心に残る患者(7)

ときどき患者さんから「薬を2ヶ月出してください」と言われます。昔と違って今は1ヶ月という「長期処方」があたりまえで、14日分という本来の投薬日数通りに薬を出すことの方がめずらしくなりました。大きな病院が平気で三ヶ月分の薬を出すことも影響しているかもしれません。三ヶ月という乱暴な処方をするのは、待合室にあふれかえる患者をさばくための方便であることがほとんどです。ともかく、そんな「診療」を受けていれば「2ヶ月ください」となるのも無理はありません。

でも、一か月を大きく超える薬を出す「診療」って本当に「医療」なんでしょうか。何時間も待たされたあげく、ようやく診察室の中に入ったと思ったら、医者はコンピューターの画面を見ながら「変りありませんね」とひと言。そして、聴診器も当てず、血圧も測らずに「ハイっ、いつものお薬を出しておきます」と事務的に終了。受診のたびに繰り返される採血の結果さえほとんど説明なし。たった今椅子に腰掛けたばかりなのにもう終わり?って「診察」などどう考えても「医療」じゃないですよ。

病院の理屈からすれば「そうでもしなけりゃこんなにたくさんの患者を診れないよ」なのでしょう。私も大学病院で診療していましたからよくわかります。でも、その一方で、こんな「診療」でも患者によってはありがたいと思う人もいます。「大きい病院だから安心」、「なんども受診しなくて済む」など、混んで待たされたあげくの「二言三言の診察」を上回る利点があるのでしょう。でも、ちょっと待って下さい。なんのための受診ですか?薬をもらうだけでいいんですか?

医者も患者も納得づくならそれでいいじゃないか、と言う人がいます。しかし、診察でなんらかの病気を見逃してしまった場合を考えて見て下さい。三ヶ月処方なら次回の診察は半年後。癌だったら全身に転移していてもおかしくない期間です。考えてみれば恐ろしいことです。その間、患者が不具合を感じて受診してくれればいいのですが、自覚症状がない場合や、自覚症状があってもその危険性を患者が認識できないこともあります。長期(一か月以上)の処方には長期なりの危険性がつきまとうのです。

Hさんという血圧の薬をもらいに通院していた人がいました。あるとき、いつものように血圧をはかり、聴診をすませると、Hさんは「先生、薬、2ヶ月出してくれねぇか?」と言い出しました。当時、私は二ヶ月処方をすることはほとんどありませんでした(今はケースによっては一か月を超える処方をすることがあります)。たまに状態が安定していて、服用している薬の種類が少ないとき、あるいは、夏休み前や年末など、途中でお薬がなくなってしまうときなどに二ヶ月分の処方をしているにすぎませんでした。

私はHさんのご要望をお断りすることにしました。一ヶ月とはいえ「長期処方」です。薬を服用しているうちに副作用が出るかもしれません。あるいは他の症状が現れているかもしれない。私たちが定期的な診察で問診をおこない、聴打診や触診をし、血圧を測り、ときには採血をするのはそうした変化を見逃さないためです。多くの人は「薬を飲んでいれば安心」と思っているようですが、薬を服用するということは、それなりのリスクを抱えているということを忘れてはいけません。

しかし、Hさんは受診のたびに「2ヶ月処方」を希望しました。いつしか私は繰り返していた説明も面倒になって、とうとうHさんの要望に負けてしまいました。私はHさんに二ヶ月分の薬を処方することにしました。しかし、いったんそうなるとなし崩し的に毎回2ヶ月分を処方するように。私もHさんと同様に「なにも変化がないじゃないか」という予断をもってしまったのです。いつしかHさんには漫然と薬を処方するようになり、ある種の緊張感のようなものがなくなってしまいました。

漫然とした診療には落とし穴があります。あるとき受診したHさんは「咳が出る」と訴えました。診察中に咳をする様子もなく、診察してもなんの異常もなかったことから、急性気管支炎として薬を追加して様子をみることにしました。そして2ヶ月がたちました。私はHさんに「前回の咳はどうなりましたか?」と聞いてみました。「だいぶよくなったがときどきまだ咳がでる」と。やはり聴診では異常がありません。私はHさんに言われるがままに咳止めを追加して診療を終えました。

普段の診療に追われ、Hさんの咳のことなどすっかり忘れていたある日、Hさんが定期受診のために来院しました。そして、今さらながらに「咳がひどくなった」というのです。確かに待合室にいるときから咳をしていました。私はHさんの胸に聴診器をあてて愕然としました。これまで聞こえなかった肺雑音が聞こえるのです。私の胸には暗雲がたちこめてきました。直感的に「これはただの肺炎や気管支炎ではない」と思いました。Hさんに胸部レントゲン写真を撮らせてほしいと頼みました。

できあがった写真を見た私のからだからは力が抜けていきました。肺癌だったからです。しかもかなり進行した肺癌です。すぐに専門的な治療を受けられる病院に紹介しました。病院からの返事には、「肺癌。全身に転移あり、脳の転移巣に対しては放射線治療の予定」と書かれてありました。私は「なぜHさんに咳のことをもっとしつこくたずねなかったのだろう」と後悔しました。ご本人もまさか肺癌だとは思わなかったのかもしれません。結果的に患者の言葉をうのみにした私の落ち度です。

「一ヶ月なんてあっという間」と皆はいいます。私もそう思います。しかし、二ヶ月という日数は癌が成長するのには十分な期間です。しかも、一回見逃せば次回の受診は四ヶ月後です。Hさんのケースのように癌を見逃してしまえば、決定的な失敗を招くことになります。自分が見逃した病気で患者を失うことは医者にとってつらいことです。主治医にとっては打ちのめされるような失敗です。一ヶ月を超える超長期間の処方の恐ろしさはこんなところに潜んでいます。

昨年も「2ヶ月の処方をしてくれ」と執拗に要求する患者さんがいました。しかも「毎回2ヶ月分の薬を出してほしい」というのです。私はきっぱり断りました。「私はそういう医療はやらないので、他の医院で頼んでみてはどうか」と勧めしました。しかし、その患者さんは「(超長期処方を断って)他のクリニックに患者が逃げるより、二ヶ月分出しても患者が定期受診した方が経営的にいいではないか」と引き下がりません。私は「そんなことを言ってるんじゃない」と叫びたい気持ちをこらえていました。

「毎月2ヶ月かそれ以上の処方」を求めてくる患者は、検査を勧めても「いえ、結構です」と拒絶する人が多いように思います。検査はむやみにやっているわけではありません。よもや収入を増やすためにやっているわけでもない。医療用の医薬品は効能と副作用の両面に注意をはらう必要があるのです。その薬を服用するからには、効果判定とともに副作用の有無を検査等で把握しなければならない。薬を服用するということはそういうことなのです。

主治医の指示が絶対だといっているのではありません。医学的な観点から助言しているだけなのですから。だからといって「検査するかしないかは患者の勝手」というわけにはいきません。薬を処方するからにはそれなりの責任が生じます。適当な診療ができる医者とそうではない医者の違いはその責任感の差かもしれません。本来、そうした責任感のない医師から薬をもらってはいけないのです。ただ薬をもらって飲んでいればいいと考えるのは間違いだと思います。

昨年、危うく一命を落とすところだったYさんという患者がいました。Yさんも血圧の薬をもらいに定期的に当院に通院していました。師走に入ったある日、胸の痛みを訴えてやって来ました。看護師がベットに寝かせて問診していると、Yさんは「今までにはない胸の痛み」と症状を訴えました。それまでの血圧のコントロールは良好でしたが、このときばかりはいつもよりも高くなっていました。私は「狭心症?それとも心筋梗塞?」と考えをめぐらせながら心電図をとりました。

心電図はいつもと変わりなく異常ありませんでした。聴診をしましたが心雑音や不整脈など気になる所見も見られません。「今の痛みはいかがですか」とたずねると、「痛みはだいぶ落着いてきたが、まだなにか違和感を感じる」と。いつもよりも高い血圧や「今までにない痛み」「違和感を感じる」という表現に私はなんとなく胸騒ぎがしました。私は直感的に「病院で検査を受けさせた方がいい」と思いました。でも、さしたる根拠はないのにわざわざYさんを病院を受診させることを少し躊躇していました。

「Yさん、今のところ心電図に異常はなく痛みもおさまっていますが、念のために病院に行って検査をしませんか。私を安心させるためと思って」と私。このような言い方をしたのは、Yさんは「自宅で様子をみたい」というのではないかと内心思っていたからです。しかし、Yさんは思いのほかあっさりと「わかりました」と言ってくれました。私はなぜかホッとしました。救急車を要請しようか迷いましたが、結局Yさんはタクシーで紹介先の病院に向かいました。

このような経過をたどるケースの中には、心電図に変化のない心筋梗塞だったり、心筋梗塞になりかけた狭心症という場合があります。医学部を卒業して三十年、これまでに経験したいろいろなケースがあたまをよぎりました。とはいえ、わざわざ病院に受診させてなんの異常もなかったり、結果として救急車を要請するほどのことではなかったりして、結果として過剰診断となることを気にする自分がいました。「やみくもに病院を紹介する医者」と見られたくないからかもしれません。

今回のケースも「病院での検査」を受けさせた方がいいと思いながら、もしYさんが「胸の痛みもおさまってきたので自宅に戻って様子をみる」と強く主張してきたら、薬を処方した上で帰宅させてしまったかもしれません。あえて病院を受診させて「タクシー代や診察代をかけて行ったのになんでもなかったじゃないか」とひんしゅくを買うのを恐れるからです。Yさんが助かったのは、私の勧めを素直に聞いてくれたからだともいえます。命をつなぐ糸は実は細くて危ういものなのです。

Yさんの病気が私の想像を超えていたことを知ったのは翌日の朝のことでした。診療前に紹介先の病院から電話がありました。Yさんを見送った後もなにか胸騒ぎが続いていて、看護婦さんと「Yさんのことが気になるね」と話していたところでした。電話口で紹介先の主治医は少し興奮気味に説明してくれました。「Yさんは実は大動脈瘤でした。先生が素早く対応してくださったおかげで救命できました。ありがとうございました」とお礼を言われました。むしろこちらこそお礼を言わなければいけないのに。

私はまさか大動脈瘤だとは思っていませんでした。背中の強い痛みを訴えていたら疑ったかもしれません。しかし、Yさんの動脈瘤はスタンフォードA型という心臓と大動脈の境界付近に生じる比較的めずらしい動脈瘤でした。背中の痛みにはならない場合があるのです。紹介先の病院で冠動脈CT検査をやってくれたおかげで見つかりました。あのまま自宅に返していたら、そう思うとゾッとします。スタンフォードA型の大動脈瘤は一時間当たり2%ずつ致死率が上昇し、24時間放置すると90%以上が急死するのです。

実はYさんは以前にも幸運なことがありました。通常受診のときの雑談でYさんは冗談めいたように「最近、ちょっと新聞の字が読みづらいんですよ」と笑いました。いつもの私なら「老眼が進んじゃいましたか?」と笑い返すところなのですがこのときは違いました。私は一瞬「脳下垂体腫瘍では?」と思ったのです。私はYさんに「念のために脳のMRI検査を受けてください」と頼みました。「様子を見ますから大丈夫です」といわれるだろうと思いながらですけど。

しかし、Yさんは病院を受診してくれました。そして、心配した通り脳下垂体腫瘍が見つかりました。でも、その後、手術で腫瘍を完全に摘除し、後遺症もなく生活されていました。このときも私がなにげなくお勧めした検査を素直に受けてくれたからこそ命拾いをしたのだと思います。決して私の見立てがよかったのではありません。私を信じて私の助言に耳を傾けてくれたおかげなのです。診療とはそういうものです。このように診療とは医師と患者がお互いの信頼を得てなりたつものだといえます。

このように、診療が単に「薬をもらえばいいもの」ではないということがわかると思います。ひょんなことから一命をとりとめた事例は他にも少なくなく、そうした事例も今後ご紹介できればと思っています。最近のTVでは視聴者の医療不信を高めるような番組が多いように感じます。そうしたことが患者の医療者に対する不信感を高める原因のひとつにもなっているのかもしれません。もちろん患者にとって「自己防衛すること」は大切です。しかし、それには限界があることも知らなければなりません。

一方で、不信感を持たれてもしかたない医療がおこなわれているのも事実です。患者が自己防衛しなければならないのは、そうした質の悪い医療があるからです。でも、質の悪い医療はなにも開業医による診療だけの話しではなく、大学病院をはじめとする大病院でもあります。もちろん医療の良し悪しは素人である患者が見極められるほど簡単ではないかもしれません。しかし、「薬だけもらえばいい(出せばいい)」という医療から抜け出すことはできるはずです。まずはそこからはじめるべきだと私は思います

「新型肺炎」(1)

今年は例年になく暖かい冬です。「これが冬?」と思うような暖かい日が続き、寒さに弱い人ならともかく、中途半端な暖かさが苦手な私には決して過ごしやすい気候ではありません。北海道でさえも昨年のクリスマスは「ホワイトクリスマス」にはならなかったらしく、こんなことは私が札幌にいたときは一度もありませんでした。北国は今でも雪不足だそうで、スキー場開きや雪のイベント開催に支障が生じたり、暖冬の影響がじわじわと出てきています。

私個人としては「暑いときは暑く、寒いときは寒くあるべき」だと思っています。夏は「暑い、暑い」と言いつつ冷たいビール(お酒を飲めない私はジンジャエール)を流し込み、冬は冬で「寒い、寒い」と言いながら熱い風呂に入って鍋をかこむ。こうした光景が私は好きです。長いデフレの世の中が続き、今ひとつぱっとしない日本経済のためにも、夏の暑さや冬の寒さは必要なのではないでしょうか。季節ものがちゃんと売れることで日本の景気が活気づく。そんな季節感のある社会が日本を立て直してくれるのだと思います。

今年の冬の暖かさが異常なら、インフルエンザ患者の少なさもまた異常といえるかもしれません。いつもならたくさんのインフルエンザ患者が来院する時期。しかし、今年はポツリポツリとやってくる程度。ノロウィルスなどの感染性胃腸炎の患者もまた同じです。それはそれでいいことなのですが、これもやはり暖冬の影響かもしれません。昨年の秋に一時的に流行ったりしましたが、本来であれば冬の寒い時期に猛威をふるうインフルエンザはやはり暖冬には弱いのでしょう。

その一方で、新型コロナウィルス(「2019-nCoV」と呼ばれています)による肺炎の感染拡大は心配です。2003年に中国で流行したときのコロナウィルス性肺炎(SARS)の時とは遺伝子が少し変異したタイプのようです。なんといっても大きな違いは「人人感染」があること。以前のSARSのときにはこの人から人への感染が明確でなかった分だけ大事には至りませんでした。しかし、今回は違います。人から人への感染のため、拡大するスピードは前回の比ではありません。

昨年の末に中国の湖北省武漢市で発生が報告された新型肺炎は一気に感染が拡大しました。ウィルス遺伝子の変異もさることながら、社会主義国家によくある情報の隠蔽、報告の遅延、楽観的な対応が今回の感染拡大の原因にもなったといわれています。市の保健当局が誤った情報を伝え、対応が遅れたことが今の中国国内のパニックを生んでいます。複数の都市を封鎖するという荒療治はいかにも中国らしいのですが、今やそのようなことは「焼け石に水」だともいえます。

国民・市民の衛生知識のなさ、あるいは節度のなさも感染を広めている原因です。本来、感染症の患者が多数来院し、治療を受けている病院は衛生的に汚い場所です。にも関わらず、軽症の市民もふくめてたくさんの人が病院に殺到しています。そんな事態になれば、本来、新型肺炎でない人までが病院で新型肺炎に感染してしまうという事態を招きます。新型肺炎はウィルスによるものであり、したがって抗生物質などの有効な治療薬はなく、重症でもないかぎり具体的な治療法はないのです。

これはインフルエンザにもいえます。インフルエンザが流行しているとき、しばしば軽微な風邪症状しかない人が薬をもらいに来院することがあります。しかし、インフルエンザは軽症であれば自宅で安静にしていれば治る病気。インフルエンザの病勢が強く、高熱を放置すれば重症化する可能性のある人に対してタミフルなどの抗ウィルス薬を処方することがあります。インフルエンザウィルスと体内で戦っている免疫力を援護するためです。結局は自分の免疫で治すしかない感染症なのです。

よく「ワクチンを打ったのにインフルエンザになった」という声を聴きます。しかし、そうではありません。「ワクチンを打ったからこの程度で済んだ」というのが事実です。ワクチンを接種した人とそうでない人とでは、実際に感染・発症してしまった後の経過は明らかに違います。接種した方が早く治るのです。初日高熱となっても、接種した人はそうでない人と比べて楽そうに見えます。また、接種した人は数日で平熱になることが多い。ワクチン接種の意味とはこうしたところにあります。

ワクチンの効果が科学的に明確に証明されたわけではありません。ワクチンを打ったからといってインフルエンザにかからないわけではないし、ワクチンによって他の人にインフルエンザを移しにくくするという根拠にも乏しい。とはいいながら、インフルエンザワクチンの接種は、自分のためだけではなく周囲の人のためでもあるといえます。感染の拡大を防ぎ、重症患者がでないためのエチケットと考えた方がいいかもしれません。ワクチンの接種は単に「自己責任の問題」にとどまらないということです。

今、問題になっている新型肺炎も、そろそろ「スーパースプレッダー」と呼ばれる患者が出現する段階に入っています。スーパースプレッダーとはひとりでたくさんの人に感染を広げてしまう患者のことです。具体的なメカニズムはまだわかっていませんが、感染したからだのなかでウィルスの遺伝子が変異し、爆発的な感染力を持つようになるからではないかといわれています。2003年にSARSが流行したときも、このスーパースプレッダーがアウトブレイク(制御不能な感染拡大)に関与していたことが知られています。

中国では春節と呼ばれる旧正月を迎えています。今年は24日から30日までだそうです。中国政府も新型肺炎の患者が多数発生している武漢市などから住民が移動しないように封鎖するとともに、中国から海外への団体旅行を禁止するといった対策をとっています。とはいえ、日本にもたくさんの中国人がやってきます。政府は「水際対策を徹底する」としていますが、そんなことで防ぎきれるものではありません。SARSや新型インフルエンザが問題になったときの経験がまるで活かせていないと感じるのは私だけでしょうか。

原発事故のときでさえも比較的冷静でいられた私も今回ばかりは不安です。前回のSARSのときは3年間で計8000人以上の人が肺炎となり、700人あまりの人が亡くなりました。ところが今回はどうでしょう。新型ウィルスによる肺炎の発症が発表されてまだ1ヶ月ほどしか経っていないのに、湖北省当局の発表では1月25日時点で700人を越える人が発症し、39人の人が亡くなっています。これは湖北省の発表ですから、中国全体ではそれ以上ということになります。

中国からの来訪者もSARSのときの比ではありません。SARSが問題となったとき、訪日中国人は年間50万人に満たない数でした。しかし、今や年間1000万人を越える勢いで増えています。今回の春節だけでも数万人が来日するといわれています。観光立国として外国人観光客を多数受け入れる方向に舵を切った以上、日本が今回の新型肺炎の流行と無関係ではいられないことを考えなければなりません。その意味で日本人はもっと真剣に新型肺炎のことを考えるべきです。

今、我々がやらなければならないのは、いわゆる「水際対策」とともに、中国で流行が拡大している新型肺炎が日本でも流行したときにどう行動するべきかを考えておくということです。局所的ではあれ新型肺炎が流行する地域が日本にも発生するでしょう。それがいつになるかはわかりませんが、そうした事態におちいることは十分想定していなければなりません。2009年の新型インフルエンザ流行時に日本中が混乱したときの経験をいかす必要があるのです。しかも迅速に。

当時、メキシコを中心に流行が広がっていた新型インフルエンザは、まだその正体がはっきりしていませんでした。その分だけ新型インフルエンザの流行の拡大によって日本中がパニックに近い状況を呈していました。しかし、私はこのときでさえも今回の新型肺炎ほど不安にはなりませんでした。むしろ、日本がそのままパンデミック(コントロール不能)となったときの対応を冷静に考えていました。いつまでたっても政府や医師会などから有効な対応策が提示されないのに業を煮やしてのことでした。

当時、発熱した患者は行政が定める「発熱外来」に受診することになっていました。しかし、これでは新型インフルエンザの患者とそれ以外の原因で熱発している患者、あるいは単に不安にかられて受診した軽症な患者が接触し、かえってインフルエンザの感染を広げてしまうと私は考えていました。しかも、発熱外来に患者が殺到すれば大混乱となり必要な診療ができなくなってしまいます。私は医師会にはそうしたことを進言しましたが、「もうすぐ厚労省から指示があるから」と反応は冷ややかでした。

私は、パンデミックとなった時の当院独自の対応策をまとめました。要点は次の通りです。
① 重症のケースを除いて「発熱外来」には受診させない
② 熱発した患者はすべて自宅待機とする(重症患者は「発熱外来」へ)
③ 午後の診療は完全防備の上、熱発患者の往診についやす
④ 熱発患者は自宅内隔離とし、必要に応じて薬を処方して経過観察

パンデミックとなって全市的にこの対応をとることになれば、とても内科医だけでは対応できなくなります。そこで私は我孫子市を細分化し、我孫子医師会会員で担当地域を決めてはどうかと考えました。もちろん往診する医師が不足する地域がでてきます。そのときは小児科や外科、耳鼻科や皮膚科など他科の医師にも協力してもらわなければなりません。ところが、医師会の会合に出席したとき、こうした対応について話しをしてみたところ耳を疑うような言葉がかえってきました。

私の話しを聴いていた医師の多くは現実味を感じなかったのか、あるいは「そんな面倒なことを」と思っていたのか、しばらくは固い表情で押し黙っていました。しばらくしてある医師は「これまでインフルエンザ患者の診療をしたことがないので協力できません」と言い出したかと思えば、別の医師は「パンデミックになったら俺はクリニックを閉めてしまうから(私は協力できない)」と周囲を笑わせるなど、まるで真剣みがないのでした。私は「この人たちはいったいなんのために医者になったのだろう」と思いました。

もちろんこのときはまだ新型インフルエンザの正体がわかっていませんでした。ですから、医師とはいえ命の危険を感じたのかもしれません。しかし、もしそうであっても、万が一にもパンデミックという重大な事態に至ったとき、すべての医師が頑張らなければ誰が頑張るのかと私は憤慨しました。「発熱外来」という感染をさらに拡大しかねない対応策しか提示できなかった厚労省と医師会。もっと迅速かつ実際的に対応策を考えればいいものをと地団駄を踏んだことを思い出します。

今、中国の武漢でまさに命がけで頑張っているのは医療従事者です。患者であっても、そうでなくても、流行の終息に向けて奮闘している人たちを支えなければなりません。日本でも新型肺炎の感染が広がるかもしれません。しかし、もしそうなっても、国民はあわてず、理性をはたらかせて秩序ある行動をとらなければなりません。世の中が騒然としても、不安にかられて病院に殺到したり、軽微・軽症にもかかわらず薬(治療薬はないのですから)をもらいに医療機関に行かないように気をつけて下さい。

新型肺炎がパンデミックになったときに国民がとるべき行動をまとめてみました。
 ○ 不要・不急の受診は控えること(受診の適否がわからないときは医療機関に電話)
 ○ 肺炎を疑って病院(クリニック)に受診するときはあらかじめ電話をすること
 ○ 重症の場合や新型肺炎を疑う場合を除いて「発熱外来」には受診しない(かえって感染する)
 ○ 少しぐらいの症状なら自宅で療養すること(家庭内隔離をしましょう)
 ○ 新型肺炎に治療薬はない。薬はつらい症状を軽減するためのものと考えること
 ○ 高熱のほか、ひどく咳き込んでいる、あるいは息苦しさがあるときは入院できる病院へ
 ○ 受診すべき病院、あるいはどう対応したらいいかわからないときは保健所に電話すること

日本の未来は

今回はちょっと政治的な見解を書きました。今年を締めくくる記事で避けて通ることができなかったことだからです。私は特定の政党を支持していませんし、特定のイデオロギーをもちません。自分の目と頭で理解し、信じたことを支持するという政治信条をもつのみです。ですから、今回のブログを読んで不愉快になる方がいるかもしれません。しかし、これから書くことは何らかのプロパガンダでもなければ、特定の政治的スローガンを吹聴するものでもありません。その辺のことをご理解の上でお読みいただければ幸いです。

*************************** 以下、本文

 

あと一日で令和元年(2019年)が終わります。今年はなんだか気ぜわしいだけで、実はなにも変わらなかった一年だったように思います。そう思うのは、今年の世相を反映しているのかもしれません。香港やウィグルなど、世界各地で自分たちの運命と戦っている人たちがいる一方で、日本国内では誰を桜を観る会に呼んだとか、呼ばなかったとか。どこの学校法人に口利きをしたとか、しないとか。泡のように湧き上がってはじけて消えていく下らないニュースに国民が振り回され、踊らされた一年でした。

先日の新聞で、2019年の日本の出生率が過去最低となり、出生数も年間90万人を割り込む事態になったと報じられていました。日本の人口はすでに2010年から減少に転じており、65歳~74歳の人口は2040年ごろに、75歳以上の人口は2055年ごろをピークに増加を続けると予想されています。その意味で出生率の低下は社会の急速な高齢化をもたらす深刻な問題です。政府は以前から「少子化対策」を政策の重要課題にあげていますがいまだに有効な手立てはなく、人口は減少し、高齢化はどんどん進んでいます。

それにしてももっとも有効な少子化対策は景気回復だということに気が付いていない政治家があまりにも多すぎます。なぜ若い人たちが子どもを産み、育てないか。家族の在り方、子育ての意味、さらには結婚の価値といったものが価値観の多様化と共に変化してきたことが影響しているのでしょう。しかし、それにも増して、若い人達の将来への不安は、子どもを産み、育てることを負担だと感じさせている。そうした若者の心理を理解しないままに、うわべだけの少子化対策など効果はありません。

デフレという世の中だからでしょうか。今の若い人たちの中には昔ほど夢や希望というものが感じられなくなったように思います。まるで目標を見失ったかのようです。昭和という右肩上がりの社会に生まれ、生きてきた私からすると、今の若者には物足らなさすら感じます。平成に生まれた我が家の息子たちもれいがいではなく、デフレの時代に生まれ、育ってきた彼らからは上昇志向というものは感じられず、彼ら自身、将来どんな大人になるのか目標を定めきれずにいるようです。

最近の子どもの「なりたい職業」のトップは「Youtuber」なのだそうです。うちの次男も小学校のころ、さかんに「Youtuberになりたい」と言っていました。「そんな不労所得に夢を見るなんて」と思ったものですが、私には現代っ子たる子供たちの胸の内を知る由もありません。彼らが支持するYoutuber達が作った動画のサブネイルを観ても、「東大理一と医学部 どちらがいいか」などというタイトルがついていて、「夢より現実」ってことなのでしょうか。これも今どきの社会情勢を反映したものといえるかもしれません。

本来、「東大理一と医学部」は「どちらがいいか」ではないはずです。東大の理一と医学部とを「将来、どんな仕事をしたいのか」「なにをしたいのか」という視点で観ていないことに違和感を感じるのは私だけでしょうか。そんな選び方をすれば将来必ず壁にぶち当たります。医学部に合格したとたんに目標を失い、気力をなくしたまま卒業していく人は決して少なくありません。それでも卒業できる人はまだいい方です。留年を繰り返し、国家試験をなんども受験することになればもはや無間地獄の苦しみしかありません。

生きるのが苦しいのは他人と自分を比べているから、という場合が多いようです。自分は他人からどう見られているのか。そんな「他者の価値観」に振り回されて人生を生きてみたところで、所詮「他者の価値観」なんて自分の中で作り上げた虚構にすぎない。「自分はなにをしたいのか」、もっといえば「自分はどう生きたいのか」という一番大切な問いかけを忘れて人生を無駄に過ごしてしまうことほど不幸なことはありません。他人がどうではなく、自分がどうあるべきかなのです。いつそれに気が付くか、です。

長男がまだスランプから抜け出せないでいるとき、自分が学校に行かないのは学校や先生たちのせいだと言っている息子を叱ったことがあります。「そんなに学校が嫌なら辞めなさい。高校は卒業させてもらうところ。学校や先生たちに悪態をつくのは学校を辞めてからにしなさい。学校や先生がいったいおまえに何をしたっていうんだ」と私は息子を叱りました。息子は納得いかないような表情で聞いていましたが、今はそのスランプから抜け出したかのように以前の彼に戻りました。結局、「自分はどうするか」なのです。

「なにをしたいのか」よりも「なにをすれば無難か」という生き方を選ぶ若者が増えているように思えるのもデフレ社会と無縁ではないと思います。将来に希望や期待よりも不安を感じる社会であれば、リスクを負わず、無難な生き方を選びたくなるのも無理はありません。確実性に乏しく、不透明な未来に希望を見いだせない若者を誰も批判できないのです。そう考えると、今の社会の在り方に暗い影を落としているデフレを克服することがなにより必要です。デフレの克服こそ日本の未来を明るいものにする第一歩なのです。

日本経済を立て直すことが喫緊の課題です。にもかかわらず、政治家のみならず多くの大人たちに景気を回復させようという気迫や真剣さが感じられないのはなぜでしょう。多くの大人たちはこう言うでしょう。「景気回復が重要なのはわかっている。にもかかわらずデフレ社会が続いているのは事の深刻さをあらわしている」と。「デフレが日本を覆っている深刻さ」なんてことは誰でもわかります。そんな愚痴が聴きたいのではない。回復させる具体策を聞きたいのです。

「覚悟はあるが策がない」と禅問答のような言いわけをする前に、なぜ消費税増税をしたのかわかるように説明してほしい。消費税増税が景気の足を引っ張ることはこれまでなんども経験してきたはずです。そのたびに回復し始めた日本経済の腰を折り、世の中をふたたびデフレに引き戻してきたではありませんか。大人たちは口々に言います。「日本の財政状況は厳しい。将来のために税収を確保しておかなければならない」と。しかし、これまでの消費税増税で税収はどれだけ増えましたか?日本の景気は回復しましたか?

消費税を増税して増える税収よりも、景気回復による税収の方がはるかに大きいことぐらい素人でもわかるはず。よく考えてみてください。この10月に消費税を増税し、景気の下振れを支えるためにどのくらいのお金が投入されましたか。軽減税率やポイント還元なんてまやかしにごまかされ、まんまと増税されたことから煙に巻かれたことに多くの人は気が付いていません。来年の今頃の日本はオリンピック後の反動で景気が悪化すると予想されています。すでに景気が減退基調に入ったことを示す指標すら出始めています。

日本をデフレから脱却させるため、「アベノミクス」と称する政策が進められてきました。ところが、もう少しでデフレを脱却できる、というときに二度も消費税を増税をする愚を繰り返すのはなぜなのか。本当にデフレを脱却させたかったのか疑いたくなるような信念のなさには理解に苦しむというよりは腹だたしいほど。「国際公約」の方が日本経済の回復よりも重要、とはなんと日本らしい律義さ(皮肉)。TVでは「消費税増税対策の節約術」などという番組を流してさらに景気を足を引っ張っているからあきれます。

もう一度いいますが、もっとも有効な少子化対策は景気回復です。日本の出生率を上昇させ、人口減少に歯止めをかけるためにも、一刻も早くデフレを脱却しなければなりません。生産人口を中心に人口そのものが減っているという危機的状況を外国人労働者を増やすことで解決しようとはあまりにも拙速すぎやしませんか。今の政治は間違っています。与党が、あるいは野党が国会で繰り返しているあの「ていたらく」。日本の将来に責任をもてる政治をちゃんとやってくれと言ってやりたい。パフォーマンスはもう結構。

国民も日本の将来をもっと真剣に考えるべきです。自分達の子どもや孫の未来のことをもっと自分のこととして考えるべきです。今、私たち大人がしなければならないことは節約をすることではなく、子どもたちや孫たちのためにももっと消費することです。将来のために消費税増税を認めるのではなく、消費税増税よりも景気回復を優先させる政策を求めるべきです。これまでがそうだったように、消費税の増税のせいで日本の経済あるいは財政は改善しないということにそろそろ気が付かなければなりません。

うっかりバブルを作ってしまった大人たち。日本経済をデフレに陥らせ、そのデフレを今だに克服できないでいる大人たち。その大人たちは若い人たちに償いをしなければなりません。それは彼らが引き継ぐ日本の未来を、少しでも明るいものに、素晴らしいものにするということではないでしょうか。大人たちの生活が豊かで、大人たちの老後に不安がなければそれでいいなんてことがあろうはずがありません。若者たちにどんな未来を残すのかについて、大人たちはもっともっと知恵をしぼらなければいけないのです。

私は「UVERworld」という日本のアーティストが好きです。すっかり昭和人間になってしまった私にとって、最近の歌はすっかりなじみの薄いものになってしまいました。がしかし、そんな私でも、このUVERrworldの歌は私の心に刺さってきます。それは彼らの歌の歌詞が素晴らしいからだと思います。今の若者の叫びというか、彼らのもがきのようなものが私を惹きつけるのでしょう。まるで私自身が若いころに感じていたことがそのまま歌詞となって歌われているかのように感じるためかもしれません。

今年最後のブログがなにかとりとめのないものになっていまいました。要するに私が言いたかったのは、日本の未来は若者たちにかかっているというよりも、今の大人たちが若者たちにどのような日本を残していくかにかかっている、ということです。私はこれからもその視点を忘れないで努力したいと思います。

来年が皆さんにとって今年以上に佳い年になりますように。そして、日本が、あるいは世界中の人が正義と希望と勇気に満ちた年になりますように。

 

**************** 以下、「I love the world」より

プラス、マイナスもとらえよう 進化をし、トライしよう
そう、ノイズ一蹴 「いつか」はもう今日だ

ずっとそこにあるのに見えずに気づかないバカになる前に
行こうぜ Get up ホントはそこにもここにもあるんだろ

(略)

さぁよく見ろ 大人を手本にすれば
そう 未来は暗いと保証されてる

でも不安なんて 唱えてないさ
僕らは今夜も叫んでいたい I love the world

(略)

その幸せは 誰かに勝つためじゃなくていい
僕らの笑う理由は 誰かを見返すためじゃなくていい

 

**************** 以下、「All alone」より

生まれの貧しさが 僕らの未来を決められなかったように
生まれの貧しさなんて 誰かと比べるものじゃないけど

自由や平等なんて言葉で これ以上導くのなら
答えてみろよ

(略)

自分自身の dislike 一番本当に悔しくて許せないことは
この特別な才能をもって産まれてこれなかったことなんかじゃない

この世界の どうでもいい 心ない言葉やただのフレーズに
押しつぶされそうになって すべてを一瞬で捨ててしまいそうになること
未来も この命も

※ この歌をすべて聴きたい方は こちらのPV をどうぞ

 

心に残る患者(6)

インフルエンザのシーズンがやってきたようです。インフルエンザは本来、タミフルなどの抗ウィルス薬などを使わなくても自然に治る感染症です。ですから、もしインフルエンザにかかっても、自宅で安静にしていればいいわけです。しかし、いかんせん普通の風邪とは違って、高熱や全身倦怠感、関節痛、頭痛などの症状をともないます。高熱によって体力が奪われると肺炎になるなど重症化しやすいという特徴もあります。だからこそワクチンでの予防が重要なのです。

高熱を必要以上に怖がり、解熱剤をつかってあわてて体温を下げる必要はありません。むやみに体温を下げてしまうと、重症化、とくに肺炎を合併したときのサインを見逃すことにもなります。インフルエンザ時の高熱はそう簡単には下がらないことが多いのですが、解熱剤で体温が下がってしまうと、患者も、また医者自身も予断をもってしまって重症化を見逃すなんてことにもなりかねません。とにかく、解熱をするのは「高熱のつらさを軽減するため」と思ってください。

私は家族が熱を出しても解熱剤はできるだけ使わないようにしています。熱を下げたところで早く治るわけではありませんから。むしろ、熱が出てはじめて体の免疫力にスイッチが入り、風邪が短期間で治るともいわれています。ですから、子ども達がまだ小さかったときも、つらそうな表情でもしないかぎり解熱剤を使わず、団扇などで軽く扇いで楽にしてやる程度にとどめていました。そちらの方が子ども達も気持ちがいいのか、すやすやと眠ていました。

そんな私には苦い思い出があります。まだ2歳にもならなかったころの次男の話しです。今回の「心に残る患者」はその彼です。次男はそれまで健康そのもので大病をすることもなく過ごしていました。あるとき高熱を出しました。生まれた直後からニコニコして愛想のいい次男でしたが、熱を出したこのときでさえも機嫌が悪くなることはありませんでした。高熱とはいえ、インフルエンザでもなさそうであり、また、咳をするなどの症状もなかったこともあって、私はしばらく様子を見ることにしました。

風邪であるにせよ、なんであるにせよ、熱が出たからといってなにか恐ろしいことがすぐに起こるわけではありません。痰のからむ咳をしながらの高熱でないかぎり、二日か三日は熱が続いてもどうってことはないのです。むしろ、解熱などしないで済むならそうした方がいいくらい。次男もまた熱以外に症状はなく、食欲もあって元気にしていましたから、家内には「暑そうにしているようなら涼しくしてあげて」と伝え、これといってとくに薬を飲ませたりせずに経過観察していました。

ところが、三日目が過ぎ、四日目になっても高熱が下がらないのです。相変わらず食欲はありましたが、いつもの笑顔も心なしか元気がないように見えました。このぐらいの子どもの高熱が続くときは川崎病や膠原病などの可能性を考えなければなりません。さすがの私も少し不安になってきました。そろそろ小児科に連れて行った方がいいと考えた私は、不安げな家内に「ここまで高熱が続くのは変だから小児科に連れて行った方がいいかも」と告げて出勤しました。

しばらくして家内からメイルがありました。「肺炎だった。松戸市立病院に入院になる」と。私は驚きました。肺炎などまるで疑っていなかったのです。高熱以外には症状に乏しく、食欲もあったし、笑顔も見られていましたから。とはいえ、小児の専門医療機関に紹介される肺炎ということは重症だということ。そんな重症な肺炎をこともあろうに内科医である私が見逃してしまうなんて。熱で上気した次男の顔が思い浮かんではなにかとても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

私のクリニックでの診療が終わり、幼稚園に通っていた長男を連れて松戸市立病院に向かいました。なにが起こっているのかを察しているのか、黙っていた長男も少し不安気な表情をしていました。病院の守衛さんに病室の場所を聞き、次男が入院している病室に入りました。次男は酸素テントの中ですやすやと眠っていました。小さな手には点滴のチューブがつながっています。そのチューブをひっぱらないように包帯でぐるぐる巻きにされた細い腕がとても痛々しく感じられました。

重症だということは病室の雰囲気でわかりましたが、どれだけ入院しなければならないのか分かりませんでした。しばらくは家内が付き添うことになりますが、私と長男のふたりきりの生活を思うと長男にも寂しい思いをさせてしまい申し訳ない気持ちがしていました。心の中では「ちゃんと診てあげていたらこんなことにならなかったのに」と次男に何度もわびていました。すやすやと眠っている次男が、自宅で高熱に耐えていたときよりも少しだけ穏やかな表情をしていることが救いでした。

家内の冷ややかな視線を感じながらこれまでの経過を教えてもらいました。それによると、私が出勤したあと家内は次男をかかりつけにしていた小児科に連れて行ったそうです。そして、そこの小児科医は息子の聴診をするなり、「これは大変だ。今すぐ専門の病院にいきなさい」とあわてたように家内に告げたそうです。そして、そのまま松戸市立病院の小児科へ。息子のレントゲン写真は両肺とも「真っ白だった」と。しかも体に取り込む酸素の量が低下していてそのまま入院になったのでした。

家内からそんな緊迫した経過を聴いているとき、次男の主治医が病室に入ってきました。「このたびはいろいろご迷惑をおかけします」と私が深々と頭をさげると、その小児科医は笑みを浮かべながら「お父さんは内科医なんですってね。内科のお医者さんであってもお子さんにはちゃんとステート(聴診器)を当てて下さいね」と。私はなぜあのとき息子に聴診器を当てなかったのかと後悔しました。咳をすることもなく高熱だけだったため「肺炎なし」との予断をもってしまったのです。

その小児科医は続けました。「小さい子どもの中には、お子さんのように咳を我慢してしまう子がいるんです」と。そういえば息子は咳こそしませんでしたが、しゃっくりのように「ヒクッ、ヒクッ」と時々しゃくり上げていたのを思い出しました。あれが咳を我慢している様子だったのです。私は改めて聴診をしなかったことを悔やみました。普段の診療であれば、必ず聴診器をあてていたのに。自分の子どもだったということにも油断してしまった原因でした。

内科での診療の際、聴診をする理由はさまざまです。不整脈や心雑音のフォローアップをするためであったり、それまでになかった不整脈や心雑音が出現していないかを確認するためであったり、肺炎や気管支喘息の可能性を疑うケースやさまざまな症状を裏付ける所見がないかを調べるためだったり。お薬を定期的にもらいに来院される患者に聴診をするのはそのためです。訴えもなく、なんでもなさそうに見えても、なんらかのあらたな所見が見つかるケースは決して少なくありません。

なのに高熱を出した自分の子どもには聴診すらしなかった。小児科の医師にそれを指摘されて、私は自分を恥じていました。自分の家族となるとどうしても緊張がなくなります。そして予断が入りやすくなる。それが見逃しや誤診の原因になることを思い知らされました。ついこの間も、予断をもたなかったために一命をとりとめることができた患者がいました。紹介した病院の主治医から「早めに対応していただいたおかげで大事に至らずに済みました」とお電話をいただいたばかりです。

プライマリ・ケア(初期医療)を担当する私たちが、日頃なにげなく診ている患者の中には重大な病気が隠れていて、その病気を見逃してしまうことが患者の命を左右すると場合があります。砂浜に落としたダイヤを探すような、そんな仕事が私たちプライマリ・ケア医の役割のひとつなのかもしれません。看護婦さんがちょっと血圧を測ってくれたから、あるいは患者が一言だけキーワードを告げてくれたから、あるいは医者のなんのことはない胸騒ぎがあったから救われる命があるのです。

その意味で、次男の肺炎を見逃した「事件」は私にとって重要な教訓になりました。その息子も今は中学生になりました。肺炎になって以降、大きな病気にもならずに成長し、今や私の身長を追い越そうとしています。酸素テントの中で点滴がつながれながらすやすやと寝息を立てながら寝ていた当時の息子を思い出すと今でも可哀そうで涙が出てきます。でも、あのときの経験があったからこそ、今も予断をもたずに診療しようとする意識が保てているのかもしれません。まだまだ修行が足りないと感じるときもありますが。

医学生の頃、病院実習の時に指導教官から「患者を自分の親だと思って診察しなさい」といわれました。当時はその意味を、「(自分の親だと思って)緊張せずに診察しなさい」といわれたのだと思っていました。しかし、その先生はきっと「自分の身内だと思って患者を大切にしなさい」ということを私たち学生に伝えたかったのでしょう。医者は、あるいは医療・診療は「毎日が勉強、日々が経験だ」ということを痛感します。ともすると日常にながされそうな自分を戒めながら。

そろそろインフル

これまでなんどもTVで「インフルエンザの流行がはじまりました」といってきたのに、またもや同じことをニュースでいっています。視聴者をあおることが彼らの商売なのでしょうが、もっと正確で冷静な報道をしてもらいたいもの。とはいえ、今度は本当のようです。我孫子、とくに当院のある船戸地区ではまだ流行のきざしはありませんが、保健所からの情報によれば松戸でにわかに流行が拡大しているとのこと。我孫子でもそろそろインフルエンザの患者が増えてくるかもしれません。そこで、インフルエンザの流行を前に、2018年2月に投稿した記事を再掲しておきますので参考にしてください。

***************************** 以下、2018年2月の記事

 

インフルエンザの勢いも落ち着きはじめ、患者の数もだいぶ少なくなってきました。とはいえ、これまでの流行では、B型が70%、A型が20%、残りがA・B混合型というようにB型が主流だったため、今後は従来のようなA型の流行があるかもしれませんので注意が必要です。この流行のしかたは例年にはありません。おそらくB型が比較軽症であったため、患者も医者も普通の風邪と考えて感染を広めたのかもしれません。

この流行の拡大と軽症例の多さが診療の現場が混乱する原因にもなりました。わずかばかりの風邪症状があり、体温も平熱にすぎない患者が「TVで『隠れインフル』っていうのがあるといっていたので検査をしてください」と受診してきたり、きわめて軽症のインフルエンザ患者までもが抗ウィルス薬を求めてきたりと、必ずしも適切な医療とはいえない診療をいつになく求められたのも今年の特徴だといえるでしょう。

インフルエンザ検査や抗ウィルス薬投与の適否については、論争の原因にしばしばなっています。検査や抗ウィルス薬を安易に(というと怒られるかもしれませんが)考えている人と、必要性に応じて検査や投薬を考慮すべきとする私のような人間とではまったく議論がかみあいません。こうした光景は当院の外来でもしばしば見られ、私の説明に不満げに帰っていく患者が少なからずいます。

こうした現状をふまえ、私が皆さんにいいたいことを、想定問答のような形でご説明したいと思います。もちろん考え方にはいろいろあって、私の言い分がすべて正しいと主張するつもりもありません。また、私の考えに賛同できない方たちの価値観を全否定するつもりもありません。ですが、私の言いたいことを通じて、皆さんにもこの問題を考えていただければ幸いです。

   【私の基本的スタンス】

○検査や投薬は「実施すべきケース」「実施してもいいケース」および「実施すべきではないケー
 ス」で考える必要がある

○医療に関しては「医学的に正しいかどうか」という観点とともに「医療費の支出として適切かど
 うか」という観点も考慮すべき

○インフルエンザが流行する前に多くの国民はワクチンを接種し、「インフルエンザに感染しにく
 い環境を作る」とともに、「かかっても軽症ですみ、抗ウィルス薬を必要としない状況を作るこ
 と」が重要である

○インフルエンザはすべてがおそろしい結果をもたらすわけではなく、「重症例をはやく見つけて
 対処すること」が重要であり、「軽症例は安静を基本として、適宜、症状を薬で緩和すること」
   と認識すべき

○インフルエンザの流行シーズンに入った場合は、「急に高熱となったケース」や「高熱にはなっ
 ていなくても、強い関節痛や悪寒、頭痛をともなう発熱のケース」は検査の有無をとわずインフ
 ルエンザとして学校や仕事を休み、自宅安静あるいは経過観察とするべき

これらのことをこれから具体的な想定問答として記述してみたいと思います。こうしたやりとりは当院の診察室でも同じようになることがあります。そして、その結末は残念ながらいつもunhappyです。ただし、ここでの想定問答では症状もなく「念のために検査」といって来院したケースを想定しています。また、当院ですべてのインフルエンザ検査・抗ウィルス薬の投与をお断りしているわけではありません。

念のために申し上げておきますが、インフルエンザの検査や抗ウィルス薬を希望される方は私に伝えてください。適宜、それぞれの患者の状況に応じて検査・投薬の適否を考え、「検査が必要な場合」はもちろん、「検査をしてもいい場合」であれば検査も投薬もご希望に応じておこなっていますので。

 

*****************以下、想定問答

患者:TVで「『隠れインフル』っていうのがある」といっていたので検査してください。

医師:でも、あなたは今、平熱ですよ。検査、必要ないと思いますけど。

患者:うちの夫が先日「B型インフル」って診断されたので感染していないかと思って。

医師:まだ検査してもでてきてない可能性が高いですよ。

患者:夫は熱が出てなくてもインフルエンザだったんです。

医師:それでなぜ検査をしたのかわかりませんが、なにかお辛い症状でもあったんですか?

患者:ちょっと頭痛が。でも今は元気ですけど。

医師:ですよね。ご主人は軽症だったんですよね。

患者:インフルエンザの薬をもらいましたからすぐによくなったんです。

医師:えっ?熱がなくて軽症だったのにインフルエンザの薬をもらったんですか?

患者:はい。だって早くよくなりたかったんで。出かけなきゃいけない用事もあったし。

医師:もしかして、薬飲んですぐに外出されたんですか?

患者:はい。薬を飲んだ翌日には平熱になって元気になったから。

医師:インフルエンザのときは解熱してもしばらくは人に移す可能性があるので外出はだめですよ。

患者:それじゃインフルエンザの薬を使う意味がないじゃないですか。

医師:インフルエンザの薬を飲む目的は「熱が出ている期間を1日程度短縮するため」なんです。

患者:よくなってるじゃないですか。

医師:そうです。改善はします。高熱の期間は短縮しますから。でも、しばらくは人にうつすんです。

患者:うちの夫は熱がなかった場合でもうつすんですか。

医師:だから「必要だったんでしょうか?」と申し上げたんです。自宅でしばらく安静にして・・・

患者:でも、普段のように元気でしたよ。

医師:いや、自宅安静の目的はご本人の療養という意味と他人に移さないという意味があるんです。

患者:うちの孫もインフルになったけど、すぐに熱がさがって元気になったので学校へ行ったけど。

医師:それが学校でインフルエンザを広めてしまう原因のひとつなんです。

患者:うちの嫁も働いているし、孫もゲームばっかりやってるから。

医師:ご家庭によって事情はあるでしょうが、やはり感染を広めないという意味では・・・。

患者:じゃあ、私の検査もインフルエンザを広げないために早めにやった方がいいんじゃない?

医師:いや、この検査は「インフルであることを確認する検査」なんです。

患者:「確認検査」?

医師:そう。陽性であれば「インフルです」って言えますが、陰性でも「違います」とは言えない。

患者:それじゃあ意味ないじゃない。

医師:意味はあります。インフルエンザだと確認はできますから。

患者:なら、今検査してもいいじゃないですか?

医師:確認だからこそ、怪しげなときにやるべきなのです。今のあなたは違います。

患者:とりあえず今やっておくっていうのはダメですか?もしかしてってこともあるし。

医師:今回が陰性でも、明日に陽性になるかもしれないし、あさってかもしれません。

患者:そのときにまたやればいいんじゃない。

医師:そんなことをしていたら医療費がもたないし、そもそも保険組合がそれを認めないのです。

患者:早期発見、早期治療は必要ないってこと?

医師:風邪やインフルエンザに関していえば「重症化を防ぐこと」が重要なのです。

患者:早期に治療すれば重症化だって防げるじゃないですか。

医師:それはそうですが、風邪やインフルエンザは本来なにもしなくても治る病気です。

患者:治療はいらないってこと?

医師:本来はそうです。でも、なかには重症化するケースがあり、その場合は早期発見。早期治療。

患者:なら、なんでインフルエンザの薬があるんですか。

医師:このまま放置していたら重症化しそうな人や高熱で辛そうな人のための薬として考えてください。

患者:検査もそうですか?

医師:明らかにインフルエンザと思われる人は検査をしなくてもいいってことになっています。

患者:検査しないで「インフルエンザ」って診断してもいいってこと?

医師:だって検査が「陰性」だからといって「インフルじゃない」って言えないんですから。

患者:それなら検査はまったく不要ってわけ?

医師:いえ、たとえば肺炎を思わせる患者が来たとき、肺炎治療を優先させるか、インフル治療を併用する
   かの判断にはとても重要です。そこまでいわないにせよ、怪しげなケースでれば検査はします。

患者:私、職場の方からも「検査をやってこい」っていわれるんですよ。

医師:インフルエンザが疑われるケースであっても検査が陰性なら仕事にいってもいいのですか?インフル
   エンザかもしれないと思ったら仕事はやはり休むべきでしょう。検査なんて補助的なものですし。

患者:でも、「A型?B型?」って聞かれるし。

医師:型なんてわかっても対応はかわりません。インフルエンザなんだし。ワクチンを打ってなければ重症
なることだってあるし。

患者:いずれにしても、今の私には検査はやってもらえないってことでしょうか。

医師:必要性はないですよ。あなたのようなケース全員に検査をやっていたら医療費が大変ですから。

患者:患者の命よりも医療費の方が重要ってことですね。

医師:いえ、そういう意味じゃありません。誤解しないでください。

患者:でも、そう聞こえますよ。

医師:つまり、この検査をしないからといって今のあなたに大きな不利益はないが、あなたと同じケース全
   員にこの検査をやった場合の医療費の無駄は計り知れないってことです。

患者:・・・・。

医師:もちろん、今後、あなたになんらかの症状が出てきてインフルエンザであることを確認する必要がで
   てきたらちゃんと検査します。うちも検査すればそれだけもうかります。検査をするのが嫌で言って
   いるのではないのです。決して安い検査ではなく、あなたも無駄をお金を出さないで済むし。

患者:自分の財布から出すので心配いただかなくても結構ですよ。

医師:あなたの財布からも三割は支払われますが、残りの七割は医療費から支払われるんです。

患者:わかりました。別のクリニックでやってもらいますからもう結構です。

 

ほら、やっぱりunhappyだったでしょ。でも、実際はこうはいきません。インフルエンザ検査や抗ウィルス薬を希望される方についてはそのご希望を尊重しながらも、本当に必要かどうかに関して疑問に思う場合はその必要性は説明した上で「どうしても」という場合は検査もしますし、投薬もします。ただし、「してもいいケース」に関してです。「すべきではないケース」に関しては当然のことですがお断りしていますので悪しからず。医療と医療費のバランスって難しいですよね。

でも、誰かが言ってました。「そんな固いこといってないで、言われるがままに検査をし、抗ウィルス薬を処方していれば患者は満足するし、医療機関や薬局、製薬会社ももうかる。すべてがハッピーじゃないか」って。私が「でも医療費が・・・」と言いかけると、「それも結局は国民の負担になるんだしいいんじゃないの」とも。しかし、それで医療保険制度が崩壊してしまったら元も子もないって考えないのでしょうか。でも、きっと彼は言うでしょうね。「そんなこといち医療機関のひとりの医者が心配することじゃない。それは偉い政治家が考えること」ってね。う~ん、あたまの固い自分には実に悩ましいことです。

 

 

がんばれ、新人君

先日、今上天皇陛下の祝賀御列の儀がありました。即位礼正殿の儀のときとはうってかわっての晴天で本当によかったと思います。それにしても即位礼正殿の儀の日は朝から大雨。せっかくのおめでたい日だというのにお気の毒に、と思いましたが、式典が始まるころには厚い雲から薄日が差しはじめ、雨がやむと青空となり、場所によっては虹までが見られるようになったのには驚きました。

それにしても、あの即位礼正殿の儀が行われた日の天候の変化は、以前の記事(「令和に思う」)にも書いたような「草薙剣」のいわれを地で行くようなものだったともいえます。つまり、厚い雨雲から出でる水神でもあるヤマタノオロチ。スサノオノミコトはこのオロチを退治するためにオロチに酒を飲ませて切りつけますが、彼が手にしていた十挙剣はオロチの尾の草薙剣にあたって刃こぼれをおこします。

死闘の末にスサノオはオロチを撃ち取り、その体を切り刻むとオロチの尾からは草薙剣がでてきました。すると、空一面をおおっていた厚い雲は切れ、一条の太陽の光が暗かった大地を照らし、ふたたび静かで平和な世の中が戻って来た、というものです。どうでしょう。あの即位礼正殿の儀の日の天候の劇的な変化に、なにか神がかり的なものを感じませんか。皇室の行事ではこうした奇跡がこれまでなんどもありました。

天皇陛下のお仕事は「日本の五穀豊穣と安寧、および国民の幸福と安全を祈ること」です。即位礼正殿の儀で今上陛下が宣明された「国民の幸せと、世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら国民の象徴としての務めをはたす」という誓いは、古来から営々と天皇が繰り返してこられたものです。それは14日からとりおこなわれる大嘗祭が、天皇の役割を天照大神から今上陛下が引き継ぐ祭祀であることからもわかります。

 

***** 以下、「令和に思う」からの引用

草薙剣(くさなぎのつるぎ)のことをご存知でしょうか。草薙剣はヤマタノオロチを退治したときにその尾から出てきたと伝えられる剣です。この剣を御霊代として祀っているのが熱田神社です。これまでなんどか盗まれそうになりながら、いつも不思議と無事に戻ってきました。しかし、壇ノ浦の戦いのとき、入水された安徳天皇と共に海に落ちて回収できなくなりました。そこでのちになって魂を入れなおして新たな草薙剣としたものが今三種の神器のひとつとして伝えられました。

草薙剣は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とも呼ばれています。ヤマタノオロチは雲から出でる怪獣であり、オロチ(大蛇)のいるところに雲がわくといわれています。ですから、今回、式典で草薙剣が供えられたとき、天気が悪い(雲が出現する)のは理にかなっているというわけです。つまりは吉辰良日の兆候ということ。そういえば、昭和天皇から明仁天皇に皇位が継承されたときも雨が降っていました。こうしたことに神話の世界と今をつなぐ不思議な因果を感じ取ることができます。

***** 以上

 

日本は西暦とは異なる元号を用いており、その時代時代を象徴するイメージを容易にもつことができます。元号など無用の長物だという人もいます。しかし、一連の皇室行事を通じて感じるのは、日本古来から伝わる文化を残すことで日本人としての意識をあらためて確認できるということです。そうすることにより、世界にも類を見ない日本の伝統や文化を維持・発展できるのではないかと思います。

史上はじめて日本の古典である万葉集から採用された「令和」という元号。いったいどのような時代になるのでしょうか。日本をとりまく国際情勢、あるいは国内でのさまざまな軋轢や摩擦は、ともすると日本の誇るべき「仁・義・礼・智・信」の精神をそこなうきっかけにもなりそうで心配です。令和という元号の文字の意味にもあるように「清々しく調和のとれた時代」となればいいのですが。

そんな「令和」の時代に社会人となった人たちが、来院する製薬会社のMRさんにも、あるいは患者さんにもたくさんいます。そうした人たちにはいつも「社会人になって半年。そろそろ疲れていないかな?」と声をかけてみます。社会に出て間もないころは、まだ右も左もわからずにただ仕事をこなすのが精いっぱい。戸惑いながらも無我夢中で働いてきたであろう彼らの中にもなにかの変化が起こっています。

がむしゃらの半年がすぎ、ある程度冷静に周囲を見渡せるようになると、心にも余裕がでてくる反面、会社や仕事の嫌なところが見えてきます。必死だった仕事にも、あるいはそりの合わない先輩や上司にも多少疲れてきて、そろそろ「この仕事(会社)を辞めたい」と思い始める人がでて来る頃です。現に私もそうでしたから。「このままでいいのだろうか」というあせりが襲ってくるのです。

社会人となって半年を経た人たちに私は「そろそろ会社をやめたくなったんじゃない?」と尋ねてみます。すると、「そんなことはありません」ときっぱり答える人よりも、肯定したそうな表情で苦笑いする人の方が圧倒的に多いことに気が付きます。しかし、私はそうした人たちにこういいます。「だからといってすぐに会社を辞めちゃだめだよ」と。これは気休めで言っているのではありません。

その会社(仕事)を辞めたって、他の会社に移ったって、別の仕事に就いたって、結局は同じような状況にぶつかるからです。私は彼らにこう付け加えることも忘れません。「ひとつの場所で頑張れない人間は、よそに行っても頑張れないんだからね」と。他の会社に行けば、あるいは別の仕事をすれば、不満や嫌気から解放されて、自分にふさわしい理想的ななにかに巡り会えるなんてことは稀有なのですから。

最近は「頑張らない」ことが当たり前のようになってきました。「頑張らなくていい」という言葉が人の優しさを表現しているかようです。しかし、そうではありません。「頑張らなくていい」のは心の病気の人。頑張れないからこそ病気になった人がそもそも頑張れるはずがないのですから。頑張るべき人にも「頑張らなくてもいい」と声をかける人がいますがそれは違うと思います。

私は会社(仕事)を辞めたいと思っている新人君たちに、「すぐに辞めちゃだめだよ。辞めることはいつでもできる。そのときまで頑張れるだけ頑張るんだ。そうした頑張りが次の仕事にもつながるんだから。頑張って、頑張って、頑張って、ボロボロになったときに躊躇することなく辞めればいい。私の若いころとは違って、今は転職することのハードルは決して高くないんだからね」と言います。

私たちの時代は、同じ会社に退職まで勤めあげることが当たり前で、途中で他の会社や仕事に移る人はまるで負け犬か何かのように思われました。しかし、今は違います。多くの人にとって働くことは「自分のスキルアップのため」であり、自分のスキルにあわせて転職をすることを後ろめたいと思う必要はなくなりました。途中退社、中途採用であること自体が不利な条件ではなくなったのです。

今は食べていくだけならどんな仕事にもありつけます。より好みさえしなければ仕事は必ず見つかるのです。だからでしょうか、すぐに会社(仕事)を辞めてしまう人が少なくありません。しかし、問題は「働くことの意味」なのです。働くことの必要条件を「食べていけること」とすれば、給料が高いこと、楽しかったり、働き甲斐を感じることなどは十分条件。その必要十分条件をそろえるためには努力が必要です。

理想的な仕事などなかなか見つかるものじゃありません。だから私はあえて言いたいのです。「そんなに簡単に仕事を辞めちゃダメだよ」と。若いころの私は「気に入らない仕事を我慢してやることになんの意味があるのか」と考えていました。医学部の再受験をするため、他の友人たちが皆就職する中、ひとりだけ塾の講師をしながら受験勉強をしていた私ならではの強がりだったのかもしれません。

当時の思いがそのままセリフとなったドラマがありました。そのドラマはNHKで放映された「シャツの店」です。家庭や家族を省みず、仕事一筋に生きてきたシャツ職人にその妻と息子が反旗を翻すというもの。そのドラマの中で、家出をした息子と父親とのやり取りがとても印象的でした。大学卒業をまじかにした息子は会社に勤めず世界を放浪するといいます。それを聞いた職人の父が説教をするシーンです。

 

********** 以下、ドラマのワンシーン

(待ち合わせた川べりの喫茶店。父と息子が向き合って座っている)

父親:働かないでどうやって食べていく?

息子:働かないなんていってません。

決まった会社には入らないと言ったんです。

父親:それで?

息子:金をためて、しばらく世界を歩いてみようって。

特別変わったことじゃないです。

いい会社入った先輩で、1,2年で辞めてそういうことする人一杯いるし。

父親:そんなぐうたらな仲間に入ってどうするっ。

息子:勤めてりゃ満足?

ネクタイ締めて、とりあえずひとつんとこ勤めてりゃいいんですか?

父親:まぁ、そうだ。

息子:むちゃくちゃじゃないっ。

父親:若い時はなぁ、ひとつの仕事を我慢しても続けてみるもんだ。

息子:どうして?

父親:自分がどんな人間かわかってくる。

息子:わかってるつもりだけどな・・・。

父親:わかってるもんかっ。

人間ってものはな、嫌でたまらない仕事を我慢して続けたりして、だんだんに自分が

わかってくる。

我慢しているうちに、だんだん自分がしたいことがわかってくる。

だいたい仕事なんてものは、すぐに辞めては本当のところなどわかるものじゃない。

どんな仕事だって奥行きが深いもんだ。

息子:そりゃ父さん、自分の仕事で考えているんだよ。

だいたいの仕事は奥行きなんてないさ。

ひと月も勤めればわかる。

父親:生意気なことを言うなっ!

息子:むしろ褒めてもらいたいけどな。

人の目を気にしていい会社を狙うより、ずっと健康的なんじゃない?

父親:ふわふわ世界を歩いてなにがわかる?

息子:そんなの会社に勤めたって同じじゃない。

せいぜい人当たりがよくなって、処世術を覚えるくらいで。

父親:高をくくるなっ!

息子:だったら俺の計画にも高をくくるなよっ!

*********** 以上

 

この息子を演じたのは私と同じ年齢の佐藤浩市でした。ドラマのなかの彼も大学を卒業後、塾の講師をして資金をため、世界放浪の旅を計画していると言い出します。このドラマを見ていた当時の私は、この息子に自分自身を重ねていたように思います。私の父もまたこの鶴田浩二が演じる父親と似ていて頑固一徹でしたから、なおさらこのシーンに共感できたのではないでしょうか。

そして今、このドラマの父親と同じ世代となった私は、息子の気持ちというよりも父親の気持ちに共感するようになりました。だからこそ若い人たちに「すぐに辞めちゃだめだよ。どこにいっても同じ壁にぶちあたるんだから。別の会社に行っても、結局は『どこの会社も同じだ』って気が付くんだから」と言いたくなるのです。これは私の半生を振り返っての感想でもあります。

要するに私が若い人たちに言いたいことは、「会社(仕事)を辞めることは悪いことじゃない。いつ辞めてもいい。でも、だからこそ、それまでは今の自分がぶち当たっている壁に立ち向かって、その壁を乗り越える努力をしてごらん。そして、どうしても乗り越えられないことがわかったら、そのときにこそすっぱり辞めればいいんだから」ということ。壁を乗り越えようとする努力は必ずあとで役に立つのです。

誰かに相談することもできず、ひとり悶々と悩み、そして試行錯誤しながらもがいていたあの頃に戻ってみたいと思うときがあります。今度はうまく切り抜けられそうに思えるからです。しかし、現実にはあの頃に戻れるはずがありません。であるなら、自分の経験を伝えることで若い人たちが困難を乗り越えるお手伝いができるかもしれない。それが私たちの世代の役割なのではないかと思っています。

最後にこれからの人たちに贈る応援歌を二曲。これは私が北大の医療問題研究会というサークルで活動していたとき、追い出しコンパ(卒業生を送り出す会)で、先輩たちへの応援歌としてよくかけられていた歌です。ひとつは岡村孝子の「夢をあきらめないで」で、もうひとつは松山千春の「大空と大地の中で」。名曲はいつ聞いても勇気を与えてくれます。若い人達にも是非このエネルギーを感じとってほしいものです。

※ UVERworldの「I LOVE THE WORLD」も若い人たちへの応援歌歌詞がすばらしい)

                  がんばれ!

 

ある医学生の日常

この記事は平成29年12月に投稿されたものですが、スパムメイルが集中してきたため同じ内容のものを投稿し直します。以下、その記事です。

 

早いものであと20日もすると平成29年が終わります。年があければいよいよ受験シーズンも本番です。このシーズンになるといつも思い出すのが医師国家試験の勉強をしていた医学部6年生のときのこと。このころのプレッシャーと言ったらそれまでの高校・大学の入学試験の受験勉強の比ではないくらい。なにせ医学部を卒業しても国家試験に合格しなければその6年間がまったく意味がなくなるのですから。「猿は木から落ちても猿だが、医学生は国試(医師国家試験)に落ちたらただの人以下」といわれるゆえんです。

以前のブログでも書きましたが、私たちが医学生のころは2年間の教養学部での時代を経て医学部での4年間の専門教育を受けていました。そして、一年半の基礎医学の講義と実習を終えて4年生の後半から臨床医学の講義がはじまるとやがて内科や外科、小児科や産婦人科とった臨床医学の実習へと移行していきます。6年生になるとほとんどが実習となって、秋にはすべての講義・実習が終わって卒業試験。その試験が終わればあとは国家試験に向けて各自の自習期間に突入します。

私は他の同級生に比べて国家試験の勉強が遅れていましたから、自室の机の上に山積みになった問題集や医学書、そして、勉強ノートがプレッシャーを否応なしに高めていました。授業で配られたプリントや卒業試験の過去問など、ついこの間までやっていた卒業試験の勉強の痕跡を残したまま、今度はすべての基礎医学・臨床医学の領域を問う膨大な試験範囲の国家試験の勉強です。人によってはグループを作って勉強会形式で勉強する人もいましたが私はすっかりマイペースでした。

そうした受験勉強本番を迎えるまで、私は比較的のんびりした毎日を過ごしていました。それは大学での授業といえば、そのほとんどの時間が実習に充てられていたからです。もちろん実習をまじめに出ていればそれなりに忙しいのですが、「さぼれる」ことをいいことに大学をさぼって銭湯に行ったり、自室でごろごろして本(しかも医学書ではない)を読んで過ごしていた私は実に不真面目な医学生生活を満喫していたのでした。まじめな(?)学生は実習に出なくても少なくとも国試の勉強をしていました、が。

ただし、言いわけを許していただければ、「実習」とはいってもあまり「勉強にならない」ものが多かったのも事実です。科によっては、学生教育担当の先生自身が「みんな来たの?まじめなんだね」などと言うところもあって、そんなところでの実習は当然のことながら勉強にならないことが多く、「自分で勉強した方がいいや」とおのずと足が遠のいてしまっていました。もちろん「自分で勉強した方がいい」と思いながらも実際には「自分で勉強」などしないんですけど(言いわけしてもやっぱり不真面目でした)。

実習は4,5人のグループ単位で各科をまわるのですが、すでに実習にまわったグループからいろいろな情報がまわってきます。「あの科はさぼってもぜんぜん大丈夫」「さぼるとやばい。必ず早めに集合」などと、行きかう情報に下々の学生は左右されていました。もちろん、優秀な学生やまじめな学生はそんな情報とはまったく無縁です。私の学生グループには「6年間の成績で優でなかった科目が数個」という才媛の女学生がいました。もちろん彼女はすべての実習にも全力投球でさぼるなんて発想はありませんでした。

彼女は臨床講義での板書をしっかりノートにとり、自宅で完璧なノートを作ってくるという驚異的かつ模範的な学生でした。そのノートは医学書にも勝るとも劣らない完ぺきなもの。眼科の実習のときなどは、教育担当の先生がそのノートをのぞき込んで「そのコピーくれない?」と頼み込んだほどです。?そのノートをもちこんでの実習はさぞかし勉強になっただろうと思いますが、「さぼれる実習はさぼる」というスタンスの下々の学生にはとって実習はほとんど無味乾燥に思えるのでした。

実習では、その診療科での基本的な診察の手技を学ぶとともに、代表的疾患で入院している患者を担当し、医師として必要な態度と知識を身に付けていくのです。実習の最後にレポートをまとめて提出。講評をもらって次の科にまわるということを繰り返します。あるときその同じグループの才媛女子学生が返却されたレポートを読み返して落ち込んでいました。「どうして私ってこうもだめなんだろ」と愚痴をこぼしているのです。才媛が自分のレポートを見てため息をついているのを私は遠めに見ていました。

てっきり私は「レポートの出来でも悪かったのかな」と思っていたのですが、実は彼女が落胆していたのは「満点じゃなかった」ということに落胆していたのです。私などは合格していればいいやぐらいにしか思っていなかったので、凡人には理解できない秀才の悔しさってものがあるんだとそのとき思いました。当然のことながら私には慰めようもないのですが、彼女のような秀才たちのすごいところは失敗や不出来にくじけず、かえってそれをバネにさらに努力するというところ。さすがです。

そんな私でも実習にインスパイヤされたときもありました。それは消化器外科の実習のとき。私達学生はまだ医師免許をもっていませんから医療行為はできません。でも、外科の実習の時は術衣を着て、手術帽をかぶり、マスクと手袋をつけて手術に立ち会います。手術は高度な清潔を保たなければならないため、手洗いの方法も、また、術衣の着方、手袋の付け方にも手順が決められています。医学生とはいえ、それまで手術室にすら入ったことがないので、すべてが新鮮で刺激的な経験でした。

手術がはじまると先生は腹部を消毒。メスを握った助教授が皮膚や臓器を手際よくさばいて病巣に到達します。術衣は思ったよりも厚く、また重いものです。おまけに帽子をかぶって手袋とマスクをつけての手術は暑くて苦しくて想像以上に重労働でした。手術の操作が一段落すると、助教授が私に「これをもってて」と術創を広げるための拘(こう)というものを渡しました。これなら学生が担当しても患者の不利益にはならなりません。私は緊張しながらその拘持ちの手伝いをしました。

先生は「ちょっと拘を緩めて。はい、ひっぱって」と私に指示を出します。私はその指示の出るタイミングをはかりながら先を読んで拘を操作しました。手術が無事終わると助教授が私にいいました。「君はセンスがいいね。とてもやりやすかったよ」と。私はなんだかとてもうれしくなって、外科系の実習には積極的に出席するようになっていました。今思うと、その先生はとても教育熱心な先生でしたから、学生のモチベーションを高めるのが上手だったんだと思います。ダメ学生にはなによりうれしい言葉でだったのでした。

内科の実習ではこういうこともありました。とある内科疾患の患者を担当して、その患者の病気のことを詳細に調べ、患者に詳細な問診をして身体所見をとらせてもらいました。そして、実際の検査所見をカルテから抜き出して今後の治療方針を考えて、それらをレポートにまとめました。その内容を教授に報告して講評を受けたとき、私が何気なく使った「再燃」という言葉を教授をとてもほめてくれました。「現在の患者の病態を表現するのに『再燃』という言葉はぴったりだね」と。教育はほめること、ですね。

教育担当の講師の先生に「君は問診のとり方が上手」と言われたこともありました。「眼底鏡の使い方がうまい」といわたり、ほめられるたびに眼科に行こうか、内科に進もうか、それとも外科にしようかと迷っていました。実習を通じて自分の適性や興味を確認することもこの時期の重要な要素なのです。もちろん学生のときに描いていたものとのギャップに気が付くときもあります。学生によっては臨床医には自分は向いていないことに気が付く者も、医学部に来てしまったこと自体に後悔する者もいます。

実習でどんなことに気が付くにせよ、目の前に突き付けられた「国家試験」には合格しなければなりません。最近の医学生は医学部を卒業しても医師という職業を選ばない人もいます。少しづつ増えているのは医学部を出てマスコミに就職する学生です。彼らは医学部での専門的知識を素人にもわかりやすく解説する科学専門職の記者として働きます。それでも医師国家試験の合格は必須です。それは医学部を卒業しただけでは医学士として認められないということでもあります。

さぼれる実習はさぼっていた怠惰な医学生だった私も、さすがに「国師浪人」になることはとても恐ろしいことでした。何年も浪人して結局大学に入れなかった受験生とは異質な恐怖心を医学生はもちます。平均合格率が90%前後と言うことも恐怖心をさらに大きくします。合格率90%ということは「合格間違いなし」という安心感ではなく、「みんなが合格する中自分だけ落ちたらどうしよう」という恐怖感があたまの中をいつもよぎるのです。この恐ろしさは当事者でないとわからないかもしれませんけど。

このときの気持ちは今もときどき夢となってよみがえってきます。臨床講堂で授業を聴いている夢の中の私は周囲の同級生が国試の勉強を順調にこなす中なにも準備ができていません。膨大な試験範囲を前に、「どうしよう。もうすぐ国試なのになにもやってない。このままじゃ合格はおぼつかない。来年、下の学年の連中といっしょにまた受験するなんて」と暗澹たる気持ちになるのです。そんな焦る気持ちで目が覚めることがときどきあります。現実世界でなにか心配事があると、いつもそういった夢を見ます。

今考えると、医学生はものすごい量の勉強をしています。私もそれを乗り越えてきたわけですが、もう一度それをやれるかといえばきっとできないと思います。だいいちにもう一度やりたくもありません。日進月歩の現代にあって、今の医学生はそれ以上に大変かもしれません。昔の牧歌的な医学生の生活なんて今はまるで夢みたいでしょうし。そんな牧歌的な生活だからこそ今の私は懐かしく振り返られるのかもしれません。もともと怠惰な私。五十路もなかばとなり、ふたたび牧歌的な生活をおくりたいと思う今日この頃です。

質的研究(3)

日本とアメリカの両国での集団面接、いわゆるフォーカスグループでは面白い違いが見られました。会場には食べ物や飲物をおき、参加者が話しやすい雰囲気を作ってインタビューをおこないましたが、アメリカでは多くの人が調査開始までの間、コーヒーを飲んだり、お菓子を食べたりしながら参加者同士が談笑しており、皆リラックスしていました。それに対して日本ではほとんどの人がお菓子や飲み物には手をつけませんでした。また、面接が始まるまでは静まりかえっているなど、アメリカでの風景とは異なっていました。

日本での参加者全員が有力者の紹介で集まり、お互いに知り合いだという人もいました。にも関わらず、フォーカスグループが始まってもなかなか発言がありませんでした。ところが、いったんキーワードとなるような話題が出ると話しが多少だけ盛り上がり、日本の参加者は自分の意見を集団の中で発表するのに慣れていないという様子がうかがえました。調査終了後、協力していただいた人には謝礼を支払ったのですが、日本の参加者は全員がその謝礼を受け取るとそのまま会場をあとにしました。

ところがアメリカは違いました。結構な数の人が調査後も残って、私たちを取り囲んでは「とても興味深い調査だね。もっと詳しく教えてくれないか。日本ではどんな話しが出たんだい?」と今回の研究に関心を持ってくれました。しかも何人かの人が「私はこの研究を手助けするために来たのだから謝礼はいらない」と謝金を受け取りませんでした。自発的に参加したか、紹介されて参加したかの違いによるものかもしれませんが、日本人とアメリカ人の社会参加に対する意識の違いを反映しているようにも見えました。

日米での調査がすべて終わるころ、日本での質的調査の結果を論文にして投稿したときある問題が生じました。それは投稿した学術雑誌の編集委員会が、私の質的調査の論文を「原著としては掲載しない。資料としてなら掲載する」と言ってきたのです。科学雑誌に投稿した論文は「査読」と呼ばれるチェックを受け、論文として不適切な部分の修正を求められます。その雑誌の査読を受けていた私の論文はどうやら原著論文にはふさわしくないと判断されたようでした。

「原著論文」というのはその研究の独創性や新規性が学術的に評価されたものであり、「資料」とは興味深い結果ではあるがその価値は参考程度にとどまる論文といったニュアンスがあります。ですから、「この論文は原著ではなく資料として掲載するべき」ということは、科学論文としての価値が不十分だとみなされたのも同然なのです。投稿した雑誌が従来から量的研究の牙城だったからかもしれませんが、原著論文として掲載されないのは質的研究(調査)の論文だったということが大きく影響しているように思えました。

すでにお話ししたように、数値を使って統計学的な有意差を確かめる量的研究とは違って、質的研究はあくまでも分析者の主観を利用しています。主観を利用していますが、「恣意的な研究」ではありません。しかし、「恣意的」だとする誤解(偏見?)が根強く残っている質的研究の論文は、当時、学術雑誌に原著として掲載されることはほとんどありませんでした。しかし、私は「原著論文の価値がある」と確信できる論文を書いたつもりでしたし、ミシガン大学のフェターズ先生からもお墨付きをもらっていました。

一方で私は、質的調査の結果をまとめた自分の論文をあえて量的研究の牙城ともいえる学術雑誌に「原著」として掲載することを重視していました。それは質的研究も「科学的研究」なのだと認めさせる戦いでもあったからです。それまでさまざまなところで感じてきた質的研究に対する偏見や誤解を払拭し、質的研究も学術的な手法として正当なものであることを主張するためには、量的研究の牙城ともいえる学術雑誌に質的研究の論文を「原著」として掲載しなければならならなかったのです。

私の論文は三人の編集委員から査読を受けた後、委員が求めた修正コメントとともに戻ってきました。しかし、査読した委員からの修正コメントには、質的研究を方法論として理解しているとは思えないような不適切な修正要求が書かれていました。私は論文の修正すべきところは修正しましたが、納得のいかない修正要求にはひとつひとつに反論を書いて再投稿しました。編集委員のひとりはその後再修正を求めてきませんでした。しかし、他の二人の委員からはなおも前回と同様の修正要求が再び送られて来ました。

私の反論に対して納得のいく回答がないことを指摘するとともに、共同執筆者でもあるフェターズ先生の「原著論文にならないのは納得できない」との意見を添えて再度反論しました。しかし、編集委員会からの査読結果は変わりませんでした。むしろ「資料でであれば掲載するが、あくまでも原著論文としての掲載を求めるなら受理しない」と突き放すような回答が返ってきました。質的研究の論文を原著として雑誌に掲載することの難しさを改めて感じさせられました。

私はフェターズ先生と相談の上、今回は「資料」での掲載で甘んじ、次の論文を原著で掲載することを目指すことにしました。「今度こそ原著論文で掲載させてみせる」との決意も新たに、その後の論文もこの雑誌に原著論文として投稿しました。もちろん納得のいかない査読結果にはしっかり反論して再投稿しました。ところが、そうした私の意気込みをよそに、編集委員会はあくまでも「原著も資料もその価値は同じだから」という理由を繰り返し、続いて投稿した論文もことごとく原著として掲載しませんでした。

質的調査を実際にやってみると、質的研究の課題も明らかになってきました。そうしたことも、他のいろいろな雑誌に論文として投稿していました。するといつしか原著論文として掲載することを拒んでいたあの学術雑誌から質的研究の論文の査読を頼まれるようになりました。おそらくその雑誌にも質的研究の論文投稿が増えてきたからだと思います。それまで納得できない査読結果に不満をもっていた私は、私自身の経験をふまえて執筆者が質の高い論文を書けるよう、執筆者が納得できる査読を心がけました。

そんなときにちょっとした「事件」がありました。それは投稿された論文を査読していたときの話しです。私はその論文の方法論として修正しなければならない点をいくつか指摘して執筆者に送り返しました。ところが、いつまで経っても再投稿がありませんでした。私はいつの間にかその論文のことを忘れていました。あるとき、雑誌を見ていたらなんとあの論文が掲載されているのに気が付きました。私はびっくりしました。あの論文を雑誌に掲載させることを私はまったく了承していなかったからです。

私は編集委員会に連絡しました。ところが「編集委員会の決定にもとづいて掲載したものであり、あなたの査読結果に拘束されない」というのです。「それではなんのための査読なのか」と強く抗議しましたがあとの祭り。あとで調べてみたらすごいことがわかりました。その論文はなんとこの雑誌の編集委員会幹部の研究室の修士論文だったのです。つまり、一刻も早く雑誌に掲載しないと、学位論文の提出に間に合わなかったというわけです。自分が指導する学生へのお手盛りだといわれても仕方のない判断です。

こんな解釈は私の「ゲスの勘繰り」かもしれません。でも、事実を時系列に並べるとそうなるのです。私は「日本のアカデミックはここまで腐っているいるのか」とあきれてしまいました。質が担保されていた(はずの)私の論文を原著論文として掲載することはかたくなに拒みながら、その一方で編集委員会幹部に忖度したかのように基準に満たない論文を掲載してしまうという現実はあまりにも衝撃的でした。それ以来、私には質的研究の論文の査読依頼は来なくなりました。当然のことながら、後日、私は学会を退会しました。

いろいろなことがあった大学院時代でしたが、ついに学位論文をまとめる時期がやってきました。すでに質的研究の方法論について、あるいは実際におこなった質的調査についてまとめた論文が次々と雑誌に掲載されていましたから、あとは形式にしたがって学位論文にまとめるだけでした。当初、「質的研究で学位はとれないのではないか」という陰口も耳にしましたが、私は「それでもできるだけのことはやってみよう」と気にとめないようにしていました。でも、私はついに質的研究で医学博士の学位を取ったのです。

質的手法をもちいた調査研究で医学博士が授与されたのは私が初めてではないかといわれています。大学院に進学したものの、研究の進め方も、論文の書き方も、すべてを自分ひとりで学んできました。正直にいえば、「学位論文にまとめられれば、学位までとれなくてもいいや」と弱気になったこともあります。しかし、ミシガン大学のフェターズ先生の助言と協力と多額の研究助成のおかげもあって私は学位をとりました。ゼロからスタートして学位にまでたどり着けたことはその後の私の大きな自信となりました。

開業医としての仕事をしながら、大学院時代の「プライマリ・ケアに対する患者ロイヤルティの関する研究」はとても役に立っています。患者が私たちになにを求め、なにに不安を感じているのか。患者の「声なき声」ともいうべきニーズを追い求めながら、あるべき医療を考えるとき、あのときの研究が私にヒントを与えてくれます。日本やアメリカでの質的調査、ミシガンで生活した思い出は今でも私の大きな原動力になっています。今の自分は間違いなくあのときの研究、当時の思い出に支えられています。

質的研究(2)

「プライマリ・ケアに対する人々の信頼を醸成する」ためには、まず、患者がプライマリ・ケアをどうとらえているかを調べてみなければいけないと私は思っていました。それらをインタビューをはじめとする質的調査手法で調べてみようと思ったのです。そして、患者がプライマリ・ケアに対して持っているイメージの背景に何があるかを明らかにしてみようと考えました。そのためにまず日米の比較研究をしてみよう。そう思っていたときに巡り会ったのが米国ミシガン大学のマイク・フェターズ先生です。

私は当初、米国留学から帰国したばかりの助教授に、日米比較調査をするアメリカ側の相手を探すため、米国で診療している日本人医師を紹介してもらいました。するとミシガン大学医学部のアメリカ人研究者が質的研究を実際にやったことがあるらしいと教えてくれました。それがフェターズ先生でした。さっそく私はフェターズ先生にeメールを送りました。すると彼も私の研究に関心があるとの返事をもらいました。それ以後、日米比較調査はとんとん拍子に具体化していきました。

問題は研究費をどう捻出するかでした。質的調査、しかも日米両国での調査となればそれなりの経費がかかります。そこで私は受けられそうな研究助成(グラント)に片っ端から応募してみました。小さな額から大きな額まで、応募できる助成のすべてに申請書類を送りました。その中でもとある大手製薬会社の助成金は500万円と多額でした。大学院に進んでからすでに結構な額の自腹を切っていたこともあって、この研究助成金は是非獲得したいものでした。私は祈るような気持ちで応募しました。

しばらくして私の研究が採択される旨の通知が来ました。500万円の助成金が受けられるのです。正直、ほっとしました。この助成金でインタビュー調査に使用するビデオカメラや音声録音機器のほか、質的調査の分析の際に必要となる機材を購入することができます。なにより調査に協力してくれた人たちに謝金が払えます。また、アメリカへの渡航費用や滞在費も捻出できます。私のモチベーションは一気に高まりました。論文を執筆するペースもどんどん進んでいき、日米比較研究をはじめる準備は次第に整っていきました。

そのときの研究室には大学院生の後輩がいました。他大学の歯学部を卒業した彼を、うちの医局の教授が誘って大学院生として入学してきたのです。しかし、彼もまた入学後ずっと教授から指導を受けることもなく、日々を無為に過ごしていました。なにをやればいいのかわからないまま時間だけが去っていく。そんな毎日に彼はどんどん元気がなくなっているように見えました。せっかく期待を胸に入学してきただろうに、なかば「飼い殺し」になっている彼が気の毒でした。

私は彼を共同研究者にして日米比較調査の手伝いをさせようと思いました。500万円もの助成金を得られたのですから、彼をアメリカに連れていく渡航費も出して上げられます。私の調査の手伝いをしながら、彼自身の研究に対するモチベーションを高められればという思いがあったのです。そのことを告げると彼の表情は明るくなりました。これまでたったひとりで頑張ってきた私ですが、共同研究者という心強い仲間もできました。日米比較調査に対する期待はどんどんふくらんでいきました。

フェターズ先生とはeメールで、ときには国際電話でやりとりをしながら日米比較調査を具体化していきました。その一方で、渡米するまでに日本でのインタビュー調査も進めておかなければなりませんでした。北海道大学の倫理委員会に日米比較調査をする申請をしたり、調査に入る地域への挨拶まわりをしたり。調査に協力してくれる人の募集やインタビューガイドとよばれる進行表の作成など、やらなければならないことが目白押しでした。それまでマイペースだった大学院生活は一転してとても忙しいものになりました。

そんなとき、フェターズ先生から私を愕然とさせる連絡が入りました。それは「ミシガン大学との共同研究には約300万円の協力費が必要だ」というのです。今回の日米比較調査は正式に北海道大学とミシガン大学の共同研究になっていました。ですから、北海道大学に対する申請の他に、ミシガン大学でも膨大な申請書類を提出して審査を受けなければなりません。ミシガン大学の施設を使い、私も研究員として調査に加わる以上、それなりの費用がかかるというのがフェターズ先生の説明でした。

500万円の研究助成を受けられると喜んでいたのもつかの間、その多くをミシガン大学に支払わなければならない。フェターズ先生は「これは大学の決まりだから」と言いますが、思いもかけない多額の出費はやはりショックでした。しかし、予算が大幅にオーバーするからといって調査を縮小することもできません。アメリカに連れて行く後輩の渡航費を負担しないわけにもいきません。予想外の出費を自腹でまかなうことにして調査は予定通りに進めることにしました。

アメリカには打ち合わせのために何度か行きました。そのときの珍道中はすでにこのブログでも紹介した通りです。ビデオ機材を担いでなんども「羽田ーデトロイト」を往復したせいか、アメリカでの入管では結構しつこく入国目的をきかれました。二回目の打ち合わせに渡米した帰り、成田空港では珍しくめずらしく手荷物検査も受けました。入管の審査官はビデオの三脚を中心に細かく調べていましたが、おそらく麻薬の密売人を疑われていたんだと思います。三脚に麻薬を隠すことが多いのでしょう。

日米比較調査というビックプロジェクトを進めているというやりがいを感じながら毎日が充実していました。日本での調査も順調に進み、あとは渡米するのみとなりました。アメリカでの長期滞在のために用意したどでかいトランクの中には、日本での調査結果とともに私の夢と希望が詰まっていました。成田で共同研究者である後輩と合流し、「羽田発デトロイト行きのノースウェスト機」に搭乗しました。打ち合わせに初めて渡米したときの失敗を繰り返さないためデトロイトへの直行便を選びました。

デトロイト空港での入国審査ではかなり入念に質問されました。「入国の目的は?」「どのような研究?調査の内容は?」「共同研究者の所属と名前?」「その間の生活費はどうする?」「どこに住む?」などなど矢継ぎばやにきかれました。きっと観光ビザで入国しても実は労働目的ってアジア人が多いからなんでしょう。ようやくアメリカに入国できたのもつかの間、レンタカー会社に行き、慣れない英語で車を長期間借りる手続きをしてようやくアン・アーバー市へ。

アン・アーバーに着いてミシガン大学へ。まずは大学の留学生用の宿舎を借りなければなりません。広い大学構内にレンタカーを走らせ、あちこち迷いながらようやく事務所にたどり着きました。英語での手続きは思いのほか簡単ですぐに終わりました。ミシガン大学の広さは日本の大学の比ではありません。構内にひとつの街が存在するかのような広さ。無料の巡回バスが定期的に走っているくらいですから。校舎を移動するときはそのバスに乗っていきます。アメリカでは車なしでは生活できないのです。

大学の構内には至るところに掲示板があり、ボランティアの募集やなにかのレッスンの勧誘チラシがぎっしり貼られています。例えば、転居かなにかで車が不要になった人は「車売ります」と書いた紙を貼っていきます。そのチラシには電話番号が書かれた小さな紙片がぶらさがっていて、その車に興味をもった人たちがその小さな紙きれをちぎって持って帰るのです。アメリカに何年も留学する人たちはこうして中古の車を手に入れます。アメリカならではの合理的なシステムです。

私たちが借りた留学生用の宿舎は二階建ての建物の二階にあって、20畳ほどのリビングと8畳の寝室、そして、台所とバスルームという家内とふたりで生活するにはちょうどいい広さでした。週末には掃除や洗濯をしてくれるハウスキーパーが来てくれました。一方で、一緒に連れて行った大学院の後輩は、発展途上国からの留学生などが格安で住むことができるアパートに部屋を借りました。そのアパートは大学からは少し離れていましたが、私の宿舎に来るときは大学の無料バスで来ることができました。

フェターズ先生は家庭医療学講座の准教授でした。平日は彼のオフィスがある大学の施設に通い、アメリカで行なう調査の計画と準備をしました。オフィスには長崎大学医学部から留学していた先生や公衆衛生学部の日本人留学生などがいて、私たちの調査に協力してくれました。24時間英語で話さなければならない環境は私にとってはそれなりにストレスでした(家内によれば、寝言すら英語だったそうですから)が、日本語が通じる日本人留学生が身近にいることはとても心強かったです。

準備万端でおこなったアメリカでの調査はとても興味深いものでした。アメリカ人の成熟した社会性に感心したといってもいいかもしれません。調査はまずインタビューに協力してくれる人を探すことから始めました。当初、誰かからの紹介ではなく、調査に興味を持ち、自発的に応募してくる参加者を集めることにしていました。そこで、アン・アーバー市とその周辺地域にある教会やスーパー、床屋さんなどをまわって、掲示板にチラシを貼らせてもらい協力者を募集しました。

アメリカでは協力的な人ばかりでした。調査の目的と概要を説明して「貼り紙をさせてもらえないか」と頼むとほとんどの人が好意的でした。「とても大切な調査だね。好きなところに貼っていっていいよ」といってくれます。とくに教会などでは「他の教会、知り合いの人にも貼り紙を頼んであげましょうか」と申し出てくれるなどとても協力的でした。ときには私の英語が下手で困ることもありましたが、貼り紙をさせてもらうのに苦労することはほとんどありませんでした。

一方、日本ではこうはいきませんでした。同じように貼り紙をお願いしても、「それはちょっと勘弁してください」と拒否されたり、「責任者の許可をとらなきゃならない」と言われてその後返事がないまま、といったことがしばしばでした。日本では調査の目的や内容の問題というよりも、「協力する」ということ自体が嫌厭されていたように思います。結果として、アメリカでは貼り紙を見て自発的に応募して来た人が多かったのに対して、日本の参加者はその全員が紹介してもらって集めた人という結果になりました。

 

********* 「質的研究(3)」に続きます。

質的研究(1)

私がまだ医学部の学生のころ、「全人的医療を考える会」というセミナーが開かれていました。「全人的医療」とは「人の疾患を診るのではなく、病気を抱える患者を診る」をスローガンとする医療をいいます。その医療を実践する運動で中心的な役割を果たしたのが今は亡き大阪大学の中川米蔵教授です。セミナーでは座学や講演、体験学習がおこなわれましたが、私はその会自体よりも体験学習に興味があり、その方法論をめぐって中川教授となんどか手紙のやりとりをしたほどでした。

当時から私は「医者には面接技法が必要」と思っていました。そんなこともあって、カウンセリングを治療法としてもちいる臨床心理学を中心に勉強していました。セミナーでの体験学習の方法論につながっているように思えたからでもあります。エンカウンターグループという集団面接によるカウンセリングは、医者になったとき、外来での患者とやりとりに活かせるのではないか。そんなことを考えながら勉強していましたが、後に私が学位をとった質的研究にもつながっていきました。

私は特定の臓器を専門とする医者(一般的にいう「専門医」)になろうとは思っていませんでした。当初からプライマリ・ケアを担当する「プライマリ・ケア医」としてできるだけ患者を幅広く診ることができる医者になろうと考えていました。病気を治療・管理するだけではなく、患者の不安や悩み、健康相談までトータルにサポートできる医者になりたかったのです。専門医になることよりもプライマリ・ケア医として患者を診ることの方が医者としてやりがいがあると思っていたのかもしれません。

しかし、「プライマリ・ケア医(開業医)を信用していない国民は決して少なくない」ということはうすうす感じていました。「開業医」や「町医者」といった言葉には、どこかその医者を軽蔑するような響きがあります。大学病院の医者は優秀で、町医者はあてにならない、そんなイメージがあるのかもしれません。開業医の多くはかつて大学病院の医者だったのに、町医者になったとたんになぜそのようなイメージにかわるのか。私は以前からその理由が知りたいと思っていました。

専門診療をする医者には当然専門性がなければなりません。その専門医が持つ高度で専門的な技術と知識はプライマリ・ケア医にはないものかもしれません。しかし、その一方でプライマリ・ケア医には患者をトータルに診ていく医師としての守備範囲の広さが必要です。特定の臓器をあつかう専門医にはこの守備範囲の広さがありません。つまり、それぞれの医者にはそれぞれの専門性があるのです。専門医の「深さ」とプライマリ・ケア医の「広さ」を「どちらが有能か、優秀か」と比較すること自体が無意味なのです。

にもかかわらず、一般の人たちの中にはプライマリ・ケア医に対する根強い不信感がありそうです。それがどう形成されてきたかを知ることは、プライマリ・ケア医への信頼をとりもどすことにつながるかもしれません。しかし、そうした調査や研究をした文献はこれまでほとんどありませんでした。プライマリ・ケアに関する研究はそれだけ遅れているということでもあり、私は大学院で「国民の信頼を得られるプライマリ・ケアのあり方」について研究をしてみたいと思いました。

といいながら、私が調べたいと思っていた領域の研究の指導をしてくれる場所がありません。仕方なく当時所属していた医局の教授を指導教官にして大学院に進むことにしました。「仕方なく」と書いたのは、当時の医局の教授はあまり研究に関心がなく、適切な指導を受けることは期待できなかったからです。しかし、それは逆に自由に研究をさせてもらえることでもあります。なにはともあれ、とにかく大学院に進んでやれるだけのことはやってみようと思ったのでした。

大学院に進んでみると、予想したとおり指導教官の「指導」はありませんでした。何をどうしたらいいのか、私は手探りで研究を始めなければなりませんでした。でも、自分で選んだ道です。同じ研究室の仲間達に愚痴をこぼしながらも、とりあえず「プライマリ・ケアへの信頼を取り戻すにはどうしたらいいか」という大テーマに関連する本を私は片っ端から読んでみました。また、これまでの先行研究もできるかぎり取り寄せて読みることにしました。はじめの1年はこの作業に明け暮れました。

すると、やらなければならないテーマが次々と浮かんできました。その領域もどんどん広がっていきます。それほどまでに医師・患者関係に関する研究はほとんどが手つかずだったのです。それには理由がありました。まず、医者はそのような事柄に関心がなかったこと。そして、「どのような方法論」で調べていくかについて限界があったからです。多くの研究はアンケートに頼ることがほとんどでしたが、アンケート調査を繰り返してもそれまでの研究成果をブレイク・スルーするような結果は得られなかったのです。

研究課題を明らかにするのにふさわしい方法論が見つからない。そんな現実に行き詰まっているうちにあっという間に2年が経とうとしていました。あと2年で成果を出さなければいけないというプレッシャーを感じるようになったとき、アメリカでの留学を終えて助教授に赴任してきた先生に「アメリカでは『質的研究』というものがあるようだから勉強してみたら」とアドバイスされました。「質的研究」という耳慣れない言葉に興味をもった私はさっそく調べてみることにしました。

試験管を振ったりして実験的に調べる研究を自然科学といいますが、人々がどう考えているのかをアンケートなどの手法を使って調べる研究を社会科学調査といいます。アンケートでは統計学的な手法を使って回答の傾向を調べますが、社会調査ではときにアンケートではなく、観察調査やインタビュー調査などによって人間の行動や意識の深い部分を探ろうとするものがあります。これらの手法はアンケートでは知ることのできないような事象の意味などを調べるときに有用な方法論です。

このように、社会調査の中でアンケート調査のようにデータを数値化して統計処理するものを「量的研究」、インタビューなど非数値化データを利用して解析するものを「質的研究」といいます。従来の「量的研究(調査)」に慣れた人たちからすると、数値や統計処理に頼らずに解析する質的研究は客観性に欠けた「いい加減な調査」に見えるようです。質的研究に向けられる批判の多くはまさしくその「客観性がない(に欠ける)」という点(ある意味でこれは無知から来る誤解なのですけど)でした。

でもよく考えてみて下さい。アンケート調査はデータを数値化して統計理論を背景に客観性が担保されているように見えます。しかし、アンケートの回答がきちんと対象者の意見や考えを反映しているとどうしていえるでしょう。アンケートの内容、設問の妥当性が担保されているかという点は重要です。しかし、そこは皆目をつぶっています。アンケートの選択肢にはない回答は「その他」として処理されますが、「その他」の回答の中にこそ重要な情報があるといった場合もあります。

つまり、「量的研究」と「質的研究」のどちらが優れているかという問題ではないのです。その調査に適している方法論はなにか、というところが大切なのです。たしかに質的研究は恣意的なもの、あるいは作為的なものになる危険性はあります。しかし、調査プロセスをしたがって、調査の質を担保する工夫を施し、論理的に結論を見いだす努力によって科学性はある程度担保されます。そのことを私は、質的研究の方法論をその根本から学びながら実感しました。

私はまず「恣意的だ、主観的だ」といわれる質的研究の方法論を一度整理してみようと考えました。質的調査の正当性・妥当性を統計学的に調べようと思ったのです。学生アルバイトを募って、質的研究でおこなう分析の妥当性を検討する実験をしてみました。たった8人ほどの学生を使ったものでしたが、事前に分析のプロセスを決め、複数の分析者による確認作業を併用すれば、「人間の主観はいい加減だ」と一方的に批判されるべきではないことがわかりました。

こんなことがありました。ちょうどこの頃、長男は2歳ぐらいでいろいろなものを口にするので困っていました。携帯電話を手にしてボタンを押すことを覚えて、いろいろなところに電話をかけてしまい、その都度私たちが謝りの電話をかけるといったことがしばしばありました。私のところにもなんどか電話がかかってきて、「もしもし」と呼びかけても返事なし。何度も呼びかけるうちに「スーハー、スーハー」と鼻息だけが聞こえてきます。なにやら「変態電話」のようなコールでした。

あるとき私の携帯をなにげなく見たら、方法論に関する実験を手伝ってくれた女子学生の連絡先に電話をかけた痕跡がありました。若い女子学生のところに用もないのに私が電話をするはずがありません。私はとっさにあの「スーハー、スーハー」という息子の鼻息を思い出しました。私の携帯からの電話を受取って、その「スーハー、スーハー」を聴いて女子学生が勘違いしていないか心配になりました。私は勇気を出してその女子学生にかけ直し、息子が間違ってかけてしまった電話だったとお詫びしました。

彼女たちのような学生を使って質的研究の方法論を検討してみると、質的な調査手法が私がこれからやろうとしている研究に役立つことを確信しました。しかし、指導教官にそうした進行状況を報告しましたが反応はありませんでした。また、医局の中ですら私の研究に向けられる冷ややかな目を感じていました。統計調査に慣れた人たちからすれば、質的研究という聞き慣れない方法論は「統計学的に意味のない調査」に見えたのかもしれません。私はそうしたまるで偏見のような逆風を感じながら研究を続けました。

 

****** 「質的研究(2)」につづくに続く