心に残る患者(8)

私はかつて総合診療部という部署に所属していました。「総合診療」という言葉を聞いたことがある人は多くないと思います。聞いたことがある人でも、それがどのような機能をもっているかまでを知っている人はごく少数でしょう(「総合診療など『なんでも内科』どころか『なんでもない科』だ」などと揶揄されたこともあります)。私がまだ医学生だった頃、「全人的医療」という言葉がいちぶの学生の間に広まりました。全人的医療とは「単に病気を診るのではなく、悩めるひとりの人間として理解して診療をしよう」というスローガンです。

総合診療部が全国の大学病院に設立されたのにはそうしたながれと無関係ではありませんでした。専門化、細分化した医療のなかで、適切な医療を受けられずに悩んでいる患者をあつかう診療科が求められるようになってきたためです。専門的な診療が集約された大学病院では、どの専門診療科が担当するのかはっきりしない患者がいます。どこにいっても「我々が診療する患者ではない」と、いわばたらい回しになる患者が少なからずいたのです。そうした患者の受け皿として総合診療部ができた「はず」でした。しかし、実際にはそれぞれの大学のさまざまな思惑で総合診療は作られていきました。

ある総合診療部ではアメリカの家庭医のごとく、内科・外科・小児科はもとより、産婦人科や耳鼻科、皮膚科といった幅広い臨床能力を有する医者を養成しようとしました。またある総合診療部は心療内科のような、心身症といった心理的な背景をもとにした身体的症状をあつかう診療を目指しました。さらにある総合診療部では単に大学のポストを増やす方策として利用され、実質的になにをやっているのかわらない総合診療部すらありました。結局、総合診療の必要性が叫ばれながらも、社会的なニーズとの整合性がとれないまま、総合診療部がタケノコのように次々とできていったというのが実情です。

私が所属していた北海道大学医学部附属病院総合診療部も、当時大学病院での位置づけがはっきりしていませんでした。総合診療部としての明確な理念がないまま、各専門診療科が「うちの患者ではない」と紹介してくる患者をあつかう心療内科のような診療に甘んじていました。私は学生のころから臨床心理学や精神療法に関心を持っていたので、その関連書籍をいろいろ読んできました。しかし、それらを実際の診療に活かすとなると具体的な指導が必要です。 私のいた総合診療部では、心療内科的なトレーニングも経験もない医者それぞれが自己流の診療をしている、という状態でした。

あるときは「手のひらから虫がでてくる」と訴えて皮膚科から回されてくる患者が来ました。またあるときは「私は昭和天皇の隠し子だ」と言っている患者が送られてきたこともありました。どちらも本来は精神科が担当すべき患者です。しかし、さまざまな理由で患者に「精神科に受診しなさい」と言えないケースはまず総合診療部にまわすという暗黙のルールができていました。精神科の診療など未経験の私にとって、そうした患者を診療するのは正直しんどいことでした。私は、総合診療部の運営に明確なビジョンをもたず、こうした現状を放置している上司に不満を持っていました。

「心療内科的な患者」をどう扱うべきなのか、迷いながら忙しくしていたある日、ひとりの外国人が私の外来を受診しました。彼は工学部の大学院にサウジアラビアから留学してきた男子学生でした。問診票に彼が書いた文字はなく、受付スタッフの字で「消化器科からの紹介」とだけ書かれていました。診察室に入ってきた彼は、学生とはいえすでに30歳を超えているように見えました。私は英語で「日本語は話せますか?」と聞いてみましたが、彼は顔を横に振り、身振り手振りで日本語は話せないと伝えているようでした。

しかし、話せないのは日本語だけでなく、英語での会話も十分にはできないようでした。簡単な英単語は通じても、コミュニケーションがとれるほどの会話にはならないのです。はじめは「留学生のくせに英語も話せないのか」とあきれていましたが、自分の思いを必死に伝えようとする彼の姿を見てなんとなく気の毒になってきました。そして、彼の話しに耳を傾けるうちに、どうやら数か月前から胃の痛みと食欲不振が続き、消化器内科を受診したがよく話しを聴いてもらえないまま「総合診療部に行くように」といわれた、ということがわかりました。

はじめは緊張して表情に余裕がない彼でしたが、簡単な日本語と英単語を使って「会話」を続けていると、彼の表情が徐々に緩んでくるのが見て取れました。ときに冗談を交わしながら、今の彼にとって必要なのは、胃カメラなどの検査ではなくこうしたコミュニケーションなのではないかと思いました。とりあえず、胃の負担を軽減する薬を処方し、その効果を見ながら必要に応じて検査をすることにしました。診察室を出ていくときの彼には笑顔がありました。そのとき私は大学に総合診療部がある意味のひとつはこういうことかもしれないと思ったのでした。

一週間ほどして彼はまた外来にやってきました。私は薬を飲んでみて症状はよくなったかと尋ねてみました。すると彼は「症状の改善はあるがまだ十分ではない」と答えました。そこで今回は前回よりも少し立ち入った話しを聴くことにしました。暖かい中東とはまったく環境の異なる北海道での生活は、彼にとってはさぞかしストレスなのではないかと思ったからです。すると彼はいろいろなことを話してくれました。彼がサウジの王族の一員であり、妻と子供を母国に残してやってきたこと。今回の留学は「箔付け」のための遊学だったことなどが明らかになりました。

言葉の問題で大学院の授業にも、また実習にも支障がでていた彼にはそれなりにプレッシャーだったに違いありません。しかも、所属する研究室の教授は、一日に五回、メッカの方角に向けて礼拝しなければならないムスリムの務めに対しての配慮がなく、彼は自分にとってはそれが一番つらいことだと言いました。多くの日本人は信仰というものを日頃意識していません。ましてや、ムスリムの独特な日常に知識のある日本人など少数だと思います。教授がそんな典型的な日本人であれば、拝礼に対する配慮など想像もつかなかったのかもしれません。

私は工学部に電話をして、ムスリムである彼に礼拝するためのスペースと時間を設けてやってもらえないか頼みました。彼の症状を治すためには、薬を処方することよりも今の環境を整えてあげることの方が大切だと思ったからです。彼はその後しばらく外来に来ませんでした。私は彼のことをすっかり忘れていて、数か月ぶりに彼のカルテが私の手元に来たときになってようやく長期間来院がなかったことに気がつきました。彼が診察室に入って来るまでの間、私は「症状がよくならず別の病院に行ってしまったのだろうか」と思いをめぐらしていました。

診察室に入ってきた彼は笑顔でした。久しぶりに私と会った照れくささからか、それとも症状が良くなったからかわかりません。しかし、私の前に座った彼は「教授が礼拝する場所と時間を作ってくれた」とうれしそうでした。「胃の調子は?」と尋ねると、彼は「オーケイ、ダイジョウブ」とにこやかです。その様子を見て私はなぜかほっとしました。胸のつかえがとれたという感覚といってもいいでしょう。彼が胃の不調を訴えたのは、慣れない環境に住むストレスだけではなく、ムスリムとしての務めができなかったことに対するストレスが大きな原因だったのかもしれません。

だいぶ経って、彼はもう一度私の外来にやってきました。今度は付き添いの人と一緒でした。それは奥さんと小さな息子さんでした。二人は彼と日本で生活するために中東からやってきたのです。奥さんはヒジャブと呼ばれるスカーフをかぶっていました。サウジアラビアは中東でもとくに戒律の厳しい国であり、女性はアッバーヤという黒いマントを頭からすっぽりとかぶって顔を隠さなければいけないことを知っていた私は、奥さんのヒジャブを指さして「アッバーヤ、オーケイ?」と言いました。すると彼はとびっきりの笑顔で答えました。「ココ、ニホン。ダイジョウブ」。

美人の奥さんとかわいい坊ちゃんとの三人で暮らすことになった彼は、それ以来、私の外来を受診することはありませんでした。私が北大の総合診療部に入局したのは、特定の臓器・疾患に偏らない総合内科的な診療を身に着けたいと考えたためです。また同時に、そうした能力を身に着けた医師の養成が総合診療部の役割だとも思っていました。しかし、あの中東からの留学生を診療する経験を通して、心理的な側面から患者を理解し、問題解決の糸口を模索することも総合診療の重要な役割だと感じました。そしてその経験は今の私の診療にも生きています。

全国に次々と設立された総合診療部でしたが、その後、多くが大学病院の中での位置づけが定まらないまま統合あるいは廃止されてしまいました。北大の総合診療部もそのひとつです。それは総合診療の概念を具体化できなかった当時の指導的立場にある人たちの責任です。私は総合診療部に籍を置いていたときから「このままでは総合診療がなくなってしまう」と危惧していました。そしてそれは現実のものとなってしまいました。今でも「病気を診ずして病人を診よ」という言葉が恥ずかしくなるような医療をしばしば目にします。そのたびに総合診療部がなくなってしまった事実の重さを痛感します。

回答にかえて

今回のブログは今までになく長くなってしまいました。読みづらいかもしれませんが、まとめて書きましたのでご了承ください。

先日、このブログへの感想とともにご質問が寄せられました。そのなかで、今の新型コロナの感染状況についてどう感じているのかを教えてほしいとのご要望がありました。これまで何回かにわたり、その時点でわかっていること、あるいは自分なりの見解を発表してきました。しかし、その時正しかったことが今は否定されたり、また、その後、明らかになったこともあります。その辺のこともふくめて、あらためてまとめます。
ただ、あらかじめ申し上げておきますが、ここには私の個人的な見解が含まれています(これまでの記事すべてがそうですが)。私の「好き、嫌い」「すべき、すべきじゃない」に関しては、価値観の違いから、あるいは立場の違い(医療従事者と患者という意味)から、読者のみさなんには不快な思いをさせてしまうかもしれません。でも、当ブログは私の意見表明の場でもあり、あたりさわりのないことを書いても意味がないと考えています。

これまで繰り返してきたように、「新型コロナ感染は風邪をひくことと同じではありません。しかし、軽症であればそれがたとえ新型コロナウィルス感染症だったとしてもほとんど風邪」です。新型コロナはインフルエンザよりも少し怖い程度だという人もいます。そんなことをいうと「認識が甘い」といわれるかもしれません。「放射能の危険性に対する認識が甘い」と書かれたメモ用紙をポストに投げ入れられたときのように。
しかし考えてみて下さい。「ワクチンを打ちましょう」と繰り返しても、「めんどくさい」とか「これまでかかったことがない」という理由でワクチンを打たなかった人は少なくありません。そのインフルエンザで毎年3000人の人が日本で亡くなっています。今回の新型コロナによって亡くなった人は約1年で4000人ほど。新型コロナではまだワクチンを接種した人がいなくてこの数字です。これって多いといえるのでしょうか。

超過死亡という用語をご存知でしょうか。「例年、このくらいの人が亡くなっている」という数字が統計的に推定できます。その推定される値を越える死亡者数を「超過死亡」といいます。ここでの死因はさまざまです。肺炎だったり、癌だったり、交通事故だったり、自殺だったり。つまり、超過死亡が増えたということは、何らかの原因によって社会的損失としての死者が多くなったということを意味します。
連日、マスコミの報道によって、皆さんは「新型コロナウィルスが猛威をふるい、バタバタと人が死んで、社会がとんでもなく混乱している」と思っているのではないでしょうか。しかし、海外の国々の超過死亡が増える中、日本の超過死亡はむしろ減っているのです。理由はさまざまです。新型コロナのおかげで日本人の衛生意識が高まり、重症感染症そのものが減ったのか。それとも極端な自粛によって交通事故死が減ったのか。

世の中をかけめぐる情報のうち、かなりの割合で枝葉末節なことが針小棒大に報道されています。場合によっては根拠のない情報を伝えるフェイクニュースや、恣意的に世論を誘導するような偏向ニュースが飛び交っていることすらあります。多くの人は「PCR検査陽性者(=感染者?)の数の多さ」に一喜一憂します。しかし、この中には軽症者やまったく症状のない人が含まれています。本来は重症者がどのくらい増えているかに注目すべきです。
新型コロナの感染拡大のおかげ(?)でか、実は社会的損失としての死亡者はむしろ減っています。これは衛生意識が高い日本ならではことかもしれません。そのような中で、新型コロナによる「死者数(コロナ死)」を考える際には注意が必要です。コロナ死の定義が市町村によって異なるからです。今は容易に(安易に?)PCR検査がおこなわれます。自殺した場合も、癌で亡くなったとしても死後にPCR検査で陽性とでれば「コロナ死」となるのです。

検査はなんのためにするのでしょうか。私はこのブログで何度も「検査はあくまでも怪しい人にやるもの」とご説明してきました。しかし、とある一本の論文が海外の科学雑誌に掲載されました。「検査をたくさん実施すれば感染拡大の抑制に寄与する」というものです。この論文を根拠に「ほらみろ。検査はやればやるほどいいんだ」と勢いづく人もいます。しかし、国民性や医療制度の異なる国での研究成果を単純に日本にあてはめることはできません。
こうした私と同じ意見をもつ医師は少なくないと思います。しかし、中には「検査をもっとやれば感染拡大をおさえられる。もっと検査をやるべきだ」と考える医師もいます。でも、そうした医師の多くは、自分のクリニックで大々的に検査をやっていたり、そうしたクリニックとの関連性があります。利益相反ってやつでしょうか。いずれにせよ、「検査陽性は入院が原則」の日本で検査をむやみに増やせば医療は崩壊します。

現在のPCR検査の感度はかなり高くなり、疑陽性はほぼないといわれています。しかし、陽性となったとしても、ウィルスのかけらが検出されたにすぎない人や、発症したり他の人にうつす可能性が低いほどの少量のウィルスを保有していたにすぎない人もいます。そんな軽症な人であっても、今、日本で新型コロナウィルスはエボラウィルスと同じ感染症法の二類のままになっており、検査が陽性になった時点で入院させるのが原則になっています。
多くの人は「検査しないよりしたほうがいい、入院しないよりはした方がいい」と考えるかもしれません。しかし、そうではありません。なぜなら、検査しに行った場所で、あるいはコロナ病棟に入院したことによってあらたに感染してしまうリスクがあるからです。検査をする人は完全装備です。でも、検査を受けたり、入院した患者はほとんど無防備です。本当に感染したかどうかもわからない無症状あるいは軽微な患者が行くべき場所ではありません。

だからといって「検査をしない方がいい」ということではありません。そうではなくて、だからこそ「怪しい人が検査を受けるべき」なのです。検査は本来「念のため」に実施するものではありません。「否定するため」のものでもありません(そうしたことを目的に検査する場合もあります)。熱もない風邪症状の社員に会社が「検査を受けてこい」と命じるケースがあります。会社側こそもっと検査を受けるリスクに関する正しい知識をもってほしいものです。
つい最近の東京都で、PCR検査した人のうちで陽性になった人は約15%に達しました。しかし、これの数字もどのくらい対象者をしぼったかによって違ってきます。感染拡大の様子をこの陽性率で判断することは困難です。感染拡大の様子は重症者の数で把握するべきです(死亡者数は「コロナ死」の定義がはっきりしていないため比較をするには不適切です)。ただし、感染の拡大に遅れること2週間ほどで重症者数に反映されます。

連日報じられる新型コロナウィルスの感染拡大。いつになったらこんな状況から抜け出せるのか不安になります。しかし、感染者をゼロにすることは当分できません。検査陽性者は多くなったり少なくなったりといった状況がしばらくは続くでしょう。感染の封じ込めを政府は狙っているようですが、強力な自粛によって経済に大きな犠牲を強いてまでやることではありません。むしろ、医療を崩壊させないためにはどうするかに主眼におくべきです。
もちろん、医療を崩壊させないためにも感染拡大の阻止(抑制)は必要です。だからといって、日本医師会が繰り返し強調してきたように、一にも二にも自粛というバカのひとつ覚えでもいけません。一般国民にはこれまで通り感染を防ぐためのできうる工夫を継続していただきながら、新型コロナウィルスワクチンの接種が開始されたらすみやかに受けていただくことです。このワクチンを必要以上に恐れて接種しないでいる理由はありません。

新型コロナウィルスのワクチンについては怖くなるような情報がもう出回っています。今後、幅広くワクチンが接種されるようになると、マスコミもおそらくネガティブ・キャンペーンを張ってくるでしょう。どのワイドショーでも、「接種するのは危険だ」といわんばかりの事例を繰り返し紹介してきます。しかし、今から新型コロナウィルスワクチンに関する正しい知識をもち、ワクチン接種の是非をできるだけ冷静に判断できるようにしておくべきです。
従来のワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがありました。前者は弱毒化した「生」のウィルスをからだの中に注入して抗体を作り感染を予防するものです。しかし、感染予防の効果は高いものの、副作用もそれなりに出現します。一方の不活化ワクチンは、ウィルスのいち部をからだに注射し、抗体を作って重症化するのを防ぐのです。感染予防効果は弱いのですが安全性が生ワクチンよりも比較的高いとされています。

新型コロナウィルスのワクチンは、従来のワクチンとはかなり異なります。遺伝子操作で作られた最新型のワクチンです。mRNAワクチンやDNAワクチン、ウィルスベクターワクチンなどの種類がありますが、いずれもウィルスの遺伝子を利用して抗体を作るワクチンです。ここではmRNAワクチンについて簡単に説明します。なお、mRNAは「メッセンジャーRNA」と読みます。RNAはDNAと同様、からだを複製する際の情報が書かれた遺伝子です。
新型コロナウィルスはRNAウィルスに分類されます。つまり、自分の複製をつくるときRNAという遺伝子を使うウィルスです。このRNAがどのような配列になっているかはすでに昨年の2月に明らかになりました。そして、このウィルスが細胞に接触するのに必要なスパイクと呼ばれる部位を作る配列も解読されました。そのRNA配列をmRNAとして合成し、からだに注射するのがが新型コロナウィルスのワクチンです。

このmRNAを筋肉に注射すると、その配列は筋肉の細胞の中にあるリボソームという器官で読み取られます。そして、ウィルスのスパイクという部位のタンパクが合成され、そのタンパクを異物として認識したからだが抗体を作るのです。そうすると、ウィルスが体内に侵入しても、そのスパイクがワクチン接種で作られた抗体によって破壊され、細胞にとりつくことができなくなり感染予防ができる、というわけです。
従来にはないワクチンではありますが、感染予防効果は生ワクチンに近い(ファイザー社製で95%以上)と報告されています。不活化ワクチンと同様に重症予防の効果も期待できます。さらに、ウィルスそのもの、ないしはその一部を外来タンパクとして注射する従来のワクチンと異なり、mRNAを注射してからだの細胞内であらたにタンパクを作らせるため、重篤なアレルギー反応は100万人に22人と比較的低い数字です。

命に関わるような副反応は極めて少ないとはいえ、デメリットもあります。従来のワクチンは皮下注射(皮膚と筋肉の間に注入)でよかったのですが、mRNAワクチンは筋肉の細胞でスパイクタンパクを作らせるため筋肉に注射しなければなりません。つまり、従来のワクチンにくらべて注射時の痛みが強くなります。しかも、注射後の筋肉痛や針を刺した部分の圧痛や倦怠感も従来のワクチンよりも比較的強いとされています。
また、mRNAは壊れやすいため極めて低い低温で保管しなければなりません。そして、凍結した状態から解凍したら、6時間ほどで使用しなければなりません。よく「遺伝子を使ったmRNAワクチンで遺伝的な悪影響が出る」というデマがながれていますが、mRNAは体内では数分で代謝されてしまうので心配ありません。以上のように、その取扱いの難しさから、その辺のクリニックで気軽に接種を受けられるものではないのです。

さて、そうはいっても、感染したらどうしたらいいのでしょうか。入院するか、宿泊施設で経過をみるのか、それとも自宅内隔離で様子を見るのか。一般の人にそれを判断するのは難しいかもしれません。でも、明確な自覚症状のない熱発だけであれば、家庭内隔離をしながら自宅で様子を見ていてもいいでしょう。ただし、強い倦怠感や咽頭痛、味覚やにおいを感じない、あるいは呼吸苦や胸痛を感じるといった症状をともなう熱発は要注意です。
当院では問い合わせのあった患者を四つのタイプに分類しています。
 #0:熱はない風邪症状のみ
 #1:熱はあるが新型コロナの感染患者ではない可能性が高い
 #10:熱があり新型コロナの感染患者の可能性を疑う
 #100:新型コロナの感染患者の可能性が高い

#100に分類される患者は診察はせず、適宜投薬をしながらPCR検査を手配します。緊急性がある場合は保健所に直接相談します。#10の患者の場合も原則的に診察はせず投薬のみで経過を見ますが、毎日電話をかけて症状が改善傾向にあるかを確認・記録し、重症化していないかを見逃さないようにしています。#1の患者は来院患者の少ない時間帯に診療するか、投薬のみにし、#0の患者は通常の診療にて対応するようにしています。
自宅内で経過を診る場合は、家族内に感染が拡大していないか注意する必要があります。通常の風邪であればそう簡単に感染しません。しかし、熱発患者の経過観察中に同じような症状が他の家族に出るようなら新型コロナウィルスに感染してしまった可能性を考えるべきです。重症を思わせるような症状がなければ、あわてずにかかりつけの医師に電話で相談しましょう。夜間などに重症を思わせる症状がでたら「119番」に相談してください。

それにしても「感染拡大」で世の中が騒然としているのに、行政の対応は「自粛、自粛」を繰り返すばかりで後手後手になっている印象があります。日本医師会もなんの有効策をとれないでいます。「とれない」のか、「とらない」のか、私にはわかりませんが、今の日本医師会はあまりにも無力に見えます。日本医師会の狼狽ぶりはなさけないばかりです。「GoTo やめろ」「自粛しろ」の一点張りだったのですから。
今、喫緊の課題は「医療崩壊」ではなく、重症者などを病院が収容できなくなる「病院崩壊」をいかに回避するかです。緊迫している病院にくらべて、開業医が置かれている状況は、その機能が崩壊するほどの危機的な状況にはありません。開業医が楽をしていると言っているのではありません。熱発はもちろん、風邪症状の患者の診療にはそれなりの危険性があります。そうした中、限られた医療資源の中で「頑張っている医療機関」は少なくないのです。

新型コロナウィルスに感染する危険性をもかえりみず、超人的な診療をしている開業医も少なからずいると思います。しかし、そうした診療が必ずしもいいとは思いません。開業医が安易に感染してしまえば、そのしわ寄せは他の個人開業に、あるいは病院の外来に波及するからです。機能という意味でも、マンパワーという観点からも、開業医が病院なみの診療をすることは不可能です。感染するリスクを軽減しながらどの程度の診療をするかです。
私たち開業医が今しなければならないのは、病院や保健所の負担を少しでも軽減することだと思います。病院にとって代わることなどできませんし、そんな大それたことをやろうとすべきではありません。せいぜい前述したような当院での診療をするのが精いっぱいでしょう。今はただ、個人の開業医それぞれが「できる範囲で、すべきことをやる」という姿勢をもたなければなりません。とはいえ、国や行政を巻き込めばやれることはまだあります。

前述したように、新型コロナウィルスは感染症法の2類相当に分類されています。つまりエボラウィルスのように致死率の高い恐ろしいウィルスと同じあつかいになっているのです。ですから、新型コロナウィルスに感染したと診断された時点で患者は「原則入院」となります。多くの人も「新型コロナになったら入院するもの」と思っているかもしれません。ですから、もし仮に軽症であっても「入院させろ」という圧力は決して弱くないと思います。
しかし、ひっ迫した入院病床数の今の状況を考慮すれば、新型コロナウィルスをインフルエンザと同じ5類にすることが急務です。これまでに得られた経験と知識から、新型コロナウィルスの危険性があのエボラウィルスと同じではないことは明白です。2類から5類への指定変更によって、病院は「原則入院」という呪縛から解放され、重症度の応じて患者を「入院加療」「宿泊施設」「自宅隔離」に柔軟に割り振ることができるのです。

最近、マスコミは「自宅内で家族から感染」や「自宅療養中に死亡」、あるいは「入院を拒否された」といったケースを報道しています。そして、感情論にながされたワイドショーがそれをとりあげては騒いでいます。命に軽重はありません。しかし、優先順位はあるのです。イタリアの例を見るまでもなく、限られた医療資源のなかで人の命を救わなければならないとき、命に優先順位をつけなければなりません。それは差別ではありません。
日本人はこうした議論を避ける傾向があります。情緒論にながされがちだからです。今の政府・専門家たちの間ですらなかなか議論されていません。ですから、医療がさらにひっ迫して、「命に優先順位をつける」という厳しい状況に直面したとき、行政の定めた目安がない現場は混乱するでしょう。そんなことがわかっているはずなのに、政治責任から逃げている人たちの議論はきわめて低調です。かくしてそれが医療現場をさらに疲弊させます。

現場の医師、看護師、そして病院のすべての職員が、今どんな思いで仕事をしているかを考えると申し訳ない気持ちがします。彼らを支えるべき大きな力があまり機能していないからです。個々の力ではこの状況をかえることはできません。国なり、自治体なり、医師会といった権力をもった人たちがもっと知恵をしぼって動かなければならないのです。そうでもないかぎり、病院がおかれた厳しい状況を改善することはできません。
とくに日本医師会の動きに私は不満です。ご存知のとおり、日本医師会の会員の多くは開業医です。私もそのひとりです。もちろん病院の勤務医の会員もいます。会員の職種や身分にかかわらず、医師を束ねる組織として「やれること」をやっているとはとても思えないのです。医師会の幹部たちが会見でフリップをもちながら「医療崩壊」の危機を叫んでいます。しかし、医師会が「やるべきこと」はそんなことではないはずです。

医師会はなぜ「新型コロナを2類から5類に変更せよ」と主張しないのでしょう。その一方で、「自宅で経過観察している無症状あるいは軽症の患者のフォローアップは開業医が担当する」と提言しないのはなぜでしょう。つい最近、東京都がいくつかの病院を新型コロナ専門病院として運用すると発表しました。これは私がすでに提言していたことですが、本来であればもっと早い段階で医師会が提言しなければならないことです。
政府の対応にも苛立ちます。疲弊した看護師が次々と病院を離職している現状に、看護大学院生や看護学部・看護学校の教員を現場に動員する案が検討されたと聞きます。しかし、まずやらなければならないのは、経験豊富な看護師たちが離職しない環境を整えることのはず。まるで大東亜戦争(太平洋戦争)のとき、経験豊富なパイロットを特攻作戦でどんどん消費し、経験の浅いパイロットを即席で養成して戦ったのと同じではないでしょうか。

昨年以上の自粛をすることは社会的に不可能です。期待しても無駄です。そもそも自粛の効果にエビデンスはないとも聞きます。業種によってはこれ以上の自粛は社会的死を意味します。そんな素人でもわかることにしがみつき、「自粛、自粛」と叫ぶだけの政府と日本医師会には「やるべきことをやってくれ。思いつかないならパブリックコメントを募集してくれ。それすらできないならやれる人に代わってくれ」と言いたいくらいです。
病院も保健所も昨年の春からずっと大変な思いをしています。その機能を守る前提は、国民が気を緩めず、できることを淡々と励行することです。と同時に「重症化したときに確実に治療を受けることができる体制」を維持しなければなりません。そのために政府や自治体、そして日本医師会は知恵をしぼるべきです。私自身も病院機能を守るために今できることを試行錯誤しながら実行していきたいと思っています。

コロナより怖いもの(2)

11月ごろから急に新型コロナ感染者(検査で陽性となった人)が増えだし、集中治療室で治療を受ける重症者の数や、治療のかいもなく亡くなってしまう人の数は今や春のときよりも増えています。最近、それらの数が落ち着いてきたと思ったのもつかの間、感染力の強い変異型のウィルスが海外から日本に入ってきたと報道されています。第三波と呼ばれる感染拡大が今度どのように推移するのか、「医療崩壊」が現実のものになってしまうのだろうかと不安になります。

いろいろな場所で「クラスター」と呼ばれる新型コロナウィルスの集団感染が発生しています。それは感染対策をとっている医療機関もその例外ではありません。私のクリニックでも他人事ではなく、知らない間に身近なところに迫ってきていると感じることが時々あります。これまでにもまして私自身や職員はもちろん、私たちの家族にも感染者が発生しないような生活・心がけを徹底し、患者対応ならびに院内の環境整備を常に見直すようにしています。

しかし、私たちの努力だけではどうしようもないこともあります。随分前のことになりますが、ご家族から「父親が先日から咳がでているのだが」とお電話がありました。「熱があるか」と尋ねたところ「ない」といいます。いつもなら受診させて診察・投薬するところですが、なんとなく胸騒ぎを感じた私は「お薬をだすので、本人は来院せず、ご家族がとりに来てください」と伝えました。そして、来院した家族に一般的な薬を処方して様子を見ることにしました。

その後の連絡はなく、その患者のことはすっかり忘れていたのですが、最近になって、薬を出した直後に新型コロナと診断されて入院したということがわかりました。しかも、発症したのは当院に相談があった日の数日前だったというのです。となれば電話で相談を受けたときにはすでに咳だけではなく発熱もあったはず。そうした大切な情報が正しく伝えられなかったのです。あのとき、もし胸騒ぎがなければ、いつも通りに診察した私も濃厚接触者になるところでした。

それでもまだ私のクリニックのような医療機関はいいのです。感染病棟をもっている病院はもっと大変です。なにせ「新型コロナと背中合わせ」で診療しているのですから。しかもそんな状態は新型コロナウィルスの感染がはじまった2月からずっと続いています。もしそこで働く医療従事者が疲労困憊し、クラスターが発生するなどして感染患者を受け入れられなくなったらどうなるでしょう。一般診療もできなくなり、まさに「医療崩壊」に陥ってしまいます。

昨年のちょうど今頃、中国では原因不明の肺炎が流行し始めたことが報道されました。そして、その流行は予想を上回る早さで拡大している可能性があることを報じるものもありました。中国でそんな事態になっていることに多くの日本人がまだ気が付いていなかった今年の1月26日のこと。私はこの日のブログで「このまま入国制限をしなければ中国からたくさんの観光客が入ってくる」、「日本でも流行した場合の対応を今から考えておくべき」だと注意喚起しました。

*********** 以下、1月26日掲載「新型肺炎(1)」の一部

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

***************** 以上

しかし、政府は、まるで4月の来日が決まっていた中国の習近平主席に配慮したかのようになかなか入国制限を実施しませんでした。その結果、春節にはたくさんの中国人観光客が来日し、日本への外来ウィルスの侵入を食い止めることができなかっただけでなく、国内での感染拡大に歯止めがかからなくなりました。大変だったのは保健所と感染者を入院させる病院です。急増する感染者に対応する体制を整えることもできないままに春を迎え、夏になってしまいました。

ところが夏になって第二波が疑われたときでさえ、政府や日本医師会は新たな手を打とうとはしませんでした。そこで私は8月のブログで「この冬に向けての提言」と題して、第三波がやってくるまでに政府や医師会がなにも対応しようとしないときの提言をまとめました。でも、案の定、第三波への対応策を「今出るか、今出るか」と待っている間に、あっという間に秋になり、10月には入国制限が緩和され、11月になると感染はふたたび広がっていきました。

************ 以下、8月19日掲載「この冬に向けての提言」の一部

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

***************** 以上

今、盛んに「感染者数が過去最大に」と報道されています。そりゃそうでしょ。クラスターつぶしで症状の軽い人や無症状の感染者までが拾い上げられているのですから。もちろん重症者や日々の死亡者の数だってこれまでになく多いのですから最近の感染拡大が大した問題でないなどというつもりはありません。でも一番の問題は政府や日本医師会に実効性のある対策がないところ。このままでは「医療崩壊」が現実のものになってしまうかもしれないのです。

その医療崩壊を起こさないために何をすべきなのでしょう。政府や自治体の長はなにかといえば「自粛しろ」といいます。この春のときのような緊急事態宣言を「出せ」「出すな」の応酬となるときもあります。その一方で、日本医師会や東京都医師会などは「医療はもう限界だ」と叫ぶばかりです。でも、ちょっと待ってください。医師会はこれまでなにをやってきたのでしょうか。有効策も講じないでいて勝手なことを言うなと言いたい気持ちです。

日本医師会がやるべきことは、そんな泣き言を言うことじゃないはず。つい先日までも「Go Toやめろ。人は移動するな」と叫び、政府の対応を批判するだけでした。日本医師会はそんなことを言っている暇があったら、この感染拡大に際して医療を崩壊させないための取りうる方策に知恵をしぼるべきじゃないんですか。そんなことはこの夏にやっておかねばならないこと。それを怠ってきて、今さら泣き言ばかりではあまりにも情けないじゃありませんか。

ここまで感染者が増え、軽症者や無症状の感染者がホテルでさえも隔離できなくなったときに「自宅隔離」ができるよう、具体的な方法を今から国民に啓もうすることです。そして、ホテル隔離した患者は地元の医師会が交代で、自宅隔離した患者は患者宅の近隣の開業医が適宜投薬をして定期的に健康状態を確認。その情報を保健所に報告し、症状の悪化が見られた患者をすみやかに病院に収容する。それらのスムーズな連携ができる体制を構築する必要があります。

新型コロナ患者を収容する病院では内科での一般外来はとりやめてできるだけ入院診療に集中するべきです。そのためには一般内科病棟の一時的な減床や患者の転院も考える必要があります。もちろん金銭的な負担は政府や自治体が保証する。医療従事者の給与を増やしたり、一時金を渡すよりもこのような対応が必要です。病院で働く人たちに感謝することは、チャリティコンサートを開くことでもなければ、千羽鶴を折ることでも手紙を送ることでもありません。

国や医師会がこうも無策なのは、現場もよく知らないお偉い先生方や政治家たちが思い付きで話し合うから。私が責任者だったら、新型コロナ患者を収容して苦労している病院で働く人たちを集め、何が不足していて、何が必要なのかを洗い出し、これらの課題を解決するためにどのような法整備、法的根拠が必要なのか。財政的な裏打ちをどうとるかなどをまとめて対応策を考えます。今の対応はこうしたプロセスを踏んでのこととは到底思えないのです。

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、怖いのは新型コロナウィルスだけではありません。人々の不安をあおるマスコミのいい加減さと、無知な一般大衆が引き起こすパニック。そして、長期的な展望と短期的な戦略をもてない政治家や官僚、日本医師会といった肝心の組織の無能さ。やるべき人がやるべきことをやってくれないと、社会を不安におとしいれ、たくさんの人が犠牲になることにつながります。新型コロナよりもむしろこちらの方が恐ろしい。

12月28日からようやく入国制限が再開されるようです。しかし、制限される国の中に中国はありません。そして、この制限は来年1月31日に終わります。中国の来年の春節は2月11日だとされています。つまり春節がやってくる前にこの制限は終わるのです。今年の1月のブログで私が書いたのと同じ愚を繰り返すつもりなのでしょうか。人間は間違いを犯します。それは愚かだからではありません。しかし、愚かなのは経験から学ばずその間違いを繰り返すことです。

最後に、この年末年始にできることをまとめてみました。くれぐれも目安にしてください。医者にもいろいろいます。新型コロナやインフルエンザが心配されている中、一日三回解熱剤(や痛み止め)を出す医者もいます。これを悪いことだとはいいませんが、あまり筋のいい処方だとも思いません。微熱などの発熱があったときにどのように対応したらいいかに迷ったら、まずは当番の医療機関に電話で相談すること(市医師会のホームページ、または市消防局、あるいは119番に連絡すると当番病院を教えてくれます)。

コロナより怖いもの(1)

インフルエンザのワクチン接種も終盤に差しかかっています。新型コロナとインフルエンザが同時に流行することが懸念されていたせいか、例年以上にインフルエンザワクチンの接種が推奨されていました。そんなこともあって、これまでワクチン接種とは無縁だった人までがワクチンを打ちに来院しました。また、マスコミが「早めに接種しましょう(その理由は不明です)」と煽ってきたせいか、10月になると早々に接種に来る人が多かったのも今年の特徴です。

ご存じのとおり、インフルエンザのワクチンは「インフルエンザ」のためのワクチンであり、新型コロナウィルスはもちろん、いわゆる「一般の風邪のウィルス」に対する予防効果はありません。ワクチンを打たない人の中には「インフルエンザになったことがないから打ってこなかった」という人がいます。でも、それはたまたまインフルエンザにかからずに済んでいたのであり、ワクチンを接種する必要性があるとか、ないとかいうこととは関係ありません。

ワクチンを打ってもインフルエンザにかかることはあります。かかりにくくなるだけです。 でも、ワクチンの効果はインフルエンザにかかったときにわかります。ワクチンを接種していれば、インフルエンザに感染してもおおむね数日で解熱し、重症化することを避けることもできます。ところが、ワクチンを接種せずに感染すれば、高熱と全身倦怠感、頭痛と関節痛といった諸症状に連日苦しみ、場合によっては重症化、運が悪ければ死亡することもあります。

現在、新型コロナにはワクチンがないため、あたかもワクチンがなかったころのインフルエンザのような状況になっています。ワクチンがなかったころのインフルエンザがどれだけ恐ろしい感染症だったかを想像してみて下さい。1918年に世界的に流行した「スペインかぜ」は全世界で約6億人が感染し、約5000万人が死亡したと言われています。その後もパンデミックは繰り返し、「香港かぜ」や「ソ連かぜ」と呼ばれて今でも語り継がれています。

ところが、ワクチン接種が普及し、インフルエンザに対する啓もうが進むにつれて世界的パンデミックは減っていきました。そして、インフルエンザ治療薬が普及すると、インフルエンザはもはや恐ろしい病気として認識されなくなりました。「ワクチンを打ちましょう」と勧めても見向きもしない人が少なくなかったのはそのためです。本来は接種しなければならない学校の教員や介護施設の職員の中にさえワクチンを接種しなかった人が結構いたほどです。

しかし、今年は様相が異なりました。これまで接種をしてこなかった人たちもがワクチンを受けに来たのです。ワクチンはみんなが接種しなければ感染拡大を抑えることにはつながりません。「俺にはワクチンは関係ない」ではすまないのです。その意味で、ワクチンを接種する人が増えたことはいいことだったと思います。でも一方で、例年を大幅に上回るワクチンの需要に供給が追い付かず、一時的にワクチンが手に入らなくなったときもありました。

だからといって、ワクチンを早く接種すればいいかといえば必ずしもそうではありません。 インフルエンザが流行しはじめるのは例年であれば12月中旬から。そして、本格的に流行するのは1月の終わりからです。 ワクチン接種後、数週間で効果が現れ、3か月ほどで効力が落ちてくるといわれています。 ですから、早く打ちすぎると3月までにワクチンの効果が低下してしまうことがあるのです。当院で「11月のワクチン接種」をお勧めするのはそのためです。

新型コロナウィルスが流行してそろそろ11か月になります。その11か月間に日本で感染が確認された人はこれまでに約14万人、亡くなった方は2000人あまりです。インフルエンザが流行する半年間に日本で亡くなっている人は毎年3000人ほどですから、 新型コロナウィルスで亡くなった人はワクチンや治療薬がない割には決して多い数字ではないことがわかります。予防や治療の方法がまだ十分に確立していないというところが新型コロナの感染が怖い理由です。

今、新型コロナは第三波が到来していると言われています。確かに重症者は増えてきており、やがて死亡者も増加することでしょう。これらの感染状況がどれほど深刻なものになるのか見当もつきません。しかし、人々の心構えも、また、社会の在り方も、この春とはくらべものにならないくらい感染症対策に意識的になっています。したがって、悲観的にならず、やるべきことをきちんとやる。マスコミに煽られてパニックにおちいらない。ただただそれに尽きます。

とはいえ、入院患者がにわかに増え、医療崩壊に陥りそうな病院がでてきていると聞きます。医師や看護師、職員が細心の注意を払っていてもこれだけは避けられません。当然のことですが、新型コロナは【ただの風邪】ではありません。しかし、【軽いコロナ】は【ただの風邪】だといっても過言ではなく、感染したからといってあわてて病院に駆け込む必要はありません。入院するほどかどうかは症状が「軽いか、軽くないか」で決まります。

重症かどうかを判断するキーワードは「高熱が続いているか」と「呼吸器症状があるか」です。「他に症状はないが微熱があるがどうしたらいいか」と相談を受けることがあります。症状がないのになぜ体温を測ったのかわかりませんが、「微熱だけ」であればしばらく様子を見ていても大丈夫です。「微熱が一週間も続いている」ということであれば別ですが、一日やそこらの微熱の場合は万が一のことを考えながら自宅で安静にしていればいいでしょう。

熱のないような咳や咽頭痛などのときもあわてて医者に行く必要はありません。熱がでてきたときにはかかりつけ医に電話で相談すればいいと思います(抗生物質を処方されるでしょう)。一貫として熱がなくても、風邪症状が3,4日続く場合はかかりつけ医に相談してみてください。くれぐれも痛み止めや総合感冒薬など、体温を下げてしまう成分を含む薬を飲んで様子を見るなんてことはしないでください(本当の体温がわからなくなります)。

新型コロナウィルスの感染で一番怖いのは「肺炎になること」です。肺炎になると「痰の絡む咳」や「息苦しさ」、場合によっては「胸の痛み」などが現れることがあります。これらの症状とともに高熱が続く場合は、肺炎の可能性を考えなければなりません。と同時に、新型インフルエンザの可能を考えてPCR検査を考慮することもあります。肺炎の可能性があるとき、あるいは心配なときは早めに医療機関に電話をして相談することが大切です。

もし来院する場合は、待合室が混んでいないとき(午前の遅い時間帯や午後4時ごろ)に受診してください。「朝早く診療を終えてしまいたい」「午後一番で診てもらおう」と来院する人は少なくありませんが、この時期は患者が集まる時間帯に受診するのは避けてほしいものです。健康診断を受けるのも、滞在時間が長くなるという意味で今は避けるべきです。患者が少ない時、少ない時期を問い合わせて受診・受検するタイミングを考慮しましょう。

また、「職場や学校から検査をしてくるように指示された」とのお問い合わせをいただくことがあります。しかし、「新型コロナが疑わしい」と診断するとき以外は、自費で検査をしてくれる医療機関を探すことになります。無料(公費)で検査をしてくれる医療機関でPCR検査を受けられるのは、あくまでも新型コロナウィルスの感染が強く疑われたときだけです。「念のため」、あるいは「可能性を否定するため」に行う検査は自費になるので注意が必要です。

ですから、職場や学校から「念のため新型コロナかどうかを検査で確かめてくるように」と指示されたときは、「もし自費になったら会社や学校が負担してくれるのか」と聞いてください。今は比較的容易にPCR検査を受けられるとはいえ、検査は安易におこなうものではありません(検査場所で感染することだってありますから)。検査は臨床経過や症状の推移、診察所見などとともに総合的に判断するものです。今日陰性でも、明日陽性になるかもしれないのですから。

新型コロナの感染は、今後、さらに拡大するかもしれません。しかし、「一日何百人の感染患者」「これまでで最多の感染患者」などという報道に一喜一憂する必要はありません。なぜなら、今、一日におこなわれているPCR検査の数は、この3月や4月の5倍以上にもなっているからです。個人のクリニックでおこなっている検査をふくめれば、その数は相当数にのぼります。人心を煽る報道によって動揺しないようにしなければなりません。

一方、感染拡大の原因として「Go Toキャンペーン」が目の敵にされています。まるで「Go To」を使って旅行する人たち、あるいは食事をする人たち、さらには飲食店やホテルや旅館が悪者にされているかのようでもあります。しかし、このキャンペーンは7月から始まっています。なのになぜ11月から感染者数が増えた原因の第一に挙げられなければならないのでしょう。10月からはじまった入国制限の緩和の方がよほど感染者の急増に影響していると思います。

1月のブログにも書きましたが、流行が続いている海外との行き来を許せば、感染が拡大するのはあたりまえです。入国制限がおくれた2月から感染者数が激増した過去の状況を見ても、また、入国制限を緩和した10月から感染者数が急増している今の状況を見てもあきらかです。それほどまでに海外との人的交流を優先させる理由が私にはわかりませんが、国内の経済、とくに飲食店や観光業の皆さんの我慢ももう限界のはず。これ以上の自粛は酷な話しです。

新型コロナの患者を受けて入れている病院も大変です。感染が始まって以来、気が休まるときがないのですから。しかも、いったん新型コロナの感染者を出してしまえば、「あの病院でコロナの患者が発生したから(行くのはやめよう)」「あの病院の医者、看護師、職員だから(接触しないようにしよう)」との風評にしばらくさらされます。病院はそんな風評被害を受ける可能性におびえながら診療を続けていることも知ってほしいと思います。

いまだに「桜を観る会だ、日本学術会議だ」と不毛な議論をやっていても、毎月決まった額の給与が入ってくる国会議員は気楽な商売です。 新型コロナの感染拡大の原因を多角的に議論して、効果的な対策を矢継ぎ早に講じていかなければいけないはずです。政権の足をひっぱり、「Go Toやめろ」「自粛しろ」と大声で叫んでいればいいとでもいうのでしょうか。あんな人たちを国会に送ったことを反省しながら、せめて我々だけは理性的に行動したいものです。

「怖い、怖い」と言っているだけではなにも解決しません。頭を使ってなにをすべきかを考えましょう。そして、行動しましょう。決してマスコミに煽られてはいけません。また、世の中の雰囲気に流されてもいけません。新型コロナウィルスに感染して死ぬ人より、社会的に追い詰められて自殺する人の方が圧倒的に多いことにも目を向けなければなりません。コロナよりも怖いのは、なんといっても人々の心の中から余裕と勇気がなくなることなのです。

この冬に向けての提言

子どものころ、床屋さんに行くのが面倒で髪を伸ばし放題にしていると、よく両親に「おまえはビートルズにでもなるのか?」と怒られたものです。今どきの子ども達には「ビートルズにでもなるのか」の意味が理解できないかもしれません。当時は「ビートルズ=不良」という根拠なき図式があって、「ビートルズになる」ということはすなわち「不良になる」ということを意味していました。

それと同じように、子ども時代、勉強もせずにTVの前でゴロゴロしていると「TVばかり観ているとバカになるよ!」とよく言われたものです。事実、TVばかり観ていた私はみごとに「バカ」を地で行くような小学生時代を過ごしていたわけですが、それから五十年が経った今でもなお、「TVばかり観ているとバカになる」という言葉は多くの大人たちの間で活きています。

というのも、TVは正しい情報を伝えているとはかぎらないからです。とくにワイドショーはひどいものです。ど素人のコメンテーターが根拠希薄な「茶飲み話し程度の感想」を次々とまくし立てます。それを観ている視聴者はついつい「そうだ、そうだ」となって不安がかき立てられていきます。しかも、科学者を装った「専門家芸人」までが登場してワイドショーを盛り上げるのでなおさらです。

専門家芸人がなにを言おうと、所詮、芸人は芸人です。それが科学的に正しいかどうかはともかく、なけなしの知識は「芸」となって人々の注目をあび、人々の心をつかまなければなりません。ですから、専門家芸人たちが人心をあおろうとするワイドショーの意向にそわない発言をするわけがありません。かくして、ワイドショーを見ている人は知らず知らずのうちに洗脳されていきます。

心理学的にいえば、人間は自分の不安を支持・補強する情報に流され、信じる傾向を持っています。不安な自分と異なる意見に安堵する人もいますが、なかには自分の不安を否定する意見に怒りを感じて攻撃的になる人もいます。そうした怒りが客観的な事実を理性的に分析した結果であるならまだしも、「なんとなく怖い」という情緒に振り回されている結果であるとそれはもはや修正不能です。

最近、TVのニュースで「今日の陽性者数」とともに「重症者数」や「死亡者数」も報道されるようになりました。でも、それらは付け足し程度のもの。人々の不安を解消するほどのものにはなっていません。しかし、新型コロナの感染が一番危機的だった4月と比較すると現在の「陽性者数」はその三倍ほどになっていますが、「重症者数」はほぼ半分に、「死亡者数」にいたっては三分の一以下になっています。

こうした結果は、それまで検査をする基準となっていた「37.5℃以上の発熱が4日以上続くこと」という条件が外されて検査の数が格段に増えたからです。その一方で、現在の検査の精度が格段に上がって、症状の有無とは関係なくわずかなウィルス量の保有者であっても陽性にしていることが影響しています。しかし、「重症者数」でもわかるように感染の状況は決して深刻なものとはいえません。

先日、都内で「新型コロナはただの風邪」「マスクのない普段の生活に戻ろう」と気勢をあげる集会が開かれました。新型コロナを必要以上に怖がるのも愚かですが、こうした無意味な楽観論で社会を混乱させる運動も実に迷惑な話しです。軽微な新型コロナの感染は「ただの風邪」かもしれませんが、新型コロナウィルスの感染症そのものは「ただの風邪」ではないからです。

「新型コロナはインフルエンザ相当か、それよりも少し怖い感染症」と表現するのが適当です。インフルエンザには予防ワクチンが存在し、治療薬として服用できる薬が存在しますが、新型コロナウィルスにはまだそれがありません。ですから、油断していると感染はいっきに拡大し、重症者も急増する可能性があります。重症者の数を増やさないためには感染数を見ながら社会活動をコントロールすることが重要なのです。

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

そもそも現在の感染状況はそれほど深刻ではありません。幸いにも若い人達を中心に、無症状の、あるいは症状の軽い陽性者が多くを占めています。重症化しやすい高齢者が若い人達から感染したらどうするかという問題もあります。しかし、それはそれとしてしっかり策を講じながら、偏重した「感染拡大の阻止」から「重症者の救命」に重点をおく政策・医療に舵を切るべきです。

国や厚労省も、地方自治体も保健所も、あるいは医師会ですらも現状対応にとらわれ過ぎています。一番心配しなければならないこの冬に向けての戦略がなさすぎます。とくに医師会については、厚労省や保健所からの指示がなければなにも動こうとしていないのはなんとも情けないことです。本来、どうすべきかを提言すべき東京都医師会の会長などは「国会を開いて決めろ」と叫ぶばかりでしたし。

私は今、この冬に向けての対応策を考えています。そして、無策のまま秋になるようであれば私案として医師会あるいは保健所に提案してみようと思っています。今回はその試案をみなさんに提示し、広く皆さんからのご意見をうかがえればと思います(そのご意見は公開しません)。それらのご意見を通じて改善・修正を加え、さらに実用的・実効的なものにできればいいと考えています。

○キーワード「肺炎治療の徹底と医療崩壊の回避」「保健所、病院の負担の軽減」

○保健所、病院、クリニックでの機能分担

 保健所 : 
   感染者の状況把握、重症陽性者の入院調整、各種機関からの情報伝達

 病院  :
   比較的重症患者の入院加療(場合に応じて検査)、熱発患者の診療中止
   重症患者は感染症指定病院で治療

 クリニック(医師会会員・診察医): 
   熱発患者の電話診療(病院通院の患者の熱発も診療)
     検査や入院を要する患者のスクリーニング
     無症状陽性者のフォローアップ(毎日)
     軽症陽性者への投薬・フォローアップ(毎日)

○検査センター
 対象:「重症化を示唆する症状を有する熱発者」「4日以上続く熱発者」

 手順:検査センターに診察医が紹介状で依頼
    「新型コロナのPCR検査」 および 「インフルエンザの抗原検査」

○無症状陽性者・軽症陽性者への対応
 自宅あるいは宿泊施設での経過観察(場合により診察医による投薬)

  自宅・・・最寄りのクリニックにより投薬と毎日の病状の確認

  宿泊施設・・・医師会から派遣された管理医による健康管理および投薬、毎日の病状の確認

 これらの陽性者の情報は診察医または管理医により毎日保健所に連絡

○通常の熱発者への対応
 熱発者には事前に抗インフルエンザ薬や抗生物質の診断的治療(検査は原則的にしない)

 検査が必要と思われるケースは診察医によって検査センターに紹介

現在の検査は安易に行われています。以前の投稿記事にも書いたように、検査はあくまでも「必要な人に、必要なときにおこなうもの」です。どこかの「ど素人の政治家」が言うような、「誰でも、いつでも、どこでもおこなうもの」では決してありません。よもや「陰性パスポート」などといった陰性証明ができるものではありません。検査が適切におこなわれなければ医療は混乱するだけなのです。

繰り返しますが、今の状況を端的にいうと「重要なのは、コロナに感染したかどうかではなく、肺炎になりそうか、なってしまったかどうか」ということです。症状のない場合、あるいは熱発だけだったり、症状が軽微なケースは自宅内隔離で経過を見るべきなのです。みんながみんなに検査が必要なわけでもありませんし、よもや全員が入院しなければならないものでもありません。

PCR検査が陽性になる人をゼロにすることに全精力を注ぐなんて無駄です。日本のような人口の多い国では、経済が死ぬような強い自粛をしないかぎり不可能だからです。もし仮にそれができたとしても、そのころにはたくさんのお店や会社が倒産し、日本の経済は計り知れないダメージを受けているでしょう。今の感染状況は過剰な自粛をするようなものではありません。

多くの国民がそれぞれの立場でできうる感染対策を行いながら、少しづつ経済を回していくべきです。有事と準有事、平時とでやらねばならぬことは違います。むやみに検査を増やして「クラスターつぶし」をやっている場合ではないのです。新型コロナの感染者を減らすかわりに、失業者や自殺者を増やしてしまうなどということがあってはなりません。冬への対応は今から動き出さなければ間に合わないということに一日も早く気が付いてほしいです。

新型コロナ、真の現状

TVではあいかわらず「今日も東京で何百人以上の新型コロナ感染者」と報道しています。あんなニュースを連日聞かされれば、気持ちが塞ぎ込んだり、不安感にさいなまれる人が出てくるはずです。新型コロナウィルスが流行して半年。これまで経験したことのない新型ウィルスということもあり、過剰とも思われる自粛がおこなわれて、日本の社会活動がすっかり停滞してしまいました。それは非常事態宣言が解除された今も続き、街の商店や観光に関連した産業が悲鳴をあげています。

私はこれまで、新型コロナウィルスに関してできるだけ客観的な立場で見解を表明してきました。錯綜する情報の中で、現実的でかつ正確だと思われることを選んで投稿したつもりです。お気楽にものを言っているつもりはありませんし、人々をむやみに安心させる気休めを並べたてているわけでもありません。新型コロナのことを心配する外来の患者さんにも冷静にお話ししています。しかし、外来で新型コロナの現状を長々と説明することができません。今回のブログではそのあたりのことを詳しく書きます。

陽性者の数だけを見ると、この3月や4月のように感染が急速に広がっているように見えます。それは重症者も、あるいは亡くなる人も増え続けているかのようです。毎日、毎日、「これまでで最大の感染者数」などと報道されればそう思いたくなるのも無理はありません。しかし、現実はそうではありません。マスコミの報道の仕方は決して現実を正しく伝えるものではなく、ただ人々の不安をあおる情報のみを伝えていると感じるほど偏っています。では、現在の本当の感染状況とはどのようなものなのでしょうか。

感染拡大が深刻な状況にあるときと、感染がゼロではないがそれほど大きな問題になっていないときとですべきことは異なります。それを判断するために、この4月の状況と今とを比較して、なにが異なっていて、なにが変わらないのかを整理してみる必要があります。感染が深刻なときに楽観的な対応をするのは愚かなことです。逆に、感染の問題がそれほど深刻でもないのに、経済が死んでしまうような自粛を敢えて選択するのも馬鹿げています。感染で死ぬ人よりも失業して自殺する人の数が圧倒的に多いからです。

5月11日、それまでPCR検査を実施する目安のひとつであった「37.5℃以上の体温が4日以上続く」という条件がなくなりました。また、現在、全国の病院あるいは検査機関が政府からの補助金を受けて次々と最新型の検査機器を導入しています。その結果、新型コロナウィルスのPCR検査数を容易に受けられるようになり、その数はかつてないほど増加。今もなお増え続けています。いわゆる「これまでで最大の陽性者数」が日々更新されるのは、こうした背景があるからです。

今の最新型のPCR検査機器はものすごい「優れもの」です。3月ごろに使用されていた検査機器は検体に30~40個のウィルスが存在していれば「陽性」と判定していました。それに対して、現在の最新型ではたった5個のウィルスがあれば「陽性」となるといわれています。つまり、精度がかなり向上しているのです。3月の時点では「陰性」と判定されていた人の多くも、今の最新型の機械を使えば「陽性」となっているわけで、陽性者数の増加にはこうした背景も影響しています。

以前のブログで私は、「現在の検査には偽陰性(感染しているのに異常なしと判定される人)の問題が無視できない」と書きました。しかし、少量のウィルス保有者をも陽性にしてしまう最新型の検査機器によって、かつて私が抱いていたそうした懸念は杞憂と化したかのように思えます。ところが実際には、感度が良すぎることで今度は違った問題が生じています。つまり、感染症として発症するわけでも、また他者に移すわけでもない単なる「ウィルス保有者」までをむやみに陽性者とカウントしてしまうのです。

「ウィルスが鼻腔に数百個以上なければ他人に感染しない」といわれています。精度が良すぎる検査をおこなうと、本来であれば自然に治ってしまう軽微な感染者までひろい上げ、結果として無駄に病院やホテルに収容することになってしまうのです。 そもそも、発症もしていない、あるいは単なる風邪のような軽微なウィルス保持者を病院やホテルに収容することは医療資源を無駄に使うことになります。医療資源は「肺炎などの重症化を防ぐ、あるいは治療する」というところに集中させるべきです。

今、新型コロナの感染拡大を防ぐため、できるだけ多くの感染者を見つけようとしています。 しかし、海外の例を見てもわかるとおり、たくさんの検査をし、陽性者をとじこめてもウィルスは容易に消滅しません。 しかも「感染者」と称される陽性者の多くは無症状あるいは軽微な症状しかない人で占められ、重症者にいたってはほとんどゼロです。 検査はあくまでも「新型コロナウィルスによる肺炎が疑わしい人の確定診断」であるべきなのです。

今の新型コロナウィルスの勢いは、この3月や4月のときとは明らかに違います。イタリアの第一線で診療する医師の「どう猛な虎が、猫になってしまった」という言葉がそれをうまく表現しています。そして、そうした状況の違いは数字を通してみるとよりはっきりしてきます。以前にもご紹介した池田正行先生のホームページからの引用してみましょう。これは感染が拡大し、医療崩壊が懸念されていたころと最近の重症者あるいは入院を要する人たちの数の推移をあらわしたものです。 この表から4月と7月の様子がずいぶん異なることがわかります。

【表:重症者ならびに要入院者数】

              4月7日    5月7日    7月19日

  重症者数/陽性者数    2.3%     1.8%     0.2%

  要入院者数/陽性者数   80%      70%      16%

4月のときの検査数が少なく抑えられていたため、陽性者が少なめになって「重症者数/陽性者数」が高めになったのでしょうか。それとも感度の高い7月の検査数が多くなったため、陽性者の数が増えてしまったから「重症者/陽性者数」が低くなっているのでしょうか。でも、東洋経済のホームページにまとめられているグラフをみればわかるように、7月の重症者はほとんど微増するにとどまり、死亡者数にいたってはほんの数名増えているにすぎません。

これは病院で治療にあたっている医療従事者のおかげです。あのときの病院の混乱ぶりを考えると、医療従事者の皆さんの苦労はいかばかりだったろうと思います。そのときの奮闘のかいもあり、この間の治療方法やケアのノウハウも蓄積されて患者の予後が改善したことは想像に難くありません。もちろんその苦労・奮闘は今もなお続いています。「行列のできる店」の行列の長さが短くなっただけで、店内の混雑ぶりは今も以前となんら変わりはないのです

その一方で、新型コロナウィルスが、まさに「虎が猫になった」と表現されるような変化をとげ弱毒化しているという解釈も可能です。しかし、「猫になった」とはいえ、「飼い猫のように大人しい猫」になったのではなく、「うっかり手を出すと引っかかれたり、かみつかれたりする野良猫」程度の話しです。あちらから飛びかかってくるほど恐ろしい野良猫ではないとはいえ、慎重に、かつ、冷静に対処をすることが大切です。

これまでお話ししてきた現在の新型コロナウィルスの状況をまとめると次のようになります。

(1)「感染が拡大している」ではなく「ウィルス保有者を鋭敏に拾い上げている」と解釈すべき
(2)「ウィルスを保有している」は必ずしも「発症して感染を広げる」ということではない
(3)感染の状況は「陽性者数」で判断せず、「重症者数」と「死亡者数」で判断すべき
(4)現在の「検査陽性者」のほとんどは無症状あるいは風邪症状程度

これらの状況から我々がすべきことは次のように要約できます(私の個人的見解です)。

 ○熱発があっても、咳や胸痛、息苦しさといった症状がなければ自宅内隔離のうえ経過観察
   → 咳のみであれば経過観察でいい(抗生物質の服用を開始してもいい)
   → 咳、胸痛、息苦しさがあるなら、その時点でPCR検査を考慮

 ○熱発が始まって4日目に解熱傾向がなければかかりつけ医に電話で相談
   → ひきつづき他の症状がなければ経過観察も可(抗生物質の服用を開始してもいい)
   → 途中で咳のみ出現したなら抗生物質の服用を開始
   → 胸痛や息苦しさ、味覚異常などが出現したら、その時点でPCR検査を考慮

 ○熱発後3日以内に解熱傾向となったり、終始熱発がなければ風邪として経過観察

症状が軽いとき、あるいは熱以外に症状がないときはあわててPCR検査をする必要はありません。発症しない、あるいは他に感染を広げることのない軽症者までをひろい上げ、社会をむやみに混乱させ場合によっては医療機関などのベットを無駄に占有してしまうからです。あくまでも「新型コロナに感染したかどうか」よりも「肺炎になりそうか、なってしまったか」の方が重要です。もともとコロナウィルスは風邪のウィルスです。年間3000人以上が死んでいるインフルエンザよりも恐ろしいはずがありません。

マスコミは放射能のときのように、人心を揺さぶり、不安をあおるような報道を繰り返しています。そうした報道に振り回され、今の状況を「第二波がやってきた。ふたたび自粛だ、非常事態宣言だ」と騒ぐのは愚かなことです。ときどき「癌になったらどうしよう」と不安になっている患者がいます。私はそんなとき、「癌でもないのに心配してもはじまらない。不安になるのは癌になってからにしましょう」とお話しします。まさに「感染状況が深刻になりそうになったら心配すべき」なのです。

ある研究者がTV局からの出演依頼を受け、「むやみに検査を広げるのは有害無益」と自分の主張を伝えたところTV局は出演依頼を取り下げてきたといいます。マスコミなんてそんなものです。真実がどうかなんて興味がないのです。ただひたすらに人々の注目をひくセンセーショナルな情報を垂れ流すのみ。であるなら、国民ひとりひとりが賢くなって、できるだけ正しい情報を、できるだけ冷静に判断するしかありません。ひとりでも多くの国民が正しい情報にもとづき、自分のあたまで考えなければならないことを、今回の新型コロナウィルスは教えていると思います。

新型コロナの総括(2)

(1)からつづく

私はこれまで「不容易にPCR検査は増やすな」と繰り返してきました。でもそれは「PCR検査は不要だ」とか、「PCR検査は無意味だ」と言っていたわけではありません。PCR検査は採血結果や胸部CTなどと組み合わせて、感染が疑わしい患者に絞っておこなうべきだと主張していたのです。それは「検査の原則」です。不正確なPCR検査は少なからず疑陽性の人を作り出し、そうした人たちが病院に殺到して医療崩壊をもたらします。検査は、することで得られるメリットと、検査をすることによって生じるデメリットの両方を考えなければなりません。

今は、日によっても異なりますが、感染拡大は落ち着いているといってもいいと思います。PCR検査で陽性となっても、無症状あるいは軽症の人は自宅や宿泊施設で経過観察するようになっています。そして、検査を増やして、仮に多少の偽陽性が出たとしても、その偽陽性者が押しかけて病院を疲弊させ、医療崩壊につながるような心配はなくなりました。ですから、「不安だから検査をしてほしい」というケースであっても、あえて検査することを私は否定しません。もっとも、今は以前にくらべて、不安にかられて「検査してくれ」とパニックになる人などいないかもしれませんが。

先日、コンビニに行きました。カゴを持って店内を歩いていると、なんとなく周囲からの視線を感じました。「なんだろう?」と思いながらレジに並んでいるときにその視線の理由がわかりました。店内の人が皆マスクをつける中、私だけつけ忘れていたのです。店員の女の子が天井からぶらさがっている透明カバーの向こうから片手をのばして釣り銭を投げるようにして渡してきました。その店員はマスクをしていない私を明らかに避けているようでした。店内の客の多くも、おそらく私を見ながら「(マスクをしていないなんて)なんて非常識なんだろう」と思っていたに違いありません。

どのお店も客はマスクを着用することが暗黙の了解になっているようです。店内の人ばかりではなく、学校や病院にくる人も、街を歩く人も、熱発はおろか、自覚症状すらないのにマスクを着用していることが当たり前の風景になってしまいました。しかし、私には少しやりすぎなのではないか、と感じることがあります。なぜなら、今、行なわれている感染対策は、新型コロナに感染した人がその辺にいるかも知れない「有事」におこなうものだからです。一千万人の人が住む東京ですら数十人の陽性者しかおらず、東葛地域に新規の陽性者がほとんど出ていない今、そこまでの対策が必要でしょうか。

もちろん無駄だと言っているのではありません。マスクをしていたい人、マスク着用を他者へのエチケットと考える人はマスクをすればいいのです。私がいいたいのは、「有事」でもないのに、これといった症状があるわけでもない人までもがマスクの着用を強いられるのはどうなのかという点です。世の中では「新しい生活様式を」と呼びかけています。しかし、感染自体が落着いている「準有事」あるいは「平時」には必ずしも合理的とはいえない過剰な対応を、「新しい生活様式」として定着させようという動きには違和感を感じます。感染症の対応は「有事」「準有事」、「平時」で区別すべきです

すでに「有事」でもない今、フェイスシールドをしながら授業をする先生も異常なら、生徒と生徒の距離をとるために半数づつが一日おきに登校するのも異常です。パソコンの画面を見ながら「リモート」で部活の練習をするのも異常なら、交流試合をことごとく中止するのも異常だと思います。症状もないのに毎日、しかも一日に何回も体温を測るのも異常なら、その体温の記録を生徒に義務付け、学校に提出させるのも異常です。こんなことは感染が拡大を続け、そのあたりに感染患者がいるかもしれないときにやる対応です。もっと頭をはたらかせて、本当に必要なことがなにかを考えるべきです。

医療の世界においても、パソコンの画面を見ながら「診察」をし、薬の処方をすることが期間限定で認められています。いわゆる「オンライン診療」です。ある医療雑誌には「医療の未来を先取りする外来の姿」などと手放しで賞賛されました。しかし、これって「診療」でしょうか。医者にすれば患者をどんどんさばくことができ、患者にすれば手軽に薬がもらえる。一見すると両者にとってよさそうな方法ですが、これなら薬局で薬を買うこととかわりません。「ちゃんとした外来」をやっている医者からすれば、このような外来は手抜きとしか思えません。ですから当院ではおこなっていません。

「ちゃんとした外来」をやっていれば、診察に入ってきた表情や様子で通院患者の変化を知ることができます。自宅での血圧と診察室での血圧を比較することによって問題点が明らかになることもできます。聴診をすることによって、今までなかった不整脈や心雑音を見つけることだってできます。患者がつけている血圧手帳を見たり、お薬手帳で他院での薬を確認することで疑問が解決することだってあります。パソコンの画面を通じて簡単な会話を交わすだけの「診察」はそんなことすら省略して、回を重ねるにつれてだんだんといい加減なものになります。それは必然です。

新型コロナが流行したからといってこれまでの生活様式を変える必要などないと思います。これまでの生活様式は長い年月をかけて作られたものです。社会はその様式を前提にできています。感染の拡大が懸念される「有事」と「準有事」には、当然のことながらそれぞれの状況に応じて生活のあり方を変えるにせよ、感染が落着いた「平時」となればまたいつもの生活に戻すべきです。思えば今年の1月に中国で新型コロナの感染が拡大していたときにこそ台湾がおこなったような入国制限などの対策をとるべきだったのに、中国の習近平国家主席の国賓来日をひかえて政治的な判断を優先させてしまいました。

野党も同じように「中国からの入国制限をすれば、日本の観光地は大きな損害を受ける」として積極的な対応には否定的でした(桜を見る会のことばかりでした)。そして、案の定、新型コロナウィルスは我々が懸念したように日本国内に感染は広がっていったのです。その後のドタバタぶりはすでにご承知のとおりです。野党はそれまでの無関心に対する国民の批判をかわすように「PCR検査をもっとやれ。検査を希望する国民全員に検査を」の大合唱でしたし、医療崩壊の危機が叫ばれるようになって政府がとったのはなりふり構わずすべての国民の動きをとめることでした。

国民の多くも同様に危機感が薄かったように思います。渡航注意勧告がなされている中で海外旅行に出国する人。日本に帰国してもPCR検査を拒否する人や、結果がでないうちに要請を無視して帰宅してしまう人。感染拡大がまさに正念場を迎えていたときでさえも、全国民が一丸となって対応するという機運に乏しいように感じました。そして、緊急事態宣言が出るやいなや今度は極端な自粛。「自粛警察」あるいは「マスク警察」という人たちがではじめたのもこの頃からです。そして今度は「新しい生活様式」ですか。やるべきときにやるべきことをやろうぜって言いたくなります。

全国一斉の休校措置もありました。今頃にになってその休校措置が実は無意味だったのではないかといわれていますが、そんなことはあのときにわからなかったのでしょうか。学校に続いてほとんどのお店や会社が休業となって、経済をはじめとする日本の社会機能はほとんど停止状態となりました。昨年の秋に多くの人が反対した消費税増税の影響が明らかになったばかりなのに、今度は新型コロナウィルスのせいで日本の経済が深刻な影響を受けています。この影響が顕在化するのはこれからだと思いますが、経済を支えるはずの経済対策は不充分でとても遅いと感じます。

増税前にはあれほど「リーマンを超える危機があれば消費税増税は中止する」と言っていたのに、そのリーマン級をはるかにこえる経済危機を目の前にした今、消費税減税をしない理由がわかりません。そして、消費税減税よりも即効性があると決められた定額給付金。これは国民が等しくお金を使うことによって景気を下支えするためのものです。その肝心な給付金が遅いのも、せっかく導入したマイナンバーカードがちゃんと機能していないからです。そんな中途半端な仕組みにしたのは、いちぶの政治家が「プライバシーが担保できない」と反対運動を繰り広げたから。政争にあけくれる政治家の先見性のなさがあだとなっています。

「新しい生活様式を」などと悠長なことをいっている場合ではありません。まずは今の日本の経済が奈落の底に落ちていかないように迅速に対応すべきです。そのためにもできるだけこれまでに近い生活を取り戻す必要があります。今後もおそらくは検査で陽性反応となった人が増えたり減ったりしながらダラダラと夏が過ぎ、秋に向かっていくことでしょう。決して「感染者ゼロ」とはならないだろうと思います。これは検査に偽陽性が少なくないことからも明らかです。しかし、だからといって新型コロナウィルス感染の封じ込めが失敗したわけではありませんから心配は無用です。

今、大切なことは新型コロナウィルスに感染したかどうかよりも、肺炎になってしまうかどうか、重症化してしまったかどうかが重要です。医療が崩壊してしまうような混乱が起こらないかぎり、感染したかどうかをことさら心配する必要はありません。これまでの経験をふまえて「どの時点で何をするのか」を考えておくべきです。秋になればきっとまた新型コロナの感染拡大がクローズアップされるでしょう。しかし、来年になれば早い段階でワクチンの接種がはじまり、季節性のインフルエンザと同じような扱いになるのです。それまでに第二波といわれる大規模な感染拡大をいかにおさえるか、です。

今、私は診療中にマスクをしています。しかし、それは必ずしも「感染しないよう、させないよう」にマスクをしているわけではありません。私がマスクをしないことによって患者に不快な思いをさせないためです。つまり、エチケットとしてマスクをしているのです。とはいえ、今は4月の危機に直面した時とはまったく様相が違います。ですから、私自身は巷(ちまた)の感染状況を見ながら少しづついつもの診療風景に戻していくつもりです。そして、日常の生活もできるだけ以前の状態を取り戻したいと思っています。それは日本が再び輝きを取り戻すためでもあるからです。

がんばれ、日本!

【追伸】 日本経済のためにも定額給付金は必ず使いましょう

新型コロナの総括(1)

緊急事態宣言が解除されて一週間が過ぎました。今のところ、散発的なクラスターによる感染者は発生していますが、「第二波」というほどの再流行ではなさそうです。これまでの自粛によって社会のさまざまなところで影響がでました。緊急事態宣言が解除されたからといってそれらの影響がそう簡単に払拭されるわけではありません。以前の生活に一気に戻すのではなく、新型コロナの感染に注意を払いながら、慎重に、そして着実にこれまでの日常を取り戻すことが必要だと思います。

2020年が明けてからのこの半年、個人のレベルのみならず、日本社会というレベルでも、あるいは世界的なスケールにおいてもはじめての連続だったと思います。新興の感染症が一部の限定された地域ではなく、日本のあらゆる場所で拡大するなどということは近年経験したことはありません。外国をふくめてどこかに逃げることもできず、ひたすら自宅に引きこもるしかないという状況は、世界大戦が勃発した80年前以来ではないでしょうか。まさに感染症という人類の敵と全世界が戦った半年間でした(です)。

私たち日本人はこれまでどう行動したのか。今、それを振り返り、混乱と不安に翻弄された半年から学ぶ必要があります。しかし、疫学や感染症の問題は人の価値観だけで善し悪しは判断できません。科学的に正しいか、倫理的に正しいか、あるいは社会的に正しいか、判断する基準は人によって、立場によってさまざまです。これから書くことはあくまでも私個人の見解です。もちろん、私自身は理性的かつ常識的に感じたことを書いたつもりです。それを皆さんがどうお感じになるかはわかりませんが。

昨年の秋、中国の武漢市に発生したといわれる新型コロナウィルス(COVID-19)はまたたく間に中国全土に広がりました。感染拡大を防ぐため、中国共産党は民主主義国家では考えられないような強権を使って都市封鎖をし、患者を収容・隔離しました。その効果があってか、感染拡大はそののち徐々におさまっていきました(あれほど理想的な収束は多くの人に疑われていますが)。その間、新型コロナウィルスは世界中に拡散し、たくさんの人が亡くなりました。そして、それはまだ終わっていません。

幸い、日本は比較的早くから感染者を出したわりには感染者の拡大を抑えることに成功したように見えます。医療崩壊もかろうじて回避することができました。死亡者数もかなり少ないといってもいいと思います。こうした現実を、海外のメディアは「奇跡」と表現していますが、これは単なる「偶然」でも、「奇跡」でもありません。日本人全員がそれぞれの持ち場で努力をした「必然」です。もちろん問題点や課題はありました。第二波が懸念される今、そちらにも目を向けなければなりません。

多くの日本人が新型コロナウィルスが流行する以前から日常的にマスクをしていました。そうした光景は欧米の人たちからは奇異に見えていたようです。日本人が「他から感染症をうつされないようにマスクをしている」だったのに対して、欧米の人たちの目には「マスクをしている人は他の人に感染させるような病気にかかっているから」と映るようです。しかし、今回の新型コロナの流行によって、はからずも日本人の生活習慣がそれなりに有用だったことを全世界の人が知ることになりました。

日本では以前から「手洗いとうがい」というものが日常になっています。大人になるにつれてそうした習慣は薄れていくとしても、多くの日本人にそうした習慣が定着していたことが今回の感染拡大の抑制につながったことは想像にかたくありません。咳エチケットや人前では大声で話しをしないことなど、子どもの頃から躾けられている他人への配慮も感染者数を抑えた理由のひとつかもしれません。欧米のような、キスやハグといった他人との直接的な接触をともなう習慣がなかったのも幸いしました。

日本人に特有な集団性も見逃せません。周囲と強調し、決められたルールは守る。我慢と抑制を美徳と考える日本人の基質が効を奏した形です。ただ、そうした性質が強くなりすぎると、他人がマスクをしていなかったとき、あるいは自粛をしていないと感じたとき、勝手な行動をとっているように見えるとき、それには我慢がならないようです。ともするとそれが極端な同調圧力となって、いわゆる「自粛警察」と呼ばれる人たちを生み出します。自分とは異なる行動をする人を許せなくなる人たちです。

以前のブログでも書きましたが、原発事故のとき当院では放射能の危険性に不安を感じている患者さんのために、「放射能の危険性は冷静に考えよう。必要以上に怖がりすぎてはいけない」と書いたレジュメを配っていました。しかし、そんなレジュメを渡している私を許せなかったのか、誰かが「医者のくせに楽観的すぎる。恥を知れ」と書いたメモが当院のポストに投げ入れられました。これも「(自分と同じように)放射能を怖がるべきだ」と考えるある種の同調圧力だったと思います。

一方で、社会を支えていくという意識が日本人には希薄です。自らの感染のリスクを負いながら病院に勤める看護師の子どもの登園を断った保育所がありました。病院で診療にあたる医者がタクシーに乗車拒否をされ、自宅に帰れずに病院に寝泊まりしていたケースもありました。物流をになうトラックの運転手や宅急便の配達員に心ない言葉を投げつける人もいました。彼らがいなければ社会生活は維持できないにもかかわらず、彼らをいかにして支えるかという発想のない人が少なくなかったのです。

誰のお陰で社会が支えられているかに思いがいたらないことは悲しいことです。そうした人たちは「社会を支えている人たちを支えること」よりも「自分の身を守ること」でいっぱいいっぱいなのでしょう。他人のことを考える余裕すらない彼らを一方的には責められないかもしれません。しかし、新型コロナウィルスの感染拡大阻止のため、あるいは感染患者の治療・看護のため、さらには国民の日常生活を維持するために働いている人たちを支えることを、本来、私たちは優先的に考えなければならないことです。

感染者数が増えて世の中がにわかに騒がしくなってきたとき、対応にあたっている保健所の所長のメイルが届きました。そこには保健所がどのような厳しい状況に置かれているかが書かれてありました。感染するかもしれないという不安の中で増え続ける検査。陽性患者を収容しようにも病床がなく、患者の受け入れをお願いするためにいろいろな病院を訪問する毎日。自宅待機している陽性患者のフォローアップと急変した患者の対応。保健所全体が疲弊している様子が手にとるようにわかりました。

新型コロナに感染した重症肺炎の患者が収容されている病院の実情はもっと深刻でした。もし院内感染によってスタッフが欠ければ、さらに少ない人数で治療や看護にあたらなければなりません。スタッフの戦線離脱は他のスタッフへのさらなる負担増につながるのです。亡くなっていく患者、次から次へと入院してくる重症患者。いつ尽きるともしれない患者達を前にどんな気持ちで仕事をしていたかを思うと、黙々と働いていた医師や看護師、パラメディカルの人たちには感謝しかありません。

そうした病院の苦悩をよそに、「もっと検査をしろ」「早く検査をしろ」の声はときに強くなりました。現行のPCR検査の精度は決して高くなく、疑陽性や偽陰性の問題が無視できません。入院の必要がない疑陽性の人が病院のベッドを占拠し、本当の患者の治療を妨げます。偽陰性の患者は感染していないと勘違いをして、無自覚に感染を広めてしまいます。PCR検査は他の検査とともに事前確率を高めてから実施するものなのです。いうまでもなく「心配だからするもの」ではありません。

こうしてみると、新型コロナウィルスはまるで原発事故のときと同じ光景を映し出しました。自ら感染する危険性を背負いながら必死に検査をしている保健所の職員に「なんでもっとたくさん検査をしないんだ」と罵倒する国会議員たちは、原発事故の収束に向けて命がけで作業をする東電職員を一方的に怒鳴りつけている総理大臣の姿に重なります。新型コロナ感染患者の治療・看護にあたる人たちを「ばい菌扱い」する市民は、まるで原発事故とは無関係な東電職員に心ない言葉を吐き捨てる市民と重なります。

事態の収拾に奔走する人たちがいなければ社会は支えられないはずです。そうした人たちがいるからこそ私たちは日常と同じような生活を継続することができます。そのような大切なことも忘れ、頑張っている人たちに鞭を打つことができる人たち。「それなら自分でやってみたらどうだ」と言いたくても、彼らには抗議をする方法がありません。そんな理不尽に耐え、黙々と仕事を続ける彼らに私はプロフェッショナリズムを感じます。文句と愚痴とケチをつけてばかりの人間ほど自分からはなにもしないものです。

検査をむやみに増やさなかったからこそ感染拡大を最小限に抑えられたという側面も無視できません。感染の拡大は不正確な検査をふやしてもわかりません。そのかわり重症患者数の変化から推測することはできます。その推移を見れば、4月の下旬には感染は収束しつつあったことがわかります。「検査を増やせ」の声に押し切られ、「検査を受けたい人がいつでも受けられる」ように数を増やしていたらもっと大変なことになっていたかもしれません。それは検査をやりすぎた海外の事例をみれば明らかです。

不必要な検査をたくさん実施することになれば、検査をしている保健所や患者の治療をしている病院の負担を増やし、そこに働く人たちをさらに疲弊させることになります。延いては病院が機能不全をおこして医療崩壊をもたらすことにもつながります。「検査をしなければ感染状況を正確に知ることはできない」という絵空事を繰り返し、「国民の不安を解消するためにもっと検査を」とさけぶド素人の国会議員には困ったものです。検査の原則も知らない「ポピュリズムの政治主導」はただただ迷惑なだけです。

「ポピュリズムの政治主導」は福島原発事故の際にもありました。子どもの甲状腺癌を見つけるためにおこなわれたエコー検査がそれです。このエコー検査もPCR検査と同様に単独で浅く広くおこなう検査ではありません。つまり「癌を見つけるための全数検査」ではないのです。こうしたエコー検査は「甲状腺癌を疑った患者を絞り込むためのもの」です。結果としてわかったことは、「原発事故の影響はなかった」というごくあたりまえなことでした。莫大な費用をかけておこなったわりに、です。

TV局の意向や番組の趣旨を忖度してコメントする人たちを私は「専門家芸人」と呼んでいます。原発事故のときも「専門家芸人」は世の中をかきまわす困った存在でした。権威主義の人たちにとって、「専門家」あるいは「大学教授」という肩書きを持つ人からの情報は、それが正しいかどうかというよりも「権威のある人からの情報」として重要な意味をもちます。視聴者の不安をかき立てる関心事であればなおさらです。でも、不安をあおって視聴率をとっている番組が正しい情報をもたらすはずがありません。

「専門家」と思われている医師にもリテラシーが一般人と変わらない人がいました。新型コロナウィルスの検査で陽性を示した患者が増えたとたんに、慌ただしくクリニックを閉めてしまった医者がいました。あるいは、早々に「熱発患者お断り」の貼り紙をして熱発患者の診療から逃げ出してしまった医者もいました。かかりつけ医に放り出された患者達は、他の病院を受診することになります。それでなくても忙しい病院の負担をさらに増やしてしまうことを「敵前逃亡した医者たち」はどう思っていたのでしょうか。

                             (2)につづく

今、なすべきこと

人と人との接触を避けるため、全国的な自粛が実施されてそろそろ一ヶ月になります。欧米で行なわれているように、外出をすると厳しい罰則が待っているような都市閉鎖とは異なり、特定の業種を除いて自主的な自粛を求めるといった緩やかなものです。そのせいか、家の中に閉じこもる生活に耐えられなくなった人たちが公園や行楽地を訪れ、場所によっては車で道が渋滞しているところがあると話題になりました。その気持ちはわからないでもありませんが、もうひと踏ん張りしたいところです。

この連休明けに緊急事態宣言を解除するかどうかが議論になっています。人出を80%減らすことを目標に政府は外出をひかえるよう繰り返し広報してきました。不充分ながらもその効果もあって、検査が陽性となった人の数は徐々におさまってきているようです。しかし、その減り方は想像していたほどではなく、自粛を解除すればたちまち陽性患者は増えていくだろうと思われるほど不安定で弱々しいものです。だからこそ緊急事態宣言の延長が議論されているのかもしれません。

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【COVID-19】重症者数も落ち着いてきて感染拡大がおさまりはじめたことを思わせる。この傾向がさらに続いて、死亡者数も落ち着き始めればこの傾向は本物といってもいい。さすがにここまで自粛を続ければこうなるだろうことはたやすく予想されるところ…

瀬畠 克之さんの投稿 2020年4月29日水曜日

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ただ、個人的には、これ以上の自粛は日本経済に取り返しのつかない悪影響をあたえてしまうのではないかと心配しています。日本経済をひとの体に例えると、長引く自粛はまるで血糖値をさげるために極端な食事制限を続けているようなものです。ものを食べなければ血糖値はさがってくるかもしれません。しかし、極端な食事制限を続けると、必要な栄養素も不足して徐々に悪影響がでてきます。ある日、突然、低血糖となって意識を失うかもしれません。それと同じような危険性を感じるのです。

もはやこれだけ感染が広がってきて(とはいえ、欧米と比べてばたいしたことはありませんが)、感染経路がたどれない患者も増えています。そうであれば、感染経路をたどって感染者を見つけ出して隔離するといった「クラスターつぶし」で封じ込めることは困難です。むしろ、感染の拡大が落ち着きを見せている今こそ、徐々に感染を広めて抗体(抵抗力)を獲得した人を増やすことによって感染を収束させる「集団免疫」という方法をとる時期に来ているのではないかと思います。

今もなお「検査をもっと増やして見つけ出せ」と主張する人がいます。しかし、検査で見つけ出したところで治療法はありません。大部分は軽症のまま治ってしまいます。重要なのは、新型コロナに感染したかどうかではなく、肺炎になったか、あるいは肺炎になりそうかということにつきます。言い換えれば、「風邪症状があれば、家族内に広めないように注意をしながら自宅で安静にする」ということです。軽症の患者までを病院に収容すれば、病院は機能不全を起こして医療崩壊となります。

のちほど詳しく述べますが、PCR検査という不正確な検査を幅広く行なうべきではありません。検査をしても新型コロナウィルスに感染したか、あるいは感染していないかを証明することはできないのです。感染したした可能性の高い患者にしぼって、本当に新型コロナウィルスに感染したかどうかの鑑別が本当に必要な人に限って実施すべきです。でなければ、疑陽性者は不必要に病院の病床などの医療資源を使ってしまいますし、偽陰性の患者は無自覚に感染を拡大させてしまいます。

「検査は対象者を怪しい人にしぼりこんで(これを【事前確率をあげる】といいます)実施する」という原則を無視することはできません。今回のような検査はそういうものなのです。よく「保健所が検査をさせないように妨害している」、あるいは「政府が意図的に検査の数を抑制している」と批判する人がいます。しかし、そういう人はこの「検査の常識」を知らないか、無視しているといえます。事前確率をあげないままで検査をすれば誤差が大きくなります。それはとても大きな問題です。

最近、県医師会から「PCR検査を増やすためにPCRセンターを作るから協力するように」と連絡が来ました。私は目を疑いました。なぜなら、PCR検査に疑陽性や偽陰性が多いことは医者なら誰でも知っていると思ったからです。医学的知識もないど素人の政治家や官僚、TVのコメンテータならまだしも、医師会が「検査を増やすべし」と主張するとは考えてもいませんでした。日本医師会がなぜそんな判断をしたのかわかりません。でも私なりに想像(妄想?)はできます。

これはあくまでも私の想像(妄想?)ですが、日本医師会が「検査やるべし」の号令をかけた理由はおもに二つだと思います。ひとつは厚生労働省の意向をそのまま下部組織に下ろしてきただけという場合です。保健所や空港などの検疫所はよくやっています。PCR検査はもちろん、陽性患者への対応や陰性者の経過観察、あるいは入院病床の調整など、新型コロナウィルスの感染が始まって以来、自ら感染する危険性と背中合わせの中で頑張っていることを私は知っています。

しかし、現場としての保健所が頑張っている一方で、本省には医学的知識のないド素人の政治家が誤った政治主導で検査数を増やすように圧力をかけています。厚労省には医師の資格をもつ医系技官もいますが、彼らの意見など政治主導の前にはほとんど無力です。その同調圧力がおそらく日本医師会にもかけられてきたのではないかと思います。臨床検査技師の数に制限があるから検査数が増えない。ならば医者をかり出すしかない。素人ならではの「検査至上主義」の結果です。

もうひとつの理由は、依頼してもなかなか検査をしてくれないという開業医の不満や不安を医師会が解消しようとしたのではないかというものです。実際、私にもしばしば「コロナが疑われる患者なのに、保健所に検査を断られた」という声が耳に入ってきます。しかし、ちょっと待ってください。「検査の不正確さ」は問題にしなくていいのですか?検査を増やして疑陽性の人が病院に負担をかけることについてはどう考えていますか?医師会がすべき対応はそれでいいのですか?

医師会が構想している「PCRセンター」には、開業医が対象者に紹介状を書いて受検させることになっています。しかし、開業医の中にはたいした問診や診察もしないままごく簡単な紹介状を書いて検査に押しつけてくる医者が必ずいます。「熱発患者お断り」の貼り紙で診療拒否をする医者がいるくらいですから当然です。ちゃんと対象者を絞り込みもせずに検査をすることをどう防ぐか。その対策が不充分なままで「PCRセンター」が単に検査の数を増やすことに使われてはいけないのです。

医学的にも賛否両論ある検査を、医師会が主導して実施することが私には理解できません。医師会の中でもその検査に否定的な医者が少なくないはずです。もちろん、医者仲間の中にも「ここまで感染が広がったら幅広く検査をやるのはやむをえない」と考える人もいます。しかし、この検査を増やすことについて医師会の中で議論した形跡はありません。こうした重要な問題に関して医師会員に賛否を尋ねることすらせずに見切り発車のような形で実施が決まったのは問題です。

今のPCR検査を幅広く実施することに対しては、検査の実務者からも異論がでています。検査そのものを実施するにはそれなりの熟練を要するからです。スワブと呼ばれる綿棒を鼻腔あるいは咽頭部に入れて検体をとること自体に難しさはありません。とはいえしっかり、確実に検体をとれなければ偽陰性になります。それ以上に検体をとってからの操作に難しさがある。それがこの検査の特徴です。その検査を的確に操作できる検査技師の数には限界がある。それも検査が増えない理由でもあります。

医師会にはもっとやるべきことがあるはずです。現在、軽症者が収容されているホテルや施設でフォローアップ検査が行なわれています。それらは今、保健所を中心とした人たちがやっています。こうした検査には医師会が応援にいくべきです。あるいは、陰性と判定されながらも感染した可能性が否定できない人たちの経過を見ているのも保健所です。しかし、開業医が自分の診療圏内にいるこうした人たちのフォローアップをするなど、医師会はそうしたことにまず手をあげるべきなのです。

これは戦争だ

緊急事態宣言が出されました。新型コロナウィルス(COVID-19)による感染拡大はあらたなステージに入ったわけです。1月に私が漠然と感じていた不安は、3月になってわずかな希望の光に変りつつありました。しかし、残念ながら4月に入ってふたたび不安に転じ、今やその不安が的中してしまいそうな勢いです。誰が悪いといってもはじまりません。すべては結果論ですから。大切なのは「原因はなんだったのか」を整理し、「ならばこれからどうする」という点を冷静に分析、そして行動することです。

言い方が悪いかもしれませんが、これはある意味で「戦争」だと思います。「戦争アレルギー」の方にとっては不愉快な表現であっても、COVID-19という侵略者によって日本人の安全が脅かされる様相はまさしく戦争そのものです。感染拡大を阻止すべくまさに獅子奮迅の努力を続けている保健所・検疫所の職員、自ら感染する危険性を省みず重症感染者を救護し治療する人達は、国民の命を守り、日本を守る頼れる兵隊さんのようです。危機と不安をあおるだけのマスコミはあいもかわらず戦前と同じで困ったものです。

その一方で、緊急事態宣言が出され、外出の自粛、活動の自粛が呼びかけられる中、今も物流を止めないよう休みなく働き続ける人たちがいます。食料や日用品が不足しないよう人々に供給する人たちもいます。私たちの生活が今までと変わりなく続けることができるのもこういう人たちのおかげだということにどのくらいの人が気づいているでしょう。スーパーや薬局に朝早くから並びものを奪い合う人。熱がでて不安にかられる患者を横目に「発熱患者お断り」の張り紙をする医者もいる中、人もまたさまざまです。

前回の記事にも書きましたが、今、陽性患者が増え続けるのはPCR検査を増やしているからです。これまで、保健所のみなさんが検査対象となる人を選別してくれていました。検査とはそのように実施するものだからです。しかし、医学的知識もないド素人の政治家による誤った政治主導によってその数はどんどん増えています。「検査を増やせ」はまるで「鬼畜米英」のような同調圧力となって、今や「ドライブスルー方式」までおこなおうとする自治体まででてきました。まったく愚かなことです。

繰り返しになりますが、検査で感染者数を把握することなど不可能です。「検査を増やせば感染状況がわかる」などということも嘘なら、「感染者を少なく見積もるために検査数を意図的に少なくしている」などといった陰謀論も嘘です。今おこなわれているPCR検査は誤差の大きい検査です。そんな検査を大々的にやったところで感染者の正確な値を把握することなどできるはずがありません。検査はあくまでも「必要な人に実施するもの」という原則を無視することはできません。そうしたところを復習してみましょう。

感染した人を正しく見つけ出す検査の能力を感度、感染していない人をきちんと選び分ける検査の能力を特異度といいます。現在のPCR検査の感度は40%、特異度は90%程度だといわれています。もう少し精度の高い検査(感度70%、特異度95%)だったとして検査をするとどうなるでしょうか。50人の患者がいる1000人の集団に実施すれば、15人の感染患者が見逃され、47人が患者と間違われます。患者の数がもっと少ない集団に検査をすればさらに多くの人が患者と間違われることになります。

患者と間違われた人たちは「軽症だから自宅で」といわれても、その多くは「病院に入院させてくれ」と頼むでしょう。そうでなくても、法定伝染病に指定されたCOVID-19は病院に収容することが法律で定められており、病院の感染症病棟を不必要に埋めていきます。一方で、見逃された15人のかなりの人は「検査して異常なかった」と勘違いをし、さまざまな自粛をやめ、無自覚に感染を広げていくかもしれません。偽陽性者によって医療崩壊が助長され、偽陰性患者によって感染が拡大する。今がまさにそれです。

最近、感染経路のわからない検査陽性者が多いのはなぜでしょう。偽陰性の人が無自覚に感染を広めている結果とは考えられないでしょうか。陽性となった人が、いったん陰性になったのに再び陽性になるケースがあるのはなぜでしょう。偽陽性の人が感染病棟に収容され、今度は病棟で本当に感染してしまったということはないでしょうか。毎日増えている検査はすでに7万人。10万人を達するのももうすぐ。その中のたった1%の人が偽陰性だったとすれば1000人です。そのうち家でじっとしている人が何人いるでしょうか。

こうした検査は「早期発見、早期治療」につながるものではありません。そもそもCOVID-19の感染に治療法はないのですから。疑わしい症状があり、胸部CT検査や採血結果と照らし合わせ、治療方針に役立てるための検査です。そうした節度あるやり方でなければ、感染を広め、病床を減らし、ついには医療崩壊へつながります。患者が急増して医療崩壊した諸外国を見ればわかると思います。それなのに、医療崩壊した国々のあとを追うように検査数はどんどん増やされています。私が一番危惧するところはそこです。

では、感染の広がりは調べられないのでしょうか。いえ、おおまかな傾向をつかむことはできます。それが「重症者数」です。COVID-19による感染症では一定の割合の人が重症になります。例えばそれが100人に一人だったとすると、患者が1000人に増えれば重症者も十人に増えます。患者が1万人になれば重症者は百人になります。つまり、重症者がどのように増えていくかによって感染の広がり具合を推測することができるのです。こうしたことは前回の記事にも詳しく書きました。

死亡者も感染の勢い(威力)を推し量るのに役立ちます。ただし、死亡者数はその国の医療資源あるいは医療水準によっても異なるので、単純に国別に比較することはできません。しかも、いったん医療崩壊という事態にいたれば、死亡者は爆発的にふえていきます。そうなれば感染の拡大を必ずしも正しく反映することにはなりません。最近の死亡者数の国際比較をしてみると、日本の死亡者(4月11日現在94名)が抜きんでて少ないことがわかりますが、これはOECD36か国中3番目に少ない数字です。

資料)4月11日現在の数

アメリカ 感染:46万人余、死亡:16596人   中国 感染:8万人余、死亡:3340人

イタリア 感染:14万人余、死亡:18851人   スペイン 感染:14万人余、死亡:15843人

ロックダウン(都市封鎖)をしているアメリカには無保険の国民が多いため、今の勢いはしばらく続くだろうといわれています。季節性インフルエンザでさえも、昨シーズンのアメリカでの死者は34000人にもおよびました。過去10年で最多は61000人、2010年以降で死者が10000人を越えなかったシーズンはなかったといいます。医療水準が高いと思われているアメリカでさえ、日本のような皆保険で病院へのフリーアクセスが保障されている国よりも感染症による死者がはるかに多いのです。

イタリアもスペインも医療水準は低くありません。にもかかわらずこれほどまでに感染が広がってしまったのは両国ともに感染初期の対応をあやまったためです。とくにイタリアでCOVID-19の感染がはじまる前の2月19日に行われたサッカーの試合はその発端とされています。その試合はイタリア・ロンバルディア州のサン・シーロという町でおこなわれた「イタリア・アタランタ対スペイン・バレンシア」です。このときの観客や選手のなかに感染患者が混ざっていて、それがのちの爆発的感染につながったというのです。

サッカー場ではいわゆる「集・近・閉」がそろっています。バレンシアの選手たちからもその後多数の感染患者がでました。観客同志のみならず、選手同志の感染もひろまって両国の感染拡大につながったようです。両国ともに病院での検査で医療従事者が次々と感染し、それをきっかけに医療崩壊をきたしていっきに感染者をふやしました。医療従事者への感染を端緒として医療は簡単に崩壊するのです。検査をふやすことは病床を不必要に埋め尽くすとともに医療従事者への感染暴露のリスクをもたらします。

「検査をして陽性・陰性がわかれば感染拡大を防ぐ手立てがとりやすいじゃないか」と主張する人がいます。しかし、なんどもいうように、この検査は不正確なのです。陽性が出たからといって感染したとはいいきれません。陰性だからといって感染していないとも言い切れない。ならばどうするか。それは「怪しいケースは検査のいかんを問わず家庭内隔離で経過観察する」ということです。と同時に重要なのは「肺炎になって重症化する患者」を見逃さないこと。それらに尽きるのです。

重症例をいかに早く見つけて適切な治療につなげるか。そのためにはどのようにすればいいのでしょうか。まず第一に重要なのは「発熱があるか」という点です。特別な場合を除いて、熱のでない肺炎はないと考えていいと思います。ですから、「37.5℃以上の熱がある」ことがもっとも大切な目安になると考えていいでしょう。もちろん新型コロナに感染しても熱がでない場合も、症状が軽微なこともあります。しかし、大切なのは「新型コロナに感染したかどうか」ではなく「肺炎になったか」という点が大切です。

熱が出たかどうかだけで「新型コロナに感染したか」、あるいは「肺炎になったか」を判断することはできません。他の病気で熱がでている可能性があるからです。インフルエンザでも新型コロナと同じように高熱になります。ですから、インフルエンザのワクチンを接種していない場合、熱が4日以上つづくことが多く新型コロナによる熱かどうかを区別できないのです。そういうときはインフルエンザの薬をすぐに服用してもらい、解熱傾向になるかどうかで区別することがあります(診断的治療といいます)。

自分が新型コロナウィルスに感染したかどうか不安なときは症状を整理をしてみましょう。私たちが日常診療で診断するときも患者の症状を整理することが重要になります。下の問診表を見てください。これは当院で使っている「風邪症状を訴えた患者」に対する問診表です。この問診票はそれなりによくできていて(自画自賛)、「ある」の数が多くなればなるほどCOVID-19感染症の可能性が高くなります。もし「ある」が3つ以上あるときはかかりつけ医に電話で相談して下さい。

( ↓ 下の問診票をクリックすれば拡大します)

軽い風邪症状のように肺炎の可能性がなければ、自宅で隔離しながら様子を見ていいと思います。くれぐれも調子が悪くなったことを見逃さないようにしながら、適時適切にかかりつけ医や保健所に相談すればいいのです。繰り返しますが、新型コロナに感染したかどうかを正確に調べることはできません。怪しいなと思った時は家族をふくめ周囲に感染を広めないように細心の注意をはらって対処する。そして、肺炎を疑ったときは迅速に対応する。それが私たちにできる要点です。

下の印刷物は当院の外来を受診したすべての患者に配布しているものです。風邪症状が出現したとき、対応すべきことをまとめました。ここには重要なことが書いてあります。まず、「熱がでてきても解熱剤をつかわないこと」、あるいは「風邪薬や頭痛薬を飲まないこと」を一番強調したいと思います。なぜなら「本当の体温がわからなくなってしまうから」です。本当の体温がわからなければ、新型コロナかどうかということも、重症化しているかどうかもわからなくなってしまいます。

( ↓ 下の対応票をクリックすれば拡大します)

そうしたことに注意しながら、「風邪かな?」と思ったら、このまとめに書かれた指示にしたがって行動するといいと思います。3)の「注意すべき症状」のうち、少なくとも二つの項目に当てはまるようであればかかりつけ医または保健所に相談してください。電話で相談する際に、先の問診票の項目を見ながら自分の症状を先方に説明してください。あの問診票を使えば、先方が忙しい時に、症状を簡潔に伝えることができると思います。くれぐれもかかりつけ医あるいは保健所などに相談するときは電話でお願いします。

今、「熱発患者お断り」「風邪症状のある患者お断り」の張り紙をしているクリニックが少なくないと聞きます。そんなクリニックの存在を耳にしたとき、なぜそうしたことができるのか信じられませんでした。「患者のことよりも自分のこと優先かよ」とも思いました。診療を断われば熱発患者は病院を受診します。その結果、それでなくても疲弊している病院の負担をさらに重くし、医療崩壊を助長するだけなのにと腹立たしい思いがしました。新型インフルエンザのときの怒り再燃です。

いずれにせよ、全国の人々が自粛を続けています。そうした努力の成果は今週の後半にあきらかになります。一方で、保健所、検疫所ではたらくすべての人達が感染拡大阻止のために毎日奮闘しています。また、病院で働くすべての人が高い志をもって感染患者の治療にあたっています。物流を閉ざさぬよう働く人、お店で商品の供給を続ける人。さまざまな場所で働く多くの人達のおかげで社会はなんとか持ちこたえています。今のこの状況はまさに戦争です。皆で力を合わせ、銃後の守りを固めなければならないのです。

最後に、神奈川医師会の菊岡正和会長の声明文をご紹介します(赤い部分をクリックすれば神奈川医師会のページに飛びます)。私のいいたいことがここにまとめられています。医学的知識もないくせに、「検査、検査」と検査を不必要に増やし、公衆衛生をぐちゃぐちゃにし、社会を混乱させる政治家たちにも同じことを言ってやりたいです。「君らのうすっぺらな政治主導とやらで日本をダメにするつもりか」と。正しい判断は、正確な知識と柔軟な思考、迅速な決断から生まれるんだってことも教えてやりたい。


【このホームページの冒頭に書いたこと】

現実を直視して、今できることを淡々とやる。協力もする、我慢もする。

楽観的なことも、悲観的なことも、事実をちゃんと理解した上で次にどう行動するかを考えましょう。

他人事ではいけない。他人任せでもいけない。

自分を守ることは大切な人たちを守ることです。

と同時に、自分だけを守ろうとすることは他人を危険にさらすことでもあります。

今回の新型コロナウィルスによる危機にこれまで以上に日本人の民度が問われています。

「逃げず、恐れず、あなどらず」を心に刻みながらみんなでこの危機を乗り越えましょう。