医学部を卒業して初期研修の2年間が終わっても、まだ医者になったという自信は生まれません。だって「研修医に毛がはえた程度」なんですから。なにをやっても研修医の時とそれほど変わってはいません。せいぜい採血をするときの度胸が多少ついた程度でしょうか。研修医時代、指導医から「おまえは医者になったんだ。だから看護婦さんにできることはすべてできなければいけない」と言われたことがあります。点滴を作ることも、そして、その点滴にルートをつなぐことも、あるいは刺した点滴針を固定することも、日常の業務で看護婦さんがしていることすべてをできるようにしろ、ということです。
言われた当初、それにどんな意味があるのか具体的にはわかりませんでした。しかし、通常、医師は点滴の内容を指示し、点滴針を刺すことしかしません。点滴針を刺す際も、介助の看護婦さんとペアでなければルートのつながった点滴を完成させることはできないのです。でも私は、細かい作業の手順を看護婦さんに教わり、その上で自分なりの工夫をすることで点滴をひとりでできるようにしました。しかも、自分でオーダーした点滴のメニューを混合し、ルートをつなぐことまで、です。私は単に指導医が言ったとおりのことをしたまでですが、そのことの意味が後にわかってきました。
病棟は忙しいです。医者も忙しいのですが、看護婦さんはもっと忙しい。いろいろな場所からナースコールがなるからです。そのたびに通常業務が中断します。そこにもってきて患者が急変したりすると、それはもうからだがいくつあっても足らないという状況になります。急に点滴が必要になったにも関わらず、なかなか看護婦さんがつかまらず、ナースステーションでただウロウロする研修医をよく目にします。しかし、私は違いました。自分で処置台の上に点滴や薬剤、ルートを並べててきぱきと点滴を作り、包交車をひとりガラガラとひっぱっていってささっと患者に点滴をしてしまう。そして、ナースステーションには「実行者 セバタ」と書かれた指示伝票だけが置かれている。「く~っ、かっこいい~」ってなもんです。
でも、医療安全管理の点からいうとあまりいただけないんでしょうね。だって、使用される薬剤と投薬量の確認が実質的になされませんし、医療行為がなされている状況を第三者によって確認していませんから。なにせ「医療安全管理」なんて言葉はほとんど出てこない時代でしたから。経験の浅い研修医だった私はとにかく指導医が言う通りに「なんでもできるスーパー研修医になろう」と思っていました。思い上がりですけど。先輩医師の経験談を聴いては「臨床上のコツ」みたいなものを片っ端からメモ帳に書いて覚えていました。経験の不足をこうして補おうとしていたのです。今では「経験より根拠」って時代になってしまいましたけど。医療安全だとか、根拠だとか、いい世の中になったのか、世知辛い世の中になったのか、私にはわかりませんが。
そんな中、別の科のある指導医のことは今でも忘れません。実は、その指導医と私ははじめからそりがあわず、彼が言うことなすことすべてに棘(とげ)があるように私には感じられました。彼は感情の起伏がはげしく、機嫌の悪い時などはどのように接すればいいのか戸惑うばかりでした。私たち研修医は、早朝、病棟にやってきて患者の採血をしてまわります。本来、夜勤の看護婦さんがやるのですが、採血の練習もかねて私たち研修医がはやらせてもらっていました。そして、担当患者を診察してまわり、病棟に届いた採血結果を確認して検査方針を修正したり、治療方針を決めたりします。一方、指導医は午前中の外来に行く前に病棟に寄って研修医から患者の報告を受け、どのような検査をするのか、あるいはどのような治療をするのかを研修医に指示します。とある朝のあわただしい風景のワンシーンです。
研修医(私):「というわけでどうしましょうか?」
指導医:「どうすればいいと思う?」
私:「え~と、抗生剤を投与して・・・」
指:「ほう。なにを出すのよ」
私:「なにがいいんでしょうか?」
指:「ええっ?なにがいいって、あなたが主治医でしょ」
私:「はあ・・・」
指:「・・・(なんか微妙な沈黙)」
私:「なにを出すのかっていわれても・・・(そんなのわかるわけねぇだろ)」
指:「好きなの出しなよ、好きなの」
私:「はぁ?はぁ・・・(それでいいのかなぁ)」
経験も、実際的な知識も不足している私は言われるがままに「好きな抗生物質」を患者に投与するべく指示伝票に記入しました。「好きな抗生物質」と言いながら実際には「知っている抗生剤」だったんですけど。しかし、そんな抗生剤を伝票に書いたことも忘れて仕事をしていた私は、突然、指導医の怒鳴り声で呼び出されました。「せばたっ、ちょっと来いっ!」。なんのことだろうと指導医のところにいくと、彼はさっきの点滴の指示伝票を片手に鬼のような表情で立っていました。「おまえよ~、なんでこんな抗生剤を出してんだよ、バカっ」。なんのことだろうと思えば、例の「好きな抗生剤」のことでした。
私:「いや、先ほど先生は『好きな抗生剤を』と言われたので・・・」
指:「おまえなぁ、あの患者にこんな抗生剤出したら腎臓ダメになっちゃうでしょ」
私:「はぁ・・・(「好きなやつ」って言ったじゃないか)」
指:「腎臓の悪いあの患者に投与すべき抗生剤かどうか調べたか?」
私:「いえ、調べてませんでした」
私は「それなら『好きな抗生剤』なんて言うなよ」と怒り心頭で輸液の本や薬の本をめくっていました。「腎機能の低下と抗生剤」について調べたのです。そして、腎機能が落ちている患者にふさわしい種類と量に修正して点滴伝票を書き直しました。指導医は「好きな抗生物質で」と言っておきながら、他方で私の伝票を密かに確認していたのです。適切な抗生剤を出していたかどうかを確認するために。きっと何かの意図があってあんなことを言ったんでしょうね。当時はそんなことを考えてもみなかったので、なんでこんな意地の悪い指示の出し方をするんだろう、「性格の悪い奴だ」ぐらいにしか思っていませんでした。一事が万事こんな調子でしたから、研修中はまさに「胃に穴があくか」と思うほどにストレスフルでした。消化器内科の先生に頼んで胃カメラをやってもらったことも。
病棟の医師控室で患者のカルテを書いていたときのこと。日常業務をようやく終え、すでに遅い時間になって今日一日の記録をまとめてカルテに記載をしていました。そこへあの指導医がやってきました。そして、おもむろに患者のCT写真を撮り出して、ひとりで黙々といろいろな場所を見比べていました。私は素知らぬ顔でカルテ記載を続けていたのですが、指導医はふと私の方を見て言いました。
指:「せばた、このリンパ腺は何番だと思う?」
私:「はい?え~と(わ、わからん。リンパ腺の番号なんて知らないよ)」
指:「何番よ。好きな番号言ってみな」
私:「ええっ?(また「好きな番号」かよ)」
指:「知らないものをいくら考えたって仕方ないんだから」
私:「じゃあ、6番でしょうか」
すると、それを聞いた指導医は「フフっ」っと鼻で笑って医師控室から出ていきました。私はもう頭にきてしまって、「くっそ~っ!」と怒り心頭で画像診断の教科書をめくりました。
そうなんです。指導医は負けず嫌いの私の性格を知ってか知らずか、結果として彼のあのような態度が私に自発的な学習を促していたんです。それに気が付いたのは2年間の研修がもう終わろうとしたときでした。こんな指導方法にはよしあしもあるでしょうし、好き嫌いもあるでしょうが、私はあの指導医のおかげで自分で調べることの大切さを知りました。なにより、ひとつひとつ確認することの重要性を知りました。人の命に関わることですから当たり前なことですが、ともすると研修医は受け身で指示待ちに陥りやすいもの。研修を実りの多いものにするためには能動的に動かなければならないんだということをあの指導医は教えてくれたのです。
もちろん、彼がそれを意図的にやったかどうかはわかりません。彼の中では「熱心にやっている研修医の鼻っ柱を折ってやろう」と思っていたに過ぎないかもしれません。しかし、私にとってそんなことはどちらでもいいのです。今でもあのときの経験がいかに貴重だったかを思い出します。だからといって私は彼のようにはなれませんでした。後輩たちのお世話係(これをオーベンといいます)になった私は自分を悪者にしてまで指導はできなかったのです。それだけにあのときの指導医のやり方はとても印象的です。昔ながらの教育って奴なんでしょうね。
労働基準法が守られている今の研修医。夕方5時には仕事終了で、残業は指導医がやるなんて病院のうわさも聞きます。恵まれているようで、実は大切なものが教育されていないような気がします。早朝から深夜まで、文字通り労働基準法もへったくれもない研修でした。それでも「今の自分のスタンスは、あの研修医時代に培われた」と胸を張れます。ですから、私自身はまた研修医をするなら、いろいろな面で恵まれた今の研修よりも、毎日胃に穴があくほどの思いをしたあの時の頃をまた選びたいです。絶対。とはいえ、この「昔はよかった」というノスタルジーは今の若い人たちに一番嫌われるんでしょうけど。それでも「昔の研修医」の多くは私の意見に賛同してくれるのではないでしょうか。「今の研修医にも是非経験させたい」って。「余計なお世話」って声が聴こえてきそうですが・・・。