ワクチンは無意味か?

新型コロナウィルス感染症が全世界に広がって、私たちが医学書の中の言葉ででしか知らなかった「パンデミック」を実体験しています。この間、たくさんの人が亡くなり、少なからずの人たちが今も後遺症に悩んでいます。しかも、新型コロナウィルスは、社会の価値観もある意味で一変させてしまいました。と同時に、人々の間に溝を作り出し、社会を分断する状況にもなっています。マスクをするのか、しないのか。ワクチンを打つべきか、打つべきではないのか。確固たる結論がでないまま世の中は混沌としています。

私たち医者は、もちろん経験も重要ですが、できるだけ科学的根拠にもとづいて行動するようにと教育されています。多くの医者はそのように行動しています。しかし、中にはそうした科学的根拠には目もくれず、自分の情緒に振り回されているかのように立ち振る舞う人もいます。新型コロナウィルスの感染拡大を目の当たりにした医師が、どんな立場にあるかによっても考え方は異なりますが、それ以上に新型コロナウィルス感染症の恐ろしいイメージによって右往左往している医者も決して少なくないのです。

ある医者は今もなおワクチンの接種を推奨しています。別の医者はワクチンの危険性を強調して接種をするなと叫んでいます。新型コロナウィルスに感染する人がここまで減ってくると、ワクチンを接種しようと考えていた人でも「もういいか」と思いたくなるはず。現に、当院にワクチン接種の予約をする人の数は激減しています。ドタキャンもめずらしくなくなりました。それは我孫子市全体でも同じで、ワクチン接種をそろそろ終了しようと考えている医院は当院もふくめて増えていくでしょう。

では、今もなお接種が勧められている「オミクロン対応型ワクチン(BA.4とBA.5に対応した2価ワクチン)」の追加接種(これを「ブースター接種」といいます)ははたして有効なのでしょうか。ちまたでは「ワクチンを接種しても感染するんだから意味がない」という声が大きいように思います。しかし、意味がないかどうかはちゃんとした科学的なデータから判断しなければなりません。少なくとも「感染するんだから意味がない」という極論で断罪できるほどワクチンに大きな問題があるとは思えません。

「思えません」と言っただけではなく、いくつかの主だったデータをご紹介します。まずは、アメリカ疾病対策センター(CDC)が発表した研究結果です。その研究では「現在の接種の主流となっている2価ワクチンのブースター接種はオミクロン系統の変異ウィルスの感染リスクを半減させる」と結論づけています。しかも、死亡リスクはワクチン未接種の人とくらべては13分の1に、ワクチンを接種したがブースター接種をしていない人とくらべると死亡率はほぼ半分に減少するというものでした。

同じく、NEJM誌(ニューイングランドジャーナルオブメディシンという権威ある医学雑誌)に掲載されたデータでも、「2価ワクチンによるブースター接種の入院および死亡抑制効果は、従来のワクチンによるブースター効果の2倍以上だった」というものでした。ただし、この2価ワクチンのブースター効果は約4週間でピークに達し、その後は徐々に低下するようです。これらふたつのデータを見ても、現在、流行の中心となっている変異株に2価ワクチンの接種が決して「意味がないもの」ではないということがわかります。

その一方で、これまで従来のワクチンを4回接種していれば、この2価ワクチンによるブースター接種をしなくてもいいのでしょうか。そのことに関する日本のデータがLancet Infectious Diseases誌に掲載されています。それによると、パンデミック初期に作られた従来型のワクチンを接種した人では現在の変異株に対する中和活性(有効性をあらわす数値)は著しく低く、多くは検出限界以下だったようです。つまり、従来型のワクチンを4回接種したとしても変異株にはあまり効果は期待できないという結果でした。

現在の新型コロナウィルスに感染しても多くの場合は比較的軽症で済んでいます。それはウィルスそのものの危険性が低下してきたからですが、その一方で、たくさんの人がワクチンを接種し、少ないながらも中和抗体ができているからだという側面も忘れてはいけません。中国の研究グループの解析によれば、ワクチン未接種の人が新型コロナウィルスに感染すると、感染初期に心血管系の疾患にかかるリスクが2倍に、全死亡リスクに至っては80倍以上にもなるという結果でした。これらのリスクは最長18ヶ月後も同じでした。

もちろん、今の新型コロナウィルスのリスクはインフルエンザのそれよりも低下しているとも報告されています。重症化率は2021年7~10月の時点で80歳以上で10.21%、60歳以下で0.56%でしたが、2022年7~10月の時点ではそれぞれ1.86%と0.01%に低下しています。ちなみに季節性インフルエンザのそれは80歳以上で2.17%、60歳以下で0.03%です。また、致死率は80歳以上で7.92%が1.69%に低下、60歳以下で0.08%が0.00%になっています。インフルエンザでは80歳以上で1.73%と60歳以下で0.01%です。

こうしたデータから見ても、新型コロナウィルス感染症の危険性は確実に低下しています。しかし、だからといって「ワクチンは意味がない」ということにはなりません。それはこれまでワクチンを多くの人が接種してきたおかげであり、今後も2価ワクチンによるブースター接種を受ける人がいるからです。とくに70歳以上の高齢者にとってはワクチンは必須だと個人的には考えています。問題はこれまでワクチンを接種してこなかった人たちです。こうした人たちが万が一重症化した場合を忘れてはいけません。

私は「すべての人がワクチンを接種しなければならない」といっているのではありません。パンデミック当初のように、ウィルスの危険性が高く、また、たくさんの人が感染して医療崩壊がおきない方策が必須だったころであれば「接種すべき」だと主張するでしょう。しかし、現状を見る限り、あのときの危うい状況とはあきらかに違います。ですから私は「ワクチンの未接種はそれなりにリスクがあるが、ブースター接種するかどうかは個人の判断に任せてもいい」という立場をとっています。自己責任が問われているのです。

「ならばワクチンの【危険性】についてはどう考えるのか」と思われるかもしれません。しかし、私はあえて答えたいと思います。「どんなことにもリスクとベネフィットがある」と。リスクがベネフィットを上回るワクチンは接種すべきではありません。しかし、その逆であれば接種すべきです。たくさんのワクチン接種がおこなわれれば重大な副反応も起こります。そのまれに起こるリスクをことさらに強調して人々の不安をかきたてるのは決して正しいことではありません。事実は科学的根拠をもって語るべきです。

マスクやワクチンの価値はそれぞれの立場でさまざまです。どちらの立場であれ、他人に強制するものではないと思います。私自身がマスクをするのは、他人に対するエチケットだと思うからです。人がマスクをしていなくても気になりません。私がワクチンを接種するのは新型コロナに感染するわけにはいかないからです。人にワクチンを接種する側の人間だからでもあります。ですから、ワクチンを接種しない、したくない人がいてもいいと思います。情緒だけで行動すると本質を見誤るということを忘れないでください。