理想の上司

ときどき「理想の上司は?」というアンケートを見かけます。その回答では歴史上の人物が挙げられたり、ドラマの登場人物や芸能人の名前が出てきたりとさまざまな「理想の上司」が登場します。実際に存在する(した)人かどうかはともかく、「理想の上司」とされた人たちにはある特定のイメージができていることがわかります。そして、アンケートがおこなわれた当時の人たちがどんな人物を求めていたのか、また、そのときの時代背景がどのようなものだったかがわかって面白いものです。

私自身、これまで何人かの上司のもとで働いて来ましたが、「理想の上司」といえる人にはなかなか出会うことはありませんでした。むしろ、その上司を物足りなく思ったり、ときにはそれらが無能さに感じられて愚痴ばかりこぼしていたように思います。とはいえ、よくよく考えてみると、現実の世界には「理想の上司」などおらず、「上司」とはそもそも部下が不満を感じる存在であり、煙たがられるような存在なのかもしれません(私自身が今「上司」になってみてそう感じます)。

とはいえ、「もし、あのとき『理想の上司』がいたら、もっといい仕事ができたかもしれない」と思ってしまいます。そんな私にとってNHKドラマ「男たちの旅路」に出てくる「吉岡司令補」は「理想の上司」のひとりかもしれません。吉岡司令補は特攻隊員の生き残り。戦争の傷跡を心に残しながら、若者を前に「俺は若い奴が嫌いだ」といってはばかりません。このドラマが放映されていた頃、私はその「嫌われる若者」の一人でした。そんな私が吉岡司令補に魅力を感じるのはなぜなのでしょう。

ドラマ「男たちの旅路」の第一部の一話「非常階段」のときの吉岡司令補が一番格好よかったと思います。司令補の警備会社にはさまざまな若者がガードマンに応募してきます。吉岡司令補はある日、新人ガードマンの研修の視察に訪れます。そして、ガードマンという職業を甘く見ている新人たちに、少し手荒い方法でその「現実」を教えようとします。そんな吉岡に反発する若者と、司令補の能力は認めながらも彼のやり方に批判的な部下。彼を理解し、温かく見守るのは吉岡と同じ特攻隊員だった社長だけでした。

その吉岡司令補のもとに、あの研修で一番反発していたふたりの若者(柴田と杉本)が配属されます。仕事の内容は、自殺の名所となってしまったビルの警備。司令補に反感を持ちながらも、なぜか彼のことが気になる柴田は定刻通り、指示通りに警備につきます。一方、杉本はすべてにおいて吉岡のやり方に反発し、指示された通りに警備しようとしません。三人の心のすれ違いが大きくなる中、自殺願望をもった若い女性がビルに侵入してしまいます。三人は女性を必死に探し、ついに彼女を屋上で発見します。

三人をからかうように「自殺させて」とゴンドラを揺さぶる女性。なんとか自殺を思いとどまるように説得する司令補。「そんなに死にたきゃ勝手に死ね」と叫ぶ柴田。吉岡はそれに首を振って言います。「それはいかん。君を死なせるわけにはいかない。それが我々の仕事だからだ」。杉本はその吉岡に「こんなときにそんなずれた話しなんかするな」と怒鳴ります。ゴンドラから落ちそうになった女性に飛びつく吉岡。彼はなんとか女性を助けますが、涙ぐみながらその彼女をなぐりつけるのです。

私は「俺は若いやつが嫌いだ」という吉岡にも、自殺から救った女性をなぐりつける吉岡にもなにか愛情のようなものを感じます。若いころの私はどちらかというと柴田に近い青年だったかもしれません。吉岡司令補のやり方に否定的ではあっても、「吉岡がそうするのにはなにか理由があるはずだ」と感じていたのが柴田だったのではないかと今の私は思います。杉本もその後、徐々に吉岡に惹かれるようになり、その後一番の理解者になっていきます。そうした魅力をもつ人が「理想の上司」かもしれません。

もうひとり思い浮かぶ人がいます。それはドラマ「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵です。平蔵は実在する旗本の三代目。幼名は銕三郎(てつさぶろう)といいました。平蔵は自分の母親が誰かを知りません。そのためか、若いころは酒に溺れ、悪道たちと喧嘩に明け暮れる毎日。巷では「本所の銕(ほんじょのてつ)」として知られた暴れん坊でした。しかし、他の旗本たちとは異なり、火付盗賊改方となった平蔵は与力や同心などの部下たちと酒を酌み交わし、町方がとらえた盗人らに食事を振る舞ったりしたそうです。

ドラマ「鬼平犯科帳」の第一シリーズには第四話「血頭の丹兵衛」という回があります。このときの話しは人間・鬼平の面目躍如ともいえるものです。是非一度観ていただきたいのですが、とくに最後の峠の茶屋でのシーンは秀逸です。かつて血頭の丹兵衛という盗賊に仕えていた粂八。彼は若いころ「犯さず、殺さず、貧しきものからは奪わず」という丹兵衛の掟を破り破門になります。しかし、その丹兵衛が今では急ぎ働き(皆殺しにして手っ取り早く金品を強奪すること)を繰り返しているとの噂を耳にします。

市中では血頭の丹兵衛たちによるものとされる押し込み強盗が次々と起こっています。しかし、長谷川平蔵たち火盗改もその犯人を捕まえられずにいました。そんなとき、牢屋に収監されていた粂八が折り入って平蔵に話しがあると申し出ます。「あの急ぎ働きは丹兵衛の仕業ではない。本当の丹兵衛ならあんなむごたらしいまねは絶対にしない」というのです。そして、「丹兵衛の無実を晴らすため釈放してほしい」と頼みます。周囲が反対する中、鬼平は粂八を牢から解き放つことにします。

粂八の手柄で急ぎ働きの犯人一味が静岡の島田宿で捕まります。その江戸への帰途、平蔵と粂八は峠の茶屋でかつての大物の盗賊と出会います。その老人はすでに盗みからは足を洗っており、「近ごろのむごたらしい殺しや盗みがみんな丹兵衛どんの仕業になっちまって気の毒でしょうがねぇ」と嘆くのです。そして、粂八に「忘れるなよ。犯さず・殺さず・貧しきからは奪わず、だ」と去って行きます。その後ろ姿を見ながら平蔵はしみじみと言います。「おめぇのでぇ好きな血頭の丹兵衛は生きていたなぁ」。

火盗改の諜者(スパイ)になるかどうか迷う粂八。その彼に平蔵は言います。「俺の下で働くってことは、仲間をお上に売ることだ。裏切り者と呼ばれ、犬だとののしられ、正体がばれれば殺される。どこをとったって割にあう話しじゃねぇやな。俺と仕事をする気になったら江戸に尋ねて来い。そうでなけりゃ二度と俺の前に面出すな」。粂八はその言葉に諜者になる決心をします。それはまさしく鬼平の力強さと優しさ、厳しさと義侠心を感じてのことでしょう。リーダーはかくあるべきという見本です。

私は吉岡司令補のように厳しくなれませんし、長谷川平蔵のような包容力の持ち主でもありません。人の上司として働くようになると、人を動かし、使っていくことの難しさがわかります。誰からも好かれる人間が必ずしも魅力的な上司とはなりませんし、「聞く耳」を持っていても部下の言うとおりにしか動くことができず、自分のあたまで考え、想像力を働かして決断を下せない上司は、実は無能なばかりか、組織にとってむしろ有害だという事例があります。皆さんも改めて「理想の上司」について考えてみてはいかがでしょうか。

 

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