皆さんは「Ghost of Tsushima(邦題:対馬の冥人)」というゲームをご存知でしょうか。アメリカのゲーム会社によって製作され、この7月に世界中で発売されると「中世のサムライになれる」とあっという間に人気ソフトになりました。日本人からの評判も高いのですが、それは外国にありがちな「日本人が違和感を感じる風景や人物」がこのゲームにはあまり登場せず(「?」と思うのは建物の屋根とお辞儀くらい)、むしろ日本人にも「武家のリアル」を感じさせる作りになっていたからでしょう。
「なんで対馬なの?」と思うかもしれません。対馬というところは、それほどまでに日本人にはなじみの薄い場所です。実はこのゲーム、1274年の「対馬への蒙古襲来」をテーマにしているのです。蒙古襲来については小学校でも、中学校でも習います。「元への朝貢をもとめて二度にわたる蒙古の大軍の襲来があった。しかし、いずれのときも嵐がやってきて、蒙古軍は大きな損害を受け、退散していった」と。ほとんどの日本人にとっての知識はその程度。それ以上のことを知っている人はあまり多くありません。
この二度の蒙古襲来はそれぞれ、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)と呼ばれています。とくに、文永の役ではモンゴルが、その支配下に置いていた高麗軍を引き連れ、総勢四万人ともいわれる大軍を対馬に送ってきました。不意を突かれた日本側は対馬のたった八十騎の侍がこの襲来を迎え撃ちます。結局、蒙古・高麗による大軍を前に侍たちは全滅。勢いを得た蒙古軍は暴虐の限りを尽くしながら壱岐、北九州へと攻め込んで行きます。そのときの鎌倉武士を主人公にしたゲームが「Ghost of Tsushima」です。
対馬は壱岐とともに、伊邪那岐・伊邪那美の命(みこと)が生み出した八つの島に数えられる島です。古来から朝鮮半島や大陸との文明伝来の中継基地として栄え、日本ではじめて銀を産出した場所としても知られています。つまり、対馬は日本と海外の文化の交わる要所だったのです。また、壱岐にはたくさんの神社があって、最近はパワースポットの多い島として有名です。対馬も壱岐も日本にとっては特別な意味をもつ場所であり、古代からずっと海外には知られた場所だったに違いありません。
「Ghost of Tsushima」では、なによりも名誉を重んじる日本の侍が描かれています。当時の武士たちは戦場で「やあやあ我こそは」と名乗りをあげてから敵と一戦を交えます。それが武家の作法だったわけです。このゲームでもそうした武士の姿が描かれていますが、外国人である蒙古軍にとって武家の作法などどうでもいいこと。日本の侍がそんな自分たちの価値観が通用しない相手に勝てるはずもありません。そのときの様子はYouTubeの実況動画(4:30ごろから)で見ることができます。
興味深いことがもうひとつ。それはゲーム最後のシーンに出てきます。侍の作法を守っていては勝てないと悟った主人公の境井仁は、武家の作法に反するような方法で次々と蒙古の拠点を解放していきます。仁を自分の後継ぎにしようと考えていた叔父の志村候はそんな彼を激しく批難します。志村候はなにより名誉を重んじ、幕府に忠誠を誓う古来の武士そのものだったからです。境井仁は反論します。「こうでもしなければ島民を守れないではないか」と。仁と叔父の意識の違いは、現代にも通じるようです。
大陸から離れて存在する島国日本にはじめて外国勢力が攻勢をかけてきたのは、1019年の「刀伊(とい)の入寇」とされています。刀伊の正体は、後に満州に国家を造り、清の王朝にもなった女真族の海賊。遷都を繰り返していた平安時代に財政破綻となった朝廷は、それまで外国勢力から日本本土を守る拠点だった対馬、壱岐の防衛から手を引きます。と同時に、国防の拠点だった大宰府は役人の左遷の場所にすぎなくなります。そして、この国防のすきをついて日本にやってきたのが刀伊だったのです。
対馬や壱岐で島民を残虐な方法で殺してまわり、多くの島民を奴隷として連れ去ろうとした刀伊。その刀伊が北九州を襲ったとき、大宰府を守っていたのは藤原隆家でした。都での権力闘争に嫌気が差し、大宰府にやってきた隆家でしたが、突然現れた3000人あまりの刀伊の大軍を前に獅子奮迅の活躍をします。そして、このときの経験は大宰府の守りの重要性を朝廷に再認識させます。しかし、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の悪い性格は今も昔も同じ。やがて朝廷の警戒心は再び薄れていきました。
そうした朝廷の姿に平和ボケした今の日本人が重なります。「恐ろしいことは考えないようにする」という日本人の根拠なき楽観主義はいつしか大きな事件・事故につながります。東日本大震災の半年前にかなり大規模な防災訓練がありました。「原発が全電源を喪失した」という想定のもとでの原発事故の演習もふくまれていました。しかし、その演習に総理大臣は参加しませんでした。その半年後、想定していた「全電源喪失」という原発事故が実際におこってしまったのはなんとも皮肉なことです。
そのような事故は現実にはおこりえないという慢心があったからでしょうか。それとも「原発で事故が起こる」と想定することは「原発は安全ではない」ことを認めてしまうとでも思ったからでしょうか。あのときの事故で「原発の安全神話が崩れた」といわれますが完全な安全などあろうはずがありません。事故の可能性を仮定しただけで「原発は危険だ」と騒ぎ出すからこそ作り出された「神話」だったにすぎません。危険や危機から目をそむける為政者はいつの時代でも国民を危険にさらします。
「Ghost of Tsushima」というゲームは単なる娯楽にとどまりません。日本人には日本人が忘れかけていたものを呼び起こし(私はこのゲームをやったことがなく、YouTubeで実況動画を観ただけですが)、その一方で、海外の人たちは、たった八十騎で蒙古に立ち向かう侍たちに鳥肌を立て、侍の非情な運命に涙を流していました(1:48:30ごろから)。その様子を見ながら、このゲームを通じて世界中の人が日本人のことを歴史にさかのぼって理解してくれたらいいなと心底そう思いました。