漢方薬

私は漢方薬をよく使います。しかし、漢方薬を使わない医者もいます。使わないというよりは、漢方薬を信用していないというべきでしょうか。数という意味では、漢方薬を使わない医者の方が多いかもしれません。患者もそうです。積極的に漢方薬を受け入れる患者とそうでない患者がいます。でも、医者であれ、患者であれ、漢方薬を受け入れられない人に「なぜ漢方薬が嫌いなのですか?」とたずねれば、おそらく「怪しげだから」と答えるのでしょう。どうして漢方薬はこのように怪しげにみられるのか。これから私なりの意見を書きたいと思います(あくまでも私の意見であって、なんらかのしっかりした根拠があるわけではありませんので悪しからず)。

私も医者になりたてのころは漢方薬を使っていませんでした。あるとき、担当患者にいくら調べても腹痛の原因が見つからない人がいました。原因がわからないものですから、効きそうな薬をかたっぱしから試すというとても医療とは思えない治療をしていたのでした。毎日病室に診察に行くたびに「お薬は効きましたか?」と聞くのですが、腹痛に顔をしかめている患者からは「ぜんぜんよくなりません」とお決まりの返事が。患者に申し訳ないやら、情けないやらでついつい病室から足が遠のきそうになります。そんな気持ちを振り切って、病室に行くときの重い気持ちは今でも忘れません。どうしたらこの患者の腹痛を治すことができるだろうかといつも考えていた私の目に飛び込んできたのが「ツムラ」の文字でした。

「ツムラ」とは漢方薬のトップメーカーです。その「ツムラ」の文字を目にした私は破れかぶれで「漢方薬を使ってみよう」となったのです。それまで私は漢方薬を使ったこともありませんでしたし、興味もありませんでした。でも、いろいろ調べてみると、どうやらあの患者に使えそうな漢方薬があることがわかりました。漢方薬は一般的に、患者の体型や病態、症状群を参考に薬の種類を決めます。西洋医学においてはその原因を見つけ、それを改善する薬を投与することが多く、その意味で漢方薬は西洋薬とは多少異なる側面があります。ですから、いろいろな検査をしても異常がなく、従って治療のとっかかりが見つからなかったあの患者には漢方薬がうまく使えそうでした。さっそく患者にその漢方薬を使ってみることにしました。

漢方薬を開始した翌日、効果を聞こうと病室に入ると患者の表情は一転していました。「先生、あれ、効きます」と患者はニコニコ顔です。私もこれまでのモヤモヤがすっかり晴れて、「そうですか。よかったですねぇ」と思わず笑顔になりました。とはいえ、「先生は名医ですよ~」と患者に言われながら、心の中では「破れかぶれに処方した最後の頼みだったんです」と後ろめたさ感じていました。患者の腹痛はみるみるよくなり、しばらくして退院していきました。私はそれ以来漢方薬にはまってしまい、西洋薬では十分に対応できないケースなどに漢方薬をしばしば使うようになりました。漢方薬はすべての病気に効くわけではありませんが、ケースを選べば非常に有用な治療薬であることに気が付いたのです。

にもかかわらず、今だに漢方薬に否定的な医者や患者がいるのはなぜでしょうか。それは漢方薬がたどってきた歴史が影響しています。漢方薬というと、皆さんは「中国の薬」と思われるかもしれません。もちろん中国にも漢方薬はあります。しかし、今、日本で広くもちいられている漢方薬の多くは日本で発達したものです。日本での使用経験をふまえて生薬の組み合わせと適応になる疾患や病態がまとめられ今に伝えられているのです。近代医学が導入されるまでの日本で医師といえば漢方医のことであり、漢方治療が医療の中心でした。よく、昔の医者が薬箱をもって往診にでかける様子をドラマで時々目にします。確か、映画「赤ひげ」にも三船敏郎演じる赤ひげが生薬を調合している場面があったと思います。ちなみに、当時の薬代は1日分で米約1升という決まりがあったそうです。今の貨幣価値に直すと約800円といったところでしょうか。

さて、明治維新後、それまでの医学の中心だった漢方医学が西洋医学にとってかわられます。新政府は日本の近代化をはかるため、公衆衛生を普及させ、近代的な医学を導入して国民の健康増進をはかろうとしたのです。そして、明治八年に医術開業試験を導入した開業医制度を採り入れます。当時、最新の医学を有するとされたプロシア(ドイツ)から著名な医学者を招へいするとともに、日本の医師にも近代的な医学教育をほどこそうとしました。しかし、当然のことながら当時の漢方医にはそうした西洋医学の知識はありません。漢方医たちは、新しい開業医制度が自分たちを駆逐する方便だということを知っていたため、激しい抵抗運動を繰り広げました。ところが、国民の視線も漢方医学から近代的な西洋医学に移ってしまったこともあって、過渡的措置として認められた漢方医もその後しばらくして姿を消しました。

以後、漢方医学はすっかり脇役になってしまいました。最新の西洋医学を身に付けた医師の社会的地位は高く、医学博士にもなると月給は200円(今の貨幣価値に直して約400万円)、医学士と呼ばれる病院の医師でも月給は100円(同約200万円)と当時としては破格の給与をもらいました。しかし、漢方医のながれをくみ、開業医試験にようやく合格した医師(試験医師といいます)の月給はたかだか10円(同約20万円)。世の中の人々の中にも次第に漢方が西洋医学に劣るものとしてのイメージが確立していくのです。江戸時代、医師は武士と同様にまげを結い、帯刀を許されました。士農工商の身分にとらわれずに世の中でのし上がっていくために医師は絶好の職業でした。今でいう3Kの職業でありながらも、町医者から御殿医になれれば法外な報酬と地位が得られるため、貧しく身分の低い若者で漢方をまなぶ者が少なくなかったのです。

このような背景があって今だに漢方薬に対する負のイメージがつきまとっているのです。「得体のしれぬ薬」。漢方薬を使う以前の私もそんなイメージをもっていました。最近、有効性を統計学的に示す必要があるとの国の方針のもと、経験的に使用され続けてきた漢方薬を医療保険の適用からはずそうとする動きがあります。これには増大の一途をたどる医療費の抑制という意味合いがあります。しかし、漢方薬は西洋薬のように服用させればそれなりにどんな人にも効くというものではなく、効く人には効くが効かない人には効かないという傾向が漢方薬にはあるようです。こうしたことは漢方薬を実際に使ってみた者でなければわからないことです。ですから、統計学的に漢方薬の有効性を証明しようにもプラスとマイナスが相殺してゼロになる、なんてことも。漢方薬は西洋薬とは同列には語れないのです。

考えてみれば、漢方薬が生き残ってきたのにはそれなりの理由があったんだと思います。あらたに創薬される薬と違って、漢方薬はこれまで長年積み重ねた使用経験で淘汰されてきたものです。はなから効果がなければとっくの昔に姿を消していたわけで、それを単純に効果の統計学的判定でその価値を決めつけるのは間違っています。使ってもみないで漢方薬を批判するのもどうかと思いますが、その一方で漢方薬ですべてが治るかのようないわれ方をするのもどうかと思います。そんなことをすればさらに漢方薬の評価を落とすだけですから。ともあれ、必要に応じて漢方薬を使えば、とても幅の広い診療ができます。でも、そのような診療も保険から漢方薬がはずされればできなくなります。そんなことを考えると、明治維新とともに日本の医療から駆逐された漢方医がどれだけくやしい思いをしたか、私にはなんとなくわかるような気がします。

脳震盪は外傷

(この原稿にスパムメールが送られてきたため、元原稿を削除し1月26日に再掲しました。)

昨日のフィギュアスケートでの羽生選手の演技が話題になっています。事前の練習中に中国の選手と激しくぶつかって転倒。七針を縫う傷を顎に、額も三針縫う怪我を負い、一時氷上で意識を失ったかのような状態になったようです。それにも関わらず、羽生選手は気丈に演技を強行して見事銀メダル。「感動した」「すごい精神力」など、羽生選手の健闘を讃える報道が繰り返されていました。しかし、この感動に水を差すようですが、今回の羽生選手に演技を強行させた判断に私は賛成できませんし、彼の健闘も素直に讃えられません。

中国の選手とぶつかったときの様子はTVで見ましたが、あのときの衝撃は決して軽くはなかったようです。そのことはあの顎と額の傷を見ても、あるいは演技のあとの様子からも容易に想像がつきます。氷上に倒れた彼はしばらく起き上がれませんでしたが、それ自体は脳震盪が疑われます所見です。「のうしんとう」という言葉はよく耳にする言葉ですが、「脳震盪」は実は「外傷」です。しかも、「死にいたる可能性のある外傷」なのです。ただ単に頭を打ったということではなく、のちに脳に少なからず深刻なダメージをおよぼす可能性がある外傷、それが「脳震盪」です。

脳震盪というとすぐに「意識消失」をイメージしますが、頭部を強く打って意識が消失したかどうかは脳震盪の診断に関係ありません。「脳震盪」の代表的な症状としては頭痛やめまい、ふらつき、記憶障害などがありますが、受傷直後には症状に乏しい場合があります。とりあえずは大ごとにならぬように配慮し、その診断がついたときにすでに手遅れにならないようするのが脳震盪のマネジメントの肝なのです。しかし、一般の人(ひょっとするとスポーツの指導者でさえ)のなかには、この脳震盪を甘く見ている人が少なくないようです。

脳震盪のとき、あるいは脳震盪を疑うとき、まずやらねばならないことはなんでしょうか。それは、「少なくとも24時間は絶対安静にして経過観察をする」ということです。受傷直後に検査をして異常がなくても、あるいは受傷直後に症状がはっきりしなくても大事をとって安静にする。命にかかわる状態に至ることがある脳震盪ならではの対応です。脳震盪をしばしば経験するラグビーにおいては、脳震盪の疑いのある日にプレーを再開することは禁止していますし、子供や青年に起こった脳震盪疑い例では24時間以上の安静を推奨しているくらいです。

フィギュアスケートは私もよく見ますが、頭部や首に強い衝撃を受けるスポーツです。決して負担の軽いスポーツではありません。その競技に受傷直後の羽生選手がああして出場することは絶対にあってはならないと思います。演技をし終わったとき、彼がフラフラになっていた様子を見てもそれは明らかです。周囲の人たちは欠場を勧めたが本人の意志が固かったとも報道されています。しかし、このようなことは本人の意志とは関係ありません。協会の名のもとに出場を禁止すべきだったのです。それができなかったのは、ひとえに脳震盪が外傷であり、恐ろしい結果を招く可能性があることを知らなかったからです。

なるほど出場を強行した羽生選手は立派だったかもしれない。しかし、羽生選手自身や彼の周囲の人たちにもう少し脳震盪に対する知識があって、脳震盪の恐ろしさを冷静に説明できる人がいたら彼も素直に欠場したかもしれない。そのとき、それを助言するひとが会場にはひとりもいなかったのが羽生選手には不運だったのです。転倒後に歩いてリンク外に移動するなどという対応が行われていましたし。それを思うと、マスコミにはあえてこの演技に疑問を呈し、脳震盪の恐ろしさを知らせてほしかった。今回の羽生選手の演技強行を美談で終わらせてはいけません。

いつもマスコミ批判をしてしまいますが、一般の国民がマスコミに情報をゆだねている以上、その情報が間違っていれば誰かが正さなければいけない。そんな思いでいつもブログを書いていますので当ブログを読んで不愉快になったとしたらお許しください。