農林水産事務次官にまで登りつめた人が、自分の子どもを手にかけるという悲しい事件がありました。44歳にもなる子どもが、親のお金で毎日ゲームに明け暮れる姿をエリート官僚だった父親はどんな思いで見ていたのでしょうか。親に命を奪われた息子は「俺の人生は何なんだ」と叫びながらたびたび親に暴力を振るっていたとも報道されています。その真偽はともかく、この事件はひとりの人間を産み、育てていくことの難しさを象徴する出来事であり、子育て中の親の端くれでもある私もいろいろと考えさせられました。
折しも、今、長男といろいろ話しをする機会が増えました。以前にも触れたように、長男は第一志望の高校に落ち、今、第二志望だった高校に通っています。幸い、その高校にも慣れ、それなりにいい成績をおさめて出だしは順調に見えます。しかし、入学した当初のモチベーションが少しづつ下がってきて、最近では彼なりに不本意な毎日に苛立っている様子。抜け出したいけど抜け出せない。いわゆる「スランプ」って奴です。スランプがあるだけ好調な証拠だと思うのですが当の本人はそれが納得できないようです。
私が高校生だったころは、入学した当初から「どスランプ」におちいり、毎日、学校ではもちろん、自宅に帰ってからもなにか抜け殻のようになってすべてのことに関心がなくなっていました。ですから、高校生当時のことはほとんど記憶がないのです。ただ、校舎の三階にある教室の窓から見える桜吹雪をボーっとながめながら、この窓から飛び降りたら親は悲しむだろうか、などと考えていたことぐらいしか覚えていません。でも、頑張っている息子が「スランプ」になって感じている「あせり」ぐらいは理解できます。
「今日、学校休むわ」と眠そうな顔で起きてきたことがあります。自分の経験からいって、どうしても現実から逃避するしかないと感じたときは、エネルギーをチャージするためにも積極的に休むべきだと思っています。私は「ああ、そうした方がいいかもね」と答えましたが、「だからといって寝てばかりじゃだめだよ。現状から脱するためにいろいろともがいてみなきゃいけないよ」と付け加えることも忘れませんでした。「わかってるよ」と返す息子。私の言いたいことが彼に伝わっていることを信じて出勤しました。
同じ兄弟でもなかなか自分の気持ちを表現しない次男と違って、長男は感情がすぐに表情と態度に出ます。イライラするとそれを言葉にしてはきだします。そのイラつきの原因がわかっているだけに親としてどう接すればいいのか迷うことがあります。でも、繰り返し言うのは、「周囲の人を不快にするような言葉を吐くのはよくない。もう少し感情をコントロールする訓練をしなさい」ということ。外でのイライラを家庭によく持ち込んでいた父親を見てきたこともあり、息子にはそんな大人になってほしくないのです。
彼が学校にいくとき、ちょうど私もクリニックに出勤する時間です。私は車に息子を乗せて駅まで送っていきます。駅まではほんの数分間です。あるとき車の中の息子は「俺はなんてダメな奴なんだ」とポツリとこぼしました。この言葉に彼なりにスランプから抜け出そうともがいている様子が手に取るようにわかります。「おまえはそういうけど、俺の高校時代に比べればずいぶんマシだと思うけどなあ」。私が高校生の時と比較しても、息子にはなんの慰めにもならないことはわかっていますがついそんな言葉が出てしまいました。
事実、私のときと比べればはるかにましな高校時代を息子は送っています。当時の私は、勉強をする意欲も、将来の目標も、すっかりしぼんでしまい、何をどうすればいいのかもわからないままただ無駄に時間を過ごしていただけですから。しかし、息子は「父ちゃんは頭がいいからそれでもよかったんだよ」と言いました。そのときの息子の口調は、なにやら本気で言っている様子です。私は「そんなことあるか。頭がよかったんじゃなくて、もがき続けたからなんだぞ」と返すのが精一杯でした。
息子は私を成功者のように見ているようでした。でも、勉強にはおよそ縁遠い小学校時代を過ごし、いろいろな人たちの刺激を受けながらなんとか落ちこぼれずに済んだ中学生の頃。失意のまま二年間を無為に過ごした高校時代をなんとか挽回したものの医者になることを一度はあきらめてしまいました。しかし、運命的な出会いと偶然が重なって医者になるという自分の夢を実現した私の半生を息子はきっと私の自慢話しとしてとらえているのだろうか。私の真意を息子にもう一度伝えなおさなければならないと思いました。
私は彼と話しをすることにしました。私は息子に成功体験を伝えたかったのではなく、失敗続きだった私の半生を踏み台にして息子自身の人生を切り開いていってほしかったのです。今の息子にしてみれば、私がなにをいっても自慢話し、あるいは説教臭い話しにしか聞こえないかもしれません。しかし、スランプの真っただ中にいる息子が、私と話すことによってなんらかの解決の糸口を見つけ、これからの指針を見出すことができればいいと思ったのです。彼にとって余計なお世話かなとも思いましたけど。
風呂に入ろうとする息子に私は声をかけました。「話しがあるから、風呂からでたら声をかけてくれ」。息子は少し驚いたようですが「ああ」と答えました。私はベットに横になりながら、なにをどう話しだそうかと考えていました。しかし、考えれば考えるほど話しがまとまりません。おまけに自分がいいたいことがなかなか伝わらないように思えたのです。こうしたことはいつものことなのですが、それでも彼を前にしてあたまに浮かんだことを、できるだけ彼に伝わる言葉で話してみよう。そう思いました。
*********以下、息子に話したこと
俺の親父、つまり、君たちの爺さんは職業人としては素晴らしい人だったと思うけど、家庭人としてはほめられるような父親じゃなかったんだ。いつも不機嫌で、自分勝手な人だったから思い出せば嫌な思い出ばかりが浮かんでくる。だから、俺は父親として君たちには同じような思いをさせたくないとずっと思ってきたんだ。その意味で、俺にとっての親父は「半面教師」だったんだろうな。でもね、あの親父が反面教師でよかったって思うこともあるよ。だからこそ気づけたことがたくさんあったし。
君は俺の悪いところが似てしまって、「0(ゼロ)か100か」で考えるところがある。「すぐに決めつける」ってところも俺に似てしまったのかも。高校生のときの、16歳の俺は、入学したとたんに高校に抱いてしまった失望感や怒りを学校や同級生にぶつけていたと思うんだ。でも、高校や同級生にはなんの関係もないんだよね。自分がうまくいかないことを人のせいにしていただけ。自分ではなにも努力をしないわがままな甘ったれだったんだ。すぐに良し悪しで決めつけて、自分はどうかなんてことまったく考えなかったからね。
まわりを決めつけて、自分でアクションをとらなければなにも変わるはずがない。それにようやく気が付いたのが高校3年のとき。ほら、ドイツ語を捨てて英語で大学を受験しようと決意したときの話しをしたでしょ。あのときようやく自分でアクションをとることの重要性に気が付いたんだと思う。ずいぶんと時間がかかってしまって、無駄な2年間を過ごしてしまったけれど、あのときの気づきがなかったら今の俺はいないからね。その俺の経験を参考にして君にも気が付いてほしい。目覚めてほしいんだよ。
ほら、元農林水産事務次官が44歳の息子を刺し殺してしまった事件があったでしょ。その殺されてしまった息子は「俺の人生は何だったんだ」と喚き散らして親に暴力振るっていたって報道されていたよね。44歳にもなってあんなセリフを吐くのは、まさしく「なにも自分でアクションをとらなかったことを棚にあげて、うまくいかない自分を親のせいだと決めつけて逆恨みしている」ってことでしょ。44歳になるまでに彼はそうしたことに気が付くべきだった。人生は「0か100かじゃない」ってことに。
殺されてしまったあの息子には「一流高校を、そして東京大学を卒業してエリートとして生きる」って価値観しかなかったんだろうな。親もまたそうだったんだろう。だから、自分の父親のような人生を歩めないと知ったときにすべての価値観が崩壊してしまった。あとはその挫折感、屈辱感、くやしさ、あせりを、人のせいにして現実から逃げ回っていたのだろう。その意味で、彼は「0か100かの価値観」あるいは「決めつける価値観」のせいで自滅していった。「理想的」な父親をもつ子どもの悲劇なんだろうな。
「理想」って完全に相対的なものだよ。その形も、大きさも、人によって全然違うんだから。「東大を出て、エリートとして生きること」を理想と感じる人もいるだろう。あるいは、仕事はあくまでもお金を得るためだけのもので、そのお金でゲームに没頭する人生を理想とする人もいる。家族団らんの家庭で生活することが何よりの理想って人もいるし、ひとりでは使い切れないほどの大金を手に入れる人生が理想だと感じる人もいる。理想的な生き方はさまざまで、良し悪しなんてない。人それぞれだからね。
幸せって空から降ってくる雪みたいなものなんだよ。降って来た雪はつかんだ途端に消えていく。幸せって「手に入れられるもの」じゃないんだよ。だからといって幸せは儚く(はかなく)て虚しいものじゃないよ。雪は次々とまた空から降ってくるからね。次から次と降ってくる雪を追いかけ、追いかけてはひとひらの雪をつかもうと手を伸ばす。追いかけていた時のワクワク感や、捕まえたときの充実感がまた次の雪を追う原動力になる。その総体がいわゆる「幸福な人生」ってことじゃないかって思うんだ。
殺されてしまった息子は、父親のような人生を送れないと気が付いたときに別の道を探せばよかったんだよ。別の道を選んでも決して人生の敗者なんかじゃないし。そもそも父親の人生は父親しかたどれないんだもの。父親にとってはいい半生だったかもしれないが、その子供にとってはなんの関係のないもの。もちろん、別の道に進んだからといってうまくいくとは限らないよ。でも、たとえそうだとしても、自ら手を伸ばして自分だけの一片の雪を追っていかなければいけなかったんだよ。
他の人がどんな人生を歩もうが君には関係ないし、君がどんな人生を歩もうと他人には関係ない。もちろんどちらがいい人生かなんて問題じゃないからね。そうではなくて、自分自身がどのくらい充実感が得られるかって問題でしょ。どうやって「自分だけの勲章」をつけて胸を張って生きていけるか、なんだと思う。親は子どもが頑張っている姿をみることがいちばんうれしい。でも、その一方で、「子どものため」といいながら、実は自分の勲章を子どもを使って得ようとやっきな親がいる。とんだ勘違いだよね。
そんなことに気づくのにずいぶん時間が経ってしまったけど、幸いにも気づけたのはいろいろな失敗から逃げずに乗り越えようとしてきたからだと思うんだ。その俺の経験を君に知ってもらいたいんだよ。そして、一刻も早く、「0か100かの価値観」「決めつける価値観」から脱してほしいんだよ。目標を掲げ、その目標に向かって努力を重ねることは尊いこと。でも、その結果がいいものであれ、悪いものであれ、それは受け入れなければならない。大切なのは、次にどこを目指すのか、どう努力を重ねていくかってことだよ。
なんども言うように、ひとつの結果がすべてじゃない。第一志望の学校に入学できたとして、その喜びは手に入れたとたんに消えてしまう。次の目標に向かって手を伸ばさなきゃ。うまくいかなかったときもまた同じ。うまくいかなくても次にどうするかが重要なんだよ。もし俺が高校に失望したままでいたら、医学部にはいけないんだと決めつけていたら今の俺はなかったんだよ。どんな結果であれ、次の目標に向けてもがいているうちに道が見つかってくるものだということを俺の経験から学んでほしいんだよ。
自分の夢を現実のものにできれば素晴らしい。でもそれがすべてじゃない。次の目標に向けて努力を重ねることが大切なんだよ。結果として昔抱いていた夢とは違う現実になっていることだってあるよ。でも、ひとつひとつの成功体験、あるいは失敗を経ていくうちに自分らしい生き方になっていくんだ。後ろめたいことじゃない。俺がいいたいことは、俺の体験は自慢話しとしてではなく、失敗談として聞いてほしいってことなんだよ。つまり、俺は「反面教師」ってこと。身近に反面教師がいるってありがたいことだよ。
************** 以上
長々とくどい話しだと思いましたが、意外にも息子はじっと聞いていました。途中、眠そうにしたらやめようと思っていましたが、そうした様子はまったく感じられませんでした。そして、高校3年生から浪人の頃までに、立ち直った自分がどんな勉強をしていたかを息子にアドバイスしました。高校も2年になるとだんだん各教科の内容が複雑・高度になって、高校受験での経験が活かせるようなレベルではなくなってくるのです。とはいえ、勉強をしていなければスランプにはなりません。息子はその壁に直面しているのです。
家内は「学歴や職業なんてどうでもいい。どんな形であれちゃんと生活していける人になってほしい」といいます。でも、私はいいました。「それは一番の理想的な生き方なんだと思う。ほとんどの人はそんな理想的な生活ができない。だからこそ学歴に頼ったり、社会的地位を得ようとしたりするんだよ」と。学歴や社会的地位などは生きる上での道具にしかすぎないのです。もっとも尊い生き方というのは、そうした肩書とは関係のない、与えられた自分のポジションで「やり切った感」をもって生きることなんだと思います。
いろいろと偉そうなことを書き連ねましたが、辛い状況にある今の長男がこれからどのように立ち直っていくのか、これからもしっかり見守っていこうと思います。確かに子育てはむずかしいです。でも、その一方で楽しいものでもあります。思い通りに子どもは育たないものですが、それでも一人前の大人になっていく子どもの変化は見ていて楽しいものです(自分から離れていくようで寂しい気持ちもしますけど)。いつの日か、息子が自分の生き方に誇りをもって生活する大人になる日がくるのを夢見ながら。
常々、子育ては「させてもらっているもの」だと思います。親のために子どもがあるのではなく、子どものために親がいるのです。子どもの虐待をする親は、そうした意識に欠けていて、子どもを自分のおもちゃのように思っているのかもしれません。子ども達を立派な社会人にすることは子育てを「させてもらったお礼」。息子たちには、私たち親には構わず、一番自分にふさわしいと思う生き方をしてほしいです。もし、子どもたちがそうした生き方をするようになったら、私の子育てはうまくいったということなのでしょう。
最後に、自分の将来に不安を感じていた高校生の頃によく口ずさんでいたTVドラマ「水戸黄門」のテーマ曲をご紹介します。息子にもこの歌を教えてやりました。平成生まれの彼の心には響かないかもしれませんが。「なんにもしないで生きるより、なにかを求めて生きようよ」ってところが好きです。
あともうひとつ。山下達郎の「希望という名の光」という歌。山下達郎の歌はやはり歌詞が素晴らしいです。「運命に負けないで。たった一度だけの人生を、何度でも起き上がって、立ち向かえる力を贈ろう」という歌詞がグッときます。子どもたちへの応援歌のようでいつ聴いても感動します。