がんばれ、新人君(2)

地元の桜並木に薄桃色の花がまだ咲いていなかったころ、地球の反対側のヨーロッパで戦争がはじまりました。戦争なんてものは発展途上国の内戦だったり、名前も知らないような小国同士の小競り合いだったりするだけで、それなりの経済規模を有するまっとうな国が戦争など始めるはずがないと思っていました。しかし、そんな「常識」はあっさり裏切られ、「先進国」のひとつにも数えられるようになった国が、武力による国境線の書き換えをおこなおうとしている現実を世界中の人は目の当たりにしています。

戦後80年を経て、日本人はすっかり平和ボケしていました。敗戦後、「平和憲法」という新たな錦の御旗をあたえられた日本は、「戦争・戦力を放棄し、交戦権を否認すれば戦争に巻き込まれない」という夢を見続けていました。それが理想論にすぎず、絵空事であろうことはうすうす感じていながら、厳しい国際社会の現実にはずっと目をつぶってきたのです。しかし、今、自国の安全と生存は「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」だけでは保持できないという現実を突きつけられたといっても過言ではありません。

もちろんロシアが武力をもちいてウクライナとの国境を変更しようとするのにはそれ相応の理由があるのでしょう。そこにはウクライナとロシア両国の長くて悲しい歴史が影響しているのかもしれません。あるいは、オリガルヒやアメリカのエスタブリッシュメントと呼ばれる人たちの思惑や、あるいはNATOによる安全保障上の戦略に両国がまんまと利用されているのかもしれません。とはいえ、いかなる理由があろうとも、人権を一顧だにせず、国際法に明らかに違反するロシアの暴挙を正当化することは到底できません。

たくさんの命が失われているウクライナでの絶望的にも見える惨状は日本人に多くのことを教えています。人類はなんどもこうした過ちを繰り返してきました。そのたびにあらたな平和を誓ったはずなのに、です。日本や日本人は、ウクライナのために、また日本自身のためになにをすればいいのでしょう。遠い東欧で起こっていることだと他人事にしてはいけません。戦争がもたらすものは恐怖と絶望、悲しみと憎しみです。この愚かな戦争を一日も早く終わらせ、二度と繰り返さないためにも今の現実に顔をそむけてはいけません。

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気分を取り直して、今日の話題をあらためて書きます。

春、進学したり、就職したりと、あらたな第一歩を踏み出す人も多いことでしょう。期待と不安の入り交じったスタートになっているに違いありません。先日、私のクリニックに、高校の後輩で、今春、北海道大学医学部を卒業したばかりの新人君が遊びに来てくれました。もはや後輩というよりも自分の息子のような彼も、この春から研修医としての厳しい修練がはじまります。その彼には研修医のころの思い出をいろいろ話しました。失敗も、ツラいことも、悲しかったことでさえも今の自分に活きていることを伝えたかったからです。

研修医だった私の一日は、朝早く病院に来て患者の採血をすることから始まりました。前日にオーダーしていた検査のための採血をするのです。そして、それが終わると、つい数時間前までカルテ記載していた担当患者の情報をまとめます。やがて病棟にあがって来る指導医に患者情報を報告し、その日にやっておくべきこと(検査あるいは処方)の指示をもらうためです。その後は、指導医と一緒に患者の回診にまわり、検査・処方のオーダーをしたり、注射箋で点滴を指示したりとあわただしく午前中が過ぎていきます。

昼食を済ませると、午後は検査に入ったり、カンファレンスと呼ばれる症例検討会があったりと忙しさは続きます。興味深い疾患をもっている患者やなかなか診断のつかない患者を検討会に提示するときはその準備もあるのでとくに忙しくなります。東京逓信病院では院内での勉強会が多いため、研修医は学会発表の練習も兼ねて頻繁に発表させられます。発表のためには他の診療科のカルテを取り寄せるために病歴室に通ったり、文献を調べるために病院の図書館に行ったりしなければならないので大変です。

夕方になると日中にオーダーしておいた検査の結果があがってきます。その結果を見ながら、治療薬の効果を判定したり、病気の原因を絞り込むのですが、研修医にはそれらの結果に一喜一憂するのが精一杯。自信満々で指導医に結果を報告したのに、検査や治療内容の不備などを指摘されてヘコムなんてことも少なくありません。そんなときは、カルテを記載する医師記録室で他の研修医と愚痴をこぼしあったり、指導医への不満を聞いてもらったりしたものです。このときの研修医同士の連帯感はなにより心強いものでした。

私が研修医の頃はまだ紙カルテで、検査結果も紙に印刷されてあがってきます。検査結果をカルテに貼りながらその日一日の患者の変化や今後の方針を記入するのですが、そうこうしているとあっという間に夜もふけ、いつの間にか深夜遅くになっています。しかし、当時の逓信病院には夜になると我々研修医に陣中見舞いを持ってきてくれる先輩医師がいました。深夜にもかかわらず記録室にケーキなどの差し入れを買ってきてくれるのです。「お疲れ~っ!」と入ってくるその先輩医師にどれだけ励まされたことでしょう。

夜遅く(朝?)までカルテ記載をしていると、記録室のラジオからはよく「Jwave」の「singing clock」という時報がながれてきました。夜勤の看護婦さん達も仮眠に入ったのか、静まりかえっている病棟。ときどき鳴るナースコールと看護婦さんの足音だけが聞こえる夜の「singing clock」は、疲れ果てていた私を生き返らせる呪文のようなものでした。ちょうど私が研修医だった頃に開局したFMラジオ局のJwaveからはいつも洗練された音楽がながれてきて、札幌から上京したばかりの私にとっては心の清涼剤だったのでしょう。

研修を終えて勤務した大学病院では、今度は新人看護婦さんたちの奮闘ぶりを見ていました。今でも思い出すのはGさんのことです。彼女は地方の看護学校を卒業して就職してきた人でした。人懐っこい笑顔と元気さが取り柄とでもいうような明るい新人さんでした。やる気満々、物怖じせず、なんでも頑張るぞという本人の意気込みとは裏腹に、ミスをすることも少なくなく、上司である主任さんはもちろん、他の先輩看護婦さん達からも注意を受けていました。そんな彼女を私はなにかとても懐かしく感じました。

注意された彼女はちょっとだけ落ち込んだように表情を曇らせますが、すぐに舌をペロっとだしてはいつもの元気なGさんに戻ります。ところが、彼女がめげなければめげないほどまわりの先輩看護婦さんからは集中砲火のように怒られ、ついに主任さんから厳重注意を受けることになりました。私は少し離れた場所でカルテ記載をしながら、二人のやりとりに聞き耳を立てていました。「もっと考えて行動しなさいっ!」と主任さんは強い口調でいいました。それは少し感情的になっているようにも思える言い方でした。

Gさんは主任さんの話しにうなづきながら聴いていました。「お説教タイム」が終わって仕事に戻った彼女は、少し打ちのめされているように見えました。いつものはつらつさがすっかりなくなってしまったGさん。翌日になっても、また、その翌日になっても彼女らしい元気さを取り戻すことはありませんでした。しかも、それでも彼女はミスをしてしまいます。そのたびに先輩方から怒られるGさんに、今までのような笑顔はみられませんでした。私は彼女がいたたまれなくなり、周りに誰もいないときを見計らって声をかけました。

「ゴンちゃん(私はいつもそう呼んでいました)、元気ないね。主任さんは『もっと考えて行動しろっ』って言ってたけど、知識も経験もない新人に『考えて行動する』なんてことができるはずがないんだからね。ミスをしないに超したことはないけど、注意していてもミスってしまったことは仕方ないんだよ。それが新人なんだから。ただ、そのミスを絶対に繰り返さないぞ、って気持ちだけは忘れないでね」と。それ以上言うのはやめました。彼女が今度は主任さんや先輩達に悪い感情を持ち始めてはいけないからです。

ときどき「ゴンちゃん、がんばれ」と励ましているうちに、徐々に彼女にはいつもの明るさが戻ってきました。「めでたし、めでたし」と思っていたのもつかの間、今度は私が主任さんに叱られることになりました。「職場でGさんを『ゴンちゃん』と呼ぶのはやめてください」とのことでした。学校でさえ先生が生徒を呼び捨てにしたり、愛称で呼ぶことは禁止されているんだとか。「~君」ですらダメで、「~さん」なんだそうです。せちがらい時代になったものです。でも、その後、Gさんはすっかり立ち直ったように見えました。

私自身、たくさんの間違いをしてきました。後悔することもいっぱいあります。しかし、前回のブログでも書いたように、それらすべてを含めての「今」なのです。新人だからこそできる失敗があります。新人だからこそ挑戦できることもあります。頑張って、頑張って、それでもダメならやり直すことでさえも新人には可能なのだということを忘れないでください。振り返ればあっという間の人生です。マイナス思考で無為な時間を過ごすより、プラス思考をしながらとにかく前に進むことの方が建設的な時間の使い方です。

人生の価値はひとつではありません。その一方で、ひとつの目標に向かって頑張り続けることにも意味があります。どちらにせよ、頑張れるかぎりはその歩みをとめてはいけないということです。人生の歩みは振り返ることしかできません。結果として自分の望む方角には進めないことだってあります。しかし、人生の岐路に立たされたとき、その都度、自分が後悔しない選択を繰り返していけば、必ずや満足のいく人生を送れるのだと私は信じています。また、それは私の半生が証明しています。

新人の皆さん、がんばりましょう。

※「がんばれ、新人君」も読んでみてください

万事塞翁が馬

新型コロナウィルスに感染した人の数は、その後、前回のブログで私がいった通りの推移を示しているように見えます。東京都のみならず、多くの都道府県で減少の一途をたどり、最近では死亡者の数もそのピークが過ぎたかのような状況にあります。あれだけ感染力が強いと吹聴されてきたオミクロン株による第六波も、三回目のワクチンのブースト接種がはじまってついにこのまま収束していくでしょうか。

そもそもオミクロン株に感染しても、ワクチンさえ接種してればほとんどがただの風邪のような症状です。そのせいか、喉の痛みや熱があっても自分が新型コロナウィルスだと思わず、風邪薬を飲みながら仕事をしたり、学校にいっている人(これは絶対にやらないでほしいと繰り返してきました)があまりにも多かったのではないかと想像します。感染拡大の大きさにはこうしたことも影響していたはずです。

BA.2株」と呼ばれる新たな変異株の出現で、検査が陽性となった感染患者の減少が鈍化しているように見えます。しかし、何度もいっているように、これからの推移は重症患者と亡くなった人の数で評価すべきです。私は予想屋でも予言者でもありません。客観的事実を冷静な判断(と自分では思っているのですが)で導いた結論を言っているに過ぎません。極端な意見にはひきづられないようにしましょう。

インフルエンザのこともそうです。「来年は流行しそうだ」などとTVでいわれていました。しかし、実際はどうだったでしょうか。「なんの根拠もありませんが、インフルエンザは流行しないと思います」と以前のブログに書きましたが、これとて一昨年の状況を見ればあたりまえと思える結論でした。インフルエンザワクチンを多くの人が受けてくれたこともこのインフルエンザの少なさに影響しているかもしれません。

「客観的な事実と冷静な判断」などと偉そうなことを言っていますが、私自身はなにごとも理性的に考える人間ではありません。どちらかというと理性よりも情緒に流されやすい人間かもしれません。「文系人間」という人がいるとすれば、むしろ私はそちら側の人間だと思います。だからといってそれが欠点だとは思っていません。私にとって大切なのは理性と情緒のバランスなのだと考えています。

医学は理系の学問とされていますがもっとも文系にちかい領域だと思います。そんなことをいうと不思議に思う人もいるかもしれません。しかし、医学には数値だけでは解決できない部分が少なからず存在するのです。血圧や脈拍数、検査値などのような数字もよりどころにしますが、患者さんとの問診の内容、あるいはそのときの表情や仕草といった非数値的な情報も病気を診断する際に重要となります。

以前にも言ったように、医者になるのに数学オリンピックや物理オリンピックで金メダルをとる必要はありません。メダルをとるほどの秀でた能力はあって悪いわけではありませんが、有能な医者になるのにそれらの能力が直接必要なものかといわれれば必ずしもそうではありません。医者になるためにはせいぜい中ぐらいの学習能力があれば十分なのです。ただ競争率が高くて合格するのが大変だというだけの話しです。

医学は日進月歩です。20年前の常識が今は否定されているなんてことも結構あります。ですから、医者にとって日々変化する医学についていけるだけの学習意欲は必要です。入学したときはものすごく勉強ができたのに、その後、医学を学ぶモチベーションがあがらず、医師国家試験に合格したときの「知識の断片」だけでずっと診療をしている医者は決して少なくありません。そういう医者ほど自分の学歴だけが自慢です。

「医学部に入学する生徒にはことさらに人間性が必要」などというステレオタイプな主張も間違いです。極端なことをいえば、患者の病気を治せる医者なら人間性なんて十分条件にすぎません。病気を見つけることも、治すこともできないのに人間性だけは非の打ちどころのない医者にどれだけの価値があるのでしょう。入試での短時間の面接で数人の面接官が受験生の人間性を評価しようなんてことがそもそも不遜なのです。

世の中の「常識」とはちょっとずれたことをいう私なので、診察をしながら「医者らしからぬこと」を言うときがあります。診療中の私は「この人は誰かに守られている」と感じる場面にでくわすことがあるのです。普通であればこんな症状でそんな検査はしないのに、なぜかその検査をしたことによって重大な病気を見つけられたという経験をします。あとで「よく考えたらなぜこの検査をしたんだろう」って具合に。

なんとなく胸騒ぎがして患者を病院に紹介することもあります。そんなときは「無駄足になるかもしれませんが」といいわけをして病院に行かせます。でも、案の定大きな病気が見つかって患者が命拾いしたというケースが何度もあります。そのような経験をしたときはいつも「この患者さんには誰か守っている人がいる」と感じます。もちろんすべての患者さんに感じるわけではありませんから誤解なきようにお願いします。

「(普段であれば見つからなかっただろう病気が見つかるなんて)きっと誰か守ってくれている人がいたのですよ」と患者に告げると、「ああ、それは母かもしれません」とおっしゃる人もいます。また、別の方はうれしそうに天井を見上げたりします。しかし、中には「医者なのにそんなことをいうなんてヤバイんじゃないの」といぶかしげな人もいます。医者なのにそんな非合理的なことを、という意味なのでしょう。

私は医学部に入学する前後ぐらいから何度も不思議な体験をしてきました。大学病院で夜間救急をしていたある夜、休憩室で北大の先輩だった先生に「おまえ、幽霊をみたことあるだろ?」と言われたことがあります。何度かそれらしき体験をしていたので、「なぜわかるんですか?」とたずねました。すると、先輩はまじめな表情でいいました。「おまえみたいな霊的エネルギーの強い人間には霊が近づいてくるんだよ」と。

解剖実習から帰宅して寝ていた私の枕元に白い着物を着た老人が座ったのは私の「霊的エネルギー」が呼び寄せたのでしょうか。アルバイト先の当直病院での勤務初日、必ずといっていいほど急変する患者や亡くなる患者が多かったのは私の「霊的エネルギー」が影響しているのでしょうか。そこにいるはずもない人を病院で見かけたことも何度もあります。それも先輩が言うように私の霊的エネルギーが強いせいなのでしょうか。

こんなこともありました。子どもができないまま結婚4年目を迎えたある日の夜。当直病院で仮眠をとっていると突然「赤ちゃんができましたよ」という女性の声が聞こえてハッと目を覚ましました。そのときは夢でも見ていたのだろうと気にもとめませんでしたが、自宅に戻ってみると家内から妊娠したことを知らされました(ちなみにこの息子の誕生日は私と同じ)。これも私の「霊的エネルギー」のなせる業だったのでしょうか。

職業柄、人の生き死にを見てくると、自分なりの死生観というか、人生観といったものを持つようになります。希望する学校に合格しながら、制服に一度も袖を通すことなく亡くなった高校生がいました。銀行で働くことを夢見ながら就職活動の直前に入院。そして、失意のまま亡くなった大学生がいます。そうした人々の悲しさや悔しさ、むなしさは私にいろいろなことを教えてくれましたし、今の診療に役立ってもいます。

私の半生は他の人とは大きく異なります。小学校の入学祝いにもらった「野口英世」の伝記本をきっかけに「自分は医者になるんだ」と思うようになりました。でも、だからといって小学校のころの私は医者になるために努力する子どもではありませんでした。勉強をしなくても成績のいい子どもですらありませんでした。学校に行ってはいてもただ通学しているだけ。ボーッと窓の外を見ているような小学生だったのです。

それでも不思議と「医学」にはなんとなく興味を持っていました。おもちゃ屋で見かけた「人体模型」のプラモデルをねだって買ってもらったりしました。中学生のときは日曜日の朝になると東京12チャンネルの「話題の医学」という医学番組を欠かさず観ているという変わった子どもでした。とはいえ、肝心の勉強にはまるで関心がなく、医学部に入らなければ医者になれないことに気がついたのは高校生のときでした。

一度は医者になることをあきらめましたが、ひょんなことで医学部を再受験して医者になりました。いろいろな人との出会いがあり、さまざまな偶然がまさに糸をつむぐようにして再び医学部に挑戦することになったのです。こうしたことも私の「霊的エネルギー」のおかげなのでしょうか。科学や理性では説明できない非合理性の中で生きてきたことが、私を「怪しいことをいうヤバい医者」にしているのかもしれません。

子ども達には日頃、「神様はいつも見ているんだよ」と諭しています。「人の見ていないところで努力することは大切」ということをわかってほしいからです。悩みや苦しみを訴える高齢者には「長生きは修行です」とお話ししています。これは「長生きするということは、長生きできなかった人たちの思いを背負いながら生きることだ」ということを心にとどめてほしいからです。これは私が常に実感していることです。

幸せの基準は異なります。人のいう「よい、悪い」の多くは、実は「好き、きらい」だったりします。ものの見方を少しだけ変えてみるだけで、違った見え方をしますし、心のあり方もずいぶんと変わってきます。「人間万事塞翁が馬」という言葉は私が一番好きな故事ことわざです。吉事も戒めにしなければならない場合もあるし、凶事もよいことにつながるきっかけになる。いっときの吉凶ですべてを語るな、ということです

そろそろ卒業シーズンです。新型コロナのせいで楽しい学校生活が十分に送れなかった生徒・学生のみなさんにとって、なにか不完全燃焼のような中途半端さのまま卒業するのは淋しいことかもしれません。しかし、あなた達の人生はこれからです。むしろ、これからの未来にこそ、本当の山あり、谷あり、なのです。山があっても、谷があっても、常に視線は未来に向けて下さい。それがみなさんの特権でもあります。

いっときの良し悪しがすべてではない、ということは意外と気がつかないものです。うまくいくこともあるでしょう。失敗することもあるかもしれません。病気になったり、なにかをあきらめなければならないときだってある。でも、それが人生です。ひとつひとつの山や谷に一喜一憂せず、それらをひとつひとつ誠実に乗り越えていく、その総体が「幸福」につながっていくのだということをどうか忘れないでください。

私のお気に入りの歌(小田和正「東京の空」)に次のような歌詞があります。最後にそれを紹介します。

「がんばっても がんばっても うまくいかない

でも、気づかないところで 誰かがきっと見てる」

神様はいつもあなたを見ています。頑張りましょう。

 

バカなんですか?

今ほど「理性」が必要なのに、どうしてこうも理性的になれないのでしょうか。

一か月前のブログにも書いたように、新年早々新型コロナウィルスの感染が拡大し、第六波となって全国を席巻しています。今日の東京都の陽性患者は一日で1万4千人を超え、これまでで最多の感染者だと大々的に報じられています。全国を見渡してみても、どの都道府県も軒並み感染患者数が急増していてこれからどうなってしまうのだろうと不安に思う人も少なくないはずです。

しかし、オミクロン株のウィルスとしての毒性はデルタ株よりも明らかに軽く、入院を要する患者の割合や、重症化する割合、そして死亡する割合のいずれもが限定的です。これはすでにワクチン接種を済ませた人の割合が8割近くになっていることも影響しているでしょうが、前回のブログに書いた「変異を繰り返すにつれて毒性は低下する」ということを証明しているのだと思います。

感染拡大が急なのは、もちろんオミクロン株の感染力が強いからですが、それ以上にオミクロン株に感染しても軽症にとどまるため、風邪薬を飲みながら仕事や学校に行っている人が少ないことがあげられるでしょう。しかも、新型ウィルスの検査を「誰もが、いつでも、無料で受けられる」ようになって検査の数がこれまで以上に増えていることも無視できません。

検査はPCR検査といった精度の比較的高いものから、精度的にはPCR検査より劣っている市販の抗原検査などがあります。検査は本来、「一番怪しいとき」におこなうものです(これも今までなんども強調してきましたから耳にタコですね)。しかし、安易ともいえる今の検査のやりすぎは、偽陰性をたくさん生むことになり、偽陰性に安心した人はあらたな感染源となるのです。

オミクロン株に感染した人たちがこうも軽症ならば、今もなお2類相当のままの感染症から、季節性インフルエンザのように通常診療が可能な5類に一刻も早く変更すべきです。2類相当の感染症はその診断が確定した段階で入院することが原則となっています。その入院もふくめてすべての局面で保健所が関与するわけで、最近の陽性者の急増により保健所のマンパワーは限界になっています。

もちろん、2年前のように、ワクチンもなく、治療方法もないまま多くの人が入院し、亡くなる人も少なくなかったときであれば2類相当に指定し、保健所が管理するのは当然でしょう。しかし、感染者が多くても、軽症となって自宅療養が可能なオミクロン株感染においては、できるだけ早く5類に変更して、通常の季節性インフルエンザのときのように対応・対処できるようにすべきです。

私のクリニックにも風邪症状の方から問い合わせがあります。そして、新型コロナ感染を強く疑わせる人は発熱外来への受診を勧め、その可能性を否定できない人は来院させずに薬のみを処方します(可能性が低いケースは受診させて診察します)。そうするのは、診察をした患者が新型コロナに感染していると、私や職員が濃厚接触者となってクリニックを長期間閉めなければならないからです。

施設の広さという面でも、マンパワーという点でも、病院に発熱外来を設置した場合と、当院のような小さなクリニックが熱発患者を診療するリスクは大きく異なります。「職員や他の診察待ち患者を感染させてしまったら」という懸念を払拭する工夫ができればいいのですが、限られた室内で熱発患者と通常の患者を空間的にも時間的にも隔てることはできないのです。

もしオミクロン株が5類となれば「濃厚接触者」がなくなり、通常の医療機関での診療がより容易になります。そうすれば大きな病院の発熱外来の負担を軽くすることができます。また、保健所が対応しなければならないケースも大幅に減り、保健所が本当に対応しなければならない患者の入院先の調整に専念できます。今の状況は病院と保健所に不必要で大きな負担を強いています。

にもかかわらず、政府・厚労省は、オミクロン株を2類相当にしたまま、検査なしで医師の判断で「新型コロナ感染」と診断することを認めるのだそうです。そんなことをすれば、むやみに濃厚接触者を増やすだけです。そして、多くの人たちの行動を制限し、職場や学校、社会に混乱をもたらすだけです。そんなこと誰が考えてもわかるでしょうに。あまりにも「理性」がなさすぎです。

新型コロナウィルスワクチンのブースター接種がはじまりました。しかし、このワクチンも不足気味なのは否めず、じきに接種できる人の数も制限されてくるでしょう。感染症対策として打ち出されてくる方策はどれもが場当たり的で、計画性が感じられません。しかも、これだけ軽症の感染者が増えてもなお「自粛」と「水際対策」で切り抜けようとするとは。「バカ」なんでしょうか。

ひとりの感染者が何人の人に感染を広げるかをあらわす数を「実効再生産数」といいます。この数の推移を見ればわかるように、どの都道府県もとっくの昔に減少に転じています。あれほど感染者の急増に大騒ぎしていた沖縄ですら陽性者数が減少しているのです。南アフリカでの感染者が急増したのち速やかに減少したのと同じ。全国の感染者がピークを越えるのも時間の問題です。

現時点の重症者数や死亡者の数を観ても、感染者数が急増している割には大した数字ではありません(重症者の方や亡くなられた方には失礼な言い方ですが)。そうした事実ひとつとっても、今すべきことはあきらかです。「必要以上に自粛や制限を求めるのはやめろ」。「オミクロン株感染症は5類にさげろ」。理性的であるべき日本医師会は少なくともそう主張しなければならないはず。

私自身、地元の医師会から「検査の数を増やすこと」を要請されています。しかし、当院では検査はしていません。検査は「一番怪しいときにおこなうべき」だからです。しかも、大切なのは「肺炎などの重症化をした(しそうな)ケース」を見つけること。しかし、その場合はCT検査を受けなければなりません。したがって現在2類相当のままの新型コロナの検査は病院でおこなうべきなのです。

5歳以上へのワクチン接種を政府は急いでいるといいます。健康な小児は重症化するリスクも低くいのに、心筋炎などの重い副反応が懸念されている小児へのワクチン接種をそれほどまでに急ぐのはなぜでしょう。しかも厚労省の中では保護者に対して「努力義務」を課すことも検討されているとか。やることなすこと首をかしげるようなことばかり。もしかしてホントに「バカ」なんですか?

新型コロナがもたらすもの

これまでの私のブログを読んでいただいた方にはおわかりでしょうが私は暑いのが苦手です。むせ返るような熱気の中でじっとりと汗ばむあの感覚が嫌なのです。エアコンがあるのが当たり前になり、どこへ行っても快適な生活が送れるようになりました。しかし、からだにまとわりつくようなあの夏の空気感が苦手なのです。好きな夏の風景もあります。じりじりと照り付ける強い日差しをあびて向日葵(ひまわり)が揺れる風景なんて夏らしくていいですよね。真夏のうるさいくらいのアブラゼミの大合唱も、少し秋めいてきた夕暮れ時のヒグラシの「カナカナカナ」という鳴き声も、風情があっていいものです。

寒い環境での生活が性に合っている私もそうですが、北海道の人はさぞかし寒さに強いだろうと誤解されています。しかし、北海道の人にはむしろ寒さに弱い人が多いのです。北海道を知らない人たちにとって、北海道は「冷凍庫のように寒いところ」であり、寒さが苦手という人たちにとっては「行きたくない場所」かもしれません。でも、冬の北海道に実際に来てみれば、厳冬の北海道がいかに「暖かい」かがわかると思います。外気気温がどんなに低くかろうと、建物の中の暖かさは北海道の右に出る地方はありません。なにせ氷点下の真冬の室内でTシャツになる暖かさなのですから。

先週から降り続く雪で、それまで雪が少なかった札幌もついに根雪になったようです。例年であれば12月になんどか降る「ドカ雪」に、クリスマスのころにはすっかり雪景色になっていた札幌。ところが最近の暖かさは私の学生時代とはあきらかに異なります。(以前のブログにも書きましたが)学生のころキュッキュッと新雪を踏みしめながら夜の静かな家路を急いでいるときのことです。ふと夜空を見上げると満天の星。そのとき私はなぜか幸せな気持ちになりました。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら「札幌に来てよかったなぁ」って。札幌の暖かい冬の風景はあのときと違ってしまったのでしょうか。

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早いもので、新型コロナウィルスに世界中が翻弄されてもう二年になります。その間、生活スタイルはもちろん、いろいろな価値観をも変えてしまったように感じます。一番端的な例はマスクです。それまでの日本はインフルエンザが流行しているときですらマスクをしている人は決して多数派ではありませんでした。外国人たちの目にはマスクをしている日本人たちは異様に映ったほどでした。それなのに今はその欧米の人たちですら多くがマスクをしている今の光景は二年前にはまったく考えられなかったこと。マスクをしている人としていない人との間でトラブルが起こるくらいになりました。

もともと日本人は外国の人たちにくらべて手洗いやうがいをすると言われてきました。潔癖症とも思えるようなきれい好きな日本人の特性が活かされたのもこの二年間だったかもしれません。当院では15年前に開院したときから手指をアルコール消毒する噴霧器を置き、インフルエンザのシーズンになれば待合室に空気清浄機を設置していました。第二診察室を作って感染症の患者はこちらで診察するようにもしています。建物内の空気のながれはこの部屋から外にながれるように設計してあるのです。そんな工夫が実際に役に立つときがやってくるは思ってもみませんでしたが備えあれば憂いなしを実感します。

また、以前から私は「かぜ薬は風邪を治す薬ではない。風邪をひいても早めに飲んではいけない。風邪症状を隠してしまうことでかえって感染を広げてしまう」と患者さんに説明してきました。また、「風邪症状のあるとき、とくに熱っぽい時やあきらかな熱があるときは仕事や学校に行かずに自宅で安静にしているべき」、「検査は安易におこなうべきじゃない。検査は一番疑わしい時にするもの」とも言ってきました。しかし、これまでの日本社会では「熱ぐらいで休むな、休めない」という雰囲気がありました。「検査してもらってこい(陰性だったら出勤しろ)」がなかばあたりまえだったのかもしれません。

今回の新型コロナの流行でそれが間違いだとわかってもらえたかというとそうでもなさそうです。いまだに「早く治そうと思ってかぜ薬を飲みました」といって来院する患者はあとを絶たないのです。「風邪を早く治すなんてことはできないんだよ。そもそも薬で治せる感染症じゃないんだから」と思いながら診察をすることもしばしばあります。風邪症状があるときは自宅で安静にし、症状がつらいときのみ症状を緩和するお薬を使い、肺炎などの合併症で重症化したことを見逃さないことこそが大切なのです。解熱剤の入ったかぜ薬は重症化を発見することを困難にしてしまうこともあるのです。

ワクチンも然りです。これまでインフルエンザのシーズンになってもワクチン接種をしない人は結構いました。医療・福祉施設や学校など、本来であればワクチン接種をすべき人たちの中にはワクチン未接種でも平気な人が少なくありませんでした。新型コロナウィルスだからワクチン接種が必要なのではありません。毎年3000人もの人が亡くなっていた従来のインフルエンザでもワクチンを接種することによって感染の拡大を阻止することは重要だったのです。ワクチンの接種はあくまでも任意であり強制されるものではありません。しかし、周囲に感染を広げないために不可欠だということを是非知ってもらいたいです。

来年の2月から当院でも三回目の新型コロナワクチンの接種(ブースター接種といいます)がはじまります。ふたたび通常の診療を制限して実施するため、多くの患者さんにはご不便をおかけすることになると思います。これまでも新型コロナワクチンを接種しているときに受診された患者さんからお叱りの言葉を頂戴することがあります。しかし、ワクチン接種後15分ほど経過観察をしなければならず、通常診療をすればワクチン接種のための方と通常診療のために来院した人とで「三密」を作ってしまいます。当院にはそれなりに広いスペースがあるとはいえとてもワクチン接種と通常診療を同時にはできません。

ワクチンを接種して急にからだの具合が悪くなった方がいれば迅速に対応しなければなりません。院内での対応マニュアルを作り、事前に職員と打ち合わせをしてそうした事態に備えてはいます。しかし、通常診療と並行してワクチン接種をおこなえば、職員の動きと意識は散漫になって混乱することは必至です。実際に今回のワクチン接種でも緊張するようなケースが2件ほどありました。幸い、なにごともなく終わったのですが、通常の診療と分離して接種をおこない、事前のマニュアルと打ち合わせをしていたお陰で対応できたと思います。従来のインフルエンザワクチンの接種と同じとはいかないのです。

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新型コロナウィルスはこの三年間になんども遺伝子を変異させました。そして、今は「オミクロン株」となって従来の株とは少し異なる性格をもっていることが徐々に明らかになっています。正式な発表にはなっていませんが、これまで私が集めた情報を少しまとめてみたいと思います。まず、このオミクロン株はそれほど恐ろしいものではないらしいということを強調しておきます。以前のブログにも書きましたが、「ウィルスは何度か変異を繰り返しながらその毒性は徐々に弱くなっていく」といわれています。新型コロナウィルスもどうやらその定説にそって変異しているらしいのです。

思えば「デルタ株」という変異株のときも、「感染力が従来のウィルス株にくらべて強い」としてマスコミはこぞって報道しました。今、そのデルタ株はどうなりましたか。「デルタ株」などという言葉すら登場しません。国民の8割が接種を終えるまでになった今、あのときマスコミが騒ぎ立てたような状況にはなっていません。オミクロン株も感染力の強さは従来の株を上回っているようですが、感染した患者の多くが軽症でとどまっています。実際、南アフリカでは患者は急増しましたが、重症者はそれまでの流行時よりも少なかったといいます。そして、最近ではすでに患者数が急激に減ってピークアウトしているそうです。

つまり、ワクチンをきちんと二回接種していれば、たとえオミクロン株にさらされたとしても必要以上に不安になる必要はないということです。感染しても大丈夫だといっているのではありません。ワクチンをスケジュール通りに接種し(韓国のように無計画に接種するのは効果を弱めます)、マスク・手洗い、人ごみを避ける、風邪症状があったら自宅内隔離で経過を見る、などの対応をしていれば、万が一感染してもなにも心配ないということです。高齢者や重篤な基礎疾患があったり、コントロール不良な糖尿病や呼吸器疾患などがある人はより注意が必要ですが、神経をすり減らすほどの心配は不要なのです。

今、東京での感染者はかなり少なくなっています。しかし、これはあくまでも「検査をして見つかった人」の数です。新型コロナに感染してもワクチンを接種している人にとっては「ただの風邪症状」に過ぎない場合が多く、自分が新型コロナウィルスに感染したとは思っていない人がほとんどだろうと思います。そうした人たちの中にはかぜ薬を飲みながら職場や学校に行ったりしいて周囲の人にうつしてまわっている人もいます。ですから、実際の感染者数は発表されている数字の何倍にもなっているのではないかと言っている人もいます。感染拡大を心配しなければならないのはまだワクチンを打っていない人たちです。

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これまでなんども「感染者の数」ではなく「重症者の数」に注目すべきだといってきました。感染しているかどうかを調べる目的はなんでしょうか。それは一刻も早く治療を開始することではありません。なぜなら、新型コロナウィルスに感染しても確たる治療方法が今のところないからです。検査をする一番重要な目的は重症化の危険性が高い感染者を見つけ、濃厚な治療を施す対象として見分けることなのです。決して無症状な感染者、軽症の感染者に「新型コロナに感染しているかどうか」という「結論」を示すことではありません。そうした軽い人たちは自宅隔離をして経過観察をしていればいいだけです。

東京でも「希望すれば無症状でも無料で検査ができる」ようになったようです。でも、そんなことをしていったいなんの役にたつのでしょうか。新型コロナウィルスの感染がはじまったころからずっと言われているように、無駄にお金をかけるだけでメリットはほとんどない(むしろ、偽陰性の感染者に「新型コロナ感染症ではない」という間違った墨付きをあたえるだけ)です。そうしたことは、広く検査を実施しても感染拡大を阻止することができなかった世田谷区や韓国の例を見てもわかりそうなものです。ものを考えられない、そして、経験を活かすことすらできない愚策だと思います。

先日、知り合いから「最近、ブログの更新がありませんね」と言われました。毎日があわただしく、ブログを書く時間がなかったこともありますが、なにより新たに書きたい、書かなくてはいけないと思うことがなかったのです。新型コロナへの対応については、この二年間、同じことをなんども指摘しなければなりませんでした。それほどまでに政府・厚労省の対応はお粗末で後手後手だったのです。ピント外れな批判や、国民を不安にする報道ばかりのマスコミ。医師会ですらずっとあの調子。いつも同じような失態、失策を繰り返すのですから書く気にもなりません。

6歳以上の小児にも新型コロナウィルスワクチンの接種がはじまります。根拠の希薄な何回かの議論であわてて決められたようで少々不安です。重症化する小児患者がほとんどいない新型コロナウィルス感染症。小児への感染力は強いかもしれないとされているオミクロン株ではありますが、風邪程度の症状で終わるかもしれないともいわれているのになぜ心筋炎の副反応が心配されるワクチン接種を急ぐのでしょうか。オミクロン株に感染した患者の濃厚接触者は国立大学の入試を受験できないというルールも拙速に決まりました。どうしてこうもバタバタとよく考えもせずに拙速な対策が発表されるのか。腹立たしいかぎりです。

もっと現場の人たちの声に耳を傾けるべきです。新型コロナ対策についてはずっと頑張ってきた医療従事者あるいは病院関係者が納得できる結論を出してほしいものです。肩書ばかりがご立派で現場の苦労や問題点を知らない専門家ばかりを集めた専門家会議など不要です。また、世間のいらだちや不安をあおって商売に熱心な医者や医療機関もいい加減にしてほしい。科学的には正しいことであっても、世の中のながれにさからうような情報を説明したり、行動することは難しく、その意味で、「検査をさせろ」「入院させろ」とつめよってきた人たちと関わってきた病院や保健所の人たちのこれまでの苦労は計り知れません。

なんの根拠もありませんが、おそらく来年の早い段階で新型コロナウィルスの第六波が発生するでしょう。しかし、すでに八割ほどの国民がワクチン接種を終え、来年1月からはブースター接種も本格的にはじまります。現在、日本で接種されているワクチンを3回接種すれば、これから流行が拡大するであろうオミクロン株への予防効果あるいは重症化阻止効果がかなり期待できるとされています。問題はワクチンを接種していない人たちへの感染だけです。日本では全国的なアウトブレイクにはまずならないでしょう。そして、新型コロナウィルス感染症に対する経口治療薬が出てくればもはやインフルエンザと同じ。もうひと息です。

今年も残すところあと数日。今年もいろいろなことがありました。良いことも悪いことも来年への糧にしたいですね。みなさんにとって、全世界の人々にとって、来年がさらに佳い年になりますようお祈り申し上げます。頑張りましょう。

 

コロナは終わり、ではない

一か月ほど前に「この峠は越えたか?」と題してブログを書きました。そこで私は、ワクチン接種が広がっていることを根拠に「感染拡大はやがて収束してくだろう。それは死者数の減少でより確かなものになる」と述べました。そうした私の予想は今現実のものになり、全国に広まった緊急事態宣言も次々と解除になっています。
感染者(検査陽性者)の数は激減し、重症者の数も日に日に減っています。昨年、新型コロナが感染を広げているとき、私は繰り返し「感染拡大の状況は陽性者数ではわからない。重症者の推移をもっと報道すべきだ」と主張していました。そして今、マスコミはようやく陽性者数ではなく重症者数の推移を伝えています。

世の中が明るさと活気を取り戻しつつある中、水を差すように「第六波の流行がおこるのだろうか」と新たな不安を呼び起こそうとするかのような報道があります。また、昨年はほとんど流行しなかったインフルエンザが今年は流行するだろうという一部の研究者の予測を伝えるものもあります。人々に不安を与えないではいられないのでしょうか。
新型コロナウィルスのあらたな流行も、インフルエンザの今シーズンでの流行も、さまざまな意見が飛び交っています。そのどれもがそれなりの根拠をもっていながら、いずれも確実なものではありません。いわば個人の憶測といってもいいものです。でも、これまでを思い起こして気づくべきです。「オオカミ少年がいる」ということに。

巷(ちまた)ではよく「なぜこれほどまでに流行が収束したのか」という疑問を耳にします。その理由は簡単です。「国民の多くが一斉にワクチンを接種したから」です。それまでの感染症対策を維持しながら、あれほどたくさんの人がワクチンを打てば感染者が減るのは当然です。そもそもワクチンの主な目的はそこにあります。
「ワクチンの接種者が多い欧米で再び感染者が増えているのはなぜ」という声も聴こえてきます。しかし、この質問は正確ではありません。なぜなら、「増えている」ではなくて「増えた時期もあった」だからです。たしかにイギリスやロシア、韓国などでの感染状況は小康状態にとどまっていますが、世界的には感染拡大は収束に向かっています。

国によって感染の収束に違いがあるのにはいろいろな要因があります。しかし、一番の違いはワクチンの種類でしょう。イギリスもロシアも韓国でおもに使用されているのはウィルスベクターワクチンです。日本での接種に使用されているmRNAワクチンとは作用機序が多少異なるワクチン。これらの効果の違いはこれまでも報告があがっていました。
3月からはじまったワクチン接種は、その優先順位に多少の問題はあったもののおおむね順調に進みました。そして今や、少なくとも1回の接種を済ませた人は全国民の74%を超え、アメリカの65%やイギリスの72%を追い抜いて接種率は世界の第六位です。1億人以上の人口を有する大きな国に限れば、中国の80%に次ぐ世界第二位の水準です。

アメリカやイギリスなど早期にワクチン接種を開始した国も、ある程度の接種率にいたってその数は頭打ちになっています。それは少なからず「反ワクチン」の考えを持つ人たちがいるからです。こうした人たちの存在が、新型コロナウィルスの封じ込めの障害になっていることはあきらかです。今や封じ込めが必要かどうかはまた別問題ですが。
とはいいながら、ワクチンを未接種な人の感染リスクはむしろ上昇していると個人的には思っています。それはワクチンをすでに接種した人たちが、「自分たちは感染しても重症化しない」と慢心して感染を防止するこれまでの取り組みを緩めてしまう恐れがあるからです。そうした既接種者が感染しても、それに気がつかないケースが増えてくるのです。

ワクチンを打った人が新型コロナウィルスに感染しても「通常の風邪程度」の症状しかでないことが多いようです。「新型コロナウィルス感染症=重症感染症」というこれまでの図式で考えている人にとって、通常の風邪症状ではあえて新型コロナに感染したとは思わないかもしれません。人によっては風邪薬を飲んで会社(学校)へという人も。
以前から私が繰り返してきたように、風邪薬は「風邪を治す薬」ではありません。「風邪症状を抑えてしまう薬」なのです。風邪症状を抑えれば確かにからだは楽になります。だからといって、そのまま仕事や学校に行ってしまったら、周囲の人に移してしまうリスクを高めるだけです。そうしたことに今も気が付いていない人が少なくありません。

なんの根拠もありませんが、今年もインフルエンザは流行しないと個人的には思っています。いちぶの新聞では「昨年は流行しなかった分、今年はかなり流行する」と報じられていますが、それほど心配する必要はないと思います。この二年間の新型コロナウィルスの流行を通じて、日本人が獲得した生活スタイルはそう簡単にかわらないからです。
ただ、熱発がでたとき、それが風邪にともなうものなのか、それともインフルエンザなのか。あるいは新型コロナなのかを判別するのはかなりむずかしい。検査をしたからといってその結果が正しいとはいえません。であるなら「まずは感染予防」「風邪症状が少しでもあれば休養と家庭内隔離で経過観察」という大原則を徹底させるしかありません。

新型コロナウィルス感染患者が激減し、重症者も死亡者もその数を減らしているとはいえ「新型コロナは終わり」ではありません。普段の生活は少しづつ以前のような平穏なものに戻すとして、感染対策と風邪症状のあるときの対応は引き続き慎重なものであるべきです。ワクチンを打ったとはいっても感染はします。
重症化しにくいとはいっても、ワクチンを打っていない人たちに感染させます。そうした被接種者の間での小流行は今後「第六波」として出現する可能性は十分にあります。三回目のワクチン接種の話しが聞かれるようになりました。繰り返しますが「ワクチン接種は自分のためだけではなく、周囲の人たちを守るためのもの」です。冷静かつ理性的にワクチンを考えていきましょう。

 

 

この峠は越えたか?

まずはじめに、新型コロナウィルスに感染してしまったすべての方々にお見舞い申し上げます。また、不幸にして薬石効を奏せずお亡くなりになられた皆さまのご冥福をお祈りいたします。
そして、日々、重症の感染者を収容し、まさに懸命に治療を続けている病院関係者、ならびに感染者の入院調整などに尽力していただいている保健所の皆さまに心より感謝の気持ちと賛辞を贈りたいと思います。

あれだけ「過去最多を更新」した新型コロナウィルス感染者数(とはいっても検査で陽性がでた人の数なんですけどね)も、ここ最近の推移を見るとどうやら減少に転じる気配です。全国の実効再生産数はついに「1」を下回り、減少局面に入ったことがうかがえます。東京都にいたっては、すでに一週間前に実行再生産数は「1」を下回っていますし、重症者数も激減しています。前回のブログで私が言ったとおり、「ワクチン接種が進めば感染拡大は必ず落ち着く」という結果になりつつあるのかもしれません。これで死亡者の数までもが減ってくればその傾向は確実なものになったといえるでしょう。

繰り返しますが、今の現状に悲観的になるにせよ、楽観的になるにせよ、かくたる根拠をもたなければなりません。感染者数が減少傾向になりつつあるとはいえ、感染のリスクがなくなったわけではありません。政府や医師会がいうような過剰な自粛をする必要はありませんが、不必要な、というより不用意な外出や行動は控え、マスク・手洗い、そしてうがいの励行は継続する必要があります。そして、なにより若い人たちや現役世代の人々にできるだけ早くワクチンを接種してもらえるよう、国も自治体も最大限の努力を傾注すること以外に感染拡大阻止に有効な手立てはありません。

本来であれば、流行地域の若い人たちや現役世代の人々に、外出機会の少ない高齢者よりも、また、感染者の少ない地方よりも早く、かつ大規模にワクチンを接種していればここまで感染は拡大しなかったのです。人によっては「ワクチンをここまで広く接種してきてなぜ感染拡大がとまらないのか?」と疑問に思ったり、「ワクチンは効いているの?」「ワクチンなんて意味ないじゃん」と不信感をもつ人すらいます。しかし、そう思いたくなるような現状になってしまったのは、まさしくワクチン接種の優先順位を真剣に、そして戦略的に検討しなかったからです。

しかし、ワクチンの効果は確実にありました。現在の感染者に高齢者が極端に少ないことがそれです。あるいはこれほどまでにたくさんの感染者数がいながら、重症者あるいは死者がそれほど増えていないのも、重症化しやすい高齢者にワクチンを優先して接種したきたからです。今の感染者数の多くは若い人たちですが、その多くは無症状か軽症の人です。だからと言って「重症化しにくいからワクチンは不要」と考えるのは間違いです。若くても重症化するリスクはありますし、なにより彼らは感染を拡大させるベクター(運び屋)となって感染を広げる可能性があるからです。

重症化しにくいのは10代以下の子どもたちも同じです。感染した子供に亡くなった子はおらず、重症化するケースもごくまれだとされています。子供たちが感染するのはワクチン未接種の家族からが多いという実態もあります。子供たちが移動するのは家と学校、ときに塾や習い事程度なのですから当然です。ところが、ワクチンを接種した後に心筋炎という心臓のトラブルを引き起こすことがまれにあると報告されています。私が「中学生以下の子供たちへの接種はもう少し様子をみてから」と考える理由はそこにあります。むしろ今は、子供たちよりも若い世代・現役世代への接種を優先してほしいのです。

致死率を比較すると、100万人あたり約300人の死者がいる60歳以上に対して、20歳代から50歳代に限ってみれば100万人あたり9人程度の人が亡くなっているにすぎません。その意味で高齢者をワクチン接種によって守ることは大切です。問題はその高齢者を守るためのワクチン接種はどうあるべきか、です。感染拡大を抑え、感染を終息させることで守るのか。それとも感染拡大の阻止は後回しにして、高齢者に直接ワクチンを接種して守るか。そのどちらかにするか、です。この春から開始されたワクチン接種のやり方を見ていると、政府はその後者を選択したということがわかります。

政府が選択したワクチン接種の目的とプロセスを考えれば、感染拡大を阻止し、感染を終息させるにはもうしばらく時間がかかるというのは仕方ないことです。こうなるだろうということは十分予想できましたから。とはいえ、まがいなりにもワクチンはその効果を発揮しています。そのワクチンの効果をさらに明確にし、一日も早く感染拡大を鈍化させ、流行を収束させるためには、これからはひとりでも多くの人がワクチンを受けなければなりません。たとえ副反応や異物混入のニュースがあろうとも、ワクチンが有効であり、接種を広げていくことが重要であるということにかわりありません。

では、今の時点で現在のワクチンにはどのような評価がくだされているのでしょうか。アメリカやイギリスといったワクチン生産国ではすでにたくさんの人が接種を受けていて、さまざまな治験がおこなわれ分析されています。そして、これまで憶測だったり、予測にすぎなかったことが、少しづつではありますが明確になってきました。今回のブログでは、そうした知見をできるだけわかりやすく解説したいと思います。それらのことを通じて、ワクチンへの根拠のない不安や不信感を持ち、接種をためらっている人にも「打ってみようかな」と思ってもらえればいいのですが。

まずはデルタ株に対するワクチンの効果についてです。英国のデータによると、デルタ株感染による全死亡率は0.3%だということです。同じ変異株でもアルファ株(英国で流行がはじまったもの)が1.9%とのことですから、以前、私がお話ししたように「デルタ株の新型コロナウィルスは、感染しやすいが病原性は決して高いとは言えない」ということのようです。とはいえ、ワクチンを接種することによってデルタ株に対する抗体価は一時的に上昇するものの、その後低下がはじまるということがわかっています。そこで、デルタ株に対しては3回目の接種が検討されているのです。

デルタ株に対する抗体価は2回目の接種によって8か月間はそのピークを維持し、徐々に低下することがわかっています(アルファ株の抗体価はほとんど低下しないとされています)。これが「3回目の接種」を必要とする根拠です。抗体価の低下は高齢者ほど大きく、3回目こそむしろ高齢者からの接種が必要です。私の想像なのですが、なんとなく政府は「今回の感染拡大に対する対策の反省から、3回目は現役世代から接種する」などとやりそうで不安です。これまでのすべての対策が、後手後手でちぐはずで頓珍漢ですから。こうした愚策が繰り返されるのは諮問する専門家会議の無能さが原因です。

なお、デルタ株に感染しても、ワクチンを接種していない人は新しく感染を拡大させそうなラムダ株に容易に感染します。しかし、ワクチンを2回打ったあとでデルタ株に感染した場合であれば、すべての変異株に抗体価をもつことがわかっています。つまり、もしデルタ株に感染したとしても、ワクチンを接種していればすべての変異株に感染する可能性は低くなるのです。「ワクチンを打っても感染するの?」と思う方もいるかもしれません。現在、指摘されているワクチンの効果は、感染リスクを60-80%低減し、感染しても重症化するリスクを90-98%低減するとされています。

イスラエルでの検討によれば、すでに新型コロナウィルス(COVID-19)に感染した人は、未感染でワクチンを2回接種した人に比べて、COVID-19発症率はわずか27分の1であり、COVID-19に関連した入院率も8分の1だったと報告しています。そして、その対象者に死亡者はひとりもいなかったそうです。一方、既感染者でワクチンを1回だけ接種した人は、感染したのみでワクチンを接種していない人と比べて再感染するリスクも半分程度に低減できるとも報告しています。それらの結果からイスラエルやEUの先進国では既感染者へのワクチン接種は1回となっています。

米国CDC(米国疾病予防管理センター)が発表したカリフォルニア州の分析は次のようなものでした。ワクチン未接種者(未接種者)は2回の接種を完了した人(完了者)と比べて感染率で4.9倍、入院率は29.2倍高かったとのこと。なかでも、ファイザー社のワクチンを打った完了者にかぎると、人工呼吸器を使用した完了者の割合は3.2%だったのに対して未接種者では7.6%でした。死亡率に関しては未接種者は0.6%でしたが完了者では0.2%。死亡例の年齢中央値は未接種者で63歳だったのに対して完了者では78歳と、ワクチン未接種の死亡は年齢層が低くなっていることがわかります。

というわけで、ワクチンを接種しても感染はします。2回接種したあとで新型コロナウィルスに感染してしまうことを「ブレイクスルー感染」といいます。日本での感染者の8割はワクチンを接種していない人だといいます。つまり、感染者の中でのブレイクスルー感染はおおむね2割です。しかし、重症者や死亡者に2回接種を完了している人はほとんどいないだろうともいわれています。英国での統計では、50歳以上の死亡率は、非接種者で6.5%であるのに対して、1回・2回をあわせた接種者全体では1.9%と、ここでもワクチンは感染者の命を守っていることがわかります。

アメリカでは全人口の6割以上が、これまで少なくとも1回のワクチンを接種しています。そのアメリカでブレイクスルー感染のクラスター(496件)が発生しました。感染した人の74%がワクチン接種を完了した人たちでした。そして、それらの感染の89%がデルタ株によるものでした。感染した人たちの多くはマスクをせずに集会に参加した人たちだったとはいえ、今更ながらデルタ株の感染力の強さがわかります。しかし、その感染者のほとんどが「軽い風邪の症状(咳、頭痛、咽頭痛、筋肉痛)」で済み、入院を要したのは5名(うちワクチン接種完了者は4名)のみであり死亡した人はいませんでした。

この例だけを見てもワクチン接種とマスク着用の有効性がわかりますが、今もワクチンの副反応を恐れて接種に腰がひけている人は少なくありません。しかし、なんども言うように、副反応は「あってはいけないもの」ではありません。体がワクチンにきちんと反応しているから生じる症状ともいえます。もちろん健康被害につながるようなものはいけません。しかし、発熱にせよ、頭痛や倦怠感にせよ、通常は翌日または数日で消失するものです。辛ければ解熱剤なり頭痛薬なりを服用すればいいだけのことです。副反応を恐れて接種しないでいるとすればそれは愚かなことです。

一回目に強い副反応が出た場合に「二回目を打ってもいいのだろうか」と不安になる人もいます。アナフィラキシーと呼ばれる重篤なアレルギー症状の出現率は、ファイザー社製ワクチンで100万回あたり7件、モデルナ社製で100万回あたり1件とされています。そこで、アメリカでは1回目にアナフィラキシーあるいは遅れて強いアレルギー症状がでた人に2回目のワクチンを接種する検討がおこなわれました(すごいですね)。日本では絶対にこんな検討はおこなわない(おこなえない)でしょうから。その結果、アナフィラキシーをおこした人たちを安心させる結果が得られました。

それは1回目にそれら重篤な症状を起こした人に2回目のワクチンを接種したところ、その20%に軽い症状がでたものの全員が安全にワクチン接種を完了したというものでした。アナフィラキシーのような強いアレルギー反応を起こした人ですらそうなのですから、接種後に通常よりも強めの副反応が出たとしても安心して2回目のワクチンを受けることができます。ですから、当院にワクチン接種に来られ、1回目の接種で強めの副反応を起こした方には、こうしたアメリカでの検討結果を説明して、2回目も問題なく打てます(でも怖かったらやめてください)とお話ししています。

すでに新型コロナウィルスに感染した人にも同じことがいえます。アメリカのCDCでは、前述のイスラエルなどと異なり、既感染者に対しても2回接種を推奨しています。単に感染しただけでは抗体価が十分にあがらないことがあるからです。以前、TVで「既感染の人はワクチン接種は不要」と解説したコメンテーターがいましたがそれは間違いです。私個人としては既感染の方に「とりあえずは1回目のワクチンを接種し、なにか不安になるような副反応があったら2回目は遠慮してはどうでしょうか」とお話ししています。今のところ1回目の接種後の副反応が強く2回目を中止した人はいません。

感染の拡大が落ち着いてきたように見える最近の変化はやがて感染者数の確実な減少に転じるでしょう。若年者あるいは現役世代へのワクチン接種が今以上に広がれば、ふたたび感染者が増加に転じることはしばらくないと思います。ただ、現在のインフルエンザの効果は半年から10か月ほどしか継続しないとされており、とくに高齢者においては抗体価が急速に低下することが指摘されているため、年が明けたぐらいの頃から3回目のワクチン接種が必要になるでしょう。そうした対応に向けての検討がアメリカを中心にすでに行われ、イスラエルはこの9月から3回目の接種がはじまります。

アメリカでは異なるワクチンを接種した場合の効果を評価する治験がおこなわれました。それによると、1回目にアストラゼネカ製ワクチン(ベクターワクチン)を、2回目にファイザー製またはモデルナ製ワクチン(mRNAワクチン)を接種した場合、武漢株に対しては20倍強の抗体価の増加が、ベータ株に対しても20倍弱の抗体価の増加がみられることが確かめられています。そして、その接種方法はデルタ株にも同様の効果があるのではないかといわれています。ちなみに2回ともベクターワクチンを打ってもベータ株に対する抗体価は増加しませんでした(これが英国で再流行した理由です)。

一方、1回目にアストラ製を2回目にファイザー製を接種した場合を、2回ともアストラ製ワクチンを接種した場合と比べると13000対1400の強さで前者が有効でした。実際には「有効だったかどうか」を確かめたのではなく、「劣っていないことを確認」する非劣勢試験をしたにすぎません。でも、あの抗体価の違いを見ればわかりますよね。また、1回目にファイザー製を2回目にアストラ製を接種した場合を、2回ともファイザー製ワクチンを接種した場合も比較しています。それによれば、前者が7100対14000の強さで「非劣勢は否定」、つまり「劣っているかもしれない」という結論になりました。

このように、異なるワクチンを接種したとしてもワクチンの効果に変わりはなく、ファイザー社製のワクチンを受けた人にはワクチンのタイプが異なるアストラ製を3回目に接種するかもしれません。それは2回の接種に要する費用が製法によって大きく異なるためです。2回の接種に約5000円の費用がかかるといわれるファイザー、あるいは約4000~8000円のモデルナ、約1000円のアストラ製のどれを使用するかでワクチン接種にかかる費用を抑制することができます。日本でも来年早々にも開始されると噂される3回目のワクチン接種。現在、いろいろな検討がなされていることでしょう(と信じたい)。

今やワクチンの効果ははっきりしています。デルタ株をはじめとする変異株に対する効果も確認されています。副反応などの問題もとくに不安になるようなものではないこともわかりました。その意味で、今でもワクチンの接種しようか迷っている人はあらためて考えてみてください。ワクチンの接種は自分自身だけでなく、周囲の人たちをも守ります。確かにワクチン接種は強制ではありません。しないのも自由です。しかし、今、重症化し、亡くなっている人のほとんどがワクチン未接種であるという現実は重く受け止めるべきです。どうか冷静に状況を判断し、行動していただきたいと思います。

それからもう一言。ワクチンを2回接種しても新型コロナウィルスに感染することはあります。しかし、感染しても通常の風邪のような症状にとどまることが多い。ですから、「ワクチンは接種済みだし、症状も軽いので新型コロナじゃない」などとタカをくくらないことです。ましてや「このぐらいなら風邪薬を飲んで様子をみよう」などと考えてはいけません。軽い症状で風邪薬を服用すればそれなりに仕事ができてしまいます。そうなれば家族や職場の人たち、周辺のたくさんの人に移してしまう危険性があります。くれぐれも「風邪薬を飲みながら仕事、外出」はしないでください。どうかこのことだけは心にとどめておいてください。

 

ワクチン接種完了

5月17日、私と職員全員で新型コロナウィルスワクチンの接種に行ってきました。4月26日に1回目を、そして、今回は2回目の接種でした。これで私たちのワクチン接種は完了です。今回のワクチンについてはいろいろな情報が錯綜し、ワクチンを接種すべかどうか迷っている人は少なくありません。私たちの経験がそうした人たちの参考になれば幸いです。

私自身は「ワクチン接種すべし」という立場です。このワクチン接種については賛否両論があります。賛成する人の主張にも、反対する人の主張にもそれぞれの言い分があります。とはいえ、この1年半もの間、新型コロナウィルスは流行を繰り返し、社会生活に大きな影響を与えてきました。このウィルスの流行を一日も早く収束させ、社会を正常化しなければなりません。そのためにどうしたらいいのか。わたしはここに重点をおきながら、私見をまじえて論を進めていきたいと思います。

現在も一部の地域で感染が拡大しています。これまで9都道府県に緊急事態宣言が発令されていましたが、21日には沖縄県が追加されました。宣言下にある地域では、商店や飲食店での営業はもちろん、一般の人にも自粛が強く求められ、さまざまな社会活動が制限されています。この制限が適正かどうかを断言することはできません。しかし、もはや人々の自粛や我慢にも限界が近づいています。その意味でもワクチン接種による感染拡大阻止への期待は大きいはずです。

我孫子市でもようやく高齢者への接種がはじまりました。しかし、ワクチン接種がどのような目的でおこなわれているかを改めて考えてみると、順次進められているワクチン接種にはいくつかの疑問がわいてきます。ワクチンを接種するのは感染を予防し、拡大するのを阻止するためです。しかし、これを「広義の目的」とすれば、「狭義の目的」とは「コロナ死」を減らすことであり、「経済死」を減らすことにあるのではないでしょうか。

コロナウィルスに感染して死亡することが「コロナ死」です。コロナ死で亡くなった人たちの平均年齢は約80歳だそうです。高齢の感染者が高率に亡くなっているのです。しかし、感染拡大が勢いを増している地域では、コロナ死もさることながら、営業の自粛を余儀なくされお店や会社のの経営が立ち行かなくなって自殺に追い込まれる人たちがいます。これが「経済死」です。このふたつの「死」から国民を守ることが政治の役割です。

もし、コロナ死を減らすためならば、高齢者からワクチン接種を始めることは理にかなっています。高齢者は、新型コロナウィルスに感染すれば高い確率で重症化、死亡するリスクを抱えているからです。しかし、「経済死」を減らすためであるならば、一刻もはやく感染拡大を収束させ、社会の機能を正常化させなければなりません。そのためには高齢者よりも、むしろウィルスを運ぶ人たち(「ベクター」といいます)、すなわち若年者や現役世代の人たちに重点的にワクチンを接種すべきです。

ついでに付け足すならば、高齢者施設の高齢者を守るために、入居している高齢者を優先してワクチン接種するのは間違いです。高齢入居者はほとんど外出をしないからです。入居者と職員が同時にワクチン接種ができないのであれば、外部から施設内にウィルスを持ち込むベクターになりうる職員にまずワクチン接種をすべきなのです。それぞれの施設や環境を考慮した優先接種の在り方など考慮している時間がなかったのかもしれませんが対象者の選択があまりにも雑です。

政府は「高齢者からの接種」「大都市と地方との区別のない接種」を強調します。しかし、感染の拡大を一刻も早く止めたいのであれば「高齢者よりも若年者あるいは現役世代」「感染者の少ない地方よりも流行している地域」からワクチン接種をはじめるべきです。ところが、このようなことが理性的に議論された痕跡がどこにもありません。それとも私の知らないところで議論はされたが「それでは政治的もたない」という理由で却下されたのでしょうか(とてもそうとは思えません)。

本来であれば日本医師会からこうした議論を投げかけてもいいはずです。「コロナ死と経済死のどちらを優先して減らしていくのか」、「そのための接種の優先順位はこうするべきではないか」などなど。そうした政策提言が日本医師会からあってしかるべきなのです。にもかかわらずマスコミを前にして日本医師会長が主張することはあいも変わらず「とにかく自粛しろ」「緊急態宣言をしろ」ばかり。しかも国民に自粛させて会長自身は「自由行動」というのでは筋が通るはずもありません。

 

前書きが長くなってしまいました。新型コロナウィルスワクチンを接種したときのことに話しを戻します。私と当院の職員は4月26日に第1回目のワクチンを受けるために接種会場に行きました。会場となった大きな会議室は人のながれを考えた効率的な配置になっていました。会場の入り口で必要書類を渡すと、待たされることもなく医師の問診エリアにまわされ、すぐにワクチンの接種場所に誘導されました。そこには接種を担当する看護師が立っていて肩を出すようにうながされました。

注射の針が肩に刺さろうとしたとき、私は心の中で「痛ければいいなぁ」と思っていました。ワクチン接種の様子を伝えるニュースではよく「全然痛くなかった」という声があります。しかし、本来、今回のワクチンの接種でおこなわれる筋肉注射は痛いものなのです。にもかかわらず「痛くない」という人たちにおいては「筋層にまで針先が届いていないのでは?」と不審に思っていました。ですから、「針先よ、筋層に届け」とばかりに「痛ければいいが」と念じていたわけです。

看護師は慣れた手つきで注射針を私の肩に刺しました。針が刺されたときと薬液が入る時に少し痛みを感じました。私はホッとしました。「ちゃんと筋肉に入ったんだ」と思ったのです。経過を見るための場所に移動して、一緒に接種した当院の職員と世間話しをしているうちに15分が経ちました。あっという間のワクチン接種でした。すでに接種した知り合いからは注射直後に軽い倦怠感を感じたと聞きましたが、私にも職員にも特段の変化はなくその日は終わりました。

床に就いた私はなんとなくワクチンを接種した左上腕に重だるさを感じていました。そして、「明日、目が覚めたときに筋肉痛になっていればいいなぁ」と思っていました。それは「筋肉痛=ワクチンの薬液が筋層に入ったこと」を意味するからです。そして、翌朝、期待通りになりました。左肩の三角筋に痛みがあったのです。痛みはありましたが、腫れたり、発赤が出現するといったことも、また、熱発も頭痛も倦怠感もありませんでした。

三角筋はぶらりと垂らした腕を飛行機の翼のように持ち上げるときに使う筋肉です。ワクチン接種の翌日、その三角筋が痛くて腕を翼のように持ち上げられないのです。これはまさしく三角筋の痛みでした。職員にも聞いてみましたが、皆私と同じように三角筋の痛みがあって腕が持ち上がらないと言っていました。心配そうな表情をする職員もいたので私はあらためてワクチンの作用機序と今後起こるかもしれないことについて説明しました。

 

以下、説明したこと *************

筋肉が痛いということは薬液がきちんと筋肉にはいったということ。決して不安に感じることじゃないよ。今後、微熱が出ようと、頭痛が起ころうと、腫れてこようと「有害事象」と呼ぶような極端なものでなければ心配ない。数日で収まってしまうことだから気にしないこと。副反応など考えようによっては「ワクチンが効いている」という証拠。「二回目の接種後の副反応は強くでる」という人もいるけど、それは「一回目のワクチンが効いている」からなので心配しないこと。あくでも「有害事象」といえるほど症状が強いかどうか。事前に解熱剤(鎮痛剤)を服用するということはしない方がいいよ。飲まないでいられるのなら飲まないで様子を見ること。

以上 ************

 

接種翌日に出現した筋肉痛はその日のうちに軽くなり、次の日にはほとんどなくなってしまいました。私が事前の思っていた通りの反応といってもいいものでした。それ以降、これといった症状はなく、世の中で言われているほどワクチンの副反応に不安を持つ必要がないことを確信しました。とはいえ、二回目のワクチン接種に向かう時、職員は「二回目の副反応は強くなるかも」という点が心配になっているようでした。そこで私は次のように再度説明しました。

 

以下、説明したこと *************

二回目の接種による副反応が強かったとしても、それは一回目のワクチンがうまくいっていればいるからだと考えればいいんじゃないかな。ものは考えようだと思うよ。「二回目のあとには腕が腫れあがってしまった」という人もいるけど、僕はひそかに「そいう人は知らない間にコロナウィルスに感染していた(こういうケースを「不顕性感染」といいます)」のではないかと思っているんだ。WHOではコロナに感染した人にもワクチン接種を推奨しているし。腫れてもたかだか2,3日のことだろうね。熱発や頭痛が出てきても、つらくなければ解熱剤(鎮痛剤)を飲まないようにね。もちろんつらければ飲んでもいいけど。

以上 *************

 

日頃の診療で私は患者に「熱が出てもできるだけ解熱剤は使わないように」と指導してきました。もちろん今は「正確な体温がわからなくなるから」と説明しますが、本来は「熱がでるということはからだの免疫応答のひとつであり、熱発をきっかけに免疫反応が本格化するから」です。熱があるからといってむやみに体温を下げると免疫反応をさまたげる可能性があります。だからこそ「早めにパブロン(風邪薬)、はダメですよ」と繰り返し言ってきたのです。

5月18日のウォールストリートジャーナル紙には「ワクチン副反応、なくても予防効果あり」と表題のついた記事が掲載されました。その記事を読めば、私の言ってきたことが単なる個人的な見解ではないことがわかると思います。表題にあるように「副反応の少ない人もワクチンの効果はある」と書かれるということは、裏を返せば「副反応」はワクチンの効果をしめすものとしてとらえられていることを示しています。このような論調は日本のどのマスコミからも聴かれないことです。

というわけで、あっという間に第2回のワクチン接種は終わりました。職員のなかには接種当日の夜に熱発と軽い倦怠感があった者もいましたが「有害事象」といえるほどのものではありませんでした。当然のことながら解熱剤(鎮痛剤)を服用することはありませんでした。私は1回目と同じような筋肉痛がありましたが、程度はやや軽く、少しだけ「腫れた感じ」がありました。でも、翌日には症状はすっかりなくなって通常通り。結果として私と当院の職員には大きな問題は起こらずにワクチン接種は終了しました。

 

我孫子市でもワクチン接種がはじまり、患者さんから「私はワクチンを打てますか?」と質問されることが多くなりました。そんなとき私は答えます。「端的にいえば、どんな病気を持っていても新型コロナウィルスワクチンを接種することができます」と。「基礎疾患」があろうとなかろうとワクチン接種にはほぼ関係がありません。アレルギー歴に関しても、ポリエチレングリコール(PEG)に対するアレルギー歴がなければおおかたのアレルギー反応の経験があっても接種は可能です。

ちなみにPEGは大腸検査のときに使う下剤あるいは化粧品や軟膏にふくまれているときがあります。したがって、こういったものでひどいアレルギー反応を起こしたことがある人は注意が必要です。主治医あるいは接種当日の診察医に相談する必要があります。ただし、あきらかなPEGアレルギーでないかぎり「本人の意思」ということになるでしょう。でも、もし私の患者にPEGアレルギーを疑う履歴があれば、その人には「残念だけどやめといたら」とアドバイスすると思います。

ちなみに、アメリカでは「妊婦も接種可能」ということになっています。これまで妊婦に対する接種経験数が少ないため安全性は確認されていません。しかし、今のところ積極的に「妊婦は接種禁忌」とするだけの根拠はありません。「接種するリスクよりも、しないリスクが高い」と判断されての結論なのでしょう。ちなみに、世間で噂され、ワクチン接種に反対する人たちの間で噂されている「新型コロナウィルスワクチンと不妊」については「関連性に根拠なし」とされています。

現在わかっているワクチンの有害事象は次のとおりです。日本では5月上旬までにワクチン接種後に死亡した症例が28名います。多くは高齢者であり、直接の死亡原因としては脳出血、くも膜下出血が多いようです。もちろん若年者もいます。しかし、若年者ほど死因がはっきりしません。このような背景もあって、この28例は全例「死因とワクチン接種の因果関係は判断できない」とされています。なお、日本での新型コロナウィルスワクチン接種は現在550万回です(26日に1000万回を超えました)。

全世界では15億回ほどのワクチンが接種されています(22日現在)。みなさんが心配しているアナフィラキシーショックと呼ばれる重篤なアレルギー反応ですが、今のところ発生する頻度としては25万回に一回程度ということになっています。その多くがワクチンを接種して30分以内に出現しており、適切な対応がなされたため死亡例はまだないようです。もし、皆さんがワクチンを接種する場合は、接種直後に体のほてりやかゆみ、息苦しさや動悸などを感じたら会場の職員にすぐ伝えてください(まず起こりませんけど)。

ちなみにジョンソン&ジョンソン社のワクチンで騒がれた血栓症ですが、頻度としては80万回の接種に対して15例の関連血栓症が疑われています。80万回というと、我孫子市と柏市、流山市に住む生まれたばかりの新生児から100歳を超える高齢者までの全人口をあわせたくらいの数です。この人たち全員にワクチン接種をして15例の血栓症が起こるかどうか。それを「恐ろしい」と感じるかどうかということです。現在、広く日本で接種されているファイザー社のワクチンでは血栓症の報告はなさそうです。

私はワクチンを接種すべきか迷っている人には「打つリスクより打たないリスクの方がよっぽど高いですよ」と言っています。感染はしばらく続きます。「流行」からなかなか逃れられない以上、ワクチンを接種して感染のリスクを減らすことが何より大切です。昨年の今ごろ、「検査をもっとたくさんやれば感染拡大を抑えることができる」と主張する人が少なからずいました。でも、東京よりもはるかに多くの検査をしてきた大阪のつい最近までの様子をみればその答えは明らかだと思います。

検査は安易に行うべきではありません。今よりも医療体制が整っていなかった昨年、「もっとたくさん検査を」という声に社会が押し切られていたら医療は確実に崩壊していたと思います。ロンドン大学の某日本人教授も、どこぞのクリニックの院長も、いろいろなTV番組で「もっと検査を」と叫んでいました。医学の常識を軽視したそんな言説を真に受けた大臣は今もなおコロナ対策の陣頭指揮に立っています。そして、その大臣はいまだに国民に我慢と自粛と負担を強いるのみです。

感染拡大を抑えるにはワクチンを集中的に接種するしかありません。その対象者はワクチン接種の目的に応じて合理的に決めなければなりません。にもかかわらず、その場しのぎの対応策と大衆迎合的な政策が小出しにされ、新型コロナウィルスを封じ込める有効策も後手にまわるのみで十分ではありません。今のコロナ対策には司令塔がいません。日本医師会も政権のブレインとはとてもいえない状況です(会長があのザマですから)。ワクチンの社会的効果が待ち遠しくもあり、またその効果があらわれて日本の経済が早期に正常化できるのだろうか心配だというのが今の私の正直な気持ちです。

心に残る患者(8)

私はかつて総合診療部という部署に所属していました。「総合診療」という言葉を聞いたことがある人は多くないと思います。聞いたことがある人でも、それがどのような機能をもっているかまでを知っている人はごく少数でしょう(「総合診療など『なんでも内科』どころか『なんでもない科』だ」などと揶揄されたこともあります)。私がまだ医学生だった頃、「全人的医療」という言葉がいちぶの学生の間に広まりました。全人的医療とは「単に病気を診るのではなく、悩めるひとりの人間として理解して診療をしよう」というスローガンです。

総合診療部が全国の大学病院に設立されたのにはそうしたながれと無関係ではありませんでした。専門化、細分化した医療のなかで、適切な医療を受けられずに悩んでいる患者をあつかう診療科が求められるようになってきたためです。専門的な診療が集約された大学病院では、どの専門診療科が担当するのかはっきりしない患者がいます。どこにいっても「我々が診療する患者ではない」と、いわばたらい回しになる患者が少なからずいたのです。そうした患者の受け皿として総合診療部ができた「はず」でした。しかし、実際にはそれぞれの大学のさまざまな思惑で総合診療は作られていきました。

ある総合診療部ではアメリカの家庭医のごとく、内科・外科・小児科はもとより、産婦人科や耳鼻科、皮膚科といった幅広い臨床能力を有する医者を養成しようとしました。またある総合診療部は心療内科のような、心身症といった心理的な背景をもとにした身体的症状をあつかう診療を目指しました。さらにある総合診療部では単に大学のポストを増やす方策として利用され、実質的になにをやっているのかわらない総合診療部すらありました。結局、総合診療の必要性が叫ばれながらも、社会的なニーズとの整合性がとれないまま、総合診療部がタケノコのように次々とできていったというのが実情です。

私が所属していた北海道大学医学部附属病院総合診療部も、当時大学病院での位置づけがはっきりしていませんでした。総合診療部としての明確な理念がないまま、各専門診療科が「うちの患者ではない」と紹介してくる患者をあつかう心療内科のような診療に甘んじていました。私は学生のころから臨床心理学や精神療法に関心を持っていたので、その関連書籍をいろいろ読んできました。しかし、それらを実際の診療に活かすとなると具体的な指導が必要です。 私のいた総合診療部では、心療内科的なトレーニングも経験もない医者それぞれが自己流の診療をしている、という状態でした。

あるときは「手のひらから虫がでてくる」と訴えて皮膚科から回されてくる患者が来ました。またあるときは「私は昭和天皇の隠し子だ」と言っている患者が送られてきたこともありました。どちらも本来は精神科が担当すべき患者です。しかし、さまざまな理由で患者に「精神科に受診しなさい」と言えないケースはまず総合診療部にまわすという暗黙のルールができていました。精神科の診療など未経験の私にとって、そうした患者を診療するのは正直しんどいことでした。私は、総合診療部の運営に明確なビジョンをもたず、こうした現状を放置している上司に不満を持っていました。

「心療内科的な患者」をどう扱うべきなのか、迷いながら忙しくしていたある日、ひとりの外国人が私の外来を受診しました。彼は工学部の大学院にサウジアラビアから留学してきた男子学生でした。問診票に彼が書いた文字はなく、受付スタッフの字で「消化器科からの紹介」とだけ書かれていました。診察室に入ってきた彼は、学生とはいえすでに30歳を超えているように見えました。私は英語で「日本語は話せますか?」と聞いてみましたが、彼は顔を横に振り、身振り手振りで日本語は話せないと伝えているようでした。

しかし、話せないのは日本語だけでなく、英語での会話も十分にはできないようでした。簡単な英単語は通じても、コミュニケーションがとれるほどの会話にはならないのです。はじめは「留学生のくせに英語も話せないのか」とあきれていましたが、自分の思いを必死に伝えようとする彼の姿を見てなんとなく気の毒になってきました。そして、彼の話しに耳を傾けるうちに、どうやら数か月前から胃の痛みと食欲不振が続き、消化器内科を受診したがよく話しを聴いてもらえないまま「総合診療部に行くように」といわれた、ということがわかりました。

はじめは緊張して表情に余裕がない彼でしたが、簡単な日本語と英単語を使って「会話」を続けていると、彼の表情が徐々に緩んでくるのが見て取れました。ときに冗談を交わしながら、今の彼にとって必要なのは、胃カメラなどの検査ではなくこうしたコミュニケーションなのではないかと思いました。とりあえず、胃の負担を軽減する薬を処方し、その効果を見ながら必要に応じて検査をすることにしました。診察室を出ていくときの彼には笑顔がありました。そのとき私は大学に総合診療部がある意味のひとつはこういうことかもしれないと思ったのでした。

一週間ほどして彼はまた外来にやってきました。私は薬を飲んでみて症状はよくなったかと尋ねてみました。すると彼は「症状の改善はあるがまだ十分ではない」と答えました。そこで今回は前回よりも少し立ち入った話しを聴くことにしました。暖かい中東とはまったく環境の異なる北海道での生活は、彼にとってはさぞかしストレスなのではないかと思ったからです。すると彼はいろいろなことを話してくれました。彼がサウジの王族の一員であり、妻と子供を母国に残してやってきたこと。今回の留学は「箔付け」のための遊学だったことなどが明らかになりました。

言葉の問題で大学院の授業にも、また実習にも支障がでていた彼にはそれなりにプレッシャーだったに違いありません。しかも、所属する研究室の教授は、一日に五回、メッカの方角に向けて礼拝しなければならないムスリムの務めに対しての配慮がなく、彼は自分にとってはそれが一番つらいことだと言いました。多くの日本人は信仰というものを日頃意識していません。ましてや、ムスリムの独特な日常に知識のある日本人など少数だと思います。教授がそんな典型的な日本人であれば、拝礼に対する配慮など想像もつかなかったのかもしれません。

私は工学部に電話をして、ムスリムである彼に礼拝するためのスペースと時間を設けてやってもらえないか頼みました。彼の症状を治すためには、薬を処方することよりも今の環境を整えてあげることの方が大切だと思ったからです。彼はその後しばらく外来に来ませんでした。私は彼のことをすっかり忘れていて、数か月ぶりに彼のカルテが私の手元に来たときになってようやく長期間来院がなかったことに気がつきました。彼が診察室に入って来るまでの間、私は「症状がよくならず別の病院に行ってしまったのだろうか」と思いをめぐらしていました。

診察室に入ってきた彼は笑顔でした。久しぶりに私と会った照れくささからか、それとも症状が良くなったからかわかりません。しかし、私の前に座った彼は「教授が礼拝する場所と時間を作ってくれた」とうれしそうでした。「胃の調子は?」と尋ねると、彼は「オーケイ、ダイジョウブ」とにこやかです。その様子を見て私はなぜかほっとしました。胸のつかえがとれたという感覚といってもいいでしょう。彼が胃の不調を訴えたのは、慣れない環境に住むストレスだけではなく、ムスリムとしての務めができなかったことに対するストレスが大きな原因だったのかもしれません。

だいぶ経って、彼はもう一度私の外来にやってきました。今度は付き添いの人と一緒でした。それは奥さんと小さな息子さんでした。二人は彼と日本で生活するために中東からやってきたのです。奥さんはヒジャブと呼ばれるスカーフをかぶっていました。サウジアラビアは中東でもとくに戒律の厳しい国であり、女性はアッバーヤという黒いマントを頭からすっぽりとかぶって顔を隠さなければいけないことを知っていた私は、奥さんのヒジャブを指さして「アッバーヤ、オーケイ?」と言いました。すると彼はとびっきりの笑顔で答えました。「ココ、ニホン。ダイジョウブ」。

美人の奥さんとかわいい坊ちゃんとの三人で暮らすことになった彼は、それ以来、私の外来を受診することはありませんでした。私が北大の総合診療部に入局したのは、特定の臓器・疾患に偏らない総合内科的な診療を身に着けたいと考えたためです。また同時に、そうした能力を身に着けた医師の養成が総合診療部の役割だとも思っていました。しかし、あの中東からの留学生を診療する経験を通して、心理的な側面から患者を理解し、問題解決の糸口を模索することも総合診療の重要な役割だと感じました。そしてその経験は今の私の診療にも生きています。

全国に次々と設立された総合診療部でしたが、その後、多くが大学病院の中での位置づけが定まらないまま統合あるいは廃止されてしまいました。北大の総合診療部もそのひとつです。それは総合診療の概念を具体化できなかった当時の指導的立場にある人たちの責任です。私は総合診療部に籍を置いていたときから「このままでは総合診療がなくなってしまう」と危惧していました。そしてそれは現実のものとなってしまいました。今でも「病気を診ずして病人を診よ」という言葉が恥ずかしくなるような医療をしばしば目にします。そのたびに総合診療部がなくなってしまった事実の重さを痛感します。

回答にかえて

今回のブログは今までになく長くなってしまいました。読みづらいかもしれませんが、まとめて書きましたのでご了承ください。

先日、このブログへの感想とともにご質問が寄せられました。そのなかで、今の新型コロナの感染状況についてどう感じているのかを教えてほしいとのご要望がありました。これまで何回かにわたり、その時点でわかっていること、あるいは自分なりの見解を発表してきました。しかし、その時正しかったことが今は否定されたり、また、その後、明らかになったこともあります。その辺のこともふくめて、あらためてまとめます。
ただ、あらかじめ申し上げておきますが、ここには私の個人的な見解が含まれています(これまでの記事すべてがそうですが)。私の「好き、嫌い」「すべき、すべきじゃない」に関しては、価値観の違いから、あるいは立場の違い(医療従事者と患者という意味)から、読者のみさなんには不快な思いをさせてしまうかもしれません。でも、当ブログは私の意見表明の場でもあり、あたりさわりのないことを書いても意味がないと考えています。

これまで繰り返してきたように、「新型コロナ感染は風邪をひくことと同じではありません。しかし、軽症であればそれがたとえ新型コロナウィルス感染症だったとしてもほとんど風邪」です。新型コロナはインフルエンザよりも少し怖い程度だという人もいます。そんなことをいうと「認識が甘い」といわれるかもしれません。「放射能の危険性に対する認識が甘い」と書かれたメモ用紙をポストに投げ入れられたときのように。
しかし考えてみて下さい。「ワクチンを打ちましょう」と繰り返しても、「めんどくさい」とか「これまでかかったことがない」という理由でワクチンを打たなかった人は少なくありません。そのインフルエンザで毎年3000人の人が日本で亡くなっています。今回の新型コロナによって亡くなった人は約1年で4000人ほど。新型コロナではまだワクチンを接種した人がいなくてこの数字です。これって多いといえるのでしょうか。

超過死亡という用語をご存知でしょうか。「例年、このくらいの人が亡くなっている」という数字が統計的に推定できます。その推定される値を越える死亡者数を「超過死亡」といいます。ここでの死因はさまざまです。肺炎だったり、癌だったり、交通事故だったり、自殺だったり。つまり、超過死亡が増えたということは、何らかの原因によって社会的損失としての死者が多くなったということを意味します。
連日、マスコミの報道によって、皆さんは「新型コロナウィルスが猛威をふるい、バタバタと人が死んで、社会がとんでもなく混乱している」と思っているのではないでしょうか。しかし、海外の国々の超過死亡が増える中、日本の超過死亡はむしろ減っているのです。理由はさまざまです。新型コロナのおかげで日本人の衛生意識が高まり、重症感染症そのものが減ったのか。それとも極端な自粛によって交通事故死が減ったのか。

世の中をかけめぐる情報のうち、かなりの割合で枝葉末節なことが針小棒大に報道されています。場合によっては根拠のない情報を伝えるフェイクニュースや、恣意的に世論を誘導するような偏向ニュースが飛び交っていることすらあります。多くの人は「PCR検査陽性者(=感染者?)の数の多さ」に一喜一憂します。しかし、この中には軽症者やまったく症状のない人が含まれています。本来は重症者がどのくらい増えているかに注目すべきです。
新型コロナの感染拡大のおかげ(?)でか、実は社会的損失としての死亡者はむしろ減っています。これは衛生意識が高い日本ならではことかもしれません。そのような中で、新型コロナによる「死者数(コロナ死)」を考える際には注意が必要です。コロナ死の定義が市町村によって異なるからです。今は容易に(安易に?)PCR検査がおこなわれます。自殺した場合も、癌で亡くなったとしても死後にPCR検査で陽性とでれば「コロナ死」となるのです。

検査はなんのためにするのでしょうか。私はこのブログで何度も「検査はあくまでも怪しい人にやるもの」とご説明してきました。しかし、とある一本の論文が海外の科学雑誌に掲載されました。「検査をたくさん実施すれば感染拡大の抑制に寄与する」というものです。この論文を根拠に「ほらみろ。検査はやればやるほどいいんだ」と勢いづく人もいます。しかし、国民性や医療制度の異なる国での研究成果を単純に日本にあてはめることはできません。
こうした私と同じ意見をもつ医師は少なくないと思います。しかし、中には「検査をもっとやれば感染拡大をおさえられる。もっと検査をやるべきだ」と考える医師もいます。でも、そうした医師の多くは、自分のクリニックで大々的に検査をやっていたり、そうしたクリニックとの関連性があります。利益相反ってやつでしょうか。いずれにせよ、「検査陽性は入院が原則」の日本で検査をむやみに増やせば医療は崩壊します。

現在のPCR検査の感度はかなり高くなり、疑陽性はほぼないといわれています。しかし、陽性となったとしても、ウィルスのかけらが検出されたにすぎない人や、発症したり他の人にうつす可能性が低いほどの少量のウィルスを保有していたにすぎない人もいます。そんな軽症な人であっても、今、日本で新型コロナウィルスはエボラウィルスと同じ感染症法の二類のままになっており、検査が陽性になった時点で入院させるのが原則になっています。
多くの人は「検査しないよりしたほうがいい、入院しないよりはした方がいい」と考えるかもしれません。しかし、そうではありません。なぜなら、検査しに行った場所で、あるいはコロナ病棟に入院したことによってあらたに感染してしまうリスクがあるからです。検査をする人は完全装備です。でも、検査を受けたり、入院した患者はほとんど無防備です。本当に感染したかどうかもわからない無症状あるいは軽微な患者が行くべき場所ではありません。

だからといって「検査をしない方がいい」ということではありません。そうではなくて、だからこそ「怪しい人が検査を受けるべき」なのです。検査は本来「念のため」に実施するものではありません。「否定するため」のものでもありません(そうしたことを目的に検査する場合もあります)。熱もない風邪症状の社員に会社が「検査を受けてこい」と命じるケースがあります。会社側こそもっと検査を受けるリスクに関する正しい知識をもってほしいものです。
つい最近の東京都で、PCR検査した人のうちで陽性になった人は約15%に達しました。しかし、これの数字もどのくらい対象者をしぼったかによって違ってきます。感染拡大の様子をこの陽性率で判断することは困難です。感染拡大の様子は重症者の数で把握するべきです(死亡者数は「コロナ死」の定義がはっきりしていないため比較をするには不適切です)。ただし、感染の拡大に遅れること2週間ほどで重症者数に反映されます。

連日報じられる新型コロナウィルスの感染拡大。いつになったらこんな状況から抜け出せるのか不安になります。しかし、感染者をゼロにすることは当分できません。検査陽性者は多くなったり少なくなったりといった状況がしばらくは続くでしょう。感染の封じ込めを政府は狙っているようですが、強力な自粛によって経済に大きな犠牲を強いてまでやることではありません。むしろ、医療を崩壊させないためにはどうするかに主眼におくべきです。
もちろん、医療を崩壊させないためにも感染拡大の阻止(抑制)は必要です。だからといって、日本医師会が繰り返し強調してきたように、一にも二にも自粛というバカのひとつ覚えでもいけません。一般国民にはこれまで通り感染を防ぐためのできうる工夫を継続していただきながら、新型コロナウィルスワクチンの接種が開始されたらすみやかに受けていただくことです。このワクチンを必要以上に恐れて接種しないでいる理由はありません。

新型コロナウィルスのワクチンについては怖くなるような情報がもう出回っています。今後、幅広くワクチンが接種されるようになると、マスコミもおそらくネガティブ・キャンペーンを張ってくるでしょう。どのワイドショーでも、「接種するのは危険だ」といわんばかりの事例を繰り返し紹介してきます。しかし、今から新型コロナウィルスワクチンに関する正しい知識をもち、ワクチン接種の是非をできるだけ冷静に判断できるようにしておくべきです。
従来のワクチンには生ワクチンと不活化ワクチンがありました。前者は弱毒化した「生」のウィルスをからだの中に注入して抗体を作り感染を予防するものです。しかし、感染予防の効果は高いものの、副作用もそれなりに出現します。一方の不活化ワクチンは、ウィルスのいち部をからだに注射し、抗体を作って重症化するのを防ぐのです。感染予防効果は弱いのですが安全性が生ワクチンよりも比較的高いとされています。

新型コロナウィルスのワクチンは、従来のワクチンとはかなり異なります。遺伝子操作で作られた最新型のワクチンです。mRNAワクチンやDNAワクチン、ウィルスベクターワクチンなどの種類がありますが、いずれもウィルスの遺伝子を利用して抗体を作るワクチンです。ここではmRNAワクチンについて簡単に説明します。なお、mRNAは「メッセンジャーRNA」と読みます。RNAはDNAと同様、からだを複製する際の情報が書かれた遺伝子です。
新型コロナウィルスはRNAウィルスに分類されます。つまり、自分の複製をつくるときRNAという遺伝子を使うウィルスです。このRNAがどのような配列になっているかはすでに昨年の2月に明らかになりました。そして、このウィルスが細胞に接触するのに必要なスパイクと呼ばれる部位を作る配列も解読されました。そのRNA配列をmRNAとして合成し、からだに注射するのがが新型コロナウィルスのワクチンです。

このmRNAを筋肉に注射すると、その配列は筋肉の細胞の中にあるリボソームという器官で読み取られます。そして、ウィルスのスパイクという部位のタンパクが合成され、そのタンパクを異物として認識したからだが抗体を作るのです。そうすると、ウィルスが体内に侵入しても、そのスパイクがワクチン接種で作られた抗体によって破壊され、細胞にとりつくことができなくなり感染予防ができる、というわけです。
従来にはないワクチンではありますが、感染予防効果は生ワクチンに近い(ファイザー社製で95%以上)と報告されています。不活化ワクチンと同様に重症予防の効果も期待できます。さらに、ウィルスそのもの、ないしはその一部を外来タンパクとして注射する従来のワクチンと異なり、mRNAを注射してからだの細胞内であらたにタンパクを作らせるため、重篤なアレルギー反応は100万人に22人と比較的低い数字です。

命に関わるような副反応は極めて少ないとはいえ、デメリットもあります。従来のワクチンは皮下注射(皮膚と筋肉の間に注入)でよかったのですが、mRNAワクチンは筋肉の細胞でスパイクタンパクを作らせるため筋肉に注射しなければなりません。つまり、従来のワクチンにくらべて注射時の痛みが強くなります。しかも、注射後の筋肉痛や針を刺した部分の圧痛や倦怠感も従来のワクチンよりも比較的強いとされています。
また、mRNAは壊れやすいため極めて低い低温で保管しなければなりません。そして、凍結した状態から解凍したら、6時間ほどで使用しなければなりません。よく「遺伝子を使ったmRNAワクチンで遺伝的な悪影響が出る」というデマがながれていますが、mRNAは体内では数分で代謝されてしまうので心配ありません。以上のように、その取扱いの難しさから、その辺のクリニックで気軽に接種を受けられるものではないのです。

さて、そうはいっても、感染したらどうしたらいいのでしょうか。入院するか、宿泊施設で経過をみるのか、それとも自宅内隔離で様子を見るのか。一般の人にそれを判断するのは難しいかもしれません。でも、明確な自覚症状のない熱発だけであれば、家庭内隔離をしながら自宅で様子を見ていてもいいでしょう。ただし、強い倦怠感や咽頭痛、味覚やにおいを感じない、あるいは呼吸苦や胸痛を感じるといった症状をともなう熱発は要注意です。
当院では問い合わせのあった患者を四つのタイプに分類しています。
 #0:熱はない風邪症状のみ
 #1:熱はあるが新型コロナの感染患者ではない可能性が高い
 #10:熱があり新型コロナの感染患者の可能性を疑う
 #100:新型コロナの感染患者の可能性が高い

#100に分類される患者は診察はせず、適宜投薬をしながらPCR検査を手配します。緊急性がある場合は保健所に直接相談します。#10の患者の場合も原則的に診察はせず投薬のみで経過を見ますが、毎日電話をかけて症状が改善傾向にあるかを確認・記録し、重症化していないかを見逃さないようにしています。#1の患者は来院患者の少ない時間帯に診療するか、投薬のみにし、#0の患者は通常の診療にて対応するようにしています。
自宅内で経過を診る場合は、家族内に感染が拡大していないか注意する必要があります。通常の風邪であればそう簡単に感染しません。しかし、熱発患者の経過観察中に同じような症状が他の家族に出るようなら新型コロナウィルスに感染してしまった可能性を考えるべきです。重症を思わせるような症状がなければ、あわてずにかかりつけの医師に電話で相談しましょう。夜間などに重症を思わせる症状がでたら「119番」に相談してください。

それにしても「感染拡大」で世の中が騒然としているのに、行政の対応は「自粛、自粛」を繰り返すばかりで後手後手になっている印象があります。日本医師会もなんの有効策をとれないでいます。「とれない」のか、「とらない」のか、私にはわかりませんが、今の日本医師会はあまりにも無力に見えます。日本医師会の狼狽ぶりはなさけないばかりです。「GoTo やめろ」「自粛しろ」の一点張りだったのですから。
今、喫緊の課題は「医療崩壊」ではなく、重症者などを病院が収容できなくなる「病院崩壊」をいかに回避するかです。緊迫している病院にくらべて、開業医が置かれている状況は、その機能が崩壊するほどの危機的な状況にはありません。開業医が楽をしていると言っているのではありません。熱発はもちろん、風邪症状の患者の診療にはそれなりの危険性があります。そうした中、限られた医療資源の中で「頑張っている医療機関」は少なくないのです。

新型コロナウィルスに感染する危険性をもかえりみず、超人的な診療をしている開業医も少なからずいると思います。しかし、そうした診療が必ずしもいいとは思いません。開業医が安易に感染してしまえば、そのしわ寄せは他の個人開業に、あるいは病院の外来に波及するからです。機能という意味でも、マンパワーという観点からも、開業医が病院なみの診療をすることは不可能です。感染するリスクを軽減しながらどの程度の診療をするかです。
私たち開業医が今しなければならないのは、病院や保健所の負担を少しでも軽減することだと思います。病院にとって代わることなどできませんし、そんな大それたことをやろうとすべきではありません。せいぜい前述したような当院での診療をするのが精いっぱいでしょう。今はただ、個人の開業医それぞれが「できる範囲で、すべきことをやる」という姿勢をもたなければなりません。とはいえ、国や行政を巻き込めばやれることはまだあります。

前述したように、新型コロナウィルスは感染症法の2類相当に分類されています。つまりエボラウィルスのように致死率の高い恐ろしいウィルスと同じあつかいになっているのです。ですから、新型コロナウィルスに感染したと診断された時点で患者は「原則入院」となります。多くの人も「新型コロナになったら入院するもの」と思っているかもしれません。ですから、もし仮に軽症であっても「入院させろ」という圧力は決して弱くないと思います。
しかし、ひっ迫した入院病床数の今の状況を考慮すれば、新型コロナウィルスをインフルエンザと同じ5類にすることが急務です。これまでに得られた経験と知識から、新型コロナウィルスの危険性があのエボラウィルスと同じではないことは明白です。2類から5類への指定変更によって、病院は「原則入院」という呪縛から解放され、重症度の応じて患者を「入院加療」「宿泊施設」「自宅隔離」に柔軟に割り振ることができるのです。

最近、マスコミは「自宅内で家族から感染」や「自宅療養中に死亡」、あるいは「入院を拒否された」といったケースを報道しています。そして、感情論にながされたワイドショーがそれをとりあげては騒いでいます。命に軽重はありません。しかし、優先順位はあるのです。イタリアの例を見るまでもなく、限られた医療資源のなかで人の命を救わなければならないとき、命に優先順位をつけなければなりません。それは差別ではありません。
日本人はこうした議論を避ける傾向があります。情緒論にながされがちだからです。今の政府・専門家たちの間ですらなかなか議論されていません。ですから、医療がさらにひっ迫して、「命に優先順位をつける」という厳しい状況に直面したとき、行政の定めた目安がない現場は混乱するでしょう。そんなことがわかっているはずなのに、政治責任から逃げている人たちの議論はきわめて低調です。かくしてそれが医療現場をさらに疲弊させます。

現場の医師、看護師、そして病院のすべての職員が、今どんな思いで仕事をしているかを考えると申し訳ない気持ちがします。彼らを支えるべき大きな力があまり機能していないからです。個々の力ではこの状況をかえることはできません。国なり、自治体なり、医師会といった権力をもった人たちがもっと知恵をしぼって動かなければならないのです。そうでもないかぎり、病院がおかれた厳しい状況を改善することはできません。
とくに日本医師会の動きに私は不満です。ご存知のとおり、日本医師会の会員の多くは開業医です。私もそのひとりです。もちろん病院の勤務医の会員もいます。会員の職種や身分にかかわらず、医師を束ねる組織として「やれること」をやっているとはとても思えないのです。医師会の幹部たちが会見でフリップをもちながら「医療崩壊」の危機を叫んでいます。しかし、医師会が「やるべきこと」はそんなことではないはずです。

医師会はなぜ「新型コロナを2類から5類に変更せよ」と主張しないのでしょう。その一方で、「自宅で経過観察している無症状あるいは軽症の患者のフォローアップは開業医が担当する」と提言しないのはなぜでしょう。つい最近、東京都がいくつかの病院を新型コロナ専門病院として運用すると発表しました。これは私がすでに提言していたことですが、本来であればもっと早い段階で医師会が提言しなければならないことです。
政府の対応にも苛立ちます。疲弊した看護師が次々と病院を離職している現状に、看護大学院生や看護学部・看護学校の教員を現場に動員する案が検討されたと聞きます。しかし、まずやらなければならないのは、経験豊富な看護師たちが離職しない環境を整えることのはず。まるで大東亜戦争(太平洋戦争)のとき、経験豊富なパイロットを特攻作戦でどんどん消費し、経験の浅いパイロットを即席で養成して戦ったのと同じではないでしょうか。

昨年以上の自粛をすることは社会的に不可能です。期待しても無駄です。そもそも自粛の効果にエビデンスはないとも聞きます。業種によってはこれ以上の自粛は社会的死を意味します。そんな素人でもわかることにしがみつき、「自粛、自粛」と叫ぶだけの政府と日本医師会には「やるべきことをやってくれ。思いつかないならパブリックコメントを募集してくれ。それすらできないならやれる人に代わってくれ」と言いたいくらいです。
病院も保健所も昨年の春からずっと大変な思いをしています。その機能を守る前提は、国民が気を緩めず、できることを淡々と励行することです。と同時に「重症化したときに確実に治療を受けることができる体制」を維持しなければなりません。そのために政府や自治体、そして日本医師会は知恵をしぼるべきです。私自身も病院機能を守るために今できることを試行錯誤しながら実行していきたいと思っています。

コロナより怖いもの(2)

11月ごろから急に新型コロナ感染者(検査で陽性となった人)が増えだし、集中治療室で治療を受ける重症者の数や、治療のかいもなく亡くなってしまう人の数は今や春のときよりも増えています。最近、それらの数が落ち着いてきたと思ったのもつかの間、感染力の強い変異型のウィルスが海外から日本に入ってきたと報道されています。第三波と呼ばれる感染拡大が今度どのように推移するのか、「医療崩壊」が現実のものになってしまうのだろうかと不安になります。

いろいろな場所で「クラスター」と呼ばれる新型コロナウィルスの集団感染が発生しています。それは感染対策をとっている医療機関もその例外ではありません。私のクリニックでも他人事ではなく、知らない間に身近なところに迫ってきていると感じることが時々あります。これまでにもまして私自身や職員はもちろん、私たちの家族にも感染者が発生しないような生活・心がけを徹底し、患者対応ならびに院内の環境整備を常に見直すようにしています。

しかし、私たちの努力だけではどうしようもないこともあります。随分前のことになりますが、ご家族から「父親が先日から咳がでているのだが」とお電話がありました。「熱があるか」と尋ねたところ「ない」といいます。いつもなら受診させて診察・投薬するところですが、なんとなく胸騒ぎを感じた私は「お薬をだすので、本人は来院せず、ご家族がとりに来てください」と伝えました。そして、来院した家族に一般的な薬を処方して様子を見ることにしました。

その後の連絡はなく、その患者のことはすっかり忘れていたのですが、最近になって、薬を出した直後に新型コロナと診断されて入院したということがわかりました。しかも、発症したのは当院に相談があった日の数日前だったというのです。となれば電話で相談を受けたときにはすでに咳だけではなく発熱もあったはず。そうした大切な情報が正しく伝えられなかったのです。あのとき、もし胸騒ぎがなければ、いつも通りに診察した私も濃厚接触者になるところでした。

それでもまだ私のクリニックのような医療機関はいいのです。感染病棟をもっている病院はもっと大変です。なにせ「新型コロナと背中合わせ」で診療しているのですから。しかもそんな状態は新型コロナウィルスの感染がはじまった2月からずっと続いています。もしそこで働く医療従事者が疲労困憊し、クラスターが発生するなどして感染患者を受け入れられなくなったらどうなるでしょう。一般診療もできなくなり、まさに「医療崩壊」に陥ってしまいます。

昨年のちょうど今頃、中国では原因不明の肺炎が流行し始めたことが報道されました。そして、その流行は予想を上回る早さで拡大している可能性があることを報じるものもありました。中国でそんな事態になっていることに多くの日本人がまだ気が付いていなかった今年の1月26日のこと。私はこの日のブログで「このまま入国制限をしなければ中国からたくさんの観光客が入ってくる」、「日本でも流行した場合の対応を今から考えておくべき」だと注意喚起しました。

*********** 以下、1月26日掲載「新型肺炎(1)」の一部

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

***************** 以上

しかし、政府は、まるで4月の来日が決まっていた中国の習近平主席に配慮したかのようになかなか入国制限を実施しませんでした。その結果、春節にはたくさんの中国人観光客が来日し、日本への外来ウィルスの侵入を食い止めることができなかっただけでなく、国内での感染拡大に歯止めがかからなくなりました。大変だったのは保健所と感染者を入院させる病院です。急増する感染者に対応する体制を整えることもできないままに春を迎え、夏になってしまいました。

ところが夏になって第二波が疑われたときでさえ、政府や日本医師会は新たな手を打とうとはしませんでした。そこで私は8月のブログで「この冬に向けての提言」と題して、第三波がやってくるまでに政府や医師会がなにも対応しようとしないときの提言をまとめました。でも、案の定、第三波への対応策を「今出るか、今出るか」と待っている間に、あっという間に秋になり、10月には入国制限が緩和され、11月になると感染はふたたび広がっていきました。

************ 以下、8月19日掲載「この冬に向けての提言」の一部

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

***************** 以上

今、盛んに「感染者数が過去最大に」と報道されています。そりゃそうでしょ。クラスターつぶしで症状の軽い人や無症状の感染者までが拾い上げられているのですから。もちろん重症者や日々の死亡者の数だってこれまでになく多いのですから最近の感染拡大が大した問題でないなどというつもりはありません。でも一番の問題は政府や日本医師会に実効性のある対策がないところ。このままでは「医療崩壊」が現実のものになってしまうかもしれないのです。

その医療崩壊を起こさないために何をすべきなのでしょう。政府や自治体の長はなにかといえば「自粛しろ」といいます。この春のときのような緊急事態宣言を「出せ」「出すな」の応酬となるときもあります。その一方で、日本医師会や東京都医師会などは「医療はもう限界だ」と叫ぶばかりです。でも、ちょっと待ってください。医師会はこれまでなにをやってきたのでしょうか。有効策も講じないでいて勝手なことを言うなと言いたい気持ちです。

日本医師会がやるべきことは、そんな泣き言を言うことじゃないはず。つい先日までも「Go Toやめろ。人は移動するな」と叫び、政府の対応を批判するだけでした。日本医師会はそんなことを言っている暇があったら、この感染拡大に際して医療を崩壊させないための取りうる方策に知恵をしぼるべきじゃないんですか。そんなことはこの夏にやっておかねばならないこと。それを怠ってきて、今さら泣き言ばかりではあまりにも情けないじゃありませんか。

ここまで感染者が増え、軽症者や無症状の感染者がホテルでさえも隔離できなくなったときに「自宅隔離」ができるよう、具体的な方法を今から国民に啓もうすることです。そして、ホテル隔離した患者は地元の医師会が交代で、自宅隔離した患者は患者宅の近隣の開業医が適宜投薬をして定期的に健康状態を確認。その情報を保健所に報告し、症状の悪化が見られた患者をすみやかに病院に収容する。それらのスムーズな連携ができる体制を構築する必要があります。

新型コロナ患者を収容する病院では内科での一般外来はとりやめてできるだけ入院診療に集中するべきです。そのためには一般内科病棟の一時的な減床や患者の転院も考える必要があります。もちろん金銭的な負担は政府や自治体が保証する。医療従事者の給与を増やしたり、一時金を渡すよりもこのような対応が必要です。病院で働く人たちに感謝することは、チャリティコンサートを開くことでもなければ、千羽鶴を折ることでも手紙を送ることでもありません。

国や医師会がこうも無策なのは、現場もよく知らないお偉い先生方や政治家たちが思い付きで話し合うから。私が責任者だったら、新型コロナ患者を収容して苦労している病院で働く人たちを集め、何が不足していて、何が必要なのかを洗い出し、これらの課題を解決するためにどのような法整備、法的根拠が必要なのか。財政的な裏打ちをどうとるかなどをまとめて対応策を考えます。今の対応はこうしたプロセスを踏んでのこととは到底思えないのです。

新型コロナウィルスの感染が拡大する中、怖いのは新型コロナウィルスだけではありません。人々の不安をあおるマスコミのいい加減さと、無知な一般大衆が引き起こすパニック。そして、長期的な展望と短期的な戦略をもてない政治家や官僚、日本医師会といった肝心の組織の無能さ。やるべき人がやるべきことをやってくれないと、社会を不安におとしいれ、たくさんの人が犠牲になることにつながります。新型コロナよりもむしろこちらの方が恐ろしい。

12月28日からようやく入国制限が再開されるようです。しかし、制限される国の中に中国はありません。そして、この制限は来年1月31日に終わります。中国の来年の春節は2月11日だとされています。つまり春節がやってくる前にこの制限は終わるのです。今年の1月のブログで私が書いたのと同じ愚を繰り返すつもりなのでしょうか。人間は間違いを犯します。それは愚かだからではありません。しかし、愚かなのは経験から学ばずその間違いを繰り返すことです。

最後に、この年末年始にできることをまとめてみました。くれぐれも目安にしてください。医者にもいろいろいます。新型コロナやインフルエンザが心配されている中、一日三回解熱剤(や痛み止め)を出す医者もいます。これを悪いことだとはいいませんが、あまり筋のいい処方だとも思いません。微熱などの発熱があったときにどのように対応したらいいかに迷ったら、まずは当番の医療機関に電話で相談すること(市医師会のホームページ、または市消防局、あるいは119番に連絡すると当番病院を教えてくれます)。