った津波は施設内の建屋を5mも水没させる最大水位16mを超えるすさまじいものでした。この千年に一度とも、数百年に一度ともいわれる大地震によって打ち寄せた巨大な海水の塊にどう立ち向かえばよかったというのでしょう。結果論で責めることは簡単です。しかし、誰一人として想像だにしていなかった災害に加害者はいないはずです。

震災当時、国会には東電の幹部が参考人としてなんども招致され、まるで人民裁判のような質疑がおこなわれました。そして、「津波が想定を超える高さだった」と説明する参考人に、「その想定が間違っていたんだろ」とヤジを飛ばす議員もいました。しかし、想定とはそういうものなのです。想定の根拠となる科学に絶対などないからです。こんなあたり前なことも理解できない国会議員にはあきれるばかりですが、そんな理性的になれない人たちは十年も経った今でも存在します。


原発事故そのもので、あるいは福島第一原発から漏れ出た放射性物質が原因で亡くなった人はただのひとりもいません。原発事故や放射性物質の恐怖にさいなまれ、避難を余儀なくされた生活に精神の不調を来した人はたくさんいました。そのなかには自ら命を絶った人も少なくなかったでしょう。しかし、それは東京電力のせいでも、社員のせいでもなく、いわんや東電社員の家族の責任では決してありません。

一方で、子ども達の避難が遅れたと学校の責任を問う裁判や、路上教習をさせていた自動車教習所の過失を問う裁判なども行なわれています。しかし、よく考えてみて下さい。この震災ではみんなが被害者なのです。児童を避難させるのが遅れた教諭も亡くなりました。地震で揺れる中で路上教習させていた教官だって亡くなっています。

あの未曾有の災害に加害者なんていないのです。確かに震災でたくさんの人が亡くなりましたが、そのほとんどは津波によるものです。 もし、責任を問うべきだというなら、1万8000人あまりの人命を奪った巨大津波への対策を怠った行政の責任も問われるべきです。しかし、津波に対応できる防潮堤や街の移転を進めてこなかった地方自治体の責任を問う人はいません。 誰ひとりとしてあのような大きな地震が起こり、類を見ない巨大な津波に襲われるなんて想像していなかったからです。 にもかかわらず 津波への対応策が間に合わなかった東京電力だけが責められるのは不条理です。

先日の映画「Fukushima50」でも、避難してきた人たちの一部が東電社員の家族に冷たい視線を送り、「あんなところに原発を作ったからだ」「俺たちの生活をどうしてくれる」と心無い言葉を投げつけるシーンがありました。実際にもこうした光景が見られたと聞きます。福島ナンバーの車がいたずら書きされたり、福島県から他府県に避難してきた子どもたちが嫌がらせを受けたという事例も複数報道されています。

不安や怒りからのこととはいえ、こうした心ない言動を抑えきれない人たちがいます。かつて、大東亜戦争(太平洋戦争)のときもそうでした。戦地に向かう兵隊さんを万歳で送り出した人たちが、終戦後、戦地から引き上げてきた兵隊さんに「お前のせいで日本が負けたんだ」と石を投げることもあったと聞きます。あの無謀な戦争に突っ込むことになった責任は、当時の新聞によって戦意をあおられた国民にもあったはず。そうした国民を守るために戦った兵隊さんは、ある意味、その犠牲者、被害者だったともいえるのではないでしょうか。


私たち国民がいつも「か弱い被害者」とは限りません。無意識のうちに「傲慢な加害者」になっている場合もあります。それは新型コロナウィルスの感染が拡大している今も見られる光景です。よりによって感染患者に対して、あるいはその患者を治療・ケアする病院関係者に対して心無い言葉をぶつける人たちがいます。福島原発事故はこうした理不尽な現実を繰り返してはいけないことをも教えているのではないでしょうか。

回答にかえて

今回のブログは今までになく長くなってしまいました。読みづらいかもしれませんが、まとめて書きましたのでご了承ください。

先日、このブログへの感想とともにご質問が寄せられました。そのなかで、今の新型コロナの感染状況についてどう感じているのかを教えてほしいとのご要望がありました。これまで何回かにわたり、その時点でわかっていること、あるいは自分なりの見解を発表してきました。しかし、その時正しかったことが今は否定されたり、また、その後、明らかになったこともあります。その辺のこともふくめて、あらためてまとめます。
ただ、あらかじめ申し上げておきますが、ここには私の個人的な見解が含まれています(これまでの記事すべてがそうですが)。私の「好き、嫌い」「すべき、すべきじゃない」に関しては、価値観の違いから、あるいは立場の違い(医療従事者と患者という意味)から、読者のみさなんには不快な思いをさせてしまうかもしれません。でも、当ブログは私の意見表明の場でもあり、あたりさわりのないことを書いても意味がないと考えています。

これまで繰り返してきたように、「新型コロナ感染は風邪をひくことと同じではありません。しかし、軽症であればそれがたとえ新型コロナウィルス感染症だったとしてもほとんど風邪」です。新型コロナはインフルエンザよりも少し怖い程度だという人もいます。そんなことをいうと「認識が甘い」といわれるかもしれません。「放射能の危険性に対する認識が甘い」と書かれたメモ用紙をポストに投げ入れられたときのように。
しかし考えてみて下さい。「ワクチンを打ちましょう」と繰り返しても、「めんどくさい」とか「これまでかかったことがない」という理由でワクチンを打たなかった人は少なくありません。そのインフルエンザで毎年3000人の人が日本で亡くなっています。今回の新型コロナによって亡くなった人は約1年で4000人ほど。新型コロナではまだワクチンを接種した人がいなくてこの数字です。これって多いといえるのでしょうか。

超過死亡という用語をご存知でしょうか。「例年、このくらいの人が亡くなっている」という数字が統計的に推定できます。その推定される値を越える死亡者数を「超過死亡」といいます。ここでの死因はさまざまです。肺炎だったり、癌だったり、交通事故だったり、自殺だったり。つまり、超過死亡が増えたということは、何らかの原因によって社会的損失としての死者が多くなったということを意味します。
連日、マスコミの報道によって、皆さんは「新型コロナウィルスが猛威をふるい、バタバタと人が死んで、社会がとんでもなく混乱している」と思っているのではないでしょうか。しかし、海外の国々の超過死亡が増える中、日本の超過死亡はむしろ減っているのです。理由はさまざまです。新型コロナのおかげで日本人の衛生意識が高まり、重症感染症そのものが減ったのか。それとも極端な自粛によって交通事故死が減ったのか。

世の中をかけめぐる情報のうち、かなりの割合で枝葉末節なことが針小棒大に報道されています。場合によっては根拠のない情報を伝えるフェイクニュースや、恣意的に世論を誘導するような偏向ニュースが飛び交っていることすらあります。多くの人は「PCR検査陽性者(=感染者?)の数の多さ」に一喜一憂します。しかし、この中には軽症者やまったく症状のない人が含まれています。本来は重症者がどのくらい増えているかに注目すべきです。
新型コロナの感染拡大のおかげ(?)でか、実は社会的損失としての死亡者はむしろ減っています。これは衛生意識が高い日本ならではことかもしれません。そのような中で、新型コロナによる「死者数(コロナ死)」を考える際には注意が必要です。コロナ死の定義が市町村によって異なるからです。今は容易に(安易に?)PCR検査がおこなわれます。自殺した場合も、癌で亡くなったとしても死後にPCR検査で陽性とでれば「コロナ死」となるのです。

検査はなんのためにするのでしょうか。私はこのブログで何度も「検査はあくまでも怪しい人にやるもの」とご説明してきました。しかし、とある一本の論文が海外の科学雑誌に掲載されました。「検査をたくさん実施すれば感染拡大の抑制に寄与する」というものです。この論文を根拠に「ほらみろ。検査はやればやるほどいいんだ」と勢いづく人もいます。しかし、国民性や医療制度の異なる国での研究成果を単純に日本にあてはめることはできません。
こうした私と同じ意見をもつ医師は少なくないと思います。しかし、中には「検査をもっとやれば感染拡大をおさえられる。もっと検査をやるべきだ」と考える医師もいます。でも、そうした医師の多くは、自分のクリニックで大々的に検査をやっていたり、そうしたクリニックとの関連性があります。利益相反ってやつでしょうか。いずれにせよ、「検査陽性は入院が原則」の日本で検査をむやみに増やせば医療は崩壊します。

現在のPCR検査の感度はかなり高くなり、疑陽性はほぼないといわれています。しかし、陽性となったとしても、ウィルスのかけらが検出されたにすぎない人や、発症したり他の人にうつす可能性が低いほどの少量のウィルスを保有していたにすぎない人もいます。そんな軽症な人であっても、今、日本で新型コロナウィルスはエボラウィルスと同じ感染症法の二類のままになっており、検査が陽性になった時点で入院させるのが原則になっています。
多くの人は「検査しないよりしたほうがいい、入院しないよりはした方がいい」と考えるかもしれません。しかし、そうではありません。なぜなら、検査しに行った場所で、あるいはコロナ病棟に入院したことによってあらたに感染してしまうリスクがあるからです。検査をする人は完全装備です。でも、検査を受けたり、入院した患者はほとんど無防備です。本当に感染したかどうかもわからない無症状あるいは軽微な患者が行くべき場所ではありません。

だからといって「検査をしない方がいい」ということではありません。そうではなくて、だからこそ「怪しい人が検査を受けるべき」なのです。検査は本来「念のため」に実施するものではありません。「否定するため」のものでもありません(そうしたことを目的に検査する場合もあります)。熱もない風邪症状の社員に会社が「検査を受けてこい」と命じるケースがあります。会社側こそもっと検査を受けるリスクに関する正しい知識をもってほしいものです。
つい最近の東京都で、PCR検査した人のうちで陽性になった人は約15%に達しました。しかし、これの数字もどのくらい対象者をしぼったかによって違ってきます。感染拡大の様子をこの陽性率で判断することは困難です。感染拡大の様子は重症者の数で把握するべきです(死亡者数は「コロナ死」の定義がはっきりしていないため比較をするには不適切です)。ただし、感染の拡大に遅れること2週間ほどで重症者数に反映されます。

連日報じられる新型コロナウィルスの感染拡大。いつになったらこんな状況から抜け出せるのか不安になります。しかし、感染者をゼロにすることは当分できません。検査陽性者は多くなったり少なくなったりといった状況がしばらくは続くでしょう。感染の封じ込めを政府は狙っているようですが、強力な自粛によって経済に大きな犠牲を強いてまでやることではありません。むしろ、医療を崩壊させないためにはどうするかに主眼におくべきです。
もちろん、医療を崩壊させないためにも感染拡大の阻止(抑制)は必要です。だからといって、日本医師会が繰り返し強調してきたように、一にも二にも自粛というバカのひとつ覚えでもいけません。一般国民にはこれまで通り感染を防ぐためのできうる工夫を継続していただきながら、新型コロナウィルスワクチンの接種が開始されたらすみやかに受けていただくことです。このワクチンを必要以上に恐れて接種しないでいる理由はありません。

新型コロナウィルスのワクチンについては怖くなるような情報がもう出回っています。今後、幅広くワクチンが接種されるようになると、マスコミもおそらくネガティブ・キャンペーンを張ってくるでしょう。どのワイドショーでも、「接種するのは危険だ」といわんばかりの事例を繰り返し紹介してきます。しかし、今から新型コロナウィルスワクチンに関する正しい知識をもち、ワクチン接種の是非をできるだけ冷静に判断できるようにしておくべきです。
従来のワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがありました。前者は弱毒化した「生」のウィルスをからだの中に注入して抗体を作り感染を予防するものです。しかし、感染予防の効果は高いものの、副作用もそれなりに出現します。一方の不活化ワクチンは、ウィルスのいち部をからだに注射し、抗体を作って重症化するのを防ぐのです。感染予防効果は弱いのですが安全性が生ワクチンよりも比較的高いとされています。

新型コロナウィルスのワクチンは、従来のワクチンとはかなり異なります。遺伝子操作で作られた最新型のワクチンです。mRNAワクチンやDNAワクチン、ウィルスベクターワクチンなどの種類がありますが、いずれもウィルスの遺伝子を利用して抗体を作るワクチンです。ここではmRNAワクチンについて簡単に説明します。なお、mRNAは「メッセンジャーRNA」と読みます。RNAはDNAと同様、からだを複製する際の情報が書かれた遺伝子です。
新型コロナウィルスはRNAウィルスに分類されます。つまり、自分の複製をつくるときRNAという遺伝子を使うウィルスです。このRNAがどのような配列になっているかはすでに昨年の2月に明らかになりました。そして、このウィルスが細胞に接触するのに必要なスパイクと呼ばれる部位を作る配列も解読されました。そのRNA配列をmRNAとして合成し、からだに注射するのがが新型コロナウィルスのワクチンです。

このmRNAを筋肉に注射すると、その配列は筋肉の細胞の中にあるリボソームという器官で読み取られます。そして、ウィルスのスパイクという部位のタンパクが合成され、そのタンパクを異物として認識したからだが抗体を作るのです。そうすると、ウィルスが体内に侵入しても、そのスパイクがワクチン接種で作られた抗体によって破壊され、細胞にとりつくことができなくなり感染予防ができる、というわけです。
従来にはないワクチンではありますが、感染予防効果は生ワクチンに近い(ファイザー社製で95%以上)と報告されています。不活化ワクチンと同様に重症予防の効果も期待できます。さらに、ウィルスそのもの、ないしはその一部を外来タンパクとして注射する従来のワクチンと異なり、mRNAを注射してからだの細胞内であらたにタンパクを作らせるため、重篤なアレルギー反応は100万人に22人と比較的低い数字です。

命に関わるような副反応は極めて少ないとはいえ、デメリットもあります。従来のワクチンは皮下注射(皮膚と筋肉の間に注入)でよかったのですが、mRNAワクチンは筋肉の細胞でスパイクタンパクを作らせるため筋肉に注射しなければなりません。つまり、従来のワクチンにくらべて注射時の痛みが強くなります。しかも、注射後の筋肉痛や針を刺した部分の圧痛や倦怠感も従来のワクチンよりも比較的強いとされています。
また、mRNAは壊れやすいため極めて低い低温で保管しなければなりません。そして、凍結した状態から解凍したら、6時間ほどで使用しなければなりません。よく「遺伝子を使ったmRNAワクチンで遺伝的な悪影響が出る」というデマがながれていますが、mRNAは体内では数分で代謝されてしまうので心配ありません。以上のように、その取扱いの難しさから、その辺のクリニックで気軽に接種を受けられるものではないのです。

さて、そうはいっても、感染したらどうしたらいいのでしょうか。入院するか、宿泊施設で経過をみるのか、それとも自宅内隔離で様子を見るのか。一般の人にそれを判断するのは難しいかもしれません。でも、明確な自覚症状のない熱発だけであれば、家庭内隔離をしながら自宅で様子を見ていてもいいでしょう。ただし、強い倦怠感や咽頭痛、味覚やにおいを感じない、あるいは呼吸苦や胸痛を感じるといった症状をともなう熱発は要注意です。
当院では問い合わせのあった患者を四つのタイプに分類しています。
 #0:熱はない風邪症状のみ
 #1:熱はあるが新型コロナの感染患者ではない可能性が高い
 #10:熱があり新型コロナの感染患者の可能性を疑う
 #100:新型コロナの感染患者の可能性が高い

#100に分類される患者は診察はせず、適宜投薬をしながらPCR検査を手配します。緊急性がある場合は保健所に直接相談します。#10の患者の場合も原則的に診察はせず投薬のみで経過を見ますが、毎日電話をかけて症状が改善傾向にあるかを確認・記録し、重症化していないかを見逃さないようにしています。#1の患者は来院患者の少ない時間帯に診療するか、投薬のみにし、#0の患者は通常の診療にて対応するようにしています。
自宅内で経過を診る場合は、家族内に感染が拡大していないか注意する必要があります。通常の風邪であればそう簡単に感染しません。しかし、熱発患者の経過観察中に同じような症状が他の家族に出るようなら新型コロナウィルスに感染してしまった可能性を考えるべきです。重症を思わせるような症状がなければ、あわてずにかかりつけの医師に電話で相談しましょう。夜間などに重症を思わせる症状がでたら「119番」に相談してください。

それにしても「感染拡大」で世の中が騒然としているのに、行政の対応は「自粛、自粛」を繰り返すばかりで後手後手になっている印象があります。日本医師会もなんの有効策をとれないでいます。「とれない」のか、「とらない」のか、私にはわかりませんが、今の日本医師会はあまりにも無力に見えます。日本医師会の狼狽ぶりはなさけないばかりです。「GoTo やめろ」「自粛しろ」の一点張りだったのですから。
今、喫緊の課題は「医療崩壊」ではなく、重症者などを病院が収容できなくなる「病院崩壊」をいかに回避するかです。緊迫している病院にくらべて、開業医が置かれている状況は、その機能が崩壊するほどの危機的な状況にはありません。開業医が楽をしていると言っているのではありません。熱発はもちろん、風邪症状の患者の診療にはそれなりの危険性があります。そうした中、限られた医療資源の中で「頑張っている医療機関」は少なくないのです。

新型コロナウィルスに感染する危険性をもかえりみず、超人的な診療をしている開業医も少なからずいると思います。しかし、そうした診療が必ずしもいいとは思いません。開業医が安易に感染してしまえば、そのしわ寄せは他の個人開業に、あるいは病院の外来に波及するからです。機能という意味でも、マンパワーという観点からも、開業医が病院なみの診療をすることは不可能です。感染するリスクを軽減しながらどの程度の診療をするかです。
私たち開業医が今しなければならないのは、病院や保健所の負担を少しでも軽減することだと思います。病院にとって代わることなどできませんし、そんな大それたことをやろうとすべきではありません。せいぜい前述したような当院での診療をするのが精いっぱいでしょう。今はただ、個人の開業医それぞれが「できる範囲で、すべきことをやる」という姿勢をもたなければなりません。とはいえ、国や行政を巻き込めばやれることはまだあります。

前述したように、新型コロナウィルスは感染症法の2類相当に分類されています。つまりエボラウィルスのように致死率の高い恐ろしいウィルスと同じあつかいになっているのです。ですから、新型コロナウィルスに感染したと診断された時点で患者は「原則入院」となります。多くの人も「新型コロナになったら入院するもの」と思っているかもしれません。ですから、もし仮に軽症であっても「入院させろ」という圧力は決して弱くないと思います。
しかし、ひっ迫した入院病床数の今の状況を考慮すれば、新型コロナウィルスをインフルエンザと同じ5類にすることが急務です。これまでに得られた経験と知識から、新型コロナウィルスの危険性があのエボラウィルスと同じではないことは明白です。2類から5類への指定変更によって、病院は「原則入院」という呪縛から解放され、重症度の応じて患者を「入院加療」「宿泊施設」「自宅隔離」に柔軟に割り振ることができるのです。

最近、マスコミは「自宅内で家族から感染」や「自宅療養中に死亡」、あるいは「入院を拒否された」といったケースを報道しています。そして、感情論にながされたワイドショーがそれをとりあげては騒いでいます。命に軽重はありません。しかし、優先順位はあるのです。イタリアの例を見るまでもなく、限られた医療資源のなかで人の命を救わなければならないとき、命に優先順位をつけなければなりません。それは差別ではありません。
日本人はこうした議論を避ける傾向があります。情緒論にながされがちだからです。今の政府・専門家たちの間ですらなかなか議論されていません。ですから、医療がさらにひっ迫して、「命に優先順位をつける」という厳しい状況に直面したとき、行政の定めた目安がない現場は混乱するでしょう。そんなことがわかっているはずなのに、政治責任から逃げている人たちの議論はきわめて低調です。かくしてそれが医療現場をさらに疲弊させます。

現場の医師、看護師、そして病院のすべての職員が、今どんな思いで仕事をしているかを考えると申し訳ない気持ちがします。彼らを支えるべき大きな力があまり機能していないからです。個々の力ではこの状況をかえることはできません。国なり、自治体なり、医師会といった権力をもった人たちがもっと知恵をしぼって動かなければならないのです。そうでもないかぎり、病院がおかれた厳しい状況を改善することはできません。
とくに日本医師会の動きに私は不満です。ご存知のとおり、日本医師会の会員の多くは開業医です。私もそのひとりです。もちろん病院の勤務医の会員もいます。会員の職種や身分にかかわらず、医師を束ねる組織として「やれること」をやっているとはとても思えないのです。医師会の幹部たちが会見でフリップをもちながら「医療崩壊」の危機を叫んでいます。しかし、医師会が「やるべきこと」はそんなことではないはずです。

医師会はなぜ「新型コロナを2類から5類に変更せよ」と主張しないのでしょう。その一方で、「自宅で経過観察している無症状あるいは軽症の患者のフォローアップは開業医が担当する」と提言しないのはなぜでしょう。つい最近、東京都がいくつかの病院を新型コロナ専門病院として運用すると発表しました。これは私がすでに提言していたことですが、本来であればもっと早い段階で医師会が提言しなければならないことです。
政府の対応にも苛立ちます。疲弊した看護師が次々と病院を離職している現状に、看護大学院生や看護学部・看護学校の教員を現場に動員する案が検討されたと聞きます。しかし、まずやらなければならないのは、経験豊富な看護師たちが離職しない環境を整えることのはず。まるで大東亜戦争(太平洋戦争)のとき、経験豊富なパイロットを特攻作戦でどんどん消費し、経験の浅いパイロットを即席で養成して戦ったのと同じではないでしょうか。

昨年以上の自粛をすることは社会的に不可能です。期待しても無駄です。そもそも自粛の効果にエビデンスはないとも聞きます。業種によってはこれ以上の自粛は社会的死を意味します。そんな素人でもわかることにしがみつき、「自粛、自粛」と叫ぶだけの政府と日本医師会には「やるべきことをやってくれ。思いつかないならパブリックコメントを募集してくれ。それすらできないならやれる人に代わってくれ」と言いたいくらいです。
病院も保健所も昨年の春からずっと大変な思いをしています。その機能を守る前提は、国民が気を緩めず、できることを淡々と励行することです。と同時に「重症化したときに確実に治療を受けることができる体制」を維持しなければなりません。そのために政府や自治体、そして日本医師会は知恵をしぼるべきです。私自身も病院機能を守るために今できることを試行錯誤しながら実行していきたいと思っています。

コロナより怖いもの(2)

11月ごろから急に新型コロナ感染者(検査で陽性となった人)が増えだし、集中治療室で治療を受ける重症者の数や、治療のかいもなく亡くなってしまう人の数は今や春のときよりも増えています。最近、それらの数が落ち着いてきたと思ったのもつかの間、感染力の強い変異型のウィルスが海外から日本に入ってきたと報道されています。第三波と呼ばれる感染拡大が今度どのように推移するのか、「医療崩壊」が現実のものになってしまうのだろうかと不安になります。

いろいろな場所で「クラスター」と呼ばれる新型コロナウィルスの集団感染が発生しています。それは感染対策をとっている医療機関もその例外ではありません。私のクリニックでも他人事ではなく、知らない間に身近なところに迫ってきていると感じることが時々あります。これまでにもまして私自身や職員はもちろん、私たちの家族にも感染者が発生しないような生活・心がけを徹底し、患者対応ならびに院内の環境整備を常に見直すようにしています。

しかし、私たちの努力だけではどうしようもないこともあります。随分前のことになりますが、ご家族から「父親が先日から咳がでているのだが」とお電話がありました。「熱があるか」と尋ねたところ「ない」といいます。いつもなら受診させて診察・投薬するところですが、なんとなく胸騒ぎを感じた私は「お薬をだすので、本人は来院せず、ご家族がとりに来てください」と伝えました。そして、来院した家族に一般的な薬を処方して様子を見ることにしました。

その後の連絡はなく、その患者のことはすっかり忘れていたのですが、最近になって、薬を出した直後に新型コロナと診断されて入院したということがわかりました。しかも、発症したのは当院に相談があった日の数日前だったというのです。となれば電話で相談を受けたときにはすでに咳だけではなく発熱もあったはず。そうした大切な情報が正しく伝えられなかったのです。あのとき、もし胸騒ぎがなければ、いつも通りに診察した私も濃厚接触者になるところでした。

それでもまだ私のクリニックのような医療機関はいいのです。感染病棟をもっている病院はもっと大変です。なにせ「新型コロナと背中合わせ」で診療しているのですから。しかもそんな状態は新型コロナウィルスの感染がはじまった2月からずっと続いています。もしそこで働く医療従事者が疲労困憊し、クラスターが発生するなどして感染患者を受け入れられなくなったらどうなるでしょう。一般診療もできなくなり、まさに「医療崩壊」に陥ってしまいます。

昨年のちょうど今頃、中国では原因不明の肺炎が流行し始めたことが報道されました。そして、その流行は予想を上回る早さで拡大している可能性があることを報じるものもありました。中国でそんな事態になっていることに多くの日本人がまだ気が付いていなかった今年の1月26日のこと。私はこの日のブログで「このまま入国制限をしなければ中国からたくさんの観光客が入ってくる」、「日本でも流行した場合の対応を今から考えておくべき」だと注意喚起しました。

*********** 以下、1月26日掲載「新型肺炎(1)」の一部

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

***************** 以上

しかし、政府は、まるで4月の来日が決まっていた中国の習近平主席に配慮したかのようになかなか入国制限を実施しませんでした。その結果、春節にはたくさんの中国人観光客が来日し、日本への外来ウィルスの侵入を食い止めることができなかっただけでなく、国内での感染拡大に歯止めがかからなくなりました。大変だったのは保健所と感染者を入院させる病院です。急増する感染者に対応する体制を整えることもできないままに春を迎え、夏になってしまいました。

ところが夏になって第二波が疑われたときでさえ、政府や日本医師会は新たな手を打とうとはしませんでした。そこで私は8月のブログで「この冬に向けての提言」と題して、第三波がやってくるまでに政府や医師会がなにも対応しようとしないときの提言をまとめました。でも、案の定、第三波への対応策を「今出るか、今出るか」と待っている間に、あっという間に秋になり、10月には入国制限が緩和され、11月になると感染はふたたび広がっていきました。

************ 以下、8月19日掲載「この冬に向けての提言」の一部

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

***************** 以上

今、盛んに「感染者数が過去最大に」と報道されています。そりゃそうでしょ。クラスターつぶしで症状の軽い人や無症状の感染者までが拾い上げられているのですから。もちろん重症者や日々の死亡者の数だってこれまでになく多いのですから最近の感染拡大が大した問題でないなどというつもりはありません。でも一番の問題は政府や日本医師会に実効性のある対策がないところ。このままでは「医療崩壊」が現実のものになってしまうかもしれないのです。

その医療崩壊を起こさないために何をすべきなのでしょう。政府や自治体の長はなにかといえば「自粛しろ」といいます。この春のときのような緊急事態宣言を「出せ」「出すな」の応酬となるときもあります。その一方で、日本医師会や東京都医師会などは「医療はもう限界だ」と叫ぶばかりです。でも、ちょっと待ってください。医師会はこれまでなにをやってきたのでしょうか。有効策も講じないでいて勝手なことを言うなと言いたい気持ちです。

日本医師会がやるべきことは、そんな泣き言を言うことじゃないはず。つい先日までも「Go Toやめろ。人は移動するな」と叫び、政府の対応を批判するだけでした。日本医師会はそんなことを言っている暇があったら、この感染拡大に際して医療を崩壊させないための取りうる方策に知恵をしぼるべきじゃないんですか。そんなことはこの夏にやっておかねばならないこと。それを怠ってきて、今さら泣き言ばかりではあまりにも情けないじゃありませんか。

ここまで感染者が増え、軽症者や無症状の感染者がホテルでさえも隔離できなくなったときに「自宅隔離」ができるよう、具体的な方法を今から国民に啓もうすることです。そして、ホテル隔離した患者は地元の医師会が交代で、自宅隔離した患者は患者宅の近隣の開業医が適宜投薬をして定期的に健康状態を確認。その情報を保健所に報告し、症状の悪化が見られた患者をすみやかに病院に収容する。それらのスムーズな連携ができる体制を構築する必要があります。

新型コロナ患者を収容する病院では内科での一般外来はとりやめてできるだけ入院診療に集中するべきです。そのためには一般内科病棟の一時的な減床や患者の転院も考える必要があります。もちろん金銭的な負担は政府や自治体が保証する。医療従事者の給与を増やしたり、一時金を渡すよりもこのような対応が必要です。病院で働く人たちに感謝することは、チャリティコンサートを開くことでもなければ、千羽鶴を折ることでも手紙を送ることでもありません。

国や医師会がこうも無策なのは、現場もよく知らないお偉い先生方や政治家たちが思い付きで話し合うから。私が責任者だったら、新型コロナ患者を収容して苦労している病院で働く人たちを集め、何が不足していて、何が必要なのかを洗い出し、これらの課題を解決するためにどのような法整備、法的根拠が必要なのか。財政的な裏打ちをどうとるかなどをまとめて対応策を考えます。今の対応はこうしたプロセスを踏んでのこととは到底思えないのです。

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、怖いのは新型コロナウィルスだけではありません。人々の不安をあおるマスコミのいい加減さと、無知な一般大衆が引き起こすパニック。そして、長期的な展望と短期的な戦略をもてない政治家や官僚、日本医師会といった肝心の組織の無能さ。やるべき人がやるべきことをやってくれないと、社会を不安におとしいれ、たくさんの人が犠牲になることにつながります。新型コロナよりもむしろこちらの方が恐ろしい。

12月28日からようやく入国制限が再開されるようです。しかし、制限される国の中に中国はありません。そして、この制限は来年1月31日に終わります。中国の来年の春節は2月11日だとされています。つまり春節がやってくる前にこの制限は終わるのです。今年の1月のブログで私が書いたのと同じ愚を繰り返すつもりなのでしょうか。人間は間違いを犯します。それは愚かだからではありません。しかし、愚かなのは経験から学ばずその間違いを繰り返すことです。

最後に、この年末年始にできることをまとめてみました。くれぐれも目安にしてください。医者にもいろいろいます。新型コロナやインフルエンザが心配されている中、一日三回解熱剤(や痛み止め)を出す医者もいます。これを悪いことだとはいいませんが、あまり筋のいい処方だとも思いません。微熱などの発熱があったときにどのように対応したらいいかに迷ったら、まずは当番の医療機関に電話で相談すること(市医師会のホームページ、または市消防局、あるいは119番に連絡すると当番病院を教えてくれます)。

コロナより怖いもの(1)

インフルエンザのワクチン接種も終盤に差しかかっています。新型コロナとインフルエンザが同時に流行することが懸念されていたせいか、例年以上にインフルエンザワクチンの接種が推奨されていました。そんなこともあって、これまでワクチン接種とは無縁だった人までがワクチンを打ちに来院しました。また、マスコミが「早めに接種しましょう(その理由は不明です)」と煽ってきたせいか、10月になると早々に接種に来る人が多かったのも今年の特徴です。

ご存じのとおり、インフルエンザのワクチンは「インフルエンザ」のためのワクチンであり、新型コロナウィルスはもちろん、いわゆる「一般の風邪のウィルス」に対する予防効果はありません。ワクチンを打たない人の中には「インフルエンザになったことがないから打ってこなかった」という人がいます。でも、それはたまたまインフルエンザにかからずに済んでいたのであり、ワクチンを接種する必要性があるとか、ないとかいうこととは関係ありません。

ワクチンを打ってもインフルエンザにかかることはあります。かかりにくくなるだけです。 でも、ワクチンの効果はインフルエンザにかかったときにわかります。ワクチンを接種していれば、インフルエンザに感染してもおおむね数日で解熱し、重症化することを避けることもできます。ところが、ワクチンを接種せずに感染すれば、高熱と全身倦怠感、頭痛と関節痛といった諸症状に連日苦しみ、場合によっては重症化、運が悪ければ死亡することもあります。

現在、新型コロナにはワクチンがないため、あたかもワクチンがなかったころのインフルエンザのような状況になっています。ワクチンがなかったころのインフルエンザがどれだけ恐ろしい感染症だったかを想像してみて下さい。1918年に世界的に流行した「スペインかぜ」は全世界で約6億人が感染し、約5000万人が死亡したと言われています。その後もパンデミックは繰り返し、「香港かぜ」や「ソ連かぜ」と呼ばれて今でも語り継がれています。

ところが、ワクチン接種が普及し、インフルエンザに対する啓もうが進むにつれて世界的パンデミックは減っていきました。そして、インフルエンザ治療薬が普及すると、インフルエンザはもはや恐ろしい病気として認識されなくなりました。「ワクチンを打ちましょう」と勧めても見向きもしない人が少なくなかったのはそのためです。本来は接種しなければならない学校の教員や介護施設の職員の中にさえワクチンを接種しなかった人が結構いたほどです。

しかし、今年は様相が異なりました。これまで接種をしてこなかった人たちもがワクチンを受けに来たのです。ワクチンはみんなが接種しなければ感染拡大を抑えることにはつながりません。「俺にはワクチンは関係ない」ではすまないのです。その意味で、ワクチンを接種する人が増えたことはいいことだったと思います。でも一方で、例年を大幅に上回るワクチンの需要に供給が追い付かず、一時的にワクチンが手に入らなくなったときもありました。

だからといって、ワクチンを早く接種すればいいかといえば必ずしもそうではありません。 インフルエンザが流行しはじめるのは例年であれば12月中旬から。そして、本格的に流行するのは1月の終わりからです。 ワクチン接種後、数週間で効果が現れ、3か月ほどで効力が落ちてくるといわれています。 ですから、早く打ちすぎると3月までにワクチンの効果が低下してしまうことがあるのです。当院で「11月のワクチン接種」をお勧めするのはそのためです。

新型コロナウィルスが流行してそろそろ11か月になります。その11か月間に日本で感染が確認された人はこれまでに約14万人、亡くなった方は2000人あまりです。インフルエンザが流行する半年間に日本で亡くなっている人は毎年3000人ほどですから、 新型コロナウィルスで亡くなった人はワクチンや治療薬がない割には決して多い数字ではないことがわかります。予防や治療の方法がまだ十分に確立していないというところが新型コロナの感染が怖い理由です。

今、新型コロナは第三波が到来していると言われています。確かに重症者は増えてきており、やがて死亡者も増加することでしょう。これらの感染状況がどれほど深刻なものになるのか見当もつきません。しかし、人々の心構えも、また、社会の在り方も、この春とはくらべものにならないくらい感染症対策に意識的になっています。したがって、悲観的にならず、やるべきことをきちんとやる。マスコミに煽られてパニックにおちいらない。ただただそれに尽きます。

とはいえ、入院患者がにわかに増え、医療崩壊に陥りそうな病院がでてきていると聞きます。医師や看護師、職員が細心の注意を払っていてもこれだけは避けられません。当然のことですが、新型コロナは【ただの風邪】ではありません。しかし、【軽いコロナ】は【ただの風邪】だといっても過言ではなく、感染したからといってあわてて病院に駆け込む必要はありません。入院するほどかどうかは症状が「軽いか、軽くないか」で決まります。

重症かどうかを判断するキーワードは「高熱が続いているか」と「呼吸器症状があるか」です。「他に症状はないが微熱があるがどうしたらいいか」と相談を受けることがあります。症状がないのになぜ体温を測ったのかわかりませんが、「微熱だけ」であればしばらく様子を見ていても大丈夫です。「微熱が一週間も続いている」ということであれば別ですが、一日やそこらの微熱の場合は万が一のことを考えながら自宅で安静にしていればいいでしょう。

熱のないような咳や咽頭痛などのときもあわてて医者に行く必要はありません。熱がでてきたときにはかかりつけ医に電話で相談すればいいと思います(抗生物質を処方されるでしょう)。一貫として熱がなくても、風邪症状が3,4日続く場合はかかりつけ医に相談してみてください。くれぐれも痛み止めや総合感冒薬など、体温を下げてしまう成分を含む薬を飲んで様子を見るなんてことはしないでください(本当の体温がわからなくなります)。

新型コロナウィルスの感染で一番怖いのは「肺炎になること」です。肺炎になると「痰の絡む咳」や「息苦しさ」、場合によっては「胸の痛み」などが現れることがあります。これらの症状とともに高熱が続く場合は、肺炎の可能性を考えなければなりません。と同時に、新型インフルエンザの可能を考えてPCR検査を考慮することもあります。肺炎の可能性があるとき、あるいは心配なときは早めに医療機関に電話をして相談することが大切です。

もし来院する場合は、待合室が混んでいないとき(午前の遅い時間帯や午後4時ごろ)に受診してください。「朝早く診療を終えてしまいたい」「午後一番で診てもらおう」と来院する人は少なくありませんが、この時期は患者が集まる時間帯に受診するのは避けてほしいものです。健康診断を受けるのも、滞在時間が長くなるという意味で今は避けるべきです。患者が少ない時、少ない時期を問い合わせて受診・受検するタイミングを考慮しましょう。

また、「職場や学校から検査をしてくるように指示された」とのお問い合わせをいただくことがあります。しかし、「新型コロナが疑わしい」と診断するとき以外は、自費で検査をしてくれる医療機関を探すことになります。無料(公費)で検査をしてくれる医療機関でPCR検査を受けられるのは、あくまでも新型コロナウィルスの感染が強く疑われたときだけです。「念のため」、あるいは「可能性を否定するため」に行う検査は自費になるので注意が必要です。

ですから、職場や学校から「念のため新型コロナかどうかを検査で確かめてくるように」と指示されたときは、「もし自費になったら会社や学校が負担してくれるのか」と聞いてください。今は比較的容易にPCR検査を受けられるとはいえ、検査は安易におこなうものではありません(検査場所で感染することだってありますから)。検査は臨床経過や症状の推移、診察所見などとともに総合的に判断するものです。今日陰性でも、明日陽性になるかもしれないのですから。

新型コロナの感染は、今後、さらに拡大するかもしれません。しかし、「一日何百人の感染患者」「これまでで最多の感染患者」などという報道に一喜一憂する必要はありません。なぜなら、今、一日におこなわれているPCR検査の数は、この3月や4月の5倍以上にもなっているからです。個人のクリニックでおこなっている検査をふくめれば、その数は相当数にのぼります。人心を煽る報道によって動揺しないようにしなければなりません。

一方、感染拡大の原因として「Go Toキャンペーン」が目の敵にされています。まるで「Go To」を使って旅行する人たち、あるいは食事をする人たち、さらには飲食店やホテルや旅館が悪者にされているかのようでもあります。しかし、このキャンペーンは7月から始まっています。なのになぜ11月から感染者数が増えた原因の第一に挙げられなければならないのでしょう。10月からはじまった入国制限の緩和の方がよほど感染者の急増に影響していると思います。

1月のブログにも書きましたが、流行が続いている海外との行き来を許せば、感染が拡大するのはあたりまえです。入国制限がおくれた2月から感染者数が激増した過去の状況を見ても、また、入国制限を緩和した10月から感染者数が急増している今の状況を見てもあきらかです。それほどまでに海外との人的交流を優先させる理由が私にはわかりませんが、国内の経済、とくに飲食店や観光業の皆さんの我慢ももう限界のはず。これ以上の自粛は酷な話しです。

新型コロナの患者を受けて入れている病院も大変です。感染が始まって以来、気が休まるときがないのですから。しかも、いったん新型コロナの感染者を出してしまえば、「あの病院でコロナの患者が発生したから(行くのはやめよう)」「あの病院の医者、看護師、職員だから(接触しないようにしよう)」との風評にしばらくさらされます。病院はそんな風評被害を受ける可能性におびえながら診療を続けていることも知ってほしいと思います。

いまだに「桜を観る会だ、日本学術会議だ」と不毛な議論をやっていても、毎月決まった額の給与が入ってくる国会議員は気楽な商売です。 新型コロナの感染拡大の原因を多角的に議論して、効果的な対策を矢継ぎ早に講じていかなければいけないはずです。政権の足をひっぱり、「Go Toやめろ」「自粛しろ」と大声で叫んでいればいいとでもいうのでしょうか。あんな人たちを国会に送ったことを反省しながら、せめて我々だけは理性的に行動したいものです。

「怖い、怖い」と言っているだけではなにも解決しません。頭を使ってなにをすべきかを考えましょう。そして、行動しましょう。決してマスコミに煽られてはいけません。また、世の中の雰囲気に流されてもいけません。新型コロナウィルスに感染して死ぬ人より、社会的に追い詰められて自殺する人の方が圧倒的に多いことにも目を向けなければなりません。コロナよりも怖いのは、なんといっても人々の心の中から余裕と勇気がなくなることなのです。

歴史から見えること(2)

前回のブログで紹介したゲーム「Ghost of Tsushima」の主人公、境井仁を見ていて脳裏に浮かんだ人物がいます。それは小野田寛郎元陸軍少尉です。皆さんもご存知の通り、小野田さんは陸軍中野学校を卒業し、帝国陸軍の残置諜者としてフィリピンのルバング島に潜入。日本の終戦を信じることなく任務を続けていましたが、1974年に捜索隊に発見されて日本に帰国しました。その小野田さんが、対馬を蒙古から奪還するためにひとり戦った境井仁と重なって見えたのです。

小野田さんが日本に帰国したとき私は中学生でした。当時、ルバング島にまだ日本兵がいるらしいことはニュースでたびたび報じられていました。戦後30年を経て、なおもフィリピンのジャングルに隠れていた日本兵とはどんな人なのだろう。私はある種の興奮を感じながら小野田さんの帰国を見守っていました。羽田空港で飛行機のタラップを降りる小野田氏を見たときの感動は今も忘れません。背筋をピンと伸ばした小野田さんはタイムマシンでやって来た「侍」そのものでした。

「Ghost of Tsushima」の冒頭に次のようなセリフがでてきます。数えきれない蒙古兵を前に、境井仁の叔父・志村候は八十騎の侍たちを鼓舞します。「ならわし、武勇、誉れ。それらが我らが道だ。我らこそ武士(もののふ)だ」と。私はこのセリフを聞きながら、1989年にNHKで放送されたトークドキュメント「太郎の国の物語」という番組で司馬遼太郎が語った「昔の日本人の心の中には身分に関わらず『武士道』という『電流』が流れていた」という言葉が思い浮かびました。

司馬遼太郎は「武士道とは主君(国家)への忠誠ではなく、自分に対する責任感に過ぎない」と言います。その責任感は使命感に裏打ちされたものだと言えるかもしれません。帰国した小野田さんは昭和天皇との謁見を辞退しました。それは「陛下から労いの言葉をかけられたら困る」という理由からでした。一兵卒として日本のために戦っただけだという自負があったからでしょうか。そうしたところに小野田さんらしい気骨さが感じられ、その意味でもまさしく侍だったなぁと思います。

小野田さんらしいエピソードをもうひとつ。日頃、感情を顔にあらわすことの少ない小野田さんが怒りの表情で語ったことがあります。それは平成十七年の終戦記念日に発表された総理大臣談話についてでした。終戦60周年を記念するその談話には「心ならずも命を落とされた多くの方々」という一文がありました。自分自身も戦争で戦い、戦後30年経ってもジャングルで戦闘を続けた小野田さんはその「心ならずも」という部分が受け入れられなかったのです。

***** 以下、小野田さんの言葉(一部修正あり)

一国の首長たるものが「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。果たして私達は「心ならずも」あの戦争で命を散らしたのでありましょうか。私は国の手違いによってこの靖国神社に15年間お祀りしていただきました。しかし、もし私があのとき本当に死んでいたとすれば、「国のために我々が戦わなければ誰が戦うのか」、そういう自分たちの誇りをもって、力いっぱい笑って死んでいったのであります。私だけでなしに、私の仲間も皆そうであります。それがなんで同情の対象なのでしょうか。誇りをもって死んだ人に対して、なぜ黙って「ありがとうございました」と感謝の念を捧げられないのか。

***** 以上

小野田さんは悔しそうでした。ある人は志願で、またある人は招集によって戦場に駆り出され、南方のジャングルで、あるいは酷寒のシベリアで過酷な戦闘を続けた戦友。そんな彼らを思いながら、「お国のため、あるいは家族のため」に死んでいった英霊の気持ちを代弁していたのかも知れません。戦場に倒れた多くの日本兵にはあの「電流」が流れていたのだと思います。それを安っぽい同情で汚さないでくれと小野田さんは言いたかったのでしょう。

現代の日本人にも確かに「電流」が流れていたことを想起させることがありました。それは東日本大震災による原発事故のときのことです。世間では「東電憎し」「東電バッシング」とも思える心ない報道が繰り返されていました。ちょうどそのころ、原発事故を収束させるため、たくさんの東電社員・作業員が命懸けの作業をしていました。想像をはるかに越える大津波による全電源喪失。誰もが経験したことのないこの原発事故と東電職員・作業員との戦いが続いていたのです。

ある大手の新聞は「多くの職員が現場から逃げ出した」と報じました。その後、事故調査委員会の報告書が公表され、その報道が事実誤認であることが明らかになり、新聞社は記事を誤報として謝罪しました。当時の事故現場では高線量の放射能が飛び交う中で一進一退の状況が続いていました。このままでは職員や作業員全員を危険にさらしてしまう。そう判断した吉田所長は「最少人数を残して退避」と叫んでいたのです。「逃げ出した」という報道は悪意に満ちた表現だったのです。

吉田所長は「一緒に死んでくれる人を募ろうと思った」と後に心情を吐露しています。所長が退避命令を出し、多くの人が退避する中、「私は残ります」「おまえは若いからダメだ」というやりとりもあったといいます。 そんな現場に菅直人総理の非情な怒鳴り声が響きました。「撤退などありえない。覚悟を決めてやれっ」と。 押しつぶされそうな重圧といつ収束するとも知れない放射能の恐怖に耐えながら、吉田所長とともに69人の職員・作業員が現場に残りました。そのときの活躍が映画「Fukushima50」で描かれています。

危険極まりない現場で懸命の作業を続ける「Fukushima50」。責任感と使命感に突き動かされるように、黙々と作業をする東電の社員や作業員、あるいは消防や警察、自衛隊の人たちにもきっとあの「電流」が流れていたに違いありません。しかし、現場から離れた東電本店や政府・官邸の人たちにそうした「現場のリアル」が感じられていたでしょうか。彼らは安全な場所から吉田所長に「早くなんとかしろ」と怒鳴るだけでした。そして、それはあのときの一般国民もまた同じだったと思います。

司馬遼太郎は「太郎の国の物語」の中で「現代の日本人もそれぞれが『微弱なる電流』をもっているはずだ。今の日本には規範というものがない。だからこそ、魂の中にもっている『微弱なる電流』を強くすべき」と言っています。かつて三島由紀夫も「このままではこれまでの『日本』はなくなり、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、裕福な、抜け目がない、ある経済的な大国が極東の一角に残るだろう」と予言しています。司馬遼太郎の言葉は三島のそれと重なります。

「故きを温ねて新しきを知る」とは、年月を経て人間や国家が「進歩」するにはそれまでの歴史を正しく知ることからはじまる、という意味です。歴史を学ぶ意義はそこにあると思います。以前のブログにも書いたように、「歴史を良し悪しでとらえるのではなく、『正しい歴史』の経験と知識を共有し、未来に活かす」ことが大切です。失敗を繰り返すのは、過去(歴史)の失敗を振り返っていないから。明日の社会を今日よりも素晴らしいものにするために、歴史(過去)を振り返ることが必要なのです。

歴史から見えること(1)

皆さんは「Ghost of Tsushima(邦題:対馬の冥人)」というゲームをご存知でしょうか。アメリカのゲーム会社によって製作され、この7月に世界中で発売されると「中世のサムライになれる」とあっという間に人気ソフトになりました。日本人からの評判も高いのですが、それは外国にありがちな「日本人が違和感を感じる風景や人物」がこのゲームにはあまり登場せず(「?」と思うのは建物の屋根とお辞儀くらい)、むしろ日本人にも「武家のリアル」を感じさせる作りになっていたからでしょう。

「なんで対馬なの?」と思うかもしれません。対馬というところは、それほどまでに日本人にはなじみの薄い場所です。実はこのゲーム、1274年の「対馬への蒙古襲来」をテーマにしているのです。蒙古襲来については小学校でも、中学校でも習います。「元への朝貢をもとめて二度にわたる蒙古の大軍の襲来があった。しかし、いずれのときも嵐がやってきて、蒙古軍は大きな損害を受け、退散していった」と。ほとんどの日本人にとっての知識はその程度。それ以上のことを知っている人はあまり多くありません。

この二度の蒙古襲来はそれぞれ、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)と呼ばれています。とくに、文永の役ではモンゴルが、その支配下に置いていた高麗軍を引き連れ、総勢四万人ともいわれる大軍を対馬に送ってきました。不意を突かれた日本側は対馬のたった八十騎の侍がこの襲来を迎え撃ちます。結局、蒙古・高麗による大軍を前に侍たちは全滅。勢いを得た蒙古軍は暴虐の限りを尽くしながら壱岐、北九州へと攻め込んで行きます。そのときの鎌倉武士を主人公にしたゲームが「Ghost of Tsushima」です。

対馬は壱岐とともに、伊邪那岐・伊邪那美の命(みこと)が生み出した八つの島に数えられる島です。古来から朝鮮半島や大陸との文明伝来の中継基地として栄え、日本ではじめて銀を産出した場所としても知られています。つまり、対馬は日本と海外の文化の交わる要所だったのです。また、壱岐にはたくさんの神社があって、最近はパワースポットの多い島として有名です。対馬も壱岐も日本にとっては特別な意味をもつ場所であり、古代からずっと海外には知られた場所だったに違いありません。

「Ghost of Tsushima」では、なによりも名誉を重んじる日本の侍が描かれています。当時の武士たちは戦場で「やあやあ我こそは」と名乗りをあげてから敵と一戦を交えます。それが武家の作法だったわけです。このゲームでもそうした武士の姿が描かれていますが、外国人である蒙古軍にとって武家の作法などどうでもいいこと。日本の侍がそんな自分たちの価値観が通用しない相手に勝てるはずもありません。そのときの様子はYouTubeの実況動画(4:30ごろから)で見ることができます。

興味深いことがもうひとつ。それはゲーム最後のシーンに出てきます。侍の作法を守っていては勝てないと悟った主人公の境井仁は、武家の作法に反するような方法で次々と蒙古の拠点を解放していきます。仁を自分の後継ぎにしようと考えていた叔父の志村候はそんな彼を激しく批難します。志村候はなにより名誉を重んじ、幕府に忠誠を誓う古来の武士そのものだったからです。境井仁は反論します。「こうでもしなければ島民を守れないではないか」と。仁と叔父の意識の違いは、現代にも通じるようです。

大陸から離れて存在する島国日本にはじめて外国勢力が攻勢をかけてきたのは、1019年の「刀伊(とい)の入寇」とされています。刀伊の正体は、後に満州に国家を造り、清の王朝にもなった女真族の海賊。遷都を繰り返していた平安時代に財政破綻となった朝廷は、それまで外国勢力から日本本土を守る拠点だった対馬、壱岐の防衛から手を引きます。と同時に、国防の拠点だった大宰府は役人の左遷の場所にすぎなくなります。そして、この国防のすきをついて日本にやってきたのが刀伊だったのです。

対馬や壱岐で島民を残虐な方法で殺してまわり、多くの島民を奴隷として連れ去ろうとした刀伊。その刀伊が北九州を襲ったとき、大宰府を守っていたのは藤原隆家でした。都での権力闘争に嫌気が差し、大宰府にやってきた隆家でしたが、突然現れた3000人あまりの刀伊の大軍を前に獅子奮迅の活躍をします。そして、このときの経験は大宰府の守りの重要性を朝廷に再認識させます。しかし、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の悪い性格は今も昔も同じ。やがて朝廷の警戒心は再び薄れていきました。

そうした朝廷の姿に平和ボケした今の日本人が重なります。「恐ろしいことは考えないようにする」という日本人の根拠なき楽観主義はいつしか大きな事件・事故につながります。東日本大震災の半年前にかなり大規模な防災訓練がありました。「原発が全電源を喪失した」という想定のもとでの原発事故の演習もふくまれていました。しかし、その演習に総理大臣は参加しませんでした。その半年後、想定していた「全電源喪失」という原発事故が実際におこってしまったのはなんとも皮肉なことです。

そのような事故は現実にはおこりえないという慢心があったからでしょうか。それとも「原発で事故が起こる」と想定することは「原発は安全ではない」ことを認めてしまうとでも思ったからでしょうか。あのときの事故で「原発の安全神話が崩れた」といわれますが完全な安全などあろうはずがありません。事故の可能性を仮定しただけで「原発は危険だ」と騒ぎ出すからこそ作り出された「神話」だったにすぎません。危険や危機から目をそむける為政者はいつの時代でも国民を危険にさらします。

「Ghost of Tsushima」というゲームは単なる娯楽にとどまりません。日本人には日本人が忘れかけていたものを呼び起こし(私はこのゲームをやったことがなく、YouTubeで実況動画を観ただけですが)、その一方で、海外の人たちは、たった八十騎で蒙古に立ち向かう侍たちに鳥肌を立て、侍の非情な運命に涙を流していました(1:48:30ごろから)。その様子を見ながら、このゲームを通じて世界中の人が日本人のことを歴史にさかのぼって理解してくれたらいいなと心底そう思いました。

歴史教育の重要性(2)

今はインターネットを通じていろいろなことを調べることができます。キーワードを入力して検索すればたちどころに自分の疑問に答える情報にたどり着けます。私もそうしたインターネットによる情報検索を繰り返すうちに、自分がいわゆる「自虐史観」にとらわれていたことに気が付きました。また、学校では教わらない「歴史」があることにも気が付きました。しかも、その「教えられていない部分」が歴史の中核だったりする場合もあり、以来、歴史に興味を持つようになりました。

学生の頃、世界史を学ぶ意義をまったく感じませんでした。日本人が外国の歴史を勉強して何になるんだろうと思っていたくらいです。ましてや世界史を日本史の延長線上に考えることの重要性など考えたこともなかったのです。子どもと歴史を勉強しているとき、大東亜戦争(太平洋戦争)前後の疑問をインターネットで調べていました。そして、予備校で世界史講師をしている茂木誠先生の動画(「もぎせかチャンネル」)と出会い、世界史の重要性をあらためて知ることになりました。

茂木先生の臨場感あふれる講義の様子は無料動画としてYouTubeで公開されています(音声のみ)。手元に世界史の教科書をおきながら重要な部分にラインマーカーを引きながら聴いていると、世界史が実は日本の歴史と決して無縁でないことがわかってきました。世界史も日本史も地政学の観点から時系列につながっていること。そして、日本史を世界史のいちぶとしてとらえることが大切だということがわかってきたのです。大切なのは断片的な事実の羅列ではなく、「今につながる歴史」を学ぶことだったのです。

私が「目からウロコ」となったのは、戦国時代の歴史を学びなおしたときのことです。歴史に興味がなかったそれまでの私は「キリシタンを許していた秀吉がなぜバテレン追放令を出すに至ったのか」、あるいは「鎖国をした江戸幕府がなぜオランダにだけ交易を許したのか」ということを深く考えてもみませんでした。学校ではそうした問いかけはなく、自分自身も疑問にすら思わずに大人になってしまったからです。しかし、学びなおしてみると、今までとは違うあらたな戦国時代の姿が見えてきました。

日本が戦国時代だったころ、スペインは国王フェリペ2世のもとで全盛期を迎えていました。スペインは植民地であった南米の銀山から産出される大量の銀を背景にさまざまな国と戦争をしていました。 当時、カトリック教徒の国だったスペインは、プロテスタントの国である隣国オランダを支配下におこうと戦争をしかけていました。 カトリックとプロテスタントでは水と油。そんなことすら知らなかった私は、世界史を学んで「ヨーロッパの歴史はキリスト教の歴史である」ことを知りました。

キリスト教の歴史はおもしろく、今でも欧米の行動の規範にもなっているという点で興味深いものです。ローマ帝国から迫害を受けていたキリスト教が、次第に人々の信仰心を集め、やがてローマ帝国の国教になります。そして、さらには東西のキリスト教に分かれていく。その過程はダイナミックでエキサイティングです。 そのカトリックの盟主でもあるスペインはさらなる植民地を探して、世界でも有数の金銀の産出国だった日本に関心を持ちます。スペインの野望はついに日本に向けられたのです。

スペインの植民地化には共通点があります。住民をキリスト教カトリックに改宗させ、精神的な自由を奪って収奪を始めるというものです。日本にもカトリックのイエズス会(上智大学の宗派)から宣教師フランシスコ・ザビエルが送られてきました。イエズス会はローマ・カトリックの布教のためなら命も惜しまない、武闘派ともいわれる人たちの集まりです。ザビエルは東南アジアでの普及活動で知り合った日本人と共に日本にやってきます。そして、日本の実情をスペインの国王につぶさに報告しました。

日本には常に帯刀した武士がいること。その武士は勇敢であり、いつも武芸を鍛錬し、なによりも名誉を重んじること。また、武士は教養が高く、他の階級の民の手本となる存在だとザビエルは報告しています。そして、日本人のことを「これまで出会ってきたどの民族よりも丁寧で優しさにあふれている」と書き、「礼儀正しく、主君に忠実であるという点でキリスト教徒に一番向いている。好奇心が旺盛で、大半の人々が読み書きできるという点でも布教に有利だ」と国王に報告したのです。

秀吉は当初、そうしたカトリック教徒に好意的でした。しかし、プロテスタントの国オランダの使節から、カトリック・スペインが南米の植民地でどのような蛮行を働き、その蛮行がカトリックの布教を足掛かりにおこなわれてきたことを秀吉は耳にします。そのとき、カトリックに改宗した九州のキリシタン大名たちの領地では、神社仏閣は異端として次々と取り壊され、教会が建てられていました。キリスト教への改宗を拒んだ領民は奴隷としてスペインやポルトガルの商人に売られていたのです。

そうした現状に秀吉は危機感をいだきました。そしてついにバテレン追放令を出します。九州がスペインの植民地になることを恐れてのことです。プロテスタントはその教義から日本に布教を求めませんでした。オランダは交易だけが目的だったのです。そして、交易が許されるかわりに、カトリックの動向、世界の情勢をつぶさに報告しました。江戸時代、その報告は「オランダ風説書」としてまとめられました。交易を許す幕府と世界情勢を報告するオランダは持ちつ持たれつの関係だったのです。

「島原の乱」のことは学校ではあまり詳しく教えられません。島原城に立てこもったカトリックのキリシタンたちが、江戸幕府からの攻撃に耐えながらスペインやポルトガルからの援軍を期待していたことはあまり知られていません。ついにヨーロッパからやってきた最新鋭の軍艦は、実はプロテスタントの国オランダからのものでした。幕府軍がオランダから購入した最新のゴーテリング砲とともに、オランダの軍艦からの艦砲射撃がキリシタンたちがいる城に火を吹いたのはその直後のことです。

そのころ、スペインの無敵艦隊はイギリスのエリザベス1世に敗れ、「陽の沈まぬ国」はすでに衰退の一途をたどっていました。もう一方のカトリックの国のポルトガルも、併合されていたスペインからの独立を果たしたばかりで日本に援軍をおくる余裕はありませんでした。日本には勇猛果敢な武士がおり、倭寇や傭兵として東南アジアで暴れまわる者もいて、多少の援軍を送ったところでそうたやすく勝てるものではありません。当時の世界史における日本の存在感は決して小さくはなかったのです。

幕末の日本にペリーがやってきました。突然やって来た黒船に日本中が騒然となったと学校では教わります。しかし、実はペリーが日本にやってくるずっと以前から、黒船来航の可能性はオランダから幕府に伝えられていました。クリミア戦争でロシアやイギリスといった国々がバルカン半島に釘付けにされているうちにアメリカが日本にやってくるだろう、との情報です。中国にアヘン戦争で勝ったイギリスがインドでどのような植民地政策をとっていたかも幕府はオランダから知らされていました。

幕末の日本が欧米列強の植民地にならなかったのは、井伊直弼をはじめとする幕臣たちのおかげです。折しも日本は政治的な変革期を迎えていました。前近代的な江戸幕府のままでは日本の独立は守れない。そのことは、当時、青雲の志で日本のために奔走した先達たちは熟知していました。また、欧米列強の植民地政策がいかに冷徹で厳しいものだったかをも。だからこそ明治維新後の日本が進むべき道を真剣に考えたのです。彼らのあたまの中は「いかにして日本の独立を守るか」で一杯だったことでしょう。

日本は、朝鮮半島や中国、満州に軍を送り、日本人を入植させました。いわゆる植民地政策です。しかし、日本の植民地政策は欧米のそれとは異なります。欧米のように収奪を目的にせず、むしろ国家予算のかなりの額を投入してインフラの整備を図ったのです。こうした同化政策を進めながら、清やロシアといった大国と戦ったのは、おもに南下するロシアを抑え、米英による植民地化から日本の独立を守るためです。アメリカと戦った理由も昭和天皇の「開戦の詔勅」に詳しく述べられています。

昭和天皇は皇太子時代、復興ままならない第一次世界大戦直後のヨーロッパを訪問しました。これは山形有朋の提案です。戦争がいかに一般国民に犠牲を強いることになるかを皇太子に見聞させるためのものでもありました。こうした歴訪を通じて、昭和天皇はアジアの平和のためには日本とアメリカが友好関係を築き、両者が協力することが重要だという信念をもちました。高松宮のアメリカ公式訪問時に大統領宛の親書を持たせたのはそのためです。日米開戦が不可避となったのを一番憂いたのは昭和天皇です。

学校では、大日本帝国憲法は「天皇主権」を規定し、国民の権利を制限し、覇権主義的な性格をもったものだと教わりました。そして、終戦とともにGHQから与えられた「日本国憲法」は「国民主権」の民主主義を理念とする平和憲法であるとも教わります。その一方で、「教育勅語」や「軍人勅諭」、あるいは「皇室典範」といった戦前・戦中に教えられてきたものは、ただなんとなく「国家主義で危険なもの」「戦争への足掛かりになるもの」というイメージを植え付けられ、その中身すら教えられません。

しかし、それらを改めて読んでみると、私たちが植え付けられてきたイメージとはだいぶ異なるものであることがわかります。大日本帝国憲法と教育勅語だけでも読んでみるといいと思います。昭和天皇の「開戦の詔勅」もふくめて、私たちに教えられていないことに真実が隠れているのかもしれないと感じるはずです。歴史教育は重要です。子どもたちにこれまでの人類が陥ってきた過ちを繰り返させないためにも、勧善懲悪ではなく、「正しい歴史」を教えることが大切です。それがなによりの平和教育だと思います。

歴史教育の重要性(1)

新型コロナが世界中に拡散して10か月になろうとしています。その間、たくさんの人が新型コロナウィルスに感染し、想像を超える数の人が命を落としてしまいました。このウィルスによる混乱はいまだに続いており、日本はもちろん世界中の経済にも大きな影を落としています。一刻も早くいつもの日常を取り戻さなければなりません。しかし、この未知のウィルスは多くの人たちのトラウマとなって、不安という泥沼から抜け出せない原因になってしまいました。

新型コロナウィルスの影響がおよんでいるのは経済に限ったことではありません。先日放映されたNHK番組「日曜美術館」では、日本中の工芸作家たちが停滞している社会生活の中で自分たちの創作活動の在り方を自問自答していることを紹介していました。ひとりの工芸家が「世の中がこんなときに自分がこういうことをしていていいのだろうか」と語ったことに私はショックを受けました。新型コロナが人の情緒だけではなく創造活動にまで影響していたからです。

そういう視点で見てみると、新型コロナウィルスはすべての人間の精神あるいは行動に影響をあたえているように感じます。感染が長引くにつれ、人々の間の、あるいは国家間の対立が深まっているように思います。また、社会システムもものすごいスピードで変革されつつあります。“三蜜”を避けるための「新しい生活スタイル」はそのもっとも身近な例ですが、世界に目を移せば「脱中国」の動きや「中東情勢」の変化も我々が想像する以上の速さで動いています。

今のアメリカで起こっていることも、そうした新型コロナの影響を背景にしたものではないでしょうか。新型コロナウィルスへの対応をめぐってアメリカ人たちの間に深い溝が生じてしまいました。自粛の解除か、それとも継続か。そんな殺伐とした対立の中で、警官が誤って黒人容疑者を死に至らしめたことに端を発して「Black Lives Matter(黒人の命は大切)運動」が始まりました。それがアメリカの人々をさらに分断し、一部の地域は無法地帯になっています。

日本でのニュースを見る限り、暴動・略奪にまで広がったBLM運動は徐々に落ち着いてきたように思えます。しかし、地域によっては、BLMを理由に黒人が理由なく白人に暴力を振うことが見逃されたり、白人警官への挑発が繰り返されて発砲事件すら起こるといった状況も。日本人にはこうした運動の背景を正しく理解するのは難しいことかもしれません。しかし、私は、今の運動には「正義がどこにあるのか」という視点があまりにも欠けているように感じてなりません。

アメリカの芸能界からも、あるいはスポーツ界からもBLM運動を支持する声があがっています。しかし、それはまるで安っぽいヒロイズムだったり、薄っぺらなブームであるかのようにも見えます。その一方で、BLM運動を隠れ蓑にした犯罪を批判する声はほとんど聴こえてきません。そうした声をあげるのがはばかられる状況だからでしょうか。それともそのような声はあえて拾い上げられないからでしょうか。黒人差別を批判する運動とは程遠い現状が気になります。

アメリカにおける黒人差別の歴史は古くて新しい問題です。最近でこそあからさまな黒人差別は影を潜めています。しかし、つい4、50年前まではあからさまな差別が存在していました。自由の国、民主主義の国と思われているアメリカで、黒人差別の問題はそれほどまでに根深いものなのでしょう。若い白人たちの意識がどう変わろうが、400年前にアフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちの被差別意識はそう簡単にはなくならないのかもしれません。

BLM運動がはじまったころ、アメリカ各地に設置された歴史上の「偉人たち」の銅像が次々と引き倒されました。理由は「黒人奴隷制度に加担したから」というもの。かつて 奴隷商人だった大富豪や奴隷貿易に関わった歴史的人物はもちろん、ジョージ・ワシントンやセオドア・ルーズベルトなどの歴代アメリカ大統領の銅像までもが同じ理由で次々と引き倒されていきました。でも、そのとき嬉々として銅像を引き倒す人たちの姿に私は少し違和感を感じました。

違和感を感じたのには理由があります。バージニア州リッチモンド市は、BLM運動に理解を示すため、南北戦争で奴隷制度を支持した南軍のリー将軍の銅像を自主的に撤去することを決めました。ところが、BLM運動の矛先は同じバージニア出身で、アメリカ独立宣言の起草者のひとりでもあるトマス・ジェファーソンにまで向けられました。彼自身が黒人奴隷の所有者であり、黒人女性を愛人にしていたことがその理由です。でも、事実は少し異なります。

ジェファーソンは確かに奴隷を所有していました。しかし、それは大農園主だった父親から引きついたもの。彼はむしろ奴隷制度の非人間性を知っていたのです。だからこそ、独立宣言に奴隷貿易を批判する内容を盛り込み(その多く部分はのちに削除されましたが)、奴隷制度自体は廃止できなかったとはいえ奴隷輸入禁止法を彼は成立させたのです。暴徒たちにそうした歴史的教養があれば、BLM運動を理由に彼の銅像を引き倒すなどということはしなかったはずです。

歴史における過去の出来事を今の価値観で断罪するのは間違いです。そもそも歴史とは「史実」の「解釈」なのです。史跡や書物を通じて得られる「史実」は、「解釈」という評価が積み重ねられて歴史となります。でも、歴史の「解釈」は相対的なものであり、解釈する人の立場や価値観、あるいは国籍によって大きく異なるものです。時代によってその評価が一変することさえあります。歴史を今の価値観だけで、善悪という観点で断じることなど不可能なのです。

「ひとりの人間を殺すのは犯罪だが、たくさんの人を殺せば犯罪ではない」という言葉があります。世界史を振り返ってみればわかるとおり、これまで宗教の名のもとに異端だとされた無数の人たちが殺されてきました。革命の際にも人民裁判によって無実の一般市民がたくさん殺されました。その一方で、世界中の植民地では、南北アメリカやインド、アフリカや東南アジアの例を見るまでもなく、住民は非人間的なあつかいを受け、多くのものを収奪されました。

17世紀、ジェームズ1世からの迫害を逃れ、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれた102名の移民がイギリスからアメリカに渡ってきました。そして、理想の国家を建設するためにインディアンの土地に移り住みました。当時のインディアンには土地を所有するという意識がなく、新しい住民である移民たちを隣人として迎え入れました。そして、寒さに凍え、風土病に次々と倒れる移民たちにインディアンは作物の栽培法を教えたのです(これが感謝祭の起源です)。

しかし、人間の欲望には際限がありません。次々とアメリカ大陸に渡ってくる白人たちは、次第にインディアンをだまし、仲たがいをさせ、武力を使って彼らの土地を次々と収奪するようになりました。皆さんはディズニー映画の「ポカホンタス」をご存知でしょうか。インディアンと白人との争いに巻き込まれた酋長の娘ポカホンタスの話しです。白人青年の命を救った彼女は彼との恋に落ちる、というもの。アニメの中の物語のことですが、事実はあまりにも違いすぎます。

実際は、酋長の娘ポカホンタスは白人たちに誘拐され、インディアンの土地を収奪するために利用されました。人質となった彼女は白人と結婚させられ、酋長はインディアンに不利な条件を認めさせられます。そして、ポカホンタスはキリスト教の洗礼を受けさせられ、イギリス本国に移住することに。しかし、当時のイギリスは産業革命のまっただ中。大気汚染のひどいイギリスで健康を害したポカホンタスは、アメリカ大陸への望郷の念を胸に息を引き取るのです。

白人の「西部開拓」は「インディアン強制移住法」となり、アメリカ合衆国政府は「移住命令に従わないインディアンは絶滅させる」という民族浄化の政策をとります。勇猛果敢なインディアンとはいえ、西洋の近代的な武器に対抗するすべを持っていません。その結果、1000万人近いインディアンが虐殺されたとされています。白人はその後も北アメリカ大陸を西進し、メキシコの領土を戦争で奪いとり、ハワイの王族までをも滅ぼして領土を太平洋にまで広げました。

でも、だからといってこうした暗黒の歴史に善悪をつけることができるでしょうか。個人の中で「いい、悪い」を決めつけることは簡単です。しかし、民族間の、あるいは国家間の問題として「いい、悪い」を断じることはできません。自分たちの土地を奪われ、あまりにもたくさんの同胞を殺されたインディアンたちには言いたいことがたくさんあるでしょう。今でも白人たちを憎んでいるかもしれません。でも、それを今さらどう解決すればいいのでしょう。

実は私は大学生のころまで「自虐史観(日本を悪い国だと決めつける歴史観)」を持っていました。むしろ、日本人はそうした負い目を持つべきだと思っていました。それは学校での歴史教育の影響でもあり、また、マスコミからの情報を信じた結果でもあります。戦中・戦前の日本が悪辣な覇権主義をもち、周囲のアジア諸国を侵略したという考えにとらわれていました。それは教科書に書かれ、TVの番組で放送された日本の姿であり、私の中の日本のイメージでした。

ですから、「かつての日本は悪い国」と印象付けるようなTV番組を見ながら、昭和ひとケタ生まれの両親が「昔の日本はこんなに悪い国じゃなかった」と言おうものなら、若き日の私は「戦前の教育に洗脳された連中はどうしようもない」などと心の中で見下していたものです。しかし、インターネットが発達し、主体的・能動的に情報を求めるようになると、「ひょっとすると事実は学校やマスコミから伝えられてきたことは違うのではないか」と思うようになりました。

自分はもしかして自虐史観にとらわれているのかもしれない。そんなことに気付くようになって感じた矛盾。悪辣な覇権主義をもった日本は、アジアを武力で侵略し、自国民の権利を奪い、特高警察によって思想の自由までをも奪った。そして、その日本帝国主義を打ち破り、国民主権の民主主義をもたらしたアメリカは正義の味方。なのに、我が家の昭和ひとケタ生まれたちは違うことを言っている。そうした矛盾に正面から向き合うようになったのはずいぶん後になってからです。

終戦直後、GHQによってWGIP(War Guild Information Program)と呼ばれる「戦争に対する贖罪感を日本人に植え付けるための情報操作政策」がおこなわれました。「教科書の墨塗り」がそれです。それまでの日本を肯定する部分を教科書から抹消するのが目的です。「焚書」とよばれる文化の抹殺もおこなわれました。一般市民を標的にした大空襲や原爆という国際法違反による日本の敗戦を正当化するため、情報操作の妨げになる書籍を焼却処分にしたのです。

また、GHQはたくさんの官吏・教員を公職追放しました。公的な場所から戦前を肯定するような人物を排除するためです。そして、それにかわって日本を否定的に考える人たちがそれらのポストにあてがわれました。また、新たな教科書にもそうした意図が反映されました。また、すべての報道にはGHQの検閲があり、「なにを報道させるか、させないか」はGHQの意向にゆだねられました。これらはGHQによるWGIPの一環であり、その影響は今も続いています。