回答にかえて

今回のブログは今までになく長くなってしまいました。読みづらいかもしれませんが、まとめて書きましたのでご了承ください。

先日、このブログへの感想とともにご質問が寄せられました。そのなかで、今の新型コロナの感染状況についてどう感じているのかを教えてほしいとのご要望がありました。これまで何回かにわたり、その時点でわかっていること、あるいは自分なりの見解を発表してきました。しかし、その時正しかったことが今は否定されたり、また、その後、明らかになったこともあります。その辺のこともふくめて、あらためてまとめます。
ただ、あらかじめ申し上げておきますが、ここには私の個人的な見解が含まれています(これまでの記事すべてがそうですが)。私の「好き、嫌い」「すべき、すべきじゃない」に関しては、価値観の違いから、あるいは立場の違い(医療従事者と患者という意味)から、読者のみさなんには不快な思いをさせてしまうかもしれません。でも、当ブログは私の意見表明の場でもあり、あたりさわりのないことを書いても意味がないと考えています。

これまで繰り返してきたように、「新型コロナ感染は風邪をひくことと同じではありません。しかし、軽症であればそれがたとえ新型コロナウィルス感染症だったとしてもほとんど風邪」です。新型コロナはインフルエンザよりも少し怖い程度だという人もいます。そんなことをいうと「認識が甘い」といわれるかもしれません。「放射能の危険性に対する認識が甘い」と書かれたメモ用紙をポストに投げ入れられたときのように。
しかし考えてみて下さい。「ワクチンを打ちましょう」と繰り返しても、「めんどくさい」とか「これまでかかったことがない」という理由でワクチンを打たなかった人は少なくありません。そのインフルエンザで毎年3000人の人が日本で亡くなっています。今回の新型コロナによって亡くなった人は約1年で4000人ほど。新型コロナではまだワクチンを接種した人がいなくてこの数字です。これって多いといえるのでしょうか。

超過死亡という用語をご存知でしょうか。「例年、このくらいの人が亡くなっている」という数字が統計的に推定できます。その推定される値を越える死亡者数を「超過死亡」といいます。ここでの死因はさまざまです。肺炎だったり、癌だったり、交通事故だったり、自殺だったり。つまり、超過死亡が増えたということは、何らかの原因によって社会的損失としての死者が多くなったということを意味します。
連日、マスコミの報道によって、皆さんは「新型コロナウィルスが猛威をふるい、バタバタと人が死んで、社会がとんでもなく混乱している」と思っているのではないでしょうか。しかし、海外の国々の超過死亡が増える中、日本の超過死亡はむしろ減っているのです。理由はさまざまです。新型コロナのおかげで日本人の衛生意識が高まり、重症感染症そのものが減ったのか。それとも極端な自粛によって交通事故死が減ったのか。

世の中をかけめぐる情報のうち、かなりの割合で枝葉末節なことが針小棒大に報道されています。場合によっては根拠のない情報を伝えるフェイクニュースや、恣意的に世論を誘導するような偏向ニュースが飛び交っていることすらあります。多くの人は「PCR検査陽性者(=感染者?)の数の多さ」に一喜一憂します。しかし、この中には軽症者やまったく症状のない人が含まれています。本来は重症者がどのくらい増えているかに注目すべきです。
新型コロナの感染拡大のおかげ(?)でか、実は社会的損失としての死亡者はむしろ減っています。これは衛生意識が高い日本ならではことかもしれません。そのような中で、新型コロナによる「死者数(コロナ死)」を考える際には注意が必要です。コロナ死の定義が市町村によって異なるからです。今は容易に(安易に?)PCR検査がおこなわれます。自殺した場合も、癌で亡くなったとしても死後にPCR検査で陽性とでれば「コロナ死」となるのです。

検査はなんのためにするのでしょうか。私はこのブログで何度も「検査はあくまでも怪しい人にやるもの」とご説明してきました。しかし、とある一本の論文が海外の科学雑誌に掲載されました。「検査をたくさん実施すれば感染拡大の抑制に寄与する」というものです。この論文を根拠に「ほらみろ。検査はやればやるほどいいんだ」と勢いづく人もいます。しかし、国民性や医療制度の異なる国での研究成果を単純に日本にあてはめることはできません。
こうした私と同じ意見をもつ医師は少なくないと思います。しかし、中には「検査をもっとやれば感染拡大をおさえられる。もっと検査をやるべきだ」と考える医師もいます。でも、そうした医師の多くは、自分のクリニックで大々的に検査をやっていたり、そうしたクリニックとの関連性があります。利益相反ってやつでしょうか。いずれにせよ、「検査陽性は入院が原則」の日本で検査をむやみに増やせば医療は崩壊します。

現在のPCR検査の感度はかなり高くなり、疑陽性はほぼないといわれています。しかし、陽性となったとしても、ウィルスのかけらが検出されたにすぎない人や、発症したり他の人にうつす可能性が低いほどの少量のウィルスを保有していたにすぎない人もいます。そんな軽症な人であっても、今、日本で新型コロナウィルスはエボラウィルスと同じ感染症法の二類のままになっており、検査が陽性になった時点で入院させるのが原則になっています。
多くの人は「検査しないよりしたほうがいい、入院しないよりはした方がいい」と考えるかもしれません。しかし、そうではありません。なぜなら、検査しに行った場所で、あるいはコロナ病棟に入院したことによってあらたに感染してしまうリスクがあるからです。検査をする人は完全装備です。でも、検査を受けたり、入院した患者はほとんど無防備です。本当に感染したかどうかもわからない無症状あるいは軽微な患者が行くべき場所ではありません。

だからといって「検査をしない方がいい」ということではありません。そうではなくて、だからこそ「怪しい人が検査を受けるべき」なのです。検査は本来「念のため」に実施するものではありません。「否定するため」のものでもありません(そうしたことを目的に検査する場合もあります)。熱もない風邪症状の社員に会社が「検査を受けてこい」と命じるケースがあります。会社側こそもっと検査を受けるリスクに関する正しい知識をもってほしいものです。
つい最近の東京都で、PCR検査した人のうちで陽性になった人は約15%に達しました。しかし、これの数字もどのくらい対象者をしぼったかによって違ってきます。感染拡大の様子をこの陽性率で判断することは困難です。感染拡大の様子は重症者の数で把握するべきです(死亡者数は「コロナ死」の定義がはっきりしていないため比較をするには不適切です)。ただし、感染の拡大に遅れること2週間ほどで重症者数に反映されます。

連日報じられる新型コロナウィルスの感染拡大。いつになったらこんな状況から抜け出せるのか不安になります。しかし、感染者をゼロにすることは当分できません。検査陽性者は多くなったり少なくなったりといった状況がしばらくは続くでしょう。感染の封じ込めを政府は狙っているようですが、強力な自粛によって経済に大きな犠牲を強いてまでやることではありません。むしろ、医療を崩壊させないためにはどうするかに主眼におくべきです。
もちろん、医療を崩壊させないためにも感染拡大の阻止(抑制)は必要です。だからといって、日本医師会が繰り返し強調してきたように、一にも二にも自粛というバカのひとつ覚えでもいけません。一般国民にはこれまで通り感染を防ぐためのできうる工夫を継続していただきながら、新型コロナウィルスワクチンの接種が開始されたらすみやかに受けていただくことです。このワクチンを必要以上に恐れて接種しないでいる理由はありません。

新型コロナウィルスのワクチンについては怖くなるような情報がもう出回っています。今後、幅広くワクチンが接種されるようになると、マスコミもおそらくネガティブ・キャンペーンを張ってくるでしょう。どのワイドショーでも、「接種するのは危険だ」といわんばかりの事例を繰り返し紹介してきます。しかし、今から新型コロナウィルスワクチンに関する正しい知識をもち、ワクチン接種の是非をできるだけ冷静に判断できるようにしておくべきです。
従来のワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがありました。前者は弱毒化した「生」のウィルスをからだの中に注入して抗体を作り感染を予防するものです。しかし、感染予防の効果は高いものの、副作用もそれなりに出現します。一方の不活化ワクチンは、ウィルスのいち部をからだに注射し、抗体を作って重症化するのを防ぐのです。感染予防効果は弱いのですが安全性が生ワクチンよりも比較的高いとされています。

新型コロナウィルスのワクチンは、従来のワクチンとはかなり異なります。遺伝子操作で作られた最新型のワクチンです。mRNAワクチンやDNAワクチン、ウィルスベクターワクチンなどの種類がありますが、いずれもウィルスの遺伝子を利用して抗体を作るワクチンです。ここではmRNAワクチンについて簡単に説明します。なお、mRNAは「メッセンジャーRNA」と読みます。RNAはDNAと同様、からだを複製する際の情報が書かれた遺伝子です。
新型コロナウィルスはRNAウィルスに分類されます。つまり、自分の複製をつくるときRNAという遺伝子を使うウィルスです。このRNAがどのような配列になっているかはすでに昨年の2月に明らかになりました。そして、このウィルスが細胞に接触するのに必要なスパイクと呼ばれる部位を作る配列も解読されました。そのRNA配列をmRNAとして合成し、からだに注射するのがが新型コロナウィルスのワクチンです。

このmRNAを筋肉に注射すると、その配列は筋肉の細胞の中にあるリボソームという器官で読み取られます。そして、ウィルスのスパイクという部位のタンパクが合成され、そのタンパクを異物として認識したからだが抗体を作るのです。そうすると、ウィルスが体内に侵入しても、そのスパイクがワクチン接種で作られた抗体によって破壊され、細胞にとりつくことができなくなり感染予防ができる、というわけです。
従来にはないワクチンではありますが、感染予防効果は生ワクチンに近い(ファイザー社製で95%以上)と報告されています。不活化ワクチンと同様に重症予防の効果も期待できます。さらに、ウィルスそのもの、ないしはその一部を外来タンパクとして注射する従来のワクチンと異なり、mRNAを注射してからだの細胞内であらたにタンパクを作らせるため、重篤なアレルギー反応は100万人に22人と比較的低い数字です。

命に関わるような副反応は極めて少ないとはいえ、デメリットもあります。従来のワクチンは皮下注射(皮膚と筋肉の間に注入)でよかったのですが、mRNAワクチンは筋肉の細胞でスパイクタンパクを作らせるため筋肉に注射しなければなりません。つまり、従来のワクチンにくらべて注射時の痛みが強くなります。しかも、注射後の筋肉痛や針を刺した部分の圧痛や倦怠感も従来のワクチンよりも比較的強いとされています。
また、mRNAは壊れやすいため極めて低い低温で保管しなければなりません。そして、凍結した状態から解凍したら、6時間ほどで使用しなければなりません。よく「遺伝子を使ったmRNAワクチンで遺伝的な悪影響が出る」というデマがながれていますが、mRNAは体内では数分で代謝されてしまうので心配ありません。以上のように、その取扱いの難しさから、その辺のクリニックで気軽に接種を受けられるものではないのです。

さて、そうはいっても、感染したらどうしたらいいのでしょうか。入院するか、宿泊施設で経過をみるのか、それとも自宅内隔離で様子を見るのか。一般の人にそれを判断するのは難しいかもしれません。でも、明確な自覚症状のない熱発だけであれば、家庭内隔離をしながら自宅で様子を見ていてもいいでしょう。ただし、強い倦怠感や咽頭痛、味覚やにおいを感じない、あるいは呼吸苦や胸痛を感じるといった症状をともなう熱発は要注意です。
当院では問い合わせのあった患者を四つのタイプに分類しています。
 #0:熱はない風邪症状のみ
 #1:熱はあるが新型コロナの感染患者ではない可能性が高い
 #10:熱があり新型コロナの感染患者の可能性を疑う
 #100:新型コロナの感染患者の可能性が高い

#100に分類される患者は診察はせず、適宜投薬をしながらPCR検査を手配します。緊急性がある場合は保健所に直接相談します。#10の患者の場合も原則的に診察はせず投薬のみで経過を見ますが、毎日電話をかけて症状が改善傾向にあるかを確認・記録し、重症化していないかを見逃さないようにしています。#1の患者は来院患者の少ない時間帯に診療するか、投薬のみにし、#0の患者は通常の診療にて対応するようにしています。
自宅内で経過を診る場合は、家族内に感染が拡大していないか注意する必要があります。通常の風邪であればそう簡単に感染しません。しかし、熱発患者の経過観察中に同じような症状が他の家族に出るようなら新型コロナウィルスに感染してしまった可能性を考えるべきです。重症を思わせるような症状がなければ、あわてずにかかりつけの医師に電話で相談しましょう。夜間などに重症を思わせる症状がでたら「119番」に相談してください。

それにしても「感染拡大」で世の中が騒然としているのに、行政の対応は「自粛、自粛」を繰り返すばかりで後手後手になっている印象があります。日本医師会もなんの有効策をとれないでいます。「とれない」のか、「とらない」のか、私にはわかりませんが、今の日本医師会はあまりにも無力に見えます。日本医師会の狼狽ぶりはなさけないばかりです。「GoTo やめろ」「自粛しろ」の一点張りだったのですから。
今、喫緊の課題は「医療崩壊」ではなく、重症者などを病院が収容できなくなる「病院崩壊」をいかに回避するかです。緊迫している病院にくらべて、開業医が置かれている状況は、その機能が崩壊するほどの危機的な状況にはありません。開業医が楽をしていると言っているのではありません。熱発はもちろん、風邪症状の患者の診療にはそれなりの危険性があります。そうした中、限られた医療資源の中で「頑張っている医療機関」は少なくないのです。

新型コロナウィルスに感染する危険性をもかえりみず、超人的な診療をしている開業医も少なからずいると思います。しかし、そうした診療が必ずしもいいとは思いません。開業医が安易に感染してしまえば、そのしわ寄せは他の個人開業に、あるいは病院の外来に波及するからです。機能という意味でも、マンパワーという観点からも、開業医が病院なみの診療をすることは不可能です。感染するリスクを軽減しながらどの程度の診療をするかです。
私たち開業医が今しなければならないのは、病院や保健所の負担を少しでも軽減することだと思います。病院にとって代わることなどできませんし、そんな大それたことをやろうとすべきではありません。せいぜい前述したような当院での診療をするのが精いっぱいでしょう。今はただ、個人の開業医それぞれが「できる範囲で、すべきことをやる」という姿勢をもたなければなりません。とはいえ、国や行政を巻き込めばやれることはまだあります。

前述したように、新型コロナウィルスは感染症法の2類相当に分類されています。つまりエボラウィルスのように致死率の高い恐ろしいウィルスと同じあつかいになっているのです。ですから、新型コロナウィルスに感染したと診断された時点で患者は「原則入院」となります。多くの人も「新型コロナになったら入院するもの」と思っているかもしれません。ですから、もし仮に軽症であっても「入院させろ」という圧力は決して弱くないと思います。
しかし、ひっ迫した入院病床数の今の状況を考慮すれば、新型コロナウィルスをインフルエンザと同じ5類にすることが急務です。これまでに得られた経験と知識から、新型コロナウィルスの危険性があのエボラウィルスと同じではないことは明白です。2類から5類への指定変更によって、病院は「原則入院」という呪縛から解放され、重症度の応じて患者を「入院加療」「宿泊施設」「自宅隔離」に柔軟に割り振ることができるのです。

最近、マスコミは「自宅内で家族から感染」や「自宅療養中に死亡」、あるいは「入院を拒否された」といったケースを報道しています。そして、感情論にながされたワイドショーがそれをとりあげては騒いでいます。命に軽重はありません。しかし、優先順位はあるのです。イタリアの例を見るまでもなく、限られた医療資源のなかで人の命を救わなければならないとき、命に優先順位をつけなければなりません。それは差別ではありません。
日本人はこうした議論を避ける傾向があります。情緒論にながされがちだからです。今の政府・専門家たちの間ですらなかなか議論されていません。ですから、医療がさらにひっ迫して、「命に優先順位をつける」という厳しい状況に直面したとき、行政の定めた目安がない現場は混乱するでしょう。そんなことがわかっているはずなのに、政治責任から逃げている人たちの議論はきわめて低調です。かくしてそれが医療現場をさらに疲弊させます。

現場の医師、看護師、そして病院のすべての職員が、今どんな思いで仕事をしているかを考えると申し訳ない気持ちがします。彼らを支えるべき大きな力があまり機能していないからです。個々の力ではこの状況をかえることはできません。国なり、自治体なり、医師会といった権力をもった人たちがもっと知恵をしぼって動かなければならないのです。そうでもないかぎり、病院がおかれた厳しい状況を改善することはできません。
とくに日本医師会の動きに私は不満です。ご存知のとおり、日本医師会の会員の多くは開業医です。私もそのひとりです。もちろん病院の勤務医の会員もいます。会員の職種や身分にかかわらず、医師を束ねる組織として「やれること」をやっているとはとても思えないのです。医師会の幹部たちが会見でフリップをもちながら「医療崩壊」の危機を叫んでいます。しかし、医師会が「やるべきこと」はそんなことではないはずです。

医師会はなぜ「新型コロナを2類から5類に変更せよ」と主張しないのでしょう。その一方で、「自宅で経過観察している無症状あるいは軽症の患者のフォローアップは開業医が担当する」と提言しないのはなぜでしょう。つい最近、東京都がいくつかの病院を新型コロナ専門病院として運用すると発表しました。これは私がすでに提言していたことですが、本来であればもっと早い段階で医師会が提言しなければならないことです。
政府の対応にも苛立ちます。疲弊した看護師が次々と病院を離職している現状に、看護大学院生や看護学部・看護学校の教員を現場に動員する案が検討されたと聞きます。しかし、まずやらなければならないのは、経験豊富な看護師たちが離職しない環境を整えることのはず。まるで大東亜戦争(太平洋戦争)のとき、経験豊富なパイロットを特攻作戦でどんどん消費し、経験の浅いパイロットを即席で養成して戦ったのと同じではないでしょうか。

昨年以上の自粛をすることは社会的に不可能です。期待しても無駄です。そもそも自粛の効果にエビデンスはないとも聞きます。業種によってはこれ以上の自粛は社会的死を意味します。そんな素人でもわかることにしがみつき、「自粛、自粛」と叫ぶだけの政府と日本医師会には「やるべきことをやってくれ。思いつかないならパブリックコメントを募集してくれ。それすらできないならやれる人に代わってくれ」と言いたいくらいです。
病院も保健所も昨年の春からずっと大変な思いをしています。その機能を守る前提は、国民が気を緩めず、できることを淡々と励行することです。と同時に「重症化したときに確実に治療を受けることができる体制」を維持しなければなりません。そのために政府や自治体、そして日本医師会は知恵をしぼるべきです。私自身も病院機能を守るために今できることを試行錯誤しながら実行していきたいと思っています。