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映画「トラ・トラ・トラ」

今年もまた12月8日がやってきました。1941年(昭和16年)の今日は、アメリカ太平洋艦隊の拠点でもあるハワイ州・真珠湾を日本が攻撃した日です。真珠湾攻撃からさかのぼること8ヶ月前、全国から集められた若手研究者による「内閣総力戦研究所」が組織され、日本とアメリカとの戦争が精緻にシミュレーションされました。日本はアメリカと戦って勝算はあるのかについて、若き秀才たちによってあらゆるケースが検討されたのです。日米戦争が日本の運命を大きく変えるものとしてとらえられていた証左です。

第一次世界大戦後の特需が日本を名実ともに「アジアの一等国」に押し上げました。しかし、その特需の熱気が収まると、今度はその反動で、日本はもちろん世界の国々は深刻な経済恐慌におちいりました。欧米先進国は植民地を拡大し、ブロック経済によって国益を確保しようとしました。その一方で、資源のない日本も中国・満州に活路を見いだそうとします。ところが、アジアに植民地を求める欧米諸国と対立し、日本は国際的に徐々に孤立していきました。アメリカと日本はフィリピンや中国での権益をめぐって敵対する関係でした。

折しもアメリカはヨーロッパでの英・独・ソの対立に巻き込まれ、欧州での紛争に不干渉の立場をとるモンロー主義との間に揺れていました。ヨーロッパでの戦火とは無縁だったアメリカ国民に、ヨーロッパにおけるアメリカの参戦をいかにして納得させるか。ときのルーズベルト大統領は腐心したといいます。ドイツ軍を挑発するアメリカ。しかし、ドイツは見透かしたかのように挑発に乗ってきません。アメリカはそのドイツと同盟を結んでいる日本を戦争に巻き込み、アメリカがヨーロッパに参戦する口実を得ようとしました。

第二次世界大戦の直接の引き金となったドイツのポーランド侵攻には石油確保という側面もありました。ドイツも日本と同様に石油資源に乏しかったのです。日本はマッカーサーが後に証言するように、資源らしい資源をほとんどもたない国です。とくに石油の多くはアメリカからの輸入に頼っていました。その石油をアメリカに禁輸されることは国家の存亡に関わります。しかも、中国・満州からの撤退そのものも求められました。そうしたアメリカからの圧力に屈することができなかった日本は開戦を決意します。

開戦当時の日米の国力の差は圧倒的でした。アメリカは大国としての地位を確固たるものにしていました。国民総生産は日本の12倍、石炭の国内産出量は日本の9倍、石油にいたっては日本の780倍です。これといった資源をもたない日本が勝てる相手ではありませんでした。しかし、帝国海軍連合艦隊司令長官となった山本五十六はアメリカに二度も留学経験をもつ知識派。その山本が日米の国力の差を知らないはずがありません。しかし、山本五十六はアメリカの政治に対する世論の影響力の大きさも同時に知っていました。

あれほど日米開戦に反対していた山本が、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃の指揮を執ることになったのはそのためです。つまり、全面戦争においては日本に勝ち目はない。しかし、もし日本が真珠湾での圧倒的な勝利をおさめ、アメリカの主力艦隊に大きな打撃をあたえることができれば、アメリカ国民の厭戦気分はさらに高まり、日米戦争を早期終結するための端緒ができるかもしれない、と山本は考えたのです。しかし、真珠湾にはそのアメリカに打撃をあたえるはずだった米海軍の主力空母がいませんでした。

山本五十六は誰よりも早く「これからの戦争はもはや巨大戦艦の時代ではない。圧倒的な航空戦力こそ必要」ということに気が付いていました。ですから、真珠湾にアメリカ海軍の主力となるべき空母がいなかったことに落胆します。しかも、真珠湾に大規模な攻撃を仕掛けてから1時間も経ってようやく米側に宣戦が布告された。山本は懸念していた事態になったことに気づきます。そして、周囲に「不意打ちになってしまった今回の攻撃は、眠れる巨人を起こすことになってしまったかもしれない」と漏らしました。

1970年に公開された映画「トラ・トラ・トラ」では、真珠湾攻撃前後の日米の駆け引きを史実に基づいて描いています。そのリアルさは、実際に攻撃に関わった日米双方の関係者をうならせるものだったといいます。この映画が作成された当時、私は小学生だったため映画館で直接観ることはできませんでした。しかし、その後、中学生になってTVで観て以来、再放映されるたびにテープレコーダーに音声を録音し、気に入った台詞を繰り返し覚えたものです。そのくらいこの映画のスケールの大きさに魅了されました。

「なぜ日本はアメリカとの無謀な戦争をはじめたのか」と疑問に思う日本人は意外と多くはありません。疑問を感じたとしても、真珠湾攻撃がときの大統領ルーズベルトが日本を挑発した結果だという見方を荒唐無稽と一蹴する人もいます。しかし、ルーズベルトの前大統領であるハーバート・フーバーが回想録「裏切られた自由」で日米開戦はルーズベルトに責任があると述懐しています。また、コロンビア大学教授で政治学者のチャールズ・ビアードが著作「ルーズベルトの責任」でも同じような主張を展開しています。

真珠湾攻撃の直前、開戦を回避するための日米交渉が決裂します。それは日本側が明らかに受け入れられない条件をアメリカが突きつけてきたからです。その最後通牒ともいえる公式文書「ハル・ノート」の作成に携わったハリー・デクスター・ホワイトはソ連共産党・コミンテルンのスパイでした。それはソ連崩壊後に公開されたヴェノナ文書で明らかになっています。ドイツと日本による挟み撃ちにあうことを恐れたソ連およびコミンテルンが、日本をアメリカと戦わせるように工作したのではないかと考えられているのです。

近衛文麿も実は(ルーズベルトと同様に)社会主義者だったのではないかと言われています。コミンテルンの間接的な影響を受けていたのではないかというものです。近衛は日米開戦を決断した総理大臣です。また、近衛文麿の側近である尾崎秀実も、日本軍が中国との泥沼の紛争に巻き込まれる大陸進出を推し進めた人物として知られています。尾崎は後にゾルゲ事件で逮捕され、ゾルゲとともにコミンテルンのスパイだったことがわかりました。取り調べは近衛文麿にも及びましたが、日米開戦によってうやむやになっています。

若き日の近衛文麿は、マルクス経済学を学ぶため、進学した東京帝国大学を退学して京都帝国大学に転学しています。また、藤原氏北家につながる名門の出である近衛は、昭和天皇に複雑な感情をもっていたともいわれています。つまり、あえて日本に敗戦をもたらし、天皇を皇室もろとも日本から排除する「敗戦革命」を画策していたのではないか、というのです。事実、日本の敗戦が決定的になったとき、近衛は「天皇には連合艦隊の旗艦に召されて、艦とともに戦死していただくことも真の国体の護持」と側近に語っています。

映画「トラ・トラ・トラ」にはこんなシーンがあります。ハワイ上空で真珠湾をめざす帝国海軍の攻撃隊は、飛行訓練を受ける民間機と遭遇します。日の丸をつけた多数の零戦や九九式艦上爆撃機、そして九七式艦上攻撃機に取り囲まれているのに驚いて急降下する訓練機。それを冷静に見つめる日本軍の搭乗員。日本軍は民間人の犠牲を最小限にとどめつつ最大の戦果を得るため緻密な計画と訓練を繰り返しました。その結果、この攻撃が大規模であったにもかかわらず、民間人の犠牲者は40名足らずだったといわれています。

その第一次攻撃のあと、いつまでも第二陣を発艦させない第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将は、あらたな攻撃をしないまま日本にもどることを命じます。旗艦で報告を待っていた山本五十六は、参謀に「南雲長官に攻撃命令を」と進言された際に「南雲はやらんだろう」と言ったとされます。そして、ハワイからの日本軍の撤退については南雲中将の判断を尊重します。南雲中将は山本五十六と同じように、もともと真珠湾への攻撃そのものに反対していました。そんな南雲の思いを山本は理解していたのです。

映画「トラ・トラ・トラ」にはそのときのやりとりを描いたシーンがあります。「針路反転帰途につけ」の信号旗を掲げたとき、南雲中将が参謀達に語る、日本の行く末を暗示するかのような台詞です。

南雲忠一(第一航空艦隊司令長官):「残念ながら敵空母は真珠湾にはいなかった。その現在位置がわからない以上、索敵に限られた燃料を消費することはできん。また、敵潜水艦が我々を捜し求めていることも忘れてはならない。今までが幸運だったのだ」

源田実(第一航空艦隊航空参謀):「しかし、攻撃は反復しなければなりません」

南雲:「違う。我々の任務は完全に達成されたのだ。このかけがいのない機動部隊を無傷のまま日本に連れ帰ることは私の義務である。戦いは今はじまったばかり。まだまだ先は長い」

実はここに登場した源田実は、私が大学生のころまで参議院議員をしていました。若いころの私はどちらかというと左翼的な思想を持っていましたが、その私でさえも歯に衣着せない彼の「正論(中国との国交回復の代償として台湾と断交することに毅然と反対した数少ない国会議員でした)」には一目置いていました。源田はこの映画「トラ・トラ・トラ」を制作する際の監修を行なったことでも知られています。実際に真珠湾攻撃に参謀として参加した源田実の監修だったからこそ感じられる緊迫感がこの映画にはあります。

真珠湾攻撃の圧倒的な戦果に沸く司令官達を前に公室を去る山本五十六には笑顔がありませんでした。その彼の表情はまるでこれからの日本を憂うかのように陰鬱でした。このシーンが、当時中学生だった私にとって一番印象的だったことを覚えています。

山本五十六:「私の意図は、宣戦布告の直後、アメリカの太平洋艦隊ならびにその基地を徹底的に叩き、アメリカの戦意を喪失させるにあった。しかし、アメリカの放送によると、真珠湾は日本の最後通牒を受けとる55分前に攻撃されたと言っている。アメリカ人の国民性から見て、これほど憤激させることはあるまい。これでは眠れる巨人を起し、奮い立たせる結果を招いたも同然である」

真珠湾攻撃での大勝利の後、日本は東南アジアの権益を確保することに成功します。それは戦争を継続するための資源を得る重要な戦果でした。ところが、昭和17年6月、真珠湾攻撃で空母を逃した失態を挽回するため、日本軍はミッドウウェーで再びアメリカ海軍に挑みます。しかし日本は大敗北を期し、日本海軍は逆に主力となる複数の空母を失います。それがその後の作戦に大きく影響して、以後、日本はアメリカに苦戦を強いられ、徐々に追い詰められていきます。山本五十六も昭和18年4月に搭乗機が撃墜され戦死します。

日本は総力戦研究所が予想したとおりの末路をたどります。昭和天皇はもちろん、山本五十六や南雲忠一らが反対していた戦争がなぜ起こってしまったのか。当時は戦争をあおるマスコミの世論操作も大きかったと聞きます。とはいえ、国民ひとりひとりが世の中のながれに流されず、自分のあたまで、ことの是非を考えていれば結果は違っていたでしょうか。今振り返ると、全世界を覆い尽くす戦争への大きな時代の波といったものが当時にはあったように思えます。そして、その波は今も影響しているように思えてなりません。

今日はそんなことを考えていました。是非、みなさんも映画「トラ・トラ・トラ」を見て下さい。そして、あらためて昭和天皇の開戦の詔勅を読んでみて下さい。過去を振り返ることは未来を考えることです。

 

子ども達に伝えたいこと

10月25日(水)に柏市の私立麗澤中学校でおこなわれた「職業別講演会」でお話しをしました。最近の小中学校では、子ども達が「将来、どのような職業に就くのか」を意識するきっかけになるよう、さまざまな催しが企画されるようになりました。麗澤中学校での講演会にはいろいろな職種の方達がいらっしゃり、働くことの楽しさ、大切さ、やりがいなどを、その職業に興味や関心をもっている生徒さん達にお話ししました。私は「医師」という仕事について40分ほどお話しをさせていただきました。

以前のブログでも書いたように、私が医師になりたいと思ったのは、小学校の入学祝いに野口英世の絵本をもらったのがきっかけです。そのときのことは今でも鮮明に思い出すことができます。当時の私は、小学校にあがるというのにまだ文字をまともに読めない子どもでした。しかし、その絵本のページをめくりながら、幼い英世が囲炉裏におちて大やけどをし、左手が不自由になりながらも世界的な医学者になっていく挿絵がなぜか子ども心に残ったのです。以来、私の将来の夢は「お医者さんになること」になりました。

しかし、親から「勉強しろ」と言われたことがなかったので、勉強とはまるで無縁の毎日を過ごしていました。しかも、宿題すら満足にしていかないのですから、学校のテストや通信簿の成績がいいはずもありません。だからといって運動が得意な子どもでもなく、どちらかというと苦手でさえありました。学校の長距離走大会ではいつもビリを争うようなありさま。息苦しさに歯を食いしばり、脇腹を押さえながら「なんのためにこんなことをやらなきゃならないんだ」などと考えて走っていたほどです。

勉強も嫌いで、運動も苦手な子でしたから、学校のいじめっ子のいい標的になっていました。いじめられても親には言えません。なんとなく親に心配をかけたくなかったからです。悩みを相談したり、愚痴をこぼせるような、親友といえる友達はほとんどいませんでした。でも、よく同級生に泣かされていた近所の友人とだけは妙に馬が合い、休日になると必ず一緒に遊んでいました。道ばたでキャッチボールをしたり、部屋にこもって何時間も話しをしたり。そんな小学生時代を過ごしていました。

中学生になっても「医者になりたい」という気持ちはありましたが、具体的にどうしたらいいのか、どうしなければならないのかを考えたことはありませんでした。でも、そんな私にも、中学三年生のときに大きな転機が訪れました。「ダメダメ小学生」だった私が少しだけ「勉強」に面白さを感じるようになったのです。楽しい思い出、懐かしい記憶がほとんどない小学校時代ではありました。しかし、なんとなく漠然と過ごしてしまった小学生の頃を挽回するような中学校時代だったと思います。

私が今こうして医師になれたのも、あの中学校時代があったからです。学校生活になじめず、友達もおらず、勉強も運動もぱっとしなかった私が大きな変化をとげたのがまさに中学生のときなのです。おそらく精神的にも成長し、高校受験という大きなイベントを前にして、将来のことをほんのちょっぴり考えるようになったからかもしれません。行きたい高校に合格するため、なにをすべきなのかを主体的に考えることができるようになったからだともいえます。医師になるための「本当の第一歩」がこのとき始まったのです。

その意味でも、中学三年生に対して「職業別講演会」を麗澤中学校がおこなったことには意義があります。なぜ自分は勉強しなければならないのか、自分はどのような人生を歩みたいのかを考えるいいきっかけになるからです。多くの子ども達はそんなことを考えずに高校に進学します。そして、なんとなく大学に、あるいはその他の学校へと進んでいくのです。私のような半生はきわめて例外的です。ある意味で失敗例でもあります。その経験を生徒さん達に知ってほしかったのです。

講演をするにあたって、麗澤中学校の生徒さん達に伝えたいことを次の四点にまとめました。

(1)医師は決して「楽しい仕事」ではないが、とても「やりがいのある仕事」

(2)「人の支えになる」ということは「人に支えられる」ということ

(3)どんな仕事をするのか、したいのかを具体的に考えてほしい

(4)目標に向かって「なにをしなければならないのか」を考えてほしい

子どもと大人の端境期にある中学三年生の生徒さん達に、これらのことをどのようにすればわかりやすく伝えられるだろうか。試行錯誤しながらスライド原稿を作っていました。ともすると「医者になったという自慢話」になってしまいます。あるいは子ども達が「医師という仕事はツラいだけで、気持ちが滅入るようなもの」ととらえてしまうかもしれない。だからといって、憧れだけで医学部に入って後悔させるようなものになってもいけない。そのバランスをどう図るかが難しかったです。

講演会の当日、教室の生徒さん達の前に立つと、北大時代に代々木ゼミナール札幌校で中学生を教えていたときのことがよみがえってきました。医学部の再受験に反対していた親には仕送りはいらないと啖呵を切って札幌に来ました。幸い、一度は大学を卒業していたので、大学生のアルバイトを採用していなかった代ゼミで働くことができました。そのおかげで学費や生活費をまかなうことができたのです。私の話しを聞いてくれる麗澤中学校の皆さんの真剣なまなざしは、当時の代ゼミの生徒さん達と重なって見えました。

講演の前半は、医学部に合格するためにどれほど勉強しなければならないのか(3000時間の法則)。そして、その勉強は医学部に入学しても続くのだ、ということ。それは決して楽なプロセスではなく、いくつもの関門が待ち構えていて、それらをひとつひとつ乗り越えてはじめて医師になれるのだということをお話ししました。後半は私の経験をふまえ、医師という仕事がいかに厳しく、責任をともなうものか。しかし、その仕事にはそうした困難を超える大きなやりがいがあるのだ、ということを強調しました。

本当は医師になってからの経験をもっとお話ししたかったのですが、中学生の皆さんにはむしろ医学部に合格するまでの私の紆余曲折をお話しした方がいいと考えました。私が医師として成長する中で、「人を支えることで逆に人に支えられている」ことに気づく体験談は、中学生の彼等にとって少し「重い話し」だと思ったからです。なので、生徒さん達には「そうした体験談は船戸内科医院のホームページに掲載した【院長ブログ】で読んでください」と伝えて講演を終えたのでした。

先日、学校から生徒さん達が書いた感想文が届きました。さっそく封筒を開け、一枚一枚を丁寧に読んでみました。すると、それぞれの生徒さんが私の伝えたかったことをしっかり受け取ってくれていたことがわかりました。医師という仕事のやりがいについてばかりでなく、私が実体験した「3000時間の法則(勉強の量は質に転化する)」のことや、それまで習っていたドイツ語を捨て、英語で大学を受験する決意をした高三からの体験などが生徒さん達には印象的だったようです。

「船戸内科医院の【院長ブログ】を読みました」と書いてくれる生徒さんもいました。このブログでは医師としての私がむしろ知ってほしいことを書きました。その記事をわざわざ読んでくれたことがとてもうれしかったのです。医師という仕事の醍醐味は、この【院長ブログ】に書いた「心に残る患者」にあると思っています。「悲しく、つらいこと」を乗り越えて「医者らしく」なっていくことの尊さを伝えたかったからです。そのことを感じ取ってくれた生徒さんがいて、講演をして本当によかったと思いました。

たくさんの感想文の中で、とくに私の心に残った生徒さんの感想を紹介します。素晴らしい文章なので、みなさんにも是非読んでいただきたいと思います。なお、掲載にあたっては、ご本人とそのご両親の了解、そして、学校の許諾を得たことを申し添えます。

 

****************** 以下、原文のママ

2023年10月25日 麗澤中学校3年生 職業別講演会 お礼状

3年A組 小村柚芽

この度は、とても貴重なお時間をいただきありがとうございます。

実は私も瀬畠さんと同じで、小さいときから医師になるのが夢でした。もちろん、今も医師になりたいと思っています。ですが成績もそれほど良くないですし、集中力も日によって変わってしまうので医学部は難しいのではないかと心のどこかで思っていました。しかし、瀬畠さんの講演を聞き、今からでも遅くないと気づかされました。医師になりたいという強い気持ちさえあれば勉強も辛いと思わなくなるだろうと思いました。

何度か「船戸内科医院のホームページを見て下さい。」とおっしゃっていたのでホームページの〝心に残る患者” を拝見させていただきました。自分が経験したわけでもないのに自然と涙がでてきました。ドラマや映画ではたいてい患者さんは完治し、笑顔で家に帰っていきます。ですがやはり亡くなってしまう方もいます。瀬畠さんのブログをみて、特に自分が主治医をした患者さんが亡くなってしまった事は特に心に残るものなのだなと感じました。

正直、今、怖いです。自分が担当した患者さんが自分の診断ミスで亡くなったら精神的に結構キツくなりそうだからです。でも、失敗を乗り越えてこそ1人前の医師になれるのかなと思いました。残念ながら1人前になるには失敗は必要だと思います。そこからどう変えていくかが大事なところなのかなと感じました。私の父も医師をしています。瀬畠さんと同じような経験をしたと考えると、とても心が痛いです。今、私にできることは勉強ももちろんそうなのですが、周りに居る人の支えになることもできると思います。今からでもできることはやっていきたいです。

私は改めて医師になりたいと思いました。そして、医師になれたら「この仕事をしていて良かった。」と思えるようになりたいと思いました。この度は本当にありがとうございました。

****************** 以上

 

小村さんの感想文を読んで、私は胸を打たれました。講演を通して伝えたかったことすべてをきちんと受け取ってくれたからです。とくに私が一番伝えたかったことを、小村さんは「そこ(失敗)からどう変えていくかが大事なところなのかなと感じました」と書いてくれました。大事なのはまさにそこなのです。人生にはゴールがありません。目標をめざして努力をする。そして、ひとつの結果がでてもまた新たな目標をめざさなければならない。その繰り返しの集大成が人生なのだということを小村さんはくみ取ってくれました。

感想文の中には「北海道に行ってみたい」と書いてくれた生徒さんもいました。このブログでも繰り返してきましたが、私は北海道(そして北海道大学)が大好きです。北海道の魅力は春夏秋冬それぞれに感じることができます。それをほんの少しだけ紹介したのですが、そのことを心にとどめてくれた生徒さんがいたのもうれしかったです。私の講演をきっかけに、北海道に旅行をして、あるいは北海道大学に入学して、北海道の良さを実感する人が増えてくれればお話しさせていただいた甲斐があります。

また、講演の終わりでお話しした私の「不思議な体験」に驚いた、と感想を書いてくれた生徒さんもいました。「生・老・病・死」に向き合う仕事をしているとときどき不思議な体験をします。医療従事者だからといってすべての人に同じような体験があるわけではないようです。これほど何度も「不思議な体験」をしているのはもしかすると私だけかもしれません。この「不思議な体験」は過去のブログに「あなたの知らない世界」として掲載してあります。興味のある方はそちらもお読み下さい。

「学校選びは職業選び」です。「どこの大学に行くか」ということよりも「将来、どのような仕事につくか」を考えることが重要なのです。大学以外の選択肢だってあります。しかし、中学生にはまだそうしたことの大切さは理解できないかも知れません。もしかすると親でさえもそれに気が付いていない場合があります。「偏差値の高い大学に行く」ことはあくまでも十分条件(※)であり、人生の目的を達成するための手段にすぎないのだ、ということがわかっていない人が少なくありません。

「SEEK WHAT YOU WANT, DO WHAT YOU MUST(なにがしたいのか、なにをすべきなのか)」

これは米国ミシガン大学の恩師に教えてもらった言葉。とある著名な研究者の言葉だそうです。「なにをしたいのかを探しなさい。そのためになにをしなければならないのかを考え、そして、実行しなさい」。この言葉は人生にとって大切な姿勢・態度を指摘しています。人生の目標が有名大学への合格で終わっている人がいます。一流企業への就職で終わっている人もいます。でも人生の醍醐味はそれだけではないはず。人生の目標は人それぞれであり、いろいろな形があるのだということを子ども達には知ってほしいと思います。

(※)十分条件とは「これがあればなお良い条件」のこと。それに対して「欠かすことのできない条件」を必要条件といいます。いずれも数学でよく使われる言葉です。

歴史の転換点

今回の原稿は、いつも当ブログを読んでいただいている、アメリカ・カリフォルニア州在住の日本人Yokoさんの「短歌通信」に掲載されたものです。
混沌とした現在の世界情勢、ならびに世界各地で勃発する戦争と争いについて感じたことをまとめています。Yokoさんのご了解を得てこれを掲載します。
ご自身の思想・心情と異なった内容によって気分を害された方にはあらかじめお詫び申し上げます。

******************** 以下、本文

1991年も終わろうとする12月末のことでした。札幌のアパートの自室で私は、モスクワ・クレムリン宮殿の丸い屋根に掲揚されていた鎌と槌、五芒星の赤色旗が降ろされるのをTVで見ていました。ソビエト社会主義共和国連邦がついに消滅したのです。人民に自由を許さず、反体制には粛正を繰り返す一方で、政権は腐敗し、経済運営はもはや修復不能なほど深刻になっていたソ連。国民に行き場のない閉塞感をもたらしていたその共産党一党独裁の国家は静かに幕を下ろしました。

ベルリンの壁が崩壊したのはその2年前。あれほど強固で高く、そして冷たい壁が、東西のベルリン市民の手で壊されていく光景に私は心の中で「歴史の転換点だ」とつぶやきました。壁につるはしを振り下ろす人たちのまなざし、そして、分断されてきた東西ベルリンの市民が抱き合って歓喜する姿は、冷戦が終わったことを実感させるものでした。それからほどなく世界中の社会主義諸国を支配していた超大国ソ連が瓦解するとは想像だにしていませんでした。

経済の低迷が続き、人民に厳しい生活が強いられる中、短期間で繰り返される権力闘争。それはまた共産主義の限界をも意味していました。そんなときに「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」を掲げ、西側諸国との相互依存、他の社会主義諸国との対等な関係を目指そうとゴルバチョフがソ連共産党の書記長になります。彼にはこれまでのソ連の指導者にはない魅力がありました。ソ連の国民はもちろん、東欧諸国の国民も、西側の指導者たちでさえも期待と希望をもったに違いありません。

しかし、「自由」を知らない共産主義国家の人民にとって、ゴルバチョフが導入しようとした「自由」はまさに「禁断の果実」でした。国民にゴルバチョフは、極楽の蓮池の縁に立って地獄に蜘蛛の糸を垂らす釈迦に見えたかもしれません。自由を求める声はやがて人間の強欲な本性をあらわにし、その大きなうねりを利用して権力を得ようとしたエリツィンが登場。彼は湧き上がる国民のエネルギーを利用し、ゴルバチョフを窮地に追い込みました。そして、ついに世界のスーパーパワー・ソ連が倒れたのです。

ソビエト共産党が消滅し、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊。そして、東欧の独裁国家の指導者が人民の力によって次々と追放されていったとき、私は「これで自由で明るい世界がやってくる」と思いました。世界革命の名のもとに何百万人もの自国民を粛正し、圧政によって人民の自由を奪い、徹底した秘密主義によって西側と対峙していたソ連こそが諸悪の根源だと思っていたからです。ソ連の崩壊によって東西の対立はなくなり、真の民主主義を世界中の人々が享受できるものと楽観していました。

しかし、現実は予想していた以上に厳しいものでした。自由を奪われ、抑圧されてきた国民に鬱積したエネルギーは、一気に国家を飲み込みながら東側社会を大きく揺さぶりました。独裁的な権力によってなんとかまとめられてきた国々の「パンドラの箱」が開けられてしまったのです。ソ連という後ろ盾を失った為政者が消えて国内がまとまるほど問題は単純ではありませんでした。宗教の対立や利害の衝突によって混乱は極まり、社会主義だった国々の多くでは今もなお政治的に不安定です。

 

 

私は「歴史的事実を現在の価値観で判断するのは間違い」だと思います。それは事後法で裁くようなものだからです。人類はこれまでの過ちを乗り越えて進歩していかなければなりません。過去にとらわれることは歩みをとめることです。その一方で、過去を振り返らないことは同じ過ちを繰り返すことにもつながります。最大多数の最大幸福を実現するため、人類が過去に犯した過ちを振り返りながら、英知を集めて過去の過ちを乗り越えていくべきなのです。

今、ウクライナでは大規模な戦争が続いています。ウクライナにはチェルノーゼムと呼ばれる肥沃な土壌が広がり、「東ヨーロッパの穀倉地帯」ともいわれる世界有数の小麦の大産地になっています。南部のクリミア半島は温暖な保養地であると同時に軍事的な要衝でもあり、東西ヨーロッパの緩衝地帯として政治的に常に不安定な場所となっていました。ウクライナはかつてはキエフ公国という大国として栄えましたが、異民族の侵入をたびたび受け、モンゴル来襲をきっかけにその中心はモスクワに移ったのでした。

ロシアの大統領プーチンがウクライナを「特別な場所」というのはこのような背景があるからです。しかも、歴史的にソ連の一部だったころの影響で、ウクライナの東部にはロシア系の住民が多く住んでいます。東ウクライナに住む住民の30%あまりがロシア人なのです。ウクライナはロシアからヨーロッパに送られる原油や天然ガスのパイプラインの中継基地であり、ソ連時代から天然資源にまつわる利権が存在しています。そして、今般の戦争にその利権が暗い影を落としています。

米国バイデン大統領の息子ハンター氏がそのウクライナの大手資源会社ブリスマの取締役を務めていたことが知られています。しかもそのブリスマの不正を追及しようとしたウクライナ検察にバイデン大統領自身が圧力をかけたともいわれています。ソ連国内の国営天然資源会社の多くが、ソ連崩壊後、米国のユダヤ資本に買収されました。ウクライナに誕生した財閥もその多くがユダヤ系ウクライナ人によるものであり、ウクライナの天然資源の利権にも米国のユダヤ資本が深く関与しているのです。

東西の冷戦が終わろうとしていたとき、ソ連ゴルバチョフと米国ブッシュ(父)との間で「ウクライナにNATOは一切関与しない」との約束が密かにかわされました。しかし、その約束は徐々に反故にされ、近年、ウクライナのEUとNATOへの加盟が検討されるほどになっていました。2000年にロシアの大統領になったプーチンがまず着手したのは、米国のユダヤ資本から旧ソ連の国営企業を取り戻すことでした。それをロシアに対する脅威と感じたからです。

それはまたウクライナのEUやNATOへの接近も同じでした。今のウクライナ戦争にはそうした背景があります。プーチンがあれほどウクライナに執着するのは単なる領土的な野望からではありません。もちろん、武力によって現状の国境を書き換えようとすることは許されません。今回の戦争に対する責任はロシア・プーチンにあることは明らかです。しかも、ロシア軍の非人道的な行為については国際法上も、あるいは近代国家としてのマナーからいっても弁解の余地のない蛮行です。

「ウクライナはもともとロシアの一部」といったところで、現在の国境の適否を歴史に求めても結論は出ません。歴史のどの時点を起点にするかで変わってくるからです。現在の国境をとりあえず保留にした上で、国家間の信頼と友好を築いて平和的に解決するという方法しかないのです。それには長い年月がかかります。もしかすると永遠に解決できないかもしれない。しかし、だからといって国際紛争を解決するために、まるで中世のような野蛮な方法を選ぶのは近代国家ではありません。

 

 

最近再燃したイスラエルとハマスとの戦闘も同じです。ユダヤの人々にすれば、パレスチナはかつての自分たちの王国があった場所。神から与えられた特別な場所、「約束の地」です。エルサレムにはユダヤ王国の城壁の一部が「嘆きの壁」として残っています。一方、イスラム教徒にとってエルサレムはムハンマドが天に昇っていったとされる聖地であり、キリスト教徒にすればイエスが十字架にかけられた聖地でもあります。どの宗教にとってもパレスチナが特別な場所であることにかわりはないのです。

源流は同じとはいえ、今や異なる宗教となってしまったユダヤ教とイスラム教、そして、キリスト教を交えた信者間での争いが絶えません。しかも、信仰の名の下に人の命が軽んぜられているかのような対立は、日本人には理解しがたいところではあります。しかし、今のパレスチナの問題がここまで根深く複雑なものになったのはイギリスの「三枚舌外交」と呼ばれる大国の傲慢さのせいです。アラブ人やユダヤ人と別々に交わした、パレスチナの帰属をめぐるイギリスの不誠実で不道徳な約束が原因なのです。

古代から常に周辺諸国の侵略を受け、異端の奴隷としての身分に甘んじていたユダヤ人。世界中にディアスポラ(離散)して約2000年。第二次世界大戦時のホロコーストを乗り越えて、1947年にようやく自分たちの国家イスラエルを神との約束の地であるパレスチナに建設しました。しかし、それまで住んでいたパレスチナ人、アラブ人との軋轢というあらたな問題に直面するのです。しかも、イスラエルは国連で定めた境界を越えて入植者を次々と送り出します。その数は今や40万人におよびます。

当然、両者の衝突は激化。近代国家としての歩みを進めるイスラエルに、パレスチナ人たちがまともに立ち向かえるはずがありません。イスラエルにゲリラ戦をしかけて対抗するパレスチナ人は次第に過激になっていきました。しかし、長い抗争の末、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長はイスラエルとの和平の道を選択しました。イスラエルと妥協することによってパレスチナ人の土地を守ろうとしたのです。しかし、パレスチナ人の土地とされた地域へのイスラエルの入植は続きました。

徐々に先鋭化し、過激化する反イスラエル運動はハマスに引き継がれました。その一方で、イスラエルとの共存を選択したパレスチナ人はファタハという組織を作ります。ハマスというとパレスチナ人を代表していると漠然と思っている日本人は少なくありません。しかし、ハマスを支持するパレスチナ人は10%足らずにすぎません。ハマスはもはやパレスチナ人を守るのではなく、イスラエルを駆逐するためのテロリストと化しているからです。多くのパレスチナ人は長い戦いに疲弊しています。

ハマスは世界中から集まるパレスチナへの資金で軍備を整え、指令を送る幹部たちは外国で優雅な生活をしているといいます。ガザ地区ではイスラエルからの攻撃に備え、軍事施設を学校や病院に作り、一般市民を人間の盾にしています。先日のイスラエルに対する攻撃でも、多数のイスラエルの一般市民を無差別に、恣意的に殺害しています。婦女子を陵辱し、子どもや幼子を無残な方法で殺している事例すらあります。その目的がどうであれ、一般市民を無差別に狙ったテロ攻撃が容認されるはずもありません。

マスコミの報道を見ていると、しばしばハマスの活動を肯定的に述べる「識者」がいます。それはあたかも「入植を続けるイスラエルが悪い」と述べているかのようです。それは一面で正しいかもしれません。しかし、一般市民を無差別に狙ったテロ行為はその理由、目的、事情の如何を問わず容認してはいけません。ハマスは国家ではありません。パレスチナ人の意思を代表する組織ですらありません。単なるテロリスト集団です。パレスチナに住む人たちとイスラエルの共存を望まない集団でもあります。

ウクライナの問題も、パレスチナの問題も、その正当性を歴史に求めても結論はでません。現在の価値観で過去の史実の善悪、適否を問うことはできないのです。ウクライナがかつてソ連の一部だった事実で今の戦争を正当化することはできません。イギリスの三枚舌外交によってパレスチナの地にイスラエル建国が強行されたからといってテロ行為も正当化されません。現状を現状として棚上げした上で、相互のよりよき未来に向けてどうすることが一番望ましいのか冷静に考えなければならないのです。

 

 

最近頻繁に「多文化共生」という美しいスローガンを見かけます。しかし、歴史的な背景も異なれば、民族としての価値観も異なる異文化が共存することがはたして可能でしょうか。そもそも多文化共生がうまく機能している国家がどこにあるのでしょうか。人種のるつぼと呼ばれるアメリカでさえも、その不幸な歴史を乗り越えることができないまま混迷を深めています。その混迷は今後さらに深刻化するだろうともいわれています。積極的に移民を受け入れてきたヨーロッパも異文化の共存が不可能である事例となりつつあります。

戦争や争いは異文化の衝突でもあります。同じ価値観を有していれば、利害の対立はさほど深刻なものにはならないのです。異文化が共存するのは、どちらかの数が圧倒的に多いときか、さもなければどちらかがどちらかに同化したときです。数が拮抗する異文化は共存できません。共産主義連邦国家・ソ連の崩壊は多文化共生の失敗をも意味しています。冷戦終結後の世界の混乱はグローバリズムの失敗だといえなくもありません。最近の世界に広がりつつある大国の覇権主義はこうした世界史の教訓に学んでいないようです。

今こそ、「多文化共生」という幻想を捨て、国家としての、あるいは民族としてのアイデンティティーを確立することが大切であるように思います。その上で国家同志がウィンウィンの関係を築くためにどのように協調していくかを考えるべきです。世界のこれまでの歴史はその方向性を示しています。また、そうした協調主義がお互いの民族性や文化を尊重することにつながるのではないかと思います。それこそが真の「多文化共生」なのではないでしょうか。

戦後の日本はさまざまな「争い」から逃げてきました。「歴史の転換点」ともいえる今、日本こそが世界の争いを政治的にも軍事的にも積極的に調停する国家として生まれ変わってもいいのではないか。そんなことを夢想する今日この頃です。

尻馬に乗る人たち

このブログにふさわしいことかどうか迷いましたが、黙っていられないので少し書きます。これまでこのブログに掲載したものは一本たりとも消去することなく掲載しています。しかし、今回の記事に書くような内容は、それぞれの個人の価値観に関わるもの。どれが正しくて、どれが間違いかを断定することができません。ですから、あとで私自身が不適切だと思った時点で消去するかもしれません。

*************** 以下、本文

私は子どものころから、親によく「おまえは変わってるね」と言われてきました。確かに、今、振り返ってみても、いわゆる「普通の子」ではなかったように思います。なにが「普通」なのかはっきりしませんが、それでも他の子ども達と違っていたことは、当時の自分もなんとなく自覚していました。簡単にいえば、誰かの指示の通りに動くことができなかったのです。指示通りにしたくなかったといえるかもしれません。同調圧力のようなものを感じたときはなおさらだったように思います。

親戚の子ども達が集まったとき、「みんなでトランプをやろう」と盛り上がっても、私だけは「僕は見てるからいいや」とみんなの輪からはずれました。「どうして?一緒にやろうよ」と言われれば言われるほどかたくなでした。そのときの私は、みんながトランプをしているのを見ているだけで楽しいのに、なぜ「一緒にやらなければならないのか」と思ったのです。でも、そんな私を見ていた親は、仕舞いには「どうしてそうなんだろ。おまえはほんとに変わった子だね」とあきれていました。

日本で開催されたバレーボールの国際大会がTV中継されたときのこと。日本チームに対する応援はいつになく熱を帯び、会場には「ニッポンっ、ニッポンっ」と大声援がこだましています。そして、日本の好プレイのときばかりでなく、相手のチームがミスをするたびに大きな歓声が沸きました。それを見ていた私は、日本チームへの歓声が大きくなればなるほど相手チームを応援していました。観客の応援からは相手チームに対するリスペクトを感じず、一糸乱れぬ熱狂的な応援ぶりに気持ちが冷めてしまったからです。

これまでの例えと本質的には異なることですが、今の「ジャニーズ問題」には、私の「あまのじゃく」が敏感に反応しています。私はジャニーズ事務所などなくなってもいいと思っています。いっそのこと、芸能界そのものがなくなってもいいくらいです。しかし、最近のジャニーズ事務所への「いじめ」のような報道のあり方、社会の反応には「大いに問題あり」だと思います。これは正義の名を借りた制裁だからです。しかも必要以上の制裁であり、場合によっては不当な制裁ですらあるからです。

今回の「ジャニーズ問題」の本質を考えてみましょう。多くの人は故・ジャニー多喜川氏による「性加害、とくに未成年者に対する性加害」の責任を追及していると思い込んでいます。しかし、よく考えてみてください。今、マスコミが、社会が責めているのは誰でしょうか?すでに亡くなってしまった加害者本人の責任を追及しているでしょうか。すると人は言うでしょう。「それを見逃してきた事務所にも責任がある」と。でも、見逃してきたのは事務所だけですか?その責任を追及する側にも責任はありませんか。

これまで性加害の存在をうすうす知っていながら、見て見ぬ振りをしていた人たちに責任はないのでしょうか。故・ジャニー多喜川氏の力と金を利用してきたTV局をはじめとするマスコミ、そのタレントを使ってきた企業はもちろん、タレントを守ってこなかったファンにも、自分たちの子どもをジャニーズに入れてきた親たちにも責任がないとはいえないはず。多くの人たちにも多かれ少なかれ責任があるというのに、なぜ、今、事務所ばかりがあれだけの批判を受けなければならないのでしょうか。

ジャニーズ事務所との契約を解除する企業があとを絶ちません。それは「性加害があったから」ではありません。「性加害があったことが公になってしまったから」です。どの企業も性加害の存在に目をつぶり、これまでタレントを番組に出演させ、CMに起用してきたではありませんか。そうした企業がまずすべきことは、これまでの経緯を猛省し、自らのコンプライアンスを見直すことから始めるべきです。なのに、まずは事務所を切り捨てるという身勝手さ。それはまるで自分たちの責任から逃げるかのようです。

経済同友会の新浪剛史氏は記者会見で「これからもジャニーズ事務所の所属タレントを使うことは小児虐待を認めること。国際的にも理解されることではない」と述べました。まるで他人事です。今回の事件について、こんな英雄気取りの経営者がいる企業がどんな会社かは推して知るべし。そもそも企業が、そして社会が守るべきなのは性被害にあったタレントたちのはず。事務所を切り捨てれば、そうしたタレントたちは救われるのでしょうか。まず守るのが自分たちの企業ブランドというのはあまりにも身勝手すぎます。

尻馬に乗る人が多すぎませんか。「水に落ちた犬は叩け」という言葉があります。これは窮地に落ちたライバルは非情になって蹴落とすべし、という意味に解されます。まさしく今のジャニーズ事務所が置かれた状況を表しているかのようです。しかし、この言葉は本来、「水に落ちた犬は叩くな」という日本の慈悲のことわざを、中国の魯迅が「水に落ちた狂犬には情けをかけるな(助けても襲われるだけ)」という意味で「叩け」と代えたとされています。ジャニーズ事務所ははたして狂犬なのでしょうか。

「福島を守れ」といいながら「フクシマを忘れるな」とカタカナ書きにして差別し、「福島を支えよう」といいつつ、処理水を「汚染水」と呼び、それを「Fukushima water」と書いて福島沖の魚までを汚れたものにでっちあげる。この人たちにとっては、福島のこと、福島県民のことなどどうでもいいのです。自分らのイデオロギーの拡散に利用しているだけですから。このような偽善の裏に「ことの本質」など関係ありません。なに(だれ)を守って、なに(だれ)を支えなければならないのかなどどうでもいいのです。

ついでに言えば、東日本大震災で発生してしまった原発事故は、これまで経験したことのない大地震、そして、予想をはるかに超える大津波が原因です。東京電力を犯人扱いすることは間違いです。東電は事故後まさに懸命な作業で危機を救ってくれた恩人ですらあります。そもそもが、関連死とされる人はいても、原発事故で直接亡くなった人は一人もいません。責任うんぬんをいうのであれば、それまでの原発頼りだった政府のエネルギー政策であるはず。東京電力そのものではありません。

2万人あまりの死者・行方不明者をもたらしたのは津波。想定をはるかに超える大津波に対策を講じてこなかった東電に責任があるのであれば、そうした津波を想定して巨大な防潮堤を建設し、たくさんの住民を移住させなかった地方自治体の責任はもっと大きいはず。東北各県・各地域の被害の補償を都合良く東京電力ばかりに押しつけるのは合理的ではありません。あの震災においては東電だって被害者。みんなが被害者なのです。にもかかわらず、尻馬に乗って「東電叩き」をする人のなんと多いことか。

ジャニーズ問題や原発事故に対する個人の感情はさまざまです。合理的に判断できる人もいれば、感情的になってしまう人もいる。それは仕方ないことです。しかし、人の尻馬に乗っかって、一緒になって「溺れる犬」を叩く人が私は嫌いです。ましてや相手の闇を知りつつ「持ちつ持たれつ」でうまくやってきたのに、その弱り目に乗じて叩く側に回っても平気な卑怯者が大嫌いです。そうした恥知らず(の人や企業)はいつかまた同じように他人(消費者・社員)を利用し、自分が窮地に追い込まれれば平気で踏み台にします。困ったときに真の友人、人の本質がわかります。こういうときにこそ冷静な観察眼を持ちたいものです。

 

 

ワクチンの現状

今、松戸保健所管内において新型コロナウィルス(COVID-19)に感染する人が増えています。それは日本全国いずれの場所においても同じだろうと思います。毎日診療をしていても、「これはCOVID-19に感染したケース」と思われる患者がお盆前からとても増えているという印象です。現に、抗原検査をして陽性となる人も毎日何人もいて、感染が拡大していることはほぼ間違いないこと。インフルエンザもちらほら見かけますが、流行しているといえるほどの広がりはなさそうです。

「流行している」とはいっても、従来のCOVID-19のときとその様相はまったく異なります。まずは感染者の重症感の違いがあげられます。以前であれば重症になってしまうことを一番に心配しなければなりませんでした。しかし、今の感染者にそうした心配をする必要はほとんどないといってもいいでしょう。ワクチン未接種あるいは数年前から接種していない人たちは多少の重症感をともなっていても、ほとんどの感染者は「おおむね風邪症状」で済んでいます。数年前とはまったく違うのです。

なにがこの変化をもたらしたかについて考えてみると、その原因にはふたつの要因が考えられます。ひとつはウィルスの変異。もうひとつはワクチンの効果です。これまでなんども書いてきたように、ウィルス学においては「ウィルスは容易に遺伝子変異が起こる。そして、感染力を増すと同時に危険性は低下する」と教えられます。COVID-19のその後の遺伝子の変異はこうしたウィルス学の説にしたがって変化しているといえます。「感染者は増えているが重症者が増えていない」を裏付ける根拠といえるでしょう。

9月から新型コロナウィルスワクチンは「オミクロンXBB株対応」に変わりました。従来の「オミクロンBA.4株およびBA.5株対応」ではなく、あらたな流行株に対するワクチンになったのです。中国で発生したといわれる当初のCOVID-19は武漢株と呼ばれます。その後にウィルスの遺伝子は次々と変化し、アルファ株、デルタ株と呼ばれる変異株となっていきました。そして、2021年末にオミクロン株と呼ばれる変異型が出現。そのオミクロン株も、その後BA.4、BA.5といった亜株に、さらにXBB株に分かれていくのです。

XBB株は生体の免疫から逃れる性質をもっており、感染力が従来の亜株にくらべて強いことがわかっています。その感染拡大を阻止するために「XBB株対応」のワクチン接種がはじまったわけです。しかし、昨年の秋から接種が勧められてきた「オミクロンBA.4株、BA.5株対応」のワクチンが無効かといえばそうではありません。重症化あるいは入院する危険性を低減する効果も確認されているので心配ありません。ですから、あわてて「XBB株対応」のワクチンを接種しに行く必要はないのです。

実は、日本で流行している株はもはやXBB株ではありません。最新の報告を確認すると、日本やアジアの国々における流行株はEG.5.1と呼ばれるものに変わっているのです。アメリカやイギリスは今もXBB株が流行しているのとは対照的です。なぜそのような違いが生じたのか(変異のスピードが異なるのか)については今後の研究成果を待たなければなりませんが、個人的には人種の違いが大きく影響しているのではないかと思います。公衆衛生に関わる国民性の違いも間接的に影響しているかもしれません。

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昨日、コメントをいただいた方からご紹介のあった動画を観ました。ワクチンに関する噂ばかりをまとめた下世話なものではなく、大学の研究者が比較的冷静にワクチンの問題点を指摘した誠実な動画だったように思います。しかし、率直な感想を申し上げると、ワクチンに対する批判的な視点から構成されているようにも感じました。ワクチンについては中立的な立場の(と思っている)私にすれば、いくつか注意して見なければならない点があると思いました。そのいくつかを列挙します。

1)ウィルスと細菌の違いは無視できない

動画では「予防接種はかくあるべし」の代表例としてBCGが挙げられています。「BCGは確実に感染者の数を減らしているのに、新型コロナウィルスは感染の再燃を繰り返している(だからワクチンは無意味?)」という意図が透けて見えます。しかし、BCGは「弱毒化した細菌(結核菌BCG株)の菌体成分」を体内に直接接種して抗体を作るというもの。それに対して新型コロナウィルスワクチンは、ウィルスのいち部分(スパイクタンパク)を作るRNA遺伝子を注入し、生体の細胞自身にスパイクタンパクを作らせて抗体を生じさせるもの。BCGと新型コロナウィルスワクチンの効果を比較するのは正しくありません。

2)背景が異なる数字は比較できない

動画ではワクチン接種の有無や回数の違いが感染率にどう影響しているかを説明しています。そして、「ワクチンの回数が増えても感染率は低下するどころか増えている」と主張しています。数値を比較するときは、その前提条件が同じでなければなりません。感染者の数は検出する検査の感度によります。ワクチン接種が始まる前と接種回数が増えてからでは検査の感度は異なっています。当然のことながら検出感度はどんどん鋭敏になっています。つまり、それまで拾いあげられなかった感染者が最近では拾い上げられているのです。検査の数自体も比較にならないほど増えていることも見逃せません。

従って、動画で紹介されている感染率の推移をあらわすグラフは、ワクチン接種の回数ごとに単独で比較しなければなりません。そうすると年齢層が高くなるにしたがって感染率が低下していることがわかります。感染リスクの高い高齢者になるほど感染率が低下しているのはなぜか。それはワクチンの接種率が高いからという結論にもなります。本来は対人口あたりの重症者数で見るべきなのです。重症者のカウントは流行当初も最近もさほど大きな変化はないはず。これまでの重症者の数の推移を見れば、最近の流行の状況がいかに落ち着いているかが理解できます。その要因のひとつはワクチンなのです。

3)ワクチンには必ずリスクがある

新型コロナウィルスワクチンに限らず、すべてのワクチンの接種にはリスクをともないます。危険性のまったくないワクチンなど存在しないのです。その意味で、動画で解説していた研究者の「(接種してはいけないではなく)リスクを知った上で接種すべき」という意見は正しいと思います。新型コロナワクチンによる血栓症の報告は有名です。その発症機序も動画の説明で十分理解できます。ワクチン接種を繰り返すことによる免疫寛容(免疫力が低下すること)の可能性も決して想像上の話しではないと思います。逆に免疫力を高めてしまっている可能性を思わせるケースだってあるほどですから。

最近、当院に来院する帯状疱疹の患者が増えています。他の皮膚科のクリニックでも帯状疱疹の患者が増えているといいます。帯状疱疹はまさしく免疫力が低下しておこるもの。何ヶ月かおきに同じワクチンを接種するなどということは過去に経験したことはありませんでした。そうしたことによって免疫寛容がおこり、帯状疱疹となった患者が増えていると考えても矛盾はありません。もちろん確証はありません。しかし、蕁麻疹や円形脱毛といった免疫に関係する疾患も以前よりも目立ってきた印象もあり、最近の診療において感じる変化に新型コロナウィルスワクチンの影響があることは否定できないのです。

4)これまでを冷静に振り返ろう

あくまでも個人の感想ですが、副反応の問題はあったにせよ、ワクチンの効果は十分にあったと思います。「今、ワクチンを打っていてもこれだけ感染が広がっているからワクチンは意味がなかった」というのは極論です。また、「ワクチン接種の弊害」があるからといってワクチン接種を完全否定するのも間違いです。少なくともこれまでのワクチン接種を批判することはできません。ワクチン接種はリスクとベネフィットで考えなければならないのです。流行がはじまったころに懸念された医療崩壊。これを回避するためにはワクチン接種は必須でした。まれな重篤な副反応が懸念されていても、です。

しかし、ここまでCOVID-19感染症が軽症となり、感染者が多数いても重症者が少ない現状において、ワクチン接種がいまだに必須かといわれればそうでもないように思います。ましてや、血栓症や帯状疱疹、蕁麻疹などの、ワクチンと無関係とはいえないリスクを抱えてまで数ヶ月おきの接種をこれからも繰り返さなければならないのかという疑問があります。そろそろインフルエンザワクチンと同様に、年に一回の接種でいいのではないか、重症化リスクの高い人たちへの接種勧奨でいいのではないのか、と思ってしまいます。流行(とくに重症化)の状況に応じてワクチン接種をもっと柔軟に考えてもいいと私は考えます。

5)便乗商法に注意しよう

帯状疱疹が増えた印象がある、と述べました。それを裏付けるかのように、TVでは盛んに「帯状疱疹ワクチン」の接種を勧めるコマーシャルや番組がながれてきます。私も患者さんからたびたび「帯状疱疹のワクチンを打った方がいいでしょうか」と相談されます。そんなとき私は尋ねます。「あなたにとって2回接種で5万円を支払うだけの価値がこのワクチンにはありますか?」と。高価なワクチンを接種してくれれば当院も儲かるので助かります。しかし、帯状疱疹には治療薬があります。発症の前触れともいえる痛みもでます。早めに受診し、早めに治療薬を服用すれば、辛い目に遭うことは回避できるのです。

COVID-19であれ、インフルエンザであれ、治療薬がなく、重症化により命が危険にさらされる感染症を予防するためのワクチンは接種すべきです。しかし、治療薬もあり、早期診断・早期治療が可能な感染症に、あえてワクチンを接種する必要があるでしょうか?肺炎球菌ワクチンも同じです。もし、肺炎球菌による肺炎になったとしても、抗生物質で治療可能なこの感染症になぜワクチンの接種を勧奨するのでしょうか。しかも莫大な公費助成をしてまで、です。政治と行政と企業の癒着?と疑いたくもなってきます。繰り返しますが、ワクチン接種の賛否については、メリットとデメリットを考えて判断すべきです。

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いわれるがままに接種するのもダメなら、感情論にひきづられて完全否定するのもダメ。今回の動画のような医学的な内容にかぎらず、素人ではなかなか判断できないことも少なくありません。しかし、なにを根拠にするかわからないときは賛否両論に耳を傾けてみましょう。そして、矛盾がないのはどちらだろうか、と評価してみるしかありません。それにしても、今、振り返ってみると、いろいろなことがわかります。あのとき真しやかに言われていたことが実は意味がなかったことがいくつもあります。

そのひとつが「検査は早めに、できるだけたくさん行なうこと」でした。それでなくても信頼性の低い検査を「早めに、たくさん」おこなっても意味がないばかりか、偽陰性や偽陽性によって社会を混乱させるだけだと当時の私は繰り返しました。「検査は一番怪しいときにおこなう」という原則はやはり正しかったのです。そして、それは現在にも言えることです。「検査が陰性でも感染していないこと」を証明することにはなりません。にも関わらず、いまだに「検査をしてこい」と指示する会社・学校があとを絶ちません。

自分で言うのもなんですが、私のブログを読み返していただければ、放射線の危険性にしても、今回の新型コロナウィルスのことにしても、これまでの私の意見がいかに正しかったかがおわかりいただけると思います。検査をあれほど勧めた尊大な医学者や意味のない薬を治療薬だと投与して英雄気取りだった医師、ワクチン接種を情緒的に妨害した活動家や不必要な検査やワクチン接種で大もうけしていた人たちにもそれなりの言いわけがあるかもしれません。しかし、世の中を騒がし、混乱させたことには反省すべきです

専門的な知識のない一般の人たちに、ワクチンに関するどの情報が正しく、どの情報が正しくないかを判断するのは難しいと思います。とはいえ、その情報がなんらかの意図をもって世論を誘導・操作しようとしているのではないかと疑うことはできるのではないでしょうか。私自身、家族からは「まず否定から入る」とあきれられながらも、情報は常に批判的に吟味することはとても重要だと思っています。少なくともマスコミが主導しているながれを逆張りしておけばとりあえずは間違いない、というのは言い過ぎでしょうか?