この冬に向けての提言

子どものころ、床屋さんに行くのが面倒で髪を伸ばし放題にしていると、よく両親に「おまえはビートルズにでもなるのか?」と怒られたものです。今どきの子ども達には「ビートルズにでもなるのか」の意味が理解できないかもしれません。当時は「ビートルズ=不良」という根拠なき図式があって、「ビートルズになる」ということはすなわち「不良になる」ということを意味していました。

それと同じように、子ども時代、勉強もせずにTVの前でゴロゴロしていると「TVばかり観ているとバカになるよ!」とよく言われたものです。事実、TVばかり観ていた私はみごとに「バカ」を地で行くような小学生時代を過ごしていたわけですが、それから五十年が経った今でもなお、「TVばかり観ているとバカになる」という言葉は多くの大人たちの間で活きています。

というのも、TVは正しい情報を伝えているとはかぎらないからです。とくにワイドショーはひどいものです。ど素人のコメンテーターが根拠希薄な「茶飲み話し程度の感想」を次々とまくし立てます。それを観ている視聴者はついつい「そうだ、そうだ」となって不安がかき立てられていきます。しかも、科学者を装った「専門家芸人」までが登場してワイドショーを盛り上げるのでなおさらです。

専門家芸人がなにを言おうと、所詮、芸人は芸人です。それが科学的に正しいかどうかはともかく、なけなしの知識は「芸」となって人々の注目をあび、人々の心をつかまなければなりません。ですから、専門家芸人たちが人心をあおろうとするワイドショーの意向にそわない発言をするわけがありません。かくして、ワイドショーを見ている人は知らず知らずのうちに洗脳されていきます。

心理学的にいえば、人間は自分の不安を支持・補強する情報に流され、信じる傾向を持っています。不安な自分と異なる意見に安堵する人もいますが、なかには自分の不安を否定する意見に怒りを感じて攻撃的になる人もいます。そうした怒りが客観的な事実を理性的に分析した結果であるならまだしも、「なんとなく怖い」という情緒に振り回されている結果であるとそれはもはや修正不能です。

最近、TVのニュースで「今日の陽性者数」とともに「重症者数」や「死亡者数」も報道されるようになりました。でも、それらは付け足し程度のもの。人々の不安を解消するほどのものにはなっていません。しかし、新型コロナの感染が一番危機的だった4月と比較すると現在の「陽性者数」はその三倍ほどになっていますが、「重症者数」はほぼ半分に、「死亡者数」にいたっては三分の一以下になっています。

こうした結果は、それまで検査をする基準となっていた「37.5℃以上の発熱が4日以上続くこと」という条件が外されて検査の数が格段に増えたからです。その一方で、現在の検査の精度が格段に上がって、症状の有無とは関係なくわずかなウィルス量の保有者であっても陽性にしていることが影響しています。しかし、「重症者数」でもわかるように感染の状況は決して深刻なものとはいえません。

先日、都内で「新型コロナはただの風邪」「マスクのない普段の生活に戻ろう」と気勢をあげる集会が開かれました。新型コロナを必要以上に怖がるのも愚かですが、こうした無意味な楽観論で社会を混乱させる運動も実に迷惑な話しです。軽微な新型コロナの感染は「ただの風邪」かもしれませんが、新型コロナウィルスの感染症そのものは「ただの風邪」ではないからです。

「新型コロナはインフルエンザ相当か、それよりも少し怖い感染症」と表現するのが適当です。インフルエンザには予防ワクチンが存在し、治療薬として服用できる薬が存在しますが、新型コロナウィルスにはまだそれがありません。ですから、油断していると感染はいっきに拡大し、重症者も急増する可能性があります。重症者の数を増やさないためには感染数を見ながら社会活動をコントロールすることが重要なのです。

それにしてもこの冬が心配です。インフルエンザの症状と新型コロナの症状とは区別ができないためです。高熱になったとたん、多くの人が不安になって検査を希望して医療機関に殺到するでしょう。なかには本物の新型コロナに感染した人もいればインフルエンザの人もいる。ただの風邪症状の人もいるのです。そうした人たちが殺到すれば、たちまち医療機関が感染を広げる場所になってしまいます。

重症化した場合はもっと深刻です。新型コロナであれ、インフルエンザであれ、肺炎になってしまった人や、なりそうな人を収容して治療する病院は対応に苦慮します。簡単に区別できるものではないからです。検査でどちらかが陽性になればまだいいのですが、検査が両者が陰性だからと言って一般病棟に入院させて治療できるわけではないのです。かくして入院を断わられる重症者がでてくるかもしれません。

となれば病院はあっという間に機能不全をおこして「医療崩壊」となります。私はこれが一番恐ろしいのです。入院加療すべき人が入院できない状態になったときのことを考えるととても不安です。今シーズンのイタリアの状況を思い出してください。人工呼吸器が不足して、使用する患者に「救命できる可能性の高い人から」という優先順位をつけるという悲しい現実が突き付けられました。

そうならないためにも今からやっておくべきことがたくさんあります。そのひとつが「新型コロナの感染症に対する意識」を変えるということです。つまり、今だに繰り返される「新型コロナを封じ込め、感染拡大を阻止する」という対策を「無症状あるいは軽症の陽性者は病院での加療をやめ、自宅あるいは宿泊施設で対応する」というものに方向転換すべきです。その意識の転換を今からやっておくべきだと思います。

そもそも現在の感染状況はそれほど深刻ではありません。幸いにも若い人達を中心に、無症状の、あるいは症状の軽い陽性者が多くを占めています。重症化しやすい高齢者が若い人達から感染したらどうするかという問題もあります。しかし、それはそれとしてしっかり策を講じながら、偏重した「感染拡大の阻止」から「重症者の救命」に重点をおく政策・医療に舵を切るべきです。

国や厚労省も、地方自治体も保健所も、あるいは医師会ですらも現状対応にとらわれ過ぎています。一番心配しなければならないこの冬に向けての戦略がなさすぎます。とくに医師会については、厚労省や保健所からの指示がなければなにも動こうとしていないのはなんとも情けないことです。本来、どうすべきかを提言すべき東京都医師会の会長などは「国会を開いて決めろ」と叫ぶばかりでしたし。

私は今、この冬に向けての対応策を考えています。そして、無策のまま秋になるようであれば私案として医師会あるいは保健所に提案してみようと思っています。今回はその試案をみなさんに提示し、広く皆さんからのご意見をうかがえればと思います(そのご意見は公開しません)。それらのご意見を通じて改善・修正を加え、さらに実用的・実効的なものにできればいいと考えています。

○キーワード「肺炎治療の徹底と医療崩壊の回避」「保健所、病院の負担の軽減」

○保健所、病院、クリニックでの機能分担

 保健所 : 
   感染者の状況把握、重症陽性者の入院調整、各種機関からの情報伝達

 病院  :
   比較的重症患者の入院加療(場合に応じて検査)、熱発患者の診療中止
   重症患者は感染症指定病院で治療

 クリニック(医師会会員・診察医): 
   熱発患者の電話診療(病院通院の患者の熱発も診療)
     検査や入院を要する患者のスクリーニング
     無症状陽性者のフォローアップ(毎日)
     軽症陽性者への投薬・フォローアップ(毎日)

○検査センター
 対象:「重症化を示唆する症状を有する熱発者」「4日以上続く熱発者」

 手順:検査センターに診察医が紹介状で依頼
    「新型コロナのPCR検査」 および 「インフルエンザの抗原検査」

○無症状陽性者・軽症陽性者への対応
 自宅あるいは宿泊施設での経過観察(場合により診察医による投薬)

  自宅・・・最寄りのクリニックにより投薬と毎日の病状の確認

  宿泊施設・・・医師会から派遣された管理医による健康管理および投薬、毎日の病状の確認

 これらの陽性者の情報は診察医または管理医により毎日保健所に連絡

○通常の熱発者への対応
 熱発者には事前に抗インフルエンザ薬や抗生物質の診断的治療(検査は原則的にしない)

 検査が必要と思われるケースは診察医によって検査センターに紹介

現在の検査は安易に行われています。以前の投稿記事にも書いたように、検査はあくまでも「必要な人に、必要なときにおこなうもの」です。どこかの「ど素人の政治家」が言うような、「誰でも、いつでも、どこでもおこなうもの」では決してありません。よもや「陰性パスポート」などといった陰性証明ができるものではありません。検査が適切におこなわれなければ医療は混乱するだけなのです。

繰り返しますが、今の状況を端的にいうと「重要なのは、コロナに感染したかどうかではなく、肺炎になりそうか、なってしまったかどうか」ということです。症状のない場合、あるいは熱発だけだったり、症状が軽微なケースは自宅内隔離で経過を見るべきなのです。みんながみんなに検査が必要なわけでもありませんし、よもや全員が入院しなければならないものでもありません。

PCR検査が陽性になる人をゼロにすることに全精力を注ぐなんて無駄です。日本のような人口の多い国では、経済が死ぬような強い自粛をしないかぎり不可能だからです。もし仮にそれができたとしても、そのころにはたくさんのお店や会社が倒産し、日本の経済は計り知れないダメージを受けているでしょう。今の感染状況は過剰な自粛をするようなものではありません。

多くの国民がそれぞれの立場でできうる感染対策を行いながら、少しづつ経済を回していくべきです。有事と準有事、平時とでやらねばならぬことは違います。むやみに検査を増やして「クラスターつぶし」をやっている場合ではないのです。新型コロナの感染者を減らすかわりに、失業者や自殺者を増やしてしまうなどということがあってはなりません。冬への対応は今から動き出さなければ間に合わないということに一日も早く気が付いてほしいです。

当たるも八卦(はっけ)

この記事は2016年8月21日にアップした原稿を修正・加筆してものです。医師会雑誌への投稿依頼があったのを機に、送られてくるスパムメイルが多かったこの原稿を書き直ししました。細かい部分は一部変更されていますが、大筋ではこれまで通りです。ご了承ください。

人は青年期にいろいろな悩みに直面するものです。そのときの不幸を嘆いたり、うまくいかないことにため息をついたり、そこはかとない不安を感じたりと内容はさまざまです。還暦を迎える私も、青年期には自分の進むべき道に迷っていた時期がありました。もともと悩みを相談できる友達もいませんでしたし、家族に相談したこともありません。ですから、青年期の不安や孤独を感じても、自分の中で出口を探しながらもがくことしかできませんでした。

青年期の悩みを解決する手がかりを求めていろいろな本を読みました。それは亀井勝一郎の人生論だったり、加藤諦三の心理学の本だったり、あるいは当時NHKのアナウンサーだった鈴木健二氏が書いた「男は20代でなにをなすべきか」だったり。手当たり次第に読んでいました。もともと好きだった山本周五郎や井上靖、石川達三や司馬遼太郎の小説なども、心の琴線に触れる場所を探しながら読み返していました。きっと私なりに試行錯誤していたのだと思います。

そんなとき母親に「よく当たる手相占いをする人がいるから行ってみないか」と誘われました。それまで自分の悩みを親に打ち明けたことはなく、ひょっとして母は私の悩む姿を見かけて心配してくれたのかもしれません。それにしてもはじめは「手相かよ」と思いました。占いなどは抽象的なことを言って当たったように思わせる詐欺みたいなもの、といった印象を持っていたからです。しかし、溺れる者はわらをもつかみたくなるものです。私はその占い師の家に行ってみることにしました。

事前に手相を見てもらっていた母親は「とても当たるんだよ」と興奮気味です。でも、母が前のめりになればなるほど私は懐疑的な気分になりました。東急東横線の「学芸大学駅」で降り、住宅街を歩いていくと、まるでドラマに出てくるような木造モルタルの古いアパートに到着しました。そして、さび付いた外階段を二階へあがったところにその部屋がありました。にこやかに出迎えてくれた占い師は白髪に白いひげをたくわえた老人で、当時すでに80歳を超えているように見えました。

室内は小奇麗に片付いており、六畳ほどの古い部屋の四隅の柱には小さな神棚が祀ってありました。奥さんとおぼしき女性が、私たちが持参した菓子折りの礼を言いながら菓子を神棚にそなえました。母親がいうには、その占い師は商売で見ているのではなく、あくまでも趣味で占っているとのことでした。とはいえ、老人のその風貌といい、住んでいる部屋の雰囲気といい、小机の上の占い道具といい、占い師としては趣味の域を超えているように思えました。

「まずここに生年月日と名前を書いてごらん」。私は老人に言われるままに生年月日と名前を書きました。すると彼は、私が書いた文字を虫眼鏡でのぞきながら、広告チラシの裏紙に計算式を書き込んでは古びた表紙の本をなんども開いてなにかを書きとめていました。私はそんな老人の様子を見ながら「インチキ占い師じゃなさそうだ」と思い始めていました。しばらくして彼は「そろそろ手相を見せてもらおうか」と言いました。私は恐る恐る手を差し出しました。

老人は私の左右の手のひらを何度も見くらべながら、手のひらのしわを伸ばしたり、虫眼鏡をのぞき込んだりしていました。そして、ときどき私の顔を見てはまた手のひらを見るという動作を繰り返しました。まるで儀式のような作業をひととおり終えると、にこやかに私の方を向いて「なにについてお話しすればいいかな?」と自信ありげに言いました。私はすぐに本題に入ることをためらいました。なぜなら「抽象的な言い方でごまかす詐欺」という不信感がまだくすぶっていたからです。

しかし、老人は占い師らしく切り出しました。「なにか悩みがおありのようだが、君の中では結論が出ているんじゃないかな?」。そう言い切った彼は私の悩みを見通しているかのようでした。当時の私は医学部の受験を控えて迷いがありました。落ちたらどうしよう、落ち続けたらどうしよう。失敗したときのことを考えるたびに、医学部以外の無難な道を選んでしまいそうになっていました。でも、この老いた占い師の前に座っている私の中で、それらの不安が薄れていくのがわかりました。

「でも、君が出した結論は正しい。いろいろ悩んだと思うが、再来年にはいい年がやってくるから頑張りなさい」。すべてはこの言葉で決まりました。そして、彼は紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書いて私に渡しました。さらに続けました。「自宅周辺の白地図を買ってきなさい。そして、自宅から西の方角に線を引くと神社がある。そこの湧水をもらってきて飲みなさい」。「神社?湧き水?」。私はすっかり老人の言葉にひきつけられていました。

その占い師の部屋には1時間余りいたでしょうか。帰る途中で白地図を購入し、自宅でさっそく地図上に線を引いてみました。するとどうでしょう。真西に引いた直線のまさに線上、自宅から直線距離にして7㎞あまりのところに神社がありました。今までそんなところに神社があるなんて思ってもいませんでした。それをのぞいていた母は「すごいっ!」と興奮気味。もちろん私も驚いていました。いてもたってもいられなくなりその神社に行ってみることにしました。

その神社は静かな森にかこまれ、厳かな雰囲気の漂う場所にありました。想像していた以上に立派な神社です。私が訪れたとき、参拝者はおらず、ひとりの宮司が竹ぼうきで石畳を掃き清めていました。あたりを見渡しても、あの老人が言った湧き水をもらえそうな場所がありません。私は掃除をしている宮司に尋ねてみました。「すみません。この神社に湧き水はありますか」。するとその宮司は境内の奥を指さして言いました。「それならこの先の突き当りにありますよ」と。

宮司に教えられたとおり、神社の参道をまっすぐ歩き、境内の一番奥まで行ってみました。すると、その片隅にひっそりと湧き水の出る井戸がありました。その水をもらっていくための容器まで置いてあります。私はあの老人の占いが具体的に当たっているのに感心していました。神社の場所も、また、そこで湧き水をもらえることも言われたとおりだったのです。私は指示された通りに飲めばなにかいいことがあるのではないかと思いながら、その水を自宅に持って帰りました。

その後の私の人生はその占いの通りになりました。翌年の受験(北大以外の大学)には失敗したものの、次の年、北海道大学医学部に合格したのです。あのとき老人は私に渡した紙に「来年、注意の年。再来年、良運の年。吉報は北東の方角」と書きました。北大に受かったとき「占いは外れたなぁ」と思いました。札幌は自宅の北に位置していると思ったからです。しかし、よく調べてみると札幌は自宅の北東。最初の受験に失敗することも含めて実は「予言」通りだったのです。

あの時、「なんでもいいから質問しなさい」と言われた私は、真ん中でぷっつりと切れていた自分の生命線を見てもらいました。手相など信じていなかったとはいえ、生命線が途切れていることはやはり気になっていたのです。すると老人は微笑みながら言いました。「手相って変わるんだよ。大丈夫、この線は必ずつながるから」と。その後、ときどき確認していましたが、いつしか生命線はつながって、今では途切れていたことがわからないほどになっています。

今、振り返ると、あの占いはいろいろなことが的中していました。面白半分に「結婚は何歳になりますか」と尋ねてみたときのこと。老人は「一番いいのは40歳ぐらいのとき。だけど、その前に二度チャンスがある」と言いました。当時の若かった私は「40歳なんてオッサンの歳で結婚するのか?」と苦笑いをしたものです。しかし、老人に指摘された年齢にお見合いをしたのも当たりならば(しかも二回とも)、40歳ならぬ38歳で「運命の人(今の家内です)」と結婚したのも不思議な一致です。

人は「占いの結果に引きずられたんじゃないの?」と言います。でも、意識的にそうなろうとしても、なかなかなれるものではありません。思い通りの人生を歩める人もいるかもしれない。でも、ほとんどの人生は思い通りにはならぬもの。岐路に立たされた時の判断がベストだったかどうかはあとになってわかります。その時の判断が適切だったかどうかではなく、ひとつひとつの判断の積み重ねが人生そのものなのです。その意味でもあの占いはすごいと思います。

手相を見てくれた占い師はすでに「鬼籍の人」だと思います。でも、彼は私の記憶に残る「奇跡の人」でもあります。あの後、何人もの知り合いが私の話しを聞いて手相を見てもらいに行きました。しかし、何人かの人は「占いを信じない人の手相は見ない」と追い返されたと聞きます。なのに彼は、占いを信じていなかった私を「面白い人だから連れてきなさい」と母に言ったそうです。もしかするとあの老人は、その後、ほぼ自分が占った通りになる私の人生をすべてお見通しだったのでしょうか。

大好きな風景

いつも新型コロナの話しばかりを読まされては皆さんも気が滅入ってくるでしょうから、今回は「私の好きな風景」についてちょっとお話しします。とはいいながら、これまでのブログにも同じようなことを書いてきましたから、新鮮味はないかもしれませんけど。

すでにおわかりだと思いますが、私は北海道が、札幌が、そして北海道大学が大好きです。もしかすると「愛している」ってレベルかもしれません。なぜそんなに好きなのかわかりません。北大に合格するまで、北海道を訪れたことは高校のときの修学旅行で行っただけなのに、です。「I LOVE 北海道」になったきっかけを振り返ると、思い当たることといえばフジTVで放映されていたドラマ「北の国から」が影響したことぐらいでしょうか。

このドラマはそれまで生活していた東京を離れ、北海道の自然のなかで生活することになった父とふたりの子どもたちの物語。今、「日本映画専門チャンネル」というケーブルTVでデジタルリマスター版が再放送されています。私にとっての北海道の風景の原点はここにあります。東京で生まれ育った子供たちが、北海道の厳しい自然の中で少しづつ成長していく姿とともに、富良野の美しい四季の風景が私の心のなかに深く刻み込まれました。

でも、そんな大好きな北海道が新型コロナウィルスの影響を受け、道民のみなさんが不安な気持ちで生活していることには心が痛みます。心の故郷でもある北海道が一日も早くこれまでの日常生活を取り戻してほしいと思います。同時に、たくさんの人が北海道を訪れ、北海道の素晴らしさを感じてもらえる日がまたやってくることを。とはいえ、最近の感染状況は目に見えて改善しています。ひょっとすると緊急事態宣言が一部解除になる期待がでてきました。

【COVID-19】重症者数の減少はもはや一過性のものではなくなった観がある。死亡者の定義が替わってしまったため、その傾向を確認することはできない。しかし、14日におこなわれる緊急事態宣言の解除に向けての前提はクリアしていると思う。新型コロ…

瀬畠 克之さんの投稿 2020年5月10日日曜日
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これまで説明してきたように、新型コロナウィルスの感染の広まりは重症者の数の推移から予測することができます。そうした観点から今の状況を見ると、すでに感染のピークは過ぎ、病院の機能がマヒする「医療崩壊」の危機はすでに過去のものになりつつあるように感じます。もちろん場所によって、あるいは病院によってはまだまだ深刻な状況が続いているかもしれません。とはいえ、いずれはそうした改善を実感できるようになるのではないかと思います。

そうなれば、またいつもの日常がもどり、たくさんの人が北海道を訪れ、北海道のよさを実感してもらえるときがやってきます。日増しに暖かくなってくる北海道はとても美しいです。でも私は、春や夏よりもあえて北海道の厳しい冬に美しさがあるということも知ってもらいたいと思います。厳しい冬があるから春や夏の美しさがあるのです。北海道はただ単に「寒いだけ」ではありません。「寒いから」こその良さ、美しさがあるのです。

北海道の醍醐味はやはり冬です。例年の札幌は10月に初雪となり、12月下旬に根雪となって街はすっかり冬化粧をします。それから日ごとに気温はさがり、1月の「雪まつり」のころ一時的に寒さがゆるむものの、3月に雪解けを迎えるまでは長い長い冬となります。北海道の真冬の雪はまるで鳥の羽根が舞い降りてくるかのように降ってきます。札幌でも氷点下10℃ほどになって、二重になっている窓ガラスには氷の結晶が美しい紋様を描きます。

寒い朝、夜に積もった新雪をふみしめて歩くのが私は好きです。夜に大雪が降った翌朝は気持ちよく晴れていることが多く、青い空に粉雪がキラキラと舞ってまぶしいくらいです。みなさんは雪の結晶をまじかに見たことがあるでしょうか。一番寒い時期になると雪の結晶がそのままの空から落ちてきます。そして、地面に降り積もった雪の結晶に顔を近づけてよく見ると、陽の光に輝いてものすごくきれいです。そんな雪道を歩くと幸せな気持ちになります。

湿り気のない新雪は踏みしめると「キュッ、キュッ」と音を立てます。降ったばかりの雪道を歩くと、まるで真綿の上を歩いているかのようです。防寒服を着込んで完全武装していますから、「寒い」というよりもむしろ「顔にあたる風が痛い」といった方が正確です。新雪が降った朝はとても静かです。車の通りも少なく、聞こえるのは人の歩く音だけ。真っ白な息を吐きながらまぶしいほどの朝日をあびながら大学に向かうと、不思議とエネルギーがみなぎってきます。

夜の雪道を歩くのもいいものです。昼間とは違った風情があります。夜はいちだんと気温がさがるため人通りはまばらです。その家の窓もカーテンがひかれ、わずかなすきまから室内の光が漏れているだけ。そんな夜道を歩いているとなんとなくロマンチックな気持ちになります。星がまたたく空を見上げながら深呼吸をすると、どこからともなく石油ストーブの香りが漂ってきます。その香りが不思議と私を幸せな気持ちにさせます。

長い冬が終わると北海道には百花繚乱の春がやってきます。冬が厳しい分だけ春はとても華やかなものになります。例年の札幌であれば、ちょうど今頃、桜が満開となります。年によっては肌寒い中でのお花見、となることも少なくないのですが、地面には黄色いタンポポ、場所によっては梅が咲いていてきれいです。北大の構内(中央ローン)では恒例のジンギスカンで飲んだくれている学生たちもいます。新入生を迎えた構内でも春を感じることができます。

春におすすめなのが洞爺湖です。洞爺湖の周辺の桜並木はとても見事です。今年は無理でしょうが、いつか是非行かれるといいと思います。とくに洞爺湖の南側の山の斜面を登る道路から見る洞爺湖の桜は絶景だと思います。見下ろす湖畔の桜並木の向こうには、雪をいただく羊蹄山が遠く見えます。思い出に残る素晴らしい光景を目の当たりにすること請け合いです。洞爺湖周辺のドライブにはもってこいのコースだと思います。

年が明けてから私たちはずっと新型コロナウィルスに振り回されてきました。日本中の人が自粛を余儀なくされ、家のなかでじっと息をひそめる生活を強いられてきたのです。しかし、そうした異常ともいえる日常もいよいよ終わりに近づき、感染の収束に向かいはじめているように感じます。街を歩いている人たちも少しづつ明るく、活動的になってきたように思います。それはあたかも長い冬を経て、百花繚乱の春を迎えた人々のようです。

私はあえて言いたいと思います。これまでの5か月は決して無駄ではなかったと。我々日本人がこれまで経験したことのないこの5ヶ月間の生活はいろいろな教訓をあたえてくれたと思います。今まで気が付かなかったこともたくさん気が付かせてくれました。その意味で「この冬が厳しかった」という現実にも意義を見出したいものです。厳しい冬もよく見れば春や夏にはない美しさがある。それに気づけば冬もまたいいものだと感じることでしょう。

いろいろな場所で行われてきた自粛もすこしづつ解除されていくでしょう。その間、検査の陽性者が一時的に増えたりするかもしれません。しかし、うろたえる必要はありません。高齢者や抵抗力の弱っている人は除き、社会を支える多くの人はむしろいつもの日常にもどる努力をしなければなりません。これまでの生活をとりもどすにはかなりのエネルギーが必要ですが、これまで以上に素晴らしい「風景」を取り戻したいものです。

もうひとふんばりです。頑張りましょう。

「新型肺炎」(1)

今年は例年になく暖かい冬です。「これが冬?」と思うような暖かい日が続き、寒さに弱い人ならともかく、中途半端な暖かさが苦手な私には決して過ごしやすい気候ではありません。北海道でさえも昨年のクリスマスは「ホワイトクリスマス」にはならなかったらしく、こんなことは私が札幌にいたときは一度もありませんでした。北国は今でも雪不足だそうで、スキー場開きや雪のイベント開催に支障が生じたり、暖冬の影響がじわじわと出てきています。

私個人としては「暑いときは暑く、寒いときは寒くあるべき」だと思っています。夏は「暑い、暑い」と言いつつ冷たいビール(お酒を飲めない私はジンジャエール)を流し込み、冬は冬で「寒い、寒い」と言いながら熱い風呂に入って鍋をかこむ。こうした光景が私は好きです。長いデフレの世の中が続き、今ひとつぱっとしない日本経済のためにも、夏の暑さや冬の寒さは必要なのではないでしょうか。季節ものがちゃんと売れることで日本の景気が活気づく。そんな季節感のある社会が日本を立て直してくれるのだと思います。

今年の冬の暖かさが異常なら、インフルエンザ患者の少なさもまた異常といえるかもしれません。いつもならたくさんのインフルエンザ患者が来院する時期。しかし、今年はポツリポツリとやってくる程度。ノロウィルスなどの感染性胃腸炎の患者もまた同じです。それはそれでいいことなのですが、これもやはり暖冬の影響かもしれません。昨年の秋に一時的に流行ったりしましたが、本来であれば冬の寒い時期に猛威をふるうインフルエンザはやはり暖冬には弱いのでしょう。

その一方で、新型コロナウィルス(「2019-nCoV」と呼ばれています)による肺炎の感染拡大は心配です。2003年に中国で流行したときのコロナウィルス性肺炎(SARS)の時とは遺伝子が少し変異したタイプのようです。なんといっても大きな違いは「人人感染」があること。以前のSARSのときにはこの人から人への感染が明確でなかった分だけ大事には至りませんでした。しかし、今回は違います。人から人への感染のため、拡大するスピードは前回の比ではありません。

昨年の末に中国の湖北省武漢市で発生が報告された新型肺炎は一気に感染が拡大しました。ウィルス遺伝子の変異もさることながら、社会主義国家によくある情報の隠蔽、報告の遅延、楽観的な対応が今回の感染拡大の原因にもなったといわれています。市の保健当局が誤った情報を伝え、対応が遅れたことが今の中国国内のパニックを生んでいます。複数の都市を封鎖するという荒療治はいかにも中国らしいのですが、今やそのようなことは「焼け石に水」だともいえます。

国民・市民の衛生知識のなさ、あるいは節度のなさも感染を広めている原因です。本来、感染症の患者が多数来院し、治療を受けている病院は衛生的に汚い場所です。にも関わらず、軽症の市民もふくめてたくさんの人が病院に殺到しています。そんな事態になれば、本来、新型肺炎でない人までが病院で新型肺炎に感染してしまうという事態を招きます。新型肺炎はウィルスによるものであり、したがって抗生物質などの有効な治療薬はなく、重症でもないかぎり具体的な治療法はないのです。

これはインフルエンザにもいえます。インフルエンザが流行しているとき、しばしば軽微な風邪症状しかない人が薬をもらいに来院することがあります。しかし、インフルエンザは軽症であれば自宅で安静にしていれば治る病気。インフルエンザの病勢が強く、高熱を放置すれば重症化する可能性のある人に対してタミフルなどの抗ウィルス薬を処方することがあります。インフルエンザウィルスと体内で戦っている免疫力を援護するためです。結局は自分の免疫で治すしかない感染症なのです。

よく「ワクチンを打ったのにインフルエンザになった」という声を聴きます。しかし、そうではありません。「ワクチンを打ったからこの程度で済んだ」というのが事実です。ワクチンを接種した人とそうでない人とでは、実際に感染・発症してしまった後の経過は明らかに違います。接種した方が早く治るのです。初日高熱となっても、接種した人はそうでない人と比べて楽そうに見えます。また、接種した人は数日で平熱になることが多い。ワクチン接種の意味とはこうしたところにあります。

ワクチンの効果が科学的に明確に証明されたわけではありません。ワクチンを打ったからといってインフルエンザにかからないわけではないし、ワクチンによって他の人にインフルエンザを移しにくくするという根拠にも乏しい。とはいいながら、インフルエンザワクチンの接種は、自分のためだけではなく周囲の人のためでもあるといえます。感染の拡大を防ぎ、重症患者がでないためのエチケットと考えた方がいいかもしれません。ワクチンの接種は単に「自己責任の問題」にとどまらないということです。

今、問題になっている新型肺炎も、そろそろ「スーパースプレッダー」と呼ばれる患者が出現する段階に入っています。スーパースプレッダーとはひとりでたくさんの人に感染を広げてしまう患者のことです。具体的なメカニズムはまだわかっていませんが、感染したからだのなかでウィルスの遺伝子が変異し、爆発的な感染力を持つようになるからではないかといわれています。2003年にSARSが流行したときも、このスーパースプレッダーがアウトブレイク(制御不能な感染拡大)に関与していたことが知られています。

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

当時、メキシコを中心に流行が広がっていた新型インフルエンザは、まだその正体がはっきりしていませんでした。その分だけ新型インフルエンザの流行の拡大によって日本中がパニックに近い状況を呈していました。しかし、私はこのときでさえも今回の新型肺炎ほど不安にはなりませんでした。むしろ、日本がそのままパンデミック(コントロール不能)となったときの対応を冷静に考えていました。いつまでたっても政府や医師会などから有効な対応策が提示されないのに業を煮やしてのことでした。

当時、発熱した患者は行政が定める「発熱外来」に受診することになっていました。しかし、これでは新型インフルエンザの患者とそれ以外の原因で熱発している患者、あるいは単に不安にかられて受診した軽症な患者が接触し、かえってインフルエンザの感染を広げてしまうと私は考えていました。しかも、発熱外来に患者が殺到すれば大混乱となり必要な診療ができなくなってしまいます。私は医師会にはそうしたことを進言しましたが、「もうすぐ厚労省から指示があるから」と反応は冷ややかでした。

私は、パンデミックとなった時の当院独自の対応策をまとめました。要点は次の通りです。
① 重症のケースを除いて「発熱外来」には受診させない
② 熱発した患者はすべて自宅待機とする(重症患者は「発熱外来」へ)
③ 午後の診療は完全防備の上、熱発患者の往診についやす
④ 熱発患者は自宅内隔離とし、必要に応じて薬を処方して経過観察

パンデミックとなって全市的にこの対応をとることになれば、とても内科医だけでは対応できなくなります。そこで私は我孫子市を細分化し、我孫子医師会会員で担当地域を決めてはどうかと考えました。もちろん往診する医師が不足する地域がでてきます。そのときは小児科や外科、耳鼻科や皮膚科など他科の医師にも協力してもらわなければなりません。ところが、医師会の会合に出席したとき、こうした対応について話しをしてみたところ耳を疑うような言葉がかえってきました。

私の話しを聴いていた医師の多くは現実味を感じなかったのか、あるいは「そんな面倒なことを」と思っていたのか、しばらくは固い表情で押し黙っていました。しばらくしてある医師は「これまでインフルエンザ患者の診療をしたことがないので協力できません」と言い出したかと思えば、別の医師は「パンデミックになったら俺はクリニックを閉めてしまうから(私は協力できない)」と周囲を笑わせるなど、まるで真剣みがないのでした。私は「この人たちはいったいなんのために医者になったのだろう」と思いました。

もちろんこのときはまだ新型インフルエンザの正体がわかっていませんでした。ですから、医師とはいえ命の危険を感じたのかもしれません。しかし、もしそうであっても、万が一にもパンデミックという重大な事態に至ったとき、すべての医師が頑張らなければ誰が頑張るのかと私は憤慨しました。「発熱外来」という感染をさらに拡大しかねない対応策しか提示できなかった厚労省と医師会。もっと迅速かつ実際的に対応策を考えればいいものをと地団駄を踏んだことを思い出します。

今、中国の武漢でまさに命がけで頑張っているのは医療従事者です。患者であっても、そうでなくても、流行の終息に向けて奮闘している人たちを支えなければなりません。日本でも新型肺炎の感染が広がるかもしれません。しかし、もしそうなっても、国民はあわてず、理性をはたらかせて秩序ある行動をとらなければなりません。世の中が騒然としても、不安にかられて病院に殺到したり、軽微・軽症にもかかわらず薬(治療薬はないのですから)をもらいに医療機関に行かないように気をつけて下さい。

新型肺炎がパンデミックになったときに国民がとるべき行動をまとめてみました。
 ○ 不要・不急の受診は控えること(受診の適否がわからないときは医療機関に電話)
 ○ 肺炎を疑って病院(クリニック)に受診するときはあらかじめ電話をすること
 ○ 重症の場合や新型肺炎を疑う場合を除いて「発熱外来」には受診しない(かえって感染する)
 ○ 少しぐらいの症状なら自宅で療養すること(家庭内隔離をしましょう)
 ○ 新型肺炎に治療薬はない。薬はつらい症状を軽減するためのものと考えること
 ○ 高熱のほか、ひどく咳き込んでいる、あるいは息苦しさがあるときは入院できる病院へ
 ○ 受診すべき病院、あるいはどう対応したらいいかわからないときは保健所に電話すること

日本の未来は

今回はちょっと政治的な見解を書きました。今年を締めくくる記事で避けて通ることができなかったことだからです。私は特定の政党を支持していませんし、特定のイデオロギーをもちません。自分の目と頭で理解し、信じたことを支持するという政治信条をもつのみです。ですから、今回のブログを読んで不愉快になる方がいるかもしれません。しかし、これから書くことは何らかのプロパガンダでもなければ、特定の政治的スローガンを吹聴するものでもありません。その辺のことをご理解の上でお読みいただければ幸いです。

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あと一日で令和元年(2019年)が終わります。今年はなんだか気ぜわしいだけで、実はなにも変わらなかった一年だったように思います。そう思うのは、今年の世相を反映しているのかもしれません。香港やウィグルなど、世界各地で自分たちの運命と戦っている人たちがいる一方で、日本国内では誰を桜を観る会に呼んだとか、呼ばなかったとか。どこの学校法人に口利きをしたとか、しないとか。泡のように湧き上がってはじけて消えていく下らないニュースに国民が振り回され、踊らされた一年でした。

先日の新聞で、2019年の日本の出生率が過去最低となり、出生数も年間90万人を割り込む事態になったと報じられていました。日本の人口はすでに2010年から減少に転じており、65歳~74歳の人口は2040年ごろに、75歳以上の人口は2055年ごろをピークに増加を続けると予想されています。その意味で出生率の低下は社会の急速な高齢化をもたらす深刻な問題です。政府は以前から「少子化対策」を政策の重要課題にあげていますがいまだに有効な手立てはなく、人口は減少し、高齢化はどんどん進んでいます。

それにしてももっとも有効な少子化対策は景気回復だということに気が付いていない政治家があまりにも多すぎます。なぜ若い人たちが子どもを産み、育てないか。家族の在り方、子育ての意味、さらには結婚の価値といったものが価値観の多様化と共に変化してきたことが影響しているのでしょう。しかし、それにも増して、若い人達の将来への不安は、子どもを産み、育てることを負担だと感じさせている。そうした若者の心理を理解しないままに、うわべだけの少子化対策など効果はありません。

デフレという世の中だからでしょうか。今の若い人たちの中には昔ほど夢や希望というものが感じられなくなったように思います。まるで目標を見失ったかのようです。昭和という右肩上がりの社会に生まれ、生きてきた私からすると、今の若者には物足らなさすら感じます。平成に生まれた我が家の息子たちもれいがいではなく、デフレの時代に生まれ、育ってきた彼らからは上昇志向というものは感じられず、彼ら自身、将来どんな大人になるのか目標を定めきれずにいるようです。

最近の子どもの「なりたい職業」のトップは「Youtuber」なのだそうです。うちの次男も小学校のころ、さかんに「Youtuberになりたい」と言っていました。「そんな不労所得に夢を見るなんて」と思ったものですが、私には現代っ子たる子供たちの胸の内を知る由もありません。彼らが支持するYoutuber達が作った動画のサブネイルを観ても、「東大理一と医学部 どちらがいいか」などというタイトルがついていて、「夢より現実」ってことなのでしょうか。これも今どきの社会情勢を反映したものといえるかもしれません。

本来、「東大理一と医学部」は「どちらがいいか」ではないはずです。東大の理一と医学部とを「将来、どんな仕事をしたいのか」「なにをしたいのか」という視点で観ていないことに違和感を感じるのは私だけでしょうか。そんな選び方をすれば将来必ず壁にぶち当たります。医学部に合格したとたんに目標を失い、気力をなくしたまま卒業していく人は決して少なくありません。それでも卒業できる人はまだいい方です。留年を繰り返し、国家試験をなんども受験することになればもはや無間地獄の苦しみしかありません。

生きるのが苦しいのは他人と自分を比べているから、という場合が多いようです。自分は他人からどう見られているのか。そんな「他者の価値観」に振り回されて人生を生きてみたところで、所詮「他者の価値観」なんて自分の中で作り上げた虚構にすぎない。「自分はなにをしたいのか」、もっといえば「自分はどう生きたいのか」という一番大切な問いかけを忘れて人生を無駄に過ごしてしまうことほど不幸なことはありません。他人がどうではなく、自分がどうあるべきかなのです。いつそれに気が付くか、です。

長男がまだスランプから抜け出せないでいるとき、自分が学校に行かないのは学校や先生たちのせいだと言っている息子を叱ったことがあります。「そんなに学校が嫌なら辞めなさい。高校は卒業させてもらうところ。学校や先生たちに悪態をつくのは学校を辞めてからにしなさい。学校や先生がいったいおまえに何をしたっていうんだ」と私は息子を叱りました。息子は納得いかないような表情で聞いていましたが、今はそのスランプから抜け出したかのように以前の彼に戻りました。結局、「自分はどうするか」なのです。

「なにをしたいのか」よりも「なにをすれば無難か」という生き方を選ぶ若者が増えているように思えるのもデフレ社会と無縁ではないと思います。将来に希望や期待よりも不安を感じる社会であれば、リスクを負わず、無難な生き方を選びたくなるのも無理はありません。確実性に乏しく、不透明な未来に希望を見いだせない若者を誰も批判できないのです。そう考えると、今の社会の在り方に暗い影を落としているデフレを克服することがなにより必要です。デフレの克服こそ日本の未来を明るいものにする第一歩なのです。

日本経済を立て直すことが喫緊の課題です。にもかかわらず、政治家のみならず多くの大人たちに景気を回復させようという気迫や真剣さが感じられないのはなぜでしょう。多くの大人たちはこう言うでしょう。「景気回復が重要なのはわかっている。にもかかわらずデフレ社会が続いているのは事の深刻さをあらわしている」と。「デフレが日本を覆っている深刻さ」なんてことは誰でもわかります。そんな愚痴が聴きたいのではない。回復させる具体策を聞きたいのです。

「覚悟はあるが策がない」と禅問答のような言いわけをする前に、なぜ消費税増税をしたのかわかるように説明してほしい。消費税増税が景気の足を引っ張ることはこれまでなんども経験してきたはずです。そのたびに回復し始めた日本経済の腰を折り、世の中をふたたびデフレに引き戻してきたではありませんか。大人たちは口々に言います。「日本の財政状況は厳しい。将来のために税収を確保しておかなければならない」と。しかし、これまでの消費税増税で税収はどれだけ増えましたか?日本の景気は回復しましたか?

消費税を増税して増える税収よりも、景気回復による税収の方がはるかに大きいことぐらい素人でもわかるはず。よく考えてみてください。この10月に消費税を増税し、景気の下振れを支えるためにどのくらいのお金が投入されましたか。軽減税率やポイント還元なんてまやかしにごまかされ、まんまと増税されたことから煙に巻かれたことに多くの人は気が付いていません。来年の今頃の日本はオリンピック後の反動で景気が悪化すると予想されています。すでに景気が減退基調に入ったことを示す指標すら出始めています。

日本をデフレから脱却させるため、「アベノミクス」と称する政策が進められてきました。ところが、もう少しでデフレを脱却できる、というときに二度も消費税を増税をする愚を繰り返すのはなぜなのか。本当にデフレを脱却させたかったのか疑いたくなるような信念のなさには理解に苦しむというよりは腹だたしいほど。「国際公約」の方が日本経済の回復よりも重要、とはなんと日本らしい律義さ(皮肉)。TVでは「消費税増税対策の節約術」などという番組を流してさらに景気を足を引っ張っているからあきれます。

もう一度いいますが、もっとも有効な少子化対策は景気回復です。日本の出生率を上昇させ、人口減少に歯止めをかけるためにも、一刻も早くデフレを脱却しなければなりません。生産人口を中心に人口そのものが減っているという危機的状況を外国人労働者を増やすことで解決しようとはあまりにも拙速すぎやしませんか。今の政治は間違っています。与党が、あるいは野党が国会で繰り返しているあの「ていたらく」。日本の将来に責任をもてる政治をちゃんとやってくれと言ってやりたい。パフォーマンスはもう結構。

国民も日本の将来をもっと真剣に考えるべきです。自分達の子どもや孫の未来のことをもっと自分のこととして考えるべきです。今、私たち大人がしなければならないことは節約をすることではなく、子どもたちや孫たちのためにももっと消費することです。将来のために消費税増税を認めるのではなく、消費税増税よりも景気回復を優先させる政策を求めるべきです。これまでがそうだったように、消費税の増税のせいで日本の経済あるいは財政は改善しないということにそろそろ気が付かなければなりません。

うっかりバブルを作ってしまった大人たち。日本経済をデフレに陥らせ、そのデフレを今だに克服できないでいる大人たち。その大人たちは若い人たちに償いをしなければなりません。それは彼らが引き継ぐ日本の未来を、少しでも明るいものに、素晴らしいものにするということではないでしょうか。大人たちの生活が豊かで、大人たちの老後に不安がなければそれでいいなんてことがあろうはずがありません。若者たちにどんな未来を残すのかについて、大人たちはもっともっと知恵をしぼらなければいけないのです。

私は「UVERworld」という日本のアーティストが好きです。すっかり昭和人間になってしまった私にとって、最近の歌はすっかりなじみの薄いものになってしまいました。がしかし、そんな私でも、このUVERrworldの歌は私の心に刺さってきます。それは彼らの歌の歌詞が素晴らしいからだと思います。今の若者の叫びというか、彼らのもがきのようなものが私を惹きつけるのでしょう。まるで私自身が若いころに感じていたことがそのまま歌詞となって歌われているかのように感じるためかもしれません。

今年最後のブログがなにかとりとめのないものになっていまいました。要するに私が言いたかったのは、日本の未来は若者たちにかかっているというよりも、今の大人たちが若者たちにどのような日本を残していくかにかかっている、ということです。私はこれからもその視点を忘れないで努力したいと思います。

来年が皆さんにとって今年以上に佳い年になりますように。そして、日本が、あるいは世界中の人が正義と希望と勇気に満ちた年になりますように。

 

**************** 以下、「I love the world」より

プラス、マイナスもとらえよう 進化をし、トライしよう
そう、ノイズ一蹴 「いつか」はもう今日だ

ずっとそこにあるのに見えずに気づかないバカになる前に
行こうぜ Get up ホントはそこにもここにもあるんだろ

(略)

さぁよく見ろ 大人を手本にすれば
そう 未来は暗いと保証されてる

でも不安なんて 唱えてないさ
僕らは今夜も叫んでいたい I love the world

(略)

その幸せは 誰かに勝つためじゃなくていい
僕らの笑う理由は 誰かを見返すためじゃなくていい

 

**************** 以下、「All alone」より

生まれの貧しさが 僕らの未来を決められなかったように
生まれの貧しさなんて 誰かと比べるものじゃないけど

自由や平等なんて言葉で これ以上導くのなら
答えてみろよ

(略)

自分自身の dislike 一番本当に悔しくて許せないことは
この特別な才能をもって産まれてこれなかったことなんかじゃない

この世界の どうでもいい 心ない言葉やただのフレーズに
押しつぶされそうになって すべてを一瞬で捨ててしまいそうになること
未来も この命も

※ この歌をすべて聴きたい方は こちらのPV をどうぞ

 

価値観の違い

17世紀、それまで強大な力で欧州全土を支配していたローマ帝国が急速に衰退していきました。そして、ついに神聖ローマ帝国が崩壊すると、欧州は宗教や民族などによって小国家に再構成され、独立国家が林立する地域へと変わっていきました。利害を調整し、紛争を回避するため、いくつかの国家はウェストファリア条約を締結し、国際法という基準を設けて不測の衝突が起こらないようにしました。ウェストファリア体制に至るまでの欧州の歴史は、貪欲なまでに富を求めて侵略を拡大し、宗教の名のもとに殺戮を繰り返してきました。混乱と破壊の中世から抜け出すことが近代国家への第一歩だったのです。

一国の利害はその国民の価値観や歴史観にも関わることでもあり、簡単に調整できるものではありません。今の日本をとりまく国際状況を見れば、それは容易に理解できると思います。歴史は史実に基づくものであるべきですが、その一方で史実の解釈には価値観やそれまでの歴史観が影響します。同じ歴史的事実を見るにせよ、その視点を変えるとまるで違った解釈が生じてしまいます。「大人の対応」をしても、それで相手の態度が変わらなければ意味がありません。善かれと思ってやったことに対して相手が被害者意識を持つこともあります。価値観の違いとは実に難しいものです。

国と国とのつきあいがそうであるように、たとえ親子であっても価値観の一方的な押しつけになってはいけないと思っています。価値観の多くが「良いこと、悪いこと」ではなく、「好き、嫌いの問題」だからです。もちろん、国際法のような基準が存在し、その基準に照らして判断できるときはまだいいのです。そうした絶対的かつ客観的な基準が存在しない価値観の問題は、どちらかが正しくて、どちらかが間違っていると言い切れないだけに、調和を図っていくために明確な答えはありません。たとえば家族内のもめごとの多くは、そんな価値観の相違から生じるのではないでしょうか。

若い頃の私は、しばしば両親と価値観の違いで衝突したものです。私の両親はどちらかというと自分の価値観を押しつけてくるタイプ。それに対して私は、自分の価値観を押しつけないかわりに人から価値観を押しつけられることに反発するタイプ。ですから、親から「そんなの常識だろ」といわれると、「それは誰の常識なんだよ」と言い返しては口喧嘩になることがありました。親が善かれと思ってやってくれたことが私には「ありがた迷惑」そのもので、拒絶する私に両親は「おまえにはありがたみがない」とよくこぼしていました。そんな光景はかつてほどではなくなったにせよ今もときどきあります。

価値観の違いを否応なしに認識させられるのが新婚のころです。生まれも育ちも異なる二人が同じ屋根の下で一緒に生活をするのですから、さまざまな局面で価値観の衝突が起こります。その衝突をうまくかわすことができたり、なんなく解決することができればいいのですが、いかんせん人生経験が圧倒的に足らない二人です。若い夫婦にとって価値観の違いを埋めたり、あるいは調整するという作業はそう簡単ではありません。かつては新鮮に見えたり、魅力的にさえ見えたお互いの価値観が、日常のありふれた光景になるにしたがってふたりの間に壁となって立ちふさがるようになってくるのです。

私たちもそうでした。新婚当初、なんども家内の価値観との違いにぶつかって「このまま一緒に生活していけるのだろうか」と思ったほどです。とてもたわいのない気持ちのすれ違いや、どうってことのない誤解が二人の間に溝を作り、その溝がまた新たなすれ違いや誤解を生む。こうした事態をどう解決したらいいのだろうかとひとり思い悩んだことが何度もありました。おそらくそれは家内も同じだったろうと思います。ふたりのゴタゴタは家の中に不穏な空気をつくります。幼かったころの私は、両親にとってはとるにならないゴタゴタであったとしても、家庭の中がいかに重苦しいものになるかを敏感に感じ取っていました。

ですから、新婚時代の私にとって価値観が衝突することは思いのほかストレスでした。価値観の違いそのものというよりは衝突により家の中の雰囲気が悪くなることがなにより嫌だったのです。私はどうしてそういう険悪な状況になってしまうのかを考えてみました。するとそこには一定のパターンがあることに気が付きました。そして、この負のパターンを断ち切るためにはどうすればいいか。あれこれ考えたあげく、家内と次のような約束をしようと決心したのでした。

① もしお互いに不愉快な思いをしても、翌日にはいつものように接すること。たとえ相手に
  100%の責任があると思ったとしても、できるだけ普段通りの接し方をする。

② 気分を害するような相手の言葉や態度についてはできるだけ相手に指摘するようにしよう。
  それができなかった場合でも、決して「口をきかない」などという非生産的なことはしない。

といったものでした。でも、相手の言動に腹を立てた翌日にいつも通りに接することは言うほど簡単ではありません。言い出した私自身も簡単にできたわけではありません。とはいえ、腹を立てているはずの相手がいつもどおりに接しようとしている姿に気がつくと不思議とこちらの気持ちが穏やかになるのを感じました。そして、100%相手が悪いと思っていても「こちらにも非があった」ということに気がつくことさえありました。そんなあのときの約束がなんとなく日常となって20年。努力の甲斐があってか、今の私達はむしろ新婚の時よりも仲がいいのではないかと思います。

価値観の異なる二人が同じ屋根の下で生活することになれば、多少なりとも自分の価値観を抑え、譲歩しなければならないときがあります。「価値観の譲歩」などというとたいそうなことのように思いますが、よく考えてみると実はささいなことで衝突している場合がほとんどです。カチンときても何日かすれば忘れてしまうようなたわいのないものばかり。そんなつまらないことで腹を立てたり、衝突しているのだということに気がつくことが大切。それに気がつけば、自分の価値観を振り回して他者を断罪したり、自分の価値観を押し通そうとすることがいかにくだらないかにも気がつきます。

私はまだ結婚していない若い人たちに「結婚は【ゆ・あ・が・り】が大切だよ」とアドバイスすることがあります。【ゆ・あ・が・り】の「ゆ」とは「(相手を)許す」ということ。「あ」とは「あきらめる」ということ。「が」とは「我慢する」ということ。そして、「り」とは「理解する」ということです。そんなことを言うと必ず「結婚生活ってつらいものなんですね」と笑われるのですがそうではありません。こうした努力が「明日の幸せ」につながるのです。そして、私は若い人たちに付け加えるのを忘れません。「【ゆ・あ・が・り】をしてまでも幸せな生活を築いていきたいと思う相手と一緒になりなさい」と。

国家間のあり方も同じです。どちらか一方だけが我慢する関係や、力づくで自分の欲しいものを奪い取る・奪い取られる関係はどう考えてもいびつです。ましてや、一方の国の誠実さや弱さ、相手の「人のよさ」につけこむような狡猾さをもっていては決して信頼関係を築けません。しかし、海千山千の国際社会において、国際法を守っていれば、正義を貫いていればどんな国でも正当に評価し、支持してくれるほど現実は甘くありません。どの国も国益をかけているのですから。でも、せめて家庭の中だけは心許せる安心・快適な場所でありたい。そのために必要なのは価値観の調整なのではないかと思います。

皆さんも家族の幸せのために【ゆ・あ・が・り】を実践してみせんか。