私の「幸福論」

本年3月1日付で投稿した「私の『幸福論』」については、最近、多数のスパムメールが寄せられています。そこで先の投稿文を削除してあらためて以下アップし直します。

以下、本文

多種多様な価値観を持つ社会ほど、しなやかで力強く、創造的かつ生産的な社会だといわれています。いろいろな考え方の人がいるからこそ社会は支えられ、発展するというわけです。なんらかの価値観にかたよった社会ではいろいろな問題に対応できないといういい方もできます。ひるがえって家庭にあてはめてみると、価値観が完全に一致した配偶者にめぐり逢うなんてことは奇跡に近く、誰もが新婚時代に価値観のぶつかりあいを経験するわけで(今でもぶつかっている?)、価値観の違いを乗り越えるということはそう簡単なことではなさそうです。

 個人的にいえば、人間の価値観の相違はとくに人生観、あるいは幸福観において顕著なのではないでしょうか。「人間、いかに生きるべきか」あるいは「幸せってなんだろう」という命題に正解などなく、百人いれば百通りの答えがあるのです。ストイックな人生が輝いて見える人がいれば、快楽主義的な生き方にこそ価値を感じる人もいる。ですから、これからお話しすることはあくまでも私個人の考えとしてお読みいただければと思います。私の価値観を人に押し付けるものでもありません。と同時に、他人からとやかく言われることでもないという点を強調しておきます。

早いもので今年ももう3月となってしまいました。小中学校の入試も終わり、おおかたの国立大学の二次試験も終了しました。残すは今日からはじまる公立高校の後期試験だけでしょうか。うちにも来年の高校受験を控える中学二年生の子どもがいるので、これからいよいよ否応なしに受験モードに入っていきます。親として表面上は泰然自若を装い、子供には常に冷静な姿を見せておかなければいけないのでしょうが、いかんせんそこは悲しいかな凡人の私。来年の受験に向けてどこまで平常心でいられるか自信はまったくないというのが正直なところです。

 中学二年生にもなると、子どもながらに自分の将来のことをぼんやり考え始めるとともに、不安になる時期でもあります。先日もニュースで、学校の担任とそりが合わなかった中学生が「担任のせいで自分の人生は終わった」と遺書に残して自ら命を絶ったと報道されていました。そうした出来事を耳にするたびに、同じ世代の子どもをもつ親としては切ない気持ちになります。しかし、かくいう私も、これまで自分の子どもとこうしたことをじっくり話し合ったことはありませんでした。ところが、ひょんなことから息子と人生についてじっくり話をする機会がありました。

 それは息子に勉強を教えているときのことでした。仕事を終えて疲れて帰ってきてから少しだけ息子に勉強を教えているのですが、教わっている最近の息子の態度がとてもいい加減に見えていたこともあって、いつになく声を荒げて息子を叱ってしまいました。さすがの息子もその私の怒りっぷりが理不尽に見えたのか、これまたいつになく口をとがらせて反論してきました。息子の言い分もわからないでもありませんでした。しかし、仕事のことで少しイライラしていたからか、私はそれまで心の中にわだかまりとしてたまっていた息子への不満をいっきにぶつけたのでした。

 しかし、私がひとしきりこれまでの息子の勉強への姿勢を批判したあと息子は私に言いました。「父ちゃんは今幸せ?」。「ああ、幸せさ。ママもいて、ふたりの子どもにも恵まれたからね。仕事もそれなりに順調だし」。すると息子はしみじみと「そうだよなぁ。子どものころからなりたかった医者にもなれたんだし」と。彼がそんなことを言うとは思っていなかったせいか、私は彼の次の言葉にショックを受けました。それまで机の上に視線を落としていた息子が私をしっかり見つめてこう言ったのです。「そんな父ちゃんより俺が幸せになれると思うかい?俺は父ちゃんより幸せにはなれないんだよ」。

 息子は私をそんな風に見ていたんだと少し意外な気持ちがしました。これまで息子に私は「いかに自分が子どものころ勉強をしなかったか」、あるいは「どうして勉強するようになったか」をなんども話してきました。私としては「誰でも努力を怠らなければ医者ぐらいにはなれる」という気持ちを彼に伝えたかったからです。そして、それを聴いた息子に「よし、それなら俺も頑張ってみよう」と奮起してもらいたかったのです。しかし、それを聴いていた息子の目には「自分にはとてもまねのできないもの」として映っていたらしく、私はそのことに多少ショックを受けていました。

 でも、私は気を取り直して息子に言いました。「でも、幸せっていったいなんだろう?手にいれることができるものなんだろうか。ずっと手元においておけるものなんだろうか?」。息子は「そんなこと知らないよ」とちょっと投げやりです。「幸せって、人によってその形や中身も違えば、大きさだって違うんだ」。息子は視線を机の上に落としたままです。「君がなにに幸せを感じるかは俺とは違うはずだし、違っててぜんぜん構わないものなんだぜ」。私はこのとき「自分の幸福論」を話しはじめました。延々と1時間ほど続いたでしょうか。息子は意外と黙って聞いていました。

********** 以下はそのときの要旨です。

 世の中にはいろいろな価値観がある。遊んで暮らしていければいいと考える人もいれば、日々努力をしてひとつひとつに向上心をもって生きていくことを善とする人もいる。あるいは人知れず自分の世界を大切にして人里離れた場所でひっそりと暮らす人だっているだろう。でも、そのどれが「いい生き方」かってことでもなければ、どれが素晴らしいかって問題でもない。結局は「どの生き方が好きか?」って問題なんだよ。そうしたいろいろな価値観を持った人が、自分の持ち場でそれぞれが幸せだと感じることができれば、それを「幸福」っていうんじゃないんだろうか。

このあいだ、新聞に、学校の担任に嫌われた中学生が「担任に睨まれたから俺の人生はもうおしまい」なんて遺書を残して自殺してしまったというニュースが載っていた。たかだか担任の先生に気に入られるかどうかで人生って決まっちゃうのかい?いい高校あるいは行きたい高校に行けないと人生は終わりなの?大学行けないと(あるいは行かないと)幸せになれないの?就きたい仕事に就けないと、あるいは定職に就かずにアルバイトで生活していたらその人は不幸なの?逆に、小さいころから勉強ができて、いい大学を出て、大きな会社に勤めて、社長になったらその人は幸せなのかい?

 あのね、会社という組織を考えればよくわかるよ。出世することを第一と考え、家庭生活を犠牲にしてまで懸命に働いたサラリーマンがいたとしよう。そして、その努力と犠牲の甲斐あって見事社長になれたとして、その人は幸せといえるだろうか。奥さんとの四十年や子どもたちとの三十年間の家庭生活を犠牲にして、奥さんや子どもたちがその出世を恨んでいたとしたらどうだろう。その人の幸福にどのような意味があるんだろうって思わないか?会社での何十年かを振り返って「俺の人生に悔いなし」って言えればいいよね。でも、犠牲にしてきた家族との生活はもう戻ってこないんだよ。

もちろん、こうした人も会社には必要だよ。会社で働く人がみんな「家庭が第一。出世しなくてもそこそこに働ければいい」と考えるようじゃ会社は成り立たないからね。だけど、だからといって「家庭が第一」と考える人が社会人として劣っているということでもない。どちらも価値観としては認められていいということなんだ。そういういろいろな価値観があって社会はなりたっている。だから、有名な学校を出ようが出まいが、学校の成績がよかろうが悪かろうが、社会的地位の高いポジションにいようがいまいが、その人の価値を決めるわけでもないし、幸せかどうかを規定するものでは決してないということさ。

 考えてみると、人間は生きていく中でいろいろなターニングポイントに遭遇して、人生の選択を迫られる。そのポイント、ポイントで最善と思えるような選択をしなければならない。「最善の選択」とはいっても正解とは限らないよ。正しいかどうかなんて誰にもわからないんだから。「後悔をしない選択」という意味にすぎないと思う。後悔のない選択をするためには日々努力をしなければいけない。その「日々の努力」あるいは「後悔のない選択」の積み重ねの総体が人間の幸せなんじゃないのだろうか。つまり、幸せに終着点はない。幸せは手に入れられるようなものではないってことなんだ。

君はなんのために勉強しているの?もちろん希望する学校に入るためだよね。それならなんのために希望する学校に入りたいんだい?それは一義的には幸福感を得たいためであり、二義的には将来の希望につなぐためだよね。では、希望の学校に入れないと将来の希望をつなぐことはできないのだろうか。そうじゃないよね。だって、「人生の扉」を前にして、希望の学校に入れたということが正解かどうかだなんて誰にもわからないんだから。つまり、どのような扉を開けるにせよ、それぞれの人がそのときどきに応じて誠意をもって最善の判断を繰り返していくことしかないんだよ。

 「神は自ら助けるものを助ける」という言葉があるよね。人の一生にはなにか正解があって、その正解をたどることが幸せにつながると多くの人はなんとなく思っている。だけど、実はそうじゃない。人生にそもそも正解などないし、お手本なんてものすらない。つまり、その人でしかたどれない人生を誠実に生きていくこと。その積み重ねが少しづつ「幸せの貯金」となっていく。その誠実さ、その日々の努力を神さまは見ているんだよっていうのが、先の言葉の意味なんだと俺は思う。他人の人生なんて自分にはなんの関係もない。自分を誠実に生きるってことこそ大事なんだと思うけど。

 生きるのが苦しくなるのは他人の目を気にするから。他人と自分を比較するからさ。自分がどう生きようと他人には関係ないのと同じように、他人がどのような人生を生きようと君の人生にはなんの関係もないんだよ。君の人生が家族や身近な人たちの人生になんらかの影響をあたえることはあるかもしれない。身近な人たちにどのような影響を与えるにせよ君が誠実に生きるという姿勢を貫くならばそれは許されるものさ。気にしなくたっていい。だってたった一度の自分の人生なんだもの。自分のために生きるのも自分、他人のために生きるのも自分。どちらがより尊いかって問題じゃない。

 君自身は、今やらなければならないこと、選択しなければならないことはなにかに常にアンテナを張り、最善の行動をとるようにしなければいけない。君の年代はその訓練をする時期。結果がどうであろうと知ったこっちゃないじゃないか。やるべきことをやるだけ。それ以上のことは神さまにまかせるしかない。後ろを振り向くな、ただひたすら前をみろ。立ち止まって振り返っている暇はないからね。ただし、心折れて歩けなくなったら、あるいは道に迷って途方に暮れたら地べたに寝そべって目をつぶれ。そして、いつかふたたび立ち上がればいい。人生なんて長いようで短いけど、本来は気楽で自由な旅みたいなものなんだし。

アルバイト考

最近、「働き方改革」という言葉を耳にします。今や死語となってしまった「猛烈サラリーマン」に代表されるように、これまでの日本人はともすると家庭生活はもちろん、あらゆるものを犠牲にして働くことをいといませんでした。それを美徳とすら思ってきたのです。しかし、先ほどの「働き方改革」は、これまでの「働くために生きる」ともいえるようなライフ・スタイルを「よりよく生きるために働く」ものにシフトしようというスローガンのもとで進められています。

思えば、私たちも研修医のころは24時間、365日働いていたと思うくらい働いていました。また、それが当たり前のようにすら感じていました。ですから、最近の研修医の中にはいわゆる「95時勤務」となって、5時になると早々に離院できるという話し(実際はそんなに甘い研修ばかりではないのでしょうが)を耳にするにつけ、なにやらもったいない気持ちになります。ましてや「医者も労働者だ」という視点で医師の労働時間を議論されることにも個人的には少し違和感を覚えます。

とはいえ、これまで生活の中心になっていた労働を、生活を充実させるために働くというパラダイムにシフトさせるということは決して悪いことではありません。自分の生活を犠牲にして働く人がいなければ支えられないものがあるとはいえ、犠牲を強いなければならない人を必要とする社会は本来間違っています。すべての人がよりよく生活できる社会を作らなければいけません。その意味で、「働き方改革」というムーブメントは「はたらく」ことの意味を見直すいい機会になるかもしれません。

私もこれまでいろんなアルバイトをしてきました。自分に向いている仕事もあれば向いていない仕事もあって、それぞれに思い出があり、たくさんの教訓を得ることができました。でも、当時は働くってことがこんなにも大切なことなんだというところまでは考えが至らず、ただ単にお金目的で働いていたに過ぎません。やりがいだとか働く意味なんてことまではまるで考えていませんでした。そうしたことがわかったのはやはり年齢を重ね、社会人となってからです。

総じて私がやったアルバイトはどれも楽しかったです。出版社で辞書を作るバイトだったり、守衛さんのお手伝いだったり、とある私立中学の林間学校のスタッフだったり、あるいは家庭教師だったり塾の先生だったり。今振り返ってみると、そのどれもが貴重な社会勉強になったと思います。お金をもらうこと以上に、働いてみなければわからないいろいろな気づきや学びがあって、アルバイトは単にお金をもらうだけじゃなく、生きることにもつながる大切な社会活動なんだってつくづく思います。

とりわけ私にとって思い出深いアルバイトは花屋の売り子でした。店先に並べた花束をスーパーの買いもの客に売るのです。私と同じ年代の女の子とふたりで店を任されたのですが、店先に立ってものを売るなんてことははじめての経験でした。「いらいっしゃいませ」のひと言を口にすることがいかに難しいことか。一緒に働いていた女の子も私と同じように大きな声で呼び込みができないようで、仕方がないので私が前に出てお客を呼び、彼女がレジに座ることにしました。

ところが、私がいくら勇気を出して「いらっしゃいませ。お花はいかがですかぁ」と声をかけてもお客さんはいっこうに店をのぞいていってくれません。なんども呼び込みをするのですがまったく反応がないのです。その日はお彼岸のまっただ中で、本来であれば墓参用のお花がもっと売れるはずなのに。なぜ買ってくれないのだろう。はじめに感じていた緊張感は徐々に薄れていましたが、いっこうに花が売れないことが不安になってきました。この花屋の主人の不満そうな表情が脳裏をよぎりました。

スーパーで買いものを済ませた客は相変わらず店先の花を横目で見ていきます。しかし、立ち止まって店先をのぞいていってくれませんでした。一緒に働いていた女の子とどうすればいいんだろうと話していると、隣のスペースでカステラを売っていた青年が見るに見かねて声をかけてくれました。「兄ちゃん、それじゃ売れないぜ」。振り返ると、てきぱきとカステラを売りさばいていた青年が、ぎこちなく花を売る私達に微笑んで立っていました。

「そっちのお姉ちゃんが前に立った方がいいぜ。そして、兄ちゃんが後ろで声をかけるのさ」。彼が言うには、私のような男性が前に立っていたのでは女性客は警戒して気軽にのぞいていかないらしい。「兄ちゃんが遠くから呼び込みをして、ひとりがのぞいてくれたらいろいろ話しかけてその客を引っ張るんだ。そうすると他のお客がまたのぞいていくよ、きっと」。カステラ売りの青年のアドバイスはとても具体的でした。私達はさっそくやってみることにしました。

まず女の子が店先でにこやかに呼び込みをしました。あくまでも控えめに。そして私は奥のレジで元気よく声を出すようにしてみました。するとどうでしょう。青年の言ったとおり、ひとりのご夫人が花をのぞき込んでいきました。女の子はすかさずその客に声をかける。すると、それを見て何人かの客が立ち寄っていくようになりました。私はすかさずそれらの客達に軽く声をかけていたら、花が次々と売れ始めました。カステラ売りの青年は忙しくなった私達をときどき遠くから見ていてくれました。

「この花とあの花だと、色合い、おかしくないかしら」。一人の主婦が私に聞いてきました。さっぱりカラーセンスがない私は一瞬答えるのを躊躇してしまいました。適当に答えているように聞こえたらいやだったからです。しかし、それなりにいいカラーコーディネイトだったものですから、勇気を出して「とてもいい組み合わせだと思います」と言ってみました。するとその客はニコリと微笑み、花を四束買ってくれました。

終わってみれば、カステラ売りの青年のアドバイスが効を奏してたくさんの花束が売れました。青年は「ものを売るってむずかしいだろ。でも、コツがわかると楽しいだろ。あの調子で頑張るんだよ」とほめてくれました。一緒に働いている女の子との息もぴったりあって、なんとなくものを売るということに自信がついてきました。どんよりと曇っていた気持ちはすっかり晴れ、なんだかもっと売ってみたいような気持ちがしていました。

花売りの仕事がはじまる前、花屋の店主は手順を説明しながら「ふたりで大丈夫かな」と不安気でした。しかし、店じまいの頃にやって来て私達の売り上げを計算するとその表情はとても明るくなっていました。「よく頑張ってくれたね。たいしたもんだ」と店主満足げです。その表情を見た私もほっとしました。私達に的確なアドバイスをくれたカステラ売りの青年は、さっさと自分の商品を売り切ってしまい、私達よりも先に店をたたんでは風のように去って行きました。

見知らぬ人に商品に関心をもってもらい、その商品を買ってもらうということはとても難しいことです。こんなあたりまえなことでさえ、普段買う側にいると想像することさえしません。どうしたら品物を買ってもらえるか。売る側の人たちは試行錯誤しながらそのコツを体得していくのです。「経験」を「知」に変えるとそれはアート(Art)になります。このアートの域にまで到達することができれば人は創造的に働くことができ、アートを手にした人のみが創造的に働くことができるのです。

働くことは単にお金を稼ぐだけのツールではありません。生きることを知るためのツールでもあります。働くことを通じて創造的かつ能動的に生きることも、前向きに生きることもできます。「はたらき方」を考えるってことは実は人間の生活そのものを考えることかもしれません。アルバイトをすることで、働くことが人生になんらかのヒントあるいは指針をあたえてくれるということに気が付きます。

「老いる」ということ

今月のはじめ、札幌に大雪が降りました。例年であれば今頃の雪はすぐに溶け、陽の当たらない道端に小さな雪のかたまりが残っている程度です。昨今の異常気象のせいなのか、まだ11月になったばかりだというのにあの大雪。しかもまだ気温が十分に低くなっていないのであのときの雪は湿っていてずいぶんと重かったらしい。12月後半の雪であればさらさらと軽く、頭や肩に降り積もっても簡単に吹き飛ばすことができるのに、雪に慣れている北海道の人たちも今回の除雪(北海道では「雪かき」といいます)はさぞかし大変だっただろうと思います。

でも、私はこんな厳しい気候もふくめて北海道が好きです。しばれた冬の冷たさも、視界をおおう真っ白な雪でさえも、私にとっては懐かしくも北国の郷愁を感じる素敵な光景に見えます。人によっては「あんな寒いところ」と言いますが、そうした厳しい冬が私には素敵に見えるのはきっと家の中の暖かさがあるから。家の中の暖かさから言えば、北海道はこちらの比ではないくらいに暖かいのです。ストーブをがんがん炊きながらTシャツ姿なんて普通のこと。寒くて冷たい外から帰ってきて、暖かい室内に入ったときのなんともいえないホッとした気持ちは北海道ならではかも知れません。

そんなことを人に話すと、よく「ほんとに北海道が好きなんだねぇ」って言われます。当ブログの「北海道のこと」でも書きましたが、春夏秋冬の季節感がはっきりしている北海道の自然や気候はなぜか私の琴線に触れます。肌に合うっていう奴でしょうか。だから、息子たちには「俺が歳をとってボケたり寝たきりになったら札幌の老人ホームに入れてくれ」と言ってあります。家内や息子たちのお荷物になりたくない私は、たとえ一人であっても大好きな札幌に戻って安らかな気持ちで余生を送りたいと思っています。北海道、とくに札幌はそれほど私にとっては特別な場所なのです。

老後だとか、余生だとか、これまで自分とは無縁だと思えていたことが、いつの間にか現実的なものに感じる年齢になってしまいました。思えば私のクリニックも開院して今年で十年。あのとき受診してきた幼稚園児だった子ども達も今は高校生。背丈も僕よりも大きくなり、ワクチン注射のときに大騒ぎしていたあの頃がずいぶんと昔のように感じます。私自身、彼らをわが子のように見ていたせいか、その成長した様子が私にはなんとなく淋しく映ります。成長した彼らの後ろ姿を見ながら、お母さん達にはつい「淋しくなっちゃいますね」とこぼしてしまいます。

私自身も歳をとりました。いつの間にか私が大学生だったときの父親の年齢になってしまい、なんだか不思議な感覚です。かつての父親の歳になってはじめてわかることもあります。当時の父は仕事から帰ってくるといつもゴロゴロしていました。そんな父を見ながら、「なんでそんなにゴロゴロしているんだろう」と思ったものです。しかし、その年齢になった今の私もまたゴロゴロしている。老眼も年々強くなり、また、いろいろなことが覚えられなくなったり、思考がまとまりにくくなったりといった、かつてよく母親がこぼしていた変化が今の私にも徐々に現れてきています。

よく患者さんから「老化」に関わる相談を受けることがあります。ごくまれに何らかの病気から来る症状である場合もあります。しかし、ほとんどのケースは加齢にともなう変化。むしろ、受け入れなければならない問題だといってもいいのです。正解のないこの「老化の諸問題」にどう答えるのか私自身言葉に窮することがあります。なぜなら私にも「老化」の問題は未経験だからです。私が見聞きした患者さんの体験を通じてでしか答えられない。そもそも人によって直面する問題はさまざま。ましてやそれらのすべてが人によって受け止め方が違うのでなおさら難しい問題です。

ただ、悩んでいる人の多くに共通しているのは「はじめて経験する『老化』にとまどっている」という点。時の経つスピードは年齢とともに早くなっていき、10代のときの一年と40歳代での一年とはその長さがずいぶん違います。80歳代となればなおさらです。その分だけ人は知らない間に歳をとっているのです。それはまるで「肉体年齢のあとを精神年齢が追いかけている」かのようです。私も気持ちはまだ実年齢よりもひと回りは若いのですが、仕事中にふと漏れるため息と、自宅に戻るとすぐにゴロゴロしてしまう気力・体力の低下は明らかに実年齢そのものです。

現代の80歳は、昔の80歳と違ってとても健康で若々しく見えます。中には認知症もなく、60歳代だといってもわからない人もいます。しかし、どんなにトレーニングを欠かさずに体力を維持していようが、生物学的に80歳はあくまでも80歳。維持されてきた体力もいつか衰えるときがやってくる。これは揺るがぬ事実です。ところが、人はそうしたことを頭では理解できても、なかなか受け入れられないもの。いつまでも自分は以前のままであると何気に思い込んでしまっているから。加齢にともなう変化に不安を感じている人は概してそうした事実を受容できていないように見えます。

70歳代の人は気持ちはまだ60歳代。しかし、肉体年齢は確実に80歳に向かっているのです。そのギャップに悩む人は少なくありません。私はそうした人によく「かつて自分が20歳だったときのことを思い出してください。そのときのあなたには70歳代の人がどのように映っていましたか?」と問いかけます。そうすることで自分の年齢というものを実感できるからです。すると、多くの人は納得したような、それでいてちょっぴり落胆したような表情をします。中には「歳をとったと言われた」とショックを受ける人もいます。厳しいようですがこれが現実であると気が付くことは重要です。

受け入れられないのも無理はありません。鏡の前で見る毎日の自分はいつまでも「今のまま」なのですから。毎日ほんのわずかだけ変化する自分とその変化の積み重ねにほとんどの人は気づきません。これが「精神年齢は実年齢を追いかけていく」と表現した理由です。しかし、その間にも肉体は確実に歳をとっていく。そして、あるとき突然「加齢」という現実に直面するのですから、そうした変化を受け入れられないのもある意味当然なのです。でも、その「加齢」という変化に対する見方を変えてみると違った風景が見えてきます。巻き戻せない時間に絶望するのではなく、「老いること」をもっと前向きにとらえるのです(「心に残る患者(4) 」もご覧ください)。

かつてできたことができなくなった不安。あるいは、肌にしわやしみが多くなって、腰が曲がり、ちょっとしたことで転ぶようになってしまったことへの落胆。そうした変化を人は「忌まわしいもの」あるいは「醜いもの」ととらえがちです。それはかつての輝いていたころの自分と比較するからです。でもよく考えてみて下さい。無心に虫を追いかけていた子どもの頃の‘あなた’も「あなた」なら、公私に充実して輝いていた若かりし頃の‘あなた’も「あなた」。ならば、老いを迎えていろいろなことが若いころと違ってしまった今の‘あなた’も「あなた」ではありませんか。

人間はいつか死にます。これは避けることはできません。その最期の日がいつ来るのか。それは神のみぞ知ること。そんなこと「知ったこっちゃない」のです。ある高齢の患者さんから「私はなんのために生きているのかわからない」と言われたことがあります。しかし、そのとき私は次のように答えました。「生きる目的は世代によってさまざまです。ご主人と結婚したときにはそのときの目的があり、子どもを育てているときにはそのときの目的がある。孫の成長を見守っているときにもそのときの目的がある。だから、生きていることそのこと自体が目的になるときがあってもいいのではないか」と。

人の価値には、もちろん他者の役に立つという価値もありますが、存在することだけに価値がある場合もあります。家族がそのいい例です。世話になっている、面倒をかけていると本人が思っていても、世話をしている家族からすれば「いてくれるだけでいい存在」というものがあるのです。それが「存在価値」です。存在価値はそれまで生きてきた人生で積み重ねてきた価値の集大成でもあります。老いを迎えて得られた自分の価値は、本人がいかに生きてきたかの証として自分自身が実感できるものであると同時に、まわりの人にしか感じられない価値でもあるのです。

「老い」は長生きできた人にしか経験できないことです。「老い」は長生きしたことの代償だということもできます。これまでこのブログで書いてきたように、私の心に残る患者の多くは若くして亡くなった人たち(「心に残る患者」「心に残る患者(2」をご覧ください)です。それは若くして逝かなくてはならなかった患者たちの無念さを痛いほど感じるからです。ですから、人生をまっとうできた人の死に私は悲しみをあまり感じません。もちろん別れは淋しく辛いものです。でも、「老い」を経ることのできた人たちとの別れは決して悲しいものではありません。

「老いを前向きにとらえろ」などと簡単に言ってくれるなと言われるかもしれません。老いることの苦しみや辛さを実体験として私は感じたことがないのですから。しかし、医師という仕事を通じて生老病死を見てきた私から言えることは、生きながらえた代償としての「老い」を受け入れることはできるはずだということ。つまり、「今を生きる」のです。人にはいつかお迎えが来ます。それが明日なのか、何年、何十年先のことなのか、そんなことは「知ったこっちゃない」のです。今を穏やかに、無事に過ごせればいいのです。それ以上のことでも、それ以下のことでもありません。それが生けるものの宿命だからです。

今日はずいぶんと生意気なことを書いてすみませんでした。
不愉快な思いをした方がいらっしゃったらご容赦ください。

「子育て」はおもしろい

最近、なかなかブログを書く時間がとれません。しかも、もともと文才があるわけでもなく、書きたい題材はたくさんありながらそれらを皆様に読んでいただけるような文章にできないのです。

ブログは上の息子が2歳のときに「子育てブログ」を書いたのがはじめてです。その後、下の子が生まれるまでの5年間にわたって書き続けました。今、このブログを振り返ると、その文章はつたないながらも札幌時代の懐かしい風景がよみがえってきます。

今回はその「新・子育てはおもしろい」をご紹介してみたいと思います。12年も前のブログですが、まだ四十路だった私の子育ての奮闘ぶりを読んでいただければと思います。ここでは私自身が是非皆さんに読んでいただきたいページをいくつかご紹介します。

※なお、プライバシー保護のため、登場する子供達の名前は仮名になっています。

下の題名をクリックすれば見られます。

第一回目のブログ:子育てはおもしろい

金沢のこと

永平寺訪問

ダイジョーブ?】

立てば歩め

今回はこんなお茶を濁すような内容ですみません。次回はもっとしっかり書きます。

憂鬱な季節

1週間ほど前から花粉症の患者が増えています。それまで症状が軽かったのに限度を超えたために来院した人もいれば、症状が急に出てきたことから受診してきた人もいます。おそらく杉の花粉量が急速に増加したからでしょう。それは私の実感からもわかります。私もバリバリの花粉症だからです。昔から「春よ来い、早く来い」と歌われているように、世間では春は待ち遠しいものされています。でも、毎年花粉症に苦しむ私にすれば春は「憂鬱な季節」でしかありません。早く来て、すみやかに過ぎ去ってほしい季節です。暖かいのに底冷えしているような中途半端な気候もふくめて私にはどうしても春が好きになれません。

私が花粉症になったのは高校2年生のとき。発症するまでといえば、通学の途中、電車の中でくしゃみを連発する人を見かけると、それがとてもおかしくて笑いをこらえているほどでした。しかし、花粉症の症状はなんの前触れもなく突然現れました。高2の春のある日、夜明けにくしゃみが止まらなくなり、左右の鼻の穴からは鼻水があふれ出してきたのです。仰向けに寝ているのにあふれ出す鼻水。それはあたかも火山から流れ出す溶岩のようでした。しかも、鼻が詰まっているのであふれ出てきた鼻水をかむことができない。おまけに目はかゆく、目の周りは目ヤニでガベガベとなっていて開けることもできない。花粉症がこれほど辛いものだとは思いませんでした。

以後、私は、およそ40年余の長きにわたり、春になるたびにこの花粉症に苦しむことになりました。電車の中でくしゃみを連発していた人がどれほど辛い思いをしていたのかを身をもって知ったのです。今でこそそれなりにいい薬がありますから、2月から抗アレルギー薬を飲みはじめ、3月に点鼻薬と点眼薬を使いはじめればなんとか「辛い」という状況からは逃れることができます。しかし、花粉症それ自体があまり認知されていなかった当時はあまりいい薬がありませんでした。ですから、どの薬を飲んでも症状は楽にならず、市販の薬を指示された量の2倍の量を飲んだり、複数の薬を一緒に飲むなんてむちゃなことをすることもありました。それくらいに症状は激烈でした。

北海道に渡った理由のひとつがこの花粉症です。北海道には杉の木がありませんから。津軽海峡にひかれたブラキストン線によって本州と北海道の植生はそれほど違うのです。正確に言うと函館あたりまでは杉の花粉が飛んでいるそうです。しかし、札幌までとなるともはや私が症状に苦しむほどの花粉はほとんど飛んできません。ですから、札幌では1年を通じて花粉症の症状とは無縁の生活が送れます。4月になって雪がとけはじめ、入学式がおこなわれることには町中が泥と雪でぐちゃぐちゃに。そして、5月になってようやく本州の3月ごろの気候になりますが、あの憂鬱な症状から逃れることができます。長年花粉症に苦しめられてきた私にとってこれほど幸せなことはありませんでした。

北海道は5月になると急速に春めいてきます。木々が芽吹くと同時に、梅や桜、タンポポの花がいっせいに咲き始めます。まさしく百花繚乱の季節です。このころの札幌ではいたるところできれいな花壇を見かけます。杉のない札幌ではあれだけ私を悩ます花粉症の症状がないので、花をめでにいろいろな場所に出かけることができます。これが春を満喫するということなんだと実感できます。シラカバの花粉症っていうものはあります。春、いろいろな花が咲き始めるころ、シラカバの綿毛がふわふわと漂い出し、スギ花粉症ほどではないにしろ、クシュン、クシュンとくしゃみをする人がでてきます。幸い私はシラカバの花粉症ではなかったので。まさに快適な春を送ることができました。

札幌で花粉症とは縁遠い生活をしていると、自分が花粉症であることを忘れてしまいます。でも、花粉症のシーズンにときどき学会などで上京すると(この季節に帰省することはほとんどありませんでした)、自分が花粉症であることを思い知らされます。こちらに着いて48時間から72時間もすると症状がでてくるのです。札幌を発つとき予防のためにアレルギーの薬なんて飲んできませんから、突然花粉症の症状が出てきて辛い思いをすることになります。そして、早々に学会を切り上げ、逃げるように札幌への家路を急ぐことになります。このときほど札幌を恋しく感じることはありません。

このように札幌での快適な春を過ごしていた私ですが、こちらに戻ってきた10年前からは再び春を前に花粉症に対する事前策を講じなければならなくなりました。とくに今年の冬は暖かかったので、花粉の飛散時期が早まるだろうと予想して昨年末から抗アレルギー薬を飲み始めています。その効果があってか、これまではとくに症状もなく過ごすことができました。しかし、ついに1,2週間前からくしゃみや目のかゆみが出てきました。今は点鼻・点眼薬を併用しています。アレルギーの薬は辛い時だけ使用してもほとんど役に立たないので、早めに、そして、継続的に使用しなければなりません。私の場合、こうした薬を5月のGWまで続けることになります。

今ではお薬もいろいろと改良され、以前に比べてだいぶ効果を実感できるようになってきました。高校生のころのようなひどい症状で苦しむことはありません。眠気の副作用もそれほどでもなくなりましたし。来院する患者にも、私の経験をふまえてアドバイスすることができます。花粉症の症状がどれほど辛いのかも理解できます。例えば単に「鼻水が出て、目がかゆい」だけじゃないってことも。どの薬が効いて、どの程度の副作用があるのかなど、実体験を通じた説明をすることもできます。患者になってみなければ、わからないことって多いです。

もっと簡便で恒久的な治療法が開発されるといいなと思います。薬を飲むということも、点鼻薬や点眼薬を使うこともそう面倒なことではありません。しかし、できれば一回の治療でもうおしまいなんて治療法があればどれだけいいかと思います。長年花粉症に苦しめられてきた私にとって、花粉症こそが春を「憂鬱な季節」にしてしまった元凶なのですから。桜の枝がつぼみを持ち、清楚な花を咲かせるころ、また新たな気持ちになれるためにも新しい治療法の登場が待たれます。耳鼻科の先生方、よろしくお願いしますね。

「ないこと」の証明

もうすぐ東日本大震災から5年になります。あのときの大きな地震の揺れを思い出すというよりも、その後の津波による被害のすさまじさと、その津波によって引き起こされた原発事故の大きさに打ちのめされた思いがよみがえってきます。そのときの様子は、以前、このブログにも書きましたが、5年という歳月を経て、福島は、あるいは東北は、もっといえば日本はよくぞここまで立ち直ったものだと思います。ところが、いまだに「放射能の危険性」を声高に叫び、ここまで立ち直った人たちの心をくじこうとする人たちがいます。その人たちの言動には個人的にはただあきれるばかり。うんざりしてきます。

放射能による被害については、その後、さまざまな大規模調査がおこなわれ、その都度「放射能の影響は確認できない」との結論が得られています。原発事故直後からマスコミやいちぶの識者から繰り返していわれてきた「子供たちの甲状腺がんの発生」についても、あるいは「胎児の奇形や異常出産」についても、そのことごとくが否定されています。なのになぜ今もなお「放射能の影響が今後も出ないとはいいきれない」などと言っては立ち直ろうとする人たちの足をひっぱるのでしょうか。それはまるで被災者の気持ちに寄り添う振りをしながら、実は被災者を政治的に利用しているかのように私には見えます。

それが本当に政治的に利用しているものなのかどうかはともかく、「放射能の影響がないとはいいきれない」という一見もっともらしい主張が、実は「ないもの(こと)は証明できない」という重要な論理を無視したものであることに気が付かなければなりません。実際に存在することはその存在を根拠に証明できても、存在しないことはその状況証拠で説明するしかない、ということです。「説明」はあくまでも説明であって、人々を論理的に納得させられるかどうかにかかっています。しかし、そうしたその論理性はそれを理解しようとしない(できない)人たちにとってはなんの意味ももたないところがやっかいです。

「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉があります。デカルトという哲学者によるものです。目の前の石ころが本当に「ある」といえるのか。その存在を完全に証明することはできないが、それを「ある」と認識している自分の存在だけは否定できない、という意味です。みんなに見える石ころを「私には見えない」と言えば怪しまれ、みんなに見えない虫が床をはっていると言っても怪しまれます。そこにはみんなの共通認識が正しいという前提があるのです。しかし、そのみんなの共通認識が誤っているということがないとはいえない。それを推し量る道具として科学的事実、統計学的予測が存在します。

現代社会に生きる我々の誰もが地球が太陽のまわりをまわっていることを理解しています。世の中のすべての物質は分子、原子、さらには素粒子からなっていることを知っています。その証拠を見たことがなくても、誰ひとりそれを疑おうとはしません。論理的にあるいは現象的に矛盾のない科学的事実からそう理解しているにすぎないのです。誰かが「それでも太陽が地球のまわりをまわっていて、すべての物質を通り抜けることができる魂が存在する」と確信しているとすれば、それはもはや宗教の世界、あるいは人間の情緒の問題として片づけられてしまいます。

「『そんなものなどない』とどうしていえるのか」と反論されると、反論された側に「それがないこと」を証明する責任があるように感じます。しかし、「ないこと(もの)」は証明できないのです。この証明は「悪魔の証明」と呼ばれているのですが、本来であれば「それがある」という根拠をすべての人が理性的に納得するように提示しなければいけません。そうでなければ利害のことなる様々な人々によって構成される社会は成り立たちません。「あること」の証明がどのくらい人々に受け入れられるのか。そこで客観的事実としての科学と統計が根拠を提示するものとしての役割をはたします。

「放射能の影響がないと言い切れるのか」ではなく「これだけ放射能の影響があったぞ」を指摘しなければなりません。「2011年の東日本大震災クラスの首都圏直下型地震は起こりうる」ではなくて「そうした地震はこのくらいの確率で発生する」という言い方をしなければなりません。一方において、「放射能の影響はない」と言い切ることはできません(「影響はない」と言い切りたいとしても)。「今のところ放射能の影響があるとはいえない」というまどろっこしい言い方でしか表現できないわけです。一見するとあいまいに思えますが、実は事実を正しく表現するためにはそう言わざるを得ないのです。

今回の原発事故で「万全な対策を施した原発に事故はない」という「原発の安全神話」が崩れた、といいます。しかし、もともとそんな「安全」なんてあろうはずがない。しかも、みんなもそれに気が付いていました。本来であれば「これこれの危険がこのくらいの確率で存在するのだから、こうした対策を講じるべき」という真摯な議論がなければいけなかったのです。ところが「一切の危険性があってはいけない」という極端な一部の意見にひきづられて、「安全神話」がなんとなくできあがってしまったのです。理性的な議論がなく、リスク管理という観点から社会的妥協点を見出さないとこうなるといういい例です。

人間は感情の動物ですから、「怖い」「不愉快」「認めたくない」という気持ちがわくのは当然です。しかし、そうした情緒的な反応とはまったく関係ないところに科学的事実、統計学的予測があります。自動車は必ず事故をおこします。今もどこかで事故は起こっています。でも、現代社会は自動車の危険性をいかに低減させ、コントロールするかを図って成立しています。いったん事故がおこればたくさんの命が失われる飛行機もそうです。ある程度のリスクを受け入れ、その利便性を享受しているのです。現代社会は、少なくとも「私は乗らない」という人はいても「自動車や飛行機をなくすべきだ」という社会ではありえないという点が重要です。

以前のブログにも書きましたが、2011年の震災直後、放射能に対する不安がピークに達した患者さんや友人の医師に「原発事故による放射能の危険性は冷静に考えよう」と呼びかけました。でも、匿名の人から「命を守るべき医者が放射能の危険性に楽観すぎる」との批判を受けました。原発事故直後の混乱した状況において不必要な不安感にさいなまれるのは仕方がないことです。それでなくてもマスコミがあの調子でしたからなおさらです。しかし、そうした人であっても、その後の客観的事実をふまえて少しづつ理性的にならなければなりません。情緒に翻弄されていた自分を乗り越えて、理性的に受け入れる自分に変わっていくべきなのです。

「ないこと」の証明はできません。そのことは「理性的」に理解するしかありません。もしかすると将来、実は人は死んだら体から魂が抜け、天国に上っていくということが証明されるかもしれません。私自身、解剖実習の初日に金縛りにあい、同時に幽霊を見る(これも以前ブログに書きましたのでお読みください)といった不思議体験をしているせいか、守護霊というものがあったり、運命というものすらあることも、なんとなく自分の中に信じている部分もあります。でも、それらが科学的に証明されないかぎり自分の心の中の問題だと思っています。それが私の理性なんだと思います。

理性ですべてが解決しないのが人間です。それは仕方がないことです。しかし、いったん「そんな科学的根拠にはなんの意味があるのか」「科学は『ないこと』を保証するのか」という声があがると、理性は情緒にいとも簡単に駆逐されてしまいます。そうしたことが今の日本の社会ではしばしば見受けられます。それが日本のいいところでもあり、悪いところでもあります。しかし、利害のことなるたくさんの人が住む社会においてはやはり科学的事実あるいは統計学的推測をよりどころとするしかない場合が多いと思います。情緒を乗り越え、その理性あるいは客観性を頼りに発達・発展してきたのが現代社会だからです。そうしたことに時々立ち止まってじっくり考えてみることが大切だと思っています。