コロナワクチンの現状(4)

新型コロナウィルスに感染した患者のうち、中等症の患者までは自宅での経過観察を可能とする方針を政府は打ち出そうとしています。しかし、こうしたことは新型コロナ対策分科会や尾身会長には諮問されることなく決められたようです。ここにいたるまでの対策について分科会、あるいは有識者会議から有効性の高い方策が提言されなかったからでしょうか。もしそうだとしても、公衆衛生の基本はおろか、医学的な知識もない人たちによってこうした重要な政策が決められていたのだとしたら大きな過ちだといわざるをえません。この政策転換が誰の意見によって決められたのかが重要です。

中等症の新型コロナ感染患者とはどのような人たちをいうのでしょうか。それは「咳や息苦しさなど、ある程度の肺炎症状があるにせよ、まだ深刻な低酸素状態にはない患者」です。したがって、低流量の酸素の投与があっても、これによって十分な酸素を確保できるのであれば在宅で様子を見るという場合もあるということです。このような重要な対策については、現場の医療従事者もふくめて幅広い人たちと真剣な議論を重ねる必要があります。とはいえ、こんなことはこれまで私がブログに何度も書いてきたように、もっと早い段階で検討していくべきことでした。

今思えば、新型コロナが感染拡大を始めたころ、そして、第三波と呼ばれる流行がはじまったころ、さらにその後も私は何度となく「保健所をふくめた行政と医師会は綿密な意思疎通を図って連携をとるべきだ」と主張してきました。あるとき千葉県健康福祉部から県内の開業医に向けて次のようなアンケートが送られてきました。「自宅待機している新型コロナ感染患者が急変したとき、往診したり、胸部レントゲン写真をとるなどの検査をしてくれる診療所はないか」というものでした。私はこのとき「医師会との連携をとらないまま対策が進められている」ことを確信しました。

私はアンケートには「その対応には協力しない」と回答しました。それはあまりにも感染症の現実を知らない対応だったからです。「協力できない」と答え、感染症の現実を知らないアンケートだと感じた理由は三つあります。1)簡単な聴診しかできない往診は役立たないばかりか、重症化を判断するまでに無駄な時間をかけてしまう、2)感染症の対応に不慣れなクリニックで胸部レントゲン写真をとれば、クリニックに新たなクラスターをつくる危険性がある、3)重症化したおそれがあるケースには胸部CT検査が必要であり、急変患者はすみやかに病院で診療すべき、だからです。

急変を疑う、この場合、「病院への移送が必要かどうかの急変を疑う場合」はやはり病院での検査を迅速に受けさせるべきです。開業医が連絡を受けてから駆け付け、事情を聴き、経皮的酸素飽和度を測り、聴診をしたところで「そのまま様子を見ましょう」と判断することは現実的にはまずありません。胸部CTや採血をした上でなければ「引き続き自宅安静でよい」とはならないのです。新型コロナウィルス肺炎はたちどころに増悪してしまうという特徴があります。なかば憶測で重症度を判断することなどできません。保健所が提示してきた対応では救える命も救えなくなる危険性をはらんでいます。

そんなことは医学的知識を持っているまっとうな医者ならすぐにわかるはず。にもかかわらずあのようなアンケートをしてきたのは医師会との協議がないままに進められたからです。もし「医師会との協議のうえの対策だ」というなら、協議したその医師会(あるいは医師)はよっぽど無能です。「対応には協力できない」と千葉県に回答する際、そう考える理由と当院でおこなっている対応策をながながと記述して添付しておきました。しかし、私の返信に対する返事はありません。そして、アンケートのような診療が実際に行われたという噂もその後聞いていません。

以前のブログにも書いたように、当院では熱発は風邪症状のある患者を三つのケースに分類して対応しています。それはできるだけ病院の負担を軽減するためのものです。すべての熱発患者、風邪症状のある患者を病院に押し付けるのではなく、新型コロナウィルスの検査を要さないと思われる患者はできるだけクリニックで診療するための分類です。もちろん新型コロナウィルスの検査を要するケースについては病院の熱発外来への受診を勧めています。クリニックでできることには限界があるのです。マンパワーという面でも、施設設備という面からもぎりぎりの対応だと思っています。

しかし、多くの人へのワクチンの接種が進み、感染拡大がここまで広がってくるとクリニックのやり方もそろそろ変更しなければならないでしょう。それはこのまま感染が広がっていけば、病院への負担が深刻になり、病院診療の崩壊が現実のものになってしまう恐れがあるからです。今、政府が進めようとしている対応策はあまりにも拙速です。でも、もし中等症までの感染患者の自宅での経過観察を解禁するのであれば、医師会や地方自治体、とくに現場の人たちの声を反映したものでなければなりません。体制を整えてやらなければ取り返しのつかないことになります。それこそが医療崩壊です。

中等症以下の患者を自宅で経過観察するのであれば、患者の自宅の近くにあるクリニックの医師が責任をもって経過観察するべきです。そのためにも、自宅で経過を見ることが決まった時点で保健所は経皮的酸素飽和度を測るサチュレーションモニターという装置を患者に配布してほしい。そして、担当医師が朝と夕方に体温と経皮的酸素飽和度、そして体調の変化を直接電話で確認するのです。その結果は報告書に逐次記録。入院が必要だと判断した場合は速やかに保健所に連絡し、保健所は入院先を確保して移送する。その間に経過をフォローしていた医者はそれまでの記録と紹介状を入院先の病院に送付するわけです。

病院側は必ず一定数の空ベットを用意しておくべきです。24時間いつでも急変患者を収容できる体制を用意しておかなければなりません。そのためにも容態がおちついた患者はすみやかに自宅へ。それ以降の患者のフォローはふたたび自宅近くのクリニックの医師が引き継ぎます。保健所が仲介役となって病院とクリニックが連携をとるのです。最近、「病院への入院を拒否され続けて8時間後に自宅から50kmも離れた病院にようやく収容された」というニュースが報じられました。しかし、それはどうやらフェイクニュースのようでした。そんないい加減な報道がなされるのも今の診療体制に欠陥が多いからです。

感染者が急増してあわてているのは病院だけではありません。政権内部も官僚をはじめとする行政側も混乱していることがみてとれます。お勉強(受験勉強)だけはできたのでしょうが、地あたまの悪そうなある大臣が「酒を提供する店には融資を制限しろ」と銀行に要請するなど、まるでヒットラーかと思うほどの対応をしました(この大臣は昨年もロンドン大学の某日本人教授の「検査をもっとやれ」という言葉を真に受けていました)。行政もあたふたするばかりで「Too Little, Too Late」の対応を繰り返しています。有識者会議も日本医師会もまた同様であり、助言すべき人たちが有効策を提言できないでいます。

新型コロナウィルス感染症は、日本人にとっても世界にとってもはじめての経験です。多少の混乱は仕方ありません。しかし、もう一年半が経っています。そろそろ経験に学んでほしいものです。もし今、対策にあたる人が経験に学べないなら、「学べる人間に代わってくれ」と言いたいです。とはいえ、経験に学べないのは一般国民も同じです。原発事故・放射能に対するヒステリックな対応といい、オイルショックのときトイレットペーパーに殺到したパニック振りといい、さらにさかのぼればマスコミに煽動されて戦争に突っ込んでいった戦前の愚かさといい、なんどもなんども煽られるばかりで一向に理性的になれない一般国民にも責任はあるのです。

文章を書きながら徐々に感情的になっていく私。次のブログあたりで「爆発」してしまうかも。

 

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