WBCの優勝に思う

2023年のWBC(World Baseball Classic)は日本の優勝で幕を閉じました。予選のときからドキドキに耐えることができなかった私は、日本の選手達の奮闘ぶりをリアルタイムで見ることができませんでした。翌日、日本が勝ったことを確認してから、YouTubeで試合のダイジェスト版を見るのが精一杯。毎試合、毎試合、そんな具合でしたが、さすがの私もメキシコ戦での奇跡的な逆転劇と、まるで劇画を見ているかのような大谷対トラウトの一騎打ちには興奮しました。今回のWBCはこれまでで一番印象深い大会だったと思います。

プロとアマチュアの差は大きいかも知れませんが、プロ選手間の能力の差はわずかです。とくにWBCに出場するほどの超一流の選手ともなればその能力にはほとんど違いはありません。あとは「運の差」だけだといっても過言ではないでしょう。とはいえ、「運も実力のうち」です。大谷選手といった超一流といわれるプレイヤーのパフォーマンスは、自分の能力を極限にまで高めようとする強い意志と不断の努力があってはじめて「運」さえをも呼び込むことができるんだということを教えています。

初の日系人メジャーリーガーとして選ばれたラーズ・テーラー=タツジ・ヌートバー選手の母親は日本人。彼が9歳のとき、ヌートバー家は日米親善試合のためにアメリカに遠征してきた高校野球の日本人選手をホームステイさせました。それをきっかけに少年ヌートバーは「日本の代表選手として野球で活躍したい」という夢を抱いたといいます。そして、その夢を夢として終わらせることなく、リトルリーグから高校、大学、そして、大リーグへと努力を続けた結果が彼の長年の夢であった日本代表選出につながりました。

それにしても大谷選手は、いち選手としてだけではなく、日本チームのまとめ役として欠くことのできなかった存在でした。日系人のメジャーリーガーであるヌートバー選手を招集することも、当初は賛否両論だったといいます。しかし、大谷選手がヌートバーと他の選手達の間に介在することによってチームの結束を高めることにつながったようです。大谷選手が幼い頃から選手としても、また人間的にも秀でた野球少年だったことは周知の事実ですが、それは彼の努力に裏打ちされたものだということも忘れてはいけません。

野球はチームプレイのスポーツです。しかし、投げるだけ、打つだけの成績を残そうとすれば、個人の能力を高めることでそれなりの数字を残すことができます。チームとして負けようが、投手としての、あるいはバッターとしての成績で満足することは可能なのです。今回のWBCが今までになく面白く、充実した大会だったと感じるのは、いずれの試合でも日本チームが一丸となって戦い、最後の最後まであきらめずにプレイし、すべての選手が自分にあたえられた仕事をしっかりこなす姿が垣間見られたからです。

そうしたことを選手達自身も感じていたようです。岡本選手は記者会見で「野球はこんなに楽しいんだと思った」と感想を述べています。この言葉に会場にいる人たちから笑いが沸き起こりましたが、彼は心底そう思っているんだろうと思います。小さい頃から際立った選手だった彼も、その道のりのかなりの部分が「人から強いられたもの」だったのかもしれません。ときには体罰があったかもしれませんし、「なぜ自分は野球をしているのか」という疑問を感じながらプレイしていたときもあったかもしれません。

岡本選手の「楽しかった」という感想は、チームとしての一体感を感じながら、「優勝」という目標に向かって努力することの楽しさをはじめて知ったという意味なのでしょう。人に指示されてではなく、また、人に強制されてでもなく、自分がなにをしなければいけないのかを主体的に考える野球ができたということを彼の言葉は物語っています。チームプレイのスポーツの醍醐味はそこにあります。近年のアメリカのメジャーリーグが面白くないのは、チーム野球というよりも選手個人の野球が目立ってしまったからでしょうか。

今回のWBCの対メキシコ戦を観終えたとき、私は2015年のラグビーW杯「日本VS南アフリカ戦」を思い出しました。試合終了まであと少しとなったとき、日本はペナルティーゴールで点をとれば強豪南アフリカと引き分けにできるチャンスを得ました。しかし、日本チームはそのままスクラムを組むことを選択します。スクラムから逆転ゴールという可能性に賭けてのことでした。南アフリカに勝つことは容易なことではありません。しかし、引き分けよりも勝利に賭けた日本は、その後奇跡的な逆転劇を演じることになりました。

W杯16連敗であり、ランキング13位の日本がランキング3位の南アフリカを相手にスクラムを選択し、土壇場で逆転できたのは、おそらくチームとしての完成度を選手達自身が感じていたからだと思います。ラグビーではよく「one for all, all for one(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」という言葉が使われます。まさにこの言葉通りのチームであり試合だったからこそ、あの奇跡的な逆転勝利につながったのでしょう。W杯での勝利のために積み重ねてきた努力が呼び寄せたワンシーンだったのでしょう。

大谷はファイターズに在籍していた時、不甲斐ない選手を前にこう鼓舞したといいます。「遊びたい。飲みたい。いろいろやりたい。そんなので優勝できるわけがない。勝ちたいなら野球をやるしかないんです」と。個人としてあれだけの成績をおさめてもなお、チームとしての勝ちにこだわる大谷翔平選手。彼は今回のWBCでときに感情をあらわにしていました。これまでにはなかったことだといいます。でも、私には、大谷選手が、他の日本選手を鼓舞するためのパフォーマンスを意識的にしていたように見えました。

同じく今回の優勝に貢献した近藤選手はかつて、自分のチームの監督に就任した新庄監督の「優勝なんか目指しません」という言葉に反発しました。「勝った方が楽しい。勝つことによって自分のレベルがあがるんだ」と反論します。その後のファイターズは、新庄監督がいった通りになりました。彼は「(今のチームは)連勝もすれば連敗もするという典型的に弱いチーム。そもそもチームが勝とうとしていないのだから」とコメントしています。そして、彼はその後、ソフトバンクに移籍してしまいました。

私がまだ熱心に野球を観ていた子どもの頃、巨人のような常勝チームがある一方で、大洋やヤクルト、ロッテといった負けてばかりのチームがありました。巨人のように資金力のあるところは、力のある選手を集めることが容易でした。おそらく、チーム内は勝つのがあたりまえの明るい雰囲気に満ちていたことでしょう。しかし、「負け癖」のついていたチームでは、「勝つんだ」「負けないぞ」という執念のようなものが欠けていて、選手自身がモチベーションを高め、それを維持することはさぞ難しかったに違いありません。

モチベーションの低い環境の中で努力することの困難さは想像を超えます。今ではドラフト制度が改革され、お金にものをいわせて有力選手をかき集めることが難しくなっています。そして、それはチームの力を均等化することに貢献し、常に勝ち続け、ダントツの1位で優勝するチームも以前ほどはいなくなってきました。また、かつては負け続けて「弱小」と呼ばれていたチームの選手たちのモチベーションを高めることにもなっているはず。「頑張れば勝てるかもしれない」という思いが原動力になっているからです。

最近は「頑張らなくていい」という耳障りのいい言葉をよく耳にします。「なぜ一番でなければいけないのか」とか、「根性とかいう言葉が嫌い」とか言う人もいます。もちろん、それでもいいのです。事実、頑張らなくてもいいし、一番でなくても、根性をもっていなくてもいいのですから。しかし、「悪しき平等主義」は一番になることや、一流になろうとすることをも否定します。それはまるで頑張っている人さえ否定しているかのようです。平等主義とは平等を強いることではなく、違いをリスペクトすることのはずです。

機会の平等主義というのもあります。チャンスはすべての人に等しく与えられるべきだという考え方です。とはいえ、チャンスは平等でも、結果が同じとはかぎりません。能力のある人は、その能力に応じた結果を得ていいはずです。その一方で、能力の違いを努力でカバーすることには限界があります。でも、その格差は決して不平等ではありません。ましてや差別などではありません。今回のWBCの試合を観たり、出場選手たちの思いに耳を傾けてみると、目標に向かって頑張ることの尊さ、あるいはお互いの違いをリスペクトすることのすばらしさを改めて感じます。そして、自分の夢や理想を体現している一流の人たちから、私たちもなにかを学ぶことができるような気がします。