新型コロナの総括(1)

緊急事態宣言が解除されて一週間が過ぎました。今のところ、散発的なクラスターによる感染者は発生していますが、「第二波」というほどの再流行ではなさそうです。これまでの自粛によって社会のさまざまなところで影響がでました。緊急事態宣言が解除されたからといってそれらの影響がそう簡単に払拭されるわけではありません。以前の生活に一気に戻すのではなく、新型コロナの感染に注意を払いながら、慎重に、そして着実にこれまでの日常を取り戻すことが必要だと思います。

2020年が明けてからのこの半年、個人のレベルのみならず、日本社会というレベルでも、あるいは世界的なスケールにおいてもはじめての連続だったと思います。新興の感染症が一部の限定された地域ではなく、日本のあらゆる場所で拡大するなどということは近年経験したことはありません。外国をふくめてどこかに逃げることもできず、ひたすら自宅に引きこもるしかないという状況は、世界大戦が勃発した80年前以来ではないでしょうか。まさに感染症という人類の敵と全世界が戦った半年間でした(です)。

私たち日本人はこれまでどう行動したのか。今、それを振り返り、混乱と不安に翻弄された半年から学ぶ必要があります。しかし、疫学や感染症の問題は人の価値観だけで善し悪しは判断できません。科学的に正しいか、倫理的に正しいか、あるいは社会的に正しいか、判断する基準は人によって、立場によってさまざまです。これから書くことはあくまでも私個人の見解です。もちろん、私自身は理性的かつ常識的に感じたことを書いたつもりです。それを皆さんがどうお感じになるかはわかりませんが。

昨年の秋、中国の武漢市に発生したといわれる新型コロナウィルス(COVID-19)はまたたく間に中国全土に広がりました。感染拡大を防ぐため、中国共産党は民主主義国家では考えられないような強権を使って都市封鎖をし、患者を収容・隔離しました。その効果があってか、感染拡大はそののち徐々におさまっていきました(あれほど理想的な収束は多くの人に疑われていますが)。その間、新型コロナウィルスは世界中に拡散し、たくさんの人が亡くなりました。そして、それはまだ終わっていません。

幸い、日本は比較的早くから感染者を出したわりには感染者の拡大を抑えることに成功したように見えます。医療崩壊もかろうじて回避することができました。死亡者数もかなり少ないといってもいいと思います。こうした現実を、海外のメディアは「奇跡」と表現していますが、これは単なる「偶然」でも、「奇跡」でもありません。日本人全員がそれぞれの持ち場で努力をした「必然」です。もちろん問題点や課題はありました。第二波が懸念される今、そちらにも目を向けなければなりません。

多くの日本人が新型コロナウィルスが流行する以前から日常的にマスクをしていました。そうした光景は欧米の人たちからは奇異に見えていたようです。日本人が「他から感染症をうつされないようにマスクをしている」だったのに対して、欧米の人たちの目には「マスクをしている人は他の人に感染させるような病気にかかっているから」と映るようです。しかし、今回の新型コロナの流行によって、はからずも日本人の生活習慣がそれなりに有用だったことを全世界の人が知ることになりました。

日本では以前から「手洗いとうがい」というものが日常になっています。大人になるにつれてそうした習慣は薄れていくとしても、多くの日本人にそうした習慣が定着していたことが今回の感染拡大の抑制につながったことは想像にかたくありません。咳エチケットや人前では大声で話しをしないことなど、子どもの頃から躾けられている他人への配慮も感染者数を抑えた理由のひとつかもしれません。欧米のような、キスやハグといった他人との直接的な接触をともなう習慣がなかったのも幸いしました。

日本人に特有な集団性も見逃せません。周囲と強調し、決められたルールは守る。我慢と抑制を美徳と考える日本人の基質が効を奏した形です。ただ、そうした性質が強くなりすぎると、他人がマスクをしていなかったとき、あるいは自粛をしていないと感じたとき、勝手な行動をとっているように見えるとき、それには我慢がならないようです。ともするとそれが極端な同調圧力となって、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる人たちを生み出します。自分とは異なる行動をする人を許せなくなる人たちです。

以前のブログでも書きましたが、原発事故のとき当院では放射能の危険性に不安を感じている患者さんのために、「放射能の危険性は冷静に考えよう。必要以上に怖がりすぎてはいけない」と書いたレジュメを配っていました。しかし、そんなレジュメを渡している私を許せなかったのか、誰かが「医者のくせに楽観的すぎる。恥を知れ」と書いたメモが当院のポストに投げ入れられました。これも「(自分と同じように)放射能を怖がるべきだ」と考えるある種の同調圧力だったと思います。

一方で、社会を支えていくという意識が日本人には希薄です。自らの感染のリスクを負いながら病院に勤める看護師の子どもの登園を断った保育所がありました。病院で診療にあたる医者がタクシーに乗車拒否をされ、自宅に帰れずに病院に寝泊まりしていたケースもありました。物流をになうトラックの運転手や宅急便の配達員に心ない言葉を投げつける人もいました。彼らがいなければ社会生活は維持できないにもかかわらず、彼らをいかにして支えるかという発想のない人が少なくなかったのです。

誰のお陰で社会が支えられているかに思いがいたらないことは悲しいことです。そうした人たちは「社会を支えている人たちを支えること」よりも「自分の身を守ること」でいっぱいいっぱいなのでしょう。他人のことを考える余裕すらない彼らを一方的には責められないかもしれません。しかし、新型コロナウィルスの感染拡大阻止のため、あるいは感染患者の治療・看護のため、さらには国民の日常生活を維持するために働いている人たちを支えることを、本来、私たちは優先的に考えなければならないことです。

感染者数が増えて世の中がにわかに騒がしくなってきたとき、対応にあたっている保健所の所長のメイルが届きました。そこには保健所がどのような厳しい状況に置かれているかが書かれてありました。感染するかもしれないという不安の中で増え続ける検査。陽性患者を収容しようにも病床がなく、患者の受け入れをお願いするためにいろいろな病院を訪問する毎日。自宅待機している陽性患者のフォローアップと急変した患者の対応。保健所全体が疲弊している様子が手にとるようにわかりました。

新型コロナに感染した重症肺炎の患者が収容されている病院の実情はもっと深刻でした。もし院内感染によってスタッフが欠ければ、さらに少ない人数で治療や看護にあたらなければなりません。スタッフの戦線離脱は他のスタッフへのさらなる負担増につながるのです。亡くなっていく患者、次から次へと入院してくる重症患者。いつ尽きるともしれない患者達を前にどんな気持ちで仕事をしていたかを思うと、黙々と働いていた医師や看護師、パラメディカルの人たちには感謝しかありません。

そうした病院の苦悩をよそに、「もっと検査をしろ」「早く検査をしろ」の声はときに強くなりました。現行のPCR検査の精度は決して高くなく、疑陽性や偽陰性の問題が無視できません。入院の必要がない疑陽性の人が病院のベッドを占拠し、本当の患者の治療を妨げます。偽陰性の患者は感染していないと勘違いをして、無自覚に感染を広めてしまいます。PCR検査は他の検査とともに事前確率を高めてから実施するものなのです。いうまでもなく「心配だからするもの」ではありません。

こうしてみると、新型コロナウィルスはまるで原発事故のときと同じ光景を映し出しました。自ら感染する危険性を背負いながら必死に検査をしている保健所の職員に「なんでもっとたくさん検査をしないんだ」と罵倒する国会議員たちは、原発事故の収束に向けて命がけで作業をする東電職員を一方的に怒鳴りつけている総理大臣の姿に重なります。新型コロナ感染患者の治療・看護にあたる人たちを「ばい菌扱い」する市民は、まるで原発事故とは無関係な東電職員に心ない言葉を吐き捨てる市民と重なります。

事態の収拾に奔走する人たちがいなければ社会は支えられないはずです。そうした人たちがいるからこそ私たちは日常と同じような生活を継続することができます。そのような大切なことも忘れ、頑張っている人たちに鞭を打つことができる人たち。「それなら自分でやってみたらどうだ」と言いたくても、彼らには抗議をする方法がありません。そんな理不尽に耐え、黙々と仕事を続ける彼らに私はプロフェッショナリズムを感じます。文句と愚痴とケチをつけてばかりの人間ほど自分からはなにもしないものです。

検査をむやみに増やさなかったからこそ感染拡大を最小限に抑えられたという側面も無視できません。感染の拡大は不正確な検査をふやしてもわかりません。そのかわり重症患者数の変化から推測することはできます。その推移を見れば、4月の下旬には感染は収束しつつあったことがわかります。「検査を増やせ」の声に押し切られ、「検査を受けたい人がいつでも受けられる」ように数を増やしていたらもっと大変なことになっていたかもしれません。それは検査をやりすぎた海外の事例をみれば明らかです。

不必要な検査をたくさん実施することになれば、検査をしている保健所や患者の治療をしている病院の負担を増やし、そこに働く人たちをさらに疲弊させることになります。延いては病院が機能不全をおこして医療崩壊をもたらすことにもつながります。「検査をしなければ感染状況を正確に知ることはできない」という絵空事を繰り返し、「国民の不安を解消するためにもっと検査を」とさけぶド素人の国会議員には困ったものです。検査の原則も知らない「ポピュリズムの政治主導」はただただ迷惑なだけです。

「ポピュリズムの政治主導」は福島原発事故の際にもありました。子どもの甲状腺癌を見つけるためにおこなわれたエコー検査がそれです。このエコー検査もPCR検査と同様に単独で浅く広くおこなう検査ではありません。つまり「癌を見つけるための全数検査」ではないのです。こうしたエコー検査は「甲状腺癌を疑った患者を絞り込むためのもの」です。結果としてわかったことは、「原発事故の影響はなかった」というごくあたりまえなことでした。莫大な費用をかけておこなったわりに、です。

TV局の意向や番組の趣旨を忖度してコメントする人たちを私は「専門家芸人」と呼んでいます。原発事故のときも「専門家芸人」は世の中をかきまわす困った存在でした。権威主義の人たちにとって、「専門家」あるいは「大学教授」という肩書きを持つ人からの情報は、それが正しいかどうかというよりも「権威のある人からの情報」として重要な意味をもちます。視聴者の不安をかき立てる関心事であればなおさらです。でも、不安をあおって視聴率をとっている番組が正しい情報をもたらすはずがありません。

「専門家」と思われている医師にもリテラシーが一般人と変わらない人がいました。新型コロナウィルスの検査で陽性を示した患者が増えたとたんに、慌ただしくクリニックを閉めてしまった医者がいました。あるいは、早々に「熱発患者お断り」の貼り紙をして熱発患者の診療から逃げ出してしまった医者もいました。かかりつけ医に放り出された患者達は、他の病院を受診することになります。それでなくても忙しい病院の負担をさらに増やしてしまうことを「敵前逃亡した医者たち」はどう思っていたのでしょうか。

                             (2)につづく

大好きな風景

いつも新型コロナの話しばかりを読まされては皆さんも気が滅入ってくるでしょうから、今回は「私の好きな風景」についてちょっとお話しします。とはいいながら、これまでのブログにも同じようなことを書いてきましたから、新鮮味はないかもしれませんけど。

すでにおわかりだと思いますが、私は北海道が、札幌が、そして北海道大学が大好きです。もしかすると「愛している」ってレベルかもしれません。なぜそんなに好きなのかわかりません。北大に合格するまで、北海道を訪れたことは高校のときの修学旅行で行っただけなのに、です。「I LOVE 北海道」になったきっかけを振り返ると、思い当たることといえばフジTVで放映されていたドラマ「北の国から」が影響したことぐらいでしょうか。

このドラマはそれまで生活していた東京を離れ、北海道の自然のなかで生活することになった父とふたりの子どもたちの物語。今、「日本映画専門チャンネル」というケーブルTVでデジタルリマスター版が再放送されています。私にとっての北海道の風景の原点はここにあります。東京で生まれ育った子供たちが、北海道の厳しい自然の中で少しづつ成長していく姿とともに、富良野の美しい四季の風景が私の心のなかに深く刻み込まれました。

でも、そんな大好きな北海道が新型コロナウィルスの影響を受け、道民のみなさんが不安な気持ちで生活していることには心が痛みます。心の故郷でもある北海道が一日も早くこれまでの日常生活を取り戻してほしいと思います。同時に、たくさんの人が北海道を訪れ、北海道の素晴らしさを感じてもらえる日がまたやってくることを。とはいえ、最近の感染状況は目に見えて改善しています。ひょっとすると緊急事態宣言が一部解除になる期待がでてきました。

【COVID-19】重症者数の減少はもはや一過性のものではなくなった観がある。死亡者の定義が替わってしまったため、その傾向を確認することはできない。しかし、14日におこなわれる緊急事態宣言の解除に向けての前提はクリアしていると思う。新型コロ…

瀬畠 克之さんの投稿 2020年5月10日日曜日
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これまで説明してきたように、新型コロナウィルスの感染の広まりは重症者の数の推移から予測することができます。そうした観点から今の状況を見ると、すでに感染のピークは過ぎ、病院の機能がマヒする「医療崩壊」の危機はすでに過去のものになりつつあるように感じます。もちろん場所によって、あるいは病院によってはまだまだ深刻な状況が続いているかもしれません。とはいえ、いずれはそうした改善を実感できるようになるのではないかと思います。

そうなれば、またいつもの日常がもどり、たくさんの人が北海道を訪れ、北海道のよさを実感してもらえるときがやってきます。日増しに暖かくなってくる北海道はとても美しいです。でも私は、春や夏よりもあえて北海道の厳しい冬に美しさがあるということも知ってもらいたいと思います。厳しい冬があるから春や夏の美しさがあるのです。北海道はただ単に「寒いだけ」ではありません。「寒いから」こその良さ、美しさがあるのです。

北海道の醍醐味はやはり冬です。例年の札幌は10月に初雪となり、12月下旬に根雪となって街はすっかり冬化粧をします。それから日ごとに気温はさがり、1月の「雪まつり」のころ一時的に寒さがゆるむものの、3月に雪解けを迎えるまでは長い長い冬となります。北海道の真冬の雪はまるで鳥の羽根が舞い降りてくるかのように降ってきます。札幌でも氷点下10℃ほどになって、二重になっている窓ガラスには氷の結晶が美しい紋様を描きます。

寒い朝、夜に積もった新雪をふみしめて歩くのが私は好きです。夜に大雪が降った翌朝は気持ちよく晴れていることが多く、青い空に粉雪がキラキラと舞ってまぶしいくらいです。みなさんは雪の結晶をまじかに見たことがあるでしょうか。一番寒い時期になると雪の結晶がそのままの空から落ちてきます。そして、地面に降り積もった雪の結晶に顔を近づけてよく見ると、陽の光に輝いてものすごくきれいです。そんな雪道を歩くと幸せな気持ちになります。

湿り気のない新雪は踏みしめると「キュッ、キュッ」と音を立てます。降ったばかりの雪道を歩くと、まるで真綿の上を歩いているかのようです。防寒服を着込んで完全武装していますから、「寒い」というよりもむしろ「顔にあたる風が痛い」といった方が正確です。新雪が降った朝はとても静かです。車の通りも少なく、聞こえるのは人の歩く音だけ。真っ白な息を吐きながらまぶしいほどの朝日をあびながら大学に向かうと、不思議とエネルギーがみなぎってきます。

夜の雪道を歩くのもいいものです。昼間とは違った風情があります。夜はいちだんと気温がさがるため人通りはまばらです。その家の窓もカーテンがひかれ、わずかなすきまから室内の光が漏れているだけ。そんな夜道を歩いているとなんとなくロマンチックな気持ちになります。星がまたたく空を見上げながら深呼吸をすると、どこからともなく石油ストーブの香りが漂ってきます。その香りが不思議と私を幸せな気持ちにさせます。

長い冬が終わると北海道には百花繚乱の春がやってきます。冬が厳しい分だけ春はとても華やかなものになります。例年の札幌であれば、ちょうど今頃、桜が満開となります。年によっては肌寒い中でのお花見、となることも少なくないのですが、地面には黄色いタンポポ、場所によっては梅が咲いていてきれいです。北大の構内(中央ローン)では恒例のジンギスカンで飲んだくれている学生たちもいます。新入生を迎えた構内でも春を感じることができます。

春におすすめなのが洞爺湖です。洞爺湖の周辺の桜並木はとても見事です。今年は無理でしょうが、いつか是非行かれるといいと思います。とくに洞爺湖の南側の山の斜面を登る道路から見る洞爺湖の桜は絶景だと思います。見下ろす湖畔の桜並木の向こうには、雪をいただく羊蹄山が遠く見えます。思い出に残る素晴らしい光景を目の当たりにすること請け合いです。洞爺湖周辺のドライブにはもってこいのコースだと思います。

年が明けてから私たちはずっと新型コロナウィルスに振り回されてきました。日本中の人が自粛を余儀なくされ、家のなかでじっと息をひそめる生活を強いられてきたのです。しかし、そうした異常ともいえる日常もいよいよ終わりに近づき、感染の収束に向かいはじめているように感じます。街を歩いている人たちも少しづつ明るく、活動的になってきたように思います。それはあたかも長い冬を経て、百花繚乱の春を迎えた人々のようです。

私はあえて言いたいと思います。これまでの5か月は決して無駄ではなかったと。我々日本人がこれまで経験したことのないこの5ヶ月間の生活はいろいろな教訓をあたえてくれたと思います。今まで気が付かなかったこともたくさん気が付かせてくれました。その意味で「この冬が厳しかった」という現実にも意義を見出したいものです。厳しい冬もよく見れば春や夏にはない美しさがある。それに気づけば冬もまたいいものだと感じることでしょう。

いろいろな場所で行われてきた自粛もすこしづつ解除されていくでしょう。その間、検査の陽性者が一時的に増えたりするかもしれません。しかし、うろたえる必要はありません。高齢者や抵抗力の弱っている人は除き、社会を支える多くの人はむしろいつもの日常にもどる努力をしなければなりません。これまでの生活をとりもどすにはかなりのエネルギーが必要ですが、これまで以上に素晴らしい「風景」を取り戻したいものです。

もうひとふんばりです。頑張りましょう。