1850年8月、万次郎の乗ったアメリカの捕鯨船イライザ号はハワイ・オアフ島に到着しました。イライザ号は蒸気船で、それまでの捕鯨船の2倍はあるかという大きさです。カリフォルニアを出発してから二週間あまり。あっという間にハワイに着いてしまいました。万次郎は早速、島に住んでいた寅右衛門の家をたずねていきました。そして、伝蔵と五右衛門も呼び寄せて、帰国するという自分の強い意志を三人に告げました。伝蔵と五右衛門は万次郎の決意に共鳴し、自分たちも一緒に帰国したいと言います。しかし、寅次郎だけが表情を曇らせたのを万次郎は見逃しませんでした。しばらく黙っていた寅右衛門は重い口を開きました。
「伝蔵も五右衛門も、以前、日本に帰ろうとしたがうまくいかなかった。また命がけで帰国を試みてもうまくいくとは限らない。俺はここでの生活に慣れ、仕事もでき、嫁ももらった。だから、この土地で一生を終えてもいいと思っている」。淡々とそう語る寅右衛門に、万次郎ら三人は「一緒に日本に帰ろう」と繰り返し説得します。しかし、彼の気持ちが変わることはありませんでした。万次郎たちは寅右衛門を翻意させることは難しいことがわかりました。そして、三人で帰国の準備を進めることにしたのです。上陸用の小型の船などを購入すると、三人とともに小舟を乗せてくれ、琉球付近で降ろしてくれる船を探すことにしました。
万次郎が採掘した金と交換できたのは銀貨600枚あまり。これを資金に準備を進めていました。三人には希望があふれ、そのまなざしには「必ず帰国を果たしてみせる」という決意が感じられます。そんなとき、一隻のアメリカ船がオアフ島に入港してきました。その船には五人の日本人が乗っていました。万次郎は彼らに会いに行きましたが、五人は紀州の荷を乗せて江戸まで運び、その帰りに嵐に会って遭難したとのこと。運良くアメリカの船に助けてもらい、中国に向かう船に乗り換えてハワイまで乗せてきてもらったところだといいます。「彼らと一緒に帰れるかもしれない」。万次郎は希望が現実のものになってきたように感じました。
紀州船の船員たちには、彼らが乗ってきた中国行きの船の船長を紹介してもらいました。ところが、その船長と万次郎がささいなことでトラブルとなってしまったのです。船長は万次郎だけは乗船させたくないと言います。紀州船の人達が取りなそうとしましたが、船長は「どうしてもダメだ」と頑なです。万次郎は伝蔵と五右衛門に「自分のことは気にしないで行ってくれ」と言います。しかし、「それはできない」と、ふたりと万次郎の押し問答は続きました。結局、「万次郎ひとりを残して行くわけにはいかない」ということになりました。紀州船の船員たちは三人に同情してくれましたが、万次郎たちは船を涙で見送ったのです。
万次郎には複雑な思いがありました。それは「カリフォルニアで大金を稼いでくる」と告げて別れてきたウィンフィールド船長のことです。今回の帰国のことを船長にはまったく相談せずにハワイに来てしまったからです。船長は自分がフェアヘブンの自宅に帰ってくると思っているに違いない。そう考えただけで、自分に教育をあたえ、ここまで育ててくれた船長にはとても大きな不義理をしているように思えてなりませんでした。今回の帰国がもし失敗すれば、自分は命を失うかもしれません。そうなれば船長との再会は二度とかなうことはないのです。そこで万次郎は船長に手紙を書きました。
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「あなたには幼い頃から大切に育てていただきました。このように成長することのできた恩義を、私は決して忘れません。なにひとつ恩返しができないまま、私は日本に帰国しようとしています。恩知らずのこの行動をどうかお許しください。もし生きて帰国をはたすことができ、世の中が変わって事情が許せば、ふたたびお目にかかれる日がやってくるでしょう。どうか寛大なご慈悲をもって私をお許しいただければ幸いです。」
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ハワイ・マウイ島に中国・上海行きのアメリカ船が入ってきました。しかも、その船では乗組員を募集しているといううわさです。日本に帰国するチャンスがいよいよ訪れたのだ、と万次郎は思いました。用意した小舟とともに三人をその船に乗せてもらい、琉球が近くなったら降ろしてもらえばいいのです。その船の船長の名前に万次郎は聞き覚えがありました。そのことを頼りに船長に直談判してみることにしました。「私たち三人は日本に帰国する決心です。なんとか日本近海まで船員として雇ってもらえないだろうか」。しかし、船長はあまりいい顔をしませんでした。「途中で船員がいなくなるのは困る」というのです。
万次郎は船長に言いました。「他の二人は大型船の仕事には慣れていない。仕事という仕事はほとんどできないだろう。しかし、二人の分まで私が必死に働くので彼等もこの船に是非乗せてもらいたい。私たちには給与はいらない。もし、日本の沖で二人を降ろしてもらえれば、私だけは中国まで働き続けるのでどうかそれでお願いしたい」。万次郎の言葉を聞いて、船長は渋々三人の乗船を認めることにしました。万次郎たちは、あらかじめ用意していた小舟や帆、櫓などを船に積み込むと、三人をふくむ18人の乗員を乗せた船はハワイを出港しました。遭難してから10年という歳月が過ぎていました。
日本までの長い航海を三人はどのような思いで過ごしたことでしょう。その間、万次郎は船長が目を見張るような働きぶりだったに違いありません。伝蔵と五右衛門も、慣れないながらも誠意をもって働いたのでしょう。航海中の三人の様子に、当初は渋々受け入れた船長も、彼等がいかに祖国に、故郷に戻りたかったかが伝わってきたようです。いよいよ琉球が近づいてきたとき、船長は万次郎を呼び寄せて尋ねました。「君はこのまま中国に行くということでよいか」。そう確認する船長に万次郎はきっぱりと答えました。「伝蔵と五右衛門は琉球に到着したら下船させてください。私はこのまま中国まで働きます」。
そう言い切った万次郎のまなざしを見つめながら船長はしばらく黙っていました。そして、万次郎の覚悟を確かめたかのように船長は静かな口調で言いました。「この先の航海で船員が足らなくなるのは困る。しかし、私はそれを我慢することにしよう。君も彼らといっしょに下船しなさい」。その船長の言葉を聞いた万次郎の目からはとめどもなく涙がこぼれおちました。琉球まであと少しとなったころ、船長は船をできるだけ陸地に近づけるよう船員に指示しました。いよいよ三人が日本にもどる時がやってきたのです。「琉球はもう目の前だ。心配することはない。きっと上陸できる」と船長の目にも涙がにじみました。
船長は下船の準備に忙しい万次郎を呼び止めました。そして、一枚の航海図を広げると「ここは上陸には向いていないからここから試みたまえ」と助言してくれました。「もし万が一、上陸が難しいとなったら戻ってきなさい。我々は君らの上陸を確認するまでここにとどまっているから」と食料を渡しながら言いました。上陸用に購入した小舟に、万次郎たちは「アドベンチャー号」と名前をつけました。そのアドベンチャー号は、万次郎、伝蔵、五右衛門を乗せ、日本の海岸を目指して冒険(アドベンチャー)をはじめるのです。三人は船長や乗組員たちに謝意と別れを告げ、小舟に乗り込みました。
沖の波は思いのほか高く、小舟を木の葉のように大きく揺らしました。万次郎は小舟の帆を張り、船長が示していた海岸に向けて舵をとります。しかし、ときに押し寄せる大波に、舟は遭難したときのように押し流されていきます。なんども転覆しそうになりながら、必死に舟を立て直そうとする三人。恐ろしさのあまり、顔をひきつらせた五右衛門が「もうだめだ。どうしたらいいんだ」と泣き叫びます。そんな彼を叱りつけながら櫓をこぐ万次郎。それはものすごく長い時間が経ったように感じました。ついに、三人はなんとか入り江までたどり着くことができました。沖合に停泊していた船は、それを確認して中国に出発していったのでした。
*********************** 「運命について(5)」につづく