井の中の蛙

医師国家試験の合格発表がありました。今年は1985年以降で最高の合格率だそうです。わが母校・北海道大学の合格率はそれほど振るわなかったようですが、毎年あのような数字で相変わらずのマイペースです。ちなみに東京大学の合格率が90%を切っていて「あんなに優秀な人たちなのに」と不思議に思うかもしれません。でも、「医学部に入りたい」ということと「医師になりたい」あるいは「医学を学びたい」ということは必ずしも同じではないといういい証拠なのです。数学オリンピックや各種学術オリンピックで優勝するほどの学生が、医学部に流れて来てしまったばっかりに国試に落ちて宙ぶらりんになってしまったのでは頭脳を浪費したようなもの。本当に自分のやりたい学問の道に進んでいれば、彼らにとっても日本にとってもいいことなのにと残念です。それはともかく、6年間の長い学生生活の中でたくさんの履修科目の試験をクリアし、進級試験を切り抜け、卒業試験をパスした上での国家試験の合格。ほんとうにご苦労さまと言いたいです。と同時に、これからが本当の修練であることを肝に銘じて頑張ってほしいと思います。

ところで、医者には世間知らずと思われる人が少なくありません。それは大学を卒業するとすぐに「先生」と持ち上げられ、医療という特殊な世界にどっぷりつかってしまい社会常識を身に付ける機会がないまま大人になってしまうからかも知れません。私のまわりにも、自分の父親よりも年上の製薬会社の営業マンに「タメぐち」をきいてもなんとも思わない若い医者がいましたし、人に文句は言えても、日常の挨拶や、「ありがとう、ごめんなさい」という基本的なことも言えない医者もいました。医学生のとき、所属していたクラブの部室に外部から電話がかかってきたので、「○○は今不在ですが、ご用件はなんでしょうか?」と先輩を呼び捨てにしたところ、「先輩に向かって呼び捨てはないだろ」とその本人に注意されてびっくり。「社会ではそれが常識じゃありませんか」というと、「医療の世界と世間は違うんだ」とおよそ考えもおよばない言葉をぶつけてきた先輩もいて、世間知らずっているもんだなと思ったものです。一般社会とかけ離れているって意識をなかなか感じられない世界なんでしょう。

私がまだ北大病院で仕事をしていたころ、臨床実習でまわってきた学生に茶髪の男の子がいました。私たちのころとは違って、講義の時に最前列で缶コーヒーを飲める学生がいる時代になっていたので、茶髪の学生にはそれほど驚きませんでした(でも、白状すると「北大にもついに茶髪の学生かぁ」なんて思いました)。しかし、いくらなんでも臨床実習に茶髪はどうなんだろと思った私は、その学生に「その茶髪で実習にでてるのかい?」と疑問を投げかけてみました。するとその学生は表情も変えずに「はい、そうですけど」と。私はその平然とした様子に驚いたのですが、「もし、患者が『茶髪の医者にはかかりたくない』と言ったらどうするの?」と尋ねてみました。すると「そのときは僕以外の医者にかかるようにいいます」と。そして、「医者の力量と外見は関係ありませんから」と念を押す始末。私は唖然として、「それほどまで信念もって茶髪にしてるわけ?」とあきれていると、「いいえ、茶髪ってそれくらい大した問題じゃないってことです」とも。さすが北大生。妙に感心してしまい、それ以上何も言えませんでした。

限られた世界に身をおいていると、一般社会がどうなっているかに気が付かないばかりか、それが常識はずれを飛び越えて非常識であることにすら気がつきません。私が研修したのは公的な病院だったせいか、業者からの接待は厳しく制限されていました。私が医学部を卒業したころは、病院と企業の癒着が社会問題になりつつある時でした。ですから、当時は製薬会社が提供するボールペンすらもらってはいけないような雰囲気がありました。だからというわけではありませんが、医局の歓送迎会や忘年会・新年会は先生方の割り勘であり、製薬会社の営業マンが支払いをするなんてこともなく、私達研修医の費用でさえも先生たちが支払ってくれました。ところが、私立大学の医局に移ったとたんにそれらのほとんどが業者の支払いになっていることにびっくり。ある先生などは、病棟の看護婦さん達に「今日、夕飯をごちそうするから食べに行かない?」と誘っているので、「あの先生は太っ腹だな」と感心していたら現場には製薬会社の営業マンが待っていた、なんてセコい話しもありました。

こんな昔の光景は今は見られないのかもしれませんが、大学を卒業してからずっとそんな環境にいたら、それが一般社会では常識はずれだってことにも気がつかないんだなぁと当時思ったものです。最近、公務員が他の省庁や一般企業に出向するのが当たり前になっていますが、これもそうした弊害を防ぐためのものなのでしょう。その意味で、いちど社会人を経験した人を医学部に学士入学させることはいいことだと思います。一方で、医学部の学生のうちに一定期間だけ医師以外の職種を経験させることも重要です。学生のときに所属していたクラブの実習でいわゆる老人ホームでケアワーカーの仕事をしたことがあります。そのとき、当時の私のような若い男性に下の世話をさせることを嫌がるおばあさんがいたこと、その施設で働くケアワーカーの仕事がどれだけ大変で大切なことかということも、病院とは異なる場所で、医療従事者とは異なる視点を持てたからこその気づきでした。そのことがあってか、以後、病院で働いていても他の職種の人達のことを身近に感じることができたと思っています。

そういう私にも恥ずかしいエピソードがあります。二年間の臨床研修を終えた私は、私立大学の医局に入局することになりました。その医局の新入局員の先生たちと私は主任教授の自宅に招待されたのでした。教授のお宅は東京都千代田区一番町という都心の中でもイギリス大使館などがある静かな高級住宅地にありました。当時、オートロックなど見たことがなかった私はマンションの入り口の前に立っても扉がまったく開かないことに戸惑っていました。すると、中から出てきた住人らしき人に、それがオートロックドアといい、住民の部屋の番号をボタンで押して施錠を解除してもらわなければ入れないことを教えてもらいました。教授のお宅に入ると、すでに10人はいるであろう新入局員のほぼ全員がすでに勢ぞろい。「遅くなってすみません」といって私が部屋に入るとなにかただならぬ雰囲気が漂っています。遅れて入ってきた私を見るみんなの目が点になっているのを私は見逃しませんでした。みんなの視線を感じつつ周囲を見渡すと、すぐにその理由がわかりました。なんと勢ぞろいしているみんなは背広の正装、私はジーンズにボタンダウンシャツ姿だったのです。

自宅に招待してくださった教授ですらネクタイにスーツ。奥さまもよそ行きの服装です。すっかり恐縮している私に同僚が「せばた先生らしいよ」と言ってくれましたが慰めになっていません。でも、もうひとりの入局員がまだ来ていないことを教えてもらいました。実はその先生は私以上に正装をしそうになかったのです。私はラフな格好をしたもうひとりの仲間がやってくるのを心ひそかに期待して待っていました。しかし、その期待はもろくも崩れ去りました。その「正装しそうもない先生」ですらスーツ姿だったからです。自己紹介ののちに奥さまの手料理の数々に舌鼓を打ちながらの歓談でしたが、私はこの場から一刻も早く姿を消したい気持ちを抑えながら歓迎会を終えました。最後に教授ご夫妻を真ん中にして新入局員全員で記念写真の撮影。ところが、後日、病院で教授から直々に手渡されたその写真を見てまたまたびっくり。教授が背筋を伸ばしてかしこまっている横で、私は大胆不敵に足を組んでニヤけているではありませんか。以後、私は悟りました。自分はこういう世界・雰囲気にまったくなじまないことを。

「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があります。大海を知って成長する蛙もいますが、その大海の水があわずに、「やっぱり池の水の方がいいや」と開き直る蛙もいるのです。池に生活する蛙にとってあえて大海を知る必要があるか、という言い方もできます。どっちがどうと単純に割り切れないことではありますが、親から「おまえは変わってる」「お前には常識がない」と言われ続けてきた私にふさわしいエピソードでした。個人的にはいろんな蛙がいていいんだと思うんだけどなぁ・・・。

 

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