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院長が気まぐれな雑感を述べます。個人的な意見が含まれますので、読まれた方によっては不快な思いをされる場合があるかもしれません。その際はご容赦ください。ほんとうに気まぐれなので更新は不定期です。
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日本の未来は

今回はちょっと政治的な見解を書きました。今年を締めくくる記事で避けて通ることができなかったことだからです。私は特定の政党を支持していませんし、特定のイデオロギーをもちません。自分の目と頭で理解し、信じたことを支持するという政治信条をもつのみです。ですから、今回のブログを読んで不愉快になる方がいるかもしれません。しかし、これから書くことは何らかのプロパガンダでもなければ、特定の政治的スローガンを吹聴するものでもありません。その辺のことをご理解の上でお読みいただければ幸いです。

*************************** 以下、本文

 

あと一日で令和元年(2019年)が終わります。今年はなんだか気ぜわしいだけで、実はなにも変わらなかった一年だったように思います。そう思うのは、今年の世相を反映しているのかもしれません。香港やウィグルなど、世界各地で自分たちの運命と戦っている人たちがいる一方で、日本国内では誰を桜を観る会に呼んだとか、呼ばなかったとか。どこの学校法人に口利きをしたとか、しないとか。泡のように湧き上がってはじけて消えていく下らないニュースに国民が振り回され、踊らされた一年でした。

先日の新聞で、2019年の日本の出生率が過去最低となり、出生数も年間90万人を割り込む事態になったと報じられていました。日本の人口はすでに2010年から減少に転じており、65歳~74歳の人口は2040年ごろに、75歳以上の人口は2055年ごろをピークに増加を続けると予想されています。その意味で出生率の低下は社会の急速な高齢化をもたらす深刻な問題です。政府は以前から「少子化対策」を政策の重要課題にあげていますがいまだに有効な手立てはなく、人口は減少し、高齢化はどんどん進んでいます。

それにしてももっとも有効な少子化対策は景気回復だということに気が付いていない政治家があまりにも多すぎます。なぜ若い人たちが子どもを産み、育てないか。家族の在り方、子育ての意味、さらには結婚の価値といったものが価値観の多様化と共に変化してきたことが影響しているのでしょう。しかし、それにも増して、若い人達の将来への不安は、子どもを産み、育てることを負担だと感じさせている。そうした若者の心理を理解しないままに、うわべだけの少子化対策など効果はありません。

デフレという世の中だからでしょうか。今の若い人たちの中には昔ほど夢や希望というものが感じられなくなったように思います。まるで目標を見失ったかのようです。昭和という右肩上がりの社会に生まれ、生きてきた私からすると、今の若者には物足らなさすら感じます。平成に生まれた我が家の息子たちもれいがいではなく、デフレの時代に生まれ、育ってきた彼らからは上昇志向というものは感じられず、彼ら自身、将来どんな大人になるのか目標を定めきれずにいるようです。

最近の子どもの「なりたい職業」のトップは「Youtuber」なのだそうです。うちの次男も小学校のころ、さかんに「Youtuberになりたい」と言っていました。「そんな不労所得に夢を見るなんて」と思ったものですが、私には現代っ子たる子供たちの胸の内を知る由もありません。彼らが支持するYoutuber達が作った動画のサブネイルを観ても、「東大理一と医学部 どちらがいいか」などというタイトルがついていて、「夢より現実」ってことなのでしょうか。これも今どきの社会情勢を反映したものといえるかもしれません。

本来、「東大理一と医学部」は「どちらがいいか」ではないはずです。東大の理一と医学部とを「将来、どんな仕事をしたいのか」「なにをしたいのか」という視点で観ていないことに違和感を感じるのは私だけでしょうか。そんな選び方をすれば将来必ず壁にぶち当たります。医学部に合格したとたんに目標を失い、気力をなくしたまま卒業していく人は決して少なくありません。それでも卒業できる人はまだいい方です。留年を繰り返し、国家試験をなんども受験することになればもはや無間地獄の苦しみしかありません。

生きるのが苦しいのは他人と自分を比べているから、という場合が多いようです。自分は他人からどう見られているのか。そんな「他者の価値観」に振り回されて人生を生きてみたところで、所詮「他者の価値観」なんて自分の中で作り上げた虚構にすぎない。「自分はなにをしたいのか」、もっといえば「自分はどう生きたいのか」という一番大切な問いかけを忘れて人生を無駄に過ごしてしまうことほど不幸なことはありません。他人がどうではなく、自分がどうあるべきかなのです。いつそれに気が付くか、です。

長男がまだスランプから抜け出せないでいるとき、自分が学校に行かないのは学校や先生たちのせいだと言っている息子を叱ったことがあります。「そんなに学校が嫌なら辞めなさい。高校は卒業させてもらうところ。学校や先生たちに悪態をつくのは学校を辞めてからにしなさい。学校や先生がいったいおまえに何をしたっていうんだ」と私は息子を叱りました。息子は納得いかないような表情で聞いていましたが、今はそのスランプから抜け出したかのように以前の彼に戻りました。結局、「自分はどうするか」なのです。

「なにをしたいのか」よりも「なにをすれば無難か」という生き方を選ぶ若者が増えているように思えるのもデフレ社会と無縁ではないと思います。将来に希望や期待よりも不安を感じる社会であれば、リスクを負わず、無難な生き方を選びたくなるのも無理はありません。確実性に乏しく、不透明な未来に希望を見いだせない若者を誰も批判できないのです。そう考えると、今の社会の在り方に暗い影を落としているデフレを克服することがなにより必要です。デフレの克服こそ日本の未来を明るいものにする第一歩なのです。

日本経済を立て直すことが喫緊の課題です。にもかかわらず、政治家のみならず多くの大人たちに景気を回復させようという気迫や真剣さが感じられないのはなぜでしょう。多くの大人たちはこう言うでしょう。「景気回復が重要なのはわかっている。にもかかわらずデフレ社会が続いているのは事の深刻さをあらわしている」と。「デフレが日本を覆っている深刻さ」なんてことは誰でもわかります。そんな愚痴が聴きたいのではない。回復させる具体策を聞きたいのです。

「覚悟はあるが策がない」と禅問答のような言いわけをする前に、なぜ消費税増税をしたのかわかるように説明してほしい。消費税増税が景気の足を引っ張ることはこれまでなんども経験してきたはずです。そのたびに回復し始めた日本経済の腰を折り、世の中をふたたびデフレに引き戻してきたではありませんか。大人たちは口々に言います。「日本の財政状況は厳しい。将来のために税収を確保しておかなければならない」と。しかし、これまでの消費税増税で税収はどれだけ増えましたか?日本の景気は回復しましたか?

消費税を増税して増える税収よりも、景気回復による税収の方がはるかに大きいことぐらい素人でもわかるはず。よく考えてみてください。この10月に消費税を増税し、景気の下振れを支えるためにどのくらいのお金が投入されましたか。軽減税率やポイント還元なんてまやかしにごまかされ、まんまと増税されたことから煙に巻かれたことに多くの人は気が付いていません。来年の今頃の日本はオリンピック後の反動で景気が悪化すると予想されています。すでに景気が減退基調に入ったことを示す指標すら出始めています。

日本をデフレから脱却させるため、「アベノミクス」と称する政策が進められてきました。ところが、もう少しでデフレを脱却できる、というときに二度も消費税を増税をする愚を繰り返すのはなぜなのか。本当にデフレを脱却させたかったのか疑いたくなるような信念のなさには理解に苦しむというよりは腹だたしいほど。「国際公約」の方が日本経済の回復よりも重要、とはなんと日本らしい律義さ(皮肉)。TVでは「消費税増税対策の節約術」などという番組を流してさらに景気を足を引っ張っているからあきれます。

もう一度いいますが、もっとも有効な少子化対策は景気回復です。日本の出生率を上昇させ、人口減少に歯止めをかけるためにも、一刻も早くデフレを脱却しなければなりません。生産人口を中心に人口そのものが減っているという危機的状況を外国人労働者を増やすことで解決しようとはあまりにも拙速すぎやしませんか。今の政治は間違っています。与党が、あるいは野党が国会で繰り返しているあの「ていたらく」。日本の将来に責任をもてる政治をちゃんとやってくれと言ってやりたい。パフォーマンスはもう結構。

国民も日本の将来をもっと真剣に考えるべきです。自分達の子どもや孫の未来のことをもっと自分のこととして考えるべきです。今、私たち大人がしなければならないことは節約をすることではなく、子どもたちや孫たちのためにももっと消費することです。将来のために消費税増税を認めるのではなく、消費税増税よりも景気回復を優先させる政策を求めるべきです。これまでがそうだったように、消費税の増税のせいで日本の経済あるいは財政は改善しないということにそろそろ気が付かなければなりません。

うっかりバブルを作ってしまった大人たち。日本経済をデフレに陥らせ、そのデフレを今だに克服できないでいる大人たち。その大人たちは若い人たちに償いをしなければなりません。それは彼らが引き継ぐ日本の未来を、少しでも明るいものに、素晴らしいものにするということではないでしょうか。大人たちの生活が豊かで、大人たちの老後に不安がなければそれでいいなんてことがあろうはずがありません。若者たちにどんな未来を残すのかについて、大人たちはもっともっと知恵をしぼらなければいけないのです。

私は「UVERworld」という日本のアーティストが好きです。すっかり昭和人間になってしまった私にとって、最近の歌はすっかりなじみの薄いものになってしまいました。がしかし、そんな私でも、このUVERrworldの歌は私の心に刺さってきます。それは彼らの歌の歌詞が素晴らしいからだと思います。今の若者の叫びというか、彼らのもがきのようなものが私を惹きつけるのでしょう。まるで私自身が若いころに感じていたことがそのまま歌詞となって歌われているかのように感じるためかもしれません。

今年最後のブログがなにかとりとめのないものになっていまいました。要するに私が言いたかったのは、日本の未来は若者たちにかかっているというよりも、今の大人たちが若者たちにどのような日本を残していくかにかかっている、ということです。私はこれからもその視点を忘れないで努力したいと思います。

来年が皆さんにとって今年以上に佳い年になりますように。そして、日本が、あるいは世界中の人が正義と希望と勇気に満ちた年になりますように。

 

**************** 以下、「I love the world」より

プラス、マイナスもとらえよう 進化をし、トライしよう
そう、ノイズ一蹴 「いつか」はもう今日だ

ずっとそこにあるのに見えずに気づかないバカになる前に
行こうぜ Get up ホントはそこにもここにもあるんだろ

(略)

さぁよく見ろ 大人を手本にすれば
そう 未来は暗いと保証されてる

でも不安なんて 唱えてないさ
僕らは今夜も叫んでいたい I love the world

(略)

その幸せは 誰かに勝つためじゃなくていい
僕らの笑う理由は 誰かを見返すためじゃなくていい

 

**************** 以下、「All alone」より

生まれの貧しさが 僕らの未来を決められなかったように
生まれの貧しさなんて 誰かと比べるものじゃないけど

自由や平等なんて言葉で これ以上導くのなら
答えてみろよ

(略)

自分自身の dislike 一番本当に悔しくて許せないことは
この特別な才能をもって産まれてこれなかったことなんかじゃない

この世界の どうでもいい 心ない言葉やただのフレーズに
押しつぶされそうになって すべてを一瞬で捨ててしまいそうになること
未来も この命も

※ この歌をすべて聴きたい方は こちらのPV をどうぞ

 

心に残る患者(6)

インフルエンザのシーズンがやってきたようです。インフルエンザは本来、タミフルなどの抗ウィルス薬などを使わなくても自然に治る感染症です。ですから、もしインフルエンザにかかっても、自宅で安静にしていればいいわけです。しかし、いかんせん普通の風邪とは違って、高熱や全身倦怠感、関節痛、頭痛などの症状をともないます。高熱によって体力が奪われると肺炎になるなど重症化しやすいという特徴もあります。だからこそワクチンでの予防が重要なのです。

高熱を必要以上に怖がり、解熱剤をつかってあわてて体温を下げる必要はありません。むやみに体温を下げてしまうと、重症化、とくに肺炎を合併したときのサインを見逃すことにもなります。インフルエンザ時の高熱はそう簡単には下がらないことが多いのですが、解熱剤で体温が下がってしまうと、患者も、また医者自身も予断をもってしまって重症化を見逃すなんてことにもなりかねません。とにかく、解熱をするのは「高熱のつらさを軽減するため」と思ってください。

私は家族が熱を出しても解熱剤はできるだけ使わないようにしています。熱を下げたところで早く治るわけではありませんから。むしろ、熱が出てはじめて体の免疫力にスイッチが入り、風邪が短期間で治るともいわれています。ですから、子ども達がまだ小さかったときも、つらそうな表情でもしないかぎり解熱剤を使わず、団扇などで軽く扇いで楽にしてやる程度にとどめていました。そちらの方が子ども達も気持ちがいいのか、すやすやと眠ていました。

そんな私には苦い思い出があります。まだ2歳にもならなかったころの次男の話しです。今回の「心に残る患者」はその彼です。次男はそれまで健康そのもので大病をすることもなく過ごしていました。あるとき高熱を出しました。生まれた直後からニコニコして愛想のいい次男でしたが、熱を出したこのときでさえも機嫌が悪くなることはありませんでした。高熱とはいえ、インフルエンザでもなさそうであり、また、咳をするなどの症状もなかったこともあって、私はしばらく様子を見ることにしました。

風邪であるにせよ、なんであるにせよ、熱が出たからといってなにか恐ろしいことがすぐに起こるわけではありません。痰のからむ咳をしながらの高熱でないかぎり、二日か三日は熱が続いてもどうってことはないのです。むしろ、解熱などしないで済むならそうした方がいいくらい。次男もまた熱以外に症状はなく、食欲もあって元気にしていましたから、家内には「暑そうにしているようなら涼しくしてあげて」と伝え、これといってとくに薬を飲ませたりせずに経過観察していました。

ところが、三日目が過ぎ、四日目になっても高熱が下がらないのです。相変わらず食欲はありましたが、いつもの笑顔も心なしか元気がないように見えました。このぐらいの子どもの高熱が続くときは川崎病や膠原病などの可能性を考えなければなりません。さすがの私も少し不安になってきました。そろそろ小児科に連れて行った方がいいと考えた私は、不安げな家内に「ここまで高熱が続くのは変だから小児科に連れて行った方がいいかも」と告げて出勤しました。

しばらくして家内からメイルがありました。「肺炎だった。松戸市立病院に入院になる」と。私は驚きました。肺炎などまるで疑っていなかったのです。高熱以外には症状に乏しく、食欲もあったし、笑顔も見られていましたから。とはいえ、小児の専門医療機関に紹介される肺炎ということは重症だということ。そんな重症な肺炎をこともあろうに内科医である私が見逃してしまうなんて。熱で上気した次男の顔が思い浮かんではなにかとても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

私のクリニックでの診療が終わり、幼稚園に通っていた長男を連れて松戸市立病院に向かいました。なにが起こっているのかを察しているのか、黙っていた長男も少し不安気な表情をしていました。病院の守衛さんに病室の場所を聞き、次男が入院している病室に入りました。次男は酸素テントの中ですやすやと眠っていました。小さな手には点滴のチューブがつながっています。そのチューブをひっぱらないように包帯でぐるぐる巻きにされた細い腕がとても痛々しく感じられました。

重症だということは病室の雰囲気でわかりましたが、どれだけ入院しなければならないのか分かりませんでした。しばらくは家内が付き添うことになりますが、私と長男のふたりきりの生活を思うと長男にも寂しい思いをさせてしまい申し訳ない気持ちがしていました。心の中では「ちゃんと診てあげていたらこんなことにならなかったのに」と次男に何度もわびていました。すやすやと眠っている次男が、自宅で高熱に耐えていたときよりも少しだけ穏やかな表情をしていることが救いでした。

家内の冷ややかな視線を感じながらこれまでの経過を教えてもらいました。それによると、私が出勤したあと家内は次男をかかりつけにしていた小児科に連れて行ったそうです。そして、そこの小児科医は息子の聴診をするなり、「これは大変だ。今すぐ専門の病院にいきなさい」とあわてたように家内に告げたそうです。そして、そのまま松戸市立病院の小児科へ。息子のレントゲン写真は両肺とも「真っ白だった」と。しかも体に取り込む酸素の量が低下していてそのまま入院になったのでした。

家内からそんな緊迫した経過を聴いているとき、次男の主治医が病室に入ってきました。「このたびはいろいろご迷惑をおかけします」と私が深々と頭をさげると、その小児科医は笑みを浮かべながら「お父さんは内科医なんですってね。内科のお医者さんであってもお子さんにはちゃんとステート(聴診器)を当てて下さいね」と。私はなぜあのとき息子に聴診器を当てなかったのかと後悔しました。咳をすることもなく高熱だけだったため「肺炎なし」との予断をもってしまったのです。

その小児科医は続けました。「小さい子どもの中には、お子さんのように咳を我慢してしまう子がいるんです」と。そういえば息子は咳こそしませんでしたが、しゃっくりのように「ヒクッ、ヒクッ」と時々しゃくり上げていたのを思い出しました。あれが咳を我慢している様子だったのです。私は改めて聴診をしなかったことを悔やみました。普段の診療であれば、必ず聴診器をあてていたのに。自分の子どもだったということにも油断してしまった原因でした。

内科での診療の際、聴診をする理由はさまざまです。不整脈や心雑音のフォローアップをするためであったり、それまでになかった不整脈や心雑音が出現していないかを確認するためであったり、肺炎や気管支喘息の可能性を疑うケースやさまざまな症状を裏付ける所見がないかを調べるためだったり。お薬を定期的にもらいに来院される患者に聴診をするのはそのためです。訴えもなく、なんでもなさそうに見えても、なんらかのあらたな所見が見つかるケースは決して少なくありません。

なのに高熱を出した自分の子どもには聴診すらしなかった。小児科の医師にそれを指摘されて、私は自分を恥じていました。自分の家族となるとどうしても緊張がなくなります。そして予断が入りやすくなる。それが見逃しや誤診の原因になることを思い知らされました。ついこの間も、予断をもたなかったために一命をとりとめることができた患者がいました。紹介した病院の主治医から「早めに対応していただいたおかげで大事に至らずに済みました」とお電話をいただいたばかりです。

プライマリ・ケア(初期医療)を担当する私たちが、日頃なにげなく診ている患者の中には重大な病気が隠れていて、その病気を見逃してしまうことが患者の命を左右すると場合があります。砂浜に落としたダイヤを探すような、そんな仕事が私たちプライマリ・ケア医の役割のひとつなのかもしれません。看護婦さんがちょっと血圧を測ってくれたから、あるいは患者が一言だけキーワードを告げてくれたから、あるいは医者のなんのことはない胸騒ぎがあったから救われる命があるのです。

その意味で、次男の肺炎を見逃した「事件」は私にとって重要な教訓になりました。その息子も今は中学生になりました。肺炎になって以降、大きな病気にもならずに成長し、今や私の身長を追い越そうとしています。酸素テントの中で点滴がつながれながらすやすやと寝息を立てながら寝ていた当時の息子を思い出すと今でも可哀そうで涙が出てきます。でも、あのときの経験があったからこそ、今も予断をもたずに診療しようとする意識が保てているのかもしれません。まだまだ修行が足りないと感じるときもありますが。

医学生の頃、病院実習の時に指導教官から「患者を自分の親だと思って診察しなさい」といわれました。当時はその意味を、「(自分の親だと思って)緊張せずに診察しなさい」といわれたのだと思っていました。しかし、その先生はきっと「自分の身内だと思って患者を大切にしなさい」ということを私たち学生に伝えたかったのでしょう。医者は、あるいは医療・診療は「毎日が勉強、日々が経験だ」ということを痛感します。ともすると日常にながされそうな自分を戒めながら。

そろそろインフル

これまでなんどもTVで「インフルエンザの流行がはじまりました」といってきたのに、またもや同じことをニュースでいっています。視聴者をあおることが彼らの商売なのでしょうが、もっと正確で冷静な報道をしてもらいたいもの。とはいえ、今度は本当のようです。我孫子、とくに当院のある船戸地区ではまだ流行のきざしはありませんが、保健所からの情報によれば松戸でにわかに流行が拡大しているとのこと。我孫子でもそろそろインフルエンザの患者が増えてくるかもしれません。そこで、インフルエンザの流行を前に、2018年2月に投稿した記事を再掲しておきますので参考にしてください。

***************************** 以下、2018年2月の記事

 

インフルエンザの勢いも落ち着きはじめ、患者の数もだいぶ少なくなってきました。とはいえ、これまでの流行では、B型が70%、A型が20%、残りがA・B混合型というようにB型が主流だったため、今後は従来のようなA型の流行があるかもしれませんので注意が必要です。この流行のしかたは例年にはありません。おそらくB型が比較軽症であったため、患者も医者も普通の風邪と考えて感染を広めたのかもしれません。

この流行の拡大と軽症例の多さが診療の現場が混乱する原因にもなりました。わずかばかりの風邪症状があり、体温も平熱にすぎない患者が「TVで『隠れインフル』っていうのがあるといっていたので検査をしてください」と受診してきたり、きわめて軽症のインフルエンザ患者までもが抗ウィルス薬を求めてきたりと、必ずしも適切な医療とはいえない診療をいつになく求められたのも今年の特徴だといえるでしょう。

インフルエンザ検査や抗ウィルス薬投与の適否については、論争の原因にしばしばなっています。検査や抗ウィルス薬を安易に(というと怒られるかもしれませんが)考えている人と、必要性に応じて検査や投薬を考慮すべきとする私のような人間とではまったく議論がかみあいません。こうした光景は当院の外来でもしばしば見られ、私の説明に不満げに帰っていく患者が少なからずいます。

こうした現状をふまえ、私が皆さんにいいたいことを、想定問答のような形でご説明したいと思います。もちろん考え方にはいろいろあって、私の言い分がすべて正しいと主張するつもりもありません。また、私の考えに賛同できない方たちの価値観を全否定するつもりもありません。ですが、私の言いたいことを通じて、皆さんにもこの問題を考えていただければ幸いです。

   【私の基本的スタンス】

○検査や投薬は「実施すべきケース」「実施してもいいケース」および「実施すべきではないケー
 ス」で考える必要がある

○医療に関しては「医学的に正しいかどうか」という観点とともに「医療費の支出として適切かど
 うか」という観点も考慮すべき

○インフルエンザが流行する前に多くの国民はワクチンを接種し、「インフルエンザに感染しにく
 い環境を作る」とともに、「かかっても軽症ですみ、抗ウィルス薬を必要としない状況を作るこ
 と」が重要である

○インフルエンザはすべてがおそろしい結果をもたらすわけではなく、「重症例をはやく見つけて
 対処すること」が重要であり、「軽症例は安静を基本として、適宜、症状を薬で緩和すること」
   と認識すべき

○インフルエンザの流行シーズンに入った場合は、「急に高熱となったケース」や「高熱にはなっ
 ていなくても、強い関節痛や悪寒、頭痛をともなう発熱のケース」は検査の有無をとわずインフ
 ルエンザとして学校や仕事を休み、自宅安静あるいは経過観察とするべき

これらのことをこれから具体的な想定問答として記述してみたいと思います。こうしたやりとりは当院の診察室でも同じようになることがあります。そして、その結末は残念ながらいつもunhappyです。ただし、ここでの想定問答では症状もなく「念のために検査」といって来院したケースを想定しています。また、当院ですべてのインフルエンザ検査・抗ウィルス薬の投与をお断りしているわけではありません。

念のために申し上げておきますが、インフルエンザの検査や抗ウィルス薬を希望される方は私に伝えてください。適宜、それぞれの患者の状況に応じて検査・投薬の適否を考え、「検査が必要な場合」はもちろん、「検査をしてもいい場合」であれば検査も投薬もご希望に応じておこなっていますので。

 

*****************以下、想定問答

患者:TVで「『隠れインフル』っていうのがある」といっていたので検査してください。

医師:でも、あなたは今、平熱ですよ。検査、必要ないと思いますけど。

患者:うちの夫が先日「B型インフル」って診断されたので感染していないかと思って。

医師:まだ検査してもでてきてない可能性が高いですよ。

患者:夫は熱が出てなくてもインフルエンザだったんです。

医師:それでなぜ検査をしたのかわかりませんが、なにかお辛い症状でもあったんですか?

患者:ちょっと頭痛が。でも今は元気ですけど。

医師:ですよね。ご主人は軽症だったんですよね。

患者:インフルエンザの薬をもらいましたからすぐによくなったんです。

医師:えっ?熱がなくて軽症だったのにインフルエンザの薬をもらったんですか?

患者:はい。だって早くよくなりたかったんで。出かけなきゃいけない用事もあったし。

医師:もしかして、薬飲んですぐに外出されたんですか?

患者:はい。薬を飲んだ翌日には平熱になって元気になったから。

医師:インフルエンザのときは解熱してもしばらくは人に移す可能性があるので外出はだめですよ。

患者:それじゃインフルエンザの薬を使う意味がないじゃないですか。

医師:インフルエンザの薬を飲む目的は「熱が出ている期間を1日程度短縮するため」なんです。

患者:よくなってるじゃないですか。

医師:そうです。改善はします。高熱の期間は短縮しますから。でも、しばらくは人にうつすんです。

患者:うちの夫は熱がなかった場合でもうつすんですか。

医師:だから「必要だったんでしょうか?」と申し上げたんです。自宅でしばらく安静にして・・・

患者:でも、普段のように元気でしたよ。

医師:いや、自宅安静の目的はご本人の療養という意味と他人に移さないという意味があるんです。

患者:うちの孫もインフルになったけど、すぐに熱がさがって元気になったので学校へ行ったけど。

医師:それが学校でインフルエンザを広めてしまう原因のひとつなんです。

患者:うちの嫁も働いているし、孫もゲームばっかりやってるから。

医師:ご家庭によって事情はあるでしょうが、やはり感染を広めないという意味では・・・。

患者:じゃあ、私の検査もインフルエンザを広げないために早めにやった方がいいんじゃない?

医師:いや、この検査は「インフルであることを確認する検査」なんです。

患者:「確認検査」?

医師:そう。陽性であれば「インフルです」って言えますが、陰性でも「違います」とは言えない。

患者:それじゃあ意味ないじゃない。

医師:意味はあります。インフルエンザだと確認はできますから。

患者:なら、今検査してもいいじゃないですか?

医師:確認だからこそ、怪しげなときにやるべきなのです。今のあなたは違います。

患者:とりあえず今やっておくっていうのはダメですか?もしかしてってこともあるし。

医師:今回が陰性でも、明日に陽性になるかもしれないし、あさってかもしれません。

患者:そのときにまたやればいいんじゃない。

医師:そんなことをしていたら医療費がもたないし、そもそも保険組合がそれを認めないのです。

患者:早期発見、早期治療は必要ないってこと?

医師:風邪やインフルエンザに関していえば「重症化を防ぐこと」が重要なのです。

患者:早期に治療すれば重症化だって防げるじゃないですか。

医師:それはそうですが、風邪やインフルエンザは本来なにもしなくても治る病気です。

患者:治療はいらないってこと?

医師:本来はそうです。でも、なかには重症化するケースがあり、その場合は早期発見。早期治療。

患者:なら、なんでインフルエンザの薬があるんですか。

医師:このまま放置していたら重症化しそうな人や高熱で辛そうな人のための薬として考えてください。

患者:検査もそうですか?

医師:明らかにインフルエンザと思われる人は検査をしなくてもいいってことになっています。

患者:検査しないで「インフルエンザ」って診断してもいいってこと?

医師:だって検査が「陰性」だからといって「インフルじゃない」って言えないんですから。

患者:それなら検査はまったく不要ってわけ?

医師:いえ、たとえば肺炎を思わせる患者が来たとき、肺炎治療を優先させるか、インフル治療を併用する
   かの判断にはとても重要です。そこまでいわないにせよ、怪しげなケースでれば検査はします。

患者:私、職場の方からも「検査をやってこい」っていわれるんですよ。

医師:インフルエンザが疑われるケースであっても検査が陰性なら仕事にいってもいいのですか?インフル
   エンザかもしれないと思ったら仕事はやはり休むべきでしょう。検査なんて補助的なものですし。

患者:でも、「A型?B型?」って聞かれるし。

医師:型なんてわかっても対応はかわりません。インフルエンザなんだし。ワクチンを打ってなければ重症
なることだってあるし。

患者:いずれにしても、今の私には検査はやってもらえないってことでしょうか。

医師:必要性はないですよ。あなたのようなケース全員に検査をやっていたら医療費が大変ですから。

患者:患者の命よりも医療費の方が重要ってことですね。

医師:いえ、そういう意味じゃありません。誤解しないでください。

患者:でも、そう聞こえますよ。

医師:つまり、この検査をしないからといって今のあなたに大きな不利益はないが、あなたと同じケース全
   員にこの検査をやった場合の医療費の無駄は計り知れないってことです。

患者:・・・・。

医師:もちろん、今後、あなたになんらかの症状が出てきてインフルエンザであることを確認する必要がで
   てきたらちゃんと検査します。うちも検査すればそれだけもうかります。検査をするのが嫌で言って
   いるのではないのです。決して安い検査ではなく、あなたも無駄をお金を出さないで済むし。

患者:自分の財布から出すので心配いただかなくても結構ですよ。

医師:あなたの財布からも三割は支払われますが、残りの七割は医療費から支払われるんです。

患者:わかりました。別のクリニックでやってもらいますからもう結構です。

 

ほら、やっぱりunhappyだったでしょ。でも、実際はこうはいきません。インフルエンザ検査や抗ウィルス薬を希望される方についてはそのご希望を尊重しながらも、本当に必要かどうかに関して疑問に思う場合はその必要性は説明した上で「どうしても」という場合は検査もしますし、投薬もします。ただし、「してもいいケース」に関してです。「すべきではないケース」に関しては当然のことですがお断りしていますので悪しからず。医療と医療費のバランスって難しいですよね。

でも、誰かが言ってました。「そんな固いこといってないで、言われるがままに検査をし、抗ウィルス薬を処方していれば患者は満足するし、医療機関や薬局、製薬会社ももうかる。すべてがハッピーじゃないか」って。私が「でも医療費が・・・」と言いかけると、「それも結局は国民の負担になるんだしいいんじゃないの」とも。しかし、それで医療保険制度が崩壊してしまったら元も子もないって考えないのでしょうか。でも、きっと彼は言うでしょうね。「そんなこといち医療機関のひとりの医者が心配することじゃない。それは偉い政治家が考えること」ってね。う~ん、あたまの固い自分には実に悩ましいことです。

 

 

がんばれ、新人君

先日、今上天皇陛下の祝賀御列の儀がありました。即位礼正殿の儀のときとはうってかわっての晴天で本当によかったと思います。それにしても即位礼正殿の儀の日は朝から大雨。せっかくのおめでたい日だというのにお気の毒に、と思いましたが、式典が始まるころには厚い雲から薄日が差しはじめ、雨がやむと青空となり、場所によっては虹までが見られるようになったのには驚きました。

それにしても、あの即位礼正殿の儀が行われた日の天候の変化は、以前の記事(「令和に思う」)にも書いたような「草薙剣」のいわれを地で行くようなものだったともいえます。つまり、厚い雨雲から出でる水神でもあるヤマタノオロチ。スサノオノミコトはこのオロチを退治するためにオロチに酒を飲ませて切りつけますが、彼が手にしていた十挙剣はオロチの尾の草薙剣にあたって刃こぼれをおこします。

死闘の末にスサノオはオロチを撃ち取り、その体を切り刻むとオロチの尾からは草薙剣がでてきました。すると、空一面をおおっていた厚い雲は切れ、一条の太陽の光が暗かった大地を照らし、ふたたび静かで平和な世の中が戻って来た、というものです。どうでしょう。あの即位礼正殿の儀の日の天候の劇的な変化に、なにか神がかり的なものを感じませんか。皇室の行事ではこうした奇跡がこれまでなんどもありました。

天皇陛下のお仕事は「日本の五穀豊穣と安寧、および国民の幸福と安全を祈ること」です。即位礼正殿の儀で今上陛下が宣明された「国民の幸せと、世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら国民の象徴としての務めをはたす」という誓いは、古来から営々と天皇が繰り返してこられたものです。それは14日からとりおこなわれる大嘗祭が、天皇の役割を天照大神から今上陛下が引き継ぐ祭祀であることからもわかります。

 

***** 以下、「令和に思う」からの引用

草薙剣(くさなぎのつるぎ)のことをご存知でしょうか。草薙剣はヤマタノオロチを退治したときにその尾から出てきたと伝えられる剣です。この剣を御霊代として祀っているのが熱田神社です。これまでなんどか盗まれそうになりながら、いつも不思議と無事に戻ってきました。しかし、壇ノ浦の戦いのとき、入水された安徳天皇と共に海に落ちて回収できなくなりました。そこでのちになって魂を入れなおして新たな草薙剣としたものが今三種の神器のひとつとして伝えられました。

草薙剣は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とも呼ばれています。ヤマタノオロチは雲から出でる怪獣であり、オロチ(大蛇)のいるところに雲がわくといわれています。ですから、今回、式典で草薙剣が供えられたとき、天気が悪い(雲が出現する)のは理にかなっているというわけです。つまりは吉辰良日の兆候ということ。そういえば、昭和天皇から明仁天皇に皇位が継承されたときも雨が降っていました。こうしたことに神話の世界と今をつなぐ不思議な因果を感じ取ることができます。

***** 以上

 

日本は西暦とは異なる元号を用いており、その時代時代を象徴するイメージを容易にもつことができます。元号など無用の長物だという人もいます。しかし、一連の皇室行事を通じて感じるのは、日本古来から伝わる文化を残すことで日本人としての意識をあらためて確認できるということです。そうすることにより、世界にも類を見ない日本の伝統や文化を維持・発展できるのではないかと思います。

史上はじめて日本の古典である万葉集から採用された「令和」という元号。いったいどのような時代になるのでしょうか。日本をとりまく国際情勢、あるいは国内でのさまざまな軋轢や摩擦は、ともすると日本の誇るべき「仁・義・礼・智・信」の精神をそこなうきっかけにもなりそうで心配です。令和という元号の文字の意味にもあるように「清々しく調和のとれた時代」となればいいのですが。

そんな「令和」の時代に社会人となった人たちが、来院する製薬会社のMRさんにも、あるいは患者さんにもたくさんいます。そうした人たちにはいつも「社会人になって半年。そろそろ疲れていないかな?」と声をかけてみます。社会に出て間もないころは、まだ右も左もわからずにただ仕事をこなすのが精いっぱい。戸惑いながらも無我夢中で働いてきたであろう彼らの中にもなにかの変化が起こっています。

がむしゃらの半年がすぎ、ある程度冷静に周囲を見渡せるようになると、心にも余裕がでてくる反面、会社や仕事の嫌なところが見えてきます。必死だった仕事にも、あるいはそりの合わない先輩や上司にも多少疲れてきて、そろそろ「この仕事(会社)を辞めたい」と思い始める人がでて来る頃です。現に私もそうでしたから。「このままでいいのだろうか」というあせりが襲ってくるのです。

社会人となって半年を経た人たちに私は「そろそろ会社をやめたくなったんじゃない?」と尋ねてみます。すると、「そんなことはありません」ときっぱり答える人よりも、肯定したそうな表情で苦笑いする人の方が圧倒的に多いことに気が付きます。しかし、私はそうした人たちにこういいます。「だからといってすぐに会社を辞めちゃだめだよ」と。これは気休めで言っているのではありません。

その会社(仕事)を辞めたって、他の会社に移ったって、別の仕事に就いたって、結局は同じような状況にぶつかるからです。私は彼らにこう付け加えることも忘れません。「ひとつの場所で頑張れない人間は、よそに行っても頑張れないんだからね」と。他の会社に行けば、あるいは別の仕事をすれば、不満や嫌気から解放されて、自分にふさわしい理想的ななにかに巡り会えるなんてことは稀有なのですから。

最近は「頑張らない」ことが当たり前のようになってきました。「頑張らなくていい」という言葉が人の優しさを表現しているかようです。しかし、そうではありません。「頑張らなくていい」のは心の病気の人。頑張れないからこそ病気になった人がそもそも頑張れるはずがないのですから。頑張るべき人にも「頑張らなくてもいい」と声をかける人がいますがそれは違うと思います。

私は会社(仕事)を辞めたいと思っている新人君たちに、「すぐに辞めちゃだめだよ。辞めることはいつでもできる。そのときまで頑張れるだけ頑張るんだ。そうした頑張りが次の仕事にもつながるんだから。頑張って、頑張って、頑張って、ボロボロになったときに躊躇することなく辞めればいい。私の若いころとは違って、今は転職することのハードルは決して高くないんだからね」と言います。

私たちの時代は、同じ会社に退職まで勤めあげることが当たり前で、途中で他の会社や仕事に移る人はまるで負け犬か何かのように思われました。しかし、今は違います。多くの人にとって働くことは「自分のスキルアップのため」であり、自分のスキルにあわせて転職をすることを後ろめたいと思う必要はなくなりました。途中退社、中途採用であること自体が不利な条件ではなくなったのです。

今は食べていくだけならどんな仕事にもありつけます。より好みさえしなければ仕事は必ず見つかるのです。だからでしょうか、すぐに会社(仕事)を辞めてしまう人が少なくありません。しかし、問題は「働くことの意味」なのです。働くことの必要条件を「食べていけること」とすれば、給料が高いこと、楽しかったり、働き甲斐を感じることなどは十分条件。その必要十分条件をそろえるためには努力が必要です。

理想的な仕事などなかなか見つかるものじゃありません。だから私はあえて言いたいのです。「そんなに簡単に仕事を辞めちゃダメだよ」と。若いころの私は「気に入らない仕事を我慢してやることになんの意味があるのか」と考えていました。医学部の再受験をするため、他の友人たちが皆就職する中、ひとりだけ塾の講師をしながら受験勉強をしていた私ならではの強がりだったのかもしれません。

当時の思いがそのままセリフとなったドラマがありました。そのドラマはNHKで放映された「シャツの店」です。家庭や家族を省みず、仕事一筋に生きてきたシャツ職人にその妻と息子が反旗を翻すというもの。そのドラマの中で、家出をした息子と父親とのやり取りがとても印象的でした。大学卒業をまじかにした息子は会社に勤めず世界を放浪するといいます。それを聞いた職人の父が説教をするシーンです。

 

********** 以下、ドラマのワンシーン

(待ち合わせた川べりの喫茶店。父と息子が向き合って座っている)

父親:働かないでどうやって食べていく?

息子:働かないなんていってません。

決まった会社には入らないと言ったんです。

父親:それで?

息子:金をためて、しばらく世界を歩いてみようって。

特別変わったことじゃないです。

いい会社入った先輩で、1,2年で辞めてそういうことする人一杯いるし。

父親:そんなぐうたらな仲間に入ってどうするっ。

息子:勤めてりゃ満足?

ネクタイ締めて、とりあえずひとつんとこ勤めてりゃいいんですか?

父親:まぁ、そうだ。

息子:むちゃくちゃじゃないっ。

父親:若い時はなぁ、ひとつの仕事を我慢しても続けてみるもんだ。

息子:どうして?

父親:自分がどんな人間かわかってくる。

息子:わかってるつもりだけどな・・・。

父親:わかってるもんかっ。

人間ってものはな、嫌でたまらない仕事を我慢して続けたりして、だんだんに自分が

わかってくる。

我慢しているうちに、だんだん自分がしたいことがわかってくる。

だいたい仕事なんてものは、すぐに辞めては本当のところなどわかるものじゃない。

どんな仕事だって奥行きが深いもんだ。

息子:そりゃ父さん、自分の仕事で考えているんだよ。

だいたいの仕事は奥行きなんてないさ。

ひと月も勤めればわかる。

父親:生意気なことを言うなっ!

息子:むしろ褒めてもらいたいけどな。

人の目を気にしていい会社を狙うより、ずっと健康的なんじゃない?

父親:ふわふわ世界を歩いてなにがわかる?

息子:そんなの会社に勤めたって同じじゃない。

せいぜい人当たりがよくなって、処世術を覚えるくらいで。

父親:高をくくるなっ!

息子:だったら俺の計画にも高をくくるなよっ!

*********** 以上

 

この息子を演じたのは私と同じ年齢の佐藤浩市でした。ドラマのなかの彼も大学を卒業後、塾の講師をして資金をため、世界放浪の旅を計画していると言い出します。このドラマを見ていた当時の私は、この息子に自分自身を重ねていたように思います。私の父もまたこの鶴田浩二が演じる父親と似ていて頑固一徹でしたから、なおさらこのシーンに共感できたのではないでしょうか。

そして今、このドラマの父親と同じ世代となった私は、息子の気持ちというよりも父親の気持ちに共感するようになりました。だからこそ若い人たちに「すぐに辞めちゃだめだよ。どこにいっても同じ壁にぶちあたるんだから。別の会社に行っても、結局は『どこの会社も同じだ』って気が付くんだから」と言いたくなるのです。これは私の半生を振り返っての感想でもあります。

要するに私が若い人たちに言いたいことは、「会社(仕事)を辞めることは悪いことじゃない。いつ辞めてもいい。でも、だからこそ、それまでは今の自分がぶち当たっている壁に立ち向かって、その壁を乗り越える努力をしてごらん。そして、どうしても乗り越えられないことがわかったら、そのときにこそすっぱり辞めればいいんだから」ということ。壁を乗り越えようとする努力は必ずあとで役に立つのです。

誰かに相談することもできず、ひとり悶々と悩み、そして試行錯誤しながらもがいていたあの頃に戻ってみたいと思うときがあります。今度はうまく切り抜けられそうに思えるからです。しかし、現実にはあの頃に戻れるはずがありません。であるなら、自分の経験を伝えることで若い人たちが困難を乗り越えるお手伝いができるかもしれない。それが私たちの世代の役割なのではないかと思っています。

最後にこれからの人たちに贈る応援歌を二曲。これは私が北大の医療問題研究会というサークルで活動していたとき、追い出しコンパ(卒業生を送り出す会)で、先輩たちへの応援歌としてよくかけられていた歌です。ひとつは岡村孝子の「夢をあきらめないで」で、もうひとつは松山千春の「大空と大地の中で」。名曲はいつ聞いても勇気を与えてくれます。若い人達にも是非このエネルギーを感じとってほしいものです。

※ UVERworldの「I LOVE THE WORLD」も若い人たちへの応援歌歌詞がすばらしい)

                  がんばれ!

 

ある医学生の日常

この記事は平成29年12月に投稿されたものですが、スパムメイルが集中してきたため同じ内容のものを投稿し直します。以下、その記事です。

 

早いものであと20日もすると平成29年が終わります。年があければいよいよ受験シーズンも本番です。このシーズンになるといつも思い出すのが医師国家試験の勉強をしていた医学部6年生のときのこと。このころのプレッシャーと言ったらそれまでの高校・大学の入学試験の受験勉強の比ではないくらい。なにせ医学部を卒業しても国家試験に合格しなければその6年間がまったく意味がなくなるのですから。「猿は木から落ちても猿だが、医学生は国試(医師国家試験)に落ちたらただの人以下」といわれるゆえんです。

以前のブログでも書きましたが、私たちが医学生のころは2年間の教養学部での時代を経て医学部での4年間の専門教育を受けていました。そして、一年半の基礎医学の講義と実習を終えて4年生の後半から臨床医学の講義がはじまるとやがて内科や外科、小児科や産婦人科とった臨床医学の実習へと移行していきます。6年生になるとほとんどが実習となって、秋にはすべての講義・実習が終わって卒業試験。その試験が終わればあとは国家試験に向けて各自の自習期間に突入します。

私は他の同級生に比べて国家試験の勉強が遅れていましたから、自室の机の上に山積みになった問題集や医学書、そして、勉強ノートがプレッシャーを否応なしに高めていました。授業で配られたプリントや卒業試験の過去問など、ついこの間までやっていた卒業試験の勉強の痕跡を残したまま、今度はすべての基礎医学・臨床医学の領域を問う膨大な試験範囲の国家試験の勉強です。人によってはグループを作って勉強会形式で勉強する人もいましたが私はすっかりマイペースでした。

そうした受験勉強本番を迎えるまで、私は比較的のんびりした毎日を過ごしていました。それは大学での授業といえば、そのほとんどの時間が実習に充てられていたからです。もちろん実習をまじめに出ていればそれなりに忙しいのですが、「さぼれる」ことをいいことに大学をさぼって銭湯に行ったり、自室でごろごろして本(しかも医学書ではない)を読んで過ごしていた私は実に不真面目な医学生生活を満喫していたのでした。まじめな(?)学生は実習に出なくても少なくとも国試の勉強をしていました、が。

ただし、言いわけを許していただければ、「実習」とはいってもあまり「勉強にならない」ものが多かったのも事実です。科によっては、学生教育担当の先生自身が「みんな来たの?まじめなんだね」などと言うところもあって、そんなところでの実習は当然のことながら勉強にならないことが多く、「自分で勉強した方がいいや」とおのずと足が遠のいてしまっていました。もちろん「自分で勉強した方がいい」と思いながらも実際には「自分で勉強」などしないんですけど(言いわけしてもやっぱり不真面目でした)。

実習は4,5人のグループ単位で各科をまわるのですが、すでに実習にまわったグループからいろいろな情報がまわってきます。「あの科はさぼってもぜんぜん大丈夫」「さぼるとやばい。必ず早めに集合」などと、行きかう情報に下々の学生は左右されていました。もちろん、優秀な学生やまじめな学生はそんな情報とはまったく無縁です。私の学生グループには「6年間の成績で優でなかった科目が数個」という才媛の女学生がいました。もちろん彼女はすべての実習にも全力投球でさぼるなんて発想はありませんでした。

彼女は臨床講義での板書をしっかりノートにとり、自宅で完璧なノートを作ってくるという驚異的かつ模範的な学生でした。そのノートは医学書にも勝るとも劣らない完ぺきなもの。眼科の実習のときなどは、教育担当の先生がそのノートをのぞき込んで「そのコピーくれない?」と頼み込んだほどです。?そのノートをもちこんでの実習はさぞかし勉強になっただろうと思いますが、「さぼれる実習はさぼる」というスタンスの下々の学生にはとって実習はほとんど無味乾燥に思えるのでした。

実習では、その診療科での基本的な診察の手技を学ぶとともに、代表的疾患で入院している患者を担当し、医師として必要な態度と知識を身に付けていくのです。実習の最後にレポートをまとめて提出。講評をもらって次の科にまわるということを繰り返します。あるときその同じグループの才媛女子学生が返却されたレポートを読み返して落ち込んでいました。「どうして私ってこうもだめなんだろ」と愚痴をこぼしているのです。才媛が自分のレポートを見てため息をついているのを私は遠めに見ていました。

てっきり私は「レポートの出来でも悪かったのかな」と思っていたのですが、実は彼女が落胆していたのは「満点じゃなかった」ということに落胆していたのです。私などは合格していればいいやぐらいにしか思っていなかったので、凡人には理解できない秀才の悔しさってものがあるんだとそのとき思いました。当然のことながら私には慰めようもないのですが、彼女のような秀才たちのすごいところは失敗や不出来にくじけず、かえってそれをバネにさらに努力するというところ。さすがです。

そんな私でも実習にインスパイヤされたときもありました。それは消化器外科の実習のとき。私達学生はまだ医師免許をもっていませんから医療行為はできません。でも、外科の実習の時は術衣を着て、手術帽をかぶり、マスクと手袋をつけて手術に立ち会います。手術は高度な清潔を保たなければならないため、手洗いの方法も、また、術衣の着方、手袋の付け方にも手順が決められています。医学生とはいえ、それまで手術室にすら入ったことがないので、すべてが新鮮で刺激的な経験でした。

手術がはじまると先生は腹部を消毒。メスを握った助教授が皮膚や臓器を手際よくさばいて病巣に到達します。術衣は思ったよりも厚く、また重いものです。おまけに帽子をかぶって手袋とマスクをつけての手術は暑くて苦しくて想像以上に重労働でした。手術の操作が一段落すると、助教授が私に「これをもってて」と術創を広げるための拘(こう)というものを渡しました。これなら学生が担当しても患者の不利益にはならなりません。私は緊張しながらその拘持ちの手伝いをしました。

先生は「ちょっと拘を緩めて。はい、ひっぱって」と私に指示を出します。私はその指示の出るタイミングをはかりながら先を読んで拘を操作しました。手術が無事終わると助教授が私にいいました。「君はセンスがいいね。とてもやりやすかったよ」と。私はなんだかとてもうれしくなって、外科系の実習には積極的に出席するようになっていました。今思うと、その先生はとても教育熱心な先生でしたから、学生のモチベーションを高めるのが上手だったんだと思います。ダメ学生にはなによりうれしい言葉でだったのでした。

内科の実習ではこういうこともありました。とある内科疾患の患者を担当して、その患者の病気のことを詳細に調べ、患者に詳細な問診をして身体所見をとらせてもらいました。そして、実際の検査所見をカルテから抜き出して今後の治療方針を考えて、それらをレポートにまとめました。その内容を教授に報告して講評を受けたとき、私が何気なく使った「再燃」という言葉を教授をとてもほめてくれました。「現在の患者の病態を表現するのに『再燃』という言葉はぴったりだね」と。教育はほめること、ですね。

教育担当の講師の先生に「君は問診のとり方が上手」と言われたこともありました。「眼底鏡の使い方がうまい」といわたり、ほめられるたびに眼科に行こうか、内科に進もうか、それとも外科にしようかと迷っていました。実習を通じて自分の適性や興味を確認することもこの時期の重要な要素なのです。もちろん学生のときに描いていたものとのギャップに気が付くときもあります。学生によっては臨床医には自分は向いていないことに気が付く者も、医学部に来てしまったこと自体に後悔する者もいます。

実習でどんなことに気が付くにせよ、目の前に突き付けられた「国家試験」には合格しなければなりません。最近の医学生は医学部を卒業しても医師という職業を選ばない人もいます。少しづつ増えているのは医学部を出てマスコミに就職する学生です。彼らは医学部での専門的知識を素人にもわかりやすく解説する科学専門職の記者として働きます。それでも医師国家試験の合格は必須です。それは医学部を卒業しただけでは医学士として認められないということでもあります。

さぼれる実習はさぼっていた怠惰な医学生だった私も、さすがに「国師浪人」になることはとても恐ろしいことでした。何年も浪人して結局大学に入れなかった受験生とは異質な恐怖心を医学生はもちます。平均合格率が90%前後と言うことも恐怖心をさらに大きくします。合格率90%ということは「合格間違いなし」という安心感ではなく、「みんなが合格する中自分だけ落ちたらどうしよう」という恐怖感があたまの中をいつもよぎるのです。この恐ろしさは当事者でないとわからないかもしれませんけど。

このときの気持ちは今もときどき夢となってよみがえってきます。臨床講堂で授業を聴いている夢の中の私は周囲の同級生が国試の勉強を順調にこなす中なにも準備ができていません。膨大な試験範囲を前に、「どうしよう。もうすぐ国試なのになにもやってない。このままじゃ合格はおぼつかない。来年、下の学年の連中といっしょにまた受験するなんて」と暗澹たる気持ちになるのです。そんな焦る気持ちで目が覚めることがときどきあります。現実世界でなにか心配事があると、いつもそういった夢を見ます。

今考えると、医学生はものすごい量の勉強をしています。私もそれを乗り越えてきたわけですが、もう一度それをやれるかといえばきっとできないと思います。だいいちにもう一度やりたくもありません。日進月歩の現代にあって、今の医学生はそれ以上に大変かもしれません。昔の牧歌的な医学生の生活なんて今はまるで夢みたいでしょうし。そんな牧歌的な生活だからこそ今の私は懐かしく振り返られるのかもしれません。もともと怠惰な私。五十路もなかばとなり、ふたたび牧歌的な生活をおくりたいと思う今日この頃です。