エボラが来たら

エボラ出血熱の感染者と死者が増え続け、世界各地にも広がりつつあります。日本にその感染者が現れるのも時間の問題だと思います。私が懸念するのは、感染者が現れたときの国民の動揺です。エボラ出血熱患者が発生すればマスコミはその恐ろしさを繰り返し報道し、国民はその偏った情報に煽られ過剰に反応するという事態になるでしょう。間違いなく。でも、考えてみてください。あのデング熱はどうだったでしょう。放射能の場合はどうだったでしょう。マスコミが煽ったようになったでしょうか。人間は学ばなければなりません。人の恐怖心を煽るだけの偏った情報に振り回されるのではなく、正しく中立的な情報を求め、理性的な行動をとることがいかに重要かはこれまで何度も経験してきたはずです。そのためにも、もしもの時にどう行動すればいいのかを今から考えておかなければいけません。

エボラ出血熱患者を救うために西アフリカに渡り、感染・発症したにもかかわらず、幸いにも一命をとりとめたイギリス人男性看護師が「私は西アフリカに戻る」と発表したことが報じられていました。エボラ出血熱から生還したからと言って絶対に再感染がないとはいえないにもかかわらず、です。この病気の恐ろしさは彼が一番知っているはずです。しかし、彼は再び西アフリカに戻る理由を、「今、患者たちを救うために奮闘している人たちよりも感染しにくいことだけは間違いないから」と述べています。一方で、日本の製薬メーカーが開発した抗ウィルス薬がエボラウィルスの増殖を抑制するのに有効らしいと、国際的な治験が開始されるとともに、メーカーではその薬の生産を急ピッチで増やしています。

翻って我々には何ができるでしょう。医師である私自身も西アフリカに行き、患者を治療し、感染の拡大を防ぐために活動するなんてことは現実的にできません。私がまだ独身で、英語に堪能であれば、もしかして志願したかもしれませんが、そんな条件を言っている時点でもはや「腰抜け医者」のひとりです。先のイギリス人看護師の足元にもおよびません。ましてや医学的知識や経験のない一般国民にできることといえば、エボラ出血熱に感染しない、あるいは感染を拡大させないためにすべきことを確実に実行していくこと、さらには、不安にかられて理性を失わないこと、なにより他人を自分の不安に巻き込まないこと、デマを流さないことです。

そこで、現在、知られているエボラ出血熱に関する情報をまとめておきます。これらをもとに、近い将来、日本にエボラ出血熱患者が発生しても過剰な反応をしないようにしていただきたいと思います。

初期症状でエボラ出血熱かどうかを区別することはまず不可能です。なぜなら、初期症状はインフルエンザあるいはウィルス性胃腸炎とほとんど変わらないからです。

【初期症状】
(1)高熱(38℃以上が一般的):出現率92%、(2)下痢・嘔吐:68%、(3)頭痛・筋肉痛:47%
(4)食欲不振:39%

その他、原因不明の出血(鼻:11%、膣:11%、歯肉:8%)がありますが、ここまでくれば誰でも怪しいと思うでしょうが、医療機関にすぐに受診できる日本においてはまずは上記の【初期症状】で鑑別しなければならないので、症状は目安にできません。とすれば何が重要か。それはひとえに感染してもおかしくない場所に行ったことがあるか。あるいはそれらの地域にいたことのある人と接触していないかどうか、という情報でしょう。エボラ出血熱の潜伏期間は平均7~10日です(最長でも3週間)。ですから、さかのぼること「約1か月以内に流行地域に滞在したか、患者に接触したか」という情報が重要ということになります。

【疑うべき情報】
①先の【初期症状】があり
②一か月以内にエボラウィルスに感染しても不思議ではないところ(※)に行ったことがある

(※)現時点で流行している地域・・・ギニア、シェラレオネ、リベリア
注意すべき地域・・・上記のほか、ウガンダ、スーダン、ガボン、コートジボアール、コンゴ

これらの情報がはっきりしている人は絶対に一般の医療機関に行ってはいけません。おそらく、一般医療機関に受診してこれらのことを伝えれば、まず間違いなく診療を拒否されます(これは正当な診療拒否にあたるか否かはわかりませんが、他の患者への感染の可能性を考慮すれば当然の対応と考えます)。その場合はかかりつけの医療機関に電話をして相談するか、各地域の保健所に連絡して相談してください。その間、患者は自宅で隔離する必要があります。もちろん家族との接触もいけません。ちなみに、エボラ出血熱は、先の【初期症状】の出ない潜伏期間では感染力がありません。ですから、感染が疑わしい場合でも、無症状のときは、念のため、保健所に相談しておけばいいでしょう。

エボラ出血熱は現時点で接触感染ということになっています。主に患者の吐物や便、血液を介して感染します。コンゴで発生したエボラ出血熱は、死亡したサルを食べようと解体した際に感染した人が発端者(妊婦)だということがわかっています。そして、この地域の風習で、死亡した発端者を何人かの人が帝王切開して胎児を取り出そうとしたことから、一気に感染がひろまったといわれています。エボラ出血熱を発症した人の体液に触れなければ感染することはないとされていますが、体液は血液にかぎりません。つばや痰、鼻水、母乳、精液なども体液に含まれます。それから、エボラウィルスはアルコール消毒や石鹸による洗い流しが容易だとされています。マスクもN95マスクではなく、一般のサージカルマスクで十分だといわれています。

【疑いがある場合の対応】
自宅内に隔離し、地域の保健所またはかかりつけ医に電話で相談する(無症状の場合も同様)

以上、エボラ出血熱のことをまとめてみましたが、まだ日本に患者が出現していない以上、今から先走って心配する必要はありません。しかし、日本でその患者が見つかるのも時間の問題です。今回の流行で運よく患者が発生しなくても、次の流行で発生するかもしれません。現在、流行地域で文字通り命がけで活動している人たちがいることはもちろん、日本で患者が発生した場合も同じように懸命な治療をしてくれる人たちがいることに思いをはせながら、我々一般国民はせめて冷静に事態を受け止める努力をしなければなりません。「正しく怖がる」ことが大切です。デマや偏った情報に煽られない、流さない。そして、自分の不安に他人を巻き込まないことが重要だということを今から肝に銘じていただければと思います。

知るべきこと

今、御嶽山では残された行方不明者の捜索が続いています。立て続けにやってくる台風と、迫りくる冬の間隙をぬって自衛官や警察官・消防士の皆さんが懸命の捜索活動を続けています。

御嶽山の標高は約3000m。気温は晴れていても10℃を超えることはなく、日差しがなければ0℃近く、風が吹けば体感気温は氷点下になります。寒いだけでも大変なのに、御嶽山の山頂の酸素濃度は地上の70%しかありません。空気がかなり薄いのです。そのため、捜索隊員の中には高山病になる人が結構いるようです。そりゃそうです。普通、3000mの山頂には時間をかけてゆっくり登るのに、彼らはごくごく短時間で、しかも重い装備を身に着けて山頂に向かい、到着後すぐに捜索活動を始めるんですから。

人間の体に取り込まれた酸素の量は「酸素飽和度」という指標で測定します。通常は99%とか98%です。ところが激しい運動をするとこの酸素飽和度は下がっていきます。その酸素不足を補うために呼吸が荒くなるわけですが、山の頂のような空気の薄いところではいくら呼吸をしても酸素量は増えません。それはまるでビニール袋を口にあてて呼吸しているみたいなもの。相当苦しいものです。御嶽山で捜索している人たちはそんな環境の中で、寒さと戦い、その上、重い装備を身に着けながら頑張っています。

ところが、ネットでは「自衛隊員なのに高山病になるなんて情けない」みたいな心無いコメントが見られるとか。感謝しこそすれ、批判するようなことではないのに。

一方、自衛隊のヘリコプターがこの隊員たちを輸送しているのですが、実は、このヘリコプターの活動も人知れずすごいことなのです。ヘリコプターはプロペラを回して空気を下に送って上昇します。ですから、空気が薄いところでは挙動が不安定になったり、墜落したりする恐れがあります。そこでヘリコプターには活動できる限界高度が定められています。現在、活動している自衛隊のヘリコプターは警察や消防のヘリコプターよりは限界高度は高いものの、それでも御嶽山の山頂の標高よりも低い2700mあまりが限界と定められています。つまり、あのヘリコプターは限界高度を300mも超える危険な場所で作業をしているのです。

ヘリコプターに詳しい人に言わせると「人命救助だから仕方ないが、信じられない」とのこと。しかも、不安定な挙動になってもおかしくない空中での安定したホバリングをしているのは、相当の操縦技術の持ち主でなければできないとか。そうした卓越した技術と強い使命感でこの捜索活動が続けられています。

私たちには知らされていないことが多い。それが意図的なのか、それともたまたまなのかはわかりませんが、人知れず行われていることには多くの人が知っておくべきこともある。報道されていることの多くは表面的な現象です。その裏側に何があるのかは報道されないことが多い。今、御嶽山でどんな過酷な捜索活動が行われているかを、我々は報道だけに頼らずにもっと知ろうとするべきです。その意味で、今のネット社会を大いに活用したい。自らリテラシーを高めなければ、真実は見えない時代になっているのです。

すべての行方不明者の一刻も早い救出と、捜索にあたる多くの人々の健康と安全をお祈りします。

宗教? 医学? 

あらかじめ申し上げておきますが、いかなる人であれ信仰は自由ですし、他人からとやかくいわれる筋合いのものではありません。ただし、他人に強要したり、他人を傷つけたりしない範囲で、ですけど。

健康に関しては、これまでの常識が覆されたり、思いもしなかった発見がなされたりと、いつも話題に事欠きません。「STAP細胞なんて…(あるはずがない)」と密かにささやかれていたのに、著名な海外雑誌にたった一本の論文が掲載されただけで一躍世間の注目の的になったり。これまで医者に「コレステロールが高いから」と言われて薬を飲んでいたのに、「コレステロールの基準はもっとゆるくていい」と発表する学会があったり。もっとすごいのは、「血圧の薬は飲まない方が長生きできる」と断言する医者が現れたり、と今は何を信じていいのかわからない世の中になりました。

でもよく考えてください。人間のからだ、あるいは人間の精神は複雑な物理現象の集積ではあっても物理現象そのものではありません。インプットされたデータが同じであれば、必ず答えが同じになるブラックボックスではないのです。人間のすべての活動には「傾向」やなんらかの「法則」はあっても、必ず「揺らぎ」や「特異点(はずれ値)」を包含しています。ですから、人間が人間の活動を予測し、コントロールするためには「統計」というものを駆使する必要があるのです。つまり、人間活動は「平均値」や「標準偏差」でものをいうしかなく、そこでは残念ながら平均から大きく外れる値は無視されてしまいます。

しかし、人間は平均を大きく離れたものにとらわれます。「数百年に一度」の事象などはその典型です。一生に二度も経験することなどまずないにもかかわらず、「ゼロではない」などという言葉を聞かされると、その「数百年に一度」の事象がまたすぐにやってくるように感じます。そして、それにとらわれた人間の基準はもはや平均にではなく、平均から「はずれ値」にひっぱられたところに「標準」が移動します。今の「大地震神話」「原発事故神話」がまさしくそれです。しかも、それらの主張の多くは情緒性をまとっているため、「統計学的にいえば」などと説明しようものなら感情的な批判が返ってくること必至です。

昨日、一切のがん治療を否定するK先生がTV出演されたようです。私は見ていないのですが、この先生は我々の業界では恐ろしく有名なので、どんなことを主張していたかは想像できます。先ほども申しあげたように、医学は「平均」でものを言わざるを得ないのですが、K先生はいくつかのはずれ値を寄せ集めてものをいいます。しかも、自分の主義や主張に合ったはずれ値を、です。そして、その寄せ集めたものを情緒に包んで紹介するものだから素人はすっかり納得させられ、いくら周囲から「それは違う」と説明されても聞く耳を持たなくなります。そう、これは洗脳そのものです。

確かに、がん治療をしない方がいい場合もあるでしょう。しかし、あたかも「がん治療をしないことが標準」といわんばかりのK先生の主張に合理性はありません。よく考えてみてください。K先生に放射線治療の経験があるとしても、がんを外科的に治療したり、抗がん剤を駆使して治療をする専門家ではありません。「抗がん剤の治療で患者を死なせてしまった経験から治療に否定的になった」とTVで告白していたそうですが、もし本当に「(思いがけずに)死なせてしまった」のだとすれば、それは抗がん剤が悪かったのではなく、自分の能力を超える抗がん剤の使い方をしたことを反省すべきでしょう。

今の医学は膨大なデータを利用し、統計学によって適切な介入の仕方が決められています。どの程度のものを、どの薬によって、どう管理すれば目的を達成できるかを決め、これをガイドラインとしています。もちろん、この通りに管理してもうまくいかない場合もあります。このガイドライン通りにできないこともあります。でも、この標準的な方針があってはじめて統計学的に「意味のある管理」ができるようになります。以前は、医師の経験にもとづいて、医師の好みに応じた治療がおこなわれていました。今から振り返るとずいぶん乱暴だと思われる医療もあったのです。

とはいえ、医学も絶対ではありません。10年前に標準だった治療が否定されることもあります。しかし、その否定には明確な根拠がなければいけません。よもや、個人的な見解で否定されるべきではありません。根拠が希薄であってもいけません。今のような情報化社会ではセンセーショナルな情報は一瞬にして社会をかけめぐります。その分だけインパクトの大きさにひかれて誤った研究報告がなされたり、誤報や記事のねつ造がおこなわれます。この情報化社会に生きる私たちは、伝えられた情報が正しいものなのか、操作されたものではないのかに常に神経を使わなければなりません。

そうした中、それでも世の中のスタンダードや「常識」から外れるものを信じるというのであれば、それはもはや「宗教」です。血圧を下げる薬を飲みたくないというのであれば、それはそれでその人の信条でしょうから、その結果がどのようなものであっても本人が責任を負えばいいわけです。ただ、それは医学そのものではありません。ある種、個人的な信仰のようなものです。ただ、医療が悩ましいのは、高血圧を放置した結果として発症してしまった脳出血に莫大な医療費を費やさなければならないからです。医療が降圧剤の服用を進めるのは、防げるはずであった脳出血に費やされる医療費を抑制するためなのです。

それにしても、こうしたことすべてを自己責任の名のもとに知識も経験もない患者やその家族に判断させるというのは間違いです。私たち、プライマリ・ケア医の仕事はこうした情報提供にあるといっても過言ではないのですが、次から次へとカルト集団のような連中があらわれて患者の心を惑わせます。我々にはカルトのように思える主張であってもTVや書籍などで紹介されると権威性を持ちます。ましてや有名新聞にその記事がのればなおさら。そうなると患者はもはや我々の忠告には耳を貸しません。私はそんな頑なになってしまった患者を前にしたときは、いつも「信仰なのだから仕方ない」と思うようにしています。

思えば、健康のことだけではありません。放射能や原発事故のこともまったく同じです。理性的に説明して納得できる人はまだいいのですが、それでも特定の考えにとらわれている人になにを言っても無駄です。低線量の放射能の危険性はゼロじゃない。巨大津波が発生する可能性はゼロではない。原発事故がおこる可能性はゼロじゃない。統計学的な評価などに意味を感じていないからこそ出てくる言葉です。そうなるともはや宗教の世界です。信仰の自由はありますが、あくまでも他人に強要したり、他人を傷つけない範囲内でお願いしたい。なのにカルトまがいの人たちは世の中を巻き込まないではいられないらしい。

自分のことだけでとどまっていればいいのですが、ひとりでそっと信仰することがどうしてもできない人たちがいる。自分の信仰を広めたいのでしょうが、それは余計なおせっかいというもの。少なくとも責任あるマスコミにはその片棒を担ぐようなことはやめていただき、「裏のとれない記事は書かない」という大原則は守ってほしい(とまたマスコミ批判)。とはいえ、ここまで話しを広げると、私の考えと対立する人たちからは「おまえこそ洗脳されている」といわれそうですけど。