先日、今上天皇陛下の祝賀御列の儀がありました。即位礼正殿の儀のときとはうってかわっての晴天で本当によかったと思います。それにしても即位礼正殿の儀の日は朝から大雨。せっかくのおめでたい日だというのにお気の毒に、と思いましたが、式典が始まるころには厚い雲から薄日が差しはじめ、雨がやむと青空となり、場所によっては虹までが見られるようになったのには驚きました。
それにしても、あの即位礼正殿の儀が行われた日の天候の変化は、以前の記事(「令和に思う」)にも書いたような「草薙剣」のいわれを地で行くようなものだったともいえます。つまり、厚い雨雲から出でる水神でもあるヤマタノオロチ。スサノオノミコトはこのオロチを退治するためにオロチに酒を飲ませて切りつけますが、彼が手にしていた十挙剣はオロチの尾の草薙剣にあたって刃こぼれをおこします。
死闘の末にスサノオはオロチを撃ち取り、その体を切り刻むとオロチの尾からは草薙剣がでてきました。すると、空一面をおおっていた厚い雲は切れ、一条の太陽の光が暗かった大地を照らし、ふたたび静かで平和な世の中が戻って来た、というものです。どうでしょう。あの即位礼正殿の儀の日の天候の劇的な変化に、なにか神がかり的なものを感じませんか。皇室の行事ではこうした奇跡がこれまでなんどもありました。
天皇陛下のお仕事は「日本の五穀豊穣と安寧、および国民の幸福と安全を祈ること」です。即位礼正殿の儀で今上陛下が宣明された「国民の幸せと、世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら国民の象徴としての務めをはたす」という誓いは、古来から営々と天皇が繰り返してこられたものです。それは14日からとりおこなわれる大嘗祭が、天皇の役割を天照大神から今上陛下が引き継ぐ祭祀であることからもわかります。
***** 以下、「令和に思う」からの引用
草薙剣(くさなぎのつるぎ)のことをご存知でしょうか。草薙剣はヤマタノオロチを退治したときにその尾から出てきたと伝えられる剣です。この剣を御霊代として祀っているのが熱田神社です。これまでなんどか盗まれそうになりながら、いつも不思議と無事に戻ってきました。しかし、壇ノ浦の戦いのとき、入水された安徳天皇と共に海に落ちて回収できなくなりました。そこでのちになって魂を入れなおして新たな草薙剣としたものが今三種の神器のひとつとして伝えられました。
草薙剣は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とも呼ばれています。ヤマタノオロチは雲から出でる怪獣であり、オロチ(大蛇)のいるところに雲がわくといわれています。ですから、今回、式典で草薙剣が供えられたとき、天気が悪い(雲が出現する)のは理にかなっているというわけです。つまりは吉辰良日の兆候ということ。そういえば、昭和天皇から明仁天皇に皇位が継承されたときも雨が降っていました。こうしたことに神話の世界と今をつなぐ不思議な因果を感じ取ることができます。
***** 以上
日本は西暦とは異なる元号を用いており、その時代時代を象徴するイメージを容易にもつことができます。元号など無用の長物だという人もいます。しかし、一連の皇室行事を通じて感じるのは、日本古来から伝わる文化を残すことで日本人としての意識をあらためて確認できるということです。そうすることにより、世界にも類を見ない日本の伝統や文化を維持・発展できるのではないかと思います。
史上はじめて日本の古典である万葉集から採用された「令和」という元号。いったいどのような時代になるのでしょうか。日本をとりまく国際情勢、あるいは国内でのさまざまな軋轢や摩擦は、ともすると日本の誇るべき「仁・義・礼・智・信」の精神をそこなうきっかけにもなりそうで心配です。令和という元号の文字の意味にもあるように「清々しく調和のとれた時代」となればいいのですが。
そんな「令和」の時代に社会人となった人たちが、来院する製薬会社のMRさんにも、あるいは患者さんにもたくさんいます。そうした人たちにはいつも「社会人になって半年。そろそろ疲れていないかな?」と声をかけてみます。社会に出て間もないころは、まだ右も左もわからずにただ仕事をこなすのが精いっぱい。戸惑いながらも無我夢中で働いてきたであろう彼らの中にもなにかの変化が起こっています。
がむしゃらの半年がすぎ、ある程度冷静に周囲を見渡せるようになると、心にも余裕がでてくる反面、会社や仕事の嫌なところが見えてきます。必死だった仕事にも、あるいはそりの合わない先輩や上司にも多少疲れてきて、そろそろ「この仕事(会社)を辞めたい」と思い始める人がでて来る頃です。現に私もそうでしたから。「このままでいいのだろうか」というあせりが襲ってくるのです。
社会人となって半年を経た人たちに私は「そろそろ会社をやめたくなったんじゃない?」と尋ねてみます。すると、「そんなことはありません」ときっぱり答える人よりも、肯定したそうな表情で苦笑いする人の方が圧倒的に多いことに気が付きます。しかし、私はそうした人たちにこういいます。「だからといってすぐに会社を辞めちゃだめだよ」と。これは気休めで言っているのではありません。
その会社(仕事)を辞めたって、他の会社に移ったって、別の仕事に就いたって、結局は同じような状況にぶつかるからです。私は彼らにこう付け加えることも忘れません。「ひとつの場所で頑張れない人間は、よそに行っても頑張れないんだからね」と。他の会社に行けば、あるいは別の仕事をすれば、不満や嫌気から解放されて、自分にふさわしい理想的ななにかに巡り会えるなんてことは稀有なのですから。
最近は「頑張らない」ことが当たり前のようになってきました。「頑張らなくていい」という言葉が人の優しさを表現しているかようです。しかし、そうではありません。「頑張らなくていい」のは心の病気の人。頑張れないからこそ病気になった人がそもそも頑張れるはずがないのですから。頑張るべき人にも「頑張らなくてもいい」と声をかける人がいますがそれは違うと思います。
私は会社(仕事)を辞めたいと思っている新人君たちに、「すぐに辞めちゃだめだよ。辞めることはいつでもできる。そのときまで頑張れるだけ頑張るんだ。そうした頑張りが次の仕事にもつながるんだから。頑張って、頑張って、頑張って、ボロボロになったときに躊躇することなく辞めればいい。私の若いころとは違って、今は転職することのハードルは決して高くないんだからね」と言います。
私たちの時代は、同じ会社に退職まで勤めあげることが当たり前で、途中で他の会社や仕事に移る人はまるで負け犬か何かのように思われました。しかし、今は違います。多くの人にとって働くことは「自分のスキルアップのため」であり、自分のスキルにあわせて転職をすることを後ろめたいと思う必要はなくなりました。途中退社、中途採用であること自体が不利な条件ではなくなったのです。
今は食べていくだけならどんな仕事にもありつけます。より好みさえしなければ仕事は必ず見つかるのです。だからでしょうか、すぐに会社(仕事)を辞めてしまう人が少なくありません。しかし、問題は「働くことの意味」なのです。働くことの必要条件を「食べていけること」とすれば、給料が高いこと、楽しかったり、働き甲斐を感じることなどは十分条件。その必要十分条件をそろえるためには努力が必要です。
理想的な仕事などなかなか見つかるものじゃありません。だから私はあえて言いたいのです。「そんなに簡単に仕事を辞めちゃダメだよ」と。若いころの私は「気に入らない仕事を我慢してやることになんの意味があるのか」と考えていました。医学部の再受験をするため、他の友人たちが皆就職する中、ひとりだけ塾の講師をしながら受験勉強をしていた私ならではの強がりだったのかもしれません。
当時の思いがそのままセリフとなったドラマがありました。そのドラマはNHKで放映された「シャツの店」です。家庭や家族を省みず、仕事一筋に生きてきたシャツ職人にその妻と息子が反旗を翻すというもの。そのドラマの中で、家出をした息子と父親とのやり取りがとても印象的でした。大学卒業をまじかにした息子は会社に勤めず世界を放浪するといいます。それを聞いた職人の父が説教をするシーンです。
********** 以下、ドラマのワンシーン
(待ち合わせた川べりの喫茶店。父と息子が向き合って座っている)
父親:働かないでどうやって食べていく?
息子:働かないなんていってません。
決まった会社には入らないと言ったんです。
父親:それで?
息子:金をためて、しばらく世界を歩いてみようって。
特別変わったことじゃないです。
いい会社入った先輩で、1,2年で辞めてそういうことする人一杯いるし。
父親:そんなぐうたらな仲間に入ってどうするっ。
息子:勤めてりゃ満足?
ネクタイ締めて、とりあえずひとつんとこ勤めてりゃいいんですか?
父親:まぁ、そうだ。
息子:むちゃくちゃじゃないっ。
父親:若い時はなぁ、ひとつの仕事を我慢しても続けてみるもんだ。
息子:どうして?
父親:自分がどんな人間かわかってくる。
息子:わかってるつもりだけどな・・・。
父親:わかってるもんかっ。
人間ってものはな、嫌でたまらない仕事を我慢して続けたりして、だんだんに自分が
わかってくる。
我慢しているうちに、だんだん自分がしたいことがわかってくる。
だいたい仕事なんてものは、すぐに辞めては本当のところなどわかるものじゃない。
どんな仕事だって奥行きが深いもんだ。
息子:そりゃ父さん、自分の仕事で考えているんだよ。
だいたいの仕事は奥行きなんてないさ。
ひと月も勤めればわかる。
父親:生意気なことを言うなっ!
息子:むしろ褒めてもらいたいけどな。
人の目を気にしていい会社を狙うより、ずっと健康的なんじゃない?
父親:ふわふわ世界を歩いてなにがわかる?
息子:そんなの会社に勤めたって同じじゃない。
せいぜい人当たりがよくなって、処世術を覚えるくらいで。
父親:高をくくるなっ!
息子:だったら俺の計画にも高をくくるなよっ!
*********** 以上
この息子を演じたのは私と同じ年齢の佐藤浩市でした。ドラマのなかの彼も大学を卒業後、塾の講師をして資金をため、世界放浪の旅を計画していると言い出します。このドラマを見ていた当時の私は、この息子に自分自身を重ねていたように思います。私の父もまたこの鶴田浩二が演じる父親と似ていて頑固一徹でしたから、なおさらこのシーンに共感できたのではないでしょうか。
そして今、このドラマの父親と同じ世代となった私は、息子の気持ちというよりも父親の気持ちに共感するようになりました。だからこそ若い人たちに「すぐに辞めちゃだめだよ。どこにいっても同じ壁にぶちあたるんだから。別の会社に行っても、結局は『どこの会社も同じだ』って気が付くんだから」と言いたくなるのです。これは私の半生を振り返っての感想でもあります。
要するに私が若い人たちに言いたいことは、「会社(仕事)を辞めることは悪いことじゃない。いつ辞めてもいい。でも、だからこそ、それまでは今の自分がぶち当たっている壁に立ち向かって、その壁を乗り越える努力をしてごらん。そして、どうしても乗り越えられないことがわかったら、そのときにこそすっぱり辞めればいいんだから」ということ。壁を乗り越えようとする努力は必ずあとで役に立つのです。
誰かに相談することもできず、ひとり悶々と悩み、そして試行錯誤しながらもがいていたあの頃に戻ってみたいと思うときがあります。今度はうまく切り抜けられそうに思えるからです。しかし、現実にはあの頃に戻れるはずがありません。であるなら、自分の経験を伝えることで若い人たちが困難を乗り越えるお手伝いができるかもしれない。それが私たちの世代の役割なのではないかと思っています。
最後にこれからの人たちに贈る応援歌を二曲。これは私が北大の医療問題研究会というサークルで活動していたとき、追い出しコンパ(卒業生を送り出す会)で、先輩たちへの応援歌としてよくかけられていた歌です。ひとつは岡村孝子の「夢をあきらめないで」で、もうひとつは松山千春の「大空と大地の中で」。名曲はいつ聞いても勇気を与えてくれます。若い人達にも是非このエネルギーを感じとってほしいものです。
※ UVERworldの「I LOVE THE WORLD」も若い人たちへの応援歌(歌詞がすばらしい)
がんばれ!