価値観の違い(2)

この文章は2016年10月16日に書かれたものですがスパムメイルが集中してきました。タイトルにアルファベットが入っているためと考えてタイトルを変更しました。しかし、なおもスパムメイルが飛んでくるため、タイトルをさらに変えて改めて投稿し直します。内容には変更はありません。

以下、本文 **********

 

人間というものは、とかく自分のことを棚に上げて他人のことをとやかく批判するものです。自分の価値観や理想が「正しいもの」であると確信している場合であればなおさらです。しかし、人が腹を立てていること、あるいは批判したくなることがらの多くは、よくよく考えてみると「良し悪し」の問題ではなく、実は「好き嫌い」の問題であることに気づくことも少なくありません。 

正義感が強く、どちらかというと曲がったことが嫌いで、「長いものには巻かれろ」的な世渡りができない私にとって、自分とは異なる他人の価値観を認め、他人の価値観を尊重し、調整を図ることができるようになったのはそう昔のことではなかったように思います。簡単に白か黒かで判断できるものばかりではないことに気が付いたのは結婚してからでしょうか。 

医学部を卒業して研修医になったころは、「医療はこうあるべきだ」「医者はこうあるべきだ」といった理想論であたまでっかちになっていました。それにはずれるものは「良くないもの」「邪悪なもの」と断罪し、心のなかで批判し、軽蔑していたのでした。甘っちょろい理想論を振り回しながら傲慢な考え方に支配されていることに気が付かなかったのです。それほどに自分は「青い存在」だったのです。 

ですから当時はいろいろな人に迷惑をかけたり、不愉快な思いをさせたと思います。その反省を込めて当時のエピソードを書きます。 

それは研修医も2年目となり、新たに2人の研修医を迎えたときのことでした。それまで1年目の研修医として私ともうひとりの研修医(女医さん)とで医学生から医師になるための修練を重ねてきたのですが、そこに二人の新人研修医が採用されたのでした。彼らもまた男女各1名の研修医でしたが、実は、この新人女医さんと私はことごとく価値観があわず、最後には口もきかなくなってしまいました。 

それまで私は女医さんというものは頑張り屋で負けず嫌いで誰よりも働くというイメージをもっており、同じ2年目の研修医として頑張ってきた女医さんもふくめてそのイメージが裏切られることはありませんでした。しかし、新しく採用された女医はこれまで出会ったどの女医とも異なるタイプだったのです。私はそれがどうしても受け入れられなかったのです。

診療科の先生たちが休日に研究会などに出席するとき、研修医は病棟の重症患者の対応を頼まれることがあります。いわゆる「留守番」です。上司である先生や他の先生たちの患者の対応を任されたわれわれ研修医は休日に病院に出てこなければならないのです。私と1年目の女医(K先生としましょう)はその「留守番係り」となり、週末の二日間の病棟管理をまかされたのでした。

K先生とは土曜日と日曜日のどちらを担当するか相談することにしました。「先生はどっちがいい?」と私が尋ねると彼女は「日曜日は友達の結婚式が前橋であるので出てこられません」と言います。「そう、じゃあ土曜日、頼むよ」。そう私がいうと彼女は「土曜日の午後から前橋に向かうのでちょっと・・・」と。私は心の中で「マジかよ」と思いつつ、「それなら土曜日の午前中だけでいいよ」と譲歩したのですが、「私、毎朝、ジョギングをしているんです。ジョギングをしないと体調が・・・」と不満そう。

ムッとした私はつい「それなら、ポケベルを持ってってよっ(当時は携帯などなくポケベルを持たされていました)!」とちょっとだけ強く言ってしまいました。しかし、彼女も負けていません。「えぇ?ポケベル持って走るんですかぁ?」。私は思わず「そういうときのためにポケベルってあるんだろうがっ」とすっかり怒りモードに。結局、土曜日の午前中は彼女、それ以降は私が病棟を守ることになりました。

その後もそんなやりとりが繰り返され、休日出勤を命じられるといつも「友達の結婚式が・・・」となるので、いつしか彼女のことは信用しなくなっていました。私にはそんな彼女にやる気が感じられなくて、いつもイライラ。ある時、めずらしくレントゲン写真を持ってきて「先生、この影はなんですか?」とかいがいしく質問するので、「そうだなぁ、陳旧性胸膜炎による石灰化じゃないかな」と答えました。

いつも眉をひそめていた彼女に質問されて私はちょっといい気になっていました。しばらくして病棟にあがってきた指導医のところに彼女はおもむろに駆け寄ると、「先生、この陰影は陳旧性胸膜炎による石灰化でいいでしょうか?」と質問。指導医は「おおっ、よく勉強しているね。その通り」と。彼女の頭をなでんばかりの褒めようです。「いえ、まぐれですぅ」とうれしそうに小さく飛び跳ねる彼女を横目に、私は心の中で「まぐれはないだろ」とつぶやく。いち事が万事こうなのです。

私が1年目のときは長い夏休みなど申し訳なくてとれなかったのに、K先生が他科の専修医(研修医を終えてさらに修練を積んでいる先生)に自分の担当患者のことを頼んで長い夏休みをとることを知ったとき、私は思わず彼女に注意してしまいました。「自分の患者を、しかも他科の専修医の先生に頼んで夏休みだなんて無責任だよ」と私。それを聞いた彼女はまるで「どうしてよ?」と不服そうに見えました。

ところが、その翌日、彼女が自分の患者の管理を頼んだ専修医が私のところにやってきて「セバタ先生、僕がK先生の患者のことやっとくから大丈夫だよ」と微笑んでいます。おまけに病棟回診に来た部長先生も不機嫌にしている私に「先生は厳しいなぁ。もっとK先生に優しくしてやってよ」と笑っています。私は彼女が専修医やこの部長先生に泣きを入れたなと直感しました。「あいつめ、言いつけやがったな」。

また、こんなこともありました。その日は指導医の先生がおこなう検査の準備をわれわれ研修医が事前にやっておかなければなりませんでした。ところが、いつになってもK先生がやってこない。私ひとりで準備をして検査は始まりましたが、一向に彼女の姿が見えないのです。しかも運悪くその日に限って検査がうまくいかずに指導医もイライラしています。ついに、指導医が怒鳴るように私に言いました。

「セバタ。Kはどうしたんだよっ」。「まだ登院していないみたいです」。「『みたい』じゃねぇよ。あいつのレジデントハウスに電話しろっ」とカンカン。私は検査室から彼女の部屋に電話をしました。はじめはなかなか電話にでなかったのですが、しつこくコールしているとようやく電話口に。「なにやってるの。今日は検査だよ」と私。すると「きょ~わ~、朝からあたまがいたくてぇ~」とK先生はけだるそうです。

私は指導医に「頭が痛いので今日は休みたいといってます」と報告。すると、ついに指導医の怒りが爆発。「ふざんけんなっ。看護婦さんだって頭痛薬を飲みながら仕事してんだ。出てこいって言えっ」と私を怒鳴りつけます。「俺に怒ってどうすんだよ。自分で言えばいいのにじゃないか」と心の中でブツブツいいながら言われた通りに彼女に伝言しました。しかし、結局その日彼女が登院することはありませんでした。

そんなことばかりが立て続けに起こるので、夜中、二人病棟でカルテ書きをしているとき、私は彼女に言いました。「K先生、内科が大変なら保健所の医者って選択肢もあるんじゃないの?」と。K先生は黙って聞いていましたが、明らかにムッとしている様子がうかがえました。その翌日、病棟の患者の採血をしようと病棟に行くとどういうわけか夜勤明けの看護婦さんが私をにらんで待っていました。

というのも、私が「K先生にひどいこと言った」と言うのです。「ええ?ひどいことなんて言ってないけど」、そう言うと「『おまえみたいなのは保健所の医者にでもなれ』って言われたってK先生泣いてたから」と。私はもうなにも反論する気がなくなりました。そんなことをしているうちにK先生も次第に私を疎ましいと思ったらしく、次第に私を避けるようになりました。もちろん私もそうだったので、いつの日かお互いに目を合わせることも話しかけることもなくなりました。

こうした二人の関係を改善することもなく私は研修を終えて病院を去りました。でも三十年近くたった今思うと、彼女は彼女なりに一生懸命だったのかもしれないと思えるようになりました。しかし、当時の私にはその彼女なりの頑張りが適当に見えたり、うまく立ち回っているように見えたりして、どうしても許せなかったのです。周囲の先生たちが彼女のそうした行動をなぜとがめないのか理解できませんでした。とがめるどころかむしろ寛容な先生たちの対応に歯がゆい思いをしていたのでした。

当時の私は「こうしなければならない」「こうすべきだ」という価値観に拘泥されていたんだと思います。そして、「こっちは忙しく働いているのになんであいつだけ」という気持ちが強かったのでしょう。要するに余裕がなかったんです。冒頭にも書いたように人の価値観はさまざまです。それは「良い、悪い」ではなく、「好き、嫌い」の問題がほとんどです。そうしたことに気が付くには随分と時間がかかりました。

あのときもう少しK先生の価値観を尊重できて、寛容になれたらお互いにもっと楽しい研修になったかもしれません。仲直りもできずに離れ離れになってしまいましたが、あれからずっとあのときのことが気になっていました。今、改めて謝りたいと思います。K先生、ごめんね。