トランプ登場の影響

1985年、まだ東西に分かれていたドイツ(西ドイツ)のワイツゼッカー大統領が、第2次世界大戦後40周年にあたって「荒れはてた40年」と題する演説をしました。「過去に目を背ける者は、現在にも目をつぶるであろう」というフレーズを耳にしたことのある人は少なくないと思います。北大生になった私がふたたび第二外国語に選んだのはドイツ語。その授業でこの演説の原文が教材として使用されました。なかなか難しい文章でしたが、当時の私にとって、その演説の内容はあまり心に響くものではありませんでした。「自分のあたまで考える若者」ではなかったからです。ワイツゼッカー大統領の演説は次のようなものです。

*********** 以下、演説の要旨

先の戦争と暴力支配で斃(たお)れたすべての人に、今、あらためて哀悼の意を表します。ことに収容所で命を落とした600万人のユダヤ人。ならびにこの戦禍に苦しみ、殺されたソ連とポーランドの無数の人々。ジプシーや同性愛者、精神障害者、また、宗教上・政治上の立場ゆえに殺されなければならなかった人たちのことを追悼します。また、ドイツ兵として斃れた同胞、空襲で、あるいは避難の途中で命を失った同胞の哀しみも同時に思い浮かべたいと思います。

戦時中の犯罪に手をくだしたのはごく少数の者です。しかし、ユダヤ人たちに非寛容な態度、あからさまな憎悪が向けられていたことはどのドイツ人も実際に目にし、耳にしていました。人間の尊厳に対するとどまることを知らぬ冒涜があったことに目をつぶろうとしていたのです。人々にとって、ユダヤ人の絶滅をはかるということは想像を超えていたかもしれません。とはいえ、そうした犯罪が起こっていたであろうことや、実際に起こっていたこと自体に多くの人が気づかぬふりをしていました。良心を麻痺させ、自分の関知することではないと沈黙していた事例がたくさんあるのです。

戦いが終わり、筆舌に尽くしがたいホロコースト(大虐殺)の全容があきらかになったとき、一切なにも知らなかった、気配すら感じなかったと言った人が多くいました。人間の罪には、露見したものもあれば、隠し通せたものもあります。大切なのは、十分自覚しながらあの当時を生きていた人ひとりひとりが今日、どう関わっていたかを静かに自問することです。罪の有無、また、年齢を問わず、われわれ全員が過去を引き受けなければなりません。当時を知る人であれば全員が、過去からの帰結に関わっており、その過去に対する責任をおわされているのです。

問題は過去を克服することではありません。そんなことなどできるはずもないのですから。過去を変えたり、なかったことにすることはできないのです。大切なのは、過去に目をつぶる人間は、結局、現在のことにも目を覆っているのだということです。非人間的な行為を心に刻むことのできない人は、またそうした危険を犯すもの。ユダヤ民族は今も、そして、これからも起こってしまったことを心に刻みつけることでしょう。私たちドイツ人は、ユダヤ民族との心からの和解を求めています。私たちがユダヤ民族と和解するためには、事実を心に刻むことなしにはありえません。

ポーランドのゲットーやチェコで虐殺された人々がいます。ロンドンやロッテルダムでは空から無数の爆弾が落とされました。敗戦によってそれまでの故郷を追われ、悲嘆と甚だしい不正にさらされたドイツ人もいます。何百万人ものドイツ人が西に追いやられ、たくさんのポーランド人やロシア人が戻ってきました。そうした人たちも、かつては不正に耐えかね、自らの意志に反して故郷を離れざるを得なかった人たちでした。ヨーロッパの諸国民は故郷を愛しています。平和はそのためにあるのであって、決して復讐主義におちいることではありません。

われわれのもとで、新しい世代が成長し、政治的な責任をとれるようになりました。若い人たちに過去に起こったことの責任はありません。歴史の結果から生じた出来事に責任があるのみです。われわれ年長者は、若者がユートピアの救済論に逃避したり、道徳的に傲慢・不遜になることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう手助けしようではありませんか。人間がなすことは歴史から学ばねばなりません。人間は必ずしもより良くなっていくわけではないのです。道徳は完成することがありません。道徳的危機を乗り越えていくだけです。しかし、私たちにはそれが可能です。

若い人たちにお願いしたい。敵意や憎悪に駆り立てられないでください。民主的に選ばれた政治家たちにもそうしたことをさせない諸君であってほしい。そして、その範をひとりひとりが示してほしい。自由を尊重してください。平和のために力をあわせてください。公正をよりどころに、心のなかの規範にしたがって正義を貫こう。そのためにも、できるだけ真実に目を向けることです。

*************** 以上

今、改めて読むと素晴らしい演説です。ユダヤ人に対する民族浄化という戦争犯罪を背負うことになったドイツ国民として、自虐史観に陥らず、だからといって言い訳に逃げず、未来への展望をもってほしいと若者に語りかける内容に感動します。当時の私がこの演説に共感することはおろか、理解もできなかったのは、ひとえに社会的に未熟で、世界の歴史に対しても、また、地球上で起きているさまざまな変化にも関心がなかったからです。しかし、それなりの知識と教養を身につけた今であればこの演説の価値がわかります。と同時に、今の若い人たちには是非とも読んでほしい内容です。

これまで何度も繰り返してきたように、世界は大きな「歴史の転換点」にあります。その世界の様相(とくにアメリカの変貌)については、これまでの記事を読み返していただくとして、地殻変動のような世界的な変化のうねりが顕著になったのは、ドナルド・トランプというひとりの不動産王がアメリカの大統領になってからのことです。それはまるで、トランプ大統領という存在が、世界を密かに動かしている人たちをあぶりだしているかのようです。その人たちをディープ・ステート(闇の国家)と呼ぶかどうかはともかく、エスタブリッシュメントと化した大きな力が世界に影響を及ぼしていることが明らかになりつつあります。

40年前の若き日のトランプ大統領のインタビューを動画でみることができます。世界的な好景気にアメリカ経済が支えられているときのものです。不動産業によって莫大な資産を築き、成功した若き経営者としてインタビューを受けるドナルド・トランプ。当時のアメリカ社会を次のように表現します。「アメリカはずる賢い連中に盗まれている。アメリカ国内にいる連中にばかり盗まれているわけではない。日本やドイツ・ヨーロッパなどの賢い国家によってもアメリカは盗まれているのだ。しかし、彼等は悪くはない。アメリカを動かしている指導者、官僚たちのあたまが悪いからこうなるのだ」と。

今の主張と寸分もかわらないトランプ節です。「それではあなたが大統領になってはどうですか?」と問われたトランプは言います。「なるかもしれない。しかし、今はそのときではない。私が大統領になることよりも、アメリカをよい方向に導こうとする大統領に協力したいと思う」。トランプ氏はかつて民主党員でした。民主党に多額の献金をする大口のスポンサーだったのです。ところが、ソビエトにゴルバチョフという新たな指導者があらわれ、東西の冷戦構造が崩壊して世界は「素晴らしい状況」になるとトランプは思ったかも知れません(当時の私と同じように)。でも、その頃からアメリカが暴走をはじめました。

1993年に民主党のビル・クリントンがアメリカ大統領になりました。軍事バランスで平和がなりたっていた東西冷戦時代が終わって、東側諸国が次々と西側陣営に加わっていきます。しかし、ビル・クリントンは外交には無関心で、自他ともに認める外交能力に劣る大統領でした。在任中、中国に近づきすぎて「チャイナ ゲート」と呼ばれる不正資金供与疑惑も追及されました。その疑惑はビルの妻でもあるヒラリー・クリントンが原因だといわれています。クリントン氏は、その他にも、金にまつわるさまざまな疑惑を招きながら、大きく報道されることのなかった大統領だったのです。

クリントン大統領がもっとも批判されたのはさまざまな女性関係に関するものでした(そして、それは今も「エプスタイン・スキャンダル」として尾をひいています)。大統領就任前から多数の不倫関係を持ち、モニカ・ルインスキーという東欧系ユダヤ人との「不適切な関係」が大きく報道されました(東欧系ユダヤ人という存在は、今のウクライナ戦争でも影を落としています)。モニカ・ルインスキーとのスキャンダルはクリントン大統領の政治力を急速に低下させるものでしたが、それ以外にも女性問題によっていくつかの裁判で訴えられ、合衆国の国際的な地位と名誉そのものが地に落ちていきました。

その一方で、クリントン大統領はパレスチナにおけるアラファトPLO議長とイスラエルのラビン首相との和平合意をまとめることに失敗しました。ヨーロッパにおいては東欧のコソボでの民族紛争に介入し、アメリカ軍が一般市民を狙ったユーゴ空爆(国際法違反)を承認したのもクリントンです。イラクのバクダッドへの大規模なミサイル攻撃「砂漠の狐作戦」や、スーダンの医薬品を生産する工場にミサイル攻撃することをも承認しました。あるいは、ソマリアの内戦にアメリカ軍を投入し、部隊の撤退に失敗してウガンダでの虐殺を黙認するなど、クリントンは世界各地の紛争にアメリカを介入させた大統領なのです。

リベラルで穏健であると思われていた民主党が、実はさまざまな疑惑にまみれ、世界各地で戦争を繰り返していました。それに嫌気がさしたのかどうかはわかりませんが、トランプ氏は合衆国大統領が民主党のクリントンから共和党のジョージ・ブッシュに替わった2001年に民主党を離れました。無所属になったトランプ氏は、その後もさまざまな政治の腐敗、アメリカという国家の闇を見てきたに違いありません。民主党のバラク・オバマが2008年にアメリカの大統領になって、ノーベル平和賞を受賞してもそれはかわらなかったのです。むしろ、オバマ大統領のときの方が実はさらに深刻な事態になっていました。

オバマが大統領に再選された2012年、よほど民主党に失望したのでしょう。トランプは共和党に入党します。それはオバマ政権のときの国務長官(日本での外務大臣)だったヒラリー・クリントンが密かにしていたことを振り返るだけでもわかります。そのことは、2016年におこなわれたニューヨーク司教主催の慈善イベント「アル・スミス・ディナー」でトランプ氏が辛辣な言葉で語っています。しかし、会場にいた聴衆たちは当時、トランプ氏のぶしつけな放言ととらえ、苦々しい表情で聞き流していました。しかし、今、改めて聞くと、トランプ氏の指摘がいかに正しかったかがわかります。

大金持ちのドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領になぜなったのか。第一次トランプ政権時の4年間、合衆国大統領として受け取るはずの40万ドル(約6000万円)の年俸全額を、トランプ氏は退役軍人の支援のために、国立公園の自然保護のために、麻薬や薬害の被害者のために寄付しています。トランプ氏に対して「大統領になった理由は、金の次は名誉、にすぎない」と酷評する人がいます。しかし、名誉を得るためだけに大統領になる人がいるでしょうか。しかも、自分の資産を大きく減らしてまで。いや、いたとして、そんな人が暗殺されるのも覚悟の上で、アメリカがかかえるさまざまな問題の矢面に立つでしょうか。

トランプ氏がやってきたこと、そして、これからやろうとしていることを見誤ってはいけません。その隠れたメッセージを正しく読み取るべきです。もし、彼がやろうとしていることが、アメリカ合衆国という場所で成就したとしたら世界も大きくかわります。日本の「あたまの悪い政治家」や「天下・国家のことよりも選挙のことしかあたまにない政治家」であれ、その大きな世界的変化についていかなければなりません。そのときこそ若者の出番です。日本の将来は「今だけ、金だけ、自分だけ」のジジィとババァのためにあるわけではありません。これからの日本を担う若い人たちのためにあるのです。

冒頭のワイツゼッカーの言葉を繰り返します。

若い人たちにお願いしたい。敵意や憎悪に駆り立てられないでください。民主的に選ばれた政治家たちにもそうしたことをさせない諸君であってほしい。そして、その範をひとりひとりが示してほしい。自由を尊重してください。平和のために力をあわせてください。公正をよりどころに、心のなかの規範にしたがって正義を貫こう。そのためにも、できるだけ真実に目を向けることです。

私がとくに伝えたいことは「できるだけ真実に目を向けること」という部分です。前回の投稿「価値観の違い(2)」にも書いたように、真実かどうかは自分の理性を働かせて判断するしかありません。その情報が正しいかどうかは国家が示すことでもなければ、誰かに指示されることでもないのです。その意味で、今、新聞やTVといった、いわゆるオールド・メディアがさかんにキャンペーンを張っている「SNSの誤情報」という言葉に騙されてはいけない。オールド・メディア自身がこれまで誤情報や世論を誘導するための偏った情報を流してきたという事実を忘れてはいけません。

東日本大震災にともなう原発事故の時、放射能に対する過剰な報道に疑問を感じた私はなにが真実かを自分の手で探し、自分のあたまで判断することの重要性を学びました。そして、放射能の危険性に冷静になるべきだというレジュメを作って来院患者に配っていました。しかし、そうした私の行動に批判的な人もいました。「患者の命を守るべき医者として放射能の危険性を軽視しすぎだ」というのです。でも、さまざまな情報が飛び交うことは決して悪いことではありません。情報の正しさが後になってわかることがあるからです。原発事故の際に私が書いたレジュメの正しさはそのことを物語っています。

第二次トランプ政権の副大統領であるJ・D・バンスがミュンヘン安全保障会議で演説しました。そこで彼は「いろいろな意見が表明され、議論が交わされることが真の民主主義である」と語っています。また、価値観のなにが正しく、なにが間違っているかはもとより、人の心のありようを法律で断罪することの恐ろしさを指摘しています。その動画の中で、聴衆が「???」としているのは興味深い光景です。バンス副大統領は、私がこのブログで繰り返してきたことを、わかりやすく、簡潔に述べています。是非、最後まで見て下さい。そして、今の社会の動きを振り返って下さい。あとは皆さんがどう行動するかにかかっています。

 

 

価値観の違い(2)

以前の投稿「価値観の違い」にも書いたように、人の価値観は国柄や民族によって異なります。個人のレベルにおいてもさまざまです。それぞれの価値観の溝を埋めようにも難しいことがあります。それは、価値観の多くが必ずしも「良し、悪し」の問題ではなく、「好き、嫌い」の問題だからです。かつて、旧ツイッター(現在、X)で、音を立てながらそばを食べる日本人の姿に、外国人観光客が「あの下品な音はどうにかならないか」とつぶやいたことが話題になりました。生活の中でのなにげない音ですら、その印象は生まれ育った環境によってずいぶん違うものだということを実感させられます。

「音を立ててそばを食べること」が下品かどうか、が問題なのではありません。音を立てて食べるのが当たりまえの国にやって来て、「その下品な音をなんとかしてくれ」と言われても、ということ。それはまるで、寺の周辺に住む住民が「除夜の鐘がうるさい」と苦情をいうのと似ています。以前からそこに寺があって、年末の行事として除夜の鐘を鳴らしてきただけなのに、あとから寺の周辺に住むようになった人間に「うるさい」と言われても困るのです。嫌ならそこに住まなければよい。それだけのことです。しかし、最近は、なかなか「嫌なら住むな」とはっきり言い切れない時代になりました。

「価値観の多様性」という言葉の主旨は、いろいろな人が住む現代社会において、個人のもつ価値観を認め合おうというものです。価値観の多様性を認め合うことそのものはすばらしいのですが、言うほど簡単なことではありません。その理由が二つあります。ひとつは「価値観は好き嫌い」であり、理屈ではないがゆえに、対立する価値観を共存させることが困難だからです。もうひとつの理由は、「多様性を認め合う」ことがともすると強制になって、「多様性は認めない」という考えそのものを拒絶することになるからです。価値観の多様性を認めることにはそんな禅問答のような難しさがあります。

こうした現実的な難しさを抱える社会を維持するためには価値観を調整しなければなりません。「調整する」という意味にもふたつの解釈があります。ひとつは「対立する個々の価値観を調整する」という狭義の意味です。その一方で、「【すべての多様性を認める】とする考えと【一切の多様性は認めない】という考えを調整する」という広義の意味もあるのです。その狭義・広義の意味の間において、どの程度の振れ幅で価値観の違いを調整していくかが重要です。どちらが正しく、どちらが間違っているかの問題ではありません。しかし、最近の価値観の調整が、私には少し性急すぎて、なにか意図的であるようにも見えます。

 

価値観の調整が乱暴になったのは、ソ連をはじめとする東側諸国が崩壊し、アメリカ一極主義の時代となったころからのように感じます。それまでの世界は、アメリカを中心とする自由主義陣営とソビエトなどの全体主義(共産主義)陣営とが、バランス・オブ・パワーを維持しつつ安定が保たれてきました。若いころの私はそうした世界情勢を日々感じていたものです。しかし、東西の国家を隔てる壁が崩れると、世界中の全体主義国家が次々と「民主化」されていきました。当時の私は「これで世界は平和になる」と思ったもの。しかし、世界は安定するどころか、むしろ混乱から混沌へと変化していきました。

2012年にアメリカのバージニア州で黒人青年が白人の自警団員によって射殺される事件が起きました。この事件をきっかけにBLM(Black Lives Matter)運動がはじまりまったのです。BLM運動とは、アメリカ社会に根深く存在している黒人差別を批難する社会運動で、三人の黒人女性がソーシャルメディアを通じて全米に拡散したとされています(この運動には中国から多額の資金が投入されていたことが後でわかりました)。しかし、この事件の犯人だった自警団員がヒスパニック系で、黒人の大統領であるオバマ氏が国民に冷静になるよう呼びかけたこともあってやがて収束しました。

しかし、2020年、ミネソタ州で黒人被疑者を白人警官があやまって死亡させたのをきっかけに、再びBLM運動に火がつくこととなり、全米で大きな抗議運動がおこる事態にまで発展しました。当時のマスメディアが、トランプ大統領を差別主義者だと扇動的に報道していたこともあって、アメリカ社会の秩序を大きく混乱させる暴動事件に拡大したのです。そして、この社会運動は、いつしかアメリカ建国の歴史をも否定する運動に変わり、建国の父とされる多くの偉人たちの銅像を撤去させることにもなりました。この騒乱は、結果として警察活動を萎縮させ、犯罪を助長して、アメリカ社会を今も混乱させています。

こうした混乱の背景に、2016年の大統領選挙でトランプ氏が当選したことが無関係ではありません。トランプ氏は「今のアメリカがいちぶのエスタブリッシュメント(既得権益者)に牛耳られ、ごく一部の富裕層の金儲けに利用されている。世界から尊敬されていた、かつてのアメリカの栄光を取り戻そう」と主張して大統領選挙に立候補しました。当初、ほとんどのマスコミは彼を泡沫候補として注目していませんでした。民主党の大統領候補者からはもちろん、共和党の候補者たちからも批判されていたトランプ氏を多くのメディアが「きわもの」として報道していたのです。

メディアはトランプ氏の女性問題を繰り返し報道し、彼に差別主義者としての印象を植え付けようとしました。政治家としては州知事の経験すらなく、タレントであり、不動産で築いた大金持ちにすぎない。しかも、下品で無教養、常識も通用しないトランプがアメリカの大統領になったら大変なことになる、と騒ぎ立てたのです。そうしたトランプ氏に対する逆風は、アメリカ国内外を問わず吹き荒れていました。そんな四面楚歌の中、選挙直前の予想では、ヒラリー・クリントン氏が当選する確率は71.4%、トランプ氏は28.6%と報じられました。圧倒的にヒラリー優勢と報道される中で投票がはじまったのです。

開票作業がはじまると、いくつかのメディアがすぐにヒラリーに当確を打ちました。ところが、開票が進むにつれ、トランプ氏が得票を増やしていったのです。終わってみればトランプ氏が選挙人の55%を獲得して当選。世論を読み間違えたマスメディアは意気消沈しました。それでは、トランプ氏が第45代大統領になった2016年からのアメリカの4年間はどうだったでしょう。はじめこそ重要閣僚が次々と交代し、政治的経験がほとんどないトランプ氏に対する懸念が現実のものとなったかのようでした。しかし、その後、政権は安定し、アメリカの秩序と経済は回復しました。アメリカが関与した戦争すら起きませんでした。

トランプ氏が大統領になってからの変化はそれだけではありません。彼がこれまで、そして、今もなお繰り返し批判している、マスメディアの偏向があぶり出される結果になりました。メディアは必ずしも「真実」を伝えているわけではありません。詳しくは「歴史の転換点(4)」に書きましたが、トランプのスキャンダルとして報じられたロシア疑惑が、むしろ民主党オバマ政権のバイデン副大統領によるウクライナ汚職とつながっていることが明らかになりました。ヒラリー・クリントンのメール問題も単なるミスではなく、クリントン財団が世界中から不当な資金を集める団体だったことをも明らかにしたのです。

メディアによるトランプ氏に対する印象操作、恣意的な報道内容が深刻な問題だと私が思うのは、彼を政治的におとしめ、大統領の座から葬り去ろうとする策略に、個人レベルではなく、FBIやCIA、あるいは国務省や司法省などの政府機関が組織的に関与していたからです。これまで我々が映画の中での出来事だと思ってきたことが現実に存在していたのです。アメリカという国家のゆくえが、一般国民の選挙の結果ではなく(その選挙結果さえもが「盗まれたもの」といわれています)、エスタブリッシュメントたちの意志が影響していた。トランプ大統領の登場は、そうした現実に国民が気づき始めるきっかけになりました。

昨年の大統領選挙戦の過程で、ロバート・ケネディ・ジュニアやタルシー・ギャバードといった民主党の大物政治家がトランプ陣営に加わりました。その一方で、共和党の大統領候補だったトランプ氏自身が、共和党内部の抵抗勢力と戦いながら勝ち上がってきたという事実にも目を向けなければなりません。このような異例の出来事が、今のアメリカをとりまく政治問題の深刻さ、あるいは、アメリカ社会の異常さを表しているからです。それはまるで、自由と民主主義の国・アメリカが、社会的に真の自由を失い、いまや民主主義すらなくしかけたぎりぎりのところで踏みとどまっているかのようです。

 

アメリカのみならず、日本をふくむ世界が今大きな変革期を迎えています。これまでの社会のあり方を見直すと同時に、今のこの変革が社会をどのようなものに変えていくのかを冷静に見つめなければなりません。世界は東西冷戦の時代からアメリカ一極主義にながれがかわりました。そして、アメリカが牽引するグローバリズムの波が世界中をかけめぐるようになってからというもの、国境という壁すら必要がないかのような「国際化」があらゆる分野に求められました。しかし、それは一方において弱肉強食の社会を受け入れることを意味していました。強いものが弱いものから奪いとっていく世界観でもあったのです。

世界の1%の超富裕層が全資産の37%を独占しているといわれています。そうした超富裕層の三分の一がアメリカ人です。アメリカでの1%の富裕層が全米資産の30%を所有しています。中国のような共産国ですら、100万米ドル以上の資産をもつ富裕層は人口の0.3%ですが(共産国にこんな富豪が存在していることが異常)、富裕層の平均年収は約3000万円である一方で、年収20万円以下で生活している人民は全人口の40%だと推定されています。自由主義のアメリカであれ、全体主義(共産主義)の中国であれ、真の民主主義のない国家では富の独占が合法的におこなわれるのです。そして、これがグローバリズムの正体です。

日本にも押し寄せてきたグローバリズムの結果がどうだったのか。いわゆる「世界標準」は日本国民のために、ひいていえば日本のためになったのでしょうか。大規模なスーパーによって商店街は次々と姿を消し、もの作りの伝統が先細りとなり、日本の土地が外国資本に買い取られ、不良外国人による犯罪によって治安が悪化しています。もちろん日本の国際化によって、世界中で日本の強みを生かしているという側面もあります。しかし、日本でも「強いものが、弱いものから奪う」ことが合法的におこなわれ、最近では「社会的な弱者を装って公金(補助金)を盗み取る」ということすら横行するようになりました。

「持続可能な社会(SDGs)」というキャッチフレーズで進められている環境問題がいい例です。環境保護の名のもとに、環境の保護にはつながらない価値観を喧伝し、社会のあり方を誘導して公金を盗み取るのです。「脱炭素による地球の温暖化防止」のための再生可能エネルギーの推進もそのひとつ。太陽光発電パネルや電気自動車などは、その生産過程において二酸化炭素を大量に放出します。太陽光発電や風力発電のために、二酸化炭素を大量に吸収する広大な森林が伐採されています。レジ袋だって有料化が脱炭素につながらず、マイクロチップによる海洋汚染すら阻止しないことも今ではあきらかです。

脱炭素の問題に関しては客観的で科学的なデータで検証することができるはずです。それでも現在のSDGsという社会運動は、科学的な検討結果ではなく「環境保護」といういささか情緒的なムーブメント(しかも誰かの思惑によるもの?)に偏りすぎています。「本当にその対策が目的達成のために有効なのか」を考えて脱炭素を主張している人は多くはありません。「なんとなくそう言われているから」「それが企業イメージをあげるから」というあいまいな気持ちでながされている場合が少なくない。それが間違っているということがわかっても、なかなか以前の社会行動に戻せないことがほとんどです。

LGBTやフリージェンダーの人たち、または少数民族に対する差別の問題も同じです。現在の日本に本当の差別が存在するのか。あるとすればどんな差別が存在しているのか。そうした検証なくして具体的な対策は取れないはずです。そもそも日本における差別の問題は、文化的にも、宗教や信仰という観点からも大きくことなる欧米や他のアジア諸国のそれと単純に比較できません。ましてや、日本における差別の問題を、諸外国からとやかくいわれる筋合いはないのです。突っ込んだ国民的議論が国内にないまま、アメリカの政権から指示されたかのように拙速に「解決」しようとするのは間違いです。

差別の問題は、なにをもって差別とするかが情緒的・主観的なものであり、複雑模糊として単純ではありません。いろいろな考え方があるだけに、解決が難しいことなのです。昨日までなんの問題もなかった人間関係が、あらためて差別の問題を提起されてぎくしゃくすることもあります。あえて隠しておきたい人にとって、「カミングアウトして胸を張って生きろ」と強制するのも筋違いです。ひとの心の奥にある問題を単純に善悪という観点であつかえないのです。ましてや精神的にも、社会的にも未発達である子ども達の世界にもちこむべきテーマではありません。その意味で、今の教育は間違っています。

 

人の価値観の問題は拙速に結論を出してはいけません。社会の安定を維持するためには、人々の価値観を調整しなければなりませんが、価値観の問題は単純に「多様性の問題」として解決できないものでもあります。「多様性を認めることのどこがいけないのか」と思う方もいるでしょう。しかし、前述したように、「多様性を認めるべき」という考え方は、ともすると「認めなければならない」ととらえられがちです。そうではなく、「多様性をどう認めていくべきなのか」についての社会的な合意を築くプロセスそのものが重要。必ずしも「認めること」が絶対的な善ではなく、「認めないこと」が絶対的悪ではないからです。

ところが、今の日本において、価値観の問題が拙速に決めつけられているように思います。「基本法」という法律によって、簡単に「いい、悪い」が判断され、学校においても基本法にそった「洗脳」が子ども達におこなわれているのです。これまでの日本人の価値観を修正するような問題は、日本の伝統や歴史、文化や価値観に基づく広汎な議論が必要です。ましてや、特定の人たちの思惑による作為があってはなりません。社会の価値観の変更は、ひとりひとりの生活や人生に関わること。社会は「最大多数の最大幸福」のためにあるべきで、そうした理想を実現するためにも、さまざまな人たちによる深い議論が不可欠です。

アメリカや日本では、自由主義・民主主義を国是として掲げています。国家の役割のひとつは、すべての国民の自由と権利を調整すること。そして、その国家の方向性は国民の総意を反映したものでなければなりません。その国民の意思がいかなるものであれ、尊重されなければならない。それが自由主義の基本です。一方、国民の意思を国政に反映させる手段は選挙結果です。それが民主主義の基本なのです。ところが、最近のアメリカ、あるいは日本においては、そうした自由主義、民主主義を揺るがす構造的な問題が浮き彫りになっています。エスタブリッシュメント(既得権益者)という存在がそれです。

もっと具体的にいうと、国民の意思よりも、エスタブリッシュメントの思惑が政治に反映され、国のゆくすえに影響を与えている点を私は懸念しています。このことが深刻なのは、本来、権力を監視すべきマスメディア自体が権力と化し、エスタブリッシュメントそのものになっていることです。そうした社会の構造的な問題が放置されると、人々の知る権利が制限され、特定の人たちにとって都合のいい情報だけが社会にながされます。そして、国民の意思が操作され、それがまた世論調査の結果となって上書きされていく。そうなればもはや自由主義は全体主義に、民主主義は独裁主義へと変質しかねないのです。

古くは「大本営発表」といわれた情報統制がおこなわれ、国民の戦意高揚に都合のよいことだけが報道されました。また、つい最近まで、TVや新聞などのオールドメディアから発信された情報が世論を支配していました。メディアから伝えられたことを額面通りに受け取った国民だけではなく、他国の国民感情をも動かしてしまう力をメディアはもっているのです。「従軍慰安婦」や「福島原発事故調査報告書」に関する報道がそれでした。間違った記事が書かれたのではなく、世論の誘導を目的としたねつ造記事がよりによって「クオリティ・ペーパー(有力紙)」に掲載され、日本の国際関係にまで悪影響をおよぼしたのです。

メディアからの情報が必ずしも真実ではなく、民意を誘導する手段となっていたことが明らかになったのはソーシャルメディアが発達したからです。確かに、ソーシャルメディアに飛び交う情報は玉石混淆です。受け手による情報の選び方によっては間違った世論を形成する危険性があります。しかし、その一方で、情報が受け手に向けての単方向となれば、その情報は民意を容易に操作できてしまいます。自由な情報が交叉するからこそ、その情報の真実性が見えてくる。社会にあふれる情報を選別するためにも、ソーシャルメディアなどを通じて情報を自由に発信・受信できることは大切です。

ところが、そのソーシャルメディアの利用を制限するべきだという意見が、おもにメディアや政治家という権力者の間から出始めています。そうした動きに我々国民は警戒しなければなりません。国民の知る権利は「正しい情報」を知る権利。どの情報が正しく、どの情報が間違っているのかについては、個々人がリテラシーを総動員し、理性を働かせ、自分自身で判断するしかありません。人々の「価値判断」という「好き、嫌いの問題」を、いかにして「いい、悪い」に近づけるか。そのための指標は個人の理性と良識でなければならない。価値観の違いを超えた「真理」は、多くの人たちによる終わりのない対話によってでしか得られないのです。

※ 下記の動画は、今回の原稿をアップした後に配信されました。私の主張ととても重なるので、是非みなさんにもご覧になっていただきたいと思います。

 【そうきチャンネル】ザッカーバーグ・言論の自由陣営への参加表明

倒錯する平等

アメリカのトランプ前大統領に暗殺未遂事件が起こってしまいました。3年前、安倍元総理も、身勝手で幼稚な犯人に命を奪われました。欧州の先進国各国ではたくさんの不法移民が流入して治安は悪化。世界各地で戦争や紛争が勃発しています。地球全体を飲み込むほどの大きなうねりが生じているかのようです。
ウクライナやパレスチナでは今も戦争が続いています。台湾や朝鮮半島でもなにか「愚かなこと」が起こりそうな気配。にもかかわらず日本、日本人は実に脳天気です。それはまるで童話「蟻とキリギリス」に登場するキリギリスのよう。世界のうねりに日本も飲み込まれてしまうかもしれないというのに。

私には、日本は今、密かに内部崩壊しつつあるように見えます。それはこの崩壊を身を挺して食い止めようとする政治家が皆無だからです。また、戦後、GHQによって再構築された日本の教育が国民を物質主義に向かわせ、「今だけ、金だけ、自分だけ」といった利己的な社会ができつつあることが影響しています。
今のアメリカを見るまでもなく、日本も「自由、平等、差別」が金儲けの手段になり、社会の分断と憎悪を煽る情報が飛び交う時代となりました。そうした日本の現状を憂慮する私見をこれから書きます。いつものように、読んだ方の思想や信条に反する内容によって不愉快な気持ちになったらご容赦ください。

******************** 以下、本文

最近の「平等」って怪しくないですか。「平等」が強調されればされるほど、その本質とは異なった解釈がなされているように思います。そして、その平等に疑問を呈したり、否定する意見を述べると、安っぽい社会正義を振り回されて批難されます。ポリコレによる言論封殺が横行する世の中になったかのようです。

そのひとつの例が「男女平等参画社会」です。我が国では平成13年に男女平等参画社会基本法が施行され、いわゆる「男女平等」が強いられるようになりました。毎年30億円以上の予算が計上されていますが、その内容を見ると驚きます。「こんなことに予算(※)をつける必要があるのだろうか?」と思うほどです。
内閣府男女共同参画局のホームページには次のような記述があります。「男女共同参画社会とは、男女が社会の対等な構成員として、自らの意思によりあらゆる社会活動に参画する機会が確保され、男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会である」と。

以前、「医学部で女子受験生に不利な入試がおこなわれていること」が問題になりました。そして、「医学部入試における女子受験生への不当なあつかいは許されない」との論調に対する私の意見をこのブログの記事に書きました。この問題には考慮すべきやむを得ない理由があるからです。
大学の医学部は関連病院に医師を派遣して地域医療を支えています。したがって、外科や産科といった激務を担う診療科の医師が減ったり、出産や子育てのために診療の現場から離れる医師がでてくるのを大学は嫌います。女子学生が増えて医局の運営にそうした支障がでることを懸念するのです。

「だからといって女子受験生に不利になる入試はけしからん」という人がいるのもわかります。「医局の、あるいは大学の都合で人の一生が左右されていいのか」ということなのでしょう。あるいは「不公平な入試をなくすことと、地域医療の崩壊を食い止めることは別だ」という人もいるかもしれません。
ならば、東京女子医科大学のように男子学生に門戸を閉ざしている医学部の存在は問題にしなくていいのでしょうか。女子医大病院での診療は他大学出身の男性研修医や男性医師によって支えられています。女子医大が男子学生を拒絶しなければならない明確な理由はないはずです。

理工系大学で実施される「女子学生特別合格枠」も同じような事例です。「リケジョ(理系女子学生)」を増やすための方策なんだそうです。でも、なぜリケジョを増やさなければならないのか、その合理的な理由は見当たりません。女子受験生を優遇することの幅広い議論がないまま拙速に決められたことです。
おそらくこの愚策が考えられた一番の理由は、文科省が、理工系大学に女子学生が少ないことを「男女共同参画」に反すると判断したからだと思います。しかし、女子受験生を優遇すること自体が「男女共同参画」の趣旨に矛盾する、とは誰もいいません。この愚策を検討する大学もどうかしています。

ものごとには目的があります。そして、その目的を達成するために方法があるのです。理系職業への女性進出を促すのはあくまでも手段。どうしてそうしなければならないのか、という根本的な目的があっての手段であるはずです。「女子学生特別合格枠」は「手段の目的化」そのものです。
医学部の入試において女子学生を一定数だけ排除するのにはそれなりの理由があります。しかし、それは批判される一方で、東京女子医大のような存在が看過されている。合理的な理由を飛び越えて理工系大学の入試において女子受験生の優先合格枠が増やされようとしている。これは社会理念の矛盾です。

議員や会社役員においても女性の数を増やさなければならないのだそうです。でも、女性議員が増えないのは、立候補する女性が少ないからです。女性役員が少ないことだって、そもそも社員の男女比が違うのだから当然といえば当然。多い少ないは、その出口ではなく、入り口での数で平等を考えるべきです。
出口での数だけで解決しようとするのはあまりにも拙速すぎます。まずやるべきなのは、議員になりたいと思う女性をもっと増やすこと。また、実力と実績があるにも関わらず、女性というだけで昇進できない実体があるかどうかであり、結果としての数の問題ではないはずです。

事例は少し変わりますが、公立学校の中には「ジェンダーレス教育」をおこなっているところがあります。男子生徒はズボン、女子学生はスカートといった制服選びにおいて、男子でもなく、女子でもないジェンダーレスなデザインを採用する学校もあるとのこと。これも実にくだらない発想です。
そもそもそうする目的ってなんなのでしょう。スカートを履きたい男子生徒がいるなら履けばいいし、女子生徒でもズボンにしたければすればいい。「私服で学校に行きたい」というならそれでもいいという話しにすぎません。男女の区別をなくそうとするジェンダーレス教育の目的がさっぱりわかりません。

もしかすると、こうした教育の目的は、LGBTへの子ども達の理解を深めるため、なのかもしれません。しかし、LGBTという存在が長い間、宗教的に激しく迫害されてきた歴史のある諸外国と異なり、日本は古くから現代に至るまでLGBTには比較的寛容だった社会です。古代から男色は公然の存在でもあったほど。
そんな日本において、なぜあえて今、よりによって教育現場にジェンダーの問題を持ち込むのか私には理解できません。男女相互の理解を深め、男女のあり方についての議論を飛び越え、「男女の区別をなくす教育」がなし崩し的に子ども達に施されることを私は強く危惧しています。

先日、最高裁判所が「からだは男でも、心が女であれば女性であること」を認めてしまいました。身体的な特徴から性別を決めることは出来ないという判決です。こうした判決は、必ずや社会に混乱をもたらします。価値観を安直に変更し、それを強制するこの判決はLGBT理解促進法にもとづくものです。
この法律の趣旨は「自分のからだと性との違和感に悩んできた人たち」への配慮。しかし、自分の性に違和感を感じる「男性」は「からだは女だが男性として扱え」とは主張しません。なのになぜ性に違和感を感じる「女性」は「からだは男だが女性として扱え」と言うのか。それこそが「性差」なのです。

軽薄な理想主義に立つ大人達は「平等」を「違いをなくすこと」「均質なものにすること」だと思っているようです。そして、それを子ども達に教育としてすり込もうとしています。しかし、本来、世の中には「平等」にならないことがたくさんあります。いろいろな人が共生する社会とはそういうものなのです。
子ども達には、それぞれの個性を尊重し、少数に配慮しながら最大多数の幸福を追求するのが健全な社会であると教育すべきなのです。
背の低い人は高いところに手がとどかない。力のない人は重いものをもちあげられない。男性は子どもを生むことができない。望んでもかなわないことが社会にはあるのです。

だからこそ、届かないところのものは背の高い人にとってもらい、重いものは力のある人にもちあげてもらう。役割を分担し、足る者と足らざる者が互いに支え合うのが社会。人間は長い歴史を通じてそうやってバランスを保って生きてきたのです。子ども達にはそうした人類の営みを教育しなければなりません。
最近、これまでの社会的価値観を変更する法律が次々とできています。それはまるで個人の思想や信条の自由が国家によって侵害されているのではないか、と思うほどです。でも、そうしたことの問題点を指摘したり、「個人の価値観、社会のあり方に国家が口を出すな」と批判する人がいないのはなぜでしょうか。

外国人旅行者が増え、今では月に数百万人の観光客が日本を訪れています。訪日する観光客は皆、日本の文化、日本の景観、日本人の国民性の素晴らしさを口にします。混乱が続く混沌とした現在の世界情勢と比べれば、外国人観光客たちの評価は決して大げさではないと思います。
しかし、日本や日本人の良さが、最近、変質してきているように感じます。にもかかわらず、その変化を「グローバルスタンダード」だとして気にとめない人が少なくありません。日本は日本の良さを守り、次の世代に引き継いでいくことがいかに重要であるかを、今、あらためて認識すべきです。

国家によって価値観の変更を強いられるかのような昨今のながれは、次々と作られる促進法や増進法といった法律によってあらたなビジネスを生み出しています。いわゆる「平等ビジネス」「貧困ビジネス」あるいは「差別ビジネス」がそれです。まるで促進法や増進法がそのビジネスのためにあるかのようです。
これらは法律にもとづいて公金を吸い取っていくビジネスモデル。政治家や官僚がそのグルになっているのかどうかはわかりません。しかし、本当に社会に必要な法律なのかについての議論もなく、悪意ある人たちによってまんまと利用されているのではないか、と疑いたくなるほど拙速です。

これまでの記事でも繰り返してきたように、世界は歴史の大きな転換点にあります。地球上の至るところで大きなうねりが起ころうとしています。その世界の荒波の中で日本が生き残るためにどうすればいいのかを真剣に考えなければなりません。しかし、多くの日本人はそうした世界の現状にはほとんど無関心です。
それはまるで童話「蟻とキリギリス」のキリギリスのように見えます。国民は脳天気でもいいでしょう。でも、深刻なのは、日本が世界の大きなうねりに飲み込まれようとしているのに、日本の舵取りをするお馬鹿さん達はそれに気付いていないこと。「聴く力」はもう結構。知性と理性でしっかり舵取りしてくれ。

(※)あとで調べたところ、男女共同参画関連予算は総計で9.6兆円にもおよぶそうです。

ちなみに、SDGs関連予算は6.3兆円、「こども家庭庁」の予算は5.3兆円だとか。いります?

 

 

尻馬に乗る人たち

このブログにふさわしいことかどうか迷いましたが、黙っていられないので少し書きます。これまでこのブログに掲載したものは一本たりとも消去することなく掲載しています。しかし、今回の記事に書くような内容は、それぞれの個人の価値観に関わるもの。どれが正しくて、どれが間違いかを断定することができません。ですから、あとで私自身が不適切だと思った時点で消去するかもしれません。

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私は子どものころから、親によく「おまえは変わってるね」と言われてきました。確かに、今、振り返ってみても、いわゆる「普通の子」ではなかったように思います。なにが「普通」なのかはっきりしませんが、それでも他の子ども達と違っていたことは、当時の自分もなんとなく自覚していました。簡単にいえば、誰かの指示の通りに動くことができなかったのです。指示通りにしたくなかったといえるかもしれません。同調圧力のようなものを感じたときはなおさらだったように思います。

親戚の子ども達が集まったとき、「みんなでトランプをやろう」と盛り上がっても、私だけは「僕は見てるからいいや」とみんなの輪からはずれました。「どうして?一緒にやろうよ」と言われれば言われるほどかたくなでした。そのときの私は、みんながトランプをしているのを見ているだけで楽しいのに、なぜ「一緒にやらなければならないのか」と思ったのです。でも、そんな私を見ていた親は、仕舞いには「どうしてそうなんだろ。おまえはほんとに変わった子だね」とあきれていました。

日本で開催されたバレーボールの国際大会がTV中継されたときのこと。日本チームに対する応援はいつになく熱を帯び、会場には「ニッポンっ、ニッポンっ」と大声援がこだましています。そして、日本の好プレイのときばかりでなく、相手のチームがミスをするたびに大きな歓声が沸きました。それを見ていた私は、日本チームへの歓声が大きくなればなるほど相手チームを応援していました。観客の応援からは相手チームに対するリスペクトを感じず、一糸乱れぬ熱狂的な応援ぶりに気持ちが冷めてしまったからです。

これまでの例えと本質的には異なることですが、今の「ジャニーズ問題」には、私の「あまのじゃく」が敏感に反応しています。私はジャニーズ事務所などなくなってもいいと思っています。いっそのこと、芸能界そのものがなくなってもいいくらいです。しかし、最近のジャニーズ事務所への「いじめ」のような報道のあり方、社会の反応には「大いに問題あり」だと思います。これは正義の名を借りた制裁だからです。しかも必要以上の制裁であり、場合によっては不当な制裁ですらあるからです。

今回の「ジャニーズ問題」の本質を考えてみましょう。多くの人は故・ジャニー多喜川氏による「性加害、とくに未成年者に対する性加害」の責任を追及していると思い込んでいます。しかし、よく考えてみてください。今、マスコミが、社会が責めているのは誰でしょうか?すでに亡くなってしまった加害者本人の責任を追及しているでしょうか。すると人は言うでしょう。「それを見逃してきた事務所にも責任がある」と。でも、見逃してきたのは事務所だけですか?その責任を追及する側にも責任はありませんか。

これまで性加害の存在をうすうす知っていながら、見て見ぬ振りをしていた人たちに責任はないのでしょうか。故・ジャニー多喜川氏の力と金を利用してきたTV局をはじめとするマスコミ、そのタレントを使ってきた企業はもちろん、タレントを守ってこなかったファンにも、自分たちの子どもをジャニーズに入れてきた親たちにも責任がないとはいえないはず。多くの人たちにも多かれ少なかれ責任があるというのに、なぜ、今、事務所ばかりがあれだけの批判を受けなければならないのでしょうか。

ジャニーズ事務所との契約を解除する企業があとを絶ちません。それは「性加害があったから」ではありません。「性加害があったことが公になってしまったから」です。どの企業も性加害の存在に目をつぶり、これまでタレントを番組に出演させ、CMに起用してきたではありませんか。そうした企業がまずすべきことは、これまでの経緯を猛省し、自らのコンプライアンスを見直すことから始めるべきです。なのに、まずは事務所を切り捨てるという身勝手さ。それはまるで自分たちの責任から逃げるかのようです。

経済同友会の新浪剛史氏は記者会見で「これからもジャニーズ事務所の所属タレントを使うことは小児虐待を認めること。国際的にも理解されることではない」と述べました。まるで他人事です。今回の事件について、こんな英雄気取りの経営者がいる企業がどんな会社かは推して知るべし。そもそも企業が、そして社会が守るべきなのは性被害にあったタレントたちのはず。事務所を切り捨てれば、そうしたタレントたちは救われるのでしょうか。まず守るのが自分たちの企業ブランドというのはあまりにも身勝手すぎます。

尻馬に乗る人が多すぎませんか。「水に落ちた犬は叩け」という言葉があります。これは窮地に落ちたライバルは非情になって蹴落とすべし、という意味に解されます。まさしく今のジャニーズ事務所が置かれた状況を表しているかのようです。しかし、この言葉は本来、「水に落ちた犬は叩くな」という日本の慈悲のことわざを、中国の魯迅が「水に落ちた狂犬には情けをかけるな(助けても襲われるだけ)」という意味で「叩け」と代えたとされています。ジャニーズ事務所ははたして狂犬なのでしょうか。

「福島を守れ」といいながら「フクシマを忘れるな」とカタカナ書きにして差別し、「福島を支えよう」といいつつ、処理水を「汚染水」と呼び、それを「Fukushima water」と書いて福島沖の魚までを汚れたものにでっちあげる。この人たちにとっては、福島のこと、福島県民のことなどどうでもいいのです。自分らのイデオロギーの拡散に利用しているだけですから。このような偽善の裏に「ことの本質」など関係ありません。なに(だれ)を守って、なに(だれ)を支えなければならないのかなどどうでもいいのです。

ついでに言えば、東日本大震災で発生してしまった原発事故は、これまで経験したことのない大地震、そして、予想をはるかに超える大津波が原因です。東京電力を犯人扱いすることは間違いです。東電は事故後まさに懸命な作業で危機を救ってくれた恩人ですらあります。そもそもが、関連死とされる人はいても、原発事故で直接亡くなった人は一人もいません。責任うんぬんをいうのであれば、それまでの原発頼りだった政府のエネルギー政策であるはず。東京電力そのものではありません。

2万人あまりの死者・行方不明者をもたらしたのは津波。想定をはるかに超える大津波に対策を講じてこなかった東電に責任があるのであれば、そうした津波を想定して巨大な防潮堤を建設し、たくさんの住民を移住させなかった地方自治体の責任はもっと大きいはず。東北各県・各地域の被害の補償を都合良く東京電力ばかりに押しつけるのは合理的ではありません。あの震災においては東電だって被害者。みんなが被害者なのです。にもかかわらず、尻馬に乗って「東電叩き」をする人のなんと多いことか。

ジャニーズ問題や原発事故に対する個人の感情はさまざまです。合理的に判断できる人もいれば、感情的になってしまう人もいる。それは仕方ないことです。しかし、人の尻馬に乗っかって、一緒になって「溺れる犬」を叩く人が私は嫌いです。ましてや相手の闇を知りつつ「持ちつ持たれつ」でうまくやってきたのに、その弱り目に乗じて叩く側に回っても平気な卑怯者が大嫌いです。そうした恥知らず(の人や企業)はいつかまた同じように他人(消費者・社員)を利用し、自分が窮地に追い込まれれば平気で踏み台にします。困ったときに真の友人、人の本質がわかります。こういうときにこそ冷静な観察眼を持ちたいものです。

 

 

軽薄な理想主義

以下の文章は、当ブログを愛読していただいている洋子山根コリンズさんが主催する「短歌通信」に掲載していただいたものです。洋子さんのご許可をいただいて掲載いたします。

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かつての私はどちらかというと左翼的な思想の持ち主でした。高校生のときは「天皇は国民の人気投票で決めたらいい」と友人にうそぶいていましたし、日本の伝統や文化はおろか、日本の歴史にすら関心がありませんでした。むしろ、戦前・戦中の日本を、先の大戦で植民地の拡大をもくろみ、アジア諸国を侵略した恥ずべき戦犯国家だと思い込んでいたといっても過言ではありません。

若いときはテレビばかり観ていました。とくに、ドラマやドキュメンタリー、報道番組などが好きでした。「マスコミからの情報は正しい」と信じて疑っていなかったのもこの頃です。フィクションのドラマの中での出来事を実際にあった事件と錯覚するときすらありました。それほどまでに当時の私の価値観に影響を及ぼしていたのがマスコミから流れてくる情報だったのです。

戦時中の日本を批判的に描くドラマを昭和ひとけた生まれの母と観ていたときのことです。そのドラマにいたたまれなくなったのか、母は「昔の日本はこんなにひどい国じゃなかった」とポツリと言いました。私は「戦前の教育に洗脳されている連中ときたらまるで反省がない」と思ったものです。リアルタイムの戦前・戦中を知る両親よりもテレビの世界を私は妄信していたのです。

三島由紀夫の有名な一節があります。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。(果たし得ていない約束ー私の中の二十五年:1971年より)

三島が自決したのは私がまだ小学生のころ。盾の会を率いて「来たるべきとき」に備えて軍事訓練をする三島が、幼い私の目には「兵隊ごっこをする大人」としか映っていませんでした。しかし、その数年後、三島はまるで戦国時代の武士が現代によみがえったかのように切腹して自らの命を絶ちました。そのギャップに子どもながらに強い衝撃を受けたことを今でも覚えています。

三島の足跡をたどってみると、幼いときから病弱で、徴兵検査にも合格できなかったことが彼の負い目となり、そのことが戦後の彼を変えていったことがわかります。青年期という多感な時期に戦前と戦中を過ごした三島が、敗戦を契機に変わっていく日本をどう見ていたのか。「究極のリアリスト」でもある三島由紀夫が書き残した憂国の短い文章は多くのことを語っています。

三島が「究極のリアリスト」だとすれば、先日亡くなった大江健三郎は「軽薄な理想主義者」に見えます。彼は天皇制に批判的な立場をとり、平和と反戦を叫びながらも中国の核実験を擁護しました。三島とは対局にいるかのような大江健三郎という知識人は、リアリストたろうとしながらも結局は理想主義、個人主義の枠を超えることができなかった人物だったようです。

ロシアとウクライナの戦争が続いています。しかし、その戦争にいたるまでの経緯を知らない人が少なくありません。ウクライナは、ロシアから欧州に向かうパイプラインの中継基地として重要な位置にあります。そして、その石油や天然ガスの利権にアメリカ企業が関与し、ウクライナをこれまで翻弄してきたのです。今の戦争にはアメリカの国際戦略が少なからず影を落としています。

とはいえ、ウクライナがロシアに負ければどうなるかがまるでわかっていない人が多すぎます。その歴史的背景がどうであれ、武力による侵略を受け、国境が力ずくで変更された国家は必然的に崩壊します。いつしか世界史から消えていくのです。これまでの世界史が繰り返してきたその恐ろしさをリアルに感じとることができない日本人が少なくないのはなぜでしょうか。

知識人と呼ばれる人たちは、安全な場所に身を置きながら「命は地球より重い」と叫びます。しかし、「人間の尊厳はときに命よりも重い」という側面にも目を向けるべきです。ウクライナを守るために戦っている人々ははたしてなんのために命をかけているのでしょうか。国際法を破って隣国を侵略した国家を暗に容認してしまうような平和主義は真の平和主義とはいえません。

脱原発というムーブメントもそうです。安全保障を無視したエネルギー政策はありえないはずです。また、放射能への恐怖心に翻弄されるあまりに、原子力に代わるはずの化石燃料が多くの人の命を奪い、地球の温暖化に拍車をかけている事実に目をつぶってはいけません。現時点で、太陽光発電であれ、水素燃料であれ、総じて原発を完全に代替するものにはなりえないのです。

福島原発事故の際、原発の再稼働問題について坂本龍一は「たかが電気のこと(で放射能の危険性を無視することはできない)」と発言しました。その彼はヘビースモーカーとして知られています。しかし、タバコの煙にはポロニウムという毒性の強い放射性物質が含まれており、一日三十本の喫煙をする人は年間で八十ミリシーベルトの被爆をしているともいわれています。

彼の音楽活動において大量の電気は欠かすことはできません。つまり、あの坂本龍一にとっても電気は「たかが」と呼べるほど些細なものではないのです。また、タバコが原因とも思える中咽頭癌に苦しんだ彼は、皮肉にもその治療に放射線療法を選びました。私は彼に電気を使うな、放射線治療をするなと言っているのではありません。現実を無視した彼の理想論を批判的に見ているだけです。

社会のリアルはもっと厳しいものです。そのような現実に目をつぶって理想論を叫ぶのは簡単です。私が大江健三郎や坂本龍一たちを「軽薄な理想主義者」と呼ぶのはそのためです。日本のアニメを牽引する宮崎駿もまた同じ。あれだけたくさんのタバコを吸い、周囲に副流煙の健康被害をおよぼしているかもしれないのに、「原発に反対」とはあまりにもご都合主義すぎます。

ながながと書いてしまいましたが、アメリカのBLM運動に端を発し、ウクライナ戦争にいたる世界規模の社会の分断と不安定化は、台湾をめぐる中国の覇権主義によってさらに深刻な対立と混沌に突き進んでいく様相を呈しています。今こそ「軽薄な理想主義」を克服し、厳しいリアルと対峙しながら行動する勇気が必要なのではないか。多くの人にそれに気づいてほしいと願ってやみません。

 

WBCの優勝に思う

2023年のWBC(World Baseball Classic)は日本の優勝で幕を閉じました。予選のときからドキドキに耐えることができなかった私は、日本の選手達の奮闘ぶりをリアルタイムで見ることができませんでした。翌日、日本が勝ったことを確認してから、YouTubeで試合のダイジェスト版を見るのが精一杯。毎試合、毎試合、そんな具合でしたが、さすがの私もメキシコ戦での奇跡的な逆転劇と、まるで劇画を見ているかのような大谷対トラウトの一騎打ちには興奮しました。今回のWBCはこれまでで一番印象深い大会だったと思います。

プロとアマチュアの差は大きいかも知れませんが、プロ選手間の能力の差はわずかです。とくにWBCに出場するほどの超一流の選手ともなればその能力にはほとんど違いはありません。あとは「運の差」だけだといっても過言ではないでしょう。とはいえ、「運も実力のうち」です。大谷選手といった超一流といわれるプレイヤーのパフォーマンスは、自分の能力を極限にまで高めようとする強い意志と不断の努力があってはじめて「運」さえをも呼び込むことができるんだということを教えています。

初の日系人メジャーリーガーとして選ばれたラーズ・テーラー=タツジ・ヌートバー選手の母親は日本人。彼が9歳のとき、ヌートバー家は日米親善試合のためにアメリカに遠征してきた高校野球の日本人選手をホームステイさせました。それをきっかけに少年ヌートバーは「日本の代表選手として野球で活躍したい」という夢を抱いたといいます。そして、その夢を夢として終わらせることなく、リトルリーグから高校、大学、そして、大リーグへと努力を続けた結果が彼の長年の夢であった日本代表選出につながりました。

それにしても大谷選手は、いち選手としてだけではなく、日本チームのまとめ役として欠くことのできなかった存在でした。日系人のメジャーリーガーであるヌートバー選手を招集することも、当初は賛否両論だったといいます。しかし、大谷選手がヌートバーと他の選手達の間に介在することによってチームの結束を高めることにつながったようです。大谷選手が幼い頃から選手としても、また人間的にも秀でた野球少年だったことは周知の事実ですが、それは彼の努力に裏打ちされたものだということも忘れてはいけません。

野球はチームプレイのスポーツです。しかし、投げるだけ、打つだけの成績を残そうとすれば、個人の能力を高めることでそれなりの数字を残すことができます。チームとして負けようが、投手としての、あるいはバッターとしての成績で満足することは可能なのです。今回のWBCが今までになく面白く、充実した大会だったと感じるのは、いずれの試合でも日本チームが一丸となって戦い、最後の最後まであきらめずにプレイし、すべての選手が自分にあたえられた仕事をしっかりこなす姿が垣間見られたからです。

そうしたことを選手達自身も感じていたようです。岡本選手は記者会見で「野球はこんなに楽しいんだと思った」と感想を述べています。この言葉に会場にいる人たちから笑いが沸き起こりましたが、彼は心底そう思っているんだろうと思います。小さい頃から際立った選手だった彼も、その道のりのかなりの部分が「人から強いられたもの」だったのかもしれません。ときには体罰があったかもしれませんし、「なぜ自分は野球をしているのか」という疑問を感じながらプレイしていたときもあったかもしれません。

岡本選手の「楽しかった」という感想は、チームとしての一体感を感じながら、「優勝」という目標に向かって努力することの楽しさをはじめて知ったという意味なのでしょう。人に指示されてではなく、また、人に強制されてでもなく、自分がなにをしなければいけないのかを主体的に考える野球ができたということを彼の言葉は物語っています。チームプレイのスポーツの醍醐味はそこにあります。近年のアメリカのメジャーリーグが面白くないのは、チーム野球というよりも選手個人の野球が目立ってしまったからでしょうか。

今回のWBCの対メキシコ戦を観終えたとき、私は2015年のラグビーW杯「日本VS南アフリカ戦」を思い出しました。試合終了まであと少しとなったとき、日本はペナルティーゴールで点をとれば強豪南アフリカと引き分けにできるチャンスを得ました。しかし、日本チームはそのままスクラムを組むことを選択します。スクラムから逆転ゴールという可能性に賭けてのことでした。南アフリカに勝つことは容易なことではありません。しかし、引き分けよりも勝利に賭けた日本は、その後奇跡的な逆転劇を演じることになりました。

W杯16連敗であり、ランキング13位の日本がランキング3位の南アフリカを相手にスクラムを選択し、土壇場で逆転できたのは、おそらくチームとしての完成度を選手達自身が感じていたからだと思います。ラグビーではよく「one for all, all for one(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)」という言葉が使われます。まさにこの言葉通りのチームであり試合だったからこそ、あの奇跡的な逆転勝利につながったのでしょう。W杯での勝利のために積み重ねてきた努力が呼び寄せたワンシーンだったのでしょう。

大谷はファイターズに在籍していた時、不甲斐ない選手を前にこう鼓舞したといいます。「遊びたい。飲みたい。いろいろやりたい。そんなので優勝できるわけがない。勝ちたいなら野球をやるしかないんです」と。個人としてあれだけの成績をおさめてもなお、チームとしての勝ちにこだわる大谷翔平選手。彼は今回のWBCでときに感情をあらわにしていました。これまでにはなかったことだといいます。でも、私には、大谷選手が、他の日本選手を鼓舞するためのパフォーマンスを意識的にしていたように見えました。

同じく今回の優勝に貢献した近藤選手はかつて、自分のチームの監督に就任した新庄監督の「優勝なんか目指しません」という言葉に反発しました。「勝った方が楽しい。勝つことによって自分のレベルがあがるんだ」と反論します。その後のファイターズは、新庄監督がいった通りになりました。彼は「(今のチームは)連勝もすれば連敗もするという典型的に弱いチーム。そもそもチームが勝とうとしていないのだから」とコメントしています。そして、彼はその後、ソフトバンクに移籍してしまいました。

私がまだ熱心に野球を観ていた子どもの頃、巨人のような常勝チームがある一方で、大洋やヤクルト、ロッテといった負けてばかりのチームがありました。巨人のように資金力のあるところは、力のある選手を集めることが容易でした。おそらく、チーム内は勝つのがあたりまえの明るい雰囲気に満ちていたことでしょう。しかし、「負け癖」のついていたチームでは、「勝つんだ」「負けないぞ」という執念のようなものが欠けていて、選手自身がモチベーションを高め、それを維持することはさぞ難しかったに違いありません。

モチベーションの低い環境の中で努力することの困難さは想像を超えます。今ではドラフト制度が改革され、お金にものをいわせて有力選手をかき集めることが難しくなっています。そして、それはチームの力を均等化することに貢献し、常に勝ち続け、ダントツの1位で優勝するチームも以前ほどはいなくなってきました。また、かつては負け続けて「弱小」と呼ばれていたチームの選手たちのモチベーションを高めることにもなっているはず。「頑張れば勝てるかもしれない」という思いが原動力になっているからです。

最近は「頑張らなくていい」という耳障りのいい言葉をよく耳にします。「なぜ一番でなければいけないのか」とか、「根性とかいう言葉が嫌い」とか言う人もいます。もちろん、それでもいいのです。事実、頑張らなくてもいいし、一番でなくても、根性をもっていなくてもいいのですから。しかし、「悪しき平等主義」は一番になることや、一流になろうとすることをも否定します。それはまるで頑張っている人さえ否定しているかのようです。平等主義とは平等を強いることではなく、違いをリスペクトすることのはずです。

機会の平等主義というのもあります。チャンスはすべての人に等しく与えられるべきだという考え方です。とはいえ、チャンスは平等でも、結果が同じとはかぎりません。能力のある人は、その能力に応じた結果を得ていいはずです。その一方で、能力の違いを努力でカバーすることには限界があります。でも、その格差は決して不平等ではありません。ましてや差別などではありません。今回のWBCの試合を観たり、出場選手たちの思いに耳を傾けてみると、目標に向かって頑張ることの尊さ、あるいはお互いの違いをリスペクトすることのすばらしさを改めて感じます。そして、自分の夢や理想を体現している一流の人たちから、私たちもなにかを学ぶことができるような気がします。

とある父子の会話

とある家庭での会話です。他意はありません。とにかく聴いて(読んで)ください。

子:「新型コロナのワクチンって結局意味がなかったよね」

父:「なんでそう思うんだい?」

子:「だってあれだけの数の国民がワクチン打っても感染が治まらないじゃない」

父:「感染が治まるなんてのはまだまだ先のことさ」

子:「そろそろ勘弁してほしいよ」

父:「ほんとだな。日本だけじゃなく、世界中の人がそう思ってるだろうね」

子:「ワクチンを打ってもこうなるんだから、ワクチン接種なんてやめちまえばいいんだ」

父:「打ちたくなければ打たなくてもいいんじゃないか」

子:「今さらなんだよ。以前はワクチン接種を勧めていたくせに」

父:「『ワクチンなんて意味がなかった』って本当に思ってるんだね」

子:「逆に聴くけど、意味あった?」

父:「そりゃあったさ。ワクチン接種の効果は科学的にも示されているし」

子:「それじゃ、なぜ、今、こんなにたくさんの人が死んでいるのさ」

父:「怖い?」

子:「怖いに決まってるよ。この間の新聞にだって『過去最多の死者数』って書いてあったし」

父:「現象のほんの一面しか見てないとそう思うだろうな」

子:「どういう意味?」

父:「よく考えてごらん。100人の人が感染して1人の死者が出るのと、10000人の人が感染して
100人の死者がでるのとで違いがあるかい。どちらも致死率1%なんだよ。新聞が書いたように
後者は前者の100倍の死者数と大騒ぎするようなことじゃないでしょ」

子:「でも、感染者数は100倍になっているということは事実だと思うけど」

父:「その通り。それならそう書くべきでしょ。『感染者が100倍になった』とね」

子:「でも・・・」

父:「『感染者が100倍になった』という伝え方ではなく、『100倍の人が死んだ』と伝えるのは
間違っている。『100人の人が死んだ』かもしれないけど、『100倍の人が死んだ』わけじゃない
んだから」

子:「それなら『100倍の人が感染した』ってことは問題じゃないの?」

父:「状況によっては問題だろうね。たとえば新型コロナウィルスの感染がはじまったときのよう
  に致死率が比較的高いままの状況が続いているなら感染者数が増えるのはもちろん問題だよ」

子:「今の致死率は低いの?」

父:「そうだよ。今のオミクロン株は従来の季節性インフルエンザよりも致死率は低いとの言われ
ているんだ。そもそも感染当初の新型コロナウィルスと今のウィルスは似て非なるものといえ
るかも。だって遺伝子がかなり変異してきているからね」

子:「遺伝子が変異すると感染力は高まるけど、致死率は低下するってこと?」

父:「一般的にはその傾向があるとされている。でも、今の致死率の低下にはワクチン接種が広く
おこなわれたことも大きく寄与しているだろうね」

子:「『ワクチン接種をしても結局は感染しているじゃないか』って言っている人たちもいるよ」

父:「いるだろうな。でもそれは当たり前なんだよ」

子:「ええっ? 当たり前って・・・」

父:「だって今流行しているのはBA.4、BA.5といわれる遺伝子型をもつウィルス。でも、多くの
人が接種してきたワクチンはそれには対応していないんだからね。効果が限定的になっても
仕方ない側面もある」

子:「ワクチンを打ったのに感染してしまったら・・・」

父:「そもそもワクチンの効果には感染予防という側面と重症化予防という側面がある。新型コロナ
ウィルスのワクチンに限らず、完全に感染は予防できないものなんだ」

子:「感染してしまうワクチンなんて意味が・・・」

父:「感染を完全に予防できればいいけど、重症化を予防することの方が重要じゃないか。実際に
今の感染状況は『感染者は多いが、重症化する人は比較的少なく、亡くなる人はもっと少ない』
っていえる。これはワクチン接種を広くおこなった結果なんじゃないかな」

子:「中国はワクチンを接種してきたのにあれだけの人が死んでるよ」

父:「日本とはワクチンの接種率も違うし、ワクチンの種類も違うからね。中国製の不活化ワクチン
は、日本が使用しているmRNAワクチンよりも効果が低いとされていたからね」

子:「感染者もあれだけ増えて、薬屋さんから解熱剤がなくなったみたいだね」

父:「船戸内科医院の先生から聞いただろ。『むやみに解熱剤使わないように。発熱も大切な生体
反応だよ』って」

子:「TVで言ってることとちょっと違うことをいうから信じていいのかわからない」

父:「まともな医者は船戸内科医院の先生と同じことを言ってるみたいだぞ」

子:「結局、ワクチンは打った方がいいの?」

父:「致死率が低下した今となっては個人の判断だろうな。打たなければ感染確率も、重症化する
危険性も高くなる。接種しない人はそうしたことを受容した上で、さらに他人にうつさない
ようにことさらに配慮しなければいけないよね」

子:「『他人のためにワクチンを接種するのはゴメンだ』といっている人もいるね」

父:「残念だけど、そういう人がいても仕方ない」

子:「今の新型コロナは風邪みたいなものだから、ワクチンを接種しなくてもいいのかな」

父:「ワクチンを接種したおかげで、新型コロナに感染しても風邪程度の症状ですんでいる人が多い
みたいだね。でも、コロナに感染したのに自分は風邪だと思って感冒薬を飲んで会社や学校に
行く人がいて、そういう人たちがまわりに感染を広げているんだよ」

子:「船戸内科医院の先生は『風邪薬は風邪を治す薬じゃないんだから、こちらもむやみに服用
しないように』って言ってるね」

父:「風邪薬で症状が軽くなると『治った』って思っちゃうからね。だから、今は風邪症状があれば
新型コロナに感染したと思うべきで、そのかわり心配せずに自宅内隔離で安静にしていればいい
ようだね」

子:「すぐに検査をすれば安心だしね」

父:「いやいや。船戸内科医院のブログにも書いてあったけど、検査は『一番怪しいときにする
もの』らしいぞ。陽性のときにのみ意味があって、陰性だからと言って『コロナじゃない』
って証明にはならないらしい」

子:「ということは検査も意味がないってこと?」

父:「そうじゃない。重症化しそうなとき、つまり、肺炎になってしまったかもってときにこそ
検査が必要だってことらしい」

子:「でも、熱があると学校からすぐに『検査をしたか?』ってすぐに聞かれる」

父:「学校や会社はアリバイ主義だからな。検査の意味がまるでわかってないんだよ」

子:「検査をしないと学校にもいけないからなぁ」

父:「本来、風邪症状があったら学校や会社を休むべきなんだよ。他人にうつしちゃうからね」

子:「学校より病院にいくべきってことだね」

父:「でも、本来、風邪であるにせよ、新型コロナにせよ、特効薬なんてないからね」

子:「薬がない?」

父:「そう。基本的には家で安静にしていればいい。そうするしかない」

子:「それならなんでみんなは薬をもらいに病院にいくの?」

父:「それは『ツラい症状』を軽減する薬をもらいにいくんだよ」

子:「症状がつらくなければ薬はいらないってこと」

父:「そのとおり。家で安静にしていればいいだけ」

子:「それで具合が悪くなったらどうするのさ」

父:「そのときはかかりつけの医者に電話で相談すればいい」

子:「TVでは『風邪症状がでたら早めに病院へ』っていってるけど」

父:「早めに病院へ行ってなにをするんだい?」

子:「そんなこと素人にはわからないさ」

父:「病院に行くだけで、人からうつされたり、人にうつすリスクがある」

子:「なにがいいことなのかわからなくなりそうだ」

父:「確かに。でも、船戸内科医院のブログをもう一度読み直して整理してみたらどうだい」

子:「うん。そうするよ」

いい会話ですね。では、皆さん、くれぐれもご自愛ください。

昭和、大好き。

今回はちょっと雑ぱくなことをだらだら書きます。

昭和レトロがいちぶの人たちの間でブームになっているというニュースを目にしました。その「いちぶの人たち」とはおそらく私のような「昭和ど真ん中の世代」なのでしょう。今よりも不便なことも、理不尽なことも、残念なことも多かった時代ではありましたが、昭和には多くの人たちに夢や希望があり、「明日は今日よりいい日になるかも」という思いがあったように感じます。

今という時代はいろいろな意味で社会が成熟しているといえなくもありません。機会の平等や豊かな生活が世の中の隅々に行き渡り、多様な生き方さえもが許容される寛容な社会になったともいえます。しかし、その一方で「義務よりも権利」という意識が強くなり、昭和以来の価値観が徐々に変質して、「社会よりも個人」「自由から混沌へ」と大きな振れ幅で変化しつつあることに戸惑うことも少なくありません。

現代社会は自由と平等が尊重される一方で「格差社会」をも生み出しました。チャンスも努力次第で平等になりましたが、富は富める者に集まる傾向がさらに強まっているように思います。富める人たちがその経済力にふさわしいお金の使い方をするかといえば決してそうではありません。デフレの時代に染みついた「節約・倹約・清貧」「よいものをより安く」という価値観は富裕層にまで浸透しています。

大量消費社会を必ずしもいいとは思いません。と同時に、SDGs(持続可能な開発目標)というスローガンも素直に受け入れることができません。今の日本に広く漂っている「閉塞感」は、社会にながれるお金が一部の人たちに偏在し、流動性が阻害されていることから生じているように思えます。お金のある人がもっとお金を使い、「良いものがより高く売れる社会」にしていかなければならないと個人的には思います。

イギリスのベンサムは「最大多数の最大幸福」という社会のあり方を主張しました。多くの人が幸福感を感じる社会を善とするこの考え方を功利主義といいますが、この思想はあたかも今の社会のあり方を批判しているかのようです。なぜなら現代は「上位1%の富裕層が世界の個人資産の40%近くを所有する社会」であり、「コロナ禍にあって富裕層はさらに裕福になっている」という矛盾をかかえているからです。

昭和は「みんなが貧しかったが、みんなが明日を信じていた時代」だったように思います。いろいろな不自由さに我慢を強いられることもありましたが、行き過ぎたポリティカルコレクトネスが幅を効かせる今より人々の心の中はもっと自由だったかもしれません。その意味で昭和は「各人が少しづつ我慢をしながら全体として調和をとっていた功利主義的な時代」だったといえるかもしれません。

これまでの歴史を振り返ると、民主主義が発達していない独裁国家は、自国民の幸福よりも国家の覇権を求めます。それはフランスのナポレオンも、先の大戦のナチス・ドイツもそうでした。プーチンは「ウクライナのネオ・ナチを掃討する」とウクライナに侵攻しました。しかし、彼のやっていることはナチズムそのものです。真の民主主義が育っていないロシアの国民にはそれを止めるすべがありません。

ロシアがはじめた戦争は、ウクライナからの予想外の反撃によって長期化する気配です。武力による国境の変更という暴挙はヨーロッパのみならず全世界にも暗い影を落としつつあり、まさに第三次世界大戦さながらといえるかもしれません。先の大戦でたくさんの自国民を犠牲にし、その後も決して国民を幸福にはしなかったソビエトの地に人権を尊重する真の民主主義はなかなか育たないようです。

先日の新聞に昭和天皇に仕えた武官の日記が公開されたという記事が掲載されていました。敗戦が濃厚となったころの日本は、まるで今のウクライナと同じように、国土は荒廃し、たくさんの国民が犠牲になっていました。その時の昭和天皇のご様子を記録した日記は「昭和天皇実録」にも収載されていないらしく、これまで知られていたものとは異なる陛下のご心情を垣間見ることができます。

その日記によれば、このまま戦争を継続すれば、さらに多くの国民を失い、国土を荒廃させ、戦後の復興が困難になることを昭和天皇が憂いておられたとのこと。また、出撃する若い特攻隊員たちが辞世の寄せ書きをする様子を紹介したニュース映画をご覧になりながら涙をぬぐっておられたそうです。皇祖皇宗から引き継いできた国民・国土のことを考えて忸怩(じくじ)たる思いだったに違いありません。

以前のブログにも書きましたが、昭和天皇は皇太子になられてすぐ第一次世界大戦直後の荒廃したヨーロッパを歴訪されました。これは「将来の国家元首として戦争がいかに悲惨なものかを知っておくべきだ」と考えた西園寺公望や東郷平八郎たちの発案だったとされています。西園寺や東郷自身も幕末から明治にかけて全国で勃発した内戦の厳しい現実を身をもって体験してきたからだと思います。

当時、皇太子だった昭和天皇の目には、破壊の限りをつくした町並みはどのように映ったでしょうか。また、戦禍を乗り越え、復興に向けて立ち上がろうとするヨーロッパの人々の姿をどう思ったでしょうか。陛下は中国大陸への戦線拡大に反対しました。しかし、そのご意志に反して日本は日華事変に突入してしまいました。それほどまでにソ連の南下政策が日本の安全保障を脅かしていたからです。

少し話しはそれますが、戦後、GHQの最高司令官となったダグラス・マッカーサー元帥も第一次世界大戦のときヨーロッパにいました。アメリカ軍の参謀だった父親とともにヨーロッパに滞在していたのです。モンロー主義という孤立主義に徹していたアメリカは、それまでヨーロッパの戦争には関与しない態度をとっていました。しかし、大戦がはじまるとアメリカはその方針をひるがえして参戦を決めたのです。

マッカーサーは第一次世界大戦末期のヨーロッパにおいて、敗戦の色濃いドイツ帝国からほうほうの体でオランダに亡命する皇帝ウィルヘルム2世の姿を目の当たりにしました。自らの責任を放棄し、何両もの貨車に財産を積み込んで逃げていく国王。彼はオランダへの亡命後もしばらく皇帝からの退位をも拒否しました。亡命の責任は自分にはないというのが理由でした。そんな国王をマッカーサーは軽蔑しました。

第二次世界大戦後、日本に着任したマッカーサーは、昭和天皇から面会を求められたとき第一次大戦時のドイツ皇帝ウィルヘルム2世を思い出したといいます。陛下が自分の命乞いと財産の保護を求めてやって来るのだと確信していたのでしょう。だからこそ陛下を玄関で出迎えもせず、ノーネクタイで面会するという非礼をあえてしたのです。しかし、実際に目の前にした昭和天皇は違いました。

「天皇の名の下で戦った人々に寛大な措置をお願いしたい。そして、戦争で疲弊し、満足に食べることすらできない日本国民を飢えから救ってほしい。そのためであれば私はいかなる責任をも負うつもりである」と昭和天皇は震えながらマッカーサーに語ったといいます。マッカーサーはそんな陛下に衝撃を受けながら、かくも尊敬すべき天皇であるがゆえに日本人は敬愛してやまないのだと理解したといいます。

マッカーサーは父親の代からフィリピンに利権と財産を所有していました。しかし、南進する日本軍の攻勢にマッカーサーはフィリピンから脱出せざるを得なくなりました。たくさんのアメリカ兵を残して去って行く彼は、自らの莫大な財産とともにアメリカ国民からの尊敬を失ったのです。マッカーサーはこのとき日本への復讐を誓いました。「I shall return(私は必ずここに戻ってくる)」という言葉とともに。

日本への復讐を誓ったはずのマッカーサーの気持ちが変わったのは、昭和天皇のお人柄に触れたところも大きかったのでしょう。また、荒廃した国土を立て直すために黙々と努力する日本人を間近で見てきたからかもしれません。マッカーサーは朝鮮戦争の処理をめぐってトルーマン大統領と対立し、6年でGHQ最高司令官の任を解かれましたが、帰国後の1951年米国議会上院軍事外交合同委員会で次のように証言しました。

「日本には蚕を除いて国産の資源はほとんどない。彼らには綿も、羊毛も、石油製品もなく、スズも、ゴムも、その他の多くの資源がないのだ。それらのすべてのものはアジアの海域に存在していた。もしこれらの供給が断たれれば一千万人から一千二百万人の失業者が生まれることを日本政府は恐れていた。以上のように、彼らが戦争を始めた目的は主として安全保障上の必要に迫られてのことだった」。

マッカーサーのこの証言は、サンフランシスコ平和条約の締結を後押しし、早期に日本の主権が回復することに貢献しました。ちなみに、マッカーサーは東京裁判で強まる天皇への戦争責任論を一蹴しました。また、靖国神社を焼き払うという計画が検討された際にも、ローマ教皇庁代表でもあったビッテル神父の「排除すべきは国家神道制度であり靖国神社ではない」という意見を聞き入れ神社の存続を決めたとされています。

1926年からの「昭和」は激動の時代でした。第一次世界大戦後の好景気は長続きせず、世界は大恐慌におちいります。日本は台湾と朝鮮を併合し、満州国を建国し、それらの地域のインフラを整備するために多額の投資をしました。それは日本本国にとってあたかも「母屋で粥を食い、離れですき焼きを食らう」と揶揄されるほどの負担でした。その結果、もともと資源も産業もない日本は世界恐慌の影響をもろに受けました。

そんな世界情勢の中で、日本は南下するソ連と対峙するべく大陸に進むか、東南アジアの資源を確保して来たる戦争にそなえるかを決められないまま米国との戦争に突き進みます。これはソ連がドイツ戦に集中するため、日本とアメリカとを戦わせるようコミンテルンが工作した結果だといわれています。日本の中枢にも、あるいは米国の閣僚にもソ連のスパイが少なからずいたことが今では知られています。

話しはだいぶそれましたが、思えば、こうした近現代史のなかの出来事も、私が生まれた1960年のたった15年前かそこらのこと。そう考えると、大東亜戦争(太平洋戦争)は私の知らない遠い昔のできごとではないことを実感します。私が生まれるたった100年前の日本だってまだ江戸時代。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたころです。教科書のなかでしか知らない歴史が意外に自分と近いことに驚きます。

そういえば、私がまだ小学校にもあがっていなかったころ、東京都葛飾区の亀有にあった警察の家族寮に住んでいました。が警視庁に務めていたからですが、その寮には我が家と同じような警察官の家族が同じ屋根の下に暮らしていました。決して広くもない部屋にひと家族が肩を寄せ合うように生活していたのです。部屋に台所はなく、一階に共同で使う台所があって床は土間になっており、スノコが敷き詰められていました。

トイレはくみ取り式で共同。キンカクシには木でできた蓋がいつもかぶせてありましたが、用を足すときには落ちそうな気がしてとても怖かったことを覚えています。このころの道路はまだ舗装されておらず、各戸の塀はおおむね木の板でつくられた簡単なものでした。そして、街のいたるところにこれまた木製のゴミ箱が設置してあり、ときどき「くず屋さん」と呼ばれる人が回収に来ていました。

私の住んでいた警察寮は古く、ちょっとした強風でも壊れてしまいそうな建物でした。そのためか、台風が近づいてくると寮の近くにあった大きな民家に子ども達は避難させられました。このお宅は広いお庭があるしっかりした建物でしたので、外で強風が吹いていても安心感がありました。子ども達みんなでろうそくの火を囲んで台風が過ぎるのを待っていたときの光景を今でも思い出します。

当時はまだ机と椅子の生活ではなく、狭い部屋の真ん中には丸いちゃぶ台が置いてありました。私の両親は新しいもの好きだったので、当時は高価だった白黒テレビとステレオがありました。テレビで放送される「怪傑ハリマオウ」や「ビックエックス」、「エイトマン」といった子ども向け番組に夢中でしたし、四本足のステレオから流れるクラッシックを聴きながら指揮棒をふっていたことを思い出します。

私が小学生のころにはまだ「傷痍軍人(しょういぐんじん)」がいました。戦地で大きな怪我を負い、腕をなくしたり、義足をつけていたり、なかには目や顔を負傷していたりと、ハンディを抱えながら生きている元兵士が道行く人たちに義援金を求めるのです。繁華街で軍帽と白い着物の人たちが自分の障害をさらしながら地面に四つん這いになっている姿は子どもの目には恐ろしく映ったものです。

繁華街にでたり、お祭りにでかけると、こうした傷痍軍人をよく見かけました。高度経済成長の時代となった当時の風景に「戦争」を感じるものはほとんどありませんでした。でも、街角に立っているこの傷痍軍人だけは暗くて悲しい戦争の痕跡を子どもたちに感じさせるのに十分でした。そして、その光景は、私の心のなかに戦争の勇ましさではなく、戦争のみじめさを植え付けたように思います。

1955年の国民総生産が戦前の水準を超え、翌年の経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれたことはよく知られています。私たちの世代は、先の大戦がまだ影を落とす中、経済大国へと成長を続ける日本とともに子ども時代を過ごしました。やがて日本は「ジャパン・アズ・ナンバー1」となり、バブル景気を迎えたのです。しかし、そんなときに昭和天皇が崩御されると、日本は一転して長いデフレの時代に突入します。

振り返ってみると、私のなかの昭和にはいつも昭和天皇がおられたように思います。昭和のどの時代を思い出しても、当時の昭和天皇のお顔が浮かぶのです。無知蒙昧だった高校生のころ、私は「天皇は国民の象徴なんだから、国民から選んだらいい」と言ってはばかりませんでした。天皇陛下や皇室が日本にとってどのようなご存在かを考えたこともなかったからです。今思うと本当に恥ずかしいことでした。

大人になっていろいろな本や資料を読み、日本の歴史を調べれば調べるほど、昭和天皇がいかに偉大な方だったかがわかりました。「激動の昭和」と簡単にいいますが、その大きな歴史の渦のなかで生きてこられた陛下の87年間がいったいどのようなものであられたのかは想像を絶します。「皇族もひとりの人間」という人がいますが、昭和天皇のご生涯は皇族が決してそんな卑俗な存在ではないことを示しています。

今の皇族のあり方については私なりに疑問に感じる部分があります。それはまたの機会に開陳しようと思っています。それはともかく、私は昭和を単なるノスタルジーとしてではなく、日本人としての誇りを覚醒させる時代として好きです。天皇というとてつもない重圧のかかる地位でありながら、不平も不満ももらさずに務めあげられた昭和天皇がおられたからこそ、私の中の昭和がいつまでも輝いているのかもしれません。

 

信仰とはなにか

今回は信仰について書きます。我が家(というよりも瀬畠家)は先祖代々仏式の葬儀・葬式をしており、亡くなった父親も仏式の墓に眠っています。しかし、私自身が仏教徒かと問われれば、仏教のなんたるものかについての知識はほとんどありませんし、仏教徒といえるほど功徳を積んでいるわけでもありません。宗教とはなにか、信仰とはどのようなものかすらわかっていないと思います。にもかかわらず今回信仰について語るのは不適切かもしれません。また、すでに信仰をもっている方たちにとって不快なこと、あるいは陳腐なことを書いてしまうかもしれません。そのときは、信仰を持たぬ者のたわごとだと思ってお許しください。

先日、2017年に公開されたマーチン・スコセッシ監督の米映画「沈黙-サイレンス」を観ました。この映画の存在はそれとなく知ってはいましたが、さほど興味・関心はありませんでした。「クリスチャンである欧米人から見た【可哀そうな隠れキリシタンの弾圧】を描いたもの」と決めつけていたからです。欧米人の日本人あるいは日本に対する偏見で描いた映画などたかが知れていると。そして、「当時の日本人がどのような思いで隠れキリシタンとなり、どのような思いで彼らを取り締まったのかなど欧米人には理解できまい」とも思っていました。しかし、そうした私の思い込みはいい意味で裏切られました。

この映画の原作は遠藤周作の小説「沈黙」です。ご存じのとおり遠藤周作自身もカトリック信者であり、「イエスの生涯」や「深い河」といった宗教あるいは信仰に関わる本を何冊も執筆していることで知られています(「深い河」は私の好きな一冊で、当院待合室の書棚にもおいてあります)。監督であるマーチン・スコセッシは遠藤周作のこの原作を読んで以来、ずっと映像化することを切望してきたといわれるだけあって、日本人が観てもまったく違和感を感じない映画になっていました。単なる「宗教弾圧」を描くのではなく、宗教とはなにか、日本人にとって信仰とは、という深くて重いテーマを問いかけた力作だと思います。

映画「沈黙-サイレンス」は17世紀の日本が舞台です。誰もがイエズス会のエースと認める宣教師が日本で行方知れずになります。 キリスト教を捨て、日本人として暮らしているというのです。彼に教えを受けた宣教師ロドリゴは、ガルベ神父とともに恩師を探しに日本に密かに上陸します。しかし、彼らが目の当たりにした日本の禁教政策と隠れキリシタンの現実は、二人の信仰そのものの意味を問いかけるものでした。この映画で一番印象に残ったのは、隠れキリシタンに棄教を迫り、踏み絵を拒む者は容赦なく絞めあげる奉行(この奉行もかつてはキリシタンでした)の言葉です。

The price for your Glory is their suffuring(お前たち宣教師の栄光の代償は彼らキリシタンたちの苦しみなのだぞ).

以前の記事でも紹介しましたが、イエズス会はキリスト教の「武闘派」と呼ばれるほどローマ教皇・ローマ教会に忠実な宗派でした。キリスト教を広めるためであれば自らの命も惜しまない宣教師たちばかりです。教皇の命(めい)を受ければどんな辺境の地へも進んで布教に向かいます。当時は宗教改革の真っただ中でした。キリスト教の権威・権力が高まるとともに、教会は腐敗し、金欲にまみれたものになっていきました。しかし、そうした教会の堕落を憂いた人たちが、信仰の中心は教会ではなく聖書にあるとする「聖書中心主義」を主張してカトリック教会と対峙します。それがのちにプロテスタントと呼ばれる人たちでした。

プロテスタント信者はその後急速に数を増やしました。危機感をもったカトリックは、信者の獲得を目指してたくさんの宣教師を海外に送りました。日本にもカトリック宣教師が送られてきました。フランシスコ・ザビエルはそのひとりです。ザビエルはイエズス会創設当時からのメンバーであり、イエズス会を代表する宣教師でした。当時、黄金の国だと信じられていた日本をキリスト教の国にすることは、イエズス会を保護していたスペインの覇権を広げることにもなります。植民地から香辛料やばくだいな銀を得てスペインは栄えました。布教の急先鋒としてのザビエルには大きな期待がかけられていました。

日本にやってきたザビエルは、日本人の生真面目さ、几帳面さ、そして主(あるじ)への忠実さを目の当たりにし、「日本人ほどキリスト教徒にふさわしい国民はいない」と本国に報告しました。実際、ザビエルの布教によってたくさんの日本人がキリスト教徒になりました。 それにともない、長崎周辺から神社仏閣が消え、教会が次々と建てられるようにもなったのです。 イエズス会は、キリスト教を日本に根付かせるために、九州のキリシタン大名に大砲や弾薬を与え、長崎周辺を要塞化することを密かに考えました。しかし、こうしたイエズス会の方針は、やがて秀吉たち日本の為政者たちにキリスト教に対する猜疑心を植え付けることになります。

大村・有馬などのキリシタン大名の動向に危機感をもった秀吉は、それまでのキリシタン容認という態度を一転させ、1587年、伴天連追放令を出してキリスト教の布教活動を制限しました。そして、追放令にもかかわらず大坂を中心に関西地域で布教活動をしていたキリシタンたちを次々と逮捕したのです。キリシタン大名とも親交のあった石田三成が、逮捕されたキリシタンたちに同情し、170名もの人たちに恩赦をあたえました。しかし、最後まで信仰を捨てようとしなかった、6名の外国人宣教師、6名の日本人宣教師、そして5名の未成年者を含む計24名のキリシタンは、途中で自らの意志により殉教に加わることになった2名とともに長崎に送られ処刑されました。いわゆる日本二十六聖人の殉教者です。

時代は江戸に代わってもキリシタンに対する厳しい取り締まりは続きました。幕府は1614年に禁教令を出してキリスト教の全面禁止を打ち出し、キリシタン大名たちは改宗・改易を強制され、なかには追放される者すらいました。そして、キリシタン大名に仕えた多くの家臣たちが浪人となりました。こうした幕府の方針は、キリシタンの潜伏化をもたらし、キリシタン大名に仕えた浪人たちの不満を高めることになったのです。その不満が頂点に達して起こったのが1637年の島原の乱です。3万7千人ものキリシタンが、有馬氏が改易して主(あるじ)を失った原城にたてこもって12万の幕府軍と対峙したのです。中には幕府側の説得に応じてキリスト教を棄教して城をあとにする者もいました。しかし、最終的に籠城を続けた2万6千人が戦死しました。

映画「沈黙-サイレンス」の中で、隠れキリシタンたちに棄教させようと、奉行らは繰り返し「形だけでいいのだ。軽く踏むだけでいいのだ」と諭す様子が描かれています。 当時のキリシタンの中には、家族が、あるいは村の多くの人々がキリシタンになったという理由から、心ならずもキリシタンになった人も少なくありませんでした。ですから棄教を諭されると、それに素直に応じるキリシタンも少なからずいたのです。 そもそもキリシタンを見つけ出す絵踏みは幕府が強制したものではありません。 取り締まり自体は必ずしも厳しいものばかりではなく、取り締まりには地域差があったともいわれています。

映画では、生きるために仕方なく絵踏みをしてしまうキチジロウというキリシタンの漁師がでてきます。彼はキリシタンでありながら、イエスの肖像を踏んでしまった「罪」に苦しみ、宣教師ロドリゴに「告白」をして許しを乞います。彼の家族は絵踏みをしなかったために火あぶりにされました。しかし、取り締まりから逃れて生き延びるため、なんどもなんどもこの「罪」を繰り返すキチジロウ。そのたびに涙をながして許しを乞いながら、繰り返し主イエスの肖像を踏みつける彼のことをロドリゴは理解できませんでした。それでもロドリゴはキチジロウの告白に耳を傾け、何度も「罪」を繰り返す彼を許すのです。

またロドリゴは、捕らえられ、命と引き換えに棄教を迫られる農民たちが平然としているのを目にします。「おまえたちは殺されるかもしれないのになぜ平気なのか」と怒りをあらわにするロドリゴ。するとひとりの娘が答えます。「かつてパドレ(神父)が言っていました。天国には苦役も重い年貢も、病気も苦痛すらもない。いつもそばに神さまいらっしゃる幸福な場所が天国だと。そんなところに行けることはいいことなのでは?」と。ときに笑顔でそう言って疑わない娘をロドリゴは複雑な目でながめます。そのまなざしはまるで「そんなことを本当に信じているのか」といっているように私には見えました。

そのとき、キリシタンを取り締まる奉行が宣教師に吐き捨てるように言うのです。「あの愚かな百姓どもは自分のあたまで考えることができないのだ。あやつらをいくら責めても彼らは改宗はしない。やっかいな事態になるばかりじゃ。むしろお前たち宣教師を棄教させるのが一番だということがわかったのだ」と。いくら棄教をせまってもキリシタンは信仰を捨てようとしません。責められ、たとえ命を落とそうとも信仰を捨てようとしないのです。しかし、それは宣教師たちのいいつけをかたくなに守るキリシタンたちの純粋さが故のこと。奉行らはそうしたことに気づき始めたのです。

The price for your Glory is their suffuring(お前たち宣教師の栄光の代償は彼らキリシタンたちの苦しみなのだぞ).

人に幸福をもたらすはずの信仰によって苦しむという現実。そんな現実を目のあたりにして、主人公の宣教師ロドリゲスは悩みます。自分がキリスト教を棄教しなければ罪なき人が命を失っていく。自分はなんのために主イエスに仕え、この貧しき善良な人々を導いているのだろうかと自問するのです。「主よ、あなたはなぜ黙っておられるのですか」と。目の前で拷問にあっているキリシタンたちのうめき声を聴きながら耐えるロドリゴ。突然、主イエスの声が聴こえます。「私を踏むのだ。汝らの苦しみを救うために私は使わされたのだ」と。この声は主イエスのものなのか。それとも彼自身の心の声だったのか。

この映画はたんなる「隠れキリシタンの弾圧」を描くものではありません。宗教とはなにか、信仰はなんのためにあるのか、という根源的な問いかけをしているように思います。映画の終盤、日本で姿を消したロドリゴの恩師でもある宣教師の存在感が増します。イエズス会のエースともいうべき宣教師がなぜ忽然として姿を消したのか。その理由が徐々に明らかになっていきます。これ以上書くとネタばらしになってしまうのでこのくらいにしておきますが、人を幸福にするはずの信仰がなぜこうまで人を苦しめるのか。その苦しみの意味とはなにかを考えるいい機会になると思います。是非この映画をご覧になってください。

後輩からのプレゼント

先日、我孫子第四小学校の五年生のみなさんから激励のプレゼントが届きました。「コロナに負けるな」と刺繍がほどこされた手作りのマスクとともにみなさんから励ましのお手紙をいただきました。


私が第四小学校を卒業してもう少しで50年。当時竣工した新しい校舎が今ではもっとも古い校舎になってしまいました。校長室には歴代校長の写真が飾られています。その中に並ぶ当時の校長先生もずいぶんと昔の校長になっていて、今更ながらに自分が歳をとったことを実感します。後輩たちが一生懸命に作ってくれたプレゼントは院内に飾ってあります。来院した患者さんたちにも是非見てほしいと思います。

可愛い後輩のみなさん、どうもありがとうございました。