今、なすべきこと

人と人との接触を避けるため、全国的な自粛が実施されてそろそろ一ヶ月になります。欧米で行なわれているように、外出をすると厳しい罰則が待っているような都市閉鎖とは異なり、特定の業種を除いて自主的な自粛を求めるといった緩やかなものです。そのせいか、家の中に閉じこもる生活に耐えられなくなった人たちが公園や行楽地を訪れ、場所によっては車で道が渋滞しているところがあると話題になりました。その気持ちはわからないでもありませんが、もうひと踏ん張りしたいところです。

この連休明けに緊急事態宣言を解除するかどうかが議論になっています。人出を80%減らすことを目標に政府は外出をひかえるよう繰り返し広報してきました。不充分ながらもその効果もあって、検査が陽性となった人の数は徐々におさまってきているようです。しかし、その減り方は想像していたほどではなく、自粛を解除すればたちまち陽性患者は増えていくだろうと思われるほど不安定で弱々しいものです。だからこそ緊急事態宣言の延長が議論されているのかもしれません。

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【COVID-19】重症者数も落ち着いてきて感染拡大がおさまりはじめたことを思わせる。この傾向がさらに続いて、死亡者数も落ち着き始めればこの傾向は本物といってもいい。さすがにここまで自粛を続ければこうなるだろうことはたやすく予想されるところ…

瀬畠 克之さんの投稿 2020年4月29日水曜日

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ただ、個人的には、これ以上の自粛は日本経済に取り返しのつかない悪影響をあたえてしまうのではないかと心配しています。日本経済をひとの体に例えると、長引く自粛はまるで血糖値をさげるために極端な食事制限を続けているようなものです。ものを食べなければ血糖値はさがってくるかもしれません。しかし、極端な食事制限を続けると、必要な栄養素も不足して徐々に悪影響がでてきます。ある日、突然、低血糖となって意識を失うかもしれません。それと同じような危険性を感じるのです。

もはやこれだけ感染が広がってきて(とはいえ、欧米と比べてばたいしたことはありませんが)、感染経路がたどれない患者も増えています。そうであれば、感染経路をたどって感染者を見つけ出して隔離するといった「クラスターつぶし」で封じ込めることは困難です。むしろ、感染の拡大が落ち着きを見せている今こそ、徐々に感染を広めて抗体(抵抗力)を獲得した人を増やすことによって感染を収束させる「集団免疫」という方法をとる時期に来ているのではないかと思います。

今もなお「検査をもっと増やして見つけ出せ」と主張する人がいます。しかし、検査で見つけ出したところで治療法はありません。大部分は軽症のまま治ってしまいます。重要なのは、新型コロナに感染したかどうかではなく、肺炎になったか、あるいは肺炎になりそうかということにつきます。言い換えれば、「風邪症状があれば、家族内に広めないように注意をしながら自宅で安静にする」ということです。軽症の患者までを病院に収容すれば、病院は機能不全を起こして医療崩壊となります。

のちほど詳しく述べますが、PCR検査という不正確な検査を幅広く行なうべきではありません。検査をしても新型コロナウィルスに感染したか、あるいは感染していないかを証明することはできないのです。感染したした可能性の高い患者にしぼって、本当に新型コロナウィルスに感染したかどうかの鑑別が本当に必要な人に限って実施すべきです。でなければ、疑陽性者は不必要に病院の病床などの医療資源を使ってしまいますし、偽陰性の患者は無自覚に感染を拡大させてしまいます。

「検査は対象者を怪しい人にしぼりこんで(これを【事前確率をあげる】といいます)実施する」という原則を無視することはできません。今回のような検査はそういうものなのです。よく「保健所が検査をさせないように妨害している」、あるいは「政府が意図的に検査の数を抑制している」と批判する人がいます。しかし、そういう人はこの「検査の常識」を知らないか、無視しているといえます。事前確率をあげないままで検査をすれば誤差が大きくなります。それはとても大きな問題です。

最近、県医師会から「PCR検査を増やすためにPCRセンターを作るから協力するように」と連絡が来ました。私は目を疑いました。なぜなら、PCR検査に疑陽性や偽陰性が多いことは医者なら誰でも知っていると思ったからです。医学的知識もないど素人の政治家や官僚、TVのコメンテータならまだしも、医師会が「検査を増やすべし」と主張するとは考えてもいませんでした。日本医師会がなぜそんな判断をしたのかわかりません。でも私なりに想像(妄想?)はできます。

これはあくまでも私の想像(妄想?)ですが、日本医師会が「検査やるべし」の号令をかけた理由はおもに二つだと思います。ひとつは厚生労働省の意向をそのまま下部組織に下ろしてきただけという場合です。保健所や空港などの検疫所はよくやっています。PCR検査はもちろん、陽性患者への対応や陰性者の経過観察、あるいは入院病床の調整など、新型コロナウィルスの感染が始まって以来、自ら感染する危険性と背中合わせの中で頑張っていることを私は知っています。

しかし、現場としての保健所が頑張っている一方で、本省には医学的知識のないド素人の政治家が誤った政治主導で検査数を増やすように圧力をかけています。厚労省には医師の資格をもつ医系技官もいますが、彼らの意見など政治主導の前にはほとんど無力です。その同調圧力がおそらく日本医師会にもかけられてきたのではないかと思います。臨床検査技師の数に制限があるから検査数が増えない。ならば医者をかり出すしかない。素人ならではの「検査至上主義」の結果です。

もうひとつの理由は、依頼してもなかなか検査をしてくれないという開業医の不満や不安を医師会が解消しようとしたのではないかというものです。実際、私にもしばしば「コロナが疑われる患者なのに、保健所に検査を断られた」という声が耳に入ってきます。しかし、ちょっと待ってください。「検査の不正確さ」は問題にしなくていいのですか?検査を増やして疑陽性の人が病院に負担をかけることについてはどう考えていますか?医師会がすべき対応はそれでいいのですか?

医師会が構想している「PCRセンター」には、開業医が対象者に紹介状を書いて受検させることになっています。しかし、開業医の中にはたいした問診や診察もしないままごく簡単な紹介状を書いて検査に押しつけてくる医者が必ずいます。「熱発患者お断り」の貼り紙で診療拒否をする医者がいるくらいですから当然です。ちゃんと対象者を絞り込みもせずに検査をすることをどう防ぐか。その対策が不充分なままで「PCRセンター」が単に検査の数を増やすことに使われてはいけないのです。

医学的にも賛否両論ある検査を、医師会が主導して実施することが私には理解できません。医師会の中でもその検査に否定的な医者が少なくないはずです。もちろん、医者仲間の中にも「ここまで感染が広がったら幅広く検査をやるのはやむをえない」と考える人もいます。しかし、この検査を増やすことについて医師会の中で議論した形跡はありません。こうした重要な問題に関して医師会員に賛否を尋ねることすらせずに見切り発車のような形で実施が決まったのは問題です。

今のPCR検査を幅広く実施することに対しては、検査の実務者からも異論がでています。検査そのものを実施するにはそれなりの熟練を要するからです。スワブと呼ばれる綿棒を鼻腔あるいは咽頭部に入れて検体をとること自体に難しさはありません。とはいえしっかり、確実に検体をとれなければ偽陰性になります。それ以上に検体をとってからの操作に難しさがある。それがこの検査の特徴です。その検査を的確に操作できる検査技師の数には限界がある。それも検査が増えない理由でもあります。

医師会にはもっとやるべきことがあるはずです。現在、軽症者が収容されているホテルや施設でフォローアップ検査が行なわれています。それらは今、保健所を中心とした人たちがやっています。こうした検査には医師会が応援にいくべきです。あるいは、陰性と判定されながらも感染した可能性が否定できない人たちの経過を見ているのも保健所です。しかし、開業医が自分の診療圏内にいるこうした人たちのフォローアップをするなど、医師会はそうしたことにまず手をあげるべきなのです。

これは戦争だ

緊急事態宣言が出されました。新型コロナウィルス(COVID-19)による感染拡大はあらたなステージに入ったわけです。1月に私が漠然と感じていた不安は、3月になってわずかな希望の光に変りつつありました。しかし、残念ながら4月に入ってふたたび不安に転じ、今やその不安が的中してしまいそうな勢いです。誰が悪いといってもはじまりません。すべては結果論ですから。大切なのは「原因はなんだったのか」を整理し、「ならばこれからどうする」という点を冷静に分析、そして行動することです。

言い方が悪いかもしれませんが、これはある意味で「戦争」だと思います。「戦争アレルギー」の方にとっては不愉快な表現であっても、COVID-19という侵略者によって日本人の安全が脅かされる様相はまさしく戦争そのものです。感染拡大を阻止すべくまさに獅子奮迅の努力を続けている保健所・検疫所の職員、自ら感染する危険性を省みず重症感染者を救護し治療する人達は、国民の命を守り、日本を守る頼れる兵隊さんのようです。危機と不安をあおるだけのマスコミはあいもかわらず戦前と同じで困ったものです。

その一方で、緊急事態宣言が出され、外出の自粛、活動の自粛が呼びかけられる中、今も物流を止めないよう休みなく働き続ける人たちがいます。食料や日用品が不足しないよう人々に供給する人たちもいます。私たちの生活が今までと変わりなく続けることができるのもこういう人たちのおかげだということにどのくらいの人が気づいているでしょう。スーパーや薬局に朝早くから並びものを奪い合う人。熱がでて不安にかられる患者を横目に「発熱患者お断り」の張り紙をする医者もいる中、人もまたさまざまです。

前回の記事にも書きましたが、今、陽性患者が増え続けるのはPCR検査を増やしているからです。これまで、保健所のみなさんが検査対象となる人を選別してくれていました。検査とはそのように実施するものだからです。しかし、医学的知識もないド素人の政治家による誤った政治主導によってその数はどんどん増えています。「検査を増やせ」はまるで「鬼畜米英」のような同調圧力となって、今や「ドライブスルー方式」までおこなおうとする自治体まででてきました。まったく愚かなことです。

繰り返しになりますが、検査で感染者数を把握することなど不可能です。「検査を増やせば感染状況がわかる」などということも嘘なら、「感染者を少なく見積もるために検査数を意図的に少なくしている」などといった陰謀論も嘘です。今おこなわれているPCR検査は誤差の大きい検査です。そんな検査を大々的にやったところで感染者の正確な値を把握することなどできるはずがありません。検査はあくまでも「必要な人に実施するもの」という原則を無視することはできません。そうしたところを復習してみましょう。

感染した人を正しく見つけ出す検査の能力を感度、感染していない人をきちんと選び分ける検査の能力を特異度といいます。現在のPCR検査の感度は40%、特異度は90%程度だといわれています。もう少し精度の高い検査(感度70%、特異度95%)だったとして検査をするとどうなるでしょうか。50人の患者がいる1000人の集団に実施すれば、15人の感染患者が見逃され、47人が患者と間違われます。患者の数がもっと少ない集団に検査をすればさらに多くの人が患者と間違われることになります。

患者と間違われた人たちは「軽症だから自宅で」といわれても、その多くは「病院に入院させてくれ」と頼むでしょう。そうでなくても、法定伝染病に指定されたCOVID-19は病院に収容することが法律で定められており、病院の感染症病棟を不必要に埋めていきます。一方で、見逃された15人のかなりの人は「検査して異常なかった」と勘違いをし、さまざまな自粛をやめ、無自覚に感染を広げていくかもしれません。偽陽性者によって医療崩壊が助長され、偽陰性患者によって感染が拡大する。今がまさにそれです。

最近、感染経路のわからない検査陽性者が多いのはなぜでしょう。偽陰性の人が無自覚に感染を広めている結果とは考えられないでしょうか。陽性となった人が、いったん陰性になったのに再び陽性になるケースがあるのはなぜでしょう。偽陽性の人が感染病棟に収容され、今度は病棟で本当に感染してしまったということはないでしょうか。毎日増えている検査はすでに7万人。10万人を達するのももうすぐ。その中のたった1%の人が偽陰性だったとすれば1000人です。そのうち家でじっとしている人が何人いるでしょうか。

こうした検査は「早期発見、早期治療」につながるものではありません。そもそもCOVID-19の感染に治療法はないのですから。疑わしい症状があり、胸部CT検査や採血結果と照らし合わせ、治療方針に役立てるための検査です。そうした節度あるやり方でなければ、感染を広め、病床を減らし、ついには医療崩壊へつながります。患者が急増して医療崩壊した諸外国を見ればわかると思います。それなのに、医療崩壊した国々のあとを追うように検査数はどんどん増やされています。私が一番危惧するところはそこです。

では、感染の広がりは調べられないのでしょうか。いえ、おおまかな傾向をつかむことはできます。それが「重症者数」です。COVID-19による感染症では一定の割合の人が重症になります。例えばそれが100人に一人だったとすると、患者が1000人に増えれば重症者も十人に増えます。患者が1万人になれば重症者は百人になります。つまり、重症者がどのように増えていくかによって感染の広がり具合を推測することができるのです。こうしたことは前回の記事にも詳しく書きました。

死亡者も感染の勢い(威力)を推し量るのに役立ちます。ただし、死亡者数はその国の医療資源あるいは医療水準によっても異なるので、単純に国別に比較することはできません。しかも、いったん医療崩壊という事態にいたれば、死亡者は爆発的にふえていきます。そうなれば感染の拡大を必ずしも正しく反映することにはなりません。最近の死亡者数の国際比較をしてみると、日本の死亡者(4月11日現在94名)が抜きんでて少ないことがわかりますが、これはOECD36か国中3番目に少ない数字です。

資料)4月11日現在の数

アメリカ 感染:46万人余、死亡:16596人   中国 感染:8万人余、死亡:3340人

イタリア 感染:14万人余、死亡:18851人   スペイン 感染:14万人余、死亡:15843人

ロックダウン(都市封鎖)をしているアメリカには無保険の国民が多いため、今の勢いはしばらく続くだろうといわれています。季節性インフルエンザでさえも、昨シーズンのアメリカでの死者は34000人にもおよびました。過去10年で最多は61000人、2010年以降で死者が10000人を越えなかったシーズンはなかったといいます。医療水準が高いと思われているアメリカでさえ、日本のような皆保険で病院へのフリーアクセスが保障されている国よりも感染症による死者がはるかに多いのです。

イタリアもスペインも医療水準は低くありません。にもかかわらずこれほどまでに感染が広がってしまったのは両国ともに感染初期の対応をあやまったためです。とくにイタリアでCOVID-19の感染がはじまる前の2月19日に行われたサッカーの試合はその発端とされています。その試合はイタリア・ロンバルディア州のサン・シーロという町でおこなわれた「イタリア・アタランタ対スペイン・バレンシア」です。このときの観客や選手のなかに感染患者が混ざっていて、それがのちの爆発的感染につながったというのです。

サッカー場ではいわゆる「集・近・閉」がそろっています。バレンシアの選手たちからもその後多数の感染患者がでました。観客同志のみならず、選手同志の感染もひろまって両国の感染拡大につながったようです。両国ともに病院での検査で医療従事者が次々と感染し、それをきっかけに医療崩壊をきたしていっきに感染者をふやしました。医療従事者への感染を端緒として医療は簡単に崩壊するのです。検査をふやすことは病床を不必要に埋め尽くすとともに医療従事者への感染暴露のリスクをもたらします。

「検査をして陽性・陰性がわかれば感染拡大を防ぐ手立てがとりやすいじゃないか」と主張する人がいます。しかし、なんどもいうように、この検査は不正確なのです。陽性が出たからといって感染したとはいいきれません。陰性だからといって感染していないとも言い切れない。ならばどうするか。それは「怪しいケースは検査のいかんを問わず家庭内隔離で経過観察する」ということです。と同時に重要なのは「肺炎になって重症化する患者」を見逃さないこと。それらに尽きるのです。

重症例をいかに早く見つけて適切な治療につなげるか。そのためにはどのようにすればいいのでしょうか。まず第一に重要なのは「発熱があるか」という点です。特別な場合を除いて、熱のでない肺炎はないと考えていいと思います。ですから、「37.5℃以上の熱がある」ことがもっとも大切な目安になると考えていいでしょう。もちろん新型コロナに感染しても熱がでない場合も、症状が軽微なこともあります。しかし、大切なのは「新型コロナに感染したかどうか」ではなく「肺炎になったか」という点が大切です。

熱が出たかどうかだけで「新型コロナに感染したか」、あるいは「肺炎になったか」を判断することはできません。他の病気で熱がでている可能性があるからです。インフルエンザでも新型コロナと同じように高熱になります。ですから、インフルエンザのワクチンを接種していない場合、熱が4日以上つづくことが多く新型コロナによる熱かどうかを区別できないのです。そういうときはインフルエンザの薬をすぐに服用してもらい、解熱傾向になるかどうかで区別することがあります(診断的治療といいます)。

自分が新型コロナウィルスに感染したかどうか不安なときは症状を整理をしてみましょう。私たちが日常診療で診断するときも患者の症状を整理することが重要になります。下の問診表を見てください。これは当院で使っている「風邪症状を訴えた患者」に対する問診表です。この問診票はそれなりによくできていて(自画自賛)、「ある」の数が多くなればなるほどCOVID-19感染症の可能性が高くなります。もし「ある」が3つ以上あるときはかかりつけ医に電話で相談して下さい。

( ↓ 下の問診票をクリックすれば拡大します)

軽い風邪症状のように肺炎の可能性がなければ、自宅で隔離しながら様子を見ていいと思います。くれぐれも調子が悪くなったことを見逃さないようにしながら、適時適切にかかりつけ医や保健所に相談すればいいのです。繰り返しますが、新型コロナに感染したかどうかを正確に調べることはできません。怪しいなと思った時は家族をふくめ周囲に感染を広めないように細心の注意をはらって対処する。そして、肺炎を疑ったときは迅速に対応する。それが私たちにできる要点です。

下の印刷物は当院の外来を受診したすべての患者に配布しているものです。風邪症状が出現したとき、対応すべきことをまとめました。ここには重要なことが書いてあります。まず、「熱がでてきても解熱剤をつかわないこと」、あるいは「風邪薬や頭痛薬を飲まないこと」を一番強調したいと思います。なぜなら「本当の体温がわからなくなってしまうから」です。本当の体温がわからなければ、新型コロナかどうかということも、重症化しているかどうかもわからなくなってしまいます。

( ↓ 下の対応票をクリックすれば拡大します)

そうしたことに注意しながら、「風邪かな?」と思ったら、このまとめに書かれた指示にしたがって行動するといいと思います。3)の「注意すべき症状」のうち、少なくとも二つの項目に当てはまるようであればかかりつけ医または保健所に相談してください。電話で相談する際に、先の問診票の項目を見ながら自分の症状を先方に説明してください。あの問診票を使えば、先方が忙しい時に、症状を簡潔に伝えることができると思います。くれぐれもかかりつけ医あるいは保健所などに相談するときは電話でお願いします。

今、「熱発患者お断り」「風邪症状のある患者お断り」の張り紙をしているクリニックが少なくないと聞きます。そんなクリニックの存在を耳にしたとき、なぜそうしたことができるのか信じられませんでした。「患者のことよりも自分のこと優先かよ」とも思いました。診療を断われば熱発患者は病院を受診します。その結果、それでなくても疲弊している病院の負担をさらに重くし、医療崩壊を助長するだけなのにと腹立たしい思いがしました。新型インフルエンザのときの怒り再燃です。

いずれにせよ、全国の人々が自粛を続けています。そうした努力の成果は今週の後半にあきらかになります。一方で、保健所、検疫所ではたらくすべての人達が感染拡大阻止のために毎日奮闘しています。また、病院で働くすべての人が高い志をもって感染患者の治療にあたっています。物流を閉ざさぬよう働く人、お店で商品の供給を続ける人。さまざまな場所で働く多くの人達のおかげで社会はなんとか持ちこたえています。今のこの状況はまさに戦争です。皆で力を合わせ、銃後の守りを固めなければならないのです。

最後に、神奈川医師会の菊岡正和会長の声明文をご紹介します(赤い部分をクリックすれば神奈川医師会のページに飛びます)。私のいいたいことがここにまとめられています。医学的知識もないくせに、「検査、検査」と検査を不必要に増やし、公衆衛生をぐちゃぐちゃにし、社会を混乱させる政治家たちにも同じことを言ってやりたいです。「君らのうすっぺらな政治主導とやらで日本をダメにするつもりか」と。正しい判断は、正確な知識と柔軟な思考、迅速な決断から生まれるんだってことも教えてやりたい。


【このホームページの冒頭に書いたこと】

現実を直視して、今できることを淡々とやる。協力もする、我慢もする。

楽観的なことも、悲観的なことも、事実をちゃんと理解した上で次にどう行動するかを考えましょう。

他人事ではいけない。他人任せでもいけない。

自分を守ることは大切な人たちを守ることです。

と同時に、自分だけを守ろうとすることは他人を危険にさらすことでもあります。

今回の新型コロナウィルスによる危機にこれまで以上に日本人の民度が問われています。

「逃げず、恐れず、あなどらず」を心に刻みながらみんなでこの危機を乗り越えましょう。

 

 

がんばれ、日本(3)

ついに新たなステージに入ってしまったのでしょうか。これまで落着いていた陽性者数が、とくに東京を中心にここ数日で増えています。世の中は「すわ、オーバーシュート(感染爆発)か?」と浮足立ってきましたがまさに正念場かもしれません。小池百合子都知事から都民に「週末は不要不急の外出をしないように」と呼びかけがありました。周辺の県でも東京への出入りはしないように県民に呼びかけており、東京をできるだけ封鎖に近い状態にしようということなのでしょう。

最近、新型コロナウィルスへの警戒心が緩み始めているように感じていました。「このくらいならいいだろう」「この程度ならだいじょうぶ」などといった甘えが人々の心の中に芽生え始めていたかのようです。休校やさまざまな行事の自粛などで疲れてしまったのでしょうか。また、最近の特徴は海外からの帰国者の陽性者が目立つという点です。今や中国以上に感染が広がっている海外に出張させる会社も会社ですが、のこのこ海外旅行に出かける人たちの気持ちも理解に苦しみます。

検査の数が増えていることも影響しているかもしれません。新型コロナウィルスの検査は誤差が大きいことが知られています。対象者をしぼりこむことなく検査をすれば、たくさんの偽陽性・偽陰性の人が出ます。実際には感染していないのに陽性と判定された人々は「自宅には高齢者がいるから入院させてくれ」となるはず。一方、感染しているのに陰性と判定された人は、感染していないと誤解して普段通りに生活し、まわりの人に無自覚にうつしてまわるかもしれません。

この手の検査は「希望する人全員に実施するもの」ではないのです。検査対象者をしぼり、できるだけ誤判定が出ないようにしなければなりません。にもかかわらず、3月4日から検査数はどんどん増えて、最近ではついに一日2万件を越えています。医学的知識もないど素人の政治家が「感染者が少ないのは検査数が少ないから。もっと検査を増やせ!」と大騒ぎしています。厚労省がそれに抵抗し切れなかったのでしょうか。いずれにせよ、最近の検査数を増やし方は普通ではありません。

とはいえ、検査を増やしても陽性と判定される人の数はしばらくそれほど増えませんでした。これは、検査が少ないから「感染者数」が少なく出ているわけではなかったという証拠です。計量数学的にこれを検証した人もいます。その難しい説明を聴かぬとも、陽性者数を検査の数で割った数値が急速に低下し、最近まで低い値で安定していたことを見ればわかります。これは対象者の絞り込みを緩和して検査数を増やしても、陽性者の割合が低かったということ。実際の感染者は思ったほど多くないという証拠です。

新型コロナウィルスに感染した患者の一定の割合が重症になります。つまり、感染の広がりは重症者数を見て推測することができるのです。その重症者数の変化もグラフにすれば一目瞭然。この一週間は落着いていてほぼ横ばいでした。これが意味することは「日本における感染者数はそろそろ頭打ちかもしれない」ということ。別の言い方をすれば、感染拡大の状況が落ち着いてきていたともいえます。前回のブログで私が「ピークアウトは近いかも」と期待していた理由がそこにあります。

でも、その期待は希望にすぎなかったかもしれません。東京での陽性者が突如として急増しているのです。検査数を増やしはじめて3週間目が過ぎたあたりから増え出しています。この間、さまざまな自粛や休校などの措置がとられ、急に陽性者が増える理由が見当たりません。新型コロナウィルスの潜伏期間は14日ほど。そのことを考慮すると、はやりこの突然の陽性者急増はむやみに増やされた検査によるものと考えても無理はありません。このあと1,2週間もすれば重症者の数が増えてくるでしょう。

東京都の感染症指定医療機関のベット数は118床です。今後、感染の拡大がとまらなければ、これらの病床がどんどん埋まっていきます。諸外国を見ても、必要以上に検査の数が多い国々に感染者が多い事実から、検査をむやみに増やしてはいけないことはわかったはずです。心ある医師たちも繰り返し「検査をむやみに増やしてはいけない」と警告してきました。にもかかわらず、検査は今日も増えています。数を増やせば増やすほど感染が広がるという悪循環におちいってしまったのでしょうか。

検査数のみならず、スーパースプレッダーが出現した可能性も無視できません。3月9日の専門家会議では「患者の80%は他の人に感染させていない」と指摘しています。それなのに今陽性者が急増している背景に「一人でたくさんの人にうつしてしまうスーパースプレッダー」が影響しているかもしれません。もしそうであればオーバーシュート(感染爆発)が現実味をおびてきます。もう少しだけ警戒心をゆるめないでほしいと思うのですが、もはや後戻りできない段階に来てしまったようで無力感を感じます。

実効再生産数(Re)とは「病気をうつしてしまう人の数(二次感染者数)の平均値」のことです。つまり「うつしやすさ」を表しています。季節性のインフルエンザは1.5~1.8、エボラ出血熱で1.5~2.5、SARSでは2~5、風疹で6~7、麻疹(はしか)では12~18とされています。ウィルスの種類によってReが異なることがわかります。とくに麻疹(はしか)は空気感染するといわれており、かなり感染しやすい疾患です。そのような感染症はワクチンを接種して予防しなければなりません。

ワクチンについては19世紀のエドワード・ジェンナー(英)の実験が有名です。当時、天然痘が流行していました。しかし、牛痘(牛が感染する天然痘)にかかった人は天然痘になりにくいことが経験的に知られていました。ジェンナーは牛痘にかかった牛からにじみでる少量の滲出液を人に接種することを思い立ちました。そして、この接種によって天然痘にかかりにくくなることを証明しました。これをきっかけにワクチンによる感染症予防、すなわち「防疫」がはじまりました。

その後のワクチン接種の歴史は決して平坦ではありませんでした。副作用の問題や効果への不信感を背景に、さまざまな紆余曲折をへて今日にいたっています。すべてのウィルスや細菌のワクチンが作れるわけではありません。たとえば、多くの子どもたちが感染するRSウィルスや熱帯地方で今も問題になっているデング熱ウィルスに対するワクチンはまだできていません。もちろん、今、流行しているコロナウィルスのワクチンも急ピッチで開発が進められていることろです。

ワクチンの効果は「ワクチンを接種していない集団での発生率」と「接種を受けた集団での発生率」との比較として定義されます。有効なワクチンがたくさんの人に接種されれば、ワクチンを受けた人ばかりではなく、接種していない人や接種はしたが免疫ができなかった人も感染から免れることができます。こうした効果を「集団免疫」といいます。今、世界的に新型コロナウィルスの感染が拡大する中、この集団免疫に期待しようとする国が出現しました。それがイギリスです。

今、感染者の増加がとまらないイギリスでは、集団免疫によって感染拡大を抑制する選択をとろうとしています。これはある程度の国民が新型コロナに感染することを容認しようというものです。感染してもおよそ80%の人は軽症のまま治癒するといわれています。こうした人たちは新型コロナのワクチンを接種したのと同じ状態になっています。この軽症感染者を増やし、高齢者や基礎疾患のある人といった重症化する可能性のある人たちへの感染を防ごうというわけです。

しかし、そのためにはそれ相応の死者がでることを容認しなければなりません。「集団免疫」をするには人口の60%の感染が必要になります。イギリスの人口はおよそ6600万人ですから、4000万人ほどの国民が感染しなければなりません。そして、それと同時に数十万人以上にもなるだろう死者をも容認しなければならないのです。結局、国民の反対が予想以上に強く、新型コロナウィルスに対する抗体(抵抗力)を国民のどのくらいの人がもっているかを調べてから再検討するということになったようです。

ワクチンによって感染症の拡大を阻止するためにはどのくらいの人が接種を受ければいいのでしょうか。その接種率を「集団免疫閾値」といいます。たとえば、感染力の強い麻疹(はしか)を予防するためにはワクチン接種率を90%を超えるものにしなければなりません。今、壮年男性に対する風疹の抗体価検査が推奨されています。この年代の男性たちが子どもの頃はちょうどワクチン接種が中断していた時期にあたり、接種率が極端に低いことが社会的な問題になったための政策です。

 

資料)集団免疫閾値

流行性耳下腺炎(おたふく):75~86%   風疹:80~85%   ポリオ:80~86%

天然痘:83~85%   麻疹(はしか):83~95%   百日咳:92~94%

 

このように、できるだけ多くの人がワクチンを接種しなければ集団免疫のはたらきを期待することはできません。ところが、この集団免疫は「フリーライダー」によっていとも簡単に危機にさらされます。フリーライダーとは集団免疫にただ乗りする人、すなわち、予防接種を受けないことを選択した人あるいは接種によって免疫がつかなかった人たちのことを指します。集団免疫にとってはこのフリーライダーをいかに減らすかが課題です。アウトブレイクが起こりやすくなるのです。

2018年にアメリカで麻疹(はしか)のアウトブレイクが起こりました。この事件は日本ではあまり知られていないようですが、医療制度が不完全で、国民の8.8%にあたる2800万人が健康保険に未加入というアメリカにとって感染症のアウトブレイクは深刻な問題でした(そして、現在もその危機にさらされています。もっと大きな問題として)。アメリカでは2000年に「麻疹撲滅宣言」がなされています。それまで毎年50万人の国民が麻疹に感染し、毎年500人あまりの人が死亡していました。

そのアウトブレイクは、麻疹ワクチンを接種していなかったひとりの子どもがアメリカに帰国したことから始まりました。その結果、麻疹の感染が終息するまでに564名の感染が確認され(そのうちワクチンを接種していた人は85名・15.0%でした)、840万ドル(約9億2千万円)のコストがかかったとされています。フリーライダーの問題は単に「(打つか打たないかという)個人の問題」にとどまらず、感染拡大の収束までにたくさんの感染者とさまざまなコストという社会の問題に発展するのです。

日本が今直面している事態は予断を許さないものです。東京や千葉で院内感染クラスターによって感染者が急増しているのですから。しかし、その一方で少しだけ安心できる情報があります。コロナの感染の拡大とBCGの接種率との間にはなんらかの相関があるのではないかというものです。つまり、日本のようにBCG接種が義務化されている国ほど感染の広がりが緩やかだというのです。そして、医療を支える医療従事者に対してそのBCG接種をする試みがオーストラリアではじまっています。

東京あるいは千葉での感染拡大が一日も早く収まることを願うばかりです。とくに東京に通勤・通学する人も多く、東京での感染拡大の影響は甚大です。私たちにできることは限られています。無駄な検査は求めない。軽い症状のときは自宅で安静する。うがいと手洗いの励行。不要不急の外出を控える。物不足を助長するような買い占め・買いだめはしない。ごく当たり前なことを着実にやっていくこと。それだけです。理性を働かせ、つとめて冷静に行動するのみです。頑張りましょう。

がんばれ、日本(2)

オリンピックが延期されました。正直、ホッとしています。準備に奔走してきた人たちやオリンピックの開催を心待ちにしていた人々、もちろんオリンピックでの試合に照準をあわせて練習してきた選手の皆さんもふくめて多くの人達が落胆しただろうと思います。しかし、よく考えてみてください。日本あるいは東アジアだけの感染であればまだしも、今の感染状況といったら「世界的なパンデミック」なのです。世界各国ともに選手団を日本に送り出せる状況でないことは火を見るよりあきらかです。

しかも、東京オリンピックへの盛り上がりも今回の新型コロナウィルスのせいですっかり色あせてしまいました。それどころではないということなのでしょう。このままオリンピックを強行しても、世界の強豪が集まらない、そして、観客すらまばらな試合を「消化」するだけの大会に終わっていたでしょう。私自身はオリンピックは延期するしかないと思っていましたが、それでも「決定されたこと」として馬鹿正直に突き進む日本のことです。これまでの「予定通り」という政府発表に冷や冷やしていました。

感染の拡大も今のところ大規模な「爆発的拡大」にはなっていないようです。むしろ、私が期待しているように今月末のピークアウトに向けて順調な陽性者数ならびに重症者数の推移をしているように見えます。それなりの数の検査数をやっても、その検査で陽性と判定されるケースがきわめて低い状況が続いています。これは専門家会議で発表された「実効再生産数(ひとりの患者がうつしてしまう人の数)がしばしば1を下回っている」ことを反映してのことこもしれません。

一方で重症者の数もそろそろ頭打ちになって来ているように見えます。これは重症患者が次々と発生していたこれまでとは異なり、重症化する患者そのものが少なくなってきたこと。あるいは重症患者の治療がスムーズにいき、回復する患者がふえてきていることをあらわしているのかもしれません。これらのことは、日本では感染患者が爆発的に増えていないということを意味しているとも解釈できます。と同時に、日本の医療がまだ崩壊していないこともあらわしていると思います。

こうした楽観的な変化が見えてくる中で、人々のこれまでの警戒心が徐々に薄くなってきたことを想像させるような変化も見られます。それは最近の感染患者に「海外からの帰国者」が多くなってきたという点です。日本にいると感染拡大の恐れをあまり感じないですむかもしれません。しかし、海外は違います。「世界的なパンデミック」が宣言される中、国際的な関心は、これまで感染の中心だった中国から、欧州、とくにイタリアやスペイン、フランスやドイツといった国々に移っています。

これらの国々では感染者数もさることながら、死者の急増が目立っています。もともと金融不安をおこしかねないほどの財政状況の悪さが指摘されてきたイタリア。EUはイタリアに財政の「健全化」をもとめ、イタリアは医療の「効率化」をおこないました。つまり、国立病院の統廃合をおこなったのです。「効率化」という言葉はきれいですが、要するに「合理化」です。日本とおなじように高齢化の進むイタリアにおいて、この合理化が正しかったかどうかは今回の感染拡大が答えを出したようです。

イタリアの医療水準は決して低くはありません。近代医学の発展をささえた国ですし。そんな国がなぜこれほどまでいとも簡単に医療崩壊してしまったのか。その要因はさまざまでしょうが、やはり感染者が発生した初期の対応の誤りが大きく影響しているようです。イタリアは当初、「全数検査」「全感染者の隔離」を進めました。そうしたことがあっという間に病院の収容能力を低下させました。医療の「合理化」がこれに拍車をかけ、重症者の治療に支障がでてしまったのです。

また、医療従事者への感染拡大も深刻でした。患者の治療の際にも感染の危険性があるのに、検査をもとめて病院に押し掛ける人から検体を採取する業務が重なればなおさらです。なにせ「全数検査」ですから。検査に不慣れな医療従事者もいたかもしれません。これまでも説明してきたように、この検査には「偽陰性」と「偽陽性」の問題が無視できません。検査を受けた人がその後どのような行動を取るかも影響します。そうしたことが相乗効果となって今のイタリアの感染拡大、医療崩壊をもたらしています。

ひるがえって日本はどうでしょうか。「コロナをうつしてやる」と飲食店をまわっていた不届きな陽性患者はあっという間にこの世を去りました。今頃はきっとあの世で後悔と反省の日々をおくっているかもしれませんがあとの祭りです。しかし、同じような思慮のない行動をする人があとを絶ちません。「パンデミック」を宣言されている状況で海外旅行をしたあげくに、新型コロナ検査の結果を待つように要請されながらも帰宅してしまう家族などはその典型例です。

中止要請を無視して格闘技の大会を強行した例も同じです。たしかにそれぞれの事情があるだろうと思います。中止の要請は強制力をもつものではないかもしれません。しかし、日本における新型コロナウィルスの感染状況は今が重要な局面を迎えているのです。今の安定した感染の様相はとてももろいものです。感染がなにかをきっかけに爆発的なものに変化する(オーバーシュート)かもしれません。そして、それを機会に医療崩壊が一気に進むかもしれないのです。そのことをもっと認識してほしいと思います。

そうならないでいられるのは、ひとえに日本全国でおこなわれている自粛や活動の抑制という国民の努力によるものです。その努力によってかろうじて保たれている今の状況はものすごくもろいものです。「ワクチンを打ってもどうせなるから」「これまでかかったことがないから」という理由でワクチンを撃たないでいるフリーライダー(ただ乗りをしている人)は、たくさんの人がワクチン接種することによって自分自身が守られ、大規模な感染拡大に至らずにすんでいるという自覚がないということに気が付くべきです。

この辺のことはあとでもう少し詳しくお話ししたいと思っていますが、要するにもう少しの間、今の警戒心をゆるめないでほしいということを伝えたいと思います。最近、病院に「(新型コロナウィルスの)陰性証明」をもらいに来る人がふえていると聞きます。こんなときになんでそんなバカげたことをするのでしょうか。陰性を証明できるはずもありませんし、また、のこのこ病院へ検査を受けにいくべきでもありません。それ自体に意味がないばかりが医療機関の負担を増やすだけだということを知ってください。

繰り返しますが、検査は必要な人がするものです。必要かどうかは医師あるいは保健所の担当者の判断にゆだねるべきです。検査は「誰でもがすべきもの」では決してありません。これまでたくさんの検査をおこなってきたアメリカも、最近、「必要な人にかぎって検査をする」という方針に転換しました。日本は原理原則にしたがって検査をおこなってきましたし、その適切性は今の日本の感染が落ち着いていることが証明しています。理性を働かせながら、みんなでもうひと息頑張りましょう。

がんばれ、日本

中国・武漢発の新型コロナウィルス(COVID-19)は、2019年から2020年に代わるころから中国全土で爆発的に感染が拡大しました。ちょうどそのころ、「おもてなしの国」の日本で旧正月を祝うためにたくさんの中国人が訪れました。そして、その結果、日本でもかなり早い段階から感染者が発生し、患者の数は今もなお増え続けています。個人的には、あのときに入国制限をしておけばという思いはありますが、日本はそうした「インバウンド」を受け入れながらの観光立国に舵を切ったのです。外国に依存する経済を目指す以上、ある意味、仕方ないことかもしれません。

ともかく、今は感染拡大の収束に向けて国民が一体となって頑張らなければなりません。まさに踏ん張りどころです。統計上、中国の感染者数はピークアウトになった(感染拡大の峠を越えた)ことになっています。共産国家中国の統計の確からしさを疑問視する有識者もいますが、1月の時のようなパニックともいえる状況からは脱していることはまちがいないようです。そのかわり、欧州を中心にアメリカにまでも感染はひろがり、WHOはようやく世界的なパンデミックを宣言しました。汚染国とされた日本がいつの間にかその指定からはずれ、今や日本よりも欧米での感染がどこまで広がるのかが注目の的です。

日本での感染拡大はこれからどうなっていくのでしょうか。そうしたことはこれまでの感染の様子を振り返ってくると見えて来るかもしれません。厚生労働省ではこれまでのCOVID-19に対するPCR検査の結果と死亡者数、患者の重症度に関する統計データを公開しています。先日のブログで紹介した東洋経済のホームページもその資料をグラフしたものです。このグラフを見ただけでも陽性患者数の推移や、「検査を増やせ」との世論を反映して検査数が急速に増加していることがわかります。今回、私はこれらとはことなる、日本における今後の感染拡大を予測できそうなものをグラフ化してみました。

(↓下のグラフをクリックすると拡大します)

これは陽性者の数を検査数で割った数字をグラフ化したものです。データの数字を見ていただければわかるのですが、3月4日に突然3倍ほどに検査数が増えていました。これは検査の意味をしっかり理解していない国会議員の声や、医学統計の知識のないTVコメンテーターが連日「検査を希望する人全員に検査ができるように数を増やせ」と叫び続けた結果なのかもしれません。その後も検査の数は増え続け、3月13日にはついに10000件を突破。17日には15000件を越えるまでになりました。こうしたことは決していいことだとは思いませんが、これも「仕方ないこと」ととらえるべきなのでしょうか。

陽性者の数を検査数で割った数字は、「検査した患者のなかにどのくらいの陽性者がいたか」をあらわします。それを見ると、2月のころの値よりも徐々に低下し、最近になって低い値が続いていることがわかります。その傾向の意味を考えると次のようなことが予想されます。

●当初は検査の対象をかなりしぼって実施していた(最近は対象のしぼりこみが甘くなっている)

●COVID-19感染者が実際にはそれほど増えていない

こうした検査はめったやたらに実施するものではありません。検査対象をしぼって(このことを「事前確率を上げる」といいます)からやるものです。どうしてかというと、こうした検査は「白黒をつけられるもの」ではなく、どうしても偽陽性(病気ではないのに陽性がでるケース)や偽陰性(病気なのに陰性がでるケース)がでてきてしまうためです。とくに有病率(病気のめずらしさ)が低い疾患ほどそうした不正確さがめだちます。その意味で検査対象者の絞り込みができていたことは保健所の努力の成果です。

その一方で、検査の数が増えているにも関わらず陽性にでる患者の割合はここ2週間は横ばいになっています。こうしたことは患者数が増えている(つまり患者の人口密度が高くなっている)場合には見られない傾向です。言いかえると、患者はほぼ全国均一になりつつあることを示しているかもしれません。人口が多いところには患者は多いが、人口が少ないところにはそれなりにいるようになった、というわけです。毎日、TVや新聞では「感染者がまた出ました」と報道していますがあれではこうした傾向はわかりません。

次のグラフを見てください。ひとつは検査数の推移、もう一つは陽性患者の変化を示したものです。今月になって急速に検査数が増えているのがよくわかると思います。その検査の多さにも関わらず、陽性者の数そのものが減少しているように見えますがそれは私の「希望」でしょうか。一方、それらのグラフと共に、重症患者と死亡者のグラフも作ってみました。COVID-19に感染した患者の数は、検査が陽性になった人の数だけでは推測できません。検査を増やせば増やしただけ数が増えるからです。実際の患者数を推測するには、患者の一定数が重症になると考えて、この重症者の数を見た方が推測しやすいと思います。

(↓下のグラフをクリックすると拡大します)

これらのグラフからは、一週間ほど前から重症者が、10日ほど前から死亡者が急増しているような傾向が見てとれます。これらは、重症化する患者が徐々に累積し、日本の医療技術をもってしても重症者がだんだん力尽きはじめていることを意味しているのではないかと思います。ただ、重症者の増え方がほぼ直線状であることからいえば、感染拡大がどんどんと広がって重症者が増えているわけではないことを意味します。こうしたことから感染が爆発的に増えていないことがわかります。

資料)各国の死亡者数(対人口10万人あたり:日本は3月17日現在、他は3月14日現在)

日本  0.022人 、中国  0.236人 、韓国  0.150人 、米国  0.014人

イタリア 2.093人 、イラン 0.695人 、スペイン 0.263人 、フランス 0.126人

この資料を見てもわかるように、日本の死亡者数は中国や韓国とくらべても数字がひとケタ低くなっています。イタリアをくらべればフタケタも違う。こうした日本の死亡者の少なさは前回のブログからまったくかわっていません。つまり、重症者にせよ、死亡者にせよ、日本では他国にくらべてその増加の仕方がきわめてなだらかだということです。これは日本の医療技術の高さもさることながら、医療機能が十分に機能していることも意味します。感染の爆発的流行には至っていない成果だといえます。

ではこれからどうなっていくのでしょうか。3月9日に開かれた政府の「新型コロナウィルス感染症対策専門家会議」では次のような見解を発表しました。

●爆発的な感染拡大には進んでおらず、一定程度持ちこたえている

●国内感染状況:重症・軽症にかかわらず約80%は他に感染させていない

●一人の患者から二次感染させた人の数(実効再生産数といいます)はおおむね1程度

●今後、流行がいったん抑制できても、いつ再流行してもおかしくない

●長期的には海外からの持ち込みが繰り返されるだろう

今の現状から、「ほら、検査数を増やしても感染は拡大しないじゃないか」という声があがるかもしれません。現時点ではそのような意見があがってもおかしくありません。しかし、安定した今の感染状況はとてもあやういものだということを肝に銘じなければなりません。検査の数がふえたといっても、まだ保健所がきちんとトリアージ(振り分け)をしてくれています。意味のない検査はできるだけ排除してくれているのです。「不安だから検査」という不適切事例を除外してくれているからこそ今の安定があります。

保健所にはたくさんの問い合わせと、苦情や抗議が寄せられていると思います。おそらく職員は毎日くたくたに疲れ果てているはずです。そうした人たちのおかげで感染拡大が抑えられていることを理解しなければなりません。現在おこなわれているCOVID-19のPCR検査も不必要に増やされているように見えます。にもかかわらず、臨床検査技師の皆さんも感染の危険性と背中合わせの中、たくさんの検体を調べてくれています。検査するときは重装備をしなければなりません。その暑さ、息苦しさを思うとほんとうに頭がさがります。マスコミには是非こうした人たちにももっと光を当ててほしいと思います。

もう少しデータがなければ明確には言えませんが、個人的には今月末には感染はピークアウトするのではないかと思っています。でもこれはあくまでも私の憶測です。もしかすると「希望」かもしれません。先のデータを見ているとそんな希望が見えてくるのです。ただし、これ以上の検査数の拡大がなければの話しですけど。それほどまでに今の状況はあやういものです。もし私の「希望」のとおりになっても、そのまま収束に向かうとは限りません。依然として国民一人一人の努力と抑制が不可欠なのです。感染拡大をおさえるためにたくさんの人が懸命に仕事をしています。そのことを常に意識してこれからも頑張りましょう。

 

 

検査の真実(2)

3月に入ってほぼすべての学校が休校となり、国内のさまざまなイベントが自粛されるなど、新型コロナウィルス(COVID-19)の影響はじわじわと日本の社会に影響をあたえています。これまで私が言い続けてきたように、COVID-19の感染はまだ流行の域に達してはいませんが、日本でもこのまま感染者の数が増え続ければ「流行宣言」がなされる事態になるかもしれません。その意味でも、今のこの時期こそ、感染拡大をおさえるための重要な局面に入ってきたといえるでしょう。

 

「希望するすべての人に検査」?

TVでは何の医学的知識もないコメンテータが、あいもかわらず「希望するすべての人に検査を」などとしたり顔です。それでも素人のコメンテータならまだご愛敬と笑っていられますが、医師という肩書をもったコメンテータ(医学系芸人)ですら同じようなことを言っているのは困ったものです。困る以上に迷惑です。彼らが感染症の専門家ではないにせよ、多少なりとのも医学統計学を勉強した人ならそんなことは言わないだろうと思うことを真顔で言っているのですからあきれます(不勉強にもほどがある)。

私自身、診療していると、患者さんの中には「先生も大変ですね」と心配してくれる人がいます。心配してくれるのはありがたいのですが、そうした患者さんには「心配はしていますが、まだ大変ではないですよ」とお話ししています。「だってまだ流行してませんから。これからどうなるかわかりませんけど。アウトブレイクさせないためにも今の状況を正しく理解する必要があります」と説明して、現在の日本におけるCOVID-19の感染状況および今なすべきことをお話しするようにしています。

前回のブログにも書いたように、今、検査のあり方について誤った情報が広まっています。そのひとつが国会議員の先生の発言です。よりによって国会のお偉い方が「検査を希望する人全員に実施しろ」と絶叫していますが、そんなことをすればどうなるかわかって言っているのだろうかと心配になります(どうせわかってない)。今回はそれらのことをわかりやすくお話しします。私見もふくまれていますが、なんの根拠もない憶測ではありません。多少難しいかもしれませんが、最後まできちんと読んでください。

ここ数日、COVID-19に感染した患者の数がにわかに増えたような気がしませんか。確かに「感染が確認された人」の数は以前よりも増えています。だからといって「ほら、やっぱり増えている。これからどんどん増えて中国のようになるんだ」なんて不安にならないでください。実は、3月4日から検査の件数がこれまでの2倍以上に増えているのです。検査の数が増えれば「感染が確認された数」が増えるのはあたりまえ。でも、検査件数の数が2倍以上になったから「感染者」の数も2倍以上になったでしょうか。答えは否です。

東洋経済のホームページを見てください。ここを見ればわかるように、検査数が2倍以上になったわりには新たに見つかった感染者の数がそれほど増えていないのです。それはなにを意味しているのでしょうか。実は感染者がそれほど多くはないということを示しています。しかも、検査件数が増える直前の感染者数を見るとだんだん頭打ちになっているようにも見えます。そうです。日本におけるCOVID-19の感染者数はそろそろピークアウト(峠を越す)を迎えようとしているのです。

 

「検査をもっと増やせばもっと感染者が見つかる」?

そんな楽観的なことを言うと標題のような反論が聞こえてきそうです。なぜそんなに感染者数が多くあってほしいのかわかりませんが、検査をもっと増やして「希望する人すべてに検査」をしたらどうなるでしょう。前回のブログにも書いたように、偽陽性(感染していないのに陽性となること)がめちゃくちゃ増えて、偽陽性の人と本当の感染患者が病院で錯綜して感染を拡大させてしまう危険性があるのです。そして、治療を要しない患者にも医療資源が使われ、治療が必要な重症患者の診療に支障がでてしまうのです。

しかも、検査をむやみに行えば、COVID-19に実際には感染しているのに陰性と判定してしまう偽陰性も増えます。つい最近も、陽性と判定された患者がスポーツクラブや保養所、あるいは飲食店などに立ち寄って問題になりました。陽性と判定されてもこんなことをする不届き者がいるのですから、偽陰性と判定された患者が「陰性というお墨付きをもらった」といろいろな場所に行き来して感染を広めることは想像にかたくありません。検査のやりすぎはメリットよりもデメリットの方が大きいのです。

それは今の韓国やイタリアが証明しています。韓国の感染拡大の原因のひとつに検査のしすぎがあるといわれています。COVID-19のPCR検査は痰や鼻水を検体として採取する際に医療従事者あるいはその周囲に感染を広げてしまう危険性があります。したがって、検査の際は完全防護のうえで、適切な場所で実施しなければなりません。その辺のクリニックで安易に実施できる検査ではないのです。しかも、検査センターに輸送する際には講習を受けた人がしっかり三重に梱包しなければならないと規定されています。

そんな検査をドライブスルーなどで安易に実施していいはずがありません。誰が考えてもわかることを韓国はやってしまったというわけです。単純に「検査件数が多いから感染者数が多くなった」のではなく、安易な検査のために感染を広げてしまったという側面も無視できないのです。韓国は今、患者あるいは感染を心配した人たちが医療機関に押し掛けて「医療崩壊」の危機にあるといいます。この韓国の例を見ただけでも「希望する人すべてに検査」をすればいいというものではないことがわかります。

一方のイタリアでも医療崩壊が懸念されています。感染者数とともに死亡者の数も増加の一途です。この原因のひとつに「検査陽性患者全員を病院に収容したこと」が指摘されています。つまり、重症でもない患者を病院に収容することによって医療機関の機能を低下させてしまったというわけです。イタリアでも日本と同様にクルーズ船の扱いに困りました。しかし、イタリアでは日本とは違って早期に乗客を下船させてしまい、これが感染を広げる端緒になったともいわれています。

 

「検査しても正しく感染者を選別できないならどうしたらいい」?

標題のように言う人もいるかもしれません。しかし、現在のCOVID-19の検査の目的は、一義的には「重症患者の肺炎の原因がCOVID-19なのかを鑑別するため」というところにあり、もうひとつには「感染状況を概観するため」というところに目的があります。COVID-19に感染した患者の80%は軽症で治ります。つまり、ほとんどの患者は風邪症状で治ってしまうのです。重症になるのは5%にも満たない人達です。「軽い風邪症状の人は自宅で安静にしていましょう」と推奨されているのはそのためです。

つまり、検査の目的は単に「感染しているかどうか」を調べることにあるのではなく、重症肺炎の患者におけるCOVID-19の感染の有無の確認なのです。ですから、症状が軽微であればあえて検査を受ける必要はなく、感染者との接触があった場合に限って念のために検査、というものなのです。「PCR検査に健康保険がきくようになったが、まだ検査できる医療機関が限られている」なんてピント外れな新聞の記事がありました。しかし、検査の目的を理解せずに記事を書くとこうなるといういい例です。

「たくさん検査をしなければ感染の実態がわからないじゃないか」と思う人がいるかもしれません。しかし、感染の実態は統計学的な理論にもとづいておこなわれた検査であれば推測することは可能です。つまり、検査対象者を適切に選択して検査をおこなえば感染の実態を把握することはできるのです。でも、その統計では軽症が多いのか重症が多いのかまではわかりません。ここで重要なのが重症者、とくに死亡者数の推移です。感染症対策の要諦は感染拡大の防止と重症者への対応です。

そういう観点から眺めてみると、3月7日現在の日本でのCOVID-19による死者数は6名(クルーズ船の乗客分は除く)。しかも3月1日に6名になってから死亡者数は増えていません。日本は世界でも比較的早期から感染患者を出しています。にもかかわらず、他の国々とくらべて見ても重症患者の発生数は少ないのです(資料1)。それは日本の医療レベルの高さによるものかもしれません。あるいは清潔な日本の環境の良さからかもしれません。いずれにせよ日本の死亡者数が少ないことは特筆に値します。

資料1)COVID-19による死亡者数(対人口10万人あたり:3月5日現在)

日本:0.005人    韓国:0.068人   イラン:0.11人

イタリア:0.17人   中国:0.22人    米国:0.003人

                         (池田正行先生まとめ

私が今回の記事で言いたかったのは、日本での感染もいよいよピークアウトか?というときに、検査の対象をむやみに拡大し、検査を増やすことによって逆に感染拡大を招く危険性があるということです。繰り返しますが、COVID-19に感染しても軽症であれば風邪症状だけで治ります。高熱と咳が続く肺炎合併例にこそ感染の有無を確認し、真に入院加療を必要とする感染患者に医療資源を集中することがもっとも重要なのです。そのためにも不要不急な検査による医療崩壊は絶対におこしてはいけません。

今日の外来にも「コロナに感染していないでしょうか」と心配して来られた患者さんがいました。その人は熱もなく、咳もしていませんでした。インフルエンザのワクチンを接種していないその患者さんに私は笑いながら言いました。「新型コロナの感染を心配する前にインフルエンザに感染することを心配した方がいいんじゃないですか」と。でも、それは決して嫌みではなく、資料2にあるように本当にそうなのです。日本におけるインフルエンザによる死亡者数はCOVID-19での死亡者数の20倍から500倍も多いのです。

資料2)日本における主要感染症の死亡者数(対人口10万人あたり:3月5日現在)

2009年に流行した新型インフルエンザ   0.16人 

2009年~2018年の季節性インフルエンザ   0.12~2.63人

※ちなみに、前出のようにCOVID-19  0.005人

池田正行先生まとめ

あおられてはいけません。こういう非常事態にこそその人の本性が見えてきます。普段は紳士でも、実は人を押しのけてまで商品を奪い取る人かも知れません。普段は冷静でも、実はパニックになってデマを言ってまわる人かも知れません。普段は優しそうに見えても、実は傲慢な差別主義者かも知れません。TVをはじめとするマスコミの本性もそこにあります。本来であればこのブログで取り上げたようなことを報道しなければいけないのに、国民の不安や不満をあおることばかりを垂れ流すのはなぜでしょうか。

与野党を問わず国会で新型コロナの感染拡大阻止に向けて協力すべきときに、ついこの間まで「桜を観る会」のことばかりでした。そして、ようやく新型コロナのことがとりあげられたかと思ったら今度は「政府の責任の追及」なんだそうです。一方で超党派の議員の間では、1000人の患者を収容できる病院船の建造を検討しているといいます。250億円の建造費もさることながら、係留費、維持費、人件費、使用頻度のことも考えないこんな愚策が飛び出してくるなんて。もっとやることがあるでしょうに。

こうした国会議員の先生方の脳天気にもあきれますが、いまだに買い占めなんてやってる国民にもあきれます。TVのワイドショーばかりを見ていると、ものごとの本質を見失い、理性的でいられなくなるのかもしれません。しかし、震災・放射能騒動のときもああだったのに、あのときの教訓はどこにいったのでしょう。せめてこのブログを読んでくださった皆さんだけは理性を働かせて行動してください。そして、まわりの理性を失った人たちに呼びかけてください。「もう少し冷静になりましょう」と。

検査の真実

明日から春休みまで全国の小中高校が休校します。新型コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大を防ぐための措置だそうです。でも、おかしくないですか?学校の休校って構内での感染拡大を防ぐものなのに。なんで感染が拡大していない学校もふくめてすべてが休校しなければならないのでしょう。いろいろな社会的損失があってもやることなのでしょうか。感染症の専門家が進言したことには到底思えません。一般国民と同様に政権の内部さえもCOVID-19の感染者の増加に浮足立っているようにも見えます。

しかし、2月27日現在、クルーズ船での感染者を除くと日本の感染者数は186名(チャーター便での帰国感染者15名を含む)。このうち無症状者は19名、死亡者3名です。これって「流行」なんでしょうか。浮足立つほどの「急速な感染拡大」なんでしょうか。世の中には「感染者の少なく見えるのはCOVID-19の検査を大々的にやってないからだよ。検査をすればもっと感染者数がふえるはず」と叫びまわっている人がいます。こうした理性的になれない人がTVのワイドショーにたくさんいるからこれまたやっかいです。

「検査をもっと大々的にやればいい」と考える人は多いかもしれません。人によっては「無症状の人もふくめて希望すればすぐに検査ができる体制を」なんてしたり顔でコメントするもんですから、TVばかり見ている国民はどうしても「そうだ、そうだ。政府はなにをやっている」となるのですが事実は少し違います。検査についてはその利点と欠点をわかっていなければなりません。なのに医者ですらそんな基本を知らない人が少なくなく、ワイドショーにでてる医者(医学系芸人?)もめちゃくちゃを言っています。

今日は少しわかりにくいかも知れませんが、この検査のことについて書きますので一緒に勉強してみましょう。まずは基本的な用語についての説明です。検査はある病気を見つけるために行うのですが、すべての検査が百発百中ではなく、病気であることを見逃してしまったり、病気ではないのに病気だと誤診してしまうことがおこりえます。そのため、検査においては「病気の人を病気だと診断できる的確性」を感度、また、「病気でない人を病気なしと正しく診断できる確実性」を特異度と定義してその正しさを評価します。

次に本当の患者を陽性と判断した場合を「真の陽性」といい、患者ではないのに陽性としてしまった場合を「偽陽性」といいます。一方で、患者ではない人を陰性と判断した場合を「真の陰性」、患者なのに見落としてしまった場合を「偽陰性」といいます。ですから、「いい検査」とは偽陽性や偽陰性が極力低いものと定義できます。つまり、感度と特異度が高い検査ほど「いい検査」となり、現在の診療で広くおこなわれているインフルエンザの検査の感度や特異度はともに97%か98%とかなり高くなっています。

そんな検査だからさぞかし「正確」だろうと思いきや、必ずしもそうではありません。検査で見つけようとしている病気の頻度(有病率)がどの程度のものか。あるいは検査をしようとする集団にどの程度の患者がいるのか(事前確率)によっても検査の「精度」がかわってきます。これらはベイズ統計学という統計学的な理論にもとづいているのですが、私たちが医学生のころに「EBM(Evidence Based Medicine:根拠にもとづいた医療)」として広く知られるようになった学問です。

少し難しいので、まずこの感度、特異度について一般的にいわれている特徴を列挙します。

●めずらしい病気を見つけるためにたくさんの検査をすると偽陽性が増える
●患者がたくさんいる集団に検査をすると偽陰性が増える

これらの例を実際の数字をあてはめて考えてみましょう。ここでは感度99%、特異度99%という「精度の高い検査」を仮定します。感度99%とは本当の患者の99%を陽性とする確率であり、特異度99%とは患者ではない人の99%を陰性にできる確率を意味します。

例1)1000人の中に100人の患者がいる場合(患者ではない人は900人)

陽性適中 99人・・・偽陽性(過剰診断)9人

陰性適中 891人・・・偽陰性(見落とし)1人

 

例2)1000人の中に10人の患者がいる場合(患者ではない人は990人)

陽性適中 9.9人・・・偽陽性(過剰診断)9.9人

陰性適中 980.1人・・・偽陰性(見落とし)0.1人

病気があることを的中させる確率(陽性適中率)を計算すると、例1)では91.7%であるのに対して例2)では50.0%と大幅に低下してしまいます。その一方で、病気ではないことを的中させる確率(陰性適中率)は例1)で99.9%、例2)では100%となります。つまり、感度99%・特異度99%という「精度の高い検査」をしても、患者の少ない集団を調べれば病気を正しく見つけ出すことができないのです。そして、その検査をたくさんの人に実施すればたとえ陰性適中率が99.9%だとしても偽陽性を増やすだけです。

具体的に今のCOVID-19にあてはめて考えてみましょう。COVID-19という新興感染症はまだ流行という状況にはなく、有病率もおそらくかなり低い状況にあると考えていいと思います(対人口比:0.0002%)。そんなときに「検査をしたいという人が全員検査できること」って重要なのでしょうか。「検査をして陰性だった人に感染確認」などというニュースを聴いて、「なにをやっているんだ」と検査の実施方法を批判する人もいます。しかし、検査には偽陽性とともに偽陰性もあることを知った上で議論しなければいけません。

現在のCOVID-19感染の拾い上げはPCRという方法でおこなわれています。これはウィルスの遺伝子を大量に増幅して検出しようというものです。遺伝子を使うのだからさぞかし正確だろうと思われるかもしれませんが、COVID-19はRNAウィルスであり、通常のDNAを使うPCRよりもあつかいが難しいようです。したがって、感度は40%、特異度は90%といわれており、精度的にも決して正確な検査とはいえないのが実情です。そんな検査を対象もしぼらずにおこなえば防疫という観点から大きな問題が生じてしまいます。

例3)1000人の中に10人の患者がいる集団に感度40%・特異度90%の検査をする場合

陽性適中 4人・・・偽陽性(過剰診断)99人

陰性適中 891人・・・偽陰性(見落とし)6人

陽性適中率:3.9%

陰性適中率:99.3%

  例4)人口1億人の国に1000人の患者がいて、感度40%・特異度90%の検査を国民全員におこなう場合

     陽性適中率:0.004%

     陰性適中率:99.9%

現在おこなわれているPCR検査の信頼性が本当に例3)だと仮定すると、検査を希望する国民に幅広くおこなえば、むやみに偽陰性の患者を増やしてしまいます。そして、その患者は「検査に異常がなかった」と判断して、行動制限をやめてしまうかもしれません。また、検査数そのものが増えていけば、偽陽性の患者も増えていき、無駄な診療がおこなわれ、患者を収容できる病院の数と機能を低下させて、重症患者の治療に差し障りがでるかもしれません。例4)からもわかるように、PCR検査は病気を否定する検査ではないのです。

クルーズ船の乗客に対する検査はいろいろな制約の中でよくやったと思います。下船時の検査で陰性だった人が、その後、感染していたことがわかったケースもあります。しかし、これはある意味で仕方のないことなのです。乗客を早期に下船させなかったことも適切です。むしろ、1月下旬の段階で中国からの入国制限をしなかったことがおかしいと思います。すくなくともこの時期に封じ込めをすれば、今の感染者数を抑制し、拡大のスピードをもっと遅くできたかもしれないからです。

私はよく日常の診療において、まだ軽症であるにもかかわらずインフルエンザの検査を希望する人に、「一番怪しいと思うときに検査をするべき」だと説明します。それは以上のような理由があるからです。検査はすればいいというものではありません。「意味のある検査」をしなければならないのです。あれもこれもと一時の不安にかられて検査を求めることは診断を誤り、混乱と不安を拡大させるだけです。繰り返しますが、COVID-19はまだ流行していません。もちろんこれからどうなるかは別問題ですが。

今年の季節性インフルエンザの流行は収束したようだ、と報じられました。これまでに今年度も累計3万7198人の感染者がいました。インフルエンザに関連した死者も2018年度に3325人、2017年度で2569人と決して少ない数ではありませんでした。インフルエンザはまだまだ「死ぬ感染症」なのです。にもかかわらずワクチンの接種をしないでも平気な人がいます。しかも、そうした人の多くもまた「流行もしていない新型コロナウィルスの感染を恐れている」という事実をどう考えたらいいのでしょうか。

※今回の統計学の説明に間違いがあったら下記のコメント欄でご指摘ください

 

 

 

「新型肺炎」(2)

このブログで新型肺炎について書いたのはつい1か月前のことです。あのとき私が懸念したことが現実のものとなり、新型コロナウィルス(正式呼称は「COVID-19」)に感染した人は今も増加を続けています。感染源である中国での感染者は2月21日現在で75000人を超え、死者もついに2200人を上回っています。前回のブログで警告しましたが、COVID-19に感染した人をふくめたたくさんの中国人が来日したこともあり、2月21日現在で感染者93名(うち無症状病原体保有者14名:15%)であり、死亡した人は1名です。なお、ここにはクルーズ船での感染に関わる数字ははいっていません。

さて、今回のCOVID-19の感染患者に関しては、2月11日時点での疫学調査結果が中国から発表されました。いかんせん彼の国のことですから、これらの統計データにどの程度の信頼性があるのかは定かではありません。統計の基準がなんどか変更されていますから。おそらく中国共産党政府への批判につながらないことを優先してのことでしょう。ですから、今後、WHOなどの国際機関が正式に調査をすれば多少の訂正があるかもしれません。とはいいながら、現時点で発表された結果をみれば、COVID-19の姿をおおざっぱに垣間見ることができます。「正しく恐れる」ためにもこれらの数値を眺めてみましょう。

ながながと数字を並べてもわかりずらいので要点を列挙します。

●中国全土でCOVID-19の感染が確定された44000例を超える患者のデータ解析結果
●19歳以下の患者が2.1%、20~59歳は66.7%、60歳以上は31.2%(うち80歳以上は3.2%)
●患者の80.9%が軽症、中等症は13.8%、重症例は4.7%
●死者数は19歳以下で0.2%(うち9歳以下なし)、20~59歳は2.1%、60歳以上は26.4%
●致死率は全体で2.3%(武漢市で3%、その他の地域では0.6%)

つまり、若年者と高齢者は感染しにくいようです。しかし、高齢者、あるいは基礎疾患をもっている人は死亡する割合が高いという傾向があります。また、このウィルスに感染した多くの人は比較的軽症で、重症になる割合は5%以下です。一方、致死率2.3%という数字については、インフルエンザでの0.2%とくらべれば確かに怖い数字ですが、かつて流行したSARSは10%程度、MERSは35%、エボラ出血熱においては50%と、これらの感染症の方がはるかに恐ろしいようです。ちなみに、「移りやすい感染症の致死率は低く、致死率が高いものほど感染死にくい」という一般的な傾向が知られています。

季節性インフルエンザでは、ひとりの患者が感染させてしまう人の数は2~3人とされており、COVID-19もほぼこれと同じ感染力を有していると言われています。その意味で言うと、今、ちまたで広がっている「感染しやすい危険なウィルス」というイメージとは多少異なるのかもしれません。むしろ、まだ流行という状況からはほど遠い今の現状からいえば、今年になってすでに日本では1000名、アメリカにいたっては14000名あまりが亡くなっているインフルエンザの方が恐ろしい伝染病だということになります。季節性インフルエンザに対する認識の甘い人が多いのですが、日本では毎年約3000人の人が亡くなっています。

今回のウィルス感染がこれからどのくらい拡大するのかは未知数です。今後、中国のように全土に広がって日本でもアウトブレイク(大流行)が宣言されるかもしれません。もしそうなれば世界各国は日本を「感染国」として指定し、日本への渡航制限をかけてくるでしょう。となれば各国はオリンピックの選手団を日本には派遣しないという事態となってオリンピックは中止になるかもしれません。あれほどの費用と時間をかけて準備してきた東京オリンピックがまぼろしに終わり日本の国際的な信頼は失墜します。そうならないようにしっかり対応してもらいたいのですが今の対応はなんとも頼りない限りです。

COVID-19の感染拡大は、日本にとって、あるいは日本人にとって教訓にしなければならない経験です。なぜなら、近い将来、高病原型鳥インフルエンザウィルス(H5N1)の大流行があるかもしれないからです。H5N1インフルエンザの致死率は60%とエボラ出血熱を上回わる恐ろしい伝染病です。幸い、このウィルスではまだ人から人への感染は確認されておらず、中国のごく一部の地域で鳥から人に散発的に感染するだけにとどまっています。しかし、その遺伝子は変異しやすいことが知られており、近い将来、人から人への感染が成立するだろうと言われています。もしそうなれば今回のCOVID-19と同様にいっきに感染が拡大します。

ところが日本人の危機意識はどうでしょう。年間3000人もの死者を出している季節性インフルエンザでさえワクチンも接種せず、「どうせ打ってもなるから」と高をくくっている人のなんと多いことか。ワクチンはもちろん感染予防のためでもありますが、感染しても重症化しないためのものでもあります。重症化すれば命に関わるばかりか、たくさんの人にも移してしまうことになります。ワクチンを接種しなかったばかりに死んでしまうのは自己責任だからよいとして、他人に感染させてその人を死なせてしまったらどう責任をとるのでしょうか。ワクチン接種は「自分のためであり、また周囲の人達のため」でもあるのです。

日本人にとっての教訓はまだあります。それは解熱剤(あるいはカゼ薬)の濫用です。風邪やインフルエンザを広げる原因のひとつが、解熱剤、あるいは解熱剤入りのカゼ薬を飲みながら勤務・登校する人たちの存在なのです。意外と多くの人がいまだに「カゼ薬は風邪を治す薬」と信じています。しかし、カゼ薬は風邪を治す薬ではありません。カゼ薬は風邪症状を軽くする薬にすぎません。発熱があっても、カゼ薬の解熱成分によって熱を抑えてしまうのです。今の季節、製薬会社は「熱があっても休めないときは」というキャッチフレーズでカゼ薬を売ろうとします。しかし、そこに落とし穴があります。

発熱はからだの免疫力にスイッチをいれるきっかけにもなります。今回のコロナウィルスに限らずすべてのウィルスには特効薬はありません。結局はからだの免疫力でウィルスを退治するしかないのです。ところが解熱剤で熱を下げてしまえば、たよりの免疫力にスイッチが入りにくくなり、結果として風邪がこじれるか、治りが悪くなるわけです。カゼ薬の「風邪をひいたら○○3錠」というキャッチフレーズは実は風邪を長引かせて薬をたくさん売るため、といってもいいものなのです。これらのことは普段の診療でいつも患者にいってきたことです。「解熱剤を一日三回なんて飲んじゃダメですからね」と。

熱があがらなければ、患者自身も、また医師も重症度の判断に予断をもってしまいます。「高熱だから重症?」と疑うチャンスを失ってしまうのです。中国であれだけあっという間に感染を広げてしまった原因にもカゼ薬(あるいは解熱剤)の濫用があったのではないか、と指摘する人もいます。解熱剤を服用しても熱を抑えきれなくなり、ようやく受診した患者に肺炎を合併していることがあります。「なんでこんなになるまで我慢したんですか?」と尋ねると、患者は「大した熱ではなかったので様子を見ていた」と答えます。そんなとき心の中で「カゼ薬なんてなくなってしまえっ!」と叫んでしまいます。

医者も悪いのです。風邪で受診するたびに解熱剤を出す医者がいるからです。確かに「熱がある」「頭痛がする」「のどが痛い」と患者が訴えれば解熱剤(=痛み止め)をだしてあげたくなるのは人情です。しかし、だからといって無頓着に一日三回の解熱剤(=痛み止め)を処方するのはどうかと思います。多少なりとも症状を軽減できても、風邪症状を長引かせたり、重症化を見逃しかねない処方は避けるべきなのです。風邪のとき、あるいはインフルエンザのときは本来つらいもの、と割り切ることも大切です。苦痛から逃れたいという気持ちはわかりますが、少なくとも発熱に関していえばこういうときは仕方ないともいえます。

検査もそうです。以前のこのブログでも書きましたが、インフルエンザの検査は絶対的なものではありません。検査結果は診断するためのひとつの情報ではありますがすべてではありません。場合によっては検査で陰性の判定が出ても、インフルエンザだと診断して抗ウィルス薬をお勧めすることもあります。この検査は、インフルエンザに感染し、からだの外にあふれ出てきたウィルスを検出するものです。ですから、うまくそのウィルスを拾えなかったり、まだあふれてきていないときに実施しても陰性になってしまうのです。この検査は「インフルエンザであることを確認するもの」ですが、あくまでも参考にすぎません。

今回のCOVID-19でも同じです。検査で陰性が出てもそれで「新型ウィルスに感染していない」ということにはなりません。ニュースでは「検査陰性だった人が発症した」と大騒ぎですが、我々医者にすれば「そんなことあたりまえなこと」なのです。もちろん逆に陽性であってもウィルスに感染していない場合もあります。それを擬陽性といいますが、COVID-19の感染患者とされている人たちのなかにはそうした擬陽性の人がいるはずです。今、日本には14名の「無症状病原体保有者」がいますが、その人たちにもおそらくこの擬陽性の人がふくまれているのではないかと思います。

「それならどうやって診断すればいいのか」と疑問に思うかもしれません。私をはじめ、多くの医者は検査はあくまでも参考にして診断しています。検査の結果だけを根拠にインフルエンザかどうかと判断するのではなく、その人の症状の経過や全身状態、あるいは診察所見などを総合的に判断するのです。ですから検査が陰性でも症状の勢いが強ければインフルエンザと診断して薬をお勧めすることもありますし、陽性でも症状が軽い場合はあえてお薬はお勧めしない場合もあります。COVID-19は未知のウィルスであり、今後の感染がどのように展開していくのかわかりません。だからこそ今は厳しめに判断しているのだと思います。

結局のところ今回の新型コロナウィルスは恐ろしいのでしょうか。結論からいえば、その判断をするのはまだ時期尚早だと思います。今の私自身は楽観的でもありませんし、悲観的でもありません。しかし、感染が拡大していくことだけは間違いないでしょう。なぜなら、中国との人的交流は続いており、感染者が日本に入国してくることは否定できないからです。政府も入国制限をしないという方針はしばらく変更するつもりはなさそうです。とはえ、1か月前に「新型肺炎について」とタイトルをつけた原稿をこのブログに掲載したとき、アメリカやカナダなどと協調して入国制限していればまた違った展開になっていたかもしれません。

しかし、そんなことを今さらいっても仕方ありません。これからどうするかについて、専門家の意見をまじえて真剣に考えるしかありません。ついこの間、「はじめての専門家会議が官邸で開かれた」というニュースを聴いたとき私は耳を疑ってしましました。とっくの昔に専門家の助言を得て対策をとってきたとばかり思っていたからです。厚生労働省には医系技官という医学部を卒業した官僚がいます。しかし、彼らのほとんどは感染症の専門家ではありません。感染症を専門にした大学の研究者とてその多くは感染症対策の実務を経験していません。大規模な感染症の対策がなおざりにされてきた証拠です。

アメリカには感染症の研究と対策の専門機関であるCDC(米国疾病管理予防センター)があります。また、感染症の拡大を安全保障の一環ととらえてDHS(国土安全保障省)が対応することもあると聞きます。しかし、日本にはこうした組織がなく、一朝有事となったときに政府の各機関が統合して動くことができないのです。とすればやはり生物・化学兵器の対策を専門にしている部署がある防衛省が国家安全保障会議の中心メンバーとして対応すべきです。今回もそうした案が政府内にはあったはずですが、軍組織に対する旧態以前とした頭の固い抵抗勢力のせいで封印され、それぞれの組織がバラバラで活動しているのが現状です。

私は新型コロナウィルスの感染拡大そのものよりも、日本のこれからがとても心配です。1か月前に感じていた胸騒ぎはきっとそれだったのではないかと思います。つまり、昨年10月の消費税増税で日本経済は少なからずダメージを受けました。多少のダメージがあることは多くの人達が予想していましたが、COVID-19による影響がそこに加わることになるとは誰も想像していなかったでしょう。中国発の新型コロナウィルスによってサプライチェーンが寸断され、今、日本の産業に大きくて暗い影を落としています。一方で、国内のさまざまな自粛によって観光客が激減し、国民の購買意欲を低下させています。

日本での感染患者がどんどん増え、国際社会から信頼を失なえばオリンピックは中止または延期になるかもしれません。もしそうなったらどうなるでしょう。インバウンド頼みとはいえ、なんとか堅調さを保ってきた日本の景気は一気に吹っ飛んでしまいます。私が警告してきた、日本の景気に対する懸念が現実のものとなってしまうのです。私が今回の新型コロナウィルスの感染拡大を不安に思う主要な原因がここにあります。そのときの責任は誰がとるのでしょうか。総理大臣や現在の政府が変わったところでいったん奈落におちた日本の経済を回復させることは容易ではないのです。

とはいえ、今すべきこと、これからすべきことを真剣に考えるべきです。いつか発生するであろう高病原性インフルエンザの流行も念頭におかなければなりません。だからこそ現在進行中のCOVID-19の感染拡大に対しては慎重かつ適切に行動しなければなりません。手洗いとうがいの価値、あるいは今まで軽視してきたワクチン接種の意義を見直すべきです。検査至上主義の風潮、あるいは風邪薬への過信をあらためなければいけません。部活優先のために学級閉鎖を躊躇するような学校運営をあらためなければなりません。新型コロナウィルスの感染拡大はこれからが正念場。「正しく恐れる」とは根拠なく楽観視することでもなければ、目をそむけることでも、取り乱すことでもないのです。

【追記】
 新型コロナウィルスに感染した人、あるいは感染拡大の阻止に力を尽くしている人たちへの差別的な
 言動が報道されています。すべての人がいつ感染者の立場になるかわかりません。また、感染拡大の
 阻止に向けて尽力する人たちがいなければすべての国民が危険にさらされます。ですから、こうした
 人たちへの偏見あるいは差別的な言動は絶対に許してはなりません。あの原発事故のときもそうでし
 た。被爆被災した地域の住民、あるいは原発事故の収束、停電の復旧に向けて頑張っていた東京電力
 社員への心ない言葉が飛び交っていました。本来、被災住民にも、あるいは東京電力社員にも責任は
 ないはずです。なぜなら原発を破壊したのは、想像をはるかに超えた津波なのですから。今回の新型
 ウィルス感染に関しても原発事故の当時と同じような差別や偏見があるとすれば、実になげかわしく、
 恥ずべきことです。そうした人の道にはずれるような行為がなくなることを願ってやみません。

 

 

そろそろインフル

これまでなんどもTVで「インフルエンザの流行がはじまりました」といってきたのに、またもや同じことをニュースでいっています。視聴者をあおることが彼らの商売なのでしょうが、もっと正確で冷静な報道をしてもらいたいもの。とはいえ、今度は本当のようです。我孫子、とくに当院のある船戸地区ではまだ流行のきざしはありませんが、保健所からの情報によれば松戸でにわかに流行が拡大しているとのこと。我孫子でもそろそろインフルエンザの患者が増えてくるかもしれません。そこで、インフルエンザの流行を前に、2018年2月に投稿した記事を再掲しておきますので参考にしてください。

***************************** 以下、2018年2月の記事

 

インフルエンザの勢いも落ち着きはじめ、患者の数もだいぶ少なくなってきました。とはいえ、これまでの流行では、B型が70%、A型が20%、残りがA・B混合型というようにB型が主流だったため、今後は従来のようなA型の流行があるかもしれませんので注意が必要です。この流行のしかたは例年にはありません。おそらくB型が比較軽症であったため、患者も医者も普通の風邪と考えて感染を広めたのかもしれません。

この流行の拡大と軽症例の多さが診療の現場が混乱する原因にもなりました。わずかばかりの風邪症状があり、体温も平熱にすぎない患者が「TVで『隠れインフル』っていうのがあるといっていたので検査をしてください」と受診してきたり、きわめて軽症のインフルエンザ患者までもが抗ウィルス薬を求めてきたりと、必ずしも適切な医療とはいえない診療をいつになく求められたのも今年の特徴だといえるでしょう。

インフルエンザ検査や抗ウィルス薬投与の適否については、論争の原因にしばしばなっています。検査や抗ウィルス薬を安易に(というと怒られるかもしれませんが)考えている人と、必要性に応じて検査や投薬を考慮すべきとする私のような人間とではまったく議論がかみあいません。こうした光景は当院の外来でもしばしば見られ、私の説明に不満げに帰っていく患者が少なからずいます。

こうした現状をふまえ、私が皆さんにいいたいことを、想定問答のような形でご説明したいと思います。もちろん考え方にはいろいろあって、私の言い分がすべて正しいと主張するつもりもありません。また、私の考えに賛同できない方たちの価値観を全否定するつもりもありません。ですが、私の言いたいことを通じて、皆さんにもこの問題を考えていただければ幸いです。

   【私の基本的スタンス】

○検査や投薬は「実施すべきケース」「実施してもいいケース」および「実施すべきではないケー
 ス」で考える必要がある

○医療に関しては「医学的に正しいかどうか」という観点とともに「医療費の支出として適切かど
 うか」という観点も考慮すべき

○インフルエンザが流行する前に多くの国民はワクチンを接種し、「インフルエンザに感染しにく
 い環境を作る」とともに、「かかっても軽症ですみ、抗ウィルス薬を必要としない状況を作るこ
 と」が重要である

○インフルエンザはすべてがおそろしい結果をもたらすわけではなく、「重症例をはやく見つけて
 対処すること」が重要であり、「軽症例は安静を基本として、適宜、症状を薬で緩和すること」
   と認識すべき

○インフルエンザの流行シーズンに入った場合は、「急に高熱となったケース」や「高熱にはなっ
 ていなくても、強い関節痛や悪寒、頭痛をともなう発熱のケース」は検査の有無をとわずインフ
 ルエンザとして学校や仕事を休み、自宅安静あるいは経過観察とするべき

これらのことをこれから具体的な想定問答として記述してみたいと思います。こうしたやりとりは当院の診察室でも同じようになることがあります。そして、その結末は残念ながらいつもunhappyです。ただし、ここでの想定問答では症状もなく「念のために検査」といって来院したケースを想定しています。また、当院ですべてのインフルエンザ検査・抗ウィルス薬の投与をお断りしているわけではありません。

念のために申し上げておきますが、インフルエンザの検査や抗ウィルス薬を希望される方は私に伝えてください。適宜、それぞれの患者の状況に応じて検査・投薬の適否を考え、「検査が必要な場合」はもちろん、「検査をしてもいい場合」であれば検査も投薬もご希望に応じておこなっていますので。

 

*****************以下、想定問答

患者:TVで「『隠れインフル』っていうのがある」といっていたので検査してください。

医師:でも、あなたは今、平熱ですよ。検査、必要ないと思いますけど。

患者:うちの夫が先日「B型インフル」って診断されたので感染していないかと思って。

医師:まだ検査してもでてきてない可能性が高いですよ。

患者:夫は熱が出てなくてもインフルエンザだったんです。

医師:それでなぜ検査をしたのかわかりませんが、なにかお辛い症状でもあったんですか?

患者:ちょっと頭痛が。でも今は元気ですけど。

医師:ですよね。ご主人は軽症だったんですよね。

患者:インフルエンザの薬をもらいましたからすぐによくなったんです。

医師:えっ?熱がなくて軽症だったのにインフルエンザの薬をもらったんですか?

患者:はい。だって早くよくなりたかったんで。出かけなきゃいけない用事もあったし。

医師:もしかして、薬飲んですぐに外出されたんですか?

患者:はい。薬を飲んだ翌日には平熱になって元気になったから。

医師:インフルエンザのときは解熱してもしばらくは人に移す可能性があるので外出はだめですよ。

患者:それじゃインフルエンザの薬を使う意味がないじゃないですか。

医師:インフルエンザの薬を飲む目的は「熱が出ている期間を1日程度短縮するため」なんです。

患者:よくなってるじゃないですか。

医師:そうです。改善はします。高熱の期間は短縮しますから。でも、しばらくは人にうつすんです。

患者:うちの夫は熱がなかった場合でもうつすんですか。

医師:だから「必要だったんでしょうか?」と申し上げたんです。自宅でしばらく安静にして・・・

患者:でも、普段のように元気でしたよ。

医師:いや、自宅安静の目的はご本人の療養という意味と他人に移さないという意味があるんです。

患者:うちの孫もインフルになったけど、すぐに熱がさがって元気になったので学校へ行ったけど。

医師:それが学校でインフルエンザを広めてしまう原因のひとつなんです。

患者:うちの嫁も働いているし、孫もゲームばっかりやってるから。

医師:ご家庭によって事情はあるでしょうが、やはり感染を広めないという意味では・・・。

患者:じゃあ、私の検査もインフルエンザを広げないために早めにやった方がいいんじゃない?

医師:いや、この検査は「インフルであることを確認する検査」なんです。

患者:「確認検査」?

医師:そう。陽性であれば「インフルです」って言えますが、陰性でも「違います」とは言えない。

患者:それじゃあ意味ないじゃない。

医師:意味はあります。インフルエンザだと確認はできますから。

患者:なら、今検査してもいいじゃないですか?

医師:確認だからこそ、怪しげなときにやるべきなのです。今のあなたは違います。

患者:とりあえず今やっておくっていうのはダメですか?もしかしてってこともあるし。

医師:今回が陰性でも、明日に陽性になるかもしれないし、あさってかもしれません。

患者:そのときにまたやればいいんじゃない。

医師:そんなことをしていたら医療費がもたないし、そもそも保険組合がそれを認めないのです。

患者:早期発見、早期治療は必要ないってこと?

医師:風邪やインフルエンザに関していえば「重症化を防ぐこと」が重要なのです。

患者:早期に治療すれば重症化だって防げるじゃないですか。

医師:それはそうですが、風邪やインフルエンザは本来なにもしなくても治る病気です。

患者:治療はいらないってこと?

医師:本来はそうです。でも、なかには重症化するケースがあり、その場合は早期発見。早期治療。

患者:なら、なんでインフルエンザの薬があるんですか。

医師:このまま放置していたら重症化しそうな人や高熱で辛そうな人のための薬として考えてください。

患者:検査もそうですか?

医師:明らかにインフルエンザと思われる人は検査をしなくてもいいってことになっています。

患者:検査しないで「インフルエンザ」って診断してもいいってこと?

医師:だって検査が「陰性」だからといって「インフルじゃない」って言えないんですから。

患者:それなら検査はまったく不要ってわけ?

医師:いえ、たとえば肺炎を思わせる患者が来たとき、肺炎治療を優先させるか、インフル治療を併用する
   かの判断にはとても重要です。そこまでいわないにせよ、怪しげなケースでれば検査はします。

患者:私、職場の方からも「検査をやってこい」っていわれるんですよ。

医師:インフルエンザが疑われるケースであっても検査が陰性なら仕事にいってもいいのですか?インフル
   エンザかもしれないと思ったら仕事はやはり休むべきでしょう。検査なんて補助的なものですし。

患者:でも、「A型?B型?」って聞かれるし。

医師:型なんてわかっても対応はかわりません。インフルエンザなんだし。ワクチンを打ってなければ重症
なることだってあるし。

患者:いずれにしても、今の私には検査はやってもらえないってことでしょうか。

医師:必要性はないですよ。あなたのようなケース全員に検査をやっていたら医療費が大変ですから。

患者:患者の命よりも医療費の方が重要ってことですね。

医師:いえ、そういう意味じゃありません。誤解しないでください。

患者:でも、そう聞こえますよ。

医師:つまり、この検査をしないからといって今のあなたに大きな不利益はないが、あなたと同じケース全
   員にこの検査をやった場合の医療費の無駄は計り知れないってことです。

患者:・・・・。

医師:もちろん、今後、あなたになんらかの症状が出てきてインフルエンザであることを確認する必要がで
   てきたらちゃんと検査します。うちも検査すればそれだけもうかります。検査をするのが嫌で言って
   いるのではないのです。決して安い検査ではなく、あなたも無駄をお金を出さないで済むし。

患者:自分の財布から出すので心配いただかなくても結構ですよ。

医師:あなたの財布からも三割は支払われますが、残りの七割は医療費から支払われるんです。

患者:わかりました。別のクリニックでやってもらいますからもう結構です。

 

ほら、やっぱりunhappyだったでしょ。でも、実際はこうはいきません。インフルエンザ検査や抗ウィルス薬を希望される方についてはそのご希望を尊重しながらも、本当に必要かどうかに関して疑問に思う場合はその必要性は説明した上で「どうしても」という場合は検査もしますし、投薬もします。ただし、「してもいいケース」に関してです。「すべきではないケース」に関しては当然のことですがお断りしていますので悪しからず。医療と医療費のバランスって難しいですよね。

でも、誰かが言ってました。「そんな固いこといってないで、言われるがままに検査をし、抗ウィルス薬を処方していれば患者は満足するし、医療機関や薬局、製薬会社ももうかる。すべてがハッピーじゃないか」って。私が「でも医療費が・・・」と言いかけると、「それも結局は国民の負担になるんだしいいんじゃないの」とも。しかし、それで医療保険制度が崩壊してしまったら元も子もないって考えないのでしょうか。でも、きっと彼は言うでしょうね。「そんなこといち医療機関のひとりの医者が心配することじゃない。それは偉い政治家が考えること」ってね。う~ん、あたまの固い自分には実に悩ましいことです。

 

 

患者の意志

先月、腎不全の重症患者に対する透析治療を中止した病院・医師のことが話題になっていました。腎臓は全身を循環する血液にとけこんだ老廃物、とくに人間の生命活動にとっては毒物となるさまざまな物質をろ過する器官として、あるいはK(カリウム)やNa(ナトリウム)などの生命活動を維持するために必要な電解質のバランスを保つ機関として重要な臓器です。この腎臓がなんらかの病因で機能を停止した場合、人工透析という治療によって腎臓のはたらきを代替しなければ人間は生きていくことができません。

つまり、重症な腎不全患者にとって人工透析の中止とはすなわち死を意味します。ですから、この治療を中止するという判断は通常はありえず、それでも中止をしなければならないのにはなにかやむを得ない事情があるはずです。ですから、今回の報道を耳にしたとき、私はその「やむを得ない事情」がなんだったのだろううかと思いました。報道によれば、透析中止の主たる理由は、透析装置とからだをつなぐ「内シャント」が使用できなくなったことのようです。しかし、それだけであのような判断を下すものでしょうか。

実際の透析はいろいろな意味で辛い治療です。透析を受けなければ命をながらえることができないということだけでも患者にはプレッシャーですが、透析を受ける前に「ダイヤライザー」と呼ばれる透析装置と血管を接続するための手術をしなければならないのはさらに苦痛で不安なものです。この手術で腕の動脈と静脈をつなぐ(通常はつながっていない血管です)「内シャント」を作ります。そして、そのシャントに針を刺してダイヤライザーとからだをチューブで接続して血液を循環させ、透析をするのです。

私も大学病院の総合内科に所属していた時、その「内シャント」を作る手術の手伝いをしていました。太さも壁の厚さも異なる動脈と静脈をつなぐ手術はとても繊細で、神経を使います。皮膚から露出させた血管は乾燥に弱く、すぐによじれてしまいます。また、人によっては細い枝が多かったりして、手術をする医者にとっては集中力と体力を使う結構大変な手術です。透析を繰り返しているうちにその「内シャント」がつぶれて使えなくなることもあり、そのときは作り直さなければなりません。

今回の患者はこうした「内シャントの閉塞」を繰り返し、もうシャントをつくることができなくなったケースだったようです。両腕の内シャントがもう作れないとなれば別のところにこのシャントと同じ働きをする代替経路を作らなければなりません。おそらくその処置(手術)には高いリスクをともない、透析を中止することのリスクとの天秤をかけての中止の判断だったのではないかと想像します。主治医にとっても、もちろん患者にとっても重い決断だったに違いありません。

ダイヤライザーでの透析によって、本来は尿となるべき水分と老廃物を強力にろ過できます。ですが、その分だけ治療後に倦怠感が強くなる場合があります。毎日、少しづつやればいいのかもしれませんが、それではなんども内シャントに針を刺すことになって血管を痛めます。なにより毎日透析に病院に行くのでは日常生活が制限されてしまいます。だからといって週に一回というわけにもいきません。24時間、365日、私たちのからだの中で働いてくれている腎臓の肩代わりをさせることはそれほどまでにやっかいなのです。

食べるものも、飲水量も厳しく制限されます。飲みたいものを飲みたいだけ飲み、食べたいものを食べるという、ごく当たり前と思っていることも、透析を受けるようになるとできなくなります。そうした制限のゆるい腹膜透析という方法もあります。腹膜透析はおなかの中にチューブを通じて直接透析液を入れ、浸透圧の差を利用して透析したあと再びチューブを通してからだの外に廃液するという治療法です。この作業は自宅でできるとはいえ、毎日欠かさず、しかも一日に何回も注入・廃液をやらなければなりません。

ですから、透析治療から逃れたいとどの患者も思っています。逃れるためには腎臓移植のチャンスに恵まれなければなりません。しかし、日本では依然として生体腎移植が盛んになっていません。その順番を何年も待っている患者が多いのです。そんな四面楚歌の状態で気弱になってしまう患者も当然いて、透析医はそうした患者を励ますことに少なからず時間を割かなければなりません。そうした実情が背景にあるだけに、透析の現場では、透析中止の判断はとてもナイーブな問題になっているはずです。

まず私が一番言いたいことは、渦中の医者のあたまの中に「患者の意志は揺れ動く」という現実がしっかり認識されていたかという点です。患者の気持ちはコロコロ変わります。命に関わることゆえそれは当然のことです。あるときは「こんなつらい治療を続けるくらいなら」と否定的な気持ちでいっぱいになることもあるでしょう。また、あるときには「支えてくれている家族のためにも頑張ろう」と前向きになるときもある。患者の心理状態も大きく変化するのです。そうした現実を医者は認識しなければならないのです。

最近、よく「患者の権利」「患者の意志」という言葉を耳にします。「患者の意志が尊重される」ことは「患者の権利だ」というわけです。確かに、自分の命に関わることは患者に判断させるべきだ、判断したいという気持ちは理解できます。しかし、はたしてそれができるものでしょうか。たとえそれができたとして、その「患者の意志」の名のもとに医療が硬直化する危険性はないのでしょうか。つまり言いかえると、「患者の揺らぐ気持ち」が一切考慮されない医療はおこなわれていないと言い切れるでしょうか。

今回の報道にある透析中止の案件もそこが一番の問題なのではないかと思います。透析をなんらかの理由で中止せざるを得ないとき、最終的には患者に継続するか、それとも中止するかの判断をゆだねることになります。そもそもそんな重大な判断をさせられる患者も気の毒ですが、それでも患者が悩みに悩みぬいて結論を出したとして、その意志を途中で翻意することを許容するような雰囲気がはたしてあったのかということです。「あなたが決めたことでしょ」で片づけられていなかったか。そこです。

癌の治療を開始する際、しばしば医者が治療法を提示して「さあどうしますか?」と患者に問いかけます。「患者の意志」の確認というやつです。「どうしますか?」と聞かれてそれに明確に答えられる患者は多くありません。どれがどの程度いいのか悪いのか、医学的知識も経験もない患者が即答できるはずもありません。しばしば「お任せします」と患者から投げ返されて、当惑してしまう医者も決して少数派ではないはずです。「へたに勧めて、あとで責任を問われてもなぁ」って。今はそういう時代なのです。

昔であれば医者は胸を張って「この方法で行きましょう」と勧めるか、さもなければ具体的な説明もないまま治療をはじめてしまうところです。患者も悩む必要がありませんし、医者にとってもある意味楽なやり方です。しかし、こういうやり方は今は通用しません。これまでのさまざな医療事故を通じて生じてしまった医療不信を背景に、「治療の選択においては患者の意志の尊重を」という社会的なコンセンサスが出来上がったのです。これがよかったのか、悪かったのか、私にはわかりません。

とはいいながら、「患者の意志」というものが、医者が裁判沙汰に巻き込まれないための医療者側の方便になっているという側面も見逃せません。治療を自ら選択した以上は、その選択の結果がどうであれ責任は患者にあるというものです。最近はいろいろな情報が氾濫しています。そして、希望する治療が受けられなかったことに患者から「こんなはずじゃなかった」と言われるケースも増えてきました。この「こんなはずじゃなかった」を言わせないために「患者の意志」が利用されているケースもあるかもしれないのです。

でも、患者の意志や気持ちは揺れ動くものです。「私はいつ死んでもいい」あるいは「死など怖くない」という言葉は、死を具体的に意識していないからこそ出る言葉です。アンケートなどで「あなたはどんな死に方をしたいですか」と問われることがあります。でも、そんなアンケートなどほとんど意味がありません。なぜなら、差し迫った死に戸惑い、不安になっている人でなければリアルな回答などできるはずもありません。死をリアルに感じているときと、無縁なときとで意志や意見は大きく変わります。

このように、人間は自分が置かれた環境によってその「意志」は大きく変化します。そのときはきっぱりと決心したように思えたことでも、次の日には「なんであんな決定をしてしまったのだろう」と後悔することもしばしば。臨床心理学では「気持ちが安定しないとき、落ち込んでいるときは重大な決定は先延ばしにしなければいけない」と教えています。私自身もこれまで、なにかを得られる決断であれば「迷ったらやってみる」としますが、なにかを失うかもしれない決断は「迷ったらやらない」ことにしています。

外来にもこんな人がいます。その方は普段から「私はこれ以上長生きしたいとは思わない」とおっしゃっています。でも、と同時に生きながらえるためのさまざまな薬を飲んでいます。そして、手がしびれたとなれば心配になって救急病院に行くわけです。最近、他院で「腎機能が悪くなっているから生活指導や食事指導を受けるべきだ」と言われたそうです。しかし、「そんなことまでして生きていたくない」と断ったとか。それで、結局のところその医者も「それなら、ご勝手にどうぞ」となってしまったらしいのです。

「食べたいものをやめてまで長生きしたくない」とおっしゃるので、私は「でも腎臓がさらに悪くなって尿毒症になったら食べたいものも食べられなくなりますよ」と説明しました。すると困ったように「それならどうすればいいのか」と。「だからこそそうならないように今から生活指導や食事指導をと先生はおっしゃったのでは?」と私。すると、ふたたび「それほどまでして長生きしたくない」と。私は「0(ゼロ)か100かってことじゃないんですよ」と言ったのですが、ご本人の中では戸惑いと不安が錯綜しているようです。

一方でこういう方もいます。その方は肺癌と診断されたものの、幸い手術を受けることができました。しかし、リンパ節転移の可能性が否定できないため、手術後に抗癌剤治療の追加をするかどうかを決めてほしいと主治医にいわれているのです。ただ、高齢でもあり、術後間もない時期での抗癌剤治療は体力を奪って日常生活の支障となるおそれがある。もし抗癌剤の治療を受けなければ癌が再発してくる不安におびえなくてはならない。どちらがいいのだろう、と。そこで「先生の意見を聴かせてほしい」というわけです。

私はいいました。「自分の命に関わる決断は自分で下すしかない。なぜなら人生観や価値観が関わるから。抗癌剤治療を受けなくても再発しないかもしれないし、治療をうけても体力を奪われた上で再発するかもしれない。私が言えることは、せいぜい『自分だったらこうする』程度のことだ」と。抗癌剤の治療を受けるにせよ、受けないにせよ、その結果は自分で受け止めるしかありません。治療方法についてのスペシャリストも確率でしか将来を予測できないのですから。最後は「患者の意志」で決めるしかないのです。

改めて、冒頭の透析中止の件について考えてみると、問題は三つに絞られると思います。まず、透析を中止するという選択肢の提示は医学的に正しいものだったか、という点。ふたつめは、透析の中止を選択した患者の決定が、真に自分の意志にもとづくものだったのか、という点。そして、三つめは、透析中止を患者が申し入れたとして、その後の状況の変化によって患者が当初の意志をひるがえしたときの病院・主治医の対応が適切だったかという点です。とはいえ、そう整理をしてもなお結論のでない問題だとは思いますが。

一見すると、他人の人生など自分にはほとんど関係ないように思えます。しかし、自分という存在が他人に影響を与えているのと同じように、他人という存在は自分にも影響をあたえています。とくに私のような生き死にと関わる仕事をしていると、人に与える影響とその責任の重さをひしひしと感じます。私のひと言で傷ついたり、勇気づけられる患者がいるのです。今回の透析中止の件において主治医と患者のコミュニケーションが十分だったんだろうかということが気になります。亡くなった患者はもう帰ってきませんけど。