病める人たちへの応援歌

2023年12月にはじめて一緒に映画を観に行った母が脳腫瘍になってしまいました。昨年の11月頃から呂律がまわらなくなりはじめ、左の手足の動きもぎこちなくなりました。2023年の春、大きな後遺症は残さなかったものの、軽い脳梗塞になっていたことから、私は「脳梗塞が再発したのか」と思っていました。それにしては血圧はそれほど高くなっておらず、また、症状の軽い日もあるなど、脳梗塞にしては必ずしも合致しない状況をなんとなく不思議に思っていました。

でも、年末の忙しさに追われているうちに症状はどんどんひどくなり、飲み込みも怪しくなってきたことから病院を受診させました。そして、MRIを撮った結果、「右前頭葉の脳腫瘍」との診断。その病院では治療ができなかったため、他の病院を受診する必要がありました。とはいえ、タイミング悪く、年末のお休みに入ってしまい、受診は年明けになります。しかも紹介された病院の予約がとれたのは1月15日でした。日に日に症状がひどくなるのにヒヤヒヤしながら年が明けるのを待ちました。

正月、まだなんとか歩けた母といっしょに父親の墓参りに行きました。「母親の脳腫瘍が悪性度の高いものではないように」と父親の墓に手をあわる私。年が明けると早々に別の病院に紹介状を書き、受診させました。受診した病院の外来医は「進行が早いので早く処置をした方がいい」と即日入院させてくれました。満床なのにベット調整をしてまで入院させてくれた外来医には感謝です。翌週、さっそく腫瘍のまわりに溜まった水をぬく姑息的措置を受けることになりました。

病理診断の結果、やはり悪性度の高い神経膠芽腫という脳腫瘍でした。術前に撮ったMRIでの腫瘍のサイズは、年末の病院でのそれの倍ほどに。腫瘍を摘出することはもうすでに不可能であり、放射線治療と抗がん剤でなんとか成長を抑える治療効果に期待するしかありません。溜まった浸出液を排液する管を患部に入れる手術が終わった母は、術後、ベット柵を一日中叩くなどの不穏な状態が続き、かろうじて動いていた左手足もまったく動かなくなりました。私はこの一ヶ月の変化の大きさに少し動揺していました。

母親が入院した病院は、救急の指定を受けていることもあって慌ただしい雰囲気がありました。職員もいつも忙しく動いていて、大きな病院にしばしば見られる「患者の放置」を心配しました。でも、その病院は忙しいながらも、職員の人たちもそれなりによくしてくれました。術後のお見舞いに行ったときのこと、麻酔の影響がまだ残っているのか、ぼんやりしながら何かを伝えようと口ごもっています。しかし、口の中が乾燥して思ったように話せないようでした。

家内が口のまわりをぬれたハンカチで軽くぬぐってもいいか看護師に声をかけました。すると、なにか仕事をしていたにもかかわらず、わざわざ母親のベットサイドに来てくれ、その様子を見て「乾燥しているようなので口腔内ケアをしましょう」といってすぐに対応してくれました。嫌な顔もせず、仕事を中断してまでめんどうなことをやってくれるこの看護師さんが私には「白衣の天使」に見えました(マスク美人だったから?)。患者側の立場に立ってあらためて見えてくるものがあるものです。

その後の母は、しばらくは混乱しているようで、すっかり寝たきりの認知症患者のようになりました。ベット柵を叩いて音を立てたり、手から延びている点滴や尿道カテーテルを抜いたりするため、準拘束された時期もありました。しかし、術後の影響も少しずつなくなり、話す言葉もなんとかわかるようなものになってきました。動かなかった左の手足も動くようになり、徐々に改善していることがわかります。しかし、前頭葉の脳腫瘍であるためなのか、前頭側頭型認知症のような症状がでてきました。

私が見舞いに行くたびに、「あたまの病気の方はもういいのか?」と心配そうに言います。どうやら私が脳腫瘍になったと思っているようです。そんなとき私はあえて否定せず、「こっちはもうすっかりよくなったから大丈夫。そっちの病気の方はどう?」と返しています。そうすると、「あれっ?私が勘違いしてるのかな?」という表情になります。間違いのない記憶も多いのですが、忘れてしまったこと、あるいは、妄想ともいうような誤った記憶になっていることも少なくありません。

家内とふたりで見舞いに行くのですが、あるとき、家内がひとりで見舞いに行ったことがあります。いつも一緒の私がいなかったことがそうさせたのか、いつしか母親の中の私は家内と離婚したことになっていました。見舞いに行った私を見るなり、「おまえも離婚してしまったのだから、早くいい人をみつけなさい」と真顔で。隣に立っている家内を指さして、「この人、誰かわかる?」と尋ねると、不思議そうな表情で「わからない」と。家内がマスクをしていたせいでわからなかったのか、まるで忘れてしまったかのです。

私は笑いそうになるのをこらえながら、「大丈夫だよ。今はこの人と一緒に生活しているから」と。家内は多少ショックを受けたようでしたが、別の日に見舞いにいった妹によると、「私と離婚した家内」は母親の入院している病院の看護師になっているそうです。実家のご近所の方も病院の職員として働いていると言ってみたり、記憶の混乱や妄想がその後もしばらく続きました(そして、今も多少の混乱が続いています)。でも、大騒ぎをしたり、乱暴になったりしていないことが救いです。

こんなこともありました。母親の隣のベットには母と同じぐらいの高齢患者がいます。ある日、母と私たち夫婦が会話をしていると、カーテンの向こうから「すみません」とか細い声が聞こえてきました。しばらく無視していた私たちですが、どうやらその声は私たちに向けられているようです。家内がカーテンを少し開けて、「どうなさいましたか?」と声をかけました。するとその患者が言いました。「私にチューしてくれませんか」。一瞬、家内はひるんだように言葉を失いました。

しばらくの間があき、「はぁ・・・?あのぉ・・・」と戸惑いながらも言葉が出てこない家内。その患者は「私にチューしてほしいんです」と繰り返します。家内は耳を疑ったようですが、患者が自分のマスクをはずすのを見て確信したようです。「この人は私にチューを求めている」と。家内は動揺を隠しながらも「私はご家族ではないので、それはできないんですよ」と患者をなだめました。「そうですか。わかりました」と残念そう。穏やかで、素直で、優しそうな患者さんでよかったです。

この病院での治療をひとまず終えて、母は今、他の病院のリハビリ病棟に転院しました。広々とした、明るい病院です。院長先生をはじめ、職員の皆さんの雰囲気も話し好きな母には合っているように思います。きっと気に入ってくれるでしょう。入院時の病院スタッフとの面談で私は「急変した場合は積極的な救命措置を望まないこと」、「残された療養を穏やかに過ごせることを優先してほしい」とお願いしました。それほど長くはないであろう母親に残された生活に苦痛がないことを望むからです。

病院スタッフとの面談で、私は「これまで認知症状がなかった母親は、今回の病気の影響で前頭側頭型の認知症のようになってしまいました。もし、スタッフの皆さんに失礼なことを言ったりしたら許してやってください」と付け加えました。前の病院では、ありもしない妄想でスタッフに「あなたはウソばかり言っている」とありもしないことで悪態をついたりしたからです。しかし、「そういうことは慣れているので大丈夫ですよ」と今度の病院のスタッフも笑いながら言ってくれました。

入院前、母は「なんでこんな病気になってしまったのだろう」とこぼしたといいます。そのことを聴いた私は母親を不憫に思いました。しかし、以前から母親には「長生きは修行なんだよ」と繰り返し言ってきました。「あの人も亡くなった。この人も認知症になった」とこぼす母に、私は「幸運にも長生きできた人には、そうした人たちの悔しい思いを背負いながら生きる義務があるんだよ」と言ってきたのです。長生きは決して安楽なことばかりではありません。長生きには長生きなりのつらさがあるのです。

昔、ある高齢の患者さんに「どうして生きているのかわからない」と言われたことがあります。そのとき、長生きをしなければわからないつらさがあることに気付きました。しかし、私は言いました。「それは、あなたの生きざま、死にざまを若い人たちに見せつけるために生きているのですよ」と。人生は修行であり、それは「苦行」かもしれない。でも、自分にとっては修行としての意味があり、その修行が満了したときにお迎えがやってくる。まわりの人たちにその生きざま、死にざまを残して旅立っていくのです。

私が兄のように思っていた叔父が数年前に亡くなりました。私のクリニックに通院していたのですが、たまたま受けた内視鏡検査の事前検査で異常があり、それが進行した膵臓癌によるものだったことがわかったのです。自分のクリニックに通院させておきながら見逃してしまったことを悔やみました。しかし、異常が見つかる三ヶ月前の当院での採血では異常がなかったのです。でも、その後の叔父は、まさに生きざま、死にざまを私に見せつけました。残された1年間を冷静かつ淡々と、そして、立派に生き抜いたのです。

病院では手術不能の膵臓癌であること。肝転移もすでにあり、余命もそれほど長くはないことを説明されたはずです。私のところに報告に来る叔父は冷静でしたが、主治医から説明を受けたときはきっと動揺したに違いありません。治療の選択について意見を求められたとき、私は「積極的な治療をして、体力を必要以上に奪われる選択はあまりお勧めしない」とお話ししました。そして、叔父はその通りの治療を選びました。検査のたびに報告に来る叔父に、私も淡々と、そして、悲壮感が漂わないように接しました。

叔父のふたりの息子達に私は「夏になる頃には状態が厳しくなると思う」と告げました。叔父の性格を思うと、主治医から受けていた説明を自分の家族にこと細かく伝えていないだろうと思ったからです。叔父は自分がなにもできなくなるまでにやっておくべきことをテキパキと片付けていきました。自分に残された日々が長くはないことを知っている人とは思えないほどの手際の良さでした。そして、それを「自分の終活だから」と笑う叔父に、私は「日々が終活なのはみんなも同じですよ」と涙をこらえながら言いました。

亡くなる数日前、入院中の叔父は携帯電話で私のところに電話をしてきました。突然、呂律がまわらなくなったらしく、話しの内容がよく聞き取れません。私はとっさに「これは腫瘍塞栓による脳梗塞だ」と思いました。肝臓に転移した癌の一部がはがれおちて血液とともに脳にながれて起こる脳梗塞なのです。おそらく「なぜこのような症状になったのだろうか」と聞きたかったのかも知れません。でも、もはや厳しい段階になったことは間違いなく、叔父の家族にこの状況を早く知らせた方がいいと思いました。

「申し訳ないけど、話しの内容がよく聞き取れない。家族に連絡しておくから、一緒に主治医と相談してほしい」と話して電話を切った私は、これで叔父と会話するのも最後になるだろうと思いました。そして、何日かたって叔父が亡くなったことを知らされました。息子は「最後に間に合わなかった」と肩を落としていました。私は彼に「でも、君のお父さんにとってはそれでよかったのかもよ。自分の弱っていくところを見せたくない人だったから」と言いました。それは私の正直な気持ちでした。

人の生きざま、死にざまから学ぶことは少なくありません。私はたくさんの「死にゆく人」と接し、見てきました。人が死ぬことは悲しいことであり、その人を失うことの寂しさは測りしれません。しかし、人が旅絶っていくということの意味はそればかりではないのです。その死にざま、生きざまを通じて残された人たちに語りかけているのです。「私からおまえはなにを学ぶのか」と。最愛の人を失ったことの喪失感に自分を見失う人がいます。でも、故人はそんなことを望んでいないはずです。

認知症のなかった母親がどんどん変わっていく姿を「可哀想だ」と思ったこともあります。でも、認知症もないまま、今の病気のこと、これからの自分を待ちうけている未来のことを考えるのはつらすぎるはず。認知症になったことで、そうした不安感、恐怖心から多少なりとも逃れられるのであれば、それはそれでよかったことのようにも思えます。年をとることは病気ではありません。その意味で、「ものわすれ」だって病気ではありません。老化現象と認知症の境界がどこかについては議論のわかれるところだとしても、です。

「自分は認知症ではないか」と不安になって当院に受診される人がいます。その多くが認知症ではないのですが、そんな人たちには「自分が認知症じゃないかと心配しているうちは認知症ではありません」とお話ししています。認知症は不治の病。治すことはできないのです。最近、いいお薬が出たことは報道でご存知の方も多いかもしれません。しかし、その薬を使えば年間300万円もかかります。しかも「症状を9ヶ月短縮する」程度の効果です。そもそも「9ヶ月の短縮」って「300万円の効果」といえるのでしょうか。

歳を重ねるにしたがって病気にかかっていくのは当たり前です。病気と無縁でいられた若いときと同じというわけにはいかないのです。日本人はともすると「ゼロか百」、「無謬性」にこだわります。人は誰でも必ず死にます。それと同じように年をとればなんらかの不具合が生じるもの。でも、その不具合は生活の支障とならないように対処することが可能です。そして、自分の病気や不具合との関わり方や生きざまを通じて、周囲の人たちの模範や希望、教訓となることもできるのです。

先ほどの叔父も、7年前に亡くなった父もそうでした。彼等の生前の姿から学ぶことも多く、模範とすべきことも少なくなかったと思います。父を亡くしてから、母は一人暮らしとなりました。幼い頃に母親を亡くしましたが、母はたくさんの家族・親戚のなかで成長しました。そんな大勢で生活してきた彼女にとって、一人暮らしはさぞかし淋しいだろうと思いましたが、母は「今が一番しあわせ」と繰り返して言っていました。そして、「お父さんには感謝だわ」とも。母が一人暮らしを幸福だと感じていたのは意外でした。

つらい病気も少なくありません。自分の病に悩んでいる人もいます。ですから、全部をひとまとめにして言うことはできませんが、「歳をとって病気になるのは当たり前なのだ」と考えるべきです。健康体でなくてもいいのです。もちろん、「これからどうなるのだろう」と不安を感じたり、恐怖に思うことすらあるかもしれません。でも、人の人生はあくまでも相対的なもの。過去の自分と比較することはできません。他人の人生と比べるものですらありません。それが「あなたの人生」なのです。

「修行」を満了して旅立つときに「苦」はありません。むしろ、「苦から解放される瞬間」なのです。どんな生い立ちだったにせよ、どんな生き方をしてきたにせよ、「修行」を満了するまでの生きざま、そして、死にざまこそが一番重要です。これからの日本を担う若い人たち、残された周囲の人たちへのメッセージでもあります。そんな人生は一度きり。どうせ生きるなら前向きに「生ききる」ことです。

さまざまな病気をもつ皆さん、頑張りましょう。

 

※ 「老い」を感じて私が思うのは、これからの若い人たちに頑張ってもらいたいということ。

そんな若者への応援歌はサザン・オールスターズの「希望の轍」

by 若い人の希望になりたい老人(私のこと)

風邪は治るが治せない(2)

新型肺炎」と呼ばれたCOVID-19(新型コロナウィルス)感染症が中国の武漢で流行し始めたのが2019年。その後、全世界に感染は拡大し、アウトブレイクとなってたくさんの人が亡くなりました。今でこそ「風邪とかわらない」と言われるようになったCOVID-19ですが、救急病院にはたくさんの重症患者が搬送され、病院機能が損なわれる「医療崩壊」が心配されるほどでした。

そうした危機的な状況は、mRNAワクチンの登場によって徐々に改善していきました。その一方で、感染症病棟や呼吸器内科病棟の医師、あるいは看護師や薬剤師、検査技師や一般職員など、病院で働く多くの人たち、さらには患者の搬送にあたった救急隊員らの献身的な活躍があったことを忘れてはいけません。決して新型コロナウィルスが「実は大したことのない感染症だった」わけではないのです。

新型コロナウィルス感染症の蔓延は、社会のさまざまな価値観に影響を与えました。それまで風邪をひいて咳をしていてもマスクすらしない人が少なくありませんでした。しかし、今では「咳エチケット」としてマスクの着用が当たり前になっています。また、「熱ぐらいで会社は休めない」といった誤った「常識」も、徐々に「熱を出したら他人にうつさぬように自宅安静」に変化しています。

私は以前から「インフルエンザ流行時の対応」について注意喚起を繰り返してきました。それは、社会の「常識」には医学的な間違いが少なくなかったからです。発熱に対する認識もそう。あるいは、風邪薬や検査の必要性についてもそうです。「社会でごく当たり前になっていることには、あるいは医者がなにげなく行なっている診療にも、実は医学的に間違っていることは多いのですよ」と指摘したのです。

それはこのブログを通じて繰り返し情報(「風邪」「インフルエンザ」「発熱」などでブログ内検索してみてください)を提供してきましたし、患者さんに対しては診療をしている時に直接説明したりしました。また、私が校医をしている学校の養護教諭にも指導してきたことです。しかし、そうした努力はなかなか浸透せず、多くの人々の行動変容をもたらすほどの影響力はありませんでした。

ところが、新型コロナウィルスの感染拡大が社会問題化し、加熱するマスコミの報道でも誤った対応が喧伝されるようになりました。「検査はできるだけ早く、しかも何度でも繰り返す」、「新型コロナに感染したと思ったらすぐに病院を受診する」、などがその代表的な事例です。多くの国民がそうした情報にしたがい、必要のない検査をして国費を無駄にし、発熱外来に殺到して感染を広めたのです。

その一方で、新型コロナウィルスに対する有効性も証明されていない薬を勧めた医者がいます。軽症の新型コロナ患者に対して過剰な検査や措置をした医者もいました。それが間違った知識によるものなのか、それとも儲け主義の結果なのかはわかりません。しかし、メディアによく登場する医師が間違った対応を推奨して、本当に正しい主張がかき消され、批判されてしまう場合すらありました。

しかし、今、社会を揺るがしてきたコロナ禍を振り返り、多くの人々が「正しい対応」がどのようなものだったかを振り返るようになりました。と同時に、私がこれまで主張してきたことの正しさを冷静に理解できるようになりつつあるように感じます。今回のブログは、そうしたこれまでの私の主張を改めてまとめて、皆さんが感染症に対してどう行動すべきなのかについて再度注意喚起したいと思います。

 

今、新型コロナの流行は小康状態となっています。しかし、千葉県の一部ではインフルエンザの患者が増えてきています。また、マイコプラズマなどを原因とする「咳風邪」がはやっています。当院でも「咳が治らない」と訴える患者さんが毎日たくさん来院しています。感染症は治療も大切なのですが、流行を拡大させないことも重要です。そうした点を念頭におきながら私は診療しています。

当院では、風邪症状のある方には、あらかじめ当院にお電話をかけていただいてから来院してもらっています。それは感染症の患者の来院時間を指定し、待合室にいる一般患者とできるだけ分離するためです。しかし、そうしたことを知らなかった風邪患者が、事前のお電話がないまま直接来院することもあります。そんなときは院内が混雑し、一般患者と感染症の患者の分離に苦慮することもしばしばです。

お電話でのお問い合わせの際に怒り出す人もいます。「なんで今すぐ診てくれないのか」というものです。感染症の患者さんにはできるだけ空いている時間帯を指定して来院していただいています。とくに、「今すぐ診る必要性が高くない患者」、例えば、症状が出たばかりの方や風邪薬を服用してきた方たちには、「しばらく経過を見て、あらためて電話してほしい」と説明する場合があるのです。

前稿「風邪は治るが、治せない」でも書いたように、風邪は薬で治すことができません。自分の免疫力で治っていくものなのです。風邪薬は「風邪を治す薬」ではありません。むしろ、風邪症状をわからなくする薬であり、ときに診療の妨げになる薬です。医師が風邪症状の患者に処方する薬は、その症状を緩和するためのものです。どのような薬を処方するかを判断するためにも風邪薬は服用しないでほしいのです。

むやみに熱をさげてしまうと、重症度を判断することができなくなることもあります。ひとくちに「熱が出た」といっても、そのなかには肺炎を合併しているものや、実は風邪ではなく内科疾患から熱が出ている場合もあるのです。どのくらいの熱が、どの程度続いているのかによって診断が違ってきます。そうした大切な情報である「発熱」を解熱剤でむやみに下げられてしまうと診断を誤る原因にもなります。

本来、「風邪」であるなら薬を服用する必要はありません。肺炎を合併しない限り、自然経過で数日のうちに必ず治るからです。なかなか治らない症状は単なる風邪ではありません。「早期発見、早期治療」と思ってか、「早く治したいので、早く薬を飲みたい」という人がいます。でも、「早く薬を服用しても、風邪は早く治すことはできない」のです。「早めにパブロン」というキャッチコピーの受け売りにすぎません。

風邪薬を飲みながら会社や学校に行くと、周囲の人に感染を広めてしまうことにもなります。「風邪薬は飲まないでください」とお話しすると、「風邪薬を飲まなければ熱が下がらず、会社に行けないじゃないか」と言う人がいます。しかし、「熱がでたら会社や学校に行ってはいけない」のです。一般的に発熱しているとき感染力が強いことが知られています。「発熱時は自宅で療養」が原則です。

熱があっても、よほど辛くなければ解熱剤を使用せずに経過観察。そして、熱がいつまでもさがらないのであれば(目安は「高熱が3日目に突入したら」「微熱であっても5日目に突入するなら」)医療機関に電話をして相談すべきです。発熱は「早く治すため」にも、また、「重症化を発見するため」にもとても大切な情報です。怖いあまりに解熱剤を多用していいことはありません。

というわけで、当院では次のような基準を設けて受診(電話で相談)を勧奨しています。

(1)風邪症状が出たばかりの人は24時間経過観察すること

(2)風邪薬を服用した人は服用後24時間は経過観察すること

(3)発熱があっても24時間は解熱剤を使用しないこと

(4)他院(当院)で処方された薬はすべて飲みきってから効果判定すること

(5)処方薬を服用しても改善しないときは、薬を処方した医療機関をふたたび受診すること

以上の点をよく理解して風邪症状に対応して下さい。今年は例年になく肺炎が多いように感じます。とくに若い人の肺炎が多い印象があります。でも、肺炎だからといって怖がることはありません。肺炎を心配してあわてて受診する必要もありません。高熱をともなわない風邪症状は風邪薬を服用しないで二日ほど様子をみてください。高熱があっても解熱剤を飲まずに24時間は経過観察してください。

それから「明日、また電話してください」と言われても怒らないでください。午前中は風邪患者がたくさん来院します。午前中に来院しなければならない特段の理由がなければ、午後の空いている時間に受診することをお勧めします。院内が混雑しているときは、また後で来院することをお勧めします。そんな日は、風邪症状の患者が多いからです。病院に行って風邪がうつってしまったら意味がありません。

とくに高齢の方は午後に来院したほうがいいでしょう(朝早く受診する高齢者は多い)。重症感の強い風邪の患者さんが午前中の早い時間帯に受診するからです。とくに土曜日は大変混み合うので、高齢の方は受診を避けた方がいいでしょう。現役のサラリーマンは土曜日しか受診できないため集中するのです。患者でごった返す中、マスクもしていない高齢者が待合室で待っていることを想像しただけでゾッとします。

以上、ご理解・ご協力のほどよろしくお願いします。

ワクチンの現状(3)

今月から新型コロナに対する定期ワクチン接種がはじまりました。ワクチンについては、その接種に反対する「反ワクチン」の立場の人と、ワクチンはこれまで通りに接種すべきだとする人たちの間でちょっとした論争がおきています。従来のmRNAワクチンとは作用機序が少し異なるレプリコンワクチンの接種もはじまって、その論争はどんどん激しくなっているようです。

しかし、とくにX(旧ツイッター)をはじめとするSNSに飛び交う情報には、科学的に荒唐無稽なデマ情報も少なくありません。そうした怪しげな情報は、主に反ワクチンの立場のものが多いように感じます。そして、その情報に惑わされるのは一般の人たちのみならず、国民を守る立場の国会議員だったり、医学的知識をもっているはずの医療従事者だったりと、本来、理性的であるべき人たちも例外ではありません。

私はワクチン推進論者ではありません。だからといって、反ワクチンの立場でもありません。あくまでも必要なワクチンは接種すべきだと思っているだけ。そのワクチンの必要性は治療薬の有無や感染症の社会的影響によって決められるものだからです。でも、ワクチン接種の是非を、放射能被爆で大騒ぎしたときのように、イデオロギーにとらわれ、ヒステリックに決めつける人が少なくありません。

新型コロナウィルスに対する従来のmRNAワクチンは、たくさんの重症患者が救急病床に殺到し、病院の診療が逼迫して医療崩壊するのではないかと心配したころにはまさに救世主のような存在でした。より多くの人が接種を受けることによって、感染拡大を抑制し、重症患者を減らすなどして、医療崩壊を食い止めることに大いに貢献したことは、ほとんどの医療従事者が実感していることだと思います。

ウィルスは遺伝子を次々と変化させ、ワクチンの効果から逃れようとしました。しかし、mRNAワクチンはそれらの変化に速やかに対応し、世界中のパンデミックを克服してきたのです。今ではそうした危機的な状況は一変し、新型コロナに感染しても、多くがまるで風邪のような症状のままで治ってしまいます。重症化する人の数も以前とは比較にならないほど減少しました。そうした変化はワクチンのお陰です。

そんな感染状況が落ち着いている状況であれば、mRNAワクチン接種は必ずしも必要ではないと私個人は考えています。そもそも、mRNAワクチンも社会に登場してまだ数年のワクチンにすぎません。安全性を確認するための治験が十分だったとはいえないのです。ワクチンを接種し続けることによって生じるリスクと感染することによるリスクの天秤で判断すれば、mRNAワクチンの接種は今や必須ではないかもしれません。

レプリコンワクチンと呼ばれる新しいワクチンの接種もはじまりました。このワクチンについては、従来のmRNAワクチンからさらに進化した最新型のワクチン。その仕組みが若干複雑であるがゆえに、さまざまな憶測を呼んで、先にお話ししたような、実にさまざまな噂が錯綜している状況にあります。大学でそれなりに医学を学んできた(はずの)医師でさえ、そうした情報に翻弄される人がいるほどです。

理性的に考えられない人たちの中には、今の落ち着いている感染状況を見て、「新型コロナウィルスは大した感染症ではなかったではないか」「マスクもワクチンも本当は必要なかったもの」と主張する人がいます。数年前までの救急病院や感染症病棟での、悲壮感ただよう戦場のような状況を知らないからでしょう。ワクチン接種を勧めてきた人たちを批難する人すらいます。あまりにも軽率で短絡的な人たちです。

現在、新型コロナワクチンを接種しようかどうか迷っている人がいます。私はそうした人に次のようにお話ししています。「今の感染状況を見る限り、ワクチン接種は必須ではありません。ワクチン接種の必要性は【接種することによるリスクと感染した場合のリスクとの天秤】で決まります。mRNAワクチンも新しいワクチンだということを忘れてはいけません。長期的な安全性はまだ確立されていないのです」と。

もちろん、mRNAワクチンはこれまでの接種実績から、短期的には重大な健康被害がでるようなものではなかったようです。当初伝えられてきたように、「数十万人にひとり」の割合で重い副反応がでるという情報はおおむね正しかったことがわかっています。ワクチンは体内に異物を注射するもの。残念ながら健康被害が皆無ではありません。「接種のリスクと感染のリスクの天秤」で是非を考えるべきなのです。

レプリコンワクチンは最新のワクチンなのでなおさらです。とはいえ、自己増殖型と呼ばれるものであるため、「からだの中で無制限に抗体が増える」「ワクチンの効果が接種していない他の人に伝播する」「免疫反応が暴走する(低下する)」など、科学的根拠のない荒唐無稽なデマ情報が飛び交っています。中には「レプリコンワクチンを接種した人はお断り」と張り紙をするあきれたクリニックもあるとか。

そのような状況に製造元の会社は「科学的根拠のない情報を拡散する医療従事者や国会議員」に名誉毀損の訴訟を起こそうとしています。いい加減な情報がここまで広がれば威力業務妨害にもあたるからです。とはいえ、レプリコンワクチンは最新型であるがゆえに、安全性を確かめる治験が十分だとはいえません。新型コロナの感染状況が落ち着いている今、接種するのは時期尚早だといっても過言ではないのです。

思えば、放射能汚染で大騒ぎした経験を学んでいない人が少なくないようです。ただ「怖い」「恐ろしい」とたじろぐのではなく、また、無批判に多くの人と同じことをするのでもなく、自分なりに情報を集め、なにが正しくて、なにが間違っているのかを自分のあたまで考えるべきです。専門的で判断できなければ、いろいろな人の意見を真摯に聞く。ただし、情緒的な言葉で訴えてくる情報の多くには注意が必要です。

人々を煽り、社会を不安と混乱におちいらせようとの悪意をもっている人がいます。情緒に流されれば、そうした悪意の人に利用されるだけです。「零か百」で考えると見誤ることが世の中にはたくさんあります。ワクチンの接種もそのひとつ。副反応・副作用のまったくないワクチンはありません。だからといってワクチンを社会悪のように決めつけるのも間違い。できるだけ理性的になって判断してください。

 

コロナになりました。

過日、6月1日(土)に札幌に行ってきました。北大医学部の同窓会があったからです。ほとんどの同級生とは卒業してから一度も会っていません。本当に久しぶりで、懐かしい再会でした。

到着した千歳空港は曇り。今にも雨が降り出すのではないかと思われるほど雲は厚く、せっかくの北海道なのにと心もちょっと曇ります。
実は、今回の札幌訪問には長男も同行しました。北広島市にできた新しい球場「エスコン・フィールド」での「北海道・日本ハムファイターズ」のデイゲームを観戦するためです。
長男は札幌で生まれ、幼稚園に入園する直前まで札幌に住んでいました。息子にはその当時の記憶はほとんどありません。しかし、彼にとって札幌生まれは自慢です。

千歳空港に到着し、息子はエスコン・フィールドに電車で直行。私はバスにのってのんびり札幌へ。あれだけ曇っていた天候は急速に回復し、札幌に着く頃にはすっかり青空になっていました。
10年ぶりの札幌駅周辺は綺麗に整備され、北大のある北口はおしゃれな街並みになっていました。私が北大に入学したころ、札幌駅は古びた田舎の駅舎で北口あたりはいくつかの旅館があるぐらいでした。
同窓会は夕方からだったので、荷物をコインロッカーに預けて散策することに。北大の正門から入って中央ローンを歩くと、無数のポプラの綿毛があたりを漂っていました。これもまた懐かしい景色です。

北大の構内はとても広く、南北の距離を測れば2.5kmにも及びます。そのメインストリートを歩くと、構内にコンビニなどの新しい建物が出来ているのに驚きました。でも、雰囲気は学生のときのまま。
土曜日だったこともあり観光客もちらほら見かけましたが、嬉しそうにスマホで写真を撮りまくっている私自身がいかにも観光客のようだったかもしれません。
北大病院のだだっ広い駐車場にはさすがに一台の車もなく閑散としていました。私が卒業したときにはすでにこの病院は完成していましたから、その建物もできてすでに40年がたちました。

同窓会には四十数名が参加しました。同期は全部で120人いましたから、出席者は決して多いわけではありません。それでも、2時間ほどの短い時間に声をかけてまわるのにはちょうどいい数でした。
遠くは京都や神戸、和歌山など地元に帰った同級生も出席。容姿は多少変われど、雰囲気は学生の時のまま。私もすっかり学生のときに戻ったような気持ちになりました。
同窓会を終えて、息子と夕食を共にしました。当初は蟹料理を食べに行こうと話していたのですが、土曜日なのでどこも予約が一杯。しかたなく牛タン料理を食べてきました。

翌日はレンタカーを借りて富良野に行きました。この日も雲ひとつない快晴。富良野は、学生時代はもちろん、新婚当初もたびたび行っていたお気に入りの場所です。
朝早く札幌を出て、富良野周辺をまわって昼食をとり、3時頃には札幌に戻るとちょうどいい日帰り旅行。この日も早朝に札幌を出発。懐かしい高速道路を北上すると、北海道らしい景色に心は躍ります。
富良野は昔のまま。遠くに大雪山系を望む眺望に、思わず何度も車をとめて写真をとっていました。そして、「くまげら」という食堂でローストビーフ丼を食べて千歳空港に戻ってきたのでした。

夕方の便で帰るはずだったのですが、当日の羽田はどしゃぶりの雨。搭乗する便は出発がどんどん遅れ、羽田についたのが夜の10時近く。かろうじて開いていたお店に入って遅い夕食をとって帰宅しました。
翌日からは通常診療でした。でも、北海道での二日間の興奮はさめやらず、疲れを感じることもなく、リフレッシュした気持ちで仕事をしていました。しかし、問題はそこからでした。
その二日後、私はコロナウィルスに感染していることがわかりました。結果として一週間ほどクリニックをお休みせざるを得なくなりました。こんなこと初めてです。

水曜日、当院は休診です。休診といっても、家でゴロゴロしているわけではなく、調べものをしたり、書き漏らしたカルテ記載を済ませたり、紹介状を書いたり、往診や学校検診に充てています。
具合が悪くなったあの日、午前中は小学校の健康診断に行きました。健診が終わって、クリニックにもどってくるまではいつもと変わらぬ水曜日。その午後あたりから体調に変化がありました。
北海道にいった疲れと健診の疲れとでだるくなってきたのだろうとたかをくくっていたのですが、徐々にのどの痛みと節々の軽い痛みが・・・。とっさに「これは発熱か?」と思いました。

夕方までクリニックで様子を見ていましたが、体調はどんどん悪くなるばかり。クリニックの非接触型体温計を首に当てて体温を計ると37℃を超えています。「この症状はコロナ」と直感しました。
熱がではじめて間もないので、夜までクリニックで待機して抗原検査をすることにしました。すると予想は的中。コロナの抗原検査は陽性。明日からの診療は無理だと判断しました。
しかし、薬の処方ができないとなれば、定期薬のなくなった患者さんに迷惑をかけます。私がいなくても最低限の処方ができるように手はずを整えて私は帰宅しました。

自宅ではすでに隔離される場所が確保されていました。二階のトイレの前の納戸です。布団一枚がかろうじて敷けるスペースに準備が整えられていました。
私は帰宅するとその納戸に直行。以来、コロナの抗原検査が二回連続で陰性になるまでの7日間をここで過ごすことになりました。家族とはLINEでやりとりするのみです。
納戸に頼んだものを持ってくる家内はマスクをかけ、廊下ですれ違う息子達は顔を背けて足早に立ち去っていきます。なにか自分が汚いものになったかのよう。

でも、狭くて、薄暗い納戸での療養は決して苦痛ではありませんでした。そもそも学生時代は狭くて古い木造アパートに住んでいました。手を伸ばせばなんでも届く生活がむしろ懐かしいくらい。
体温は38℃台が続き、全身の関節痛とともに倦怠感があり、寝返りを打っても身の置きどころのないような不快感にさいなまれていました(インフルエンザの症状と変わりません)。
食欲はほとんどありません。無理に食べようとせず、そのかわりに水分だけは積極的にとろうと考えていました。今思うとそれは正しい対処法だったように思います。

実は初日、食事もしないでいたのに、水分もあまり摂ろうとしませんでした。その深夜、トイレに起きたとき、軽いめまいと嘔気が私を襲ってきました。「この感覚、以前にもあった」と私は思いました。
そうです。それは私が熱中症になったときと同じ症状でした。私は「おそらく脱水状態になっている。だから熱中症と同じ症状がでているのだ」と確信しました。

私は「排尿中に血圧はさらに下がるはず。意識を失わないようにしなければ」と自分に言い聞かせました。案の定、強い脱力感とともに意識が遠のいてきたので、急いで納戸の布団に戻って横になりました。

納戸がトイレの前でよかったです。一歩、二歩、足を踏み出すのもキツいほどフラフラでしたから。熱中症のときとまるで同じ。私は水筒に入った冷たいスポーツドリンクをがぶ飲みしました。
普段、患者さんに「発熱後24時間はできるだけ解熱しないで下さい」と説明しています。私もしばらく体温を下げず、次第にひどくなってきた咳と鼻水の薬だけを服用することにしました。
でも、一向に体温は下がりません。関節痛や倦怠感も続きました。体力が落ちてきたことを感じはじめたことから、一日に一回だけ解熱剤を使うことにしました。

いい機会なので、熱発のときに処方するアセトアミノフェン(カロナール)と、主に痛み止めとして処方するロキソニンで効果がどのくらい違うのかを比較してみようと私は考えました。
そして、わかりました。アセトアミノフェンの方が解熱作用に即効性はあるが、関節痛や倦怠感をともなう熱発の時はロキソニンの方が楽になる、ということを。
アセトアミノフェンは体温中枢に働きます。一方、ロキソニンは肝臓で代謝を受けてから各組織で抗炎症作用をもたらします。そうした薬の効き方の違いからくるものなのでしょう。

これまで当たり前のように、熱発患者にはアセトアミノフェンを処方していました。小児のインフルエンザ患者には、脳症を発症する引き金になるロキソニンは処方しないからです。
そうした安全性の問題から、多くの熱発の場合、アセトアミノフェンの処方が推奨されています。しかし、今回の経験から、大人であればロキソニンの方がいい場合があることがわかりました。
また、解熱するといったんは楽になるが、やはり治り自体は悪くなるようです。「むやみに熱は下げない方がいい」というこれまでの指導は間違っていなかったように感じました。

結局、最高38.4℃まであがった体温でしたが、熱発して4日目の土曜日の朝には解熱傾向となり、翌日の日曜日には関節痛や倦怠感といった随伴症状もおおむねなくなりました。
普段、患者には「5日間が過ぎて平熱になれば、マスクをしてなら通常の生活に戻っても良い」と指導しているので、私も月曜日からは通常の診療を再開できると簡単に考えていました。
しかし、コロナの抗原検査はなかなか陰性になりませんでした。私たちがコロナウィルスに感染した場合、二回連続して陰性にならないと仕事を再開できないのです。

抗原検査は月曜日も二回とも陽性、火曜日も二回とも陽性でした。いったいいつまで陽性が続くのだろうと、文献を調べてみてびっくり。抗原が陽性になる平均日数はおおむね7日間だったのです。
発熱して8日目の水曜日になってようやく午前に陰性、そして午後にも陰性と出ました。感染力がどれだけ残っているかは別として、抗原検査が陰性になるにはそれなりに日数がかかるようです。
この間、来院した患者さんには迷惑をかけてしまいましたが、定期薬が処方できないといった最悪の状況にはならずに済みました。私のいない間、当院の職員が頑張ってくれたおかげです。

振り返ってみると、熱が出る2日前の月曜日に「熱はさがったが、咽頭痛が残っている」という患者さんを診察しました。このとき、のどを見るためにマスクをはずさせて聴診をしました。
ところがそのとき、患者さんは突発的に咳をし、その咳が直接私の顔にかかったのです。私はマスクをしていましたが、直接咳が向けられると感染はまぬがれないのかもしれません。
ただ、このときの患者さんのためにも申し添えますが、こうしたことはいた仕方ないことです。私たちはそういう仕事をしているのですから気にしないでください。

なお、診療を再開してから、熱発する直前に健診をした小学校に電話してみました。養護教諭に「健診のあと、コロナに感染した児童はいなかったか」と確認しましたが大丈夫とのこと。
健診をしているとき、私の体調に異常はありませんでした。私も子ども達もマスクをし、子ども達に触れる私の手には手袋。よもや子ども達にうつすことはないだろうとは思いましたがホットしました。
今回のコロナ感染の経験からいろいろな教訓を得ました。実体験として今後の診療に役立ちそうです。開業して18年、初めての病気での臨時休診です。みなさんには本当にご心配をおかけしました。

 

 

 

 

 

風邪は治るが、治せない

新型コロナはもちろんインフルエンザの患者もだいぶ減り、一日に一人いるか、二人いるかという程度になりました。「風邪の症状があるのですが、どうしたらいいでしょうか」という問い合わせの電話の数も少なくなってきました。松戸保健所から定期的に届く感染情報では、いったん減少したインフルエンザ患者がふたたび増加に転じたりとその傾向は一定していないようです。しかし、ここ最近の当院の流行状況を見ても、インフルエンザも新型コロナもやがて減少に転じることでしょう。

当院では、風邪症状の患者さんが来院した際に、空間的な、あるいは時間的な隔離をおこなっています。つまり、待機する場所や診察・検査をする場所、あるいは来院してもらう時間などを調整しているのです。それは一般の来院患者さんに感染を広げないための工夫です。人によってはこうした工夫を不愉快に感じるかもしれません。しかし、感染症は流行を拡大させないことが重要です。感染症の患者さんの診療をするからには、そうした対策を講じなければならないことをご理解いただければ幸いです。

風邪やインフルエンザ、あるいは新型コロナウィルスについては繰り返し記事にしてきました(右上の検索エンジンで過去の記事を検索して下さい)。皆さんに知っていてほしいことがらは、以前も今もほとんどかわりません。この間、なんども同じ説明をしているにもかかわらず、なかなかわかっていただけないこともありました。しかし、世界的なパンデミックがようやく落ち着きはじめた今、あらためてかつてのブログを読んでもらえれば、冷静になって理解してもらえるのではないかと思います。

今回、これまで書いてきたことを少しまとめてみます。そして、医学知識のない一般の人が未だに勘違いしていること、あるいは、思い込んでいるにすぎないことを再認識するきっかけになれば、と思います。なお、必ずしも「絶対的に正しいこと」として書いていません。ですから、これから説明することを皆さんに押しつけるつもりはありません。また、私の主張が、これを読んで下さる方々のかかりつけ医の方針と異なっていたとしても、その医師の診療を批判するものでは決してありませんので悪しからず。

 

すでにご存知の方が多いと思いますが、いわゆる「風邪症状」とは、鼻水や咽頭痛、咳や熱といった症状の組み合わせをいいます。症状はおおむね軽い場合が多いかもしれません。原因はライノウィルスやコロナウィルスといったウィルスが感染しておこります。ウィルスは細菌と異なり自己複製ができず、感染した人の鼻やのど、気管の粘膜から侵入し、寄生した細胞にウィルスを複製させて増殖します。一般的に風邪の原因となるウィルスには、細菌に対する抗生物質のような特効薬はありません。

治療薬がない以上、風邪はからだに備わっている免疫力で治すしかありません。その免疫の中心的な役割をはたしているのが白血球(とくにリンパ球)です。からだがウィルスに感染すると炎症物質が作られ、その炎症物質が白血球を活性化し、体内に侵入してきたウィルスを排除しようとするのです。そして、ウィルスが排除されたのちも、しばらくは同じウィルスの感染に迅速に対応できるような状態が残ります。これが「免疫」と呼ばれるものです。ワクチンはこの免疫反応をおこさせるための物質です。

繰り返しますが、風邪(やインフルエンザ、新型コロナといったウィルス感染症)には特効薬というものがありません。つまり、風邪薬という名前の薬は「風邪を治す薬」ではないのです。風邪薬とは「風邪症状をごまかす薬」であるといってもいいほどです。ましてや「早めに飲めばひどくならない」というものでもありません。むしろ「風邪薬は早めに飲むと風邪が長引いたり、飲み続けると重症化を見逃すかもしれない薬」だとも言えます。風邪症状がつらくなければ飲まなくてもいい薬なのです。

その理由をもう少し詳しく説明してみましょう。感染症のときに熱がでるのは、からだの中に炎症物質が産生されるからです。この炎症物質が白血球を元気にしてくれます。その元気になった白血球がウィルスと戦ってくれるわけです。頭痛も炎症物質による症状です。熱がでたとき、あるいは頭痛のときに解熱・鎮痛剤を処方するのは、それらの薬が炎症物質の産生を抑制するからです。したがって、早めに、あるいは安易に解熱剤や頭痛薬などを服用すれば、白血球が十分な働きをしてくれないことがあるので注意が必要です。

つまり、「風邪かな?」と思ったからといって早めに風邪薬を服用すると、かえって風邪を治りにくくすることにもなるのです。それは風邪薬の中に解熱・鎮痛剤の成分が入っているからです。「熱がでたらすぐに解熱剤」という、多くの人にとって「当たり前のこと」は実は当たり前ではないのです。要するに、症状が軽いときの風邪に薬は不要なのです。他の人に感染を広めぬよう、安静にして体力の回復につとめ、寝ていればいいだけ。「風邪薬を飲みながら仕事(学校)に行く」なんてことはすべきではありません。

 

ただし勘違いしないでください。「薬を飲んではいけない」と言っているのではありません。症状が辛いのであれば服用して結構です。咳がつらいのであれば鎮咳薬を服用して下さい。発熱や頭痛だってつらければ解熱・鎮痛剤を服用してもいいのです。安易に、そして、定期的に一日三回服用してはいけないというだけです。「薬を毎日、しかも一日三回服用しなければ症状がよくならないときはどうするのか」とお思いの方もいるかもしれません。そのときは医療機関に電話をして相談すればいいと思います。

もちろん解熱・鎮痛剤を飲んではいけないケースもあります。まず、インフルエンザのときにロキソニンやボルタレンという商品名で呼ばれる解熱鎮痛剤を小児に服用させてはいけません。インフルエンザ脳症になりやすいことが知られているからです。インフルエンザ検査が陰性であっても、安全のためにこれらの解熱・鎮痛剤は使用しない方がいいでしょう。そのようなときはアセトアミノフェン(カロナール)という薬を使います。でも、痛み止めとしては弱い薬なので頭痛にはあまり効かないかもしれません。

ロキソニンやボルタレンといったアセトアミノフェン以外の解熱鎮痛剤(NSAIDsといいます)は、とくに妊娠後期の人には避けたい解熱・鎮痛剤です。お腹の中の胎児にとって重要な「動脈管」という血管にトラブルを生じる可能性が指摘されているためです。とはいえ、アセトアミノフェンを服用しても、必ずそのトラブルが起こるわけではありません。しかし、大切なことは、アセトアミノフェンだからといってむやみに服用して解熱しようとしたり、症状が軽いのに安易に使ったりしないことが重要です。

風邪になるとすぐに医療機関を受診する人がいます。「早期発見、早期治療」だからでしょうか。しかし、薬は症状に応じて処方内容が異なるため、症状がある程度そろってから受診した方がいいと思います。風邪症状があまりにもつらいとき、あるいは発症4日目に入っても改善傾向が見られない場合に受診すればいいのです。発症早期、あるいは軽症の方からの問い合わせに、「明日まで経過観察を」と指示することがあります。「なぜすぐに診てもらえないのか」と不機嫌になる人もいますが、意地悪をしているわけではありません。

インフルエンザや新型コロナの検査も同じです。しかし、これらの検査は「からだからあふれ出てきたウィルスの痕跡(抗原)」を検出するものです。症状がでてきてすぐに検査をしても、まだウィルスがからだからあふれ出てきていなければ検出できないのです。当院では「熱発(高熱)が出現しておおむね24時間が経過してから」と指導しています。どうしても早く知りたいときは従来のPCR検査が適していますが、重症でない限り早めに診断しなければならないようなケースは今はほとんどありません。

現在おこなわれているPCR検査の感度はかなり向上しています。新型コロナウィルスの検査がはじまったころは感度も特異度もそれほど高くはありませんでした。しかし、PCR検査の精度はどんどんと向上し、今はウィルスの断片があっただけで検出してしまうほどになりました。擬陽性の問題も決して無視できないほどになっているのです。新型コロナウィルスが流行し始めた頃、「できるだけ早く検査、なんどでも検査」といっている医師がいましたが、それがいかにいい加減なことだったかが今はおわかりいただけると思います。

 

今、サプリメントの健康被害のことが話題になっています。その健康被害が本当にあったことなのか、それとも過剰反応だったのか、結論がでるのにはもうしばらく時間がかかるでしょう。しかし、サプリメントが安易に使用されている現代社会のあり方に警鐘を鳴らす一例にはなったと思います。それは不要な薬をたくさん服用している患者さんにも、あるいは「薬はからだに悪い」という週刊誌レベルの言説に振り回され、必要な医薬品を服用せずにサプリメントに頼っている人にも警鐘になったかもしれません。

結論。風邪は自然に治ります。からだの中の白血球が戦ってくれるからです。風邪薬で治すことはできないのです。よもや「風邪を一発で治す薬」などありません。風邪にかぎらず感染症は本来ツラいものです。薬は症状を軽減するためのもの。点滴などは単なる水分補給の意味しかありません。水分補給のためだけなら経口からの方がよほど安全かつ確実です。抗生物質は細菌性の肺炎(あるいは扁桃炎など)を疑うときに処方することがあります。ウィルスが原因である風邪に対して処方しているのではありません。

なにが正解なのかは私たち医師にもわからないことがあります。そもそもケースによって対処法が異なる場合であればなおさらです。絶対的な正解はなくとも、「こうすべき」という標準的な指針はあります。我々はその標準的な指針にしたがって診療をしなくてはなりません。世の中にはいろいろな情報が飛び交っています。その情報はまさに玉石混淆。だからこそ、「世の中に流布されている情報は常に批判的に見るようにする」ことが大切。私が書いているこれらの記事の内容もまたしかり、です。

地震災害へのお見舞い

令和6年能登半島地震に際して亡くなられた方のご冥福と、怪我をされ、被災された方たちの日常が一日も早く回復するよう心よりお祈りします。

2023年8月14日に当ブログに掲載した記事「琴線に触れる街」を再掲します。あの街並みは変わってしまったでしょうか。北陸の風景はもちろん、そこに生活する人たちの心も変わりませんように。

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以下の記事は今から12年ほど前の医師会雑誌に掲載されたものです。そのコピーを患者さんに読んでいただこうと当院の待合室においています。これが思いのほか好評をいただいているようです。今あらためて読むと、推敲が足りないと感じるところもありますが、今回、このブログでも掲載しますのでお読みください。

************ 以下、本文

「琴線に触れる」という言葉があります。大辞林(三省堂)によると、「外界の事物に触れてさまざまな思いを引き起こす心の動きを例えたもの」とあります。北陸、ことに金沢は私の琴線に触れる地でもあります。それは金沢の街で感じた郷愁のようなもの(それは金沢の伝統から伝わってくるもの)が影響しているように思います。

私がはじめて金沢を訪れたとき、金沢城では場内にあった大学校舎の移転工事がおこなわれていました。石川門を入るとあちこちに工事用車両がとまっていましたが、そこここに残るかつての栄華の痕跡に私は魅了されました。そして、金沢城から武家屋敷界隈にまで足を延ばせば、歴史を感じるたたずまいの中にあって、なおも人々の生活の息吹を感じる街並みに不思議と心安らいだものです。

その中でもっとも強烈な印象を残したのが金沢近代文学館(現在の石川四高記念文化交流館)でした。ここは石川県と縁の深い作家や文化人を紹介する資料館です。旧制第四高等学校の校舎をそのままに利用した建物は、旧制高校の古き良き時代の雰囲気を漂わせる風格を感じます。そんな建物を通り抜けて裏庭にまわると、ひっそりとしていてうっかり通り過ぎてしまいそうな場所に、井上靖の「流星」という詩が刻まれた石碑がありました。

井上靖は東京帝国大学に進学する前の三年間、この旧制第四高等学校に通っていました。彼はその多感な旧制高校時代に、たまたま訪れた内灘の砂浜で遭遇した流れ星に自分の未来を重ねたことを懐古してこの「流星」という詩を作ったのです。

 

「流星」

高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって、
星の流れるのを見たことがある。
十一月の凍った星座から、一条の青光をひらめかし、忽然とかき消えたその星の孤独な所行
ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。

それから半世紀、命あって、若き日と同じように、十一月の日本海の砂丘の上に横たわって、
長く尾を曳いて疾走する星を見る。
ただし心打たれるのは、その孤独な所行ではなく、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する
星というものの終焉のみごとさ、そのおどろくべき清潔さであった。

 

私は中学生のころから井上靖の作品が好きでした。とくに、「あすなろ物語」「しろばんば」「夏草冬濤」の三部作は今でも心に残る作品です。井上靖自身だといわれる主人公「洪作」の成長と、彼が生きた時代がなぜか中学生だった私の心の琴線に触れたのです。それから三十年以上も経って「流星」という一編の詩を目にしたとき、かつてこれらの小説を読んだころの沸き立つような熱い思いが去来しました。以来、この場所はもっとも私の好きな場所となったのでした。

金沢を訪れたついでに立ち寄った永平寺も私には特別な場所でした。永平寺は道元禅師が開祖となった曹洞宗の総本山であり、厳しい修行がおこなわれていることで有名です。40年も前の「NHK特集」という番組(当時、イタリア賞を受賞した優れたドキュメンタリー番組でした)でその修行の様子が紹介されました。厳寒の冬に黙々と修行する若い僧侶達を見てからというもの、永平寺は私にとっていつか行ってみたい場所のひとつになっていたのです。

永平寺は小松空港から車で1時間30分ほど行ったところにあります。途中の道は今ではきれいに整備されていますが、創建された700年以上もの昔の人たちはここまでどうやって来たのだろうと思うほど山深い場所です。

門前には観光客相手のお店が並んでいて、とある店の駐車場に車を停めて永平寺の入り口にたどり着くと、そこには樹齢数百年にはなろうかという大木が何本もそそり立ち、その古木の間に「永平寺」と書かれた大きな石碑が鎮座しています。その石碑の後ろには、これまたとてつもなく大きな寺の建物がうっそうとした木々の間から見え、深い緑と静けさの中で荘厳な風格のようなものを感じました。

拝観料を払って建物の中に入ると、若い修行僧から永平寺についての解説がありました。私たちが解説を聞いているそのときもこの建物のいたるところで修行が行なわれています。見学している私たちのすぐそばで、窓を拭く修行僧、経を唱えている修行僧、あるいは昼食の準備をする修行僧が私たち観光客には目もくれずに淡々とお勤めをしています。永平寺のほんの一部を周回することができるのですが、ひんやりとした長い回廊を歩きながら、これまでにいったいどれだけの修行僧がこの北陸の厳しい冬に耐えてきたのだろうと思いをはせていました。永平寺は一部が観光化されているとはいえ、霊的ななにかを感じさせる素晴らしい場所でした。

金沢という街、北陸という地域が私は好きです。冬は北陸特有のどんよりとした雪雲におおわれ、人々の生活は雪にはばまれることも少なくありません。しかし、この寒くて暗い冬を耐えつつ前田家122万石の栄華を極めた加賀・金沢には独特の文化があります。そして、永平寺という、厳しい自然と対峙しながら修行に耐える修練の場があります。どちらもこの風土に根付いた文化であり、歴史です。

金沢という地で旧制高校の多感な時期を過ごした井上靖が、晩年になって「流星」という感動的な詩に寄せて若き日を懐古したのも、自然の厳しさの中で繁栄したこの地に何かを感じ取ったからだと思います。金沢をはじめて訪れた私は、井上靖がどのような思いでこの街を散策していたのだろうかと考えたりしながら、しばし満ち足りた3日間を過ごすことができたのでした。

2015年に北陸新幹線が開通します。今度は成長した二人の息子を連れてこの北陸路を訪れたいと思います。そのとき、彼らは心に響くなにかに出会えるでしょうか。