新型コロナがもたらすもの

これまでの私のブログを読んでいただいた方にはおわかりでしょうが私は暑いのが苦手です。むせ返るような熱気の中でじっとりと汗ばむあの感覚が嫌なのです。エアコンがあるのが当たり前になり、どこへ行っても快適な生活が送れるようになりました。しかし、からだにまとわりつくようなあの夏の空気感が苦手なのです。好きな夏の風景もあります。じりじりと照り付ける強い日差しをあびて向日葵(ひまわり)が揺れる風景なんて夏らしくていいですよね。真夏のうるさいくらいのアブラゼミの大合唱も、少し秋めいてきた夕暮れ時のヒグラシの「カナカナカナ」という鳴き声も、風情があっていいものです。

寒い環境での生活が性に合っている私もそうですが、北海道の人はさぞかし寒さに強いだろうと誤解されています。しかし、北海道の人にはむしろ寒さに弱い人が多いのです。北海道を知らない人たちにとって、北海道は「冷凍庫のように寒いところ」であり、寒さが苦手という人たちにとっては「行きたくない場所」かもしれません。でも、冬の北海道に実際に来てみれば、厳冬の北海道がいかに「暖かい」かがわかると思います。外気気温がどんなに低くかろうと、建物の中の暖かさは北海道の右に出る地方はありません。なにせ氷点下の真冬の室内でTシャツになる暖かさなのですから。

先週から降り続く雪で、それまで雪が少なかった札幌もついに根雪になったようです。例年であれば12月になんどか降る「ドカ雪」に、クリスマスのころにはすっかり雪景色になっていた札幌。ところが最近の暖かさは私の学生時代とはあきらかに異なります。(以前のブログにも書きましたが)学生のころキュッキュッと新雪を踏みしめながら夜の静かな家路を急いでいるときのことです。ふと夜空を見上げると満天の星。そのとき私はなぜか幸せな気持ちになりました。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら「札幌に来てよかったなぁ」って。札幌の暖かい冬の風景はあのときと違ってしまったのでしょうか。

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早いもので、新型コロナウィルスに世界中が翻弄されてもう二年になります。その間、生活スタイルはもちろん、いろいろな価値観をも変えてしまったように感じます。一番端的な例はマスクです。それまでの日本はインフルエンザが流行しているときですらマスクをしている人は決して多数派ではありませんでした。外国人たちの目にはマスクをしている日本人たちは異様に映ったほどでした。それなのに今はその欧米の人たちですら多くがマスクをしている今の光景は二年前にはまったく考えられなかったこと。マスクをしている人としていない人との間でトラブルが起こるくらいになりました。

もともと日本人は外国の人たちにくらべて手洗いやうがいをすると言われてきました。潔癖症とも思えるようなきれい好きな日本人の特性が活かされたのもこの二年間だったかもしれません。当院では15年前に開院したときから手指をアルコール消毒する噴霧器を置き、インフルエンザのシーズンになれば待合室に空気清浄機を設置していました。第二診察室を作って感染症の患者はこちらで診察するようにもしています。建物内の空気のながれはこの部屋から外にながれるように設計してあるのです。そんな工夫が実際に役に立つときがやってくるは思ってもみませんでしたが備えあれば憂いなしを実感します。

また、以前から私は「かぜ薬は風邪を治す薬ではない。風邪をひいても早めに飲んではいけない。風邪症状を隠してしまうことでかえって感染を広げてしまう」と患者さんに説明してきました。また、「風邪症状のあるとき、とくに熱っぽい時やあきらかな熱があるときは仕事や学校に行かずに自宅で安静にしているべき」、「検査は安易におこなうべきじゃない。検査は一番疑わしい時にするもの」とも言ってきました。しかし、これまでの日本社会では「熱ぐらいで休むな、休めない」という雰囲気がありました。「検査してもらってこい(陰性だったら出勤しろ)」がなかばあたりまえだったのかもしれません。

今回の新型コロナの流行でそれが間違いだとわかってもらえたかというとそうでもなさそうです。いまだに「早く治そうと思ってかぜ薬を飲みました」といって来院する患者はあとを絶たないのです。「風邪を早く治すなんてことはできないんだよ。そもそも薬で治せる感染症じゃないんだから」と思いながら診察をすることもしばしばあります。風邪症状があるときは自宅で安静にし、症状がつらいときのみ症状を緩和するお薬を使い、肺炎などの合併症で重症化したことを見逃さないことこそが大切なのです。解熱剤の入ったかぜ薬は重症化を発見することを困難にしてしまうこともあるのです。

ワクチンも然りです。これまでインフルエンザのシーズンになってもワクチン接種をしない人は結構いました。医療・福祉施設や学校など、本来であればワクチン接種をすべき人たちの中にはワクチン未接種でも平気な人が少なくありませんでした。新型コロナウィルスだからワクチン接種が必要なのではありません。毎年3000人もの人が亡くなっていた従来のインフルエンザでもワクチンを接種することによって感染の拡大を阻止することは重要だったのです。ワクチンの接種はあくまでも任意であり強制されるものではありません。しかし、周囲に感染を広げないために不可欠だということを是非知ってもらいたいです。

来年の2月から当院でも三回目の新型コロナワクチンの接種(ブースター接種といいます)がはじまります。ふたたび通常の診療を制限して実施するため、多くの患者さんにはご不便をおかけすることになると思います。これまでも新型コロナワクチンを接種しているときに受診された患者さんからお叱りの言葉を頂戴することがあります。しかし、ワクチン接種後15分ほど経過観察をしなければならず、通常診療をすればワクチン接種のための方と通常診療のために来院した人とで「三密」を作ってしまいます。当院にはそれなりに広いスペースがあるとはいえとてもワクチン接種と通常診療を同時にはできません。

ワクチンを接種して急にからだの具合が悪くなった方がいれば迅速に対応しなければなりません。院内での対応マニュアルを作り、事前に職員と打ち合わせをしてそうした事態に備えてはいます。しかし、通常診療と並行してワクチン接種をおこなえば、職員の動きと意識は散漫になって混乱することは必至です。実際に今回のワクチン接種でも緊張するようなケースが2件ほどありました。幸い、なにごともなく終わったのですが、通常の診療と分離して接種をおこない、事前のマニュアルと打ち合わせをしていたお陰で対応できたと思います。従来のインフルエンザワクチンの接種と同じとはいかないのです。

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新型コロナウィルスはこの三年間になんども遺伝子を変異させました。そして、今は「オミクロン株」となって従来の株とは少し異なる性格をもっていることが徐々に明らかになっています。正式な発表にはなっていませんが、これまで私が集めた情報を少しまとめてみたいと思います。まず、このオミクロン株はそれほど恐ろしいものではないらしいということを強調しておきます。以前のブログにも書きましたが、「ウィルスは何度か変異を繰り返しながらその毒性は徐々に弱くなっていく」といわれています。新型コロナウィルスもどうやらその定説にそって変異しているらしいのです。

思えば「デルタ株」という変異株のときも、「感染力が従来のウィルス株にくらべて強い」としてマスコミはこぞって報道しました。今、そのデルタ株はどうなりましたか。「デルタ株」などという言葉すら登場しません。国民の8割が接種を終えるまでになった今、あのときマスコミが騒ぎ立てたような状況にはなっていません。オミクロン株も感染力の強さは従来の株を上回っているようですが、感染した患者の多くが軽症でとどまっています。実際、南アフリカでは患者は急増しましたが、重症者はそれまでの流行時よりも少なかったといいます。そして、最近ではすでに患者数が急激に減ってピークアウトしているそうです。

つまり、ワクチンをきちんと二回接種していれば、たとえオミクロン株にさらされたとしても必要以上に不安になる必要はないということです。感染しても大丈夫だといっているのではありません。ワクチンをスケジュール通りに接種し(韓国のように無計画に接種するのは効果を弱めます)、マスク・手洗い、人ごみを避ける、風邪症状があったら自宅内隔離で経過を見る、などの対応をしていれば、万が一感染してもなにも心配ないということです。高齢者や重篤な基礎疾患があったり、コントロール不良な糖尿病や呼吸器疾患などがある人はより注意が必要ですが、神経をすり減らすほどの心配は不要なのです。

今、東京での感染者はかなり少なくなっています。しかし、これはあくまでも「検査をして見つかった人」の数です。新型コロナに感染してもワクチンを接種している人にとっては「ただの風邪症状」に過ぎない場合が多く、自分が新型コロナウィルスに感染したとは思っていない人がほとんどだろうと思います。そうした人たちの中にはかぜ薬を飲みながら職場や学校に行ったりしいて周囲の人にうつしてまわっている人もいます。ですから、実際の感染者数は発表されている数字の何倍にもなっているのではないかと言っている人もいます。感染拡大を心配しなければならないのはまだワクチンを打っていない人たちです。

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これまでなんども「感染者の数」ではなく「重症者の数」に注目すべきだといってきました。感染しているかどうかを調べる目的はなんでしょうか。それは一刻も早く治療を開始することではありません。なぜなら、新型コロナウィルスに感染しても確たる治療方法が今のところないからです。検査をする一番重要な目的は重症化の危険性が高い感染者を見つけ、濃厚な治療を施す対象として見分けることなのです。決して無症状な感染者、軽症の感染者に「新型コロナに感染しているかどうか」という「結論」を示すことではありません。そうした軽い人たちは自宅隔離をして経過観察をしていればいいだけです。

東京でも「希望すれば無症状でも無料で検査ができる」ようになったようです。でも、そんなことをしていったいなんの役にたつのでしょうか。新型コロナウィルスの感染がはじまったころからずっと言われているように、無駄にお金をかけるだけでメリットはほとんどない(むしろ、偽陰性の感染者に「新型コロナ感染症ではない」という間違った墨付きをあたえるだけ)です。そうしたことは、広く検査を実施しても感染拡大を阻止することができなかった世田谷区や韓国の例を見てもわかりそうなものです。ものを考えられない、そして、経験を活かすことすらできない愚策だと思います。

先日、知り合いから「最近、ブログの更新がありませんね」と言われました。毎日があわただしく、ブログを書く時間がなかったこともありますが、なにより新たに書きたい、書かなくてはいけないと思うことがなかったのです。新型コロナへの対応については、この二年間、同じことをなんども指摘しなければなりませんでした。それほどまでに政府・厚労省の対応はお粗末で後手後手だったのです。ピント外れな批判や、国民を不安にする報道ばかりのマスコミ。医師会ですらずっとあの調子。いつも同じような失態、失策を繰り返すのですから書く気にもなりません。

6歳以上の小児にも新型コロナウィルスワクチンの接種がはじまります。根拠の希薄な何回かの議論であわてて決められたようで少々不安です。重症化する小児患者がほとんどいない新型コロナウィルス感染症。小児への感染力は強いかもしれないとされているオミクロン株ではありますが、風邪程度の症状で終わるかもしれないともいわれているのになぜ心筋炎の副反応が心配されるワクチン接種を急ぐのでしょうか。オミクロン株に感染した患者の濃厚接触者は国立大学の入試を受験できないというルールも拙速に決まりました。どうしてこうもバタバタとよく考えもせずに拙速な対策が発表されるのか。腹立たしいかぎりです。

もっと現場の人たちの声に耳を傾けるべきです。新型コロナ対策についてはずっと頑張ってきた医療従事者あるいは病院関係者が納得できる結論を出してほしいものです。肩書ばかりがご立派で現場の苦労や問題点を知らない専門家ばかりを集めた専門家会議など不要です。また、世間のいらだちや不安をあおって商売に熱心な医者や医療機関もいい加減にしてほしい。科学的には正しいことであっても、世の中のながれにさからうような情報を説明したり、行動することは難しく、その意味で、「検査をさせろ」「入院させろ」とつめよってきた人たちと関わってきた病院や保健所の人たちのこれまでの苦労は計り知れません。

なんの根拠もありませんが、おそらく来年の早い段階で新型コロナウィルスの第六波が発生するでしょう。しかし、すでに八割ほどの国民がワクチン接種を終え、来年1月からはブースター接種も本格的にはじまります。現在、日本で接種されているワクチンを3回接種すれば、これから流行が拡大するであろうオミクロン株への予防効果あるいは重症化阻止効果がかなり期待できるとされています。問題はワクチンを接種していない人たちへの感染だけです。日本では全国的なアウトブレイクにはまずならないでしょう。そして、新型コロナウィルス感染症に対する経口治療薬が出てくればもはやインフルエンザと同じ。もうひと息です。

今年も残すところあと数日。今年もいろいろなことがありました。良いことも悪いことも来年への糧にしたいですね。みなさんにとって、全世界の人々にとって、来年がさらに佳い年になりますようお祈り申し上げます。頑張りましょう。

 

コロナは終わり、ではない

一か月ほど前に「この峠は越えたか?」と題してブログを書きました。そこで私は、ワクチン接種が広がっていることを根拠に「感染拡大はやがて収束してくだろう。それは死者数の減少でより確かなものになる」と述べました。そうした私の予想は今現実のものになり、全国に広まった緊急事態宣言も次々と解除になっています。
感染者(検査陽性者)の数は激減し、重症者の数も日に日に減っています。昨年、新型コロナが感染を広げているとき、私は繰り返し「感染拡大の状況は陽性者数ではわからない。重症者の推移をもっと報道すべきだ」と主張していました。そして今、マスコミはようやく陽性者数ではなく重症者数の推移を伝えています。

世の中が明るさと活気を取り戻しつつある中、水を差すように「第六波の流行がおこるのだろうか」と新たな不安を呼び起こそうとするかのような報道があります。また、昨年はほとんど流行しなかったインフルエンザが今年は流行するだろうという一部の研究者の予測を伝えるものもあります。人々に不安を与えないではいられないのでしょうか。
新型コロナウィルスのあらたな流行も、インフルエンザの今シーズンでの流行も、さまざまな意見が飛び交っています。そのどれもがそれなりの根拠をもっていながら、いずれも確実なものではありません。いわば個人の憶測といってもいいものです。でも、これまでを思い起こして気づくべきです。「オオカミ少年がいる」ということに。

巷(ちまた)ではよく「なぜこれほどまでに流行が収束したのか」という疑問を耳にします。その理由は簡単です。「国民の多くが一斉にワクチンを接種したから」です。それまでの感染症対策を維持しながら、あれほどたくさんの人がワクチンを打てば感染者が減るのは当然です。そもそもワクチンの主な目的はそこにあります。
「ワクチンの接種者が多い欧米で再び感染者が増えているのはなぜ」という声も聴こえてきます。しかし、この質問は正確ではありません。なぜなら、「増えている」ではなくて「増えた時期もあった」だからです。たしかにイギリスやロシア、韓国などでの感染状況は小康状態にとどまっていますが、世界的には感染拡大は収束に向かっています。

国によって感染の収束に違いがあるのにはいろいろな要因があります。しかし、一番の違いはワクチンの種類でしょう。イギリスもロシアも韓国でおもに使用されているのはウィルスベクターワクチンです。日本での接種に使用されているmRNAワクチンとは作用機序が多少異なるワクチン。これらの効果の違いはこれまでも報告があがっていました。
3月からはじまったワクチン接種は、その優先順位に多少の問題はあったもののおおむね順調に進みました。そして今や、少なくとも1回の接種を済ませた人は全国民の74%を超え、アメリカの65%やイギリスの72%を追い抜いて接種率は世界の第六位です。1億人以上の人口を有する大きな国に限れば、中国の80%に次ぐ世界第二位の水準です。

アメリカやイギリスなど早期にワクチン接種を開始した国も、ある程度の接種率にいたってその数は頭打ちになっています。それは少なからず「反ワクチン」の考えを持つ人たちがいるからです。こうした人たちの存在が、新型コロナウィルスの封じ込めの障害になっていることはあきらかです。今や封じ込めが必要かどうかはまた別問題ですが。
とはいいながら、ワクチンを未接種な人の感染リスクはむしろ上昇していると個人的には思っています。それはワクチンをすでに接種した人たちが、「自分たちは感染しても重症化しない」と慢心して感染を防止するこれまでの取り組みを緩めてしまう恐れがあるからです。そうした既接種者が感染しても、それに気がつかないケースが増えてくるのです。

ワクチンを打った人が新型コロナウィルスに感染しても「通常の風邪程度」の症状しかでないことが多いようです。「新型コロナウィルス感染症=重症感染症」というこれまでの図式で考えている人にとって、通常の風邪症状ではあえて新型コロナに感染したとは思わないかもしれません。人によっては風邪薬を飲んで会社(学校)へという人も。
以前から私が繰り返してきたように、風邪薬は「風邪を治す薬」ではありません。「風邪症状を抑えてしまう薬」なのです。風邪症状を抑えれば確かにからだは楽になります。だからといって、そのまま仕事や学校に行ってしまったら、周囲の人に移してしまうリスクを高めるだけです。そうしたことに今も気が付いていない人が少なくありません。

なんの根拠もありませんが、今年もインフルエンザは流行しないと個人的には思っています。いちぶの新聞では「昨年は流行しなかった分、今年はかなり流行する」と報じられていますが、それほど心配する必要はないと思います。この二年間の新型コロナウィルスの流行を通じて、日本人が獲得した生活スタイルはそう簡単にかわらないからです。
ただ、熱発がでたとき、それが風邪にともなうものなのか、それともインフルエンザなのか。あるいは新型コロナなのかを判別するのはかなりむずかしい。検査をしたからといってその結果が正しいとはいえません。であるなら「まずは感染予防」「風邪症状が少しでもあれば休養と家庭内隔離で経過観察」という大原則を徹底させるしかありません。

新型コロナウィルス感染患者が激減し、重症者も死亡者もその数を減らしているとはいえ「新型コロナは終わり」ではありません。普段の生活は少しづつ以前のような平穏なものに戻すとして、感染対策と風邪症状のあるときの対応は引き続き慎重なものであるべきです。ワクチンを打ったとはいっても感染はします。
重症化しにくいとはいっても、ワクチンを打っていない人たちに感染させます。そうした被接種者の間での小流行は今後「第六波」として出現する可能性は十分にあります。三回目のワクチン接種の話しが聞かれるようになりました。繰り返しますが「ワクチン接種は自分のためだけではなく、周囲の人たちを守るためのもの」です。冷静かつ理性的にワクチンを考えていきましょう。

 

 

この峠は越えたか?

まずはじめに、新型コロナウィルスに感染してしまったすべての方々にお見舞い申し上げます。また、不幸にして薬石効を奏せずお亡くなりになられた皆さまのご冥福をお祈りいたします。
そして、日々、重症の感染者を収容し、まさに懸命に治療を続けている病院関係者、ならびに感染者の入院調整などに尽力していただいている保健所の皆さまに心より感謝の気持ちと賛辞を贈りたいと思います。

あれだけ「過去最多を更新」した新型コロナウィルス感染者数(とはいっても検査で陽性がでた人の数なんですけどね)も、ここ最近の推移を見るとどうやら減少に転じる気配です。全国の実効再生産数はついに「1」を下回り、減少局面に入ったことがうかがえます。東京都にいたっては、すでに一週間前に実行再生産数は「1」を下回っていますし、重症者数も激減しています。前回のブログで私が言ったとおり、「ワクチン接種が進めば感染拡大は必ず落ち着く」という結果になりつつあるのかもしれません。これで死亡者の数までもが減ってくればその傾向は確実なものになったといえるでしょう。

繰り返しますが、今の現状に悲観的になるにせよ、楽観的になるにせよ、かくたる根拠をもたなければなりません。感染者数が減少傾向になりつつあるとはいえ、感染のリスクがなくなったわけではありません。政府や医師会がいうような過剰な自粛をする必要はありませんが、不必要な、というより不用意な外出や行動は控え、マスク・手洗い、そしてうがいの励行は継続する必要があります。そして、なにより若い人たちや現役世代の人々にできるだけ早くワクチンを接種してもらえるよう、国も自治体も最大限の努力を傾注すること以外に感染拡大阻止に有効な手立てはありません。

本来であれば、流行地域の若い人たちや現役世代の人々に、外出機会の少ない高齢者よりも、また、感染者の少ない地方よりも早く、かつ大規模にワクチンを接種していればここまで感染は拡大しなかったのです。人によっては「ワクチンをここまで広く接種してきてなぜ感染拡大がとまらないのか?」と疑問に思ったり、「ワクチンは効いているの?」「ワクチンなんて意味ないじゃん」と不信感をもつ人すらいます。しかし、そう思いたくなるような現状になってしまったのは、まさしくワクチン接種の優先順位を真剣に、そして戦略的に検討しなかったからです。

しかし、ワクチンの効果は確実にありました。現在の感染者に高齢者が極端に少ないことがそれです。あるいはこれほどまでにたくさんの感染者数がいながら、重症者あるいは死者がそれほど増えていないのも、重症化しやすい高齢者にワクチンを優先して接種したきたからです。今の感染者数の多くは若い人たちですが、その多くは無症状か軽症の人です。だからと言って「重症化しにくいからワクチンは不要」と考えるのは間違いです。若くても重症化するリスクはありますし、なにより彼らは感染を拡大させるベクター(運び屋)となって感染を広げる可能性があるからです。

重症化しにくいのは10代以下の子どもたちも同じです。感染した子供に亡くなった子はおらず、重症化するケースもごくまれだとされています。子供たちが感染するのはワクチン未接種の家族からが多いという実態もあります。子供たちが移動するのは家と学校、ときに塾や習い事程度なのですから当然です。ところが、ワクチンを接種した後に心筋炎という心臓のトラブルを引き起こすことがまれにあると報告されています。私が「中学生以下の子供たちへの接種はもう少し様子をみてから」と考える理由はそこにあります。むしろ今は、子供たちよりも若い世代・現役世代への接種を優先してほしいのです。

致死率を比較すると、100万人あたり約300人の死者がいる60歳以上に対して、20歳代から50歳代に限ってみれば100万人あたり9人程度の人が亡くなっているにすぎません。その意味で高齢者をワクチン接種によって守ることは大切です。問題はその高齢者を守るためのワクチン接種はどうあるべきか、です。感染拡大を抑え、感染を終息させることで守るのか。それとも感染拡大の阻止は後回しにして、高齢者に直接ワクチンを接種して守るか。そのどちらかにするか、です。この春から開始されたワクチン接種のやり方を見ていると、政府はその後者を選択したということがわかります。

政府が選択したワクチン接種の目的とプロセスを考えれば、感染拡大を阻止し、感染を終息させるにはもうしばらく時間がかかるというのは仕方ないことです。こうなるだろうということは十分予想できましたから。とはいえ、まがいなりにもワクチンはその効果を発揮しています。そのワクチンの効果をさらに明確にし、一日も早く感染拡大を鈍化させ、流行を収束させるためには、これからはひとりでも多くの人がワクチンを受けなければなりません。たとえ副反応や異物混入のニュースがあろうとも、ワクチンが有効であり、接種を広げていくことが重要であるということにかわりありません。

では、今の時点で現在のワクチンにはどのような評価がくだされているのでしょうか。アメリカやイギリスといったワクチン生産国ではすでにたくさんの人が接種を受けていて、さまざまな治験がおこなわれ分析されています。そして、これまで憶測だったり、予測にすぎなかったことが、少しづつではありますが明確になってきました。今回のブログでは、そうした知見をできるだけわかりやすく解説したいと思います。それらのことを通じて、ワクチンへの根拠のない不安や不信感を持ち、接種をためらっている人にも「打ってみようかな」と思ってもらえればいいのですが。

まずはデルタ株に対するワクチンの効果についてです。英国のデータによると、デルタ株感染による全死亡率は0.3%だということです。同じ変異株でもアルファ株(英国で流行がはじまったもの)が1.9%とのことですから、以前、私がお話ししたように「デルタ株の新型コロナウィルスは、感染しやすいが病原性は決して高いとは言えない」ということのようです。とはいえ、ワクチンを接種することによってデルタ株に対する抗体価は一時的に上昇するものの、その後低下がはじまるということがわかっています。そこで、デルタ株に対しては3回目の接種が検討されているのです。

デルタ株に対する抗体価は2回目の接種によって8か月間はそのピークを維持し、徐々に低下することがわかっています(アルファ株の抗体価はほとんど低下しないとされています)。これが「3回目の接種」を必要とする根拠です。抗体価の低下は高齢者ほど大きく、3回目こそむしろ高齢者からの接種が必要です。私の想像なのですが、なんとなく政府は「今回の感染拡大に対する対策の反省から、3回目は現役世代から接種する」などとやりそうで不安です。これまでのすべての対策が、後手後手でちぐはずで頓珍漢ですから。こうした愚策が繰り返されるのは諮問する専門家会議の無能さが原因です。

なお、デルタ株に感染しても、ワクチンを接種していない人は新しく感染を拡大させそうなラムダ株に容易に感染します。しかし、ワクチンを2回打ったあとでデルタ株に感染した場合であれば、すべての変異株に抗体価をもつことがわかっています。つまり、もしデルタ株に感染したとしても、ワクチンを接種していればすべての変異株に感染する可能性は低くなるのです。「ワクチンを打っても感染するの?」と思う方もいるかもしれません。現在、指摘されているワクチンの効果は、感染リスクを60-80%低減し、感染しても重症化するリスクを90-98%低減するとされています。

イスラエルでの検討によれば、すでに新型コロナウィルス(COVID-19)に感染した人は、未感染でワクチンを2回接種した人に比べて、COVID-19発症率はわずか27分の1であり、COVID-19に関連した入院率も8分の1だったと報告しています。そして、その対象者に死亡者はひとりもいなかったそうです。一方、既感染者でワクチンを1回だけ接種した人は、感染したのみでワクチンを接種していない人と比べて再感染するリスクも半分程度に低減できるとも報告しています。それらの結果からイスラエルやEUの先進国では既感染者へのワクチン接種は1回となっています。

米国CDC(米国疾病予防管理センター)が発表したカリフォルニア州の分析は次のようなものでした。ワクチン未接種者(未接種者)は2回の接種を完了した人(完了者)と比べて感染率で4.9倍、入院率は29.2倍高かったとのこと。なかでも、ファイザー社のワクチンを打った完了者にかぎると、人工呼吸器を使用した完了者の割合は3.2%だったのに対して未接種者では7.6%でした。死亡率に関しては未接種者は0.6%でしたが完了者では0.2%。死亡例の年齢中央値は未接種者で63歳だったのに対して完了者では78歳と、ワクチン未接種の死亡は年齢層が低くなっていることがわかります。

というわけで、ワクチンを接種しても感染はします。2回接種したあとで新型コロナウィルスに感染してしまうことを「ブレイクスルー感染」といいます。日本での感染者の8割はワクチンを接種していない人だといいます。つまり、感染者の中でのブレイクスルー感染はおおむね2割です。しかし、重症者や死亡者に2回接種を完了している人はほとんどいないだろうともいわれています。英国での統計では、50歳以上の死亡率は、非接種者で6.5%であるのに対して、1回・2回をあわせた接種者全体では1.9%と、ここでもワクチンは感染者の命を守っていることがわかります。

アメリカでは全人口の6割以上が、これまで少なくとも1回のワクチンを接種しています。そのアメリカでブレイクスルー感染のクラスター(496件)が発生しました。感染した人の74%がワクチン接種を完了した人たちでした。そして、それらの感染の89%がデルタ株によるものでした。感染した人たちの多くはマスクをせずに集会に参加した人たちだったとはいえ、今更ながらデルタ株の感染力の強さがわかります。しかし、その感染者のほとんどが「軽い風邪の症状(咳、頭痛、咽頭痛、筋肉痛)」で済み、入院を要したのは5名(うちワクチン接種完了者は4名)のみであり死亡した人はいませんでした。

この例だけを見てもワクチン接種とマスク着用の有効性がわかりますが、今もワクチンの副反応を恐れて接種に腰がひけている人は少なくありません。しかし、なんども言うように、副反応は「あってはいけないもの」ではありません。体がワクチンにきちんと反応しているから生じる症状ともいえます。もちろん健康被害につながるようなものはいけません。しかし、発熱にせよ、頭痛や倦怠感にせよ、通常は翌日または数日で消失するものです。辛ければ解熱剤なり頭痛薬なりを服用すればいいだけのことです。副反応を恐れて接種しないでいるとすればそれは愚かなことです。

一回目に強い副反応が出た場合に「二回目を打ってもいいのだろうか」と不安になる人もいます。アナフィラキシーと呼ばれる重篤なアレルギー症状の出現率は、ファイザー社製ワクチンで100万回あたり7件、モデルナ社製で100万回あたり1件とされています。そこで、アメリカでは1回目にアナフィラキシーあるいは遅れて強いアレルギー症状がでた人に2回目のワクチンを接種する検討がおこなわれました(すごいですね)。日本では絶対にこんな検討はおこなわない(おこなえない)でしょうから。その結果、アナフィラキシーをおこした人たちを安心させる結果が得られました。

それは1回目にそれら重篤な症状を起こした人に2回目のワクチンを接種したところ、その20%に軽い症状がでたものの全員が安全にワクチン接種を完了したというものでした。アナフィラキシーのような強いアレルギー反応を起こした人ですらそうなのですから、接種後に通常よりも強めの副反応が出たとしても安心して2回目のワクチンを受けることができます。ですから、当院にワクチン接種に来られ、1回目の接種で強めの副反応を起こした方には、こうしたアメリカでの検討結果を説明して、2回目も問題なく打てます(でも怖かったらやめてください)とお話ししています。

すでに新型コロナウィルスに感染した人にも同じことがいえます。アメリカのCDCでは、前述のイスラエルなどと異なり、既感染者に対しても2回接種を推奨しています。単に感染しただけでは抗体価が十分にあがらないことがあるからです。以前、TVで「既感染の人はワクチン接種は不要」と解説したコメンテーターがいましたがそれは間違いです。私個人としては既感染の方に「とりあえずは1回目のワクチンを接種し、なにか不安になるような副反応があったら2回目は遠慮してはどうでしょうか」とお話ししています。今のところ1回目の接種後の副反応が強く2回目を中止した人はいません。

感染の拡大が落ち着いてきたように見える最近の変化はやがて感染者数の確実な減少に転じるでしょう。若年者あるいは現役世代へのワクチン接種が今以上に広がれば、ふたたび感染者が増加に転じることはしばらくないと思います。ただ、現在のインフルエンザの効果は半年から10か月ほどしか継続しないとされており、とくに高齢者においては抗体価が急速に低下することが指摘されているため、年が明けたぐらいの頃から3回目のワクチン接種が必要になるでしょう。そうした対応に向けての検討がアメリカを中心にすでに行われ、イスラエルはこの9月から3回目の接種がはじまります。

アメリカでは異なるワクチンを接種した場合の効果を評価する治験がおこなわれました。それによると、1回目にアストラゼネカ製ワクチン(ベクターワクチン)を、2回目にファイザー製またはモデルナ製ワクチン(mRNAワクチン)を接種した場合、武漢株に対しては20倍強の抗体価の増加が、ベータ株に対しても20倍弱の抗体価の増加がみられることが確かめられています。そして、その接種方法はデルタ株にも同様の効果があるのではないかといわれています。ちなみに2回ともベクターワクチンを打ってもベータ株に対する抗体価は増加しませんでした(これが英国で再流行した理由です)。

一方、1回目にアストラ製を2回目にファイザー製を接種した場合を、2回ともアストラ製ワクチンを接種した場合と比べると13000対1400の強さで前者が有効でした。実際には「有効だったかどうか」を確かめたのではなく、「劣っていないことを確認」する非劣勢試験をしたにすぎません。でも、あの抗体価の違いを見ればわかりますよね。また、1回目にファイザー製を2回目にアストラ製を接種した場合を、2回ともファイザー製ワクチンを接種した場合も比較しています。それによれば、前者が7100対14000の強さで「非劣勢は否定」、つまり「劣っているかもしれない」という結論になりました。

このように、異なるワクチンを接種したとしてもワクチンの効果に変わりはなく、ファイザー社製のワクチンを受けた人にはワクチンのタイプが異なるアストラ製を3回目に接種するかもしれません。それは2回の接種に要する費用が製法によって大きく異なるためです。2回の接種に約5000円の費用がかかるといわれるファイザー、あるいは約4000~8000円のモデルナ、約1000円のアストラ製のどれを使用するかでワクチン接種にかかる費用を抑制することができます。日本でも来年早々にも開始されると噂される3回目のワクチン接種。現在、いろいろな検討がなされていることでしょう(と信じたい)。

今やワクチンの効果ははっきりしています。デルタ株をはじめとする変異株に対する効果も確認されています。副反応などの問題もとくに不安になるようなものではないこともわかりました。その意味で、今でもワクチンの接種しようか迷っている人はあらためて考えてみてください。ワクチンの接種は自分自身だけでなく、周囲の人たちをも守ります。確かにワクチン接種は強制ではありません。しないのも自由です。しかし、今、重症化し、亡くなっている人のほとんどがワクチン未接種であるという現実は重く受け止めるべきです。どうか冷静に状況を判断し、行動していただきたいと思います。

それからもう一言。ワクチンを2回接種しても新型コロナウィルスに感染することはあります。しかし、感染しても通常の風邪のような症状にとどまることが多い。ですから、「ワクチンは接種済みだし、症状も軽いので新型コロナじゃない」などとタカをくくらないことです。ましてや「このぐらいなら風邪薬を飲んで様子をみよう」などと考えてはいけません。軽い症状で風邪薬を服用すればそれなりに仕事ができてしまいます。そうなれば家族や職場の人たち、周辺のたくさんの人に移してしまう危険性があります。くれぐれも「風邪薬を飲みながら仕事、外出」はしないでください。どうかこのことだけは心にとどめておいてください。

 

いつか見た風景

私の世代以上であれば「傷だらけの人生」という歌をご存知だと思います。1970年に発表された鶴田浩二の歌です。この歌が世に出たころ私はまだ小学生でした。なぜかこの歌がまだ子供だった私の耳に残り、繰り返し口ずさんでいたのを思い出します。その後、大人になってからも、世の中のいろいろな「莫迦と阿呆」を見るたびにこの歌詞があたまに浮かんできます。

なにからなにまで真っ暗闇よ

筋の通らぬことばかり

右を向いても、左を見ても

莫迦と阿呆のからみあい

どこに男の夢がある

連日、TVのワイドショーでは「過去最大の感染者数」とマスコミが叫んでいます。政府は専門家会議を抱してもなお有効な対策を打ち出せず、この新型コロナウィルスの拡大に目途をつけることができません。連日感染者の治療にあたる病院のみならず、社会全体が疲弊していく中、いまだに自粛頼みであり、そのとばっちりがまるで飲酒に向いているかのようです。

一向に感染者(というか、検査陽性者)が減らず、「これからどうなってしまうのだろう」と考えてしまう人も少なくないと思います。中には、「自衛策」として、万がいち新型コロナウィルスに感染して自宅療養になったときのためにサチュレーションモニター(酸素の量を測る装置)あるいは酸素濃縮器を用意しておこうと考える人まで出てきています。

あるいはイベルメクチンという寄生虫の薬が新型コロナ感染症に有効だとする論文がでてから、「イベルメクチンは新型コロナの特効薬」と信じる人もたくさんいます。人によってはネット購入する人もいると聞きます。しかし、多くの研究機関で追試がなされ、「イベルメクチンに有効性は確認されない」「治療薬として推奨しない」と結論づけられているのです。

イベルメクチンの有効性を示したいくつかの論文では、その重大な誤りが指摘され、あるいはねつ造であることを指摘されて撤回を余儀なくされているほどです。「それでもなにも薬を使わないよりまし」と投与している医者もごく少数ですがいます。そういう科学的妥当性に欠ける薬の使い方をしている医者が普段どんな診療をしているのかは推して知るべしです。

このような光景、いつかどこかで見たことありませんか?そうです。10年前に原発事故とその後の放射能の騒ぎが今と重なるのです。「今日の放射線量は〇〇μシーベルトです」と連日報道され、専門家会議を抱しても原発事故への有効な手立てを見いだせない中で、事故現場で文字通り命がけで作業をする東電社員たちの頑張りだけが頼りだったことは今でも鮮明に思い出すことができます。

その放射能に翻弄された過去の風景は、「今日の陽性者数」で人心を惑わせるマスコミだったり、あるいは有識者会議や医師会が自粛要請を繰り返すのみで相も変わらず有効な対応策をとれない政府や行政だったり、新型コロナウィルスの嵐が過ぎ去るまでの頼みの綱が治療にあたっている病院のみだったりする今の風景と重なります。

放射能の不安に駆られた人たちは食料確保に走り、飲料水に放射性物質が混入しているという報道に人々は水を奪い合いました。乳児たちのミルクを作るのに必要な水を、大のおとな達がおかまいなしに買い占めたのです。その様子はまるで消毒用アルコールやマスクを買いにドラッグストアに人々が殺到したときとまるで同じように見えます。

10年前、多くの人たちが空間線量計を購入し、自宅周囲の放射線量をやみくもに測定しては不安を自ら駆り立てていました。放射線量の意味も考えず、子どもたちは校庭や公園で遊ぶことを禁じられ、いたるところで不必要な除染がおこなわれました。ある人達はヨウ素製剤を放射能障害の予防薬だと信じてネット購入し、医療機関でヨウ素剤の処方を求める人すらいました。

あるいは、福島ナンバーの車に嫌がらせをしたり、福島から避難してきた子どもたちがいじめられたりもしました。それはまるで「医療従事者から新型コロナがうつる」あるいは「医療従事者の子どもは保育園に連れてくるな」と根拠のない差別が横行したのと似ています。今のコロナ禍における無知は、あの原発事故の際と変わらぬ社会の分断を引き起こしているのです。

どうして人は学ばないのでしょう。不安にまかせて行動することの愚かさになぜ気が付かないのでしょうか。「ワクチンは打たない」という人がいます。「なぜ?」と尋ねると「副反応が怖いから」「将来、どんな影響があるかわからないから」と答えます。しかし、それらの恐怖や不安にはかくたる根拠はありません。新型コロナに感染することの方がよほど怖いでしょうに。

あのとき「放射能が怖い」と不安にかられた人たちもそうでした。「なぜ放射能が怖いのですか」と聞いても、その多くの人は「なんとなく」「なにか恐ろしいことが起こるかもしれないから」とあいまいです。根拠が希薄なこの不安は、まるで幽霊かなにかを怖がっているかのようです。「なぜ不安なのか?」「どういうところが不安なのか?」という理性が働かないのです。

その一方で、楽観的になることにも理性がは必要です。「なぜ楽観的でいいのか」「どのようなところが楽観的でいいのか」。そういう問いかけに答えを持たなければなりません。「マスクはしなくても大丈夫」、「ワクチンなんてなくても平気」、「今の感染拡大は心配ない」、「イベルメクチンは新型コロナの特効薬」。いずれもその根拠を冷静に考えることが肝要です。

新型コロナの今の感染状況は決して楽観的なものではないと思います。陽性反応者がこれだけ増えれば、やがて重症者も増えてくるでしょうし。しかし、これはワクチン接種を高齢者から重点的に進め、若年者や現役世代への接種をあとまわしにしてきた結果です。陽性者の増加にくらべて重症者や死者の増加が抑制されていることからもそれがわかります。

今、若い人たちに感染が広がっています。それでも若い世代の感染患者の多くは無症状か、さもなけれ軽症の人たちです。重症者の多くは50歳代以上であり、死亡者の多くは60歳代以上といずれも若い人たちは少数派です。しかし、こうした傾向も、やがて若い人たちを中心に変化していくかもしれません。そうなったとき、事態は重大かつ深刻になったと考えるべきです。

若い人たちに感染患者が増えているからといって、彼らに「遊びに行くな、会食するな、飲酒など論外」と強いるのは少し酷だと思います。もうこんな生活が一年半も続いているのですから。彼等にだって仕事があります、学校があります。ありあまるエネルギーがあります。そんな彼らへのワクチン接種を後回しにしておいて、ただ「じっとしていろ」はないだろと思います。

「高齢者へのワクチン接種が進んでいるのだからそろそろ」と気が緩んだとしても仕方ないかもしれません。そんなことに目くじらを立てるより、すべての国民が引き続き手洗い・うがいを励行し、マスク着用を継続するしかないのです。そして、いかにして早く、そしてたくさんの若者や現役世代にワクチンを打ってもらうか、です。そうすれば必ず感染拡大はおさまります。

医療崩壊、とくに病院の診療を崩壊させない方策をいかにとっていくかも重要です。イベルメクチンという、効果が判然しない薬を特効薬と考える一部の医者がSNSやマスコミをつかって世の中を混乱させています。その結果、医療現場ではイベルメクチンが不足し、本来、このイベルメクチンを必要としている患者に対する治療に支障になっているケースもあります。

感染症法上、エボラ出血熱と同じ1類に分類されている新型コロナウィルスは、感染が確認された時点で原則的に病院に収容させることになっています。これが病院のプレッシャーになっています。本来は、病院での管理が必要なケースにかぎって入院させ、それ以外は自宅療養またはホテル療養とすべきです。そうしたことができないのは行政と医師会が手をこまねいているからです。

ワクチン接種が行われていなかったこれまでであれば、家庭内での感染が懸念されたことから原則的に入院となっていたことは理解できます。しかし、ワクチンの接種が進んでいる今、保健所は入院の対象とならない患者およびその家族に対して家庭内で経過観察するポイントを具体的に示し、どのようなケースが入院になるのかを説明して様子を見るという方向性が必要になっています。

それにしても一番大切なことは、いかにして若年者あるいは現役世代にいかにワクチン接種を広めるかです。当院でも通常診療の時間を短縮してできるだけ多くの人にワクチンを接種しています。しかし、接種数をこれ以上増やすことは不可能です。診療の片手間にはワクチンを接種できず、接種数を増やすとなれば通常診療をさらに短縮して対応しなければならないからです。

10月になればインフルエンザワクチンの接種もはじまります。しばらくは新型コロナウィルスワクチンと並行して接種しなければなりません。どうやれば通常診療とバランスと効率よく進められるか現在思案中です。また、通常の風邪なのか、新型コロナの患者なのかの区別がつかない熱発患者をどう安全に診療するかについてもこれから検討しなければなりません。

行動の自粛やロックダウンは感染拡大の初期におこなう対応です。アウトブレイクが進み、ここまで感染が拡大している段階で頼る方法ではありません。ロックダウンに効果がないこともヨーロッパやアメリカの事例で明らかです。検査をたくさんやれば感染を抑えられるということも幻想でした。あの「世田谷方式」あるいは大阪での失敗事例がそれを証明しています。

今の報道ぶりを見ると、これからもどんどん感染が広がり、医療が崩壊するなどして世の中が破綻してしまうのではないかと心配する人もいるかもしれません。繰り返しますが、このままワクチンの接種が広がればやがて感染はおちついていきます。それが9月になるのか、10月になるのかわかりません。しかし、このままワクチン接種が進めば必ず落ち着く日がやってきます。

理性を働かせて行動することです。「副反応が怖いからワクチンを打たない」といっている人は、新型コロナに感染することの方がよほど恐ろしいということを認識してください。自分が感染すれば、家族や他の人の感染リスクを高めてしまいます。と同時に、治療する病院とスタッフをさらに疲弊させることになります。ワクチンを接種するのは自分のためだけではないのです。

一刻もはやくたくさんの人がワクチンを接種し、感染対策を万全にしながら徐々に経済活動をもとに戻していくべきです。社会をまもるためにも「自粛よりもワクチン接種」ということに政府は傾注してほしいものです。病院の疲弊を軽くするために保健所と医師会が有効な方策を打ち出し、国民はできるだけ冷静に対応すること。今、できることはこうしたことに尽きます。

「右を向いても、左を見ても、莫迦と阿呆のからみあい」

私たちがこういう「莫迦と阿呆」にならないためにも、正しい知識をもとに、正しく判断し行動することです。くれぐれも表面的で扇動的な情報にとらわれないでください。ワクチンを2回接種した人の致死率は0.001%未満だともいわれています。デルタ株に対する有効性も67~88%だと発表されています。不必要に不安にならず、やるべきことをして嵐が過ぎるのを待ちましょう。

 

 

 

 

コロナワクチンの現状(4)

新型コロナウィルスに感染した患者のうち、中等症の患者までは自宅での経過観察を可能とする方針を政府は打ち出そうとしています。しかし、こうしたことは新型コロナ対策分科会や尾身会長には諮問されることなく決められたようです。ここにいたるまでの対策について分科会、あるいは有識者会議から有効性の高い方策が提言されなかったからでしょうか。もしそうだとしても、公衆衛生の基本はおろか、医学的な知識もない人たちによってこうした重要な政策が決められていたのだとしたら大きな過ちだといわざるをえません。この政策転換が誰の意見によって決められたのかが重要です。

中等症の新型コロナ感染患者とはどのような人たちをいうのでしょうか。それは「咳や息苦しさなど、ある程度の肺炎症状があるにせよ、まだ深刻な低酸素状態にはない患者」です。したがって、低流量の酸素の投与があっても、これによって十分な酸素を確保できるのであれば在宅で様子を見るという場合もあるということです。このような重要な対策については、現場の医療従事者もふくめて幅広い人たちと真剣な議論を重ねる必要があります。とはいえ、こんなことはこれまで私がブログに何度も書いてきたように、もっと早い段階で検討していくべきことでした。

今思えば、新型コロナが感染拡大を始めたころ、そして、第三波と呼ばれる流行がはじまったころ、さらにその後も私は何度となく「保健所をふくめた行政と医師会は綿密な意思疎通を図って連携をとるべきだ」と主張してきました。あるとき千葉県健康福祉部から県内の開業医に向けて次のようなアンケートが送られてきました。「自宅待機している新型コロナ感染患者が急変したとき、往診したり、胸部レントゲン写真をとるなどの検査をしてくれる診療所はないか」というものでした。私はこのとき「医師会との連携をとらないまま対策が進められている」ことを確信しました。

私はアンケートには「その対応には協力しない」と回答しました。それはあまりにも感染症の現実を知らない対応だったからです。「協力できない」と答え、感染症の現実を知らないアンケートだと感じた理由は三つあります。1)簡単な聴診しかできない往診は役立たないばかりか、重症化を判断するまでに無駄な時間をかけてしまう、2)感染症の対応に不慣れなクリニックで胸部レントゲン写真をとれば、クリニックに新たなクラスターをつくる危険性がある、3)重症化したおそれがあるケースには胸部CT検査が必要であり、急変患者はすみやかに病院で診療すべき、だからです。

急変を疑う、この場合、「病院への移送が必要かどうかの急変を疑う場合」はやはり病院での検査を迅速に受けさせるべきです。開業医が連絡を受けてから駆け付け、事情を聴き、経皮的酸素飽和度を測り、聴診をしたところで「そのまま様子を見ましょう」と判断することは現実的にはまずありません。胸部CTや採血をした上でなければ「引き続き自宅安静でよい」とはならないのです。新型コロナウィルス肺炎はたちどころに増悪してしまうという特徴があります。なかば憶測で重症度を判断することなどできません。保健所が提示してきた対応では救える命も救えなくなる危険性をはらんでいます。

そんなことは医学的知識を持っているまっとうな医者ならすぐにわかるはず。にもかかわらずあのようなアンケートをしてきたのは医師会との協議がないままに進められたからです。もし「医師会との協議のうえの対策だ」というなら、協議したその医師会(あるいは医師)はよっぽど無能です。「対応には協力できない」と千葉県に回答する際、そう考える理由と当院でおこなっている対応策をながながと記述して添付しておきました。しかし、私の返信に対する返事はありません。そして、アンケートのような診療が実際に行われたという噂もその後聞いていません。

以前のブログにも書いたように、当院では熱発は風邪症状のある患者を三つのケースに分類して対応しています。それはできるだけ病院の負担を軽減するためのものです。すべての熱発患者、風邪症状のある患者を病院に押し付けるのではなく、新型コロナウィルスの検査を要さないと思われる患者はできるだけクリニックで診療するための分類です。もちろん新型コロナウィルスの検査を要するケースについては病院の熱発外来への受診を勧めています。クリニックでできることには限界があるのです。マンパワーという面でも、施設設備という面からもぎりぎりの対応だと思っています。

しかし、多くの人へのワクチンの接種が進み、感染拡大がここまで広がってくるとクリニックのやり方もそろそろ変更しなければならないでしょう。それはこのまま感染が広がっていけば、病院への負担が深刻になり、病院診療の崩壊が現実のものになってしまう恐れがあるからです。今、政府が進めようとしている対応策はあまりにも拙速です。でも、もし中等症までの感染患者の自宅での経過観察を解禁するのであれば、医師会や地方自治体、とくに現場の人たちの声を反映したものでなければなりません。体制を整えてやらなければ取り返しのつかないことになります。それこそが医療崩壊です。

中等症以下の患者を自宅で経過観察するのであれば、患者の自宅の近くにあるクリニックの医師が責任をもって経過観察するべきです。そのためにも、自宅で経過を見ることが決まった時点で保健所は経皮的酸素飽和度を測るサチュレーションモニターという装置を患者に配布してほしい。そして、担当医師が朝と夕方に体温と経皮的酸素飽和度、そして体調の変化を直接電話で確認するのです。その結果は報告書に逐次記録。入院が必要だと判断した場合は速やかに保健所に連絡し、保健所は入院先を確保して移送する。その間に経過をフォローしていた医者はそれまでの記録と紹介状を入院先の病院に送付するわけです。

病院側は必ず一定数の空ベットを用意しておくべきです。24時間いつでも急変患者を収容できる体制を用意しておかなければなりません。そのためにも容態がおちついた患者はすみやかに自宅へ。それ以降の患者のフォローはふたたび自宅近くのクリニックの医師が引き継ぎます。保健所が仲介役となって病院とクリニックが連携をとるのです。最近、「病院への入院を拒否され続けて8時間後に自宅から50kmも離れた病院にようやく収容された」というニュースが報じられました。しかし、それはどうやらフェイクニュースのようでした。そんないい加減な報道がなされるのも今の診療体制に欠陥が多いからです。

感染者が急増してあわてているのは病院だけではありません。政権内部も官僚をはじめとする行政側も混乱していることがみてとれます。お勉強(受験勉強)だけはできたのでしょうが、地あたまの悪そうなある大臣が「酒を提供する店には融資を制限しろ」と銀行に要請するなど、まるでヒットラーかと思うほどの対応をしました(この大臣は昨年もロンドン大学の某日本人教授の「検査をもっとやれ」という言葉を真に受けていました)。行政もあたふたするばかりで「Too Little, Too Late」の対応を繰り返しています。有識者会議も日本医師会もまた同様であり、助言すべき人たちが有効策を提言できないでいます。

新型コロナウィルス感染症は、日本人にとっても世界にとってもはじめての経験です。多少の混乱は仕方ありません。しかし、もう一年半が経っています。そろそろ経験に学んでほしいものです。もし今、対策にあたる人が経験に学べないなら、「学べる人間に代わってくれ」と言いたいです。とはいえ、経験に学べないのは一般国民も同じです。原発事故・放射能に対するヒステリックな対応といい、オイルショックのときトイレットペーパーに殺到したパニック振りといい、さらにさかのぼればマスコミに煽動されて戦争に突っ込んでいった戦前の愚かさといい、なんどもなんども煽られるばかりで一向に理性的になれない一般国民にも責任はあるのです。

文章を書きながら徐々に感情的になっていく私。次のブログあたりで「爆発」してしまうかも。

 

コロナワクチンの現状(3)

「一日あたりの新型コロナウィルス感染者数は過去最大」

「これまでに経験したことないスピードで感染が拡大している」

マスコミはおどろおどろしい表現で現在の感染状況を伝えています。政府は病床がひっ迫する恐れがあることを理由に、「緊急事態宣言」を4府県に追加し、5道府県に「まん延防止防止等重点措置」を適用することを決めました。新型コロナウィルスの感染者が増えている事実は誰もが認めるところですが、ある人たちは「そんな生ぬるい対応ではなくロックダウンを」とヒステリックに叫び、その一方で「感染者数が増えていても重症者や死亡者はほとんど増えていないから大丈夫」と楽観的な人たちもいます。現状認識がまるで異なるこれらの人たちは互いに相手を批判し、自分たちの主張の正しさを強調しています。

新型コロナウィルスに対するワクチンの接種は進んでいます。7月29日現在、国民の38.4%が少なくとも一回の接種を済ませており、二回の接種を完了した人も27.6%に達しています。アメリカやフランスでも少なくとも一回の接種が終わった人は約60%、カナダやイギリスにいたっては約70%にもなります。集団免疫をつけるという意味では8割以上の接種率になることが必要とされていますが、ワクチンについては相当数の「反ワクチン派(ワクチンに対する否定的な意見をもつ人たち)」がいるため、接種率が高いといってもさらにどれだけ上積みするかが各国の課題になっています。

これからお話しすることは私個人の見解です。政治的な意図はもっていません。文句をいうだけで自ら問題解決に動こうとしない政治家たちのように、新型コロナウィルスによる混乱を利用して政府を批判しようとするものでもありません。人心を無駄に惑わすことも目的にしていませんし、根拠のない楽観論でみなさんを安心させようとも思いません。私なりに日頃思っていることを理性的にお話ししたいと思っているだけです。みなさんには、私の意見が正しいかどうかという観点ではなく、日頃診療をする中で、ひとりの医師がなにを考えているのか知っていただきたいと思います。

冒頭に書いたように、新型コロナウィルスの感染拡大の現状について、「対策が生ぬるい」「不安をあおりすぎ」という正反対の意見が錯綜しています。しかし、私はそのどちらも正しく、どちらも間違っていると思います。なぜなら、これ以上の厳しい制限は日本経済に致命的な影響を与えてしまうからであり、だからといって今の感染拡大は決して「大丈夫なもの」ではないからです。これまで政府がおこなってきた対策は「小出しで遅すぎ」だと思いますし、手順や方法論も結果として間違っていたと思います。それは政権が無能だからではありません。そのブレインとなっている有識者会議が無能だからです。

私が「対策や方法論の失敗」だと考えるのは「ワクチン接種の手順が稚拙だから」です。以前のブログにも書いたように、政府は高齢者からワクチンを接種することを決めました。これは「重症化しやすい高齢者を守る」という意味では正しく、事実、現在、大多数が高齢者である「重症者」ならびに「死亡者」の数が抑制されていることからもその効果が確認できると思います。しかし、世の中ではそうした効果は評価されずに、感染拡大が止まらないと大騒ぎです。そもそもこれまでのワクチン接種のやり方ではすぐに感染拡大を阻止できないのはよくよく考えてみれば当然の結果なのです。

もし感染拡大を阻止することを目指していたのであれば政府は手順を間違えたことになります。「重症化しやすい高齢者」にとらわれすぎて本筋を見誤ったのです。電車や車での移動が少ない高齢者にワクチンを打っても感染拡大を抑制する効果が低いことはあきらかであって、本来は社会における移動の多い若年者や現役世代へのワクチン接種からはじめなければなりませんでした。高齢者施設では、なかば施設内に拘束されている「寝たきりの高齢者」へのワクチン接種が終わり、その一方でケアをする職員にはワクチン接種が進んでいないという現実がつきつけられました。これ、おかしくないですか。

皮肉にも今、ワクチンの接種率が高いのは人口の少ない地方であり、感染者が急増している大都市部での接種は伸び悩んでいます。人の動き方を見ても感染が拡大するのは人の往来の多い都市部です。感染拡大を阻止するという目的からいえば、人口密度の高い地域から重点的にワクチンを接種するのが合理的です。しかし、政府は「都市も地方も平等に」という方針を選択しました。もちろん、人の命に軽重はありませんし、守るべき人の命はすべてが平等です。とはいえ、接種できるワクチンの数に制限がある以上、その目的にふさわしい優先順位はつけなければなりません。そしてそれは差別ではありません。

もうひとつの誤りが「職域接種」です。職場でワクチン接種できるようにすることによって、ワクチン接種のスピードがあがるだろうと判断してのことでしょう。しかし、一気に各職域でのワクチン接種を解禁にしたため、ワクチンの流通量が限界を超えてしまい、各自治体に供給されるはずのワクチンが届かないという事態を招いてしまいました。そして、2回目のワクチンを予定通りに受けられないという人も出てしまいました。各職域自体も計画的にワクチンを確保しなかったため、余剰ワクチンを作ってしまい廃棄する企業もありました。業を煮やした厚労省は「廃棄数の多い企業は公表する」と警告しています。

職域接種をはじめるのであれば、まずは「感染拡大阻止」に寄与する職域に限定して開始すべきでした。それ以外の接種に対しては大規模接種会場を増やし、各企業は「就業時間内であってワクチンを接種してきてもいい」とすればよかったのです。大規模接種会場も当初は予約がガラガラで、相当数のワクチンが無駄になったともいわれています。職域接種はもっと計画的かつ段階的に実施しなければなりませんでした。現在、我孫子市でもワクチンの供給数が激減しており、接種できる数が限られています。結果として政策の拙速さのツケを住民が払わされているのです。

ワクチン接種がはじまったとき、新型コロナ感染患者を搬送する救急隊隊員へのワクチン接種がおこなわれていませんでした。「職域」というならこういう職種の人たちこそ早期から接種をはじめるべきなのに、です。医療従事者への優先接種がすでにはじまっていましたから、私は当然のことながら救急隊員にもワクチン接種が行われていると思っていました。救急隊へのワクチン接種が遅れていると報道されたとき、私は我孫子市役所に問い合わせてみました。当院で隊員たちの接種をしようと思ったからです。でも、我孫子市では救急隊の隊員たちへの接種がすでに行われていたのでホッとしました。

要するに、感染が急速に拡大しているように見えるのは若年者、あるいは現役世代へのワクチン接種を後回しにした結果なのです。また、感染者が急増しながらも重症者や死亡者がそれほど増えていないのは高齢者のワクチン接種を進めてきた効果が現れたからです。もし、この現状を否とするならば、若年者あるいは現役世代へのワクチン接種をあとまわしにして高齢者への接種を優先した政府の決定が間違っていたということになります。その一方で、これまでのワクチン接種の方法論が間違っていないとするなら、感染が拡大している今の感染状況はある程度甘受しなければなりません。

新型コロナウィルスがアウトブレイクして1年半になります。この間、多くの国民が行動を制限され、経済活動を控え、それぞれの立場で頑張ってきました。たくさんの企業やお店が倒産や閉店を余儀なくされ、相当数の失業者がでたはずです。そうした有形・無形の我慢や犠牲を払いながら多くの人が耐えてきました。だからこそワクチン接種が広く行われるようになって、人々の気持ちが楽観的になってしまうのも理解できます。ワクチンの流通の問題は残りますが、このまま接種が広がっていけば、秋には感染拡大はおさまってくるでしょう。問題はそれまでの感染をいかに抑制するかです。次のブログではそれについて少し書きます。

 

コロナワクチンの現状(2)

多くの高齢者がワクチン接種を終えました。高熱がでて寝込むということも、また、頭痛や倦怠感に悩まされるという人も少なかったようです。「2回目の副反応がひどいらしい」という噂も必要以上に誇張されたことであり、私の母などは「副反応がぜんぜんなかったんだけど本当に効くのかしら」とワクチンの効果を心配するほどでした。ワクチンを接種する前はあれほど副反応のことを心配していたのに、私の母と同じような反応をした人も決して少なくないと思います。その一方で、人によっては「事前に解熱剤を飲む」などと言っている人もいました。今回は発熱とワクチンのことをあらためてまとめてみます。

以前のブログで、ワクチンの副反応は「あってはならないもの」ではなく、ある意味「ワクチンが効いている証拠だ」と書きました。ワクチンによってある種の異物がからだの中に注入されると、それらを排除する抗体をつくるために免疫細胞が働きだします。その働きを本格化させるために発熱が必要です。風邪をひいたとき、つまり風邪ウィルス(コロナウィルスものひとつです)に感染したときに熱を出すのはそのためです。つまり、発熱は「あるべき反応」なのです。私がこれまで「早めに風邪薬は飲むべきではない」、「むやみに解熱剤を飲んではいけない」というのはこういう理由からです。

ワクチンを打って熱がでる場合があります。とくに若い人たちのように、免疫力が強い人たちがワクチンを接種すると結構な熱がでるケースがあります。しかし、この熱発によってからだの免疫力にスイッチが入るのですからむやみに熱を下げるべきではありません。2009年のLancetという有名な科学雑誌に注目すべき論文が掲載されました。「ワクチン接種後の熱発を回避するため、あらかじめ解熱剤を飲ませると期待される抗体を十分に作れない可能性がある」というものです。つまり、高熱でつらい時ならまだしも、むやみに解熱剤を使って不用意に発熱をおさえることは免疫反応を鈍らせる、というわけです。

皆さんは「葛根湯」という漢方薬をご存知だと思います。私もこの漢方薬をしばしば処方します。そして、薬を出すとき患者さんには「風邪薬は早めに飲むべきではありません。早めに服用するなら葛根湯にしてください」と説明します。ただしこの葛根湯はまだ発熱のない風邪の初期に服用するべき漢方薬です。葛根湯は「発熱を促して風邪を早く治す」というものだからです。「からだを温めて風邪を治す」といった先人たちの知恵は現代の科学でちゃんと証明されているのです。こうしたことからも「風邪薬(解熱鎮痛剤)を一日三回服用」という使い方は誤りだということがわかると思います(※)。

では、接種のあとに熱発がない場合、ワクチンの効果は期待できないのでしょうか。そんなことはありません。日本の医療機関でワクチンによる中和抗体の量と接種後の熱発の有無を調べ、その両者にはほとんど関係がなかったことがわかっています。つまり、ワクチンの接種後に熱がでようがでまいが、ワクチンの効果に差はあまりないということです。言いかえると、「熱があっても、なくてもワクチンは効いている。でも、熱が出たからといってむやみに解熱剤を使わないことが大切だ」ということです(繰り返しますが、服用してはいけないわけではありません。つらい時は使用してもいいのです)。

今、日本で広く使用されているワクチン(ファイザー製・モデルナ製)はいずれもmRNAワクチンと呼ばれるものです。これらのワクチンの新型コロナウィルスに対する効果は95%以上であり、2回目の接種後数日でこの効果が発揮されるとされています。しかも、現在、猛威をふるっている変異株(デルタ株)にも90%程度の効果が期待できるといわれています。単に感染を阻止するだけでなく、感染しても重症化を回避する効力も確認されています。こうした効果は、不活化ワクチンである中国製、ベクターウィルスワクチンであるロシア製のワクチンの有効性をはるかに凌駕しています。

一時期イギリスで流行したアルファ株はすでにデルタ株におきかわりつつあるといわれています。感染力は従来のウィルスのおよそ2倍ともいわれ、なにやら恐ろしいことになるのではないかと不安になってきます。しかし、ウィルスの評価は、その感染力の強さだけではなく、病原性(重症化する可能性)という側面からも考慮しなければなりません。デルタ株の病原性の評価はまだ十分に検討されているわけではありません。デルタ株と類縁関係にある豚デルタ株は病原性が強いという報告があります。しかし、それは豚に感染した場合のものであり、人間に感染する株の病原性ではないという点に注意すべきです。

ウィルスにはワクチンが出現すると変異株が出現することが知られています。今回の新型コロナウィルスも、広くワクチン接種がおこなわれはじめた時期にアルファ株が出現しました。しかし、ウィルスの変異株については「感染力が強くなるにしたがって変異株の病原性は低下する」という傾向があるともいわれています。病原性が強い変異株は、宿主(感染した人)がすぐに亡くなってしまうためいろいろな人に感染を拡大させないからです。今回のデルタ株も、未確認の情報ではありますが「感染力は強さにくらべて、病原性はそれほど強くはなさそうだ」という意見もあるようです。

デルタ株の病原性についてはそろそろ公式な見解が発表されるでしょう。その公式見解がどうであれ、現行ワクチンにそれなりの効果が期待できる以上、不必要に怖がる必要はありません。沖縄の大病院で発生した新型コロナウィルスによるクラスター。感染した看護師十数名のうち12名はワクチンを接種をしていませんでした。このようにワクチンの効果がはっきりしてきたせいか、今まで「反ワクチン」の立場で新型コロナウィルスワクチンの危険性を吹聴してきた某研究者ですら、これまで自分が流布してきた見解を撤回しはじめています(ワクチンを打ちたくなってきたからでしょうか?)。

私たちはこれまで通り、正しい情報を正しく評価し、正しく恐れて正しく行動することが重要だということを再認識したいものです。

※ 熱がでたときは「つらければ解熱剤を使っていい」のですが、解熱剤を使ったからといって「発熱の原因そのもの
を治療する」ということではな
りません。あくまでも発熱の原因を突き止め、その原因を治療することが肝要です。

 

コロナワクチンの現状(1)

日本では今、新型コロナウィルスワクチンの接種が進んでいます。2回接種を済ませた国民は全体の11%あまり。1回に限ればすでに22%の人への接種が完了しました。このスピードは欧米を抜いて世界最速なのだそうです。アメリカでもすでに45%を超える国民がワクチンの接種を済ませました。しかしこのアメリカの接種率を日本が抜き去るのももはや時間の問題です。

我孫子市でも医療従事者と65歳以上の高齢者を対象とするワクチン接種はおおむね完了し、いよいよ65歳未満の住民にその対象が移ってきました。当院でも診療時間を変更して、連日ワクチン接種をおこなっています。幸い今のところ大きなトラブルもなく、順調にワクチン接種が進行しています。多くの人が心配していた副反応もほとんどないか、あっても大したことがなかった人がほとんどです。次第にワクチン接種への抵抗感はなくなってきているように感じます。

とはいいながら、いまだにワクチンに対する不安がぬぐえないのか、ちまたに流れてくる「ワクチンで不妊になる」だとか、「遺伝子の異常が生じる」といったある種のデマに翻弄されています。そんなこともあって、河野太郎大臣が記者会見でそれらのデマを否定し、厚労省のホームページに解説をアップしたりしてワクチンに対する不信感を払拭しようと躍起です。

これまでのブログでも説明してきたように、今、広く接種されているファイザー製あるいはモデルナ製のワクチンはmRNAワクチンと呼ばれています。このワクチンで使用されているmRNAは生体内では不安定であり(極低温で保存しなければならなかったり、解凍し、希釈し、注射器につめる際にも細心の注意を求められるのはそのためです)、からだの中に入ると数分から数時間で分解されてしまいます。しかもmRNAは細胞核の中には入っていくことはなく、DNAと接触することはありません。

こうしたことは専門的なことなので、多くの国民はこの手のデマに乗せられてしまうのかもしれません。しかし、不安に思ったり、疑問に思ったらきちんと自分で調べる人であれば、TVから流れてくる情報がいかに偏ったもので、むやみに人心を不安に陥れる情報であるかがわかるはず。新型コロナウィルスについては初めての経験ばかりであり、どの情報が確かなものなのかがわかりにくいのも事実です。しかし、自分で情報をもとめたりしないで、感情のままに大騒ぎをすることはやはり慎むべきです。

ワクチンそのものに反対する人たちの多くは、自分や自分の家族がワクチンを打つことはもちろん、周囲の人がワクチンを打つことも許しません。その一方で、ワクチンを接種しない人たちは、多くの人たちがワクチンを接種してくれることで、集団免疫という形で自分自身も守られているということにあまりにも無頓着です。ワクチンは自分の身を守るという意味だけではなく、他者をも守っていることにも目を向けなければなりません。

ワクチン接種が進んでいるにも関わらず、感染者の「リバウンド」とも思える増加が連日報道されています。「ワクチン接種が進んでいるのになぜ」と思うかもしれません。しかし、現在進められているワクチン接種の対象者は、あまり外出しない高齢者が中心です。でも、本来は感染機会の高い都市部を中心に、ウィルスをいろいろなところに運ぶ可能性の高い現役世代や若者にワクチンを重点的に接種すべきです。そうした合理的な接種をしていないのですから感染拡大が続いていても不思議ではありません。

各自治体がおこなっている集団接種・個別接種に加えて最近では職域接種もはじまりました。しかし、職域接種を一気に解禁・推奨してしまったため、ワクチンの供給能力を需要が上回ってしまいました。その結果、我孫子市だけでなく多くの地方自治体に向けて供給されるはずのワクチンが不足しています。これも国の判断ミスです(ちなみにワクチンの総量は足りていますからご安心を)。まるでにわか成金が大盤振る舞いをしすぎて困窮しているかのようです。

職域接種を進めるのであれば業種に優先順位を決めて行うべきでした。感染拡大という観点からどの業種を重点的に職域接種をするのかを決めてから解禁する必要があったのです。にも関わらず、手をあげた業界から一斉に職域接種を解禁しているのですから、どこかで供給が不足するなんて事態になるのは当然です。供給が追い付かない現状を放置できず、職域接種の受付をしばらく中止することになりましたがあとの祭りです。

私は職域接種よりも大規模接種会場をもっと増やすべきだったのではないかと思っています。サラリーマンや学生が仕事や授業の最中であっても近くにある集団接種会場に出向けるように工夫すればいいだけです。昨年の新型コロナウィルスが感染拡大をはじめたころから、政府や行政の策には計画性も、大局的な合理性も感じられないのはなぜでしょうか。あまりにも知恵がなさすぎです。「そろそろうまくやれるだろう」と思いながらあっという間に1年半が過ぎてしまいました。学びがないのも困ったものです。

ワクチン接種完了

5月17日、私と職員全員で新型コロナウィルスワクチンの接種に行ってきました。4月26日に1回目を、そして、今回は2回目の接種でした。これで私たちのワクチン接種は完了です。今回のワクチンについてはいろいろな情報が錯綜し、ワクチンを接種すべかどうか迷っている人は少なくありません。私たちの経験がそうした人たちの参考になれば幸いです。

私自身は「ワクチン接種すべし」という立場です。このワクチン接種については賛否両論があります。賛成する人の主張にも、反対する人の主張にもそれぞれの言い分があります。とはいえ、この1年半もの間、新型コロナウィルスは流行を繰り返し、社会生活に大きな影響を与えてきました。このウィルスの流行を一日も早く収束させ、社会を正常化しなければなりません。そのためにどうしたらいいのか。わたしはここに重点をおきながら、私見をまじえて論を進めていきたいと思います。

現在も一部の地域で感染が拡大しています。これまで9都道府県に緊急事態宣言が発令されていましたが、21日には沖縄県が追加されました。宣言下にある地域では、商店や飲食店での営業はもちろん、一般の人にも自粛が強く求められ、さまざまな社会活動が制限されています。この制限が適正かどうかを断言することはできません。しかし、もはや人々の自粛や我慢にも限界が近づいています。その意味でもワクチン接種による感染拡大阻止への期待は大きいはずです。

我孫子市でもようやく高齢者への接種がはじまりました。しかし、ワクチン接種がどのような目的でおこなわれているかを改めて考えてみると、順次進められているワクチン接種にはいくつかの疑問がわいてきます。ワクチンを接種するのは感染を予防し、拡大するのを阻止するためです。しかし、これを「広義の目的」とすれば、「狭義の目的」とは「コロナ死」を減らすことであり、「経済死」を減らすことにあるのではないでしょうか。

コロナウィルスに感染して死亡することが「コロナ死」です。コロナ死で亡くなった人たちの平均年齢は約80歳だそうです。高齢の感染者が高率に亡くなっているのです。しかし、感染拡大が勢いを増している地域では、コロナ死もさることながら、営業の自粛を余儀なくされお店や会社のの経営が立ち行かなくなって自殺に追い込まれる人たちがいます。これが「経済死」です。このふたつの「死」から国民を守ることが政治の役割です。

もし、コロナ死を減らすためならば、高齢者からワクチン接種を始めることは理にかなっています。高齢者は、新型コロナウィルスに感染すれば高い確率で重症化、死亡するリスクを抱えているからです。しかし、「経済死」を減らすためであるならば、一刻もはやく感染拡大を収束させ、社会の機能を正常化させなければなりません。そのためには高齢者よりも、むしろウィルスを運ぶ人たち(「ベクター」といいます)、すなわち若年者や現役世代の人たちに重点的にワクチンを接種すべきです。

ついでに付け足すならば、高齢者施設の高齢者を守るために、入居している高齢者を優先してワクチン接種するのは間違いです。高齢入居者はほとんど外出をしないからです。入居者と職員が同時にワクチン接種ができないのであれば、外部から施設内にウィルスを持ち込むベクターになりうる職員にまずワクチン接種をすべきなのです。それぞれの施設や環境を考慮した優先接種の在り方など考慮している時間がなかったのかもしれませんが対象者の選択があまりにも雑です。

政府は「高齢者からの接種」「大都市と地方との区別のない接種」を強調します。しかし、感染の拡大を一刻も早く止めたいのであれば「高齢者よりも若年者あるいは現役世代」「感染者の少ない地方よりも流行している地域」からワクチン接種をはじめるべきです。ところが、このようなことが理性的に議論された痕跡がどこにもありません。それとも私の知らないところで議論はされたが「それでは政治的もたない」という理由で却下されたのでしょうか(とてもそうとは思えません)。

本来であれば日本医師会からこうした議論を投げかけてもいいはずです。「コロナ死と経済死のどちらを優先して減らしていくのか」、「そのための接種の優先順位はこうするべきではないか」などなど。そうした政策提言が日本医師会からあってしかるべきなのです。にもかかわらずマスコミを前にして日本医師会長が主張することはあいも変わらず「とにかく自粛しろ」「緊急態宣言をしろ」ばかり。しかも国民に自粛させて会長自身は「自由行動」というのでは筋が通るはずもありません。

 

前書きが長くなってしまいました。新型コロナウィルスワクチンを接種したときのことに話しを戻します。私と当院の職員は4月26日に第1回目のワクチンを受けるために接種会場に行きました。会場となった大きな会議室は人のながれを考えた効率的な配置になっていました。会場の入り口で必要書類を渡すと、待たされることもなく医師の問診エリアにまわされ、すぐにワクチンの接種場所に誘導されました。そこには接種を担当する看護師が立っていて肩を出すようにうながされました。

注射の針が肩に刺さろうとしたとき、私は心の中で「痛ければいいなぁ」と思っていました。ワクチン接種の様子を伝えるニュースではよく「全然痛くなかった」という声があります。しかし、本来、今回のワクチンの接種でおこなわれる筋肉注射は痛いものなのです。にもかかわらず「痛くない」という人たちにおいては「筋層にまで針先が届いていないのでは?」と不審に思っていました。ですから、「針先よ、筋層に届け」とばかりに「痛ければいいが」と念じていたわけです。

看護師は慣れた手つきで注射針を私の肩に刺しました。針が刺されたときと薬液が入る時に少し痛みを感じました。私はホッとしました。「ちゃんと筋肉に入ったんだ」と思ったのです。経過を見るための場所に移動して、一緒に接種した当院の職員と世間話しをしているうちに15分が経ちました。あっという間のワクチン接種でした。すでに接種した知り合いからは注射直後に軽い倦怠感を感じたと聞きましたが、私にも職員にも特段の変化はなくその日は終わりました。

床に就いた私はなんとなくワクチンを接種した左上腕に重だるさを感じていました。そして、「明日、目が覚めたときに筋肉痛になっていればいいなぁ」と思っていました。それは「筋肉痛=ワクチンの薬液が筋層に入ったこと」を意味するからです。そして、翌朝、期待通りになりました。左肩の三角筋に痛みがあったのです。痛みはありましたが、腫れたり、発赤が出現するといったことも、また、熱発も頭痛も倦怠感もありませんでした。

三角筋はぶらりと垂らした腕を飛行機の翼のように持ち上げるときに使う筋肉です。ワクチン接種の翌日、その三角筋が痛くて腕を翼のように持ち上げられないのです。これはまさしく三角筋の痛みでした。職員にも聞いてみましたが、皆私と同じように三角筋の痛みがあって腕が持ち上がらないと言っていました。心配そうな表情をする職員もいたので私はあらためてワクチンの作用機序と今後起こるかもしれないことについて説明しました。

 

以下、説明したこと *************

筋肉が痛いということは薬液がきちんと筋肉にはいったということ。決して不安に感じることじゃないよ。今後、微熱が出ようと、頭痛が起ころうと、腫れてこようと「有害事象」と呼ぶような極端なものでなければ心配ない。数日で収まってしまうことだから気にしないこと。副反応など考えようによっては「ワクチンが効いている」という証拠。「二回目の接種後の副反応は強くでる」という人もいるけど、それは「一回目のワクチンが効いている」からなので心配しないこと。あくでも「有害事象」といえるほど症状が強いかどうか。事前に解熱剤(鎮痛剤)を服用するということはしない方がいいよ。飲まないでいられるのなら飲まないで様子を見ること。

以上 ************

 

接種翌日に出現した筋肉痛はその日のうちに軽くなり、次の日にはほとんどなくなってしまいました。私が事前の思っていた通りの反応といってもいいものでした。それ以降、これといった症状はなく、世の中で言われているほどワクチンの副反応に不安を持つ必要がないことを確信しました。とはいえ、二回目のワクチン接種に向かう時、職員は「二回目の副反応は強くなるかも」という点が心配になっているようでした。そこで私は次のように再度説明しました。

 

以下、説明したこと *************

二回目の接種による副反応が強かったとしても、それは一回目のワクチンがうまくいっていればいるからだと考えればいいんじゃないかな。ものは考えようだと思うよ。「二回目のあとには腕が腫れあがってしまった」という人もいるけど、僕はひそかに「そいう人は知らない間にコロナウィルスに感染していた(こういうケースを「不顕性感染」といいます)」のではないかと思っているんだ。WHOではコロナに感染した人にもワクチン接種を推奨しているし。腫れてもたかだか2,3日のことだろうね。熱発や頭痛が出てきても、つらくなければ解熱剤(鎮痛剤)を飲まないようにね。もちろんつらければ飲んでもいいけど。

以上 *************

 

日頃の診療で私は患者に「熱が出てもできるだけ解熱剤は使わないように」と指導してきました。もちろん今は「正確な体温がわからなくなるから」と説明しますが、本来は「熱がでるということはからだの免疫応答のひとつであり、熱発をきっかけに免疫反応が本格化するから」です。熱があるからといってむやみに体温を下げると免疫反応をさまたげる可能性があります。だからこそ「早めにパブロン(風邪薬)、はダメですよ」と繰り返し言ってきたのです。

5月18日のウォールストリートジャーナル紙には「ワクチン副反応、なくても予防効果あり」と表題のついた記事が掲載されました。その記事を読めば、私の言ってきたことが単なる個人的な見解ではないことがわかると思います。表題にあるように「副反応の少ない人もワクチンの効果はある」と書かれるということは、裏を返せば「副反応」はワクチンの効果をしめすものとしてとらえられていることを示しています。このような論調は日本のどのマスコミからも聴かれないことです。

というわけで、あっという間に第2回のワクチン接種は終わりました。職員のなかには接種当日の夜に熱発と軽い倦怠感があった者もいましたが「有害事象」といえるほどのものではありませんでした。当然のことながら解熱剤(鎮痛剤)を服用することはありませんでした。私は1回目と同じような筋肉痛がありましたが、程度はやや軽く、少しだけ「腫れた感じ」がありました。でも、翌日には症状はすっかりなくなって通常通り。結果として私と当院の職員には大きな問題は起こらずにワクチン接種は終了しました。

 

我孫子市でもワクチン接種がはじまり、患者さんから「私はワクチンを打てますか?」と質問されることが多くなりました。そんなとき私は答えます。「端的にいえば、どんな病気を持っていても新型コロナウィルスワクチンを接種することができます」と。「基礎疾患」があろうとなかろうとワクチン接種にはほぼ関係がありません。アレルギー歴に関しても、ポリエチレングリコール(PEG)に対するアレルギー歴がなければおおかたのアレルギー反応の経験があっても接種は可能です。

ちなみにPEGは大腸検査のときに使う下剤あるいは化粧品や軟膏にふくまれているときがあります。したがって、こういったものでひどいアレルギー反応を起こしたことがある人は注意が必要です。主治医あるいは接種当日の診察医に相談する必要があります。ただし、あきらかなPEGアレルギーでないかぎり「本人の意思」ということになるでしょう。でも、もし私の患者にPEGアレルギーを疑う履歴があれば、その人には「残念だけどやめといたら」とアドバイスすると思います。

ちなみに、アメリカでは「妊婦も接種可能」ということになっています。これまで妊婦に対する接種経験数が少ないため安全性は確認されていません。しかし、今のところ積極的に「妊婦は接種禁忌」とするだけの根拠はありません。「接種するリスクよりも、しないリスクが高い」と判断されての結論なのでしょう。ちなみに、世間で噂され、ワクチン接種に反対する人たちの間で噂されている「新型コロナウィルスワクチンと不妊」については「関連性に根拠なし」とされています。

現在わかっているワクチンの有害事象は次のとおりです。日本では5月上旬までにワクチン接種後に死亡した症例が28名います。多くは高齢者であり、直接の死亡原因としては脳出血、くも膜下出血が多いようです。もちろん若年者もいます。しかし、若年者ほど死因がはっきりしません。このような背景もあって、この28例は全例「死因とワクチン接種の因果関係は判断できない」とされています。なお、日本での新型コロナウィルスワクチン接種は現在550万回です(26日に1000万回を超えました)。

全世界では15億回ほどのワクチンが接種されています(22日現在)。みなさんが心配しているアナフィラキシーショックと呼ばれる重篤なアレルギー反応ですが、今のところ発生する頻度としては25万回に一回程度ということになっています。その多くがワクチンを接種して30分以内に出現しており、適切な対応がなされたため死亡例はまだないようです。もし、皆さんがワクチンを接種する場合は、接種直後に体のほてりやかゆみ、息苦しさや動悸などを感じたら会場の職員にすぐ伝えてください(まず起こりませんけど)。

ちなみにジョンソン&ジョンソン社のワクチンで騒がれた血栓症ですが、頻度としては80万回の接種に対して15例の関連血栓症が疑われています。80万回というと、我孫子市と柏市、流山市に住む生まれたばかりの新生児から100歳を超える高齢者までの全人口をあわせたくらいの数です。この人たち全員にワクチン接種をして15例の血栓症が起こるかどうか。それを「恐ろしい」と感じるかどうかということです。現在、広く日本で接種されているファイザー社のワクチンでは血栓症の報告はなさそうです。

私はワクチンを接種すべきか迷っている人には「打つリスクより打たないリスクの方がよっぽど高いですよ」と言っています。感染はしばらく続きます。「流行」からなかなか逃れられない以上、ワクチンを接種して感染のリスクを減らすことが何より大切です。昨年の今ごろ、「検査をもっとたくさんやれば感染拡大を抑えることができる」と主張する人が少なからずいました。でも、東京よりもはるかに多くの検査をしてきた大阪のつい最近までの様子をみればその答えは明らかだと思います。

検査は安易に行うべきではありません。今よりも医療体制が整っていなかった昨年、「もっとたくさん検査を」という声に社会が押し切られていたら医療は確実に崩壊していたと思います。ロンドン大学の某日本人教授も、どこぞのクリニックの院長も、いろいろなTV番組で「もっと検査を」と叫んでいました。医学の常識を軽視したそんな言説を真に受けた大臣は今もなおコロナ対策の陣頭指揮に立っています。そして、その大臣はいまだに国民に我慢と自粛と負担を強いるのみです。

感染拡大を抑えるにはワクチンを集中的に接種するしかありません。その対象者はワクチン接種の目的に応じて合理的に決めなければなりません。にもかかわらず、その場しのぎの対応策と大衆迎合的な政策が小出しにされ、新型コロナウィルスを封じ込める有効策も後手にまわるのみで十分ではありません。今のコロナ対策には司令塔がいません。日本医師会も政権のブレインとはとてもいえない状況です(会長があのザマですから)。ワクチンの社会的効果が待ち遠しくもあり、またその効果があらわれて日本の経済が早期に正常化できるのだろうか心配だというのが今の私の正直な気持ちです。

心に残る患者(8)

私はかつて総合診療部という部署に所属していました。「総合診療」という言葉を聞いたことがある人は多くないと思います。聞いたことがある人でも、それがどのような機能をもっているかまでを知っている人はごく少数でしょう(「総合診療など『なんでも内科』どころか『なんでもない科』だ」などと揶揄されたこともあります)。私がまだ医学生だった頃、「全人的医療」という言葉がいちぶの学生の間に広まりました。全人的医療とは「単に病気を診るのではなく、悩めるひとりの人間として理解して診療をしよう」というスローガンです。

総合診療部が全国の大学病院に設立されたのにはそうしたながれと無関係ではありませんでした。専門化、細分化した医療のなかで、適切な医療を受けられずに悩んでいる患者をあつかう診療科が求められるようになってきたためです。専門的な診療が集約された大学病院では、どの専門診療科が担当するのかはっきりしない患者がいます。どこにいっても「我々が診療する患者ではない」と、いわばたらい回しになる患者が少なからずいたのです。そうした患者の受け皿として総合診療部ができた「はず」でした。しかし、実際にはそれぞれの大学のさまざまな思惑で総合診療は作られていきました。

ある総合診療部ではアメリカの家庭医のごとく、内科・外科・小児科はもとより、産婦人科や耳鼻科、皮膚科といった幅広い臨床能力を有する医者を養成しようとしました。またある総合診療部は心療内科のような、心身症といった心理的な背景をもとにした身体的症状をあつかう診療を目指しました。さらにある総合診療部では単に大学のポストを増やす方策として利用され、実質的になにをやっているのかわらない総合診療部すらありました。結局、総合診療の必要性が叫ばれながらも、社会的なニーズとの整合性がとれないまま、総合診療部がタケノコのように次々とできていったというのが実情です。

私が所属していた北海道大学医学部附属病院総合診療部も、当時大学病院での位置づけがはっきりしていませんでした。総合診療部としての明確な理念がないまま、各専門診療科が「うちの患者ではない」と紹介してくる患者をあつかう心療内科のような診療に甘んじていました。私は学生のころから臨床心理学や精神療法に関心を持っていたので、その関連書籍をいろいろ読んできました。しかし、それらを実際の診療に活かすとなると具体的な指導が必要です。 私のいた総合診療部では、心療内科的なトレーニングも経験もない医者それぞれが自己流の診療をしている、という状態でした。

あるときは「手のひらから虫がでてくる」と訴えて皮膚科から回されてくる患者が来ました。またあるときは「私は昭和天皇の隠し子だ」と言っている患者が送られてきたこともありました。どちらも本来は精神科が担当すべき患者です。しかし、さまざまな理由で患者に「精神科に受診しなさい」と言えないケースはまず総合診療部にまわすという暗黙のルールができていました。精神科の診療など未経験の私にとって、そうした患者を診療するのは正直しんどいことでした。私は、総合診療部の運営に明確なビジョンをもたず、こうした現状を放置している上司に不満を持っていました。

「心療内科的な患者」をどう扱うべきなのか、迷いながら忙しくしていたある日、ひとりの外国人が私の外来を受診しました。彼は工学部の大学院にサウジアラビアから留学してきた男子学生でした。問診票に彼が書いた文字はなく、受付スタッフの字で「消化器科からの紹介」とだけ書かれていました。診察室に入ってきた彼は、学生とはいえすでに30歳を超えているように見えました。私は英語で「日本語は話せますか?」と聞いてみましたが、彼は顔を横に振り、身振り手振りで日本語は話せないと伝えているようでした。

しかし、話せないのは日本語だけでなく、英語での会話も十分にはできないようでした。簡単な英単語は通じても、コミュニケーションがとれるほどの会話にはならないのです。はじめは「留学生のくせに英語も話せないのか」とあきれていましたが、自分の思いを必死に伝えようとする彼の姿を見てなんとなく気の毒になってきました。そして、彼の話しに耳を傾けるうちに、どうやら数か月前から胃の痛みと食欲不振が続き、消化器内科を受診したがよく話しを聴いてもらえないまま「総合診療部に行くように」といわれた、ということがわかりました。

はじめは緊張して表情に余裕がない彼でしたが、簡単な日本語と英単語を使って「会話」を続けていると、彼の表情が徐々に緩んでくるのが見て取れました。ときに冗談を交わしながら、今の彼にとって必要なのは、胃カメラなどの検査ではなくこうしたコミュニケーションなのではないかと思いました。とりあえず、胃の負担を軽減する薬を処方し、その効果を見ながら必要に応じて検査をすることにしました。診察室を出ていくときの彼には笑顔がありました。そのとき私は大学に総合診療部がある意味のひとつはこういうことかもしれないと思ったのでした。

一週間ほどして彼はまた外来にやってきました。私は薬を飲んでみて症状はよくなったかと尋ねてみました。すると彼は「症状の改善はあるがまだ十分ではない」と答えました。そこで今回は前回よりも少し立ち入った話しを聴くことにしました。暖かい中東とはまったく環境の異なる北海道での生活は、彼にとってはさぞかしストレスなのではないかと思ったからです。すると彼はいろいろなことを話してくれました。彼がサウジの王族の一員であり、妻と子供を母国に残してやってきたこと。今回の留学は「箔付け」のための遊学だったことなどが明らかになりました。

言葉の問題で大学院の授業にも、また実習にも支障がでていた彼にはそれなりにプレッシャーだったに違いありません。しかも、所属する研究室の教授は、一日に五回、メッカの方角に向けて礼拝しなければならないムスリムの務めに対しての配慮がなく、彼は自分にとってはそれが一番つらいことだと言いました。多くの日本人は信仰というものを日頃意識していません。ましてや、ムスリムの独特な日常に知識のある日本人など少数だと思います。教授がそんな典型的な日本人であれば、拝礼に対する配慮など想像もつかなかったのかもしれません。

私は工学部に電話をして、ムスリムである彼に礼拝するためのスペースと時間を設けてやってもらえないか頼みました。彼の症状を治すためには、薬を処方することよりも今の環境を整えてあげることの方が大切だと思ったからです。彼はその後しばらく外来に来ませんでした。私は彼のことをすっかり忘れていて、数か月ぶりに彼のカルテが私の手元に来たときになってようやく長期間来院がなかったことに気がつきました。彼が診察室に入って来るまでの間、私は「症状がよくならず別の病院に行ってしまったのだろうか」と思いをめぐらしていました。

診察室に入ってきた彼は笑顔でした。久しぶりに私と会った照れくささからか、それとも症状が良くなったからかわかりません。しかし、私の前に座った彼は「教授が礼拝する場所と時間を作ってくれた」とうれしそうでした。「胃の調子は?」と尋ねると、彼は「オーケイ、ダイジョウブ」とにこやかです。その様子を見て私はなぜかほっとしました。胸のつかえがとれたという感覚といってもいいでしょう。彼が胃の不調を訴えたのは、慣れない環境に住むストレスだけではなく、ムスリムとしての務めができなかったことに対するストレスが大きな原因だったのかもしれません。

だいぶ経って、彼はもう一度私の外来にやってきました。今度は付き添いの人と一緒でした。それは奥さんと小さな息子さんでした。二人は彼と日本で生活するために中東からやってきたのです。奥さんはヒジャブと呼ばれるスカーフをかぶっていました。サウジアラビアは中東でもとくに戒律の厳しい国であり、女性はアッバーヤという黒いマントを頭からすっぽりとかぶって顔を隠さなければいけないことを知っていた私は、奥さんのヒジャブを指さして「アッバーヤ、オーケイ?」と言いました。すると彼はとびっきりの笑顔で答えました。「ココ、ニホン。ダイジョウブ」。

美人の奥さんとかわいい坊ちゃんとの三人で暮らすことになった彼は、それ以来、私の外来を受診することはありませんでした。私が北大の総合診療部に入局したのは、特定の臓器・疾患に偏らない総合内科的な診療を身に着けたいと考えたためです。また同時に、そうした能力を身に着けた医師の養成が総合診療部の役割だとも思っていました。しかし、あの中東からの留学生を診療する経験を通して、心理的な側面から患者を理解し、問題解決の糸口を模索することも総合診療の重要な役割だと感じました。そしてその経験は今の私の診療にも生きています。

全国に次々と設立された総合診療部でしたが、その後、多くが大学病院の中での位置づけが定まらないまま統合あるいは廃止されてしまいました。北大の総合診療部もそのひとつです。それは総合診療の概念を具体化できなかった当時の指導的立場にある人たちの責任です。私は総合診療部に籍を置いていたときから「このままでは総合診療がなくなってしまう」と危惧していました。そしてそれは現実のものとなってしまいました。今でも「病気を診ずして病人を診よ」という言葉が恥ずかしくなるような医療をしばしば目にします。そのたびに総合診療部がなくなってしまった事実の重さを痛感します。