皆さんは「False Reality(偽りのリアル)」という言葉をご存知でしょうか。それは人々の間で「現実のこと(リアリティ)」と思われていながら、実は単にそう信じられているだけ、あるいは思い込まされているにすぎないものをいいます。当然ですが、人間の認識には情緒が影響します。同じ映像を見ていても、BGMとしてながれている音楽が楽しいものか、悲しいものかによって、それぞれの人に「見えている情景」が違ってきます。そうしたことはたびたび経験することです。
BGMによって違った映像に見えることは経験的に理解できても、知らず知らずのうちに「現実(リアル)」と認識した「False Reality(偽りのリアル)」を自覚することは意外とむずかしいものです。あの東日本大震災直後の放射能の危険性に関するリアル、あるいは、新型コロナウィルスの感染拡大の恐ろしさに関するリアルがそれです。メディアによって誇張された「偽りのリアル」に翻弄された人は少なくなかったはずです。そして、自分が翻弄されていることを自覚していた人もほとんどいなかったかも知れません。
「恐ろしい放射能」から逃れるために引っ越しを考える人がいました。「殺人ウィルス」に感染しないよう自宅に引きこもる人もいました。その多くがメディアが伝える「偽りのリアル」を現実と思い込んでしまった結果です。「理性的に考えよう」と呼びかけても理性的になれない人はいるものです。それは情緒にながされる人であり、恐れるがあまりに現実に目を向けない人でもあります。そうした人たちはいとも簡単に扇動に乗せられてしまうのです。
TVばかり見ていた若いころと違って、今の私はメディアから流れてくる情報にいつも懐疑的です。「ほんとかなぁ?」とつぶやきながらTVを見ている私に家族は「すぐに否定から入るんだから」とあきれ顔。でも、それでいいのです。私はメディアが作る「偽りのリアル」に敏感でなければならない、マスコミ情報に飛びつく風潮には問題あり、と思っていますから。今はインターネットさえあればすぐに調べることができます。現代社会にあって情報リテラシーは不可欠な要素だと思います。
福島沖ではじまった原発の処理冷却水の放出問題もそうです。この処理水の放出に反対する人たちは、処理水に「トリチウム」という放射性物質が含まれていることを問題視しています。しかし、そのトリチウムがどのようなもので、どんな危険性が、どの程度あるかを理解せずに批判しているケースが少なくありません。中国ではこの処理水の放出をきっかけに塩の買い占めが起きているといいます。また、中国から日本に嫌がらせの電話が殺到しているとも聞きます。あきれるばかりです。
無知であるがゆえに空騒ぎするのも愚かなことですが、「処理水」を「汚染水」と言ったぐらいで揚げ足をとるようなマスコミの騒ぎっぷりもどうかと思います。あの冷却水が本当に「汚染されているもの」と思い込んでの発言なら批判されてしかるべきでしょう。しかし、単なる言い間違いに過ぎないのだとしたら、あのようなことはいちいちニュースとして報道する価値があるとは思えません。トリチウムのリアルを伝える、事実を淡々と伝えるという報道の本質をおろそかにしたいい例です。
トリチウム(三重水素)とは重水素とともに水素原子の放射性同位体と呼ばれる仲間です。トリチウムも重水素も、そして、水素も原子核のまわりに1個の電子がまわっています。違うのはその原子核を構成する中性子の数です。水素原子の原子核には中性子はありませんが、1個の中性子をもつものを重水素、2個のものをトリチウム(三重水素)と呼びます。トリチウムは自然界にも存在します。海水には無尽蔵のトリチウムがあり、これをあらたな核融合発電のエネルギー源として活用するための研究が進められています。
核融合と核分裂は違います。前者は原子と原子を衝突させて新たな原子を作るという反応。後者は原子を分裂させて新たな原子を作るという反応をいいます。その反応の際に莫大なエネルギーが発生します。原爆も現在稼働している原子力発電も後者の核分裂反応を利用しています。原爆は分裂しやすいウランなどの放射性元素を高濃度に濃縮し、核分裂の連鎖反応を爆発的に起こさせます。一方、原発は低い濃度のウラン燃料に核分裂の連鎖反応を徐々に起こして発電エネルギーに利用するのです。
それに対して核融合とは、原子と原子を超高温・超高圧のプラズマ状態に閉じ込め、衝突させて新たな原子を作りだすという反応をいいます。太陽の表面あるいは内部で起こっている反応がまさしくそれです。その核融合がおこる際に発生する莫大なエネルギーを発電に利用するのが核融合炉による原子力発電。トリチウムはその核融合に利用される放射性物質のひとつなのです。自然界では毎年7京ベクレルほどが生成され、地球上には約120京ベクレルほど存在していると推計されています。
自然界のトリチウムは酸素と結合した水という形で存在し、湧き水や雨水の中はもちろん、人間のからだの中にも存在しています。からだの中に蓄積することはありません。常に排出されてはあらたにからだに取り込まれるという循環を繰り返しているのです。原子炉が破壊されて放射性燃料がむきだしになった福島原発の冷却水には多種多様の放射性物質が含まれています。その冷却水をALPS(多核種除去設備)を使って処理をしているのですが、トリチウムだけは技術的に除去できません。
除去できないトリチウムを含む処理水をさらに薄めて海洋放出しようというのが今回の問題。しかし、その濃度は日本の安全基準の40分の1であり、WHOが定める飲料水の基準濃度の7分の1程度です。理論的には飲料水にしてもよいほどに薄めてあるのです。すると「飲めるのなら飲んでみろ」と言う人がいます。そんな単純で短絡的な人に私は言いたい。「尿だって飲めますが、あなたは飲みますか?」と。ちなみにトリチウムは食品の安全基準を定めた規制対象物質ではありません。
日本の国内外には、そうした科学的事実を知ってか、知らずか、大騒ぎをしている人がいます。福島県沖の処理水放出場所近海の海水のトリチウム濃度ですら「検出限界以下」であるのに、韓国や中国沖の海の問題になるはずがないことはちょっと考えればわかるはず。あれだけ薄めた処理水を海洋に放出して福島県沖で取れた魚介類にトリチウムが検出されるはずもありません。日本の海産物の輸入を止めたり、日本への旅行を取りやめたりと言った大騒ぎには少なからずメディアの報道にも責任があります。
1972年のロンドン条約で放射性物質の海洋投棄が条件付きで認められました。そして、これまで欧米を中心に、中国や韓国ですら低レベルの放射性廃棄物の海洋投棄がおこなわれています。その投棄量は日本のそれをはるかに凌駕するものなのです。日本は諸外国にくらべて低レベルの放射性廃棄物でさえ海洋投棄に対してはかなり慎重でした。そして、今回の冷却処理水の海洋放出に際しても、日本の対応と配慮にはIAEA(国際原子力機関)のお墨付きもあり、日本人として胸を張っていいほどです。
扇動に乗せられてはいけません。火をつけてまわる人たちの行動の裏になにがあるのかに敏感になるべきです。これまでを振り返っても、マスコミが煽ってきたことの多くに「真実」は決して多くありませんでした。マスコミが流す「偽りのリアル」に振り回され、社会が騒然としたことの結果がどうだったか。「新型コロナの対応」しかり、「放射能の危険性」しかり、「’ 戦争法案 ’の恐ろしさ」もしかり。あの80年前のアメリカとの戦争だってそうです。世の中の流れに乗せられて空騒ぎしたことへの反省がない人が多すぎます。
処理冷却水の問題に関しては、日本人はおおむね冷静に対応しています。一部の国々の人の、無知から来る過剰反応だけが目立っているかのようです。国際社会には問題が山積です。ウクライナ戦争のリアルはいったいどんなものなのか。台湾のリアルがこれからどうなっていくのか。積極的に関心をもちながら、自分のあたまで「リアル(現実)」を感じ取ろうとする必要があります。真のリアルは懐疑的に見て、考えることから徐々に明らかになってきます。情緒にたやすく流される「軽薄な烏合の衆」にならないようにしたいものです。
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