コロナより怖いもの(2)

11月ごろから急に新型コロナ感染者(検査で陽性となった人)が増えだし、集中治療室で治療を受ける重症者の数や、治療のかいもなく亡くなってしまう人の数は今や春のときよりも増えています。最近、それらの数が落ち着いてきたと思ったのもつかの間、感染力の強い変異型のウィルスが海外から日本に入ってきたと報道されています。第三波と呼ばれる感染拡大が今度どのように推移するのか、「医療崩壊」が現実のものになってしまうのだろうかと不安になります。

いろいろな場所で「クラスター」と呼ばれる新型コロナウィルスの集団感染が発生しています。それは感染対策をとっている医療機関もその例外ではありません。私のクリニックでも他人事ではなく、知らない間に身近なところに迫ってきていると感じることが時々あります。これまでにもまして私自身や職員はもちろん、私たちの家族にも感染者が発生しないような生活・心がけを徹底し、患者対応ならびに院内の環境整備を常に見直すようにしています。

しかし、私たちの努力だけではどうしようもないこともあります。随分前のことになりますが、ご家族から「父親が先日から咳がでているのだが」とお電話がありました。「熱があるか」と尋ねたところ「ない」といいます。いつもなら受診させて診察・投薬するところですが、なんとなく胸騒ぎを感じた私は「お薬をだすので、本人は来院せず、ご家族がとりに来てください」と伝えました。そして、来院した家族に一般的な薬を処方して様子を見ることにしました。

その後の連絡はなく、その患者のことはすっかり忘れていたのですが、最近になって、薬を出した直後に新型コロナと診断されて入院したということがわかりました。しかも、発症したのは当院に相談があった日の数日前だったというのです。となれば電話で相談を受けたときにはすでに咳だけではなく発熱もあったはず。そうした大切な情報が正しく伝えられなかったのです。あのとき、もし胸騒ぎがなければ、いつも通りに診察した私も濃厚接触者になるところでした。

それでもまだ私のクリニックのような医療機関はいいのです。感染病棟をもっている病院はもっと大変です。なにせ「新型コロナと背中合わせ」で診療しているのですから。しかもそんな状態は新型コロナウィルスの感染がはじまった2月からずっと続いています。もしそこで働く医療従事者が疲労困憊し、クラスターが発生するなどして感染患者を受け入れられなくなったらどうなるでしょう。一般診療もできなくなり、まさに「医療崩壊」に陥ってしまいます。

昨年のちょうど今頃、中国では原因不明の肺炎が流行し始めたことが報道されました。そして、その流行は予想を上回る早さで拡大している可能性があることを報じるものもありました。中国でそんな事態になっていることに多くの日本人がまだ気が付いていなかった今年の1月26日のこと。私はこの日のブログで「このまま入国制限をしなければ中国からたくさんの観光客が入ってくる」、「日本でも流行した場合の対応を今から考えておくべき」だと注意喚起しました。

*********** 以下、1月26日掲載「新型肺炎(1)」の一部

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

***************** 以上

しかし、政府は、まるで4月の来日が決まっていた中国の習近平主席に配慮したかのようになかなか入国制限を実施しませんでした。その結果、春節にはたくさんの中国人観光客が来日し、日本への外来ウィルスの侵入を食い止めることができなかっただけでなく、国内での感染拡大に歯止めがかからなくなりました。大変だったのは保健所と感染者を入院させる病院です。急増する感染者に対応する体制を整えることもできないままに春を迎え、夏になってしまいました。

ところが夏になって第二波が疑われたときでさえ、政府や日本医師会は新たな手を打とうとはしませんでした。そこで私は8月のブログで「この冬に向けての提言」と題して、第三波がやってくるまでに政府や医師会がなにも対応しようとしないときの提言をまとめました。でも、案の定、第三波への対応策を「今出るか、今出るか」と待っている間に、あっという間に秋になり、10月には入国制限が緩和され、11月になると感染はふたたび広がっていきました。

************ 以下、8月19日掲載「この冬に向けての提言」の一部

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

***************** 以上

今、盛んに「感染者数が過去最大に」と報道されています。そりゃそうでしょ。クラスターつぶしで症状の軽い人や無症状の感染者までが拾い上げられているのですから。もちろん重症者や日々の死亡者の数だってこれまでになく多いのですから最近の感染拡大が大した問題でないなどというつもりはありません。でも一番の問題は政府や日本医師会に実効性のある対策がないところ。このままでは「医療崩壊」が現実のものになってしまうかもしれないのです。

その医療崩壊を起こさないために何をすべきなのでしょう。政府や自治体の長はなにかといえば「自粛しろ」といいます。この春のときのような緊急事態宣言を「出せ」「出すな」の応酬となるときもあります。その一方で、日本医師会や東京都医師会などは「医療はもう限界だ」と叫ぶばかりです。でも、ちょっと待ってください。医師会はこれまでなにをやってきたのでしょうか。有効策も講じないでいて勝手なことを言うなと言いたい気持ちです。

日本医師会がやるべきことは、そんな泣き言を言うことじゃないはず。つい先日までも「Go Toやめろ。人は移動するな」と叫び、政府の対応を批判するだけでした。日本医師会はそんなことを言っている暇があったら、この感染拡大に際して医療を崩壊させないための取りうる方策に知恵をしぼるべきじゃないんですか。そんなことはこの夏にやっておかねばならないこと。それを怠ってきて、今さら泣き言ばかりではあまりにも情けないじゃありませんか。

ここまで感染者が増え、軽症者や無症状の感染者がホテルでさえも隔離できなくなったときに「自宅隔離」ができるよう、具体的な方法を今から国民に啓もうすることです。そして、ホテル隔離した患者は地元の医師会が交代で、自宅隔離した患者は患者宅の近隣の開業医が適宜投薬をして定期的に健康状態を確認。その情報を保健所に報告し、症状の悪化が見られた患者をすみやかに病院に収容する。それらのスムーズな連携ができる体制を構築する必要があります。

新型コロナ患者を収容する病院では内科での一般外来はとりやめてできるだけ入院診療に集中するべきです。そのためには一般内科病棟の一時的な減床や患者の転院も考える必要があります。もちろん金銭的な負担は政府や自治体が保証する。医療従事者の給与を増やしたり、一時金を渡すよりもこのような対応が必要です。病院で働く人たちに感謝することは、チャリティコンサートを開くことでもなければ、千羽鶴を折ることでも手紙を送ることでもありません。

国や医師会がこうも無策なのは、現場もよく知らないお偉い先生方や政治家たちが思い付きで話し合うから。私が責任者だったら、新型コロナ患者を収容して苦労している病院で働く人たちを集め、何が不足していて、何が必要なのかを洗い出し、これらの課題を解決するためにどのような法整備、法的根拠が必要なのか。財政的な裏打ちをどうとるかなどをまとめて対応策を考えます。今の対応はこうしたプロセスを踏んでのこととは到底思えないのです。

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、怖いのは新型コロナウィルスだけではありません。人々の不安をあおるマスコミのいい加減さと、無知な一般大衆が引き起こすパニック。そして、長期的な展望と短期的な戦略をもてない政治家や官僚、日本医師会といった肝心の組織の無能さ。やるべき人がやるべきことをやってくれないと、社会を不安におとしいれ、たくさんの人が犠牲になることにつながります。新型コロナよりもむしろこちらの方が恐ろしい。

12月28日からようやく入国制限が再開されるようです。しかし、制限される国の中に中国はありません。そして、この制限は来年1月31日に終わります。中国の来年の春節は2月11日だとされています。つまり春節がやってくる前にこの制限は終わるのです。今年の1月のブログで私が書いたのと同じ愚を繰り返すつもりなのでしょうか。人間は間違いを犯します。それは愚かだからではありません。しかし、愚かなのは経験から学ばずその間違いを繰り返すことです。

最後に、この年末年始にできることをまとめてみました。くれぐれも目安にしてください。医者にもいろいろいます。新型コロナやインフルエンザが心配されている中、一日三回解熱剤(や痛み止め)を出す医者もいます。これを悪いことだとはいいませんが、あまり筋のいい処方だとも思いません。微熱などの発熱があったときにどのように対応したらいいかに迷ったら、まずは当番の医療機関に電話で相談すること(市医師会のホームページ、または市消防局、あるいは119番に連絡すると当番病院を教えてくれます)。

コロナより怖いもの(1)

インフルエンザのワクチン接種も終盤に差しかかっています。新型コロナとインフルエンザが同時に流行することが懸念されていたせいか、例年以上にインフルエンザワクチンの接種が推奨されていました。そんなこともあって、これまでワクチン接種とは無縁だった人までがワクチンを打ちに来院しました。また、マスコミが「早めに接種しましょう(その理由は不明です)」と煽ってきたせいか、10月になると早々に接種に来る人が多かったのも今年の特徴です。

ご存じのとおり、インフルエンザのワクチンは「インフルエンザ」のためのワクチンであり、新型コロナウィルスはもちろん、いわゆる「一般の風邪のウィルス」に対する予防効果はありません。ワクチンを打たない人の中には「インフルエンザになったことがないから打ってこなかった」という人がいます。でも、それはたまたまインフルエンザにかからずに済んでいたのであり、ワクチンを接種する必要性があるとか、ないとかいうこととは関係ありません。

ワクチンを打ってもインフルエンザにかかることはあります。かかりにくくなるだけです。 でも、ワクチンの効果はインフルエンザにかかったときにわかります。ワクチンを接種していれば、インフルエンザに感染してもおおむね数日で解熱し、重症化することを避けることもできます。ところが、ワクチンを接種せずに感染すれば、高熱と全身倦怠感、頭痛と関節痛といった諸症状に連日苦しみ、場合によっては重症化、運が悪ければ死亡することもあります。

現在、新型コロナにはワクチンがないため、あたかもワクチンがなかったころのインフルエンザのような状況になっています。ワクチンがなかったころのインフルエンザがどれだけ恐ろしい感染症だったかを想像してみて下さい。1918年に世界的に流行した「スペインかぜ」は全世界で約6億人が感染し、約5000万人が死亡したと言われています。その後もパンデミックは繰り返し、「香港かぜ」や「ソ連かぜ」と呼ばれて今でも語り継がれています。

ところが、ワクチン接種が普及し、インフルエンザに対する啓もうが進むにつれて世界的パンデミックは減っていきました。そして、インフルエンザ治療薬が普及すると、インフルエンザはもはや恐ろしい病気として認識されなくなりました。「ワクチンを打ちましょう」と勧めても見向きもしない人が少なくなかったのはそのためです。本来は接種しなければならない学校の教員や介護施設の職員の中にさえワクチンを接種しなかった人が結構いたほどです。

しかし、今年は様相が異なりました。これまで接種をしてこなかった人たちもがワクチンを受けに来たのです。ワクチンはみんなが接種しなければ感染拡大を抑えることにはつながりません。「俺にはワクチンは関係ない」ではすまないのです。その意味で、ワクチンを接種する人が増えたことはいいことだったと思います。でも一方で、例年を大幅に上回るワクチンの需要に供給が追い付かず、一時的にワクチンが手に入らなくなったときもありました。

だからといって、ワクチンを早く接種すればいいかといえば必ずしもそうではありません。 インフルエンザが流行しはじめるのは例年であれば12月中旬から。そして、本格的に流行するのは1月の終わりからです。 ワクチン接種後、数週間で効果が現れ、3か月ほどで効力が落ちてくるといわれています。 ですから、早く打ちすぎると3月までにワクチンの効果が低下してしまうことがあるのです。当院で「11月のワクチン接種」をお勧めするのはそのためです。

新型コロナウィルスが流行してそろそろ11か月になります。その11か月間に日本で感染が確認された人はこれまでに約14万人、亡くなった方は2000人あまりです。インフルエンザが流行する半年間に日本で亡くなっている人は毎年3000人ほどですから、 新型コロナウィルスで亡くなった人はワクチンや治療薬がない割には決して多い数字ではないことがわかります。予防や治療の方法がまだ十分に確立していないというところが新型コロナの感染が怖い理由です。

今、新型コロナは第三波が到来していると言われています。確かに重症者は増えてきており、やがて死亡者も増加することでしょう。これらの感染状況がどれほど深刻なものになるのか見当もつきません。しかし、人々の心構えも、また、社会の在り方も、この春とはくらべものにならないくらい感染症対策に意識的になっています。したがって、悲観的にならず、やるべきことをきちんとやる。マスコミに煽られてパニックにおちいらない。ただただそれに尽きます。

とはいえ、入院患者がにわかに増え、医療崩壊に陥りそうな病院がでてきていると聞きます。医師や看護師、職員が細心の注意を払っていてもこれだけは避けられません。当然のことですが、新型コロナは【ただの風邪】ではありません。しかし、【軽いコロナ】は【ただの風邪】だといっても過言ではなく、感染したからといってあわてて病院に駆け込む必要はありません。入院するほどかどうかは症状が「軽いか、軽くないか」で決まります。

重症かどうかを判断するキーワードは「高熱が続いているか」と「呼吸器症状があるか」です。「他に症状はないが微熱があるがどうしたらいいか」と相談を受けることがあります。症状がないのになぜ体温を測ったのかわかりませんが、「微熱だけ」であればしばらく様子を見ていても大丈夫です。「微熱が一週間も続いている」ということであれば別ですが、一日やそこらの微熱の場合は万が一のことを考えながら自宅で安静にしていればいいでしょう。

熱のないような咳や咽頭痛などのときもあわてて医者に行く必要はありません。熱がでてきたときにはかかりつけ医に電話で相談すればいいと思います(抗生物質を処方されるでしょう)。一貫として熱がなくても、風邪症状が3,4日続く場合はかかりつけ医に相談してみてください。くれぐれも痛み止めや総合感冒薬など、体温を下げてしまう成分を含む薬を飲んで様子を見るなんてことはしないでください(本当の体温がわからなくなります)。

新型コロナウィルスの感染で一番怖いのは「肺炎になること」です。肺炎になると「痰の絡む咳」や「息苦しさ」、場合によっては「胸の痛み」などが現れることがあります。これらの症状とともに高熱が続く場合は、肺炎の可能性を考えなければなりません。と同時に、新型インフルエンザの可能を考えてPCR検査を考慮することもあります。肺炎の可能性があるとき、あるいは心配なときは早めに医療機関に電話をして相談することが大切です。

もし来院する場合は、待合室が混んでいないとき(午前の遅い時間帯や午後4時ごろ)に受診してください。「朝早く診療を終えてしまいたい」「午後一番で診てもらおう」と来院する人は少なくありませんが、この時期は患者が集まる時間帯に受診するのは避けてほしいものです。健康診断を受けるのも、滞在時間が長くなるという意味で今は避けるべきです。患者が少ない時、少ない時期を問い合わせて受診・受検するタイミングを考慮しましょう。

また、「職場や学校から検査をしてくるように指示された」とのお問い合わせをいただくことがあります。しかし、「新型コロナが疑わしい」と診断するとき以外は、自費で検査をしてくれる医療機関を探すことになります。無料(公費)で検査をしてくれる医療機関でPCR検査を受けられるのは、あくまでも新型コロナウィルスの感染が強く疑われたときだけです。「念のため」、あるいは「可能性を否定するため」に行う検査は自費になるので注意が必要です。

ですから、職場や学校から「念のため新型コロナかどうかを検査で確かめてくるように」と指示されたときは、「もし自費になったら会社や学校が負担してくれるのか」と聞いてください。今は比較的容易にPCR検査を受けられるとはいえ、検査は安易におこなうものではありません(検査場所で感染することだってありますから)。検査は臨床経過や症状の推移、診察所見などとともに総合的に判断するものです。今日陰性でも、明日陽性になるかもしれないのですから。

新型コロナの感染は、今後、さらに拡大するかもしれません。しかし、「一日何百人の感染患者」「これまでで最多の感染患者」などという報道に一喜一憂する必要はありません。なぜなら、今、一日におこなわれているPCR検査の数は、この3月や4月の5倍以上にもなっているからです。個人のクリニックでおこなっている検査をふくめれば、その数は相当数にのぼります。人心を煽る報道によって動揺しないようにしなければなりません。

一方、感染拡大の原因として「Go Toキャンペーン」が目の敵にされています。まるで「Go To」を使って旅行する人たち、あるいは食事をする人たち、さらには飲食店やホテルや旅館が悪者にされているかのようでもあります。しかし、このキャンペーンは7月から始まっています。なのになぜ11月から感染者数が増えた原因の第一に挙げられなければならないのでしょう。10月からはじまった入国制限の緩和の方がよほど感染者の急増に影響していると思います。

1月のブログにも書きましたが、流行が続いている海外との行き来を許せば、感染が拡大するのはあたりまえです。入国制限がおくれた2月から感染者数が激増した過去の状況を見ても、また、入国制限を緩和した10月から感染者数が急増している今の状況を見てもあきらかです。それほどまでに海外との人的交流を優先させる理由が私にはわかりませんが、国内の経済、とくに飲食店や観光業の皆さんの我慢ももう限界のはず。これ以上の自粛は酷な話しです。

新型コロナの患者を受けて入れている病院も大変です。感染が始まって以来、気が休まるときがないのですから。しかも、いったん新型コロナの感染者を出してしまえば、「あの病院でコロナの患者が発生したから(行くのはやめよう)」「あの病院の医者、看護師、職員だから(接触しないようにしよう)」との風評にしばらくさらされます。病院はそんな風評被害を受ける可能性におびえながら診療を続けていることも知ってほしいと思います。

いまだに「桜を観る会だ、日本学術会議だ」と不毛な議論をやっていても、毎月決まった額の給与が入ってくる国会議員は気楽な商売です。 新型コロナの感染拡大の原因を多角的に議論して、効果的な対策を矢継ぎ早に講じていかなければいけないはずです。政権の足をひっぱり、「Go Toやめろ」「自粛しろ」と大声で叫んでいればいいとでもいうのでしょうか。あんな人たちを国会に送ったことを反省しながら、せめて我々だけは理性的に行動したいものです。

「怖い、怖い」と言っているだけではなにも解決しません。頭を使ってなにをすべきかを考えましょう。そして、行動しましょう。決してマスコミに煽られてはいけません。また、世の中の雰囲気に流されてもいけません。新型コロナウィルスに感染して死ぬ人より、社会的に追い詰められて自殺する人の方が圧倒的に多いことにも目を向けなければなりません。コロナよりも怖いのは、なんといっても人々の心の中から余裕と勇気がなくなることなのです。

歴史から見えること(2)

前回のブログで紹介したゲーム「Ghost of Tsushima」の主人公、境井仁を見ていて脳裏に浮かんだ人物がいます。それは小野田寛郎元陸軍少尉です。皆さんもご存知の通り、小野田さんは陸軍中野学校を卒業し、帝国陸軍の残置諜者としてフィリピンのルバング島に潜入。日本の終戦を信じることなく任務を続けていましたが、1974年に捜索隊に発見されて日本に帰国しました。その小野田さんが、対馬を蒙古から奪還するためにひとり戦った境井仁と重なって見えたのです。

小野田さんが日本に帰国したとき私は中学生でした。当時、ルバング島にまだ日本兵がいるらしいことはニュースでたびたび報じられていました。戦後30年を経て、なおもフィリピンのジャングルに隠れていた日本兵とはどんな人なのだろう。私はある種の興奮を感じながら小野田さんの帰国を見守っていました。羽田空港で飛行機のタラップを降りる小野田氏を見たときの感動は今も忘れません。背筋をピンと伸ばした小野田さんはタイムマシンでやって来た「侍」そのものでした。

「Ghost of Tsushima」の冒頭に次のようなセリフがでてきます。数えきれない蒙古兵を前に、境井仁の叔父・志村候は八十騎の侍たちを鼓舞します。「ならわし、武勇、誉れ。それらが我らが道だ。我らこそ武士(もののふ)だ」と。私はこのセリフを聞きながら、1989年にNHKで放送されたトークドキュメント「太郎の国の物語」という番組で司馬遼太郎が語った「昔の日本人の心の中には身分に関わらず『武士道』という『電流』が流れていた」という言葉が思い浮かびました。

司馬遼太郎は「武士道とは主君(国家)への忠誠ではなく、自分に対する責任感に過ぎない」と言います。その責任感は使命感に裏打ちされたものだと言えるかもしれません。帰国した小野田さんは昭和天皇との謁見を辞退しました。それは「陛下から労いの言葉をかけられたら困る」という理由からでした。一兵卒として日本のために戦っただけだという自負があったからでしょうか。そうしたところに小野田さんらしい気骨さが感じられ、その意味でもまさしく侍だったなぁと思います。

小野田さんらしいエピソードをもうひとつ。日頃、感情を顔にあらわすことの少ない小野田さんが怒りの表情で語ったことがあります。それは平成十七年の終戦記念日に発表された総理大臣談話についてでした。終戦60周年を記念するその談話には「心ならずも命を落とされた多くの方々」という一文がありました。自分自身も戦争で戦い、戦後30年経ってもジャングルで戦闘を続けた小野田さんはその「心ならずも」という部分が受け入れられなかったのです。

***** 以下、小野田さんの言葉(一部修正あり)

一国の首長たるものが「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。果たして私達は「心ならずも」あの戦争で命を散らしたのでありましょうか。私は国の手違いによってこの靖国神社に15年間お祀りしていただきました。しかし、もし私があのとき本当に死んでいたとすれば、「国のために我々が戦わなければ誰が戦うのか」、そういう自分たちの誇りをもって、力いっぱい笑って死んでいったのであります。私だけでなしに、私の仲間も皆そうであります。それがなんで同情の対象なのでしょうか。誇りをもって死んだ人に対して、なぜ黙って「ありがとうございました」と感謝の念を捧げられないのか。

***** 以上

小野田さんは悔しそうでした。ある人は志願で、またある人は招集によって戦場に駆り出され、南方のジャングルで、あるいは酷寒のシベリアで過酷な戦闘を続けた戦友。そんな彼らを思いながら、「お国のため、あるいは家族のため」に死んでいった英霊の気持ちを代弁していたのかも知れません。戦場に倒れた多くの日本兵にはあの「電流」が流れていたのだと思います。それを安っぽい同情で汚さないでくれと小野田さんは言いたかったのでしょう。

現代の日本人にも確かに「電流」が流れていたことを想起させることがありました。それは東日本大震災による原発事故のときのことです。世間では「東電憎し」「東電バッシング」とも思える心ない報道が繰り返されていました。ちょうどそのころ、原発事故を収束させるため、たくさんの東電社員・作業員が命懸けの作業をしていました。想像をはるかに越える大津波による全電源喪失。誰もが経験したことのないこの原発事故と東電職員・作業員との戦いが続いていたのです。

ある大手の新聞は「多くの職員が現場から逃げ出した」と報じました。その後、事故調査委員会の報告書が公表され、その報道が事実誤認であることが明らかになり、新聞社は記事を誤報として謝罪しました。当時の事故現場では高線量の放射能が飛び交う中で一進一退の状況が続いていました。このままでは職員や作業員全員を危険にさらしてしまう。そう判断した吉田所長は「最少人数を残して退避」と叫んでいたのです。「逃げ出した」という報道は悪意に満ちた表現だったのです。

吉田所長は「一緒に死んでくれる人を募ろうと思った」と後に心情を吐露しています。所長が退避命令を出し、多くの人が退避する中、「私は残ります」「おまえは若いからダメだ」というやりとりもあったといいます。 そんな現場に菅直人総理の非情な怒鳴り声が響きました。「撤退などありえない。覚悟を決めてやれっ」と。 押しつぶされそうな重圧といつ収束するとも知れない放射能の恐怖に耐えながら、吉田所長とともに69人の職員・作業員が現場に残りました。そのときの活躍が映画「Fukushima50」で描かれています。

危険極まりない現場で懸命の作業を続ける「Fukushima50」。責任感と使命感に突き動かされるように、黙々と作業をする東電の社員や作業員、あるいは消防や警察、自衛隊の人たちにもきっとあの「電流」が流れていたに違いありません。しかし、現場から離れた東電本店や政府・官邸の人たちにそうした「現場のリアル」が感じられていたでしょうか。彼らは安全な場所から吉田所長に「早くなんとかしろ」と怒鳴るだけでした。そして、それはあのときの一般国民もまた同じだったと思います。

司馬遼太郎は「太郎の国の物語」の中で「現代の日本人もそれぞれが『微弱なる電流』をもっているはずだ。今の日本には規範というものがない。だからこそ、魂の中にもっている『微弱なる電流』を強くすべき」と言っています。かつて三島由紀夫も「このままではこれまでの『日本』はなくなり、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、裕福な、抜け目がない、ある経済的な大国が極東の一角に残るだろう」と予言しています。司馬遼太郎の言葉は三島のそれと重なります。

「故きを温ねて新しきを知る」とは、年月を経て人間や国家が「進歩」するにはそれまでの歴史を正しく知ることからはじまる、という意味です。歴史を学ぶ意義はそこにあると思います。以前のブログにも書いたように、「歴史を良し悪しでとらえるのではなく、『正しい歴史』の経験と知識を共有し、未来に活かす」ことが大切です。失敗を繰り返すのは、過去(歴史)の失敗を振り返っていないから。明日の社会を今日よりも素晴らしいものにするために、歴史(過去)を振り返ることが必要なのです。

歴史から見えること(1)

皆さんは「Ghost of Tsushima(邦題:対馬の冥人)」というゲームをご存知でしょうか。アメリカのゲーム会社によって製作され、この7月に世界中で発売されると「中世のサムライになれる」とあっという間に人気ソフトになりました。日本人からの評判も高いのですが、それは外国にありがちな「日本人が違和感を感じる風景や人物」がこのゲームにはあまり登場せず(「?」と思うのは建物の屋根とお辞儀くらい)、むしろ日本人にも「武家のリアル」を感じさせる作りになっていたからでしょう。

「なんで対馬なの?」と思うかもしれません。対馬というところは、それほどまでに日本人にはなじみの薄い場所です。実はこのゲーム、1274年の「対馬への蒙古襲来」をテーマにしているのです。蒙古襲来については小学校でも、中学校でも習います。「元への朝貢をもとめて二度にわたる蒙古の大軍の襲来があった。しかし、いずれのときも嵐がやってきて、蒙古軍は大きな損害を受け、退散していった」と。ほとんどの日本人にとっての知識はその程度。それ以上のことを知っている人はあまり多くありません。

この二度の蒙古襲来はそれぞれ、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)と呼ばれています。とくに、文永の役ではモンゴルが、その支配下に置いていた高麗軍を引き連れ、総勢四万人ともいわれる大軍を対馬に送ってきました。不意を突かれた日本側は対馬のたった八十騎の侍がこの襲来を迎え撃ちます。結局、蒙古・高麗による大軍を前に侍たちは全滅。勢いを得た蒙古軍は暴虐の限りを尽くしながら壱岐、北九州へと攻め込んで行きます。そのときの鎌倉武士を主人公にしたゲームが「Ghost of Tsushima」です。

対馬は壱岐とともに、伊邪那岐・伊邪那美の命(みこと)が生み出した八つの島に数えられる島です。古来から朝鮮半島や大陸との文明伝来の中継基地として栄え、日本ではじめて銀を産出した場所としても知られています。つまり、対馬は日本と海外の文化の交わる要所だったのです。また、壱岐にはたくさんの神社があって、最近はパワースポットの多い島として有名です。対馬も壱岐も日本にとっては特別な意味をもつ場所であり、古代からずっと海外には知られた場所だったに違いありません。

「Ghost of Tsushima」では、なによりも名誉を重んじる日本の侍が描かれています。当時の武士たちは戦場で「やあやあ我こそは」と名乗りをあげてから敵と一戦を交えます。それが武家の作法だったわけです。このゲームでもそうした武士の姿が描かれていますが、外国人である蒙古軍にとって武家の作法などどうでもいいこと。日本の侍がそんな自分たちの価値観が通用しない相手に勝てるはずもありません。そのときの様子はYouTubeの実況動画(4:30ごろから)で見ることができます。

興味深いことがもうひとつ。それはゲーム最後のシーンに出てきます。侍の作法を守っていては勝てないと悟った主人公の境井仁は、武家の作法に反するような方法で次々と蒙古の拠点を解放していきます。仁を自分の後継ぎにしようと考えていた叔父の志村候はそんな彼を激しく批難します。志村候はなにより名誉を重んじ、幕府に忠誠を誓う古来の武士そのものだったからです。境井仁は反論します。「こうでもしなければ島民を守れないではないか」と。仁と叔父の意識の違いは、現代にも通じるようです。

大陸から離れて存在する島国日本にはじめて外国勢力が攻勢をかけてきたのは、1019年の「刀伊(とい)の入寇」とされています。刀伊の正体は、後に満州に国家を造り、清の王朝にもなった女真族の海賊。遷都を繰り返していた平安時代に財政破綻となった朝廷は、それまで外国勢力から日本本土を守る拠点だった対馬、壱岐の防衛から手を引きます。と同時に、国防の拠点だった大宰府は役人の左遷の場所にすぎなくなります。そして、この国防のすきをついて日本にやってきたのが刀伊だったのです。

対馬や壱岐で島民を残虐な方法で殺してまわり、多くの島民を奴隷として連れ去ろうとした刀伊。その刀伊が北九州を襲ったとき、大宰府を守っていたのは藤原隆家でした。都での権力闘争に嫌気が差し、大宰府にやってきた隆家でしたが、突然現れた3000人あまりの刀伊の大軍を前に獅子奮迅の活躍をします。そして、このときの経験は大宰府の守りの重要性を朝廷に再認識させます。しかし、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の悪い性格は今も昔も同じ。やがて朝廷の警戒心は再び薄れていきました。

そうした朝廷の姿に平和ボケした今の日本人が重なります。「恐ろしいことは考えないようにする」という日本人の根拠なき楽観主義はいつしか大きな事件・事故につながります。東日本大震災の半年前にかなり大規模な防災訓練がありました。「原発が全電源を喪失した」という想定のもとでの原発事故の演習もふくまれていました。しかし、その演習に総理大臣は参加しませんでした。その半年後、想定していた「全電源喪失」という原発事故が実際におこってしまったのはなんとも皮肉なことです。

そのような事故は現実にはおこりえないという慢心があったからでしょうか。それとも「原発で事故が起こる」と想定することは「原発は安全ではない」ことを認めてしまうとでも思ったからでしょうか。あのときの事故で「原発の安全神話が崩れた」といわれますが完全な安全などあろうはずがありません。事故の可能性を仮定しただけで「原発は危険だ」と騒ぎ出すからこそ作り出された「神話」だったにすぎません。危険や危機から目をそむける為政者はいつの時代でも国民を危険にさらします。

「Ghost of Tsushima」というゲームは単なる娯楽にとどまりません。日本人には日本人が忘れかけていたものを呼び起こし(私はこのゲームをやったことがなく、YouTubeで実況動画を観ただけですが)、その一方で、海外の人たちは、たった八十騎で蒙古に立ち向かう侍たちに鳥肌を立て、侍の非情な運命に涙を流していました(1:48:30ごろから)。その様子を見ながら、このゲームを通じて世界中の人が日本人のことを歴史にさかのぼって理解してくれたらいいなと心底そう思いました。

歴史教育の重要性(2)

今はインターネットを通じていろいろなことを調べることができます。キーワードを入力して検索すればたちどころに自分の疑問に答える情報にたどり着けます。私もそうしたインターネットによる情報検索を繰り返すうちに、自分がいわゆる「自虐史観」にとらわれていたことに気が付きました。また、学校では教わらない「歴史」があることにも気が付きました。しかも、その「教えられていない部分」が歴史の中核だったりする場合もあり、以来、歴史に興味を持つようになりました。

学生の頃、世界史を学ぶ意義をまったく感じませんでした。日本人が外国の歴史を勉強して何になるんだろうと思っていたくらいです。ましてや世界史を日本史の延長線上に考えることの重要性など考えたこともなかったのです。子どもと歴史を勉強しているとき、大東亜戦争(太平洋戦争)前後の疑問をインターネットで調べていました。そして、予備校で世界史講師をしている茂木誠先生の動画(「もぎせかチャンネル」)と出会い、世界史の重要性をあらためて知ることになりました。

茂木先生の臨場感あふれる講義の様子は無料動画としてYouTubeで公開されています(音声のみ)。手元に世界史の教科書をおきながら重要な部分にラインマーカーを引きながら聴いていると、世界史が実は日本の歴史と決して無縁でないことがわかってきました。世界史も日本史も地政学の観点から時系列につながっていること。そして、日本史を世界史のいちぶとしてとらえることが大切だということがわかってきたのです。大切なのは断片的な事実の羅列ではなく、「今につながる歴史」を学ぶことだったのです。

私が「目からウロコ」となったのは、戦国時代の歴史を学びなおしたときのことです。歴史に興味がなかったそれまでの私は「キリシタンを許していた秀吉がなぜバテレン追放令を出すに至ったのか」、あるいは「鎖国をした江戸幕府がなぜオランダにだけ交易を許したのか」ということを深く考えてもみませんでした。学校ではそうした問いかけはなく、自分自身も疑問にすら思わずに大人になってしまったからです。しかし、学びなおしてみると、今までとは違うあらたな戦国時代の姿が見えてきました。

日本が戦国時代だったころ、スペインは国王フェリペ2世のもとで全盛期を迎えていました。スペインは植民地であった南米の銀山から産出される大量の銀を背景にさまざまな国と戦争をしていました。 当時、カトリック教徒の国だったスペインは、プロテスタントの国である隣国オランダを支配下におこうと戦争をしかけていました。 カトリックとプロテスタントでは水と油。そんなことすら知らなかった私は、世界史を学んで「ヨーロッパの歴史はキリスト教の歴史である」ことを知りました。

キリスト教の歴史はおもしろく、今でも欧米の行動の規範にもなっているという点で興味深いものです。ローマ帝国から迫害を受けていたキリスト教が、次第に人々の信仰心を集め、やがてローマ帝国の国教になります。そして、さらには東西のキリスト教に分かれていく。その過程はダイナミックでエキサイティングです。 そのカトリックの盟主でもあるスペインはさらなる植民地を探して、世界でも有数の金銀の産出国だった日本に関心を持ちます。スペインの野望はついに日本に向けられたのです。

スペインの植民地化には共通点があります。住民をキリスト教カトリックに改宗させ、精神的な自由を奪って収奪を始めるというものです。日本にもカトリックのイエズス会(上智大学の宗派)から宣教師フランシスコ・ザビエルが送られてきました。イエズス会はローマ・カトリックの布教のためなら命も惜しまない、武闘派ともいわれる人たちの集まりです。ザビエルは東南アジアでの普及活動で知り合った日本人と共に日本にやってきます。そして、日本の実情をスペインの国王につぶさに報告しました。

日本には常に帯刀した武士がいること。その武士は勇敢であり、いつも武芸を鍛錬し、なによりも名誉を重んじること。また、武士は教養が高く、他の階級の民の手本となる存在だとザビエルは報告しています。そして、日本人のことを「これまで出会ってきたどの民族よりも丁寧で優しさにあふれている」と書き、「礼儀正しく、主君に忠実であるという点でキリスト教徒に一番向いている。好奇心が旺盛で、大半の人々が読み書きできるという点でも布教に有利だ」と国王に報告したのです。

秀吉は当初、そうしたカトリック教徒に好意的でした。しかし、プロテスタントの国オランダの使節から、カトリック・スペインが南米の植民地でどのような蛮行を働き、その蛮行がカトリックの布教を足掛かりにおこなわれてきたことを秀吉は耳にします。そのとき、カトリックに改宗した九州のキリシタン大名たちの領地では、神社仏閣は異端として次々と取り壊され、教会が建てられていました。キリスト教への改宗を拒んだ領民は奴隷としてスペインやポルトガルの商人に売られていたのです。

そうした現状に秀吉は危機感をいだきました。そしてついにバテレン追放令を出します。九州がスペインの植民地になることを恐れてのことです。プロテスタントはその教義から日本に布教を求めませんでした。オランダは交易だけが目的だったのです。そして、交易が許されるかわりに、カトリックの動向、世界の情勢をつぶさに報告しました。江戸時代、その報告は「オランダ風説書」としてまとめられました。交易を許す幕府と世界情勢を報告するオランダは持ちつ持たれつの関係だったのです。

「島原の乱」のことは学校ではあまり詳しく教えられません。島原城に立てこもったカトリックのキリシタンたちが、江戸幕府からの攻撃に耐えながらスペインやポルトガルからの援軍を期待していたことはあまり知られていません。ついにヨーロッパからやってきた最新鋭の軍艦は、実はプロテスタントの国オランダからのものでした。幕府軍がオランダから購入した最新のゴーテリング砲とともに、オランダの軍艦からの艦砲射撃がキリシタンたちがいる城に火を吹いたのはその直後のことです。

そのころ、スペインの無敵艦隊はイギリスのエリザベス1世に敗れ、「陽の沈まぬ国」はすでに衰退の一途をたどっていました。もう一方のカトリックの国のポルトガルも、併合されていたスペインからの独立を果たしたばかりで日本に援軍をおくる余裕はありませんでした。日本には勇猛果敢な武士がおり、倭寇や傭兵として東南アジアで暴れまわる者もいて、多少の援軍を送ったところでそうたやすく勝てるものではありません。当時の世界史における日本の存在感は決して小さくはなかったのです。

幕末の日本にペリーがやってきました。突然やって来た黒船に日本中が騒然となったと学校では教わります。しかし、実はペリーが日本にやってくるずっと以前から、黒船来航の可能性はオランダから幕府に伝えられていました。クリミア戦争でロシアやイギリスといった国々がバルカン半島に釘付けにされているうちにアメリカが日本にやってくるだろう、との情報です。中国にアヘン戦争で勝ったイギリスがインドでどのような植民地政策をとっていたかも幕府はオランダから知らされていました。

幕末の日本が欧米列強の植民地にならなかったのは、井伊直弼をはじめとする幕臣たちのおかげです。折しも日本は政治的な変革期を迎えていました。前近代的な江戸幕府のままでは日本の独立は守れない。そのことは、当時、青雲の志で日本のために奔走した先達たちは熟知していました。また、欧米列強の植民地政策がいかに冷徹で厳しいものだったかをも。だからこそ明治維新後の日本が進むべき道を真剣に考えたのです。彼らのあたまの中は「いかにして日本の独立を守るか」で一杯だったことでしょう。

日本は、朝鮮半島や中国、満州に軍を送り、日本人を入植させました。いわゆる植民地政策です。しかし、日本の植民地政策は欧米のそれとは異なります。欧米のように収奪を目的にせず、むしろ国家予算のかなりの額を投入してインフラの整備を図ったのです。こうした同化政策を進めながら、清やロシアといった大国と戦ったのは、おもに南下するロシアを抑え、米英による植民地化から日本の独立を守るためです。アメリカと戦った理由も昭和天皇の「開戦の詔勅」に詳しく述べられています。

昭和天皇は皇太子時代、復興ままならない第一次世界大戦直後のヨーロッパを訪問しました。これは山形有朋の提案です。戦争がいかに一般国民に犠牲を強いることになるかを皇太子に見聞させるためのものでもありました。こうした歴訪を通じて、昭和天皇はアジアの平和のためには日本とアメリカが友好関係を築き、両者が協力することが重要だという信念をもちました。高松宮のアメリカ公式訪問時に大統領宛の親書を持たせたのはそのためです。日米開戦が不可避となったのを一番憂いたのは昭和天皇です。

学校では、大日本帝国憲法は「天皇主権」を規定し、国民の権利を制限し、覇権主義的な性格をもったものだと教わりました。そして、終戦とともにGHQから与えられた「日本国憲法」は「国民主権」の民主主義を理念とする平和憲法であるとも教わります。その一方で、「教育勅語」や「軍人勅諭」、あるいは「皇室典範」といった戦前・戦中に教えられてきたものは、ただなんとなく「国家主義で危険なもの」「戦争への足掛かりになるもの」というイメージを植え付けられ、その中身すら教えられません。

しかし、それらを改めて読んでみると、私たちが植え付けられてきたイメージとはだいぶ異なるものであることがわかります。大日本帝国憲法と教育勅語だけでも読んでみるといいと思います。昭和天皇の「開戦の詔勅」もふくめて、私たちに教えられていないことに真実が隠れているのかもしれないと感じるはずです。歴史教育は重要です。子どもたちにこれまでの人類が陥ってきた過ちを繰り返させないためにも、勧善懲悪ではなく、「正しい歴史」を教えることが大切です。それがなによりの平和教育だと思います。

歴史教育の重要性(1)

新型コロナが世界中に拡散して10か月になろうとしています。その間、たくさんの人が新型コロナウィルスに感染し、想像を超える数の人が命を落としてしまいました。このウィルスによる混乱はいまだに続いており、日本はもちろん世界中の経済にも大きな影を落としています。一刻も早くいつもの日常を取り戻さなければなりません。しかし、この未知のウィルスは多くの人たちのトラウマとなって、不安という泥沼から抜け出せない原因になってしまいました。

新型コロナウィルスの影響がおよんでいるのは経済に限ったことではありません。先日放映されたNHK番組「日曜美術館」では、日本中の工芸作家たちが停滞している社会生活の中で自分たちの創作活動の在り方を自問自答していることを紹介していました。ひとりの工芸家が「世の中がこんなときに自分がこういうことをしていていいのだろうか」と語ったことに私はショックを受けました。新型コロナが人の情緒だけではなく創造活動にまで影響していたからです。

そういう視点で見てみると、新型コロナウィルスはすべての人間の精神あるいは行動に影響をあたえているように感じます。感染が長引くにつれ、人々の間の、あるいは国家間の対立が深まっているように思います。また、社会システムもものすごいスピードで変革されつつあります。“三蜜”を避けるための「新しい生活スタイル」はそのもっとも身近な例ですが、世界に目を移せば「脱中国」の動きや「中東情勢」の変化も我々が想像する以上の速さで動いています。

今のアメリカで起こっていることも、そうした新型コロナの影響を背景にしたものではないでしょうか。新型コロナウィルスへの対応をめぐってアメリカ人たちの間に深い溝が生じてしまいました。自粛の解除か、それとも継続か。そんな殺伐とした対立の中で、警官が誤って黒人容疑者を死に至らしめたことに端を発して「Black Lives Matter(黒人の命は大切)運動」が始まりました。それがアメリカの人々をさらに分断し、一部の地域は無法地帯になっています。

日本でのニュースを見る限り、暴動・略奪にまで広がったBLM運動は徐々に落ち着いてきたように思えます。しかし、地域によっては、BLMを理由に黒人が理由なく白人に暴力を振うことが見逃されたり、白人警官への挑発が繰り返されて発砲事件すら起こるといった状況も。日本人にはこうした運動の背景を正しく理解するのは難しいことかもしれません。しかし、私は、今の運動には「正義がどこにあるのか」という視点があまりにも欠けているように感じてなりません。

アメリカの芸能界からも、あるいはスポーツ界からもBLM運動を支持する声があがっています。しかし、それはまるで安っぽいヒロイズムだったり、薄っぺらなブームであるかのようにも見えます。その一方で、BLM運動を隠れ蓑にした犯罪を批判する声はほとんど聴こえてきません。そうした声をあげるのがはばかられる状況だからでしょうか。それともそのような声はあえて拾い上げられないからでしょうか。黒人差別を批判する運動とは程遠い現状が気になります。

アメリカにおける黒人差別の歴史は古くて新しい問題です。最近でこそあからさまな黒人差別は影を潜めています。しかし、つい4、50年前まではあからさまな差別が存在していました。自由の国、民主主義の国と思われているアメリカで、黒人差別の問題はそれほどまでに根深いものなのでしょう。若い白人たちの意識がどう変わろうが、400年前にアフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちの被差別意識はそう簡単にはなくならないのかもしれません。

BLM運動がはじまったころ、アメリカ各地に設置された歴史上の「偉人たち」の銅像が次々と引き倒されました。理由は「黒人奴隷制度に加担したから」というもの。かつて 奴隷商人だった大富豪や奴隷貿易に関わった歴史的人物はもちろん、ジョージ・ワシントンやセオドア・ルーズベルトなどの歴代アメリカ大統領の銅像までもが同じ理由で次々と引き倒されていきました。でも、そのとき嬉々として銅像を引き倒す人たちの姿に私は少し違和感を感じました。

違和感を感じたのには理由があります。バージニア州リッチモンド市は、BLM運動に理解を示すため、南北戦争で奴隷制度を支持した南軍のリー将軍の銅像を自主的に撤去することを決めました。ところが、BLM運動の矛先は同じバージニア出身で、アメリカ独立宣言の起草者のひとりでもあるトマス・ジェファーソンにまで向けられました。彼自身が黒人奴隷の所有者であり、黒人女性を愛人にしていたことがその理由です。でも、事実は少し異なります。

ジェファーソンは確かに奴隷を所有していました。しかし、それは大農園主だった父親から引きついたもの。彼はむしろ奴隷制度の非人間性を知っていたのです。だからこそ、独立宣言に奴隷貿易を批判する内容を盛り込み(その多く部分はのちに削除されましたが)、奴隷制度自体は廃止できなかったとはいえ奴隷輸入禁止法を彼は成立させたのです。暴徒たちにそうした歴史的教養があれば、BLM運動を理由に彼の銅像を引き倒すなどということはしなかったはずです。

歴史における過去の出来事を今の価値観で断罪するのは間違いです。そもそも歴史とは「史実」の「解釈」なのです。史跡や書物を通じて得られる「史実」は、「解釈」という評価が積み重ねられて歴史となります。でも、歴史の「解釈」は相対的なものであり、解釈する人の立場や価値観、あるいは国籍によって大きく異なるものです。時代によってその評価が一変することさえあります。歴史を今の価値観だけで、善悪という観点で断じることなど不可能なのです。

「ひとりの人間を殺すのは犯罪だが、たくさんの人を殺せば犯罪ではない」という言葉があります。世界史を振り返ってみればわかるとおり、これまで宗教の名のもとに異端だとされた無数の人たちが殺されてきました。革命の際にも人民裁判によって無実の一般市民がたくさん殺されました。その一方で、世界中の植民地では、南北アメリカやインド、アフリカや東南アジアの例を見るまでもなく、住民は非人間的なあつかいを受け、多くのものを収奪されました。

17世紀、ジェームズ1世からの迫害を逃れ、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれた102名の移民がイギリスからアメリカに渡ってきました。そして、理想の国家を建設するためにインディアンの土地に移り住みました。当時のインディアンには土地を所有するという意識がなく、新しい住民である移民たちを隣人として迎え入れました。そして、寒さに凍え、風土病に次々と倒れる移民たちにインディアンは作物の栽培法を教えたのです(これが感謝祭の起源です)。

しかし、人間の欲望には際限がありません。次々とアメリカ大陸に渡ってくる白人たちは、次第にインディアンをだまし、仲たがいをさせ、武力を使って彼らの土地を次々と収奪するようになりました。皆さんはディズニー映画の「ポカホンタス」をご存知でしょうか。インディアンと白人との争いに巻き込まれた酋長の娘ポカホンタスの話しです。白人青年の命を救った彼女は彼との恋に落ちる、というもの。アニメの中の物語のことですが、事実はあまりにも違いすぎます。

実際は、酋長の娘ポカホンタスは白人たちに誘拐され、インディアンの土地を収奪するために利用されました。人質となった彼女は白人と結婚させられ、酋長はインディアンに不利な条件を認めさせられます。そして、ポカホンタスはキリスト教の洗礼を受けさせられ、イギリス本国に移住することに。しかし、当時のイギリスは産業革命のまっただ中。大気汚染のひどいイギリスで健康を害したポカホンタスは、アメリカ大陸への望郷の念を胸に息を引き取るのです。

白人の「西部開拓」は「インディアン強制移住法」となり、アメリカ合衆国政府は「移住命令に従わないインディアンは絶滅させる」という民族浄化の政策をとります。勇猛果敢なインディアンとはいえ、西洋の近代的な武器に対抗するすべを持っていません。その結果、1000万人近いインディアンが虐殺されたとされています。白人はその後も北アメリカ大陸を西進し、メキシコの領土を戦争で奪いとり、ハワイの王族までをも滅ぼして領土を太平洋にまで広げました。

でも、だからといってこうした暗黒の歴史に善悪をつけることができるでしょうか。個人の中で「いい、悪い」を決めつけることは簡単です。しかし、民族間の、あるいは国家間の問題として「いい、悪い」を断じることはできません。自分たちの土地を奪われ、あまりにもたくさんの同胞を殺されたインディアンたちには言いたいことがたくさんあるでしょう。今でも白人たちを憎んでいるかもしれません。でも、それを今さらどう解決すればいいのでしょう。

実は私は大学生のころまで「自虐史観(日本を悪い国だと決めつける歴史観)」を持っていました。むしろ、日本人はそうした負い目を持つべきだと思っていました。それは学校での歴史教育の影響でもあり、また、マスコミからの情報を信じた結果でもあります。戦中・戦前の日本が悪辣な覇権主義をもち、周囲のアジア諸国を侵略したという考えにとらわれていました。それは教科書に書かれ、TVの番組で放送された日本の姿であり、私の中の日本のイメージでした。

ですから、「かつての日本は悪い国」と印象付けるようなTV番組を見ながら、昭和ひとケタ生まれの両親が「昔の日本はこんなに悪い国じゃなかった」と言おうものなら、若き日の私は「戦前の教育に洗脳された連中はどうしようもない」などと心の中で見下していたものです。しかし、インターネットが発達し、主体的・能動的に情報を求めるようになると、「ひょっとすると事実は学校やマスコミから伝えられてきたことは違うのではないか」と思うようになりました。

自分はもしかして自虐史観にとらわれているのかもしれない。そんなことに気付くようになって感じた矛盾。悪辣な覇権主義をもった日本は、アジアを武力で侵略し、自国民の権利を奪い、特高警察によって思想の自由までをも奪った。そして、その日本帝国主義を打ち破り、国民主権の民主主義をもたらしたアメリカは正義の味方。なのに、我が家の昭和ひとケタ生まれたちは違うことを言っている。そうした矛盾に正面から向き合うようになったのはずいぶん後になってからです。

終戦直後、GHQによってWGIP(War Guild Information Program)と呼ばれる「戦争に対する贖罪感を日本人に植え付けるための情報操作政策」がおこなわれました。「教科書の墨塗り」がそれです。それまでの日本を肯定する部分を教科書から抹消するのが目的です。「焚書」とよばれる文化の抹殺もおこなわれました。一般市民を標的にした大空襲や原爆という国際法違反による日本の敗戦を正当化するため、情報操作の妨げになる書籍を焼却処分にしたのです。

また、GHQはたくさんの官吏・教員を公職追放しました。公的な場所から戦前を肯定するような人物を排除するためです。そして、それにかわって日本を否定的に考える人たちがそれらのポストにあてがわれました。また、新たな教科書にもそうした意図が反映されました。また、すべての報道にはGHQの検閲があり、「なにを報道させるか、させないか」はGHQの意向にゆだねられました。これらはGHQによるWGIPの一環であり、その影響は今も続いています。

この冬に向けての提言

子どものころ、床屋さんに行くのが面倒で髪を伸ばし放題にしていると、よく両親に「おまえはビートルズにでもなるのか?」と怒られたものです。今どきの子ども達には「ビートルズにでもなるのか」の意味が理解できないかもしれません。当時は「ビートルズ=不良」という根拠なき図式があって、「ビートルズになる」ということはすなわち「不良になる」ということを意味していました。

それと同じように、子ども時代、勉強もせずにTVの前でゴロゴロしていると「TVばかり観ているとバカになるよ!」とよく言われたものです。事実、TVばかり観ていた私はみごとに「バカ」を地で行くような小学生時代を過ごしていたわけですが、それから五十年が経った今でもなお、「TVばかり観ているとバカになる」という言葉は多くの大人たちの間で活きています。

というのも、TVは正しい情報を伝えているとはかぎらないからです。とくにワイドショーはひどいものです。ど素人のコメンテーターが根拠希薄な「茶飲み話し程度の感想」を次々とまくし立てます。それを観ている視聴者はついつい「そうだ、そうだ」となって不安がかき立てられていきます。しかも、科学者を装った「専門家芸人」までが登場してワイドショーを盛り上げるのでなおさらです。

専門家芸人がなにを言おうと、所詮、芸人は芸人です。それが科学的に正しいかどうかはともかく、なけなしの知識は「芸」となって人々の注目をあび、人々の心をつかまなければなりません。ですから、専門家芸人たちが人心をあおろうとするワイドショーの意向にそわない発言をするわけがありません。かくして、ワイドショーを見ている人は知らず知らずのうちに洗脳されていきます。

心理学的にいえば、人間は自分の不安を支持・補強する情報に流され、信じる傾向を持っています。不安な自分と異なる意見に安堵する人もいますが、なかには自分の不安を否定する意見に怒りを感じて攻撃的になる人もいます。そうした怒りが客観的な事実を理性的に分析した結果であるならまだしも、「なんとなく怖い」という情緒に振り回されている結果であるとそれはもはや修正不能です。

最近、TVのニュースで「今日の陽性者数」とともに「重症者数」や「死亡者数」も報道されるようになりました。でも、それらは付け足し程度のもの。人々の不安を解消するほどのものにはなっていません。しかし、新型コロナの感染が一番危機的だった4月と比較すると現在の「陽性者数」はその三倍ほどになっていますが、「重症者数」はほぼ半分に、「死亡者数」にいたっては三分の一以下になっています。

こうした結果は、それまで検査をする基準となっていた「37.5℃以上の発熱が4日以上続くこと」という条件が外されて検査の数が格段に増えたからです。その一方で、現在の検査の精度が格段に上がって、症状の有無とは関係なくわずかなウィルス量の保有者であっても陽性にしていることが影響しています。しかし、「重症者数」でもわかるように感染の状況は決して深刻なものとはいえません。

先日、都内で「新型コロナはただの風邪」「マスクのない普段の生活に戻ろう」と気勢をあげる集会が開かれました。新型コロナを必要以上に怖がるのも愚かですが、こうした無意味な楽観論で社会を混乱させる運動も実に迷惑な話しです。軽微な新型コロナの感染は「ただの風邪」かもしれませんが、新型コロナウィルスの感染症そのものは「ただの風邪」ではないからです。

「新型コロナはインフルエンザ相当か、それよりも少し怖い感染症」と表現するのが適当です。インフルエンザには予防ワクチンが存在し、治療薬として服用できる薬が存在しますが、新型コロナウィルスにはまだそれがありません。ですから、油断していると感染はいっきに拡大し、重症者も急増する可能性があります。重症者の数を増やさないためには感染数を見ながら社会活動をコントロールすることが重要なのです。

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

そもそも現在の感染状況はそれほど深刻ではありません。幸いにも若い人達を中心に、無症状の、あるいは症状の軽い陽性者が多くを占めています。重症化しやすい高齢者が若い人達から感染したらどうするかという問題もあります。しかし、それはそれとしてしっかり策を講じながら、偏重した「感染拡大の阻止」から「重症者の救命」に重点をおく政策・医療に舵を切るべきです。

国や厚労省も、地方自治体も保健所も、あるいは医師会ですらも現状対応にとらわれ過ぎています。一番心配しなければならないこの冬に向けての戦略がなさすぎます。とくに医師会については、厚労省や保健所からの指示がなければなにも動こうとしていないのはなんとも情けないことです。本来、どうすべきかを提言すべき東京都医師会の会長などは「国会を開いて決めろ」と叫ぶばかりでしたし。

私は今、この冬に向けての対応策を考えています。そして、無策のまま秋になるようであれば私案として医師会あるいは保健所に提案してみようと思っています。今回はその試案をみなさんに提示し、広く皆さんからのご意見をうかがえればと思います(そのご意見は公開しません)。それらのご意見を通じて改善・修正を加え、さらに実用的・実効的なものにできればいいと考えています。

○キーワード「肺炎治療の徹底と医療崩壊の回避」「保健所、病院の負担の軽減」

○保健所、病院、クリニックでの機能分担

 保健所 : 
   感染者の状況把握、重症陽性者の入院調整、各種機関からの情報伝達

 病院  :
   比較的重症患者の入院加療(場合に応じて検査)、熱発患者の診療中止
   重症患者は感染症指定病院で治療

 クリニック(医師会会員・診察医): 
   熱発患者の電話診療(病院通院の患者の熱発も診療)
     検査や入院を要する患者のスクリーニング
     無症状陽性者のフォローアップ(毎日)
     軽症陽性者への投薬・フォローアップ(毎日)

○検査センター
 対象:「重症化を示唆する症状を有する熱発者」「4日以上続く熱発者」

 手順:検査センターに診察医が紹介状で依頼
    「新型コロナのPCR検査」 および 「インフルエンザの抗原検査」

○無症状陽性者・軽症陽性者への対応
 自宅あるいは宿泊施設での経過観察(場合により診察医による投薬)

  自宅・・・最寄りのクリニックにより投薬と毎日の病状の確認

  宿泊施設・・・医師会から派遣された管理医による健康管理および投薬、毎日の病状の確認

 これらの陽性者の情報は診察医または管理医により毎日保健所に連絡

○通常の熱発者への対応
 熱発者には事前に抗インフルエンザ薬や抗生物質の診断的治療(検査は原則的にしない)

 検査が必要と思われるケースは診察医によって検査センターに紹介

現在の検査は安易に行われています。以前の投稿記事にも書いたように、検査はあくまでも「必要な人に、必要なときにおこなうもの」です。どこかの「ど素人の政治家」が言うような、「誰でも、いつでも、どこでもおこなうもの」では決してありません。よもや「陰性パスポート」などといった陰性証明ができるものではありません。検査が適切におこなわれなければ医療は混乱するだけなのです。

繰り返しますが、今の状況を端的にいうと「重要なのは、コロナに感染したかどうかではなく、肺炎になりそうか、なってしまったかどうか」ということです。症状のない場合、あるいは熱発だけだったり、症状が軽微なケースは自宅内隔離で経過を見るべきなのです。みんながみんなに検査が必要なわけでもありませんし、よもや全員が入院しなければならないものでもありません。

PCR検査が陽性になる人をゼロにすることに全精力を注ぐなんて無駄です。日本のような人口の多い国では、経済が死ぬような強い自粛をしないかぎり不可能だからです。もし仮にそれができたとしても、そのころにはたくさんのお店や会社が倒産し、日本の経済は計り知れないダメージを受けているでしょう。今の感染状況は過剰な自粛をするようなものではありません。

多くの国民がそれぞれの立場でできうる感染対策を行いながら、少しづつ経済を回していくべきです。有事と準有事、平時とでやらねばならぬことは違います。むやみに検査を増やして「クラスターつぶし」をやっている場合ではないのです。新型コロナの感染者を減らすかわりに、失業者や自殺者を増やしてしまうなどということがあってはなりません。冬への対応は今から動き出さなければ間に合わないということに一日も早く気が付いてほしいです。

新型コロナ、真の現状

TVではあいかわらず「今日も東京で何百人以上の新型コロナ感染者」と報道しています。あんなニュースを連日聞かされれば、気持ちが塞ぎ込んだり、不安感にさいなまれる人が出てくるはずです。新型コロナウィルスが流行して半年。これまで経験したことのない新型ウィルスということもあり、過剰とも思われる自粛がおこなわれて、日本の社会活動がすっかり停滞してしまいました。それは非常事態宣言が解除された今も続き、街の商店や観光に関連した産業が悲鳴をあげています。

私はこれまで、新型コロナウィルスに関してできるだけ客観的な立場で見解を表明してきました。錯綜する情報の中で、現実的でかつ正確だと思われることを選んで投稿したつもりです。お気楽にものを言っているつもりはありませんし、人々をむやみに安心させる気休めを並べたてているわけでもありません。新型コロナのことを心配する外来の患者さんにも冷静にお話ししています。しかし、外来で新型コロナの現状を長々と説明することができません。今回のブログではそのあたりのことを詳しく書きます。

陽性者の数だけを見ると、この3月や4月のように感染が急速に広がっているように見えます。それは重症者も、あるいは亡くなる人も増え続けているかのようです。毎日、毎日、「これまでで最大の感染者数」などと報道されればそう思いたくなるのも無理はありません。しかし、現実はそうではありません。マスコミの報道の仕方は決して現実を正しく伝えるものではなく、ただ人々の不安をあおる情報のみを伝えていると感じるほど偏っています。では、現在の本当の感染状況とはどのようなものなのでしょうか。

感染拡大が深刻な状況にあるときと、感染がゼロではないがそれほど大きな問題になっていないときとですべきことは異なります。それを判断するために、この4月の状況と今とを比較して、なにが異なっていて、なにが変わらないのかを整理してみる必要があります。感染が深刻なときに楽観的な対応をするのは愚かなことです。逆に、感染の問題がそれほど深刻でもないのに、経済が死んでしまうような自粛を敢えて選択するのも馬鹿げています。感染で死ぬ人よりも失業して自殺する人の数が圧倒的に多いからです。

5月11日、それまでPCR検査を実施する目安のひとつであった「37.5℃以上の体温が4日以上続く」という条件がなくなりました。また、現在、全国の病院あるいは検査機関が政府からの補助金を受けて次々と最新型の検査機器を導入しています。その結果、新型コロナウィルスのPCR検査数を容易に受けられるようになり、その数はかつてないほど増加。今もなお増え続けています。いわゆる「これまでで最大の陽性者数」が日々更新されるのは、こうした背景があるからです。

今の最新型のPCR検査機器はものすごい「優れもの」です。3月ごろに使用されていた検査機器は検体に30~40個のウィルスが存在していれば「陽性」と判定していました。それに対して、現在の最新型ではたった5個のウィルスがあれば「陽性」となるといわれています。つまり、精度がかなり向上しているのです。3月の時点では「陰性」と判定されていた人の多くも、今の最新型の機械を使えば「陽性」となっているわけで、陽性者数の増加にはこうした背景も影響しています。

以前のブログで私は、「現在の検査には偽陰性(感染しているのに異常なしと判定される人)の問題が無視できない」と書きました。しかし、少量のウィルス保有者をも陽性にしてしまう最新型の検査機器によって、かつて私が抱いていたそうした懸念は杞憂と化したかのように思えます。ところが実際には、感度が良すぎることで今度は違った問題が生じています。つまり、感染症として発症するわけでも、また他者に移すわけでもない単なる「ウィルス保有者」までをむやみに陽性者とカウントしてしまうのです。

「ウィルスが鼻腔に数百個以上なければ他人に感染しない」といわれています。精度が良すぎる検査をおこなうと、本来であれば自然に治ってしまう軽微な感染者までひろい上げ、結果として無駄に病院やホテルに収容することになってしまうのです。 そもそも、発症もしていない、あるいは単なる風邪のような軽微なウィルス保持者を病院やホテルに収容することは医療資源を無駄に使うことになります。医療資源は「肺炎などの重症化を防ぐ、あるいは治療する」というところに集中させるべきです。

今、新型コロナの感染拡大を防ぐため、できるだけ多くの感染者を見つけようとしています。 しかし、海外の例を見てもわかるとおり、たくさんの検査をし、陽性者をとじこめてもウィルスは容易に消滅しません。 しかも「感染者」と称される陽性者の多くは無症状あるいは軽微な症状しかない人で占められ、重症者にいたってはほとんどゼロです。 検査はあくまでも「新型コロナウィルスによる肺炎が疑わしい人の確定診断」であるべきなのです。

今の新型コロナウィルスの勢いは、この3月や4月のときとは明らかに違います。イタリアの第一線で診療する医師の「どう猛な虎が、猫になってしまった」という言葉がそれをうまく表現しています。そして、そうした状況の違いは数字を通してみるとよりはっきりしてきます。以前にもご紹介した池田正行先生のホームページからの引用してみましょう。これは感染が拡大し、医療崩壊が懸念されていたころと最近の重症者あるいは入院を要する人たちの数の推移をあらわしたものです。 この表から4月と7月の様子がずいぶん異なることがわかります。

【表:重症者ならびに要入院者数】

              4月7日    5月7日    7月19日

  重症者数/陽性者数    2.3%     1.8%     0.2%

  要入院者数/陽性者数   80%      70%      16%

4月のときの検査数が少なく抑えられていたため、陽性者が少なめになって「重症者数/陽性者数」が高めになったのでしょうか。それとも感度の高い7月の検査数が多くなったため、陽性者の数が増えてしまったから「重症者/陽性者数」が低くなっているのでしょうか。でも、東洋経済のホームページにまとめられているグラフをみればわかるように、7月の重症者はほとんど微増するにとどまり、死亡者数にいたってはほんの数名増えているにすぎません。

これは病院で治療にあたっている医療従事者のおかげです。あのときの病院の混乱ぶりを考えると、医療従事者の皆さんの苦労はいかばかりだったろうと思います。そのときの奮闘のかいもあり、この間の治療方法やケアのノウハウも蓄積されて患者の予後が改善したことは想像に難くありません。もちろんその苦労・奮闘は今もなお続いています。「行列のできる店」の行列の長さが短くなっただけで、店内の混雑ぶりは今も以前となんら変わりはないのです

その一方で、新型コロナウィルスが、まさに「虎が猫になった」と表現されるような変化をとげ弱毒化しているという解釈も可能です。しかし、「猫になった」とはいえ、「飼い猫のように大人しい猫」になったのではなく、「うっかり手を出すと引っかかれたり、かみつかれたりする野良猫」程度の話しです。あちらから飛びかかってくるほど恐ろしい野良猫ではないとはいえ、慎重に、かつ、冷静に対処をすることが大切です。

これまでお話ししてきた現在の新型コロナウィルスの状況をまとめると次のようになります。

(1)「感染が拡大している」ではなく「ウィルス保有者を鋭敏に拾い上げている」と解釈すべき
(2)「ウィルスを保有している」は必ずしも「発症して感染を広げる」ということではない
(3)感染の状況は「陽性者数」で判断せず、「重症者数」と「死亡者数」で判断すべき
(4)現在の「検査陽性者」のほとんどは無症状あるいは風邪症状程度

これらの状況から我々がすべきことは次のように要約できます(私の個人的見解です)。

 ○熱発があっても、咳や胸痛、息苦しさといった症状がなければ自宅内隔離のうえ経過観察
   → 咳のみであれば経過観察でいい(抗生物質の服用を開始してもいい)
   → 咳、胸痛、息苦しさがあるなら、その時点でPCR検査を考慮

 ○熱発が始まって4日目に解熱傾向がなければかかりつけ医に電話で相談
   → ひきつづき他の症状がなければ経過観察も可(抗生物質の服用を開始してもいい)
   → 途中で咳のみ出現したなら抗生物質の服用を開始
   → 胸痛や息苦しさ、味覚異常などが出現したら、その時点でPCR検査を考慮

 ○熱発後3日以内に解熱傾向となったり、終始熱発がなければ風邪として経過観察

症状が軽いとき、あるいは熱以外に症状がないときはあわててPCR検査をする必要はありません。発症しない、あるいは他に感染を広げることのない軽症者までをひろい上げ、社会をむやみに混乱させ場合によっては医療機関などのベットを無駄に占有してしまうからです。あくまでも「新型コロナに感染したかどうか」よりも「肺炎になりそうか、なってしまったか」の方が重要です。もともとコロナウィルスは風邪のウィルスです。年間3000人以上が死んでいるインフルエンザよりも恐ろしいはずがありません。

マスコミは放射能のときのように、人心を揺さぶり、不安をあおるような報道を繰り返しています。そうした報道に振り回され、今の状況を「第二波がやってきた。ふたたび自粛だ、非常事態宣言だ」と騒ぐのは愚かなことです。ときどき「癌になったらどうしよう」と不安になっている患者がいます。私はそんなとき、「癌でもないのに心配してもはじまらない。不安になるのは癌になってからにしましょう」とお話しします。まさに「感染状況が深刻になりそうになったら心配すべき」なのです。

ある研究者がTV局からの出演依頼を受け、「むやみに検査を広げるのは有害無益」と自分の主張を伝えたところTV局は出演依頼を取り下げてきたといいます。マスコミなんてそんなものです。真実がどうかなんて興味がないのです。ただひたすらに人々の注目をひくセンセーショナルな情報を垂れ流すのみ。であるなら、国民ひとりひとりが賢くなって、できるだけ正しい情報を、できるだけ冷静に判断するしかありません。ひとりでも多くの国民が正しい情報にもとづき、自分のあたまで考えなければならないことを、今回の新型コロナウィルスは教えていると思います。

当たるも八卦(はっけ)

この記事は2016年8月21日にアップした原稿を修正・加筆してものです。医師会雑誌への投稿依頼があったのを機に、送られてくるスパムメイルが多かったこの原稿を書き直ししました。細かい部分は一部変更されていますが、大筋ではこれまで通りです。ご了承ください。

人は青年期にいろいろな悩みに直面するものです。そのときの不幸を嘆いたり、うまくいかないことにため息をついたり、そこはかとない不安を感じたりと内容はさまざまです。還暦を迎える私も、青年期には自分の進むべき道に迷っていた時期がありました。もともと悩みを相談できる友達もいませんでしたし、家族に相談したこともありません。ですから、青年期の不安や孤独を感じても、自分の中で出口を探しながらもがくことしかできませんでした。

青年期の悩みを解決する手がかりを求めていろいろな本を読みました。それは亀井勝一郎の人生論だったり、加藤諦三の心理学の本だったり、あるいは当時NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が書いた「男は20代でなにをなすべきか」だったり。手当たり次第に読んでいました。もともと好きだった山本周五郎や井上靖、石川達三や司馬遼太郎の小説なども、心の琴線に触れる場所を探しながら読み返していました。きっと私なりに試行錯誤していたのだと思います。

そんなとき母親に「よく当たる手相占いをする人がいるから行ってみないか」と誘われました。それまで自分の悩みを親に打ち明けたことはなく、ひょっとして母は私の悩む姿を見かけて心配してくれたのかもしれません。それにしてもはじめは「手相かよ」と思いました。占いなどは抽象的なことを言って当たったように思わせる詐欺みたいなもの、といった印象を持っていたからです。しかし、溺れる者はわらをもつかみたくなるものです。私はその占い師の家に行ってみることにしました。

事前に手相を見てもらっていた母親は「とても当たるんだよ」と興奮気味です。でも、母が前のめりになればなるほど私は懐疑的な気分になりました。東急東横線の「学芸大学駅」で降り、住宅街を歩いていくと、まるでドラマに出てくるような木造モルタルの古いアパートに到着しました。そして、さび付いた外階段を二階へあがったところにその部屋がありました。にこやかに出迎えてくれた占い師は白髪に白いひげをたくわえた老人で、当時すでに80歳を超えているように見えました。

室内は小奇麗に片付いており、六畳ほどの古い部屋の四隅の柱には小さな神棚が祀ってありました。奥さんとおぼしき女性が、私たちが持参した菓子折りの礼を言いながら菓子を神棚にそなえました。母親がいうには、その占い師は商売で見ているのではなく、あくまでも趣味で占っているとのことでした。とはいえ、老人のその風貌といい、住んでいる部屋の雰囲気といい、小机の上の占い道具といい、占い師としては趣味の域を超えているように思えました。

「まずここに生年月日と名前を書いてごらん」。私は老人に言われるままに生年月日と名前を書きました。すると彼は、私が書いた文字を虫眼鏡でのぞきながら、広告チラシの裏紙に計算式を書き込んでは古びた表紙の本をなんども開いてなにかを書きとめていました。私はそんな老人の様子を見ながら「インチキ占い師じゃなさそうだ」と思い始めていました。しばらくして彼は「そろそろ手相を見せてもらおうか」と言いました。私は恐る恐る手を差し出しました。

老人は私の左右の手のひらを何度も見くらべながら、手のひらのしわを伸ばしたり、虫眼鏡をのぞき込んだりしていました。そして、ときどき私の顔を見てはまた手のひらを見るという動作を繰り返しました。まるで儀式のような作業をひととおり終えると、にこやかに私の方を向いて「なにについてお話しすればいいかな?」と自信ありげに言いました。私はすぐに本題に入ることをためらいました。なぜなら「抽象的な言い方でごまかす詐欺」という不信感がまだくすぶっていたからです。

しかし、老人は占い師らしく切り出しました。「なにか悩みがおありのようだが、君の中では結論が出ているんじゃないかな?」。そう言い切った彼は私の悩みを見通しているかのようでした。当時の私は医学部の受験を控えて迷いがありました。落ちたらどうしよう、落ち続けたらどうしよう。失敗したときのことを考えるたびに、医学部以外の無難な道を選んでしまいそうになっていました。でも、この老いた占い師の前に座っている私の中で、それらの不安が薄れていくのがわかりました。

「でも、君が出した結論は正しい。いろいろ悩んだと思うが、再来年にはいい年がやってくるから頑張りなさい」。すべてはこの言葉で決まりました。そして、彼は紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書いて私に渡しました。さらに続けました。「自宅周辺の白地図を買ってきなさい。そして、自宅から西の方角に線を引くと神社がある。そこの湧水をもらってきて飲みなさい」。「神社?湧き水?」。私はすっかり老人の言葉にひきつけられていました。

その占い師の部屋には1時間余りいたでしょうか。帰る途中で白地図を購入し、自宅でさっそく地図上に線を引いてみました。するとどうでしょう。真西に引いた直線のまさに線上、自宅から直線距離にして7㎞あまりのところに神社がありました。今までそんなところに神社があるなんて思ってもいませんでした。それをのぞいていた母は「すごいっ!」と興奮気味。もちろん私も驚いていました。いてもたってもいられなくなりその神社に行ってみることにしました。

その神社は静かな森にかこまれ、厳かな雰囲気の漂う場所にありました。想像していた以上に立派な神社です。私が訪れたとき、参拝者はおらず、ひとりの宮司が竹ぼうきで石畳を掃き清めていました。あたりを見渡しても、あの老人が言った湧き水をもらえそうな場所がありません。私は掃除をしている宮司に尋ねてみました。「すみません。この神社に湧き水はありますか」。するとその宮司は境内の奥を指さして言いました。「それならこの先の突き当りにありますよ」と。

宮司に教えられたとおり、神社の参道をまっすぐ歩き、境内の一番奥まで行ってみました。すると、その片隅にひっそりと湧き水の出る井戸がありました。その水をもらっていくための容器まで置いてあります。私はあの老人の占いが具体的に当たっているのに感心していました。神社の場所も、また、そこで湧き水をもらえることも言われたとおりだったのです。私は指示された通りに飲めばなにかいいことがあるのではないかと思いながら、その水を自宅に持って帰りました。

その後の私の人生はその占いの通りになりました。翌年の受験(北大以外の大学)には失敗したものの、次の年、北海道大学医学部に合格したのです。あのとき老人は私に渡した紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書きました。北大に受かったとき「占いは外れたなぁ」と思いました。札幌は自宅の北に位置していると思ったからです。しかし、よく調べてみると札幌は自宅の北東。最初の受験に失敗することも含めて実は「予言」通りだったのです。

あの時、「なんでもいいから質問しなさい」と言われた私は、真ん中でぷっつりと切れていた自分の生命線を見てもらいました。手相など信じていなかったとはいえ、生命線が途切れていることはやはり気になっていたのです。すると老人は微笑みながら言いました。「手相って変わるんだよ。大丈夫、この線は必ずつながるから」と。その後、ときどき確認していましたが、いつしか生命線はつながって、今では途切れていたことがわからないほどになっています。

今、振り返ると、あの占いはいろいろなことが的中していました。面白半分に「結婚は何歳になりますか」と尋ねてみたときのこと。老人は「一番いいのは40歳ぐらいのとき。だけど、その前に二度チャンスがある」と言いました。当時の若かった私は「40歳なんてオッサンの歳で結婚するのか?」と苦笑いをしたものです。しかし、老人に指摘された年齢にお見合いをしたのも当たりならば(しかも二回とも)、40歳ならぬ38歳で「運命の人(今の家内です)」と結婚したのも不思議な一致です。

人は「占いの結果に引きずられたんじゃないの?」と言います。でも、意識的にそうなろうとしても、なかなかなれるものではありません。思い通りの人生を歩める人もいるかもしれない。でも、ほとんどの人生は思い通りにはならぬもの。岐路に立たされた時の判断がベストだったかどうかはあとになってわかります。その時の判断が適切だったかどうかではなく、ひとつひとつの判断の積み重ねが人生そのものなのです。その意味でもあの占いはすごいと思います。

手相を見てくれた占い師はすでに「鬼籍の人」だと思います。でも、彼は私の記憶に残る「奇跡の人」でもあります。あの後、何人もの知り合いが私の話しを聞いて手相を見てもらいに行きました。しかし、何人かの人は「占いを信じない人の手相は見ない」と追い返されたと聞きます。なのに彼は、占いを信じていなかった私を「面白い人だから連れてきなさい」と母に言ったそうです。もしかするとあの老人は、その後、ほぼ自分が占った通りになる私の人生をすべてお見通しだったのでしょうか。

新型コロナの総括(2)

(1)からつづく

私はこれまで「不容易にPCR検査は増やすな」と繰り返してきました。でもそれは「PCR検査は不要だ」とか、「PCR検査は無意味だ」と言っていたわけではありません。PCR検査は採血結果や胸部CTなどと組み合わせて、感染が疑わしい患者に絞っておこなうべきだと主張していたのです。それは「検査の原則」です。不正確なPCR検査は少なからず疑陽性の人を作り出し、そうした人たちが病院に殺到して医療崩壊をもたらします。検査は、することで得られるメリットと、検査をすることによって生じるデメリットの両方を考えなければなりません。

今は、日によっても異なりますが、感染拡大は落ち着いているといってもいいと思います。PCR検査で陽性となっても、無症状あるいは軽症の人は自宅や宿泊施設で経過観察するようになっています。そして、検査を増やして、仮に多少の偽陽性が出たとしても、その偽陽性者が押しかけて病院を疲弊させ、医療崩壊につながるような心配はなくなりました。ですから、「不安だから検査をしてほしい」というケースであっても、あえて検査することを私は否定しません。もっとも、今は以前にくらべて、不安にかられて「検査してくれ」とパニックになる人などいないかもしれませんが。

先日、コンビニに行きました。カゴを持って店内を歩いていると、なんとなく周囲からの視線を感じました。「なんだろう?」と思いながらレジに並んでいるときにその視線の理由がわかりました。店内の人が皆マスクをつける中、私だけつけ忘れていたのです。店員の女の子が天井からぶらさがっている透明カバーの向こうから片手をのばして釣り銭を投げるようにして渡してきました。その店員はマスクをしていない私を明らかに避けているようでした。店内の客の多くも、おそらく私を見ながら「(マスクをしていないなんて)なんて非常識なんだろう」と思っていたに違いありません。

どのお店も客はマスクを着用することが暗黙の了解になっているようです。店内の人ばかりではなく、学校や病院にくる人も、街を歩く人も、熱発はおろか、自覚症状すらないのにマスクを着用していることが当たり前の風景になってしまいました。しかし、私には少しやりすぎなのではないか、と感じることがあります。なぜなら、今、行なわれている感染対策は、新型コロナに感染した人がその辺にいるかも知れない「有事」におこなうものだからです。一千万人の人が住む東京ですら数十人の陽性者しかおらず、東葛地域に新規の陽性者がほとんど出ていない今、そこまでの対策が必要でしょうか。

もちろん無駄だと言っているのではありません。マスクをしていたい人、マスク着用を他者へのエチケットと考える人はマスクをすればいいのです。私がいいたいのは、「有事」でもないのに、これといった症状があるわけでもない人までもがマスクの着用を強いられるのはどうなのかという点です。世の中では「新しい生活様式を」と呼びかけています。しかし、感染自体が落着いている「準有事」あるいは「平時」には必ずしも合理的とはいえない過剰な対応を、「新しい生活様式」として定着させようという動きには違和感を感じます。感染症の対応は「有事」「準有事」、「平時」で区別すべきです

すでに「有事」でもない今、フェイスシールドをしながら授業をする先生も異常なら、生徒と生徒の距離をとるために半数づつが一日おきに登校するのも異常です。パソコンの画面を見ながら「リモート」で部活の練習をするのも異常なら、交流試合をことごとく中止するのも異常だと思います。症状もないのに毎日、しかも一日に何回も体温を測るのも異常なら、その体温の記録を生徒に義務付け、学校に提出させるのも異常です。こんなことは感染が拡大を続け、そのあたりに感染患者がいるかもしれないときにやる対応です。もっと頭をはたらかせて、本当に必要なことがなにかを考えるべきです。

医療の世界においても、パソコンの画面を見ながら「診察」をし、薬の処方をすることが期間限定で認められています。いわゆる「オンライン診療」です。ある医療雑誌には「医療の未来を先取りする外来の姿」などと手放しで賞賛されました。しかし、これって「診療」でしょうか。医者にすれば患者をどんどんさばくことができ、患者にすれば手軽に薬がもらえる。一見すると両者にとってよさそうな方法ですが、これなら薬局で薬を買うこととかわりません。「ちゃんとした外来」をやっている医者からすれば、このような外来は手抜きとしか思えません。ですから当院ではおこなっていません。

「ちゃんとした外来」をやっていれば、診察に入ってきた表情や様子で通院患者の変化を知ることができます。自宅での血圧と診察室での血圧を比較することによって問題点が明らかになることもできます。聴診をすることによって、今までなかった不整脈や心雑音を見つけることだってできます。患者がつけている血圧手帳を見たり、お薬手帳で他院での薬を確認することで疑問が解決することだってあります。パソコンの画面を通じて簡単な会話を交わすだけの「診察」はそんなことすら省略して、回を重ねるにつれてだんだんといい加減なものになります。それは必然です。

新型コロナが流行したからといってこれまでの生活様式を変える必要などないと思います。これまでの生活様式は長い年月をかけて作られたものです。社会はその様式を前提にできています。感染の拡大が懸念される「有事」と「準有事」には、当然のことながらそれぞれの状況に応じて生活のあり方を変えるにせよ、感染が落着いた「平時」となればまたいつもの生活に戻すべきです。思えば今年の1月に中国で新型コロナの感染が拡大していたときにこそ台湾がおこなったような入国制限などの対策をとるべきだったのに、中国の習近平国家主席の国賓来日をひかえて政治的な判断を優先させてしまいました。

野党も同じように「中国からの入国制限をすれば、日本の観光地は大きな損害を受ける」として積極的な対応には否定的でした(桜を見る会のことばかりでした)。そして、案の定、新型コロナウィルスは我々が懸念したように日本国内に感染は広がっていったのです。その後のドタバタぶりはすでにご承知のとおりです。野党はそれまでの無関心に対する国民の批判をかわすように「PCR検査をもっとやれ。検査を希望する国民全員に検査を」の大合唱でしたし、医療崩壊の危機が叫ばれるようになって政府がとったのはなりふり構わずすべての国民の動きをとめることでした。

国民の多くも同様に危機感が薄かったように思います。渡航注意勧告がなされている中で海外旅行に出国する人。日本に帰国してもPCR検査を拒否する人や、結果がでないうちに要請を無視して帰宅してしまう人。感染拡大がまさに正念場を迎えていたときでさえも、全国民が一丸となって対応するという機運に乏しいように感じました。そして、緊急事態宣言が出るやいなや今度は極端な自粛。「自粛警察」あるいは「マスク警察」という人たちがではじめたのもこの頃からです。そして今度は「新しい生活様式」ですか。やるべきときにやるべきことをやろうぜって言いたくなります。

全国一斉の休校措置もありました。今頃にになってその休校措置が実は無意味だったのではないかといわれていますが、そんなことはあのときにわからなかったのでしょうか。学校に続いてほとんどのお店や会社が休業となって、経済をはじめとする日本の社会機能はほとんど停止状態となりました。昨年の秋に多くの人が反対した消費税増税の影響が明らかになったばかりなのに、今度は新型コロナウィルスのせいで日本の経済が深刻な影響を受けています。この影響が顕在化するのはこれからだと思いますが、経済を支えるはずの経済対策は不充分でとても遅いと感じます。

増税前にはあれほど「リーマンを超える危機があれば消費税増税は中止する」と言っていたのに、そのリーマン級をはるかにこえる経済危機を目の前にした今、消費税減税をしない理由がわかりません。そして、消費税減税よりも即効性があると決められた定額給付金。これは国民が等しくお金を使うことによって景気を下支えするためのものです。その肝心な給付金が遅いのも、せっかく導入したマイナンバーカードがちゃんと機能していないからです。そんな中途半端な仕組みにしたのは、いちぶの政治家が「プライバシーが担保できない」と反対運動を繰り広げたから。政争にあけくれる政治家の先見性のなさがあだとなっています。

「新しい生活様式を」などと悠長なことをいっている場合ではありません。まずは今の日本の経済が奈落の底に落ちていかないように迅速に対応すべきです。そのためにもできるだけこれまでに近い生活を取り戻す必要があります。今後もおそらくは検査で陽性反応となった人が増えたり減ったりしながらダラダラと夏が過ぎ、秋に向かっていくことでしょう。決して「感染者ゼロ」とはならないだろうと思います。これは検査に偽陽性が少なくないことからも明らかです。しかし、だからといって新型コロナウィルス感染の封じ込めが失敗したわけではありませんから心配は無用です。

今、大切なことは新型コロナウィルスに感染したかどうかよりも、肺炎になってしまうかどうか、重症化してしまったかどうかが重要です。医療が崩壊してしまうような混乱が起こらないかぎり、感染したかどうかをことさら心配する必要はありません。これまでの経験をふまえて「どの時点で何をするのか」を考えておくべきです。秋になればきっとまた新型コロナの感染拡大がクローズアップされるでしょう。しかし、来年になれば早い段階でワクチンの接種がはじまり、季節性のインフルエンザと同じような扱いになるのです。それまでに第二波といわれる大規模な感染拡大をいかにおさえるか、です。

今、私は診療中にマスクをしています。しかし、それは必ずしも「感染しないよう、させないよう」にマスクをしているわけではありません。私がマスクをしないことによって患者に不快な思いをさせないためです。つまり、エチケットとしてマスクをしているのです。とはいえ、今は4月の危機に直面した時とはまったく様相が違います。ですから、私自身は巷(ちまた)の感染状況を見ながら少しづついつもの診療風景に戻していくつもりです。そして、日常の生活もできるだけ以前の状態を取り戻したいと思っています。それは日本が再び輝きを取り戻すためでもあるからです。

がんばれ、日本!

【追伸】 日本経済のためにも定額給付金は必ず使いましょう