新型コロナ、真の現状

TVではあいかわらず「今日も東京で何百人以上の新型コロナ感染者」と報道しています。あんなニュースを連日聞かされれば、気持ちが塞ぎ込んだり、不安感にさいなまれる人が出てくるはずです。新型コロナウィルスが流行して半年。これまで経験したことのない新型ウィルスということもあり、過剰とも思われる自粛がおこなわれて、日本の社会活動がすっかり停滞してしまいました。それは非常事態宣言が解除された今も続き、街の商店や観光に関連した産業が悲鳴をあげています。

私はこれまで、新型コロナウィルスに関してできるだけ客観的な立場で見解を表明してきました。錯綜する情報の中で、現実的でかつ正確だと思われることを選んで投稿したつもりです。お気楽にものを言っているつもりはありませんし、人々をむやみに安心させる気休めを並べたてているわけでもありません。新型コロナのことを心配する外来の患者さんにも冷静にお話ししています。しかし、外来で新型コロナの現状を長々と説明することができません。今回のブログではそのあたりのことを詳しく書きます。

陽性者の数だけを見ると、この3月や4月のように感染が急速に広がっているように見えます。それは重症者も、あるいは亡くなる人も増え続けているかのようです。毎日、毎日、「これまでで最大の感染者数」などと報道されればそう思いたくなるのも無理はありません。しかし、現実はそうではありません。マスコミの報道の仕方は決して現実を正しく伝えるものではなく、ただ人々の不安をあおる情報のみを伝えていると感じるほど偏っています。では、現在の本当の感染状況とはどのようなものなのでしょうか。

感染拡大が深刻な状況にあるときと、感染がゼロではないがそれほど大きな問題になっていないときとですべきことは異なります。それを判断するために、この4月の状況と今とを比較して、なにが異なっていて、なにが変わらないのかを整理してみる必要があります。感染が深刻なときに楽観的な対応をするのは愚かなことです。逆に、感染の問題がそれほど深刻でもないのに、経済が死んでしまうような自粛を敢えて選択するのも馬鹿げています。感染で死ぬ人よりも失業して自殺する人の数が圧倒的に多いからです。

5月11日、それまでPCR検査を実施する目安のひとつであった「37.5℃以上の体温が4日以上続く」という条件がなくなりました。また、現在、全国の病院あるいは検査機関が政府からの補助金を受けて次々と最新型の検査機器を導入しています。その結果、新型コロナウィルスのPCR検査数を容易に受けられるようになり、その数はかつてないほど増加。今もなお増え続けています。いわゆる「これまでで最大の陽性者数」が日々更新されるのは、こうした背景があるからです。

今の最新型のPCR検査機器はものすごい「優れもの」です。3月ごろに使用されていた検査機器は検体に30~40個のウィルスが存在していれば「陽性」と判定していました。それに対して、現在の最新型ではたった5個のウィルスがあれば「陽性」となるといわれています。つまり、精度がかなり向上しているのです。3月の時点では「陰性」と判定されていた人の多くも、今の最新型の機械を使えば「陽性」となっているわけで、陽性者数の増加にはこうした背景も影響しています。

以前のブログで私は、「現在の検査には偽陰性(感染しているのに異常なしと判定される人)の問題が無視できない」と書きました。しかし、少量のウィルス保有者をも陽性にしてしまう最新型の検査機器によって、かつて私が抱いていたそうした懸念は杞憂と化したかのように思えます。ところが実際には、感度が良すぎることで今度は違った問題が生じています。つまり、感染症として発症するわけでも、また他者に移すわけでもない単なる「ウィルス保有者」までをむやみに陽性者とカウントしてしまうのです。

「ウィルスが鼻腔に数百個以上なければ他人に感染しない」といわれています。精度が良すぎる検査をおこなうと、本来であれば自然に治ってしまう軽微な感染者までひろい上げ、結果として無駄に病院やホテルに収容することになってしまうのです。 そもそも、発症もしていない、あるいは単なる風邪のような軽微なウィルス保持者を病院やホテルに収容することは医療資源を無駄に使うことになります。医療資源は「肺炎などの重症化を防ぐ、あるいは治療する」というところに集中させるべきです。

今、新型コロナの感染拡大を防ぐため、できるだけ多くの感染者を見つけようとしています。 しかし、海外の例を見てもわかるとおり、たくさんの検査をし、陽性者をとじこめてもウィルスは容易に消滅しません。 しかも「感染者」と称される陽性者の多くは無症状あるいは軽微な症状しかない人で占められ、重症者にいたってはほとんどゼロです。 検査はあくまでも「新型コロナウィルスによる肺炎が疑わしい人の確定診断」であるべきなのです。

今の新型コロナウィルスの勢いは、この3月や4月のときとは明らかに違います。イタリアの第一線で診療する医師の「どう猛な虎が、猫になってしまった」という言葉がそれをうまく表現しています。そして、そうした状況の違いは数字を通してみるとよりはっきりしてきます。以前にもご紹介した池田正行先生のホームページからの引用してみましょう。これは感染が拡大し、医療崩壊が懸念されていたころと最近の重症者あるいは入院を要する人たちの数の推移をあらわしたものです。 この表から4月と7月の様子がずいぶん異なることがわかります。

【表:重症者ならびに要入院者数】

              4月7日    5月7日    7月19日

  重症者数/陽性者数    2.3%     1.8%     0.2%

  要入院者数/陽性者数   80%      70%      16%

4月のときの検査数が少なく抑えられていたため、陽性者が少なめになって「重症者数/陽性者数」が高めになったのでしょうか。それとも感度の高い7月の検査数が多くなったため、陽性者の数が増えてしまったから「重症者/陽性者数」が低くなっているのでしょうか。でも、東洋経済のホームページにまとめられているグラフをみればわかるように、7月の重症者はほとんど微増するにとどまり、死亡者数にいたってはほんの数名増えているにすぎません。

これは病院で治療にあたっている医療従事者のおかげです。あのときの病院の混乱ぶりを考えると、医療従事者の皆さんの苦労はいかばかりだったろうと思います。そのときの奮闘のかいもあり、この間の治療方法やケアのノウハウも蓄積されて患者の予後が改善したことは想像に難くありません。もちろんその苦労・奮闘は今もなお続いています。「行列のできる店」の行列の長さが短くなっただけで、店内の混雑ぶりは今も以前となんら変わりはないのです

その一方で、新型コロナウィルスが、まさに「虎が猫になった」と表現されるような変化をとげ弱毒化しているという解釈も可能です。しかし、「猫になった」とはいえ、「飼い猫のように大人しい猫」になったのではなく、「うっかり手を出すと引っかかれたり、かみつかれたりする野良猫」程度の話しです。あちらから飛びかかってくるほど恐ろしい野良猫ではないとはいえ、慎重に、かつ、冷静に対処をすることが大切です。

これまでお話ししてきた現在の新型コロナウィルスの状況をまとめると次のようになります。

(1)「感染が拡大している」ではなく「ウィルス保有者を鋭敏に拾い上げている」と解釈すべき
(2)「ウィルスを保有している」は必ずしも「発症して感染を広げる」ということではない
(3)感染の状況は「陽性者数」で判断せず、「重症者数」と「死亡者数」で判断すべき
(4)現在の「検査陽性者」のほとんどは無症状あるいは風邪症状程度

これらの状況から我々がすべきことは次のように要約できます(私の個人的見解です)。

 ○熱発があっても、咳や胸痛、息苦しさといった症状がなければ自宅内隔離のうえ経過観察
   → 咳のみであれば経過観察でいい(抗生物質の服用を開始してもいい)
   → 咳、胸痛、息苦しさがあるなら、その時点でPCR検査を考慮

 ○熱発が始まって4日目に解熱傾向がなければかかりつけ医に電話で相談
   → ひきつづき他の症状がなければ経過観察も可(抗生物質の服用を開始してもいい)
   → 途中で咳のみ出現したなら抗生物質の服用を開始
   → 胸痛や息苦しさ、味覚異常などが出現したら、その時点でPCR検査を考慮

 ○熱発後3日以内に解熱傾向となったり、終始熱発がなければ風邪として経過観察

症状が軽いとき、あるいは熱以外に症状がないときはあわててPCR検査をする必要はありません。発症しない、あるいは他に感染を広げることのない軽症者までをひろい上げ、社会をむやみに混乱させ場合によっては医療機関などのベットを無駄に占有してしまうからです。あくまでも「新型コロナに感染したかどうか」よりも「肺炎になりそうか、なってしまったか」の方が重要です。もともとコロナウィルスは風邪のウィルスです。年間3000人以上が死んでいるインフルエンザよりも恐ろしいはずがありません。

マスコミは放射能のときのように、人心を揺さぶり、不安をあおるような報道を繰り返しています。そうした報道に振り回され、今の状況を「第二波がやってきた。ふたたび自粛だ、非常事態宣言だ」と騒ぐのは愚かなことです。ときどき「癌になったらどうしよう」と不安になっている患者がいます。私はそんなとき、「癌でもないのに心配してもはじまらない。不安になるのは癌になってからにしましょう」とお話しします。まさに「感染状況が深刻になりそうになったら心配すべき」なのです。

ある研究者がTV局からの出演依頼を受け、「むやみに検査を広げるのは有害無益」と自分の主張を伝えたところTV局は出演依頼を取り下げてきたといいます。マスコミなんてそんなものです。真実がどうかなんて興味がないのです。ただひたすらに人々の注目をひくセンセーショナルな情報を垂れ流すのみ。であるなら、国民ひとりひとりが賢くなって、できるだけ正しい情報を、できるだけ冷静に判断するしかありません。ひとりでも多くの国民が正しい情報にもとづき、自分のあたまで考えなければならないことを、今回の新型コロナウィルスは教えていると思います。

当たるも八卦(はっけ)

この記事は2016年8月21日にアップした原稿を修正・加筆してものです。医師会雑誌への投稿依頼があったのを機に、送られてくるスパムメイルが多かったこの原稿を書き直ししました。細かい部分は一部変更されていますが、大筋ではこれまで通りです。ご了承ください。

人は青年期にいろいろな悩みに直面するものです。そのときの不幸を嘆いたり、うまくいかないことにため息をついたり、そこはかとない不安を感じたりと内容はさまざまです。還暦を迎える私も、青年期には自分の進むべき道に迷っていた時期がありました。もともと悩みを相談できる友達もいませんでしたし、家族に相談したこともありません。ですから、青年期の不安や孤独を感じても、自分の中で出口を探しながらもがくことしかできませんでした。

青年期の悩みを解決する手がかりを求めていろいろな本を読みました。それは亀井勝一郎の人生論だったり、加藤諦三の心理学の本だったり、あるいは当時NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が書いた「男は20代でなにをなすべきか」だったり。手当たり次第に読んでいました。もともと好きだった山本周五郎や井上靖、石川達三や司馬遼太郎の小説なども、心の琴線に触れる場所を探しながら読み返していました。きっと私なりに試行錯誤していたのだと思います。

そんなとき母親に「よく当たる手相占いをする人がいるから行ってみないか」と誘われました。それまで自分の悩みを親に打ち明けたことはなく、ひょっとして母は私の悩む姿を見かけて心配してくれたのかもしれません。それにしてもはじめは「手相かよ」と思いました。占いなどは抽象的なことを言って当たったように思わせる詐欺みたいなもの、といった印象を持っていたからです。しかし、溺れる者はわらをもつかみたくなるものです。私はその占い師の家に行ってみることにしました。

事前に手相を見てもらっていた母親は「とても当たるんだよ」と興奮気味です。でも、母が前のめりになればなるほど私は懐疑的な気分になりました。東急東横線の「学芸大学駅」で降り、住宅街を歩いていくと、まるでドラマに出てくるような木造モルタルの古いアパートに到着しました。そして、さび付いた外階段を二階へあがったところにその部屋がありました。にこやかに出迎えてくれた占い師は白髪に白いひげをたくわえた老人で、当時すでに80歳を超えているように見えました。

室内は小奇麗に片付いており、六畳ほどの古い部屋の四隅の柱には小さな神棚が祀ってありました。奥さんとおぼしき女性が、私たちが持参した菓子折りの礼を言いながら菓子を神棚にそなえました。母親がいうには、その占い師は商売で見ているのではなく、あくまでも趣味で占っているとのことでした。とはいえ、老人のその風貌といい、住んでいる部屋の雰囲気といい、小机の上の占い道具といい、占い師としては趣味の域を超えているように思えました。

「まずここに生年月日と名前を書いてごらん」。私は老人に言われるままに生年月日と名前を書きました。すると彼は、私が書いた文字を虫眼鏡でのぞきながら、広告チラシの裏紙に計算式を書き込んでは古びた表紙の本をなんども開いてなにかを書きとめていました。私はそんな老人の様子を見ながら「インチキ占い師じゃなさそうだ」と思い始めていました。しばらくして彼は「そろそろ手相を見せてもらおうか」と言いました。私は恐る恐る手を差し出しました。

老人は私の左右の手のひらを何度も見くらべながら、手のひらのしわを伸ばしたり、虫眼鏡をのぞき込んだりしていました。そして、ときどき私の顔を見てはまた手のひらを見るという動作を繰り返しました。まるで儀式のような作業をひととおり終えると、にこやかに私の方を向いて「なにについてお話しすればいいかな?」と自信ありげに言いました。私はすぐに本題に入ることをためらいました。なぜなら「抽象的な言い方でごまかす詐欺」という不信感がまだくすぶっていたからです。

しかし、老人は占い師らしく切り出しました。「なにか悩みがおありのようだが、君の中では結論が出ているんじゃないかな?」。そう言い切った彼は私の悩みを見通しているかのようでした。当時の私は医学部の受験を控えて迷いがありました。落ちたらどうしよう、落ち続けたらどうしよう。失敗したときのことを考えるたびに、医学部以外の無難な道を選んでしまいそうになっていました。でも、この老いた占い師の前に座っている私の中で、それらの不安が薄れていくのがわかりました。

「でも、君が出した結論は正しい。いろいろ悩んだと思うが、再来年にはいい年がやってくるから頑張りなさい」。すべてはこの言葉で決まりました。そして、彼は紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書いて私に渡しました。さらに続けました。「自宅周辺の白地図を買ってきなさい。そして、自宅から西の方角に線を引くと神社がある。そこの湧水をもらってきて飲みなさい」。「神社?湧き水?」。私はすっかり老人の言葉にひきつけられていました。

その占い師の部屋には1時間余りいたでしょうか。帰る途中で白地図を購入し、自宅でさっそく地図上に線を引いてみました。するとどうでしょう。真西に引いた直線のまさに線上、自宅から直線距離にして7㎞あまりのところに神社がありました。今までそんなところに神社があるなんて思ってもいませんでした。それをのぞいていた母は「すごいっ!」と興奮気味。もちろん私も驚いていました。いてもたってもいられなくなりその神社に行ってみることにしました。

その神社は静かな森にかこまれ、厳かな雰囲気の漂う場所にありました。想像していた以上に立派な神社です。私が訪れたとき、参拝者はおらず、ひとりの宮司が竹ぼうきで石畳を掃き清めていました。あたりを見渡しても、あの老人が言った湧き水をもらえそうな場所がありません。私は掃除をしている宮司に尋ねてみました。「すみません。この神社に湧き水はありますか」。するとその宮司は境内の奥を指さして言いました。「それならこの先の突き当りにありますよ」と。

宮司に教えられたとおり、神社の参道をまっすぐ歩き、境内の一番奥まで行ってみました。すると、その片隅にひっそりと湧き水の出る井戸がありました。その水をもらっていくための容器まで置いてあります。私はあの老人の占いが具体的に当たっているのに感心していました。神社の場所も、また、そこで湧き水をもらえることも言われたとおりだったのです。私は指示された通りに飲めばなにかいいことがあるのではないかと思いながら、その水を自宅に持って帰りました。

その後の私の人生はその占いの通りになりました。翌年の受験(北大以外の大学)には失敗したものの、次の年、北海道大学医学部に合格したのです。あのとき老人は私に渡した紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書きました。北大に受かったとき「占いは外れたなぁ」と思いました。札幌は自宅の北に位置していると思ったからです。しかし、よく調べてみると札幌は自宅の北東。最初の受験に失敗することも含めて実は「予言」通りだったのです。

あの時、「なんでもいいから質問しなさい」と言われた私は、真ん中でぷっつりと切れていた自分の生命線を見てもらいました。手相など信じていなかったとはいえ、生命線が途切れていることはやはり気になっていたのです。すると老人は微笑みながら言いました。「手相って変わるんだよ。大丈夫、この線は必ずつながるから」と。その後、ときどき確認していましたが、いつしか生命線はつながって、今では途切れていたことがわからないほどになっています。

今、振り返ると、あの占いはいろいろなことが的中していました。面白半分に「結婚は何歳になりますか」と尋ねてみたときのこと。老人は「一番いいのは40歳ぐらいのとき。だけど、その前に二度チャンスがある」と言いました。当時の若かった私は「40歳なんてオッサンの歳で結婚するのか?」と苦笑いをしたものです。しかし、老人に指摘された年齢にお見合いをしたのも当たりならば(しかも二回とも)、40歳ならぬ38歳で「運命の人(今の家内です)」と結婚したのも不思議な一致です。

人は「占いの結果に引きずられたんじゃないの?」と言います。でも、意識的にそうなろうとしても、なかなかなれるものではありません。思い通りの人生を歩める人もいるかもしれない。でも、ほとんどの人生は思い通りにはならぬもの。岐路に立たされた時の判断がベストだったかどうかはあとになってわかります。その時の判断が適切だったかどうかではなく、ひとつひとつの判断の積み重ねが人生そのものなのです。その意味でもあの占いはすごいと思います。

手相を見てくれた占い師はすでに「鬼籍の人」だと思います。でも、彼は私の記憶に残る「奇跡の人」でもあります。あの後、何人もの知り合いが私の話しを聞いて手相を見てもらいに行きました。しかし、何人かの人は「占いを信じない人の手相は見ない」と追い返されたと聞きます。なのに彼は、占いを信じていなかった私を「面白い人だから連れてきなさい」と母に言ったそうです。もしかするとあの老人は、その後、ほぼ自分が占った通りになる私の人生をすべてお見通しだったのでしょうか。