受験という人生

2月7日(土)と8日(日)の二日間、第120回医師国家試験(国試)が実施されました。医師になるためにはなんとしても合格しなければならない国家試験です。合計400問の問題が出題され、その70%以上を正解しなければ合格できない厳しい試験です。私たちのときの国試は600問の問題を3日間で回答する形式で行なわれていましたが、2018年(平成30年)から二日間で400問に変更されました。でも、問題数が減ったからといって易しくなったわけではありません。私たちのときとくらべると、最近の画像診断や治療方法ははるかに発達・進歩しており、その膨大な知識を必要とする今の試験は昔よりもはるかに難しいものになっています。

あれだけ勉強して医学部の入試を突破してきた医学生たちも、「今までこれほど勉強したことはない」というほどの勉強量を要します。「90%は合格できるのだから」といえるほど簡単な試験ではありません。「問題の70%を正解すればいいだけ」と励ます人もいますが、むしろ「上位何名までが合格」と定員が決まっていた方がどれだけ楽か。なぜなら、その年の試験の難しさに関係なく定員までは合格できるから。しかし、「70%以上の正解で合格」となればそうはいきません。難しい問題が多い年に当たってしまえば合格者の数もその分だけ減り、受験したときの国試の難易度によって医者になれるかどうかが左右されるのです。

医師国家試験が医学生にとってどれほどの重圧になっているかは、私自身が今もときどき国試に合格できなかった悪夢にうなされることからもわかります。私のこの悪夢は、国家試験を目前にしているのに、まったくその準備ができていない場面からはじまります。夢の中の同級生たちはすでに国試対策が完了していて自信満々です。私は心の中で「来年までの一年間しっかり勉強して試験に臨めばいい」と自分をなぐさめるのです。合格していく同級生達に取り残された孤独感。下級生達と国家試験を受けることになった屈辱感。来年の国試には無事合格できるだろうかという不安な気持ちに押しつぶされそうになって目が覚めるのです。

国家試験が終わるとまさに放心状態が続きます。開放感を味わう余裕もないほどくたくたになっているのです。国試が終ったあとの私の自室は、しばらくの間、プリントや資料が散乱し、医学書や問題集などが机に積み重なっていました。「合否なんてどうでもいい。とにかくやるだけのことはやったんだ」。そんなところでしょうか。そして、ホッとする間もなく、国試合格発表の日が近づいてきます。自己採点をしなかった私は再び緊張と重圧感でいっぱいに。私はそんな感情から逃れるように、千葉から来た両親と道内旅行をしました。無事合格の知らせが道北の旅館に届きました。両親はもちろん、旅館の方もがとても喜んでくれました。

戦後の医師国家試験でもっとも低い合格率は、1954年の第14回医師国家試験の64.1%だといわれています。このころの試験は今のようにマークシート形式の試験ではなく、筆記試験(記述式)と口頭試問でした。戦後の混乱期であり、国家試験の制度そのものが整備されておらず、問われる知識も採点する試験監督によってまちまちでした。また、当時は、質の高い医師を養成するという政策の一環として合否に関しては厳しい態度がとられていました。1984年(昭和54年)の第73回医師国家試験から筆記試験と口頭試問はマークシート形式に統一され、それまで春と秋の年二回おこなわれていた試験は1986年に年一回になりました。

こうした試験制度の変更は、マークシート形式の入試方法が導入されたことがその背景にあります。シート上に印刷された選択肢を鉛筆で塗りつぶし、OMR(光学式読み取り装置)によって読み取り、短期間に採点を終えられるようになったのです。以前の国立大学の入学試験は、一次試験と二次試験を課す大学も、また、一回の試験で合否を決める大学も、各大学が独自に入試問題を作っていました。しかし、大学が独自性を出そうとすればするほど、教科書の範囲を逸脱したいわゆる「難問・奇問」が誕生するなどして社会問題になりました。そうした問題を改善するために、1979年にはじまったのが「共通一次試験」でした。

共通一次試験の目的は、本来、学校教育での受験生の学習習熟度を測ることにありました。問題はどの教科もいわゆる教科書レベルに近く、「学校の勉強をまじめにやっていれば平均点はとれる」といわれるものでした。ですから、開始された当初、多くの大学は一次試験として5教科7科目(英・数・国・理2・社2)を受験することが必要でした。しかし、1990年から「大学入試センター試験」と名称が変更され、政府の主導で私立大学の入試においても利用されはじめました。そして、大学や学部によって要求される受験科目数はさまざまになりましたが、問題自体は難しくなり、教科書レベルだけでは対応できないものになっていきました。

2021年からセンター試験はさらに「大学入学共通テスト」と名称が変わりました。世界のグローバル化、国際化、多様化に対応する受験生を選抜するためだとされています。しかし、そうした「お花畑の理念」は、かえって教育の質を低下させ、受験生を翻弄しています。かつて、「ゆとり教育」がおこなわれていた時期がありました。教育内容の簡素化や教育時間の短縮などによって「受験戦争」と呼ばれる「競争の激化」を解消しようとしたのです。しかし、そのような小手先の改革は「受験戦争」と呼ばれる問題を解決しませんでした。むしろ、自主的に勉強していた生徒と「ゆとり教育」に乗せられた生徒との間で格差を生じさせるだけだったのです。

高校受験や大学受験、あるいは就職試験のように、合格定員のある選抜において競争となるのはやむを得ないことです。あらゆるところに競争が待ち受ける社会に生活する以上、競争と無縁ではいられないのです。「ゆとり教育」は「受験戦争」や「競争社会」から子ども達を守る改革と思われていました。しかし、実際には、その「ゆとり教育」は「逃れられない競争からのモラトリアム期間」にすぎなかったのです。現実に存在する競争を社会悪とし、子ども達をそこから遠ざけようとするのは間違いです。教育は少なくともそうした現実に対処するすべを子ども達に教え、「失敗を恐れてはいけない」と背中を押す存在であるべきです。

いくつかの理工系大学の入試ではいわゆる「女子枠」が設けられるようになりました。女子枠を設けて理工系学部における女子学生の数を増やそうというわけです。しかし、これも間違った改革です。よく考えてみて下さい。なぜ「理工系学部の女子学生を増やさなければならない」のでしょうか。社会のリケジョを増やすためですか。でも、なぜリケジョを増やすのでしょうか。ある人は言います。「男女平等参画社会を実現するためだ」と。そこまでして理系の職場に女性の労働者を増やすことが、どうして「男女平等」につながるのでしょうか。そんなことは単なる数あわせにすぎず、ことの本質が理解できていない人間が考える浅知恵です。

そもそも大学入試に「女子枠」を設置すること自体が「男女平等参画社会」という理念に矛盾しています。本来であれば、理系に進みたいと思う女子生徒を増やす工夫こそ必要です。もし、「女子枠」を設けるのであれば合理的な目的と理由が必要です。私は、医学部の入試において、男子枠と女子枠を別々に設けて募集すべきだと思っています。それは大学医学部には地方の病院に医師を派遣して地域医療を支える使命があるからです。とくに激務がもとめられる外科系の医師は地方の医療に欠かすことができません。しかし、医学部に女子学生が増えすぎれば、そうした激務に従事する医師の数が減り、地域医療を支えることができないのです。

もちろん、激務をこなす女医の数が増えれば問題ありません。しかし、現実問題として、今の男子学生ですら、そうした激務の科には進もうとしない傾向が高まっているご時世です。地域医療を守るためには、その大学医学部が必要としている医師の受給を考慮し、医学部の入試において男子枠・女子枠を設けて募集をかければいいと思います。今、理工系学部の入試に広がっている「女子枠」はそうした合理的な目的や理由をもっていないと思います。とくに、パイロット不足の解消を目的にした航空大学校での女子枠は、学科試験も免除という優遇ぶりにあきます。航空大学校の募集定員を増やせばいいだけの話しですから。

試験はひとりの人間が試されるとき。その人の努力、忍耐力、意志の強さのみならず、価値観や人生観までもが問われる場面です。人生の大切な局面としての試験は、だからこそ平等でなければなりません。しかし、平等とは必ずしも「同じであること」を意味しません。「男女平等参画社会」に代表されるような、今の社会を錯綜するスローガンは必ずしも平等のあるべき姿を正しく主張していないのです。受験という人生の大きなイベントだけは、社会のあり方に左右されないものであってほしい。その意味で、一発勝負であろうとも、受験生の負担が大きかろうとも、昔の受験制度の方が今よりよほど平等だったのではないかと思うほどです。

競争のない社会が平等なのではありません。格差のない社会が平等なのでもありません。誰もが競争に加わることができること、努力が努力として報われる社会こそが平等なのだと思います。そして、競争に失敗しても、何度でもチャレンジできる社会の実現が必要なのです。教育は子ども達にそのことを教える必要があります。頑張ることの尊さとチャレンジする勇気。頑張った結果にとらわれず、他者の価値観や人生観を尊重することの大切さを子ども達に教えるべきです。その意味で、男女の差違や区別を否定的にとらえたり、競争や格差の負の側面をことさらに強調する今の社会のあり方は間違いだと思っています。

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